星空文庫
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タイトル『星空文庫』
―というわけでさ、と彼は言いました。星空を見上げて言いました。あれはベテルギウスの、六百年くらい前の姿だってわけさ。
見上げているのはオリオンの、あの四角形の、右上のかどの星でした。
「今の姿は?」
「見えない」
「どうして?」
「遠いから」
「遠いと見えないの?」
「うん」
「なぜ?」
冬の夜でした。月明かりのない夜でした。放ったさきから次々と、言葉や言葉の、凍ってゆくような夜でした。
ベテルギウスはここからね、と彼は説明してくれました。
「六百光年離れていてね」
「光年?」
「光の速さで、それだけの年月がかかる距離」
「光」
「そうだよ、光はつまり姿だから」
「姿」
「そう、ベテルギウスの姿が、六百年かかって、やっと届いたってわけ」
もう一度見上げてみました。
ベテルギウス。
その姿を見つめながら、「ずっとずっと昔」とわたしがつぶやくと、「そうだね」と彼が添えました。「ベテルギウスは、たしかに、そこに」
(遠のいてゆくような)
「あったんだ」
(引き留めなくてはいけないような言葉だから)
「あった?」と確かめました。
「うん」
「今でも、あるんでしょ?」
内緒ばなしのような声で尋ねたのに、ベテルギウスは、語らず。
―闇の中、そこまで読んで『星空文庫』を閉じた。携帯電話を閉じた。バックライトが消えて、現実の冬が現れた。彼が書いたような冬。言葉が、力を持たないような、冬。
深い闇。
見上げれば、銀河。
オリオン座。
ベテルギウス。
見つめていると、そのとき。
「あ」と私は、短く。それは言葉ではなく。
携帯電話の、かぼそいバックライトが浮かびあがらせていた、彼の言葉、それを閉じたら、途端に。
(今、届いた)
言葉ではなくて。
あたりは、月に照らされたかのように明るくなって。新月の夜だというのに。
あかあかと燃ゆる、その姿。
(今、爆発したのだ。いやちがう、もっとずっとずっと前に)
姿。
(光はつまり姿だから)
バックライトの億々倍以上の明るさで、照らしていて。今はもうない存在からのメッセージが、世界を。
見た、目覚めていた私は、断末魔の輝きを、照らされた闇を。
ああ、ベテルギウス!
そこにはすでになくとも、そうだ、しかし(ここに今ある!)と確かに思えるベテルギウスよ、もうしばらく照らしてほしい、孤独に目覚めた、私たちの夜を。
愛している。
と、密やかに、けれども強く、そして思った。私は、孤独な星々を。
(散りて輝く、目覚めし孤独の星々を!)
―ふたたび、『星空文庫』を開く。
星空文庫