赤い、魔法の瓶
キッチンに立つ、恋人たちの話。
まっさらな瓶の蓋を開ける。一瞬にして広がる甘い香りに、大人気なく心を躍らせた。
思えば、昔から甘いものとキラキラ光るものが大好きだった。
子供の頃は、家のキッチンの戸棚に所狭しと並んだジャムや果実酒などの小瓶を見て、目を輝かせていた覚えがある。窓から入り込む光を吸い込むようにして、キラキラと色や輝きを変える、たくさんの透明な魔法の瓶。季節になると、祖母が趣味で保存食づくりをするのを手伝うのも、私の一つの楽しみだった。
春が来れば、真っ赤なイチゴの出番。砂糖と一緒に鍋の中に入れて、強火で火にかける。そうして、ぐつぐつという音が聞こえてきたら完成は間近。後は少しずつ丁寧にヘラで潰していくだけだ。その後は、冷めないうちに透明な瓶に詰める。この一連の作業を、季節が変わるごとに色んな果物で祖母と行なった。
「で、次はどうすればいい?」
隣にいる、最愛の彼が問う。
季節は巡り、踏み台を使わなければキッチンに届かなかった私も、立派な社会人になった。今では一人暮らしの家で、休日になると趣味の料理に没頭する日々が続いている。そして今日は、たまたま予定が合った彼と一緒に、仕入れたばかりのイチゴでジャム作りをしている最中だ。
「強火にかけてくれる? 煮立ったら中火にして。」
「了解。」
ジャム作りは初めてという彼。まるで幼いころの私を見ているかのような不器用な手つきに、時々ハラハラしつつも無事に一歩一歩完成に近づいていた。
「それにしても、まさかいつもこんなことをしているなんて、思ってもみなかったな。」
「そう? いつもジャムや果実酒ばかり作っているから、甘い香りが移ってしまってるんじゃないかって不安になってるのに。」
「確かに、いつも甘い香りはしてたね。」
やっと一息ついた私たちは、煮立つまでしばしの休憩に入る。といっても、強火で行っているので、もうそろそろだと思うけども。
「でも、これはこれで楽しいね。」
「でしょう? 私の一年で一番の楽しみよ。」
「じゃあ、季節が変わるごとに一番の楽しみがやってくる君は、幸せものだね。」
「当然。」
会話途中でぐつぐつと音が聞こえてきたので、彼が慌てて中火に調整する。そして、あらかじめ準備していたヘラで私はイチゴの実をつぶし始めた。
「……美味しそうな匂い。」
「そうね。今年はまた一段と美味しそうなのが出来た。」
「僕も、とても楽しかったよ。」
彼は鍋を見つめながら、私は休むことなく手を動かしながら話す。ある程度ヘラで潰し終えると、私はすかさず手元に用意していた小瓶に出来立てのジャムを流し込んだ。
「これでもう出来上がり?」
「えぇ。後は脱気くらいね。」
出来立ての瓶を、さらにぐつぐつと弱火にかける。急に静かになった彼を不思議に思うと、どうやら携帯のネットで「脱気」の意味を調べているようだった。
「あぁ、こういうことか。」
「分かった?」
「うん。」
やっと終わった一連の作業に対して、小さく伸びをした彼はリビングにあるソファにもたれかかる。私も、鍋の火を調整しつつも、二人分のコーヒーをカップに注いでリビングへと向かった。
「お疲れ様。」
「本当に、料理で疲れたなんて始めての経験だ。」
「それはよかったじゃない。」
テレビもつけないまま、静かな空間で一息つく。いつの間にか、彼の服にも私の服にも染みついていたイチゴの甘い匂いに気付き、お互いの顔を見合わせて笑いあった。
「今度は、夏に入ったくらいかな。」
「そうね……次は夏みかんのジャムでも作ってみようかしら。」
キッチンから漂う心地いい果実の香りに、二人で数か月先の未来を思い描いた。そんな昼下がり。
赤い、魔法の瓶
閲覧ありがとうございました