贈り物

 贈り物は心を表わすものでしょうか。
ときおり、ふと考えます。心をこめて…と思いながら、それはもしかしたら自己満足なのではないかと。あるいは粘っこい自己顕示欲。見栄、まやかし、偽善……。素直に感謝や愛を贈ったつもりでも、どこかにぎこちない想いが残っていることがあります。……


 恵子さんの誕生日が待ち遠しかったのは僕も柿沢も同じだった。そしてお互いに、自分こそ誰よりも彼女を深く愛しているのだと内心息巻いていたはずなのだが、そのために二人の間がぎくしゃくしたことは一度もなかった。それはたぶん、恵子さんの存在が二人に共通の憧れだったからだろう。だから僕と柿沢には恵子さんという同じ『目標』を目指しての、一応の連帯感さえあったのだ。
 しかし考えてみれば、一人の女性を二人の男が恋するのだがら究極的には何らかの亀裂が起こるはずだった。それなのにたいした競争意識も嫉妬もなかったのは、僕にしても柿沢にしても自分だけ取り残されて相手が恵子さんの恋人のなるなどとはとても思えることではなかったのだ。だから初めて彼女をお茶に誘った時も、誕生日にお祝いをしたいと申し出た時も、僕らはいつも一緒だった。そして誕生日の贈り物も、少しでも高価な物をというわけで、お金を出し合ってブランド物のセーターを買ったりしたのだった。
 その日、僕らは本当に浮かれた気分だった。恵子さんが、一人住まいのアパートなのに、夜来てちょうだいと言ったことも、僕らとの仲がいっそう親密になった証拠のように思えて胸が弾んだ。
 僕らは贈り物の包みを代わる代わる胸に抱えたりしてアパートに向かった。


 恵子さんの部屋はひどく眩しかった。柿沢も同じ感激をしたようで、飾られた犬や熊のぬいぐるみをしばらくは口も利かずに眺めていた。
 何の変哲もないベッドやファンシーケースが、彼女のものだと思うととても豪華なものに見えてしまう。おそらく他の女の子の部屋も似たような調度なのだろうが。……
 小さなテーブルを囲んで腰を下ろすと、僕と柿沢は口を揃えて、
「誕生日おめでとう」と言った。
少し声が上ずっているのが自分でもわかった。かすかに顔が熱を帯びた。
「ありがとう」
恵子さんの大人びた籠った声に僕は恥ずかしくなって俯いた。胸の高鳴りが素晴らしい夢の扉を連打するように僕を押し上げていく。いま彼女の部屋にいる。本当に夢のようだった。
 僕らのアルバイト先に彼女がやってきた時、その美しさに僕は言葉を失った。そして時間とともにその容姿だけでなく、とても表現し難い柔らかくしなやかな魅力に、いつか心を奪われていった。
 柿沢とも彼女の話ばかりだった。大学はどこだろう。…学部は?…何年生かな…。
当然ながら周りに群がる男たちがたくさんいた。しかし僕らはその中に入っていけず、遠くから熱い想いで見守っているだけだった。
 そんな内気な僕等が、ある時意を決して二人して震えるようにして声をかけたことで僕らは親しくなった。どこまでも全力で走りたいほど嬉しかった。
 そして今夜、あまりの幸福感で僕の頬は強張っていた。部屋の中のあらゆる品々から彼女の輝きを感じとり、そのイメージの香りに酔いしれていた。
 だが、僕のはしゃいだ気分もそこまでだった。柿沢が僕らの贈り物を恵子さんに渡した時、ライトを浴びた時間が歪んだ。

 僕は耳を疑った。たしか柿沢は、
『ボクからのお祝い…』とは言わなかったろうか?
『ボクカラノオイワイ…』とは……。
聞きちがいだろうか。いや、確かに、柿沢は言った。
『ボクからのお祝い』と……。
何たる冗談。僕は笑いながら柿沢の顔を見た。
(オヤ?オイ、カキザワヨ、ナゼボクノカオヲミナインダ?)
恵子さん、まさか信じてはいないだろうね。ネェ恵子さん、なぜ僕の顔を盗み見るみたいに見るんだ?なぜ控え目に柿沢に微笑みを送るんだ?僕を気遣っているというのか。贈り物をモッテコナカッタ僕を……。
 笑い飛ばさなくてはならない。馬鹿げた柿沢の言い草を、それも早急にだ。恵子さんの頭が凝固してしまわないうちに。……
 何とくだらないことだろうか。僕は思わず心の中で、
(柿沢よ、お前はなんて…)
いやいや、そんなことをいくら思ってみたところで何が変わるというのだ。一秒、そしてその十分の一刻みに僕ははね返されていく。恵子さんからも、柿沢の言葉を一蹴する切っ掛けからも、そして僕自身の意思からさえも。まるで音速の回転椅子……。
 なぜ僕は何も言えないのだろう。僕は幼稚に泣いた。……柿沢は狡い。……アア、モウドウデモイイ……。


 ふざけた夜になったと思った。
恵子さんはウイスキーを柿沢のグラスに注いで、そして僕を見て言った。
ーー「のむ?」
索漠たる屈辱感がつむじ風となったが、すぐに力なく消えてしまった。
(ああ、恵子さん…)
今日のために今日があるならば、僕は気が狂うほど酔ってしまおうと思ったが、明日のために今日があるとしたらとても酔えはしない気がした。
ああ、それよりも僕は寡黙になっていく。とにかく恵子さんの話に耳を傾けよう。
 恵子さんは『僕ら』のセーターを着てみせた。やっぱりそのセーターは柿沢の贈り物であるはずがない。むしろ僕の贈り物であるべきなのだ。なぜなら、恵子さんはその黒いセーターの中に艶やかに溶け込んでいたのだから。
 柿沢は僕に顔を向けずに体を寄せてきて言った。
ーー「似合うな」
僕は返事の代わりに微苦笑して恵子さんに頷いた。
 恵子さんは立ち上がって、ファッションモデルみたいに軽やかに体を一回転させると、僕と柿沢に微笑を投げかけた。そして窓を開け、
ーー「よく晴れてるわ。星がきれい」
(よしてくれ恵子さん。テレビドラマじゃないんだ。そこで僕等が立ち上がり、三人並んで夜空を見上げたところをズームアップで撮るつもりかい?)
柿沢は立ち上がったが、僕は座ったままでいた。
 恵子さんが用意してくれた料理やスナック菓子はどれもままごとのように量がすくなくて、色とりどりの絵皿に盛られた可愛いものばかりだった。柿沢はそれらを下品に頬張って、
「うまい」を連発した。食のすすまない僕の分にも手をつけて恵子さんを笑わせた。
 お酒が回ってくると恵子さんはよく笑った。柿沢の詰まらない冗談に噴き出したり、自分でも品位を落とした言葉を口にしたりしてさらに笑った。その度に柿沢が僕を叩いて笑い、仕方なく僕も合わせる羽目になった。平静な気持ちの時ならば、そんな彼女の気さくない一面を知って、たぶん僕も喜んだにちがいない。だが今夜は受け入れ難かった。彼女の笑顔は美しかったけれど、装いでもいいから僕の頭上でやさしく微笑んでいてほしかった。
 二人の会話や笑い声が、遠くなったり、時に驚くほど近くに聞こえたり、山奥の人声のようだった。

   
 --「ウイスキーがなくなった…」と柿沢が言った。
それだけ言うと黙り込んだ。なくなったのは僕だって知っている。だからどうだというんだろう。もう帰ろうというのか。まさか僕に買いに行けというのではないだろうな。
ーー「そうね。なくなっちゃったわね」
柿沢がタバコに火をつけた。ライターの擦る音が花火みたいに響いて僕を驚かせた。
 恵子さんの視線は柿沢との会話の合間合間に僕に向けられる。その眩しいきらめきは、まるで贈り物をくれなかったのだからお酒くらい買いに行ってくれてもいいのに、というように僕の心をそわそわさせた。柿沢の横顔は落ち着き払っている。なぜそれほどの仕打ちができるんだ?

 僕は静かにアパートの階段を降りていった。ふと、酒屋が閉まっていたら小気味いいんだがと思ってみたが、どうして僕がそこまで考えることがあるのかと馬鹿馬鹿しくなった。
 ウイスキーの瓶をブラブラ振りながら、恵子さんがセーター一枚で恋人を決めるなんて、考えてみればあり得ないことに思えたが、今になって、恵子さんよりも泰江さんの顔が鮮明に浮かび出したのは気弱になっている証拠であった。泰江さんは明らかに僕に好意を寄せてくれていた。そこに自惚れを消し去ったとしても、もし僕が『愛』を打ち明ければ、たぶん僕の腕にすがってくれるだろう。
 でも、やっぱり僕は恵子さんが好きだ。現在、そこに縋りついていなければ手にしているウイスキーの瓶さえ落してしまいそうだ。
 アパートの階段での下で少しためらってからわざと足音を立てて上がって行った。


 柿沢はかなり酔っていた。恵子さんも顔が赤い。僕も少し頭がふらふらするが、柿沢のようにだらしなく寝そべったりはしたくなかった。それは恵子さんの前だからというよりも、柿沢に対する反発意識みたいなものだったろう。
 どうやらこうして一日が終わりそうだな、と思い、そうすると不思議に少しだけ笑いの泡が胸のあたりに湧いてきた。
 柿沢は眠ったふりをしている。
『恵子さん、あまりミニスカートから白い肌を見せないでほしいな。別に僕が目のやり場に困るからじゃなくて、さっきから柿沢がそこばかり見ているからだよ。それとも、わざとそうしているのかい?』
 皿のおつまみが汚らしくなって、テーブルはタバコの灰だらけ。恵子さんまで喫うから。
 もう夜中になろうとしているのに、祝宴はなかなか終わりにならない。柿沢は、どうやら酔いにかこつけて泊まり込もうという腹らしい。だとしたら僕も泊まっていかなければならない。だって、僕だけ帰ってしまったら、そんな不人情はないからだ。
 会話の途絶えた部屋の中で、僕はご隠居の道楽みたいな気持ちで、来年は恵子さんに何を贈ろうかと考えていた。


 贈り物は心を隠すものなのかもしれない。……  

                                           (了)

贈り物

贈り物

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1
  2. 2
  3. 3