ドッペル博士の死亡遊戯

「博士、あなたのドッペルゲンガーはわたしです」
対面の椅子にはドッペル博士を鏡写しにしたかのような白髪の男が座っていた。
「ふむ、ドッペルゲンガー」
博士はうなずいて手を前に組んだ。
そして諭すように言った。
「この現象は奥が深い。これで三人目じゃな。世の中にはの・・・」
「自分に似た人間が三人いるのは知っています。でもわたしは本物です」
「ふむ、ドッペルゲンガー」
博士は手を前に組んでうなずいた。
「だが珍しいの。こうして訪ねてきたのはおぬしが初めてじゃ」
「つまりこれまでに会った二人は博士が自ら会いに行ったんですね」
「そうじゃ。まあこういう研究をしておるからな。
そういう噂にはことかかない。やれモスクワにわしそっくりの男がいるだの、ベネズエラの山奥にわしそっくりの男がいるだのと次から次じゃ。女だったこともあったの。他にも・・・」
「なんだか楽しそうに話しますね」
「そりゃそうじゃ。わしはドッペルゲンガーを探しておるんじゃからな」
「でもみんなドッペルゲンガーじゃなかった」
「残念ながらの」
「本当に残念だと思ってます?」
「ははあ、わしが生きておるからか。そうじゃ、思っておる。わしは命がけでドッペルゲンガーを研究しておるからの」
「いえそうじゃなくて、本当にそいつらがドッペルゲンガーだと思ってました?」
博士は手を組んでうなずいた。
「いや、そんな甘い期待はしておらなんだ。この道は奥が深い。
だがそうした無駄とも思える日々の積み重ねが研究というものじゃ」
「へー意外です。他人のドッペルゲンガーはどうです?」
「同じことじゃよ。確かにいることを確信させてはくれるがの」
「わたしは死にたいと思ってました」
「ドッペルゲンガーに会ってかね」
「ええ、だから博士もホントはそうなんじゃないですか。自分の命がけで探し求めていたものを見つけて、息絶える。最高じゃないですか」
「ふむ、そうじゃな。若い頃はそうじゃった。でもこの道は奥が深い。そんな簡単なものではないよ。生きている内にその正体を突き止められるとは思っておらん」
「だからわたしが登場したのですよ」
博士は諭すように言った。
「ふむ、よいかねドッペルゲンガーがやってくるなんてことはじゃな・・・」
その瞬間、対面に座っていた男は、博士の素性、経歴その他絶対に博士自身でしか知り得ないようなことまでも一気に話し始めた。
はじめはにこやかに聞いていた博士だったが、その顔はだんだんと青ざめていった。
そして冷や汗をかきながら反論を試みた。
曰く、
いや、それは前もって調べておいたからだ。
確かにおぬしはわしにそっくりじゃがあるいは親戚ではないか?
わしの知人に情報を金で買っただろう?
貴様さては整形したな?
この間鍵を忘れたとき入ったのか!
なんだこの間のやつの知り合いか?
どっかのルポライターじゃな?
そのすべてに対して訪問者は即座に反証した。
曰く、
目の中のに見える透明なゴミみたいなのの形ってこんなですよね。
これDNA鑑定の結果です。
これが歯型の写真を重ねたものですね。
指紋パターンに脳波パターンです。
インキンタムシって辛いですよね。
「そんな馬鹿な話があってたまるか!この詐欺師め」
博士は立ち上がり激高した。
「・・・昨晩見た夢はね。二十年前好きだった女の夢でしたね。現実じゃ指一本触れられなかったってのに。なんていやらしいいやらしい。いやらしいじいさんだ」
それを聞いた博士は凍り付いた。
だが、すぐに明るく取り直した。
「そうか!ひょっとしてこれはドッペルゲンガーの謎に対する非常に重要な鍵になるかもしれんぞ。これはすごい。そういう心理的な現象なのじゃ。たとえば精神が共有されてしまうといった怪現象なのかもしれんぬ!」
「いえ、これが答えです」
「いや喜ばしい。これでまた研究は飛躍的発展を遂げることができる!おい貴様、名を名乗れ!」
男は博士の名を名乗った。
「・・・いいか、この現象は奥が深い」
博士は椅子に座ると、手を前に組んでうなずいた。
指が震えていた。
「だが、おぬしは違う。ドッペルゲンガーに会ったものは必ず死ぬと言われておるのじゃ」
「もし会ったらすぐに死ぬのがドッペルゲンガーなら、そんなもん存在しないじゃないですか」
「わたしは死なない!」
博士は机をたたきつけて絶叫した。
「オマエは信用できない!出て行け!」
「わたしはこのあいだ気づいたんです。自分があなたのドッペルゲンガーであることに。なぜだかわかります?」
「うるさい。貴様とこれ以上話すことはない!警察を呼ぶぞ!」
男は立ち上がりながら話し続けた。
「わたしはね。探すことを辞めてしまったんです。きっぱりとね。そんな夢みたいなことをいつまでも追いかけていないで、自分を受け入れようって。ドッペルゲンガーなんて超常現象この世に存在しないんだってね。そしたらふと気がついた」
「だまれこのペテン師め。わしは誰にもだまされたりせん!」
「なーんだ、ドッペルゲンガーっておれなんじゃないかって」
「オマエとは違う。わしは諦めたりしない!」
「一度死んで生まれ変わったんです。今度は博士の番です。そのためのドッペルゲンガーです」
いつしか男の手にはナイフが握られていた。
「やめろ近寄るな!死にたくない!わしは死にたくない!」
博士は壁際に追い詰められていた。
ナイフがぬらりと光った。
「いい年してそんなありもしない夢ばかり追いかけてないで俺もそろそろ大人にならないとな!さあ、自分探しはもうこれでおしまいだ!」
博士が目をつぶった、そのときだった。
ナイフが音を立てて床に転がった。
訪問者は、胸を押さえて激しく苦しみだした。
そして大量に吐血すると、仰向けに倒れてつんのめった。
博士は呆然として男の様子を見つめていた。
「あ・・・れ?そんな・・・まさかだろ・・・」
顔がむくれあがりどんどん青白くなっていった。
男は苦しそうな声で誰に話すでもない言葉をひねり出していた。
「おれ・・・が、・・・実は、本物・・・の?」
男は目をちぎれんばかりに見開いて、博士の顔をのぞき込んだまま動かなくなった。
博士は驚愕の表情を浮かべながらその目をのぞき込んでいた。
そして研究室に静寂が訪れた。
だがその刹那。
その静寂の刹那に、博士はすべてを悟った。
それは驚きでも落胆でもなく自然に訪れた。
博士はそのままよろよろと元の椅子に座り込んだ。
目の前に倒れている男。
それが答えだった。
震える手を無理矢理に組んで、そいつの姿を凝視した。
なにやら言いしれぬ、霞がかったもやのような感情が体を包み込みはじめた。
自分が長年探してきたもの。
人生の大半を費やし、命がけで追い求めた夢。
それがそこにあった。
「・・・ふむ、ドッペル・・・ゲンガ」
博士は、穴の開いた風船のようにしぼんでいく気力にまかせて、目を閉じかけた。
その甘い誘惑に、勝利を見いだしてもいい気持ちになった。
探求者としてなら、ここで終われた。
でも。
研究者はもう一度だけ、立ち上がった。
ふらつく足取りで男に歩み寄り、かすんでいく目をこすりながら死体の脚を両脇に抱えると、自分の研究室から勝手口の方へと男を引きずっていった。
なんとか、ゴミ箱のそばに捨てて研究室に戻ったころには、自分の手の平が透けていた。
「これで・・・いい」
そう言い終えると、震える手でなんとかテープレコーダーのスイッチを切った。
決して笑えはしなかった。
でも目は閉じなかった。
ついに邪魔ものはいなくなった。
そして部屋には誰もいなくなった。

ドッペル博士の死亡遊戯

ドッペル博士の死亡遊戯

ドッペルゲンガーを生涯賭けて研究しているドッペル博士の前にある日現れた博士そっくりな男は、自分がドッペル博士のドッペルゲンガーだと名乗り、初めは落ち着いていた博士だったが、段々自分の影に追い詰められていく話。

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-20

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