ゴールデンバッド

ゴールデンバッド

少しずつ書き足していきます。

私は、快く約束を破り、コートの襟に身を潜めた。


 何をしたわけではない。いっそのこと病にでもなれば、同情を買える。煙草は身体に悪い、この大流行りが煙草産業にダメージを与え、事実、私はこの毒に縋(すが)っている。

 死にたい

 私からすれば、これは太宰治の言葉であるが、これは大昔からの言い伝えにあるようなものだ。死にたくて、仕様がないんです。とでも言いますか、キザ・・・確かにそうなのだ。誰から同情を買うのか、そういった話は友人との酒の肴にした方が却って有意義といえる。
さて、この模倣作のようなものに、オリジナリティーを枯渇している私はどうしようもない間抜けであるが、自らを卑下しているということが正にその部分、やはり取って付けたようなオリジナリティーなのである。粗末な冒頭こそ、コンプレックスの塊、その姿を曝け出している。しかし、このような悪態をつく作者であるからと、この先に書く私の一生の断片までを蔑まれてはその陳腐な思考を、果ては、あなたの人格までを私は疑る。 ( いやいや、申し訳ない。)

 大都会の生温い空気が国道246号線をタクシーの群れと共に走り抜けていく。この独特な空気はやって来るわけではない、独特な臭気として留まることなく抜けて行く。田園都市線、渋谷から三駅目、神奈川方面へと下って行く、この事実が嗅覚に妙な説得力を与えたのかもしれない。幼い頃田舎の道を登下校していた者ならば、風に運ばれてくる肥溜めの何とも酸っぱい悪臭から、匂いが風にのる様は同意を得られるはずだ。しかし、大都会の生温い空気というのは私の鼻に留まることなく、“そこはかとなく”臭覚を抜けていく。駒沢大学駅、地下にある駅から年々軽くなっていく身体を、大学の広告が大きく貼り出された階段から持ち上げる度に、その感覚は薄れ忘れていくはずであった。その嗅覚を呼び覚ましたのは、あの人と再会したその瞬間である。

 駒沢大学駅から自由通りを下っていけば、駒沢公園が広がっている。休日に一歩踏み入れれば、新緑に染まった陽が眩しい都会のオアシス・・・という妄想に反して、駅に抜ける近道に公園を利用していた私からすれば、 実情は人で溢れたファミリー向けのレジャー施設、のバーター、といったところである。
 もう昔のことで、私が二十歳になったばかりのことだった。
 人目をさけるように待ち合わせは薄暗くなってからだった。公園内の電灯が少し前の威勢を失い、心もとなく葉桜を照らしていた。駒沢公園には、サッカーグラウンドがあり、その隣りのベンチを待ち合わせ場所にした。その日のことはよく覚えている。久しぶりの再会ということもあり、東京で覚えたての着こなしで、生暖かい初夏の風が待ち時間を少しだけ重たくすすめていた。
 
 足をもぞもぞと何度も組みかえたり
 遠くの方を眺めてみたり
 自分自身に自らを少しでも格好良くみせていた。

 彼女と出逢ったのは、高校生の頃である。どこからか嘲りが聞こえそうなものであるが、
 
 恋・・・
恋などという青臭く軟弱な言葉に・・・
 あれは恋ではない
 というよりも・・・

 
 また私の悪い癖である。この後もこのような言葉の断りを挿入することは心苦しいのでどうかお見逃し願いたい。しかし、言葉がそれしか見当たらない、表現力が貧困、今となっては苦いと感じる甘酸っぱい思い出、ということは、恋。青臭く軟弱だがやはりそれが本質であるのかもしれない。
 高校3年生秋。校内合唱コンクール。他校に比べると異質なほど盛大に行われる母校の合唱コンクール。協調性を養う学生生活であるから、音楽という芸術の妙な説得力に託けて・・・しかし、それでもやはりクラスの一体感は格段に上がる。いや、上がっている様であった。
私の高校生活といえば、いたって陰気であった。しかし今では、お勉強のできる人間を嘲笑うような巫山戯た餓鬼であったと猛省しております。学生の本分である放課後の部活動は歴史研究部。歴史研究部というのは、 まぁ平たくいえば帰宅部、スポーツは苦手ではなかったし、集団行動を毛嫌いした、というわけでもなかった。何の考えもないまま、先輩のお姉様方の清き勧誘になされるがまま入部にいたった。そのおかげで入部当初は週に一日必ず、休憩所と化した部室の掃除をするはめになった。
毎日、毎日、家に帰れば自らの部屋に籠り、ひたすらにピアノを叩いていた。ピアノというものは大変に聞こえはよろしいが、本当に私にはそれだけであった。傲慢な両親からのプレゼント、三歳児の私をピアノの椅子に座らせ、やんちゃ盛りの少年に白いハイソックス・・・実に気の利いたプレゼントである。この皮肉めいた性格もバイエルが進むにつれ育っていった。

合唱コンクールのような学校行事が日常の刺激になることはなかった。はじめからそのような行事に参加するつもりはなかったからである。遠くの方で課題曲を歌う声が響いている。絶対音感や相対音感が際立って良いわけではないが、クラスメイトの中で合唱をすると、必ず頓珍漢な音程をひっぱりだしてくる者がおり、どこかの安い貨客船に乗っているような心地がしてくる。私はピアノを弾けることを隠した事はなかったが、皆の前で披露することもなかった。そうやって飄々と世の中を渡ることが真であり、隠す爪があることが高尚な人間であるような気がしていた。
教室のカーテンが心地よく揺れ、机に突っ伏している私の頭にまばらな暖かさを運んでくる。少し離れた校舎で聴く頓珍漢な歌声は体育館で反響し、遠くの方でチューニングをはずした懐かしいラジオを聴くような、こもった箱鳴りに変わり良い睡眠薬になる。ただひとつ私を邪魔するものは、校内行事をさぼっているという小さな罪悪感。私は・・・私という人間は真面目なのである。とはいうものの、そのような臆病な私でも、この整えられた夢世界への誘いには抗うことはできなかった。水面からゆっくりと沈んでいく鉛玉、いよいよ瞼が閉じられた。
<つづく>

ゴールデンバッド

ゴールデンバッド

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-05-02

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