三題噺:枯葉石油シャワー
枯葉 石油 シャワー
枯葉と石油、彼我の差は何か。ここでは両者の燃料としての側面に光を当てるとしよう。枯葉も石油も燃料になり得る。しかし燃料としての価値は全く異なる。枯葉は無価値であり、一方で石油価格は高騰を続ける。この価値の差をもたらす原因は何であろうか?
用途の差であろうか?枯葉の火は焼き芋を焼くぐらいしか使い道が無いけれど、石油は色んな役に立つ。自動車、重機、その他諸々を動かすことができる。あと色んな化学物質の原料になるけれど、これは燃料としての側面ではないのでここでは無視しよう。とにかく、枯葉は役に立たない一方で、石油はとても役に立つのだ。
しかし、妙に聞こえるかもしれないが聞いて欲しい。石油が役に立つのは、石油が役に立つような機械ばかり開発されてきたからではなかろうか?枯葉を役に立たせるような機械が開発されたなら、枯葉が役に立つようになるのではないか?牛の糞で動く車もあると聞く、枯葉で動く車なんか現代技術にしてみたら朝飯前であろう。何故作らないのだ?技術者の脳みそはマシュマロなのか?
いや、ひょっとすると、枯葉を燃料とする車だって、開発されたのかもしれない。そして恐らく枯葉カーは、車として優秀ではなかったのだろう。石油で動く車がぶるるんぶぁーんとハイウェイをかっ飛ばす横で、枯葉カーはゆったりのそのそと走っていたのだろう。そんな映像がありありと思い浮かぶ。
もちろん、自動車が開発された頃にハイウェイなんて存在しないが、そんなことは些細なことである。とにかく枯葉カーは牛歩を売りとしたに違いないし、売れなかっただろうし、すぐに生産停止となったのだろう。それでも枯葉カーを作り続けた技術者は存在したことだろうし、彼らの脳みそは焼き芋だったのだろう。
話を戻そう、石油が枯葉に燃料としての価値において勝る理由のひとつが用途である。他に理由はあるだろうか。
オシャレっぽさとか、最先端っぽさとか、流行とか、そんなものは理由になるだろうか。人が石油を手にしたのは、きっと、人が枯葉を手にしたよりも後であろう。新進の技術者は恐らく大半が若者、あるいは若いセンスを持ちたがる中年、であろう。若くて流行り廃りに敏感な彼らにすれば、ほんの数ヶ月前、ほんの数年前に発見されて、当時"サイコーにホット"とか雑誌に書かれていたであろう石油は、魅力的だったに違いない。そこらじゅうで腐っていた枯葉とは比べものになるまい。そうして「時代は石油っしょ、石炭なんて古すぎるよ。枯葉?薪?お話にならないな!」という論調がスタンダードとなって行く。猫も杓子も石油に熱を上げ、老若男女が石油を買い求め、見えざる手が石油価格を吊り上げて行く。つまり枯葉が石油より後に発見されていれば、枯葉が、少なくとも瞬間的には、石油以上の価値を持った可能性もあるのだ。そうならなかったことが残念でならない。
用途、流行ときて、きっと他にも理由はたくさん有るはずである。ここで石油は枯葉より燃料として優秀と結論付けても、読者諸賢は異論を唱えないことだろう。
今まで枯葉をズダボロに貶してきたので、ここからは枯葉が石油より優れている点について考える。もちろん、燃料以外の役割についてである。
第一に、枯葉は概して石油より美しい。秋を主題とした美術作品は数多存在すれど、石油や油田やコンビナートを主題とした作品は皆無に等しい。枯葉がちょうど散っている風景を私は大変に好む。一般に桜が散るシーンは美しいとされる。私も散り行く桜を美しく思う。それと同じ感覚を枯葉に対して抱くのみである。私はその風景を枯葉のシャワーと呼んでいる。一方で石油はどうだろう?美しいか?石油のシャワーを浴びたいか?行き過ぎた拝金主義者は石油と札束の区別がつかないために石油のシャワーを浴び、あまつさえそれを飲んだりもするだろうが、読者諸賢も私も、恐らくは、拝金主義者ではない。つまり読者諸賢にとっても私にとっても石油は全く美しくない。枯葉は美であり石油は醜である。これが枯葉の優れた点である。
他には戦争と平和が挙げられる。石油利権を巡って古今東西に戦争が絶えず、無数の死者、難民、悲しみが有っただろう。一方で、俺とお前のどちらが枯葉を掃除するか戦争で決めようなんて話は全く聞かない。そも枯葉は平和を特徴とする。枯葉が存在する風景を思い浮かべて欲しい。恐らくそれはだいたいが牧歌的平和を満喫する風景であろう。石油は戦争を生み、枯葉は平和をもたらす。それだけである。
ここまで考えて分かってしまった。枯葉が石油より燃料として優秀となった暁には、立場が逆になるのだ。石油は燃料として優秀であるがゆえに戦争を起こす。では枯葉が燃料として石油より優秀となったら?石油が起こしてきたあらゆる問題を枯葉が起こすようになることだろう。
戦争と平和についてのみ言及すると、そのとき枯葉が戦争を起こすようになる。枯葉を求めての領土侵犯が日常茶飯事となり、核を使った第3次世界大戦、石と棍棒の第4次世界大戦が起こってしまう。それは困る。世界平和のために枯葉には無能でいてもらわなければならない。車として優秀な枯葉カーを作ることができる天才技術者は世界を滅ぼしかねない。それはマズい。ナウでヤングな若者が枯葉を求めることは世界破滅を意味する。それは避けなければならない。
なんてこった。石油が枯葉をボコボコにする議論だと思っていたら、枯葉が世界を滅ぼすという結論に至ってしまった!この世界は脆い!なんたって枯葉によって壊滅し得るのだから!
世界を滅ぼさないためにも、枯葉について議論すべきではない。私が枯葉について考えている今でさえ、枯葉を有効に利用するアイデアは生じうるのであり、そのアイデアは世界を滅ぼしかねない!ああ!ああ!枯葉について考えることを今すぐに止めなければならない!私よ!言うことを聞け!枯葉について考えることを止めるのだ!さあ!さあ!
その時、私の脳裏に素晴らしいアイデアが浮かんだ。死ねばいいのだ。命を断てば枯葉について考えることはできない。私の命ひとつと世界平和、どちらが大切か論ずるまでもない。
さあ!私は死ぬぞ!世界を破滅から救ったのだ!英雄となるのだ!
……5日午後2時25分ごろ、千葉県市川市の京成電鉄鬼越駅の上り線で、20歳ぐらいの男性が成田空港発上野行きの特急電車(8両編成)にはねられ、全身を強く打って死亡した。市川署は自殺とみて、男性の身元や詳しい状況を調べている。
同署によると、遺書には「枯葉は世界を滅ぼす。俺は英雄となるのだ」とのみ書かれており、警察は捜査を進めている。
特急電車には乗客約500人が乗っていたが、けがはなかった。
三題噺:枯葉石油シャワー