出産
出産
突然だが、あなたは出産を経験したことがあるだろうか。実を言うと私にはその経験がある。そうはいっても私の意味するところの出産は多義的な意味を包括していて、安易にあなたのいうところの出産と同格的な意味を与えてしまってはそれこそすべてのバランスがガタガタと崩れ落ち、これからなされるであろう論議が無駄になってしまうため、ここはぜひ慎重に議論を進めたいところだ。ちなみにあなたは出産という言葉の言語学的定義をご存じだろうか。私には解る。決して主観的過大評価などではなく、私は言語学的見地から俗に言う言葉の定義たるものの良き理解者であるとともに、つまるところ統括的に、総括的に私はある特定の言葉が定義する不特定多数の意味なるものを網羅し尽くしている。ここでいう出産にしても私の例外とするところではなく、例えば私は医科学的にも、また非医科学的にもその言葉の定義をこの場で簡潔に、かつ学術的に示すことだってできる。もちろんそれには、僅かたりとも思考する時間を必要とせず、司書が整然と並べられた図書館の本棚から指定された本を手元の番号札を参照に探し出し、あたかも最初からそこにその本があることを知っていたかのように得意げな顔せずものの数秒でそれを抜き出し、差し出すかのように、私はただ理路整然と並べられた言葉の倉庫なるものから、出産というワードを抜き出し、ただ目の前に提示するだけでそれは終わる。さるがバナナの皮をむくように丁寧に、そして、ライプニッツが形而上学的合理論を論ずるように美しく、私はその言葉の意味を定義することができる。ようするに、僕は口だけの奴だけなのだ。そういうことなのだ。
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