風は見えたか?

「大型の台風11号が勢力を強めながら太平洋を北上しています」と、テレビのニュースが伝えていた。「早ければ今夜半ごろには本州に上陸する恐れがあります。……強まる風と雨に十分警戒してください」
 自宅の窓から、「強まる風」を見て、じっと「警戒」していた。風が目に見えるわけじゃないから、つまりは揺れる木々を眺めていた、ということだ。
 すると、携帯電話がメールを受信した。開くと本文にはこうあった。
〈やだからね、絶対別れない!〉
 送信者を見ると〈高橋亜希子さん〉とある。誰だっけ、と一瞬考える。あ、スマートクリエイティブの広報担当だ、と思いあたる。三年ほど前に一度仕事をしたことがあった。そのときたぶん、メアドを交換していたのだろう。
 もう一度、送られてきた文面を読む。
〈やだからね、絶対別れない!〉
 間違いメールだ。どうしようか、と思案する。間違いを指摘してやるべきか、それとも気づかなかったふりをして、このままスルーしてやるべきか。
 高橋さんの姿を思い浮かべた。当時二十代の前半だっただろうか。ウェーブのかかった明るい髪と、白い肌が印象的な人だった。マヨネーズをぬったゆで卵みたいに、記憶の中の高橋さんは見えた。お腹がすいたな、と僕は思った。
------上野太郎です。スマクリさんには三年ほど前に、AIキャッツの記事でお世話になりました。その節は有り難うございました。高橋さんからの突然のメール嬉しかったです。でも間違いメールだと思います。うっかり読んでしまってすみませんでした。万事うまくいくことを祈ってます。いつかまた一緒に仕事ができるといいですね。そのときはまたよろしくお願いいたします。>やだからね、絶対別れない!
 と、結局そんなふうに返信した。
 すぐにまたメールを受信した。高橋さんからだった。
〈ご無沙汰しております。いつぞやは弊社の商品を取材していただき有り難うございました。この度は、とんでもない間違いメールを失礼いたしました。恥ずかしくて消えてしまいたいくらいです。お忙しいところ、くだらないメールでお手を煩わせてしまったこと、深くお詫び申し上げます。〉
 まともな文面だった。そのまま返信しなければ、それで万事が済むはずだった。でもまた僕は、返信をした。台風のせいだった。せっかくの週末だっていうのに、どこにも出かけらない。退屈だった。おまけに冷蔵庫の中にはフィルムと烏龍茶しか入ってなかった。お腹がすいた。でも雨嵐の中、コンビニに出かける気にもなれなかった。空腹をごまかす必要があったのだ。
------いえいえ、消えたりしないでください。ちょうどヒマでヒマで、そりゃもうほとんど消えかけてたくらいだったので、高橋さんからのメール、ホントにちょっと嬉しかったんです。それと、オフィシャルな高橋さんしか知らない僕は、高橋さんのおそらくはプライベートな感情の発露に、なんだか少しドキドキしてしまった。なんて、すみません、下世話な好奇心丸出しですが、これも雑誌記者の習性ってやつです。というのはウソです。ホントは、ヒマでヒマで、あとはお腹がすいているのです。ともかく、消えないでください。それよりこのまま文通しませんか、もしもお嫌でなく、お時間があればの話ですが。腹へったな?。
 そう書いて送った。迷惑に思われるかもしれないし、思われないかもしれない。ともあれ僕はヒマだったのだ。返信を待つ間に、高橋さんからの返信の文面を想像してみることにした。こんな文面が返ってくるんじゃないかな、と僕は思った。〈返信有り難うございます。気さくな文面に、あの日のインタビューを思い出しました。インタビュアーというのは、こうやって対象に潜り込むものなのか、と感心した記憶があります。てっきり職業的なスキルだと思っていたのですが、どうやらあなたのお人柄だったようですね。でも私は……〉なんてところまで想像したところで、携帯電話が短く鳴った。
 高橋さんからの返信は、予想に反して短かった。
〈どうしてお腹がすいてるの?〉
 と、それだけだった。あっさりとプライベートゾーンに突入していた。我々はもはや、広報担当者でもなかったし、取材記者でもなかった。こういうところが女性の素晴らしいところである、と改めて僕は思った。男なんてのは、休日のディズニーランドで出くわしても、名刺の肩書きにのっとってでなければ挨拶もできないワンちゃんだ。その点女性は、鎖に馴染まない、より偽りのないネコさんだ。僕は自由な気持ちで返信を書いた。
------なぜお腹がへってるかというと食べてないからです。朝からなにも食べてない。買い置きがないんです。コンビニに行こうと思います、もう少し雨が小ぶりになったら、風にさからって出かける所存です。台風を相手に文句を言ってもしかたないから。
 と、書いて送った。
 高橋さんからリターンがあった。
〈ひとりで住んでるの? 私もひとりで住んでます。台風は怖いですね。〉
 と、あった。
 返信した。
------ひとりで住んでます。台風を怖いとは、あまり感じないかな。もしかしたら怖いのかもしれないけれど、今のとこ、ひどい目にあったことがないってことだと思います。
 少したってからリターンがあった。
〈七年も付き合ってきた彼氏に、突然別れを切り出されました。〉
 呟きみたいなメールだった。返信をした。
------うの字、で始まる彼氏?
 すぐさまリターンがあった。
〈どうして知ってるの!?〉
 返信した。
------僕の名前が上野だから。間違いメールの彼は、上田くんとか、宇佐美くんとかじゃないかな、って。
 リターンがあった。
〈すごいですね、上田という名前です。でも、ひどいと思いませんか。七年も付き合ったのに、理由もなく別れようなんて言うんですよ!〉
〈でも〉が何にかかる逆接なのか、よくわからなかったが、僕は僕に期待されている役割を知った。親戚のおじさん、みたいなヤクドコロを演じる流れになっている。で、返信した。
------七年目、ってのは、それまで続いた物事が変化を迎える節目なんだよ。
〈どうして?〉と、案の定リターンがあった。親戚のおじさんよりは、インチキ占い師のほうが、まだ退屈じゃない展開が期待できそうだ。だから、僕はこう返した。
------天王星は全天のうちの三十度を七年かけて移動するんだ。天王星は変化を暗示する星なんだよ。
 リターンがあった。
〈天王星のことなんて、どうしようもないじゃないですか!〉
 そのとおり、と僕は思った。天王星に何を言ったって仕方ない。台風に何を言ったって仕方ないように。買い置きしてなかった僕が悪い。僕のお腹がすいているのは誰のせいでもない、僕のせいだった。と悟ったので、インチキ占い師は廃業して、インチキ宗教家になって、こんな返信をしたためた。
------人に心があるなんて、思うからこそ苦しくなるのです。彼氏を、台風や天王星だと思ってみなさい。自然現象に文句を言っても詮無きことです。
 少し待つとリターンがあった。
〈彼に心がないなんて、どうしてそんなひどいことを言うのですか、彼のことなんてあなたは何も知らないくせに。あなたにこそ心がないんじゃないですか?〉
 心がない、と書かれたことについて、しばらく考えてみた。そうかもしれない、と僕にも思えた。僕のお腹がへったのは、僕のせいでもなかったようだ。なので、えいやっと解脱して、インチキ神様になって返信を書いた。
------しかり。僕には心がありません。ただの現象です。上田くんにも心はありません。ただの現象なんです。本当のことを教えてあげましょう。あなた以外の誰にも、心なんてないんです。世界には、あなたひとりがいるだけです。あなたと同じような心が、ひとにもあるだなんて、何を根拠にそう思ったの?
 リターンが来た。〈あんた、何様?〉
------神様です、インチキだけど。と、書いて送った。
 それっきり返信はなかった。
 窓の外の、台風を見た。つまりは木々の、揺れるのを見た。

おしまい。

風は見えたか?

風は見えたか?

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-09

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

Public Domain