三題噺:小倉百人一首エスペラント東海道本線
小倉百人一首 エスペラント 東海道本線
<作者注:エスペラントとは、ユダヤ人眼科医ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフが1887年に発表した人工言語である。第2言語としての国際補助語となることを目指して作られたため、文法は非常に簡単で習得は容易である。話者は160万人ほどであり、人工言語としては類を見ないほど普及していると言える。>
「【愛なんて伝わらない!理解し合うなんて幻想だ!言語には限界があるのだ!個々人の内に生ずる愛したい衝動は全く新しい概念であり、既存の概念を呼び出すのみである言語では伝達し得ない!僕は君の愛を知り得ないし、君は僕の愛を知り得ない!互いに愛し合っているのでなく、それぞれが勝手に一方的に愛しているだけである!我々は本質的に孤独だ!一方的な愛で満足するしか無いのだから!】……え、マジで?こんなの言わせるの?え、何で?マジ?」
ーーー部長らしくないよねこれ。
「いや、ええ、まあ、そう、っすかね。部長は、ほら、今までずっと、【天に愛を!地に愛を!人に愛を!】みたいなのばっかり書いてたじゃないすか。愛を賛美すると言うのか、愛で全てを解決したがると言うのか。」
ーーーああ分かる分かる。愛、大好きだよねあの人。アレも悪くないとは思うけどね。
「そりゃあ、勿論、僕もあの愛大好きスタイルは悪くないと思いますよ。うん、というかアレをあの完成度で、あと億面もなく?書けるのは、部長ぐらいでしょう。才能っすよね、アレも、一応。いや一応どころじゃなくれっきとした才能っすよね。」
ーーーそうそう、才能なんだよね、高く評価してくれる人も居るしね。
「才能のはずですよね。しっかし、今回はどうしたんすかね、いやに厭世的というか、愛に絶望してるというのか。何か有った、んすよね。何が、有ったんすかね。ベタなとこでフられたとか?」
ーーーフられたらしいよ?2年間付き合ってた、ほら、ひとつ下の、何だっけ、鶴…、鶴…何さんだっけ、鶴谷だっけ、鶴岡だっけ、とにかく鶴何とかさんにフられたらしいよ。聞くところによると鶴何とかさん、部長をフってすぐにサッカー部の、ほらイケメン風の、添…垣?くんと付き合い始めたらしいよ。
「マジすか、2年間でしょう?そんだけ付き合っといて、よくまあすぐに乗り換えられるもんすね。そんなもんなんすかね?世の中は。」
ーーー知らないよ、そんなの。まあ、知らない私が言うのも何だけど、部長ライクに愛に期待し過ぎるのも、ダメじゃない?ダメだと思うよ?鶴何とかさんが道徳的に褒められたものかどうかはともかく、部長はこれにすごく応えたことだろうし。
「そうすね、部長、ずっと浮かれてましたからね。本当にずっと幸せそうでしたからね。1年中、ほわほわしてましたからね。それが、まあ、まあ…酷い話っすよね。」
ーーーその台本、もうちょっと読んでみて、すごいよ。
「マジすか、どれどれ…【エスペラント!そんなものが何の役に立つのだ!言葉が伝わったところで、内容はどうなのだ!伝わらないじゃないか!5歳児未満の語彙で愛を伝えようなんて!……】え、エスペラントって、アレっすよね、1部で、世界中に"愛の絨毯爆撃"をやるのに使った、アレっすよね?なんか、ほら、人工言語?でしたっけ?」
ーーーそうそう、世界中に話者がいる人工言語だね。全部で160万人だっけ?すごいよね。で、160万人に同時に愛の告白をするのが、"絨毯爆撃"なんだよね。よく思いつくよね、そんなの。
「ちょっと整理しましょう。部長が今書いてる、というか丁度書き上げたこれは、4部作でしょう?1部はエスペラントで"愛の絨毯爆撃"をする話。2部は小倉百人一首を通して日本古来の愛を研究する話。3部は東海道本線を40時間かけて走り切って愛を伝える話。」
ーーーちなみに3部は部長の実話らしいよ。鶴何とかさんとの。まあ2部のそれもやってそうだけど。
「マジすか、初めて知りましたよ。いや、それは置いといて、3部までは愛を謳う話、じゃないすか。それが4部になって、急に愛を否定する話になってしまって、大丈夫なんすかねこれ。3部まで見て、4部を楽しみにしてるお客さん、びっくりしますよ。」
ーーーそうだよね、部長スタイルで行くなら、というか3部までの流れを見るなら、4部でもべたべたに愛を肯定する話になるはずだよね。
「あ、ここ、百人一首ディスってる。【何度も言ってやろう!愛したい衝動は当人が初めて感得する斬新な概念なのだ!過去のあらゆるできごとは現在の愛したい衝動と無関係である!君は確か百人一首が好きだったな!この理屈で言えば和歌なんて全く下らない!過去の人間が何を感じ何を残したか知ったところで、現在の我々は内なる衝動を語る言葉を得るに至らない!……】……うわあ。部長、色んなことをよっぽど考え直、させ、られた、んだろうなあ。だって2部では【愛の形は1通りでなく、寧ろ無数に存在する。様々な形の愛を知ることで我々は愛というものそれ自体を理解できる。愛を理解すればこそ愛を表現できる。】とか何とか言ってたじゃないすか。なんか憐れっすよ、もはや。」
ーーー部長の愛の、ちょっと言い方が悪いけど、唯一の捌け口?が鶴何とかさんだったわけで、客体が拒絶したことで主体たる愛は全く挫折したのだ、なんてね?この表現、かっこよくない?
「あ、それ良いっすね、愛の挫折、おしゃれっすね。部長の前では口が裂けても言えませんけどね。」
ーーー私はさ、台本のそっから先はまだ読んでないけどさ、たぶん、おおかた、東海道本線を走っても無駄だ!愛なんて伝わらない!とか書いてるんでしょう?
「ええと、うーん、【例として東海道本線を走破した学生の話をしよう。】うわ、強引、ヤケクソっすねこれ。えーと、【愛がために彼が東海道本線を走破したという事実は、彼にとって愛という動機が、東海道本線を走破するという労力に見合うものであったことを意味する。ただしそれは、彼にとって愛が非常に重大な意味を持っていたことを意味しない。なぜなら、彼にとって東海道本線を走破することは、朝飯前だったのかもしれない。東海道本線を走破したからといって、彼が己が恋人に過剰に熱を上げていたとは言えない。彼は軽い気持ちで簡単なことをしただけなのだ。】……えええと、僕にはこれが、部長の、いやさ俺は確かに東海道本線を走破したけどさそれはさ俺にとっては全然簡単なことでさマジでマジで別にアイツに熱を上げてたわけじゃないっていうかマジでマジで実は俺あんまりアイツのこと好きじゃなかったし云々、という言い訳、に見える、んすけど。」
ーーー私も、そう……思う………、うん、それは、うん、言い訳だよ、たぶん。
「よほど、疲れてるんでしょうなあ、追い詰められてるんでしょうなあ。上映しない方がいい、っすよね、ていうか、上映しちゃダメだ、これは。」
ーーー実際、どうするんだろうね。顧問も、部長も、決めかねてるみたいだし。……ベストなのはさ、部長がさ、新しい愛に目覚めてさ、この厭世的な4部を書き直すか、色々有ったけどやっぱり愛は素晴らしいねって締める5部を書く、ことだよね。
「不幸のどん底の部長を救う天使だかヒロインだかが登場すれば良いんすけどね。」
ーーー案外、次は男の子に目覚めたりしてね。
「ま、まっさかー、いやあ、もう、ねえ。あの部長が、その、ば、薔薇、だ、男色、しゅ、しゅ、衆生の世界に目覚めたら、それこそ手がつけられなくなるっていうか、台本まで同性愛ものになりそうで怖いっていうか、ねえ、嫌っすよ!僕はそんなの!」
ーーーまあまあ、可能性の問題だからね?可能性なら好きなこと言えるからね?好きなこと言ってるだけだからね?大丈夫だよ、たぶん、きっと、恐らく……
結局、4部は上映されなかった。顧問も部長も部員も、これはダメだと思っていたのだろう。
皮肉な話であるけれど、"幻の4部"の噂が広まってしまったことで、1〜3部の動員が大幅に増えた。
そうして4部を求める声が高まり、嘆願署名も集められたそうだが、部長は決して4部を書き直そうとしなかった。
月日は過ぎ、部長は卒業を迎え、外国の大学へ行った。風の噂では向こうでも演劇をしているらしい。
また、部長は、嫌な予感に限って当たるもので、同性愛に目覚めた。屈強な、ねえ、あまり言いたくないから言わないけどさ、楽しんでるらしいよ?噂には尾鰭が付くものだしさ、僕はあんまり信じてないよ?信じない方が、精神衛生的に宜しいしね。
演劇部は、台本を書ける人間が居なくなってからは、無難なスタンダードをこなすノーマルな演劇部になった。これはこれで面白いけれど、部長の書く突飛な恋愛物語の、刺激というかパンチというか、は恋しいものがある。
鶴何とかさんと添何とか君は、あんまり噂を聞かないけどさ、肉体関係だけずるずる続いてる、らしいよ?こう聞くとさ、鶴何とかさんと部長が2年間もくっついてた理由がわからないよね。曰く希代のクソビッチとなった鶴何とかさんと、正しい愛とか純愛に傾倒してそうな部長がさ、何で付き合ってたんだろうね。
部長の濃い愛に、全身全霊を肯定されるうち、鶴何とかさんは調子に乗っちゃった、とか?勝手な想像だけどさ。
ともかくも、部長が僕たちに与えた影響はとても大きかった。また、見ていてすごく面白かった。1〜3部はこれからも上映されて、"幻の4部"は語り継がれる、部長は伝説となるだろう。
そんな部長が、僕はちょっと羨ましい。
三題噺:小倉百人一首エスペラント東海道本線