act
1-1
「ひゃー・・・すんご・・・。」
私は目の前にそびえ立つ建物に顔をこわばらせていた。
「おい伊吹姉ッ!ぼーっとしてないで点呼しろ!」
ショートの髪をなびかせながら私は先生の方に振り向いて八重歯を覗かしニカっと笑う。
「あーもうその呼び方やめてくださいって先生ェ!」
点呼表を先生から受け取り私は鉛筆をクルクルと回しながら点呼を取る。
「えっと・・・安藤翔太くん。」
すっと手を挙げて返事をしてくれた。
「はい次、恋夜。」
「ん。」
「大野桃さん。」
「はーい。」
「河辺莉奈さん。」
「はいー。」
「小山慎太くん。」
「はい。」
「永井碧くん。」
「・・・はい。」
「三宅真尋くん。」
「へいさっ!」
「矢田優樹くん。」
「んー。」
「吉原まどかさん。」
「はーい。」
「そんでもって伊吹鈴歌ちゃんで・・・先生全員いまーすッ!」
点呼を終え、私は点呼用紙を先生につきつける。
「さすが特別進学コースなだけあって生徒数すくねぇなぁ。」
軽快に笑いながら先生は点呼用紙を私から受け取る。
「えー・・・と・・・、まぁ一応勉強合宿らしいが、お前らなら大丈夫だし、まぁテキトーにやってくれ。以上。」
いつもどおりテキトーな先生の挨拶が終わり、私たち10人の生徒と先生一人はバカでかい屋敷へと入っていく。
「うっわ・・・中もすご・・・。」
「さすが私立高校だとでも言うべきなのなこりゃ。」
ロングのサラサラとした黒髪をいじるまどかの言葉に私は苦笑いを浮かべた。
だとしたらちょっとぎらつき過ぎでしょ・・・。
私たちが来ているのは、理事長が所有する全周10kmほどの小さな島だ。
目的は私たちのクラス、特別進学コースの勉強強化合宿という名の親睦会みたいなものだ。
入学してから確かにまだ一ヶ月経ってないが、人数が少ないだけあってもうそれなりに仲はいい方だからこれが必要なのかは否めるが私はあって良かったと思う。
だってだってだって!
「私お泊まり会だなんて初めてだもんッ!!」
「それ前も言ってたけどよぉー、マジなの?」
ポニーテールがよく似合うのに喋り方がちょっと男っぽい桃がソファーに荷物を置きながら、ベッドにダイブした私の顔を半信半疑で見る。
「マジもマジ!大マジだよ!」
「あんた中学の時とか修学旅行行っただろ・・・?」
「病気で行けなかったの!小も中も!だからこれが初めて友達とのお泊まりなの!」
「あらら・・・それはそれはお気の毒だったね。」
まどかもテンションが異様に高い私に苦笑いしか返せないようだった。
「つーか、荷物片したら食堂で昼飯だよ?ほらいつまでも浮かれてねぇでさっさ用意しろバカ。」
桃に急かされ私は渋々荷物を片付けるが、テンションが収まるわけもない。
むしろこんな他愛もない行為も特別に思えてしまうのだ。
「私あんなに浮かれてる鈴歌見るの初めて・・・。」
「んなもんあーしもだよ。相当キチってやがる・・・。」
食堂へ向かう途中、そういう二人の会話が後ろで聞こえたが私は気にも留めなかった。
が、次の瞬間、襟元がグッと引っ張られ喉を締め付けられた。
「ぐへっ!?な、なに?!」
「うぜぇ。」
「れ、恋夜ッ?!」
後ろを振り向くとそこには私と似たような顔をした男がいた。
「ハズい。」
「なっ?!べ、別にあんたに迷惑かけてないじゃない!」
私は恋夜の腕を振り払い戦闘態勢に入る。
同時に恋夜は呆れたような表情でため息を吐いた。
そうしてそんな私たちのやりとりを見ていたまどかと桃は笑い出した。
「あっはは。あんたらホント仲いいよねー。さっすが双子。」
「見ていてほんと飽きねぇよなぁー!」
なんだかバカにされたような気がして私は頬を膨らます。
私と恋夜は確かに双子だけど、性格も全然違っていつも恋夜は私を子供扱いする。
「あんた少しはおねえちゃんのこと労わりなさいよねッ!」
「姉って呼べるほど生まれた時間に時差ねぇだろうが。」
「それでも私が姉なんですぅー!!」
「・・・吉原、大野パス。」
恋夜は桃の肩をポンっと叩いて、そそくさと先に食堂へ向かってしまった。
「・・・ったく・・・あいつまじ私を姉だと思ってないわ・・・!」
私は恋夜の背中に中指を立てて向けて見せる。
「相変わらずだね伊吹姉妹は・・・ねぇ桃?・・・って、桃?」
まどかが桃に同意を求めようと顔を見た瞬間、桃の異変に気づく。
そういえばさっきから一言も発してなかった。
そしてそこで私は察す。
「はっはーん。桃さんは確かあの性悪恋夜に惚れ」
「あぁもう言うなバカッ!」
桃の拳が私の後頭部にクリーンヒットする。
「あー・・・確かそんなことも言ってたっけぇ。」
そのやり取りでまどかが思い出したかのように手を打った。
桃の顔は依然赤くなっている。
「まぁ私は桃の味方だからッ!」
「ほらさっさと行くぞバカ。」
ウィンクをして舌をぺろっと出し、私なりの精一杯のお茶目ポーズをしてみせるが桃に完璧に無視される。
なんかあとに引けなくなったのでチラッとまどかの方を見てみるが、不自然に目線をそらされ完璧に自分が滑ったことを感じさせられた。
その後、私たちは食事を終え午後の勉強会をするべく大広間へ来ていた。
「旅行に来てまで勉強ってなんなの・・・。」
「まぁしゃーねーだろ。俺ら一応進学校のトップクラスなんだし。」
出席番号順にひとつの長机に二人座っていて、私の隣は安藤翔太くん、翔ちゃんだ。
親が医者らしく、将来的には医学部合格を目指す超エリート。
将来が全く見えない私なんかに比べるとカッコイイ人間だ。
「でもさ・・・やっぱ遊びたいじゃんかぁ・・・。」
「まぁそういうやつらばっかりじゃないことをお前知ってるだろ?」
「ん・・・まぁ・・・。」
私はチラッと隣の長机に座っている生徒を見る。
「小山のやつ、新入生テストでクラスドべだったらしくてなんかすげぇ親とかにプレッシャーかけられてるらしいぜ?」
「そんなの気にしなくてもいいのにね・・・。」
「気にもするだろ。クラスドべってことはクラスの平均下げってるってことだぜ?教師からのいびりもハンパねぇだろうな・・・。」
小山くんはここ最近はずっと教科書とにらめっこだ。
そんなに勉強しても息が詰まるだけで効率絶対悪いに決まっているのに・・・。
「それに比べてお前らはすげぇよ。」
「え?」
「双子揃って余裕合格。しかも学年トップとツーときた。どんな塾言ってんだよホント。」
翔ちゃんがいやみったらしい笑みでそう言ってくるのを私は笑い流すしかなかった。
だって塾なんて行ってないんだもん。
でもそう言ったら嘘付きって罵られるのがわかっているから、私は受け流すという技を身につけた。
「さぁて・・・じゃあそろそろ俺も勉強始めるかな・・・。」
「そうだね。おしゃべりも程々にしないと迷惑だもんね。」
気づけばみんな先生より渡された課題をやっていた。
私も目の前に置いてあるプリントに目を移す。
私たちのいる学校は県内で有数の私立進学校の特別進学コース。
毎年倍率は100倍を超え、ここを卒業できればまず将来には困らないとされている。
そして私と、恋夜はそこの特大生。
入学金、授業料免除の特別扱い。
特別進学コースを落ちた他クラスの人たちからはイヤミを言われることもしばしばあるが、クラスメイトはみんな良くしてくれている。
だから私はこのクラスが大好きだ。
ずっとこのまま、このメンバーでいれたらいいとほんとに思う。
―――だけど――――
―そんな願いは世界の欲望の渦に飲まれ、私たちの運命を弄ぶ―――
―――カウントダウンはすでに始まっていた――――
――私たちが幸せになれることなんて・・・―――――
1-2
「あーん!まじ肩凝った!!」
勉強時間が終わり、私とまどかと桃は部屋に戻っていた。
腕をブンブンと回しながら私はベッドへと倒れこむ。
「あのさ鈴歌。2ページの問1なんだけど何て書いた?」
「え・・・もう終わったのに勉強の話・・・?」
私は心底嫌そうな顔をしてみせるが、桃のプリントの覗き込む。
「あぁこれは・・・うんたらかんたらでうんたらでかんたらってことなんだよ。」
「あぁ・・・なるほど・・・。さんきゅ助かった。あんたホント見かけによらず頭いいよなぁ。」
「見かけによらずは余計だねぇ桃さーん。」
キャッキャと笑い合う女子の部屋。
そうしばらく他愛もない話をしていると、突如部屋をノックする音が聞こえた。
「私開けるね。」
まどかがそう言い、部屋の扉を開けるとそこには真尋くんと優樹くんがいた。
「どうしたの?」
「いやー・・・暇ならちょっと浜辺まで遊びに行かねぇかなって思って。」
「んー・・・どうする二人共?」
「行く行くッ!はいはいいきまーす!!」
私はベッドから飛び降り、いち早く反応する。
その気迫に二人の男子は若干引き気味だったことは気にしないことにする。
屋敷から浜辺までは目と鼻の先だ。
私と、まどかと桃。そして誘ってくれた女の子大好き真尋くんとちょっと気が弱そうな優樹くん。
そして誘われた時にはいなかったが恋夜と共に浜辺へと向かった。
「やっぱ旅行に来たんなら思いっきりはしゃがねぇとな!」
「真尋くんもそう思う!?私も思ってたんだよねッ!」
「一応小山と翔太にも声かけたんだけどアイツら忙しいとか言って部屋にこもりっきりでさ・・・いやぁほんと鈴ちゃんたちいて良かったわぁ!」
伊吹たち、と言ったが真尋くんの狙いは明らかにまどかだ。
目線がさっきからまどかの方にしか行っていないからもう明白だった。
まぁまどか美人だし、スタイルいいし、性格もさっぱりしてるし、頭だって良いからそりゃモテるよな・・・と思いながら私は内心ちょっぴり嫉妬を抱いていたりする。
「おー。あれは河辺ちゃんではあーりませんかッ!」
真尋くんが指差す先にはメガネで三つ編みのいかにも優等生って感じの莉奈が誰かと一緒に談笑しているようだった。
「隣にいる人誰だぁ?あーし見たことないけど・・・。」
「ほらあれだよ、えっと・・・使用人の人じゃない?」
よく見ると確かにメイド服っぽいものを着ているような気もする。
「りぃなぁー!」
私は大声で莉奈の名前を呼び、二人の方へと歩み寄る。
「何してんの?」
「えっ・・・あの・・・ちょっと・・・。」
突然大勢が押し掛けてきたものだから莉奈はちょっとドギマギしている。
「この島の怪談話をしていたんです。」
そんな莉奈をかばうかのように、メイド服を着た女の人が代わりに喋った。
「えっと・・・使用人の方ですか?」
「はい。本来は本家でご奉仕させてさせて頂いていますが、ご主人様より生徒様方の奉仕を承って参りました。佐藤と申します。どうぞ短い間ですがよろしくお願い致します。」
若い使用人のように思えたが、その洗礼された動きからかなり長いあいだこの仕事をしているんだなと感じた。
「てか怪談って?」
桃が佐藤さんにそう問う。
「はい。この島には古くから伝わる怪談が残っているのです。それを今、河辺様にお話していたところなのです。」
「へー。どんな怪談なの?」
別に興味があったわけではないけど、なんとなくそう聞くべきなのかなと思う私が訪ねた。
佐藤さんはくすっと笑い、話し始めてくれた。
「この島には天使様がいるのです。」
「天・・・使・・・?」
その言葉に私はまゆをひそめる。
「はい。しかしその天使様はみなさまが想像している天使とは異なり、この島にいらっしゃられる天使様は人を殺めます。戦時中の話しになるのですが、その時にこの島は軍の秘密基地として利用されていました。ですがこの島は本部から忘れられた基地と化し、戦後までにただの一度も軍の基地として正当な使われ方はしてなかったと聞きます。ですからきっと発見が遅れたんだと思います。戦後、ここの基地の人たちも本土へ帰還することが命じられましたが、上官は誰ひとりとして通信に応答しませんでした。それに違和感を覚えた軍の人間がこの島へと足を運んだ時にはもうこの島には誰ひとりと生き残っていなかったらしいのです。もちろん心中だと思うこともできました。しかし、その殺され方が異常だったのです。全死体の背中の皮が剥がされ、まるで天使の翼のように広げられていた、と。そしてしばらくし、地元の漁師からこんな詩を聞かされるのです。」
――――――冷酷な天使の生贄に
――――翼を広げた天使たちの歌声が
――――――地に、海に、天に、響き渡り
――――――神の嘆きのそのままに
――――愛するゆえに、そのままに
「・・・ってまぁおとぎ話のようなものなんですけどね。現に地元の漁師さんは詩のことは知りませんし、きっとご主人様、皆様方の理事長様がお作りになった物語だと思います。」
「な、なんだよぉ!あのおっさんの作り話なのかよ!」
桃は若干ビビったような表情をして聞いていたので、今の佐藤さんの言葉でかなり救われたと思う。
「このおとぎ話を知っている人は私とご主人様しかいませんので、どうか他言はお控え下さいませ。広まってこの島が心霊スポットなどにされてしまっては困りますから。・・・みなさま、かなり風が強くなってまいりました。そろそろお屋敷の方へお戻り頂いた方がよろしいかもしれません。」
佐藤さんは柔らかい表情で私たちに呼びかける。
確かに風がかなり強くなってきていた。
「そういえばニュースで今夜あたり台風が来るとか言ってたっけ・・・。」
優樹くんが空を見ながらポツリとつぶやいた。
せっかくの旅行なのに季節はずれの台風のせいで部屋に引きこもるはめになるなんて最悪だ。
「早く戻ろうぜー。雨に打たれて熱なんて出してもめんどくせーぞー。」
真尋くんの言葉で全員屋敷の方へ戻っていく。
雨はポツリポツリと降り出していた。
1-3
私たちが屋敷に戻って数分もしないうちに外は大雨になっていた。
私たちは少し広めの客間でトランプをしながらテキトーに時間を潰していた。
「大雨警報が発令された地域は以下の通り。速度の遅い季節外れの台風××号は明日も関東地方にとどまると思われ」
特に誰が見るわけでもないテレビから今回の台風についての報道が流れる。
「もしかして明日も丸一日こんな感じだったら本土に引き上がるのは無理っぽいな。」
「ちょっとの天気でも船や飛行機は欠航するからねー。」
「えー嘘でしょー!私そんなに着替え持ってきてないしぃー・・・。」
はーぁ、とため息を吐きながらソファーに深く座り込む。
「・・・そういえばさ・・・あれ、どう思う?」
ふいに桃がそう言った。
「あー・・・天使のうんたらってやつか?くっだらねぇってまじ。しかも佐藤さんも作り話だって言ってたし。」
真尋が笑いながらそう言い伸びをする。
佐藤さんからあの話を聞いて、私たちは一度もそれについて触れていなかった。
別に触れたくなかったわけじゃないが、あまりにくだらない子供だましすぎて話す気にもなれなかったのだ。
「作り話オーラプンプンだったもんな。あれ、信じるほうがおかしいと思うな。」
「あー、やっぱ優樹くんたちもそう思う?あーしも最初は怖ッ!とか思っちまったけどねー。鈴歌と恋夜くんはぁ?」
桃がこっちに話題を降ってくる。
「えー・・・あー・・・まぁ、うん。ごめん。よく話し聞いてなかったりするんだよねぇ。恋夜もそうじゃない?」
「ん?・・・あ、まぁな。」
「なにその双子そろって同じ反応!お前らホント仲いいよな!」
真尋が恋夜の首に腕を回すが、すぐにうざいと言われ払われてしまう。
「まどかと莉奈はどう思う?」
いきなり話を振られて部屋の片隅で読書をしていた莉奈がビクッと肩を震わせた。
「え・・・あの・・・私は・・・。」
「私は?」
「ちょ・・・・ちょっとおもしろいかな・・・って思ってます・・・。」
「あ、莉奈も?私もおもしろいって思ってたの。」
「えー?!まどかと莉奈は肯定派かよー!なんでなんでー??」
まさかの反応に桃は二人に詰め寄る。
「なんでって言われても・・・んー、なんでだろう・・・。なんかおもしろいなって感じちゃっただけだよ。」
「へー・・・莉奈も?」
「は、はい。まどかさんと同じです・・・。」
莉奈はそう言うとまた本に目線を戻し、自分の世界へと入っていったので桃はそれ以上追求することをやめにした。
「んー・・・・てかそろそろ晩飯の時間じゃね?」
真尋がそう言うから私は壁にかかっている時計に目をやる。
時刻は6時。
確かにそろそろ晩御飯の時間だ。
「じゃあぼちぼち食堂へ向かいますかー。」
私はソファーから腰をあげ、伸びをする。
「てかすごくね佐藤さん。この家のこと全て一人でやってんだろ?」
食堂への廊下を歩きながらふと真尋がそう言う。
「やっぱり僕たちも手伝ったほうが良かったんじゃないかな・・・。」
「提案したけど結局断れただろー?あぁいうのは一人でやったほうが効率良かったりするんだ。」
「何語っちゃってんの桃りん。俺より家事出来なさ」
「黙れチャラ男ッ!」
真尋の股間に桃の蹴りが綺麗に入る。
真尋はこの世のものとは思えない奇声をあげてその場にうずくまってしまった。
「つーか、まどかと莉奈は?」
今さら気づいたかのように桃は言う。
「まどかはお手洗いで、莉奈は部屋に本戻しに行ったよ。」
「あー、そうなんだ。人数のあれで莉奈一人部屋だから可哀想だよな。」
クラスに女子が四人しかいないため、部屋割りは二対二か、四人一緒にはずだったのだが、部屋のベッドの問題で三対一となってしまったのだ。
ちなみに男子部屋は真尋くん優樹くん恋夜翔ちゃんの四人部屋と、小山くんと永井くんの二人部屋だ。
何故か先生が一番豪華な部屋をとっているのがどうも気に食わないところ。
「・・・ん?なんだ・・・?」
今まで会話に入ってなかった恋夜が前の方を見ながらそうつぶやいた。
「え?・・・あ、先生じゃん。」
食堂の扉の前に先生が立っていたのが私にも確認できた。
「・・・ちょ、なんか様子変じゃね?」
どんどん近づくにつれて先生のおかしな態度が目に付く。
「なんであんなとこで固まってるんだろうね・・・。」
「ほんと・・・。おーい先生ェ??なーにしてんのぉ?」
私は声を出し先生に話しかける。
その途端、先生は膝から崩れ落ち床に座り込んでしまった。
「先生?!」
私たちは驚き、一斉に駆け寄る。
「先生どうしたんですか?!」
桃が先生の肩を持ち、話しかけるが口はぽかんと開いたままで目は虚ろでどこか意識が飛んでいるように思えた。
「・・・あ・・・あ・・・。」
「先生?ちょっとホントどうした?」
「お前ら・・・あれ・・・・。」
先生が震える指先で扉の向こう側を指差すから私たちは釣られて食堂内を見る。
―誰かが小さな悲鳴をあげたように聞こえた。
「なに・・・これ・・・。」
しばらく目の前に広がる光景の意味が理解できなかった。
むわっとした鉄さびのような生臭さが鼻につく。
次第に私の意識はまるで頭を金づちで叩かれたかのような衝撃と共にグラグラと揺れだし、体全体の力が抜けその場に座り込んでしまう。
「これは・・・なんの冗談・・・なの・・・?はは・・・え?・・・なんで・・・なんで?・・・なんで佐藤さんの頭部が・・?」
「い、いやぁああああああああああああああぁぁあああぁあぁああああああああああああああぁぁぁっぁあああああッ!!!」
桃があげた叫び声と共に固まっていた時間が動き出す。
叫ぶ者、泣く者、放心する者など様々な反応を起こす。
「お、落ち着け・・・お、落ち着くんだ。」
先生がそうか弱い声で言うが、まだ腰が抜け立てずにいてあまりにも頼りない感じであった。
食堂の机一面に広がる赤い血潮。
その中心にあるのがここの使用人のはずの佐藤さんの、頭部。
奥の方にチラッと胴体も見えているがはっきりと確認しようとは到底思えない。
舌は垂れ、目は見開きこちらをぎろりと見ているような、そんな錯覚に陥るほどにおぞましかった。
こみ上げてくる吐き気を押さえ込み、私はなんとかこの場から一秒でも早く走り去りたいという衝動に駆られるが体にうまく力が入らない。
「鈴歌大丈夫か・・・?」
肩に突然触れられビクッと体を揺らすが、すぐに声の主に安堵を抱く。
「恋夜・・・一体何が・・・。」
「俺にもわからねぇ。それよりお前の体調が心配だ。顔色悪いぞ?」
恋夜が私の顔を覗き込んでくる。
恋夜自身だってこの出来事にショックを受けているはずなのになんで私の心配なんてしてられるんだろうと思ったが口には出さなかった。
いつもいつも恋夜は私が困っていたら助けてくれるのが当たり前になっていたからだ。
「大丈夫・・・大丈夫・・・。ちょっと腰が抜けただけだから、ほんと・・・。」
私は恋夜の肩を借り、立ち上がる。
その際にまた目の前の惨劇が目に入り吐き気がこみ上げてきたがなんとかこらえることが出来た。
「みんな大丈夫?」
私がそう話しかけた瞬間、桃がいきなり立ち上がり口を覆ったまま私たちの横を走り去っていく。
「え、ちょ、桃?!」
「う・・・ごめん俺トイレ・・・。」
同じく真尋もゆっくりだとだが立ち上がり桃が走って行った方へと歩き始めた。
それとすれ違うかのようにまどかと莉奈がキョトンとした表情でやってきた。
「みんなどうしたの?」
「まど・・・か・・・。」
私たちの現状を見て、何かあったことは察しているようだがそれが何かまでははっきり分かっていない様子だった。
それもそうだろう。
まさかこの食堂で人が殺されているなんて夢にも思わないだろう。
「ねぇ、ほんとどうしたの?中で何かあったの?」
まどかがそう言い中を覗き込もうとするが、優樹くんがそれを制する。
「見ないほうがいいよ・・・。」
「なんで?」
「・・・死んでるんだ。」
「え?」
優樹くんの突拍子もない一言にまどかは一度聞き返す。
「だから・・・佐藤さんが・・・殺されているんだ。」
「・・・嘘・・・でしょ?」
まどかは私のほうへ目線を向けるが、その期待には一切答えられないと言わんばかりに目をそらす。
次に恋夜、そして先生にも同じ目線を送るが対応は同じようなものだった。
「あ、あの・・・どういうふうに・・・殺されてるんですか・・・?」
「そ・・・それは・・・。」
「佐藤さんの生首が机の上に。胴はちゃんと確認したわけじゃねぇが・・・奥にあると思う。」
莉奈の問いに優樹が一瞬戸惑ったので、代わりに恋夜がそう答えた。
「へぇ・・・。」
莉奈は手で顔を覆い、うつむいてしまった。
いきなり人が死んだと聞かされいい気分になる人間なんていない。
まどかもイマイチ状況がつかめていないようであたふたしている。
「お前ら。」
「先生・・・もう大丈夫なんですか?」
「あぁ。悪いな。とりあえず、ここを離れて一度全員大広間に集まろう。」
まだ少し足取りはおぼつかなかったが先生は立ち上がり、その場にいる全員を大広間に移動するように促す。
「桃たちは・・・?」
「携帯かなんかお前ら持ってないのか?」
「持ってるけど・・・使っていいの?」
「今はそんなこと言ってる場合か?」
先生が苦笑する。
私はそれもそうかと納得をし、携帯を開いて桃に電話をしようとするがある異変に気づく。
「・・・あ。」
「どうした伊吹。」
「圏外だ・・・。」
私の言葉を聞き、先生も携帯を開く。
「ホントだ・・・でもさっきまでは・・・ん、まぁいい。大野たちは俺が探してくるからお前らは先に大広間に行ってろ。」
「わかった・・・先生くれぐれも気をつけてね。」
「・・・おう。」
そう私たちは会話を交わし、先生は桃たちが向かった方向へと走っていった。
「じゃあ私たちも移動しよう。恋夜ありがと。もう大丈夫だから。」
私は恋夜から離れ、一人で立ち歩き始める。
「・・・莉奈?」
まどかがそう言うから後ろを振り返ると、莉奈は依然とうつむいたままで動こうとしてなかった。
まだショックが大きくて動けないのかもしれない。
私はそう思い、莉奈のもとへ歩み寄って肩に触れた。
「莉奈行こう?ここじゃ危険だよ?」
触れた肩から莉奈の体が震えているのが感じられた。
私はそんな莉奈をそっと抱きしめようとした瞬間、違和感を覚えた。
「・・・っひひ。」
莉奈の肩が大きく揺れる。
私は思わず莉奈から一歩離れてしまった。
「り・・・な?」
「ひ・・・ひ・・・。」
顔を覆っていた手を離し、莉奈は顔をあげる。
しかしそれは微塵たりとも悲しんでいる表情でも、泣いている表情でもなかった。
それは、歪んだ笑顔であった。
「ひっひっひひゃっひゃっははははっはあはあはははあああああはははははあああはあああああッ!!!!」
今までの莉奈からは想像できないくらい大きな口を開き、天井に向かって狂ったように笑い始めたのだ。
一体今莉奈に何が起こったのか私にはすぐには理解ができなかった。
「り・・・莉奈・・・?」
あんたほんとに莉奈だよね?
そう聞きたくなるくらいの豹変ぶりだった。
体中にぞわっとした何かが駆け巡り、目の前の人物に畏怖する。
「ほんっと最高ッ!孤島の洋館に嵐の夜!怪しげな怪談まであって、そこで起こる残虐殺人ッッ!!まるで王道ミステリー漫画の世界みたいなことを体験できるだなんてあぁ私は何て幸せ者なんでしょうかッ!」
満面の笑みでそう叫ぶ。
そして私の肩を押しのけて食堂内へと入っていく。
「あっ・・・!」
止めようとしたが遅かった。
もう入ってしまったなら仕方がない。
誰もあんな中に入ってまで莉奈を止めようとは思わなかった。
そして十秒も経たずに莉奈は部屋から出てくる。
「・・・莉奈・・・それ何?」
まどかが莉奈の持っているものを指差す。
確かに莉奈の手には最初は持っていなかったはずの封筒のようなものが握らされていた。
「生首の隣に置いてあったんです。地に汚れないようにビニールに入ってましたよ?・・・ふふ・・・面白くなってきましたねッ!」
莉奈はペロっと舌なめずりをすると鼻歌を歌いながら、大広間の方へと向かっていった。
私たちはただその莉奈の豹変ぶりに唖然とするしか他なかった。
1-4
「まじかよ・・・そんなことが・・・。」
一同は大広間に集まっていた。
そして事情を何も知らない翔ちゃんと小山くんに食堂のことを先生が話した。
しかしそれほど二人は取り乱しはしなかったのはきっと実物を見ていないから現実味がないだけなのだと思う。
「警察に電話しようとしたが固定電話は故障していた。無線も繋がっていない。携帯も圏外となっていて外部との連絡手段は・・・ない。」
「まぁもし仮に警察に連絡が繋がったとしても・・・この大雨じゃヘリも船も出ねぇだろうな・・・。」
翔ちゃんが窓の外をチラッと見ながらそう言う。
先程から天気は崩れる一方で、窓がカタカタと揺れ妙にうるさい。
「え・・・待てよ・・・じゃああーしらは・・・いつになったらこの島を出られるんだよ・・・?もしかしてそれまで・・・佐藤さんを殺した犯人と一緒って・・・そんなこと・・・ねぇよな?なぁ?」
「嘘だろ・・・俺ら・・・まじこれからどうなんだよ・・・!」
真尋くんが苛立ったかのように壁に拳をぶつける。
「と、とりあえずみんな大広間から出るな?こういうときは単独行動は厳禁だ!わかったな?!」
「あ・・・あの、ちょっといいですか?」
「な、なんだ河辺?」
莉奈が遠慮がちに前に出てくる。
その手には先ほど拾ったという封筒が握られていた。
「これが、食堂に置いてありました・・・きっと犯人からの・・・メッセージだと思います・・・。」
莉奈はそう言うと封を破って中身を取り出す。
「・・・英文・・・。」
そう莉奈がボソっとつぶやいたから私は手紙を覗き込む。
「ほんとだ・・・これ全部英語で書かれてる・・・しかも筆記体じゃん。」
「ごめんなさい・・・私英語はちょっと苦手なんです・・・。」
莉奈が申し訳なさそうにそう言うが、こんなもの読める人なんて早々いないだろう。
そう思ったが一人だけ心当たりがあった。
「まどか・・・あんた帰国子女だったよね?」
「え?あ・・・まぁ一応。」
私は莉奈から手紙を取り、まどかに見せる。
「これ読めそう?」
まどかはしばらく手紙を眺めながらぼそぼそと言っていたが、すぐに笑顔に変わり手紙を私から受け取った。
「多分読める。でもきっとこの内容ゲロカスだよ?それでも聞く?」
周囲を見渡すが、誰ひとりと聞かないという人はいなかった。
だからまどかは手紙に目をうつし、和訳しながら文章を読み上げる。
「愛すべき特別進学コースの皆様方へ。ようこそ私の島へおいでくださいました。皆様はもうすでに私の話はお聞きになっているでしょう。いかがでしたか?なかなか面白い内容ではありませんでしたでしょうか?さて、私が何故このような手紙を残したのか皆様は不思議で仕方がないでしょう。実はそれには深い理由があるのです。私はとある人間を探しております。それは神の恵みを一身に受けた神に愛された存在のことです。私は身分上、その人間を探し出し天界へとお連れしなくてはならないのです。しかし、その方は大変気まぐれな性をしておりなかなかご同行願えないのです。ですから今回は趣向を少し変え、殺人ゲームというなの人狼ゲームをしていきたいと思っております。仲間が殺されていくのに自分のわがままのために自分は姿を隠し続ける悪魔のような神の子をどうか探し出して欲しいのです。誠に勝手なことではございますがご理解の方をよろしくお願い申し上げます。それでは、今宵が皆様にとって知的かつ優雅なひとときになりますよう心よりお祈り致しております。」
一体・・・どういう意味・・・なの?
「・・・はは・・・なんだよその内容・・・ば、馬鹿らしいにも程があるぜ・・・!」
「三宅の言うとおりだ・・・!そんな・・・そんな理由で人が殺されてたまるものか!」
現実味のない内容で全員の頭がこんがらがるのも無理はなかった。
神の恵み?天界?殺人ゲーム?意味がわからない。分かりたくもない。
「・・・私の話って・・・あれのことだよな・・・。」
桃が確認するかのように呟く。
「あれってなんだ?」
翔ちゃんが桃に問う。
「あ・・・そっか・・・翔ちゃんとかはいなかったっけ・・・実は・・・。」
桃は佐藤さんから聞いた怪談話を翔ちゃんたちに聞かせた。
「・・・くだらない・・・本当にくだらない。」
「小山くん・・・そう言う言い方はねぇんじゃねぇのか?」
人が死んだというのに興味を示そうとせず、今までずっと勉強をしていた小山がそんなことを言い出したので桃が詰め寄る。
しかしそんなことにも小山くんは動じず、参考書に目をやったまま一言言う。
「僕には関係のないことだ。」
「・・・ってめぇ!人が死んでんだぞ?!」
小山くんの胸ぐらを桃がつかみあげ、睨みつける。
「・・・離してくれないか?勉強の邪魔だ。」
「はッ?!ふざけんじゃねぇぞ!今はそんなことしてる場合じゃねぇだろうがッ!」
完全に理性が飛んでいる桃とはうらはらに、小山くんは至って冷静な表情をしていた。
いや、あの表情は・・・目は、完璧に冷め切っていた。冷静、という言葉よりもよっぽど冷たかった。
「・・・大野さん。君は前回のテストで9位だったそうじゃないか。」
「だからなんなんだよッ!今は関係ねぇだろうが!」
「僕は初めから君が気に入らなかったんだ。何で遊びまくっている君なんかが僕より頭がいいのか、って。でも、今じゃ違う。どうだ?」
小山くんは桃の腕を振り払い、メガネをクイッと親指であげた。
「は、はぁ?」
「どうだ?悔しいだろう?次は君がドべだ。クラスのお荷物だ。どうだ?屈辱的だろう?」
にやりと笑い、桃を見下す小山くん。
こんなイヤミったらしい人だなんて思わなかった・・・。
「・・・ってめぇ一体何が言いてぇんだ・・・。」
桃はギリギリのところで弾けそうになる感情を抑えているようで拳がプルプルと震えていた。
しかしそれがわからないのか否か、小山くんはさらに桃を挑発すつ様な言動を繰り返した。
「君みたいな低脳な人間は努力をすることもしないのかい?僕みたいに自分の順位に恥を感じたほうがいいと思うんだけどね。次期最下位の大野桃さん?」
「だから何なんだよ・・・今は、んなこと関係ねぇだろうが・・・!」
「いや、関係あるよ。あの手紙には殺人ゲームをするって書いてあったんだろう?・・・つまりそういうことさ。ここには有能な人間が集まっている。そして・・・今、一番この中で無能な人物は君、大野桃だ。・・・一番死ぬにふさわ」
「そこまでだ、小山。」
桃と小山の間に先生が割って入る。
桃の目からは今にも飛びかかりそうな気迫が伺えた。
「お前、協調性って言葉知らないのか?」
「・・・はっ。仲良しごっこなら勝手にしてください。僕は勉強するんでお願いですから邪魔しないでくださいね。」
メガネをまたクイッとあげ、小山くんは少し離れたところへと行ってしまった。
「桃・・・。」
まどかが心配そうに桃のそばによる。
「ごめん・・・ちょっと一人にして。」
そう言うと桃はまどかの手を払い、窓際へと行く。
「・・・伊吹さん。」
「え?あ、何?」
立ちっぱなのに疲れ、私は一人でソファーに座り込んだ時、聞きなれない声に呼ばれ思わずたどたどしい態度をとってしまった。
「殺人について、どう思いますか?」
教室でもあまり目立つタイプではなく、むしろ暗い印象を持つ永井碧くんだ。
私も喋ったことはあまりなく、声さえもあまり聞いたことがなかったから少々驚いてしまった。
「え・・・どうって・・・ひどいことだと思うよ?」
いきなりそんなことを聞かれて私だって焦ってしまう。
しかしそんなこと永井くんは気にもしていないようで私の隣のソファーに腰をかけた。
「俺、思うんですよね。」
「何を?」
「大野さんが言っていた“天使”なんてものが本当に存在しているのか、って。」
顎に手を当て、永井くんは悩んでいる表情をした。
いつもは長い前髪で顔が隠れていたが、前髪の隙間から見える顔はかなり整っているように見えた。
「・・・そんなの・・・いるわけないじゃん・・・多分・・・。」
私の曖昧ではっきりとしない回答に永井くんは苦笑する。
「そういう反応になりますよね。」
「んー・・・でもやっぱいないかなぁ・・・そういうのって非現実的すぎるしさ・・・。」
「あっ、ごめんなさい。そういう意味で言ったんじゃないんです。今、この孤島には全員で11人の人間がいる。12人目なんて存在すると思いますか?」
「・・・12人目・・・がいなきゃ、殺人なんて起きないでしょ?」
永井くんの言いたいことが理解できなくて私はまゆをひそめる。
そんな私の表情に永井くんは顔を綻ばせる。
「はは。学年一位でもこんな簡単な謎は解けないんですね。」
なんだか少しバカにされたような言い方で気分は良くなかった。
「何が言いたいの?」
「つまり、俺はこの中に犯人がいるんじゃないのかって思ってるんです。」
「・・・詳しく聞こうじゃないの・・・何でそう言う推理に至ったわけ?」
「理由は単純です。俺にはどうも12人目なんて存在しているように思えないんですよね。だっておかしいじゃないですか。もし仮に12人目がいたとすると犯人たちはどこにいると思いますか?屋敷内ですか?ですがそれはあまりにも危険で無謀過ぎます。それじゃあ外の森の中ですか?これも考えにくいです。だって外は大嵐。とても外にいれるような天候ではありません。」
「確かに・・・そうかもしれない。でも可能性は0じゃないよ?」
「はい。100%の否定なんて到底俺には不可能です。ですが、犯人側になって考えてみればそれはほぼありえないって断言できてしまうんです。」
前髪の奥からの覗く、凛とした瞳に不謹慎にも目を奪われてしまう。
永井くんこういう表情もするんだ・・・。
「あの・・・聞いてます?」
「え?あ、うん!で、なんで断言できるの?」
困ったように顔を覗き込んでくるので、私は慌てて話を戻す。
不自然なようにも思えたが、特に永井くんは気にしている様子もないので内心ホッとしていた。
「いいですか?仮に12人目の犯人が存在し何かの理由でこの島に上陸し、どこかにずっと身を潜めていたとします。なら、どうして天使の噂など知っていたのですか?」
「・・・どこかでその噂を聞いたから?」
「大野さんから聞いた話によれば、佐藤さんはその噂は自分と理事長しか知らないと言っていたんですよね?でしたら、大勢の人に話すのは伊吹さんたちが初めて・・・つまり、この噂を知っている人は理事長、佐藤さん、そして俺たちだけなんですよ。」
「え・・・で、でも、どこかで盗み聞きしてた可能性は・・・?」
「ありますか?そんなの。だってみなさんは砂浜でお話を聞いていたんですよね?犯人が身を隠すところはありましたか?遠くから聞こえるほど大きな声で話をしたんですか?」
「・・・ん・・・それは・・・。」
確かに全て永井くんの言うとおりだ。
私たちは砂浜で話を聞いた。しかもそのときは風がかなり吹いていたので近くにいた私でさえも少し聞き取りづらかった。
それなのに身をひそめるようなところで、私たちの会話が耳に入っただなんて到底思えない。
「それと、犯人は何故あんな挑発するような手紙を置いたんでしょうか。殺人の意図はともかく、普通あんな手紙は置いたりしません。だって」
「これからの殺人がやりにくくなるから。」
永井くんの言葉を遮るかのように違う人の声がかぶさってきた。
「伊吹くんじゃないですか・・・。」
かぶせてきたのは恋夜だった。
恋夜は私の前に椅子を起き、そこに深く腰掛けて座った。
「手紙に書いてあるとおりに目的がその誰かを殺すためならば、いちいちあんな手紙を書く理由がない。籠城でもされてしまえば手を出しにくくなるからな。・・・なんだ仲良く推理ゲームか?」
「恋夜あんた今まで聞いてたの?」
「んなことどうでもいいだろうが・・・。」
「・・・伊吹くんの言うとおりです。あんな手紙書く理由がないんです。でも、もしこれが犯人にとって本当に殺人ゲームならば・・・意味はあると思いませんか?」
永井くんの言いたいことは理解できる。
本来なら手紙を置かない方がこれからの殺人をスムーズに行うことが出来る。
しかし犯人は私たちに手紙という形で籠城の余地を与えた。
これは犯人にとってはただの殺人ゲームでしかないのかもしれない。
「ほんと・・・あんな手紙ただの挑発でしかないじゃない・・・。」
「そう。だからこそ12人目がいないと思うのです。」
「じゃないと解けないから、か?」
「そう。解けない謎なんてそんなの謎じゃないです。謎は解けるから謎なんです。それに手紙の差出人は人狼ゲームだと例えました。つまりこれは明白に犯人はこの中にいるということではないのでしょうか?」
「確かに・・・。で、でも私たちの中に佐藤さんを殺した犯人がいるだなんて・・・考えられない・・・!」
私はぐるっと部屋を見渡す。
室内には重苦しい空気が流れ、いつもの和やかな雰囲気からは想像できないくらい暗い表情をみんなしている。
まだこのメンバーに出会って一ヶ月しか経っていない。
だけど誰ひとりと、本当に悪い人なんていない。いるはずがない。
そりゃ確かにちょっと口が悪かったり、意地が悪かったりする生徒はいるかもしれない。
「・・・殺人をゲーム感覚でするような人間・・・いるはずないじゃない・・・!」
私は無意識のうちに拳を握りしめていた。
「そう信じたいのもわかりますが、今回は少し割り切ったほうがいいかもしれません。」
「・・・永井くんはこの中に犯人がいるって?」
「穴だらけの推理だけど間違っているとは思いません。」
またあの凛とした瞳を向けられる。
何故彼はこんなにも純粋な瞳をしているのだろうか。
「・・・私たちクラスメイトだよ?」
「ですが他人なのには変わりありません。」
「・・・・・・恋夜はどう思う?」
「俺は鈴歌が無事なら誰が犯人だろうと、どうでもいい。」
恋夜はいつもそうだ。
なにより誰より私を優先させる。
それが私には重みになってならないのをまだ恋夜は気づいていないのだろうか。
「ほんとお二人は仲が良いんですね。」
「・・・ねぇ永井くん。」
「はい?・・・っ?!」
私は永井くんのひやっとした顔を掴む。
永井くんの口はたこちゅうのようになり、何をしゃべっているのかいまいち聞き取れない。
「はひひへふ」
「私、鈴歌。」
「へ?」
「苗字じゃあ呼び分けづらいでしょ?だから鈴歌って呼んで。あいつのことは恋夜でもうんこでもいいから。それと・・・」
もう一方の手で私は永井くんの長い前髪をかき分ける。
思ったよりも色白な肌と、凛とした瞳があらわとなり私の目に飛び込む。
「せっかく綺麗な顔してんのにもったいないよ。もっと自分出していかなきゃ。」
「あ・・・あほぉ・・・。」
「はい、しか受け付けません。」
「へ?・・・は、はひ・・・。」
「よくできましたっ。」
私はニコッと笑い、手を離す。
「い、いぶ・・・あっ・・・り・・・鈴歌・・・?」
「何永井くん?」
「え・・・その・・・俺・・・碧・・・碧・・・です・・・。」
「ん?知ってるよ?」
いきなり自分の下の名前を言うもんだからもしかして自分の下の名前を知られていないのかと心配したのかと思い私は半笑い気味にそう言った。
でもそうではないらしく、永井くんはしばらくもじもじしてから小さな声でぼそっとこう言った。
「俺のこと・・・碧って呼んで・・・くれてもいいですよ?」
1-5
大広間に全員で篭もり始めておう4時間が経過し、時計の針は10時を示そうとしていた。
さすがに空気をかなり澱んできてしまっている。
「どこ行くんだ伊吹姉。一人では危険だから誰かを同伴に連れてけ。」
「ちょっとお手洗いにでも・・・。」
私はそう言うと一人で大広間を出た。
正直もう集中力も切れてしまっていて、緊張感というものもなくなってしまっていた。
トイレで顔でも洗ってスッキリしよう・・・。
そう考え私は一番近いトイレへと向かった。
「・・・あっ。」
トイレへ向かう途中、前方から莉奈がやってきた。
「トイレ帰り?」
「え・・・あ、はい・・・。」
その時、佐藤さんの死体を見たときの莉奈の態度がフラッシュバックした。
もしかしてあれは悪い夢か何かではなかったのではないだろうかと錯覚しそうなほど今の莉奈はいつもどおりおどおどとしていた。
「あ、あのさ。」
横を通り過ぎようとしたとき、思わず声をかけてしまった。
莉奈は立ち止まりまだ何かあるのかという表情で私のほうを見てきた。
「え・・・あの・・・さ・・・さっきはかなり・・・その・・・あれだったけど、大丈夫なの?」
「・・・あれ、とは?」
あまり話したくないことを何故自分からふってしまったのかと後悔してしまった。
「あ、あははは。ごめん。なんでもないや。」
私はそう笑ってごまかし、トイレへ逃げ込もうとしたが莉奈に腕を引かれそれを止められる。
外では依然雨風が強く、雷鳴まで聞こえ始めていた。
「天使様はいらっしゃいますよ?」
「・・・え?」
莉奈の口角がニッと上がったのがみえて背筋に冷たいものが這った。
「あの手紙は間違いなく本物です。私は確信しています。あれは正真正銘天使様からの手紙なのです。」
「え・・・あの・・・ごめん・・・意味わかんないかも・・・。」
「鈴歌さんには感じられませんか?天使様の存在を。」
「感じるもなにも・・・そんなの空想の中の話じゃない・・・。」
「違います。天使様はいらっしゃいます。天使様は探しておられるだけなのです。神に見初められた人の子を。そして私はその存在を、あなただと思っております。」
「・・・え?」
莉奈がこんなにもはっきりとしゃべりことに対してと、いきなりのセリフに私は戸惑う。
「成績優秀で近寄りがたいほど美人ではないにしても、かわいそうなほどブスでもないいわゆる可愛いと呼ばれるに値する人間。そしていつも明るくたくさんの友人に囲まれ、大切な双子の弟からも大切にされている。そこまで恵まれているあなた以上に幸せな人がこのクラスにいるでしょうか?」
「な、何言ってるの・・・・?」
「あなたが天使様と共に天界へ行ってくれさえすればこの殺人ゲームは終わります。あなたは一体これから何人の人を犠牲にすれば天界に戻られるのですか?」
莉奈は本気だ。
冗談であんな目をすることはできない。
「莉奈?落ち着いてよ・・・そんなわけないでしょ?天界とか天使とか・・・そんなの空想上のものだよ?」
「とぼけないでください。あなたはいつまで私たちを騙すつもりなんですか?なにもかもに恵まれているあなたには私たちクズの気持ちはご理解いただけませんか?」
「ごめん・・・よく・・・言っている意味がわからない・・・。」
「私は天使様に会いました。」
「・・・えっ?」
「そして天使様は教えてくださいました・・・私が幸せになれる方法を・・・!」
きらりと光るものを莉奈はポケットから取り出し、私のほうへ向けてきた。
「な、ナイフ?!り、莉奈どういうこと?!」
莉奈の呼吸は荒く、目もかなり血走っている。
私の体から一気に嫌な汗が吹き出す。
なにこれなにこの状況どういうことなの?
「あんたを・・・殺せば・・私は・・・私は・・・う、うあああああああぁあぁぁああああッ!!」
震える両手でナイフを持ち、莉奈は私に向かってナイフを振り上げた。
私は咄嗟にそれを間一髪で避けることに成功した。
しかし、莉奈はそれだけでとどまらない。
またこちらに向かってナイフを振り上げて襲ってくる。
「莉奈!やめて!ねぇ!」
莉奈の動きは至って短調。
だから次にどう動くか簡単に理解が出来る。
しかしいつまでも避けるだけでは何も変わらない。
なんとか莉奈を説得してみようとするが、私の声など耳に入っていないようだった。
ただひたすらに「天使様の御言のままに」という言葉を繰り返している。
何で私、クラスメイトに殺されそうになっているんだろう。
何で莉奈は私を殺そうとしているんだろう。
「きゃっ?!」
莉奈の持っているナイフが私を空振り壁へと突き刺さる。
それを抜こうと力をいれるが相当硬いようで苦戦していた。
私はその機会を見逃さず、莉奈の腰を引っ張りナイフと離れさせる。
「ったいッ!離れろ!やめろ!離せェエエッ!」
ドラマの見よう見まねで莉奈の腕を後ろで拘束し、床に押さえつける。
莉奈は離れようとバタバタと暴れるが、私の拘束からはどうやら逃げられないようだ。
「落ち着いてって!」
「くそっ!このっ!せっかくのチャンスなのに!お前なんかに・・・お前なんかに邪魔されてたまるかぁああっ!」
表情は醜く歪み、メガネもどこかに飛んで、身なりもかなり乱れてしまっていた。
しかし莉奈はそんなの気にもしないようで私の拘束から逃れようとする。
私はそれをさせないよう懸命に押さえ込むが、それがいつまで持つかわからない。
そんな時だった。
大広間がある方の廊下から声が聞こえた。
「鈴歌ッ!」
「恋夜!」
いつものクールに決め込んだ表情からは想像ができないほど焦っているような表情をしていた。
「大丈夫かッ?!」
「うん。大丈夫だ・・・きゃっ!」
「鈴歌ッ?!」
恋夜が来てくれてホッとしてしまった私は思わず莉奈への拘束を緩めてしまった。
そして莉奈はその隙を逃さず、私を押し倒しすかさず壁に突き刺さるナイフを力いっぱい引き抜いた。
「抜けたッ!伊吹鈴歌死ッッねぇえええええええぇぇぇえええ!!」
莉奈が狂喜の笑みを浮かべたまま私へナイフを振り下ろしてくる。
あまりに咄嗟のことだったため私は反応できずに目をギュっと固くつむった。
しかしいつまでたっても痛みがやってこない。
もしかして痛みを感じる前に死んじゃったのかな・・・。
そんなことを考えながら私はそっと目を開ける。
「・・・・・・ぇ。」
「んっぐ・・・だ・・・大丈夫か?」
私の目の前には苦痛の表情を浮かべる恋夜が立っていた。
「え・・・あ・・・なんで・・・。」
恋夜がばたりと目の前で倒れる。
腹部にはナイフが深々と刺さり、赤い血が服に広がり床へと流れる。
「あ・・・あ・・・わ・・・私・・・違う人を・・・は・・・あぁ・・・。」
間違って恋夜を刺してしまった莉奈はガタガタと震えながらその場で気を失ってしまった。
「れ・・・恋夜・・・?」
私の問いに恋夜は反応しない。
「嘘・・・でしょ?」
私は引きつった笑みを浮かべながら恋夜を膝にかかえる。
「ねぇ・・・恋夜・・・?ねぇ・・・返事・・・してよ・・・。」
傷口からは血がぼたぼたと垂れ流れ、私の服にも恋夜の血がつく。
私の頬に生暖かい何かが伝う。
ずっと一緒だった。
いつでも守ってくれるって言っていた。
なのに・・・なんで?
なんで・・・こんなところで・・・いなくなっちゃうの?
「ぅ・・・うぁぁあぁぁあぁああぁあぁぁああああああああああああああああああああああッ!!!!恋夜ぁあぁあああああぁああああぁあぁぁぁぁぁああああああああああああッ!!」
そこで私の意識はぷつんと途切れた。
1-6
―俺がずっと守るから。もう二度と一人で怖い思いなんてさせないから。―
恋夜の嘘つき。
私、人生で一番怖いって思った。
恋夜が死ぬかもしれないって思うと、怖くて怖くてたまらなかった。
「あっ・・・せ、先生ッ!鈴歌が目覚ましたよッ!」
まどかの声が聞こえる。
あれ・・・私・・・何してんだっけ?
「お?!やっと目を覚ましたか!」
あぁそうか・・・今は勉強合宿中だっけ・・・?
ならなんで私寝ているんだろう・・・寝坊?はは・・・恥ずかしいな・・・。
「鈴歌ッ?!鈴歌・・・あんた・・・よかったぁ・・・。」
桃の震えた声が聞こえる。
え・・・なんで泣いてるの?
何かあったっけ・・・ん・・・なんか忘れてる気がする・・・なんだろう・・・。
「鈴ちゃん目が覚めたのか?!よかった・・・あとは××だけだな・・・。」
・・・ん?
私の他にも誰か寝坊がいるの・・・?
・・・あれ・・・?そもそも私・・・寝てなんかいたっけ・・・?
「恋夜ッ?!?!」
寝転がっているソファーから私は飛び起きる。
そして近くにいた桃の胸ぐらを掴みすごい険悪で詰めかかる。
「恋夜・・・恋夜は?!ねぇ恋夜はッ?!」
「お、落ち着けって鈴歌・・・!」
「ねぇ恋夜はどこなのッ?!お願いッ!恋夜はどこッ?!」
「恋夜くんなら隣にいるじゃねぇか・・・!」
桃の指差す方を見れば、確かに恋夜が横たわっていた。
私は桃を押し退き恋夜のほうへ飛んでいく。
「恋夜・・・?ねぇ、恋夜?聞こえてる?ねぇ・・・ねぇってば・・・ねぇっ!!」
「こらあんまり揺らすなッ!」
先生に恋夜と引き剥がされるが私は何度も恋夜のほうへ行こうとする。
「恋夜は大丈夫だから・・・!生きてるからッ!」
「・・・え?」
先生の言葉に私は一旦体を止める。
「ほ・・・んと?」
「今、吉原に応急処置をしてもらった。あいつそういうの得意らしいからな。だから大丈夫だ。心配するのは大いに結構だが、あまり激しく動かすな。わかったか?」
「まどか・・・が?」
「実家が病院だったから大まかな処置は心得ているつもり。・・・まぁでもあくまで応急処置。船が来たらすぐに病院に連れて行く必要はあると思う。」
「まどか・・・ありがと・・・ほんと・・・ありがとう・・・。」
私の目からは自然と涙が溢れてくる。
まどかに頭を撫でられながらしばらく涙を流していると、まどかが急に深刻そうな表情をした。
「・・・ごめんね鈴歌。まだいろいろ整理ついてないかもしれないけど、聞かせて欲しいことがあるの。」
「・・・っん・・・?何・・・?」
私は涙を拭い、まどかの次の言葉を待つがまどかは言いにくそうな表情を浮かべるだけで何も喋ってくれない。
どうしたのか、と聞こうとするとまどかと私の間に碧くんが割り込んできた。
「一体君たちは誰に襲われたんですか?」
「・・・えっ?」
私はキョトンとした表情を浮かべる。
誰に・・・?
もしかしてまだみんなは知らないの?
私はキョロっと部屋を見渡す。
莉奈の姿が見当たらない。
「・・・莉奈は?」
その問いに碧くんは首を降る。
それがどういう意味かは少し理解ができなかった。
「いないの?」
「お手洗いに行ってから一度も戻ってきてません。探しには行ったのですが、見つけれたのは鈴歌と恋夜だけでした。」
「・・・そ・・・。」
「えっ?」
「嘘・・・でしょ?だって・・・私たち・・・莉奈に襲われたんだもの・・・!」
私の言葉に全員が驚嘆する。
「ど、どういうこと・・・鈴歌・・・?」
「私と莉奈がトイレですれ違って・・・それで莉奈になんか変な疑いかけられて、ナイフ突きつけられて・・・でもそれを恋夜がかばってくれて・・・莉奈はその場に倒れて、私も・・・。」
確かに私の隣に莉奈は倒れていた。
もしかしてそのあと目を覚まして移動したとでも言うのだろうか・・・?
「・・・まさか莉奈ちゃんが犯人・・・?」
真尋がボソっとつぶやいた。
「ま、真尋ッ!」
優樹の呼びかけで真尋はハッとして自分が言ってしまった言葉の重大さに気づいたようで取り乱し始めた。
「い、いや別に・・・と、特に変な意味はなくて・・・ははっ・・・いや、ありえねぇよな・・・いくらなんでも・・・あの莉奈ちゃんが・・・はは・・・。」
「ありえないなんてありえないよ。」
碧くんがはっきりとそう言い放つ。
「・・・・・・あ。」
一瞬の静寂のあと、桃が何かを思い出したかのように手を打った。
「莉奈・・・あいつ食堂でやばかったじゃねぇか・・・つまり・・・ほんとに莉奈が犯人ってこと・・・ありえっかもしれねぇ・・・。」
「いやそれは無理じゃないかな?だって河辺はずっと僕らと一緒に客間にいたじゃないか。」
「・・・ううん。一度だけ・・・一度だけ本を部屋に取りに行くって言って一人になった時があったじゃねぇか・・・もしかしてその時に?」
どんどん莉奈への疑惑が重く募っていく。
場の雰囲気も莉奈が犯人なんではないかという方向になり始めた。
「ま、待ってっ!」
「どうした鈴ちゃん?」
「私違うと思う。」
「え?でも鈴歌たちを襲ったのって莉奈なんでしょ?」
「うん。確かにそう。だけど・・・その時の莉奈おかしかったの。きっと莉奈は犯人に利用されただけなんだよ・・・。」
「・・・詳しく聞かせてくれますか、鈴歌。」
碧くんに言われ、私は一連の出来事を伝える。
「私はあのとき莉奈が嘘をついているようには見えなかった・・・だからきっと莉奈は利用されてただけなんだよ・・・!みんな莉奈を信じてあげて!」
「でも・・・なぁ・・・?」
「おう・・・。」
真尋と桃は納得できないと言った表情をしていた。
それも無理はないかもしれない。
確かに今一番怪しいのは紛れもなく莉奈だ。
実際に殺人をしようとしていたし、食堂でのこともちょっと引っかかる。
でもだからといって仲間を疑うようなこと、私はしたくない。
「信じたいよ、私は。」
「まど・・・か?」
「私は、信じたい。莉奈が犯人だと・・・ここにいる全員が犯人だって思いたくなんてない。」
まどかが凛とした表情で私に言ってくれた。
その時、どこかで笑い声が聞こえた。
それは今までずっと部屋の片隅で勉強をしていた小山くんの笑い声であった。
「ど、どうしたの小山くん?」
「くっくっく・・・はっは・・・あっはっはっはっはははははッ!お前ら・・・おもしろすぎるだろ・・・。」
笑いを堪えきれないのか腹を抱えて大声で笑い始める小山くんに私はぞっとした。
何故ここまでこの人は空気を読めないのだろうか。
「笑ってる場合じゃないよ小山くん!」
「いやいやお前らホント面白いから。どこのくっさい青春ドラマ演じてんの?頭大丈夫?」
小山くんは私たちの方へを歩み寄ってき、ひとりひとりの表情をじっくりと舐めまわすように見て回った。
それがとてつもなく気持ち悪くて、鳥肌が立つ。
「な、何・・・。」
「ったく・・・なんだよ結局ここもバカばっかかよ。」
「・・・は?」
「中学のときは仕方なかったさ。公立だからへんな奴らの集まりだ。だけど、ここは違う。よりすぐりのエリートが集まるいわば選ばれた人間の居場所だ。俺はそんなここを誇りに思うし、同時に妬ましくも思う。だって俺より頭のいいやつが何人もいるんだからな。」
「小山・・・お前またその話か・・・。」
翔ちゃんが喧嘩腰に相手にしようとするから慌てて止めに入る。
「安藤。お前みたいな暴力的な目をしてるやつが勉強なんてしてんじゃねぇぞ。てめぇにはてめぇなりの居場所があるだろうが。」
「あ?」
「底辺は底辺でいろっつってんだよ。どうせいらつくことがあったら暴力で解決するような低脳な人間なんだろ?はっ・・・まじでクズの極みだな。」
「ってめぇ・・・!」
「翔気持ちはわかるが暴力はだめだッ!」
「・・・小山くんも何でそんな挑発的な態度とるわけ?もう仲間割れなんてやめようよ。」
殴りかかろうとする翔ちゃんを力づくで真尋くんと優樹くんが止める。
そして翔ちゃんと小山くんの間に私が割ってはいる。
「これはこれは学年トップの優等生、伊吹鈴歌さんではありませんか。」
嫌味ったらしくそう呼ばれ気分良くはなかった。
「小山くんは一体何が気に入らなくてそんな態度をとるの?」
「・・・はい?」
「さっきからずっと私たちに対して暴言が過ぎすぎじゃない?ねぇ、何が気に入らないの?そんなに勉強面で私たちに負けたことが悔しいの?」
小山くんの顔が引きつる。
しかしすぐに気味悪く笑い出し、メガネを親指でクイッとあげ、舌なめずりをした。
「何よ・・・。」
「全部だよ。お前らのすべてが気に入らねぇんだよ・・・!なんで俺がクラス最下位なんて汚名を着せられなきゃいけねぇんだよッ!なんで俺よりバカなてめぇらのほうが成績が良いんだよッ!ふざけんじゃねぇぞくそがッ!!」
「みんな・・・見えないところでは努力してるに決まってるじゃない・・・なんでそんな人の努力を認めてあげようとしないの?」
「はぁあぁぁあぁあ?!見えてないとこで努力ゥウウウゥ?!んな生ぬるいもんでてめぇは学年トップとってたのかよ!あぁ?!ちげぇだろうが!どぉおおぉぉせッカンニングでもなんかしたんだぉおがッ!じゃねぇと俺が!この小山慎太がッ!10位なんてみっともない順位取るはずがねぇんだよッ!!」
「そんなこと言ったって結果は結果じゃない!」
「調子こいたこと言ってんじゃねぇぞカスッ!このクズ野郎ッ!てめぇら全員クズクズクズッ!ゲロカスの糞人間どもだッ!俺が優れているんだッ!誰よりも俺に価値があるんだッ!てめぇらなんてニセの価値にこの俺が劣ってるわけがねぇんだよ!!」
小山くんが必死に語る言葉が私の心に突き刺さる。
あぁ・・・そうか・・・この人は。
「・・・悲しい人だ、あんたは。」
「は・・・はぁ?何バカなこと言ってんだてめぇ。ちっ・・・俺はお前がずっと気に食わなかったんだ。成績は優秀で人気者、それに大切にしてくれる弟までいる。お前はさぞ幸せだろうな?!お前みたいな幸せボケしたやつに俺の苦しみの何がわかるッ?!」
胸ぐらをつかみあげられる。
近くで見た小山くんの瞳にはうっすらと涙が溜まっているように見えた。
「・・・私・・・幸せボケなんて・・・してない。」
「完全にしてるだろうがッ!なんの悩みもなさそうでのんきに生きているやつに悲しい人だとか言われる筋合いねぇんだよッ!ハッ!俺は伊吹恋夜が刺されてざまぁみろと思ったぜ?!てめぇは一度くらい大切なものを失う辛さを・・・っっ?!」
鈍い音と共に小山くんは私の目の前から消え、目の前には今にも泣き出しそうな桃の姿があった。
「も・・・も?」
「ってぇ・・・お、お、のォオオオオオオォォォォオオオッ!!!!!」
小山くんは殴られた左頬を抑えながら、桃を睨みつける。
しかしそれ以上の険悪で桃は小山くんを睨み返し、歯を食いしばる。
「今の言葉撤回しろッ!恋夜くんのこと謝罪しろ!!」
「んだよてめぇ割り込んできてんじゃねぇぞブスッ!」
「いいから恋夜くんのことだけは撤回しろッ!じゃないとあーし・・・お前を殺すかもしれねぇ・・・!」
桃は両手を握り締め拳をブルブルと震わせ、怒りを露わにしていた。
そんな桃の姿を見て、小山くんはしばらく睨みつけるとふいに目を瞑り深いため息を吐いた。
「ちっ・・・てめぇら勝手にやってろ。俺は付き合いきれねぇ。」
「は、ちょ、撤回しやがれこのクソメガネッ!」
小山くんが立ち上がり桃のとなりを通り過ぎようとするときに桃が襲いかかろうとしたところを先生が止めに入る。
「大野落ち着け。」
「これが落ち着いてられっかよ!あいつ恋夜くんが刺されたことラッキーだと思ってんだぜ?!許せねぇ!!小山ぁああああぁああぁあッ!!」
桃が暴れ狂うが先生の腕から逃れれることはない。
だから桃の拳が小山くんに触れることもない。
一方小山くんは勉強道具を一式持つと、扉の方へ向かっていく。
「小山お前どこ行くんだ?」
「先生・・・これ以上俺は茶番に付き合いきれません。自室に戻ります。」
「だめだ。ここで全員と一緒にいろ。」
「無理です。これ以上バカと一緒ではたとえ生き残れたとしてもバカがうつってしまいますから。それでは。」
小山くんはそう言うとひとりさっさと大広間から出て行ってしまった。
「くそ!先生はちょっと小山を呼び戻してくるからお前らここにいろよッ!」
先生は桃から手を離すと、すぐさま小山くんを追いかけに大広間を飛び出た。
その時丁度時計が鳴り、時刻は午前3時となった。
1-7
大広間に響くのは雨と風、そして雷鳴の音だけだった。
みんなそれぞれに座りこみ、各々に考え事をしていたように見えた。
私はずっと恋夜の隣に座り、いつ目覚めてもいいように、その瞬間を見逃さないようにつきっきりになっていた。
「・・・それにしても・・・先生たち遅くない?」
ふとまどかがそう呟く。
確かに二人が出て行ってからもう30分は経とうとしていた。
「小山の説得に時間かかってんじゃねぇの?」
「もしくは説得できなくて先生と一緒に自室にいるかだな。」
みんなもう小山くんのことなんて考えたくないのか、すぐに会話が終わってしまった。
それもそうだろうなのだろう。
あんなにボロカスに言われていい気分になる人間なんているわけがない。
「・・・恋夜・・・?」
今、一瞬だが指が動いたように思えた。
私は目を見開き顔を覗き込む。
「恋夜?・・・恋夜?!」
「・・・ん・・・。」
固く閉じられていたまぶたがゆっくりだが開き始める。
「れん・・・や・・・恋夜ぁあああああああああああぁぁっぁああ!!」
「あぁだめ鈴歌ッ!」
恋夜に思いっきり抱きつこうとするのをまどかに慌てて止められる。
そうだった・・・お腹の傷に障ったら大変なことになってしまう。
「ん・・・りん・・・か・・・?」
「うん・・・鈴歌だよ・・・よかった・・・ほんと・・・よかったぁ・・・。」
私は安堵のあまりに足の力が抜けて床に座り込んでしまう。
ほかのみんなも恋夜が目覚めたのを知りソファーの周りに集まってきた。
「俺・・・。」
「お腹刺されて今まで気を失ってたの。でも良かった・・・ほんとに・・・。」
「刺され・・・。・・・・鈴歌ッ?!」
バッと起き上がるがお腹の傷に障ったのか痛そうに再び寝転んでしまう。
「ちょ、大丈夫?私はここにいるから!」
「んぐっ・・・はぁ・・・お前・・・怪我は・・・?」
「ないよ。」
「ほんとか・・・?はぁ・・・良かった・・・。」
「良かったじゃないわあほぉぉ・・・バカぁ・・・ほんと・・・バカぁぁ・・・。」
私のまた目からは涙が溢れてくる。
大切な人を失うことがこんなにも恐ろしいことだとは思わなかった。
もしかして今まで恋夜はこんな思いを何度もしてきたのかと思うと、私は恋夜を少し尊敬した。
「・・・河辺は・・・?」
「・・・ううん。いなかったらしい。」
「いなかった・・・?・・・逃げた、か。」
「わからない。あと、先生と小山くんは上に行ってる。」
「どうして?」
「小山くんとひと悶着あってね・・・はは・・・。」
恋夜が寝ていた時に起こった出来事をザザっと説明する。
腹の傷は痛むもののそこ以外は特に何もないと本人は言っているが一応念のためということで恋夜の移動は禁止ということがまどかから発令された。
時刻はすでに4時が来ていた。
もう全員心身ともに疲れきっていた。
よく考えれば一睡も出来ていないし、昼から何一つ食べ物を口にすらしていなかった。
「今日・・・帰れる・・・のか・・・?」
「無理だと思います。帰れて、明日じゃないですかね。」
「ってことは俺ら・・・あと一日もここに篭ってなきゃなんねぇってことか・・・?・・・腹減ったなぁ。」
「ご飯は我慢しなよ・・・少々食べなくったって・・・大丈夫だよ。」
「でもそうは言うけど」
真尋が文句を言おうとした瞬間、外から爆発音のようなものが聞こえた。
「な、なんだ今の音・・・?」
一番窓に近い優樹くんが窓の外を見て愕然とした。
「・・・うそ・・・だろ・・・。」
「え?どうしたんだ?」
続いて真尋くんも窓の外を見る。
「・・・はは・・・あーあ・・・マジかよ・・・こりゃ・・・。」
もう自嘲気味に笑っていた。
「どうしたの?」
「・・・燃えてんだよ。」
「え?」
「燃えてんだよ・・・絶景だぜ?」
疲れっきた顔を手で覆い隠しながら真尋くんはその場に座り込む。
何もかも諦め切った、そんな表情をしていた。
私は真尋くんにそんな表情をさせるものとは一体何か気になり、窓際に近寄る。
そして最悪のシナリオが頭の中に駆け巡る。
「・・・なんで・・・?」
目の前の森が真っ赤に色付いているという表現でも間違ってはいないと思う。
雨がふり、風でなびき、そして奥の方では雷が落ちている。
そんな中、森が真っ赤に燃え上がっているのだ。
何故燃えているのかなんてもう些細な問題だった。
ただこのままではいずれこちらの屋敷にも火はうつってくるだろう。
「へへ・・・マジで・・・こりゃ天使様いたのかもな・・・。」
真尋のか細く震える声が何を意味するか、私は悟った。
「・・・諦めちゃ・・・やだよ・・・。」
「外では爆発が何度も起こってるんだ・・・どこに逃げろっていうんだよ・・・。」
翔ちゃんまでも乾いた笑みを浮かべる。
確かに先程から何度かでかい爆発音のようなものは聞こえる。
「ここは昔、戦争の基地として使われたんだよな・・・。」
「・・・そういうこと・・・。その時に残っていた火薬とかが今頃爆発してるってわけか・・・どんなタイミングだよ。」
「仕組まれてるに決まってるだろうが・・・あーしらを生きて帰そうなんて天使様はさらさら考えてないらしい。」
窓際で恋夜以外の全員が集まり、呆然とする。
もう、どうしようもない。
逃げ場もない。
それにもう疲れた。
このまま倒れ込んで寝てしまいたい。
それで起きたら今までのことは全部夢になってるの。
悪い夢を見たってことでまた二日目の合宿をスタート。
みんな仲良く、楽しく、そしてみんなで一緒に帰る。
・・・あっれ・・・おかしいな・・・。
こんな当たり前のこと・・・何望んでんだろ・・・。
・・・こんな・・・こんな都合のいいこと・・・ないよね。
ははは・・・もう・・・いいや・・・。
絶望しかないよ。
私の人生は一体なんだったん――
「みんな何してんのッ?!」
手を打つ音とともにまどかの声が部屋中に響いた。
「何・・・って?」
「逃げるよッ!」
「・・・え?」
まどかの言葉が一瞬理解できなかった。
「まど・・・か?」
「何みんな諦めたような表情してんのッ?!情けない情けないッ!私たちは一体何組?!エリートの集まりの特進コース!私たちにできないことなんてないんだよッ?!」
まどかの力強い目が眩しい。
なんでここまで追い込まれているのにまどかはそんな強くいれるの?
まどか・・・ほんと・・・まどかあんたって・・・最高の友達だよ・・・!
私は自らの頬を自分で打って気合を入れる。
「みんなッ!生き延びようッ!何があっても絶対全員で生き延びようッ!」
その言葉でみんなの曇った目に光が宿り始めたような気がした。
でも、あと少し。
あと少し足りない・・・!
「私、さっき思い出したんだ。」
ふいにまどかが何かを言う。
「正面の船着場より西に40°のところに、地下壕があるって。そこは戦時中、空爆を免れるために作られたんだって。・・・行く?」
「そんなとこ・・・ほんとにあんのか?」
「わかんないッ!でもここにいても死ぬだけなら、私は行く!」
耳に響くような大声にみんな言葉を失う。
「まどかの・・・まどかの言うとおりだよ・・・!」
私は一歩前に出てみんなに訴え掛ける。
「黙ってただ死ぬのを待つなんてそんなの私絶対嫌だよ!みんな、行こう。そしてみんなで生き残ろう。」
こんなとこで死んでたまるものか。
絶対にみんな生き残るんだ。
ただ普通に生きたいだけなんだ。
それ以上のことは望まないから。
「そうだな・・・よし、じゃあさっさと行こうぜ。」
「もうそれしか方法ねぇんだもんな・・・しゃーねーよな・・・。」
全員の心が一つにまとまり、まどかの言う地下壕というところへ向かうことになった。
怪我をしている恋夜を翔ちゃんが支え私たちは走った。
「ちょっと待ってて、俺ら先生ら呼んでくる。」
玄関の前で真尋くんと優樹くんがそう言い二階にと駆けていった。
外では雷雨の音とともに爆発音が轟いている。
「・・・夢、なのかって思わねぇか?」
桃が私の背中にか細くしがみつく。
「・・・・・・・・。・・・思うよ・・・。私たちはきっと悪い夢にうなされてるだけなんじゃないかって・・・思う・・・思いたいよ。」
「なぁ鈴歌・・・あーしら・・・生きて帰れるよな?」
「縁起でもない・・・絶対生きて帰ろう。」
私は桃のほうを向き震える体をギュッと抱きしめた。
桃を安心させたいという気持ちもあったがそれよりも、恐怖を紛らわすために他人のぬくもりを感じたかったのだ。
「・・・・・・・遅くないですか?」
あたりをキョロキョロとしながら碧くんがそう言った。
「確かに遅いね・・・ちょっと私見てくるよ。」
「まどか一人じゃアブねぇよ。あーしも一緒に行く。」
まどかに続いて桃も一緒に二階にあがろうとするが、それをまどかに制される。
「大丈夫。桃は下で待ってて。私はひとりで全然平気だからさ。」
「え・・・でも・・・。」
「お願い。人数裂きたくないの。」
「・・・気を付けて行ってこいよ?」
まどかはニコっと微笑み二階にかけていった。
「・・・・・・・。」
「・・・碧くんどうしたの?」
「え・・・?」
「いや深刻そうな顔・・・ってまぁそうなるよね。ごめん。変なこと聞いちゃって。」
碧くんの様子は先程から変だった。
顎に手を当て何かをぼそぼそつ呟いていた。
「逃げてッ!!」
「・・・え?」
突如怒鳴り声のような大声が階段上から聞こえた。
まどかだ。
まどかがものすごい勢いで階段を駆け下りてくる。
「ど、どうしたのまどか?」
「いいから早く逃げてッ!殺人鬼、殺人鬼がッ!」
まるで鬼のような血相をしまどかは私たちを怒鳴りつける。
「真尋くんたちがやられた!早く逃げるよッ!」
まどかが玄関の扉を開け放ち、全員で大雨の中わけもわからず走り出した。
向かう先はきっと地下壕だろう。
まどかが先陣を切り、その後ろを桃、私、碧くん、そして翔ちゃんと恋夜という順でひたすら雨の中を走り抜ける。
シャツが体に張り付き気持ちが悪い。
少し奥では真っ赤に森が燃え盛っていた。
走っている途中、泥に足を掴まれ何度もこけそうになり今でも倒れ込みそうな勢いだった。
もう体力なんて0に等しかった。
ただ走らなければいけないという義務感だけをたよりに走っていた。
「・・・少しいいですか鈴歌。」
「何ッ?!」
碧くんに話しかけられるものの雨のせいでいいように聞き取れない。
自然と私の声も大きくなる。
「俺、ずっと考えていたんです。そしてひとりの人物が怪しいと思いました。」
「えっ?なにっ?」
「・・・・・・・っ。俺・・・の・・・人が・・・犯人・・・思っ・・・ます。」
「え?!ごめん何言ってるのッ?全く聞こえない!」
私は碧くんのほうに耳を精一杯傾けるが途切れ途切れとしか聞き取れない。
「俺がなんで鈴歌にあの時話かけたのかわかりますか?」
きちんと聞き取れたときにはもう話がかなり逸れていた。
「わかんないっ。どうして?」
「俺、あなたのことが好きなんですッ!」
「・・・へ?・・・きゃっ!」
いきなりの言葉に私の注意は逸れ、泥に足をからめて大きく転んでしまう。
「だ、大丈夫ですか鈴歌?!」
「いたた・・・うん大丈夫・・・。」
服は泥まみれで、足もズキズキと痛む。
「鈴歌ッ!?」
後ろを走っていた恋夜たちも私のもとへと駆け寄る。
「大丈夫か?怪我は?!」
「うん・・・翔ちゃん、恋夜を連れて先行って。」
もし足を痛めたことを恋夜が気づけば私のことを担ぐとか言い出すかもしれない。
そんなの今の恋夜にできるはずがない。
だから私は先に恋夜たちを行かせる。
「俺は鈴歌と」
「俺がいるんで。恋夜は先にどうぞ。」
鈴歌の元へ戻ろうとする恋夜を碧くんが止める。
恋夜は碧くんを一瞬睨みあげたが、すぐに悔しそうな表情をし踵を返す。
「すぐに来いよ。」
「うん。」
そう言い、恋夜は翔ちゃんの肩を借りまた走り出した。
この場にはうずくまる私と、碧くんだけだ。
雨は先ほどより弱まり幾分碧くんの声が聞き取りやすい状況になっていた。
「すいません。俺がこんなときに告白なんてしてしまって。」
碧くんは膝を付き私に視線を合わせてくれる。
純粋でまっすぐとした目でいつものように見られる。
「ううん。ちょっとびっくりしただけだし・・・私こそこんなオーバーリアクションしてごめん。」
「いえ、驚くのも無理はありません。あまり関わりありませんでしたもんね。・・・立てますか?」
碧くんが立ち上がり、私に手を差し出してくれる。
私はその行動に甘えその手を取り立ち上がる。
「ったぁ・・・。」
「・・・足くじいたんですか?」
「別に大したことじゃないよ。行こう。」
私はヘラっと笑い、走り出そうとする。
しかし腕を碧くんに掴まれ阻まれ体が宙にふわっと浮かぶ。
「え、えぇええっ?!ちょ、碧くん?!」
「勝手なことしてすいません。ですが、少しの間だけ我慢してください。」
華奢な体からは想像もつかないくらいに力強く抱きかかえられる。
お姫様抱っこなんて他人からしてもらうなんてこと初めての経験なもので体中がカーっと熱くなる。
殺人鬼が後ろから追いかけてきてるかもしれないという状況なのにあまりにも不謹慎なことは私にだって分かっていたが、胸の動悸は止められない。
「だ、大丈夫だから・・・おろして・・・。」
「最後くらい好きな子守らせてください。」
「・・・んん?」
碧くんの言葉に私は違和感を抱く。
私を抱えたまま走るなんてあまりにも体力的にキツイものがあり碧くんはすでに荒い息をあげていた。
「きっと俺は殺されると思います。」
「ちょ・・・何言ってんの・・・。」
「だから後悔する前に伝えておきたかったんです。俺は、入学してからあなたにずっと惹かれてました。タフで明るく、しかも頭の回転も早いあなたをずっと俺は見てました。そして俺は絶対にあなたが殺人鬼ではないと思い、今回声をかけさせてもらいました。でも、あなたは俺が思ったより賢くなかったです。純粋過ぎました。あまりにも仲間を疑わなさ過ぎました。だからあの時河辺莉奈は殺されたんです。」
ずっと前を向いて碧くんは走り続けている。
先に行ったはずの翔ちゃんたちの姿が徐々に近くになり始めた。
「・・・え?どういうことなの?」
「あなたがもう少しでも河辺莉奈のことを疑っていたのならば、こんな結果にならなかったかもしれません。最善のシナリオが構築できたかもしれません。ですが、河辺莉奈が死んだ時点で、その可能性は0となりました。」
「莉奈は・・・生きてるかもしれないよ?それに、なんで莉奈を疑うと最善のシナリオができるの?私、碧くんの言いたいことがよく分からない。」
「・・・・・・・。ついたようです。」
走るスピードを徐々に緩め、地下壕入口前では歩いていた。
地下壕入口は多くの木々に囲まれた崖のところに死角となり存在していた。
私は碧くんに降ろしてもらい、これから先は自分の足で歩くと伝えた。
まどかが入口前でガチャガチャと何かをいじり、扉を開けた。
「さぁみんな入ってッ!早くッ!」
まどかの声にみんな我先にと地下壕へと入っていく。
「鈴歌・・・?」
「え?・・・あぁ、ちょっと足くじいちゃって・・・。」
「肩貸そうか・・・?」
「ううん。平気だから。それより早く入ろう。」
足をかばいながら歩いていることをまどかに察せられて変な気を使わせてしまった。
地下壕の中はものすごくカビ臭く、むわっとした湿気がひどかった。
「で、電気とかないの・・・?」
「ここになんかスイッチある・・・あっ。」
桃が扉付近にあったスイッチを押すと、地下壕内の明かりがぼやーっと灯される。
「何ここ・・・通路か何かなの?」
ここはまるで地下壕というよりは、地下道のようなところであった。
その道は永遠と奥に伸び、肉眼では先に何があるか確認できなかったがきっと外に繋がっているんだろうと思った。
綺麗とは言い難いがそれなりに整備されており、隣では水が流れていた。
外とはまるで世界が変わったように静かな空間であった。
「ここ・・・は・・・。」
「確かにここなら上の爆発は防げそうだな・・・!それに扉には中から施錠をしたから殺人鬼の野郎も入って来れねぇ・・・一安心だな。」
全員の顔つきが一気にゆるくなる。
ようやく恐怖から解放されたんだ・・・。
私もホッとし、ペタンと地面に座り込む。
「あーしら・・・助かったんだよな。」
私の隣に桃も座り込む。
その瞳にはうっすらと涙が滲んでいるようにも見えた。
「・・・来るはずになっている船の人が島の異変に気づいてきっと警察を呼んでくれるさ。」
「恋夜・・・生きてる?」
「はっ。生きてるさ。」
翔ちゃんの肩に体を預けたままだったが恋夜は八重歯を見せながらくしゃっと笑う。
滅多に笑顔を見せない恋夜が笑顔を見せたので私も自然と笑顔を取り戻す。
本当にあとは助けを待つだけ。
命を狙われることも、誰かが死ぬことももうない。
またあのキラキラとした日常が戻ってくるのだ。
1-8
不意に碧くんがわざとらしい咳をした。
それにみんなの意識は集まる。
「どうしたんだ碧?」
「・・・手紙にはこの殺人ゲームのことを、人狼ゲームだと例えていた。人狼ゲームというのは人の中に隠れた狼を探すというゲームだ。」
いきなり碧くんは何を言い出すのだろうと思ったと同時に、走っているときのことを思い出した。
確かあの時碧くんは犯人が分かった的なことを言っていたような気がする。
そういえば一番初めに話した時も、犯人を絞り込むようなことを言っていた。
まさかその話を今頃になって持ち出してきたと言うのだろうか。
もう誰も何も考えなくていい。
ただ助けが来るのを待つだけ、それだけでいいのに。
「永井くんどうした?もうその話はやめようぜ・・・。」
桃が苦笑いしながらそう言う。
みんな知り合いが死んだことを思い出したくはない。
もう未来永劫にしまっておきたい記憶なのである。
そんな記憶を呼び起こす話を好んできこうと思う人は誰もいない。
「そうだぞ永井。空気読め。」
「安藤くん。君はおかしいと思わなかったんですか?」
「・・・何が?」
「この殺人が、この爆発が、すべてがです。」
みんなが座り込む中、碧くんは立ち上がりみんなの視線を集める。
「まずはあの手紙内容です。伊吹姉弟にはもう話しましたが、天使の話を知る人はここにいるメンバーと佐藤さん、そして理事長の他には誰ひとりいないんです。そして人狼ゲームと称した殺人。何故犯人はわざわざ人狼ゲームと称したんでしょうか。そして突然の爆発。あれほどまで雨が降り注ぐ中あんなに炎が燃え盛るなんて爆発の度合いが簡単に想像できてしまいます。あれは一体何が爆発したものだったのでしょうか?あれほどの爆発を起こすための火薬は一体どうやって持ち運んだのでしょうか?そして何故あのタイミングで爆発なんて起こったのでしょうか?もしかして殺人鬼の意図なのでしょうか?ならば、何故あのような爆発を起こしたのでしょうか?謎、というよりはいくらかの矛盾が生じてしまうのです。」
いつも物静かな碧くんがここまで喋るものだから多くの人は驚いていた。
「もしあの手紙内容が真実を語っているのならば殺人鬼の狙いはある特定の人物・・・そうですねここではXと呼びましょうか。そのXの殺害。ならばこんな大それたことなんてせず極論、さくっと殺してしまえばいいだけの話です。しかし殺人鬼は佐藤さんを殺し、わざわざ胴と頭を分別し食堂へ飾りました。こんなことする意味は果たしてあったのでしょうか?いいえ、そんなの本来ならありません。」
「本来?どういう意味だ?」
「Xを殺すだけが目的ならそんなことする必要がありません。むしろ無駄です。ならば、目的は違うのです。」
「・・・ぁ。」
桃が小さく何か気づいたような表情をした。
「桃?」
「あーし意味分かっちゃった・・・。つまり永井くんが言いたいことはこういうことだろ?“X殺すのが目的じゃない。本当の目的はそのXをおびき出すこと。”」
「正解です大野さん。これは殺人鬼側の立場となれば簡単に分かってしまうことなのです。Xの親しい人を徐々に殺していけばXは我慢ならずに必ず自分の前に姿を現すでしょう。あの手紙は俺たちへではなかったんです。Xのために書かれた手紙だったのです。」
話がどんどん生々しくなり、空気がどんどん重たくなっていく。
つまり碧くんは何が言いたいのだろうか・・・。
そのXが私たちの中にいて・・・Xが名乗り出るまで殺人が繰り返される・・・そう言いたいのだろうか。
でも肝心の殺人鬼は今や私たちに近づくことはできない。
「はっきりと言います。俺は、殺人鬼をすでに特定しています。」
碧くんの言葉に世界が凍る。
何を言っているんだろうか・・・。
犯人が特定できた・・・?
え?それって犯人が碧くんの知り合いってこと?
「ど・・ういう意味・・・?」
「学年三位の吉原さんには必ずわかると思います。そう難しくない話です。殺人が起こったとき、必ずアリバイのなかった人間が犯人なのです。」
碧くんの純粋で真っ黒な瞳が私たち全員の目を捉える。
その瞳の奥で何を考えているかは私には汲み取れない。
しかし、きっと私とにとってそれは喜ばしいことではないことはなんとなく理解できていた。
「もう・・・やめようよ碧くん・・・。」
私はか細く訴える。
「もう・・・仲間を疑うのはやめよう・・・?佐藤さんや先生たちのことは見知らぬ愉快犯がやったことなんだよ・・・。莉奈だって絶対どこかで生きてるはずだよ。・・・もう苦しいのは嫌だ・・・。私たちの仲間は人を殺すような人間じゃない・・・!」
「り・・・んか・・・。」
ジッと碧くんの瞳を見る。
一瞬だけ、悲しそうな表情を浮かべた。
しかしまばたきをした際に、何かを決意したような表情を見せた。
「俺にはもう耐えられません。こんなに純粋にあなたのことを信じてるのに、それをずっと見過ごすわけにはいきません。だから俺は、言います。」
碧くんは小さく深呼吸をし、とある人物の方を指差す。
「白状してください、吉原まどか。あなたがこの事件の犯人だ。」
え・・・?
状況が理解出来ない。
えっと・・・何・・・?
碧くんは今、なんて?
まどかが?殺人鬼?
そんなの・・・
「そんなのありえるわけないじゃないッ!一体何が言いたいのッ!」
私は衝動的に碧くんのの胸ぐらをつかみあげる。
突然立ったせいで足が痛むが、そんなこと気にしてられない。
「吉原まどかは佐藤さんが食堂で発見させれる前、お手洗いに一人で向かいました。でもそれは嘘。真実は食堂へ一足先に向い、佐藤さんを殺害。そして何食わぬ顔でトイレに戻り、偶然か必然か河辺莉奈と遭遇。そしてきっとその際に河辺莉奈に鈴歌を殺害するように天使様の名を借り、命令したのでしょう。そして河辺莉奈は吉原まどかの言うとおりに鈴歌を殺そうとしたが誤って恋夜を刺してしまい気を失う。鈴歌たちは知らないでしょうが、実は鈴歌たちが倒れているのを見つけたのってお手洗いに行く途中だった吉原まどかだったんです。吉原まどかはその時、河辺莉奈をどこかに移動させ、殺害。そして大広間に慌てた顔をして戻ってきた。そして最後の殺人。これは至ってシンプル。小山慎太、先生、三宅真尋、矢田優樹をさくっと殺し、さも殺人鬼に襲われたかのように演じ俺たちをここまで案内する。・・・一体この部屋には何が用意されてるんですか・・・?吉原まどか・・・さん?」
全員の視線がまどかに向く。
まどかは俯いていて、こちらからは表情を伺えない。
私はそっと碧くんから離れまどかの方へ手を伸ばした瞬間、逆側の腕を誰かに引っ張られる。
「恋夜・・・?」
振りほどこうとしても力が強すぎて振り払えない。
なんで恋夜は私がまどかの傍に行くことを止めるの?
なんでそんな目をしてまどかを睨んでいるの?
なんで?なんで?
私たち同じクラスの仲間じゃなかったの?
もしかして碧くんの言葉を恋夜は信じちゃったんじゃないでしょうね・・・?
私は他の二人の顔も見る。
桃はおどおどとした表情を浮かべ、何をしたらいいのかわからず少しパニック状態であった。
逆に翔ちゃんは冷めた目でジッとまどかの反応を待っていた。
依然まどかは下を向いたまま動かない。
「ね・・・ねぇ・・・まどか・・・?」
ピクっと体が反応する。
そしてそれが合図だったかのようにまどかの体はプルプルと震え始めた。
「ま・・・どか?」
まどかの顔が少しずつ上がってくる。
そしてその表情は今まで見たことがないくらい冷め切っていた。
瞳はまるで死んだ魚のように濁り、生気を感じられない。
その瞳で見られるだけで心臓が凍てつくような感覚に陥ってしまうようだ。
「congratulation.」
おめでとう、と言いまどかは乾いた拍手をする。
静まり返った地下道ではその音も大きく、そして寂しく反響する。
「何、言ってるの・・・?まどか?」
「永井碧がまさかここまでの人間だとは思いませんでした。私は素直にそれを称えてあげてるのです。」
まるで機械が喋っているような感情の一切こもらない単調な口調だった。
「お前・・・誰だ・・・?」
さすがに翔ちゃんの顔も引き攣る。
あまりにも私たちの知っているまどかからはかけ離れていたからだ。
もうこれは別人と呼んでも過言ではなかった。
「私が誰であろうとなかろうと、それはこれからの貴方たちの人生には微塵の影響もありませんのでご安心を。」
「意味がわからねぇよ・・・まどか・・・あんた・・・ほんとにみんなを殺したのか・・・?」
「殺しました。使用人の佐藤は首の骨を折ったあと包丁でざっくりと切断しました。河辺莉奈は気を失っていたので人体解剖を兼ね腹を割いてハラワタをぐちゃぐちゃにして差し上げました。小山慎太、先生に至ってはとても感謝しています。もしあの二人が私の計算通りに小山慎太の部屋に行ってくれなければ毒殺はできなかったでしょうし。そして三宅真尋と矢田優樹は醜かったです。どんな顔をしていたのか気づいたらわからなくなっていました。・・・はい、私こそが今回の殺人劇の狼役です。」
スカートの先を指でつまみ、丁寧に頭を下げる。
その姿は目を奪われそうなほど美しいものであったが今は状況が状況だ。
唖然とした表情で私たちはまどかを見ている。
考えられなかった。
信じられなかった。
まどかが・・・まどかがこんなことをするなんて。
「嘘・・・だよね?まどかがそんなこと・・・嘘・・・だよね?」
「伊吹鈴歌。あなたはつくづくラッキーな女です。もしあなたがあの時死んでいたのならば河辺莉奈と同じようにぐちゃぐちゃにしてさしあげましたのに。」
「てっめぇ・・・!」
まどかの言葉が恋夜の感に触る。
まどかに飛び掛ろうとするが腹部の傷に痛みが走り、その場に再びうずくまる。
「伊吹姉弟はもとより候補より除外されていました。ですからさっさと死んでもらいたかったのですが思わぬハプニングが重なり最終候補と一緒にいることになってしまったのです。」
「さ、最終候補って・・・何・・・。」
「永井碧と大野桃の推測通りです。私はXを探しています。そのためにあのような手の凝った細工をしたのです。そして、あなたがたがその最終候補です。」
「だから・・・最終候補って何って聞いてんだろ・・・まさか・・・ほんとにあーしらの中に神に選ばれたうんたらがいるとか言わねぇよな・・・?」
「さすがにそれはファンタジーが強すぎます。でもあながち間違ってませんが、あなたたちが知るべきことではありませんので説明を端折らせて頂きます。」
まどかは一度ゆっくりと目を瞑り、深く息を吐いた。
そして目を開いた時にはいつものまどかの表情に戻っていた。
「調子が狂うならこっちで行こうか?」
「あなたってそれほどまでにタフな人間だったんですね。」
渾身の嫌味のつもりなのだろうが、まどかはニコニコと微笑むだけで何も言い返そうとしない。
「あなたは大きな過ちを犯しました。それはここの存在を明かしたタイミングです。あんなタイミングでこんな都合のいい場所、漫画の世界以外ありえません。あまりにも不自然過ぎました。あれさえなければ俺はきっとあなたを犯人だと見据えることは出来なかったでしょう。」
まどかは自嘲気味に笑いながら、その場でクルッと回ってみせた。
「・・・ここは戦時中、軍艦の保管に使われた基地だった。戦局はすでに守勢へと完全に変わっていて海軍本部は、回天搭載潜水艦の秘密基地計画を立案した。基地は絶対秘匿とするためのこの無人島が候補にあがったの。そして調査の結果、岸壁の大きな洞窟が潜水艦基地に転用可能と判断された。だけど日本に回天を乗っけるほど大きな潜水艦なんてもう持ってなどいなかったからこの島には配備されなかった。ここはね、そういう場所なの。忘れられた日本兵たちが、それでもお国のためにとジッと辛抱して待っていた忘却の地。」
「それが・・・一体どうしたんだよ。」
「翔ちゃん分からない?ここは戦争のために作られた場所だよ?秘密を守るためにもちろん自決用の爆弾は大量に所持してあったでしょうねぇー・・・。」
そう言われてようやく気づく。
上の爆発はそれが原因なのだ。
しかし戦争時代なんてもう何十年前の話なのだろうか。
そんな昔の爆弾が今もなお使えるのはおかしいのではないのだろうか。
「もう何十年前の爆弾が、何故使えるのか不思議でしょ?その秘密は理事長にあるの。理事長は昔ここに配属された日本兵だったらしいの。それで生き残った理事長はここを買取り、爆弾の保管をした。保管をした理由は、自殺用だってさ。理事長が過去にどんな大罪を犯したのか私にはわからないけど・・・まぁそのおかげで私は大爆発を起こすことが出来た。そこは感謝してる。」
「まどか・・・。」
私は何て言ったらいいのか分からなかった。
頭の中にはグルグルと今までのまどかの残像が周り、どうしても受け入れられない。信じられない。
「謝りはしない。これは私の仕事だから。」
まどかは真剣な目つきになり、スカートをひらっと捲りそこから何かを取り出した。
あぁ・・・あれはどこかで見たことがある。
どこだっけな・・・テレビのなかだっけな。
いや、もしかしたら現実でも私は見たことがあるかもしれない。
それでもあまりにも非現実的なのに、ものすごくリアルな物。
「何・・・だよそれ・・・!」
「拳銃。」
右手でそれを握り締めまどかは自分のこめかみに銃口を向ける。
「さっさと出てきてくれないと困るんだよね。殺したら怒られるのは私なんだから。」
「何を・・・言ってる・・・んだよ・・・!」
「桃は永井くんの話聞いてなかったの?私は探してるの。神に恵まれたハッピー人間を。」
「意味が・・・分からねぇよ!なんだよその神に恵まれた人間ってのは!それになんでまどかがそんなもん持ってんだよ!もう訳分かんねぇよッ!」
桃の声が地下道中に響く。
まどかは冷たい目でジッと桃を見た後、小さくため息を呆れたように吐く。
「・・・あぁもういい。分かった。どうせ、今も私の話には見向きもせずにここから逃げ出すことを考えているんでしょ?だったらもうこの話し合いは意味がない。だから・・・」
まどかはこめかみに当てていた銃口をゆっくりと離し、私たちのほうへ向けてきた。
私たちは思わず一歩ずつ、一歩ずつ後ろに下がる。
あれが本物かどうかなんて誰にもわからない。
それにまどかがあんなもの持っている理由もわからない。
まどかが本当に殺人鬼だったのかもわからない。分かりたくもないッ!
だけど体は私の意思に逆らい、今すぐにでも逃げようとする。
逃げちゃダメ・・・逃げちゃダメ・・・だってまどかは私の大切な友達ではないか。
「まど・・・かっ・・・。」
視界がぼやけ、頬に熱い雫が伝う。
しかしまどかの瞳は私の涙を冷やすほど冷たいものであった。
「みんなで最後に遊ぼうか。捕まったら死ぬリアル鬼ごっこの開始、ってね。」
パンっと乾いた音が響き渡る。
私たちは何がなんだか分からないまま立ちすくんでいた。
しかし数秒してまどかの銃口から白い煙が出ているのに気づいた。
まるで時間が止まったようだった。
そして
「う・・・うああぁああああぁあああああぁあああっ!!!」
一番最初に翔ちゃんが入口とは逆方向に悲鳴を上げながら走っていった。
「30秒だけ待ってあげる。ほら、逃げなよ。それかハッピー人間さんが私とついて来てくれる?」
まどかの狂気の笑顔に急に口が乾き始める。
これが、まどか・・・なのか?
もうホントに何もかもわからない。
何度心で自分に問いかけてみても何も答えが見つからない。
こんなまどか知らない。
「に、逃げましょうッ!」
ワンテンポ遅れて碧くんがそう残った私たちに言う。
「鈴歌ッ!行くぞッ!」
「え・・・あ・・・う、うん。」
恋夜に腕を引かれ私は立ち上がる。
腹部に怪我を抱えているはずなのにそんな雰囲気微塵と感じさせない。
「も、桃・・・!」
「う、うん。」
桃もフラフラとしながら立ち上がり翔ちゃんが逃げた方向と同じ方へと逃げていく。
私は一度振り返る。
まどかは拳銃をくるくると人差し指で回しながら私たちが逃げていくのをジッと見ていた。
「なんでまどか・・・こんなことを・・・。」
「わかりません。ですが今はもう関係ありません。吉原まどかは敵。それだけが分かれば十分です。」
碧くんは冷たく言い放つ。
「そんな・・・そんな言い方しなくてもいいじゃんか・・・!」
「・・・何怒ってるんですか。表情が強張ってます。」
「・・・っ・・・。」
私は碧くんを壁に押し付けたい感情に駆られたがグッと我慢をする。
そりゃ私だってバカじゃない。
だからまどかがもう敵だってことは客観的に見れば明らかってことくらいわかる。
だけど私はまどかの友達だ。
客観的に見れるわけがないじゃないか。
なのに碧くんはまどかをすでに敵と認識し、それをわざわざ口に出してまで言ってきたことが無性に気に入らなかった。
「きゃっ・・・!」
しばらく走ってまどかが見えなくなったとき桃が派手に転ぶ。
「桃ッ?!」
私は慌てて桃の方へと駆け寄る。
「ったぁ・・・・。」
桃の膝からは大量の血が流れ出ていた。
「だ、大丈夫?歩ける?」
私は自分の肩に桃の腕を乗っけようとするが、それを何故か拒否されてしまう。
「も・・・も?」
「・・・・・置いてって。」
「・・・えっ?」
「あーしはもうリタイアだ。置いてけよ。」
桃の言っていることが飲み込めない。
リタイア?置いていけ?
え?
「この怪我じゃきっとみんなに迷惑かけるし、あーし自身なんかもういいかなーって思っちまったんだよなー。だからあーしはここで辞退させてもらうよ。」
桃がいつものような笑顔で笑う。
だけどその声はかすかに震えていて、いつもの堂々としてカッコイイ桃とはあまりにも不釣り合いな姿であった。
「ダメだよ・・・桃・・・ダメ・・・ダメだよ・・・。」
「いいのいいの。あーしは平気だから。ほらあんらた先行きな?」
「やだ・・・やだ・・・絶対に嫌だッ!ねぇ桃?一緒に行こう?一緒に帰ろうよ・・・一緒に戻ろうよ・・・あの幸せで平凡だった日常に・・・帰ろうよッ!」
桃の肩にしがみつき必死に訴え掛ける
だけど桃の瞳はもう全てを諦めているようだった。
「なん・・・でっ・・・なんでそんな・・・目・・・桃ぉ・・・帰ろうよぉ・・・お願い・・・っ・・・だからぁっ・・・!」
「・・・・・・・・恋夜くん。鈴歌のこと、お願い。」
「・・・・鈴歌。」
桃に言われ、恋夜は私の腕を引っ張るが私は動かない。
「やだ・・・絶対に・・・桃・・・と、一緒がいい・・・。」
「鈴歌・・・お願い。恋夜くんと、永井くんと一緒に逃げて。」
「無理無理ぃ・・・!桃も行くの・・・!」
私は泣きながら桃にしがみついていた。
早くしないと銃を所持したまどかが来ることはわかっていた。
だから私だって早く桃を説得したかった。
だけど桃は一向に動こうとしない。
「桃・・・桃・・・。」
「・・・鈴歌ッッ!!」
私の肩を桃が掴み離される。
「ずっとあーしらは友達だから。何があってもあーしは鈴歌のことも、まどかのことも嫌いにならない。大好きだよ。」
ギュッと温かいものに包まれる。
桃の体は震えていた。
そしてすぐに離され、桃に背中を向けられる。
「・・・さぁ早く。あーしが時間を稼ぐから。その隙にどうか逃げ出して。・・・早くッ!」
「も・・・」
「鈴歌行きましょう。大野さんの心をどうか蔑ろにしないであげてください。」
碧くんに腕を引き上げられ、私は強制的に立たされる。
そして、桃に背中を向け見えもしないこの物語の結末に向かって走り始めた。
私が最後に見た桃は目が真っ赤に充血し今にも涙を流しそうな顔のくせに精一杯の笑顔の表情でした。
―――乾いた音が耳の奥で小さく響いたと同時に私の瞳から静かに涙がこぼれた。
1-9
本当にこれで良かったんだろうか。
桃はあのあとどうなったんだろうか。
まどかとどんな会話をしたのだろうか。
私たちはこのままいつまで走り抜けばいいのだろうか。
生きて帰れる保証が一体どこに存在しているのだろうか。
カビ臭いトンネルのような洞窟を永遠と走る。
前を走っているはずの翔ちゃんの姿も見えなければ、後ろにいるはずのまどかの姿も見えなかった。
だから私たちは何から逃げているんだっけ?と、ふと思ってしまうこともあった。
「・・・っ。」
地上でくじいたときの痛みがじわじわと広がる。
今までは無視してこれたけれでそろそろ限界を迎えそうであった。
ふと隣を見ると恋夜も相当苦しそうな表情をしていた。
腹が刺されて絶対安静を言いつけられたのに今こうして走っているのだから辛いのは当たり前だ。
「・・・あの。」
不意に碧くんが立ち止まるものだから私たちも立ち止まる。
足首の痛みのせいで変な汗まで体中から吹き出ているような気がする。
「どうしたの?」
「俺、急用思い出しましてお二人には先に行ってもらいたいのです。」
「・・・はっ?」
そのとき私たちは碧くんの意図を理解してしまう。
碧くんは・・・私たちを・・・。
「・・・何・・・言ってんの・・・。」
顔が引き攣る。
「聞こえませんでしたか?お二人には先に行ってもらいたいって言ったんです。」
「だから・・・何の冗談っ・・・。」
「お願いです。行ってください。」
碧くんのあの瞳は強く凛々しい。
純粋すぎる黒色の瞳が私をまた飲み込もうとする。
「私・・・もう・・・誰も失いたく・・・ないよっ・・・。」
「・・・・・・・。・・・それは俺も一緒です。だからきっと俺は卑怯者なんです。俺は自分が傷つきたくないから、いち早く逃げ出すんです。」
困ったようにくしゃっと笑った。
なんでこんな時にそんな表情を浮かべられるの?
「ふざけないでよ・・・。」
「俺、言いましたよね。あなたのことが好きだって。中学の時は信じてませんでしたよ、そんな色恋沙汰なんて。だってくだらないじゃないですか。いつかは別れてしまうのに、いつかは気持ちが冷めてしまうのにそんなことに時間を浪費するなんて。でも俺貴方に出会って変わってしまったんです。あなたへの気持ちの永遠を信じてしまったんです。」
「なんで・・・私なの・・・私何もしてないじゃないっ!」
「それを一番知りたいのは俺なんです。でも恋って理屈じゃないんじゃないでしょうか。相手を大切に思うのに、はっきりとした理由なんてむしろ無粋なんじゃないでしょうか?俺は鈴歌に惚れました。鈴歌のことを心から好きだと言えます。しかし、恋は錯覚。恋は勘違いという考えが消えたわけではありません。いつかこの想いが薄れてしまうことが一番恐ろしいんです。ですから俺はきっと幸せ者です。鈴歌への気持ちを抱いたまま、そのまま時を止める魔法を知っているんですから。」
「碧・・・くん・・・。」
精一杯の笑顔を見せてくれる碧くんに私は涙が止まらなかった。
私には今何を碧くんにしてあげるべきなのかが分からない。
分からないから辛い。
だから涙が止まらないのだ。
「・・・泣かないでください。湿っぽい別れは得意じゃありませんから。」
「うっ・・・ひっ・・・碧・・・くぅん・・・私っ・・・どうすっればっ・・・ひっぐぅ・・・。」
「笑って。」
碧くんの暖かな両手が私の顔を包む。
そして親指で私の瞳から流れ落ちてくる涙を拭い、今までに見せたことがないくらい優しく微笑みかけた。
「笑ってください、鈴歌。それが俺のわがままです。このくらい許されますよね?」
その言葉の裏に隠された意味が痛いほど伝わってきた。
胸が強く締め付けられ、息もできないくらいに苦しい。
この人は私のために・・・死ぬつもりだ。
その覚悟を私は知ってしまう。
碧くんに聞きたいことはたくさんあった。
まだあまり絡んだことがないからもっと絡んでみたかった。
もしかしたら私が碧くんのことを好きになる未来だってあったかもしれない。
その可能性を潰すこの運命がヒドく許せなかった。
「碧くん・・・嫌だよ・・・絶対・・・いやだよぉ・・・!」
私は碧くんの両腕を掴み、必死に訴えかける。
でも碧くんの強い瞳は一片の迷いも見せなかった。
「恋夜・・・。」
「・・・永井・・・ホントにいいんだな・・・?」
「はい。鈴歌を守ってください。お願いします。」
「・・・・・・・・行くぞっ。」
「やだっ・・・離してっ!碧くん!碧くんッ!」
恋夜に腕を引かれ、強制的に碧くんの離れさせられる。
私は必死に抵抗してみせる。
だけど距離はどんどん離れていき、どんどんと碧くんの姿が見えなくなっていく。
「碧くうううううんっ!!うああああ・・・あああああああぁああぁあぁぁぁあああっ!!」
溢れる涙を拭う手間さえ煩わしい。
私は必死に叫び続ける。
だけど声は冷たい洞窟を乱反射し、消えていく。
しばらくして、三回乾いた音が小さく聞こえた。
1-10
「なんで・・・・なんでっ・・・碧くんが・・・残んなきゃいけなかったのっ・・・!」
「・・・・俺らのことをかばってのことだろう。」
「でも・・・碧くん何もしてないじゃん・・・私が・・私がもっと早く行動しと」
「鈴歌ッ!」
急に大声をあげられ体がこわばる。
ゆっくりと振り返ってくる恋夜の表情は怒っていた。
「何・・・よ・・・。」
「お前は何もわかってねぇ。」
「分かってないのは・・・恋夜のほうでしょ・・・。恋夜だって・・・恋夜だって私が」
「黙れッ!」
壁にドンっと押し付けられ恋夜の顔が近くなる。
「だま・・・れよっ・・・!」
「なんで恋夜は碧くんや・・・桃を見捨てたの・・・?」
「見捨てたわけじゃねぇよ・・・。」
「もしかしたら・・・もしかしたら私たち全員でまどかを説得できたかもしれないじゃない。なんでそのチャンスを切り捨ててきたの?」
「んな可能性の低いこと出来るわけねぇだろ・・・。」
「なんでそんなこと言えるのよッ!」
恋夜の胸ぐらを掴み、今度は私が恋夜を壁に押し付ける。
「まどかはきっと誰かに脅されてあんなことやってるんだよッ!私たちの知ってるまどかはあんなことしないものッ!それが分かっていながらもなんで?!なんで話し合いもしようとせず逃げ出したりしたのッ!?」
恋夜は何も言わない。
ただうつむいているだけ。
私はそんな恋夜の反応が腹立たしくてならなかった。
そしてなにより、今まで何もできなかった自分自身にも無性に腹が立っていた。
その鬱憤を晴らすかのように私は恋夜にぶつけた。
「おかしでしょ!?何もかも全部おかしいよッ!なんでみんな死ななきゃだめなの?!なんでみんな私の命なんて優先するのッ?!みんな自己犠牲も甚だしいよッ!私が・・・私が・・・私のせいだ・・・全部・・・私が・・・。」
私はその場に座り込む。
同時に恋夜も壁に背中を預けたまま座り込んだ。
「やだよ・・・もう・・・こんなの・・・嫌だよぉ・・・。返して・・・元の日々を・・・ようやく・・・ようやくたどり着いた私の幸せをっ・・・お願いだから・・・・返してよぉ・・・。」
引っ込んでいた涙が再度溢れ出す。
もう今日だけで何回泣いただろうか。
涙は枯れることを知らなかった。
「もう・・・自分を責めるな。」
ようやく恋夜の重たい口が開いた。
「自分を・・・責めるな・・・?・・・ふざけんなよ・・・ふざけんなよッ!私が残れば良かったんだッ!私が残って時間稼ぎをしとけばみんな生きて帰れたんだ・・・いや・・・もっと前に私がしっかりしとけば・・・こんな殺人事件起こるなんてこともなかっ」
「ふざけてんのはてめぇだッ!」
両肩を乱暴に掴まれる。
私は睨みつけてくる恋夜の目を睨み返した。
「私のどこがふざけてるって言うのよ。」
「俺は鈴歌さえ生きてくれればそれでいいんだ。」
「・・・は?」
「俺はあの時誓ったんだ。何があっても鈴歌を守りぬくって。もう二度と鈴歌に辛い思いはさせねぇって。」
「あんたの都合なんてね・・・他の人たちに関係ないでしょ・・・。そんなことで他の人たちの人生踏みにじるなんて許させるわけないじゃないッ!」
「あぁ関係ねぇよッ!でも俺にとっては他のやつらの人生の方がもっと関係ねぇんだよッ!鈴歌が生きるために出る犠牲なんて、鈴歌の命にはこれっぽっちも及ばねぇッ!」
「何・・・言ってんのあんた・・・そんなの・・・間違ってる・・・!」
「間違ってるなんて周りがなんと言おうと俺は俺のエゴを貫く。偽善者だって罵られようとも、それでも貫かなきゃならねぇもんは失っちゃならねぇんだッ!」
まさか恋夜がここまで私のことを考えてくれてるなんて思いもよらなかった。
確かに少しシスコン気味なとこはあるとは思っていたが、流石にこれは行き過ぎなのではないだろうかと一瞬だけ思った。
だけど、そんなことより何とも言えない心がホワーっとするような温かい気持ちに包まれた。
「恋夜・・・あんた・・・正真正銘のバカだ・・・。」
「うるせぇよ。ほら、さっさと行くぞ。」
恋夜が立ち上がり私の方へ手を伸ばしてくる。
私はその手を強く握り、二人はずっとずっと長い洞窟の中をひたすらと走って行った。
1-11
嵐が過ぎ去ってあれだけ長いこと島を包んでいた重苦しい雲が晴れていきます。
その後やってきた警察により現場検証が行われました。
最後まで生き残ったとされる地下道にいた生徒たちの遺体はとうとう発見はされませんでしたが、発見された身体の一部や凄惨な現場状況に生徒10人、教員1名、使用人1名、計12名全員の存命は絶望的だと思わざるを得ませんでした・・・。
天使の復活の儀式が如何なるものだったのかは彼らにのみ語られる物語。
猫箱の外の人間たちに残された人間たちに語る物語などありはしません。
ただただこの二日間に何があったのかを想像する他ありません。
2-1
「おはよう。」
久々に聞いた彼の声で私は目を覚ます。
まだ体が思うように動かない。
「・・・ん。」
「もう昼だぞ。飯出来たから早く起きてこいよ。」
彼はカーテンを開け放つとスタスタと部屋から出て行ってしまった。
太陽は高く昇り、眩しい光が体いっぱいに浴びせられる。
私は一度布団に潜り込みもごもごとするが、お腹が減っていたことを思い出し仕方なく布団から体を起こす。
時計を見れば12時をすでにまわっていた。
「昼間っから肉・・・。」
テーブルに並んだ豪勢な料理の数々を見て少しげんなりする。
「お前かなり疲れ溜めてんだろ?しっかり栄養つけてさっさと元気になりやがれってんだ!ほら座った座ったー!」
ハーフがかった顔立ちの彼が私の背中を押し、椅子に座らせる。
私は仕方なく目の前にある料理たちを半ば無理矢理口へと詰め込む。
「久々に食べる俺の手料理はいかがですかぁー?」
「ん・・・まずまずなんじゃない?」
「なんだよそれ。」
彼は苦笑しながらコップにオレンジジュースを入れ、私の前に置いてくる。
「ちゃんと飯食ってたか?」
「まぁそれなりに。」
「野菜もちゃんと摂取してただろうな?」
「あぁもう、うるさいな。」
「うるさいとはなんだ!俺はお前の執事として当然の心配をしているんだ!」
私は小さくため息を吐きながら肉を口に運ぶ。
執事ならもっと私のことをお嬢様扱いすべきなのではないのだろうかと思ったが、そんなことされると息がつまるので今のままでいいやと思い直した。
「リッター。」
「ん?ジュースのおかわりか?」
「違う。このあと本部に報告に行くから準備を。」
「おー、了解。じゃあちょっと支度してくるからお前はちゃんと残さず食べろよな。」
「・・・はいはい。」
彼、リッターはせかせかと部屋から出ていく。
私はようやく静かに食事が取れると清々する。
・・・久々にこっちの、米国の部屋にと帰って来た。
今まではずっと潜入任務のため日本のマンションに住んでいたからこちらの一軒家が懐かしい。
リッターも一週間ほど前から他の仕事があると行って米国に先に帰ってしまったので久々に会う。
私はリッターの言いつけ通りに全てのものを食べ終え席を立つ。
きっと今頃日本ではてんやわんやしているに違いない。
部屋に一度戻り私は私自身の支度をすることにする。
本部に出向くのだから本部から支給されている制服を着用する。
日本の女子高生が着るような制服が私に支給されているのはきっとリッターの趣味に違いない。
私は少し迷惑に思いながらも文句一つ言わずに着てやる。
短いスカートをはき、カッターシャツに腕を通しネクタイを結ぶ。
そして髪の毛に二、三度クシを通して鏡の前に一度立つ。
まぁこのくらいで大丈夫だろう。
「マギサ入るぞ。」
誰かが私のことを呼びながら扉を開けた。
誰かと言ってもこの部屋には私とリッター以外誰もいないから相手はもうわかっているのだけれど。
「こっちの準備は出来たわ。」
振り返るとそこにはさっきの服装とはかなり異なり、燕尾服を着た執事が立っていた。
「あんたのその姿久々に見る気がするわ。」
「へっへ。俺だって久々に着たさ。」
「それにしてもなんでその服なの?本部から支給されている制服は他にもあるでしょ?」
「今日は本部に仕事として赴くんじゃなくて、マギサお嬢様の執事として行きますもので。」
「・・・いい趣味ね。」
皮肉を言ったつもりなのに何故だかリッターは嬉しそうだった。
私はそんな浮かれ気味なリッターの隣をつかつかと通り過ぎ、先に部屋の外へと出る。
「あっ、ちょっと待てよ!」
慌てて私の後ろをリッターがついてくる。
全く退屈させないやつだ。
「総帥に連絡は?」
「しといた。」
「それで?」
「2時からなら時間が取れるそうだ。もうそろそろ出たほうがいいな。」
「そう。じゃあ行きましょう。」
私たちはそのまま流れるように外に出、車に乗り込んだ。
向かう先は私たちが所属する組織、act本部。
賑やかな町並みとは合わないまるでギリシャ神殿のような造りをした建物の前に車が止まる。
門の前には大勢の人間たちが押し寄せていた。
「act様万歳ッ!act様ァ!」
数十人の人間たちが大声でそう何度も繰り返して叫ぶ。
関係ない人たちは冷ややかな目でそれを見ながらさっさと通りすぎる。
私たちは前にいる人間がいる表門を通り過ぎ裏門から中へと入っていく。
「はぁ・・・なんかより一層タチ悪くなってない?」
「しゃーねーだろ。一応ここ宗教組織ってなってるんだから。」
建物内はまるで中世ヨーロッパの宮殿のようだった。
絢爛豪華な調度品が並ぶ廊下を抜け、私たちは最上階の部屋へと向かう。
「失礼します。」
重そうな扉を二度ノックし、私の代わりにリッターが扉を開く。
廊下とはうって変わり室内は落ち着いたオフィスのような場所であった。
客人を招くソファーと、巨大なテレビ、そして一番奥には社長席。
椅子は私たちのほうを背に向け、座っている人物は巨大な窓の外を眺めているようだった。
「よく来たな。マギサ、我が愛しき娘よ。」
椅子がゆっくりと周り、私たちの方へとその姿を現す。
「お待たせして申し訳ありませんでした。」
「待ってなどおらんよ。いつも時間通りだ。ハッハッハ。」
中年の男はふくよかに出た腹をバシバシと叩きながら豪勢に笑った。
私は扉前から、男の座る社長席の前まで足を進める。
リッターは本物の執事のように扉の前でジッと立っていた。
「報告を致します。」
「ちょっと待て。」
「?はい。」
「一時間後に会議が行われる予定になっている。いちいち二度も説明するのは面倒だろう。報告はその場でいい。」
「左様ですか。了解致しました。では私どもはこれにて一旦失礼します。」
私は頭を下げその場から退散する。
重苦しい扉をバタンと閉めたと同時にリッターが大きなため息を吐いた。
「あの部屋あいっかわらず息苦しいっちゃありゃしねぇ。」
「当たり前でしょ。威圧感じゃなきゃ、総帥なんて務まらない。」
私は止まらずにつかつかと歩き進む。
「どこ行くんだ?」
「特別室。あんたも自分の職場に戻ったら?」
エレベータに乗り込み4という数字を押す。
チンという軽い電子音で4階への到着が伝えられ扉が開く。
またもや中世ヨーロッパのような造りをした廊下が広がっていく。
ここでは私だけが降り、リッターを乗せたエレベータは下にと降りていく。
3階には特別室の他に何室かの居住スペースが設けられている。
私たちは何個かのドアの横を通り、一番奥の重そうな扉に手をかける。
「おっ!マギサじゃねぇか!」
金髪の長髪を後ろで縛り、体中にアクセサリーをつけまくっている白人がキラキラとした視線をこちらに向けてくる。
私は小さくため息を吐き、部屋に入っていく。
「あんただけ?」
「お、俺だけじゃ不満なのかよっ!」
「別に。」
室内は相変わらずごちゃごちゃしていた。
巨大なテレビに派手なピンクのソファー。
モノトーンのいかついコンボや、何故かバスケットゴールまで壁に取り付けられている。
私は備え付けのキッチンへ向い冷蔵庫を開けすぐに力任せに閉じる。
「・・・・・・ち。」
「どうした?」
「なんでコーラばっか入ってんのよ・・・!」
「あぁ、それは俺が箱買いしたげふっ!」
ヘラヘラっと笑う口に拳がめり込む。
私は眉間を抑えながら派手なソファーに座り込む。
「で、他の二人は?」
「まだ帰ってきてない。まぁ会議には間に合うんじゃねぇの?」
「会議のことあんた知ってたの?」
「いや、俺は総帥に今回のことを報告しようと思って来たんだけどいきなり会議をするから部屋で待機しとけって言われて・・・。マギサもか?」
長い黒髪を耳にかけながら小さく頷く。
「会議なら会議用の資料作ってくるのに・・・いきなりすぎるわよ。」
「およよ?天下のマギカ様が愚痴ですか?こりゃ珍しい。」
「黙らないと殺すわよ?」
「ひっひっひ。相変わらず冗談通じねぇな。」
主張が強い赤の椅子でクルクルと周りながら笑っているやつを見るとなんだか無性にイラっとしてきた。
その時、誰かがこちらに向かってくる気配がした。
「お。どちらかのご到着かねぇ。」
彼は椅子から飛び降りて扉を勢いよく開けた。
するとそこには満面の笑顔を浮かべた幼女が立っていた。
「おおカノナス!久々だなぁ!元気してたか?!」
「アトゥさんお久しぶりです!カノはいつも元気いっぱいだよ!」
まぁ入れ入れ、と言いながらアトゥはカノを室内に入れる。
黒髪を綺麗にツインテールをしたまだ10歳にも満たないような女の子カノはソファーに座り込んでいる私を見るなり走って飛びついてきた。
私は思わず倒れこみカノに押し倒されるような格好になってしまった。
「マギサさん!会いたかったです!」
「え・・・あぁ・・・久しぶりカノ。」
顔を引きつらせているのが誰から見ても明白だった。
しかしカノはそんなことを気にする様子もなく私に顔をすり寄せてくる。
「あー!カノだけずりぃぞ!おっれもー!」
アトゥが私たちに向かって飛んでくるがカノがキリっとアトゥのほうを睨みつけ、飛んでくるアトゥに飛び込んでいく。
そしてクルッと宙で一回転しアトゥの頬に蹴りを食らわせた。
アトゥは自らが飛んできた方向へと戻って行き、扉の外へと転がっていく。
「カノとマギサさんの愛ある時間を邪魔する奴は例えアトゥさんでも許しませんッ!」
地面に華麗に着地し、カノはファイティングポーズを決める。
「カノまた腕あげたわね・・・。」
「はいっ!全てはマギサさんとの甘美なる時間のために、ですっ!」
子供らしい無邪気な笑顔を浮かべるが言ってることはかなり恐ろしい。
私が何も言えずに苦笑いをしていると、扉の向こうからため息の音が聞こえた。
「ったく・・・ちょっとくらい勘弁してやって欲しいっすよー。」
見ればそこにはアトゥを担いだ私よりも少し年下であろう男の子が立っていた。
日本人の顔立ちをしており、髪は染め粉で赤くなっている。
少しやんちゃっぽい印象を与えるのに、その身長で幼さがにじみ出ていた。
「バベルさんも戻ってきたんですね!おかえりなさい!」
「カノちゃーん・・・もう少しアトゥに優しくして欲しいっす。」
困ったように笑いながら伸びているアトゥをバベルはその場に投げ捨てた。
「ってぇ・・・・ん・・・?はっ!お、俺は一体何を?!」
「目覚めたっすか?」
「ん?お!バベルじゃねぇか!うおおおおおお!」
抱きつこうとするアトゥをかわし、バベルはそのへんにある椅子に座り込んだ。
「俺らが全員集まるなんて何ヶ月ぶりっすかねぇ。」
「そういえば久々なような気がするな・・・。」
かわされた際に打ったおでこを抑えながらアトゥも椅子に座る。
私は改めて全員の顔を見直す。
私のすぐ隣にくっついているのはカノナス。
中国人の女の子で年齢は9歳くらいだろうか。
手に大切そうに抱えているくまの古ぼけたぬいぐるみでひとり遊びに夢中になっている横顔は子供そのものだった。
そして向かいのパイプ椅子に座るのがバベル。
14歳のまだまだ子供なのだが、時折大人顔負けの考え方をすることがある。
私はそんなバベルのことを少し苦手に思っていたりする。
いかつい赤毛に耳のピアスも少し気に食わない。
最後に、少し離れたところにアトゥが座っている。
アトゥとは一番境遇が近いこともあり、一番長く共にいる人間だ。
黄色人種の特徴なのかいつもニコニコし、異常なまでのフレンドリーだ。
この部屋に居るべき人間は以上で全て。
私たちはそれぞれ時間が訪れるまで適当に時間を潰しあっていた。
2-2
重苦しい会議室の空気に耐え切れないと言わんばかりにカノがため息を吐いた。
広い会議室を円に囲うように置かれた机椅子。
少し離れた壁際に私たち4人は立ち、スーツを着たお偉いさんたちが座るのをジッと待っていた。
用意された席は10つ。
その中で一つだけ明らかに品の違うものが一番上座に置かれていた。
「・・・なぁ。」
アトゥが小声で話しかけてくる。
この場での私語は慎むべきだと睨むがアトゥは言葉を紡ぐ。
「枢機卿と総帥、合わせて席って6つのはずじゃなかったか?」
「・・・スポンサーでも来てるんじゃない?」
私はテキトーに答えたのだがそれを本気にしたのかアトゥは納得したように黙った。
それならそれでまぁいいんだけども。
お偉いさんたちが全員座り終わり、とうとう最後にはあの品の高い椅子だけが空いていた。
シンと張り詰めた空気の中しばらくして、観音開きの扉が勢いよく開け放たれた。
私たちは頭を下げ、その方を迎える。
「お待たせしましたな。」
よく出た腹を揺らしながら中年のおじさんが笑いながら入ってくる。
座っていた人たちも立ち、その方が席に座るのをジッと待つ。
それだけであの人がどれだけ地位の高いものか安易に想像がつく。
「それでは報告会議を始めましょうか。まずは一度説明からしていただこうかな。・・・ミスティコ。」
「はい、総帥。」
総帥の隣に座り、ミスティコと呼ばれた長いブロンドヘアーを一つにまとめ黒縁メガネをしているスレンダーな女がパソコンを操作し始める。
そうすると各々の机の前に配備された画面に文字のようなものが映し出された。
ミスティコはマイクを自分の前に置き、一度深呼吸をしてしゃべり始めた。
「僭越ながらここより先はワタクシの方よりお話させて頂きます。」
actと表示された画面が切り替わる。
「我が組織は教祖、アンオトニオ・ボーンにより開かれた宗教組織でございます。教祖様が亡くなられた今現在ではその息子であらせられるジャック・ボーンが総帥となり組織を切り盛りされております。そして我らが総帥が計画した人類統一計画を実行すべくために、信者の他に中位の特別級、諜報部、暗殺部、工作部、そして科学部を新たに10年前に設けました。人類統一計画とは、」
一度しゃべるのを止め、また画面が切り替わる。
私たちには画面は渡されていないので前に座っている人の画面をチラっと見ることしか許されていない。
「人類統一計画とは、地球を統一し新しい世界を創造する歴史的な計画でございます。今の世界は各々の首相、大統領、王が統一しています。しかしこのような制度ではいつまでたっても世界は進歩しないと総帥は考え、人類統一計画というものを施行しました。その計画には古代兵器アルマ・カタストロフィの存在が必須でございます。」
画面に細かい文字が表示される。
古代兵器、アルモ・カタストロフィ。
アルモ、ラテン語で兵器。カタストロフィ、ギリシャ語で破滅。
名のとおり、破滅へと導く史上最悪の古代兵器。(以下、A・Cと略す。)
A・Cは1万年に一度太陽の廻りと星の導きの日に、ある場所(その年によって異なる)で生まれた人間の血液のことを指す。
しかし、宇宙のパワーに恵まれた人間なので、とてつもない力を持っている→天変地異を促し、世界を滅亡させることも可。
「今から19年前、総帥がその地位に君臨した一年後に総帥は科学部を設置しA・Cの研究をさせ、そしてその二年後、日本にA・Cから発せられる特殊な周波数を察知しましたが、すぐに行方を失い後の16年後・・・半年前に微弱ながらA・Cの周波数を察知いたしました。しかしその周波数はいくつも存在し、A・Cを特定させるのにはかなりの時間と労力を費やすことがわかったのです。そこで総帥は特別級を派遣し、現地捜査を行わせていたのです。それでは特別級、No.01マギサ、No.02アトゥの二名は報告をお願いします。」
ミスティコの目線が私たちの方へ向けられる。
「いい結果は期待できそうにないな・・・。」
誰かの声が耳に入った。
私とアトゥは前へと行き、ミスティコからマイクを受け取る。
そうです枢機卿・・・あなたがたの期待には答えられません。
アトゥがまずマイクを握る。
「特別級、No.02アトゥ。今回の報告を申し上げます。総帥からの命により私はA・Cがいると思われる○×県○○市にある△×第一高校農業科へと潜入しました。しかしA・Cと思われる人物は発見できず、やむなく最終マニュアルを施行。しかしA・Cは発見できませんでした。以上のことから今回の科学部による特定は外れたこととなり、私はその日のうちに帰国。そしてこの場で報告に預かりました。以上です。」
淡々と喋るアトゥの瞳には生気は宿っていなかった。
無機質なロボットのように事務的な動きには感情なども感じられなかった。
椅子に座っている人間たちは不服そうな表情でアトゥを睨んでいた。
しかしそんなのにアトゥは動じることもなく・・・いやただ単に何も感じなかったかもしれない。
アトゥは冷たいマイクを私に回してきた。
「・・・特別級、No.01マギサです。続けて今回の報告を申し上げさせていただきます。No.02と同刻に総帥から命を受けA・Cが存在すると疑われる一方の高校、××区に開校している△○私立□□高校特別進学コースへと潜入致しました。人数が少ない割に、A・Cのみを特定することはできず、学校行事で行われた勉強強化合宿の際に最終マニュアルを施行。証拠隠滅と、A・Cをおびき出すために島そのものを爆破したのですがA・Cと思われる人物は存在しなく、科学部の特定が外れたのを確認しその日のうちに帰国。以上です。」
やはり老獪たちは不服そうな表情を浮かべている。
「・・・やはり・・・今回は失敗したようだな。」
重たい口をゆっくりと開いたと同時に一気にその場の空気が凍てつく。
総帥の声のトーンが低く思わず体中から変な汗が吹き出そうになる。
「A・Cが特別級と同じ史上最悪の人体実験被験者だと言うからお前らを派遣したのだが・・・。」
「ご期待に添えずに申し訳ありません。」
二人して頭を深々と下げるが隣で小さくアトゥが俺らのせいじゃねぇよ・・・とつぶやいた。
それでも期待に添えれなかったのは私たちの責任なのだからそのくらいは我慢してもらわないと困る。
「科学班が開発したA・Cの周波数を察知する装置では似ている周波数を出している人間すら察知してしまう。だからお前ら特別級を派遣し、直接捜査をしてもらいA・Cを連れて帰ってもらう予定だったのだが・・・。最終マニュアルを施行してしまったのか。」
「似ている周波数を発している人間が数人おりまして最終マニュアル、A・Cを見つけ出すために皆殺しという選択をさせてもらいました。あの場にA・Cがいたとすれば必ず生き延びているでしょう。何故ならA・Cは我らと同じ境遇の人間であり、とてつもない身体能力を手に入れているのですから。ですがその場から周波数は完全に消滅し、人間が生きていることはなくなりました。」
「・・・私がこの地位について早19年。この計画はその時から既に練られていた。」
総帥は立ち上がる。
全員の視線が総帥へと集められ、その場の空気が一気に今まで以上に冷たく固まる。
まるでそこは完璧な世界のように、息を衝いてしまうことすら許されない世界だった。
総帥はそんな世界を一番上から見下ろすのを心地よく思っているのかにやりと笑い、息を吸った。
「我が手に世界を。偉大な正義の名のもとに、今こそ世界をッッ!!」
2-3
そのあとすぐに私たち特別級の人間は外に追い出された。
中では上位の人間が私たちの知らない話し合いをしている。
アトゥは大きく伸びをしながらため息を吐いた。
「あぁくそっ。いつのながらにしてあの場は空気悪すぎるぜ。」
「しかもアトゥさんたち思いっきり睨まれてたっすからねぇ・・・おつかれっす。」
ガクンと下がっている肩をバベルが苦笑いしながら叩いた。
私たちは一度あの部屋へと戻った。
バベルがお茶の準備をすると言い、キッチンからは日常的な生活音が聞こえだした。
「んー、なんかこの感覚久しぶりだな。」
「カノ、最近ひとりだったから・・・今日すごい楽しい。」
カノのその一言にアトゥは一度沈んだような表情をしたが直ぐに優しく柔らかい表情を浮かべカノの頭を二、三回撫でた。
「安心しろカノ。俺らはずっと一緒だかんな?」
「・・・うんっ。」
あどけない表情を浮かべるカノに複雑な笑顔を浮かべる。
私はそんな二人のやり取りを見ながら、どこか現実から離れていくような感覚がした。
目の前の色が灰色に満ちていき、枯れ果てていく。
あぁ・・・ここはどこだろう。
懐かしいような鋭い空気が体中を刺す。
コンクリートに囲まれた狭い部屋で私は一人ぼっち。
あれ、なんでこんなところにいるんだろうか。
左の二の腕には201というやけどの跡がある。
体中は生傷だらけ。
服も使い古した雑巾のような色をしており、とても健康で文化的な生活をしているとは思えない。
・・・・あぁそうだ。
ここは私が・・・
「お茶が入りましたっすよー。」
バベルの機嫌の良い声と共に私はハッと現実に引き戻される。
「・・・なんで・・・。」
「ん?どうかしたかマギサ?」
こめかみを抑えながらため息を吐く私にアトゥが声をかけてくる。
私はなんでもない、と言いバベルから紅茶を受け取った。
匂いからしてアールグレイだろうか。
柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐる。
少し早い心音を落ち着かせるように私は紅茶を口に含んだ。
「それにしても、」
紅茶にミルクを足し、ミルクティーを飲んでいたアトゥが静かなティータイムに口をはさんだ。
「また俺ら派遣されるんだろうな・・・。」
その言葉に部屋の空気は静かに重くなり始める。
「・・・だと思うっすよ・・・。総帥はA・Cがどうしても欲しいらしいっすから・・・。」
「でもだからと言って、最終マニュアルはやりすぎだと思わねぇか・・・?」
「そりゃもちろん思うっす。でも、俺らがそれに逆らう権利はないんすよ。」
一人だけ空気が読めていないのか、カノは大切にしているぬいぐるみで遊び始めた。
「・・・俺、正直・・・ん。」
アトゥは言い淀む。
果たしてこれをここで言ってしまっていいのかわからなかったのだろう。
それはきっと正しいはずだ。
それを言ってしまえば私たちは分裂してしまう。
全て全てが終わってしまう。
だから言えない、言ってはならない。
みんなそんなことは分かっている。
だからアトゥの気持ちを察すことができるのだ。
「・・・私たちは、総帥に救っていただいた。だからこれはその恩返し。やるべき義務。責任。」
「わかってるさ・・・そんなこと。」
「生きる希望を失い、廃人同然だった私たちに光を与えてくれた。逆らうことなんて許されないんじゃない、私たちが許しちゃダメなの。理解・・・できるわよね?」
アトゥとバベルは黙り込む。
私は少し冷めた紅茶の一気に喉に流し込み、席を立った。
「私はそろそろこの辺で。また会いましょう。」
「えっ。マギサさんもう行っちゃうの?!」
「えぇ。家のことがまだ残っているからね。」
「・・・そっか・・・マギサさん総帥のお家に住んでるんだもんね・・・一緒にここに住んでないんだもんね・・・。」
エレベーターからこの部屋に至る途中で見かけた部屋の扉は、ここにいる人たちに与えられた住居のようなものだ。
本来ならactの人間はこの建物内に住まなくてはならないのだが、私だけは例外として建物内に住むことが許されている。
「それじゃあ、また。」
私は全員の視線を背中に感じながら部屋から出た。
長い廊下を抜け、エレベーターで2というボタンを押す。
妙な浮遊感があり、エレベーターが下に降りていき2階で止まる。
ドアが開いたらそこはまたほかとは一変し、普通のオフィスのような造りだった。
一体この建物内に統一性という言葉は存在するのだろうか。
絨毯のようにふわっとした廊下の感触を味わいながら一歩ずつ進んでいく。
ここの階は二つの部所が存在している。
廊下を挟み左側が暗殺部の部屋と居住スペース。
そして右側が諜報部の部屋と居住スペースとなっている。
私が右側の一番奥の扉を二度叩き中から返事が聞こえてから扉を開けた。
「失礼します。特別級、マギサです。」
「おおマギサー。もう会議は終わったのか?」
窓が一切ない薄暗い部屋に大量のパソコンにコードが不規則にうねりをあげている。
特別級の部屋に比べれは統一感はあるものの、劣らないほど散らかっている。
「マギサもう会議は終わったのか?」
画面から目を離し、回る椅子でクルッと回りマギサのほうへ体を向ける。
黒縁メガネをかけている姿を見るのは久々で私さえも一瞬誰だこいつと思ってしまった。
「・・・あぁリッターか。」
「え、ええ?どういうことだ?俺呼びに来たんじゃ・・・。」
「そうよ。気にしないで。」
リッターは何がなんだか分からないように頭をかしげている。
私は床でうねっているコードを踏まないように慎重に歩き、リッターの座っている椅子の隣に立つ。
「何してたの。」
「今の日本の状況を調べてた。」
「ふーん。それで、どうなの。」
隣の席には誰もいなく、私はその椅子を引き寄せどかんと座る。
リッターは再度パソコンに手を向けキーボードを打ち始めた。
画面にはよ不規則に文字列が並び、素人には何がなんだか読み取れない。
「マギサのほうはどうやら事故として扱われたらしい。だけどまぁ爆発物を所有してたってことで理事長は逮捕されたみたいだけどな。」
「アトゥのほうは?」
「アトゥの方は連続殺人事件として捜査されてるけど多分しばらくして打ち切られると思うぜ。」
「最終マニュアルとしては一応成功したってわけね。」
「そうだな。お疲れ様。」
「・・・別に。」
私はフイっと顔を画面からそらした。
この部屋から聞こえてくるのはキーボードを叩く音と、機械音しか聞こえない。
人間の話し声なんて、そもそも人間がここにいるのだろうか、というほど存在感がなかった。
一応諜報部自体には29人いるはずなのだが、多くが物静かな人間ばかりらしい。
まぁそれが普通だろうとは思う。
何故ならこのactにいるほぼ全員が天涯孤独の人間ばかりなのだから。
孤児院から来たもの、スラム街から来たもの、奴隷市場から来たもの・・・様々だ。
だからなかなか人間に心を開かないのも仕方がないことであろう。
私はこの酸素の少ない部屋にいるのが息苦しくなり、リッターの帰りの支度が出来る前に部屋から出ていく。
よくあんな部屋で一日中仕事がしていられるものだ、と私は変に感心をしてしまう。
廊下で真新しい空気を肺いっぱいに吸い込むと、目の前の暗殺部の扉が開かれた。
「あら・・・ららららら!」
扉を開けたその人は私を見るなり目をらんらんと輝かせた。
ブロンドヘアーでふわふわとしたボブのスタイル抜群の、まるでハリウッド女優なのではないのだろうかと思わせるほどの圧倒的な存在感を放つお姉さん・・・スキアーだ。
「マギサちゃーん!帰ってきてたのねー!」
スキアーは私をギュッと抱きしめる。
無駄なほどたわわに実った爆乳が私の顔を挟み下手すれば窒息してしまうのではないだろうかと錯覚させられる。
「離れてください・・・!」
「いいじゃなーい!もうずっと合ってなかったんだからぁ!」
「そういう問題じゃないです。殺す気ですか。」
「あっらー。これすると大抵の男はコロっと落ちるんだけどねぇー。」
「コロっと殺すの間違いなんじゃないですか。」
マギサちゃんったらうまーい、と言いながら力強く私の肩を叩いてくる。
この人は力加減というものを知らないのだろうか。
「久々に会ったんだから少し話しましょうよ。ほら、お茶をご馳走するわ。」
「いえ、私はもう帰・・・ちょ!?」
断ろうとした瞬間、腕を引かれ強制的に暗殺部の部屋に引き込まれる。
ぶわっと漂ってくるタバコの香りに私は顔をしかめた。
「今丁度みんな出ているから!」
そう言って私を真ん中のソファーへと座らす。
他の部所の部屋に比べたら明らかにこの部屋は片付いており、すっきりしている。
真ん中に机を囲うようにソファーが置いてあり、隅には仕切りがあり各々の仕事スペースとなっていた。
しかしどうもこのタバコ臭さには慣れない。
「コーヒーでいい?」
「もうなんでもいいです・・・。」
私は諦めたようにソファーの背もたれに持たれる。
ふわっとした感触が背中を包み安心感を与えてくれる。
しばらくしてコーヒーのいい匂いと共にスキアーが現れた。
「人類統一計画の最先端としてあんたらが動いてるって聞いたわ。」
苦いコーヒーが苦手なのかスキアーは大量にミルクとシロップを突っ込んでいた。
「そうなんですか。」
「最終マニュアル・・・だっけ?あれ、相当負荷かかるんじゃない?」
「金銭面については問題ないです。actのスポンサーが全面的に支援してくれていますし、信者たちからの寄付金が多く寄せられていますから。」
「そっちじゃなくて・・・そっち。」
スキアーはコーヒーカップを一旦机に置き、私の左胸を指差してきた。
「胸、がなにか?」
「心よ。心。」
「・・・人を殺すにあたって人に深入りするのは自らの心の傷になるって前にスキアーが教えてくれたような気はします。」
「私たち暗殺部は主に人を殺す仕事よ。心が痛まないって言ったら嘘になるのは一番よく分かっているつもり。」
「私は傷つきやしませんよ。だって、それが私の生きる意味なんですから。」
「人を殺すことが?」
「総帥の期待に応えることが、です。あなたもそうでしょう?総帥に拾っていただいたから今のあなたがいるんじゃないんですか?」
スキアーは口と目を同時に閉じる。
私はさっさとコーヒーを飲み、部屋から出ようとした。
しかし、スキアーはゆっくりと口と目を開く。
「私に居場所を与えてくれた総帥には感謝してる・・・。でも・・・それとこれとは違うでしょう・・・。」
「・・・スキアーの言いたいことがよく理解できません。」
「分かってる・・・あんたがそういう性格ってことは分かってる。」
「そうですか。なら私はこれで失礼させてもらいます。」
私はコーヒーを飲み干し、ソファーから腰をあげる。
「壊れてしまう前に・・・心の鎖を打ち砕いて・・・。」
「コーヒーご馳走様でした。それでは。」
私は無感情に扉を閉めた。
2-4
ねぇ。
なにここ。
わたしはだれ。
おかあさん、おとうさんどこなの?
え?
なに?
おにいさんたちだれ?
・・・やめてよ!
さわらないで!
こわいよ!
ちゅうしゃはいやだよ!
いたいよ!
つらいよ!
くるしいよ!
ねぇだれか!
だれか私を助けてよッ!!
「マギサ着いたぞ。」
リッターの声で私は目を覚ます。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
私は気だるい体を無理矢理動かす。
なんだか胸がもやっとする。
どうやら変な夢でも見ていたらしい。
でも今となっては思い出せもしない。
玄関を抜け私は自室に戻ろうとした瞬間、端末が静かに鳴った。
滅多に鳴ることのない端末から音が聞こえたものだから私は少し戸惑う。
そして電話の着信だったことを確認し、端末を開く。
「・・・はい、マギサです。・・・・はい・・・・只今戻ったところです・・・・はい・・・あ・・・はい・・・分かりました・・・・ではお気を付けて・・・はい・・・失礼します。」
1分も満たない通話だった。
私は踵を返し、リッターのいる台所へと向かう。
「リッター。」
人参を切っているエプロン姿のリッターがそこにはいた。
「どうした?」
「今夜総帥がご帰宅なさるらしい。」
私がそう言った瞬間、リッターの手からザクっと言う軽快な音が聞こえた。
「あ、ちょ、何してんのあんた・・・。」
指を思いっきり切ったらしく指からは溢れんばかりの血が流れ出してくる。
私は呆れながらも救急箱を取りにリビングへと向かう。
「ほらちょっとこっち来て。」
救急箱を取り出し、私はリッターをリビングに呼び寄せる。
ティッシュで何度か拭うと血はあまりでなくなった。
そこまで深くなかったらしく私は絆創膏を貼ってあげる。
「もうホント何してんのあんた・・・。」
リッターの表情は重く暗かった。
「・・・なによ。」
「・・・・・・。・・・お前は・・・いいのかよ・・・。」
「何が。」
リッターが唇を噛み締めるのが見えた。
実を言うと大体言いたいことは察している。
でもあえてはぐらかしてみているのだ。
「・・・ごめん・・・。」
「なんであんたが謝るの。」
「ごめん・・・ほんと・・・ごめん。」
「意味わかんない。私、部屋戻ってるからご飯できたら呼んで頂戴。」
そう言って私はスタスタとリビングから出ていく。
あとには拳を握り締め悔しさを必死に堪えている男の姿だけが残された。
時刻は0時。
玄関の開く音が聞こえて体中に緊張が走る。
「おかえりなさいませ、総帥。」
「はっはっは。相変わらずお父様とは呼んでくれないのだね。」
「それは致しかねます・・・。」
総帥と共にもうひとり家に上がってくる人物がいることに気がつく。
「あの・・・何故ミスティコがいるんですか。」
「あぁ、私も忙しい身であってな。明日も早朝から仕事が入っているんだよ。それでミスティコも連れてきたのだ。ダメだったか?」
「いえ・・・リッター、ミスティコの分の部屋を用意しなさい。」
「・・・かしこまりました、お嬢様。」
リッターはそう言うとさっさと私たちの目の前から消えてしまった。
「彼はちゃんと執事業をこなしているようだね。」
「もちろんです。」
リビングでくつろぐ総帥の後ろで私は立っている。
ミスティコは用意された紅茶に舌鼓していた。
仮にも総帥の秘書だというのにこのリラックスの仕様は大丈夫なのだろうかと思ったが総帥もなにも言わないので私も放置することにした。
「もし、彼とそういう関係になっているようだったら私はすぐにでも彼を解雇するからね。」
「どういうことか理解しかねます。」
「ハッハッハ!さすが我が娘だ!だから信頼できるのだ!」
自らのお腹をバシバシ叩きながら総帥は豪快に笑ってみせた。
そして不意に総帥は立ち上がった。
「それじゃあ私はそろそろ寝るとするかね・・・。」
ポンっと肩を叩かれて私は察す。
いや察すというよりはついに来たか、というような感じだった。
「ご同行します。」
「今夜は可愛い娘と寝るとするか。ハッハッハ!」
私の腰に手を回し、ぐいっと自分の方に引き寄せる。
そしてリビングから出ていく。
そんな私たちの一連の動きをミスティコは爪を噛みながらジッと見ていた。
2-5
私を呼ぶ声が聞こえる。
だけどそれは私の本当の名前じゃない。
飼い主から与えられた私を縛る鎖。
魔法のように魅力的な・・・そんな私は魔女らしい。
だから、「マギサ」。
生暖かいものが私を包む。
もう気持ちが悪いとすら感じなくなってしまった。
ただ繰り返される作業を終わるのを待っているだけ。
息を衝くのが聞こえる。
これは一種の仕事のうちだ。
期待のうちだ。
私は断る権利を持っていない以前に、断る理由がない。
求められるのならば、答えてやるのが下僕の役割なのではないのだろうか。
貫く肉体的痛みだって、思ってもいない言葉を言わなきゃならない演技だって私の役割。
これで飼い主が悦んでくれるのならば、本望ではないか。
私はそう感じ、そっと目を閉じた。
リッターがリビングに戻るとそこにはソファーの上で寝っ転がりながら天井を見ているミスティコの姿があった。
「・・・総帥とお嬢様は?」
「総帥の部屋にいかがわしいことをしに行ったわよ。」
いつも真面目で敬語を使っているとこしか見たことがなかったからリッターは少し面を喰らう。
しかし、それよりも総帥とマギサが部屋に行ってしまったという事実のほうがリッター的にはでかかった。
「左様・・・ですか・・・。では、ミスティコさんの部屋の準備が整いましたのでご案内致」
「ねぇリッターくん。」
話している途中に言葉を遮られる。
名前など呼ばれたことがなくてそこにもまた動揺してしまう。
「な、なんでしょうか。」
ミスティコはソファーから勢いよく飛び起き、リッターに近寄る。
「リッターくんは知ってるよね。総帥が成長途中の少女にしか欲情出来ないクソ変態だって。」
「・・・はい?」
いつも結っている髪を解いたミスティコからはかなりの色気が溢れ出ていた。
リッターは動揺しながら近づいてくるミスティコと一定の距離を保とうと一歩一歩後ろへと下がる。
「私もねぇ、昔同じようなことされてたことあるんだよねぇ。あいつマジクソだよ。どんなことしてるか教えてあげよっか?」
いつの間にか逃げ場はなくなり、リッターの背中は壁とぶつかっていた。
しかしミスティコのほうも近寄るのをやめ、ニヤリと唇を舌で舐めた。
「あいつ、学生時代同級生の女の子達にいじめられてたらしくてねェ・・・その恨みかなんか知らないけど抱くとき相当ひッどいことすんのよォ・・・。・・・縛ッて。殴ッて。罵ッて。貫いて。苦痛と快感の渦に飲み込ませて・・・。ひどいでしょう?普通に生きてたらされないようなあんなことやこんなこと・・・たァくさんされるの・・・ね?」
ミスティコの手が伸び、リッターの頬を撫でる。
その妖艶で狂気的な目にリッターは捉えられ逃げられなくなっていた。
ミスティコはそんなリッターの姿を見てクスッと笑った。
「純情なリッターくんには刺激が強すぎたかしらァ?でもこれが・・・あの部屋の向こうで行われている現実なのよねェ。」
ミスティコが急に近づいてくる。
リッターは動けずただ彼女の顔を見ることしか叶わない。
「私たちも楽しんじゃおっか。」
そう言うとミスティコの顔が近づく。
彼女の吐息がリッターの顔にかかる。
抵抗したくて何故か体が動かない。
恐怖心?これは恐怖心なのだろうか。
リッターがそう考えている間にミスティコの唇がリッターの唇に重なる。
「・・・んっ。」
濃厚な大人のキスは経験がそこまで豊富ではないリッターの頭をシビラせる。
彼女の甘い吐息や声が、体中で感じさせられる。
全身に鳥肌が立つ。
気持ちが悪い・・・・。
気持ち悪いッ!!
「・・・ったぁ・・・。」
気づけばリッターは彼女を突き飛ばしていた。
「なんで・・・こんなことを・・・。」
尻餅をついた彼女を気にかける余裕なんて彼にはなかった。
まだ残る唇の他人のぬくもりに嫌悪感を感じながら懸命に拭うが、全く取れない。
そんな彼の様子を見て彼女はニヤリと笑った。
「ただ、君がどんな反応を見せてくれるかなァって思ッちャッて。」
「・・・糞が・・・。」
「フフッ。かッわいーんだァ。」
いまだ、口を拭うそんな姿を見てミスティコは満足そうに笑っていた。
その表情にすらリッターは嫌悪しか感じられなかった。
「そろそろ私はお暇させてもらいたいわ。明日は早いのよ。」
「・・・部屋に案内します。こちらへどうぞ。」
ニコニコと笑うミスティコとはうらはらにリッターは眉間に皺を寄せ、部屋へと案内した。
今は何時だろうか。
この部屋には時計がないみたいだ。
隣ではさっきまで私を抱いていた男がいびきをかいて寝ている。
私は服をテキトーに着、フラフラしながら部屋から出た。
一秒でも早くシャワーを浴びたかった。
肌の感触、温度、息遣い、言葉、全てが蘇る。
冷たい水を頭から浴びたら少しは忘れられる気がした。
こみ上げてくる何かを必死に抑え込む。
抑えきれなくなったらきっと私は死んでしまうだろう。
生きる意味を失ってしまう。
唇を噛み締め廊下に座り込む。
小さく丸まり膝に顔を埋める。
もう何も考えたくない。
しばらく廊下でそうしていると急に温かい何かに包まれビクっと体を強ばらせる。
「・・・リ・・・ッター・・・。」
顔を上げなくても分かった。
リッターの体は何故か震え、嗚咽を漏らしていた。
「何・・・よ・・・なんであんたが・・・泣いてんのよ。」
「ごめん・・・・ホント・・・ひっく・・・ごめんなぁ・・・うううう・・・何も・・・っく・・・何も・・・俺・・・」
「喋るなバカ・・・。」
冷えた体にリッターのぬくもりが染みる。
私は何もせずただただリッターのぬくもりを感じていた。
また何かが溢れ出しそうになる。
でも絶対に溢れさせてはいけない。
何故だか分からないし、それが何かもよく分からない。
だけどそれを溢れ出してしまえばきっと楽になってしまうということは分かるし、そうしちゃいけないこともよく分かっている。
私はマギサ。
本当の名前は忘れた。
だから私が本当の私として生きることなんてありえないのだ。
私はマギサだから。
マギサとして生きなきゃいけない。
幸せになるのはいつだって簡単。
難しいのは妥協することだって私は知っている。
これ以上の幸せを望むから、人間はどんどん堕ちていったりするんだ。
きっと本当の私は貪欲だったのだ。
だからあんな地獄に閉じ込められた。
もう二度と過ちは繰り返してはならない。
私はマギサ。
史上最悪の人体実験の被験者にしてact特別級No.01マギサ。
そのことを忘れてはならない。
朝目が覚めたらもうあの二人は家から出て行っていた。
私はいつもどおりにベッドから起き上がり、リビングへ向いリッターの作る朝ごはんを喉に通す。
いつもどおりの朝。
何も変わらない一日。
私はしばらくの間そんな日常を過ごしていた。
だから突然収集がかけられてドキっとしたのと同時に、妙な胸の高鳴りを感じてしまったのだ。
「今回君たちを集めたのはほかでもない。」
総帥の部屋に呼ばれたカノ以外の特別級3人の顔は引き締まっていた。
ここに私たちが呼ばれるということはもう次の準備が整ったということだ。
「科学班がA・Cの気配を察知した。場所は3つ。本来ならばこの件はマギサとアトゥの仕事なのだが今回はバベルにもやってもらうことにした。いいな?」
「お、仰せのままに、総帥様。」
バベルは困ったように笑ったがそれがバレないように頭を深々と下げた。
「詳しいことは科学部のところへ行き、担当の人間に聞いてくれ。それじゃあ成功を祈っているぞ。」
「「「はい。」」」
私たち三人は総帥の部屋から出て、硬直していた体を一気に緩ませる。
「はぁ・・・今度は俺も参戦っすかぁ・・・。」
「まぁまぁいいじゃねぇか。他国のスパイやるよりもよっぽど楽な仕事だぜ?」
肩をガックシと落とすバベルに向かってなってないフォローをする。
私はそんなやり取りを横目に見ながらエレベーターに乗り込み3のボタンを押す。
3階には科学部と工作部が設置されてある。
廊下から漂うどこか施設のような雰囲気が私はどうも苦手であった。
「失礼します。」
科学部とかかれた扉を二度ノックし私たちは部屋の中へとはいる。
扉を開けばそこから薬品の匂いがきつく鼻につく。
「フィラカスさんはいらっしゃいますか?」
白衣の人間が何人かこちらを見るが、自分には関係のない客だとわかるとすぐに自分の世界へと戻っていった。
いや、実はそうではないのかもしれない。
“私たち”に怯え、関わりたくないと思い、目線を逸らしたのではないだろうか。
「ま、マギサさん・・・僕はここです。」
ふと奥の方から今にも消えそうな声が聞こえた。
声の方へ顔を向けると白衣着、黒縁メガネの黒人がヘラヘラと笑いながらこちらを見ていた。
「総帥から話は聞いたかい?」
「えぇ。それでこちらの方へ伺いました。」
3人はフィラカスさんに案内され、奥の応接室に通された。
手前の科学室とは比べ物にならないくらい華やかな欧州造りの部屋に、初めて入ったバベルは驚きを隠せないでいた。
「なんでここの部屋はこんなにも雰囲気違うんすか・・・。」
「あぁ・・・科学長が欧州の人でね。・・・あ、君たちは何か飲むかい?」
「お構いなく。それより、仕事の話を始めましょう。」
少し硬いソファーに腰をかけ、私は仕事の話をさっさとするようにと促す。
フィラカスは困ったように笑いながらノートパソコンを開いた。
「今回は前回の失敗を踏まえ、A・Cの周波数よりも人体実験被験者の周波数のほうを優先しました。」
「どういうことっすか?」
「A・Cは人体実験被験者だということはもう確定済みです。ですから、多数あるA・Cの周波数の近い人間を探すのではなく被験者としての周波数の濃さを優先したのです。」
フィラカスはあらかじめ用意しておいた書類を三人に配る。
「これは?」
「まず一組目を見てください。」
書類は三組になっており、一番上の書類を私は開く。
「東北の寒村に孤児院が存在します。そこにA・Cが存在している可能性があります。」
それは孤児院の資料と、そこにいる16歳の人間の名簿だった。
人数にして4人。
この中の一人がA・Cであり、被験者である可能性が高いのだという。
「次に二組目を。・・・・・・こちらは都内にある全寮制の男子校です。人数にして100名。一応全員の過去を洗ったのですが、嘘の記載がされている可能性がある人間が何名かいます。そこで、疑わしき人間をそこに記載しておきました。あとで目を通しておいてください。」
パラパラとめくればかなりの人数が疑わしいと断定されているようだ。
そして最後の三組目を手に取る。
「最後はかなり特殊な例なんですが・・・、A・Cの誕生した地って分かりますよね?」
「太陽の廻りと星の導きが示す場所、今回は日本の古ぼけた村だったと聞きます。」
「そうです。しかしその村はA・Cが生まれすぐにダムとして水の底に沈んでしまいました。あっ、こんなことはどうでもいいんです。あのですね、その村を昔から治めていた一家の血筋にA・Cがいるのではないか、ということなんです。」
「確率は?」
「微妙です。A・Cの周波数は濃いのですが、肝心の被験者としての周波数があまり確認されないのです。」
私は最後の書類を開く。
旧家の大富豪らしく現当主の孫たちがどうやら偶然か否か16歳だそうだ。
今は近くの孤島を買取り、そこで現当主と長男一家が暮らしているらしい。
「以上3つが今回の対象です。」
バラバラになった書類をトントンと机で合わせ、フィラカスはまた自信なさげに笑った。
私はもう一度一組目から目を通す。
「んー・・・じゃあどうすっかなぁー。」
「そうっすねぇ・・・誰がどこに行きますか?二組目はマギサさんには無理っすから俺らで担当しないと。」
「私が男装すれば問題ないんじゃない?」
「じゃあ行くか?」
アトゥがニヒルに笑ってみせるが、それに負けないくらいいやみったらしく私は笑い返す。
「結構です。」
2-6
旧家で大富豪、城ヶ崎家。
古から治めていた村は国の権力でダムへと変えられてしまった。
そしてあれから16年。
城ヶ崎家は孤島へと家を移し、静かに暮らしていた。
「親族会議とかなんでわざわざこんな時期にするかねぇー・・・。」
俺がめんどくさそうにそうぼやいたらそれに返事をするかのように隣のふわふわとした女の子がくすっと笑った。
少し風がある砂浜で、白波が立つのをぼーっと眺めている4人の高校生たち。
全員が城ヶ崎の姓を持つ立派な城ヶ崎家の一員だ。
「それ毎年言ってますわよ。かつて城ヶ崎家があった村がダムによって潰された日が今日だからと、何度も聞かされたじゃありませんか。」
「でもよぉ璃々夏・・・俺だって真夏なら文句はなかったぜ?なんてったってぎらつく太陽の下海にでも入って遊べるんだからよ?」
「にゃっはっはっ!春斗お前は子供かってーの!そんなんだから背ェだけのみで中身が伴わないんだよ。」
「はぁ?!チビアキにだけは言われたくねぇっつーの!」
「チビアキって言うなこのでくのぼう!!」
「俺から言わせてもらえば春斗も千秋もどっこいどっこいだけどな。」
「ふふ。冬弥くんの言うとおりですわ。」
久々のイトコ同士の再会にも関わらず4人は毎年変わらない関係を保っていた。
お嬢様のような印象を与える本家令嬢の城ヶ崎璃々夏(リリカ)。
いとこの中の癒し系担当。
そして俺のことをでくのぼうと罵ったチビ女が城ヶ崎千秋(チアキ)。
チビで童顔で言っていることも幼いのでいつも中学生や、ひどいときには小学生に間違えられるという生粋のチビだ。
のくせしてイケメンの彼氏がいるのは何とも腹ただしい。
城ヶ崎冬弥(トウヤ)はクールキャラ。
たまに発する毒々しい言葉に俺らは心を傷めないわ.けがなかった。
正直同級生なのか分からないほど怖いことをいうこともある。恐ろしいやつだ・・・。
そして最後に俺、城ヶ崎春斗(ハルト)。
でくのぼうではないがそう言われてもおかしくないほどの長身の持ち主であり、いつも千秋に敵対心を抱かれる。
まぁ俺がイケメンなのが仕方(自主規制)
俺らは年に一度行われる親族会議のためにこんな孤島までわざわざ訪れていた。
こんなこと16年前にはなかったらしいのだが、いきなり現当主様がやりだすとか言いだしてからは毎年のように行われている。
まぁ俺にとってはこれが唯一いとこに会える機会なので別にそれほどまで嫌ってわけではない。
「・・・だいぶ風が強くなってきたな・・・戻るか?」
「そうですわね。今夜は台風が近づいてきているみたいですし・・・。」
白波もかなり立っていて、雲行きもだいぶ怪しい。
今夜には台風がやってくるらしい。
俺たちは砂浜から立ち上がり、屋敷の方へと戻っていく。
屋敷の前には千秋の母親、晴子(セイコ)がキョロキョロとしていた。
そして俺らの姿を見つけるとこちらにブンブンと手を降ってくる。
「おぉ!戻ってきた戻ってきたぁ。」
「ママ何かあったの?」
タンクトップに短パンというなんとまぁ若々しい服装をし、金髪に染め上げた髪をポニーテールして・・まぁ要は派手なおばさん。
って言ったら怒られるので俺は心の中でそう思うだけにしておく。
「そろそろ天気悪くなるから戻ってきな、って大婆様がね。」
困ったように笑いながらウィンクをする。
大婆様とは我が城ヶ崎家の現当主様だ。
やけにおせっかいで、ちょっと周りから疎まれたりしている。
俺らは屋敷の中に入り、客間へと移動する。
まだ晩御飯までも時間がある。
しばらくこの部屋で時間を潰すことにした。
「大雨洪水警報が発令された地域は以下の通り――速度の遅い台風○×号は今夜にも本州へ上陸すると思われ―――」
「げー。さっさと通り過ぎろよ台風め。明日には帰りたいんだからぁ!」
「何かあるんですの?」
「彼氏とデート!!」
千秋はドヤ顔をしながら俺を見てくる。
ちょっとイラっとしたのでチョップを食らわせてやった。
部屋の少し離れたところで分厚い本を読んでいた冬弥が不意に本を閉じた。
「そういえばさ・・・覚えてる?」
声のトーンが低く、心なしか口元が緩んでいるように見えた。
こんな意地の悪そうな表情をする冬弥はだめだ。
絶対よからぬことを考えているに違いない。
こういう場合は冬弥を刺激しないようにスーっと話題を変えるのが懸命。
千秋とふと目があう。
あちらもどうやら同じ考えのようだ。
よし、千秋。
一旦戦いは休戦だ。
今は話題をそらすことから
「何のことですの?」
「「っ璃々夏ぁああああぁあぁあぁあぁぁあぁあああああああぁぁぁっ!!!!」」
璃々夏が俺らの意図とはそぐわずキョトンとした表情で冬弥の問いに真面目に答えてしまった。
その瞬間、俺らの悲鳴と冬弥のやらしい笑が重なる。
もう終わりだ。
冬弥の気が済むまで話を聞いてやるしか他ない。
こいつの話はマジでタチが悪い・・・。
くそ今年こそは聞きたくなかったのに・・・。
「孤島。台風。」
「・・・ん?なんですの?」
「孤島。台風。俺らの全くおんなじ状況が、一ヶ月前にもあったじゃないか。」
冬弥がニヤニヤと笑っている。
俺は一度過去の記憶を探る。
そんなことあったっけ?
覚えがあるような・・・ないような・・・んー・・・。
しばらくの沈黙のあと、千秋が何かを思い出したかのように手を打った。
「思い出した!ほらあったじゃんか、えっと・・・どっかの高校で孤島に旅行行ったらどっかーんってやつ!」
言い方がアバウトすぎて何がなんやら分からない。
でも、かすかな記憶がそれだけの言葉で蘇ってくる。
「あぁあぁぁぁ!俺も思い出したぜっ!一時ずっげぇ話題になってたもんなぁ!あれだろ?理事長が所有してた爆弾が爆発したってやつ!」
「なんだバカなりに一応はニュースとかに感心あったんだ。」
昔からコイツはホント人をおちょくるのが好きなんだよな・・・まぁ俺も今更そんなことで怒りはしないが・・・つれぇぜ・・・。
そんな中一人だけ困ったように笑う璃々夏の姿が目に入った。
「ごめんなさい・・・世間に疎いものでして・・・一体何の話ですの?」
「全く本家のご令嬢なんだからこのくらい知っといて欲しいものなんだけど・・・。一ヶ月前、丁度台風が来てた時だった。伊豆諸島の孤島に関東の進学校の特進コースの生徒が勉強合宿に行ったらしくて・・・で、実はその孤島は戦時秘密基地として使われてたらしくてね、多くの爆弾が未だ残っていたらしいんだ。そんでもってそれが都合よく生徒たちが合宿中に大爆発を起こしたってわけだ。」
冬弥の説明に全員が聞き入る。
ここまで詳しく覚えているなんてマジでこいつ何者だ・・・確かに話題性はあったけど・・・。
「それでその状況と似ている怖い事件を引っ張り出して、冬弥は俺らを怖がらせようとしてるってわけだ。」
「なるほどっ!やっと理解できましたわ!」
納得したようにふにゃっと笑う璃々夏の笑顔にこっちまで心が安らぐ。
ほんとコイツ癒しのためだけに生まれてきた天使だろ・・・。
「もしかしたら今夜何か起こるかもねぇ・・・。」
ボソっと小さく呟きながら冬弥は荒れてきた外を嘲笑うかのように見つめた。
2-7
「孫たちは?」
晴子が部屋に戻ると老婆が即それを聞く。
「自分たちで帰って来たっての。ったく・・・あいつらももう良い大人よ?そんな過保護にしなくても大丈夫大丈夫。」
苦笑いしながら晴子はさっきまで座っていたところに座りなおす。
その場には晴子、老婆を含め計7人の大人たちがいた。
「いいじゃない。家に残してきた旦那さんに電話するついでだったんだから。」
晴子の隣で紅茶を飲みながら長女雪菜は言った。
「まぁそうだけど・・・。」
何か納得できないような表情をしながら晴子も飲みかけの紅茶に口をつける。
少し冷めた紅茶は先ほどの味とは少し変わっていてそれでもいい味を出していた。
「賢治くんは仕事が忙しいのかね?」
「・・・まぁね。今が勝負時って感じ。てか、雨鷹兄さんこそどうなのよ。」
偉そうな雰囲気を醸し出しているのは本家跡取りの長男、雨鷹(ウタカ)。
自分の旦那の話から遠ざけるように晴子は話題を兄自身のことに切り替えた。
「私かね?順風満帆ってとこだろうか。なぁ、愛妃?」
「は、はい・・。そうだと思います・・・。」
雨鷹に急に話をふられ驚いたのか否か、体をビクッと震わせ今にも消えそうな声でそう答えた。
いかにもひ弱そうな感じのイメージを与える青白い肌に、細い体。
とても一児の母とは言えないほど威厳がない人物であった。
「いいねぇその日本の奥さんらしい控えめな態度ッ!兄貴が羨ましいぜッ!うちの嫁さんにも分けてあげてくれねぇか?」
「あらららら?まさか風雷、奥さんのいないところで悪口?あとでチクっちゃおっかしらぁ?」
「は、晴子姉・・・勘弁してくれよぉ・・・。」
風雷(フウライ)は兄弟の中で一番の末っ子。
チョイ悪オヤジのような風貌なのだが一番権限は少ない。
そんな兄弟のやり取りを上座で老婆が見ていた。
「婆ちゃん、なんか今日嬉しそうだな。」
「ん?わかるか風雷。久々に家が賑やかになって嬉しいのじゃよ。」
今にも鼻歌を歌いだしそうな、背中から音符が浮かんでくるのが見えるかのような、老婆季子は上機嫌だった。
この家は旧家という重苦しい肩書きとはうらはらに、家族の仲がとてもよく円満であった。
それはきっと当主である季子のおかげとも言えよう。
誰でも受け入れ、優しく、でも時には厳しい、そんな姿が全員の信頼を得ていたのだ。
かつて旧村で統括していた時も村人からの信頼は厚かった。
村人全員が家族のように過ごしていた。
しかし、それが16年前ダムの底に沈んでしまい全員バラバラになってしまった。
もちろん季子たちは政府相手に戦った。
だが、敵が大きすぎて負けてしまったのだ。
季子はそれからというもの一人ぼっちの生活を強いられるようになってしまった。
もちろん本家には長男一家が住んでいる。
それでもかつての賑やかさに比べればほんの少しの慰めにもならない。
それと同時に、あの賑やかさを孫たちに見せてあげられないことがこの上なく悔しくてたまらないのだ。
「失礼します。」
突如、部屋の扉が開く。
新人使用人だろうか。
真新しいメイド服に身を包んでおり、動作もどこかぎこちない。
「どうしたのじゃ?夕飯には少し早いじゃろう。」
「えっと・・・実は、海難事故の漂流者の方が・・・。」
メイドの言葉に一同は耳を疑う。
「そ、それは真じゃろうか?気の毒に・・・今はどうしとるんじゃ?」
「お体が冷えていらっしゃったのでお風呂へとご案内しました。見たところ大きな怪我もなく、この屋敷まで歩いてこられたので多分大丈夫だとは思います・・・。」
自信なさげにそう発する。
「海保には問い合せはしたのかね?」
「えっ・・・あっ、はい。プレジャーボートの後部から転落したそうで他の乗員たちは気づかなかったようです。実際の転落地点はわかりませんが恐らくここの近海だと思います・・・!」
突然季子ではない雨鷹に話しかけられたものだから一瞬戸惑いを見せたが直ぐにその問いに答えた。
「この台風だもんね・・・そういうこともありえるかもしれないわね・・・ほんとお気の毒だわ。大婆様、客人として招いてもいいわよね?」
「これも何かも縁かもしれないからのう。漂流者にはぜひくつろいで欲しいと伝えておいておくれ。」
「はいっ。かしこまりました。」
メイドは勢いよく頭を下げ、忙しく部屋から出て行った。
そんな姿にその場の全員が苦笑する。
「まだ来て一週間経ってなくてね・・・粗相をするかもしれんが勘弁してやってほしい。」
「分かってるっての。あんな可愛い女の子に向かって怒鳴り散らかすほうが無粋ってもんよ、ね?」
「そうだぜ晴子姉!女の子には優しく!ばあちゃんもそう言ってたしな!」
「風雷はそれを人生のモットーにしすぎじゃないかのぉ。」
「璃々夏お嬢様方と同年代くらいの女の子でした。ライフジャケットを着て、かなりお疲れのようでした。」
紅茶の片付けに来たあの新人メイドに親族たちはさっきの漂流者についていろいろ聞いていた。
「漂流したのが船着場の辺りだったなら本当に不幸中の幸いね。もし島の反対側だったら大変だったわ・・・。」
「・・・しかし気の毒だよ。その子もこの島に釘付けになるんだから。早くおうちに帰りたいだろうってのに。今、あの子は?」
「他の使用人が服を見立ててます・・・あ、あの多分お嬢様の小さくなった服を・・・。」
「ん?あぁ、全く構わんよ。いらなくなったもので恐縮だがね。」
雨鷹は高笑いしながら新人メイドにそう言う。
「・・・諸君。親族会議の日ではあるが不幸な事故で訪れることになった来客だ。招いた客人ではないがどうか歓迎してやってほしい。」
突然仕切り出すのは雨鷹の昔からの悪い癖だ。
しかし今は誰も嫌な気分になどなるわけもなく、全員が賛成と口々に言う。
「さっき千秋たちも呼んでおいたから全員で挨拶でもする?」
「そんなのかえって恐縮させちゃうんじゃない・・・?」
「はっはっは。いい提案じゃないかでは・・・」
その時扉をノックする音が聞こえた。
「藤堂でございます。お客様がお越しになられました。」
千秋の母さんに呼ばれ俺らは親たちのいる客間へと向かった。
一体何があるというのかと何度尋ねても来てからのお楽しみと言われはぐらかされた。
仕方なく俺らはトランプをやめ、しぶしぶ客間へと足を運ぶ。
「ったく・・・一体どうしたって・・・ん?」
ドアノブをひねり、扉を開けて文句の一つでも言ってやろうとしたら目の前には見たことのない人物が立っていた。
黒髪ストレートの女の子。
こんな子見たことがない。
「・・・・・・・ど、どちら様・・・・・・・?」
俺が間抜けな顔でそう言うとその人物はクルッと華麗に舞い、こちらに体を向ける。
そしてスカートの裾をちょこんとつまみ、深く頭を下げる。
「・・・・はじめまして。・・・自己紹介申し上げます。古川イズミです。よろしくお願いいたします。」
2-8
「何しろ私たちは全員城ヶ崎ですので、気軽に下の名前で呼んでもらえると嬉しいですわ。私は璃々夏と申します。」
「私は千秋。」
「俺は春斗だ。よろしくな。」
俺が握手を求めようと手を差し出す。
それを見て古川イズミはニコっと微笑み両手で丁寧に握る。
「・・・ありがとうございます。私のこともイズミと呼んでもらえると嬉しいです。・・・えっと・・・そちらの方は?」
イズミはチラっと壁際で黙り込んでいる冬弥を見る。
「あぁ、あいつは冬弥。なんつーか愛想とかわりぃけど気にすんな。あぁいうやつだからよ。」
「そうなんですか・・・。」
しばらくして晩餐の時間になった。
全員客間から移動し、食堂へとうつる。
食堂にはよく宮殿などで見るような長いテーブルと人数分の椅子が置いてあった。
上座には季子専用のふかふかの椅子が置いてある。
孫たちは一番下座に座り、いよいよ晩餐が始まる。
「・・・・・不思議な子ね。城ヶ崎家の一年間で最も豪華な食事にも取り乱さずに対応できるなんて・・・。」
イズミの華麗なフォークとナイフさばきに雪菜は素直に驚く。
今時なかなかこのような食事が出ることなんてないのに・・・。
「最近の子は肝が座ってるっていうのかのぉ。わしも西洋文化は好きじゃが、こういうのが出来るようになったのは成人してからであったぞい。」
ふぉっふぉっふぉと笑いながら季子はステーキを口に運ぶ。
もう年なのだからもっと体に優しいものを食べればいいのだが、季子の大好物はお肉なのだ。
「こういうのには慣れているのか?」
「そう驚くようなことではありませんよ。人間としての当然の嗜みです。」
「いやーほんとすげぇぜイズミちゃん。こんな子が俺の息子だったらなぁ・・・しくしく。」
風雷、親父がわざとらしく俺のほうをチラチラと見てくる。
「もう風雷そんなこと言ったらダメじゃない。風雷こそその遺伝子レベルまでの女の子好きを直したらどうなの?こんな弟持って私恥ずかしいわ。」
「・・・雪菜姉は相変わらず言うことキツイぜ・・・春斗ぉ・・・俺ら仲よくしようなぁ?」
「雪菜伯母さん親父を今後共々どぉおおおおおおっか厳しくよろしくお願いします。」
「任せてっ。伯母さんこういうの得意なの。」
雪菜伯母さんはピースをして意地悪そうに笑う。
こういうところを息子冬弥も引き継いでしまったんだろうなと思う。
「イトコのみなさんは全員同い年なのですか?」
晩餐が終わり、俺らイトコとイズミ、そして晴子伯母さんと雪菜伯母さん、そして親父は居間へと移動した。
「驚くことにそうなんだよな。」
「私たちは昔からこうだから違和感とか抱かないけど、周りの人は結構おっしゃりますわね。」
テキトーに椅子に座りながら俺らは自分たちの生まれについて話していた。
「私だってビビったっての。みぃんな妊娠時期同じなんだもん。」
「ほんとよねぇ。春斗くんが生まれて、璃々夏ちゃん、そして千秋ちゃん、最後に冬弥・・・偶然にしちゃあ出来すぎてるかもしれないわね。」
くすっと笑いながら雪菜伯母さんは栗色の髪を耳にかけた。
「・・・何か意味とかあるんですかね。」
ボソっとそう呟いたイズミに伯母さんたちのピクっと反応する。
そして璃々夏がそういえば、と手を打った。
「幼い頃に祖母様から聞かされたことがあるような気がしますわ。確か」
「璃々夏ちゃん。」
璃々夏が話始めようとした瞬間それを晴子伯母さんがピシャリと遮る。
その様子にその話はしてはいけないものだと気づき、璃々夏は慌てて口をつむぐ。
「・・・どうしたってんだ?」
「別に何もないけど?単なる伝承っていうか、ほんとくだらない話だから。」
その遮りようがあまりにも自然じゃなかった為、俺は少しの疑問を抱く。
「四人の出生がその伝承に関係でもあるんですか?」
「・・・外部の子には余計面白くない話よ。」
「その話、私聞きたいです。きっと春斗さんたちも聞きたいと思ってると思いますよ?」
イズミがチラっとこちらを見てくる。
確かにその話は気になる。
イズミの言うとおり本当に俺らの出生にまつわる伝承だとしたら・・・なんか少し胸が高鳴る。
「いいじゃんママ教えてよ。」
千秋がキラキラとした目で晴子を見る。
晴子は困ったようにまゆを潜めながら雪菜にアイコンタクトをする。
そしてしばらくして、二人がため息を吐いた。
「わかったわかった・・・教えりゃいいんでしょうが。でもほんとこれ伝承だから。くっだらないからね?」
「私たちも良い大人だよ?んなことわかってるって。」
語尾に音符でもつけそうな上機嫌の千秋とは裏腹に伯母さんたちの表情は晴れなかった。
しかし一度良いと言ってしまったので引くわけにはいかなくなってしまた。
「城ヶ崎家が以前は本土の旧村にあったことは知ってるわよね?そこに古くから伝わる言い伝えがあったの。“時が満ちし主の導きのある年に、愛しの果実は落とされるだろう。”っていうね。」
「な、なんだそりゃ・・・初めて聞いたぞ・・・。」
「そりゃそうでしょうよ。だってその“時が満ちし”時にはもう旧村はダムの下。そんな伝承、誰も信じてすらなかったわ。でも私たちがあなたたちをお腹の中に授かった時から密かに囁かれ続かれたのよ。その愛しの果実というのは旧村を統治する城ヶ崎家の血筋の子供のことなのではないか、とね。」
「つ、つまり?愛しの果実っていうのが、私たちのことだってことなの?ちょ・・・ちょっと何それ・・・偶然にしては出来すぎてるよ・・・。」
以前話は聞いていたのだろうか。
璃々夏は冷静に話を聞いているが、俺と千秋は動揺が隠しきれない。
「私たちだっておかしいと思ったわ。でも、誰もその伝承のことを狙ってたわけでもなければその愛しの果実がまさか子供の比喩だなんて考えられないじゃない。」
「それに伝承には続きがあって、“主に恵まれし愛しの果実は宇宙をも虜にし、万物を統治する存在となるだろう。”って。一気におとぎ話感満載になるでしょ?千秋たちにそんな不思議な力なんてないし、ましてや万物の統治なんてありえない。・・・ね?くだらないでしょ?」
晴子伯母さんがウィンクをする。
まぁ確かにくだらないっちゃーくだらない。
今時そんな非科学的なこと、あるはずがない。
でもこういう特別感満載のやつってまだ思春期真っ只中の男にとっては魅力的すぎる話題だった。
「ひっひっひ。でもよぉ、もしかしたらその伝承がマジだったりするんじゃねぇの?そしたら?宇宙は?俺様のものだーー!!なんちって。」
「さすがバカ春斗。言うことが違うなぁ。」
「なっ!なんだとチビアキ!てめぇも少しは心が踊るだろうがっ!」
「残念ながら私は特別なんて求めてましぇーん、だっ!」
間抜けな顔をしながら俺をおちょくってくる千秋。
俺はいつもそうするように二人でじゃれあう。
これが俺らの昔からのコミュニケーションの取り方。
これだからイトコ同士も悪くねぇって思えるんだ。
「イズミちゃんも面白くなかったでしょう?ごめんなさいね。」
「いいえ。古典の勉強程度にはなりましたんで。」
そう言いイズミは席を立つ。
「どうかしましたの?」
「ちょっとお手洗いに・・・。」
「そうですか。場所はわかりますか?」
「はい。では失礼します。」
誰もが目を奪われるような、そんな完璧な礼でイズミは部屋から出ていく。
「ほんと・・・不思議な子よね・・・。」
「今時あそこまで教養ある子いないよな・・・いやーほんとどっかの千○さんとは大違」
「うぜーよっ!」
「はぐぅ?!」
千秋の蹴りが見事に俺の息子にクリーンヒットする。
全身に寒気が走り、全神経が息子様に集中する。
あぁ・・・俺の人生もこれまでか・・・短かったような・・・長かったような・・・せめて・・・せめて一度だけでいいから・・・外人のお姉さんを抱き
「戻ってこいッ!」
「げふはっ!・・・はっ!俺は一体何を!?」
その場に笑いが溢れた。
2-9
イズミが戻ってきた時にはもう伯母さんたちはいなかった。
「親同士集まって親族会議をはじめるらしいぜー・・・。」
「へぇ・・・どのようなことを話し合うんですか?」
「多分今夜は後継のことと遺産相続の話し合いだと思いますわ。」
親父たちは普段はあんなにも仲がいいのに、この親族会議になると急にギスギスし始める。
そりゃ自分たちの人生もあるのだからそれなりに大切な話し合いなんだろうけど、もっと和やかにやればいいのに。
まぁ俺ら子供には関係ねぇことだから別に一向に構わないのだがなぁ。
「・・・冬弥さんは?」
「ん?あぁ、あいつも親がどっか行ったと同時に部屋から出て行ったよ。あいつ人見知りだからなー、きっとイズミがいるから照れてるんだよ。」
ケラケラ笑いながら千秋がさりげなく気遣いを見せる。
きっと冬弥はよそ者のイズミのことを快くは思っていないはずだ。
まぁだからと言ってそれを本人にはっきりと言うことはない。
ナイス千秋。
俺は心の中でそっと賛美する。
「・・・・先ほどの話なんですが・・・なんだか不気味な話ですよね。」
「・・・・・・・まぁ、よくよく考えてみると・・・気持ち悪いっていえば・・・そうだよね。座りなよ、隣。」
立ちっぱだったイズミを千秋は自分の隣に誘導する。
イズミは礼を言い、隣にふわりと腰をかけた。
「私は中学にあがる前にお祖母様にお話を伺っていましたわ。それからは寮生活などがあったので忘れてしまっていたのですが・・・。」
「あぁ、そっか。璃々夏は中学は全寮制の女子校に通ってたんだっけ?」
「全・・・寮生ですか?」
「えぇ。お父様が本家令嬢にふさわしい学歴を、とおっしゃり中学三年間はずっと寮で過ごしていましたの。」
「一度入ったら辞めるまで一切外部との連絡を遮断される・・・悪く言えば牢獄とそう変わらないよねぇ。」
璃々夏と千秋の会話が俺には少し理解できず頭をかかえる。
それに気づいた璃々夏が笑いながら教えてくれた。
「春斗さんはしばらく本家とは疎遠でしたので知らなくて当たり前ですわ。」
「去年いなかったからおかしいとは思ったけども・・・まさか寮に入っていたなんてなぁ。知らなかったぜ。」
「すいません。少々突っ込んだ質問をするんですが・・・春斗さんが本家と疎遠だった、とは?」
いきなりイズミが食い入るように質問してきたので少し面を喰らう。
普通こういう場合って身内の話になるのだから他人が口を挟むことではないのでないだろうか。
礼儀正しい頭の良い娘なのだからそこのところはよく分かっているはずなのに・・・まぁでも別に話したくないってわけでもないから俺は教えてやる。
「俺の親父一度離婚してるんだ。それで俺はお袋に引き取られて・・・えっと4年?くらい本家とは疎遠だったってわけ。で、去年にお袋が事故で死んじまったから今は親父のほうでお世話になっているってわけだ。」
「あぁ・・・そうだったんですか。すいません・・・辛いお話をさせてしまって・・・。」
イズミは申し訳なさそうに頭を下げるので俺は別に構わない、と言ってやる。
「つーか、今思ったんだけどそう考えるといとこ全員がここに集まるなんてかなりの確立じゃない?」
「確かにそうですわね。毎年何らかの理由でどなたかがいませんものね。」
「へぇ・・・そうなんですか。それは何かの事情が?」
またイズミが突っかかってくる。
しかし千秋は何の違和感も抱かずにサラッと答える。
「私はママが勘当されてさぁー。この親族会議に初めて出席したのって7歳くらいの時だったんだよなぁ。で、冬弥の方はめんどくさがってたまに来なかったりするんだよ。だから私らが全員集まったのって・・・・何年ぶりだぁ?」
千秋が手を使いながら数える、が途中でこんがらがったのか数えるのを諦めてしまっていた。
「つまり、一年以上いとこの誰かと会わないってことは何度かあったってことですね。」
「え・・・あぁ、まぁそういうことになるな。」
何かイズミの瞳に異様な光が満ちたように思えた。
そして急に立ち上がる。
「伝承の話、私少し興味持っちゃいました。今から季子さんのところへ行きませんか?」
「婆様のところか?俺は別に構わねぇけど・・・。」
俺はチラっと璃々夏のほうを見る。
婆様のことは一番璃々夏が把握している。
璃々夏は少し悩むような表情を見せたが、イズミの力強い目力に負けてしまったのか笑顔を浮かべ立ち上がった。
「参りましょうか。お祖母様がお休みになられないうちに。」
「ありがとうございます、璃々夏さんっ!」
「いえいえ、とんでもございませんわ。」
2-10
俺らは4人で婆様の部屋を訪れていた。
婆様の部屋は他の部屋とは違い和の雰囲気が漂っている。
16年前この屋敷を建てた際には今の時代に合わせて洋風のお屋敷を建てたいと婆様が提案したのにも関わらず一年も経たないうちに、やはり慣れないからと言って和室にリフォームし変えたのだ。
璃々夏が部屋の扉を二度ノックしたら中から婆様の上機嫌な声が聞こえた。
「失礼します。」
そう言い、璃々夏を先頭に畳の香りがふわっと漂うどこか安心感を誘う婆様の部屋へと入る。
「冬弥じゃねぇか。お前こんなとこにいたのか?」
婆様の前には正座している冬弥の姿があった。
冬弥はあまり婆様のことが得意ではないはずだったからまさかこんなところにいるだなんて信じられなかった。
「・・・じゃあ俺はこれで失礼します。」
俺らの顔を見るなり冬弥はより一層仏頂面となり立ち去っていく。
「で、お前らは何の用なのじゃ?」
婆様は俺にとりあえず座れと言わんばかりに先程まで冬弥が座ってた場所を指差す。
「先ほど、雪菜さんと晴子さんに旧村の伝承のお話を伺いまして少し興味を抱いたので詳しい話を聞かせてもらえればと思いお伺いしました。」
シャンっと背筋を張り、綺麗な姿勢で座るイズミに少しばかり俺は目を奪われそうになってしまった。
それほどまでイズミはどこか妖艶な色気を放っていた。
「冬弥にもさっき同じことを聞かれたわい・・・あのバカ娘ども余計なことを言いおって・・・。」
それを聞いて先ほどの謎が解けた。
なるほど。
冬弥もこの伝承が気になって婆様に聞きに来てたってわけか。
婆様は少しめんどくさそうな表情を浮かべてそっと目を閉じた。
どうしたんだ?と聞こうとしたら隣の璃々夏に止められる。
俺は仕方なく座り直し、婆様がしゃべりだすのを静かに待った。
外では雨が地面を打ち付ける音と、遠くから雷の音がかすかに聞こえている。
この様子だと明日の朝まで止みそうにはないな・・・夜寝れるだろうか・・・。
俺はそんな余計なことを考えながらポケーっと外を眺めていた。
そうすると婆様の目が静かに開かれた。
「・・・・・・これは我が城ヶ崎家に代々受け継がれている伝承じゃ。いつからか外部にまで漏れ出すことにもなったがどれもがいつの間にか誇張され、嘘偽りが混じってしまった。でも、わしが今から語るのは本物の話じゃ。よく聞け。これも我が城ヶ崎家の末裔として生まれた者の定めじゃ。」
婆様の目が真剣そのものになっており、俺らの姿勢も自然と良くなる。
心拍数が早くなりぴりっとした空気に少し緊張と興奮を覚える。
いよいよ本題が聞ける、って時に婆様はイズミのほうに目を向けた。
「・・・じゃがしかし、よそ者のお主にこの話を聞かせるわけにはいかぬのじゃよ。」
婆様の表情が少しきつくなる。
「・・・はい?」
「申し訳ない。少し席を外してもらえぬか?」
イズミは拍子ぬけたような表情をしてしばらく婆様の言葉が飲み込めないでいた。
「ど、どうしてもダメでしょうか?」
「掟を当主が逆らうことは許されぬからのう。席を外せ、招かれざる客人よ。」
「ば、婆ちゃん・・・別にいいんじゃねぇのか?」
「千秋、黙りなさい。当主様の御前ですわよ。」
璃々夏にピシャリと言い放たれ、今はそういう空間なのだと初めて千秋は気づく。
しばらく婆様とイズミは目と目を合わせていたが、イズミがスっと立ち上がった。
「わがままを言ってしまい申し訳ありませんでした。私は客室で大人しくしておりますので、これで失礼します。」
「あっ、ちょ・・・。」
思わず手が伸びイズミを止めようとしてしまうがイズミはそれを無視しさっさと部屋から出て行ってしまった。
部屋を出ていく寸前のイズミの何か悔しそうな表情を俺は見ていた。
だから少し複雑な気分をしていた。
一番知りたがっていたイズミが真実を知ることができず、軽い気持ちでついてきてしまった俺らだけが聞くことが許されてしまう。
確かにこれに直接関係するのは俺らだけだが、少しくらい話を聞かせてやっても構わないのではないだろうか。
でも婆様は部屋から追い出した。
ここでは婆様の言うことは絶対。
いくら親族どうし、いとこ同士が仲良くても婆様の言うことは絶対。
そういう秩序が整ってしまっている。
「さぁ、お前らにはどこから話そうか。」
婆様の表情が緩む。
まるで何事もなかったかのように。
そんな態度の変化に気分は良くならなかった。
しかし、ここで俺も抜け出すということは許されない。
自分から聞きたいと言ってここまで来てしまったのだ。
最後まで婆様の話に静かに耳を傾けるだけが俺のできることである。
2-11
私は少しイラついていた。
何が掟だ。
何が城ヶ崎家だ。
話くらい聞かせてくれたっていいじゃないか。
部屋から出て私はずんずんと目的もなく歩いていく。
きっとこっそり後から聞き出そうとしてもあの璃々夏って女が邪魔して聞き出せやしないだろう。
親たちに聞こうかと思ったが親たちもあのババアの言いなりだ。
聞き出せるわけがない。
あぁいらつく。
せっかく新しい情報が手に入れられるかと思ったのに。
「さっきの冬弥くん?」
ふと誰かの話し声が耳に入り足を止める。
どうやらこの先の廊下を曲がったところで親族の誰かが話しているようだ。
私はこっそり耳を傾けた。
「なんか客人の行動に注意しろって。あの子一体何考えてるのかしら・・・。」
「まぁ思春期男子にはいろいろあるのさ。俺だって昔は・・・なぁ?」
「あなたの昔話は聞きたくないわ。どうせロクでもないから。」
「はっはっは。相変わらず手厳しいなぁ。」
「ほら早く戻りましょ。みんな待ってるわ。」
短い会話だった。
声からして次女雪菜と末っ子の風雷だ。
客人に注意しろ?冬弥?
まさかあいつ何かに感づいている・・・?
私は二人の親族の前にたった今来たかのように現れた。
やはり雪菜と風雷だった。
二人はいきなりの私の登場に少し驚いたような表情をしたがすぐに和やかで親しみやすい笑顔へと変わった。
「あぁイズミちゃんじゃねぇかー。どうしたんだこんなところで。ガキ共と一緒にいたんじゃなかったのか?」
「海斗さんたちは何か話があるようで今は季子さんの部屋にいます。久々の孫との対面で積もる話もあるでしょうし、私はお暇させて頂いたのです。」
「あらそうなの。それで客室に戻ろうとして、迷ったってわけね。」
よく辺りを見渡せばここは見たことのない場所だった。
なるほど、雪菜は私が迷子になったと勘違いしたのだろう。
「そうなんですよー。このお屋敷やけに広くって・・・。」
「だよなぁ。あ、じゃあ俺が部屋まで案内すらぁ。姉貴は先に部屋に戻っててくれ。」
「あ、大丈夫です。ちょっと探検でもしようかと思いましたし・・・あっ。」
私は何かを思い出したかのように手を打つ。
「そういえば私あまり冬弥さんとお話出来てないんです・・・どういうわけか避けられているようでして・・・。」
「ん?そうなのか?冬弥くんこんな可愛い女の子目の前にして照れちゃってるんだなぁ。」
風雷はニヤニヤとしながら雪菜のほうを見る。
雪菜も困った子ね、と言わんばかりに溜息を吐いていた。
「私、冬弥さんとも仲よくなりたいんです。ですから、冬弥さんのいるところ教えてもらえませんか?」
「私に割り当てられた部屋にいると思うわ。案内するから付いてらっしゃい。」
「いえいえ大丈夫です!場所さえ教えてもらえれば一人でも行けますんで。」
「いいの?」
「はい。お忙しいお二人に時間なんて取らせられません。」
「そう・・・。えっと、場所はこの先を右に曲がったところにある階段を登った二階の右隣の部屋だから簡単にわかると思うわ。」
私は雪菜と風雷にお礼を言うと、さっさとその部屋に向かって歩き始める。
待ってなさい城ヶ崎冬弥・・・あんたが最初のターゲットよ・・・!
乾いた唇をペロっと舐める。
同時に闇夜に雷鳴が轟いた。
扉に耳をつける。
中からは物音は一切聞こえない。
いないのだろうか。
でも一応確認はとってみるべきだ。
私は扉を叩こうとして、止める。
城ヶ崎冬弥は私のことを警戒している。
つまりここでノックをしても開けてくれる可能性はかなり低い。
ならばこっそり侵入するべきか。
侵入して冬弥を拘束してしまえば外部に情報が漏れることもないし、私も冬弥の知っていることは聞き出せる。
そのあとは殺してしまえば良い話。
どうせあとでいとこは全員殺してしまわなければならないのだから。
・・・待って。
私は重要なことを忘れてはいないか。
そうだ。
もし冬弥がA・Cだったらの可能性だ。
A・Cならば本部へと連れて帰らないとならない。しかも生きて。
そしてA・Cということは被験者・・・・被験者ということは身体的能力は改造されている。
ただの人間ならばまだしも、被験者となれば厄介だ。
私はポケットをまさぐる。
そして黒く光る手錠を取り出した。
これは対被験者用の手錠だ。
私でさえこの手錠をはめられてしまったら壊すことはできなかった。
手錠をしまいなおす。
そして一度深呼吸をし、部屋の扉へと手をかけた。
「・・・っ。」
部屋の鍵は無用心にも空いていた。
自分の祖母の家でわざわざ鍵を閉める方がおかしいか。
私は静かに扉を開け、するりと侵入する。
部屋の電気はついていない。
人の気配も感じない。
やはりいないのだろうか。
私はスカートをまさぐり太ももにセットしている拳銃を手に取る。
そして静かに部屋の奥へと進んでいく。
風が窓を殴り、草木が反動で揺れ、雷鳴が轟いている音しか聞こえない。
銃を構え私は部屋を見渡す。
するとベッドにかすかな膨らみを確認することが出来た。
神経を研ぎ澄まし耳を傾ける。
するとわずかにながら寝息が聞こえた。
私に警戒していたのではなかったのか。
母親に忠告するまでは良かった。
でも、なんだこの無用心さは。
やはり感が良くても高校生は高校生か。
私はニヤリと笑い、銃をベッドに向けた
そして一気に飛びかかろうとした次の瞬間、布団がこちらにぶっ飛んできた。
「なっ?!」
急なことに私は対応が遅れてしまった。
布団をもろにかぶり、その隙に向こうから押し倒される。
「やっぱり来たか、客人め。」
布団がめくられ、私の目と冬弥の目が重なる。
薄暗くて見にくいがその表情はどこか狂気じみた嬉しさがこもっていた。
「いつから気づいてたの。」
「部屋に入って来た時から。」
「ふん。狸の寝入りなんて卑怯よ。」
「人の寝込みを襲うあんたよりはマシさ。」
「そう・・・でも詰が甘いのよっ!」
頭で相手の鼻を攻撃し、一瞬の怯みの隙にすかさず腕を振り払う。
そして冬弥の体を床に押し倒し、その額に銃口をグリグリと当てる。
あまりの一瞬の出来事に相手はあっけにとられていた。
「な・・・。」
「大人しく私に従いなさい。そうすれば痛くはしないから。」
冬弥の目がキョロキョロと動く。
何か打開策でも考えているのだろうか。
でも私はすかさず両手に枷をつける。
「第一攻撃であんなしょぼいの仕掛けてくるんだからあんたが被験者ってことはないでしょうね?」
「は?何言ってるか意味わかんねぇ。」
後ろ手に拘束され、少しふてくされている冬弥を尻目に私は部屋の中をうろつく。
特に部屋に変わった様子はない。
ただの部屋か。
私はクルッと周り、ベッドに座り込む。
「意味がわからないのならそれで良い。可能性は確実に潰していきたいだけだから。」
「だから意味わかんねぇんだよ。」
「さて、じゃあそろそろ本題へ行きましょうか。」
冬弥のことは完璧に無視して私の当初の目的を話す。
「・・・俺が素直に言うとでも思うのか?」
「ちっ。これだからガキは・・・。」
案の定、スっと話してくれるわけがなかった。
「素直に吐けば、痛いことしないけど?」
「んなことに挫けるタマじゃねぇぞ俺。」
私は冬弥をギロリと睨みつける。
冬弥もそんな私に合わせるかのように私の目を睨む。
しばらく二人が睨み合って、ふっと私から先に目線をそらした。
「・・・・・ちっ。」
舌打ちをして私は窓の外を眺める。
雨はより一層激しさを増していた。
いつまでもここでこうしているわけにはいかない。
いずれは雪菜が部屋に戻ってくる。
雪菜が戻ってきてしまったら何かもパァだ。
まぁ全員拘束してしまってもいいんだけれども、もしその中に被験者が混じっていたら面倒だ。
何とかして冬弥から聞き出さなきゃならない。
そう焦っていると、冬弥が勝ち誇ったようにニヤついた。
「な・・・・なによ・・・。」
「いいぜ、教えてやっても。」
いきなり教えてやる、と言われ私は顔をしかめる。
そして嫌な予感を感じる。
「とんでもない要求をしてくるとか・・・そんなんじゃないでしょうね・・・。」
「簡単な条件だ。俺が今から提示することを3つ叶えてくれるだけでいいんだ。」
「・・・一応聞くわ。何?」
「その一、俺への拘束を解くこと。その二、武器を全て捨てること。その三、俺への質問は全て素直に答える。だからお前も俺からの質問に素直に答えること。以上だ。」
わたしは顎に手を当て、壁にもたれかかる。
「それを私が飲むとでも思う?」
「飲むさ。」
「・・・なんでそう言い切れるの?」
「お前、そのためにわざわざここに来たんじゃねぇの?」
私の表情がヒクつく。
感だけは妙に鋭いようだ。
顎に当ててた手を眉間に持っていき軽く押さえる。
狡猾な人間は幼くして狡猾だ。
「・・・・・・分かったわよ。あんたの要求を飲むわ。でも武器を奪ったからって無駄よ?貴方に私を倒して、ここから逃げきれるなんてありえないんだから。」
「んなこたぁ最初っから分かってるっての。ただの保険だよ、保険。」
冬弥の手錠を外し、わたしは武器を素直に全てベッドの下に投げ入れる。
自由になった冬弥はわざとらしく肩を回したみたり伸びをしたりしていた。
私は少しふてくされた表情でベッドに勢いよく座り込む。
「あんたの要求を飲んだわ。だから教えなさい。あのババァから聞いたこと全てを。」
「んにゃ、まだ全ての要求は飲まれてないぜ?」
「は?」
冬弥はにやっと笑いながら先程まで座っていたソファーに深く腰をかける。
「武器を取り上げたからっつってあんたが俺に攻撃できないわけではない。俺は依然として不利な状態だ。この状態で俺からまず話せば用済みになった刹那、あんたは俺に攻撃をしかけてくるのは目に見えている。だから俺から話せない。あんたから話してもらう必要がある。」
「ちっ。お前こそ私から話聞いて話さないとか言い出すんじゃないわけ?そんなの卑怯よ。」
「んなわけねぇだろ?あんた俺の命狙ってんだろ?どこ世界に分家の人間が命狙われてまで本家家訓守るやつがいるんだよ。」
いやみったらしい口調はどうにも好感は持てないがどうやら話が通じないやつではないらしい。
私は少し考える。
今この状況で表面上は冬弥のほうが格段に不利だ。
しかしこのカケをするにあたって不利なのは私に変わる。
私はどうしてもあいつの情報を聞き出さなきゃならない。
私が“これ”を話すことによって得られるものと比べれば私の持っている情報なんて足元にも及ばない。
「・・・・・いいわ。私から話す。その代わり約束しなさい。私の質問にもなんでも答える、と。」
「もちろんだ。まぁ、その約束はあんたにも誓ってもらうけど。」
「・・・分かってるわ。じゃないと私が困るんだもの。・・・・・・・・で、何が聞きたいのよ。」
溜息がちにそう言う。
冬弥は待ってましたと言わんばかりに目がらんらんと輝き始める。
ここにきて初めて彼のここまで生きた目を見た気がする。
「まず、お前は何者だ?」
「何者・・・って言われたら返答に困るわ。」
「あぁ、じゃあ質問を変える。お前は何のためにここに来たんだ?」
「探し物をしに来たの。」
「そういう抽象的な言葉はなしだ。具体的に話せ。そういう約束だろ?」
やれやれと肩をすくませて私は笑う。
「そうでしたねー。話せばいいんでしょう?私たちの組織のトップの探し物、アルマ・カタストロフィ。通称A・C。多分あんたらの伝承で言う愛しき果実のことよ。私はその愛しき果実を探しにはるばるここまで来たの。伝承にもあったとおりA・Cには世界を、宇宙を統べる力がある。だからうちのトップはそれが喉から手が出るほど欲しがっているってわけ。最初の質問もついでに答えてあげる。私はその組織の一員。特別級という人体実験された者しか入れない特別な部所所属の選ばれし人間。そしてその人体実験っていうのは・・・あんたも名前くらい聞いたことあるんじゃない?あの史上最悪の人体実験・・・天使の涙。」
私の言葉を聞くなり冬弥は目を見開く。
「そ・・・そんな・・・あの被験者たちは全員死んだはず・・・。」
言葉を詰まらせながらも冬弥は話す。
それほど冬弥は驚愕していた。
まぁそれも無理はない。
今世紀最大の事件と言われるほどに残酷残忍最悪最低の事件だったからだ。
「天使の涙というのは透明がかった涙のような形をした超人薬をまだ年端もいかない少年少女に投与し、肉体強化や不老効果を得るまさに神秘の薬。だけどその効果のあまりに副作用も大きく、投与されて2、3日は体中を掻き回されているような痛みと気持ち悪さ、視覚味覚知覚障害に精神疾患が見られ最悪の場合死んでいった。施設が潰れ、生き残っていた子供たちももちろんいた。でもね副作用には依存性というのが隠されていた。これは麻薬などの数十倍の依存性だと言われてはいるんだけどそれを自分たちが理解することはない。ただ体が欲しているだけであって、それに私たち人間は気づけないの。子供たちは突然ショック死など起こして、みんな死んでしまった。だから今被験者がこの世に生をなしているのは私を含めた特別級3人と、そのA・Cだけって言われているの。」
「・・・んな・・・そんな話・・・。」
うまく飲み込めないのか頭を抱えて何やらぶつぶつと呟いている。
「次はあんたの番よ。」
「ちょ、ちょっと待て・・・!なんでてめぇは生きてんだよ。まさか今でもその天使の涙ってのを投与してんのか?」
「はぁ?するわけないでしょ。あんた私を殺す気?」
私は冬弥の言葉を鼻で笑う。
「私は強いのよ。」
「それだけで納得出来るわけねぇだろうがッ!」
「・・・・・・・・女の子にそんなデリケートなこと言うなんてデリカシーがなってないんじゃないかしら?」
「てめぇが女の子なら俺は超女の子だこんにゃろう。」
真顔でそんなこと言ってくるものだから私はつい笑ってしまった。
そのことに冬弥はイラっと来たのか少し頬を膨らましているようにも見えた。
「施設に残った子供たちは施設が潰れる寸前に半分位売り飛ばされていたのよ。それが今の私の所属する組織。確か・・・150人はいたと思うわ。組織は150人全て特別級に当てて人体兵器として利用しようとした。肉体改造された子供なんてまず手に入らなかいからね。だけど組織は大きな誤算をしてしまった。その被験者がほぼ全滅し生き残ったのはたった3人。そしてその3人の力は組織が想像してた強さを遥かに凌ぐものだったということ。つまりまぁ、私が強かったのよ。いろんな意味でね。」
「そんな非現実的なことありえるのかよ・・・。」
「私に言わせてもらえばA・Cの方がよっぽど非現実的なんだけどね。あれは人の意思で創り出されるものじゃない。それこそ非現実的な何かがあれを創りだす、生み出す。」
確かにそれもそうだと言わんばかりに冬弥は頷く。
「さぁ、私は十分喋らせてもらったわ。今度こそあんたの番よ。」
「・・・・・・・やだっつったら?」
「あんたを殺して璃々夏たちをこの部屋に招待でもしようかしら。」
冗談だって、と苦笑いを冬弥は浮かべて背もたれにもたれかかる。
私も少し座りっぱなしに疲れたので体制を変え足を組んだ。
2-12
昔からの伝承は代々城ヶ崎当主が語り継いでいた。
“時が満ちし主の導きのある年に、愛しの果実は落とされるだろう
主に恵まれし愛しの果実は宇宙をも虜にし、万物を統治する存在となるだろう”
時が来た時に、神に愛されたひとりの子供がこの村に生まれつくだろう。
その子は不思議な力を持ち、宇宙を統べる生きる神へと成り上がるのだ。
その“時”というのが城ヶ崎家現当主の子供たちが子を授かった年であった。
それは本当に偶然の他のなにものでもなかった。
もしかしたらこれを運命と呼ぶのかもしれない。
とにかく彼らは子を授かった。
しかし春斗が生まれ、璃々夏が生まれる頃にはもう村は水の底になってしまったことや、時代が時代なだけもあり伝承は廃れ、誰もそれ以上騒ぎたてやしなかった。
千秋や冬弥など村を見たことすらない。
だから彼らは忘れてしまっていたのだ。
それにそんな伝承が信じれるはずもなかった。
ただの人間の子供が宇宙を統べるだの、神に愛されただの誰が信じるだろうか。
「なぁそれって本当に俺らのことを指すのか?」
「どういうことじゃ、春斗。」
正座にそろそろしびれを切らした俺は少しずつ体制を崩していた。
「もし仮にその愛しの果実っていうのが本当にいるとして、なんでそれが俺らって言えるんだ?」
「この伝承は代々城ヶ崎家が受け継いできたからのう・・・他の村人たちとはちと考えにくいじゃろう。」
「春斗の言いたいことわかるよ。考えが安直だって言いたいんでしょ?私らからすればホントいい迷惑だよ。ただでさえ城ヶ崎家っていう名前背負ってんのに・・・普通を望むことすらダメみたいでさぁ・・・。」
千秋の声のトーンが一気に下がる。
婆様はうんうんと頷く仕草を見せるが、どうにも千秋の言いたいことは分かっていないように思えた。
「でも実際には愛しき果実なんて俺らの中にはいねぇよな?」
「それを一番よくわかっておるのはお主らじゃないかのう。」
俺らは顔を見合わせる。
会わないときはホントに会わなかったりしたし、生まれた時からずっと一緒というわけではなかった。
だけどこいつらといるときは家族といるような安心感があった。
もちろんいとこだけではない。
親族たちといるときはものすごく心が和らぐ。
だから俺らは分かっている。
そんな非現実的な能力を俺らは誰ひとりと持っていないことが。
「まぁ、こんなのは伝承と分かっておっても最後まで話すべきじゃとは思っておる。」
「まだ何かあるのか?」
婆様は一旦呼吸を止める。
そしてまたさらにピリっとした空気が張り詰めた。
そして婆様の吐息と一緒に雷は天を2つに割った。
―――――愛しき果実は――――――
――――――――対になる――――――――
「・・・は?」
今まで冬弥が語ったことは私のデータの中にはすべて含まれていた。
だからこれ以上の収穫はないと思っていた矢先だった。
「つまりその愛しき果実っていうのは一つじゃねぇんだよ。2つ・・・いやもしかしたら4つ・・・いやいやもっと莫大な数字になる可能性だって否定できねぇんだ。」
「なに・・・よそれ・・・。愛しき果実が一つじゃないって・・・。」
こめかみを私は押さえる。
一つじゃない可能性が出たということは冬弥がいうように2人、4人、8人・・・それこそ無限に等しい可能せが出てきてしまうのだ。
ありえない。
そんなこと考えられない。
「嘘でしょ・・・そんな・・・。」
「果実一つでは本来の力は発揮されない。対になって初めてその力は発揮されるんだ。ちなみに教えてやる。・・・・・・・俺らは4人。4人全員がここに集まることはまずない。そして4人全員が集まったときには必ず・・・・・・・・大嵐だ。」
窓の外を見る。
台風のせいとはいえ明らかに天候は普通ではない。
大嵐という言葉を使うならまさにそうだと言えるだろう。
A・Cは宇宙を司る、世界を司る。
4人が揃えば天候が狂う?
そんなこと聞いたことがない・・・。
私は今一度冬弥のほうに顔を向ける。
冬弥は心なしか笑っているような気がした。
「・・・・・あんたら4人が滅多に集まることがないってことは聞いてた。春斗はしばらくの間本家と縁を切ってた。璃々夏は中学三年を全寮制で過ごしている。千秋に至っては生まれてしばらくはあんたらと会ったことすらなかった。・・・・・・ねぇ、あんたにこの三人が本当に本人の供述するようにそうであったことが証明できる・・・?」
私の質問に冬弥は眉を潜め、頭をかしげる。
「んなもんできるわけねぇけど・・・一体どういうことだ?」
「A・Cは被験者でもあるの・・・被験者というのは少年少女に限定される。まず璃々夏はありえない。中学三年間と言ったらもう施設はなくなっている。でも、春斗と千秋は違う。あの二人がもし仮に施設にその間いたとしたら・・・あんたらがA・Cだって説は強くなる・・・!」
「千秋と春斗が被験者?!んな話聞いたことねぇぞ・・・。」
冬弥に動揺が見られた。
無理もない。
いきなりいとこがあの人体実験被験者かもしれないという話が浮上してきたのだから。
「自分の子が人体実験の被験者だなんて言えるわけないじゃない。・・・ねぇ、千秋と春斗の左腕にやけどの跡とかなかった?」
「え・・・お、覚えてねぇよんなもん・・・。」
冬弥の表情が曇れば曇るほど私の鼓動は早くなっていく。
見つけた・・・ようやく見つけたかもしれない・・・!
伝承によればいとこたちの誰かがA・Cであることはまず間違いない。
それに加え千秋か春斗が被験者かもしれない可能性が出てきたのだ。
私の手が自然と震えだす。
これでようやく総帥に恩を返すことが出来る・・・!
私はベッドから腰をあげる。
そして冬弥にニコっと微笑む。
「ありがとう。そして、悪く思わないでね。」
「えっ?」
冬弥が状況を把握できた時にはすべてが遅かった。
私の手刀が首に下ろされる。
そして冬弥はソファーの上でぐったりと眠り込んでしまう。
私はそんな冬弥の姿を見下ろし、クルッと方向転換しベッドの下に潜り込む。
先ほど捨てた武器を拾い集めるためだ。
その中には連絡用のトランシーバーも含まれていた。
「あーあー・・・聞こえる?」
トランシーバーというよりも端末に近い形をしていた。
緑のランプが光るのを確認すると私はそれに向かって声をかける。
しばらくして雑音混じりの声が聞こえた。
「マジさみぃ。どうぞー。」
「あっそう。どうぞ。」
「あぁマギサの冷たさで余計に冷え切ってしまいそうだぜ。どうぞー。」
「なら凍え死ぬと良いわ。仕事のあとに。」
「仕事?」
「見つけたかもしれない、A・Cを。」
「はっ?!」
声が大きすぎてハウリングする。
「・・・うっさい・・・。」
「あ、わりぃ。・・・じゃなくて!え?!本当なのか?!本当にA・Cなのか?!」
「まだ確定はしてないけど可能性は高いと思うの。今からそいつら全員気を失わせて本部に連れて帰ろうと思うから応援よろしく。」
「そいつら?どういうことだ?」
「なんかA・Cって対になるらしい。」
「はぁ?!」
またハウリングし、耳がキーンとする。
ムカつくからこっちもトランシーバーをベッドに投げつけ思いっきりハウリングさせてやった。
「まぁそういうことだから。詳しいことは後ほど。屋敷の玄関前に待機しといて。どうぞ。」
「ラジャー。」
小さなトランシーバーをポケットにしまいこみ、武器も全て装備する。
まずは親族たちを眠らせることにするか・・・・。
私はポケットをまさぐり、一本のビンを取り出す。
甘ったるい匂いの薬品で睡眠薬の煙バージョンと言ったものだ。
これを親族たちのいる部屋に蓋を開けて置いておいたら問題ない。
匂いが広まる頃にはもうみんなおねんねしているだろう。
私はその小瓶をギュッと握り締め、部屋を飛び出した。
「あんな話、別にイズミちゃんにくらい聞かせてやってもいいと思わねぇかぁ?」
婆様の話を聞き終わって俺らは廊下を歩いていた。
「ダメですわよ、春斗。」
璃々夏の目線が鋭く光る。
しかしそのあとすぐにふにゃっとした笑顔になる。
先程までずっと厳しい顔をしていたときとは別人のようだ。
「さすが本家令嬢は格が違うねぇ。なぁ千秋ぃー。お前爪の垢煎じて飲ませてもらえよぉー?」
「春斗に言われたかねぇよぶわぁああああかっ!!」
そう千秋が叫んたと同時に千秋の携帯から軽快な音楽が流れる。
「あっ・・・彼氏からラブコールだぁ。」
携帯を開くなりニヤリと笑い俺らのほうを見てくる千秋。
くっそマジあいつ殴りてぇ・・・!
「ちょっと先部屋に戻ってて。電話終わったらすぐ戻るからー。」
そう言うと千秋はもしもしー(ハート)と甘ったるい声を出しながら別の廊下の方へと歩いて行ってしまった。
そしてすぐにバタリと何かが倒れるような音が聞こえた。
「何の音だ?」
「わかりませんわ・・・見てみましょう。」
進みだした足を止め、俺らは千秋が歩いて行ったほうの廊下へと入る。
するとそこには床に倒れこむ千秋とそれを見下ろすイズミちゃんの姿があった。
「おいおい千秋何そんなとこで寝てんだよー。」
俺は何かの冗談かと思って笑いながら二人に近づいていく。
しかし全く千秋は動かない。
携帯から漏れ出す彼氏らしき男の人の声がかすかに聞こえる。
「千秋・・・?おい・・・何の冗談だよ。あんま長いと笑えねぇぜ?」
「大丈夫ですの?」
璃々夏が駆け寄り、しゃがみ込む。
俺のそんな様子の千秋と璃々夏を覗き込む。
「一体どうしたってんだ・・・?」
全く動かない千秋を隣に、携帯からは何度も千秋と叫ぶ声が聞こえる。
俺はそれを拾いあげようとするが先にイズミちゃんに拾われる。
「あ、ありが」
ピッっという短い機械音が聞こえ、男の声は聞こえなくなった。
そしてその端末を粗末に床に投げ捨てた。
「え、ちょ、何して・・・ッ?!」
床に投げられた端末を見たあとすぐにイズミちゃんのほうに顔を向けたのだがその時にはもう何もかも遅かった。
もう少し俺に警戒心があってもよかったのかもしれない。
いや・・・こんなの誰が信じるだろうか。
いきなりきた客人が・・・俺らを眠せるなんて誰が思うだろうか。
遠のく意識の中でイズミちゃんがニヤリと笑ったのが最後に見えた。
2-13
感触はふかふかしている。
だけど異様なまでふかふかとしている。
これは俺のベッドじゃない・・・じゃあ誰のベッドで俺は寝ているんだ・・・?
「・・・っ!!」
ボケーっとしてた頭が一気に冷め、俺は勢いよく起き上がる。
辺りを見渡せばここは見たことのない場所。
絢爛豪華な調度品が並ぶ、まるで教科書に載ってる貴族たちの部屋のような感じだった。
「ようやく春斗起きたか。」
声をかけられ体が思わずビクッとする。
「と、冬弥・・・?それに璃々夏・・・千秋も!」
俺はベッドから降り、3人が座るソファーのところに向かった。
「ここは・・・どこなんだ?」
「んなもん俺らが知るかってんだ。」
冬弥にばっさり言い放たれそうだよな、と苦笑いをする。
俺はもう一度部屋を見渡す。
部屋はかなり広い。
何畳とかそういうレベルではない。
部屋にはベッドが4つの他に、ソファーにテーブル、テレビに化粧台、キッチンまでも付いている部屋であった。
ただ一つおかしいのは、この部屋には一つも窓がないということだけだ。
「扉も調べたけど、外に通じるだろう扉は鍵がかかってて開かなかった。お手上げだよ。携帯も取り上げられてるしね。」
千秋が肩をすくめて笑う。
どうやらこいつらは俺が起きるよりずっと前に目覚めていたようだ。
「・・・・一体何があったんだ・・・。」
俺がぼそっとそう呟くと冬弥が大きく舌打ちをした。
「あのクソアマがっ!まだ聞きてぇことあんのに約束破りやがってッ!」
「どういうことだ?」
「なんか冬弥、あの客人に捕まってたらしいんだよ。」
あたりを物色しながら千秋は少し笑い気味にそう言った。
まさかあの天下の冬弥様が捕まっていたなんて確かに少しおもしろいかもしれない。
その雰囲気に気づいたのか冬弥はバツが悪そうな表情を浮かべ頬をかいた。
「冬弥は何か聞いてませんの?」
「・・・・・・・一応。」
「じゃあ俺らがここに閉じ込められている理由も知ってるっていうのかよ?!」
俺は冬弥の肩を掴むがすぐに払われてしまう。
「・・・その前に春斗と千秋に聞きてぇことがある。」
「ん?なになにいきなり。」
キラキラと輝く調度品を物色しながら千秋はそう言う。
「お前ら、数年前にあった史上最悪の人体実験のこと知ってるか・・・?」
冬弥がそう言った瞬間、ガシャンという何かが割る音が聞こえた。
「あぁ、もう何しているんですの。」
璃々夏が苦笑いを浮かべながら立ち上がり、千秋のほうへ向かう。
「もうしっかりしろよなー・・・で?なんだっけ?人体実験だっけ?んー・・・聞いたことはあるようなー・・・ないようなー・・・。」
俺はかすかな記憶をたぐり寄せるように眉間に皺を寄せてみるがどうも思い出せない。
報道なんて微塵も興味ないし、仕方がねぇちゃーねぇよな、うん。
「・・・・・・んで・・・・。」
震える声で誰かが何かを言った。
「・・・千秋?」
割れたコップを拾いながら様子がおかしい千秋に璃々夏が声をかける。
そんな千秋の様子に冬弥の目が鋭く光った。
「・・・・な・・・なんで・・・なんで・・・・・・その話が・・・出てくんの・・・?」
「あの客人は愛しの果実を探している。そしてその果実は過去に人体実験を受けていたというらしいんだ。それで、春斗か千秋が人体実験被験者の可能性が出てきた・・・まさか千秋・・・ホントにそうなのか?」
冬弥の言葉はいろいろ引っかかる部分があった。
イズミちゃんが愛しの果実を探している?
人体実験?
千秋が被験者?
わけがわからない。
千秋は俯いたまま小さく震えていた。
そんな千秋の肩を璃々夏は抱く。
「・・・・とりあえず座りましょう、ね?」
フラフラとする千秋を支えながら璃々夏は千秋をソファーに座らせる。
ただジッと黙って俯く千秋。
俺はこんな千秋今まで見たことなかった。
天真爛漫で、意地が悪いけどどこか憎めない・・・いとこの中で一番元気のある子だった。
泣いてる姿も、落ち込んでいる姿も見たことがない。
冬弥の言葉で千秋がまるで別人へと変貌してしまった。
「・・・ちあ」
「・・・らない・・・・知らない・・・私は・・・なんにも知らない・・・!知らないって・・・お願い・・・知らないの・・・私は何も悪くないの・・・!だから・・・だからもうお願い・・・お願いだから・・・もう解放して・・・私を・・・許してよッ!!うっ・・・・うああぁああぁああああぁあぁああああああ!!!」
突然悲鳴のような叫び声を上げて千秋は頭をかきむしり始めた。
その目は血走り、表情は怯えているようなそんな印象を抱いた。
「千秋・・・お、落ち着いてっ・・・きゃっ!!」
璃々夏が千秋をなだめるように背中に触れると手加減もなしに叩き払った。
そして千秋は璃々夏の胸ぐらを無理矢理に掴み、そのまま床へと押し倒す。
ドンッという鈍い音と璃々夏の歪んだ表情から千秋はもう理性なんて欠片も残っていないようだった。
「うるさいんだよっ!あんたはいいよねェ!?昔っから本家令嬢として箱に入れられて大事に育てられてきたんだからッ!私の苦しみなんて、恐怖なんて微塵も分かんないでしょうね!あぁ、でもそれは仕方ないよ?!雨鷹伯父さんの娘はあんたなんだからッ!それにお嬢様なんて柄にもないから別にどぉおおおおっでもいいわよッ!!でもね?!だから、だから余計ムカつくのよ!!いばらの道なんて知らない、整備された綺麗な国道を歩くあんたに慰められるなんて惨めで惨めでしゃーんないんだってのッ!それくらいそろそろ気づきなさいよッ!うああああぁああああぁあぁああああああああああ!!!ああああああぁあああ・・うううう・・・うあぁああ・・・ん・・・うぐぅううあああうううう・・・・」
呆然とする璃々夏に千秋はありったけの言葉をぶつけた。
それは大事に育てられた璃々夏が当てられてきたことなどない言葉。
それはいばらの道をたどってきたと自称する千秋さえも言葉には出したことのない思い。
千秋は璃々夏の胸に顔を埋めてそのまま子供のように泣き始めた。
俺らは何も声をかけることなどできなかった。
千秋に何があったか俺らは何も知らなかったからだ。
今どんな言葉をかけても千秋をただ傷つけるだけとわかっていたから俺らは黙って千秋が落ち着くのを待った。
そしてしばらくして落ち着いた様子の千秋が璃々夏の上から降りた。
「・・・・・ごめん・・・取り乱した。」
「いいえ・・・私こそ・・・ごめんなさい・・・何も知らないくせに・・・傷つけましたよね?本当にごめんなさい・・・。」
乱れた服装を二人は整え、少しお互いの距離を取りソファーに座り直した。
そして千秋が一度、大きく深い深呼吸をすると小さく静かに喋り始めた。
その日は幼稚園に行くはずだった。
幼稚園のバスが家の前に停まって私は元気よくバスに乗り込んだ。
でも、どこか様子がおかしかったのを覚えている。
知らない幼稚園の先生に、知らないおじさん運転手。
いつも同じ人だったから・・・私は頭をかしげた。
でもその知らない先生は私の疑問を軽くあしらいバスを出発させてしまった。
ママも細かいことは特に気にしていない様子だった。
なら私も気にすることはないのに、どうも落ち着かなかった。
私は友だちに聞いた。
「ねぇ、どうしてきょうはちがうせんせいなの?」
「まつのせんせいはおやすみなんだって。ちあきちゃんもあいさつしておいでよ。」
私だけ。
このバスの中で私だけがこの違和感に気づいていた。
違和感というよりも恐怖感だろうか。
そしてバスはいつもとは違う道へと入る。
「うんてんしゅさんなんできょうはこっちなのー?」
一番前の子がそう運転手に聞くのが聞こえた。
「今日はねー、特別だからだよー。」
運転手のおじさんはニコニコしながらそう答えた。
だけどミラー越しに映ったおじさんの笑顔は私をさらに恐怖の感情に取り込ませるだけだった。
「ち、ちあき降りる・・・!」
私はその恐怖心にどうしても耐え切れなくなり席を立った。
「どうしたんだい?お席に座ってないと危ないよ?」
先生は立ち上がった私を抱きかかえ席に戻す。
触られたときの嫌悪感と言ったら今でも忘れられない。
「ち、ちあきかえる・・・!」
「だめだよ。ちゃんといい子にしてようね。」
先生の気持ちが悪い笑顔に私は一切の安心感も得られなかった。
「やだ・・・やだ・・・やだよ・・・ま、ままぁ・・・ううう・・・うああああああぁああああいやあぁああああああああああッ!!」
私は先生を押し退き出口へと走る。
しかし幼稚園児の私が、しかも走行中のバス内にいる人間が逃げ出せる場所なんてどこにもなくて。
「だして!あけてよ!おねがい!ママぁあ!!」
出口をドンドンと叩く。
周りの幼稚園の友達は不思議そうな顔で私を見てた。
ふと後ろを見ると先生が徐々に近づいてきていた。
表情は伺えなかったが雰囲気で怒っていると察した。
私は例えようのない恐怖感に駆られながらも懸命にドアを叩き続けた。
でもドアはピクリとも動かない。
「・・・・・・・・・うるせーガキだな。」
低くどすの聞いた声に私の全神経は震える。
「ちょっと黙ってろい。てめぇも、てめぇらも全員。」
刹那、甘ったるい匂いが香ってきた。
そして意識がぐらりと揺れる。
倒れちゃいけないって分かっているのに体はどんどん重く鈍くなっていった。
「ま・・・・・・まぁ・・・・。」
崩れゆく意識の中先生のニヤリと笑う顔が見えた。
目を覚ましたときはもうどこか分からなかった。
冷たいコンクリートに覆われた正方形の部屋のようなところに私はいた。
「・・・ん?」
目をこすろうと手を顔に近づけるとジャラという金属音がした。
見てみれば両手首には枷がはめられそこから鎖が伸び首につながっていた。
しかしそれは私だけではないようだった。
鎖の先は違う子の首につながり、その鎖はまた違う子の・・・というように私たちは全員繋がれていたのだ。
中には30人くらいの子供がいただろうか。
私と同じ幼稚園の子はもちろん、もっと大きいお兄さんやお姉さんもたくさんいた。
泣き出す子、叫ぶ子、どこか虚空をぼげーっと見つめてる子、祈りを捧てる子、ブツブツと何かをつぶやいている子、様々な子がいた。
私は突然寂しくなってきた。
溢れ出そうになる涙をグッとこらえる。
いつもママは言っていたから。
女の子はいつだって強くなきゃいけない。泣いている暇があるなら強くなれ。って。
普通の幼稚園児の子達に比べれば数倍心が強かったのだろうか。
突如重たく冷たい扉が開かれても私は体をびくつかせもせずにただジッと扉を開いた主を睨みつけていた。
「おらさっさと歩け。」
鎖の一番前の子の鎖を引っ張り無理矢理立たせる。
骨と皮だけで出来ているような骸骨のような男であったが態度は見た目とはうって変わりかなり傲慢な性格のようだった。
偉そうに威張り私たちを萎縮させる。
骸骨のような男は鎖をひっぱり私たちをどこかへ誘導する。
どこに向かっているのかはさっぱりわからない。
私は歩いている最中しきりに辺りを見渡していた。
どこか生臭く、埃っぽい廊下は永遠と続いているように思えた。
窓一つなく、先程から横切る人間の目には生気というものは欠片も宿ってはなかった。
まるで死んだ魚のような目をして、冷たかった。
「立ち止まってんじゃねぇぞッ!」
突然怒鳴り声が前の方から響いた。
全員鎖でつながれているため誰かが止まれば自然と全員止まらなくてはならなくなる。
一体何があったのかと私は前を見る。
「おうちかえりたいよぉ。はやくおうちにぃ。ままぁ!ぱぱぁ!」
同じ幼稚園の女の子だった。
極度の緊張に耐え切れなくなったのか地面に座りこみ大声で泣き始めてしまった。
「このクソガキッ!早く立てっつてんのが聞こえねぇのか?!」
近くにいた大男がその子の鎖を引っ張り上げ、その子は無理矢理立たされる。
しかし癇癪を起こしてしまった女の子はわんわん泣き叫びながら言うことを聞こうとしない。
「ま”ぁああああああああああまぁあああああうあああああああんんんッッ!ババぁああああああぁぁあだずげでぇええええうああああああぁぁああぁぁんんッッ!!」
「うるせぇぞガキッ!!黙れって・・・言ってんだろうがッ!!」
大男は腕を振り上げて女の子の頭を殴りつけた。
ゴンッという鈍い音と共に私は目をつむる。
それと同時だろうか。
女の子の声はパタリと止んでしまった。
―――――声になってない悲鳴を誰かがあげたような気がした。
「あー、もう何やってんだよ。」
違う男がその大男に近寄っていく。
「わりぃ。ついカッとなっちまって。」
「だからってせっかくの実験道具を*しちまわなくてもいいだろうが。」
・・・え?
今・・・なんて・・・?
大男は倒れる女の子を掴みあげて繋がれている鎖から解放する。
私たちはあの解放を望んではいた。
でも、あんな解放のされ方誰も望んではいない。
「あ・・・あ・・・あああああああぁぁぁあああああぁあぁぁあああああッ!!」
女の子のすぐ後ろにいた小学校高学年くらいだろう少年がその場に座り込む。
刹那、二人の男がギロリと少年の方を睨みつけさらに少年は萎縮する。
ズボンがじめっと湿り、歯の根がガチガチとなる。
「・・・ぃ・・・いや・・・・こ・・・殺さな・・・・ぃ・・・・。」
ガタガタと震える少年の顔を見ながら女の子を抱いている大男がハーっとため息を吐いた。
そして少年と同じ目の高さにしゃがみこむとその女の子の頭を掴み少年の目の前へと押し付けた。
「てめぇもこうなりたくなければさっさと立て。」
拍子に舌が口からだらりと垂れた。
白目を向き、額からは血がとろりと流れいている。
「う・・・・うぁ・・・・あぁあ・・・あああああああああぁぁああっぁあああああああああああぁぁあぁああああああああ!!!」
鎖を引かれて私たちは長い廊下を歩いた。
歩いて歩いて、足も限界に近づいたとき曲がり角にようやく入った。
いや、そこは曲がり角なんかじゃなかった。
単なる部屋であった。
部屋の中は広く、先ほどの部屋より幾分綺麗ではあったがやはり窓は存在しない。
「おらさっさと入れッ!」
鎖に繋がれたまま部屋に入れられ隅のほうへと追いやられる。
一体この部屋で何をさせられるんだろうか。
私はようやく不安を覚え始めた。
あのバスの中で感じた不安をようやく取り戻し始めていたのだ。
今思えば今まで不安にならなかったのがおかしかったのだ。
きっと私はまだどこか現実感のないこの世界のことを信じてなかったのだろう。
ここにきてようやく私はこれは全て現実の事なんだと悟った。
大人たちは私たちを隅に追いやると何かを準備し始めた。
一瞬それははんこのようなものだと思った。
しかしそれを彼らは火で炙り始めたのだ。
一体何をしているのだろうか。
そう思っていると一番前の子が鎖を外され、大人たちがいる部屋のど真ん中へと連れて行かれた。
「あの・・・何するの・・・。」
弱々しくも女の子は問う。
「黙って左腕出せ。」
ギロリと睨まれ女の子は震える手を抑えるように左袖をまくりあげ白く細い二の腕を露出させる。
男はそんな今にも折れそうな腕を乱暴に掴み先ほどからずっと炙っているはんこを二の腕の方へと向けた。
「え・・・・。」
「おいてめぇら押さえつけろ。」
「い・・・いぁ・・・やぁ・・・やめ・・・。」
女の子が弱々しく抵抗するが大人たちに押さえつけられもうどうやっても逃げ出せない状況に陥ってしまう。
「やだ・・・やだ・・・やめ・・・ひぃやあぁあああああぁああああうぎゃあああああああががががああああああああああああっ!!」
ジュウっという軽快な音と共に女の子のこの世のものとは思えない悲鳴が部屋中に響いた。
体中がプルプルと痙攣し、目からは溢れんばかりの涙が、表情も歪みもう私はその光景を見てられず思わず目を瞑り耳を塞ぐ。
しかし鼻からは肉の焼けた匂いのようなものが漂ってきて私の吐き気を誘う。
ありえないありえないありえないありえない。
彼らは彼女の腕を焼いているのだ。
気づけば女の子は解放され再び鎖につながれていた。
左腕がふと目に入った。
ヒドく焼け爛れていたがそれが何かの数字だということは理解できた。
そして彼らは次の少女を鎖から外し再び同じようなことを繰り返す。
一度その光景を見てしまった私たちは嫌でも抵抗してしまう。
だから言うことを聞かない子供については暴力で従わせていた。
「おら立て。」
嫌でも順番は回ってくる。
私の鎖が離されやっとあのジャラジャラうるさい鎖ともお別れできた。
でも私はその鎖から離れたくなかった。
プルプルと震える体を抱きしめながらも私は歩く。
だってじゃないと殴られるから。蹴られるから。*されるから。
恐怖に潰されそうになりながらも私は必死に耐えた。
「腕だせい。」
体中から嫌な汗が吹き出る。
心臓が痛いほど打ち付け、恐怖を警告している。
「うう・・・ままぁ・・・・。」
服の裾を握り締め涙を必死にこらえていた。
「ほら早くしろ。」
無理矢理男に服の裾を持ち上げられ私に腕が顕になる。
そして体中を彼らに一気に押さえつけられた。
「えっと・・・てめぇは・・・242だな。」
男は赤く光るはんこの持ち手をいじって面の数字を変える。
そして狙いを定めるかのようにゆっくりとはんこが腕へと近づいてくる。
怖くて怖くてたまらなかった。
声を出そうにも力が入らなかった。
ジリジリと照りつく太陽のように私の肌は熱を感じた。
そして一気にその太陽が落ちてくるかのような感覚に囚われた。
痛かったかなんて覚えてないし、さほどの問題ではないと思う。
私はただ恐怖のあまりに気を失ってしまっていた。
目が覚めたらそこは暖かい自宅で私は寝坊してて・・・とかいう安っぽい漫画のオチを期待していたのにそこは無情にも冷たいコンクリートの上だった。
「大丈夫?」
目の前の少女が疲れきった顔で私に話しかけてくれた。
「気を失ってたんだよ?痛かったね。大丈夫?」
五感が戻ってきてようやく二の腕の痛みに気づく。
チラッと見てみるとそこは赤くただれた数文字で242という番号が刻まれていた。
「・・・・・・・なにこれ。」
「これが今日から私たちの名前なんだって。」
「なまえ?ちあきはちあき・・・なのに?」
「ちあきちゃん・・・もう、諦めたほうがいいよ。私たちは一生アイツ等の家畜。逃げ出すことも死ぬことも許されないんだよ。」
お姉ちゃんは悲しそうに笑った。
一切の希望さえ見えていない諦めた目をしていた。
「・・・・おねえちゃん・・・おねえちゃんもバスのせんせいにだまされたの?」
「ん?・・・あぁ、私はね・・・自分でここに来たんだよ?」
「どうして?」
「私の家は貧乏で・・・なのに大家族だったの。それで弟や妹たちを助けるためにね・・・・。ちあきちゃんくらいの妹もいたの。」
お姉ちゃんは私の頭を243と刻まれた腕でそっと撫でた。
きっとその瞳には自分の妹の姿が映っていたんだろう。
でも私にはそれを感じ取ることができなくて自分に当てられた愛情だと思い初めて安心感を抱いた。
「移動するぞ。立てこら。」
先程まで誰もいなかったのに突然扉が開きあの皮と骨の男が入って来た。
乱暴に鎖を引っ張り私たち全員は部屋から出る。
私のすぐ後ろにはお姉ちゃんが歩いている。
そう思うだけでなんだか心強かった。
ジャラジャラと耳障りな鎖の音が廊下に響く。
随分長い間歩かされてふと何かのうめき声らしいものが聞こえてきた。
ここでは犬か何かを飼っているのだろうか、そう思ったのが間違いだった。
「ひっ。」
後ろで小さくお姉ちゃんが悲鳴をあげる。
それも無理はない。
私も空いた口が塞がらなかった。
分厚い扉をくぐるとそこには無数の鉄格子が並んでいた。
そして一つ一つの牢屋にはボロ雑巾のような服を来た少年少女たちが閉じ込められていた。
ひとつの牢獄に2、3人の人間。
狂ったように叫ぶ子や、無気力にこちらをジッと見つめる子。
様々な子がいるなか私は何故この子達はこんなところにいるのかと不思議に思った。
しかしすぐに答えは見いだせた。
彼ら、彼女らの腕には統一して私の腕にもある数字が刻まれていたからだ。
私もあの子たちと同じようになるんだ。
収まっていた恐怖がまた吹き上がる。
「242!立ち止まるなッ!」
自分の番号が呼ばれビクッと体がこわばる。
「ちあきちゃん歩いて。」
「うん・・・。」
お姉ちゃんに背中を押されて私は無理矢理歩き出す。
私はどこかで思い出していた。
液晶の向こうで見た何かの映像。
なんだっけな・・・こういうときに限ってこそ何も思い出せない。
ママの顔さえも・・・なんだかぼやけてきちゃったよ・・・。
「お前らはここだ。」
気づけば目の前にいた人たちはいなくなり、私が先頭になっていた。
「さっさと入れ。」
男の人に言われるがまま私は薄汚れた牢獄の中へと入った。
一緒にお姉ちゃんも入って、鍵を閉められた。
鎖からは解放されたものの首にはめられた輪は取られなかった。
「どうやらここが私たちの部屋みたいだね。」
お姉ちゃんは私を安心させようとしたのかリラックスしたように伸びをし冷たい床に座り込んだ。
ここにはコンクリートの床と、硬そうなベッドが二つ、そして奥にはお手洗い。
それ以外には何もなかった。
向かいには私たちと一緒にここに連れてこられただろう少年二人が絶望した表情で各々ぼーっとしていた。
「ねぇおねえちゃん。」
「どうしたの?」
「ちあきたちずっとここにいるの?」
「・・・うん。そうだよ。死ぬまでずっとだよ。」
「なんでなの?」
「・・・・・・・わかんないよ。」
お姉ちゃんは少し自嘲気味に笑った。
なんでそんな笑い方をしたのかさっぱり分からなかった。
「・・・・こわいよね。」
体操座りをしてお姉ちゃんは顔を足にうずめた。
私も疲れた足を癒そうとお姉ちゃんの隣に座り込んだ。
「お姉ちゃんすごく怖いんだ。これがあの子たちのためって分かってんのに、いまだここに来たことを後悔してる。私の中にいる黒い何かが今にも溢れ出しそうで・・・怖いの。なんで私があの子達のために人生捧げなきゃなんないの・・・って・・・。あはは・・・私お姉ちゃんなのにね・・・こんなこと当たり前のことなのにね・・・・・・・。」
「・・・おねえちゃんがいっているいみわかんないよ・・・。」
「分かんなくていいよ。分かったらきっとちあきちゃんは私を蔑むだろうから。」
お姉ちゃんの声がわずかながらに震えているのがわかった。
言葉の意味は難しくてさっぱりわかんなかった。
でもお姉ちゃんがとても傷ついてるってことだけは確かにわかったんだ。
だから私にできることは一つしかなかった。」
「・・・え?」
「だいじょうぶだよ。ちあきがいるよ。」
小さな手で私は一生懸命お姉ちゃんの頭を撫でた。
お姉ちゃんは始め驚いたような表情をしていたが、すぐに柔らかい笑みがこぼれ落ちた。
「ありがとう。ちあきちゃんは強いんだね。年上の私がこんなんじゃダメだよね・・・お姉ちゃん、ちあきちゃんがいれば何か頑張れる気がするや。」
ここに来て初めてお姉ちゃんの本当の笑顔が見られたような気がして私は嬉しくなった。
そして私も思った。
お姉ちゃんがいれば私も頑張れるような気がする。
ママにいつも耳にタコができるほど言われてきた言葉。
“強くあれ”
私はその言葉を何度も心の中で復唱していた。
でも、だからと言ってそれだけで乗り切れられるような生半端なことはここではされない。
いつも看守の恐怖に怯えてなきゃならないし、少ない食料、不衛生な場所での生活。
ストレスがたまらないわけがなかった。
そして時折聞こえる誰かの悲鳴と、銃声。
血まみれの子供が牢屋の前を引きずられるのを何度も見た。
でもここで泣くことは許されない。
私はお姉ちゃんと一緒に耐えていた。
そして、私の最も嫌いな時間が晩御飯の後に訪れる。
「242、243部屋から出ろ。」
私たちは看守に連れられ牢屋のある部屋から清潔感のある診療室のような場所へと連れてこられる。
しかしそこはよく見る診療室とはうって変わる場所が多数ある。
それは部屋の真ん中に人を拘束するような椅子が置いてあることだ。
そこの周りには血や体液がこびりつき、この部屋で唯一不衛生だと思わせるところだ。
「242、座れ。」
私の番号が呼ばれ私は震える体と、抑えきれない吐き気を押さえ込み一歩ずつ椅子に近寄る。
一歩を踏みしめるたびに私の意識はグラグラと揺れるがそんなこと気になんてしてられない。
だから私はそんなこと全て押さえ込んで椅子へと向かわなきゃならない。
「固定しろ。」
椅子に座ると、両手足、首、胴がベルトで固定されもう自力では動けなくなってしまう。
そして私の二の腕にチューブが取り付けられる。
「ほら、今日も駐車の時間だ。」
気持ちが悪いおっさんが注射器を持ってニタニタとこちらの様子を伺っている。
私は注射器が肌に当たる瞬間ギュッと目をつむる。
いやだっ。
おちゅうしゃはもういやなの。
うたないで。
それだけはおねがいだからっ。
きもちわるいよ。
あたまがいたいよ。
なにもかんがえられないよ。
くらくらするよ。
おねえちゃん・・・おねえちゃん・・・・。
何度助けを乞おうが誰も助けてくれない。
ここは希望なんて言葉は一切通用しない世界。
私たちはただただアイツ等のモルモットとして注射を打たれ続けられなきゃならないの。
これがなんの注射なのかなんて知らないし、知りたくもない。
だけと確かに私は実感していた。
この薬のせいで自分の体に起こっている変化をそれとなく感じていた。
「私思うんだ。」
薬の副作用も収まる昼過ぎ、お姉ちゃんはしたくもない注射の話を始めた。
「いつも打たれているこの薬の正体って、人の身体の五感を鋭くさせるものなんじゃないのかなって。」
「・・・どういうこと?」
「ちあきちゃん思わない?最近耳が良くなったり、目が良くなったり・・・多少のキズでもすぐに癒えたり。」
私はお姉ちゃんに言われて気づいた。
確かにそうかもしれない。
ここに来て1週間程度だろうか。
注射はまだ4回しか打っていないから4日目なのだろうか。
よくは分からないが確かに傷の癒えは早いし、看守たちのこそこそ話もよく聞こえるようになった。
「もしかしたらアイツらは私たちを使って戦争でも起こす気なんだよ。」
「せんそう・・・?」
「大勢の人が傷つけ合い、殺し合う、バカらしい喧嘩のこと。」
「ふーん・・・。」
やっぱりお姉ちゃんの言ってる意味がわからなくて私はつまらなさそうにベッドに座り込む。
もうすぐ注射の時間だからそんなこと考えてられなかった。
「・・・・・ちあきちゃんは帰ったら何がしたい?」
その質問に私はぎょっとした。
希望を捨てろ、と言っていたはずのお姉ちゃんが初めて希望を促すような言葉を口にしたからだ。
「え・・・。」
「私はまずお風呂に入りたいかなー・・・。それで陽の光をいっぱい浴びて、お昼寝したいかも。あ、もちろん家族とね。きっと気持ちいいんだろうなー・・・ねぇちあきちゃんは?」
「ちあきは・・・・・・。」
もう諦めていた。
だからそんなこと急に振られてもすぐには答えられなかった。
何故なら
「やりたいこといっぱいあってわかんないよ。」
「っはは。そうだよね。うん。全部したらいいと思うよ。ううん。全部しようよ。お姉ちゃんも手伝ってあげる。ね?約束だよ。ここから出たら、ちあきちゃんのやりたいことやろう。」
お姉ちゃんは小指を私の方へ突き出してきた。
それが指きりげんまんということに気づき私はその指とお姉ちゃんの顔を交互に見る。
そして恐る恐る私は小指をお姉ちゃんの小指に絡めた。
「うんっ。やくそくだよ。」
そんなのただの気休めでしかないのに。
お姉ちゃんの心がそれほどまで弱っていたなんて私は知らなかった。
その時私は本気で信じてしまったんだ。
お姉ちゃんと一緒にここを出るってことを。
ここに来て何日目だろうか。
日に日に副作用は強くなり、内蔵が掻き回されるような気持ち悪さが体中を襲い夜も寝れないほどだった。
だけどあの時にしたお姉ちゃんとの約束のために私は弱音を吐かずに頑張った。
でもお姉ちゃんは日に日に衰弱していった。
頬が痩せこけ、顔色も青白く、明らかにおかしかった。
私がお姉ちゃんに話しかけても上の空。
何かブツブツと唱えたり、正直気味が悪かった。
でもそれは決してお姉ちゃんだけのことではなかった。
向かいの少年二人も同じような状況だった。
私だけ、まだ正常。
それが何か無性に怖くって私はボロ雑巾のような薄っぺらい布団の中に隠れた。
早く早くいつものお姉ちゃんに戻って欲しくって。
私はずっとずっと祈り続けた。
誰に、何に、どう祈ればいいかなんてさっぱり分からなかったしそのうち神様なんているものかと思い始めたりしていた。
しかし、そうせずにはいられなかった。
あぁ、お願いだから・・・お願いだからお姉ちゃんを元に戻してください。
薬なら私が倍引き受けるから・・・だからもうお姉ちゃんを苦しめないで。
でも祈っても祈っても虚空に消えていく。
私は涙をグッとこらえて辛抱した。
しかしそんなある日転機が訪れる。
「242番。」
番号を呼ばれ体中に力が入る。
しかし今はご飯を持ってくるわけでもなく、注射の時間でもない。
なのになぜ看守が私を呼ぶのだろうかと不思議に思う。
「242番、出ろ。」
「・・・え?」
「出ろ。」
牢屋の鍵が解き放たれる。
私は意味がわからずチラっとお姉ちゃんのほうを見る。
しかしお姉ちゃんは自分のベッドの上で体操座りをし一人でブツブツと言っているだけで私に興味を示そうともしなかった。
「どこいく・・・んですか?」
「お前の母さんが迎えに来てる。」
その言葉に全ての牢屋がざわめいた。
私も一度は言葉の意味が飲み込めなかった。
「え・・・?」
「さっさと歩け。」
牢屋がガチャンと閉められる。
私はもう一度牢屋の中を見る。
すると先程までは私に興味を示してなかったお姉ちゃんがこっちをじっと見ていた。
「おねえ・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・あっ・・・・。」
声は聞こえなかった。
でも確実に私には届いた。
看守の人に背中を押され、私は強制的に歩かされる。
周りの牢屋の人間が私を睨むような目でみたり、暴言を吐きかけたりする。
でも私には一切届かなかった。
だって信じられなかったから。
お姉ちゃんのあの蔑むような目を。
お姉ちゃんの言ったあの言葉を。
“ウ ラ ギ リ モ ノ”
2-14
「私が誘拐されてわずか二週間でママは私の居場所を突き詰めたの。経由は教えてもらえなかったけど多分ママは裏の人間とどっかで繋がってたんだと思う。私は誘拐されて三週間でママと共に日本へ帰ることになった。それから私は入院して治療が施された。肉体的なものから精神的なものまで、全ての治療をね。まぁ体質が体質だったのかそこまで薬により悪影響はなかったみたいですぐに退院できたの。腕に刻まれたやけどもそれ以上の傷が付くことになったけど消すことが出来た。あとは私があの時の記憶をなくせれば、完璧だった。でもね、忘れられるわけがないじゃない。・・・・お姉ちゃんのこと・・・・・絶対に・・・・忘れられるわけないよっ・・・!」
千秋の話は想像を絶するものだった。
俺らが千秋に会う少し前にそんなことがあったなんて夢にすら思ってもなかったからだ。
「ごきげんよう、皆様方。」
突然聞きなれた声が後ろのほうから聞こえ俺らは反射的に目をそちら側に向ける。
するとそこにはやはりイズミが立っていた。
さらに後ろには見慣れない金髪の男も立っていた。
「てっめぇ・・・・!」
殺気立ち怒りを顕にさせる冬弥にイズミは涼しげな表情を浮かべていた。
「城ヶ崎千秋。今から9年前に施設の人間に誘拐され、異例中の異例として正式な方法で脱出した信じられない被験者。俺、あんたのこと噂でちょこっと耳にしてたんだが・・・まさか会えるなんて思ってもなかったぜ。」
喋りだしたのは金髪の男だった。
金髪の男が千秋のほうへ近寄ろうとするもんだから俺は咄嗟に二人の間に割って入った。
「・・・なに、君。」
「お前こそなんだよ。」
「あぁ、俺?俺は・・・・ふふっ。名乗るほどのもんじゃねぇ。そこのお嬢さんと同じ時期にあの施設にぶち込まれた同期ってやつよ。俺の番号、258だぜ?」
金髪の男は自らの左二の腕を指しながら不適に笑った。
そして固まる俺を押しのけ千秋の顎を掴み無理矢理顔を自分の方へ向かせた。
「お前が感じてた地獄なんて俺らに言わせればその上澄みですらない。教えてやろうか?あのあと俺らが、お前の言う姉ちゃんがどんな目に合わされたのか、たっぷり教えてや」
「アトゥ。」
金髪の男の名前はどうやら“アトゥ”と言うらしい。
イズミにそう呼ばれアトゥは何か言いたげな表情をしていたが千秋から手を離して、イズミのほうへと戻った。
「城ヶ崎千秋が被験者であることはこちらでも確認が取れました。おめでとうございます。貴方方は世界の歴史を変える大いなる役目を果たすのです。」
イズミとアトゥの拍手だけが虚しくこの部屋に響いていた。
俺は全く状況が飲み込めてはいない。
きっとほかの人たちもそうに違いない。
そう思いいとこたちの顔を見たが一人だけ、冬弥だけはやっぱりか、と言わんばかりにため息を吐いていた。
「俺らどうなるわけ?それぐらい答えられるよな?」
「アルマ・カタストロフィというものは人間のことではなく、血です。ですから貴方方から全ての血をこし出させて頂きます。そしてこしだした血は数分もすれば輝きを持ち、黄金の塊へと変化するのです。」
イズミの淡々とした説明のおかげで危うく聞き逃すところだった。
「・・・は?・・・てめぇ今なんつった?」
冬弥だけではない。
全員の顔が引き攣る。
「ですから、全ての血をこしだし我が総帥に捧げるのです。」
「全ての・・・血だと・・・・?どういう意味だ・・・・?」
「お前ら物分り悪いのか?つまりお前らを圧搾機に掛けて潰すってことだよ。」
圧搾機・・・?
ここに来てから言葉の意味を一度考え直さなきゃいけないことが多くなった。
圧搾機なんて人にかけなんかしたら俺らは・・・。
「貴方方は我らのために尊い犠牲となっていただくのです。」
「・・・ふっ・・・・ふっざけんじゃねぇぞッ!!!」
冬弥の怒りが爆発し、目の前の机を蹴り倒す。
机の向かいにいた璃々夏が小さな悲鳴をあげるがそんなもの気にしてられる様子ではなかった。
冬弥は立ち上がり、イズミの胸ぐらを掴みあげて睨みつける。
「なんで俺らがてめぇのために死ななきゃなんねぇんだよッ!訳分かんねぇんだよッ!」
「すいません。離してもらえますか?」
「んなこと聞いてねぇんだよッ!おい!今すぐ俺らを解放しろッ!じゃねぇとてめぇをぶっころすぞ!」
「離してください。」
「なんなんだよてめぇらッ!とっとと俺らを解放しろっつってんだよッ!聞こえ・・・うあ?!」
冬弥の体が反応できるまでには既にすべてが終わっていた。
ふわっとまるで大人が子供を抱えるかのようにイズミは冬弥を持ち上げそのまま床へと投げつけた。
「聞き分け悪いのよあんた。言ったでしょ?もうあんたらは死ぬしかないの。だから大人しくここで走馬灯でも見てなさいよ。」
「・・・・ってめぇ・・・!」
冬弥が再びイズミに飛びかかろうとするのを寸前で俺が後ろから捕まえる。
「春斗何すんだよ!」
「もう止めろ・・・こんなのお前らしくねぇよ・・・。」
冬弥は抑えきれない感情を噛み締めるかのように歯を食いしばり身体の力をようやく抜いてくれた。
「わりぃ・・・取り乱した。」
「執行の日はまた追って連絡します。残りの余生、悔いのなきようお過ごしください。」
そう言うとイズミとアトゥはそそくさと部屋から出て行った。
その際に重い鍵の閉まる音がしっかりと部屋に響いた。
俺らは緊張の糸が切れるかのようにその場に座り込む。
「ったく・・・どうしろって言うんだよ・・・。」
先ほど冬弥を止めはしたものの俺だって気持ちは一緒だった。
やりきれないこの思いをどこかにぶつけたかった。
でもどこか現実味がないのだ。
だから少し気持ちがふわふわしているのも事実だ。
「私たち・・・ほんとに愛しの果実なのかしら・・・・。」
「今更んなもん関係ねぇよ・・・どっちみち殺されるには変わりねぇさ。」
「やけに今日の冬弥はおしゃべりだな。」
「別に。」
イライラを隠しきれない冬弥はポケットに手をつっこみソファーに座り込む。
俺の先程まで座っていたソファーに座り直す。
隣には膝を抱え小さく震えている千秋の姿が目に入った。
「千秋お前大丈夫か?」
「・・・ご、ごめん・・・。ほんと・・ごめん・・・私・・・・私・・・のせいだ・・・・私なんかが幸せを望んじゃダメだったんだ・・・だから・・・だからこんな目に・・・。」
「ち、違いますわよ千秋!千秋のせいではありませんわ!ここにいる誰にも罪はありませんのよ?!」
「ううん・・・私のせい・・・私がお姉ちゃん裏切ったりしたから・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめっ・・・うううぅぅあああぁぁああ・・・・あ”ああぁぁああああぁあぁあああああぁあああああッ!!!」
ぷつんと千秋の理性が音を立て切れた。
そして千秋は頭を掻きむしりながらこの世のものとは思えないほど気味の悪い奇声を発し始めたのだ。
「ち、千秋おいしっかりしろ!おい!」
「あ”あ”あ”あぁぁぁあぁぁぁああああぁあぁぁっぁあががががががああああああああああうあああああぁあああ”あ”ッッ!!!」
俺と璃々夏が必死に千秋に声をかけるが一切通用しない。
白目を向き、よだれを垂らす千秋の姿はもう常人ではなかった。
見ていて痛々しく思わず目を逸してしまいそうになる。
悲鳴は弱くなることを知らず永遠と耳障りな音を奏でる。
その時だった。
千秋のほうに意識が行ってて全く気付かなかった。
かくんと千秋の首が折れ、奇声が止む。
「冬弥お前・・・!!」
いつの間にやら千秋の後ろに周り冬弥が千秋を気絶させたらしい。
「こうでもしねぇと落ち着かねぇだろこいつ・・・。」
乱暴なことをすればいつも怒る璃々夏も今回ばかりはそれが正しいと判断したのかベッドから毛布を持ってきて千秋にそっとかけてあげた。
涙とよだれでぐちゃぐちゃになった千秋の顔を見ながら俺は改めてあの人体実験とやらの悲惨さを思い知らされることとなる。
いつも笑ってて憎まれ口を叩きながらもみんなから愛されるキャラの千秋にまさかこんな一面があっただなんて誰が信じるだろうか。
実際に俺だってにわかに信じられるわけではない。
でも信じざるおえないのだ。
「・・・どうすんだよ・・・これから・・・。」
「きっと今頃お父様たちが私たちがいないことに気づいて警察に通報してるはずですわ。きっと迎えに来てくれます。」
「それはどうかな。」
再びソファーに腰掛けた冬弥が遠い目をしながらそう言う。
「どういう意味ですの、冬弥。」
「警察がすぐ見つけれるようなところに俺らを隠したとは思えない。多分俺らの居場所を突き止められたとしても既にその時には俺らはもう・・・。」
「んな・・・んなわけねぇだろ?!」
思わず立ち上がるが、それは何の意味を持たないことということが痛いほど身にしみ悔しさに拳を震わせながら再び腰を下ろす。
「・・・・・・・もし、助かる方法があるとすれば・・・・。」
不意にそう璃々夏が言った。
「あるとすれば・・・?」
「・・・千秋だな。」
続きを冬弥がつむぐ。
そこで俺は気づいた。
千秋は被験者だ。
たった二週間であろうが肉体強化をされている。
もしかしたら千秋ならばここから抜け出すことが出来るのではないのだろうか。
「でもずっと千秋はその事実を消そうと生きてきた・・・・今更そんな力を発することできるのか・・・?」
「可能性は限りなく低い。・・・でもやらねぇわけにはいかねぇだろ。」
「・・・・千秋・・・。」
璃々夏がそっと眠っている千秋の頬を撫でる。
先ほど冬弥に気を失わされてから千秋は規則的な呼吸を繰り返しながら穏やかに寝ていた。
許されるのならばこのまま千秋には安らかに寝ていてもらいたい。
起きてしまったら受け入れがたい現実が待っているのだから。
「それと、もう一つ。」
「なんだよ。」
「俺らは愛しの果実の可能性がある。つまりこの力を覚醒させれればこの状況はひっくり返る。ただし、俺らはそんな力の使い方なんて知らねぇし、そもそもほんとに俺らが愛しの果実だって確証はねぇ。これも賭けになる。・・・・・どうだ?」
確かにそれも一理あるかもしれない。
けれど俺らは冬弥の言うとおりその力の使い方など知らないし、自分たちが愛しの果実の可能性があるということも今日初めて知った。
その時、重苦しい開錠音が突如聞こえた。
俺らは体を強ばらせ扉の方を睨みつける。
しかしそこに入ってきたのは目を疑うようなまでに幼い女の子だった。
「えっ・・・・。」
思わず声が出てしまう。
艶やかな黒髪を2つに結い、ぬいぐるみを抱えた女の子がてくてくとこちらに歩いてくる。
その表情は少し憂いを帯びており年相応のものではなかった。
「お前・・・誰だよ・・・。」
こんな小さな子にも少しの恐怖を抱く俺らは既に怯えきっていたのかもしれない。
「・・・・・・・・可哀想。」
そう女の子は呟いた。
「・・・誰だよ。」
「私はカノ。みんなと同じ、囚われの身。」
「お前もあのスパイ女に連れてこられたのか?」
カノと名乗る少女は空いているソファーにちょこんと座る。
俺らは少し警戒しながらもその子に質問を問いかける。
ここはどこだ、お前は何者だ、脱出の方法は・・・。
しかしカノは何一つ喋ろうとしない。
ただ黙ってぬいぐるみを抱きしめるだけだ。
「おいおい・・・喋ってくれねぇとこっちも困るんだよ・・・。」
冬弥はため息がちにうなだれた。
そしてその時カノは口を開いた。
「自由って、幸せってなんなの?」
翳りのある表情はずっと晴れなかった。
憂いを秘めたその瞳からは過去に何かがあったことが容易にとってわかる。
「カノはね、ずっとずっと一人だった。今はマギサさんたちがいるからひとりぼっちじゃないって思えるかもしれないけど、やっぱりカノはひとりなの。誰もカノと同じ考えの子はいないもん。マギサさんも、アトゥさんも、バベルさんも・・・ほかの部所の子だってそう。誰も逃げ出そうとしないの。処刑台の上にいたカノたちを救いだしてくれたのは確かに総帥かもしれない。けどね、カノたちは家畜じゃない。ただ餌を食らって、飼育員さんの言うことを聞いてるだけじゃカノたちが人間で生まれた意味がなくなるの。この檻から逃げ出す勇気を持たなきゃだめなの。・・・・・そう分かってる。分かってるの。でも、カノは弱いから・・・。カノはずっと家畜のままだから・・・。・・・お兄ちゃんたちは自由を知っている。だからカノたちとは違う。この檻が狭いって分かってる。だから教えて?カノに教えてよ。自由って、幸せって何?」
カノの言っている意味がよく分からない。
一体この子が何者なのか、何を求めて俺らのところへ来たのかさっぱり分からない。
なのにカノの言う言葉の重みが俺の心に深く突き刺さる。
「カノちゃんはそれを聞きたいがためにここに来たんですの?」
優しい口調で璃々夏がカノに問いかける。
カノは一瞬目線を逸らして千秋のほうを見た。
「・・・・マギサさんが言ってた。鳥かごの外を知ってしまった鳥は一見自由に見えるかもしれないけれど、いつまでの囚われたままの醜い生きた屍、って。」
それが千秋のことというのは明白だった。
きっとカノは千秋のことが知りたいのだと思った。
あんな非道な実験の後にも元気に生きていた千秋の心情が知りたいんじゃないのだろうか。
「おい子供。」
どすの聞いた黒い声がその場の空気を一気に変える。
冬弥がイライラした表情でカノを睨んでいた。
「お前が鳥かごに囚われてようが、千秋がそこから解放された身であろうが、今の俺らには何の関係もねぇ。」
「ちょ、冬弥!そういう言い方は」
「だからまずは俺らの質問に答えろ。お前の質問はそのあとだ。」
「・・・・・・・死亡フラグ立ててあげようか?」
「は?」
カノは立ち上がって冬弥の目の前に立つ。
そしてあの年齢の女の子が顔の筋肉を屈指してもできないだろう最上級の見下した表情を浮かべて冬弥の髪の毛を乱暴につかみあげた。
「冥土の土産に教えてやろう。さぁ、何が聞きたい?」
「・・・はっ。てめぇにはまだ中2病は早いんじゃねぇの?」
冬弥がカノの腕を払い除けカノは満足そうに初めて年相応の笑顔を浮かべてみせた。
「カノに答えられることなら何でもいいよ。あ、でもここから逃げ出す手引きとかはしないよ。マギサさんに怒られるの嫌なんだ。」
「さっきから言ってるマギサっつーんは誰だよ。」
「え?マギサさんにはみんな会ってるでしょ?ここに連れてきたのもマギサさんだよ?」
「ちっ。あのクソアマやっぱ偽名使ってやがったのか。」
「まぁマギサって言う名前も偽名なんだけどね。もちろんカノも偽名だよ。」
カノは先ほど座っていたところにちょこんと座り直した。
「じゃあカノちゃんの本名ってどういうんですの?」
カノは璃々夏からの質問に少し言いよどんだ。
でもそのあと割り切ったような表情を浮かべニカっと笑った。
「・・・周・依林(シュウ・イーリン)。」
「ほぉ。中国人かてめぇ。よく日本語使えたな。」
「日本語以外にも英語、ポルトガル語、ギリシャ語が使えるよ。あ、ちなみにねカノはカノじゃなくて本当はカノナスっていうギリシャ語で掟って意味なの。ここにいる人たちは全員ギリシャ語の名前がつけられるんだ。」
「コードネーム的なものか?」
「まぁそんな感じかな。総帥がね、自分に忠誠を誓わせる印としてギリシャ語で名前を付けるんだ。いわば首輪みたいなものだよ。」
「総帥ってさっきクソアマからも聞いたな・・・誰だ一体。」
「総帥は私たちのお父様みたいなお方だよ。」
「もっと詳しくだ。何故お前らは父と呼ぶ?」
「んー・・・ここにいる人たちはみんな孤児院とか奴隷市場から来てる子ばっかりなの。だから拾ってくれた人を父と呼ぶのはおかしいことじゃないと思うんだけど・・・。」
「だったらお前もなのか?」
「うんっ。そうだよ。カノはね昔、人体実験されてたんだけど奴隷市場に売り飛ばされちゃってそこで総帥に買われたんだ。昔に比べれば今の生活はずっと良い。だけどこれじゃあ、隣の鳥かごに移っただけ。だからカノは自由を知らない。知りたいの。」
重たい過去を笑って言えるカノの心はよほど頑丈なものだと伺える。
普通は赤の他人にそんなこと言えるわけがない。
実際に千秋は身内の俺らにも何一つ言ってはくれなかった。
「人体実験ってクソアマたちと同じあれか?」
「ちょ、冬弥それは聞く必要ねぇんじゃ」
「違うよ。カノは天使の涙被験者じゃない。」
あまりに無神経なことを冬弥が聞くもんだから止めに入ったのにカノは特に何を感じたわけでもなくサラッと答えてくれた。
「カノは中国で行われていた人体実験の失敗作として奴隷市場に売られたんだ。一体なんの実験してたのかさっぱり分からないけど、おかげで五感はかなり鋭くなったよ。」
「そうか。じゃあお前はクソアマたちほど力があるわけではないんだな。」
「マギサさんたちの力は化物級だよ。カノなんか相手になるわけもないよ。」
ここで初めて冬弥の質問の意味に気づくことになった。
あいつはカノをどうにか言葉巧みに操りここから脱出を目論んでいたに違いない。
でもカノにその力がないことが分かり冬弥は先ほど小さく舌打ちをしたのだ。
「話を変える。クソアマからも聞いたがもう一度聞く。これから俺らはどうなる?」
「信者たちを前にして公開処刑だって。」
「信者?なんだそれ。お前らどっかの宗教かなんかなのか?」
「元はね。今では立派な反社会的組織だよ。まぁ表では未だ宗教活動してるんだけどそれもただの資金集めにしか過ぎないんだよね。」
「・・・なんつー宗教だ?」
「act」
「あ・・・あくと?聞いたこともねぇぞ。」
「あんまり有名じゃないし、宗教団体としての歴史は浅いからだと思うよ。狭く深くってとこかな。信者の狂信ぶりって言ったらすごいんだから。四六時中ずっと表で拝まれてるんだから嫌になるよ。」
「なるほどな・・・。つーかそんなことされたらご近所迷惑で警察に通報されるんじゃねぇの?」
「あっはは。それはないよー。だってここ****だもん。」
思いもよらない言葉に素直に飲み込めない。
今・・・なんつった?
全員の動きが止まり、カノは頭にクエスチョンマークを浮かべている。
俺らは遠くても国内にはいると思っていた。
だけど今、カノは、なんつった?
「おい・・・お前・・・今ここがどこって・・・?」
「ん?だからアメリカだって。」
日本から米国に行くまで最短でも9時間はかかるはずだ。
ただでさえ馬鹿広い大陸なんだから場所によっては17時間かかる場所だってある。
しかもあの大嵐だ。
飛行機なんて出るはずもないし、船なんてとんでもない。
それに人間4人を拉致っているのだから国際航空をパスすることなんて不可能に等しい。
こいつらは一体俺らをどうやって国外に運び出したと言うのだろうか・・・?
自家用ジェット機?自家用の船?
いやいや、そんなもので国境を越えようとすれば自衛隊が黙ってないだろう。
もちろんカノの嘘だって疑うこともできた。
しかしそれにしてはあまりにも現実味のない嘘すぎて逆に信ぴょう性が増してしまう。
どういうことかさっぱり理解出来ない。
警察だって探すとすれば国内だろう。
まさか国外になんて・・・。
「・・・おいガキ・・・。」
「カノはカノだよ。」
「あれから何時間経ってるんだ・・・・?」
「あれからって?」
「だから俺らが誘拐されてからだよッ!!」
いきなり大声を出すものだからカノの体がビクッと揺れる。
「え・・・そんなこと言われても・・・マギサさんに聞かないとわかんないよ・・・。」
「じゃあもういい。今は何時だ?何日の何時だ?」
カノはえっと・・・と言いながらポケットをまさぐった。
そしてチェーンのついた時計を取り出し、それを読む。
「6月7日の・・・もうすぐ20時になる。」
「日本とアメリカの時差を考えたとして・・・・えっと・・・・。」
「私たちが誘拐されたと思われる時間帯は20時前だったと思いますわ。それを踏まえたうえで計算すると・・・。」
「・・・・あれから3日経ってやがるぜ・・・。」
全身の血の気が一気に引く。
それほど長い間俺らは寝ていたのだ。
それほど長い間誰ひとりと俺らを見つけることは出来ていないのだ。
「ちなみに言うね・・・・公開処刑予定時刻は・・・・今夜0時。一応カノのここに来た目的はこれを伝えるためなんだ。」
てへっと言わんばかりに舌を出して笑うカノに俺らは顔を引きつかせる。
いやいや・・・え?
なんじゃそりゃあああぁあああぁあぁあああああぁあ!!
と叫びたくなるほどフランクに言われて動揺が隠せない。
俺は思わずカノの肩を掴み前後に揺らす。
「おいおいおい待てよ待てよ待てよ!ちょっといきなりすぎるんじゃねぇのおい!」
「あうあうあぁぁ・・・やーめーてー気持ち悪いぃぃ・・・。」
「じゃあなに?俺ら今夜にも圧搾機にかけられてミンチにされるってわけ??おいおいそりゃねぇぜ!いきなりすぎるっつーの!」
「は、春斗カノちゃんが気持ち悪がってますわよ・・・!」
「あ、わ、わりぃ・・・。」
璃々夏に止められ俺はカノから手を離す。
カノは頭を抑えながら気持ち悪さに耐えているようだった。
「もうそれは絶対なのか・・・?」
「う・・・うん。今夜は満月だからね・・・うっぷ・・・。」
満月だからって何の意味があるのかさっぱり分からない。
俺は今更になって全身を恐怖が駆け巡り始めた。
本当に・・・俺は今日死ぬのか・・・?
まだやりたいこと何も成してないのに・・・まだこれからだっていうのに・・・。
俺は殺されてしまうのか?
こんなくだらない計画のために、俺は人生を終わらさなきゃならないのか?
「嘘・・・だろ・・・?」
「・・・・嘘じゃないよ。本当のこと。だからカノは一秒でも早くみんなに聞きたかったの。自由を知ってるみんなに答え・・・ん?」
ぴくりと動いた。
眠らされていた千秋の体がもぞもぞと動き始めたのだ。
「千秋・・・?」
「・・・ん・・・・ん?」
まだ寝ぼけているのか、状況が理解できずに目をこすりながら上体を起こす。
「ここ・・・は?・・・ったぁ・・・。」
先ほど冬弥に手刀を食らわされた首を痛そうに抑える。
そしてそれと同時に千秋の頭は覚めた。
「・・・・・っはは・・・・ごめん・・・・・・。」
何に対して謝ったのかさっぱり理解は出来ない。
けれど千秋が正気を取り戻してくれたみたいで俺は一安心する。
「・・・その子は?」
千秋は見慣れないカノの姿を見て怪訝そうな表情を浮かべる。
カノはそんな千秋の心がわかったのかニカっと笑うとその場を立った。
「聞きたかったことは聞けなかったけどもういいです。囚われ、逃げ出した家畜の周りの人間の暖かさを知れたから。・・・それではカノはこれにて失礼します。あ、時計は置いて行くから残りの余生悔いなきようお過ごしくださいねっ!」
「えっ・・・あ、ちょ待てよ!俺はまだお前に・・・!」
冬弥のことを無視しカノは扉へ走っていく。
しか冬弥は追いかけた。
それに何の意図があったのかすぐに理解することができた。
カノは肉体的には優れていない。
ただ五感が鋭いだけ。
ならばカノが扉を開けたとき、逃げ出すチャンスとなるのではないだろうか。
カノが扉を開けたと同時に冬弥の口元が緩んだ。
勝った・・・!
そう確信した・・・はずだった。
扉が完全に開き、廊下が見えたと同時に目の前に立ちはだかる赤髪の少年の姿。
「ざぁんねん。」
カノはすかさず道を開け、冬弥と少年の前にある障害は何一つなくなった。
と、同時に少年は冬弥の頭を掴みそのまま部屋の中へと押し戻す。
その勢いに体がついていけず冬弥は思いっきり後ろに倒れこむ。
鈍いと冬弥の小さなうめき声が聞こえた。
そして扉がパタンと閉じ、重苦しい施錠の音が部屋に響いた。
2-15
「くっそっ!!」
打った頭を抑えながら冬弥は怒りに体を震わせていた。
唯一の脱出のチャンスを失ってしまったからだ。
「さっきのクソガキ一体誰だよッ!」
「ものすごいパワーでしたわね・・・突っ込んでくる冬弥を片手で跳ね返すんですもの・・・。」
みんな心のどこかで思っていた。
きっとさっきの少年も被験者に違いないと。
じゃないと体格的に劣るあの少年が片手で冬弥を跳ね返せれるわけがない。
「一体この組織はどうなってやがるんだ・・・。」
それからは誰ひとり喋る者はいなかった。
ただカノが置いていった時計が残酷に時を刻んでいく音だけが部屋に響いた。
「バベル、カノ、只今もっどりましたぁっす!」
元気よく赤髪の少年がそう言う。
「遅かったわね。どこ寄り道してたの。」
私は紅茶を飲みながら新聞に目を通していた。
「いやぁ違うんすよ!カノちゃんがなかなか出て来なかったんすぅ!」
「おいおいバベル。カノのせいにすんなってぇー。あれだろ?中にいた女の子達があまりにも可愛くてナンパでもしてたんだろぉ?」
アトゥがニヤニヤしながらバベルに肩に腕を回す。
「んなわけないじゃないっすか!俺そもそも中入ってないんすから!なんかカノが自分だけで行かせてくれってぇ・・・そうっすよねカノちゃん?!」
「マギサさーん!今夜はこっちにいるんだよねぇ?!一緒に寝れる?!」
「カノぉおおおおおおおおぉぉぉおおぉぉ!!」
いつもの騒がしさが戻ってきて私は少しうんざりする。
静かに紅茶が飲みたいのにそれもままならないじゃないか。
「今夜は大事な日なんだから気抜かないようにしなさいよ。」
「大丈夫だよ!だから一緒に寝よ?ね?」
「じゃあ俺もマギサと一緒に寝るぜぇ!」
「あ”?!アトゥさんまさかカノとマギサさんの甘美なる時間を邪魔しようってわけじゃないよね?!」
カノは戦闘態勢に入ったのかマギサを庇うかのように構える。
アトゥも負けじと構えるが後ろからバベルにチョップされその場に倒れ込んだ。
「ったくアトゥさんは少し大人になってくださいっす。」
「そうよ。肉体強化してないカノがここまで強いのはあんたと違って真面目に練習してたからよ。ガキが。」
「ばーかばーか!」
「ぐへっ・・・アトゥは瀕死のダメージを負った・・・がくん。」
アトゥは全員から言葉の暴力をくらい体を一度びくんと震わせそのまま動かなくなってしまった。
しかしこれがアトゥの構ってくれアピールだということを誰もがわかっているのでそのまま放置をし、話を進める。
「今夜0時に中庭で抽出が行われる。一時間前に信者を入れ、30分前にA・Cを入れるわ。私たちは警備及び護衛よ。気抜かないようにね。」
「ようやくこの日が来たんすね。」
「えぇ。これで総帥の願いも叶うわ。」
私は紅茶をすすりながら遠くを見つめる。
ようやくこの日が訪れた・・・。
これでようやく恩義が果たせる・・・。
「そういえばアトゥたちの任務先はどうなったの?」
「ん?あぁ、お前がA・C見つけたとか言うから強制帰還命令が出たんだよ。だからあっちは放置。」
「俺もっす。まぁあんな男だらけのむさっくるしいとこさっさとおさらばしたかったんで良かったんすけどねー。」
「最終マニュアル施行の命令は?」
「今んとこねぇし、これからもないだろ。だってもう見つけちまったんだからな。」
少し嬉しそうにアトゥがそう言った。
「でもあの人たちが絶対にA・Cだって保証はないんすよね?」
「・・・・えぇ、まぁね。科学部の検証でも反応は薄かったみたい。でも総帥が認めちゃったから。」
「違ったら違ったでまた俺らは日本に派遣されるだけの話だ。何の問題もねぇ・・・ってまぁこれ以上の犠牲を出さないためにもあいつらにはA・Cであってもらわなきゃ困るんだけどな・・・。」
「そうっすね・・・。」
部屋の空気が少し重くなる。
「私たちは総帥の人形よ。総帥が操るがままに私たちは踊らなきゃならない。分かってるでしょう。」
私がぴしゃりと言い放つ。
同世代の人間と触れ合ったこいつらはきっと勘違いを起こし始めてるだけだ。
私が元の道へと正してあげなきゃならないだろう。
「みなさん・・・。」
不意にカノが深刻そうな表情で言う。
「どうしたんすかカノちゃん。お腹でも痛いんすか?」
「・・・・・・なんでもないよ!バベルさんオレンジジュース!」
何故かカノは無理矢理に笑顔を浮かべた。
その笑顔の意味を私たちは痛いほど察することができた。
だから私たちは深追いせずに黙って各々に時が満ちるまで過ごした。
2-16
グルグルする。
内蔵がスクランブルエッグにされてる気分だ。
気持ちが悪い。
なのになんで私は今歩かされているんだろうか。
今すぐにでも座り込んでしまいたい。
でもそんなことしたらもっとひどいことに合わされるのは目に見えている。
だから私は歩く。
汚い部屋に連れて来られた。
何をさせられるのかは風の噂で聞いていた。
部屋にはもうすでに年上の少年が立っていた。
少年も気持ちが悪いのか鋭い目線を私に向けてくる。
怖い。
逃げ出したい。
だってなんで私がこんなことしなきゃダメなの?
わかんないよ。
看守たちは私たちの鎖を外して部屋から出ていく。
ガラス張りの向こう側へと行ってしまう。
この部屋には私と少年だけになる。
そしてどこからか看守の声が部屋に響いた。
“コロシアエ”
なんてことをこの人は言うんだろうか。
でも少年は瞳を開き、興奮状態となっているようだ。
あぁ、そういうことか。
目の前の敵を殺さなきゃ私が死ぬんだ。
なんてわかりやすいルール。
相手を殺せば勝ち。
だから相手はあんなにも殺気立っているんだ。
警告音がけたたましく鳴り響き、開始の合図となる。
と、同時に少年がこちらに向かて走り出してきた。
もう戻れない。
私はもう・・・・戻ることが出来ない。
このまま世界のクズとなり、消えていく。
この真っ赤に染まった体と共に。
重たい開錠の音が響いた。
俺らはあのあと色々試行錯誤を繰り返した。
千秋がもしかしたらこのドアを破れるのではないかとか、俺らが天候を左右できるのではないかとか。
でも全て失敗に終わった。
カノが置いていったあの時計が刻む死のカウントダウンをただただ見つめることしかできなかったのだ。
「待たせたな。時間だぜ。」
来たのは最初にイズミと一緒にいたあの金髪の男と、冬弥を吹っ飛ばしたあの赤髪の少年だった。
「抗おうとかそんな馬鹿なこと考えてないっすよね。俺らの仕事増やすのだけは勘弁してくださいっす。」
「ち、ちくしょう・・・マジ・・・かよ・・・。」
「はいはいみなさん大人しく部屋から出ろー。拘束しねぇだけありがてぇと思いやがれ。」
扉にもたれながら金髪はめんどくさそうにそう言った。
そんな態度に怒りを覚えるがぶつける場所なんてどこにもなくてただ拳を握りしめていた。
「ほら早く出てくださいっす。信者様たちがお待ちなんすから。主賓が来なきゃパーティーも始まらんすよー。」
赤髪に背中を押され俺らは重たい足を引きずるように部屋から出た。
どうにかここから逃げ出す策を頭で練るがどうしてもいい案は思いつかない。
それほどまでにきっとこいつらは強い。
俺らがどうこうできる問題じゃない。
「っぐ・・・ううう・・・やだよ・・・死にたくない・・・。」
千秋に至っては先程からずっと泣いている。
冬弥は強がってはいるものの内心は恐怖でいっぱいなんだと思うし、俺だって同じだ。
ただ唯一璃々夏だけ凛とした姿勢を保っていた。
「さすが本家令嬢は肝が座ってるな・・・。」
「こんなときに冗談やめてくださいまし。私だって怖いのは同じですのよ。」
「そうは見えねぇぜ。」
「・・・・信じましょう、奇跡を。」
「そんなもんに命預けてんのかてめぇ。ついでに俺の命も預けてくれねぇ?」
冬弥が自嘲気味に笑ってみせる。
しかし璃々夏は依然凛とした表情で言い返す。
「お断りしますわ。自分の命は自分の信じるものに預けてくださいませ。」
「俺の・・・信じるもの・・・?」
「冬弥は一体何を今まで信じてきたんですの?」
冬弥はそう言われ黙り込んでしまった。
璃々夏に言われ何か考えている風に思え、俺も璃々夏の言葉を自分に当てはめてみる。
俺の信じるもの・・・。
俺は・・・何を信じて今まで来たんだろうか。
家族?友達?親族?いとこ?恋人?
はは・・・家族なんて俺一度捨てたしなぁ。
そんとき城ヶ崎って姓も捨てたから親族、いとこも裏切ったのと同じだよなぁ。
友達とか今更何の役に立つんだかって話だし、恋人だって特定は作らない主義だし。
あぁ今思えば俺の人生薄っぺらいなぁ。
人間関係ほんとに薄すぎて笑えないや。
・・・あぁ後悔。
もっと大切なもの築いとけばよかった。
そしたら俺のために泣いてくれる人きっと増えてたのに。
・・・・帰りてぇな。
ふと自分の内側からこみ上げてくる何かに襲いこまれる。
飲み込まれちゃダメなのに。
「・・・・くそっ・・・・。」
頬に伝う熱い何か。
これをどうしても俺は認められなくて何度も何度も拭う。
でも一度溢れてきたものはとどまることを知らず、次々と溢れてくる。
いつかは死ぬって分かっていても、後悔せずに生きなきゃって頭では分かっていても、いざその時が来ると何もかもが心に残る。
嫌だ・・・。
ここで死ぬなんて嫌だ・・・。
わけのわからない理由で俺の人生閉ざされるのはまっぴらごめんだ・・・。
でも・・・でも、俺らに戦う術はない。
狼を前にしてカエルが一体何ができるというのだ。
「案内ご苦労様です。」
前を見るとそこにはカノがいた。
無表情で死んだ魚のような目をしていた。
「みんな、こっちです。」
カノからすれば身体の何倍もある大きな扉をカノは一人で開ける。
そして部屋の中に入ればそこは4つの大きな鳥かごが用意されていた。
いや、鳥かごと言ってもいいものなのか、鳥かごの天井には無数の針山がセットしてありそれが上から落ちてきでもすれば中のものはひとたまりもないだろう構造になっていた。
「ひとりずつ入ってください。」
そう言われてまず冬弥が外側の鳥かごにぶち込まれる。
「ちくしょう!!くそが!離せよ!」
抵抗してはいたものの金髪の力には勝てず簡単に鳥かごの中に閉じ込められる。
そして次に千秋。
泣いていた千秋はもうすでに意識が朦朧としており、簡単に鳥かごの中に入れられる。
「これがあなたたちが仰っていた圧搾機というものですの?」
「そうっす。天井が落ちてくると同時にあなたたちを潰し、足元にある溝からつながるチューブに血が垂れ、下に流される仕組みになってるんす。」
「・・・よくもまぁそんな残酷なこと、考えもつきますのね。人間としてどうかと思いますわ。」
璃々夏は精一杯の皮肉を言ったつもりなのだろう。
でも赤髪はニコっと微笑み璃々夏の背中を押しながら言った。
「俺ら人間じゃないんで、大丈夫っす。」
「・・・っ!」
がちゃんと扉が閉められ璃々夏は慌てたような表情で鉄格子をガチャガチャ言わせる。
でもそんなこと無駄だと分かっているから赤髪は気にもせずに後ろに下がった。
「・・・入って。」
「やだっつったら・・・?」
「無理矢理でも押し込む。」
最後に残った鳥かごはきっと俺が入るところ。
カノの表情が少し憂いを帯びる。
無表情も年相応ではないが、この表情も違う。
こんな年齢の少女に一体ここのトップは何をさせるんだが俺は納得がいかなかった。
「こんないたいけな少女に力で負けるほど俺も弱くないつもりなんだけどな。」
「カノは戦闘訓練で主席。」
「・・・まじかよ。」
「・・・・・・・・・春斗。」
「お、俺の名前を知ってくれてたのか。」
「城ヶ崎春斗。4月10日生まれ。長男。一人っ子。5年前に両親が離婚、後に母親に引き取られた。でも一年前に母親が他界し、それからは父親とその後妻と生活していた。陽気で女モテをしいつも変な噂が飛び交ういわゆる人気者。資料に全部載ってた。」
「・・・・ははっ。・・・なんだそれ・・・。」
「春斗、カノはね・・・ううん、あの二人もそうだよ。こんなこと望んでない。こんなことホントはしたくないんだよ。でも、しなきゃならないの。カノたちは命令に従うしかできない人間以下の存在だから。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・ごめん・・・なさいっ・・・・。」
カノは俺の腕を引っ張り鳥かごの中にぶち込んだ。
その力が思ったよりも遥かに強く、きっと構えていても無抵抗にかごの中にぶち込まれるのだろうと思った。
鳥かごの中は異様に寒かった。
上を見上げれば今にも落ちてきそうな無数の針の数にちびりそうになる。
下にはこれから自分の血が流れるだろう排水口にぞわっとする。
そしてようやくひしひしと感じることとなった。
あぁ、俺死ぬんだって。
隣では璃々夏が恐怖に怯えながらも凛とした姿勢を保っていた。
その隣ではもう壊れた千秋が座り込んで虚空を見つめていた。
そして一番奥の冬弥はどうにかしてこの状況を打開できないかガチャガチャと鉄格子を揺らしていた。
「死ぬ・・・のか・・・。」
「・・・・・馬鹿なこと言わないでくださいませ。」
「声震えてるぞ。」
「気のせいですわ。」
こんな状況でも強がりを言える璃々夏はホント大した女だと思う。
「準備できたぞ。」
金髪がトランシーバーでそういうのが聞こえた。
それと同時にこの部屋の壁が下がり、外の空気が頬を撫でた。
―――俺らはそこに広がる景色に絶句をした。
目の間には気持ちが悪いほど美しく大きく雄大な満月。
そして俺らがいるところはかなり地面から高いところにに位置しており、下には数百という人間がうごめいていた。
「「「「「うぉおおおおおおおおおぁああああああおあぁあああああああおああおおおおおおお!!!」」」」」」
そして俺らを見るなり数百の人間は歓声をあげた。
「・・・これが信者・・・。」
ボソっと璃々夏がつぶやいた。
確か誰かが信者を前にしてとか言っていたことを思い出す。
「気味がわりぃぜ・・・。」
まるで俺らを何か崇高なものだと言わんばかりに祈りを捧げる人たちが多く見えた。
こみ上げる胃酸を押さえ込み目を瞑る。
「諸君。」
それは呟きにも似た音だった。
ただそれだけの呟き。
それなのに数百の人間はぴたりと動きを止めた。
声がするのは俺らの真下から。
いや、少し前に出てるかもしれない。
信者たちの前に少し高い台が置いてあり、そこにその人が立っている。
肉の詰まった親父。
普通の親父に見えるのにどこか威圧感を覚える。
「諸君、ご機嫌はいかがであろうか。」
直感であの親父が総帥という人物だということが理解する。
「今宵は待ちに待った世界を統治する一歩を手に入れる日だ。私たちは今まで・・・・」
「くっそ・・・くそ・・・くそがぁ・・・。」
総帥の言葉など耳に入っていない冬弥はまだ諦めずに鉄格子を鳴らしている。
しかしその力はあまりにも弱く、もう座り込んですらいる。
「冬弥・・・しっかりして・・・。」
璃々夏の無責任な言葉が感を触ったのか冬弥は顔を歪ませて璃々夏をにらみつける。
「うっせぇんだよッ!」
「ご、ごめんなさい・・・。」
さっきまでの凛々しい璃々夏は消え去り、冬弥の言葉に初めて怯えという表情を見せた。
「璃々夏・・・。」
「はは・・・情けないですわ・・・城ヶ崎を継ぐ者としてみんなを落ち着かせなきゃいけませんのに・・・私・・・わたく・・・しが・・・こんなにも・・・はは・・・。」
自らの肩を抱くようにして璃々夏はゆっくりと座り込んでいく。
今までずっと我慢していたのものが崩れていく。
堪えていた涙がじわりと頬を伝う。
・・・・おかしいですわね・・・。
同じ籠の中ですのに・・・なんでここはこんなにも恐ろしい場所なのでしょうか。
城ヶ崎家次期当主の令嬢、いつしかお父様のあとに城ヶ崎家を継ぐ者として私はずっと城ヶ崎という檻の中だった。
ずっとずっと一人ぼっちで耐えてきた。
自由を求めた時もあったけど結局私の居場所はここでしかなくて。
誰もわかってくれる人なんて、理解者なんていなかった。
私の存在意義はただここを継ぐだけ。
それだけが私の生きる意味、理由。
でもそれだけじゃどうしようもなく虚しかった。
だから私は外の世界を知りたかった。
なのに・・・なのに・・・。
私は外の世界を知らないまま、さらに小さい鳥かごに閉じ込められてそこで羽を広げることさえも知らずに死にゆくの・・・?
・・・ううん。
これはきっと生まれた時からの宿命。
だってこれは私の血のせいだから。
もとより私が外の世界を知れる可能性なんてなかったんだ。
「っはっは・・・。」
自嘲気味に笑ってみせる。
もう笑えることもなくなるのだろうか。
あ、でもこれ以上自由に嘆かなくてもすむのならそれもそれでいいのかもしれない。
冬弥は悔しさに嘆き、千秋はもう現実を見ていない。
そして璃々夏も先ほど、希望を失った。
もう本当に俺らが救われる道なんて残っていないのだろうか。
もしかしたら何かがあるかもしれない。
でもそんな不確定なものに希望を抱けば抱くほど、現実感に打ちひしがれる。
ふと下に目をやると何やら儀式が始まったようだ。
気持ちの悪いダンスを踊ったり、呪文のようなものを唱えたり。
「さてさて、みなさんお待たせしました。」
何かが一通り終わり、総帥が全員の視線を奪う。
そしてその言葉に全員に緊張が走る。
「12時の金が鳴るとき、世界を救う赤い飛沫が我が手の中に・・・・!!」
総帥は俺らのほうを向き、天に向かって両手を差し出した。
そのときの表情は期待と希望に溢れていた。
まるで無邪気な子供のような瞳をしていた。
「き、気色わりぃんだよっ!!」
冬弥は総帥にそう言い、つばを吐く。
しかしこの距離で総帥に狙いが定まるはずもなく虚しくも地面に落ちる。
「A・C様の唾液よッ!!」
誰かがそう言った。
その瞬間人の群れは冬弥の吐いたつばの周りに集い出す。
「俺のだッ!それは俺のだぁぁ!」
「ジュースに割って飲むわ!さぁ少し分けて頂戴!」
「避けなさいッ!汚れた手でA・C様の体液に触れるなッ!」
「お願いだ私に分けてくれッ!」
その狂気に満ちた行動は俺らにさらに衝撃を与える。
「嘘・・・だろ・・・・っぷ・・・おぇえ・・・・。」
あまりの気味の悪さに冬弥は我慢ができなくなり胃の中のものをぶちまける。
俺も必死に吐き気を押さえ込むが流石にこれはひどい。
「・・・人じゃ・・・ねぇ・・・。」
「そう。」
不意にカノの声が後ろから聞こえた。
赤髪の男に一度は止められるがそれを無視し俺に話しかけてくる。
「人じゃない。」
「・・・・・。」
「あの人たちはもう戻れない。帰れない。治らない。病気なの。人が、人じゃなくなる、病気。」
口を手で覆ったまま俺はカノに顔を向ける。
声を出そうとすると一緒に中身までぶちまけそうで会話することができない。
しかしカノはそんなこと気にせず、喋り続けた。
「これは悪い夢だよ。覚めた時にはきっとみんな笑って暮らせるから。そう思おう?そのほうがきっと楽だよ。つらいのは今だけだから。もう少しだから。ね?頑張ろう。」
カノの言葉に少し違和感を覚えた。
それはきっと俺に向かって言っているのだろうが、俺からすればそれはまるで自分自身を励ましているようなそんな気がした。
「残り5分。」
冷たい声がそう告げる。
あまりにもいきなりのことで心臓が一度止まったような気がした。
金髪野郎が自身の時計を見ながらそう告げたのだ。
「あと・・・5分・・・?」
下の人間たちの盛り上がりはさらにヒートアップしてきている。
目の前のでかく不気味な満月はさらに大きさを増しているような気がした。
冬弥はもう諦めたのか鉄格子を掴んだまま俯き泣き、命を乞う。
千秋は童謡を歌いながら小さく指揮をとっている。
鉄格子に背中を預け、璃々夏は虚無の瞳でジッと満月を見ていた。
もう・・・ほんとに・・・・ほんとにダメなのか・・・・?
俺らはこのふざけた計画に殺されてしまうのか?
いやだ・・・・いやだ・・・。
視界がぼやけ、生暖かい何かが頬を伝う。
「・・・おい・・・・璃々夏ぁっ!!」
泣き叫んでた冬弥が急に璃々夏に話しかけた。
璃々夏は生気のない瞳をゆっくりと動かし冬弥のほうを見る。
「て・・・てめぇ言ったよな・・・!てめぇの信じるものを信じろって・・・!!」
「・・・・・・。」
「・・・・ねぇよ・・・!俺には見当たんねぇんだよッ!・・・・くっそ・・・!俺、今まで何も信じてなかった・・・!親もッ!学校の奴らもッ!お前らさえもッ!何も信じちゃいなかったんだよッ!ずっと俺はひとりだったんだッ!孤独を好んだフリして、結局は孤独が一番怖かったんだよッ!!」
「・・・・・私もですわ、冬弥・・・私も・・・あんな偉そうな口叩いておきながら・・・・結局・・・信じてるものなんて何一つありませんでしたわ・・・私も、独りですわ。永遠と。」
笑っているのか、泣いているのか。
生気のこもらない瞳はゆっくりと霞んでいく。
冬弥もそんな璃々夏の姿を見て、自嘲気味に笑うとまるで狼が叫ぶかのように、月に向かって吠えた。
「うぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁああああああぁぁぁああぁあっぁあああああぁぁああぁぁあああああぁぁあぁぁああああぁぁぁぁぁああああぁぁあぁッッッ!!!!!!」
そして、ずっと歌っていた千秋の歌が消えた。
「・・・・・私もずっとあの時からひとり。お姉ちゃんを裏切ってからもう人と関わるのは自分の罪だって思ってた。ははは。おかしいね。みんな、ずっと一緒だったのに。みんな、ずっと、孤独だったんだね。」
千秋の目から一筋の線ができた。
そして、目を閉じ死んだかのようにうなだれた。
「残り1分。」
残酷に時は進む。
冬弥は泣き叫び、千秋はうなだれ、璃々夏は月をまた泣きながらぼんやり見つめている。
・・・俺は?
俺は何してるんだ・・・。
まるで自分はかやの外と言わんばかりの呑気さを兼ね備えているんだ?
あと1分足らずで俺の人生終わるんだぞ?
あと1分足らずで何もかも終わってしまうんだぞ?
・・・・・・・・・・・・。
―――――あぁ、そうか。
12時を伝えるベルが鳴る。
上で鉄が擦れる音が聞こえた。
ゆっくりと針山が落ちてくる感じがする。
―――――――俺の人生そんなもんだったんだな。
ぐちゃ。
赤い肉塊が飛び散った。
これを簡潔に述べてもいいのか定かではないが、仮に簡単に明確明瞭に伝えるとすれば今回のことは全て
―――失敗。
そう、あの4人はA・Cなどではなかったのだ。
つまり無駄死に。
搾り取った血が集まってもただ醜く混じるばかりで、一向に黄金の輝きも塊にもなることもなかった。
あの4人はただの人間だった。
城ヶ崎家の親族たちはあのあと必死になって息子たちを探した。
しかし手がかりなどあるわけもなく行方不明扱いとされ捜査は縮小された。
私はテレビで必死に訴え掛ける親族たちの姿をチラっと見てすぐにテレビを切った。
「お、起きてたのか。」
珍しく寝坊でもしたのか私より遅く起きてくるリッターを尻目に私はソファーに座り込んだ。
「寝れなくて。」
「最近忙しそうだもんなお前ら。少し待ってろな。すぐ飯にすっから。」
エプロンを手際よく腰に巻きつけるとリッターは早速朝ごはんの調理へとうつった。
その間私は今朝の新聞を取りに玄関へと向かった。
満月のあの夜から一週間が経っただろうか。
総帥はかなりお怒りで、しばらく部屋に篭られてしまった。
そのため私たちは次の任務が言い渡されなくてしばらくの休暇となってしまったのだ。
しかしそろそろきっと総帥からまた任務が言い渡されるに違いなく、日々訓練は怠らない。
「おーはーよーうーごーざーいーまーす!」
ポストから新聞を抜き取ると目の前の道を幼稚園の子とその母親が通る。
「あ・・・・お、おはようございます・・・。」
突然話しかけられたことにびっくりして私はドギマギとした挨拶を交わす。
幼稚園の子は私から挨拶をもらうと満足したように微笑み意気揚々と道を進んでいってしまう。
母親が後ろでそんなに急がないの!と叱って、その子は母親のほうを振り向きニコっと笑いその手を握ってまた二人仲良く歩いていく。
私はそんな姿を複雑な気持ちで眺めていた。
――もし・・・・
一瞬よぎるそんな考えを私は振り払う。
「何考えてんだか・・・・。」
頭を抑えて自嘲気味に笑い私は手に持つ新聞に目を落としながら家の中へと戻っていく。
「申し訳ございません!次こそ必ずや総帥のお力になることを約束しますッ!!」
この組織のトップの部屋に私たち4人はいた。
総帥は私たちに背を向け大きな窓ガラスから外を眺めていてその表情は伺えない。
私たちはその場で跪き総帥の言葉を待つ。
「・・・・・・・・・・・マギサ。」
「はい、総帥。」
「違うだろ。」
「・・・・申し訳ありません。我が主君。」
「他の者がいるときは総帥と呼べばいい。が、お前らは私の所有物だ。お前らの絶対的主君である。それを忘れるな。」
我が主君の言葉に私たちの体はこわばる。
相当お怒りのようだ。
「マギサ、今回お前がしれかした失敗のことを大きさは理解できているだろうな。」
「はい。どんな罰も謹んで受ける覚悟です。」
「そうか。ならば死ねと言ったらお前は死ぬのか。」
「もちろんです、我が主君。」
私の即答に我が主君はゆっくりと体をこちらに向けた。
「冗談だ。お前に死なれては私も困るのでな。」
「その寛大なるお慈悲を感謝致します。」
我が主君はもう怒っている様子はなかった。
いつものあのいやらしい笑顔で私たちを舐めるように見る。
そしてふとカノに目が止まる。
「カノナス、顔をあげなさい。」
優しい口調で語りかける。
カノは一瞬ためらいを見せたが、諦めたかのような表情を浮かべ顔をあげた。
「なんでしょうか・・・我が主君・・・。」
「来た時に比べてかなり成長したな。」
「はい。これも我が主君が救いの手を差し伸べてくれたおかげです。」
我が主君にジロジロと見られカノは完全に怯え、固まってしまっていた。
それに気づいたのか我が主君は豪快に笑いながら自らの腹を叩く。
「そんなに怯えることないではないか。私はカノナスもそろそろ」
「我が主君ッ!」
突然口を挟んだのはアトゥだった。
我が主君は口を挟まれたことに気分を悪くしたのか睨むようにアトゥを見る。
「私が話しているときに口を挟むなど、反抗期かアトゥ。」
「申し訳ありません。しかしながら、カノナスはまだ子供。我が主君を満足させられるような娘には成長してないと思います。」
「そんなこと言って、お前が先に味見したいんじゃないのか、アトゥ。この頃の娘は貴重だからのぅ。」
「そんなことは毛頭ございませんッ!ただ俺は」
「アトゥさん。」
立ち上がり我が主君に抗議しようとするアトゥをバベルが制止する。
「ばべ」
「ダメっすよ。我慢してくださいっす。」
小声でそう言う。
「なんだバベル。お前も何か言いたいことがあるのか。」
「とんでもないっす我が主君。アトゥさん最近カルシウム足りてないみたいなんで今のご無礼お許し下さいっす。」
ヘラヘラっと笑うバベルを我が主君はしばらく見下ろし、パッと笑顔になって窓ガラスの前に置いてある椅子にどかりと座り込んだ。
「そうか。カルシウム不足はいかんな。私もここ最近カルシウムの大切に気づかされたからのう。お前もちゃんと摂取するのだぞ。」
「・・・はい、我が主君。」
アトゥは何か言いたげそうにしていたがその言葉をグッと我慢する。
「さて、お喋りはこの辺にして本題へと入ろうか。」
我が主君が空気を切り替えるかのように手をパチンと叩く。
まぁ私たちにとってはずっと緊張感のある空気なのだが。
「前回の任務は放置し、次のところへ行ってもらう。今回は全員派遣だ。・・・まずカノナスには日本最大皇族直属の孤児院へ行ってもらう。A・Cは元被験者。あのあと孤児院に入れられたと思われるために日本最大の孤児院でその捜索を行ってもらう。ただしそこでは情報収集だけだ。無駄な殺傷は控えろ。そしてバベル、アトゥお前らは引き続きあの高校で捜索を。そしてマギサ。お前は・・・・」
「まさかあの城ヶ崎冬弥が通ってた学校に通うことになるなんて何の因果なのかしら全く・・・。」
私は荷物を運びながらぼやいた。
「はっはっは。まぁいいじゃねぇか!」
「あぁなんかもう嫌な予感しかしないわ・・・。」
新しく越してきた部屋は普通のマンションの最上階。
部屋がそこまで広いわけでも、設備がそれほど整ってるわけもない普通のマンション。
「もう少し綺麗なとこなかったわけ?」
「おいおい。ここふっつーの住宅街だぞ?最上階が空いてただけありがたいって思えよな。」
重たそうなダンボールを床に置きながらリッターは苦笑いを浮かべる。
「いくら私たちの荷物が秘密機関のものだからって引越しに人雇わないなんてありえないわ。あー、もう疲れた。」
「文句言うなって。お前任務のときとほんっとキャラ変わるよな。ほら水。」
いつの間にかリッターがコップに冷水を入れ私に差し出してきた。
私はそれを奪い乾いた喉に一気に流し込む。
「うま。」
「ただの水道水。」
「はっ!?!」
リッターのドヤ顔とは裏腹に私はぎょっとした表情をしコップを握り締める。
「すす、水道水ですっ?!ふざけんじゃないわよ!あんた私のお腹ぶっ壊したいの?!」
「うまかったろ?」
「そういう問題じゃないわよッ!」
怒りに任せてリッターにコップを投げつけるが顔に当たる寸前で受け止められてしまう。
「実は、日本の水道水は飲めちゃうお水なんですよぉお嬢様。」
「何取ってつけたような嘘付いてるのよ気持ち悪い死ね。」
「ひっでーなほんと。ホントの話だっつーの。日本の上下水道は完璧に整備されてて蛇口ひねればお水が飲めちゃうんだよ。だから美味しかったろ?いい米が炊けそうだ。」
何故か呆れたように笑われ私は舌打ちをしてその場から立ち去る。
そして玄関のすぐ左の部屋に入り、ドアをしめる。
まだダンボールだらけの部屋。
今日からしばらくのあいだこの部屋が私の部屋となる。
「・・・ちっ。鍵ついてないなんて・・・ほんっと日本なんなの・・・。」
部屋の扉に鍵がついてないことに気づき、あとからリッターにつけさせるとする。
とりあえず今日は部屋の片付けをしなくては任務も落ち着いてできない。
私は長い髪の毛を後ろで無造作に束ねて早速部屋の片付けへとはいる。
「転校生を紹介する。」
いきなり担任がそんなことを言うものだから俺は椅子から転げ落ちた。
「綾川ッ!何してんだ!」
「いや・・・ははは・・・さーせん。」
担任に怒られて俺は笑いながら椅子に座りなおす。
「ばーか。」
「うるさいわでくのぼう。」
隣の無駄に背が高くて目が細くてもうほんとムカつく野郎は俺の親友、西垣太陽。
太陽とは名前ばかりでどちらかというと相手をムカつかせるのが得意で誰も照らしてはないだろこいつ、みたいな俺の主観。
ちなみに俺は言いたくはないがみんなよりも少しだけスモールであって・・・・前髪をピンでカラフルに留めてるせいか可愛いとか言われるがホントはかっこいいと言われたい高校1年生・・・!
ちなみに太陽も俺も彼女いない歴=年齢の枯れた青春を送っている。
「聞いてた?」
「なわけないだろ。」
「だよ・・・な。」
クラスの様子を見る限り誰も転校生が来るなんてことは聞いていなかったようだ。
「ほら入れ。」
担任が扉のを開けると、そこに俺らの視線は一気に集まる。
一体どんな子が転校してくるのだろうか。
高校を転校だなんて聞いたことがない。
考えられる理由は2つ。
1つはいじめか何かで学校を変えざるおえなくなった。
もう1つは、前の学校のレベルについていけずにレベルの低い学校に変えたかだ。
しかしここの高校はそこまで難関ではないものの一応進学校だ。
後者の理由は低いと考えられ、前者の方かなと思ったがそれも覆った。
みんなの視線が集まる中、入って来た子は凛とし美しくさながら天使のような姿をしていたからだ。
「八尾哀です。」
先生が黒板に彼女の名前を書く。
サラッとロングの黒髪は由緒正しき日本少女であり、顔立ちは外国人形のように整っていた。
そしてほどよく短いスカートから伸びるすらっとした足に俺の俺はもう爆
「心の声漏れてるぞ変態。」
俺はそれほど大きい声で独り言を言っていたのか全員の視線がいつの間にか俺に集まっていた。
「へ・・・?あっ、てへ。」
渾身の可愛さで自分の頭をコツンと叩く。
しかしそのあとには担任の厳しいため息しか教室には残らなかった。
「悪いな、八尾さん。こいつには俺がよぉおく言い聞かせておくから。」
運が悪いのかいいのか彼女は俺の後ろの席になった。
窓際で一番後ろの席とかどこの漫画か、とか思ったけど俺はそんなことよりも先ほどのことが気になってしょうがなかった。
「え・・・あの・・・ほんと申し訳ないです・・・。」
「大丈夫ですよ。面白かったですし。」
明らかに苦笑いなのに俺はその天使の微笑みにノックアウトされそうだった。
やっべぇちょーかわいいよこの子・・・!!
「それにしてもこんなビミョーな時期に転校って何かあったのか?」
授業の合間を縫い太陽がいきなり聞いてはいけない(勝手に俺が思ってる)ことを聞き出した。
「太陽それはちょっと」
「親の転勤。一応私、アメリカいたんだ。」
あっけらかんとした表情で彼女はそう言った。
俺も何かあっけにとられポカンと口を大きくあけてひどく間抜けな表情をしていたに違いない。
おかげで先生からチョーク弾丸を口いっぱいに食らってしまった。
「あ、そうだ哀ちゃんはまだ校内わかんねぇよな?次の休み時間俺らが案内してやろうか?」
「え?いいの?すごい助かる!」
まだ出会って1時間しか経っていないというのに俺ら3人は意気投合してしまいかなり仲良くなっていた。
そして休み時間。
嫌な予感はどこかでしていた。
そう、それがただ的中しただけ。
「八尾さんってどこから転校してきたの?!」
「彼氏とかいるのか?!」
「俺とLINE交換しねぇ?!」
「放課後どっか遊びに行こうよ!」
大勢の人間が哀ちゃんのところへと押し寄せ俺も席から追い出されてしまう。
よく見れば哀ちゃんの噂を聞きつけ他クラスや先輩たちなども来てしまっている。
「まぁこれだけの美人だと噂にならねぇほうがおかしいよな。」
「お?なになに嫉妬?」
太陽が気持ち悪い笑顔を俺に向けてくるのでとりあえずアイアンクローを顔面にお見舞いしておく。
それにしてもほんと不思議な雰囲気を纏っている子だ。
美人というのもあるがどこか他にも惹きつけられる何かを感じる。
だがしかし俺にはその何かがさっぱり検討つかない。
ただの気のせいならいいのだが。
「おらてめーらさっさと教室戻りやがれー!」
チャイムがなると同時に先生の怒鳴り声が教室に響いた。
そしてみんな名残惜しそうにそれぞれが戻っていく。
「いやーやっと俺らも席に戻れる。」
疲れきった表情で苦笑いを浮かべる哀ちゃん。
「お疲れ。」
「ありがと・・・・ほんと・・・キッツ・・・。」
「こりゃしばらく続くぞ。・・・・ん?長谷川席戻らねぇの?」
同じクラスの長谷川里香。
特別可愛いわけではないが一般的な可愛さがありそこそこモテる。
しかし酔狂なまでにある男に惹かれていて、今までその男以外と絡んでいるところを見たことがない。
――――そこで俺はハッとした。
長谷川の目がジッと哀ちゃんの机を捉えて逃さない。
「あの・・・えっと・・・長谷川さん?席戻らないと先生に怒られ」
「・・・の・・・き・・・。」
「え?」
「・・・や・・・せ・・・。」
ぼそぼそと何かを呟く。
「・・・なに?」
哀ちゃんがもう一度聞き返す。
「そこは冬弥の席。」
そう。
ここは城ヶ崎冬弥の席。
厳密にいうと冬弥の席だった。
二週間ほど前に冬弥は・・・いいや、冬弥とそのいとこたちが行方不明になった。
そして親族から冬弥の退学届けが少し前に提出されたのだ。
だからもうこの席は冬弥のものではない。
でも長谷川はそれをまだ認められてないのだ。
自分の好きな人がいなくなった事実を。
「・・・ん?えっと・・・ごめん、誰?」
哀ちゃんが知らないのも無理はなかった。
しかしそれが気に入らなかったのか長谷川は目を見開き哀ちゃんの肩に掴みかかった。
「冬弥の席だっつってんのよッ!どきなさいよ!なんでお前なんかが私から冬弥の証拠を奪うの!!なんでみんな私から冬弥を奪うのッ!!??ふざけんな!死ね!お前なんか死ねッ!」
とりつかれたかのように豹変した長谷川に俺と太陽は固まってしまっていた。
もちろん哀ちゃんも、クラスメイトも。
そしてハッとしたのか先生が慌てて長谷川と哀ちゃんを引き離す。
「落ち着いて長谷川さん!」
「離せぇえええぇええっ!!冬弥ぁあぁ!冬弥はどこなのよぉおおおッ!返してよ!冬弥ぁっ!うああああああああああああぁぁぁあぁぁあ」
長谷川は先生を振り払って今一度哀ちゃんの胸ぐらをつかみあげる。
「だからそこは冬弥の席って言ってるでしょぉぉがぁああああっ!!!あんたが汚すなメス豚めッ!死ねッ!お前が冬弥の代わりに今すぐ死ねええぇえぇぇぇっ!!」
「・・・ったいよ・・・。」
「痛いぃぃいい?!黙れブスッ!今こうしているあいだにも冬弥はもっと痛い目に合ってるかもしれないのよッッ!!」
瞳孔が開ききってもう完璧に興奮状態に陥っている。
「おい長谷川・・・離してやれよ・・・!」
「あんたは黙ってなさいよ。冬弥がいなくなってあんたは何とも思ってないんでしょ?だって次の人間が来てもヘラヘラと受け入れたもんね!誰も!この席を!冬弥の席を!守らなかった!あんたら全員同罪よッ!」
長谷川は哀ちゃんを床に叩きつけ、体に足を乗っけぐりぐりと踏みつける。
「あんたが・・・あんたさえいなければ・・・あんたのせいだ・・・あんたがいなけりゃ・・・冬弥の席を守れたのに・・・冬弥の居場所奪うなんて・・・許さない・・・許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ・・・ッ?!」
太陽が長谷川を羽負い攻めし、哀ちゃんから引き離す。
俺はその隙に哀ちゃんに駆け寄る。
「大丈夫か。」
「うん・・・平気。」
乱れた制服を直しながら哀ちゃんは怯えたような表情で長谷川を見上げた。
「離しなさいよッ!」
「お前ちょっと落ち着け。哀ちゃんは冬弥のこと何も知らねぇ。誰もせいでもない。だから落ち着け。」
「うるさいッ!あんたは冬弥が好きじゃないんでしょ?!だからそんなこと言うんでしょ?!あんたそれでも人?!道徳のクソもないわけ?!」
「何も知らない人間を己の感情に任せてボコボコにしてもいいのが道徳なら俺はそんなの知らないな。」
「・・・きめぇんだよこのでくのぼうッ!」
「お前が冬弥のことどれだけ好きかはみんな理解してる。だからお前の気持ち理解できなくもないけど、とりあえず落ち着け。」
それでもなお長谷川は罵声を上げながら泣き崩れていった。
しばらくして教室に長谷川の泣き声しか響かなくなったとき、騒ぎを聞きつけたほかの先生たちがようやく教室内へと入ってきて長谷川は教育相談室へと連れて行かれ授業は自習へと変わった。
「ほんとに保健室行かなくて大丈夫か?」
「うん。びっくりしただけで別に怪我とかしてないから。」
そうやって微笑んだが明らかに戸惑いの感情が伺える。
「・・・・そこは冬弥の席だったんだ。」
「おい太陽・・・。」
「話しておくべきだろ。」
「でも・・・。」
「聞かせて。」
あまり楽しい話ではないから俺は話すべきではないと考えていた。
しかしもうこんなことになってしまったのだから話さないわけにもいかない、と太陽が目で訴えかけるので俺は仕方なくため息を吐いて言葉をつむぐ。
「城ヶ崎冬弥・・・クールというかただの毒舌野郎とかいうか、まぁそれでもみんなから好かれる人気者だった。まぁ本人はそれをあまり心地よくは思ってなかったっていうか気づいてなかったっていうか・・・。」
「冬弥はどっかの財閥の分家らしくて、まぁ俺らもそんなの知ったのは事件があってからなんだけど、その財閥の会議かなんかに参加して、そのまま行方不明になっちまった。見ねぇか?ニュースとか。」
「あまり食い入るほど見てないかな・・・。で、その冬弥くんってまだ見つかってないわけなんだ。」
「そう。全力で探してはいるみたいだけど、手がかりが少なすぎて手詰まり。警察は不幸な事故ってことにしたいみたいだけど、まぁ親族は怒るわな。今、あらゆるところで抗議活動をしてる。で、さっきの長谷川里香もそのひとり。冬弥の幼馴染で、ずっと冬弥のこと好きだったみたいなんだけど何度もフラれてた。」
「長谷川の冬弥好きはホント異常なのは結構有名な話だったんだけど・・・・まさかあそこまでとは俺も思わなかったぜ。」
太陽は肩をすくませて笑うが、全然面白くもなんともない。
「冬弥の親が迷惑かけられないからって自分が一番大変だろうにわざわざ退学届けまで出しに来たんだぜ?」
「へぇ。それはすごい親御さん。」
「まぁだからあんま長谷川が言うこととか気にすんなよ。俺らは哀ちゃんを大歓迎しているんだからなッ!」
「・・・・・・・・・・ありがとう。」
変な間があったような気がするが太陽が空気を読まず大きな屁をこいたのでそのことはすっかり忘れてしまった。
――――――俺がこの違和感にもっと早く気づいていたのならば
――――――誰もがこの違和感に少しの疑問を抱いていたのならば
――――――――きっとみんなが傷つかずに生きていけれたのだろう
それから長谷川には一週間の謹慎処分が言い渡された。
冬弥のことは同情するものの、関係のない者に対し暴力を振るったことがこの結果を招いてしまった。
「根は悪い奴じゃないんだぜ?」
「分かってる。私だってきっと大切な人の居場所を他人に奪われたりしたらきっと気分良くはないもの。」
哀ちゃんはそう言ってフイっと外の方へ目を背けてしまった。
「なぁ帰りにどっか寄っていかね?」
帰りの支度を素早く済ませた太陽が俺と哀ちゃんにそう言う。
「あー、ごめん。私まだ引越しの準備が・・・。」
「俺もパス。」
「んだよ!!俺のこの空腹どうしてくれるんだよ!」
ギャーギャーうるさい太陽を尻目に俺もさっさと支度を済ませてスクールバックを背中に背負い教室から早足で出て行く。
「・・・最近あいつ付き合い悪いんだよな。」
「何か大切な用事でもあるんだよ。太陽くんも帰って勉強でもしたら?7限の問1の問題しくってたの見えたよ。」
「え?!マジ?!」
太陽はいつの間に!?と言った表情でカバンからノートを漁る。
そんな会話がかすかに聞こえ呆れたようにため息を俺はつくがもう教室を出てしまっていて今更戻るのも恥ずかしいのでそのまま一度止めた足をまた回転させる。
太陽がいうように最近はめっきり放課後遊ぶことがなくなってしまった。
それは哀ちゃんがいうように確かに大切な用事があるからだった。
だけど何の進展もなく今日も同じようにただただ時間を潰していくだけなのにはちょっぴり憂鬱になっていた。
俺は途中タクシーに乗り、ここら辺で一番でかい大学病院へと向かった。
1ヶ月くらいここに通っていればもう慣れてもいいはずの病院独特の薬っぽい匂いにはどうしても慣れず顔を歪めてしまう。
しかしそれか逃げることなど許されず俺はいつもと同じようにエレベーターに乗り込み、一般フロアとは違う地下のフロアへと移動する。
地下のフロアは上のフロアと違って病院らしい清潔感が一層保たれているような気がする。
つまりは気持ちが悪いほど清潔なのだ。
まるで生き物なんてそこに存在してはいけないという警告だと言わんばかりに真っ白な床、壁、天井。
匂いも幾倍強くなっているような気がする。
ここに慣れてしまったら末期だな・・・。
俺はそう思いながらも足を進める。
そしてひとつの扉の前に立つ。
こんこん。
軽快な音と共に中から低く聞きなれた声が聞こえた。
俺は扉を開き、中へと入った。
「お疲れ様でっす。」
「おう。」
中は病室となんら変わらない。
しかしまだ入口にいる俺のところからはどんな人が入院しているのかさっぱり見ることはできない。
ただ見えるのはガラの悪いおっさん。
「ガラの悪いおっさんとはなんだとごるぁ殺すぞ。」
「え?あ、もしかして俺声に出してました?」
「ったく・・・ただでさえイライラしてるっていうの。」
「あぁ、ここ禁煙ですもんね。ヘビースモーカーの4th(フォース)にはちょっとキツイ仕事ですよね。」
俺は足を進め中に入る。
患者は、二人。
瓜二つの男女の双子。
「どうも。気分はいかがですか?」
「「・・・・・・・・・・」」
どちらも返事はしない。
ただ俺のことを睨むように見るだけだ。
「ちょっと来い。」
「え、ちょ、引っ張らないでください!」
4thは俺の首元を乱暴に掴み強制的に部屋の外へと引きずり出す。
引っ張らなくったって口で言ってくれれば素直に従うのに何故この人はこんなにも暴力的なのだろうか。
あぁ、ニコチン摂取できないからか、納得。
「おい。」
「へ!?あ、はい!」
「今日はもう本部へ帰るぞ。」
ビビった。
一瞬また心の声を口に出してしまってるのかと。
「どうしたんですか?まだ俺来たばっかなんですけど・・・。」
「もうこれ以上は患者に負担がかかると言って3rdから帰還命令が出た。」
「あぁ・・・なるほど。さすがの4thも奥さんにはかなわすいません何でもありませんごめんなさい帰りましょ!!」
言ってる途中で4thの拳が俺の後頭部を狙ってたので慌てて取り繕う。
危ない危ない。
あんな至近距離でパンチなんて受けたら脳震盪では済まされない。
「で、今日の収穫はどうだったんですか。」
「・・・・・皆無。」
「お疲れ様でした。」
4thが運転する車の中で俺は二人の資料を読んでいた。
「あの事件から一ヶ月以上。まさか生き残りがいただなんてホントびっくりですよね。」
資料にうつる顔写真は先ほど病室にいた双子と同じ顔だった。
しかし写真にうつる顔は憂いを帯びておらずとても清々しい表情であった。
「伊吹鈴歌、伊吹恋夜。あの爆破事故のただ二人の生存者。しかもそのことは誰にも明かされず、俺らだけが知ってるってなんかドキドキしますよね!」
「変なこと言うんじゃねぇ。あの事件は色々きなくせェもんがあったから極秘に保護しただけだ。まぁ当の本人たちが口を開かないってことは絶対裏があることは間違いねぇけどな。」
俺は資料を無動作に起き、狭い車内で伸びをする。
「んーっぁ!にしても、なんで口を閉ざしたままなんでしょうかねー。もしかしてあの双子が犯人だったりするんですかね。」
「さぁな。真実は俺らが決めていいもんじゃねぇ。」
「別にそんな堅苦しいこと言ってないじゃないですか。・・・・でも、ほんとこの事件不思議ですよね・・・。」
夕焼けがもう半分以上隠れてしまい、東の空はもう夜が来ている。
そんな様子を俺はぼーっと眺めながら本部に着くまで4thの流す趣味の悪い音楽に付き合ってあげていた。
国内警察皇族直属諜報部、通称crown。
日本で唯一無二の絶対権力皇族に直接仕える秘密警察。
「4thさん、9th(ナインス)くんお疲れ様ですぅー。」
金髪縦ツインテールを振りながら、ゴスロリの服を着た女が普通の交番の前で立っていた。
「10th(テンス)何してんの?」
「仕事が終わったんでぇ、一旦帰ってきたんですぅー。」
俺たち3人は交番の中に入っていき、中にいる警官に挨拶をする。
「下に降りられますか?」
「あぁ。」
無愛想に4thがそう答え、俺らは奥へと入っていく。
扉を一枚こえ、鉄格子に囲まれた牢屋の中に入りそこにある扉を開くとそこには十数段の階段がありその先にはもう一枚の扉が目に入る。
「相変わらずここ雰囲気悪すぎですぅ。あたしがプロデュースしてあげるっていうのにみんな反対するんですよぉ!激おこぷんぷん丸ですぅ!」
「おい少しくらい黙れないのか。」
「ジメジメしたここをせめてあたしで華やかにしてあげてるんですから邪魔しないでくださぁいですぅ!ねぇー、7thくぅーん?」
腕に抱きつかれ10thの胸の感触が腕に伝わる。
顔に出すと怒られるため必死に平然を装い4thの背中を見続けるが、赤くなった顔はどうしても隠しきれない。
「やーんもう9thくんったらエッチなんですからぁ!!恥ずかしいじゃないですかぁ!」
羞恥の欠片もないその表情に4thはため息を吐く、と同時に扉が勝手に開いた。
これはエレベーターとなっており、俺らが全員乗るしたらまた勝手に扉が閉まる。
そして妙な浮遊感と共にエレベーターは静かに地下へと降りていく。
「おお、お疲れ。」
エレベーターの扉が開くとそこはまるで上の交番とは違う世界が広がっている。
透明の壁でいくつも仕切られた空間と、無数の機器、そして数名の人間がうろついていた。
「もうすぐ全員集まって会議始めるから会議室に行っておいて。」
ショートヘアーの似合ういかにも警察官みたいな女性がそう俺らに告げると慌ただしく奥の部屋へと向かっていった。
「会議とか聞いてないんですけどぉん・・・。」
「仕方ないって。」
会議室といっても、部屋という感じは透明の壁のおかげで全くない。
誰がどこにいるかすぐ分かるし、開放感がある。
この空間の雰囲気も黒に統一され、とても落ち着いている。(10thは気に入らないらしい。)
しばらくしてここに10人の人間が集まった。
大きなテーブルを囲うように8人が席につき、先ほどの女性がホワイトボードの前に立ち、部屋の片隅で白髪の老人が険しい表情で座っている。
「まず仕事がある者もいるとは思うが少し気になる情報が入ったので、会議を開くことにしたことを理解して欲しい。」
厳しい口調でそう話す。
異論を唱える者はいないものの明らかに機嫌が悪い人間は何人かいるようだ。
「全員気づいているとは思うが、話題はNo.Xについてだ。」
No.X。
これまでcrownが担当してきた事件の中で一番デカイ案件をさす。
内容については詳しくは説明されていない。
ただ俺が気になるのは、そう呼ばれているのに関わらず事件にそこまでの重大性がないことだ。
crownは優れた才能を持った人間が、皇族に忠誠を近い、国のために人生を尽くす組織。
裏を返せば、市民のための組織ではないのだ。
それなのに今回全員が総出で取り扱う事件は極めて一般的な事件で皇族に関わるようなものではない。
希に事件の真意を俺ら若手に伝えられることがない場合もあるが、“重要案件”と言っているのならばいくらなんでも若手だからと言っても伝えられるべきだと思うのだ。
しかし若手が何を言ってもそれが反映されることはないので俺が口を挟むこともない。
「とりあえず4th、伊吹姉弟について教えてくれ。」
女性に指名され4thはめんどくさそうな表情を浮かべて加えていたタバコを外す。
「情報なし。」
「もう何ヶ月だ。」
「1ヶ月くらいじゃねぇっすか。」
「そう・・・。ありがとう。あと9th、10thがいるんだからタバコはやめてもらえないかしら。」
「え、あの、別に俺は構わないですよ?」
「あたしは嫌ですぅ!お肌に悪いですもん!」
俺なりのフォローをいれたつもりなのだがそれも10thによって無駄となる。
4thは小さく舌打ちをして渋々携帯灰皿にたばこを突っ込む。
まぁ未成年がいる場でタバコを吸うのも確かに色々問題だよな・・・一応ここ警察所なんだし・・・。
そんなことを考えていると隣に座るひょろっとしたいかにも優男って感じの人間、7thが細いキツネ目でニコニコこちらを見ていた。
「あの・・・?」
「9thくん学校帰り?」
俺は自分の服装を見て思い出す。
戻ってきたとき着替えようと思っていたのだがいきなり会議が始まってそれどころじゃなかったことを忘れていた。
「大変だねぇ。どうなの最近の高校生って」
「7th!会議中だ!」
「ん?あぁ、ごめんなさい副長さん。ついついさぁ。あっ、そうだあのね」
のほほんとした彼は前に立つ女性に何かを言おうとするがもう一度怒鳴られ彼はシュンとしてしまった。
きっとこの人に犬の耳でもあったらペタンと下がっているのだろう。
こんな人でも本気を出せば全ての格闘技でチャンピオンを取れるだなんて未だに信じられない。
まぁだから皇族のSPの仕事を与えられたのだろうけども。
「2nd(セカンド)。さっさと話を進めてくれないかしら。私、仕事溜まってんの。」
俺の列の一番前に座る白衣を着たいかにも女医さんという妖艶な雰囲気を醸し出す女性が前に立つ、2ndに不満をぶつける。
2nd。
crownで二番目に偉い人。副長さんだ。
頭脳明晰、身体能力も高く、臨機応変に対応することを得意とするまさにデキル女。
ただ熱くなりすぎると周りが見えなくなるのでいつも3rd(サード)に怒られている。
「申し訳ない3rd。では議題に戻ろう。」
3rd。
crownのただ一人の医務担当。女医さんである。
そしてそれと同時に3rdの向かいに座っている4thの奥さん。
俺が来た時にはもう結婚していたからどういう経緯で付き合ったとかよく分からないが、ケンカップルとはよく言ったものでまさにこの二人によく似合う言葉だ。
まぁただし毎回4thが負けるけども。
「あの孤島事件被害者生徒の中で唯一個人情報すべてが偽造の“吉原まどか”のことで新情報が入った。」
吉原まどか。
一ヶ月以上前にあった孤島事件の被害者。
今では一番疑わしき人物である。
学校に提出していた書類は全て偽造。
学校に保管していた吉原まどかが写っていた写真も全て消去されていた。
そして伊吹姉弟が唯一その名前に反応を示した。
今crownが入手している吉原まどかに関する情報は皆無に等しい。
そんな中2ndが新情報を掴んだといったのだ。
「お前らは二週間ほど前に起こった城ヶ崎家の事件を覚えているだろうか。」
2ndの言葉に俺は耳を疑った。
何故その話題が今ここで浮上するのだろうか。
「確か城ヶ崎家の孫らが突然いなくなったって事件だよな。」
「その話を今ここでするってことは多少なりに絡んでるのよね、2nd。」
「もちろんだ、3rd。本来ならこの案件は普通警察の管轄だ。しかしとある情報が入ってきてだな・・・・。・・・・それは、例の“吉原まどか”と凝似している人物がその事件に関わっていたらしいのだ。」
俺はその2ndの言葉を聞き、思わず立ち上がる。
全員の視線が一気に俺へと集まった。
「どうした、9th。」
「え・・・あ、その、なんでもないです。」
俺はもじもじしながら席に座りなおす。
突然のことで思わず体が動いただけで、特に何をしようということはなかったのだ。
「これは公にはされていないが、被害者の親族たちが“吉原まどか”と思われる少女をその日に保護をしたらしい。名前を“古川イズミ”。古川イズミと名乗る少女はトレジャーボートから落ちたと証言したそうだが、実際古川イズミという少女がそれに乗っていた事実は確認できず、その正体は依然不明。」
「なんだ、結局手がかり0じゃねぇか。」
4thがつまらなさそうに舌打ちをする。
しかし、そこでニヤリと2ndが笑ってみせた。
「いいや、デカイ手がかりがあった。」
その自信の満ち溢れる笑顔に俺らは集中を向ける。
「古川イズミは城ヶ崎家に古くから伝わる伝承を知りたがっていた。そして後に、親たちを眠らせ、子供たちを誘拐した。伝承、それは万物を司るという神の力を手にした人間が生まれつくというものだ。」
「それが一体なんなんだよ。」
「孤島事件をこれより第一の事件、城ヶ崎事件を第二の事件と呼ぶことにする。皆は第一の事件で孤島所有者に関する変な噂を覚えているだろうか。」
2ndが全員の目を見渡す。
「・・・確かにあの事件にも伝承と呼ばれるものが存在していたらしいわね。詳しくはあまり知らないけど。」
3rdの言葉を聞いて俺もようやく思い出す。
「冷酷な天使の生贄に 翼を広げた天使たちの歌声が 地に、海に、天に、響き渡り 神の嘆きのそのままに 愛するゆえに、そのままに・・・。これがあの孤島に伝わる伝承。そして・・・。」
手帳をめくりながら2ndは再び。
「時が満ちし主の導きのある年に、愛しの果実は落とされるだろう 主に恵まれし愛しの果実は宇宙をも虜にし、万物を統治する存在となるだろう・・・。これが第二の事件で城ヶ崎家の伝承。どう?」
みんなの目が戸惑う。
2ndの言いたいことがよく分からないからだ。
「城ヶ崎家当主によると古川イズミは伝承のことをしつこく聞きたがっていたそうだ。そして孤島所有者、大野川理事長は吉原まどかに過去、島の過去について尋ねられたことがあったそうだ。私はどうもそこに引っかかってな。何故、吉原まどか、古川イズミは伝承を知りたがっていたのか。だから私は二つの伝承の関連性を調べたの。そしてひとつの仮説が浮かんだわ。それは、世界の創造の伝承。」
「・・・は?何言ってんだお前。」
突拍子もないことを言い出し、4thは笑えもしないようだった。
「2nd、ちゃんと説明なさい。いきなり何言ってんの。」
「二つの伝承を追っているとね、ひとつの伝承が捜査線上に浮かんできた。それが“アルマ・カタストロフィ”。聞いたことないか?太陽と星の力に恵まれた人間がこの世に生をもつという伝承。いわば現代版キリストみたいなものだ。」
急に非現実的な話になってきた。
「それが一体なんだって言うんだ?」
「第二の事件、城ヶ崎家に伝わる”愛しの果実”。それが太陽と星に愛された存在という意味だそうだ。そして第一の事件、吉原まどかは理事長にこう言っている。“恵まれた人間は、恵まれた果実と同じように天候によって作用されているのだろうか”。」
「・・・確かに、関連性がないとは言えないかもしれないわ。でもそれだけの情報で、吉原まどか=古川イズミとはちょっと厳しいんじゃないかしら。」
「いや、むしろ不自然な点が多い中、そんな人間が浮上してくる事態怪しい。」
急に低くドスの聞いた声が部屋の中に響いた。
ここではずっと無言を貫いていた老人に俺らは目を向ける。
「わしは吉原まどか、古川イズミの同一人物説を支持しよう。この短期間で人が怪死を遂げ、その両方に謎の少女が関わり、しかも手がかりは0。もうこれはこの時点で疑いようがないだろう。」
今回の会議はしばらくしてお開きとなった。
任務の方はまた追って報告があるらしい。
俺は給湯室で全員にお茶を入れてあげようとお湯が沸くのを待っていた。
「あのぉ~・・・。」
しばらくして10thが控えめに給湯室に入って来た。
「どうしたの10th。お茶なら俺がやるからいいよ。」
「いえ・・・あの、私ここに入ってきてまだ日が浅いじゃないですかぁ?」
「あー・・・そういえばそうだな。二ヶ月目くらいっけ?」
ヤカンから水蒸気が出だし、そろそろお湯が湧きそうである。
そんなのを見ながら俺はぼちぼち急須の準備を始める。
「そうなんですよぉ。だから1stさんが喋るの初めての体験だったんですぅ。」
その言葉を聞いて10thが何故ここに来たのか理解できた。
1stは普段会議等には口は挟まないし、そもそも出席することすら珍しい。
ここの指揮は実質2ndが握ってるも同然だ。
前に一度2ndに1stは普段何をしているのかと聞いたら無言で殴られたのでそれ以上のことは何も知らないが、恐らく皇帝とこことのパイプとなっているのだろうと勝手に解釈している。
「1stの意見に誰も口答えしなかったのが不思議でたまらなかったんだろ?」
「そうなんですぅ!普段憎まれ口しか叩かない4thさんですら何も言わずにタバコをそっとしまったじゃないですかぁ!しかもそのあとすぐに会議はお開きになるしぃ・・・一体1stさんって何者なんですかぁ?」
10thの質問に俺は苦笑いしか浮かべられない。
だって俺も知らないからだ。
「んー、俺もここに来て1年経つけどあんまり絡んだことないんだよなぁ。知ってることは少ないよ。」
「えぇー!そうなんですかぁ?なんか・・・気に入らないんですよね。」
10thの目つきがいきなり変わる。
その豹変にぎょっとしてしまった。
今まで見たことがない10thの表情。そして今まで聞いたことがない1stに対して発したマイナス発言。
「て、10th?」
「なんでもないです。あ、私用事あるんでお先に失礼しますねっ!じゃ、お疲れ様でぇーす!」
「あ、ちょ、10th?!・・・行っちゃった・・・。」
あまりにも後から取ってつけたような対応で俺は不快感をごまかしきれなかった。
放置していたヤカンからは沸騰したお湯が今にも溢れそうになっている。
「はい2nd。」
自分のデスクで仕事をこなしている2ndにお茶を渡す。
「ん、あぁ、ありがとう。」
2ndは俺が声をかけるまで存在に気づかなかったようで少し驚いていたようにも見えた。
何か書類を作成しているのかキーボードの上を指がぎこちなく踊る。
相変わらずタイピング下手くそだなぁと思いながら、俺は仕事の邪魔にならないように静かに立ち去る。
ほぼ全員にお茶を配り終え、あとは救護室にいるはずの3rdのみとなった。
「失礼します。」
中から気だるそうな返事が返ってきて俺は部屋の扉を開ける。
「お茶を持ってきましたよ。」
「ありがとう。そこにでも置いておいて。」
3rdも仕事をしているのかPCの画面とにらめっこをしていた。
「どうなの、9th。」
「え?」
黙って立ち去ろうとした瞬間、3rdに話しかけられドキっとする。
3rdは画面から目を離し、椅子に持たれるようにして俺の方を見る。
「どう・・・って言われても・・・。」
「城ヶ崎家のお孫さんと知り合いなんでしょ?」
「え?な、なんでそんなこと知ってるんですか・・・!」
「さっき2ndが孤島の方と関連性があるって言ってたじゃない?だからすぐに城ヶ崎家の孫たちのこと調べたのよ。そしたら城ヶ崎冬弥の高校名どっかで見たことあるじゃない。」
なるほど、と俺は呟きそばのベッドに腰掛ける。
「冬弥とはクラスメイトでした。一番仲がいいってわけじゃないですけど、そこそこ仲もよくて・・・。まさか友達が関連してる事件を仕事で受け持つことになるなんて思ってもなかったですけどね。」
「多分近々2ndから指令が出ると思うわ。君は確実に冬弥関連で。・・・一応聞くけど、城ヶ崎のお孫さんは今はどうなってると思ってる?」
3rdの目線が鋭く刺さる。
分かってる。
3rdが聞きたい答えは俺は理解できてる。
「・・・・死んでるでしょう。」
「良かった。」
世間では行方不明扱い。
学校の奴らも行方不明だと思っている。
誰も死んでるだなんて思ってない。
ただ、俺は行方不明だなんて思ってはならない。
何故なら、俺は冬弥の友達である前にcrownのメンバーなのだから。
希望は早々に捨てるべきなのだ。
「体の調子の方はどう?」
「問題ないです。」
「薬は?」
「ちゃんと飲んでますって・・・。」
「そう。なら良かった。今日はこのあとどうするの?」
「8thにあとは任せて俺は帰ろうと思ってます。明日も学校あるんで・・・。」
「学生は大変ね。まぁ残り少ない高校ライフ楽しみなさい。」
3rdはいつもそう言ってくれる。
「ありがとうございます。じゃ、失礼しますね。」
俺は部屋をあとにする。
高校ライフ・・・か。
一年半前、ちょっとした好奇心が俺の世界をまた変えた。
俺の日常を奪っていった。
自業自得だと分かっていてもたまにやるせない気持ちが溢れそうになる。
「よし、帰ろう。」
自分の机に置いてあるスクバをリュックのように背負い、俺は足早にその場をあとにした。
「おはよう。」
居なかった席にいる人。
八尾哀。
それが彼女の名前。
才色兼備の彼女の周りには今日も人が集まっている。
「綾川くんおはよう。」
始業のチャイムが鳴りようやく彼女の周りの人だかりもなくなる。
「大変だな。」
「まぁ哀ちゃんが可愛いのが悪いよな。」
「なに太陽くん。私が悪いの?」
拗ねるような表情もとても素敵で俺は思わず見とれてしまう。
「おいお前キモイ。」
「へ?あ、お、お、おお、おほほほほほ?」
太陽にシラーっとした目で見られて変な汗がではじめる。
いやぁ、危ない危ない。
思わず哀ちゃんに全てを引き込まれるところだった。
相変わらず単調な授業に俺はあくびをしながら今日も一日が過ぎていった。
そして放課後、学校から出ていつものようにあの病室に行こうとタクシーに乗り込む。
すでにいるはずの7thに連絡をしようと端末を開くと一通の未読のメールが入っており、確認してみると今日行けれなくなった(ふざけた顔文字)。
「あんにゃろー・・・。」
相手が高校生なだけに、同世代の人がいたら心を開くかもしれないという3rdの意向により俺は毎日あの病室に顔を出すことになっており、その補佐として誰かがいつも俺より先にあの病室にいる手はずになっている。
こんなことは初めてだ。
一応2ndにメールをしておく。
何か指示があるかもしれないが、それは恐らく期待ができない。
今日は2ndは皇家に定期報告へ行っている。
俺は頭を抱えながらとりあえず7thに、ばーかと一言メールしておくことにした。
いつもどおり病院の地下へ入っていき、双子の待つ部屋へと向かう。
今日も双子はベッドの上で無言を決め込んでいるのだろうと思っていた。
しかし、俺の予想は大外れするのであった。
長い長い廊下を歩いていると向こう側から誰かが走ってくる様子が見えた。
「・・・・ん?」
俺はどうしたもんだと目を細めてその人物を確認しようとする。
・・・二人組・・・?
あぁ、嫌な予感がする。
「なに・・・してんの?」
俺の姿を確認したのか、二人組は足を止め怪訝そうな表情を浮かべた。
「避けて。」
「ごめん。何してるのか教えてもらえる?」
二人はあの双子だった。
恐らく病室から脱走してきたのだろう。
俺らがあの病室に入る4時から5時までは自動で監視カメラが止まる仕組みになっている。
そして今日は7thがサボったためこの二人の監視役は誰もいない。
つまり確かに脱走には絶好のチャンスかもしれない。
「戻ろう。まだ君たちの体調は万全じゃないはずだ。」
「避けて。怪我させたくないから。」
女の子の方が今にも噛み付きそうな余裕のない表情をしている。
「怪我って・・・何言って・・・え?」
苦笑いを浮かべた次の瞬間、気づいたら俺の目の前に女の子の顔があった。
その動向は完全に開き、どこかで見たことのある顔つきになった。
「っかは・・」
みぞおちに激痛が走り、息が止まる。
まさか女の子に殴られ倒れこむ羽目になるとは思いもしなかった。
「行こう、恋夜。」
「おう。」
二人はまた走って行く。
俺はすぐに追いかけようとした。
しかし受身も何も取らなかったためすぐには動けなかった。
惨めに床をイモムシのように這うだけだ。
あぁ、これはやばい。
本格的にやばいやつだ。
俺は端末を取り出し、安定しない意識をなんとか保ち本部へと電話をする。
きっと誰かいるはずだ。
「はーい、こっちら10thでございますよぉー。」
「あ・・・10th・・・?」
「んんんんー?あぁ、9thくぅん!何してんですかぁ?早く来てくださいよぉ!4thさんとふたりっきりでむさくるしいったりゃ・・・いたい!痛いですよぉ4thさん!!」
電話の向こうでぎゃーぎゃーとふたり喧嘩を始めてしまった。
全く・・・なんでこんな時に限ってまともなやつがいないのだろうか。
「あの・・・聞けって10th・・・てか3rdいるか?」
「3rdさんですかぁ?ちょっと待ってくださいねぇ。4thさーん。3rdさんいらっしゃいますかぁ?・・・あー、オッケイです。もしもし9thくん?いないみたいですぅー。どうしたんですかぁ?」
「まじか・・・んじゃもういい・・4thにかわって。」
まともに話が出来る人間がいなくて俺は本格的に自分の運の悪さを呪った。
しばらくして4thが出てきた。
「どうした。」
「双子に逃げられました。」
「はぁ?なに言ってんだお前。」
どうやら俺が冗談でも言ってると思ってるみたいだ。
「マジなんすよぉ・・・。俺さっき姉のほうに腹パン食らわされてしばらく動けそうにないんです・・・。」
「何やってんだよお前・・・それでもcrownの人間か。」
「そこは本当に何も言えないです・・・。」
「分かった。このこと2ndには?」
「まだです・・・。定期報告会があると思ったんで・・・。」
「そういえばそうだったな・・・。じゃあ俺から連絡しとくからお前は回復し次第双子の搜索に当たれ。一応そっちに10th行かせるから。病室でいいか?」
「途中の廊下です・・・お願いします・・・はい・・・失礼します。」
電話を切り、俺はひんやりとした床に全てを預ける。
あの動きは普通の人間が出来る動きじゃなかった。
あの目つき、あの雰囲気・・・。
にわかに信じられはしないが、それ以外考えられない。
「こりゃ肋骨何本かイったかな・・・。」
ぼそっと呟いた声は思った以上に静かな廊下に響き渡った。
しばらくして10thが来たが、その頃には俺はだいぶ回復していた。
「大丈夫ですかぁ?」
「ん、まぁ。で、双子の居場所は?」
「今8thさんが調べてるみたいですけど、ここそんなに都会じゃないじゃないですかぁ。だからなんか苦労してるみたいですよぉー。」
普段なら監視カメラなどハッキングしてターゲットを探し出すのだが、監視カメラなんてあるような都心ではないここでは確かに難しいかもしれない。
「衛生カメラは?」
「画質が悪くなるから解析には時間がかかるそうなんですよぉ。てか、私にあんまりつっこんだこと聞かないで自分で聞いてくださいよぉ。はい、インカム。」
俺はすかさずインカムを取り付け8thに話しかける。
「どうなってる?」
「9thくんようやく復活かい?」
「ごめんよ迷惑かける・・・。で、どう?」
「今、全勢力を注いでるとこ。でもあまりにも情報くなくってさ・・・どんな服装だったかどうかだけでもわからない?」
「病院の服ではなかった。恐らく保護された時の服だと思う。あとはあんまり覚えてない・・・すいません。」
「病服じゃなかった・・・んー、情報少ないなぁ。保護されたときの服とか僕も知らないからなぁ。まぁ頑張ってみるよ。君たちは君たちで情報収集してて。」
「お願いします。」
俺が油断してなかったらこんなことにならなかった。
そう思うと悔しくて手に力が入る。
「じゃあ9thくん行きますかぁ?」
「え・・・あぁ、うん。」
ズキっと痛む胸を抑え立ち上がるが、足元がおぼつかない。
「だ、大丈夫ですかぁ?」
「ん、問題ないって・・・。」
「嘘です。顔面蒼白ですよぉ?ここせっかく病院なんですし見てもら」
「ダメだッ!」
自分でも驚くくらい大きな声を出してしまった。
それにもちろん10thも驚きを隠せないようだった。
「そ、そんな大きな声出さなくても・・・」
「ごめん・・・。でも本当大丈夫だから。こんなのもうちょっとジッとしとけば治るから。」
「よくわかんないですけど・・・・あんま無茶しないでくださいよぉ?私先に行ってるんで。」
10thは少し気にかけるように見てきたがそれ以上は何も言っては来なかった。
俺は再び床に座り込む。
こんなの・・・もうすぐ治る・・・。
俺の体はそんなにやわじゃない・・・。
その後、8thの捜査線上には双子は引っかからなかった。
10thの病院付近の目撃情報集めもこれといった手がかりは上がってこなかった。
「本当に申し訳ないです・・・・。」
俺はcrown本部の救護室のベッドの上にいた。
「肋骨折ってよく意識保ってたわよ。てかほんとこれ伊吹鈴歌に殴られたわけ?」
3rdは俺のレントゲンを見ながら苦笑いを浮かべでいた。
「はい・・・おそらく・・・。」
「・・・・言いたいことはわかるわ。けど、ちょっと信じられないわね。保護できたら一応検査してみないとね。・・・で、これからどうするの2nd。」
救護室にはもうひとり、2ndがいた。
つい先ほど定期報告会から戻ってきたばかりなのだ。
「はぁ・・・なんでこんなことになるんだ。」
「ごめんなさい・・・。」
「あなたのせいじゃない。どっちかっていうと7thのせいだ。始末書で済ませれるかどうか・・・。とにかくこれからのことを考えねばならない。3rd妙案はないか。」
今回のことにはさすがの2ndもどう対処したら良いのか困惑しているようだ。
双子の目撃情報も少ない上にあまり派手には動けない。
衛生カメラの解析にも時間が掛かり、解析が出来るころにはもうかなり移動出来る距離になっているそうだ。
しかもあれからもう5時間は経っている。
歩きだとしてもかなり移動は出来るだろう。
「しかもあの子達は今は死んだことになっている・・・。もし私たちが見つけれる前に敵にこのことが知れてしまったり、知人に会ってしまったりしたら・・・。くっそ・・・もっと厳重に拘束しとくべきだった・・・!」
「過去のことを嘆いても今は仕方がないわ。」
「・・・そうだな・・・。9th、今から8thと合流して衛生カメラから探すことはできるか?」
「出来る限りを尽くします。」
「頼んだぞ。」
そう言うと2ndは足早に部屋から出て行く。
「じゃあ俺も・・・ありがとうございました。」
「いえいえ。君の体調管理も私の立派な仕事だから。」
俺はゆっくりベッドから立ち上がり、8thのいるPCルームへと急ぐ。
「8th!」
「あ、9thくん!大丈夫かい?肋骨ヤったって聞いたんだけど。」
「大丈夫。それよりどう?」
俺はいつものように大きなモニターの前に座り込む。
薄暗く不気味にモニターたちが光っているこの部屋のこの場所が俺の一番の戦場だと思っている。
「今、範囲を拡大して捜査を進めているけどやっぱり解析速度があがんなくて・・・。」
俺はキーボードを引き寄せ、キーボードを叩く。
今8thが解析しているのを確認してみるが、確かに速度が遅い。
これじゃあいつまでたっても見つけれない。
「分かった。じゃあメインを俺に今から移行して。8thは補佐。」
「おお・・・久々に9thくんの本気見れちゃうのかぁ。」
「無駄口叩かずに早くしろっての。」
俺は苦笑いを浮かべながら近くに置いてあるメガネを取る。
モニターばかりを見ていると光のおかげで目を急激に痛めてしまう。
そんな中仕事をしても結果がでない。
だから俺はメガネをかけ、少しでも目の負担を減らす。
そうすることにより、仕事がやりやすくなるのだ。
「8thより9thへ、メインコンピューター移行完了。」
目の前のモニターに大きくcrownの紋章が浮かび上がる。
「これより双子の捜索を開始。8thは補佐をお願いします。」
「了解。」
俺はまず双子の顔、体格をコンピューターに入ってるか確認する。
そしてこれを衛生カメラに照合させる。
「解析度を落とします。照合率が80%を超えたものだけ解析度をあげて照合させます。」
俺はキーボードを叩き、それようのプログラムを作り始める。
このくらいできないとcrownの情報機関はダメになってしまう。
双子のいなくなった時間帯から逃走範囲を推理し、範囲内にあるカメラ全てをハッキングし過去五時間の記録を双子と照合。
プログラムは10分程度で出来上がった。
あとはコンピューターがすべてをやってくれる。
俺はメガネを外し、背もたれに背中を預ける。
「こんな難解なプログラムを難なく作ってしまうなんて・・・やっぱ9thくんすごいな。」
「そんなことないって。8thも作れるよ。」
「いやいや、僕には無理だよ。未だにハッキングだって戸惑うのに。」
「俺はこういう時にしか動けないからな。普段は学校あるし・・・そこには感謝してるぜ。」
8thは俺が学校でいない時の仕事は全て一人で行ってくれている。
他に補佐の人間が欲しいのにも関わらず文句も言わずに、自分の時間を潰してまで仕事に徹してくれている。
そのおかげで俺は多少は普通の少年として学校に通える自由が与えられている。
8thは照れくさそうに笑うと、気まずかったのかモニターに目線を戻してしまった。
俺もしばらくはコンピューターに任せるとして、一度席を立つ。
「じゃあ俺、2ndに一応報告に行ってくるから何かあったらよろしくな。」
「ラジャ。」
そうしてモニタリングルームをあとにする。
「・・・来ないね。」
「そう・・・だな。」
白に統一された病室に瓜二つの姿をした男女がいた。
かけられた時計を見ながらいつもとは違う様子に心臓が高鳴る。
「あのヒゲ最初の方言ってたよね・・・自動にカメラが落ちるって・・・。」
「言ってたな・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
二人は無言で見つめ合う。
そして何かを決心したかのようにベッドから足を下ろした。
「服は?」
「そこに着てきた奴が入ってるの見たことがある。靴は?」
「あの下に置いてあるのを見た。」
二人が互いの記憶を呼び覚まし、あの時着ていたものを着用する。
洗濯はされているようだったが破れているところはそのままになっている。
「大丈夫かな?」
「問題ないだろ。それより早く行こう。」
時計を見れば今は4時40分。
あと20分ですべての監視カメラがつく。
「ねぇ・・・恋夜。」
腕を引き部屋から出ようとする男を女は引き止める。
「なんだよ鈴歌。」
「どう・・・すんの・・・。」
二人は今まで満足に話すことができなかった。
何故なら四六時中カメラは周り、切れたと思えばあの監視員が来る。
「・・・外に出て考えよう。まずは出なきゃ、何も変わらない。」
「・・・・・・・・そう・・・だね。」
鈴歌は恋夜の腕をギュッと握り、前を向いた。
「行こう。外へ。」
恋夜が力強く扉を開き、長い廊下を走り出した。
久々に走る感じ。ずっと寝たきりの生活だったから少し不思議な感じ。
長い廊下が私たちの体力を奪う。
だがこれだけ長い廊下なのに誰にも合わないのは幸いだった。
想像はついていたがどうやら私たちはどこか地下にでも監禁されていたのだ。
「恋夜っ!きっとあっちが出口だよ!ほら階段が見え・・・・・・え?」
突如鈴歌の足が重くなる。
誰か・・・いる?
それに恋夜は気づいていないのだろうか。
私の腕を引いて走り続ける。
「ちょ・・・・恋夜・・・!」
「なんだよ鈴歌。」
「まえ・・・まえみて!」
「前って・・・っ?!」
反応は向こうも同じだった。
お互い豆鉄砲でもくらったかのような間抜けな顔をしていたに違いない。
だってこんなところで会うなんて思ってもなかった。
もう少しで出口なのに・・・。
「なに・・・してんの?」
そう言われて鈴歌と恋夜は何も答えられなかった。
彼は“9th”と呼ばれる監視員。
いつも監視役は二人だが彼だけは毎日二人のもとへ訪れている。
きっと年齢も近いため、鈴歌たちが心を開くとでも思っているのだろうか。
鈴歌は下唇を噛み締める。
どうして・・・もう少し・・・もう少しなのに・・・。
もうこの逃走は終わってしまったと思った。
そう思えば思うほど心臓は痛く打ち付ける。
ドクン、ドクン。
うるさい、痛い、どうして、通して、行かせて。
「・・・避けて・・・。」
「ごめん。何してるのか教えてもらえる?」
彼は優しく、でも困ったように笑っている。
心臓の音がうるさい。
落ち着けない。
高揚感が抑えきれない。
「戻ろう。まだ君たちの体調は万全じゃないはずだ。」
彼は微笑みかけてくる。
恋夜はこの状況をどうもできないと諦めの表情を浮かべていた。
でも鈴歌は違った。
つないでいた手をそっと離す。
「鈴歌・・・?」
「避けて。怪我させたくないから。」
恋夜がぎょっとした表情を浮かべている。
鈴歌の表情が見せたことないようにぎらついていたから。
「怪我って・・・何言って・・・。」
体が軽かった。
さっき走った時とは比べ物にならないくらい軽くて、心地よかった。
廊下を少し蹴っただけなのに、いつの間にか彼の目の前まで移動していた。
「え?」
苦笑いを浮かべていたはずの彼の表情は一瞬にして驚嘆した。
体中から力が満ち溢れてくる。
―――――あぁ。
気づけば彼が床に倒れ込んでいた。
「行こう、恋夜。」
「・・・・おう。」
鈴歌は恋夜の腕を引いて彼のきた方向へと走り出す。
―――――思い出した。
――――――あのとき、
――――――私はとんでもないことをしたんだ。
階段を駆け上り、扉を開けたら病院内はたくさんの人で賑わっていた。
ここがかなり大きな病院だと簡単に想像させる。
これだけ人がいるのならば紛れて外に出ることも難しくはない。
二人は人をかき分け、病院の外へと飛び出す。
ぎらつく太陽に、むわっとした湿気。
たくさんの人、公道を行き交う自動車や自転車。
懐かしい風景が人にいっぱいに溢れる。
「とりあえずここから離れよう。」
恋夜の言葉に鈴歌はハッとする。
感動している場合ではなかった。
一刻も早くここから離れなければさっきの彼の仲間が来るかもしれない。
二人はしっかりと手を握り締め再び走り出した。
鈴歌の高揚感はいつの間にか収まっていた。
「ちょ、休憩・・・。」
かなり走っただろうか。
二人は汗だくになりながら木陰に腰をかける。
ここはそこまで都心ではないようだ。
あえて人が少ない道を走っているにしてもまさか近くにこんな山があるだなんて思ってもなかった。
大木に背中を預け、しばらく自然の風に体の熱を冷まさせてもらう。
「今は何月なんだろうね・・・。」
「7月くらいなんじゃねぇか。俺らが眠ってた期間と、あそこに監禁された期間合わせるとそんなもんだろ。」
「・・・そっか。あの部屋にいたんじゃ気温とかわかんなかったもんね。」
木が風でざわめく音、動物たちの泣き声、水の流れる音。
自然いっぱいのこの場所に二人は癒されていた。
しかしそんなにのんびりしている時間はない。
「・・・どうする?これから。」
「そうだね・・・。逃げ出したのはいいけど、何も考えてなかったね。」
「多分世間では俺らは死んだことにされてるだろうな。」
「それどころじゃなく、多分あれは事故で済まされてるに違いないよ。あの監視員の人たち何も教えてくれないくせに、私たちから情報入手しようとするなんてあまりにもフェアじゃないよ。」
恋夜は服が体に張り付くのが気持ち悪く風を送る。
それを見た鈴歌も真似して服をパタパタさせる。
「四六時中監視カメラが回ってて、あれ私たちを人間って思ってないよ。情報収集の手段としか思ってない扱いだった。まぁもう死んだようなもんだし仕方ないったらそうなのかもしれないけど。」
「さすがにトイレにまでカメラがあるのはまいった。囚人にでもなった気分だったぜ。」
そこで一度会話が止まる。
言いたくても、言えないこと。
いまだにまだ認めたくないこと。
それを口に出すことによって認めてしまうのではないかという恐怖。
しかしそれにいつかは打ち勝たなくてはならない。
いつかは話し合わなくてはならない。
「・・・まどか・・・一体何者なんだろうね・・・。」
鈴歌がボソっと言った。
その言葉を聞いて恋夜は空を仰ぎ見る。
「ただいま。」
学校を終えたマギサは真っ直ぐに家に帰って来た。
「おかえり。今日の晩飯は和食だぞー。」
エプロン姿で奥からリッターが出てくる。
「本部からの連絡は?」
「今のとこないな。ほかの特別級のやつらもまだ様子見ってとこだ。」
リビングにある白いソファーに座りこみ、すかさずリッターが紅茶を淹れる。
「マギサのとこはどう?」
淹れてもらった紅茶を一口飲み、ため息を吐く。
「何も。ACの気配なんてさっぱりしないわ。また最終マニュアル施行かもしれない。」
「もうこの二ヶ月でどれだけの高校生が死んでると思ってんだ・・・もうそろそろ俺らも危うくなってくる頃かもな・・・。」
「大丈夫よ。その前に絶対に見つけ出すもの。」
紅茶を一気に喉に流し込み、マギサは立ち上がる。
部屋に戻ってクラスメイトの情報の洗い直しをする予定だ。
今分かっている情報はACは対になる。つまり二人の可能性が高いということだ。血縁者関連を漁ればそれなりに情報は手に入るかもしれないとマギサは思っていたのだ。
「・・・なぁマギサ。」
リビングから出ていこうとしたときリッターに呼び止められ振り返る。
「何?」
「・・・・・・・。」
「なんなの。」
「・・・ま、マギサはさ・・・ACが見つかったら・・・どうするんだ?」
いつにもましてわけのわからないことを言い出すリッターにマギサは眉をひそめる。
「なんなのあんた。」
「ACが手に入ったら全ては総帥の思い通り。つまりactはもう用済みなんじゃないのか?そこのとこ・・・どう考えてるのかなって思ってさ・・・。」
マギサは大きなため息を吐いて、踵を返す。
「全ては総帥が決めること。私たちが悩むべきことではないわ。」
そう言い残してマギサは自室へと戻っていった。
リッターはマグカップを片付けながら小さくため息を吐く。
マギサの言うことは、actメンバーとしては完璧な回答だろう。
でも人間としてはどうなのだろうか。
「・・・まぁ自分は人間じゃないって言われるのがオチなんだがな・・・。」
リッターは再びため息を吐く。
出汁が沸騰しすぎて旨みが逃げてしまっていることに今気付けていたら間に合ったかもしれないと後悔しながら、リッターは家事に戻ったのだ。
次の日の早朝、マギサは5時に起きていた。
リッター曰く、“日本にいたんじゃトレーニングもできないだろう?”とのことらしく近くの山でトレーニングをすることになったのだ。
確かにストレス発散にはちょうどいいかもしれないとマギサも参加することにしたのだ。
「さすがに射撃練習は禁止な。ここ日本だし、パクられたらシャレになんねぇ。」
「そんなの逃げればいいじゃない。もしくは殺す。」
「お前は考えが野蛮なんだよ。」
リッターは呆れたように笑う。
まだ早朝だというのに外は少し蒸し暑かった。
これだから日本の夏は嫌いだ・・・とマギサは文句言いながらも目的の山までやってきた。
「山の中なら涼しいし、周りの目も気にしなくて済むだろ?」
「そうだけど・・・虫が多いのがちょっと・・・。」
「虫除けスプレーしてきたから大丈夫だ。うん。」
リッターはまるで少年のように目をキラキラ輝かせていた。
いつの年齢になっても山というのは少年の心をくすぐるのだろうか。
マギサはくだらないと思いながらリッターのあとを付いて歩いた。
しばらく歩いていると急に開けた場所にたどり着く。
「ここは?」
「いいだろここ。たまたま見つけたんだ。」
リッターは嬉しそうに笑いながらストレッチを始める。
「さて、まず組手からするか?」
「私別に接近戦担当じゃないんだけど。」
「マギサ様とあろうお方ならあらゆる体術を身につけておかないとダメだろ?」
「・・・言うけど私・・・相当強いわよ?」
「知ってる。どんと来い。」
リッターが両手を広げて、マギサの向かい側に立つ。
人体実験されてるマギサと、ただの訓練しか積んでないリッターとはまるで熊とカエルだ。
さっさと終わらせてやろうと思った。
マギサはリッターに向かって突っ込んでいく。
その刹那、マギサはピタリと動きを止める。
リッターも異変に気づいて目つきを鋭くさせる。
「ヒトの気配がする・・・。」
「こんな早朝の山奥にいったい誰が・・・。」
二人はヒトの気配がする方向を睨みつける。
一般人がこんなところに果たしてくるのだろうか。
ジッと二人は気配を殺して、ただただ睨みつけていた。
すると、
「お父さん!すごいよ!ここ!ひらけてるよ!」
緊張した空気を打ち壊したのは小さな少年だった。
網を持って、かごをぶら下げた成人男性も後からやってくる。
「こ、ども?」
あっけにとられたマギサとリッターは二人の親子をポカンとした表情で見ていた。
するとその視線に親子も気づきこちらに歩み寄ってくる。
「おーはーよーうーごーざーいーまーす!」
少年は大きな声で挨拶しながら勢いよく頭を下げた。
父親と思われる男性も笑いながら挨拶してくる。
「え・・・あ・・・お、おはようございます・・・。」
「お兄ちゃん達もカブトムシ取りに来たの?」
「え?あ・・・カブトムシ・・・?」
少年は自分が持っていたカゴをマギサに向かって突きつける。
中には小さなクワガタが二匹入ってた。
「大。それはクワガタだよ。」
「カブトムシだよお父さん!ね?おねえちゃん!」
「え・・・えっと・・・リッター・・・。」
少年のテンションについていけなくなっていたマギサはリッターに助けを求めるがただ微笑むだけで何も言ってくれない。
「おねえちゃんたちもカブトムシ取りに来たの?」
かごを引っ込めた少年は早朝からこんなところにいる私たちの存在が不思議でたまらないという表情をしている。
「えっと・・・ん、まぁ、そんな感じ・・・かしら・・・。」
「そうなんだ!とれるといいね!」
「じゃあ大、もう少し先に仕掛けた罠のとこ行こうか。」
「うん!じゃあねおねえちゃん、おにいちゃん!」
少年は父親の腕を引っ張るようにしてまた森の中に戻っていった。
マギサはため息をつきリッターを睨みつける。
「なんなのあんた。」
「いやー、だって俺話しかけられてないし?」
「ふざけないでよ・・・絶対おもしろがってたでしょ・・・。」
「まぁ子供にあたふたするマギサはおもしろいって言ったらおもしろかったけどなぁ。」
笑いをこらえるように言うリッターをマギサは全力でぶっ飛ばしたい気持ちに駆られた。
しかしそこは冷静に頭を冷やして、拳をひっこめる。
「もう帰る。」
「え?なんでだよ。まだ何もしてねぇじゃん。」
「ガキがいる近くで戦闘訓練出来るわけないでしょ。日を改めるわ。」
「ちぇ・・・。」
リッターが残念そうな表情を浮かべているがそんなのはお構いなしにマギサは元来た道を戻っていく。
そのときにまたヒトの視線を感じたが、おそらく他にも虫とりに来てる人がいるのだろうと思い気にとめなかった。
山の麓まで降りるころには太陽はかなり顔を出していた。
時計を見ればもう6時だった。
帰ってシャワー浴びて、学校の支度をしてるとちょうどいい時間帯になるだろう。
「走って帰るか?」
「結局なにもしてないものね・・・そのくらいしましょうか。」
「じゃあ先についたほうが先にシャワーを浴びれることにしようぜ。」
「あら、じゃあ私が絶対勝つじゃない。」
二人は並んで立つ。
そしてリッターがスタートの掛け声を出そうとした瞬間、聞き覚えのある声が聞こえた。
「まどかッ!!!」
反射的にマギカは振り返ってしまう。
リッターも不思議そうな表情でマギサを見たあとに振り返る。
「ま・・・どかっ・・・!」
山の中から駆け下りてきたのは見覚えのある二人。
あの時と全く同じ服装で、だけど髪の毛とか伸びてたり痩せてたりするせいか少し雰囲気の違うあの二人がいた。
「・・・伊吹姉弟・・・。」
「まどか・・・なんだよね?・・・まどか・・・だよね?」
震える声で鈴歌が呼びかける。
「・・・まさか・・・あの状況から生き延びたっていうの?」
それはマギサにとっても思いもよらないことだった。
あの大爆発は島のほとんどを消し去った。
まず自分のような人間以外は生き残れるわけがない。
そんな状況下でこの双子は生き延びたというのか。
「吉原・・・おまえ今一体何してんだ・・・。」
「それはこっちのセリフよ。あんたたち今までどうしてたのよ。あんたらは確かに“死んだ”はずでしょ?」
「生きてるよ・・・私たちは・・・生きてるよ・・・。生き延びたんだよ。」
マギサはわけがわからなく頭をかきむしる。
セミの鳴き声がだんだんと聞こえ始めた。
「ちっ・・・めんどくさ・・・。」
「誰?」
「孤島で大爆発起こしたときの生還者。」
「・・・ヤルか?」
リッターが懐に手を突っ込む。
その仕草に双子の表情がこわばる。
しかしマギサは額に手をあて、ため息を吐いてこう言った。
「やめときなリッター。後処理がめんどくさいだけだ。」
「ま・・・どか?」
「あんたらもバカでしょ。大人しく引っ込んでたら殺される心配もなかったのに、なんでわざわざ出てくるかなぁ。」
「そ・・それは・・・。」
「あんたたちはもう私にとっても世界にとっても用済みだ。だから殺す価値もない。とっとと失せて。」
マギサは二人に背中を向けて歩きだそうとする。
「い、いいのか?」
リッターは慌ててその腕を掴み止める。
「いいわよ。もうあれから何日経ってると思ってるの?こいつらが警察に何か言ってたとしたら今殺しても無意味だし、言ってなかったとしても殺す価値はない。つまり、殺すだけ無駄。・・・行くわよ。」
腕を振り払いマギサは歩き始める。
そんな後ろ姿をリッターはしばらく眺めて、双子のほうに体を向ける。
「お前らが、マギサの元クラスメイト?」
リッターの言葉に二人に緊張が走る。
いくらマギサがそう言ってもリッターにはまだ殺す手段が残っている。
鈴歌は恋夜の腕にしがみつく。
「吉原まどかのクラスメイトであって、マギサという人は知りませんね。」
怯える鈴歌に変わって恋夜が答える。
「・・・そうか。マギサ・・・いや、吉原まどかはどんな子だった?」
その質問に双子は互いに顔を見合わせる。
「えっと・・・?」
「あぁ悪い。俺は知らないからさ・・・あいつが普通の高校生生活してる姿を・・・。自然にやれてたか?」
リッターは二人に対して敵意など微塵も抱いていないようだった。
「ま、まどかは・・・いい子でした・・・。頭もいいし、気も使えるし、可愛いし・・・。だから・・・だから未だに信じられないんです。あの子があんなことをしれかすなんて。」
鈴歌の言葉にリッターは安心したような表情を見せた。
そして刹那、何かを決心したかのようにまっすぐと鈴歌と恋夜の目を見据えた。
「二人に頼みたいことがあります。君たちはきっと強力な裏権力によってその存在を隠されてるに違いありません。お願いします。マギサを・・・・マギサを救ってください。」
リッターが頭を下げる。
ふたりはなんのことか分からず顔を合わせる。
「ど、どういうことですか?」
「洗脳されてしまった人間はもう家畜も同然です。そしてそれは残念ながら俺も同じなんです。ですから、檻から解き放たれている君たちに頼みたいんです。君たちが知っていることを全て警察にお話してください。君たちの存在が公の場に出ていないということはおそらく強力な権力に隠されているのでしょう?君たちが知っていることを話す事がマギサを救う鍵となるのです。君たちはクラスメイトを虐殺され、自分たちさえも殺そうとしたマギサが憎いかもしれません。しかし、それはマギサの意思ではないのです。勝手なことを言ってるのはわかってます・・・ですが、これは君たちにしか頼めないのです。お願いします。」
リッターは再び深々と頭を下げる。
「何故・・・俺らに?」
「だって・・・。」
リッターは顔をあげる。
そこには長年の重圧に耐えてきた男の表情があった。
「俺には引き出せなかった笑顔を君たちは引き出したんでしょ?」
早朝、本部から電話が来た。
病院に双子が帰ってきたという。
俺は学校に休みの連絡をいれ、急いで病院へ向かった。
「4th!」
長い廊下の先には4thが壁にもたれながら俺が来るのを待っていたようだ。
「双子は?」
「今、身体検査中だ。」
「双子はなんて?」
「まだ話せてねぇ。俺も今来たばかりだからな。」
乱れた呼吸を整えるかのように深呼吸を何度かする。
まさか双子自らこの場所に戻ってくるとは夢にも思わなかった。
一体双子は何を考えているのだろうか。
「4thはどう考えますか?逃げ出した理由はおそらくこの環境に耐え切れなくなったため・・・でも戻ってくる理由が分かりません。」
「・・・。」
4thはタバコをふかしながらただ部屋の扉を見つめていた。
「考えられる理由で一番最もらしい理由は、外に出てから自分たちの境遇に限界を感じ、生きるために戻ってきた・・・ですよね?」
「まぁ・・・そんなこと逃げる前に想像はつくだろうけどな。」
「あの時は双子にも焦りがあったに違いありません。冷静な判断ができたとは到底考えられませんよ。それに・・・。」
自らのみぞおちに手を当てる。
それと同時か否か、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
「終わりましたか?」
「はい。異常はありませんでした。あとはそちらにお任せ致します。」
ドクターはそう俺らに告げると、看護師とともにそそくさとその場をあとにした。
おそらく俺らにあまり関わりたくないのだろう。
「入りましょうか。」
「・・・あぁ。」
4thは携帯灰皿にタバコを乱暴に押し込む。
その姿を見て、俺はドアノブを掴み回す。
扉がゆっくりと開かれ、中には今までと同じ風景が広がる。
しかし、一点だけ違った。
それは双子の目の色だ。
「お散歩はどうだったんだ。少しは頭冷えたか?」
4thがシニカルに笑う。
双子は互いの目を見て、頷き合う。
それが何かの合図なのだろうか。
「お話致します。あの日、あの島で何があったのか。全てお話します。」
姉のほうがしっかりとした口調でそうしゃべる。
俺らが双子の声を聞いたのはそれが初めてだった。
「・・・・ほぅ。またどんな心の変わりようだ?」
4thがそう口走るのも無理はない。
今まで一ヶ月以上も黙秘を決め込んでいた二人が突如、全てを話すと言いだしたのだ。
疑わないほうがおかしい。
「話すって言ってるんですよ。それとも何ですか?俺らが何かを話すとまずいことでも?」
皮肉には皮肉を、と言わんばかりに弟のほうが4thを挑発する。
一回り以上も年下に挑発されたとなれば4thの癪に触る。
俺はこれ以上の状況悪化は望まれないと察し慌てて仲裁に入る。
「ま、まぁお二人が無事で本当に良かった。大丈夫。僕たちは君らの味方です。遠慮なくお話してください。」
「・・・その前にあなたがたの身分が知りたいです。悪い人たちにこのことが知れて、あの子の不利益な状況にはしたくないから。」
あの子・・・?
俺は彼女の言葉に少し違和感を覚えた。
しかし今それを気にしていても話が前に進まない。
ポケットをまさぐり身分証明書を提示する。
「国内警察皇族直属諜報部所属、9thと申します。そしてこちらも同様4thと申します。」
「それは初めに聞いた。違うの。あなたたちがどんな仕事をしているか知りたいの。」
「これは失礼しました。僕たちはいわゆる皇族の裏組織というもので優れた才能をもつ人間が特別に皇帝の命により皇族に忠誠を誓っている組織です。主に皇帝の近辺護衛、皇帝の憂いを晴らす仕事などを努めております。あまり表沙汰にならない組織なので、一般の方は僕らのことを知らなくて当然ですのであまり不信に思わないでください。僕らの根本は皇帝と同じなのですから。」
双子の視線がジトっと俺の体中にまとわりつく。
異様な緊張感に背筋が凍る。
まぁこれだけ聞いたら普通の人間は怪しむに決まっているだろうなぁ。
でも偽るのもなんか違うし、これが正しい回答だと俺は思っている。
現に4thは何も口出ししてこなかったし。
「・・・あなたたちは・・・すごいんですか?」
「すごい・・・とは?」
彼女の言葉の真意が分からず聞き返したら、彼女のほうが困ったような表情を浮かべた。
「・・・・か、飼い慣らされている家畜を・・・自然に戻せるほどの仕事が・・・できますか?」
どこかで聞いたことがある言い回しだった。
俺はすぐに答えを返せなかった。
やはり彼女の真意が見えない。
彼女たちの目的がわからない。
すると壁にもたれかかってた4thが舌打ちをしたのが聞こえた。
「だりぃなてめぇら。ちゃっちゃと話せよ。俺らはてめぇらのことなんて知ったこっちゃねぇんだよ。こっちもな、国がかかってんだよ。てめぇらとは違う馬鹿でけぇもん背負ってんだよ。そんな家畜がどうこう言ってる場合じゃねぇんだよ。分かったらあの日のできごとを全て話せ。・・・国が救えりゃ、民も動物も全て救えるってもんだろ?」
「・・・・・・・・・。」
双子は4thの言葉を聞き、見合う。
目でまた何かを語り合っているのだろうか。
俺ら部外者に分かることではない。
そしてしばらくして、姉の方がため息を吐いた。
「わかりました。お話しましょう。あの夜、あの孤島で何があったのか。そして私の正体を。」
そう告げ、彼女はゆっくりと話し始めた。
猫箱に閉じられたあの孤島での出来事と、思いもよらない彼女の正体を。
二人の息が暗く長い洞窟に響き渡る。
走っても走っても一向に先が見えない。
先ほどまた銃声が響いた。
もう何も考えたくない。
足がもつれてこけそうになるのを何度も耐える。
「んぐっぁ・・・。」
恋夜が呻きながら倒れこむ。
「恋夜ッ?!」
鈴歌が慌てて恋夜に駆け寄る。
「恋夜・・・恋夜どうした・・・ひっ!」
大量の汗をかきながら恋夜は腹部を抑えていた。
刺された傷口が開いて、血が大量に流れ出していたのだ。
「んんぐ・・・。」
「恋夜・・・れん・・・や・・・どうしよう・・・恋夜・・・ダメだよ・・・恋夜ぁ・・・。」
何かをすべきなのに何をすればいいのか分からず恋夜の隣でアタフタとする鈴歌。
そんな姿を見て、恋夜は何かを悟る。
「鈴歌・・・よく聞け・・・。」
「しゃ、喋っちゃだめだよ・・・。」
「俺を置いていけ。」
「・・・え?」
傷口を抑えている手は血で赤く染まる。
恋夜の言葉が信じられなかった。
鈴歌の表情が引き攣る。
「な・・・何言ってるの・・・?」
「俺は・・・もう無理だ・・・これ以上・・・は・・・。」
「意味わかんないって・・・恋夜・・・あんた私を一人にしないって・・・いったじゃん・・・。」
「ごめん・・・。」
「・・さない・・・。許さないからッ!勝手に死んだら絶対に許さないからッ!!!」
鈴歌は恋夜の腕を引いて、自分の背中へと乗っける。
「お、おまえ何して・・・。」
「生きるの!恋夜は私と一緒に生きるの!死なせない!私が絶対に死なせないからッ!」
腹の傷のため抵抗できない恋夜を鈴歌は背負いあげる。
鈴歌の華奢な体からは恋夜という成人男性の大きさもある人間を担げるわけがなかった。
しかし鈴歌は軽々と彼を背負い上げ、そして走り出した。
「おい・・・りん・・・か!下ろせって・・・!」
恋夜の言葉を全て無視する。
・・・なぜだろう。
息は上がってるはずだし、疲れきってるはずだし、足もくじいてたはず。
なのになんでこんなにも心は落ち着いているんだろうか。
今からもしかしたら殺されるかもしれないのに。
もしかしたら恋夜が死ぬかもしれないのに。
なんでこんなにも冷静でいられるのだろうか。
しかも体中に力が満ち溢れている。
徐々にスピートが上がっていく。
それは鈴歌が全力疾走したときと変わらないくらいのスピードだった。
「鈴歌・・・?」
さすがに鈴歌の異常さに気づいた恋夜が呼びかける。
「なに。」
「おまえ・・・。」
「うん。」
分かっていた。
自分でも十分に分かっていた。
思い出したくない忌々しい記憶。
いつでも記憶から消し去りたいと願っていたもの。
それが今私の力となっている。
「天使の涙が、私に力をくれているんだ。」
鈴歌が走るたびに見え隠れする左二の腕。
そこには確かにあった。
“321”というあの焼印が。
「それから私たちは永遠と洞窟を走り続けました。まどかは私たちは爆発で死ぬだろうと思ったのか追いかけては来ませんでした。そしてしばらくして洞窟が崩れていくのが分かり、私は恋夜をかばうようにその崩れたがれきの隙間から地上に出たのです。そしてそれからは・・・覚えてないです。おそらく川かどこかに落ちて、海に流れ着いたんだと思います。それからは貴方たちのほうがよく知ってますよね。」
俺はにわかに彼女の話が信じられなかった。
それも無理はないだろう。
この一時間のあいだに莫大な情報が一気に入ってきたのだから。
4thもそれは同じようで禁煙なのにも関わらずタバコをふかしていた。
「・・・えっと、一応今のはボイレコに録音させてもらったけどもしかしたらまた何度か話してもらうかもしれないです。」
「分かりました。」
「おい・・・今の話に嘘偽りはねぇだろうな?」
「心外だ。あるわけないだろ。全部事実だ。」
「そうか・・・。おい9th、一旦本部に帰るぞ。」
「え?あ、ちょ、引っ張らないでください!」
乱暴に首根っこを掴まれ俺は強制的に部屋から引っ張り出される。
「もう、痛いですって4th!」
「・・・・・・・どう考える?」
長い廊下を二人並んで歩いていた。
俺は手帳を開き眺めながら顎に手をやる。
「吉原まどかと古川イズミの同一人物説はかたいでしょうね。」
「ほぅ。理由は?」
「吉原まどかは神の恵みを一身に受けた神の子を探していた・・・。一方古川イズミは愛しの果実・・・つまり神の子を探していた。もう疑いようはないと思います。」
「それともう一つ共通点があることにお前は気づいてるか?」
「・・・なんですか?」
4thはシニカルに笑う。
「全員16歳なんだよ。」
「・・・・え?」
「吉原まどかに殺害された人間も、古川イズミに誘拐されたと思われる人間も、ここ最近起きているクラス全員が死ぬという大事故も、ぜぇんぶ被害者は高校1年生・・・つまり16歳だ。」
4thに言われてハッとする。
確かにそうかもしれない。
すると、吉原まどかと古川イズミ以外にも犯人が存在するかもしれない。
「・・・4th・・・もしかしてこれって・・・。」
「あぁ・・・相当デカイ仕事になるだろうぜ。」
4thはまたシニカルに笑ってみせた。
俺らは本部に戻り、緊急会議を開いてもらった。
1stは不在だがそれ以外の人間は全て会議室に集められた。
およそ一時間あるボイスレコーダーの内容をみんな食い入るように聞いていた。
俺と4thは聞くのは二回目だが、やはり何度聞いても内心穏やかではない。
「・・・これの内容が全て真実だとしたら・・・ますます吉原まどかの正体がわからなくなってくる・・・。」
2ndは苦笑いしながら背もたれに体重をかける。
「2nd、一応今のボイスレコーダーの内容をまとめました。今プリントアウトしています。」
8thはノートパソコンを持ち込んでおり、今の内容をまとめたと言うのだ。
部屋のプリンターから人数分の資料が印刷され、ひとりひとりに配られる。
「吉原まどかの目的は、神の恵みを受けた神の子の捜索及び誘拐。しかし見つからなかったため全員を殺害。本来なら捜査をかく乱させる証拠にもならない虚実なのですが、本件にのみ虚実ではないと確認します。」
「そうね。まさか本当に神の子がいるだなんて思えないけど、今回に限っては別だわ。続けて頂戴。」
「吉原まどかはまず使用人を殺害、その後生徒、教師を殺し、島にある爆薬に火をつけて全員を地下壕へと誘導。この誘導は地上よりも逃げ場を少なくする目的があると思われます。いくら孤島とはいえ、外に逃げられてしまえば目的の人物を探し当てるのは不可能になるからですね。そしてもう一度全員に確認をするが、該当者は現れず生徒数名を銃殺。その後孤島から脱出したとのことです。」
「・・・これだけじゃちょっとよく分からない点も多いわね・・・。吉原まどかについて事件当時以前のことも聞かなきゃ・・・それに・・・。」
3rdが目を伏せる。
それはこの場にいる数名しか分からないことだった。
「・・・そうだな・・・まさか伊吹鈴歌があの被験者だったなんてな・・・。」
「あの・・・天使の涙・・・っていうのはあの数年前に起こった人体実験の際に使われた薬のことですよね?」
5thが控えめにそう尋ねる。
誰もが知っているあの史上最悪の事件。
俺はギュッと左手を握り締める。
「そのことも含めてこれから事情聴取を進めていく。今回はこれでお開きだ。次の指令があるまで待機してくれ。」
2ndの言葉に各々が部屋から出て行く。
残ったのは2nd、3rd、4thの三人だった。
「・・・この事件、少々あぶなっかすぎねぇか。」
「思ったわよ。いくらなんでも焦りすぎだわ。」
「相手の姿が全く掴めてる気がしない・・・。一体私たちはどれだけ大きいものと戦わなくてはならないのだ・・・。」
「それでも・・・戦わなくちゃならねぇんだろ?」
4thがタバコに火を点け、くわえる。
2ndはそれと同時くらいに立ち上がった。
「そうよ。全ては1stと皇帝のために。」
「今日、星のやつ休みだとよー。」
太陽がつまらなさそうに机に突っ伏している。
「何かあったの?」
「しっらねぇ。どうせまた病院だろ。」
哀は机にカバンを置いて、席につく。
「病院?どっか悪いの?」
「あぁ・・・うん。なんか一年前くらいからまた悪化したらしいぜ。今までそんなことなかったのによぉ。」
「ふーん。綾川くんと太陽くんっていつからの友達なの?」
単なる日常会話。
別に何か怪しいと思ったとか全くなかった。
だけど、この会話から哀は何かを疑問に思ってしまった。
「中学の時からだなぁ。一年の時同じクラスになってな。あんときのあいつひどかったぜぇ?世間知らずもここまで来るとかわいそうってくらい世間知らずでよぉー。九九も最初は言えなかったんだぜ?」
「へぇ。でもここの学校結構偏差値高いよね?よく三年で変われたもんだよ。」
「なんか病気かなんかで小学校行けてなかったらしいんだよ。そのときのキズかなんかでアイツ裸見せてくれないんだよ。そんなん恥ずかしがらなくてもいいのにな?で、まぁアイツ根はバカじゃなかったみたいだからすぐに成績は俺と並んだってわけ。ほんと世の中不平等だよなぁ。小学校のときは寝たきり少年だったくせに妙に身体能力高かったり・・・まぁそっちに栄養いって今でもチビなのが笑えるけどなぁ!・・・哀ちゃん?」
たまに学校を休む?
放課後も遊べない?
病気で小学校に行けなかった・・・?
裸を見せてくれない・・・?
身体能力が高い・・・?
何かが引っかかる。
「おい、哀ちゃん?」
「へ?あ、ごめん、何?」
考え込んでいたせいで太陽の話が素通りになっていた。
「
act