CLONE:the first
この世界の人間は延命処置が心底好きらしい。生まれた瞬間から、いつやってくるかも分からない死と真っ向から話し合わなければいけないなんて、なんてネガティブな生き物なのだろうか。
約60年前、地球では“カシュ“と呼ばれる過激派のテロ組織による全国規模の爆破テロが起き、世界は今までにないくらい、人間の命を奪われた。しかし、神はそれだけでは飽き足らず、ここ100年間くらいは大きな地震が頻繁に起こり、世界の人口は私たちの予想を裏切り、徐々に減少の傾向にあった。
それに加え、病気も相変わらずで、増加こそしないものの減る傾向は一向に見られなかった為に、臓器移植を行わなくては生きていけない人も多くいた。しかし、需要に対して供給が追いつかず、助からない人も少なくない。
そこで、ドイツのある科学者団体が出した提案は、「人間クローン計画」である。
その名の通り、臓器移植専用の人間を造り出す計画で、拒絶反応の心配なく臓器移植ができるというメリットがある。
また、一人の人間として生かすことによって、臓器の管理が少なくすんだり、世界の人口を増やすことにも繋がるということもあり、それはすぐに採択され、20年ほどで実施された。
もちろん反対の声が少なかった訳ではない。だが、自分が、子供がいつ死ぬか、という不安を持ち続けながら生きなければならない状況であった為に、反対の声は自然にかき消されてしまった。
今この世界には[僕]がもう一人いる。
双子みたい、そんなものではない。あの日、確実に僕の運命を変えた出来事があった。
見てしまったのだ、道の向こう側に——僕がいた。
何年前だか定かではないが、人間のクローンはとっくに成功していたのだと世界が知ったのは遥か昔である。
ー5年前
「ねえ、もう一人の僕ってどこにいるの?」
この時、なにかしらの予感がしていたのかもしれない。
「それは分からないわ、お母さんもどこにいるか分からないの」
「でも、貝が家に二人いてくれたら私は嬉しいわね。一日でもいいから一緒に住んでみたいわ〜」
お母さんは笑いながら冗談を言っていた。
自分自身のクローンと会える機会は少ない。
あくまでクローンは臓器移植の為のもの、情が移っては意味がないのである。
「でも、自分から会おうとなんかしないでよ、そんなことしたら私が泣いちゃうわ」
「分かってるよ、わざわざ会おうとなんてしない。」
会うのは、実際に移植をするときのみのケースが多い。
その日はひどく曇っていてじめじめとした夏の暑い日だった。
雨が降るかもしれないからと傘を持たされ、急いで家を出た。
だんだんと黒い雲で覆われていく空を見ながら、何を考えるでもなく、ぼーっとしていた。
「ねえ、貝はどこへいくの?」
声の方に顔を向けると、目の前にクラスメイトの顔があった。
「どこって?」
この子は諒。明るくて行動的で、リーダーをするタイプの子だ。
「先生の言ってたこと聞いてなかったの。お仕事の見学!どこいくの?」
「さあ、まだ決めていないよ。どうしてそんなこと聞くのさ。」
「一緒のとこいきたいもの」
彼女は僕のことが好きだ。毎日のように告白してくるもんだから、自意識過剰なんてことはないだろう。
でも、どうしてもぼくは、少し自閉症みたいなとこがあるもんだから、誰かを好きになんかなれなかった。
彼女は2年前に交通事故に遭い、今までの記憶を失ってしまった。
病院を退院する時には、すっかり痩せてしまって精神も安定しなかったけれど、学校に来るようになってからというもの、どんどん回復し、今では前と変わらない生活をしている。でも、記憶を失ったせいもあって性格は一変。
前はおとなしめの子だったのに、今では男子と口喧嘩するくらい気の強い子になった。
しかも、異様に僕に懐いてくる。
「…別にどこでも良いかな。」
希望表は二つ折りにして机の中に突っ込んだ。
案の定、帰る頃には外はどしゃぶりで、両手で傘を押さえながら歩いていた。
大きな信号に捕まり、とくになにを考えるでもなく信号が変わるのを待っていた。
「でも、なんか、変だ。」
今まで感じたことのないような違和感。その違和感に気づくのにはあまり時間はかからなかった。
周りが急にゆっくり動いているように見えた。なおさらはっきり見えてしまった。
信号の向こう側に、見慣れた顔があった。僕は今笑っていないはずなのに、見慣れた顔は、僕の脳からの命令に逆らってやさしい笑みを浮かべ、傘もささずにこっちを見ていた。
(なんだ…これ。)
不思議に怖くなかった。目が放せなくなって、なぜだろうか。今すぐにでも抱きしめたいとさえ思った。
信号が変わり、周りの人たちが歩き出すのと同時に[僕]は走り出していた。
[僕]は僕の手を引いて今歩いてきた道を走って逆走した。いきなりすぎて道に傘を落としてきてしまった。
なんともいえない変な感覚に、僕は楽しくなって、僕二人で走りまくった。
つかれてへとへとになった頃に、近くの公園で座って休んだ。肌を打つ雨の感覚も、こんなに疲れるのも、こんなにずっと手を繋ぎっぱなしなのも、全部初めてだった。
息を整えながら、そういえば、会ってから一度も会話をしていないということに気づいて、すこし可笑しかった。
草むらに寝そべっていると、[僕]は急に抱きついてきて、正直あせった。
何も聞かなかったけど、なにも聞かなくても何となくすべてが分かってしまうような、そんな不思議な午後だった。
「君に会いたかった。俺は君を今までの10年間ずっと想い続けてきたんだよ。」
(だからだったのかな、初めて見たとき。僕は君だから、あんなにも愛しいと感じたのかな)
「毎日君のことばかり考えていたんだ。君はどんな人なのか、僕のことをどう思ってるか……」
「……君は、君は恥ずかしいやつだなあ」
(初対面の人にこんなこと言っていいのか迷ったけど、まあ、僕だし。)
なんだか、愛の告白でもされているような、むずがゆい感じがしてどんな反応をすれば良いのか分からなかった。
触れ合っている肌からじんわりと体温が伝わってきて、二人ともびしょ濡れだったけど不思議と寒くなかった。
「そうかな、だって、気になるもの。僕は、時々君が見えたから、僕と同じ人がこの世界にいるっていう実感がちゃんとあったんだよ。だからこそ、こんなに焦がれていたんだ。」
「え?」
言っている意味がよくわからなくて、聞きたいこともいっぱいあった。でも彼をなんて呼べば良いか分からなかったから名前を聞こうとした。その願いは叶わなかった。彼はずいぶんとおしゃべりらしい。
「君は? 君は僕のことどう思ってた?会いたかった?」
「…どうかな。本当にいるかも分からなかったし……。」
「なあんだ、じゃあ僕の片思いじゃないか。もっと運命的な出会いになるかと思ってたのに。」
こうして会えただけでも十分奇跡的で運命的だと思うんだけど………。
そんなことを考えてるうちに、だんだん寒くなってきて、抱きつくのをやめるともっと寒くなった。
「とりあえず、帰ろう。」
「どこへ?」
「そりゃあ、家にだけど。」
「じゃあ僕も君の家に行くよ。」
「あれ、君の…。ねえ、名前教えてくれないかな。君って呼ぶのは少し嫌なんだ。」
「HC40-68823さ。でもこっちで呼ぶ方が大変じゃあないかい?」
クローンには名前というものがないらしい。
「うん、めんどくさそうだ。じゃあ家に帰ったら新しいのつけてあげるさ。」
そう言ったは良いものの、大切な質問を思い出した。
「君、自分の家は?」
そう聞いた瞬間に、わずかではあったけれど彼の表情に初めて影が落ちた。
「…………本当に、君たちはなにも知らないんだね。」
「?」
「…僕は、家出してきたのさ。だから自分の家にはしばらく」
「帰りたくない?」
「うん。」
なんとなくだけど、やっぱり彼は僕だ。彼が嘘をついているのを感じ取ったけど、深く踏み入ってきてほしくはなさそうだから僕は、「そっか」といって、僕の家にいくことを勧めた。
「………。君、やっぱり僕だね。なんでも分かってしまうみたいで、少し気味が悪いよ」
彼も同じように、僕が気を使っていることに気づいたようだ。
「…帰ろうか。」
雨に打たれてもなお火照っている手のひらを二人で重ねて、止みかけの雨の中を二人で歩いた。
家の前につくと、握っていた手を後ろに引かれてしまって、ドアを開けようとした僕の手はドアノブには届かず空をつかんだ。
「お母さんには内緒にして。」
「どうして、君がいても一向にかまわないと言いそうだけど。」
彼は少し困った顔をしたけど、僕が「いいよ」というと、申し訳なさそうに「ごめんね。」といった。
お風呂場の窓から家の中に忍び込み、そのままあたたかいシャワーを浴びた。
彼は恥ずかしいらしくて、僕の方にはずっと背中を向けていた。後ろ姿だけでも分かる。彼は僕と比べると、ずいぶんやせっぽちだった。僕はなんだか悲しい気持ちになって、涙があふれたけどシャワーのお湯が隠してくれた。
「名前」
「名前をつけよう。」
「僕は「貝、でしょ?」
自己紹介をしようと思ったけど、彼は僕のことなら何でも知っているかのような口ぶりだった。
「なら僕も、かいって名前がいいな。」
なんで知っていたのか聞こうと思ったけど、どうせ説明されても分からなさそうだったから聞かなかった。
「じゃあ……うみ、うみにしよう。漢字でうみ。同じ、かいって名前だし、海には貝がお似合いじゃあないか。」
そう提案すると彼は心底嬉しそうに微笑んで「気に入った」と言ってくれた。
その日は部屋で宿題をすると言って部屋に二人で籠っていた。
僕一人分のご飯では二人ともお腹いっぱいにはならなかったけど、彼が僕の目の前にいるだけで僕にも分からない感情で胸がいっぱいになった。
「僕は…」
彼は、初めて自分のことを話し始めた。きっと僕だから話したわけじゃない、誰かに聞いてほしかったのだ。
「僕は、逃げてきたの。ひどい扱いをされてきたんだ。苦しい毎日の中で、楽しみと言ったら周りの子たちとおしゃべりしたりすることだけだったんだ。そんな日々が嫌になって、ここ3年くらいは逃げる機会を待ち続けていたの。」
「どうしてそんなにひどい扱いなのかな……?」
「僕は貝の命を守るためだけの存在だからね。ただの器なんだ」
「でも、僕はひとつの生き甲斐を見いだした。ある日突然だった。君が見えるようになったのは。夢の中では僕はお母さんと二人で小さな家に住んでいた。それはきっと自分が望んでいる世界だと信じて止まなかったよ。でも、真っ白な大人たちが、僕たちは[母]の命を守る為のものなんだって。そしてその母は確かに見えないどこかで生きているのだと。それを聞いた瞬間に僕はすぐに理解したよ。」
握った手の力が強くなったのが分かった。
「夢の中の僕は僕の母なのだと。分かったときから僕は貝のことがたまらなく愛おしく感じたんだ。」
悲しくなった。彼が僕より痩せている、彼が今まで苦しいと感じながら生きてきたということは、同じ人間である彼と僕の、本来ならばあるはずのない、扱いの差が、僕がどれだけ幸せの中で育ってきたかという事実が僕の目から涙を溢れさせた。
「……なんで、なくの。」
「海が泣かないからさ。僕たちは二人で一人だ。周りがなんて言ったって、僕は海をこれっぽっちも器だなんて思いはしない。海は僕の大切な友達だ。」
暗くなっていた部屋の中でも分かるくらい顔を真っ赤っかにして照れて、笑いながら小声で「ありがとう」といった。
その笑顔につられて僕も一緒になって笑ったら、そんな僕を見て海はさめざめと泣いた。
そんな彼が愛おしくて狭い布団の中で二人でひし、と抱き合って寝た。
次の日の朝、僕が学校へ行くときに海が言った「いってらっしゃい」という言葉が、彼の口から聞いた最後の言葉になった。
帰ってきたときには、海はいなかった。置書きもなかった。ただ、濡れた枕が残っていた。
次の日、僕は見学の希望用紙に「クローンの研究所」と書いたけれど、結局許可してくれなくて行けなかった。
なんだか無性に海に会いたいと思った。
現在ー僕は15歳になった。
中学に入学してそろそろ4ヶ月程経つ。
あの日以来、海にあうためには施設で働くしか方法はないと考え、僕は科学の道に進むことを決めた。必死に勉強したおかげで自分で中学を決めて良いことになり、やっとこさここまできた。中学を自分で決めたかったのには、科学の勉強ができるということもあったけど、何より僕がいろいろ調べた結果、もしかしたら研究所に近いかもしれないと推測した場所の近くに中学校があったからという理由が大きかった。
研究所でなにが行われているかなんて、最初は想像がつかなかったけど、中学に入ってから色々な実験を通して、気づいた。
実験の中で一番困難なのは
——人体実験だ
もし人権のないクローンたちが目の前にいたら、研究者ならどうする。
自分なら、どうするだろうか。
自分なら……考えるだけで頭が痛くなる、目眩がする。
(そんなの、ありえないだろ…)
中学は実技が多く、いろいろな所に見学に行くことが多かった。
「………すんごい広いな、この施設」
今回は3回目の見学。クローンについて学ぶためだった。
そのすんごい広い施設の近くにある、比較的大きめの施設にこれから行こうとしたのだが。
いつから続いてただろうか、と思い出そうとしても思い出せないくらいに、この施設が広すぎて感嘆の声が漏れた。
「早く行かないと集合時間に遅れるよ、行こう」
クラスメイトの友人に手を引かれ歩き出した。
(ここが……。)
研究所なのだろうか。
入ってみたいと思ったけれど、入り口は厳重に警備されていて簡単には入れなさそうだったのであきらめた。
見学先の施設で、資料室を出て移動しているときに、ふと窓の外を見ると先ほどの大きな施設が一面に広がっていた。
立ち止まって見つめていた。
(海に…海にあいたい。)
「…かい。」
目を閉じた瞬間に後ろから大きな手に手首を掴まれ、「おいで」と囁かれた。
その男の人はそのまま僕の手を引いて歩き出した。いきなりのことすぎてよく分からなかったけど、怖い感じがしなかったので素直についていくことにした。
身長は高い方だろうか。薄い茶色のひどい癖っ毛の男だった。
しばらく歩き続けていると1階の「関係者以外立ち入り禁止」と書いてある部屋に入った。
といことは、この人はここの関係者なのだろうか。いや、服装からしても白衣も何も着ていないし関係者には見えないが…。
その部屋の奥にある扉を開くと、ガラス張りの外通路に出た。どうやらここと隣の大きな施設は繋がっているらしい。
(……………ということは、もしかしたら例のクローンの研究所に入ることができたかもしれない!)
「あ、あの。どうして僕を連れてくんですか?」
「え?…来たかったんじゃないの?」
「まあ、そうですけど。」
いいから、ついてくればいろいろ分かるよ、と言われた。なにもかも分かっているかのように。
外通路の先の二枚の頑丈な扉を開けると、真っ白な光で照らされた、簡素な雰囲気の大きな通路に出た。
目を見張った。この施設は、研究所なんかではなかった。
ー実験室。ある部屋すべてが実験室。しかも手術台の上には使い古された器具が乗っていて、床は赤黒く変色している箇所が見られた。
(なんだこれは。)
吐き気がした。自分にも、世界にも。ここで行われているだろうことが、自分が想像していた通り過ぎた。
目眩がした。
(ここで…海は、クローンは…)
「マウス扱いさ」
横でさっきとはまるで別人のような暗い声がした。
「ここでは人とマウスの違いなんてついちゃいないよ。君だって、マウスを使ったことくらいたくさんあるだろう。それと同じだよ。そりゃ、マウスみたいに殺しゃあしないけどさ。」
「…あ、なたは…?」
この状況で彼はにっこり笑って自己紹介をしてくれた。
「俺は沢。沢英二だよ。」
「僕は「貝君でしょ。」
僕も教えようと思ったら海と同じようにかぶせられた。
「俺は君を知っていたからこそ、ここに連れてきたのさ。」
「どうして、知ってるの?」
すこし、気味が悪い。別に、有名人でもないんだけど。
「…たまたま、かな?」
なんだか理由になってない気がしたけど、もう一度彼の顔を見るとさっきとは一変して、真剣な眼差しで僕を見た。
「貝君、よく聞いて。」
肩に手をおいて、よく言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「君は、このままじゃ危険なんだ。なんでかって言われると、長くなるから今は話せないけど。とにかく、それだけは分かっておいて」
「…は?」
さっきから突然すぎて話が全く見えない。僕が危険?どういうことだ、誰かに恨まれるようなことはしていないはずだ。
「こんなことをする奴らだ。危険だからといってどうこうできる話じゃないけど…。」
「なるべく、俺が守るから。だから、君にも協力してほしい。お願いだ。頼む。」
肩をつかまれ、逃げられなくなった僕の目に、彼の顔が真正面から写る。
「君は、今さっき会ったばかりのこんなうさんくさい人を信じてくれるかい?」
何かに助けてもらいって、すがるような目で僕を見つめた。
(この人は、海と同じなのかな。…苦しいのかな。)
「……ここまで、ここまで連れてきてくれた。ありがとう、感謝します。」
ここで会うことができたのもきっとなにかの縁だと、そう信じたかった。
僕がずっと求めていた場所で、会えた。この人はきっと力になってくれる。
「もし騙すつもりだったなら、ここまで連れてきてくれる理由はないと思う。だから、信じます。」
彼は安心したように、ふにゃっとほほを緩ませて笑いながら、ありがとう、と言った。
僕はそのままもと来た道を戻って、見学の途中だったけど、ふけってそのまま家に帰った。
その日にあったことを考えていたら、興奮して、夜は寝れなかった。
これは、きっと運命なんだ。だれかが導いてくれてる。僕を海のもとへー
そうじゃなきゃ、こんなにすべてがうまくいく訳がない。
次の日はいつも通り学校に行き、授業を受けていた。でも、昨日あったことを考えるのに頭がいっぱいで、先生が話している内容は頭に入らなかった。
帰り際、今日も施設へ行こうかと思ったけれど、沢に危険だと忠告されたことを思い出して自重した。
でも、具体的に何をすべきなのか考えても何も思いつかなかった。
ぼーっとしながらふらふらと道を歩いていたら、「危ないよ」と声をかけられた。
はっとして、前を見ると、昨日と何も変わらない様子で沢が立っていた。
「こんにちは。少し時間良いかな?」
「…うん。」
昨日の話だということは分かっていた。素直に付いて行こうとしたけれど、思いもよらない人物の邪魔が入った。
「貝!!」
大声で名前を呼ばれた。振り返るとそこには諒がいた。
「諒、久しぶりだなあ。元気か?」
「ねえ、貝。その人は?」
開口一番、僕ではなく沢について聞いてきた。
(あんなに僕のこと好きだったくせに)
「……なんで、そんなこと聞くのさ。」
僕が質問の理由を聞いただけなのに、見るからに不機嫌になって沢の方へと視線を移した。
「ねえ、これから二人でお話でもしにいくんでしょ。私もご一緒させてもらっても良いかしら」
そんな、無理に決まっているじゃないか。これから話す内容は……、諒に聞かれては困るもののはずだ。
「……君は?」
「…………私は———。」
何かを言おうとしたけれど、その言葉は喉で止まって、飲み込まれた。
なにか、ひどく迷っているように見えた。
「?」
「そう、俺はかまわないよ。」
彼女の反応になにか勘付いたらしい彼は深くは聞かず、彼女の同行を許した。
「い、いいの!?」
「ねえ、貝。きっと私は貴方の力になるわ。約束できる。」
「でも、諒を巻き込む訳には…」
「いいじゃないの。彼女には彼女なりの事情があるみたいだし?」
まあまあと言いながら、沢は僕の背中を押して歩き出した。
結局諒に押し負けて、近くの路地裏に入った。
『………。』
「ねえ、早く話し初めてよ」
「君がいるからこんなことになってるんだよ。」
どう話し始めたら良いのだろうか。そもそも、沢は何のために僕に近づくのかも、これから何を話すのかも知らないのに、話せと言われても……。
と、思い悩んでいると、諒の口から信じられない言葉が出た。
「クローンの研究所のことじゃないの?」
動揺が隠せなかった。諒が知っているわけが……ひとつだけ思い当たった。
「…君、どうして知ってるの?もしかして僕のこと…」
「尾けてなんかないわ。もちろん盗聴もね」
(よかった…!)
ほ、とため息をして一安心。
「されてたら困るよ。でも、違うんだったらどうして知ってるの?」
「あら、私はただ、貴方がクローンについて興味があったのを思い出したから試しに言ってみただけだわ!でもその反応だとその通りみたいだけど」
(試された……!)
「まあ、俺たちは施設の近くでばったり会っただけだけど、目的は何となく同じみたいだったから、ね」
ね、と言われても、彼は僕の目的を知っているような口ぶりだったけれど、自分自身、目的なんてそんな明確はないのに、お互いの目的が分かっているかのような言い方をされると困る。
「こうして作戦会議をしている訳だ。」
(まだ何も話してないし、計画なんて初めて知ったぞ)
「でも、会って話するのは今日が初めてだし、作戦も何も、僕は何も分かってないし。」
飽きれたように僕は壁に寄りかかろうとしたけれど…
「助けたいんでしょ?海のこと」
沢がずばり僕の中の何となくの目的を言い当てたので、驚いて壁に頭をぶつけた。
でも頭の痛みなんか感じないくらいに、沢の話に全神経を向けた。
「彼は研究所の中では有名なんだよ。俺たちの予想の斜め上をいく結果を出したからっていうのもあるけど、その結果がまさか彼の第六感を目覚めさせたなんて、でも成功したのは海一人だったよ。まあ、最初はただのデタラメ言ってるようにしか聞こえなかったから、本当だって気づくのには少し時間かかったけど。まさか自分の[母]のことが見えるなんてさ。驚いたよ。彼、俺に向かって『そんな名前で呼ぶな』って言ったんだよ!『僕は海だ』って言って聞かなかった。それから俺は彼についてのことを必死に探したんだ。まあ、彼についてっていっても、ほぼ君についてだったけど。そしたら君の名前は“かい“だったし、その頃には、科学だけを見たらすでに秀才ときた。運命だと思ったね。ついに…俺の計画が実行される、このときをどんなに待っていたことか」
頭が真っ白になった。
「……………ちょっと、待ってよ。海を…知ってる?しかも話したことがあるだって?」
少し間を置いて、沢は重い口を開いた。
「この際、君に嫌われてもかまわない。」
「俺は……研究所が勤務先さ。誰よりもクローンのことをよく知ってる。」
「それって……幹部、ってこと…?」
「そーいうこと。」
信じられない。危険だと忠告したのも、協力してくれるように頼んだのもアンタだ。
「ふ、ふざけ「でも、こんな俺だからこそ、できることがある!いや、この計画のためにここまで昇りつけた!」
手をがしっと掴まれて懇願された。
「頼む、信じてくれ……!!」
(信じられるか、この男を。そもそも、アンタは何がしたい、何をそんなにも望んでる…?)
「嫌よ!!!」
急に諒は涙目になって沢と僕の間に割り込んできた。
「私は信じられない!お前は、あの子たちにどれだけ酷いことをしてきてきたの!?それが、許されるはずない!あんな仕打ち…何をしたって言うのよ、ふざけないで!!」
(諒は、クローンがどんな仕打ちを受けているのか知っている…?)
「貝、駄目。信じちゃ駄目だ!」
お願い、行っちゃ駄目…、と言いながら抱きついてきた。
「……、その。その計画の内容を聞かないことには、なんとも。」
「……聞いてくれるんだ?」
諒はぼろぼろ泣いて首を横に振っていたけど、ごめん、と一言いったら僕から離れてくれた。
「でも、僕にも協力して。その計画と僕の考えてることを組み入れたら、きっと変更が必要だから。話は、聞く。」
「………………。」
沢が帰った後、諒と僕だけが残った。
諒は彼が話している間ずっと黙りっぱなしだった。まるで人形みたいに下を向いたまま、ぴくりとも動かなかった。
「危険よ。危険すぎる。彼の計画の成功率、どれだけだと思う?」
悲しいような、怖がっているかのような表情で僕の顔を見た。
「…僕たちがどれだけ正しい選択をするかによるだろうね」
「もう間違ってるわよ」
ひとつ気になっていることがあった。
「…なあ、諒。お前は、一体なんなんだ?」
「…ひどい言い方」
「そういうことじゃなくて…協力するって、できるって、言ってたよね。ね、どうして?」
「貴方を愛してる」
「それだけじゃない」
「君はクローンについて調べてる。だからよく知っている、沢のことも、施設のことも…どんな仕打ちをされてきたのかも。だから力になれる。」
「違うわ、クローンのことなんて調べたくもない!」
「なら、根拠は。力になれる根拠は……?なんで沢を知ってた…?」
最初から知っていた沢のことを知っているという確証はなかったけど、沢の言い方はまるで諒自身になにかしたような口ぶりだったから。
「…じゃあ、教える」
下をうつむきながら、絞り出すように言った。
「クローンのことは、勉強なんてしなくても誰よりもよく知ってる。」
「…覚えておいて、クローンは貴方自身。そしてそれが同時になにを意味するのかを」
今度は、呼んでね。そう言い残して諒は帰っていった。
家に着いたのは夜の8時くらいになっていたので、母に酷く叱られた。
でも、そんな母の言葉も耳に入らないくらいに精神的に疲れていた。
ベッドに横たわりながら、沢の話を思い出していた。
「…爆破…か」
沢の計画はこうだった。
『単純明白、施設の破壊さ。だからこそ俺は幹部になった、施設について詳しく知るためにね。この計画、不可能な話じゃないんだよ。あいつら、あの組織の中に不穏因子が紛れているなんて考えたこともないんだ。そこに浸け込む隙ができる。それに加えて幹部の俺がいるんだ。疑われる可能性はゼロに近い。』
『でも、僕は何をすれば良いのさ。』
『君達はクローンたちの安全確保が最優先。でも、君達が不審な動きをすれば、施設の人間は動き出すだろう。そうなったらあとは時間との勝負だ。誰よりも早く外へ行かなきゃいけない。そのための抜け道は…前回教えたはずだよ』
『あの、外通路…?』
『あそこには監視カメラもなし、鍵さえついてない』
『じゃあ、破壊って、どうするの?』
「爆破。それが一番インパクトあるし」
『…ば、ばくは…』
『だから、クローンの安全確保っていったでしょ?』
『もしそれが成功したとしても、なんの解決にもならないよ!僕たち、ただの犯罪者だ!』
『そんなこと分かってる。意味ないことくらいね。だから……君達もまだ知らない、あの施設の腐りきった計画をこの世界に見せつけてやるのさ。そしたら、立場は一気に逆転、あいつらが犯罪者さ。でも、それは俺のお仕事』
『大丈夫、成功する。させてみせるよ』
まるで自分に言い聞かせているように感じた。
(この人は誰よりも恐れているのか、この計画の失敗を…)
『…大丈夫、だ』
まさかこんなことになるとは、どうかしてる。
施設の破壊?そんなの無理に決まっているじゃない。こっちはたったの3人。
それに対して、あっちに何人の人がいると思ってる?冗談じゃない。
そう考えてるはずなのに、どうして、その計画に乗っかったんだろう。
理由は簡単。海にあいたい。助けてやりたい。それだけなのに…
『施設の破壊さ』
『…覚えておいて、クローンは貴方自身。そしてそれが同時になにを意味するのかを』
『彼は研究所の中では有名なんだよ』
考えることが多くて、頭が痛い。
夕食もあまり入らなかったし、母は病院に行くように言ったけれど、今は医療施設には行く気にはなれかった。
実行は、今度の土曜日。あと2日。
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