学校戦争 エピソード$03 『シカクハアルカ』
では、今日は情報Dコースの体験授業の最終回と言うことで、ひとつ「怖い話」をしよう。
私がアニメーション好きだと言うことはみんなはもう知っていることと思うが、むかし、ある非常にPopな、Popとしか言いようがないテレビシリーズのアニメがあった。そしてそのアニメのある回の放送で主人公の仲間が、人間が消え去ったと噂されそれ以来誰も近づかなくなった街へ、父親の差し金で「最強の武器」を探しに向かったことがあった。
町には人がいないという事以外は特別おかしな点はない、そしてその登場人物は街の中央に遺跡のようなものを見つけ、そこに潜入し、「最強の武器」を見つけた。そしてそれを持ち帰ろうとした途端、「ピエロ顔の怪物」が現れ、襲いかかってくる。
その登場人物も推測したとおり、それは「最強の武器」を外敵から守るための、一種のセキュリティーシステムだったのだ。登場人物はかろうじてそれを退けるのだが、最後にその怪物は登場人物にたいしてある言葉を言って壊れ去った。その言葉はコンピュータを使う上での、とても重要な概念を暗示している。
ちょっと現実の話に戻ろうか。私は今でこそコンピュータのことには詳しいが、もちろん最初からそうだったわけではない。私の父親はエンジニアで、家にパソコンが置いてあり、私は幼い頃からそれと触れあっていたが、それでも使うのと言えば大抵ゲームソフトで、私はファイルをどこに保存するのかという概念さえわかっていなかった。
私の長兄は全く人の痛みを考えない人間だった。パソコンを使うクリエイターにとって一番大切なものは何か、わかるかい?それはパソコンそのものでも、大きなディスプレイでもない。それはデータだ。クリエイターにとっては作品の編集過程のデータがとても重要なんだ。クリエイターにとって恐ろしいことはデータが消え去ること。だってそれは今まで頑張って作品を作ったというその労力全てが消えてしまうこと言うことだからね。そして同じものは二度と作り直せない。クリエイターにとってはパソコンが使えなくなること自体よりも、中のデータが消え去ると言うことの方がもっと恐ろしいことなんだ。
わたしの長兄は私が頑張って作ったデータを時々ごっそり消してしまうことがあった。もちろんわざとだ。彼はそれがどれほど残酷なことか理解してなかったのかもしれないし、実は理解してやっていたのかもしれない。しかしどちらにせよ私のデータは何度も消されていった。その時の家のパソコンはCD書き込みドライブなどはなくて、フロッピーディスクドライブしかなかったから、到底バックアップのために使えると言うものではなかった。私は長兄の手からどうにもデータを逃がす方法がなかったんだ。
そして私の父親、ないし母親とわたしの長兄は、テレビゲームというものはどんな場合でも悪だという観点に立っていた。そしてあるとき長兄はネット上でちょうどいいソフトを見つけ、家に一つしかないそのパソコンに「パスワードを入力しないとパソコンを使えなくする」ソフトをインストールした。そしてそのパスワードは父親に対してだけ教え、――もちろん設定した本人は知っているわけだが――私たち弟には秘密にした。そのことによって私はパソコンは使えなくなり、それからはただ長兄が何食わぬ顔でパソコンを使っているのを指をくわえて視ているだけ、と言うことになった。当時ホームユースのWidowsは今のようなマルチユーザという概念が無く、起動時にパスワードを掛ける機能がなかったから必要性があってそのソフトを誰かが開発したのだろうが、しかしそれは結果的に私のパソコンスキルの進歩に大きなブランクをあけることになったんだ。
転機は中学3年生の時訪れた。私は学校でパソコンでレポートの作成課題に取り組んでいたので、どうしても家でもワープロソフトを使う必要があったのだ。そして親から許可がおり、私はパソコンを使ってそれを行うことが出来た。また、その時家のパソコンで調べ物のために初めてインターネットもした。キーボードの打ち方も覚えていった。私はそれまでキーボードをまともに打ったことがなかったんだ。
そしてわたしはある日図書館の本でOSに働きかけてそのパスワードソフトをハッキングするための方法を見つけた。私はその方法を知ることによって、そのパスワードソフトを無効化して、削除する方法を手にしたんだ。
長兄はその後一人暮らしを始め、いつも家にいるわけではなくなったが、それでも時々かえってきて、やはりパソコンを使うことがある。そしてそうしたらもちろん私のファイルを消す。なので私は策を弄した。長兄が帰ってきている間だけ、長兄が使っていたパスワードソフトを、今度は私が設定したパスワードで設定し直して利用したのだ。
私のデータはこれで安全が確保されるかに思えた。しかし私は前にそのハッキング方法を次兄に話しており、どうも次兄はそうすることが自分の利益になると考えて、――長兄はうちでは絶対的権力だったからね――長兄にその方法を漏らしたらしく、そのパスワード設定は破られた。まあ、パスワードというものは実際は世間で思われているほど完璧なセキュリティーではないのだが、次男はそう思っていたこともあってその方法を漏らしたらしい。
その後、今度はそのハッキング方法を無効化する方法を私は知ったが、その時には家のパソコンは買い換えられ、腐れポンコツのWidows95から、プチポンコツのxP house editionに取って代わっていた。xPはマルチユーザOSだったから、ファイルを保護する機能はあり、もうそう言ったハッキングは必要なくなったんだ。ちなみに95は初の実用的なGUIインタフェースを実現したOSとしては価値があったかもしれないが、私がそれを使わせられた期間は長すぎた。xPは商用ソフトを利用するというWidowsのアドバンテージの意味では実用的ではあるが、汚いOSであることは変わりない──。
私の家族は全くセキュリティー意識も何もなかったから、全員のユーザに初期設定の、管理者権限が与えられていた。ある時長兄は私たち弟のユーザ権限をなんの通知もなく制限付きユーザに変えた。制限付きユーザになると通常ユーザと比べて使えるアプリケーションが制限されたりする。私は反撃に出るべく――父親は全くセキュリティー意識も何もなかったから、アカウントにパスワードを掛けていなかったんだ――そこから設定を変え、元に戻した。しかしまた長兄は同様のことを行ったため、私はついに管理者権限を一つだけ持つ新規のユーザーを作り、他のアカウント、これは私のアカウントも入っているんだが、それらを全て通常ユーザにした。これは出すぎたまねではないかという不安を持つ私にとって、秩序と安全を守るための苦渋の決断だった。私はその時自らの心に、この管理者権限を乱用することなく、公平に利用することを誓ったんだ。
次兄はその後ファイル交換ソフトに手を出し、インストールしようとしたが、管理者権限でしかアクセスが設定できないファイヤウォールソフトが入っていたから、私はこれをつかってポートをストップした。今でこそ違うかもしれないが、当時の私においては著作権保護は重要な規範であり、また、ファイル交換ソフトはコンピュータのセキュリティーも侵すので、これを止めることは自分に必要な使命だと思ったんだ。
私はその後、家を離れ、祖父母宅で暮らすことになったが、パソコンのユーザ権限設定はそのままだった。次兄がMP3プレーヤーを買って、その関連ソフトのインストール時に必要だと言うことで、私はパスワードを明かすよう家族から言われたが、私はあのパソコンには私のデータも残っているし、家族がそれを乱用する可能性は十分あると思って、それを伝えることはなかった。今から思えばちょっと強硬すぎる態度だったかな、とは思っているが、結局「メーカーに送ってリセットしてもらう」と言うことで、私が作った権限設定は最終的に消されることになった。でも、実際は長兄がそのことを行うために暗躍した、と言う情報もあるから、真偽は定かではない。
パスワードというものは、自身や敵の立ち位置次第では十分なセキュリティーにはならないものではあるんだけどね。それでも私はこの話をしたい。
私は情報Dの体験授業を今日まで一週間行い、こんな思わせぶりな話までしているが、みんなにはそのWidowsのハッキング方法について教えることはしない。私はもうWidowsをあまり使っていないので、今のWidowsにそういう問題があるかどうか私は知らない。情報Dはパソコンのより深い仕組みについて学び、セキュリティーについてしっかりとした知識・技術を身につけるためのコースだが、私はその知識を学ぶならば、その知識を使うだけの自覚を持ってもらいたいと思っている。もし今日私がそのハッキング方法を教えることによって、このうちの誰かがそれを悪用するようなことがあったら、わたしはロクでもないことをしたことになってしまうだろう。そしてなまじな認識のものがこの方法を悪用するなら、その者は必ず何らかの形で制裁を受けることになるだろう。
コンピュータを使ったことがない人は、これはなんか画面にデジタル表示されているただの箱だ。と思うかもしれないが、そこに入力され、出力される情報は、この現実世界とつながっており、パソコンが進化すると共にそれはこの世界に大きな影響を与えるようになる。つまり、コンピュータというのはいうなれば力だ。社会を変革し、加速させ、人間の有様、繋がり方さえ変えていく、とても大きな力だ。何をよわいごとを、と思うかもしれないが、実際パソコンと同じデジタルモバイルデバイスである携帯電話は、社会の仕組み、文化形態まで大きく変えている。そしてそれはコンピュータにおいても同様のことだ。人間にとって一番大切なこと、というのは、どんなに時代が変遷しても変わらないのかもしれないが、しかし、その日常的な形態は変わっていく。車が発明された前と後では、人間の生活は大きく変わっただろう。
そして力というものは使い方次第でどのような方向にも向きうる。人間が言葉を使うことで、心を通わせ、そこに絆を作り上げていくように、言葉は人の心を傷つけうる。冷たい言葉、悪意を持った言葉、相手にどうとられるか考えない、デリカシーのない言葉。節度のない言葉、そして人を貶めるための嘘。あるいはわざと、好きこのんで相手を傷つけるために言葉を使うものさえいる。このことはコンピュータにおいても同様だ。掲示板などで誰がどう傷つくのかも考えず悪意のある書き込みをする人はネット上にはたくさんいるし、知識のある人はクラッキングによって人の重要な情報を削除したり、盗み出したり、改ざんしたりする。
私は君達がこのコースへの応募を希望すれば、それを断る権利はない。しかし私は言っておく。力を使うことにたいして自覚のないもの、人を傷つけても何とも思わないようなものにはこのコースはとってもらいたくない。それはこのコースで知識を身につけることによって、その悪意が力を持ち、外部に悪影響をもたらすかもしれないからだ。
あの時のアニメのピエロの怪物が言ったこと、そしてなにげないパソコンのログイン画面はいつも君達に問いかけている、
――「シカクハアルカ?」と。
さて、話が長くなってしまったね。じゃあ、応募を希望する人はこの紙に生徒番号と名前を書いていってください。皆さん一週間の体験授業、お疲れ様でした。あと、そこの左の方に座っている7人、話があるから残りなさい。
■ TO BE CONTINUED……
学校戦争 エピソード$03 『シカクハアルカ』