三題噺「パン」「殺人」「パスタ」
「俺は、パンなんかじゃなくてパスタが食いたかったんだ……」
ここは取調室。目の前にはくたびれた服を着た中年の男が座っている。
俺はため息をつく。さっきからずっとこの調子だ。
「なに? おたくイタリア料理が好きすぎて殺人鬼になったのかい?」
聞いてからしまった、と思った。しかし、もう遅い。
「●%▽#■×&@!(*><($?」
男の言語が、イタリア語のような言葉に変わった。
――三十分前
「だーかーらー、さっきから何度も言ってるでしょー?」
俺は目の前にいる中年の男に熱弁を奮っていた。
「あんたは廚二病なの! しかもレベル5の重篤患者ー! わかるー?」
「は、はぁ……」
「あんたがそう思ってなくても、俺から見ればあんたは異常以外の何者でもないわけ!」
「そ、そんなの……あなたの決めつけじゃないですか?」
(……まったく。こんな問答を繰り返していたら日が暮れてしまう)
「わかってないなぁー! それならあんた俺の目から目を逸らさずに言ってみろよ」
だから、俺はいつものようにいつもの台詞を言う。
「私は絶対に異常ではありません。てな」
――廚二病。かつて痛い子の代名詞だったこの言葉は、今では悪魔の病とも呼ばれるほどの奇病である。
かつて厨(くりや)という医師が発表した”厨式第二次精神発現病”。
無意識という名の第二次精神が現実化する、すなわちイメージを具現化する病。
自分が念動力の使い手だと思い込めば、たちまち車を手を使わずに浮かせるような病。
数年前に精神病院で集団感染した際は、病院自体が突如現れたミニブラックホールに丸ごと飲み込まれた。
それを手から生み出した患者は、その後すぐに長距離ライフルで遠距離から射殺された。
廚二病への恐怖が廚二病ではないかという疑念を生み、世界中に廚二病は感染した。
だから、強い思い込みが廚二病に感染する要因だとわかっていても人はつい思ってしまうのだ。
――自分は異常ではないか、と。
――現在
「……はぁ」
俺がため息をつく目の前では、中年の男が延々とイタリア語らしき言葉で喋り続けている。
「ちょっとやりすぎたかねぇ……」
罪人でない人間を罪人にする方法。それは相手に罪を認めさせれば良い。
そうすれば罪を犯したかどうかにかかわらず、そいつは罪人になる。
目を逸らさないのが健常者でも、三十分も目を逸らそうとしない奴は異常者だ。
俺は今までそうやって会う人間を異常者、つまり廚二病患者に変えてきた。
自分は廚二病ではないか。そう少しでも思い込ませることで。
「しかし、いくらなんでも思い込み強すぎだろ……」
その時、取調室のドアが開いた。
「あぁ、良かったー! ちょっとこの人がさぁ」
「#■<($?×&●%▽!(*>@」
「!?」
思考が止まる。
(……あれ?)
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。……あれぇ? どうしたのよ?」
「$?×&#■<(●▽!(*>@%」
目の前に立つひょろっとした男がイタリア語のような言葉を話している。
(こいつも廚二病患者……?)
「<($?×&#■●▽*>@%!(」
中年の男が若い男に答える。二人は同じ言語で話し続ける。
(……あれ? どういうことだ……? こいつがこの言語で話せるわけがないのに……)
混乱して思考ができない。
(俺の方が……異常なのか? 実は俺の方が……廚二病患者になっていたのか……?)
「……俺は異常なのか。俺は異常か。俺は異常だ。俺は異常。俺が異常。俺は異常。俺が異常。俺は異常? 俺が異常? 俺は異常。俺は異常。俺異常。異常。異常。異常。異常。異常。異常。異常。異常――」
俺は思考を止めた。
「……堕ちたか」
くたびれた服を着た中年の刑事が目の前の青年を見つめる。
「おい、もう良いぞ」
そして、今しがた入ってきたひょろっとした部下の刑事に声をかけた。
「……お疲れ様です、警部」
「まったくだ」
警部と呼ばれた中年刑事は首を回しながら肩を揉む。
そんな上司に対して部下である若者は少し眉をひそめる。
「しかし……これはやりすぎではないのですか?」
「やりすぎだって! は! そんなのこいつが今までやってきたことに比べりゃ可愛いもんだろうよ!」
若い刑事は、ぶつぶつ呟き続ける若者をちらりと見る。
「廚二病患者を故意に造る、ですか。確かに…ある意味殺人鬼より性質が悪いですが」
「そういうこった。……変な同情はするんじゃねえぞ」
「……はい、気を付けます」
取調室に青年の呟きだけが響く。
「さ! さっさと調書まとめて昼飯でも食いに行こうぜ!」
中年刑事が重い空気を取り払うよう大きな声で言った。
「は、はい! あ、それじゃあ駅前の店なんてどうです? 自家製パンが有名らしく…」
「パスタだ!」
「ひっ! ……へ…?」
「あ、ありゃ? どうしたんだ、俺?」
「だ、大丈夫ですか警部?」
「あ、ああ大丈夫だ。でも、これじゃあまるで……」
三題噺「パン」「殺人」「パスタ」
「け、警部……? ど、どうしたんです……?」
「え? あぁ、いやなに。パンが食いたいとお前がぬかすからさ……」
「ひっ、あ、いや……、やめ……」
数分後、取調室の扉が静かに開く。
「……俺はパンじゃなくてパスタが食いたかったんだ……、か」
青年が何事もなかったように取調室を出てくる。
部屋からは中年刑事の呟きがぶつぶつと聞こえてきている。
「……あぁ、今日も失敗だ。いつになれば俺は廚二病になれるんだ……」
廚二病になりたいがゆえに廚二病になった自分を廚二病患者ではないと思い込む。
廚二病であり廚二病でない。
だからこそ、青年は
「世界中が廚二病になれば、俺も廚二病になれるよなぁ……」
今日も誰かを廚二病にするべく取調室をあとにした。