アス・マナ
天使二人の物語。
「もう!なんなの!?あいつ最低!信じらんない!」そう言ったアスちゃんを横目に見ながら私は小さくため息をついた。
今、私達はいかがわしい店がある3階立ての雑居ビルの屋上にいる。消費者金融の大きな看板を照らす無数のスポットライトがとても眩しく、そのすぐ裏には所々塗装が剥がれ錆び付いたスチール製の物置。乱雑に置かれた空きビンが入ったプラスチックケース。大きな青いビニールシートが掛かった見たことも無い機械製品。鼻をつまみたくなるようなアンモニア臭が漂っている。ここに来るのも今日で5日連続・・・、本当にいい加減にしてくれって感じ。でもアスちゃんは全くそんなことは気にせず一人の男性を見入っている。
「全く可愛い天使が二人して来る所じゃないよ」私が愚痴をこぼしても全く聞こえている様子はない。
夜空を見上げると綺麗なお月さまぁ?、足元を見ると空き缶、紙くず、ゴミだらけ・・・、「ふぅ〜」何回目のため息だろう?無意識に出ちゃう。
アスちゃんの目線の向こうには夢中でパチンコをしている男性の姿。向かいのビルも、こちらに負けず劣らずド派手なネオン。更に軍艦マーチが爆音で鳴り響いて五感が麻痺しそう。そのパチンコ店の壁は一面ガラス張りで目隠しに所々宣伝ポスターを貼ってあるだけだから隙間から十分店内を見渡せる。特にここのビル屋上は店内を覗くだけならファーストクラス。その上、一番端の席に座っているから、彼の一喜一憂まで見渡せる。
「お金ばかり使って一体何が楽しいのか・・・」と私が尚も吐き捨てるように言うとアスちゃんはやっと反応して
「ほんとに飽きもせず毎日、毎日馬鹿みたい!」と呆れた口調。でも彼を見つめる目は何時も心配そうで切なそう。私達は天使。人間達の言うところの守護霊的な存在だ。だから幾ら思いを積んでも恋い焦がれるても彼には私達の声も姿も感じる事は出来ない。そう、私達は見守る事しか出来ない・・・。
「ねー、マナちゃん、もう9時でしょ?アイツいつまでパチンコ続ける気かな?」私が左手首に目をやって時間を確かめた。
「そう、あと5分で9時。まさか11時の閉店までって事は無いと思うけどなぁ・・・」彼がまた煙草に火を着けた。パチンコ台の灰皿は既に吸殻でいっぱいになっていた。
「あの馬鹿!清美ちゃんが夕食作って待ってる事知ってるくせに何考えてるの!?」アスちゃんのご立腹と呆れた表情も今日で5日連続。
「毎日だもんね・・・。あ!!ところでさぁアスちゃん、今日もパチンコ負けさせるの?」私達天使はパチンコを勝たせる事は電子部品が複雑すぎて専門知識が必要だけど、逆に負けさせる事は簡単だった。ちょっとした念力を彼とパチンコ台に送るだけ。
「当然!負けさせるに決まっている!家で待ってる人がいるのに、こんな所で油売って・・・、天罰じゃー!」人差し指を立て、天に向け、そして狙いすましたように彼を指差した。私はその無意味な行動についつい吹き出してしまう。指先から必殺レーザー光線でも出ているの?って突っ込みたくなる。でもアスちゃんはこの振り付けが気に入ってるらしく私には何も言えない。彼と言うのは隆君。いわゆる人間だ。彼はギャンブル、酒、たばこ大好き。おまけに浮気性まで付いてきて、はたはた困り果てている。だけど清美ちゃんと同棲し始めて約2年、浮気だけは一度もした事がない。信じられないけど…。あ!仕事の付き合いでキャバクラが2回程あるかな?まぁ?上出来、上出来。
今日もこてんこてんに負けて・・・と言うよりも負けさせたのかも?店を出たのは、もうすでに夜の10時を回っていた。隆君がパチンコ店を出ると同時に私達もこの場所から、ようやく撤収。今日は金曜日だし明日仕事休みだから、取り合えずここへは二日間来ないですむ。
彼らのアパートは下町の住宅街。駅から歩いて10分の好立地。コンビニやスーパーも徒歩圏内で生活環境はとても良い。小さな6世帯のアパートだけど軽井沢のお洒落なペンションを思わせるような二階建の可愛い造り。バス・トイレ別、1Kの築7年。家賃も格安の5万2千。二人で住むにはちょっと手狭だけど、何件も回ってようやく見つけた物件だから思い入れもあるし十分気に入っていた。社会人3年目で、まだまだ安月給の2人にとってはこれが精一杯。だからと言って不満なんか全く無かったし、ただ二人で一緒に暮らせるだけで幸せだったみたい。
私達は帰る隆君の後を付けてふわふわ飛んだ。肩を窄めてとぼとぼ歩くその姿は情けなく頼りない。まぁ〜、5日連続で負け続けているし仕方ないけど・・・。大きなトラックも走る2車線の国道から街灯も少なく暗い裏道に折れて数十メートル、アパートに着いた。
気を付けてもガンガン音のするスチール製の階段を昇り真ん中202号室へ。角部屋だったら可愛い出窓が付いて可愛いデコレーション出来たのに・・・っとは思う。私達は隆君がインターホンを鳴らすのを確認して屋根を飛び越へ、小さいベランダの手すりに腰掛けた。
彼が部屋のチャイムを鳴らすと「お帰り!」と清美ちゃんはいつもと変わらない笑顔で迎えてくれる。
「ただいま。また仕事トラブっちゃって遅くなった・・・」
ウソつき!
「飯食べるの待っててくれたんだ。ごめんね」
そうだ、反省しろ!
「毎日、残業大変だね。御飯一緒に食べよ!」もう、清美ちゃん甘やかしすぎだよ。寄り道してきてる事分かってるくせに・・・。
リビングは白を基調としたフローリングの部屋。白いチェストと折り畳み式の小さなテーブル。横にした白いカラーボックスの上には小さいテレビとラジカセ。必要最低限の物しかない。それでも、二人の食卓はいつも笑顔がたえない、とても楽しそう。
「今日は日曜日に挽肉コネておいたハンバーグを焼いたよ」清美ちゃんが料理をテーブルに運んで来た。
お皿の上には、ハンバーグ、マカロニサラダ、レタス、トマトが綺麗に盛り付けられていてとても美味しそう。
「おー!俺がこねるの手伝ったハンバーグだよね!」隆君は御飯をよそりながら答えた。自然と家事に手をかす。これだけは隆君の良いとこかな・・・・。他にはお味噌汁と肉じゃが。特に清美ちゃんの肉じゃがは絶品!お母さんゆずりは疑いようがない。最後に碧と紅の夫婦箸を並べた。
「オッケーだよ」とキッチンでグラスの用意をしている隆君に声をかけた。
「了解〜今、行く」すぐに冷蔵庫から冷えた缶ビールと綺麗なクリスタルグラスを2個抱えて隆君が戻って来た。そしてグラスにビールを注いで準備完了。
「せえの!乾杯ぃ〜!」カツッン〜!部屋中にグラスの重なり合うキレの良い音が鳴り響き、二人の笑顔も幸せ一杯って感じ。この役割分担は同棲生活が始まった頃から変わらない風景。隆君はビールを一気に半分程飲み喉を潤した後、早速ハンバーグに手をつけた。清美ちゃんの料理の腕はかなりのものなのに出来上がってから二時間以上経ってしまったハンバーグは弾力感にかけていた。「うお!美味しいぃ〜。このハンバーグ!!」の隆君の声に、出来たてだったら何倍も美味しいのに!っと突っ込みたくなる。「嬉しいぃ〜!でも隆が30分以上も挽き肉をコネコネしてくれたお蔭だよ」私の心と全く違う清美ちゃんの献身的な言葉についつい心洗れる。
「そんなことないよ、清美の料理はみんな美味しいよ!肉じゃがの味付けも最高だしね!でもさぁ〜、30分挽肉コネコネは流石に筋肉痛になるよ」隆志君が右手をぶらぶらさせて舌を出したから清美ちゃんは口に入ったものを吹き出しそうになって笑ってった。食卓はいつも楽しそう。こちらが恥ずかしくなる位ラブラブ。たまに喧嘩もしたりするけど、それでさえ愛情を深めるための儀式に思えてくる。
「あ!そういえば、来週から出張だったよね?長くなるの?」会話のさなか、清美ちゃんが思い出したように切り出した。
「うん。ごめん。今回は新型車の撮影だから1ヶ月から1ヶ月半くらいかかると思う」隆志君は広告代理店に勤めていてかなり出張は多く、それに比べ、アパレルメーカー勤めの彼女はほぼ店内での接客がメインだから出張には無縁だった。清美ちゃんは地元山梨の高校を卒業後すぐに上京、隆君と東京で出会い同棲するまで会社の寮で二人のルームメイトと暮していた。だから一人暮らしの経験が全く無く、その為彼が出張するたびに都会での不安な時間を過ごしていた。孤独の時間は彼女にとっては耐え難く見守っている私達も同情してしまう程。それでも今までは最長でも1週間。しかし今回は1ヶ月以上という長期・・・。彼女の心の不安・動揺が手に取るように分かる。
「今暑いから日射病とか脱水症に気をつけてね」と空になった隆君のグラスにビールを注ぎながら無理に笑顔を作った。こんな不安な時でも彼への気遣いが出来る清美ちゃんは流石だなって思う。隆君も出張中彼女が不安で過ごしていることは気付いていた・・・何時だったか、行かないでって泣き付かれた事があったから・・・。
「うん、ごめん。出来る限り電話するから」と言うしかなかった。まだ、携帯電話が普及していないこの時代、公衆電話からしか連絡手段が無かった。携帯メールな
んて言葉すら無かった時代だから。
「無理しなくていいからね。仕事がんばってね。私は大丈夫だから」と清美ちゃんの精一杯の強がり。ちらっとアスちゃんの方を見ると、羨ましいそうに二人を見つめながら独り言のように「隆君がパチンコ行っている事絶対ばれてるよね?」
「だろうね。清美ちゃん感鋭いからね。でもあのラブラブちょっとヤケちゃうね」と私が聞くと
「うん・・・。まぁね」あたりさわりの無い答え。アスちゃんは彼の事を聞くと曖昧な答えしか出さない。まぁ清美ちゃんの手前もあるから仕方ないけど。
「今日も何の問題もないね・・・。そろそろ天界に帰ろう?」私はまだ二人を見入っているアスちゃんの肩にそっと触れた。
「ねぇマナちゃん、何故この二人が別れるの?」二人に向けている視線が徐々に曇っていくのを感じる。そう幸か不幸か私には予知能力があった。この力は天使の中でも特殊能力の部類に入る。二人の関係が壊れると予知したのは私。そしてその原因を何度も聞かれたけど話す事をためらい続けた。理由は清美ちゃんが余りにも可哀想で話す事に抵抗があったから。ただ、アスちゃんの表情を見ていると黙っている事にそろそろ限界を感じる・・・。私とアスちゃん、隆君と清美ちゃん四人は前世、人間界で同じ時を過ごした。そして死んだ後もこの天界で私達四人は親友だった。短い間だったけど・・・。そして現世、私とアスちゃんを天界に置いてきぼりにして二人は人間界に降りた。そんな記憶も人間になると消えちゃうけどね。 そして視えてしまった清美ちゃんの未来。アスちゃんには簡単に要点だけ話そう。出来るだけショックを和らげないと・・・。そして私は重く閉ざした口を少しづつ開いた。
「分かれは二人が30歳を過ぎた8年後に起こるの。隆志君がようやく二人の将来を決断して、清美ちゃんも心良く了承した。そして結婚を半年後に控えたある日、偶然知り合った女性と隆志君は浮気をしてしまう。その後その女性の妊娠が発覚。隆君は清美ちゃんとの結婚をあきらめその女性と結婚する事を選ぶ」
「浮気?妊娠?何それ?嘘でしょう・・・。何考えてるのアイツ!」アスちゃんは驚きと怒り表情、そして呆れた表情が入り乱れそして頭を抱えた。
「今から8年後の事だから二人とも30を過ぎてる。相当ショックだよね。でも清美ちゃんは強いから、立ち直ることは出来る。」
「確かに清美ちゃんだったら大丈夫だよ」アスちゃんは自分に言い聞かせるように何度も小刻みにうなずいた。
「でもね、本当の悲劇は半年後なの。そう、隆君と別れなかったら結婚する予定だった月。彼女の身体に癌が見つかる・・・。」私がそこまで言うとアスちゃんは一瞬硬直した。そして「嘘・・・」と声を震わせた。
私はそれでも話しを続け「一度は手術で完治するけど3年後に再発、そして・・・」
「もういい!!」アスちゃんは目に涙を溜めて睨む様に私を見た。でも次の瞬間ハッとして我に返り
「ごめん。私から聞いたのに・・・」と言って大きくうなだれた。
窓の向こうからは、相変わらず二人の楽しそうな笑い声が聞こえていた。
「アスちゃん。清美ちゃんが人間界降りる前に、私達に言った事覚えているよね?」アスちゃんは黙ったまま大きくうなずいた。
「こうなる事、清美ちゃん自身が覚悟してたはず・・・。清美ちゃん言ってた・・・・、たとえ人生が途中で途切れたとしても自分で決めた事だからってね」
「でもあの時、無理矢理止めていれば良かった。私達と一緒に人間界に降りれば、そんなことにならないのに・・・」アスちゃんの後悔の念、痛い程よく分かる。でもね・・・
「アスちゃんは十分頑張ってたよ。止められなかったのは誰のせいでもない。清美ちゃんはどんな人生になろうと隆君と同じ時代を生きる事を選んだ。ただそれだけだよ。」私は手を震るわせているアスちゃんの手の上に、そっと手を添えた。
すると「私達に出来る事なんだろう?」とゆっくり私の方に視線を向け、手を強く握り返した。
「一緒に考えよう?清美ちゃんと隆君がより良い道を歩めるように。本当に人間になって良かった思えるような人生を送れるように導いて上げよう」
「別にアイツはどうでもいいけど…浮気するような奴!」ほんとうに、そう思ってる?つい疑りの目で見ちゃう。
「まぁ、相手が相手だけにしょうがないかな・・・」う!やば!口が滑った!
「ちょっと、どういうこと!浮気相手って誰なの?私達の知っている人?」
「いや・・・・、あの・・・。」
「知ってる人なのね!!誰!?」
「いや、知らない人かも・・・。」えぇ??アスちゃんの両手が・・・私の首筋に・・・。
「白状しろ!!」
「ギャー!!」・・・・・・夜の町中に私の声が響いて・・・ないか・・・・。
アス・マナ