韓信

韓信

序章・楚の滅亡

              一

 かつて栄華を誇り、互いに覇権を競い合った諸侯国は紀元前三世紀頃になると衰え、それぞれに滅亡の危機に瀕している。このとき韓、趙、魏は秦によってすでに滅び、戦国時代は終焉の時を迎えようとしていた。しかし、戦国の次にくる時代が平和だという保証はどこにもない。

 江南に位置する楚にも秦は触手を伸ばそうとしていた。秦王政(後の始皇帝)の命によって発せられた二十万の軍隊が楚の首都、(えい)に近づいている。

「秦軍はいま二手に分かれており、合流しようとしている。我々はその合流地点に先回りをし、現れたふたつの軍を各個に撃破するのだ」
 楚の宿将、項燕(こうえん)は広げられた地図を前にして部下に説明を始めた。

「李信、蒙恬(もうてん)の軍が集結するのは、斥候から得られた情報によると、ここだ」
 項燕の指は地図上にある城父(じょうほ)という都市の位置を指し示した。

「集結地点に先に現れるのは、李信の軍である。そこで我々は林の中に身を潜め、これを取り囲み、殲滅する……。蒙恬の軍が現れるのは、半日後だ。我々は余裕を持ってこれを迎え撃つことができるだろう」

 項燕は淡々と語ったので、かえって部下たちは安心できない。李信は平輿でさんざんに楚軍を撃ち破り、蒙恬も寝丘で同様に楚軍を敗走させ、ついこの間も郢周辺で彼らは翻弄されたばかりなのである。項燕の感情が抜けたような物言いは、部下たちにとっては彼が虚脱状態にあるように思えるのだった。

「奇襲によって李信の軍を破るのは可能かもしれませんが、あとから無傷で現れる蒙恬軍を迎え撃つことは可能でしょうか……敵の数は半分と言えども、十万の軍勢は我々を上回ります」
 部下の質問に項燕は答えた。
「秦軍には慢心がある、とわしは思っている。蒙恬は李信以外の者が集結地点で待っていることなど想像もしていないに違いない。蒙恬が無能だとか、驕慢だとかいうわけではなく、勝ちに乗じている将軍とはそういうものだ」

 部下たちはまだ信じられず、軍議の座に不安の空気が流れる。項燕はそれを察し、もうひと言付け足した。
「秦が楚を討つに際して、ある秦の将軍は六十万の兵が必要だと言ったそうだ。しかし李信は二十万で充分だと主張し、秦王はそれを可としたという。これは李信はおろか、秦王も慢心している証拠であろう。そして慢心しているうちが逆襲する機会である。よって今、この瞬間から作戦を決行する」

 こうして項燕は部下を率い、林間に身を潜めて李信を待ち伏せした。

「見よ……。油断とはこのことだ。李信は陣も固めていない」
 項燕は李信軍が食事の支度をし始めた頃にこれを急襲し、完膚無きほど撃ち破った。そして間をおかずに兵を返し、言葉どおり油断していた蒙恬軍を破ることに成功した。
 ここで秦軍は七名の上級将校を戦死させる大敗を喫し、城父はその城外まで、おびただしい数の遺体で埋め尽くされた。

 戦いは楚の勝利に終わり、秦は壊滅的な打撃を受けたが、国力があるために回復は可能である。しかし楚にとって次の敗北は国の滅亡を意味し、このたびの勝利は余命を繋いだというくらいの意味しかもたなかった。

 韓信が生まれたのはこのころで、場所は淮陰(わいいん)という東方の国境の入り組んだ土地であった。

         二

 韓信の父は、庶民というものを絵に描いたような男だった。生活は楽ではなく、これといった定職もない。矛盾しているようだが、それでいて働き者であった。ある日に畑を耕していたかと思うと、次の日は城内で井戸を掘る作業をし、昼前に重い材木を肩に担いで歩いていたかと思えば、午後にはやはり畑を耕している、といった具合である。
 しかしそれもこれもすべて人にいいように使われて働いているのだった。

 そんな彼に良縁が舞い込み、邑(村)でも一、二を争うほどの美女を嫁としたのだが、当初彼は自分のそんな幸運が信じられず、あるいは騙されているのではないかと疑い、妻を抱くこともできなかった。
 あり得ない幸運が信じられず、あるいは寝首をかかれるかと思っていたのである。

 妻はそれを悲しみ、ある日夫に訴え、涙ながらに言った。
「私は日夜汗水たらして働くあなた様を尊敬していますのに、なぜ抱いてくださらないのですか」
 それまでの人生で人に尊敬などされることもなかった韓信の父は舞い上がり、わだかまりを捨ててその夜からしきりに妻を抱くようになった。

 その結果、韓信が生まれた。

 韓信の父に転機が訪れたのは、韓信が生まれてから半年もたたないころである。
 なにが転機だったのかというと、国から戦地処理の命を受けたことであった。戦地処理といっても実際は死体を片付ける作業が主なので、誰もが気味悪がってやりたがらない。そんな仕事が回ってくるあたり、自分の運の悪さを感じるのであった。美女を妻とした反動であろうか、とも彼は思うのである。
 彼はそれを悪い意味での転機と捉えたのだった。

 手のかかる赤ん坊と妻を残し、長い間家を空けることには申し訳なさを感じたが、国の命を受けて働くということは、考えようによっては名誉なことに違いない。そんな彼の考えを証明するように、朝廷は彼に爵一級を授けたのである。
――今日から私は公士(一級爵の爵名)だ。

 喜び、意気込んだ夫を妻は笑った。
「楚の国は圧迫され、よき人物がおらず、宮廷はあって無きようなもの、と聞きます。民爵をもらったといっても、おそらく名ばかりのものでしょう。与えるものがないから、爵を与えてごまかしているのです」
 本来爵に応じて農地や家屋が与えられるものであるが、妻のいう通り韓信の父にはいっさいそのようなものは与えられなかった。しかしもちろんそれを理由に命令を辞退するわけにはいかない。彼は出発の前に妻に告げた。
「留守の間は、私の知り合いに栽荘先生という方がおられるので、そのお方を頼るといい。すでに私からおまえ達のことは依頼しておいた。ご高齢で林間に隠れ住んでいるようなお方だが、智が高く、温和な方でもあるゆえ、いずれ(息子の)信の教育をお願いしようと思っていた。安心して身を寄せなさい」
 妻は寂しそうな顔をしたが、その腕に抱かれた韓信は、父の出発に際して泣きもしなかった。
 これには父の方が泣きそうな顔をした。

 その韓信の父が赴いた先が、先に戦闘のあった城父である。国を守ろうとして命を落とした名もなき兵士たちが、そこに遺体を晒しているのであった。
 彼らを弔うことに大きな使命感や義務感をもった彼であったが、城内に蔓延する屍臭を嗅ぐと、それらはぐらつき、城外に腐乱した状態で散乱している遺体の群れを目にしたとき、それらは完全に失われた。

 戦地処理といっても後世のようになきがらを遺族の元に届けるようなことはせず、大きな穴を掘り、その中にどんどん遺体を放り込んでいくだけである。無情なようでも感情を抜きにして効率的に働かなければ、作業する人間の方が耐えられなかった。
 黒の甲冑は秦兵の証である。遺体は秦兵のものばかりだった。秦は敵軍であり、なおかつ虎狼の国と知りながらも、韓信の父には哀れとしか思えなかった。
――なんと秦兵の姿の無惨なことよ。戦に負けるとはこういうことか。
 しかし、もし立場が逆だったら、と思うと末恐ろしくなる。秦には逆襲する力が有り余るほど残っているが、楚にはそれがまったく無いのだ。

――秦の男子は皆、徴兵されると聞く。いずれは私にも、この黒い甲冑を着て戦う日がやって来るのだろうか。
 そう思いながら作業を進めていくと、珍しく帯剣した遺体が目に入った。たいていの遺体は武具を奪い去られていたが、慌ただしさもあったのだろう、何体かは武装したままの遺体があったのだ。
 その遺体の腰の剣は使い込まれて多少年季が入っていたが、柄の部分に青銅の装飾が施されており、長大なものだったので、見栄えもした。
――これは、いただいておこう。
 金目のものを見つけた、というわけではなく、幼い息子の韓信の護符にしようと思ったのだった。つまり、お土産に丁度いいと思ったのである。

 遺体を片付けたあと、穴を埋め、最後に儀礼的に哭礼(こくれい)を行う。韓信の父は最初は泣きまねだけをしていたが、そのうち本気で涙が流れてきた。泣き終えたあとは、気分もすっきりし、剣をみやげにして上機嫌で淮陰の自宅へ帰ることができた。
 しかし剣については家に持ち帰ったのはいいが、妻に、
「あなた様は幼い信を兵にさせるつもりですか。私は死んでもそうはさせません」
などと言われ、これには韓信の父も、
「そんなつもりはない。ただ、子供というものはこういうものが好きであろうと思って持ち帰ったまでだ」
と、いっそう妻に詰問されるような返答しかできなかった。
 しかし、まだ乳児の韓信はこの剣をたいそう気に入ったようで、父や母が韓信の見えないところに剣を片付けてしまうと、とたんに機嫌を悪くし、泣き喚いた。

 韓信の父は、半ば本気で剣を持ち帰ってきたことを後悔した。


         三

 秦国内では、二十万の兵で充分だと主張し、その結果失敗した李信が更迭され、王翦(おうせん)が楚討伐の指揮官に任命されている。
 実はこの王翦こそが最初に六十万の兵が必要だと主張した人物であり、今回はその主張どおり、六十万の兵を引き連れていた。この六十万という兵数は楚を撃ち破るに充分なものであったが、王翦がその気になれば秦をも撃破するに充分な兵数である。秦王政のよほどの信頼がなければありえない人事であった。

 しかし王翦は大軍を擁しながらむやみに戦うことをせず、堅牢な砦を築くと防御に徹した。
 このため項燕率いる楚軍は攻めあぐね、戦況は膠着状態となったという。

 両軍の我慢比べの中、先に軍糧が尽きた楚軍が退却を始めたところで王翦はついに出陣を命じ、背後からこれを襲い、敗走させた。

 翌年になって王翦は首都郢へ侵攻し、楚王負芻(ふすう)を捉え、捕虜とする。これにより事実上楚は滅亡した。
 国体を失った楚の残党たる項燕は、当時秦の国内にいた楚の公子である昌平君という人物を担ぎだし、これを楚王として抵抗しようとしたが、これも無駄に終わった。昌平君は乱戦の中で戦死し、項燕は自害してその生涯を終えた。
 ここで名実共に楚は滅んだのである。

 秦の治世になると、韓信の父の暮らし向きもなんとなく変わった。貧しいのはそのままである。ただ、うっかり立ち話もできないような緊張感が、淮陰の街全体に流れているのが肌で感じられる。

――国が滅ぶとはこういうことか。
 決して自分のことを誰かが見張っているわけでもないのに、なぜかそのように感じる。秦という国の厳しさがそこにあった。

――爵一級などもらっても、もともと無意味だとは思っていたが……。
 まさかこれほど早く国がなくなって意味をなさなくなるとは思っていなかった。
 しかし、考えようによっては、よい機会かもしれない。
 楚の時代、自分は不遇であった。よく働く人物が、まっとうな暮らしを送れる時代が来るかもしれない、と韓信の父は考え、気分を良くしたのである。
 少なくとも息子の時代には、家柄で人生が決まるような社会ではなくなるだろうと思い、韓信に学問をさせようと決めた。手始めに栽荘先生のところに彼を預け、読み書きを覚えさせようとしたのだが、それというのも父はろくにそれができなかったからである。
 将来息子が秦の地方役人にでもなって、自分のことを養ってくれるかもしれないと想像すると、韓信の父の気分はさらに良くなった。他力本願なような気もするが、彼が将来に初めて希望を抱いたことには変わりがない。彼は秦に期待したのである。

 しかし、秦の国王の嬴政(えいせい)は他国を征服すると、その国の富裕な者を首都咸陽に根こそぎ連れて行ったので、これを受けて地方は貧しい者ばかりになった。
 韓信の父が小作する畑の地主は相応の金持ちだったので、やはり咸陽に連行された。
 地主は連行される前に畑を手放さざるを得なかったのだが、当然ながら彼は韓信の父には土地を譲らず、自分の親戚にこれを与えた。したがって韓信の父はまたその親戚に雇われ、小作を続けるしかなかった。

 そんな折り、隣人の楊という男が人夫として国から徴発された。いわゆる徭役である。
 秦王政はひとつの国を滅ぼすたびに、その国の宮殿と同じ宮殿を咸陽に作ったため(六国宮殿と呼ばれる)、おびただしい数の人夫が咸陽に駆り出された。秦王政が大陸の統一を果たした後、六国宮殿の数は百四十五を超え、そのひとつひとつに美女がおさめられた。その総数は一万人以上だといわれている。

 楊が咸陽に呼ばれたのも、この六国宮殿の建設のためだったが、あろうことか彼はこの話を断ってしまった。老母の世話をしたいというのが表向きの理由であったが、実情は父親が秦との戦いで戦死していることを恨んでいたところに原因があるらしい。

 しかし、たとえそのような理由があろうとも通じるはずもなく、秦の役人は有無を言わさず楊を獄に入れてしまった。

 噂を聞いた韓信の父は、役所へ出かけ、楊の弁護をした。
 弁護といっても現代のように裁判の場があるわけではなく、役所の建物にむかい大声で「楊を助けてやってください」と喚くだけである。

 最初のうち、役人たちは聞こえない振りをしていたが、四日も五日もそれが続いて、さすがにうるさく感じたのだろう、喚く韓信の父のことを建物の中に引き入れた。
 韓信の父はようやく話を聞いてもらえると思い、喜々として役所の中に入ったが、二度と戻ることはできなかった。
 牢獄で再会した彼と楊は、囚人として咸陽に連行され、そこからさらに北方の名も知れぬ土地で匈奴の侵入を防ぐための長城を建設する作業に徴発された。

 韓信の父は、隣人の楊とともに、おそらくそこで死んだ。

少年期

                一

 韓信の母はもともと寡黙な女性であったが、たまに誰に言うでもなく、不満をこぼした。

「烈士を気取って、寿命を縮めるようなことをしても、なにもならない」
 韓信はその言葉を何度か耳にしたことがあったが、その当時幼かったこともあり、誰のことを言っているのかよくわからなかった。
 しかし思い返してみると、それが自分の父のことを言っていたことがわかる。

 韓信は父のことを義の人だと思っていたし、母親も彼に父のことを話して聞かせるたびにそう説明した。
 自らの命よりも友誼を重んじ、家族を顧みることなく死んだ人だったと話して聞かされたが、やはり思い返してみると「家族を顧みることがなかった」という部分に多少恨みがましい言い回しがあったようにも思えた。

 事実、残された妻は韓信を養うために働きに出ねばならず、夫の仕事をそのまま引継いで畑仕事をしたりした。彼女は決して体力がある方ではなかったが、母親らしく息子を守ろうと懸命に働いたものだった。
 そんな状態が五年も続いたころ、栽荘先生は韓信を相手に彼の母を評して言った。

「信よ、おまえの母親はよく働いているが、わしは心配でならない。生前おまえの父は妻を人前に出さないよう、気をつけていた。大事にしていたと言った方がいいかな……。しかし、夫に先立たれては、外に出て働きに出るのも仕方のないことだろうて」
 これを聞いた韓信は、例によって幼かったのでよく意味がわからなかった。栽荘先生が自分に対して話しているのかさえもよくわからず、きっと独り言を言っているのだろうと思い、そのうちに忘れてしまった。

 母が働いてばかりなので、韓信は栽荘先生のもとに預けられてばかりだったが、不満はもらさなかった。口数も少なく、幼児特有のうっとうしさがない。落ち着きがあると言えるかもしれないが、どちらかといえば子供らしくない、と言った方がいいだろう。
 可愛げがないと言い換えてもよく、傍目からはあまりなにを考えているかわからない子供だった。よって、友人は少なかった。
 しかしこの時代は戦乱期であり、子供たちを奔放に外で遊ばせておけるほど治安が良かったわけではないので、友人が少ないのは韓信に限ったことではない。

 だがそんな韓信でもまったく友人がいないわけではなかった。
 栽荘先生のもとで韓信と席を並べて学んだ同年代の子供がおり、名を(まつ)といった。伊盧(いろ)の出身だと言われているが、現在では伊盧がどこにあるかは不明である。
 その眛は姓を「鍾離(しょうり)」と称していた。これは当時の寿春の北東、淮水沿いにある地名に由来すると思われる。しかし眛自身が鍾離出身だということではなく、おそらく先祖に鍾離の豪族を持つ、ということだろう。

 鍾離眛は韓信と違い、聡明さが表に出るタイプの子供だった。美童であり、その性格は活動的だった。少々陰気な印象の韓信が横にいると、さらにその差が際立つ。

 あるとき栽荘先生が二人に問うたことがあった。
「秦が天下を統一してから大体十年が経ったな。最後に残った斉が降伏して戦乱の世は終わったわけだが……秦の統治は厳しく、そのため長く泰平の世が続くとは思えん。いずれ世はまた、乱れるであろう。乱世じゃ。そこでおまえ達がそのような乱世をどうやって生き抜くつもりか、将来の展望を聞いておきたいが、どうだ?」

 即座に鍾離眛は答えた。ふたりのうち先に喋るのは、常に眛の方である。
「私は、兵になります。それも屈強な兵となって、邑を守り、家族を守り、愛するすべてのもののために戦ってみせます。そのためには死を恐れません」

 少年らしい意見であった。栽荘先生はこれを聞いて微笑したが、さほど感銘を受けた様子はなかった。
 いかにも鍾離眛らしい意見だったからである。かえって韓信の方が何を言うか、興味深いようだった。
「信、おまえはどう思う」

 韓信はしばらく考えていたが、やっと口を開いて答えた。
「決して兵にはなるな、といつも母親から言われています。だから私は兵にはならないでしょう。今、眛はあらゆるものを守るために死を恐れぬ、ということを申しましたが、私の考えは違います。どんなに意気込んでみせても、死んでしまっては、何も守れません。……兵となり戦って敗れ、その死体を原野にさらす、ということを美しい行為だと思うのは、私に言わせれば自己満足の極みです。いくら美化してもその多くは無駄死にに過ぎず、国のために死んでも報われることはなにもありません。だから私は乱世になって、どうしても戦争にかかわらなければならないとしたら、思い切って将になりたいと思います」

 栽荘先生はこれを聞いて、笑った。韓信を馬鹿にした笑いではない。手厳しく現実をずばりと言い抜きながら、その後の論理が飛躍しているその二面性に、いかにも韓信らしさをみたのである。
 鍾離眛も笑いながら言った。
「おまえや私のような平民が将になるには、兵隊から成り上がるしか道はないのだぞ」

 これに対して韓信はなにがそんなにおかしいのか、とでも言いたげな顔をして答える。
「それは、わかっている。しかし、兵では世を変えることはできないし、だいいち、私は死ぬのが嫌だ。だから実を言うと、将来なにをすべきかよくわからないのだ」

 眛には自分の考えを韓信に否定されながら、怒った様子はない。
 彼は無意識ながら韓信のことを一段下の人物と見ているようで、このときも物わかりの悪い弟にでも言うような口調で諭し始めた。

「おまえは無駄死にだとか、兵では世を変えられないとかさかんに言うが、要するに死ぬのが怖いだけだ。死の恐怖を乗り越え、兵士として生き残ることができた者のみが、将となりうる。臆病な将に兵がついてくるものか」

 韓信は奮然として答えた。
「私が将となった暁には、味方の兵を死なせない。そのくらいの気構えはあるつもりだ」

 栽荘先生はふたりの議論が熱くならないうちに、水を差した。どのみち答えなどない議論である。
「よいかふたりとも。よい兵や将になるためには、ただ武芸に達しているだけでは充分ではない。よく学問してあらゆることを論理的に考えられるようにならなければならん。おまえ達にはまだ時間がある。よりいっそう学問に励め」

 栽荘先生はそう言ったものの、ふたりの将来に不安を感じた。

 鍾離眛は、現実の良い面しか見ない傾向がある。覇気はあるが、確固とした自分の意志というものが足りないように感じられた。
 韓信は学問、武芸とも能力は非の打ち所がなく、幼年ながら兵書の内容は暗誦できるくらいである。
 しかしそれを生かすために自ら行動する勇気に欠けると感じられた。

 子供とはいえ、人はさまざまなものだ、と栽荘先生は二人を見る度に思うのである。

         二

 韓信は虚勢を張る、ということがなかった。できることとできないことを冷静に判断し、自分の将来についても夢想することはない。同じ年ごろの鍾離眛などには、韓信のこのような姿が、実につまらない男にうつるのである。
「男として生まれたからには、もっと気宇壮大であるべきだ。信、おまえは意気地がなさ過ぎる。家宝の剣が泣くぞ」

 鍾離眛のいう剣とは、韓信の父が城父より持ち帰った、あの長剣のことである。
 韓信はこの剣がむしょうに好きで、幼いころは背中に結びつけて持ち運んでいたが、ようやく背丈が伸びてきたこのごろは、腰に帯剣するようにしている。しかしまだ充分に成長していないので、長すぎる剣の鞘(さや)の先が地面にあたり、がちゃがちゃと金属音を奏でることが多かった。このため韓信が通りを歩くと、姿が見えなくても人々は音でわかったといわれている。

 しかし韓信の母は、息子が剣を持ち歩くことを好まなかった。
「大切なものなら、大事にしまっておきなさい。見なさい、鞘の先が傷だらけではないですか」
 と、小言を繰り返すのだった。

 これに対して韓信は、父親ゆかりの剣を持つことで、父と一緒にいる気持ちになれる、などということは言わない。彼が言うのは、外を歩いていると何が起こるかわからない、自分は年若く腕力も充分ではないので、いざというときには剣で対応するつもりだ、ということである。
 どんな価値のある剣でも大事にしまっておいたのでは、その価値を発揮できない、剣というものは人を斬るためにあるものだ、と淡々と語るのだった。

 息子の考え方に危険を感じた韓信の母は、父親がどんなに温厚な人物であったかを話して聞かせ、父が剣を持ってきたのは、息子に人を斬らせるためではないと説明した。

 韓信は言った。
「私はもう何年もこの剣を持ち続けていますが、未だかつて人を斬ったことはありません。どうしてだかお分かりですか。私がこの剣を持ち歩いていることで、私に危害を加えようとする者がいないからです。剣を持つことで人を斬らずにすむ。父上がこの剣を私の護符にした、という意味が……今ではよく分かります」

 母は、おまえのように綿もはいっていない服を着た者を襲っても何も出てこないことがわかっているから、人はおまえを襲ったりしないのだ、と言い、大げさに物事を考えずにもっと人を信用するものだ、とさとした。
 後年になって韓信は母親との会話を悔恨の念を持ってよく思い出した。あのとき守るべきは自分の身などではなく、母親の身だったのだ。

 世の中にはよい意味で年齢不詳の人がいつの時代にもいるものだが、韓信の母がまさしくそれで、年齢や出産、あるいは労働の苦労を外見からはまったく感じさせない美女であった。
 美女といっても、王宮にいるような高貴な存在ではなく、彼女自身が息子に語ったように、綿もはいっていない服を着ているような庶民的なもので、決して近寄り難い雰囲気を持っているわけではない。
 邑のなかのいつまでたっても可愛い娘、といったところだろう。

 本来なら、こういう女性は「箱入り娘」としてめったに外に出さないのが本人にとっても保護者にとっても安全な道だったし、実際に韓信の父は外に出るのはいっさい自分の役目として、妻は文字通り奥方として不必要に人目にさらさないよう気遣っていた。
 ところが夫の死(と思われる)によって、いつまでも奥にいるわけにもいかなくなり、韓信の母は外に出て働くようになった。

 だが、人前に出るようになると、悪意の目も避けられない。
 儒教が国教になるのはまだまだ先で、仏教が伝来するのはさらに先の未来である。個人の道徳観が希薄な時代だった。

 ある日、韓信の母は、小作している畑の脇の草むらで、二人の男に犯された。

 よくは思い出せない。農作業中に見知らぬ二人の男に襲われ、必死に逃げたが、下草に足を取られてつまづいたところで捕まり、馬乗りに抑えつけられた。もう一人に両腕を抑えられ身動きできなくなると、そこから乱暴に……。
 抵抗しようとして逆に顔を殴打されたところで、気を失ってしまった。しかし、意識がまったく無かったわけではない。
 二人の男が交代で何度も自分を犯すのが感じられた。とすれば自分はただ恍惚状態に陥っていただけではないか、とも思う。だとすれば、恥ずべきことだった。

 夕暮れ近くなり、ふと我に帰ると、一糸もまとわぬ姿で草むらの中に寝そべっていた。傍らにあった衣服はどうしようもなく破れていたが、何もないよりはましだったので、それを身に付け、走るようにして家に帰った。

「信には知らせないでおくことだ。あなた自身も忘れるしかない。つらいことだが犯人の顔かたちも思い出せないというのであれば、恨みを晴らすのも難しいだろう。あまり思い詰めず、今まで通りに過ごしなさい……そのほうがいい」
 相談を受けた栽荘先生は、この件に関してはあまり気の利いたことも言えずじまいだった。
「……さて、悲しいことではないか」
 と言って、嘆息するしかなかった。

 翌日になって、韓信が珍しく自分から話しかけてきた。
「先生、母の様子がおかしいのですが……お心当たりはないですか」
 栽荘先生は、いや、わからんとしか答えようもなく、夜通し泣いておられるのです、という韓信の訴えに心を動かされはしたが、実際に言ってやるべきことは何もなかった。
 翌日も、その翌日も韓信の報告は続き、栽荘先生もこのままでは自分の方が気狂いするのではないかと不安になった頃に、韓信がいつもとは違う内容の報告をした。
「先生、母の姿が見えないのですが……なにか聞いておられませんか」

 韓信は母の帰りを待ちながら、一晩ひとりで過ごしたと言った。行き先にも心当たりがなかった栽荘先生は、またしてもかけてやるべき言葉が見つからず、そのまま時が過ぎていった。

 それからほんの三日後に鍾離眛は、邑の水路から女性の水死体が引き上げられる場面に遭遇した。
――あれは、信の母ではないか。

 不審に思った鍾離眛は、急いで栽荘先生のもとに走ってことを伝えようとしたが、都合悪く韓信もそこに居り、なかなか話が切り出せない。仕方なく耳打ちして知らせると、先生は目つきを変え、
「なぜ、もっと早く言わぬ」
と大声を放ち、現場に急行した。むろん、韓信を連れてである。

 そこで彼らが目の当たりにしたのは、韓信の母の変わり果てた姿だった。
 日頃、物事にあまり興味を示さない韓信だったが、この時は目を伏せ、しゃがみ込んで泣いた。
――こいつでも、泣くことがあるのか。
 鍾離眛は思い、普段のように前向きな言葉もかけられなかった。

 いっぽう、泣きながら栽荘先生から事件の真相を聞かされた韓信は思った。
――秦の政治は、法家主義だというが、手ぬるいではないか。

 韓信はこの事件から、以前にもまして、容易に人を信用しなくなった。

 三人は韓信の母のなきがらを邑が見下ろせる高台に運び、そこに小さな墓を作って葬った。

         三

 栽荘先生は、韓信に対して申し訳なさそうに言った。
「わしは、おまえに学問や武芸ならいくらかは授けてやることはできる。だが残念ながら、おまえを食わせてやることはできない。お前が好きなとき、いつでもここには来てもらって構わないが、まずおまえは城市にでも行って職を探せ」

 このころ、韓信はまだ若かったが、働いてもおかしくはない年ごろだった。それをいいことに、突き放されたのである。とはいえ栽荘先生を責めることはできないだろう。栽荘先生が見るに、韓信はまだ世慣れしていない感があり、それには社会に揉まれることが一番だと思っていたのである。突き放しはしても、見放したわけではなかった。

 しかし、韓信のその後の生活は、著しく精彩を欠いた。

 職を探せと言われても、何をするべきかわからず、ただ市街をうろつきまわり、それに飽きると木陰に入って昼寝をする、という有り様である。
 盗みを働く勇気もなく、ちょっとした知り合いを見つけては飯を分けてもらったり、小銭を借りたりして当座をしのいだ。

 そうやってその日暮らしの生活を続けながら、ふらふらとあてもなく歩き続け、下郷の南昌という街にたどり着いたところ、その街の亭長の世話になることになった。
 亭長とは、簡単に言えばその街の世話役のことで、れっきとした役人である。地元で採用された役人で、いわゆる吏員のことをいい、どうやら警察の仕事をしたり、中央から役人が出張してくると、宿場を提供したりしていたらしい。
 ちなみに亭とは秦の部落の単位のひとつであり、その最小の単位が里で、十里が一亭、十亭が一郷と呼ばれる。よって韓信がたどり着いたこの街は、淮陰県下郷南昌亭ということになる。

 その南昌の亭長が亭内を見回っているときに、路傍に横たわる韓信の姿を見た。
 実は韓信は昼寝をしていただけだったのだが、いたく心配した亭長は連れ帰って世話をすることにした。人手が足りなかったこともあって、下働きさせようと思ったのである。

 韓信はそこそこに仕事の手伝いはしたものの、成長期ということもあって食べる量が実に多く、亭長にとっては採算が合わなかった。こういうことは男性より女性の方が敏感で、韓信のことを煩わしく思うようになった亭長の細君はわざと朝早く飯を炊き、韓信に悟られぬよう自分たちの寝床で食事をとるようにした。 韓信が朝起きてくると、もう食事はない。

「出て行ってもらいたいのなら、嫌がらせなどせずにはっきり申せばいいのだ」
 韓信は捨てぜりふを吐いて出て行った。絶交したのである。

 息巻いて飛び出したものの、どこにも行く当てのない韓信は、結局戻ってきて淮陰の城壁の下で食を得るために、その辺の木の枝を竿にして魚を釣って暮らしていた。

――我ながら、やるせない暮らしぶりだ。
 そう思いながら釣り糸を垂らしていると、城下を行く民の噂話が耳に入った。

――皇帝陛下が、この近くを通る。

 秦の皇帝が旧楚の地を巡幸する、というのである。
 皇帝とは、他ならぬ始皇帝であり、これが即位してから五回目の巡幸であった。
 巡幸とは皇帝の威信を見せつけるための行為であり、これにより戦国諸国の旧貴族たちの反抗心を抑えつける目的で始められた、とされている。そのため巡幸の行列は豪勢なもので、先導車のあとには始皇帝専用の車両(轀輬車 おんりょうしゃ・窓を開け閉めすることで車内の温度調節ができる)が鎮座し、その後ろに並みいる高級官僚の車列、そして合計で八十輛からなる戦車が続く。これらの車列のそれぞれに数十人の歩兵が護衛としてつき、総勢で千五百人ほどの大行列であった。

 皇帝の威風を天下に示すための行列であったが、その反面、民はこの行列を直接見ることはできなかった、と言われている。卑賤の民は行列が通るあいだ、地面にひれ伏さなければならないからだ。
 見せつけなければならないのに、見ることを許さないとは矛盾しているようだが、人民に畏怖の念を起こさせるには、見てはならないものが目の前を通り過ぎる、というのは効果があったことに違いない。

 それでもちらりとその姿を見た者は何人か存在した。
 たとえば沛の人、劉邦は秦の首都咸陽で徭役している際に行列に出くわし、
「男と生まれたからには、ああなりたいものだ」
と純朴な感想を述べた。

 またこれよりのち、行列が会稽(春秋時代の呉の首都。五回目の巡幸で旧楚の領地を通過したあと始皇帝はこの地に達している)に達したころ、項羽という青年は、
「彼は取って代わるべきだ」
 と述べ、叔父の項梁にたしなめられたという。始皇帝が誰に取って代わるかが問題だが、後年の彼の行動を考えれば、これはおそらく自分のことを指しているのだろう。

 韓信も始皇帝の巡幸には興味をそそられた。
――見に行ってみるか。
と思ったが、旅先で食料を得るのはおそらく今より大変なことだろう。

――行ったところで、皇帝が飯をくれるわけでもあるまい。
 結局、ふてくされて、釣りを続けた。
――ろくに飯も食えない状態では、歩き続けるのもつらい。もう当てもなく歩くのはたくさんだ。いっそのこと私は、ここで一流の釣り師になってみせよう。
 と埒もないことを考えたりするのだが、実際には魚はほとんど釣れなかった。
 しかし、釣り竿を置いて職を求めて歩く体力も気力もなかったのでそのまま座っていると、何やら老婆の集団がぞろぞろとやってきては、小川に綿をさらし始めた。
「ここでそんなことをされると、魚が釣れないではないか。もう少し下流の方でやれないものか」
 韓信は半ば哀願するように言った。
 すると老婆の中の一人が、あんたには魚なんか釣れやしない、食うものがないのだったらしばらく面倒を見てやるからうちに来るがいい、と言った。
 おそらく韓信の着ているものや、釣り竿があまりに粗末なものだったのを見て、にわか釣り師だと見抜いたのだろう。

 老婆は綿うち作業が終わるまでの数十日という短い間だったが、韓信におおいに飯を食わせた。別れ際に韓信は、
「この恩は忘れぬ。いつかきっと婆さんには恩を返してみせる」
と、無邪気に喜んで言った。
 平素他人に打ち解けた態度をとることがないこの男にしては珍しいことであった。純粋に人の好意に触れてうれしかったのだろう。

 ところがその綿うち婆さんは、
「生意気言うんじゃないよ。図体ばかりでかくて自分の世話もできないくせに。わたしゃ、あんたがあんまり貧相なもんだから食事をあげたまでだよ。誰がお礼なんぞ当てにするものか。まったく、でかい剣を下げてかっこうだけつけているくせに」
と怒り調子で、最後には鼻で笑うような態度で韓信を追い出した。

――私が礼を言うだけで怒るとは、この婆さんが私を自分より下に見ているということだ。なんとも情けないことよ。
 韓信は思ったが、よく考えてみれば自分があの婆さんより上の存在だとは断言できなかった。自分は施しを受けて生きている男に過ぎず、きっと婆さんには新手の物乞いのように見えたことだろう。

――自分は物乞いではないつもりだが、あるいは世間では自分のような者を物乞いと呼ぶのかもしれぬ。
 そう思ったのであえて反論はしなかったが、韓信は婆さんを厳しい目で睨みつけ、その場を立ち去った。
 この件で韓信は少なからず傷つき、その日から衣服は清潔なものに取り替え、市井のものになめられないように、胸を張って歩くようにした。
 そして、腹が減っても釣りだけはしないようにつとめたのである。

         四

 五回目の巡幸の途上で、始皇帝は卒した。

 とはいってもそれを知っているのは、巡幸に同行していた宦官の趙高(ちょうこう)、丞相李斯(りし)、そして始皇帝の末子の胡亥(こがい)の三名のみである。もっとも皇帝の身の回りの世話をする宦官のうち数名は事実を知っていたと思われるが、数には含まれてはいない。趙高も宦官ではあるが、彼だけは別格なのである。

 皇帝一行は楚の領地を過ぎ、会稽まで達して進路を北に取り、海岸線づたいに北上して山東半島をぐるりと回り切ったところから、内陸に入って帰路をとろうとした。
 ところが内陸に入って間もなくの平原津(へいげんしん)という地で皇帝は病を得、そのまま治癒することなく沙丘の平台(現在の河北省広宗県のあたり)という地で崩御した。
 首都の咸陽は遠く、この時点で皇帝の死が世間に知れ渡ると、諸国の反乱分子が彼らより早く首都に流れ込む危険が高い。彼らは皇帝の死を秘密にし、巡幸の行列が咸陽に達した時点で喪を発しようと決めた。

 そこまでは順当だが、問題はそれからである。

 始皇帝は始終不老不死を願い、そのためにはさまざまな努力をした人だったが(一説には水銀などを薬として飲んでいたとされている)、このときばかりは自分の死期を確信し、息子のひとりである扶蘇(ふそ)という人物にあてて遺書を残していた。

「咸陽にて朕の葬式をせよ」
という一見漠然とした内容だったが、葬式を主宰させることは正式な跡取りとして認めた、ということなのである。

 これにより次期皇帝は扶蘇と定められた。

 この遺書は詔勅として封印され、宦官の趙高に預けられた。しかし趙高がこれを使者に持たせて扶蘇のもとに送る前に皇帝が崩じたことから、彼の暗躍が始まる。

 扶蘇は咸陽にはいない。
 彼はこれより少し前、父親の始皇帝に焚書坑儒の件で諫言したことが原因で、はるか北方のオルドスの地で匈奴と対峙している蒙恬将軍のもとに軍監として編入させられていた。
 左遷されたように見えるが、最終的に跡継ぎに指名したことを考えると、始皇帝は扶蘇に期待をかけて武者修行の場を与えた、と考えるのが正しいようである。

 しかし、趙高にとっては、扶蘇が皇帝になっても何も変わらなかった。
 せいぜい自分は今と同じ裏の存在のままだろう。宦官でありながら表の世界で活躍するには、自分の扱いやすい人物が皇帝である必要があったが、扶蘇と趙高は特に親しい間柄ではない。

 そこで白羽の矢が立ったのは末子の胡亥である。
 趙高は胡亥の家庭教師であったことから胡亥の扱いには慣れており、説得もしやすい。都合のいいことに胡亥はこのたびの巡幸に同行していたので内密に話も進めやすかった。胡亥は「義」や「孝」の論理で趙高の説得に激しく反対したが、最後には結局折れた。

 そこで趙高は自身の預かる始皇帝の遺書を破棄し、胡亥を次期皇帝にする偽造の遺書を作製することに決め、それを丞相李斯に伝えた。

 李斯が反対したのは、言うまでもない。

 彼には胡亥が皇帝にふさわしい人物とは思えず、それ以上に、皇帝付きの宦官ふぜいが帝国の運命を左右しようとするのが気に入らなかった。始皇帝が天下を統一できたのは、李斯の政策によるものが大きく、彼はもちろんそれを自負していた。
 秦は法治主義を充実させ、封建制を廃して郡県制を採用し、政治を脅かす思想家たちの書をあまねく焼き払い、その思想家の信奉者たちを穴に埋めた。
 そのどれもが李斯の献策によるものなのである。

――秦の皇帝とは、私の政策を実現できる者にのみ、その資格がある。
 という自負心があっても、それを驕りだとは言えまい。事実その通りだったからである。

 ただ李斯という男にはその自負心が強すぎるきらいがあり、他者と相容れない欠点がある。

 かつて韓非子という優れた法家の権威ともいうべき人物がいた。李斯と韓非子は同門の間柄で、ともに荀子のもとで学んだ旧知の仲であった。
 韓非子は法の理論を完成させ、始皇帝はその著書を読み、いたく感動して秦に招き入れたという。
 しかし李斯はそのことによって自己の立場が軽んじられることを危惧し、奸計を用いて彼を毒殺してしまう。韓非子が秦に入国して早々の早業だった。

 李斯には自分より優れた人物に対する恐怖心がある。そこに趙高のつけいる隙があった。

「扶蘇さまの後ろ盾には名将である蒙恬どのがおられますな」
 李斯は胡亥と同様、再三の趙高の説得に抵抗したが、最終的にそのひと言で決まった。
 蒙恬は匈奴征伐で功績があり、始皇帝にもその能力を愛された、すぐれた軍人である。彼が扶蘇を擁して咸陽に戻って来た暁には、自分は除かれるに違いない。では、その前にこちらから除いてしまおう、というわけであった。

 毒を喰らうならば皿まで、という勢いで話に乗った李斯は、胡亥を皇帝に即位させるだけでなく、扶蘇と蒙恬に自害を命ずる詔勅まで偽造した。扶蘇はこれを信じて潔く自決し、蒙恬はこれを疑い、その場で自決こそしなかったが、牢獄に繋がれたのち服毒自殺をした。
 政敵は除かれたわけである。

 韓信が釣りをして老婆の世話になっている間に、天下は静かだが、しかし大きく変動しようとしていた。

         五

 二世皇帝の胡亥は愚鈍であった、と言われている。
 結果から見れば確かにそうかもしれないが、彼も即位当初は使命感に燃え、真剣に統治者としての義務を果たそうとしたに違いない。彼は決して何もしなかった皇帝ではなく、その統治期間にさまざまなことを行っている。
 ただ、そのどれもが国を疲弊させる結果を招いたのだった。

 胡亥にとっての皇帝の使命とは、先帝のやり残した仕事を完遂させることに尽きる。阿房宮の増設はその典型で、およそ必要もなさそうなほど広大な宮殿をさらに大きくする工事のために、各地から人民が徴発された。
 これにより農業、工業を問わず国の生産能力が減り、その影響を受けて物価が上昇した。

 また、秦という国は極端な法律至上主義の国家だったので、些細な罪で投獄される囚人が多く、これも生産能力減少の一因となった。
 それでも増え続ける囚人たちをただ獄に繋いでおくのはさすがに無駄だと思ったのか、阿房宮設営の工員に彼らをあてておおいに利用したという。しかし、どちらにしても無駄なことであろう。皇帝がどれだけ立派な宮殿に住んでいようと庶民には関係のない話で、工事自体が無駄なのである。
 国力を途方もなく無駄遣いした阿房宮の増設工事は結局未完に終わり、そのばかばかしい顛末から「阿房」の音が転じて「阿呆」の語源になったと言われている。

 胡亥の無駄な土木事業はこればかりではなく、始皇帝の墓を完成させる事業などもそのひとつである。
 彼は国中から腕のいい職人を集めてこれを行ったが、墓が完成すると保安の必要性から、構造の秘密を知る彼ら職人たちを残さず穴埋めにしてしまった。これなどは人材の浪費も甚だしい話である。

 また、先帝が詔令を出したものの、やりかけになっていた貨幣の統一事業にも本格的に乗り出している。
 それまで各地に流通していた刀の形をした銭や、布切れのような形をした銭は、丸くて中央に四角い穴の空いた銅貨に取り替えられた。
 「半両銭」と呼ばれるこの銅貨は鋳造も楽で、携帯にも楽な形をしていたが、先述のように生産者がことごとく徴発されるか囚人になるか、というような社会状況では買えるものがなかった。

 こうして秦の地方社会はインフレとなり、しだいに人心は荒んでいったのである。


 市中を歩くと、以前より活気が失われているさまがよくわかる。街路は人影がまばらで、わずかにそこにいる連中も暇を持て余しているような輩ばかりだった。
 このときの韓信もそれと同じで、人になめられないように胸を張り、こわばった表情で歩いていたが、実は当てもなく歩いていただけなのだ。少なくとも当時韓信を知る者は、皆そう思っていた。

 ある日韓信は、道ばたで若者がたむろしている場を通りかかった。彼らは食用の犬の屠殺者仲間で、この日は一匹しかいない犬を囲み、近頃の仕事の減少による貧窮を無駄話で紛らわそうとしていた。
 韓信が彼らの前を通りかかったとき、その中の一番体の大きな男が、彼に絡み始めた。

「こいつはでかい図体で、いきがって剣などをぶらさげて歩いているが、そんな奴はたいてい気持ちが弱いものだ。見ていろ、おれが確かめてやる」
 韓信は見透かされたような気がした。生前、母と交わした会話が思い出される。韓信にとって剣は、それを持つことによって相手に妙な気をおこさせないための抑止力というべきものだったが、それが今試されているのだった。

 若者は仲間に向かってからかうような口調で叫んだ。
「あの剣は飾り物に違いない」

 沈んだ街角にどっ、と笑いが起こった。これによりさらに勢いづいたその若者は、
「おい、死んでも構わないなら、その剣で俺を刺してみろ。その勇気がないのなら、ここで俺の股の下をくぐれ」
と韓信を挑発した。

 この男はおそらく酒に酔っているに違いない、と韓信は察し、しばしの間彼を見つめていたが、やがてそそくさと、なにも言わずに四つん這いの姿になって彼の股の下をくぐった。
 その姿を見て若者たちは大笑いし、韓信のことをしきりにはやし立てたのだった。
「なんと、臆病者よ」
「腰抜け」
「恥も知らぬ男め」
 あらゆる罵詈雑言をあびせられたが、この間韓信はひと言も発せず、無表情にその場を立ち去ったという。

 評判は市中全体に広まった。
 その後韓信が剣を携えて外を出歩くと、市中の者どもは陰で失笑した。
 韓信にもそれのいちいちがわかったが、常に彼は平然を装い、逆上して事を荒立てたりすることはなかった。

 しかし、韓信が何も感じない、まるで無神経な男だったかというと、そうではない。彼は久しぶりに栽荘先生のもとを訪れると、初めて胸の内を明かしたという。

「思うに、私がこのたび受けた屈辱というものは、私自身に非があるわけではなく、相手側の傍若無人な態度こそ責められるものでありましょう。私はあの連中をこの長剣で一人残さず斬り殺そうと思えば、そうできました。彼らはほとんど丸腰でしたし、少なくとも私以上に武芸に達している者がいないことは一目瞭然だったからです。しかし、斬れば私の方が犯罪者となり、囚人として身に黥(いれずみ)され、どこかよその土地に送られて過酷な労役を強いられることとなります。それが嫌で私は斬らずに、おとなしく彼の股の下をくぐりました。恥を忍べば屈辱が残り、逆に恥をすすごうとすれば獄におとされるわけで、どちらにしても私のような者には良いことがないわけですが……これは私が思うに、政治が悪いのです。およそ政治というものは法を犯した者を犯罪者として罰することではなく、どうやって犯罪者を作り出さないか、ということを目指すべきで、それには国民を教化し、規律を正しめることが求められます。あの街のごろつきどもは犯罪者予備軍と言えましょう。ああいう者どもを放置している時点で秦の政治は間違っているのです」
 これを聞いた栽荘先生は、韓信が負け惜しみを言っているように思えたので、次のように反問してみた。

「では、おまえはどのように恥をすすぐつもりなのだ。おまえ自身がごろつきの若者どもを教化し直すつもりなのか」

 韓信は涼しい顔をして答えた。
「私が幼いころ、故国の楚が滅びた、と聞いております。今の状況を考えまするに、秦も同じ道を辿ることは間違いないでしょう。私は新しい国ができ、新しい秩序がもたらされるのに一役買いたいと思っています。そのときに今まで私が受けた恩、借り、恥をすべて解消するつもりです」

 この話が広まったとき、たいていの者は韓信が仕官のあてもないものだから、次に訪れる世を夢想しているのだ、と評した。
 しかし後世になると逆に、韓信は若いころから気宇壮大であった、と評されるようになったのである。

 正反対の評価をしているように思えるが、どちらも事実のようにも思える。

乱世

             一

 実用的な紙が発明されるのは後漢の代になってからで、この時代に筆は既に存在していたが、その筆で文字を記すのは紙にではなく木簡や絹織物などの類いだった。それでも書物などを作製することは可能だが、印刷技術なども発明されていないので、それが大量に世に出回るということは少ない。
 この時代の代表的な情報伝達の手段は、「伝聞」である。その多くは「噂」という形をとり、多くの人の耳に雑然と伝わる。そのため、正確性は疑わしいことが多い。

 紀元前二〇九年の初夏に庶民の間に広がった噂も、真実かどうか疑わしい。その内容は次のようである。

「ある夜、狐が妙な鳴き声をたてた。コンコンという鳴き声に混じって、『大楚興、陳勝王』と鳴いているのが確かに聞こえた」

「とある料理人が魚をさばこうとして腹を割ったところ、魚の体内から『陳勝王』と書かれた布切れが出てきた」

 いずれも大沢郷という地で決起した陳勝にまつわる逸話である。

 その噂を聞いた韓信は、一笑に付した。どちらも子供じみた話で、あるいは実際にあった話かもしれないが、十中八九陳勝本人が広めた話であろう、と思ったのである。

 韓信ならずとも、そう思うのが自然であるように思われるが、情報に疎いこの時代の人々にとってはそうではない。
 噂は神秘性を帯び、神託となっていった。嘘のような、信じられないような話であるほど、伝わるのは早いのである。

「このたび兵を挙げた陳勝、呉広の二人の名は、世を忍ぶ仮りの名である。陳勝の正体は秦の太子扶蘇であり、呉広の正体は項燕将軍である」

 あろうことかそんな噂も広がったが、やはり韓信は信じなかった。仮に二人が生きていたとして、秦の太子と楚の宿将が手を組むはずがない。馬鹿馬鹿しい、とさえ思った。

 しかし、結果的に韓信のように考える者は少なかったようである。

「王侯将相いずくんぞ種あらんや(王族や侯爵、また将軍や大臣、どれも同じ人間であることに違いはない)」
 という陳勝自身の名言と、種々雑多な噂が効果的に絡まって広まり、陳勝は諸県を制圧してあっという間に王を称した。「張楚」の建国である。

 これが世に言う陳勝呉広の乱の始まりであった。

 あるいは馬鹿正直に噂を信じて、陳勝を神のように仰いで馳せ参じればよかったのかもしれない。それも時流に乗った生き方として、批判されるようなことではないだろう。
 しかし、韓信には、陳勝が王を称するのがあまりにも時期尚早にすぎるように感じた。権力欲しさに決起したに過ぎないように思われ、その行動に「義」を感じないのである。
 結果、韓信は座したまま時をすごす形となった。

 その間にも、情勢は激しく変動していく。即位宣言を快く思わなかった陳勝配下の張耳・陳余という師弟関係にある二人は、体裁よく陳勝と袂を分かち、武臣という男を王に擁立して趙を再興した。
 また、旧斉の王家の一族に当たる田儋(でんたん)は自立して斉王を称し、やはり旧魏の一族である魏咎(ぎきゅう)も国を再興し魏王を称した。
 また、淮陰より南東の会稽の地では、項燕の庶子である項梁(こうりょう)が甥の項羽とともに挙兵し、勢力を広げつつあった。

 韓信はそのどれにも属することはなかった。彼特有の思考の深さが行動を妨げていたように見える。しかし、社会情勢の変化の速度は彼自身の予測をはるかに超え、ついていけなかった、というのが実情であるかもしれない。それは韓信自身にも自覚があり、そのため彼は自分自身の不甲斐なさが、気に入らなかった。

 気が付くと、時代は戦国の世に逆戻りしたかのようであった。蛮勇たちの覇権争いの時代がやって来たわけである。
 韓信はそれも気に入らなかった。

 彼にはこのとき並び立った群雄たちが、単なるならず者に見えたのである。

         二

 ひとり考え込む韓信のもとへ、久しぶりに鍾離眛が訪れたのはそのころだった。
 活動的な彼は、市中で集めた若者数十名をあとに引き連れ、その姿はさながら将軍のようであった。
 快活に鍾離眛は言う。
「信……聞くところによると、いまだにふらふらした生活をしているそうだな。よかったら一緒に来ないか」

 韓信は眠そうな顔をして答えた。
「どこへ行くというのだ」

 鍾離眛は後ろを振り返りながら言う。
「あの連中を引き連れて、項梁どののもとへ参じようと思っている。みちみち仲間を増やして、向こうに着くころには一目置かれるような集団の頭でいたいのだ……。とはいっても実は心細くてな。君も一緒に来てくれるのなら少しはそんな気持ちも紛れるのではないか、と思ったのだ」

 韓信は驚いた様子もなく、ため息をつきながら言った。
「……ついに、兵になるのか」

 鍾離眛はそれに対して頷いたが、韓信が自分を見ていないのがわかった。きっと独り言を言っているのだろう。彼の頭の中には今、いろんな思いが錯綜しているに違いない。そう察した鍾離眛は、さらに誘いの言葉をかけた。
「……昔の母上の言いつけを気にしているのか。失礼な言い方だが、もう君の母上は、この世にいないのだから、いつまでも気にする必要はなかろう。前にも言ったが、将となるには兵から始めるしかないのだぞ。それとも商売でも始める気になったのか」

「いや、それはない」
「では、一緒に来てくれるか」
「…………」
 韓信は考え込み、ついに黙ってしまった。煮え切らない韓信の態度に飽きたのか、しばらくして鍾離眛は話題を変えた。

「近ごろ、栽荘先生にお会いになったか」
「いや、ここ数ヶ月は……お元気でいらっしゃるだろうか」

 鍾離眛は目を伏せ、
「行ってみることだ。……実のところ、あまりお元気だとは言えない。最近すっかりお弱りになられているようでな。君のことも気にかけておられた。ぜひ行って喜ばせてあげるべきだ」
 と言った。

 気になることではあった。しかし、韓信はこれを聞いて決断を先に延ばすことができたのである。
「では、行ってお顔を拝まなくては。しかし、君は今この場から項梁どののところへ向かうのだろう。ならば私は一緒には行けないな」

 鍾離眛は笑顔を見せて言った。
「気が向いたら、後から追ってきてくれてもいい。来てくれたら、厚く迎えることを約束する。……では、先生によろしく言っておいてくれ」

 鍾離眛は踵を返しかけたが、そのとき韓信が急に思い出したように言った。
「眛……。項梁どのの目指すところは、楚の復興だろうか」

 鍾離眛は少し考えたが、毅然とした口調で答えたという。
「そうであろう。陳王(陳勝のこと)は張楚を建国して覇を唱えているが、楚の遺臣などではなく、王朝の正当性が薄い。項梁どのが突いてくるのはその辺だろう。いずれ陳王に代わって楚を復興し、天下に覇を唱える時が来るはずだ」

 これを聞いた韓信は残念そうな顔をして言った。
「では、天下は昔に帰る。それだけのことだな……。眛、誘ってくれて感謝している。道中気をつけて行ってくれ。くれぐれも……無駄に死ぬな」

 二人は、たいした儀式もせずに別れの挨拶をすませた。淡々としたものだったが、若い二人にはこれで充分だったのである。
 韓信は栽荘先生のもとへ向かう道中で、鍾離眛とともに母を埋葬したことを思いだし、涙した。
 一方鍾離眛は、自分が旅立ったという意識が高まっていくと同時に、韓信と肩を並べて学んだ日々が無性に思い出され、涙が自分の引き連れている連中に見えないように、天を仰いだ。

 二人の人生は、この時点から別々のものとなった。

         三

 栽荘先生のもとを訪ねた韓信は、その変わりように唖然とせざるを得なかった。どちらかというとふくよかな老人だった先生のそのときの姿は、眼は深く落ちくぼみ、頬は痩け、顔色はどす黒く、正視に耐えないものだったのだ。

「先生は、ご病気なのですか」
 力なく、韓信は聞いた。横になっていた栽荘先生は、その声でようやく韓信が訪ねてきたことに気付いたようだった。

「信か。……なぜここにいる。眛とともに行かなかったのか」
「先生が心配で。お世話をする者はいらっしゃるのですか。もし誰もいないのでしたら、信がいたします」
 栽荘先生は弱々しく首を横に振った。必要ない、ということだろう。

「おまえなどの世話にはならん……。食事の世話は、してくれる者がいる……。おまえは、早く眛のあとを追うのだ」
「その方がいいとお考えですか」
「何もしないでいる今よりいいことは間違いない。それとも……眛と一緒に行くのが嫌なのか」

 韓信はきっぱりと答えた。
「嫌です」
「おまえと眛とは、それほど折り合いが悪い仲のようには思えなかったが……なにがそんなのに嫌なのか」
 栽荘先生は韓信の態度に疲れたのか、あるいは体調が悪くて根気よく相手をする気分になれなかったのか、詰問するような口調になった。

「眛は項梁どののもとへ向かう、と申しておりました。項梁どのは旧楚を復興する腹づもりで、眛はこれに賛同した、ということでしょう。ですが私は賛同できません。眛と同行しなかったのはこの一点によるもので、決して彼と仲違いしたとか、彼が嫌いだということではありません」
「……楚が復興するのは、嫌か。それはおまえの父や母が楚の国民として苦労したせいか。しかしおまえの父母が亡くなったのは秦の代になってからで、楚のせいだとは言えまい」

 韓信は首を横に振り、うつむきながら答えた。
「多くの人は秦の世になって暮らしにくくなった、と申しますが、私にはそう思えません。王侯の替わりに役人が国を治めるとはいっても、役人の多くは戦争で成り上がった軍功地主です。そのような者どもに政治の仕組みを変える能力があるはずもなく、なにも変わるはずがありません。秦の世は楚の世の流れを受け継いで、ただ変わったことと言えば、処罰が残虐になった、というくらいのことしかありません」

 栽荘先生は韓信をしげしげと見つめ、やがて言った。
「おまえの父が死んだのは秦のせいではなく、楚の時代から受け継いできた社会の仕組みのせいだと言いたいのか。美しく、しかし貧しかったおまえの母が死んだのは秦の世のせいではなく、楚の時代から受け継いできた人の心のせいだと言いたいのか。おそらく、それは正しい。……しかし、おまえのように座してなにかが変わるのを待ってばかりいても、何も変わらん。世の時流に乗って、行動を起こすのは大事なことだ。間違いは直していくことができるが、何も行動を起こさなくては、それもできないのだ」

 韓信は頷き、しかし考えながら言った。
「それは、その通りです。しかし、今は先生を残していくわけにはいきません。できることなら、今際の際のお言葉を頂戴してからにしたいと思っております」

 栽荘先生はそれを聞いて苦笑いしたようである。
「本人を前に、ぬけぬけという奴だ。おまえはわしに早く死ねとでも言いたいのか……。しかし、事実だな。わしはもう長くない。あと四、五日も持てばいいところだろうて。臨終の言葉を聞きたいというのは正しい判断だ。おまえの聞きたいことを話してやろう。なにが聞きたい」

「……先生は、いったい何者なのですか」
 韓信の物言いは常に端的すぎて、誤解を生じやすく、このときもそうであった。よって傍目には韓信の言い方は失礼に過ぎるように思えるが、栽荘先生は韓信の性格をよく知っていたので、今さら咎めたりはしない。

「……教えよう。栽荘という名は世を忍ぶためのもので、わしの本当の名は鞠武(きくぶ)という。燕の宮廷に仕えること長く、最後は太子の丹さまの守り役をつとめた」

 韓信は驚いた。
「燕の太子丹と言えば……始皇帝を」
「暗殺しようとしたお方だ。それがきっかけで燕は滅亡した」
 韓信は席を立つと、そそくさと先生のために湯を用意した。飲んで詳しく聞かせてほしい、というつもりだろう。

「もともと丹さまは隣国の趙に人質として出されていたが、そのとき趙は秦の人質も確保していた。これが嬴政で、のちの始皇帝だ。二人は同じ境遇であることから仲が良かったが、嬴政が即位して秦に戻ることになり、丹さまは今度は秦の人質となった。この時から二人の関係が悪化していったようだ。原因は一方的に秦王の嬴政にある。上の立場に立った嬴政はそれまでの態度を豹変させ、丹さまにそれはそれはつらく当たったそうだ。我慢できずに燕に逃げ帰ってきた丹さまは激しく復讐心に燃えておられ、わしはなだめるのに苦労したものだ」
「太子は言うことを聞かなかったでしょうな」
「まさしく。太子は聡明ではあるが、現実を直視しない傾向があるお方でな……燕が諸侯国の中では最弱の国で、秦に敵うはずがないことを頭ではわかっていても自尊心を優先させたがった」
「自国の命運よりも個人の見栄と誇りを大事にした、ということでしょう。わかるような気がします」

 栽荘先生は、得心が言ったように頷いた。
「お前と丹さまは、よく似ていると思っていたが、やはりそう思うか。ふむ……考えていた通りだ」

 韓信は憮然として答えた。
「私には、たいそうな見栄や誇りなどはございません」

 栽荘先生はこれを聞いておかしそうに笑ったが、笑い声にも以前のような元気さはない。
「そうかもしれんが、いずれお前にもそういうものが生まれてくる。それはともかく、お前と丹さまが似ているのはその不器用な性格だて」

 韓信は馬鹿にされているような気がして、おもしろくなかった。
「もうその話はいいでしょう! 先を進めてください」
「うむ。……ちょうどそのころ秦を追われた亡命者が燕に訪れていてな。樊於期(はんおき)という将軍だ。太子はこの男を匿うことで持ち前の義侠心を発揮しようとなさった」
「追われた男を匿うとは、秦からにらまれることになったでしょう」

「その通りだ。わしは反対し、樊於期などは匈奴の地へでも送り、今のうちに諸国と合従(がっしょう)(秦に対抗するべく諸国間同士で同盟関係を結ぶ、という戦国時代の策)しろと主張した。しかし太子は受け入れようとせぬ。窮地に陥り、自分のもとへ身を寄せた者を見捨てるわけにはいかぬ、合従など時間がかかりすぎる、そんなことは自分の死んだ後でやってくれ、と」
「話を聞くと、太子は想像以上に気概のあるお方ですね」

 栽荘先生は、嘆息した。
「ひとりの青年としては、何と言えばいいのだろう……そう、いい男だ。しかし、国の命運の問題だからな。正しいことばかりが通用するとは限らぬ。それなりに狡猾さや駆け引きも必要なのだ。ところが太子にはそれがなかった。太子は燕など滅んでも構わない、と思っていたのかもしれんな。とにかくわしが説得しても埒があかないので、巷で名士との誉れが高い田光という老人を紹介した。彼に相談しろと。……ところが、これが失敗だった」

「太子が言うことを聞かなかった、ということですか?」
「その逆だ。田光は太子の話を聞き、すっかり同調してしまったのだ。もっと分別のある奴だと思っていたのだが……。田光は刺客を送ることを提案し、その実行役として太子に荊軻(けいか)という男を推した。そして田光は国家の秘事を明かさぬ証として、自分の首を斬って死んだのだ」
「烈士、ですね! 私の母親はそういうのを嫌っていました」
「わしだって嫌いだ。あんな形で死なれてしまっては、刺客を送らないことは義に背く。議論の余地をなくす、ずるいやり方だ……。こうなってはもはやわしの出る幕などはなく、荊軻を刺客として咸陽に送り込み、秦王を殺すという方向に、燕の国策は定まった。そこでどうやって荊軻を咸陽に潜り込ませるかだが……皮肉なことに、亡命者の樊於期を捕らえて殺し、その首を献上する形をとるのが最上だとされたのだ。太子の義侠心より国策が優先される結果となったわけだな」
「結局、樊於期は殺されたのですか」
「秦に復讐できると聞いて喜んで死んだ、という話だ。真実かどうか疑問だが。真実ならば樊も烈士の類いだな……。かくて荊軻は樊の首を持って始皇帝の前に立ったのだが、匕首(あいくち)ひとつで殺せるほど剣技に長けているわけでもない。結果は案の定、失敗だった」
「秦王の怒りは、よほどのものだったでしょうな」
「然り。……それからわずか十ヶ月で(けい)(燕の首都。現在の北京市)は陥落して、我々は東へ逃れたが、そこで太子の首を献上すれば国は助かると献案する者がいたので、燕王は太子を斬ってしまわれた。わしはこれにも反対したのだ。無駄に命を奪うことをせず、生き延びることだけを考えましょう、とな……。しかし結局太子の首を届けても秦は許さず、進軍を止めることはなかった。わしは太子が斬られた時点で国を離れ、逃亡した。……そしてたどり着いたのが、ここだ」

 韓信は、疲れを感じた。長い話だったこともあるが、自分がもし太子丹の立場であったら、と思うとまったくどうするべきかわからなかった、ということもある。

「先生は……この地に潜伏し、秦に復讐しようとでも思っていたのですか」
 栽荘先生は、気恥ずかしそうに答えた。
「いや、それはない……。国が滅亡する羽目になって、正直わしは疲れた。この地で静かに、人知れず余生を過ごそうと思ったまでだ。しかし……秦への恨みがないわけではないし、太子の思いも成就させてやりたい。だがわしはこの通り老齢で、おまけに死に瀕している。だから、わしや太子の思いは、お前に託すことにした」

 韓信はびっくりした。びっくりして言葉もうまく出ない。
「そんな……眛がやってくれるでしょう。私はとても……」
「自信がない、とでも言うのか。大丈夫だ、お前は物事を客観的に見れるし、その意味では太子のように感情に流されることもないだろう。さしあたっては、眛の後を追って、項梁のもとへ行け。おそらくあの軍がいちばん現状ではまともな軍だ」

 韓信は気が進まなかった。項梁など、もと貴族ではないか。貴族のために戦ってやる義理は、自分にはない。そう思えた。
 しかし、死に瀕している先生にそのようなことは言えず、二、三日の間逡巡しているうちに、栽荘先生は息を引き取ってしまった。

 先生の遺体を埋葬するときに、見知らぬ者たちが何人かいたのを韓信は認めたが、その者たちが燕の遺臣であろうことは想像に難くなかった。

         四

 陳勝麾下の将軍鄧宗(とうそう)は九江郡(寿春を郡都とする旧楚の中心地)の制圧を命じられ、その軍が淮陰の城壁まで迫りつつあった。
 ついに淮陰も戦渦の影響を受け始め、韓信も気が気ではない。肉親をなくし、友人には旅立たれ、師にも先立たれた韓信は、もはやこの地に未練もないと思っていたが、実際に故郷が蹂躙されるというのは我慢ならないことだと気付いた。
 そこで韓信は、県の庁舎に赴き、守備兵の仲間に入れてもらおうとしたが、ある若い門番は彼に向かってこう言った。

「県令なら、いないよ」
 韓信は聞いた。
「いつ、戻ってくるのだ」
 その若い門番は、あきれたように答えた。
「戻ってきやしないよ。ここの偉い連中は、みな荷物をまとめて逃げ出したんだ。彼らは中央から派遣された連中だから、咸陽にでも帰ったんだろう。残ったのは帰るところなんてない地元の連中だけだ」

 韓信は驚愕を受けながらも、なおも門番に問いただす。
「守備兵はどうした」
「とっくに解散して、それぞれ故郷に帰ったよ。県令が逃げたのだから、それも仕方がない」

 秦の統治下では一生で最低でも一年は自分の属する郡の衛士とならなければならない。いわゆる守備兵である。しかし郡の中のどの県に所属されるかは定められていないので、この場合は、守備兵の中に淮陰出身者がいなかった、ということだろう。

「では、お前は門の前に突っ立って、なにを守っているのだ」
「なにって……県令や守備兵が逃げ出したなんて知れたら、敵の思うつぼだろ。いつもと変わらない風を装って、こうしているんじゃないか」
「馬鹿だな、お前は。敵が来るまでそうして突っ立っている気か。父老には相談したのか」
 父老とはいわゆる長老のことで、邑のまとめ役のことである。

「まさか。年寄りに相談したところで、降伏しろと言うだけだろう? 鄧宗の軍は略奪の度が過ぎると評判だから、俺たちはできることなら対抗したいんだ。でも残っているのは役所の下働きの者ばかりで、指揮を執れる者がいない」
「……中に入れろ」

 門を開けさせ、押し入るように中に入った韓信の目に映ったのは、かっこうだけは甲冑などをつけて整えている頼りない集団だった。
「武具を身に付けているということは、戦う気があるということなのだな?」

 もともと県令の馬の世話や、食事の用意などをしていた連中である。彼らは自分たちが鎧を身に付けている意味を知らず、韓信の言葉に震え上がった。
 韓信はあきれた。
「武器は残っているか」

 彼らが案内した武器庫の中には、盾が約三十、矢が一千本余り、長戟(ちょうげき)が百本以上備えられていた。
 長戟とは、槍の先端に(ほこ)を備え、敵を遠距離から突き刺すのに都合良くできた兵器である。なおかつ枝のように刃が側面にも装備され、振り回して敵を引っ掛けるように斬ることもできた。
 それらの携帯的な装備のほか、武器庫の奥には大きな投石機が五台、鎮座していた。
 本来は攻城兵器であるが、使えないことはない。てこの原理を利用し、一端に石、もう一端には紐が付けられており、複数の人間が紐を引くことで石が発射される仕組みである。
 淮陰一帯はかつて国境が入り組んだ地域だったことで、このような兵器が常備されていたのだった。

「充分ではないか」
 これだけのものがあれば、県城に押し寄せる敵を殲滅するのはなんとか可能である。
 あとは、やり方次第だ……韓信の頭の中が、鬱屈した若者のそれから策士のそれへと変貌しつつあった。

「弓を使える者はいるか」
 幸いなことに二十名ほどの者が、なんとか弓を使えそうだった。韓信は彼らを急造の弓兵とした。

 指導者はいなかったが、兵数は百余り、それぞれが剣と弓を携え、予備兵器も充分にある。韓信は自信を感じた。その自信が態度となって現れ、自然に兵たちの指導者的立場になっていく。
 彼は一計をめぐらせた。


 やがて淮陰城に迫った鄧宗配下の指揮官である雍昌(ようしょう)の耳に、妙な噂が入り始めた。

「県令はすでに殺され、城内は韓信という男を頭目とする自立勢力によって占拠されている」
「城内では韓信の命による略奪行為が横行し、住民はみな飢え、子を交換して食っている有り様である」
「そのため住民は陳勝麾下の軍が鎮撫にくるのを心待ちにしている」
「住民たちはついに決起し、自立勢力の親玉の韓信を捕縛することに成功した」
「住民たちは城門を開放し、張楚軍を歓迎する構えを見せている」

 次々に耳に入ってくる噂の展開が真に迫ったものなので、雍昌はこれを疑わなかった。しかし、これこそが韓信自身が発した流言だったのである。

 あらゆる方角から囲まれ、城壁をよじ登られて侵入を許したら、なす術がなかった。韓信は流言を撒いて相手を油断させた上で、あえて城門を開放し、敵の侵入経路を限定することに成功した。城壁には東西南北それぞれに城門が備えられているが、このとき韓信は北門だけを開放し、城内に伏兵を忍ばせておいた。
 噂を疑わなかった雍昌は、狭い城門を通過するために隊列を細長くしたまま、ゆるゆるとだらしなく進軍していく。

 これを見た韓信は、
――二百名ほどの小部隊だ。やれる。
 と確信した。

 韓信は音を立てず、弓を構えた。先頭の騎馬兵を狙い、物陰から矢を放つ。
 矢は目標に到達し、その騎馬兵の胸に突き立った。
 それを合図に無数の石つぶてが雍昌軍の頭上に降り注いだ。敵軍から見えない位置に注意深く設置された投石機から発せられたものである。たかが石つぶてといっても大きさは大人の頭ほどで、当たりどころが悪ければ、即死だった。

「敵襲だ! 退却せよ」
 逆戻りして門から城外へ脱出しようとした雍昌軍だったが、城門にはすでに二十名の弓兵たちが陣を構えていた。雨あられのように弓矢が浴びせられ、雍昌は一瞬で兵の三分の一を失った。

 その次の瞬間には両横から長戟を持った兵が突如として現れ、長く伸びた隊列の側面を衝いた。これにより雍昌の軍は前後に分断され、それぞれ戟で貫かれていく。

 馬に鞭を入れて、ひとり脱出しようとはかった雍昌に石が投ぜられた。石は馬の頭部に当たり、雍昌は馬ごと転倒して全身を強く打つ重傷を負った。一方、馬は即死した。
 非情なようだが、とどめを刺さなければならない。逃がして鄧宗の本隊にでも駆け込まれては、事態は面倒なことになってしまう。韓信は意を決して、雍昌の命を絶った。


 とどめを刺すにあたって、韓信は腰の剣を使おうかと思ったが、結局弓矢を使った。
 剣は彼にとって大事なものではあったが、手入れを怠っていたので、切れ味に確信がなかったのである。

         五

 韓信は急造の兵士たちから淮陰に留まるよう要請された。彼らにしてみれば、敵を撃退したのはいいものの、それが次の敵を呼び込むもとになるようで不安だったのである。
 しかし韓信はそれを断り、その足で母親が眠る丘の上の小さな墓に立ち寄り、最後の別れを告げた。


「……行くあてが決まっているわけではありません。ただし、行く以上はこの戦乱の世にけりをつける男になりたい。そう思っています……。戦場に立つことは母上の本意とは違いましょうが、お許しください」

 韓信が雍昌の軍を破った行為は、さほど必要性がなかったという意見も多くあり、彼があと先の考えもなく敵軍を殲滅し、見捨てるように淮陰をあとにしたのは無責任に過ぎる、という意見もある。
 しかし実際に韓信が淮陰の地に残ったとしても、いつまでも守り通すことはできなかっただろう。

 このときの韓信の心情を表した言葉が、一部の者の記憶に残っている。
「私は、武器の取り扱いなどにかけては多少自信を持っているが、他人に真心を理解させることは、もともと得意ではない。このたびの戦闘であらためて自覚を深めたが、むしろ私は、人を騙すことの方が得意らしい。徳があるとは言えず、あまり政治には向かない」

無聊

            一

 陳勝は各地に制圧を目的とした軍を派遣し、それぞれ成功したり、失敗したりしていた。軍を派遣して制圧したのはいいものの、派遣した将軍が自立して王となってしまうこともあったが、離反されるよりはまし、と考えれば着実に勢力をのばしつつあったと言っていいだろう。

 その勢力が頂点に達したのは、陳勝が派遣した将軍周章が、ついに函谷関(かんこくかん)を破った時である。

 険しい山々に囲まれ、東に函谷関、西に(ろう)関、北に(しょう)関、南に武関という四つの関所に守られた天然の要害の地を古来から「関中」という。現在の陝西省渭水盆地がこれにあたり、秦の国都、咸陽もここに位置していた。
 秦の建国以来、函谷関を始めとする関所が破られた例はなく、そのため周章軍の来襲は、秦の宮廷を混乱に陥れた。これは二世皇帝胡亥の耳にも入り、すでに政務に興味を示さなくなっていた彼が、焦って臣下に対処を促したくらいである。
 これを由来として「周章」という語は「慌てる」という意味になった。「狼狽」という仮想の動物を意とする語を付け加えて、その意を強調する。

 しかし結果から言うと、周章軍は撃退された。秦に新たな将軍が任命されたからである。その将軍は、もともと少府と呼ばれる徴税官の職に就いていた男で、名を章邯(しょうかん)といった。

 章邯は、麗山で始皇帝の陵墓を造営している囚人に大赦令を出させ、これを軍として組織することを提案した。むろん章邯のような、たかだか徴税官ごときが皇帝に直接ものを言える立場にはなく、献策は宦官の趙高を通して行われたのである。

 章邯の意見は聞くべき価値があったが、完全とはいえない。兵は組織できても、それを率いる将がいないのである。李信や王翦などは過去の人であり、人事に困った皇帝は趙高に判断をゆだねた。

 趙高はいやらしい男であった。
 正確には宦官なので男だともいえない。
 このときの章邯のように、非常時であるのを理由に、皇帝に献策などをする者が現れることを趙高は嫌った。それによって自分より政治的に優位な立場に章邯が立つことを憂慮した趙高は、章邯自身を将軍として兵を統御させることを説き、これを認めさせることに成功したのだった。
 つまり、戦乱の中で章邯が敗死することを望んだのである。

 そんな趙高の思惑とは裏腹に、将軍に任じられた章邯は、よくやった。このとき麗山の労役から解放され、章邯の指揮下に入った囚人の数は二十余万と言われているが、彼はよくこれを統御し、周章軍を関の外へ追い出すことに成功した。さらに副将に司馬欣(しばきん)董翳(とうえい)を得た章邯は関外へ撃って出て、周章を敗死させることになる。

 陳勝の勢力はこれを機に、かげりを見せ始めた。

         二

 故郷の淮陰を守ったという高揚感は、韓信にはない。あったのは後悔の念である。
 求めに応じたとはいえ、自分がとった行動は、あと先のことを考えない軽はずみなもののように思われ、彼としては自分の馬鹿さ加減に吐き気がしてくるのだった。

 雍昌を撃退することは陳勝を敵に回すことである。そんなことがわからない自分ではなかったが、あの時は心ならずも血が騒ぎ、戦ってみたいという誘惑に勝つことができなかった。
 雍昌を仕留めた時のあの感覚……それは、弓の練習で的の中心に矢を当てた時の感覚に似ており、鳥肌の立つような快感だった。
――先生、私は酷薄な人間なのでしょうか……もし、先生が私をそのように育てたのだとしたら、恨み申し上げます。
――いや、そんなはずはない……これはきっと私が生まれ持った性格なのでしょう。だとすれば、誰を恨みようもない……。
――もはや先生はこの世にいない。私は自分で自分を育てなければならないのだ。

 韓信の憂鬱は自分の行動が淮陰を危機に陥れたのではないか、という不安から端を発している。
 しかし、そんな韓信の思いとはよそに、その後の淮陰は大きな戦渦に巻き込まれることはなかった。陳勝その人に危機が迫っていたからである。
 きっかけは陳勝軍に起こった内訌であった。

 陳勝とともに兵を挙げた呉広はこのとき滎陽(けいよう)を囲んでいたが、なかなかこれを抜くことができず、攻めあぐねていた。その様子を見ている呉広の配下の兵たちは、次第に上官の用兵に疑念を持つようになり、謀議の結果、反乱を起こして呉広を殺害してしまった。

 これを受けて陳勝はかわりの指揮官を立てて滎陽を攻めさせたが、このとき現れたのが秦の将軍・章邯である。
 章邯によって陳勝軍はさんざんに撃ち破られ、ついには陳勝自身も危機に陥り、逃避行にはいった。しかし、そのさなか、陳勝は自分の馬車を操縦する御者に裏切られ、殺されてしまう。

 史上初の農民反乱である陳勝呉広の乱は、事実上、ここに終結した。

         三

 陳勝の死を韓信は知っていたわけではなかった。そもそも韓信は、きわめて局地的ながらも陳勝軍の一派を撃破してしまっているので、陳勝のもとに馳せ参じるわけにはいかなかった。

 また胡散臭い自称王たちがはびこる魏や趙、あるいは斉などのために戦う義理もなく、自然、選ばざるを得なかったのが、項梁の軍である。このとき項梁軍は兵数七、八万の勢力となり、陣容からいっても陳勝なき後、楚の名を継ぐにふさわしいものであった。

 決して本意ではなかったが、容儀を正し、それでいて卑屈になり過ぎないよう、威風堂々とした態度で項梁のもとへ馳せ参じた韓信であったが、彼のために用意されたのは、一兵卒の位でしかなかった。

――一兵も引き連れていないのでは、仕方のないことか。
 納得はしても、残念な気持ちは抑えられない。
――兵とは、戦乱のために存在するものだ。私は、戦乱を終わらせるために身を投じたのだが……兵卒では戦乱に決着をつけることはできない。誰か、早く私の本質を見抜け。

 自分の考え方が途方もなく常識を外れていることはわかっている。誰が自分をひと目見ただけでその才能を見出すことができよう。自分にできることは、せいぜい戦場でできるだけ多くの敵兵を撃ち殺すことしかないように思われた。

 しかし、それさえも叶わなかった。韓信が項梁軍に身を投じて最初に課せられた任務は、秦嘉(しんか)という将軍に擁立され、陳勝の跡をついで張楚王となった景駒(けいく)を討つことだった。

――秦を討つのではないのか。相手は楚人同士、友軍ではないか。
 韓信は思ったものの、彼にできることは、何もなかった。結局韓信は一兵卒として戦場へ赴き、一概に敵とはいえない敵を何人か撃ち殺した。

 この時の韓信の働きぶりは、良いとも悪いともいえない。
 執拗に抵抗する敵をその長剣で斬り殺したと思えば、形勢不利と見て逃げ出した者は追いかけもしなかった。懸命にやっていると見せかけ、手を抜けるところは抜いた、というところだろう。
 しかし、戦場という死地のなかで、自然にそんな芸当ができるということこそが、韓信という男の凄みであっただろう。凡人であれば、自分が生き残るために必死にならざるを得ない。

 結局韓信が本気を出すこともなく、戦いは終結した。結果は圧倒的な項梁軍の勝利である。

「陳王(陳勝のこと)は敗戦し、生死のほどもわからないが、これをいいことに秦嘉などが景駒を王としてたてるなどは大逆無道というしかない」
 張楚を討つにあたって項梁が残した言葉である。
――詭弁だ。
 と韓信は思った。
 もし陳勝の死が明らかであったとしても、項梁は景駒が王を称するのを許さなかっただろう。景駒の兵をあわせ、自分が楚の頭領となる都合の良い理由付けに他ならない。
 韓信は着任早々、上官に不信感を抱いた。


 続いて韓信に与えられた命は、(せつ)へ向けての遠征軍に加わることであった。
 その目的は、敗軍の将の誅罰であった。

――また、味方を討つのか。いったい何なんだ?
 この時の敗軍の将は、名を朱雞石(しゅけいせき)といい、章邯が(りつ)(地名)に現れたことで、項梁の命にしたがってこれと戦ったが、敗れたのだという。同僚の将は戦死していた。敗れただけでも罪なのに、同僚が戦死したなかで逃げ延びて生き残ったことは充分に誅罰の対象となるのだった。

 章邯の噂は韓信の耳にも入ってきている。
――章邯は当代随一の将軍だと聞く。私の見る限り、とても項梁などが敵う相手ではない。まして部下の朱雞石に敵うはずがあろうか。そもそもそんな相手には全軍で当たるべきなのに、兵力を細切れにして当たらせたのは、項梁の指揮のまずさだろう。

 このとき韓信は罪を得て死ぬべきなのは項梁だ、とまで思った。しかし、思いと行動は一致せず、実際に行ったのは味方の兵を殺して回ることであった。

 韓信は自分が何をしているのか、よくわからなくなった。

         四

 項梁は矮小な男で、外見的には他者を威圧する風格はないといっていい。それでも彼のもとに諸国の豪傑が集まるのは、ひとえに彼の持つ貴族としての血脈が影響している。

 豪傑たちは人づてに項梁の噂を聞き、そのもとへ集まる。しかし、まるで風体の上がらない項梁の姿をひと目見て、落胆するのであった。
――こんな男のために命をはれるか。
 項梁の容姿を見た者の大半はそう思う。
 だが、項梁の傍らに常に控えている大男を目にして、その考えを改めるのが常であった。

 韓信もその大男を見た。その男は身の丈が八尺(当時の一尺は約二十三センチ)もあり、胸板は厚く、手足も太く、長かった。眼は鋭く、口はへの字に結ばれ、全体的に鷹や鷲のような猛禽類を連想させた。

――単なる護衛にしては、主人よりも風格がありすぎる。
 そう思った韓信が伝え聞いたところによると、この大男こそが、項羽であった。

 項羽は、名を籍といい、羽が(あざな)である。
 項梁の甥に当たり、これは同時に項燕の孫であることを意味した。幼少の頃から気性が荒く、邑の者はみな項羽をはばかり、彼が通る時は道をあけたという。

 韓信はこの種の手合いが嫌いである。暴虐の臭いを振りまき、他者を威圧する者を見ると、内心で嘗められてたまるか、と思うのである。
 しかしあるいは外見と実際は違うこともあるかもしれない。韓信はほんの少し期待を抱いたが、その期待は瞬く間に崩れ去った。

 なぜなら項羽は見かけ以上に行動が残忍だったからである。

 項梁の命により襄城(じょうじょう)の制圧に赴いた項羽は、城中の市民が反発したことでその攻略に手間取り、城を陥とすのに予想以上の時間を労した。
 やっとのことで襄城を落城させることに成功した項羽は、腹いせに城中の老若男女すべてを(こう)(穴埋め。生き埋めのこと)してしまったという。
 始末に負えないのは、それを項羽自身があたかも武勇伝を語るがごとく、自ら触れ回って歩いていることだった。

――城中の市民などは、城主に命じられて抵抗しているに過ぎない。思うに項羽という人は、線引きするように敵・味方の区別をつけなければ気が済まないたちなのだろう。

 韓信は心の中で、項羽に「殺し屋」というあだ名をつけた。
 それは明らかに侮蔑を込めたものであった。

 自分は属する組織を誤ったのではないか、と感じる。というのも敵の将軍の方が武人として優れている、と韓信は思っていたからであった。

         五

 秦将章邯の進軍は留まるところを知らない。彼が二世皇帝に奏上して囚人たちを兵として組織し、函谷関から出撃したのが、紀元前二〇九年の冬のことである。章邯は周章を撃退して死に至らしめた後、滎陽、敖倉(ごうそう)を囲んで陥とし、陳勝を死に至らしめた。
 そして紀元前二〇八年の八月には本格的に自称王たちの撃滅に取りかかる。

 まず最初に標的となったのは魏王咎であった。
 臨済(りんせい)に包囲された魏咎は斉・楚それぞれに救援を依頼し、楚の項梁はわずかながらの軍を送った。
 しかし斉は王の田儋本人が救援に駆けつけたのである。

――なぜ、項梁は行かぬ。
 韓信の不満は爆発寸前になった。大事なのは兵力を集中させて章邯率いる秦軍を取り囲むことであり、兵力を逐次投入させていては各個に撃破されるだけであろう。それがわからぬ項梁ではあるまい。

――理由はわかっている……項梁は反乱勢力の頭目になることが目標だからだ。魏や斉、趙の王がそれぞれ章邯に敗れることをひそかに願っているに違いない。項梁は、思っていたより馬鹿だ。
 他の王国が秦に滅ぼされる間に、楚は周辺を制圧し地盤を強化しようという考えは、わかる。しかし秦が諸国を制圧すれば、その勢力は楚をまさるに違いないのだ。


 章邯は臨済に終結した斉・魏の連合軍(わずかながら楚軍も混じっている)を夜半に襲撃した。
 兵士や馬の口に声をたてないよう「(ばい)(木片)」をくわえさせ、静かに迫る。あっという間に戦況は決した。斉王田儋は乱戦の中で戦死し、斉の残兵は田儋の従弟の田栄に率いられ東阿に潰走した。孤軍となり、意を決せざるを得なくなった魏王咎は不本意ながら秦に降伏を申し入れることとした。
 人民の安全を保証するために約定をかわし、それが成った後、魏咎は自ら火中に身を投じ、焼身自殺を遂げたのだった。

――敵ながら、鮮やかと言うしかない。
 一回の戦いで二人の王を滅ぼした章邯の武勇は、尊敬するに値した。なんのために戦っているのかわからない項梁などとは、比べものにならない。

賊徒討たれる

         一

 魏・斉の惨敗、ならびに陳勝の死に確証が持てたことを受けて、項梁は薛に諸将を集め、今後の対応策を話し合おうと会合を開いた。会合など、韓信には古代の春秋時代の覇者のまねごとのように思われて、ばからしく感じられた。
 しかし諸将の姿を一度に見る機会を得られるのは悪いことではないと思い直すことにして、自分を納得させた。

 集合してきた連中のなかに、一人の老人が見えた。なにやら項梁相手に早速献言しているようである。
「楚は三戸といえども、秦を滅ぼすは必ず楚なり(たとえ楚が戦いに敗れ、家が三軒だけになったとしても、それでも秦を滅ぼすものは楚人であろう)」
「陳勝の失敗は、旧楚の王家の子孫をたてずに自ら王になったことである」
「諸将がみな君(項梁のこと)に従っているのは、君の家が代々楚の将軍であり、きっと楚王の子孫をたてると思っているからだ」

 韓信は離れたところから聞き耳をたて、
――何を言いやがる。
 と思ったが、この人物こそが范増(はんぞう)であった。
 七十くらいの老人であったが、国の乱れを憂いてわざわざ居巣(きょそう)(地名)の山奥から出てきたらしい。この范増が項羽から亜父(あほ)(父に次ぐ者)と呼ばれ、その策士として活躍することになるのだが、このときはまだ誰もそのことは知らない。

 また、ひどく風変わりな一団もいた。
 その一団の中央にいる男は、背が高く、髭も長い。頭の上の冠は他の者のそれと違い、やたらに艶があった。

――あの冠は、竹だろうか。
 韓信は最初はそのつやつやした冠に目を引かれたのだが、よく見ると髪や髭も黒々として光っている。そればかりか、髭のなかに見え隠れする唇も濡れて光っているようで、とても下品な印象を受けた。
 常に微笑を浮かべてはいたが、それも長者らしい微笑ではなく、欲が見え隠れするような、いやらしいそれだった。要するに、にたにたしているように見えたのである。

――あれでも、将軍だろうか。
 韓信の目には、その男は盗賊か任侠の親玉にしか映らなかった。
 その男のまわりにいる連中も、武将というよりは力自慢の用心棒のような男ばかりで、どう見ても軍組織とは思えない。

 韓信は逆に興味を引かれ、傍らにいた雑兵の一人に尋ねた。
「あの一団は、どういう連中であろう。知っているか」
 雑兵の男は答えた。
「ああ、あの連中……。中央にいるのが、沛公(はいこう)だ。本名は劉邦というらしい。まわりにいるのは取巻き連中で、右から葬式屋あがりの周勃(しゅうぼつ)、犬の屠殺人の樊噲(はんかい)、御者の夏侯嬰(かこうえい)、沛公と同年同日に生まれた幼友達の盧綰(ろわん)。どの男も旗揚げ以来の仲間らしい」
 韓信はさらに尋ねた。
「強い軍なのだろうか」

 その雑兵は、おかしさをこらえるように言った。
「五回戦えば四回は負ける軍らしい。そして沛公は負けるたびに項梁どのに兵を借りに現れる、とのことだ。……しかし、その一方で沛公の軍は意外に居心地がいいらしい、という話も聞く。なんでも沛公の軍には……ここにはいないようだが、蕭何(しょうか)という文治に長けた者がいて、その者のおかげで兵士は食うに困らないそうだ」

 このときの劉邦の軍は、弱いと言って差し支えなかった。弱いくせに滅びもせずに生きながらえているのは何故だろう、と韓信は不思議に思ったが、考えて答えが出るものでもない。いずれ劉邦についても深く知り得るときが来るだろう、と考え、その場を離れた。

 間もなく、別の軍勢が目の前に現れた。
 韓信は、その頭目の男を見るのは初めてだったが、それはひと目見ただけでも忘れられないような、きわめて強い印象を持つ男だった。

――異形だ。
 力士のような恰幅、丸太のような太腕、それにもまして目を奪うのはその顔であった。
 顔中に刻まれた刺青は、かつて刑罰を受けた者のしるしであった。
黥布(げいふ)
 その男は、そう呼ばれていたが本名は英布という。

 黥という一文字で顔に刺青を刻む刑罰のことを指す。しかし黥という刑は中国古来から伝わる「五刑」のうち最も軽い刑だったので、この当時顔に刺青がある人物は、そう珍しくない。

 五刑は罪状の軽いものから、黥(墨・いれずみ)、劓(鼻そぎ)、剕(臏・足斬り)、宮(去勢)、大辟(死刑)とされ、「黥」以外はどれも凄まじい刑罰である。「劓」や「剕」に比べれば、「黥」はほんの軽い刑罰に過ぎないので、あるいは黥布のような男にとっては、さりげなく自分が無法者であることを主張するのにちょうど良かったのかもしれない。

 若い時分、ある旅人に英布は人相を見てもらったことがある。その旅人は英布を見て、
「刑罰を受けるが、王となるだろう」
と評した。
 成人した英布は、まさしく法に触れることとなり黥刑に処されたが、そんないきさつもあり、当人はこれを喜んだという。そしてその時点で自分のことを黥布と称するようになった。
 懲役先の麗山陵の囚人仲間を煽動して脱走した黥布は、陳勝の挙兵に応じて自らも兵を挙げる。本気で王になるつもりであった。やがて黥布は項梁の配下となり、景駒、秦嘉らの軍を攻撃したときなども常に先鋒の役目を果たし、楚軍で第一の手柄を立てた。武勲では項羽と並び称されるほどの男となったのである。

――外見も、生きざまも、恐ろしい男よ。
 周囲の雑兵たちから黥布にまつわる話を聞いた韓信はそう思った。釣りをして生計を立てていた自分とは、生きる世界が違う、と思わざるを得ない。

――あれくらいの迫力がなくては、人を率いることは無理なのであろうか。
 自信を喪失しかけたとき、その黥布となごやかに談笑している男が韓信の視界に入った。

「……眛!」
 黥布と話しているその男が鍾離眛であったことは、韓信に相当な衝撃を与えた。その様子からいって黥布と対等の立場であることは明らかで、これは鍾離眛が項梁配下の将軍になったことを意味した。以前の美童の面影を残しつつ、風格を加えたその外見は、どこか危うさを含んでいるようであり、近寄り難さを感じる。

――眛……将になったか。皮肉なものだな。かつて将になると言った私は兵の身分に甘んじているのに、兵になると言った眛は将の地位に……皮肉、皮肉!
 韓信に羨望の思いがなかったかといえば、嘘になる。このとき確かに韓信は、自分と鍾離眛の覇気の違いというものを意識した。

 眛にはおめでとう、とでも言うべきであろうか。しかし、あまりの二人の間の身分の違いに韓信は恥ずかしくなり、できることなら気付かれないうちにこの場を去りたい、と思った。
 が、不幸にも目が合ってしまった。

「信……?」
 気付いて近寄ってきた鍾離眛に向かって、韓信は貴人に対するように、うやうやしく頭を地面に擦り付け、ぬかずいた。いわゆる頓首の礼である。
 鍾離眛はきまりの悪そうな顔をして言った。
「そんな真似はよせ。私と君の仲ではないか」
 韓信は他者に聞こえないよう、小声で答えた。
「わかっている。が、人が見ている。雑兵に過ぎない私が君と対等に話をして、君の格を下げることはできない」
「そうか……ならば他の場所で話そう」

 二人は他人に見られない場所に移動し、栽荘先生が亡くなったことや、戦況の様子などを話した。それによると黥布の能力をいち早く発見し、彼を説得して項梁配下に連れてきたのは鍾離眛自身だという。黥布と鍾離眛は友軍の将の間柄であった。

「眛、出世したな。私などは及びようもない。私には今の君が眩しく見える」
「……信、君が望むなら、黥布と同じように君のことを推挙してやってもいい。私の言うことなら、項梁どのは聞いてくださる。……君は武芸にも練達しているし、頭もいい。充分将軍としてやっていける」
「…………」

 なにも言わない韓信を見て、鍾離眛はあきれたように言った。
「君がそうやってだんまりを決め込むときは、私の意見に賛成しないときだ。推挙されるのは嫌か。まあいい……それならもちろん私の下で軍務を勤める気もないであろうな」
 韓信は頷いた。
「……人に借りを作るのは、あまり好まない。眛、君の気持ちはありがたいが遠慮しておく。私は私なりにこの乱世を渡り歩いていくつもりだ」

 鍾離眛は、そうか、と言ってそれ以上勧めはしなかった。
「それならそれでいい。しかし、私が言うのも何だが、天下はまだまだ安定しないだろう。昨日まで味方だった者が、今日になってみると敵、ということもざらにある世の中だ。あるいは、私と君が敵対することもあるかもしれん。その時になってからでは、私は君を助けることはできないぞ」

 韓信は少し気分を害した。幼少の頃から、常に眛は韓信を弟分のように扱う。今も言葉の端にそれが見えたからである。
「眛、君と私が敵対したときに助ける立場にあるのは私の方かもしれぬ。しかも私は君を助けるとは限らない。斬らねばならぬ時は、たとえ相手が君であろうとも……私は君を斬る」

 韓信の言葉は挑発的なものであったが、鍾離眛に動じた気配はない。一足早く乱世に足を踏み入れた者の余裕であった。
「当然だ。それはこの時代の武人のあるべき姿だ。……信、君は幼少の頃から私より剣技に長じ、兵法を学んでも君の方が常に上だったな! しかし、それでも……ふふふ、私は君に負けるとは思わない」
「なぜだ」
 鍾離眛は韓信の目を見据えて言った。
「信、君は私を斬れない。技術の問題ではなく、気持ちの問題だ。自分でもわかっているだろう」
 鍾離眛は、韓信の肩を叩いて晴れやかな表情を浮かべつつ去っていった。

 二人の運命は、まだ先が見えない。

         二

 薛に集結した諸将を前に、項梁は今後の方針を示した。ひとつには、陳勝亡き後の象徴的存在を決めなければならない。つまりはあらためて楚王を擁立しよう、というわけである。

「王は、その系譜を継ぐ者でなければならない」
 という范増の意見を尊重した項梁は、めざとく旧楚の王孫を探し出した。
 熊心(ようしん)という名のその若者は、人に雇われて羊飼いの仕事をしていたが、担ぎだされて王となり、祖父と同じ名を継いで「懐王」と名乗った。そして懐王は都を盱眙(くい)と定め、そこを居城とした。

 項梁自身は、武信君を称した。
 「君」とは尊称であり、官職名ではない。あえて項梁が官職に就かず、君を称して国政の枠外に身を置いたのには理由がないわけではなかった。
 王を擁立するに伴って、旧楚のもと貴族の者どもがまるで付録のようについてきたからである。
 もとの楚の令尹(れいいん)である宋義などはその代表的人物で、同じ旧楚の貴族とはいっても、項梁とは格が違う。令尹とは宰相の楚独特の呼称なのである。

――こいつは、食わせ者だ。
 韓信は宋義を見て、危惧を抱いた。
 本当に楚の復興を願っている者であれば、この時期まで市井に隠れていることはない。旧楚の令尹という立場をもってすれば充分に兵を集めることは可能なのに、あえて今までそれをせず、王が擁立された時期を見計らって姿を現したのは、いかにも胡散臭い。権力の臭いのするところに集まる政治屋だと韓信は感じた。それも寝業師の類いである。
――うかうかしていると項梁はその座を追われることになる。まあ、それはそれで構わないことだが……。

 韓信の心配は項梁も同様に感じていたようで、以後宋義は前線に置かれることとなる。懐王のもとに置くことで、彼らが結託しないよう配慮したのだった。

 項梁はその後山東半島に出兵した。亢父(こうほ)を攻めた後、東阿(とうあ)に向かう。この出兵に韓信も同行した。東阿には斉の田栄が籠城しており、これを救出しようという作戦である。
 斉に恩を売り、楚の優位を保とうとする項梁の策略であった。

 章邯の指揮下にある秦軍を破るのはたやすいことではなかったが、作戦はどうにか成功した。が、その後が思うままにならない。項梁の腹づもりでは、東阿を解放した後、田栄率いる斉の兵をあわせ、楚・斉連合軍として西方の秦の中心部に進撃したかったのだが、田栄は籠城生活から解放されると、そのまま自国の斉へ舞い戻ってしまった。
「助けてやったのに、なんという奴だ。不義とはこのことよ」

 田栄が国へ戻ったのは、自分が留守にしている間に、斉国内に新政権が樹立されていたことによる。戦死した田儋とともに建国に努力し、ともに前線で戦ってきたという自負のある田栄としてはおもしろくない。
 田儋の替わりに王となったのは田仮、宰相に田角、将軍に田間、という人物たちで、いずれも田栄の遠縁にあたる者たちだったが、どれも戦国時代の旧斉の王族に自分よりも近い人物である。これも田栄にとっては気に入らなかった。田儋系の自分たちが実権を握るためには、先にこれらの者を滅ぼしておくべきだった、と後悔したのである。

 かくて田栄は項梁の出兵依頼を無視し、同族である田仮らを討ち取りにかかった。
 この結果、田仮は楚に亡命し、田角は趙に亡命した。田角の弟田間はこれより前、趙に救援を頼みに訪れていたが、帰る時機を失してそのまま趙に滞在した。
 田栄は斉国内を平定し、田儋の子、田市(でんし)を擁立して王とし、自らは宰相となった。

 項梁は章邯が勢いを取り戻すのを恐れ、何度も出兵を要請したが、田栄の答えは次のようであった。
「楚に逃げ込んだ田仮を楚が殺せば。趙に逃げ込んだ田角、田間を趙が殺せば。それから考えよう」

 もちろん田栄の要求は受け入れられなかった。楚も趙も斉と取引しようとはせず、田栄は周囲の者に毒づいたという。
「まむしに手を噛まれたときは、手を切り落とす。足を噛まれたときは足を切り落とすものだ。何故だかわかるか。体全体に毒が回るのを防ぐためだ。田仮、田角、田間などを生かしておけば、毒は楚や趙の国中に回る。手足どころではない。なぜか。彼らを匿う限り、わしが出兵することはない。その結果、楚や趙は章邯の思うがままにされるからだ。そのうち彼らは秦に盛り返され、先祖の墓まであばかれることだろう」
 項梁は斉の参戦を諦めた。軍に同行し、事情を知り得た韓信は考える。
――楚や趙の判断はおそらく正しい。彼らは田仮や田角を匿う毒よりも、田栄の毒を恐れたのだ……あの凄まじい性格であれば、長く友軍として戦える相手とは思えない。田栄の一族が存命な限り、諸国の思惑は一致しないだろう……。
 そして、こうも考えた。
――斉は滅ぼすべきだ。

 韓信は思ったが、将来斉を滅ぼすのが自分であることまでは、この時点で想像できなかった。

         三

 田栄の協力は得られないものの、項梁の戦略はこのところうまく運んでいる。東阿を陥とし、章邯を追う本隊とは別に、項羽、劉邦に別働隊を授け、成陽という地を攻めてこれを陥した。そこから西に進軍させて、秦軍を濮陽の地で破らしめた。項羽と劉邦はさらに西へ進み、雝丘で太守の李由を斬った。
 李由は三川郡の太守で、陳勝・呉広の軍から要衝である滎陽を守り通した男で、宰相李斯の長子である。

 このとき定陶という地で秦軍を破ったばかりの項梁は、李由の死を聞き、喜んだ。傍目にもその浮かれ具合がわかるくらいで、軍に同行させられていた宋義が諌めたくらいである。
「勝ちに乗じて、士卒のみならず将が驕っているようでは、失敗のもととなります。今、秦の兵は徐々に増えつつあるなかで、武信君がそのようでは心配でなりません」

 正論である。が、項梁としては宋義のような男が忠臣づらをして正論を吐くのがうるさく感じた。誰が、おまえの言うことを聞くものか、と思ったに違いない。
 項梁の心の底にある宋義に対する劣等感がそう思わせたのだろう。

 項梁は宋義を使者として斉に送った。斉の田栄は協力しないに違いないが、敵に回すわけにはいかなかったので、定期的に使者を送り、関係を保つためである。表面的にはそれが理由だが、実際は任務にかこつけて体よく目障りな男を追い払ってしまおう、という腹だった。

 一方この時、秦の宮廷では趙高の専横がますます激しく、それがもとで宰相の李斯が刑死させられている。
 罪状は滎陽を守備していた長男の李由と結託し、楚と内通して秦を転覆しようとはかった罪である。もちろんそのような事実はなく、無実の罪で投獄され、拷問に屈した李斯自身の嘘の自白が容疑の出所であった。

 李斯は刑場で五刑のすべてを受け、死ぬ間際に傍らの次男に語ったという。
「いつかまたお前と一緒に、昔のように兎狩りでもしたいと思っていたが、もはや叶わぬ夢だ……」

 建国の臣の理不尽な死は、秦帝国のその後の運命を象徴しているかのようであった。

 宋義という男の周辺には関中のこうした事件のいちいちを知らせてくれる者はいなかったが、長年の政治的経験によって得られた勘と言うべきだろうか、秦の国情が荒れていることが肌でわかったようである。

――国にしても、人にしても死ぬ前には痙攣するものだ。
 宋義には、まるで秦の断末魔の叫びが聞こえていたようで、彼はそれに巻き込まれないようにする思案を巡らせていた。
 彼にとって重要なのは、戦いの後に生き残って国を動かす立場として存在していることであり、戦い自体に興味があるわけではなかった。そのため保身には人一倍敏感である。
――項梁は体よくわしを追い払ったと思っているだろうが、まだ章邯の軍は健在だ……章邯の最後の一太刀は項梁に向けられるだろう。……その場にいなくてすむのはもっけの幸いというべきだ。

 斉へ向かう道中で、反対に斉から楚に向かう使者と偶然に行き当たった。
「武信君(項梁)に会いに行かれるのなら、道を急がれるな。急ぐと戦乱に巻き込まれます。……武信君は戦乱の中で、敗死するでしょう」

 宋義に言われた斉の使者は、その言葉どおり歩を緩めた。そして使者は宋義の言葉が正しかったことをあとになって知るのである。

 いっぽう宋義は悠々と斉へ歩を進め、そこで彼独特の処世術を披露することとなる。

         四

 項梁のそばに仕えていた韓信には、軍の緊張感が弛緩しているのが、よくわかった。定陶のある富豪の屋敷を接収して夜毎酒宴に耽る項梁を見るにつけ、韓信は思う。

――人は、こうした快楽を得るために、戦うのだろうか。だとすれば付き合わされるのは、馬鹿馬鹿しいことだ。
 志願して兵となった自分ですらそう思うのだから、巻き込まれる住民の思いがそれに数倍することは、想像に難くない。

――しょせん、こいつは貴族だ。民の代表ではない。
 韓信はこれ以降、項梁に対しては面従腹背の態度で臨もうと決めた。酒に酔い、うたた寝を決め込む項梁のそばにいるのに嫌気がさす。
 韓信はその場をはなれ、外に出て警護の連中の仲間に入った。その方が緊張感が保たれると思ったからである。

――いざとなると、尊敬できる良き上役とは巡り会えないものだ。
 嘆息しながら小一時間ほどが過ぎた。屋敷のなかは宴会騒ぎも終わったようで、あたりを静寂が包み込んだ。

 その日は曇天で、月や星は見えず、屋敷の明かり以外は目に見えるものがなかった。暗闇と静寂……嫌な予感がした。

 ふいに隣の兵士が音をたてて倒れた。
 驚いた韓信が振り返ると、喉元に深々と矢が突き刺さっている。
「敵だ!」
 しかし、構える間もなかった。その一矢を合図に、黒い甲冑を身にまとい、夜陰に紛れた秦兵たちが、なだれを打って突入してきた。屋敷の警護などしている余裕はない。韓信は他の兵と同様、一目散に逃走した。

「雑兵に構うな。逃げる者は捨て置け。目標を見失うな」
 指揮官の号令のもと、火矢が放たれた。屋敷はあっという間に炎上し、中にいた者たちは逃げ遅れて焼死するか、慌てて外に飛び出したところを秦兵に討たれるかのどちらかだった。

 寝所で女を抱いていた項梁は、長年にわたって築き上げてきた野望の成就への道をあっさり断たれ、逃げ遅れて焼け死んでしまった。

 項梁を失い、四散した楚軍は抵抗を試みる余裕さえない。韓信などは一気に城壁まで走り、無謀にもそれをよじ登ろうと、もがいた。どこからそんな力が出るのか、指先を固い城壁に何度も突き刺し、必死の思いをしたあげく、登り切ることができた。
 城壁の上からは秦軍の様子が遠目に見てとれる。その中に自ら先頭に立って、しきりに兵を指揮している男が見えた。
 秦兵の様子から、その男が何者であるかが韓信にはわかった。
――あれが……章邯!

 韓信には章邯が乱世の屈強な武人には見えなかった。しかしもの静かに敵を討ち取って行くその態度に、よけい恐怖を覚える。
 韓信は城壁をおりて逃げれば安全だと思いながらも、目を離すことができない。
 章邯の前に焼けこげた項梁の首が届けられた。見るも無惨な上官の姿……。
 韓信は項梁を尊敬していたわけではなかったが、目を背けざるを得なかった。

 いっぽう章邯は項梁の首を悠然と眺めると、たいした感傷も示さずに演説を始めた。

「諸君! ……我が軍は国を守る目的で編成された」
 兵たちから、おう! という雄叫びが発せられる。

「よって義は我が軍にあり、我が軍の前に立ちはだかる者は、賊である」
 またしても兵たちの声が上がる。

「賊は誅罰されるものであり、討つにあたって我々は礼儀など必要としない。ただ、殺せばよいのだ」

――我々は、賊か……。
 韓信は反論したい衝動に駆られたが、まさかこの状況でそうするわけにはいかない。城壁の上で小さくなって聞いているだけだった。

「古来より戦争を美化し、互いに名乗りを上げて雄々しく戦うことが理想とされているが、今の我々の敵は、賊である。罪人だ! 罪人を捕らえるにあたっては、夜襲も不意打ちも、あるいは暗殺も恥とはならない」

「今、首だけになってここに転がっている項梁なども、賊の類いである。見よ、我々は賊の頭目をひとり討ち取った。これこそ正義の証である」
 ここで章邯は項梁の首を手に取り、たかだかと掲げ上げると、兵士たちの感情は頂点に達した。

「大秦万歳!」
 兵たちの合唱が起こった。韓信はいたたまれなくなった。

 背中に冷や汗が流れる。

「罪人項梁を撃ち殺したことで楚は当分おとなしくなるだろう。そこで諸君、我々の次の目標は、北だ! 北上して、趙を討つ!」
 踵を返した章邯に興奮した秦兵たちが従い、去って行った。
 これにより韓信は生き残ることができた。

 章邯の迫力に呆然とし、城壁の上でたたずむうちに、指先の痛みを感じた。見ると両手の人差し指の爪がどちらとも剥がれている。
 指先にまとわりつく血は、戦地につきものの死を連想させた。
――恐ろしい。
 現実に戻った韓信は、思い切って城壁から飛び降り、ひたすら走って定陶の地をあとにした。

         五

 北上する章邯のもとへ、ひとりの武将が兵を引き連れて合流を果たした。趙の将軍の李良という男である。

 李良はもともと秦の将官であったが、このときは趙王武臣の命により、隣国の燕や代の地を制圧するべく奮闘していた。周囲の者の中には彼の前身からその忠誠を疑う者も多くいたが、李良には秦へ帰順する気など微塵もない。
 このときも秦軍から、戻ってくれば優遇する旨の書状を受け取っていたが、彼はそれを意にも介さなかった。
 李良は秦の勧誘の書状を突っぱね、兵の増強を求めようと趙の首都邯鄲へ向かおうとしたが、その途上で豪勢な車馬を連ねた行列に遭遇した。彼はこれをてっきり趙王武臣の車列だと思い込み、道ばたにひれ伏して挨拶した。しかし……
 それは武臣ではなく、武臣の姉が物見遊山に出かける車列であった。

 酒に酔った武臣の姉は李良に対して、挨拶が不十分だと罵り始めた。
 自分が戦地で死ぬ思いをしているときに物見遊山などしていることだけでも腹が立つのに、愚弄されるとは、李良にとって思いもしないことだったろう。
 やりきれない思いを我慢しきれなくなった李良は、意を決して武臣の姉を殺し、その足で邯鄲に突入して趙王武臣を殺害した。秦に帰順することに決めたのである。

 しかし趙側もやられてばかりではない。大臣の張耳は、すばやく旧王族につながる趙歇(ちょうけつ)という人物を探し出し、武臣のあとに据えて王とした。さらに弟分の陳余に命じて李良を討伐させ、これを敗走させた。

 そして敗れた李良がたどり着いたのが、章邯の軍である。

 章邯は李良を援助する形で邯鄲を襲撃し、城壁を破壊しつくし、住民は強制的に移住させた。趙王歇と張耳は北方の鉅鹿城に逃げたが、そこも秦軍に包囲され、攻撃され続けた。
 鉅鹿の城内は食料が底をつき、餓死者で埋め尽くされていったという。

 いっぽう楚では、項梁の死に事態の緊迫を感じた懐王が、都を盱眙から彭城に移し、そこに全将兵を集めた。御前会議の開催である。
「我が軍が武信君を失ったことは痛恨の極みであるが、もともと楚は彼ひとりのものではあらず、()(王の一人称)が存命な限り、楚は安泰である」

――懐王の精一杯の自己主張だ。
 修羅場の定陶から逃れて会議の末席に座を置いた韓信がそう感じたのは、皮肉からではない。懐王が傀儡であることは楚兵の共通の認識であり、その認識の外にあるのは懐王本人だけであった。

 懐王の言葉は続く。
「いま秦軍は趙の鉅鹿城を包囲し、わが楚にも救援の依頼が来ている。趙は秦を打倒するという目的をともにする同志であり、余としては無視することもできない。よって趙を救うべく、我が軍隊の主力をもってあたろうと考えている」

 一座がざわめいた。ついに章邯と雌雄を決するときがきた。それを千載一遇の機会と考えるか、無謀な暴挙と考えるかは個人の考え方次第である。
「静まれ。余の話はまだ終わりではない。……窮乏している趙には気の毒だが、趙を救援する我が国の部隊は、実は囮である。主力を囮とするあたりがこの作戦の妙だ」

 会議の座はいっそう騒がしくなった。将官たちがけげんそうな表情を見せるのが悦にいったらしく、懐王はさも嬉しそうな顔をした。
「趙へ向かう主力軍とは別に一隊を編成し、西進して函谷関を抜く。秦の主力が趙に向いている今であれば、必ずや成功する作戦であろう」
 さらに懐王は語を継いだ。
「真っ先に函谷関を抜き、関中の地を平定した者を関中王とする」

――これは、別働隊の将を王とするということだろうか。ならば誰しも趙へ遠征などしたがらないだろう。
 韓信はそう思ったが、別働隊は主力ではないのだから兵力も劣ることを考えると、函谷関にたどり着く前に殲滅する可能性もないとはいえない。
 そこまでいかずとも、別働隊が苦戦する間に兵力の充実した主力軍が趙を平定し、西進すれば先に関中にたどり着くことも可能である。
 そう考えれば、懐王は傀儡と言われながら、絶妙な作戦を思いついたものだ、と思われた。

 問題は誰が主力を率い、誰が別働隊を率いるかである。将官連中が等しく固唾を飲みながら、任命のときを待った。

 懐王はまず主力軍の大将を任じた。
「宋義!」
――あんな太鼓腹の男に軍の指揮などまかせて大丈夫なのか。

 そんな韓信の思いとはよそに、懐王は任命を続ける。
「副将は、項羽。末将は范増」

 将官たちのため息をよそに、任命は続けられた。
「別働隊の将には、劉邦を任ずる」
――なるほど。たしかに主力ではない。

 韓信は合点がいった。

関中へ

         一

 宋義率いる楚の主力軍は「卿子冠軍(けいしかんぐん)」と称され、趙に遠征することとなる。
 このときに韓信は項羽のもとへ配属となったが、その地位は郎中という警備役に過ぎなかった。

――俸禄は多少もらえる。我慢すべきだ。
 自分にそう言い聞かせ、心中にわだかまる不満は外に漏らさないようにした。
 というのも、それなりの役得があるからである。
 韓信は貴人の護衛を理由に項羽の周辺に常にいることを許された。身分は低く、よほどのことがなければ発言も許されないが、軍の中枢部に近いところにいれば、なにか得るところもあるに違いない、そう思えたのである。

 しかし、このときの項羽は近づけないほど荒れ狂っていた。

「なぜだ! なぜわしが関中に向かうことを許さぬのだ!」
 項羽は怒り、周囲の者はひれ伏して「まあまあ」などと言いつつ、なだめるしかない。

――近侍の者に責任があるわけでもあるまい。不満があるのなら懐王に直接言えばいいのだ。
 韓信は少し離れたところにいるからこそ、そう思える。これが項羽の怒気の飛沫を浴びる距離にいたら、やはりひれ伏すしかなかっただろう。

 項羽はさらに吠えた。
「いくさ下手の劉邦などが関中にたどり着けるわけがない。そうなればこの作戦自体が失敗だ。このわしが行けばあっという間にことはおさまる。それなのになぜ懐王はわしではなく劉邦を選んだのか!」

 項羽という男にとって、世の中は敵か味方かしかなかった。敵に従うものはどういう事情があろうとも、すべて敵であり、中間は存在しない。襄城の一件がいい例であった。城中の市民は「襄城に住んでいる」という理由だけで敵とみなされ、項羽によって兵もろとも生き埋めにされたのである。
 懐王は項羽のそのような残忍さを嫌い、その結果、このような人事になったようである。

 韓信は思う。
――項羽という人は、己の感情で世界を支配しようとしているかのようだ。好きか嫌いかで敵味方を判別しようとする態度は……実にわかりやすい。欠点は多いが……政治的ないやらしさがないことだけは事実だ。
――そして、その対極にいるのが、宋義だ。彼を大将に据えるとは、懐王はよほど項羽が嫌いらしい……。

 宋義は名家の出とはいっても、基本的に文官であり、軍の指揮などは経験したことはない。それをあえて大将に任じたのは、明らかに項羽に対する当てつけであった。

 かつて懐王は斉からの使者に次のように言われたことがあった。
「宋義どのは武信君の軍が敗れることを私にほのめかしておりました。私はそのときは半信半疑でありましたが、数日するとはたしてその通りになりました。戦わぬうちから敗れるとわかるとは、兵法を知った者のなせる業でございましょう」

 しかし、それを頭から信じるほど、懐王は馬鹿ではない。
 懐王にとって趙を救援することは擬態であり、極言すれば戦う必要はなく、そのふりをすればいいだけなのである。よって宋義でもその任に堪えると思ったのであった。

 よって、宋義にはせいぜい行軍に時間を割き、戦況が決したころに鉅鹿に到達するように言い含めた。
「劉邦などは関中王の位を与えてやっても、余は御していく自信がある……。しかし項羽がそうなっては、手が付けられない。宋義、これは内密だが、軍中で項羽が不穏な動きを見せたら、口実を見つけて処断せよ。よいな」
「……わかりました。きっと、そのように」

         二

――遅すぎる。
 韓信は卿子冠軍の行軍の遅さが気になってならない。趙の窮乏は急を要しているのに、早く行って助けたいという気持ちがまったく無いかのようであった。
 さすがに懐王が宋義に命じてわざと行軍を遅滞させていたとは気付かず、ひとりひそかに懸念を抱いていたところ、安陽に到着した時点でついに軍はその歩みを止めてしまった。

――なにかある。いや、……この作戦自体に裏の目的があるに違いない。
 思い切って韓信は項羽に直言しようと考えてそばに寄った。
 というのも、この日の項羽は上機嫌だと人づてに聞いたからである。

「お前はおとなしそうな顔の割に、たいそうな剣を携えているな」
 だしぬけに項羽から声をかけられた韓信は返事のしようもなく、
「はぁ……。よく言われます」
 とだけ答えた。項羽を信奉する者ならば、声をかけられただけでも泣いて喜ぶべきであったが、特別そのような感情を持っていない韓信には喜ぶ理由はなく、表情も変えなかった。
 項羽はそれが気に入らなかったようで、急にぶっきらぼうな態度をとったという。
「なにか用か。わしは忙しい。言いたいことがあるなら早く申せ」

 韓信は、
「失礼ながら、お耳に入れたいことが」
 と話を切り出した。
「それはわかっている。早く申せと言っているのだ」
 項羽はいらだち始めた。韓信はそれを気にしないように努力し、話を進める。

「では……趙では一刻も早い救援を望んでいると思われますが、我が軍の進軍速度ははなはだ緩く、今に至っては完全に停まってしまいました。これは上将軍の宋義どのになにかの思惑があることに原因があると存じます」

 項羽はこれを聞き、
「なにかの思惑といえば……作戦であろう。それともお前は宋義に邪心でもあると言っているのか?」
 と宋義を弁護するような言い方をした。

「確証はございませんが……。その可能性はあると考えています。もしそうでなくとも、こうしている間に沛公の軍は関中に迫り、我が軍は遅れをとります。宋義どのに対処を迫ったほうがよろしいかと」
 韓信は決して項羽に関中王になってほしいわけではなかったが、本意でないことを言うことも仕方のないことだと思い、そう話した。

「なるほど……。それは確かにそうだ。明日、宋義に会って確かめてみよう」

 実は韓信は項羽の性格であれば、即座に宋義を討ち、上将軍の位を奪おうとするものと考えていた。
 しかし項羽は存外謹み深く、過激な行動をとろうとはしなかったのである。
――家格に対する貴族の本能的な遠慮か……。しょせんは項羽も貴族、ということか。しかし、これ以上言ってやる義理は私にはない。

 翌日。
 項羽は宋義のもとに参上し、柄に合わないような丁寧な口調で宋義に問いただした。
「秦が趙王を鉅鹿に囲んでいること久しいが、早めに兵を率いて黄河を渡り、外より楚が、内より趙が秦軍を挟むようにして戦えば、きっとこれを破れると思われる。如何」

 気性の荒い項羽としては充分すぎるほど慎み深く、上官をたてて物を言ったことは確かである。しかし、これを見越した宋義は項羽の献策を以下のように却下した。

「例えば手で牛を打ったとしても、表面の虻は殺せるが、毛の中の(しらみ)は殺せない。勝負を焦るあまり、大局を見ないようでは、蚊や虻を殺すことと同じなのだ。つまり、今秦は趙を攻めているが、秦が趙に勝ったとしてもその軍は疲弊する。我々はその疲れに乗じればよいのだ。秦が負けた場合はなおさらである。よって得策なのは秦と趙を戦わすことである」

――それでは事実上趙を見殺しにしろ、ということではないか。
 項羽は思ったが、口にできない。このあたり韓信の項羽に対する評価は正しいものであった。
 押し黙る項羽に対し、宋義は自分の優位を主張した。
「わしは鎧をつけて戦場で戦うことは、君には及ばないが、策略をめぐらすことでは君はわしに及ばない」

 余裕の発言だった。項羽は宋義の権威にうちのめされ、なにも言えずに退出した。

 項羽は、宋義の言うことが本当に正しいのか、まじめに考えた。そんな様子を見て宋義は項羽に対して韓信と同じような感想を持ったようだった。
 自分に対しなにも言えない項羽の弱みにつけ込み、楚軍の中での勢力を打ち消そうと考えたのである。このあたりの宋義は、いかにも老練な政治家らしい。
 宋義は軍中に触れを出し、
「虎のように獰猛、羊のように言うことを聞かず、狼のように欲深な者は、みなこれを斬る(猛きこと虎のごとく、(もと)ること羊のごとく、貪ること狼のごとくは、皆之を斬る)」と記した。
 名こそ出していないが、明確に項羽を示したものである。

 しかし項羽はそれでも我慢し続けた。

         三

 滞陣は四十日を超え、士卒の士気が萎え始め、軍糧も底をつき始めていた。おまけに冷たい雨が降る季節となり、兵たちは凍え始めた。
 陣中の誰もが不信を募らせ始めた頃、宋義はようやく行動を開始した。

 ついに軍を動かした、のではない。
 宋義は懐王から行軍を遅らせる命を受けたのをいいことに、その時間を利用して斉を相手に政治的遊戯に興じていた。自ら率いる卿子冠軍は、その道づれである。

 宋義はこの卿子冠軍に息子の宋襄(そうじょう)を同行させていたが、この息子を斉の宰相にするべく、自ら無塩(ぶえん)という地まで見送りに行った。ひと月以上も軍を留め、わざわざこの時機に送り出したのは、斉側の準備に時間がかかったからだろう。無塩で別れの大酒宴会を開いた宋義が、悠々と戻ってきたのには韓信もあきれた。

 しかし次将として軍に責任をもつ項羽としては、「あきれる」のひと言で済ませられようはずがなく、烈火の如く怒り、翌朝になって猛烈な勢いで宋義の幕中に飛び込んだ。
「士卒は飢え凍えているというのに、貴様は酒宴などを開き、趙と力を合わせて秦を攻めようともせず、秦の疲れに乗ずるという。秦軍の強さで建国間もない趙を攻めたら、趙が敗れることは必定、趙が敗れれば秦が強くなるだけである。なにが疲れに乗ずるだ! まして国家の危急時に子の私情に溺れるとは社稷の臣に非ず」

 項羽は斬りかかり、宋義は逃れながらも必死に反論する。
「楚と斉の間は、今良好とは言えず、一本の細い糸でかろうじてつながっているようなものだ。その糸をわしが太くしてやったことが、わからんのか。貴様のように戦うしか頭にない男に政略というものが理解できるはずがあるまい」

 項羽は頭に血が上った。目尻から血が噴き出さんばかりの形相で宋義を睨みつけると、
「今、問題にしているのは斉ではなく、趙だ。貴様の言うのは詭弁である」
と言って、ついに斬り捨てた。そして宋義の子の襄を追い、斉の地に入ったところでこれも殺した。
 安陽に滞陣すること四十六日めのことであった。

 懐王はこれを伝え聞き、
――宋義の愚か者め。だから早めに処断せよ、と言ったのだ。
 と内心で愚痴をこぼした。
 しかし、こうなってはほかにとるべき道はなく、あらためて項羽を上将軍に任命し、宋義の下においた軍を項羽の下に再配置した。
 これによりやっと楚軍は進撃を開始したが、遅れは取り戻せそうになく、関中王の座は劉邦に奪われることを覚悟せざるを得なかった。

         四

 籠城戦は救援の見込みがあってこそ成り立つ戦法であり、籠城していた側の張耳としても、見込みがなかったわけではない。
 ともに刎頸(ふんけい)の交わりを結んだ弟分の陳余は、北方で兵を集め数万の兵を引き連れて鉅鹿の北に陣していたし、燕・斉・楚にも救援の依頼はしてあった。
 しかし、他国の軍が到達するより前に、真っ先に動くべきの陳余が動こうとしない。頭にきた張耳は使者をやって陳余をなじらせたが、陳余は動かず、わずかに五千人の兵をその使者に与えることしかしなかった。
 その五千人も秦軍の前にあえなく全滅し、これによっていよいよ秦軍を警戒した陳余は陣を構えるばかりで、まるで動こうとしなくなった。諸国の軍もぽつりぽつりと到達してきているが、どれも陳余にならって見物しているだけである。
 こうして鉅鹿は完全な孤城となった。

 そこへ黥布と鍾離眛に率いられた二万の楚軍が現れた。籠城中の趙軍は歓喜に沸いたが、これでようやく秦軍と互角程度に戦えるくらいである。それまで高みの見物を決め込んでいた陳余は使者を通じて楚軍へさらなる援軍を要請し、項羽はそれを受けてついに自ら軍勢を率い、鉅鹿に乗り込んだ。

 出陣にあたって項羽は士卒たちが全員川を渡り終えると、船をすべて沈めてしまった。
 また、作戦前の最後の食事をとり終えると、煮炊き用の釜をすべて打ち壊した。
 どちらの行為も「死ぬまで戦う」という意思を劇的に示したものであった。死を決意した者にとって、帰るための船は必要なく、二度と食事をとる必要もない、というわけである。
 項羽のような激情家が自らこのような行為をすると、士卒たちは心を打たれ、感情が高ぶるのだった。
 かくして鉅鹿に突入した楚軍の兵たちは、天地を揺るがす雄叫びをあげ、一人で十人の兵を相手にして狂ったように戦ったという。

 諸侯たちはその様子を見て呆気にとられるばかりで余計に動けなくなった。燕や斉などの兵は秦軍よりも味方の楚軍の方を恐れ始めた。

 楚人は個人ではおとなしいが、集団になったとたんに剽悍になる、とされている。感情が激しやすく、あらゆる物事に心を動かされては、怒ったり、泣いたり、笑ったりする。
 このときの楚軍に、細かな戦術などは無きに等しく、あるのは項羽の個人的武勇のみであった。激情した司令官が先頭に立ち、激情した部下たちがそれに続く。彼らは死をも恐れぬ殺人集団となって敵陣深くまっすぐに進むのである。

 しかし韓信は決して彼らと同調できない。この集団の中にいるのが、恐ろしく感じられた。
――私は、この連中とは明らかに違う。自分は、楚人ではないのだろうか。

 項羽の激情に化学反応を示したように、集団が揃いも揃って同じ感情を示すというのも不思議でならなかった。
――つまりは、楚人とは主体性のない奴らばかりなのだ。いや、そういう私も楚人のひとりか……。

 韓信はひとり気のない戦をし、それを見た者から罵声を浴びせられた。
「臆病者め!」
 韓信はいつまでこの集団の中にいられるか、不安になってきた。

 そもそも韓信は楚人とはいっても北東部の大きく国境が入り組んだ地域で生まれ育っている。そのような地域では他国との混血や文化的な交流が盛んであっただろうし、自分が純粋な楚人であることを確認できる手段など、この時代にはなかった。
 もしそうでも幼少時代から楚人的な教育を叩き込まれていれば、あるいは楚人らしい楚人として育っていたかもしれない。

 しかし栽荘先生は決してそのような教育をしてくれなかったし、今思えば反楚的だったとさえ思う。
――先生、やはり私はここに居場所がないように思うのですが、本当にこれでいいのでしょうか……。先生は私を評して物事を客観的に見れる、とおっしゃりましたが、それはそのはずです。私だけがこの中では別物なのですから。それを承知で楚軍行きを勧められたのでしたら、お恨み申し上げます!

 しかし自分はどこの組織に入っても素直なものの見方をせず、周囲から白眼視される人物であろうことは、この時期の韓信にはようやくわかってきた。自分のことさえも客観的に判断できる段階に入ってきたのである。

 韓信のそんな思いはよそに、項羽は章邯配下の将のうち、蘇角を殺し、王離を捕虜とし、渉間を追いつめて自殺せしめた。章邯その人は取り逃がしたものの、見事鉅鹿城の解放に成功したのである。
 この戦果を受け、楚は趙、斉、燕などの諸侯国のなかで第一の存在となった。皆項羽に服属したのである。

 かくて趙は滅亡の危機を免れたわけだが、その過程で禍根を残した。建国の臣のふたり、張耳と陳余が仲違いしてしまったのである。張耳は援軍を出さなかった陳余を責め、言った。
「君とわしはお互いのために死のうと誓い合った仲ではないか。それなのに君は数万の兵を抱えながら、助けにも来てくれなかった。いったいどういうわけだ」

 陳余にも言いたいことはある。彼は悪びれもせず、答えて言った。
「現実を見ろ。秦との戦力差を考えれば、軍を進めても結局は趙を救うことはできず、無駄に全滅させるだけだった。私が軍を進めずに君とともに死のうとしなかったのは、いつか趙王と君のために秦に報復したいと思ったからだ。だいたい、今の国情で君と私が二人とも死んでしまっては、誰が国を保つのか冷静に考えてみるべきなのだ」

 張耳には陳余の言うことが理屈としては、わかる。それよりも気に入らないのは陳余の態度であった。
 年長である自分や趙王に苦労をかけたことを気にも留めておらず、結果的に助かったのだからよかったではないか、と言わんばかりの態度であった。
 張耳は繰り返し陳余を責めた。根性を叩き直すつもりだったのである。

 しかしこれに逆上した陳余は、いきなり将軍の印綬(いんじゅ)を外し、張耳に押しやって便所に立った。
 位など惜しまず、いさぎよく下野するというわけである。

 陳余はまさか張耳がそれを本気にするとは思っていなかったが、便所から帰ってみると、張耳は既にその印綬を腰の帯につけ、陳余の指揮下の軍を配下におさめていた。
 愕然とした陳余はごく少数の仲間を連れ、その場をあとにしたのである。
 いっぽう張耳は項羽の軍とともに、函谷関を目指して進軍することになる。

         五

 咸陽にも戦況の報告は届く。しかし届いても皇帝の耳には入らないのだった。なぜかと言うと、趙高が知らせないからである。

 李斯を斬殺してから自ら丞相の位に登り詰めた趙高は、ひそかに皇帝を餌にして講和の条件としようと考えていた。皇帝の首を諸侯に渡し、その替わりに身の安全をはかろうとしたのである。
 そのためには宮中の者たちの協力が不可欠で、彼らがどれだけ自分の言うことを聞くかが問題となる。
 皇帝の言うことより、自分の言うことを聞く者が多いほど都合が良かった。

 そこで実際にどれほど自分の言うことを聞く者がいるか試してみたいと考えた趙高は、皇帝の面前に一頭の鹿を連れてこさせた。

 その鹿を指して、趙高が皇帝に言った。
「陛下。これは馬にございます」

 皇帝は目をぱちくりさせて、しばらくなにも言わなかったが、やがて笑い、
「丞相も間違うことがあるものか……これは馬ではなくて、鹿であろう」
 とからかうように言った。

 ところが左右にひかえる近侍の者の中には、趙高の言う通り、
「あれは馬に違いありません」
 と言う者がいた。趙高に追従する者である。

 またある者は、
「鹿です」
 と言った。皇帝の権威に従う者である。

 またある者はなにも言わず、黙っていた。態度を決めかねていた者である。

 趙高はあとでひそかに鹿と主張した者たちを処刑した。
 群臣たちはこの一件でよりいっそう趙高をおそれるようになったという。
 この話は、後世につたわり、「馬鹿」という成語の語源になったとも言われている。

 趙高がこのように急いで自分の取り巻きを強化していこうと考えていたのには、劉邦の軍が南の武関まで迫っており、今にも関中に到達しそうだという情報があったからであった。
 東の状況もよくない。
 鉅鹿で章邯は敗戦し、多くの将兵を失った、という情報も入っていた。函谷関が再び破られ、賊が関中に侵入するのは、そう遠い日のことではあるまい。
 状況を憂慮した趙高は、章邯に使者をやって何度も叱責した。もちろん趙高の名ではなく、皇帝の名をかたって、である。

 孤軍奮闘のうえ、理不尽な叱責に不満を覚えた章邯は、いっそ皇帝に直接指示を仰ごうと考えた。

「そういうことでしたら、私が行って参りましょう」
 と言ったのは副将の司馬欣である。
「行ってくれるか。陛下にはなにとぞ、よしなに……よろしく頼む」
 このころの章邯は、弱気になっている。司馬欣にもそれが感じられた。
――無理もあるまい。なんとかお力になりたいものだ。
 司馬欣は馬を飛ばして咸陽に入り、宮殿の外門で用件を告げた。

「章邯将軍の命により、皇帝陛下にお目にかかりたい」
 司馬欣は門の外で大声で叫んだが、門番は彼をそのまま留め置き、引見させなかった。司馬欣が直訴することで、実情が皇帝に漏れることを趙高が警戒したからである。

 仕方なく門外で野宿して待つこと三日、司馬欣は門番の様子がいつもと違うことに気付いた。
 第一に人数が違う。
 それまで門番は数名しかいなかったが、その日に限ってはその倍以上だった。そして彼らがそれぞれ示す緊張の表情が事態が容易でないことをあらわしていた。
――殺気立っている!
 危険を感じた司馬欣は、殺されると思い、朝見を諦め、身を翻して逃げた。

「追え!」
 門番たちの声が聞こえた。司馬欣は来た道とは別な道を辿り、なんとか追っ手を撒いて章邯のもとに到着することができた。

「咸陽では宦官の趙高が政権を握っています。将軍、あなたが勝てば、趙高はその功を妬み、あなたを殺すでしょう。勝たねば、それを罪として、殺されます。どちらにしても、待っているのは死のみです!」
 命からがら帰還した司馬欣は章邯の前で泣きながら報告したという。

 章邯は迷った。迷いつつも敵が前面に現れれば、戦わなければならない。項羽は鍾離眛の軍を送り、漳水の南で秦軍を破った。さらに項羽は全軍を率いて汙水のほとりで章邯の軍と対峙し、おおいに打撃を加えた。

 ついに章邯は決心した。
――もはや、戦っても勝てない。
 意を決した彼は項羽と盟約を結ぶべく、講和のための使者を送った。

 これを受けた項羽は、
「軍糧も尽きてきたことだし、盟約を受け入れることにする」
 と言い放ち、殷墟(殷王朝の旧都)に会見の場を設けることを約した。

 実は章邯は司馬欣の帰還後まもなく使者を項羽のもとに送っていたらしく、講和が成立するのは時間の問題であった。しかし正式にそれが成立するまでの間に、徹底的に相手を痛めつけるというやり方は、いかにも項羽らしい。敵はあくまでも敵であり、味方となるまでは、項羽にとって敵なのである。
 残酷なようだが、結果的にこの最後まで容赦しない態度が、章邯の意思を決定させた。

         六

 章邯と項羽の会見は幔幕を張られ、その中で行われた。こういう場合、韓信は郎中という役目上、幕の外で警護することが多く、今回もその例に違わなかった。

 幕の中で、章邯の声がする。しだいにその声は涙を交えたものになっていき、最後の方にはまともな言葉になっていなかった。
 章邯は項羽に対して、自分は秦の国運を背負って戦ってきたが、最後には趙高という奸臣のために追いつめられ、進退極まった、という内容のことを話していた。

 韓信には章邯の表情を見ることはできない。しかし話の内容は充分に同情するに値した。
――ここにも、不遇な男がいる。章邯は、私と同じように、良い上官に恵まれていない。
 不覚にも涙をこぼしそうになった。

 このあたり韓信は滑稽な男である。
 この時点の功績の面からいって、章邯と韓信では比べ物にならない。それをわかっていながら、章邯を自分と同じようだ、と思っているのである。少々自意識過剰な若者だった、と言えそうである。

 幕の中からふたつのすすり泣きの声が聞こえた。いっぽうは章邯の声であることは間違いない。だとすればもうひとつの声は、項羽であろう。この会見では立会人として范増も幕の中にいたが、韓信には范増が章邯に同情して泣く男にはどうしても思えなかった。

――范増老人は、章邯を誅殺しろ、と主張するだろう。しかし項羽がそれをするはずがない……もはや章邯は敵ではなくなった。項羽にとっては殺す理由がない。……項羽とは、そういう男だ。

 韓信は幕の外でそう思ったが、その予測は的中する。
 項羽は章邯を優遇し、雍王(ようおう)として楚軍の中に置き、司馬欣を将軍として秦軍を指揮させることにした。項羽の激情家の部分がさせた人事であり、危険を感じた范増は、これに反対して意見を述べたが、項羽は聞き入れなかったという。

――うまくいくわけがない。そもそも項羽は章邯しか見ていないのだ。章邯の下には何万もの秦の兵がいて、それが何万もの意志を持っていることを、項羽は理解しようとしない。やはり貴族には、しもじもの気持ちなどわからないのだ。
 韓信はそう思いながらも、捨て置くには重大な問題に過ぎると感じ、項羽に献言することにした。

 面会を求めた韓信に向かって、項羽は、
「お前か。お前のことは士卒が噂しているぞ。いつも気合いが足りない臆病者だと。淮陰では市中の者の股の下をくぐったそうだな。戦地で男を上げようとは思わないのか」
と、おもしろくもなさそうな顔で言った。

 韓信はあえてそれを無視して話し始める。
「……雍王(章邯のこと)をはじめ、秦の兵たちはすべて、武装を解除して彭城の懐王のもとへ送り届けるべきです。いま、項将軍においては雍王に同情なさり、優遇されておいでですが、事情を知らない楚の兵にとって秦兵は皆、父母、兄弟の仇なのであります……彼らは、秦兵とともに戦うなどとは考えないでしょう。いずれ、衝突がおこる気がしてなりません。どうかお考えください」

 項羽は少し考え込む顔をしたが、やがて、
「君の言うことはわかるが、すでに決めたことだ。もう言うな」
 と言って、奥に引いてしまった。
 会見はものの十分かそこらで終わった。
 
 まもなく、破綻はおとずれた。

 楚軍の兵たちはかつて、咸陽に賦役をした際に、そこで秦の役人にこき使われたり、辺境守備の軍役にかり出されたときに、秦人の上官に酷使されたりした者たちばかりであった。立場が逆転した今、楚の兵士たちは秦兵たちを些細なことで侮辱し、事あるごとに奴隷のように扱ったりした。
 秦兵たちが自分たちの境遇を嘆くのは無理もなく、彼らは集まる機会があると、口々に愚痴をこぼした。
「今に皆、殺される。とてもこのままでは……」
 そう話している姿が、楚の兵たちにとっては反逆の相談をしているように映り、軍中の噂の種になった。

 項羽もそのまま放っておくわけにはいかなくなり、黥布と鍾離眛を呼び、ひとつの策を授けるに至る。
 韓信にもその策は伝わった。

 策とは驚くべきもので、韓信は鍾離眛を引き留め、二人きりになったところでやめるよう説得しにかかった。
「眛、君が……そんな汚れ役をやるというのか。人道にもとる作戦だ。栽荘先生が生きておられたら、何と言うと思う。理由はなんでもいい、体調が悪いとか言って辞退するんだ。君が辞退すれば、上将軍(項羽)も作戦を考え直すだろう」
「信。君はこれが楚の一大事だということをわかっていない。今ここで秦兵どもが暴動を起こしてみろ。楚軍は崩壊する。阻止するには今が最後の機会だ。関中に入ってからでは、遅すぎる。……新安の地で決行だ。それに、かりに私が嫌だと言っても、黥布将軍がおられる。彼一人でも決行は可能で、作戦が中止になることはないだろう」
「だったら君は辞退すればいいではないか。眛、君は決行に参加しないことで上将軍の不興を買うことを恐れているのではないのか」

 鍾離眛は、むっつりとしたままその問いには答えず、やがて踵を返した。

 新安城は高台の上にそびえており、特にその南側はえぐりとられたような深い谷になっている。項羽は全軍をここに留め、一夜を明かすことにした。
 夜も深くなり、何も知らぬ秦兵たちが寝静まった頃、作戦は決行された。

 北側から黥布と鍾離眛に先導された楚軍が音もなく進軍し、秦兵たちに近づいたところで一斉に閧の声をあげた。
 驚いて跳ね起きた秦兵たちは南側に逃げるしかない。
 夜の闇の下、足もともろくに見えない中で、恐慌をきたした秦兵たちは相次いで谷底へ落ちた。落ちることを免れた者は楚兵に追い立てられ、やはり強引に落とされる。死体の上に死体が積み重なり、やがて谷底は埋め尽くされていった。

 楚軍は自らの血を一滴も流すことなく、夜明け前には秦兵の大量虐殺を完遂したのである。
 朝になって谷の下の様子を見た項羽は、安堵した様子を見せ、低い声で言ったという。
「混乱の要素は、除去された」

 こうして約二十万人に及ぶ秦兵は、章邯と副将の司馬欣、董翳を除き、すべて坑(穴埋め)にされたのである。

咸陽落城

         一

 このころになると、皇帝胡亥の耳にもようやく事態が切迫していることが伝わっている。
 胡亥は何度か趙高を呼んで、戦況のほどを説明させようとしたが、その度に趙高は病と称し、朝見を断り続けたのだった。

 実は趙高はこの間に、ひそかに劉邦へ使者を送り、関中王の座を二人で分け合おう、と提案していたのだが、受け入れられなかったという経緯がある。
 これに落胆した趙高は、このことが皇帝に露見するのではないかと心配になり、皇帝に誅される前に先手を打とうと考えた。そして閻楽(えんがく)という婿(若いころから宦官だったとされる趙高に娘がいたとは考えられないので、おそらく養女の婿だと思われる)を呼び、自らの反乱に引きずり込むに至る。
 閻楽が心変わりしないよう、その母を捕らえて監禁することで盤石を期し、皇帝の在所の望夷宮(ぼういきゅう)に千人余りの兵を率いさせて突入させたのである。

 宮中を弓を放ちながら進む閻楽の部隊に宦官連中は驚いて逃げ出し、皇帝が呼んでも馳せ参じる者はいなかった。
 ただひとり逃げ遅れて、そばにいたある宦官に皇帝は嘆いて言ったという。
「こんな事態になるまで、どうしてお前は朕に注進も何もしなかったのだ」

 その宦官は下を向いたまま答えた。
「注進しなかったからこそ、私は今まで生きながらえています。陛下は注進したところで信じず、私はとっくに殺されていたでしょう」

 この言葉を聞き、抵抗を諦めた皇帝は、踏み入ってきた閻楽に対し、哀訴するしかなかった。
 しかし母親を趙高によって人質に取られた閻楽のかたくなな態度は、皇帝が相手でも動じることがなかった。
「足下は驕り高ぶり、権力をほしいままにし、人を不必要に殺した。天下の者が皆叛くのは必然である……自分で自分の身を裁け」

 閻楽はそう言って迫った。皇帝はひれ伏し、
「なんとか丞相(趙高のこと)に会わせてくれないか」
 と頼んだが、閻楽は、
「駄目だ」
 と一蹴した。
 しかし、足の震えを抑えることができない。閻楽は自分が他ならぬ皇帝の生死を握っていることに緊張を抑えきれなかった。

 だが皇帝はそれ以上に震え、泣き出しそうな声で閻楽に訴え始めた。
「朕が皇帝としてふさわしくないというのであれば、せめて一郡の地でもいい。王として生かしてもらえないか」

 閻楽はこれも拒否した。

「王で駄目なら、万戸侯にでも……」
 皇帝も必死である。頭をこすりつけて、文字通り哀願した。

「ならぬ」

「……ならば妻子ともに平民となって……」
 皇帝がそう言うと、閻楽はついに剣を抜いて叫んだ。

「私が丞相から受けた命は、天下のために足下を殺すことだ! 何と言われても取り次ぐことはできん!」
 そう言いながら部下の兵を差し招く仕草をした。

 皇帝はそれを見てようやく、もはやこれまでと悟って自らの剣を右手に持ち、その剣で喉元を突き刺して死んだ。

 卑賤の兵士の手にかかって惨殺されるよりは、少しはましな最期であった。


 秦の領土は小さくなった。
 実効的支配地域は関中に限られ、その関中もいまや危機にさらされている。趙高は関所の外の諸王国を刺激しないよう思案を巡らし、空名を擁して皇帝を称することを避け、胡亥の兄の子である子嬰(しえい)という人物を探し出して、これを単に「秦王」とした。

 趙高の意図は、はっきりしない。この段階に至って、わざわざ子嬰を擁立することに一体どんな意味があるのか。
 趙高はかつて劉邦に密使を送り、「二人で関中王の座を分け合おう」という意思を伝えたとされているが、胡亥の殺害に成功した時点で、自ら王位に就くという気概は持ち合わせていなかったようである。
 ではその反対に、子嬰を擁することで秦の社稷を保つという、臣下としての責任感があったかといえば、それ以前の行動から判断して、そうとはいえないであろう。

 つまりは陰茎を抜いた、男でも女でもない宦官という精神不安定な人間のなせる業であった。

 擁立される側の子嬰には、それがわかる。
「趙高は皇帝を殺した。いずれ私も同じように殺されるであろう。趙高は、楚を相手に密約を交わそうとした、とも聞いている……。私は機会を見て、趙高を殺そうと思う」
 子嬰は二人の息子にそう話したという。

 王となるには、その身を清め、先祖を祀るみたまやで玉璽(ぎょくじ)を受け取ることが伝統的な習わしとなっており、子嬰もこの例にならい、斎戒して宗廟に出向くことになっていた。
 ところが子嬰は斎戒の途中で病気を発したと称し、いっこうに宗廟に姿を現さない。
 趙高は人をやって何度も催促したが、子嬰は動かなかった。そこでしびれを切らした趙高はついに自ら説教しようと子嬰のもとに足を運んだのである。

 これにより機会を得た子嬰は、斎戒の場である宮殿に伏兵を忍ばせておき、趙高の姿を確認するや、斬ってかからせた。
 しかし複数の兵に斬られながらも、趙高はしぶとかった。いくら斬られてももんどりうつばかりでなかなか息絶えようとしないのである。 

 兵たちはしだいに気味が悪くなり、後ずさりを始めた。
 苛立った子嬰は叫ぶ。
「早く首をおとさないか!」

 だが、兵たちは揃って首を振った。
「私どもの剣では、もうどうにもなりません。剣が脂まみれで刃がたたないのです」

 しかたなく子嬰は、自ら剣を振るって、趙高の首をおとした。
「人間の化け物め。兵士の剣まで腐らせるとは……。私のこの剣はすでに汚れた。もう二度と使うことはないであろう」

 稀代の奸臣を討ち取ったという達成感はない。子嬰の心に残るものは、後味の悪さと薄気味悪さばかりであった。

         二

 子嬰が秦王として君臨してから四十六日め、劉邦の軍は武関を破り、ついに関中への侵入を果たした。

 劉邦軍は決して破竹の勢いでここまで来たのではなく、あちこちの城を攻めては攻めきれず、あるいは勝ち、あるいは負けたりしながら、ようやく武関までたどり着いた、というのが実情のようである。
 そして覇上(はじょう)に駐屯した劉邦軍は、客を迎えた。その客こそが秦王子嬰である。

 子嬰は車にいっさいの装飾をせず、身に白装束をまとい、自らの首に縄をかけて劉邦の前に拝謁した。
 首の縄は、いつでもそれを縛って自殺する覚悟ができていることを示している。
 手には皇帝の玉璽と割り符を治めた函があった。それを劉邦に渡そうというのである。誰の目にも降伏するつもりであることは明らかだった。

 諸将の中には秦を恨む者も多く、そのため子嬰を殺そうと主張する者は少なくない。
 しかし劉邦は子嬰を殺さず、処分を保留し、監視するに留めた。
「子房、秦王をどうすべきであろうな? 懐王のもとにでも送り届けるべきであろうか」

 子房とは張良の字である。張良は戦国時代の韓の遺臣で、このころから劉邦の幕営に身を寄せ、軍師として活動している。負けてばかりいる劉邦が苦しみながらも関中にたどり着いたのは張良の策によるところが大きい、と言われている。
 張良は必要以上に敵を殺さず、城市に戦乱を持ち込むことを極力避けるよう主張し、それを実行した劉邦は民衆の支持を得ることに成功したのであった。

 その張良は次のように答えた。
「せいぜい警備を固くし、士卒に変な気をおこさせないようにしておくことが大事です。いずれ項羽率いる軍勢がこの地にも到達しましょう。そのときに引き渡してしまえばよかろうと存じます」

 劉邦はおもしろそうに答えた。
「どうせ殺さねばならないのであれば、項羽にその役をやってもらおうというのか。それはいい。……しかし、それでは関中の覇者は項羽、ということになりはしないか」

 張良は静かに答えた。
「我々は関中に一番乗りを果たし、懐王は確かに一番に関中に入った者を関中王にする、と申されました。しかし、だからといって項羽をさしおいて関中王を称するのは、具合がよくありません。楚の一番の実力者は、恐れながら懐王ではなく、項羽です。彼自身が沛公(劉邦のこと)を関中王と認めてくれれば問題ありませんが、おそらくそうはなりますまい。……秦が滅んだ今、沛公が天下を望むならば、競争相手は項羽ということになります。……しかし兵力の差は歴然としていますので、しばらくは項羽に花を持たせる形となりましょう」

 劉邦は、それを聞いて項羽の軍神のような姿を想像し、あからさまに震え上がったが、しばらくして覚悟を決めたのか、それとも虚勢を張ろうとしたのか、いきなり大声で宣言するように言った。
「では項羽めがくる前に、咸陽を鎮撫せねばならん」
 劉邦はそう言うと、宮殿に乱入してしまった。今のうちにやりたいことをやってしまおう、というのである。

 宮殿にはおびただしい数の豪勢な調度品、財宝、駿馬の類が揃っており、劉邦の目を楽しませた。
 しかし、それ以上に劉邦が興味を示したのは、全国から集められた麗しい宮女たちであった。
 劉邦は我慢できなくなり、鼻息荒く宮女たちを追い回し始めた。

「いかん」
 張良は劉邦の痴態をみて、狼狽した。傍らにいた、もと犬の屠殺人の樊噲とともに必死に諌めようとした。

 樊噲が叫ぶ。
「おやめください。信用を失います。沛公には、女や財宝に目が眩んだのですか」

 すでに劉邦は宮女の一人に馬乗りになっていた。樊噲は言うだけでなく、力づくでそれをひっぺがえそうとする。
 だが劉邦は強情になっていた。
「噲、やめろ。どうせ項羽が来て、そのうち死なねばならぬのなら、わしはここで死ぬ。死ぬ前に道楽を極めるのだ!」

 張良はそれを聞き、なんとも情けなくなった。しかし、劉邦の不思議なところは、そんな姿でさえも憎めないところである。どこか滑稽で人間臭く、近寄り難い聖人のような印象はまったく無い。
 しかしそうとばかり言ってはいられない。ここで劉邦自ら宮廷を荒し回る行為に出ると、士卒がそれをまねて咸陽全体が大略奪の場になってしまう。そうなってはこれまで築き上げた民衆の信用はがた落ちで、支持基盤を失うことは明らかだった。

――沛公は項羽が恐ろしくなって、一時的に現実逃避をしているのだ。
 そう思うと、張良は劉邦を哀れに思った。
 あの恐ろしい項羽と近い将来対決しなければならないと思うと、誰だって逃げ出したくなるだろう。ここは優しく、説得するべきであった。
「どうか樊噲の言うことをお聞きください。良薬は口に苦し、と申しますが、同じように忠言は耳に入れ難いものです。今、天下のために害賊を除こうとするならば、逸楽に安んじることなく、質素を旨とするよう、沛公自ら示さねばなりません」

 これを聞き、劉邦はようやく抱いていた宮女を離した。
「害賊……害賊とは秦のことを言っているのか。それならもう滅んだ。子房、お前は、まだこのうえ害賊がいると言うのか」
「おります」

 劉邦はやっと居ずまいをただした。
「聞こう」

 張良は、特に強調するでもなく、さも当然のことを述べるように言った。
「沛公にとって、今後害賊とみなすべき人物は、項羽以外におりません」
 劉邦はそれを聞いて気分を良くしたらしく、高らかに笑い、そのせいで息ができなくなり、何度も咳き込んだ。
「項羽! げほっ! ……あの項羽が、害賊だというのか! 本気か、子房?」

 張良には特に変わったことを言った意識はない。涼しい顔をして答えた。
「本気です。沛公が天下を統べる人物たらんと思うならば、項羽は敵というしかありません。敵は、つまり害賊です」

 劉邦は、それを聞いてしばし考え込み、やがて立ち上がって宣言し始めた。
「ええと、おほん。……今後宮廷の庫をあばいて重宝、財物などの物を持ち去ろうとした者は死罪に処す。すべて封印せよ。あぁと、それから……宮廷の婦女に対しても同様である。いたずらに淫らな行為を犯した者は、三族すべて皆殺しとする……この言葉を士卒に伝えよ」
 最後の言葉は、いかにも名残惜しそうであったが、張良は劉邦のそんな様子に不満はなかった。

 ちなみに劉邦のこの言葉が伝えられる前に、庫をあばいた者が少なからずいた。多くの者は金銀財宝を山分けしたのだが、ひとり、劉邦のそばにあって内務を担当している蕭何だけは、秦の法令や政治文書をいちはやく持ち出し、これを将来のために保存した、という。

         三

 元来がけちな盗賊上がりの劉邦は、自らに確固とした信念や政略があったわけではない。劉邦にあったのは、人の能力を直感的に見極め、それを適所に配置する能力だった。貴族とは違い、市井にもまれて暮らしてきた者にしかない能力だと言える。
 そして任せたからには、徹底的に任せた。そうすれば、彼らが勝手に政略などを決めてくれる。

 しかし、劉邦は関中の父老連中を集めた際に、珍しく自らの方針を自分で決めて発表したことがある。
「秦の法は厳しく、父老には過酷だったことこの上なかっただろう。わしもつらかった。よって以後、法は三章だけとする。人を殺した者は死刑、人を傷つけた者、また人の者を盗んだ者はそれ相応の罪に処す。その他の秦の法は撤廃じゃ」

 この布告が広まり、秦人たちはおおいに喜び、劉邦を歓待しようと肉や酒をこぞって持ち寄った。しかし劉邦はこれを断り、
「いやいや、軍糧が余っているわけではないが、みなさんに負担を強いるわけにはいかない」
 と述べたという。
 単に人気取りをしているようにも見えるが、この時代の豪傑たちの中には、この程度の人気取りをする者もいなかったのである。

 かくて秦人たちは劉邦の人柄に惚れ込み、関中王の座が劉邦以外の者の手に渡ることを心配し始めた。
 劉邦自身にもそれがわかる。
――子房は、関中は一時項羽に明け渡さなければならない、と言ったが、それでは民衆は浮かばれん。あの男なら、この地を民衆もろとも穴埋めにしてしまいかねない。……わしは項羽と戦ってでもここを堅守するべきではないのか。

 柄にもない使命感を感じて、考え込む劉邦に幕僚でもない男がひとつの提言をした。
「函谷関を閉ざして、項羽の軍が通れないように守備を固めればよいではありませんか」
――そうか! なぜ今まで気付かなかったのか?

 民衆の行く末を思うあまり、項羽と戦っては勝てないことを失念してしまった劉邦は、この提言をもっともだと思い込み、函谷関を閉ざしてしまった。

         四

 安陽で宋義を討ち、鉅鹿で趙を救い、殷墟で章邯を降伏させ、新安で二十万の秦兵を穴埋めにして、ようやく函谷関にたどり着いた。このとき項羽軍が目にしたものは、関門に林立する劉邦軍の旗印と、侵入を拒むよう配置された、無数の守備兵たちだった。

 入ることができない項羽は、怒りを抑えることができない。
 すでに咸陽は劉邦によって平定された、と聞いたときにはさらに怒り、
「撃ち破れ。踏みつぶしてしまうのだ」
 と、黥布をけしかけて関を実力で突破してしまった。

――項羽は沛公のことなど、友軍だとも思っていない。自分のために道を開けてくれる存在だとも思っているのだろう。しかし沛公がいつまでそんな地位に甘んじるか……
 韓信は、新安で二十万の秦兵を穴埋めにした項羽を信用できなかったばかりか、顔を見るのも拒むほど嫌った。
 黥布などは感情のない、殺人兵器のように見える。鍾離眛には、裏切られたという思いが強かった。

 例の穴埋め作戦の一件以来、韓信と鍾離眛の関係は思わしくない。秦兵を穴埋めにするのに鍾離眛が積極的だったことを韓信が責めると、鍾離眛は韓信が項羽の作戦行動になんの寄与もしていないことを責めるのである。

「眛……。君と私とでは考え方が違うようだ。しかしここで袂を分かったとしたら、我々はお互いに敵になるということなのだろうか。君と私は、昔からの仲だ。できれば殺し合うような関係に陥ることは、避けたい。何とかならぬものか」

 韓信の問いに対して、鍾離眛は興味がなさそうな態度で答えた。
「信、お前と私とでは、幼少の頃から考え方が違った。今に始まったことではない。それに……以前にお前は言ったはずだ。敵同士になったときには、ためらわずに斬る、と。あれは嘘だったとでも言うのか? まあ、もしお前がそれを避けたいと言うのであれば、お前自身が考えを正せばよい」
「正す? 正すとはどういうことだ。私の考え方が間違っていると言うのか。間違っているのは君の方だ。二十万もの士卒を穴埋めにする行為を、いったい誰が正しいと言えるのか! ……しかも君は喜んでそれをやったのだ!」
 韓信が語気を荒げても鍾離眛は動じる様子を見せない。他ならぬ項羽から寵愛を受けている、という自信のなせる業であった。

「今さら言うまでもないことだが、戦争に犠牲が生じるのは仕方のないことだ。いずれ天下が定まれば、私のしたことは正しいと評されるだろう。お前はそうやって私や上将軍のことを批判ばかりしているが、なんのことがあろう。私はまったく気にならない。……お前は口ばかりで、結局は何もできない男だからな!」
 韓信はこれを聞き、心底落胆した。あの幼き日、母をともに弔った日の眛はどこに行ってしまったのか。
「眛、君は変わったな。私の知っている眛は、正義感が旺盛で、長いものに巻かれて生きるような男ではなかった。私が見るに、君の変わりようは考え方だけではない。……眛、君自身は気付かないだろうが……今の貴様の目はひどく濁っているぞ!」

 韓信はもはや関係は修復不可能と悟り、立ち去った。あとに残された鍾離眛は、たいして気にも留めない素振りをみせた。
 しかし、陣中に戻ると急に思いついたように配下の者を呼び止め、
「おい、お前。私の目は以前と同じように黒いか?」
 と確認したという。

鴻門の会

         一

 函谷関を破り、戲西(ぎせい)に入った項羽軍のもとにひとりの使者がやって来た。劉邦麾下の曹無傷(そうむしょう)という男の使者だという。
 引見した項羽は押し黙ってその使者の言上を聞いた。

「沛公は、関中王になりたい一心で関門を閉ざし、子嬰を宰相として、あろうことか秦の財宝をことごとく接収しつくしました。悪逆なことこの上ありません」
 このときの項羽の思いは、ひとことでは説明し難い。劉邦に対する嫉妬か、それとも自らの不運に対するやり場のない恨みか、複雑に絡み合う感情を整理しようと、しばらくの間無言でいた。

――そもそもは、懐王が悪い。
 真っ先に関中入りした者を関中王とする、などと言いながら、項羽と劉邦に課せられた任務には、困難さの度合いが違った。項羽が劉邦の立場であったら、もっと早く関中入りに成功しただろう。懐王は人選を誤ったのだ。

――劉邦とは、いったい何だ?
 項羽から見て、劉邦などはろくに軍の指揮もできないような男である。戦うたびに負けてばかり、叔父の項梁に兵を借りにきてばかりのろくでなしだった。それに対して自分はあの章邯をも打ち負かした。楚軍随一の武勲は自分にある。それなのに関を閉ざして締め出そうとするとは、項羽には劉邦が面の皮が厚い男にしか思えず、自分が軽んじられているような気がしてならなかった。

――従わない者は、滅ぼすまでだ。
 ついに意を決して立ち上がった項羽は、全軍に指令を下した。

「明日、士卒を饗応せよ。全員がたらふく食い終えたあと、劉邦の軍を攻め滅ぼす」

 明日には雌雄が決する。韓信はこのとき自分の身の置き場所について真剣に悩んだ。
――正しい側につきたいものだ。
 誰でも自分が正しいと思うから、戦う。しかし自分が正しくないと思えば、戦う理由はない。
 韓信には今回は劉邦が正しいと思えた。懐王はいくら傀儡だといっても、その発言は王命であることには違いなく、それを忠実に守っているのは劉邦であって、項羽ではない。韓信はまたしても項羽に意見することを決めた。

 その日の夕刻になって、韓信は項羽に面会を求めた。
「お前は変わった男だな。郎中という立場もわきまえずに、わしにたびたび意見しようとする。その努力を戦地でも示すべきだとは思わないのか」
 項羽が韓信を見て発した第一声がそれであった。揶揄と言っていいだろう。

「必要があれば、そういたします。ですが戦地では将軍の武勇が常人の数倍ございますので、私ごときが剣を振ったところでたいした足しにはなりますまい」
 韓信の返答は追従のようでもあり、嫌みのようでもあった。

「……用件を申せ」
 韓信は項羽が機嫌を損ねるのに構わず、話しだした。
「将軍は明日、沛公を討つおつもりでしょうが、それは間違いだと私は思います。門を閉じて守備兵を置くなど行き過ぎの感はありますが、沛公は懐王の命を守ったに過ぎず、これを討つとあっては将軍が懐王の命に背く形になります。将軍は反逆者の汚名を着せられることになりましょう」
 項羽は目を怒らせた。
「はっきり言う奴だ。気に入らぬ。だが、聞こう。お前の考えでは、わしはどうするべきか?」
「沛公は関中王となりましょうが、沛公自身、自分の立場はわきまえておられるはず。将軍の武勲は楚軍随一のもので、沛公とてもそれに反論はできますまい。将軍は沛公と会見の場を設けて、王座の禅譲を受けるべきかと存じます。沛公にはそれに見合った地位を与えればよろしいかと」

 項羽は右手で両方のまぶたを押さえつけ、考え込む仕草をした。
「考えてみよう。しかし、考えるだけだ。実行はせぬ。なぜならば、わしが会見を申し込む理由などないからだ。王座を譲ってほしいから会ってくれ、とでもわしが言うと思うのか? それでは筋が通らぬ。向こうがわしに遠慮して会ってほしいというのであれば、お前の言う通りにしてやってもいいが」
 項羽はそう言って、韓信に退出を命じた。

――もういい。言うべきことは言った。あとは沛公の出方次第だ。
 韓信は項羽の言葉の端々から、王座よりも戦いを欲していることを感じた。

――そんなに戦いたければ、戦えばよい。だが今度こそ私は加勢しない。

         二

 韓信に退出を命じて、ものの数刻も経たないうちに項羽のもとへ次なる面会人が現れた。

 項羽の叔父、項伯(こうはく)である。
 項羽の叔父ということは項燕の息子にあたり、これは同時に項梁の兄弟であることを意味するが、二人が本当の兄弟らしい歴史上の記録はない。別の腹から生まれたものであろうことは間違いないと思われる。
 項伯は項燕の息子の中では末弟であった。

 その項伯が項羽に面会していちばんになにを述べたかと言えば、
「先ほど、沛公にお会いしてきた」
 と、いうことであった。
 項羽はこれには驚き、
「劉邦と叔父上は個人的な関係がおありでしたか」
 と、問いたださずにはいられなかった。
「直接にはない。いや、なかった。わしは沛公に仕えている張良と以前より交流があってな。今日はそのつながりで沛公にお目どおりかなった次第だ」

 項羽は不審を抱かざるを得ない。明日叩き潰す相手に会いにいくとはどういう魂胆であろう。相手が叔父とはいえ、話の内容次第では許すべきことではなかった。
「叔父上と張良はどんな関係ですか」
 項伯は真剣なまなざしで答えた。
「ひと言で申せば、義の関係だ」
「……詳しくお聞かせ願いたい」

 項伯は以前、人を殺めたことがある。それがもとで秦の官憲に追われ、逃亡生活を余儀なくされたが、そのとき彼を匿ったのが張良その人であった、という。
「張良は、そのとき下邳(かひ)(地名)に潜伏していた」
「潜伏とは……? 張良はなにかしでかしたのですか」
「始皇帝が巡幸で博狼沙(はくろうさ)にさしかかった際に、襲撃を加えたのだ。力士を雇い、二人で巨大な鉄槌を轀輬車めがけて放ったそうだ。しかし、狙いが外れて鉄槌は隣の車両に当たった。それ以来逃亡を続け、下邳に潜伏していたとのことだ」

 張良は韓の遺臣であり、その家は代々宰相を務める名門であった。
 彼は弟が病死しても「費えを惜しむ」として葬式も出さず、始皇帝を刺し殺す刺客探しのための資金を蓄えたという。その資金を投じて力士を雇ったが、計画は失敗に終わったのだった。

「張良のことは、一度見たことがあります。楚に懐王を擁立した際に、韓も復興するべきだと主張して、それがかなえられたのでしたな。あの時の張良の印象は、線が細く色白で、まるで婦女子のような感じでした」
 項伯は頷いた。
「外見は確かにそうだ。しかし彼の情熱は誰よりも激しい。……わしを保護してくれたのも男伊達の精神からだ。侠の精神だ」

 侠とは、こんにちでいう単に「やくざ」という意味合いとは違い、義のために命を惜しまない精神のことで、一度受けた恩義に対しては、たとえ死んでも義理を返す、という行動原理のことである。彼らにとっては恩義に報いることが自らの命よりも重要なことであったので、当然法律などよりも優先されることであった。
 また、恩義を施す側は礼などを求めたりしてはいけない。なにも言わずに助けることで、自分が困窮したときには相手が助けてくれるのである。
 いわば侠とは殺伐とした古代社会に生きる個人同士の相互扶助の契約のようなものだった。

「わしは張良から恩義を受けた。受けた恩義は返さねばならぬ。そこでわしは張良のもとへ行って、一緒に逃げようと誘ったのだ」
 項羽にも義や侠の精神はわかる。したがって項伯の行為を咎めたりはしなかった。
 項伯はさらに続ける。
「しかし張良は、沛公を見捨てる気にはならない、とそれを断った。そこでわしは沛公と会い、張良の媒酌で義兄弟の契りを……」

 項羽はびっくりした。
「なんと申した、叔父上?」
「義兄弟の契りだ。わしも最初は戸惑ったが、張良を救うにはこれしかない。羽よ、明日の朝早く沛公と会見の場を設けるのだ。沛公は釈明したいと望んでいる」

 項羽は迷い、部屋中を歩いて回ったが、やがて意を決したように立ち止まると項伯に対して宣言するかのように、声を張り上げた。
「いいでしょう。しかし、会うだけです。許すとは限りません。劉邦の態度次第では斬り捨てることも叔父上は覚悟してください。それでいいでしょう」
 項伯は静かに語った。
「もとより沛公が関中を破らなければ、羽よ、おまえは関内に入ることができなかったかもしれない。沛公は関中入りして以来、少しも財物を私にしたことはなく、吏民を帳簿に載せ、庫を封鎖しておられる。また、子嬰を宰相にしたというのは虚言であり、沛公は子嬰を捕らえ、おまえの沙汰を待っているというのが事実だ。これは大功と言っていい。大功をたてた者を討つのは不義だ。厚遇したほうがいい」
「考えておきましょう」

 退出した項伯は疲れを感じ、自嘲気味に考えた。
――侠とはいっても、わしにできることはここまでのようだ。しかし、もういい。言うだけのことは言った。

         三

 夜はすっかり更け、そろそろ寝所に移ろうかと考え始めた頃合いである。項羽のもとにこの夜三番めの面会人が現れた。范増である。

「亜父。まだ休まないのか」
 亜父とは范増をさし、項羽のみが使用する尊称である。「父に次ぐもの」という意味を持ち、肉親以外でもっとも尊敬する者に対して使う。
 項羽はその暴虐・残忍な行動から、独断専行的な印象が強いが、こうして范増を慕い、頼りにしているところを見ると、一概にそうだとも言えないようである。

 范増は老齢なため、項羽ほどの体力はないが、気性の激しい男である。項羽と同様に暴虐、残忍な面を持ち合わせ、さらに年齢を重ねて冷淡さも持ち合わせていた。
「先ほど、項伯どのと廊下で擦れ違った。なにを話しておいでか?」

 項羽は面倒くさそうに返事をした。この老人の策略は聞く価値があるが、近ごろは説教くさくなってきている。夜も深くなり、眠くなってきた項羽は、范増の相手をするのが正直煩わしかった。
「叔父は劉邦を助けてやれ、と言った。関中で庫を暴いたというのは虚言だと。秦王を宰相にしたというのも嘘らしい。だから明日の朝早く会見し、劉邦の話を聞いてやってほしい、とのことだ」

 范増は苦虫を潰したような顔をした。
「将軍は、それを承諾なされたのか。……よいか、将軍が天下を望むのであれば、いずれ劉邦は邪魔な存在となる。それがわからぬ将軍ではあるまい。であれば、早いうちに処断するのが得策であろう。今、すべては虚言だったと言うが、もともと劉邦などは財物を貪り、好色な、くずのような男であったのだ。そんな男が咸陽では財物には手を付けず、婦女を近づけないとしたら、これは、ただごとではない。天下を望む証拠であろう。よってわしは委細構わず攻め滅ぼすべきだと考えるが、将軍が明朝劉邦と会うことを決めたのであれば、うるさくは申し上げまい。次善の策を執るだけである」
 と言って項羽に迫った。
 いよいよ面倒になった項羽は、反論はせずに范増の話したいことを話させてやった。
「次善の策とは、何だ」
「会見の席で、わしが機を見て合図をするゆえ、その場で刺殺なされよ」

 范増の目は暗がりの中で、輝いて見えた。謀者特有の目であった。
 項羽は今宵面会した三名がそれぞれ勝手なことを言うので、判断に迷った。范増に対しては、いったい何と答えて良いかわからない。結局、
「承知した」
 とだけ答えるにとどめた。

         四

 翌朝、劉邦は百余騎を従えて会見の場の鴻門に姿を現した。
 しかし幔幕の中に入れるのは、劉邦その人以外は張良のみで、残りの兵士たちは遠く軍門の外で待たなければならない。

 劉邦と張良はおずおずと幕の中に入り、続いて項伯、范増の二人が幕の中に入っていく。昨晩項羽に献策した三名のうち二人が会見に同席することとなったわけだが、残りのひとりの韓信はいつものように幕の外で警護の任を命ぜられた。

 最後に項羽が幕の中に入った。
 表情は険しく保っているが、実はこのときまで劉邦をどう処すべきか、迷っていた。
――不遜な態度をとるようであれば、斬る。
 幕の中に入ったと同時に、項羽はそう心に決めていた。

 ところが劉邦は項羽が幕に入った瞬間、地べたに這いつくばるようにひれ伏し、傍で見ているほうが気恥ずかしくなるほどの大げさな素振りで許しを請い始めた。
「お許しを!」
から始まり、
「臣(わたくし。自分を相手より下に見立てた一人称)は将軍と力を合わせて秦を攻め、将軍は河北に戦い、臣は河南で戦いましたが、まさかまさか自分のほうが先に関に入ることになろうとは、想像もしておりませんでした。ここで将軍とふたたび相見えることになろうとは……臣などは河南の地でのたれ死ぬ運命だとばかり思っておりましたが、たまたまこうして悪運強く生き残り、関中に入ることができた以上は、将軍が到着されるのを待ち、すべてのご判断をお任せしようと考えておりました次第です。臣が聞きましたところ、臣が宮殿の財物を掠め、宮女を犯しているという噂があるようですが、それはすべてでたらめです。おそらくは小人が臣のことを中傷し……」
と、項羽が黙っていれば際限もなく謝罪の言葉を垂れ流し続けた。
 項羽は、完全に気勢をそがれた。
「もうよい。君の言う小人とは君の軍の左司馬で曹無傷という男だ」

 このひと言を聞いた劉邦は、
――曹無傷め! あの野郎……あとでどうしてくれよう!
 と内心で毒づいたが、決してそれを表情には出さなかった。

「その曹無傷とやらの中傷がなければ」
 項羽は劉邦の肩に手を置き、
「どうしてわしが君を疑ったりしよう」
 と言って、自ら劉邦を席へ案内した。

――たいした男だ、沛公は……。私が沛公の立場であれば、あそこまで自分をおとしめることができるだろうか。いや、とても無理だ。項羽が単純な性格で、泣き落としに弱いと知っていても、やはり無理だ。ああいう男は生き残るためにはどんなことでもするに違いない。ある意味では項羽などよりよほど恐ろしい存在ではないか……。

 幕の外で聞き耳を立てていた韓信はこの会見は項羽の負けだ、と予想した。
――この調子なら今日は波乱はなさそうだ。
 韓信はそう結論づけたのだが、ここまでは会見の第一段階に過ぎなかったのである。

         五

 態度を和らげた項羽の命により、酒宴が催され、各人はおのおの与えられた席に座った。
 上座は項羽と、項伯である。次座は范増、三座に劉邦、末座に張良が座り、酒や料理が供された。

 項羽は物も言わず、喰い始める。
 いっぽう劉邦は食事が喉に通るはずもなく、儀礼上箸を取り上げてはみたものの、もしや毒でも混入しているのではないかと思い、気が気ではない。
 張良に至っては末座で畏まっているばかりで、食べようともしなかった。

 自然、話題のない酒宴は盛り上がらず、項羽がただただ酒を飲み、肉を喰らう音ばかりが場に響く。

――おろかな男よ。狡猾な劉邦は項羽の性格を知って、弱点を突いたのだ。項羽は無関心な風を気取り、喰ってばかりいるが……情にもろい男よ。敵対する相手には容赦ないが、自分にすがる相手には手を出せない。まったく始末に負えん。
 范増は無駄だとは思いつつ、腰に下げてある玉の飾りを振って音を出し、項羽の注意を誘った。今がそのときだ、殺せ、というのである。

 しかしもはやその気のない項羽は、案の定聞こえぬ振りをして喰ってばかりいる。仕方なく范増は座を立って、幕の外で待機していた項羽の従弟の項荘を呼びつけた。
「項荘、居るか……耳を貸せ」
 幕の外に現れた范増と項荘の姿を認め、韓信はわけもなく緊張を感じた。
――む……范増老人。なにか企んでいるな……。この老人のことを失念しているとは、私もうっかりしていたものだ。
 しかし、二人が話している内容は、韓信には聞こえない。
 韓信にできることは、なにもなかった。

「できません。……とても、そんな……」
 項荘は消え入りそうな声で范増に訴えた。しかし范増は目を怒らせ、
「やるのだ! やらないというのならお前の一族をみな虜にしてやる。簡単なことだ。座を盛り上げましょうとかなんとか言って、剣を持ってひらひらと舞えばいい。その隙に劉邦を刺すのはわけもないことだろう」
 と項荘を恐喝した。
「よしんばそれが成功したとして、将軍はそれを了承しているのですか。将軍が沛公を許すと言っているのに、私が刺し殺すなど……不義ではありませんか」
「将軍は知らん。だが心配するな。従弟のお前がやることなら将軍はとやかく言わない。もし万が一のことがあれば、わしが弁解してやる」

 項荘はまだふんぎりがつかない。
「しかし、なぜそこまでして……」
「将軍は情に流されやすいお方だ。劉邦は今後のために除かねばならぬことがわかっていても、その場の感情で決断を鈍らせておられるのだ。楚の天下のためには将軍が誤った判断をしたら臣下がそれを正さねばならぬ。今がまさにそのときなのだ。決断しろ、荘!」
 項荘が頷くのを認めると、范増は幕中に戻っていった。

 やがて幕中に入った項荘は、ひとしきり項羽と劉邦の長寿を祝う言葉を述べ終わると、
「陣中のこととてなんの座興もないのは寂しいこと。ここは私がひとさし剣舞をご覧にいれて宴の余興といたしましょう」
 と言って、腰から剣を抜いた。

――まずい!
 末座の張良の目が光った。劉邦もそう感じ、酒器を持った手が震え、酒がこぼれた。

 剣はゆっくりと宙を舞い、空を斬っていく。しなやかな項荘の手がそれを追い、次いで足が流れるように運ばれていく。優雅な身のこなし。緩やかな律動で舞う項荘の姿は、時の流れを忘れさせるかのようであった。
 ひゅぅ! 
 剣が風を切る音が劉邦の耳元に届いた。驚いた劉邦が顔を上げると、項荘の目が鋭く自分を見据えている。

――殺される!
 そう感じた劉邦は恐怖のあまり尻の穴が緩み、座った状態であるにもかかわらず、よろめいた。手をつきながら体を支えるのがやっとである。

「相手もなくひとりで舞う剣舞などつまらぬもの。私が相手をしよう」
 そこで剣を抜き、立ち上がったのは項伯だった。
 
 項伯は項荘の調子に合わせて舞い始め、項荘がつつ、と劉邦に近寄る仕草を見せると、項伯が舞いながら身を呈して劉邦をおおいかばう。それが幾度となく、繰り返された。

――この調子では沛公が死ぬまで剣舞が続く。
 張良はそう思い、幕の外に出て軍門まで走った。

         六

 軍門の外には劉邦の配下たちが待機している。この日、劉邦の供をして配下の指揮を任されていたのは参乗(貴人の車に陪乗して守る者)の樊噲であった。

 樊噲は劉邦の旗揚げ以来の忠臣で、体つきは大きくて肉付きがよく、胸回りが非情に厚い。両耳の下から短めに生えた顎髭が無骨な印象を与え、外見的には熊のような男だった。
 あまり複雑なことを考えるのは苦手であったが、今日という日が劉邦はおろか、自分の運命を決める日であることが、この男には感覚的にわかっている。いざという時にはあの軍神のような項羽と刺し違える覚悟をしていた。

「樊噲!」
 自分のいる軍門を目指して走ってくる張良の姿が見えた。ただごとではなさそうなその姿に、彼は胸騒ぎを覚えた。

「張子房どの。幕中の首尾はどうだ」
 樊噲の問いに張良は息を切らしながら答えた。
「どうもこうもない。殺される寸前だ……。樊噲、今こそ……今こそ沛公危急の時だ!」

 樊噲はそれを聞くなり、盾を持ち、剣を抜いて猛然と軍門に突入した。楚の衛士たちがそれを止めようとしたが、樊噲は走りながら衛士たちに盾をぶち当てて残らず地に突き倒した。

「行ったぞ! 誰か止めろ!」
 幔幕の周辺の警護に当たっていた韓信の耳にその声が届いた。見ると猛烈な勢いでこちらへ向かってくるひとりの武人の姿が見える。
――あれは、劉邦の忠臣に違いない。なんという迫力!
 樊噲の走った道の後には砂塵が巻き起こり、それが渦を巻いて竜巻が起こっているかのように見えた。たったひとりの突入がまるで百騎程度の騎馬集団の進軍のように錯覚させる。

「来るぞ。せき止めろ」
 楚軍の警護兵たちは樊噲の鬼気迫る姿にたじろぎながらも、防御の姿勢をとり始めた。
 しかし、それを見た韓信は、
「やめろ。通してやれ」
 と言って兵たちをとどめた。
 それに楚兵たちは韓信が例によって臆病風にふかれたものと思い、反発した。
「通していいわけがあるまい。あの様子では将軍に斬りかかるぞ!」
 韓信はそれでも意見を変えず、兵たちに向かって言った。
「黙って斬られる我らが将軍ではないだろう。将軍は、武勇の人。あの烈士にも負けることはないはずだ」
 実はこのとき韓信は、項羽が樊噲に斬って捨てられれば、それはそれでよいと考えたのである。

 それでも防御しようとした兵は存在したが、彼らはすべて樊噲の盾で押し返され、吹っ飛んだ。樊噲はその勢いのまま幕を斬り破り、中へ突入を果たす。

 突然の闖入者の出現を受け、とっさに剣の柄に手をかけた項羽は、
「何者だ」
 と凄んでみせた。このとき懸命に樊噲の後を追いかけてきた張良がようやく追いつき、
「この者は沛公の参乗、樊噲でございます」
 と息を切らしながら説明した。
 項羽はこれを聞いてどういうわけか喜び、
「ううむ! これこそ壮士。酒を与えよ!」
 と言って、杯になみなみと注いだ酒を樊噲に与えた。

 項羽は敵味方を問わず、このような勇壮な男を自分以外に見たことがなかったのである。

 樊噲は上機嫌の項羽に酒を与えられ、豚の肩肉を供せられ、それを軽く平らげると項羽に対して意見しだした。
「将軍は功ある沛公に恩賞を与えないばかりか、小人の中傷を真に受け、沛公を殺そうとしている。将軍は間違っておりますぞ。……私がこんなことを言えるのは他でもない。……死を恐れぬからだ」

 項羽はとっさに返答ができず、
「まあ座れ」
 などと、およそ彼らしくない言動をしたという。

 おそらく項羽は劉邦を許すと決めたのにもかかわらず、范増が殺そうとするのを快く思っていなかったに違いない。樊噲の乱入を潮に幕中の殺人劇を終わらせようと思ったのだろう。
 しかしそんな項羽の思いなど知る由もない劉邦は、状況が一段落したのを見計らうと、なにも言わず席を立った。

 誰もが厠へ行くものと思った。
 が、劉邦はそれきり戻らなかった。
 彼は恐怖のあまり、遁走したのだった。

 張良はあとを取り繕い、項羽に白璧(はくへき)(宝石の一種)一対、范増に玉斗(ぎょくと)(玉でできた酒器)を土産に贈り、鴻門の陣営を辞した。

 項羽はそれを受けると幕を抜けて去ったが、ひとり残った范増は贈られた玉斗を地に投げつけて叩き壊し、さらに剣で打ち叩いて粉々にしながら嘆いたのだった。
「ああ、楚は小僧どもばかりでどいつもこいつも言うことを聞かない。項羽をはじめ一族はみな、劉邦の虜になるだろう! なぜ項羽も項荘もやつを殺せなかったか!」

 韓信は范増のその姿を幕越しに見て思った。
――項羽や項荘が沛公を殺せなかったのは、無理もない。彼らは武人だからだ。武人が謀略で人を殺すことを潔しとするはずがない……范増老人のような人生を達観したような者ならいざ知らず……。

漢の韓信

         一

 鴻門での会見の結果を受けて、項羽は咸陽への入城を開始した。
 総勢四十万の項羽率いる楚軍が、雪崩を打ったように関中へ侵入し、先々の都市を飲み込んでいく。沛公軍の面々は、少し離れた覇上という地からその様子を眺めることしかできなかった。

 項羽の征服の仕方は凄まじく、有益なものはすべて接収と称して略奪し、そして取りあげるものがなくなると、都市ごと火をつけて焼き払った。
 秦の民衆はこれに失望したが、やはりできることは何もなかった。
 やがて咸陽に到達した項羽は、士卒たちが財物を漁り、宮女を追いかけ回すのを止めようともせず、なすがままに任せた。

 この略奪、蹂躙こそが勝利の証であった。敗者には何もくれてやらない。温情を施しでもしたら、のちのち彼らは叛逆する。情けは無用、徹底的に破壊し尽くし、人民どもを屈服させることが重要なのである。
 これが戦国時代の論理であった。項羽はこの論理に忠実に基づいて行動し、まず始めに秦王子嬰を有無を言わさず殺すと、広大な咸陽宮および阿房宮から金銀財物を奪った。奪い尽くすとこれに火を放ち、後々の利用価値など考えず、残さず焼き尽くした。
 火は大火となって燃え広がり、あえて消火しようとする者もいなかったのでその後三か月に渡り燃え続けたという。

――残さず焼き尽くすくらいなら、沛公にくれてやってもよかったのではないか……。
 韓信は眼前の炎を眺めながら、そんなことを思う。
――どだい項羽の目的は、秦を自分の手で滅ぼすという名誉欲しかない。次の世をどう築いていくか、などという考えはまるでないのだ。

 関中は峻厳な山々に囲まれ、守りやすい。そのうえ中原を見下ろす高台に位置しており、攻めやすい。当時の中国大陸の中心から大きく西に偏った位置にありながら、秦が天下統一を果たし得た要因として、その地理的優位を除外することは不可能である。
――項羽は、それをわかっていない。この地を抑えずして、どうやって天下を望むことができよう。天下を望みながら、その方法を知らぬ、ということだ。

 韓信が楚を見限ろうと決心したのは、あの日鴻門で樊噲の姿を見たときがきっかけになっている。主君のためにあれほどの気迫をもって突入をはかった樊噲の姿……。
――あれほどの忠臣は見たことがない。私もあの武人のように誰かを守ろうとして戦いたいものだ。もしかすれば沛公とは私をそのような気にさせてくれる存在なのだろうか……。

 すくなくとも項羽は、そのような存在ではなかった。
 項羽は自分の身は自分で守れるからである。よって他者の意見もあまり聞かない。守る価値がないというよりは、その必要がないのである。

――関中がどれほど重要か説いたところで、項羽は聞く耳を持つまい。すでに咸陽が焼け野原になった今となっては、もはや説いても無意味なことではあるが……。
 そう思い、韓信は陣中を去り、楚軍を見限った。
 しかし士卒たちはみな略奪に我を忘れ、軍隊らしい規律など無きに等しい状態であったので、韓信の逐電に気付いた者は誰もいない。


 燃え盛る炎の熱が、わずかな地上の水分を蒸発させ、それが上昇気流に乗って空に蓄えられた。
 やがてそれが限界を超えると、蒸発した水分は再び液体となり、雨となって咸陽に降り注いだ。
 乾いた黄土が雨に塗れ、色の濃さを増していく。しかし、それでも咸陽の炎は消えることがなかった。
 消えない炎は、あたかも人間の行為の罪深さを象徴しているかのように思え、韓信は逃げ出したくなる。
 しかしどうにかそんな感情を抑え、目の前の現実を受け止めようと、彼は心の中でもがいた。
 韓信自身は知る由もなかったが、そのときの感情は、韓信の父が城父の戦場で無数に横たわる兵たちの死体を目の当たりにしたときの感情と似ていた。
――雨にも消えない炎は、ここに暮らしてきた人間たちの怨念であろうか。
 たとえそうだとしても、韓信にはどうすることもできない。彼はそれらの怨念を静める術さえも知らなかった。

 圧倒的な無力感にさいなまれながら、韓信は咸陽をあとにし、劉邦のもと、覇上にむけて歩を進めた。

         二

 関中に都を置くことが覇者の条件のひとつである、という意見はいわば定説で、韓信のみならず、項羽の周囲にもそれを主張する者は多数いたようである。
 しかし、項羽は自ら焼き尽くした土地に未練はなかった。劉邦を押しのけてまで関中に乗り込んだのは、関中王になりたいがためではなく、秦の歴史に終止符を打つのが、他ならぬ自分でありたいがためであった。
――咸陽は秦人の城だ。この項羽は楚人である。楚人たる項羽が秦を滅ぼしたのに、なんで秦の土地に住まわなければならないのか。

 項羽は楚に都を置きたかった。それをあらわした項羽自身の言葉がある。

「富貴となって故郷に帰らないというのは……錦の衣を着て夜歩くようなものだ。誰にも見てもらえない」
 この言葉が派生して「故郷に錦を飾る」という言葉が生まれた。

 しかし、これは項羽の単なる希望というもので、政治的判断に基づいたものではなく、付き合わされる者にとっては、たまったものではない。
 ある者が項羽を評して、笑い者にした。
「世の人々は、楚人は猿が衣冠を付けているようなものだと言うが、なるほどその通りよ」

 項羽は逆上し、その男を処刑した。
 軍卒の見ている前で大釜を用意して湯を沸かし、その湯の中に男をぶち込んだのである。
「煮ろ」
 自尊心を傷つけられた項羽の下した命令は、短く、残酷なものだった。

 しかしその男は煮られながらも項羽を罵ることをやめず、皮や肉が溶け始めても激痛に耐えて項羽をあざ笑い続けた。
 やがてその声が消えたころには、男の肉はなかば溶解し、釜の中には人肉の煮込み汁が残った。

 これ以来軍卒は項羽を恐れ、その意見に反対する者はいなくなった。

 もはや懐王でさえも項羽を掣肘する存在ではない。懐王は当初の命令どおり関中に一番乗りを果たした劉邦を関中王にするよう項羽に命じたが、項羽はこれを聞かず、独自の判断で諸国を分割し、それぞれに王を称させた。
 王が王を任命するのは過去に例がなかったわけではないが、明らかに自然ではない。このため項羽は懐王に「義帝」と称させ、王の上にたつ地位を与えた。
 しかし項羽は、義帝の命令を聞かず、名だけを借りて論功行賞を行ったのである。

 この結果、項羽は西楚王を称し、九つの郡を治める覇王となった。
 覇王とは王の中の第一人者と言うべき存在で、「王の中の王」とでも解釈すればいいだろう。以後、項羽は項王と記録される。

 斉は三分され、それぞれに王が置かれたが、宰相田栄は日頃楚に非協力的だったため、なんの沙汰も与えられなかった。無官となったのである。よって田栄は項羽を恨んだ。

 趙では項羽とともに関中入りを果たした張耳が王に任命された。
 もともとの趙王である歇は(だい)郡に追われ、そこの王とされた。
 いっぽう張耳と仲違いした陳余は項羽と行動をともにしなかったので、王にはなれなかった。
 陳余は項羽を恨み、張耳をも憎んだ。

 韓は領地は据え置かれたものの、王の韓成は実際に領地に赴くことは禁じられ、そのまま項羽の監視のもとに置かれた。韓成は張良が擁立した王だったので、項羽や范増が警戒を解かなかったのである。

 関中は三分され、章邯、司馬欣、董翳の三名がそれぞれの王となった。
 秦の地は秦人に治めさせるのがよかろう、という判断である。
 しかし新安の大虐殺に生き残った彼らは、生き残ったこと自体が秦兵の遺族たちの恨みを買うこととなり、人民は彼らになつかなかった。

 劉邦には漢中の地が与えられた。
 奥地である。
 別名巴蜀(はしょく)ともいわれるその地には、そびえ立つ山々が影をなして、日光のさす余地もないと言われる。
――もともと秦の地であるから、関中だと言えなくもない。
 などと言われ、体よく辺境へ追いやられた形となったが、鴻門の一件以来、劉邦は項羽を恐れ、「山奥でひからびて死ね」という命令にも背くことはなかった。

 韓信が劉邦のもとへ参じたのは、ちょうどそのころであった。

         三

 剣を杖がわりに地に突きたて、威風堂々、韓信は劉邦軍に身を預けた。

 韓信は人に会う度に持論を展開し、自分を売り込もうとはかったが、しかし、応対した下級士官の中には韓信のいうことを理解できる者はおらず、いくら項羽の弱点や戦略的構想を話して聞かせてもまったく話が進展しなかった。
 さらには韓信自身が一兵も指揮したことがないことで、最初から軽く見られたということもあるだろう。
 結局彼に用意されたのは連敖(れんごう)という貴人の接待係の地位に過ぎなかった。
――栽荘先生、私はここでも浮かばれないかもしれません。私は、郎中や連敖などの地位が欲しくて乱世に身を投じたのではありません……先生、私はどうすれば世に出ることができるのでしょうか……。

 韓信の落胆は激しく、そのため気力も萎え、次第に捨て鉢な気分になっていった。
 しかし、それは韓信に限ったことではない。この時期、劉邦軍全体が士気の低下に悩んでいた。事実上の都落ちとして山奥の巴蜀へ赴かねばならない立場の軍としては仕方のないことだったろう。

 巴、蜀はともに独立した地名である。巴は現在の四川省重慶の周辺、蜀は成都の周辺にあたる。現在でこそ大都会の両都市ではあるが、紀元前のこの時代では、開発などは進んでおらず、流刑地として使用されることが多かったようである。
 咸陽から巴蜀に至る途中の漢中もまた地域名であり、南鄭(なんてい)という城市がその中心とされる。南鄭は周代より開発された歴史の古い都市であり、秦の代になってれっきとした漢中郡の郡都とされた。
 しかし咸陽から南鄭への道は山や川に遮られ、人がひとり通れるような桟道しか設けられていない。桟道は断崖に宙ぶらりんに設置され、場所によっては人がカニのように横歩きしないと通れないところも多い。また、高所に築かれた桟道から下を臨めば、生きた心地もしなかった。

 劉邦に与えられた土地は、そんな所であった。しかし情勢を考えれば、嫌だと言って関中に留まることなど許されず、受け入れるしかない。
 劉邦は前途の多難さを覚悟しつつ、漢中行きを決めた。これにより、劉邦は今後漢王と称されることになる。
 これが紀元前二〇六年のことであり、この年が漢の元年とされた。

 桟道には馬や車を通す余地はない。漢王麾下の三万の兵士たちはいずれも徒歩で荷物を背に負い、不安定な桟道を風に煽られながら通るしかなかった。
 何人もの兵士が無惨にも谷底へ落ちていった。無駄死に、というよりほかなく、自然、逃亡する者が相次いだ。軍全体にやりきれない諦めの気持ちが充満し、ささくれができ始めた感情は互いに衝突した。
 こうして軍内は些細なことで揉め事が多くなったのである。

 ある日、韓信と同じ連隊に所属する兵のひとりが、普段からそりの合わなかった上官を故意に谷底へ突き落とした。新参者だった韓信は事情をよく知らされていなかったが、その上官は常々部下の兵士に対する態度が傲慢で、目に余るものだったらしい。手を下した者はひとりであったが、実際は連隊内の総意であった。
 そこで兵士たちは犯人をかばい、詰問されても容易に口を割ろうとはしなかった。
 事態を重く見た幹部たちによって処断が下され、韓信の所属するその連隊は全員斬首刑に処されることが決まった。連座制を適用されたのである。

 一同は急場作りの刑場に引きずり出され、順番に首を刎ねられていく。処刑の立会人として、夏侯嬰がその場にいたのを韓信は認めた。
 すでに十三名の仲間の首が斬られ、次に自分の番を迎えた韓信は、我慢できずに、低い声ではあるが、しかし力強く訴えた。
「……主上(漢王、すなわち劉邦のこと)は、天下を望まないのか。大業を成就させたいと思うのであれば、いたずらに壮士を殺すはずがなかろう。しかし主上が天下を望まず、この地でその生涯を終えるおつもりであれば、斬られても仕方あるまい」

 その声が夏侯嬰の耳に入った。
 軍が順風満帆なときは、気にも留めなかったかもしれない。しかし士気が衰えているときは、このような生意気な意見も力強く感じられた。
 夏侯嬰は興味を示し、処刑人をとどめ、韓信の前に立った。

「……お前、よく見るといい面構えをしているな」
 韓信はしかしなにも答えない。
 夏侯嬰はしばし考え、やがて得心したように頷くと、周囲に向かって命令した。
「この者を釈放せよ!」

         四

 韓信にとって夏侯嬰などは、話の相手にもならない。頭の作りが違うようであった。
 しかし内心でそう思っていても、態度には示さない韓信である。生涯御者として馬と劉邦の世話をして過ごしてきた夏侯嬰に対し、韓信は粘り強く、相手が理解できるまで自分の考えを聞かせてやった。

「項王が敵を破る度に敵地の住民まで巻き添えにしたり、今回のように徹底的に宮殿を焼き尽くしたりするのには、わけがあります……。項王は、基本的に他者を信頼していないばかりか、人同士はわかり合えないものと考えており、自分の思いが他者に通じないことを嘆いている節があります。どれだけ高尚な意識をもって敵地の住民を鎮撫しようとしても、それが通じることはない。なぜかと言うと、彼らにとって項王は敵だからです。私が思うに、項王には今の行動に至る原体験があるに違いないのです。それがどういうものかは存じませんが、それ以来項王は敵地を鎮撫することを無駄な努力と考え、徹底的に弾圧するようになったと思われます。我々は、項王と反対に民心を安んじ、支持を得ることに重きを置かねばなりません……」

 夏侯嬰には、韓信の言うことの半分も理解できなかったが、それでも自分と頭の作りが違うことだけは理解できた。
――面構えばかりではなく、なかなか頭のほうも切れる奴だ。
 夏侯嬰はそう感じ、漢王劉邦に韓信を取り立ててやるよう奏上した。推挙したのである。

 この結果、韓信は治粟都尉(ちぞくとい)という軍糧や財貨を管理する官に任じられた。
――ああ、先生、やはり駄目だ! 世の中には私という者を正しく見極めてくれる者がいないようです。この私が治粟都慰などと……。料簡違いも甚だしいとは思いませんか。ただでさえ惜しい命を捨てる覚悟をしてまで乱世に身を投げ出したのに、財物などの管理をせよ、などとは……。食料や金の管理がしたいのなら最初から商人になっていますし、兵の中にはその能力に長けた者もいるでしょう。なぜ私が……。
 韓信の不満は爆発寸前のところまで来ていた。

 軍糧や財貨の管理の仕事は、いわゆる後方職務である。劉邦の軍のなかで、この職の最高責任者に当たる人物は、蕭何であった。漢軍の最重要人物のひとりである。
 劉邦は平民として生まれ、若いころは家業の手伝いもせず、沛の街をぶらついて歩く単なるごろつきであったが、劉邦の王としての性質をいち早く見出し、ここまでもり立ててきたのが、蕭何その人であった。
 蕭何はもともと沛の県吏であり、謹直な人柄と職務に忠実なことで、人々の信頼を得ていた。あるときには県令から中央の役人に推薦されたこともあるくらいである。
 また、沛の街が戦乱に巻き込まれようとしたとき、民衆の中には劉邦ではなく蕭何を首領として戴こうと主張した者もあったという。

 しかし、蕭何はそのいずれも固辞し、劉邦を影で支え続けた。咸陽が落城した際、他の者が宮中の財宝に目を奪われる中、ひとり法典や史書を確保しに走ったという事実は、彼の謹直さを物語ると同時に、将来の漢の世を見据えた行動であった、といえるだろう。

――しかし、蕭何は文官ではないか。私は武官として身をたてたいのだ。
 韓信の辛気くさい表情が、さらに鬱屈したものに変わっていった。

 しかし、それを気に留めたものは少ない。士気の低下した軍組織の中では、誰もが自分自身のことしか目に入らず、他人に気を配る余裕を持つものなどほとんどいなかった。
 だが万事に気配りの利く蕭何だけは違った。蕭何は顔色まで青ざめて見える韓信の姿を目に留めて、ひどく気にかけるようになった。

――見るからに悩める青年がいる。あれはなんという者か。
 心配するのと同時に興味を覚えた蕭何は、ある夜韓信を呼び寄せ、話し相手をさせた。

「君の顔色を見るに、ずいぶんと悩んでいる相が出ている。その様子では、桟道の上から身を投げかねないぞ……。思っていることがあるのなら、今のうちに話してみるがいい。わしが君の力になれるかどうかはわからぬが、人というものは思いを言葉にするだけでも胸のつかえがとれるようにできているものだ。どれ、聞いてやろう。なにが悩みだ?」

 このときの韓信の言葉は、短い。馴れない者に対しては、いつもそうである。
「自らの不遇についてです」
 蕭何は笑ったりせず、話に付き合う。
「不遇とは……? もっと具体的に話したまえ」
「私は楚軍では郎中に過ぎませんでした。漢軍に身を置いてからは連敖、今に至っては治粟都尉。どれも私にとって適職ではありません」
「君がどんな男かわからないのだから、仕方ないだろう。人はみな経験を積んで一人前の男になっていくものだ。その過程で自分自身を知り、どのような職務が自分に合っているのか見つけるものだろう。君はまだ若いわけだし、これからの働き次第では出世も夢ではない」
「それは、わかっています。しかし悠長にそのような機会を待っているわけにはいきません。天下の状況は刻々と変化し、対応を誤れば、置き去りにされます。座して機会を待つわけにはまいりません。私は早く天下のために働きたいのです」

 韓信は、言いながら、かつて栽荘先生に叱責されたことを思い出した。
「座して機会を待つばかりでは、何も変えることはできない」
 それが栽荘先生の言葉だったが、いざ自分が待つことをやめて積極的になろうと思っても、結局は何も変わっていない、というのが現状である。

 そして蕭何が受けた韓信の印象は、生き急いでいる若者、といったものだった。
 しかし言っていることは正しい。漢軍は天下の中心から外れ始めており、このままいけば漢王は奥地に閉じ込められ、兵たちは離散し、天下は項羽のもとに定まる。その点は韓信の言う通りだった。
「治粟都尉として働くことも、決して天下のためではないとは言えないと思うが……。よろしい。君にひとつ機会を与えよう。天下のために先頭にたって働くような男であれば、治粟都尉の仕事も楽にこなせるはずだ。その結果をもってわしが君を漢王に推挙する判断基準とする。よいか」
 韓信は仕方ないとでも言いたそうな素振りを見せて、渋々頷いた。
「そう面倒くさそうな顔をするな。君がどんな男かわしは知らぬ。知る機会を与えてくれてもよいではないか」
「……何をすれば、よいのでしょうか」
「我が軍は今、軍糧に不安がある。というのも逃亡する兵士が多く、その者どもがどさくさにまぎれて軍糧を持ち去っているらしいのだ。方法は問わぬ。南鄭に到着するまでの間の軍糧を確保し、守り通すのだ。それができたら、漢王に推挙しよう」
「……はぁ、わかりました」

 韓信の返事は気のないものだった。

         五

 桟道では車を使えないので徒歩で渡るが、苦労したのは荷物の運搬であった。
 荷車も使えないし、馬や牛も桟道を通ることができなかった。このため確保している軍糧を各人が担いだり、背に負ったり、あるいは手に持って歩くしかない。
 これは大変な重労働であったことは確かだが、逃亡を考えている者にとっては逆に都合がよかった。自分が手にしている軍糧が逃亡中の腹を満たしてくれることになるからだ。

 が、だからといって持たせないわけにもいかず、これをいいことに逃亡者が相次ぎ、その度に軍糧が目減りしていくのだった。

 蕭何からこの問題の解決を命じられた韓信は、翌日の朝には蕭何に策を示した。
「何? 桟道を焼く、だと!……それは軍師の張良が主張していたことと同じだ」
 驚いた蕭何は目を丸くした。
「そうですか。一晩考えてやっと出した結論だったのですが……すでに考えられていたこととは、世の中には頭のいい人もいるということですね」
 韓信は少し残念そうな顔をした。

「しかし、案を出した張良は韓に戻っていて、この場にはいない。漢王は張良がいないことで先が読めず、実施をためらっておるのだ」
 蕭何には目の前の男が策士と呼び声の高い張良と同じ意見を主張するのが興味深く感じられた。もしかしたら、この男も策士かもしれない。
「詳しく話せ」
「……軍糧を守るためには、兵卒に軍糧を持たせないことが最善ですが、現状を考えると、そういうわけにはいきません。また、信頼できる者だけに軍糧を運ばせるわけにもいかず、どうあっても軍糧は兵が運ばねばならない。では、兵が逃亡できないようにすればいい、と思ったまでのことです」

 蕭何は聞く。
「しかし、それでは我々は本当に巴蜀の山々に閉じ込められる形になってしまうぞ。お前は天下のために働きたい、と言った。桟道を焼いてしまっては天下への道が閉ざされてしまう」

 韓信の表情が、明るくなった。ここ最近では珍しいことである。
「桟道を焼く目的は、実は二つあります。ひとつは兵の逃亡の意思をくじくため、もうひとつは項王や関中の三王(章邯、司馬欣、董翳)に、我々に再び関中を目指す意志がないことを示すためです。桟道が焼かれたとあっては、彼らは安心するに違いありません。そこに油断が生まれます」

 蕭何はため息をついた。
「それこそ張良が主張していたことと同じだ……。しかし、焼いてしまったあとのことは考えているのだろうな。わしとしては漢軍がこのまま巴蜀にとどまることを良しとしているわけではない」
 韓信は力を込めて話した。
「もちろん、反転はします。あくまで、私の腹づもりですが。桟道が焼かれたとしても、山脈を迂回する麓の古道があります。そこを使えば咸陽まで旅程は数十倍かかりますが、馬や車も使える。反転するにあたって大々的に桟道の修復を宣言すれば、敵の目はそちらに注がれましょう。その間に本隊は古道を使って咸陽にひそかに侵入する……大雑把ではありますが、これが私の戦略案です」

 お前に戦略を考えろ、と言った覚えはない、と蕭何は思ったが、
――これ以上ない、妙案ではないか。
 と認めざるを得なかった。蕭何は劉邦に奏上し、桟道の焼却の裁可をもらうことにした。

「それと、もうひとつ、気がかりなことがあるのですが……」
 韓信は表情に懸念を浮かべながら、もうひと言付け加えた。
「なんだ」
「軍中に見覚えのある顔がいます。注意しておきたいのですが……」
「好きにするがいい」

 このとき蕭何は、韓信が自分の昔なじみが軍中にいるので、親交を深めたいと言っていると思ったに過ぎなかった。

 韓信は行軍の最後尾に位置し、兵たちが全員桟道のある一定の地点まで渡り終えるつど、それを焼き続けた。寸断するだけでことは足りるが、すべて焼いたのは心理的な効果を狙ったものである。
 そしてこれにより夜陰に紛れて桟道を逆行して逃亡をはかろうとする者はいなくなった。自然、軍糧も確保される。
 韓信は蕭何に対しては株を上げたが、その反面、逃亡を画策していた兵からは恨まれることとなった。

 そして兵たちの韓信を恨む感情が頂点に達したとき、韓信は彼らを前に言葉を発した。
「桟道を焼いたのは、漢王の命により、侵入者を拒むためのものである。漢王は項王に厚遇されているとはいえず、いつ刺客を送り込まれても不思議ではない。お前たちが、漢王の生命より自分の生命が大事だといって逃亡をはかるのならば、それもよし。そのような者は我が軍には不必要である。ただし、逃げるのであれば軍糧は置いて、身ひとつで逃げ出すのだ。軍糧は必要である」

 兵たちは、この言葉を疑った。人がひとり通れるような桟道の中にあとから刺客が紛れ込むのは不可能だ、と思ったからである。そもそも焼いたあとに逃げてもいいなどと言われても、今さら逃げようもない。
 兵たちは韓信を小馬鹿にした態度をとった。
 しかし韓信はそれに動じず、言葉を継いだ。
「刺客は我々が咸陽を経つときから、すでに潜入している。その者は、今この中にいるのだ!」

 韓信の視線はある男の面上に注がれていた。
 兵たちの視線もその男に集中した。
「……お前は楚軍にいた男だな。范増の配下にいたことを私は覚えている。お前ひとりか? それとも仲間がいるのか? 言え!」
 韓信はその長剣を抜き、せまった。
 しかし男は押し黙り、何も答えない。
 やがて男の顔に脂汗が浮かび始めた。すると兵たちが韓信に同調して、その男を取り囲み、無言の圧力を加え始めた。

 圧迫に耐えかねた男はやがて意を決したかのように脇の下から匕首を取り出すと、目にもとまらぬ早さで自分の喉元を刺して死んだ。

 あっという間の出来事だった。
 その死が美しいか、それとも醜かったか韓信には判断がつきかねたが、劇的であったことは間違いない。

章邯を討て!

         一

「死ぬとは思っていませんでした。どうしてああも簡単に自害することができるのか、不思議でなりません」
 韓信は蕭何に胸の内を明かした。これに対して蕭何は次のように答えた。
「死ななければ、お前に殺されると思ったのだろう。それだけの話だ。……ところで、かの者が刺客であるという確証をお前はどうやって得たのか?」
 韓信は苦笑いして答えた。どこか、自嘲的な笑いである。
「確証という確証は何も……。かの者が范増老人の麾下にいたことは事実です。それにほかの兵たちの中には、かの者がどこの部隊で誰の配下に属すのかを知る者が誰もおりませんでした。怪しいと思ったので、あの場で問いつめればなにか白状する、と思ったのですが……死ぬとは思いませんでした」
「お前の勘が正しかった、ということだろう。素晴らしいことだ」
 蕭何は賞賛したが、韓信は素直に喜べない。
「よしんば、かの者が真の刺客だったとしても、私はあの場で漢に帰順させるつもりでいました。だいたい想像はつくのです。かの者が范増老人に家族を人質に取られて、意に添わぬ命令をされた、ということは……。范増とはそういう人です」

 蕭何は穏やかな笑みを浮かべ、失意の韓信をなだめるように言った。
「それはもう今となっては誰にもわからん。とにかく、見事な働きぶりだった」

 韓信は桟道を焼くことによって、兵の逃亡をとめ、軍糧の流出を阻止し、刺客を始末することによって、離れかけた兵たちの心を繋ぎ止めることに成功した。
 そして、桟道の焼失が将来の戦略的意味を持つのはこれからである。
――あるいはこの男なら、やれるのではないか。
 蕭何は韓信を評してそう思い、劉邦に推挙しようと考えた。
 思慮の深さ、味方を欺くかのような突飛な戦略、そして不思議な勘の鋭さ……。どれも素晴らしいものではあったが、能力うんぬんより蕭何は韓信を気に入った、と言ったほうがいい。
 賞賛されるべき功績を上げておきながら、本人は反省ばかりしている。この時代に闊歩する、武勇を鼻にかけてばかりいる豪傑どもに見せてやりたい態度であった。

 そう思った蕭何は漢軍一行が南鄭についに到着したのを機に、劉邦に韓信を推挙した。
 しかし良い結果は出なかった。それは劉邦自身が都落ちに気落ちしていて、新しいことを始める気力がなく、新たな人事を執り行う必要性も感じなかったことによる。
「落ちぶれた軍に、必要なのは安息の地のみよ。わしはこの先巴蜀で寝て暮らすぞ」
とうそぶいた劉邦は、蕭何が来ても面倒くさがって、ろくに相手もしなかった。

 これを知った韓信はひそかに軍を離れた。
 南鄭に至れば東の諸国と往来が可能になることをいいことに、兵の逃亡を抑えるべき自分自身が逃亡したのである。

         二

 軍の首脳部に激震が走ったのはちょうどこのときである。
 韓信が逃亡したから、ではない。
 使者の知らせに漢王劉邦は卒倒しそうになった。
「蕭何が逃げた、だと!」
 劉邦は深く嘆き悲しんだかと思うと、次の瞬間には怒気を発し、そうかと思えば自嘲的に笑ったりした。事の重大さに、情緒不安定になってしまったのである。
 それを周囲の者がたしなめようとすると、劉邦はその者たちを激しく、口汚く罵る。
「お前らのような役立たずが何人いなくなってもいっこうに構わん。この中に蕭何の替わりになるような奴が居るはずもない。まったく、どいつもこいつも能無しばかりだ……くず共め!」
 ついにはおいおいと泣き出した。
 このようなとき頼りになる張良は間が悪く韓に戻っており、この場には居ない。
 周囲の者はおろおろするばかりで、劉邦を落ち着かせることができず、仕方なく彼らなりの結論を出した。
「どうしようもない……しばらく、放っておけ。それしかなかろう」
 劉邦はひとり残され、しばらく泣いたり、喚いたりしていた。周囲の者はそれを遠巻きに眺め、
――いよいよ狂ったのではないか。
 と、人ごとのように思ったのだった。

 しかし、漢軍に差しせまった緊張感は、あまり見られない。劉邦を見る士卒たちの目は、さながら世にも奇妙な珍獣を見るかのようで、その反応を楽しんでいるかのようでもあった。
 本当に心配しているのは劉邦ただひとりで、実は士卒たちは誰も蕭何が本当に逃げ出すなどとは思っていなかったのである。

 翌朝になると、それを象徴するかのように、蕭何は何喰わぬ顔で戻ってきた。
「大王、ゆうべはよく眠れましたか?」
 漢王は憔悴しきっていて、それが誰の声か瞬時に判別できなかった。
「あ? いや、あまり眠れんかったわい。……誰だ? 蕭何ではないか! 戻ってきたのか! いや、よく戻った」
 劉邦は蕭何の肩を抱き、喜び叫んだが、そのいっぽう、
「お前、わしを置いて逃げようとしたな! よくもおめおめと戻ってきたものよ。断罪する! 死刑だ!」
 と怒ったりした。
 劉邦の情緒不安定は、蕭何が戻ってきても完全に治ったようではなかった。蕭何はそれを他の士卒のように放っておくわけにもいかず、適当になだめながら真相を語り始めた。
「大王、私は逃げたわけではありません。逃げた者を追った、それだけのことです」

 劉邦は、そうか、と言うと、ようやく気分が落ち着いてきたようであった。
「では、誰を追ったのか?」
「韓信です」

 劉邦はそれを聞き、いよいよ怪しんだ。
「蕭何、お前、わしに嘘をついているな。今まで諸将が何人も逃亡しているのに、お前は追わなかった。それなのに、その韓信とかいう、わしが覚えてもいないような者を追うはずがない。お前はなにかわしに隠し事があって、そのためにそんなでたらめを言っておるのだ」

 蕭何は劉邦の態度にあきれた。
 何度か名前を出して推挙しているのに、劉邦は韓信のことを覚えてさえもいない。気力が薄れ、心ここにあらず、ということだったのだろう。それはそれで理解できることではあった。
「大王……。諸将など何人逃亡しても、替わりの者はいくらでも養成することができます。しかし韓信などは……国士無双(こくしむそう)(天下に二人といない国士)の存在です。替わりはいません。王がこのまま漢中の王たるに留まるのであれば、韓信のごとき士は必要ないでしょう。ですが王が天下を望まれるなら、彼は絶対必要です。韓信という男の必要性は、王が天下を望むか、望まざるか、それにかかっているのです」

 劉邦はまだ迷っていた。ろくに名前も覚えてもいない男に大事を任せてよいものかどうか、日頃無責任に部下に任せきりのこの男でも心配したのである。
「用いれば韓信は留まります。しかし用いなければ、彼はまた逃げ出して、楚や斉のものになってしまうに違いありません。大王には、それでもよろしいか」
 畳み掛けるように言葉を継ぐ蕭何に、ついに劉邦は折れた。
「……お前がそこまで見込んだ人物であれば、お前に免じて韓信を将軍にしてやろう」
 ところが蕭何は首を縦に振らなかった。
「不十分です。それでは韓信は留まりますまい」

 驚いた漢王は、やけくそになって言った。
「では、大将にしよう。大将軍だ!」
 蕭何はこれに満足し、言った。
「結構です」

「そうと決まれば、さっそく任命しよう。韓信をこれに召せ。印綬を用意せよ。それと……」
 漢王は久しぶりに王らしい振る舞いを見せたが、蕭何はこれを遮った。
「大王。それではいけません。大王はもともと傲慢で礼もわきまえませぬ……。私どもにはそれでも構いませんが、韓信は頭の良い男でありますゆえ、自尊心も高いのです。王がそのように子供に物をくれるような態度で臨まれるのであれば、韓信は失望してやはり去ってしまいましょう」
「なにを言うか。名より実であろう。儀礼などくそくらえ。どのみち大将を任じることには変わりないのだ」
「さもありましょうが、韓信は野蛮を嫌う傾向があります。どうか文化的に、吉日を選んで王ご自身が斎戒なさって、壇上を設け、礼儀を尽くしたものとしてください。そうした方がのちのち漢軍の評判のためにもよろしいでしょう」
「くだらん……しかし、そういうものか」

 劉邦は蕭何の評の通り、傲慢で、礼もあまりわきまえない男であるが、頑固ではない。このときも蕭何の意見をあっさりと受け入れ、斎戒して充分に儀礼を尽くして、任命の日を選んだ。

 やがて南鄭に着いた漢軍の最初の儀礼が、大将の任命式だった。
 諸将はみなそれぞれ自分が任命されるものと期待し、うきうきとした空気が全軍に流れている。
 しかし実際に任命式が執り行われると、拝命したのは韓信という名も知られていない、顎髭もたくわえていないような若者であったので、軍中の誰もが驚愕したという。

         三

 漢中に至る桟道は、漢軍によって焼き払われた。
 これにはさまざまな経緯があったが、ふたたび劉邦が東方へ進出する意志のないことを示していることは間違いないと項羽には思われた。劉邦が僻地におとなしくおさまっていれば、何ごとも進めやすい。

 自らの居城と定めた彭城に移った項羽は、邪魔な義帝を体のいい理由をつけて追い出すことに成功した。
「いにしえの帝王は必ず川の上流に居を定めたものである」
 と言い、長沙(ちょうさ)郡の(ちん)県に義帝を移した。
 長沙郡といえば、はるか南の地で、なかでも郴県は南に位置している。おそらくは百越などの南方系民族が雑居していた地域に違いない。当時は蛮族がいるとされる地であった。

 それでも義帝はその命に従い、おとなしく郴県に向かおうとしたが、項羽は安心できず、ひそかに黥布に命じてこれを襲撃せしめた。
 義帝の一団が揚子江にたどり着いたところで襲撃者たちはこれに追いつき、帝は亡き者にされた。

 これにより帝政は早くも崩れ去り、項羽は名実ともに諸国の第一人者となったのである。

 いっぽう、このときめでたく大将の任を預かった韓信は、ようやく漢王劉邦と直接話す機会を得ている。
 この席で劉邦は、食事をとりながら韓信の話を聞いていたが、気前よく韓信に自分の豪勢な食事を分け与えたという。それは見た目も味も、韓信には初めてのものばかりだった。
 韓信はこのとき、項羽を評して、
「勇者であることには間違いがないが、部下を信用して任せる勇気がありません。あれは言うなれば、匹夫の勇です」
 といい、また、
「項王は身内には仁をもって接しますが、功ある者に爵位を与える際には、印綬の角がすり減るほど手の中でもてあそび、躊躇します。他人に権力を与えるのに吝嗇(りんしょく)で、ああいうのを婦人の仁といいます」
 と切りすてた。
 劉邦はこれにいたく喜んだという。
 低劣な陰口のように聞こえるが、そばで見てきた韓信が得た項羽の印象はそういうものだったのだろう。

「項王は諸侯を王に取り立てましたが、その配置には私情をはさみすぎです。また諸侯の中には、項王が義帝を江南に追放したのを見て、それを形だけ真似しようとする輩も多いようです。燕や趙、斉はいまに大混乱が起きましょう。すべて項王の政策の誤りに拠るものです」
「また、項王は必要以上に都市を破壊しすぎました。項王の通ったあとは、瓦礫の山しか残っていない、というありさまです。諸侯はこれを見て恐れ、ひれ伏すでしょうが、民衆はなつくはずがありません。項王は覇者として名を轟かせていても、実際は人心を失っているのです。したがって、その強さを弱くしてやるのはたやすいことだと私は考えます」
「大王は、項王のやりかたの逆を行えばよいのです。天下の勇士をお使いになり、彼らにお任せになられませ。そうすれば敵対するものは誰であろうと叩き潰せましょう。そして天下の城邑を手柄を立てた者に惜しみなく分け与えられませ。そうすれば誰だって心服いたしましょう」
「大王はすでに秦の苛酷な法を廃止し、三か条の法だけを取り決めになりました。これにより民衆は大王が関中の王になることを欲しております。また諸侯や義帝との約束事から申しましても、大王が関中王になられるはずだったことは、秦の人民もよく存じております。大王は軍をあげるだけでよろしい。さすれば関中の地は、檄文をとばすだけでも平定できましょう」

 関中反転に関して劉邦は檄文をとばすだけ、あとは自分がやる。このあと韓信は計画を劉邦に明かした。

 韓信の計画のあらましを聞き終えた劉邦は、韓信を得ることが遅すぎた、と周囲の者に語ったという。

         四

 巴蜀の鎮撫を丞相の蕭何にまかせ、劉邦はじめ漢軍の面々はそろって北進を開始した。
 韓信はこれに合わせて、大々的に桟道の修復を開始した。桟道を直しながら進軍するものと敵に見せかけるためである。

 しかし一方で韓信は別働隊を編成し、ひそかに山脈を大きく迂回する古道を使って関中へ進路を取らせた。
 この古道を使えば、行く手を遮る川を船で渡らねばならない。が、部隊が一度に渡りきれるほど船の数はない。必然的に渡河には船の往復を必要とし、気が遠くなるほどの時間がかかった。
 桟道の修復も一朝一夕に完成するものではなく、韓信は兵を督励し、時には自ら作業を手伝いもした。

 どちらも日進月歩的な進行状況ではあったが、悲観すべきものではなかった。明確な目的意識を持ち、韓信の表情から鬱屈した悩める若者の陰が取り除かれていったのは、このころからである。

 時間がかかることはかねてから覚悟していたことなので、どうということはない。古道を行く別働隊の進軍速度に合わせて、桟道の修復もせいぜい時間をかけて行えばよいのだ。
 関中の敵が桟道の完成に合わせて迎撃態勢を整える間に、予想しない方角から降って湧いたように別働隊が関中に流れ込む、それが理想である。そのために少数の先遣隊を古道から送り、関中の内応者を募らせたのは、韓信の芸の細かさであった。

 内応者を募ることはそう難しいことではなく、章邯を始めとする関中の王たちは民衆の支持を失っており、声をかければ民衆はおろか兵卒でも漢軍に味方をした。
 たとえ迷う者がいたとしても、多少褒美を上乗せすれば意を決しない者はなかった。

 かくして韓信は作戦に自信を持ち、みせかけの桟道の修復作業にも力が入る、という具合である。しかし、それを見た士卒の中には、風格が足りないと感じた者も多い。身分の高い者が卑しき作業に努力することを、素直に受け入れないのであった。この者たちは、韓信の若さに不安を持ち、頼りなさを感じているからそういう受け止め方をしたのである。

「将軍は努力家であられますな。しかし、ここで体力を使い果たすと、関中に入ってからがきつくなりますぞ」
 と、声をかけてきた者がいる。
 老人であった。
 こけた頬、白髪まじりの長い顎髭、しみの多い肌……韓信にはそれが栽荘先生の晩年の姿のように見えた。
「先生!……いや、人違いであろう。老人、名はなんと言いますか」

 その老人は優雅な微笑を作り、緩やかな所作で受け答えをした。
「わしの名は、酈食其(れきいき)という。おもに使者の役目を仰せつかって、この軍にいさせてもらっている。……ところで先生とは誰のことじゃ?」

 韓信にはどうにも説明できない。
「いえ、昔お世話になった先生にあなたがとてもよく似ていたものですから……」
「ほう、なるほど。ところで、わしも先生じゃ。人はわしのことを酈生(れきせい)と呼ぶ。なぜわしが先生と呼ばれるかというと、いつも身なりに気をつけているからじゃ。そこから生まれる気品のおかげで、みながわしを敬うのだ」

 なんという自信過剰な老いぼれであろう、と韓信は思わないではなかったが、この時代、老人にたてつくことは「孝」の概念上、許されない。さらに、注意してみれば、その老人はしみだらけの顔に似合わず、不思議と調和された気品が確かにあった。

 これを受けて韓信は、この老人は儒者であるに違いない、と結論づけた。
「先生は、孔子の徒であられますか」
「いかにも。わしは儒者である。儒者は日ごろ冠の位置まで注意深く直し、礼のない言動を嫌う。わしはこの軍を通じて孔子の教えを天下に広めるのが最終目標よ」

 儒家がどういうものか、韓信は詳しく知っていたわけではない。しかし、この時代の通念として、儒家というものは王者に仕えるための礼儀作法を教える学問だということだけは知っていた。王者はかれらに行儀よくかしずかれることにより、より王者としての風格を増す。人によってはおべっか使いの学問だと批判する者もあった。

「わが漢王は、あまり礼儀作法に通じたお方ではありませんね。一説には儒者嫌いだという話も聞いたことがあります」
 酈生は、劉邦の話を陰ですることがいかにも楽しそうに笑った。
「それよ。わしが初めて漢王に相見えたときは、王は両足をたらいにつけ、小娘に足を洗わせておった。失礼千万な話じゃ。また、いろいろな噂もそれ以前に聞いておった。漢王は儒者を見ると、その冠をむしり取って、その中に小便をする、などと……。しかし、漢王はそれ以上のことはせぬ。ひところは儒者であること自体が罪とされる時代があった。将軍の若さでは知らないかもしれんが……穴に埋められないだけましと思うしかない。それに、漢王は儒者であろうとなかろうと、聞くべき意見は分け隔てなく聞いてくださる。やはり、他の者よりまし、と思うべきだろう」
 酈生は平気で劉邦の陰口を叩き、批評までしてのけた。漢軍の自由な気風がそうさせたのか、単に酈生が変わり者だったのかはよくわからない。
 おそらくその両方だろうと、韓信は思うことにした。
「先生には関中入りしたのち、民衆に漢に味方するよう説いて回っていただきます。よろしいか」
 酈生はやはり優雅に笑って答えた。
「それは構わん。それはそうと、将軍たる者、土木作業などに根詰めて従事するものではない。懸命なのはわかるが、やりすぎると士卒たちに軽んじられるもとになるからのう。もし将軍が望めば、みんなの前でわしが将軍にかしずいてみせるぞ。そうすればみなの将軍を見る目が変わってくるだろうて」
「いえ……それはご免こうむります。想像するだけで尻が痒くなってきそうだ」
 これを聞いて酈生は高笑いし、去っていった。高らかに笑っても下品な印象を残さないのは、儒家のなせる業だろうか。

         五

 桟道の修復の完成が間近に迫り、いよいよ迎撃態勢をとった章邯は関中の南側に兵を集結させつつあった。
 しかしこのときすでに内応者によって手引きされた別働隊が、なんと関中台地の最西端、陳倉(ちんそう)の城門を破り、なだれ込んだのである。

 意図していない方角からの攻撃に、意表をつかれた章邯はまったく対抗できなかった。

 そしてここに至り、桟道の修復が完了し、南側からも漢軍が突入を開始した。
「よし……。上出来だ」
 別働隊の侵入とほぼときを同じくして桟道の修復を終える、という時間的な機微は韓信がいちばん神経を尖らせた部分であり、これを確認した瞬間、韓信は作戦の成功を確信した。
 あとは流れに乗るように敵を攻めるだけである。挟み撃ちにした章邯の軍を破るのに、細かな作戦はいらない。大軍の利を生かして敵を殲滅するだけであった。

 韓信はさんざんに章邯の軍を撃ち破り、咸陽の北、好畤(こうじ)の地までこれを追い込んだ。ここで章邯は陣形を組み直して対抗しようとしたが、さらに韓信に破れ、廃丘(はいきゅう)に逃れた。
 廃丘から咸陽は目と鼻の先の距離である。そこで漢軍は先に咸陽を制圧し落城させると、廃丘を包囲しつつ、東方へ兵を分けて進出し、司馬欣、董翳を攻め、この二人を関外へ追い出した。

 ここまでやれば、実質的に関中は漢によって平定されたといっていいだろう。章邯は廃丘で小規模な抵抗を続けているといっても、それを援護する勢力もなく、いずれ滅びるのを待つばかりである。

 章邯が絶命したのは翌年の紀元前二〇五年の五月であるが、このときに韓信が手を下したわけではない。それでも事実上章邯を滅ぼしたのは韓信であることには変わりがなく、当時の人たちもそのように評価した。

 紀元前二〇六年の七月、自分がなした戦功の巨大さに呆然とする韓信であったが、漢王劉邦はこれにおおいに喜び、夏の暑気に汗ばんだ韓信の額を、自らの手持ちの布で拭いてやったという。

中原へ進出す

         一

 項羽は漢軍の関中平定に際し終始傍観の態度を決め込み、結果的に彼は章邯を見殺しにした。それでも章邯は項羽が任じた王であったので、これを漢軍が項羽に無断で滅ぼしたことは項羽が漢を討つ大義名分になりうる。
 しかし項羽にとって漢の関中反転は予想よりも早く、状況の意外な変化に態度も慎重にならざるを得なかった。余裕で傍観していたというよりは、手の打ちようがなかったと言っていいいだろう。
――劉邦のもとには、まともに軍の指揮をとれる将官などいないと思っていたが……認識を改めなければならぬ。

 項羽にはもちろん韓信が大将として漢軍を統率している事実は伝わっていない。それだけに漢への対応は情報を収集してからにしたかった。

 このとき居城の彭城に至ったばかりの項羽は、一通の書状を前にして、范増と議論を交わしていた。
 その書状には、こう書かれていた。
「漢王は本来あるべき務めを果たそうとしているに過ぎず、義帝との約束を果たすために関中の地を得ようとしているだけなのです。関中を得れば、そのまま留まり、さらに東進するつもりはございませぬ」
 さらに、こうも記してあった。
「斉に謀反の気配がございます。斉は趙とともに、楚を討ち滅ぼそうとしております」
 その書状の差出人は、張良であった。劉邦のお気に入りの謀臣である。

 しかし、項羽は、張良のことが気に入らなかった。儒家でもないくせに妙に行儀がよく、涼しい表情をしながら、常に自分にとってよからぬことを考えているように見えるのである。直情的な項羽にとって、もっともよくわからない男のひとりだった。
「亜父、この書状の中身、どう思うか?」
 項羽は范増にその書状を渡し、判断を仰いだ。
「……これを見るに、漢王のくだりは虚言、斉のくだりは事実を述べていますな。漢は見逃し斉を討て、そう言いたいのだ。張良なら、当然そう言うでしょうな」
 項羽はいらいらとし始めた。
「いったい、この張良とかいう男はなんなのだ! 韓の貴族のくせに劉邦の手駒になっているとは。韓を安泰に保ちたいのなら劉邦の助けなど借りずに、このわしに頼めばいいのだ! それほどわしは頼りないか? それともわしに頭を下げるのがそんなに嫌か?」
「落ち着かれよ。斉の動きが不穏なのは事実。かの地には、田栄がおりまするゆえ、捨て置くわけには参りませぬ。かといって漢もそのままにしてはおけない。……王よ、亜父は妙案を思いつきましたぞ」
「妙案……? お聞かせ願おう」
 范増は目を光らせた。
 この老人は良策を思いついたときには、眼光の鋭さが増す。項羽はこの目を見るたび、わけもなく心の底から興奮するのを覚える。
「王は張良のいう通り、事が起きましたら斉を討伐に行くがいいでしょう。漢に対しては、韓をもって備えとする。すなわち、軟禁している韓王成を殺し、あらたにこちらで別の王を擁して張良のよるべをなくす、というのはどうであろうか」
 項羽は膝を打った。
「なるほど。張良の弱り顔が目に浮かぶわ。奴は、結局漢に奔るであろうな。しかし、それでも構わん。斉を討ったあとに、劉邦もろとも討てばいいだけの話だ。亜父、その線で行こう」

 こうして韓王成は処刑され、晒し者とされた。罪状に正式なものはない。

 かわりに項羽は、韓とは本来縁もゆかりもない鄭昌(ていしょう)という部下を韓王に任じ、関中への防御線とした。

 主君を虐殺された張良は悲憤にくれた。張良にとって国を奪われたのは、これで二度目である。
 一度めは力士とともに復讐に挑んだが失敗した。二度の失敗は許されない。張良は劉邦の手を借り、今度こそ復讐を成就させる決意を固めた。
 張良はひそかに韓を離れ、関中へ走った。ふたたび漢王のもとへ仕えたのである。

 いっぽう楚を悩ませた斉の動きは、この前の年から激しい。きっかけは項羽の論功行賞にあり、騒動の中心は、やはり斉の田栄であった。

 田栄は、兄の田儋の死後から、実質的な斉の支配者である。
 その田栄が項梁の再三の要請にもかかわらず、支援を拒否して見殺しにしたことは前に触れた。また、趙が鉅鹿に追われ、項羽がこれを救援に向かったときも、協力的な態度は示さず、しかも裏では宋義と内通しているかのような動きも見せている。
 項羽が田栄を好きになる理由は、まったくといっていいほどなかった。

 よって項羽は田栄になんの恩賞も与えず、かわりに斉をばっさりと三分し、それぞれに田市、田安、田都の三王をたてた。田市は田栄から擁立されたもともとの斉王であるが、ほかの二人は田栄とそりが合わず、楚に味方したというだけで王になった人物である。
 王はおろか侯にもされず、一寸の土地も与えられなかった田栄が激怒したことは言うまでもない。

「ほんのわずかでも項羽に期待したわしが愚かだった。思い返せば、項羽から土地や官位を恵んでもらう理由はない。かつて陳勝は言ったものだ。『王侯将相、いずくんぞ種あらんや』と。……だれが天下に覇を唱えようと構わない時代である。項羽が勝手に覇を唱えるのであれば、わしが唱えてもおかしくない道理だ」
 と周囲に語った田栄は、まず趙の陳余に使者を送り、陳余が項羽に従軍しなかったことで王とされず、侯爵に留まっていることを不満に思っていることにつけ込んで、反乱を使嗾した。

 これに乗った陳余は趙国内で反旗を翻し、王となった旧友の張耳を討った。逃れた張耳は漢へ身を寄せることとなる。

 そして新たに斉王に任じられた田都が入国しようとすると、田栄は武力でそれを阻み、逃れた田都は楚へ奔った。
 それだけなら話はわかるが、もともとの斉王の田市が項羽を恐れ、みずから新たな領地に赴こうとすると、田栄は怒り、なんと田市を殺してしまった。
 田市は田儋の子で、そもそも田栄自身がかつぎ上げた王だったことを考えると、彼の性格の凄まじさは言語に絶する。

 もはや欲望の塊となった田栄は、田市を殺した帰り道で、さらに田安を殺害し、斉の全土を制圧することに成功した。これを機に、彼はついに自ら斉王を称したのである。

 これを知った項羽の怒りは、頂点に達した。
「このわしの指名した三人の王を、三人とも締め出して自ら王となるとは、田栄め! それほどわしに殺されたいのか。ならば望みどおりに殺してやるまでよ!」
 項羽が憤ると、髪の毛が逆立ち、まなじりは裂け、あたかも血が噴き出すかのようで、それに恐れをなした周囲の者はひれ伏して顔を上げることができない、と言われる。このときの項羽がまさしくそれであった。

 かくて項羽は斉へ遠征した。張良の書状の通りである。また、范増老人の読み通りでもあった。

         二

 張良が関中に入り、この時点で漢軍は蕭何、張良、韓信の三名の建国の功臣を得るに至った。
 蕭何は治において、張良は策において、韓信は武においてそれぞれ後世に語り伝えられる大功を治めるに至る。これより後の世、それぞれの分野で彼ら以上の勲功をたてた人物もいないことはないが、劉邦が歴史的に評価されるところは、彼ら三名をを同時に得ることができた点であろう。
 現在では中国文のことを漢文、中国の文字を漢字、代表的な中国の民族のことを漢民族と我々は呼び、「漢」という語はひとつの王朝を指す以上に中国そのものを示しているといっても過言ではない。その起源が約二千二百年前のこの時代であり、漢がまともな王朝国家となる以前、蕭何・張良・韓信の三名が集結したこのときこそがその歴史の出発点であると言える。

 韓信は張良や蕭何に函谷関から外に出て中原へ進出する必要性を、このとき主張している。韓信にとってそれはもはや絵空事ではなく、充分に勝算があった。
――項王が斉討伐に動いている今こそが、そのいい機会だ。
 と思ったが、韓信には一抹の不安がある。韓が防壁となっていることで、あるいは張良が出兵を渋るのではないか。

 しかし当の張良はまったく異を唱えなかったので韓信は意外に思った。
「子房どの、韓の地にはあなたと旧知の関係にある者が多数おられましょう。にもかかわらず討って大丈夫なのですか」
と韓信は張良に質問した。これに対し張良は、
「いかにもその通りではあるが、彼らを解放するには、少しばかり戦渦に巻き込むことも受け入れねばなるまい。そのあたりは……将軍がうまくやってくれることを祈っている。実はすでに王族につながる者を探し出して、その者に一軍を率いさせている」
 と述べたという。

「なるほど」
 韓信は相づちを打ち、話の先を待った。
「その者は軍の統率にまだ不慣れで、単独では鄭昌の軍を破ることはできない。だから、将軍にお任せするしかないのだが……いいだろうか?」
「無論です」
「そこで頼みがあるのだが、決定的な場面……つまり鄭昌その人を討つことは、その者にやらせてほしいのだ。その者に武勲をあげさせ、大王に韓王として認めさせたい」
「わかりました」
「戦場でもわかるくらいの、とびきり背の高い男だ。彼の姿を認めたら、武勲を譲ってやってもらいたい。頼むぞ」
 韓信はこれを受け入れ、王の許可を得て、関の外へ出兵することとなる。

 関外進出に決定がなされた背景には、あらたに手中にした漢中、巴蜀の地が思いのほか豊穣であったことがあげられる。
 山々に閉ざされた土地を想像し、漢軍の誰もがどうしようもなく土壌の痩せた荒廃した土地だと思い込んでいたが、実はそうではなく、土地は温暖で肥沃であり、人々は米作を営み、また大きな湖もあることで水産物にも事欠かなかった。
 漢軍は大きな食料庫を与えられたようなものであった。そして、その管理は蕭何がやってくれる。

 後顧の憂いのなくなった漢軍は、まずは河南の地を攻めて、これをいとも簡単に陥落させた。
 しかしその先には王鄭昌に率いられた韓が控えている。鄭昌は先述した通り、もと項羽の部下である。それも功を賞されて王位に就いたというよりも、漢軍を抑えるために必要上王権を授けられた、という部類の男であった。
 いわば鄭昌は楚の雇われ王であり、韓人にとっては、畏敬の対象ではない。
 そのような者が王である以上、韓の主権は楚にあると言っていい。自らの意思ではなく、上からの命令で韓を守っていた鄭昌は、漢軍が武威を見せても降伏しようとはしなかった。それもそのはず、安易に降伏してしまえば、あとになって項羽から断罪されるのである。

 韓信はそんな韓の事情を察し、張良にいわれた通り、うまくこれを処した。
 間諜を用いて韓軍全体の感情を揺さぶり、前衛部隊の気力を削ぐことに成功すると、ためらいもなく中央突破をはかり、韓軍の中枢部へと兵を進めた。前を守る者たちは漢軍に通じていたので、道を開けるばかりである。
 あっという間に漢軍に囲まれた形になった鄭昌の直属の部隊はある程度抵抗したものの、数の差において漢軍が圧倒した。
 韓信はここまでお膳立てをして、後の処理を張良に言われた韓の王族に連なる男に託した。例のとびきり背の高い男である。

「斬りかかる必要はない。鄭昌は王ではあるが、事実上楚の将軍と変わらない。状況もわきまえず、必死で楚のために働こうとするだろう。こういう手合いには近寄らないに限る。数では圧倒的に有利であるから、落ち着いて遠巻きに弓矢で射よ」
 韓信の助言である。その言のとおり、鄭昌は最後まで抵抗して粘りを見せたが、部下が自分より先に降伏してしまう状況ではどうしようもなく、ついに観念して降伏した。

 韓信は民衆の命をほとんど損なうことなく、韓の地を制圧した。
 張良はこれに感激し、韓信の手を取ってひと言だけ、言ったという。
「ありがとう、将軍」

 韓の地には亡き韓王成の甥がたてられて王とされた。劉邦が初めて任じた諸侯王がこの人物ということになるが、これが先に韓信が助言を与えた人物であった。

 余談であるが、この人物は名を信という。韓の王族につながる男なので姓は韓であり、よってこの人物も韓信なのだが、漢の大将の韓信と混同を避けるため、韓王信と表記されるのが一般的である。

         三

 ときを同じくして、項羽は田栄を討つべく、北方の斉を攻撃している。

 それに先立って諸侯に参戦を促したが、意外なことに黥布がこれに従わなかった。
 このとき黥布は項羽から九江王の地位を授けられ、生まれ故郷の(りく)(地名)を居城にしていたが、このころから項羽への非協力的な態度が目立つようになる。彼は項羽から督促の使者が来ても、病と称して参戦を断り、わずかに数千人の兵を差し出しただけだった。
 おそらくは新安の虐殺、並びに義帝の暗殺という項羽に命ぜられた汚れ仕事に対する悔恨が原因と思われる。
 黥布に自立心が芽生えたとしたらこのときだったに違いない。しかしまだ項羽を恐れる心は確かに存在し、仮病は使っても反旗を翻すまでには至らなかった。

 黥布の協力を得られなかった項羽は、斉の討伐に際して、まず手始めに配下の一人の将軍を派遣したが、これが斉に敗れたために自ら出征しなければならなくなった。
 いや、したくなったのである。
 他人に大事を任せきれない性格と、生来の好戦的な性格がそうさせたのであった。かくて項羽は首都の彭城をもぬけのからにして、田栄と対峙すべく北方の斉へ向かって進軍を開始した。

 黥布が来なくても、斉を撃破する自信が項羽にはあった。麾下には名将と謳われる竜且(りゅうしょ)や、鍾離眛がいる。もし万が一彼らがいなくとも、たったひとりでも斉を撃ち破るのはたやすいことだと項羽は本気で考えていた。
――やれば、できる。他の者どもは気概が足りないのだ。
 ひとりよがりな感は否めないが、事実そうであったから仕方がない。本気になった項羽に対抗できる人物はこの時代にはおらず、韓信でさえも勇猛さにかけては数段劣る。

 そして項羽を先頭に立てた楚軍は、そうでないときと比べて士気が格段に上がる。兵士たちは軍神をあがめるがごとく恍惚となり、自らの命を意識することなく、無数の殺人機械となったがごとく敵陣に殺到するのであった。

 項羽率いる楚軍の狂ったような襲撃を受けた田栄はまったくこれに対抗できず、命からがら斉国内の平原という城市に逃げ込んだ。
 兵は散り散りになり、部下の大半を失った。捲土重来は期せそうにもない。
――ここまでか。いや……まだ終わるわけにはいかぬ。
 田栄は敗兵をまとめ、再起を図ろうとした。
「斉王はここに存命中である。我々は敗れはしたが、今一度結束し、憎き楚へ復讐せんとするものである。志ある者は……」
 などと演説したが、平原の住民がそれを許さなかった。

 項羽の過去の行為をみると、敵に味方した城市の住民は、ことごとく穴埋めにされている。住民は自分たちがそうなることを恐れた。
 斉王と項王を天秤にかけた住民たちは、結局項王を選び、斉王田栄は平原の住民たちの手にかかって撲殺された。項羽のこれまでの残虐な行為が報われた結果となったのである。

 しかしそれで納得するほど項羽は気の優しい男ではない。
――ひとたび危うくなれば、自らの王も売る。信用おけない住民どもではないか。

 結局平原を始めとする斉の城市は、項羽の進軍経路に沿って焼き払われ、住民は虐殺された。
 項羽にしてみれば、信用おけない斉の住民などは、ひとり残らず殺し尽くしてしまいたかった。が、もちろん実際はそういうわけにはいかず、少なからず叛逆分子を討ち漏らした。
 生き残った住民や残兵たちは田栄の弟、田横を中心に再集結し、数万人集まったところで城陽において項羽に逆襲したのである。

 項羽は斉の厄介さに手を焼き、彭城への帰還の予定が大幅に遅れた。

         四

 項羽が斉を相手にしている途中にも、断片的に情報は入ってくる。
 その中のひとつに、
「函谷関を出て東進をはかる漢軍によって、鄭昌率いる韓が敗れた」
 というものがあった。
――劉邦が……まさかな。あの弱い軍がこれ以上進んでくるとは思わぬ。

 漢軍がそれ以上進撃を続けるには、いずれ自分と対峙しなければならない。自分の前で情けなく頭を地に付けた、あの劉邦にそれだけの度胸があるとは思わなかった。韓が敗れたというのは意外であったが、もし事態が憂慮すべき段階になったら、自分が行って徹底的に叩けばいい。そのくらいにしか考えなかった。

 しかし、漢軍の行動は項羽の想像より早い。
 劉邦は韓を撃ち破る漢軍の実力を示すと、天下に檄をとばした。その結果、いち早く魏が賛同の意を表し、魏王豹(ぎおうひょう)が劉邦のもとへ馳せ参じた。魏豹はかつて章邯に降伏し、焼身自殺した魏咎の従弟である。

 またこのとき漢は、張耳を追い払った陳余に対しても協力を要請している。
 陳余はこのとき、趙王に歇を戻し、自らは代王を称している。しかし国情を考えて領国の代へは行かず、そのまま趙の地に留まっていた。

 漢より協力を要請されたその陳余の返答は、以下の様であった。
「そちらに逃げ込んだ張耳を、漢が殺しましたら従いましょう」

 この陳余の言を受けて、漢の意見は割れた。
――いやな男だ、陳余という奴は。……それとも人というものは権勢に目が眩むと、過去の恩や友誼をすべて忘れることができる生き物なのだろうか?
 韓信は思い、無理に趙に協力を要請する必要はない、と主張した。こういう人物とはともに戦えない、と考えたのである。

 しかし盧綰や周勃など漢の旧来からの将軍は、反対の意見を主張した。
「兵は多いほどよい。なにしろ項王を相手にするのだからな。いくら項王が彭城に不在だからといっても用心するに越したことはない。また、天下を望むのであれば、いずれ趙も味方に引き入れなければならないのだ」
 実質的に章邯を破り、韓を破った韓信ではあるが、いまだその将としての実力は未知数であることからの主張である。
 漢将の多くは、韓信は勝利を得たが、それは敵国の王が民衆から支持されていなかったからで、韓信はそれに乗じることができたに過ぎない、と考えていたのである。

 しかしそのときの韓信にとってそのような評価はどうでもよく、目の前の問題だけが大事であった。
 彼が考えるに、取引によって生じた連合組織ほど信用できないものはない。数だけを揃えてみても烏合の衆では話にならず、かえって軍全体の把握が難しくなるだけである。
「陳余のような人物は、いざ状況が劣勢になると真っ先に自分の安泰をはかり、踏みとどまって戦おうとはしないでしょう。それともあなた方は、疑わしい者を味方につけるかわりに張耳どのを殺そうと主張なさるのか」
 一座は言葉を失い、しんとなった。

「せぬ」
 そう言ったのは漢王である。
 漢王は形式張った演説など苦手な男だったが、このときは滔々(とうとう)と自己の主張を話し始めた。
「張耳が国を追われたのは、決して張耳自身の責によるものではない。また、追われた張耳はあまたある国の中でわが漢を選び、身を寄せたもうた。罪を犯して逃亡してきたのならいざ知らず、非のない者が災難を逃れて身を寄せてきたのである。これを一時の連合のために殺すというのは、義に背く行為だと言わねばならない。ましてわしと張耳は旧知の間柄である。……わしは若い頃、食い詰めて張耳の客として世話になったことがあるのだ。恩を仇で返すわけにはいかぬ」

 将軍たちの間で、ではどうするのか、と論議になった。
 一座の中のひとりが、
「それでは大王は、趙は当てにしない、とのお気持ちですか」
 と聞いた。漢王はしかし首を横に振り、
「いいや。陳余などは、善か悪かと問われれば悪かもしれぬ。しかしわしはそれでも味方に引き入れるくらいの度量は持ちたいと思っている。この中の誰かが言ったが、今のところ、兵は多いに越したことはない。大将軍の韓信にも悪人を使いこなすくらいの度量を期待したい」

 再び一座は、どうする、どうするの議論でざわついたが、張良のひと言で、議は決した。
「では、こうしましょう。罪人のなかで張耳どのによく似た者を探し、これを斬る。陳余などは、先ほど韓信大将軍が言った通り、状況が悪くなればすぐ裏切るでしょう。であれば先にこちらが騙しておいても差し支えなかろうと存じます」

 こうして漢は韓・魏・趙を味方に引き入れた。
 その結果、漢の軍勢はおよそ五十六万にふくれあがったのである。

――大軍は確かに敵を圧倒するもの……。しかし、ひとたび乱れれば統御のしようがない。乱れる前に決着をつけられればよいが……。
 大軍誕生に浮かれる漢の上層部のなかで、ひとり韓信は前途の多難さを予測し、ため息をついた。

         五

 しかし、韓信は何もしなかったわけではない。前途に不安を感じるのであれば、今できる最大限の努力をしておこうと考えた彼は、軍の中から精鋭を選び出し、自分の直属とした。

 精鋭といっても単に武芸に達している者に限らず、職務に忠実な者、理解力に長けている者、また足が速いことだけが自慢の者もいれば、腕力だけが自慢の者もいた。
 韓信が重視したのは、武勇に長けた、百戦錬磨の者を選ぶことではなく、いざという時に自分の指示を疑うことなく実行できる者を選ぶことであった。固定観念が少なく、柔軟に物事を考えられる人物が最適で、この結果選ばれた者たちは必然的に若者が多かった。

 韓信はさらに人材を得ようと軍中を見回っていたときに、とびきり馬の扱いに慣れた若者を目にした。さらに馬上からの騎射がうまく、韓信が立ち会った演習の場では、どの位置から射ても寸分違わず同じ的に命中させてみせた。
「実に巧みな射術だな。すばらしい。我が配下に彼を誘いたいものだ」
 韓信は思うだけでなく、実際にその若者に誘いの言葉をかけた。しかし、その若者はまともな返事をせず、会話が成り立たない。

――この者は(おし)か……?
 韓信がそう思った矢先、若者はやっと声を発した。
「私、……楼煩(ろうはん)です」

 楼煩とは万里の長城の外に居住する遊牧騎馬民族のことをさし、いわゆる「胡」と呼ばれていた異民族のひとつである。
 もともと楼煩は中央アジアの北部を拠点として遊牧生活を営んでいたが、匈奴に圧迫されて次第に東に移住するようになり、やがて中原諸国に流入するに至った。この時代には趙の北部に楼煩県という行政区分もあり、定住、漢化の始まった時期であったと考えられている。

 楼煩出身のその若者は、左手に騎射に適した独特の短弓を持ち、常に右手一本で馬を制御していた。
 馬上で矢を射るときには軽く右手に手綱を絡ませながら足だけで馬を御し、巧みに矢をつがえて放つ。その際に馬の足が止まることはまったく無く、それでいて命中の精度は比類がなかった。
「楼煩の若者。名をなんという?」
 その若者は軽い所作で馬から飛び降り、韓信の前に跪いて言った。
「カムジン、です」

 しかしその若者には姓がない上に、自分の名を記す文字も知らなかった。
 それでは諸事都合が悪かろうと考えた韓信は、その若者に中国風に「咖模津」という名を与えたという。
 韓信は命名するにあたって特別な思いを込めたわけではなく、彼を配下に置く以上は名を記さねばならないこともあるだろうと思い、当て字をしただけである。読み方は「かむじん」のままであった。

 ところが当のカムジンはこれに感動し、韓信の手を取って喜びを表現したという。
 その後韓信はカムジンと話を続けたが、カムジンが必死に韓信の言葉を理解しようと努力する姿に感じ入り、あらためて配下に招くことを決意した。

 カムジンは趙から逃れてきた張耳の指揮下にあったが、韓信は要請して彼を引き抜くと、以後弟のように可愛がったという。

彭城潰乱

         一

 韓信は出撃を前にして、精鋭を周囲に置き、これを常に自らの周囲に配置することにした。親衛隊のようなものである。
 それは大軍となった漢と諸国の連合軍の中で指令系統が乱れ、軍の収拾がつかなくなったときのための最後の切り札であり、つまりはこの諸国間連合の行く末が楽観できない気持ちのあらわれであった。

 しかしそんな韓信の思いをよそに、漢を始めとする連合軍は、はやる気持ちを抑えもせずに西楚の首都、彭城へなだれ込んだ。
 総勢五十六万の蹂躙。
 車馬の列が奏でる大地が裂けるほどの轟音。
 あらゆるものをも焼き付くすかのような大火。
 そして、敵味方を問わず浴びせられる狼藉。

 もはやその姿はひとつの目的にしたがって行動する軍隊などではなく、五十六万の意思がとりとめもなく散乱するただの混沌でしかなかった。
 たとえば城内に財宝が発見されると、早い者勝ちで兵たちはそれを奪おうとする。宝の奪い合いが殺し合いに発展し、その結果勝利を得た者が財宝を手中にした。
 しかしやがて上官が現れるとその兵は斬り殺され、財宝は上官のものになるのだった。

 尽きることのない悪意の数々。

 将兵たちは楚兵の首を囲んで酒宴を開き、女を見つけるや老若を問わず見境なしに犯す。
 あらゆる財宝は奪われ、食料は山分けされた。
 韓信は目を背けたくなった。
――軍のたがが外れてしまった。もはや私に統御できる段階ではない……。彼らには義も不義も関係なく、欲を満たせればそれでいいのだ。本来彼らには戦うための理念というものがなく、楚が弱まれば漢に味方し、漢が弱まれば楚に味方する。うまい汁を吸える方になびくだけなのだ。

 何もかも放り出して、逃げ出したくなった。
 しかし当然のことながら大将としての立場がそれを許さない。
「……諸君、よく見ておくのだ。これが人間の本性というものだ。欲望に身を委ね、思いのままに行動しているうちは、人々は自らの身の危険を考えない。愚かなことだ……。彼らは今、項王の存在を失念してしまっているのだ」
 韓信は直属の親衛隊に向かってそう話し、予期される項羽の反転に関して注意を喚起した。
 嘆く気持ちを抑えつつ、韓信は項羽の帰還経路を推測し、それに備えるよう努力したが、徹底しないこと甚だしい。もはや軍規の緩みは諸国連合の核ともいうべき漢軍にも及んでいた。
――漢王も漢王だ。あの方こそしっかりしておれば、こんな事態にはならなかったものを……。張子房どのも、いったいどこで何をしている?
 このときいちばん勝利に浮かれていたのは漢王劉邦その人だったかもしれない。

 劉邦は酒宴を開く兵たちに混じって、自らも酒を飲み、唄い、騒いでいた。もともと家業も手伝わず、遊びほうけていた平民時代の姿がそこにあった。
 張良はそんな劉邦の姿を見るのに嫌気がさしたのか、ひとり廃屋にこもり静かに過ごしていた。
 張良は元来多病で、すぐ風邪をひいては寝込むたちであったが、このときも遠征の疲れが出た、と言って軍中に姿を現すことがなかった。実際は乱れた軍組織の中に自分がいることを恥ずかしく感じたのであろう。

――いったい勝利とは、なんだ?
 韓信はさじを投げたくなった。

 しかし我慢強く、耐え忍べばそのうち項羽がやってくるだろう。
 そのときこそ自分が軍を掌握する唯一の機会だ、と考えざるを得なかった。
 敵の項羽の反転来襲を期待するとは、韓信にとって甚だ不本意ではあるが仕方のないことであっただろう。

         二

 いっぽう首都の危急を知った項羽は、斉との戦いをひとまず部下に任せ、自ら精兵三万のみを率い、彭城に取って返した。
 五十六万対三万の戦いである。項羽の自信は筆舌に尽くしがたい。

 四月のある日の明け方、彭城の西、(しょう)の地に項羽率いる楚軍は出現した。まともな守備態勢などとっていなかった諸国の連合軍をあっという間に壊滅させ、昼前に項羽は彭城に達した。
 恐慌をきたした連合軍は、一斉に南にむかって逃げ出した。

 大潰乱である。

 逃げる漢軍は、穀水(こくすい)泗水(しすい)のふたつの川で行く手を阻まれると、十万人以上の犠牲者を出した。残りの兵たちはさらに南の山中に逃れたが、楚軍の追撃はなお止まない。

 凄まじいのは追撃する楚軍の先頭に項羽自身が立っていることであった。

「項王だ! 助けてくれ」
「項王に殺される」
 助けてくれと言っても助ける者などいない。
 山を越えて睢水(すいすい)まで追い込まれた漢軍の士卒は、追い込まれてみな川岸から落下し、十万人以上が川底に沈んだ。
 このため、睢水はその流れが一時的に止まったという。

 劉邦も逃げた。
 その途中で楚軍に三重に取り囲まれ、もはやこれまでか、と思った矢先、気候が急に乱れ、西北から大風が起こったという。
 その大風を受けて楚軍の追撃が一瞬弱まった間隙を突いて、劉邦は脱出に成功した。
 しかし、その周囲には数十騎の騎兵が残されているだけだった。

 なおも楚軍の追撃は続く。劉邦は御者に向かって怒鳴り散らした。
「もっと早く走れぬのか。項羽めに追いつかれてしまうぞ」
 御者は夏侯嬰である。
 これ以上急げと言われても彼にはどうすることもできない。そもそも怒鳴る劉邦自身、揺れる車のうえで何度も転倒しているさまなのである。
「大王、身を低く! 矢で射られてしまいます」
 この時代の戦車は四頭立ての馬が引き、御者は立ってそれを操る。
 さらに乗員も立ったままの姿勢でいることが普通で、椅子らしきものはない。
 また劉邦が乗る戦車には参乗の樊噲が陪乗して護衛をすることが常であったが、このとき劉邦は樊噲とはぐれ、戦車には劉邦しか乗っていなかった。

 楚軍との距離が縮まり、劉邦の身に矢が届き始めた。夏侯嬰は、それを防ぐことができない。ひたすら四頭の馬を走らせることしかできなかった。
――このまま、討ち取られるのか。ここで終わりなのか?
 夏侯嬰の頭の中に絶望がよぎったとき、前方に軍旗が見えた。

――味方だ!

 前方に見える兵の数は、決して多くない。
 それでも劉邦の進路を開ける動きには、きびきびとした規律が見られた。
 先頭に立つ将は、長剣を抜き、それを杖がわりにして立っている。
「……韓信!」
 夏侯嬰は助かった、と言わんばかりに叫んだ。
 劉邦はそれを聞き、手を叩いて喜んだ。
「信め! 先回りして退路を確保しているとは! やはり無双の国士よ!」

 劉邦の姿を見て剣を収めた韓信は、すれ違いざまに劉邦に言い放った。
「大王! 滎陽へ! 滎陽で再起を図りましょう! ここはお任せを!」

 夏侯嬰は叫んだ。
「韓信、項王だ! 頼んだぞ!」
 劉邦も叫んだ。
「信、きっと死ぬな! 生きて滎陽で会おうぞ!」

 そして劉邦の戦車は砂塵を残し、通過していった。

         三

 これより前、劉邦の戦車が通過する直前、韓信は兵卒を前に胸の内に秘めた作戦を披露している。
 兵の数は親衛隊を中心にしたおよそ四十名。心許ない数ではあったが、今は数よりも質を重んじるときであった。
「私がこの地点に陣を張ったのは、ここがいちばん隘路になっているからである。北は山、南は川に面し、いずれも急斜面になっている……騎馬では到底迂回できない。私の推測では、十中八九、ここを項王が通る」
「…………!」
 兵たちは声を失った。いずれの顔にも恐怖の色が浮かぶ。しかし、構わずに韓信は話を続けた。
「項王はその性格上、先頭を駆けてくるだろう。これは性格の面だけではなく、今までの戦場での行動を分析してもわかることだ。しかしなぜここを項王が通るか? 答えは獲物が大きいからである。項王の最大の目標は漢王の捕縛だ。……すなわち、この道を漢王が通る」
「将軍には、なぜそのように断言できるのです?」
 誰もがもつ疑問であった。
 兵の質問に韓信は誇るふうでもなく答えた。
「私は彭城での軍規の乱れから、漢の敗北をあらかじめ予想していた。いや、予想という言葉は当てはまらない……確信していたのだ。そこで私は前もって敗走経路を漢王に示しておいたのだ」
 兵たちはざわついた。敗北を前提に作戦をねる大将など、不謹慎ではないか、と言いたいのである。
 韓信は悪びれる様子もなく、またも淡々と話した。
「あのような勝利の浮かれ騒ぎの中、漢王が敗北を受け入れるはずがない。我が軍はそのうち負けますので王は逃げてください、などと言っても信用されるはずがないだろう。そこで私は漢王にではなく、御者の夏侯嬰を説得したのだ。もし我が軍と漢王の身になにか悪いことが起きれば、この道を通って逃れよ、と」
 兵たちはまだ信じぬようであった。本当に劉邦はここを通るのか。
「信じるか信じないかは、もはや問題ではない。私とて、一抹の不安はある。夏侯嬰が私の話を覚えているか、あわてて忘れてしまいはしないか……しかし、信じるしかない。では、作戦の話に入ろう」

 韓信はその長剣で地面に図を描きながら話し始めた。父の形見の大事な剣であるはずだが、その扱いはぞんざいである。
「我々は隘路を塞ぐように横に五重の陣形をしき、漢王の姿を確認したら左右にわかれ、これを速やかに通す。通し終わったら素早く陣形を戻し、追いすがる楚軍に備える……ここまではよいな? 楚軍の姿が視界に入ったら諸君はそれぞれ()(いしゆみのこと。矢を人力ではなく、引き金を使って射るクロスボウのような兵器)を構え、ありったけの矢を射てその進撃を止めよ。あらかじめ言っておくが、このたびの作戦は楚軍を撃ち破るものではない。漢王が安全に落ち延びるための時間稼ぎである。追撃の速度を緩めてやれば、それでいいのだ」
 韓信は力を込めて語ったが、誰にもわかりきったことであった。先頭を駆けてくる者が項羽だと知り、たった四十名で勝てると思う夢想家はこの中にはいない。
「矢の連射によって楚軍の足を止めたあと、山側から攻撃を仕掛ける。隘路によって縦に伸びた軍列を側面から討ち、分断するのだ」
 不審に思った兵のひとりが尋ねた。
「兵の数が足りませんが……?」
「兵は二人、いや三人いればよい。私はやはりこうなることを予測し、山側から道を塞ぐ程度の巨岩を転がす仕掛けを作らせておいた。諸君はそれを動かすだけでいい。それだけで、確実に道は塞がり、楚軍は分断される。岩を落とす地点は、なるべく楚軍の先頭に近い位置がいい。できれば項王その人がひとり取り残されるのが理想だが、さすがにそれは無理であろうな」
「岩を落として項王に直接当てる、というのは……もっと難しいですな。しかし、いつの間にそんな仕掛けを?」
 韓信は苦笑いした。
「苦労した。兵たちはどの者も浮かれ騒ぎたいと思い、私が命令を下しても聞く耳を持つ者はいなかった。やむを得ず、協力してくれた者には将来、将軍に推すことを確約した」
「そんな約束をして大丈夫なのですか?」
「さあ、どうかな。おそらくその者たちはすでに皆死んだだろう。私には説得している時間などなかったので軍の中でとびきり欲深そうな、酒宴に興じている者だけを選んで、偽りの約束をした。時間がないときは、その方がてっとり早い」
 韓信はすこしいらついた表情を浮かべた。自分の行動に嫌悪感を抱いたのかもしれない。
「欲深な者は、欲につられて仕事をする。その先の運命まで、私が責任を持つことはない」

 一座はしんとなった。

「さあ、この話は、これで終わりだ。作戦の続きである。巨岩によって道を塞ぎ、楚軍の分断に成功したあと、我々は取り残された前方の軍に対してのみ、中央突破を仕掛ける。突破に成功したあと、戻ってきてもう一撃を加える。これで前後に分断された敵は左右にも分断される。そこでまず、右に寄せた敵を、川に落としてしまえ。落ちただけでは落命はしないだろうが、おいそれとは登ってこられぬ。この時点で兵数で当方が楚に上回る。そこで残りの山側の兵を取り囲み、釘付けにせよ……カムジン、残念だが今回は馬の出番はない。お前も皆と同じように弩を持て。短弓は腰にでも下げておくのだ」

 カムジンをはじめ、兵たちはなるほど、と相づちを打ったが、なにか忘れているような気がしてならない。そう、項王がそれを黙って見ているかどうかであった。
「残るは項王である……。厄介な相手だが、諸君が中央突破にかかると同時に、その相手は私がつとめよう」

 このときの韓信は珍しく多弁であったが、それは尋常でない決意の証のようであった。

         四

 劉邦の車列が通り過ぎると、左右に開いた陣は再び閉じた。

 そして、
――来る。
――項王が来る。
 という緊張に満ちた意識が兵たちの間に蔓延していく。

 ひとり冷静なのは、韓信のみであった。
「来たぞ。相手は百騎以上はいるようだ」
 韓信は剣をたかだかとかざし、兵たちに号令した。
「先頭の葦毛(あしげ)の馬に乗っているのが項王だ。諸君、落ち着いてあれを狙え」
 そして勢いよく剣を振り下ろした。
「射て!」

 弩から発射された無数の矢が先頭の項羽めがけて放たれた。
 弩は弓と違って矢の勢いに個人的力量の差はない。同じ速度で標的めがけて放たれた矢の数々は、それがひとつの固まりであるかのように見えた。

 矢が項羽軍の先頭集団に達し、何人もの兵士が、馬ごと転倒した。

「ひるむな。応射せよ!」
 項羽の命により楚軍からも矢が放たれたが、馬上からの射撃は密度が薄い。しかも隊列を横に組んで盾を密に並べていた韓信の軍には、目覚ましい打撃を加えることはできなかった。
 項羽は、ちっ、と舌打ちをしながら体勢を整え、全軍に命じた。相手は、たかだか四十人あまり、数で制して突破をはかれば必ずや、打ち砕ける。
「縦深隊形をとり、中央を突破せよ」
 陣形を細長い針のような形にして、相手の陣を左右に分断するつもりであった。
 しかし、これが裏目に出た。

 突撃を開始した直後、項羽の後方から轟音が響いた。
 振り向くとそこには味方の姿はなく、自分の背丈の五倍以上ある巨岩が何個も積み重なっているばかりであった。

 項羽は岩によって、後方の部隊を失ったのである。

 岩のいくつかは、楚軍の兵士を巻き添えにして、川に落ちていった。
 そしていくつかは楚軍の兵士を下敷きにして、隘路の上に留まった。
 そしてその上にさらに岩が積み重なり、乗り越えられない壁となった。

「前方に残った楚兵は何騎ほどだ?」
 韓信の問いに傍らの兵は、すかさず答える。
「二十騎ほどであります!」
「……よし。上出来だ。数ですでに上回ったぞ」

 韓信はそう言い、兵たちに合図をした。合図と同時に戦鼓が鳴り、今度は漢兵の突撃が開始された。

 混乱した楚軍の中に、鋭く漢軍の兵士が斬りかかっていく。細い道の中で楚軍は中央を突破され、左右に切り裂かれた。さらに返す一撃で川側に追い込まれた楚兵たちが谷底へ突き落とされた。
 項羽は、乱れる隊列を戻そうと、残った山側の兵たちの支援に向かった。
 が、その先に立ちはだかった者がいる。

 韓信であった。
「項王……。私を覚えておられるか。かつて楚軍で郎中の職にあった、韓信です」
 項羽は、韓信を見据えていった。
「覚えている。ごろつきの股の下を恥じらいもなくくぐった臆病者だ。今度はわしの股の下をくぐりに来たのか?」
「くだらぬ話を……。嘲りで私には勝てませんぞ」

 韓信は斬ってかかった。
 項羽はそれを剣で受け、韓信の倍以上の力で打ち返した。
 韓信の剣はそれを受けただけで、手からこぼれ落ちそうになった。しかしひるまずに身を翻して、再び斬りかかる。
 激しい剣の応酬が二度三度繰り返された。二人の距離が縮まり、剣の押し合いによる力比べが始まる。韓信は押されないように耐えるのが精一杯だったが、いっぽうの項羽には余裕があった。
「どうした。その程度の剣技では、わしを倒せはせぬぞ。お前の剣は長年使っていないようだな。刃こぼれしている。剣を研ぎ直して出直してくるがいい」
 項羽は韓信の耳元で言い、さらに押した。
 韓信は押されつつも身をよじり、項羽の腹に渾身の蹴りをいれて、飛びすさった。
「項王! 私は項王と剣技を競い合うために来たのではない。見よ、こうしている間に我が兵があなたを取り囲んでいるぞ!」

 項羽はそれを聞き、はっとしてあたりを見回した。すると独特の短弓を構えた若者の目が自分を見据えているのがわかった。

 カムジンが狙っていたのである。

 すでに山側の楚兵たちは討ち取られ、他の漢兵も遠巻きに弩を構えていた。
「韓信……貴様……!」
「卑怯だ、とでもいうおつもりか? 一騎打ちがしたいのであれば誰かほかの武人とでも相手をしてもらうがいい」

 韓信は答え、兵に号令した。
「射て!」

 項羽は剣で降り掛かる矢をはらい、馬に飛び乗り、逃げるしかなかった。しかし逃げようとしても巨岩に阻まれ、それ以上道はない。
 項羽は馬の鼻先を谷の方角へ向け、そのまま谷底へ向かって突進していった。

         *

「将軍、追わないのですか?」

 兵に問われた韓信は、疲れたように深く息をして、つぶやくように言った。
「行かせておけ。どのみちあの急斜面では追う我々の方が危ない。最初に掲げた目的を忘れるな。この作戦はそもそも、漢王が安全に逃れるための時間稼ぎである」
「驚きました……矢が一本も命中しませんでしたな。狙いは外れてなかったのですが」
「たまたまだ。あるいはこれを神がかりのように評する者もいるかもしれんが、私は信じぬ。振り回した剣に矢がたまたま当たった、それだけのことだ」
「これからどうするのです?」
「……敗兵をまとめつつ、滎陽へ向かう。そこで軍を立て直し、もう一度、項王と一戦するしかあるまい。どこかで楚軍の進軍を止めなければ、漢は関中を失うであろう」

 これを聞いた兵たちは、将来また項羽と戦う羽目になるのか、と気落ちする一方で、進んで韓信と行動をともにすることを決めた。
 彼らは、項羽と戦っても生き残ることができた。
 韓信の下にいれば、もう一度項羽と戦っても生き残れるかもしれない。ほかの将軍の下で戦っていては、死ぬかもしれなかった。

「さあ、ぼつぼつ向こうの楚兵たちが、岩をよじ登ってくるかもしれぬ。我々もそろそろ退散するとしよう」

 韓信は兵を率いて、その場を立ち去った。

 苦心して巨岩を乗り越え、楚兵たちが道の向こうに顔を出したころには、すでに項王はおろか、生きている者の姿は見えなかった。

         *

 項羽の愛馬、(すい)は斜面に足を取られ、何度か転倒した。すでにその自慢の葦毛は泥にまみれ、ところどころから出血し、輝きを失っている。
 項羽はそれでも騅をいたわり、決して見捨てるようなことはしなかった。

「騅……脚は折れていないだろうな。もうひと踏ん張りだ。あと少しで上にあがれる」

 項羽は自分の体以上に、馬に愛情を込めて接した。それもそうであろう。項羽は、あれだけ至近距離から矢を浴びせられても、なお無傷なのである。
 彼はその愛馬以上に強かった。強運の持ち主だった、とも言えるかもしれない。

 しかし、それは体の外面の話である。内面では、屈辱が残った。心に負った、大きな傷である。
「韓信め……よくもわしの腹に蹴りを喰らわせたな。身分卑しき者が……」
 もともと感情の量が多い男である。挫折の感じ方も人並みではなかった。彼はひどく気持ちが沈んだが、しかしそんなときに心を落ち着かせる方法を知っていた。

 天命を信じることである。

 次の戦いに勝つことを想像するだけで、彼は気が紛れた。これが想像ではなく事実であれば、なおのこと気持ちが楽になるというものだ。

「見よ、わしは生きている! 天がわしにまだ死ぬときではない、と告げているのだ。小生意気な韓信や、身の程知らずの劉邦などに天の意思がわかろうはずもない。彼らを討ち滅ぼし、天下を治めるのは、このわしだ!」

 項羽はそう言って自分を励まし、ついに馬を引きながら斜面を登りきった。
 そのとき、雷鳴が轟き、激しい雨が降り注いだ。

 それはあたかも天の意思が項羽の感情に共鳴しているかのようであった。

             (第一部・完)

京・索の会戦

         一

「危ないところでしたな。韓信は無事でしょうか?」
 手綱を操りながら、夏侯嬰は劉邦を気遣い、話しかけた。
「わからん……。それにしても情けないのは我が軍の脆さよ。五十万以上もいた兵卒たちがわずか一日で四散してしまうとは……。一体この先どうなるのか」
 劉邦は悪寒を覚えた。味方の不甲斐なさは言うに及ばず、とにもかくにも項羽の武勇の凄まじさ……。
 あの男とこの先一生涯をかけて敵対し続けねばならないと思うと、想像するだけで足が震えるのだった。わずか三万の兵に蹴散らされたことを考えると、とても自分などには太刀打ちできないと思える。

――わしは、進むべき道を誤った。あの項羽と争って天下を窺おうなど、我ながら高望みも甚だしい。昔に戻って……また沛の街で酒を飲んで暮らしたいものだ。
 そう思うと、目に涙がにじんできた。我知らず鼻水も垂れてくる。
 夏侯嬰はそれを見て、言葉を励まし、劉邦をさとすのだった。
「この先どうするかは、張良や韓信が考えてくれます。彼らが無事だったらの話ですが。大王は自らの身を案じ、家族の身を案じておられればそれでよろしいでしょう。とにかく大王の身になにかあっては、漢は成り立たないのですから……。そのお手伝いは不肖ながら嬰がいたします」

 言いながら夏侯嬰は馬の進行方向を変え、来た道を戻り始めた。
「どこへ行く?」
 驚いた劉邦は聞いたが、夏侯嬰は当然のように、
「沛へ向かいます」
とだけ答えた。

「……嬰、お前には人の心を読む能力があるのか。わしが沛で酒を飲みたいと思ったから……」
「違います。大王はこんなときにそのようなことをお思いだったのですか」
 劉邦はしどろもどろになった。
「いや、それは……まあ、いいではないか。それよりなんのために沛に寄るのか、それを聞きたいのだ」
 夏侯嬰は馬に鞭を入れた。劉邦の勘の鈍さに少しいらついた様子だった。
「沛にはご家族がおられましょう。救いにいくのです!」

 こうして劉邦は数騎の護衛を従え、沛に向かうこととなった。


 沛と彭城は目と鼻の先と言えるほど近い位置にあり、この時点で沛に向かうことは当然のことながら危険を伴う。それでも楚軍に家族をさらわれ、人質にとられることで、後の行動を制約される素因をつくることは避けなければならなかった。
 しかし沛にはすでに楚の兵士があふれ、家族を捜すどころではなかった。時すでに遅かったのである。
 劉邦らは楚兵に囲まれ、それぞれ一目散に逃げたが、みな散り散りになってしまった。

 劉邦と夏侯嬰はたった一輛の車両で逃げ続けたが、その途中で劉邦の息子の劉盈(りゅうえい)(後の恵帝)と娘の魯元(ろげん)を見つけたのでこれを車に乗せた。
 ところが追手がせまる中、幼く、なにもわからない子供たちはあどけない仕草で手遊びなどをしている。
 劉邦はそれが癪に障り、やおら子供たちの襟首をつかんでは車の外に放り出した。

「何をなさるのです!」
 夏侯嬰は車を止め、道ばたに転がった兄妹を拾い上げて車に戻し、再び走り出した。

 しかし劉邦はその後三度に渡って兄妹を車の外へ放り投げた。夏侯嬰はそのつど車を停めては、拾い上げて走り出す。
「停めるな、嬰。今度停めたら斬るぞ」
 劉邦は凄んでみせたが、夏侯嬰は意に介した様子もない。
「私を斬れば、誰が馬を走らせるのですか。大王こそ、わけの分からないことをするのはおやめください。楚軍に追いつかれてしまいます」
「わけが分からんとはなんだ! こいつらが乗っているから、重くて馬が疲れるのだ。そんなこともわからんのか」
「いくらなんでも幼な子を見殺しにすることはできません。ただの幼児ではない、公子と公女ですぞ。大王は平気なのですか」
「おまえはこいつらとわしとどっちが大事だと考えているのだ。公子だろうとなんだろうと、子など失っても構わん。わしさえ存命ならば、また子を作ることはできるのだ! お前はわしの命を第一に考えろ」
「……従えません! 私の命にかえてもこのまま逃げおおせてみせます。それなら文句ないでしょう」
「お前の命など、どれほどのものかよ!」

 劉邦は吐き捨てたが、夏侯嬰を斬るわけには、やはりいかなかった。

 かくして夏侯嬰は自分が斬られない立場であることをいいことに、我を押し通して兄妹をのせたまま車を走らせ、なんとか危地を脱することに成功した。

 しかし一方で沛に取り残された劉邦の父と妻の呂氏(りょし)は楚軍に捕らえられ、項羽の捕虜となってしまったのである。

         二

 韓信は彭城から滎陽への道を辿るなか、散発的に楚軍に襲撃されながらも敗兵を集めて組織し直した。情勢の確認も忘れておらず、誰が無事逃げおおせた、誰が戦死した、という情報をなるべく努力して集めるようにした。
 しかし現代のように個人間の連絡がとりづらいこの時代ではそれも思うようにならない。
 結局韓信がまともに得た情報は、
「趙軍は多数の犠牲者を出しながらも中枢部は無傷で、頭目の陳余は兵を率いて邯鄲(かんたん)(地名)に逃れた」
 ということぐらいであった。

 その情報の主は、蒯通(かいつう)という男である。もともと陳勝・呉広の乱の際、趙の再建に功績があった男であるが、その後陳余のもとではあまり厚遇されず、彭城での混乱を機に漢に鞍替えを決めたらしい。
 小男でさえない風貌であったが、各地の政情に通じた弁士で、いわゆる縦横家(じゅうおうか)であった。

 このとき蒯通は、韓信に対して、
「趙はいずれ、楚に靡きましょう。魏もまた然りです。漢が楚に対抗しようとするならば、趙・魏の勢力をあわせて楚を包囲することが不可欠です。それでようやく五分というところでしょう」
 と言った。また、
「趙・魏の勢力を合わせることは、連合という協力体制によっては不可能です。生ぬるすぎます。しかるに武力をもってこれら二国を制圧し、属国とすることが最善でしょう」
 と言った。
 韓信はほぼ初対面の相手からこのような大胆な発言を聞かされたことに驚き、
「君はそれを私にやれとでも言うのか」
 と問いただしたという。
 韓信としてはそういう政略めいたことは漢王や張良にでも言え、と言いたかったのである。

 しかし蒯通はこれに対して、さも当然のように答えた。
「ほかに誰がおりましょうか? 将軍以外にできる者はおりますまい」

――できる、できないではない。お前は献策する相手を間違っているのだ。
 と韓信は思ったが、
「君の言うことは理解できるが、今はそのようなことを考えている余裕はない。漢軍自体が壊滅に近い状況にある今、どうして将来のことを考えていられよう? 私には喫緊の課題がある。それは大将として漢軍を立て直すことであり、趙や魏を討つことではない」
 と正当な論理で蒯通に言い渡した、ともいわれている。

 蒯通は含みのある笑みを浮かべ、これに答えて言った。
「それはその通り……間違いございません。しかし、将来的には必ず将軍が……。すでに将軍は旧秦の地を平定し、韓を撃ち破りなさった。おまけに項王とも渡り合ったと聞き及んでおります。きっと漢王は将軍に命じます。魏を討て、趙を討て、代を討て、燕を討て……と。そして斉をも討てと命じます。あらかじめ、お覚悟はしておいた方が良いかと」
「君は一体何が言いたいのだ」
 韓信は蒯通の言葉に気分が悪くなった。蒯通はまるで自分を使嗾しているかのようで薄気味悪い。「お覚悟」とはなんの覚悟のことか。まるで見当もつかない。
「漢王から命が下されれば、私はそれに従うまでのことだ。ほかには何もない」
 韓信はそう言い、蒯通をさがらせた。

「……大将ともなると、得体の知れぬ輩も寄ってくるものよ。私に一体どうしろというのだ。なあ、カムジン」
「……ハイ」
「お前は相変わらず無口だな!」
 蒯通のような口達者な弁士を相手にしたあとでは、カムジンのような寡黙な少年を相手に愚痴をこぼすのも楽しいというものだった。

 韓信はその日の午後、鍛錬と称してカムジンと騎射の腕比べをし、完敗を喫した。それでも束の間の楽しい時間を過ごしたのである。

 韓信は滎陽に至るまでの間、八千五百余名の敗兵を再集結させることに成功した。一方劉邦は滎陽の手前、下邑(かゆう)(地名)で呂氏の兄の軍に出会い、これを中核に漢軍を再組織することに成功している。また、ちょうどこのとき蕭何が関中から徴募した兵を滎陽に引き連れてきたので、漢は再び勢威を盛り返すことになったのであった。

         三

 劉邦は韓信が滎陽にたどり着いたのを確認し、手放しで喜びを表現した。
「天下無双の武勇。漢の至宝。わしの麾下で項羽と渡り合える者は韓信のみである」
「とんでもございません」
 喜ばしいことではあったが、他の将軍たちの手前、韓信はあからさまに功を誇ったりはしない。劉邦はそれに多少物足りなさを感じた。
「相変わらず、そっけない奴だ。わしがこれほど歓喜しているのにお前という奴は謙虚に過ぎる。謙虚すぎて、面白くないわい。男というものはもっと……」
「大王、お話があります」

 王の話の腰を折る、というのは普通許されないことである。しかし劉邦は放っておけばいつまでも話し続ける手合いの男であったし、話し続ければひとりで感情が高ぶり、始めは冗談のつもりがいつしか本気の罵りになることが多かった。よって劉邦に伝えたい用件があるときは、中身のない話に付き合わず、単刀直入に話すに限る。
「……滎陽に到着して間もないのですが、私の見たところ漢軍の陣容は以前と変わらぬ程度に整いつつあるようです。主だった将軍にも落命した者はないように見受けられます。そこで早いうちに楚に反撃したいのですが」
 多弁な劉邦が言葉を失った。
 戦いたくない、という気持ちを持っていることは明らかである。
 韓信は説得しなければならない。
「趙はすでに連合を離脱し、邯鄲に撤退したという情報を得ています。そして楚と盟約を交わしたとか。これは趙の陳余が漢より楚の方が強いと判断した結果でしょう」

 戦いたくない劉邦は、必死になって反論した。
「それはあのへそ曲がりの陳余に張耳が生きていることを知られたからだ。奴はそれを理由に漢と訣別する旨の書状まで送ってきおったわい。しかし、それでも構わないではないか? お前はもともと反覆常ない陳余のような男の力を借りることには反対であっただろうが」
「それはそうです。しかし、敵対するよりは味方にしておいた方がまだましです。このままでは、いまに陳余はおろか魏も態度を覆して楚に味方しましょう。それは漢が楚に対抗できぬと彼らが思っているからで、これ以上の離反を食い止めるためにも、ここで一度楚には勝っておきたいと存じます」

 そもそも滎陽に漢軍が集結したといっても、それを楚軍がただ見ているはずはなく、いずれは襲撃されるのである。韓信が言っていることは、やられる前にやれ、ということに過ぎない。
 それでも劉邦の自尊心を汚さぬよう、自発的に戦いの決断をしてもらおうと韓信は言葉を選んだのだった。
「わしが今、平穏を望んだところで、楚は許しはしないであろう。いずれ楚がこの滎陽に攻め込んでくるということは、わしにもわかっている。……信、お前の言うことはわかった。一晩考えさせてもらおう」
 韓信はあまり釈然とはしなかったが、再会したばかりのときにあまりしつこくするべきではないと思い、その場を退去した。

 韓信をさがらせた劉邦は、その夜、やはり滎陽で再会を果たした張良に話を持ちかけている。
「気の早い韓信は、来た早々に楚を迎撃したい、と言っているが……子房はどう思う?」

 彭城でいいところがなかった張良は後ろめたさがあるのか、やや遠慮がちに答えた。
「そうですか……。韓信がそうしたいと言うのならば……異存はございません。私としてもいずれは迎撃しなければならない、とは思っていました。ただし時期が問題ですが、今がその時期だと韓信が言うのであれば、彼としては勝算があるのでしょう」
「勝算か……。子房、わしは本当のことを言うと、もう疲れた。……わしは関中以西だけを領土とし、中原はすべて項羽にくれてやってもいいと思っている。わしは、項羽にはとても勝てん。麾下の将軍たちも楚に比べて有能だとは言い難い」

 張良は劉邦の弱気な発言を咎めはしなかったが、決して同調したわけではない。
「大王が関中以西を領有したいと主張なさっても黙ってそれを許す項王ではありません。妥協点を見出すためには漢も力を示さねばなりません。すなわち楚と戦って、ある程度の勝利を得なければ項王を交渉の席に引きずり出すことはできないでしょう」
 劉邦に取り付いた弱気の虫はそれでも振り払うことができなかった。

 このときの劉邦はすでに五十を過ぎ、当時としては初老と言ってもいい年代である。嘆息の原因が年齢によるものなのか、それとも生来の根性のない遊び人としての性格によるものなのかは、よくわからない。
「子房の言うことは理屈としてはわかる。しかし楚と戦ったとして、勝てる者がいないではないか」
 張良は毅然として言い放った。
「いえ、韓信がいます! ……彼には期待していいでしょう。これまでの実績が示しています。騙されたと思って、全軍の指揮を委ね、楚を討たせるべきです」
「韓信は、やるだろう。しかし……ほかにはおらんのか。やつのほかに大事を委ねられる者は」

 劉邦の表情に、不安の陰がよぎる。張良はそれを韓信の作戦遂行能力に対しての不安だと読み取った。
「ほかに誰がおりましょう。任せられるのは韓信しかいません。しかもそれで充分です。彼は限りなく可能性を秘めた男だと、私は期待しております」

 張良の言を入れて、劉邦は韓信を総大将に楚を迎撃することを認めた。

 しかし一方で劉邦は、韓信のような麾下で突出した才能を持つ男に大権を委ねることを、このときひそかに恐れ、迷った。
 劉邦の不安は、実はこのことに由来するものだったのである。
 かつて奔放だった劉邦が年齢を重ね、猜疑心を強めていったのは実はこのときからだった、と言われている。

         四

 劉邦が自分をどのように考えているかは、韓信にとっては大きな問題ではない。自分は軍事を司るよう命じられている。それはすなわち信用されて任されていることだ、としか考えなかった。
 任されたからには与えられた条件で最大限の結果を出すことだけを考え、それによって生じるであろう、後の政治的な動きについては興味を示さない。
 世間知らずなようでもあるし、身の処し方がやや不器用だとも言えそうである。
 かつて栽荘先生が韓信のことを燕の太子丹に不器用な点が似ていると称したのはこの辺のことを言ったものかもしれない。

 しかし兵権を与えられた韓信は、このときも存分に能力を示した。
 滎陽の東にある邑が京、南のそれが索と呼ばれる。このふたつの邑の間には迫り来る敵の様子が一望できるほどの平野部が広がり、韓信はこの平野部を楚を迎撃する決戦場と定めた。

 広い平原では騎兵や戦車が効果的である。韓信はそれをわかっていたが、陣の前衛を歩兵中心に固めた。
 なおかつ全軍を真四角の方陣に固め、その外側にはすべて歩兵を配している。騎兵や戦車は一箇所には集めず、一見無作為であるかの様に不規則な形で随所に散らした。
 そして韓信自身は方陣の中心に身を置く。
 これが司令部であり、親衛隊を中核とした韓信直属の部隊が位置する。
 後方には韓信に守られるように漢王劉邦がおり、戦車の台上に屹立している。その脇には参乗の樊噲が、御者台の上には夏侯嬰がいつもと同じように侍る。張良は劉邦の戦車の横に騎馬で位置していた。
 さらにその後ろは盧綰の率いる一隊が殿軍としてしんがりを受け持つ。両翼は右翼に重鎮の周勃、左翼に若手の灌嬰(かんえい)がそれぞれ率いる隊が担当した。絹商人あがりの灌嬰の下には、もと秦の騎兵隊を精鋭として配置した。

 斥候から得た情報によれば、楚は軍を結集して滎陽に攻め入らんとしており、その数は十万に及ぶ、ということだった。これに対して漢軍は四万程度でしかない。圧倒的不利な条件でありながら、韓信がこの地で楚軍を迎え撃とうと決めた理由は、斥候の伝えたもうひとつの情報にあった。
「楚軍は、十万の兵をふたつに分け、二段構えの策をとっている」
 この情報を韓信は比較的早い時期に入手し、策を練ることができた。

 楚の目論みは、第一陣と第二陣に分かれた時間差攻撃で漢軍を段階的に追い込もうというものであり、常に一人で二人以上の敵と相対する楚兵の勇猛さを考えれば、効果的な作戦であった。
 第一陣が漢軍と互角以上の戦いをすれば、第二陣は予備兵力として温存が可能である。いくら楚兵が勇猛だといっても、ひとたび戦いになれば損耗はつきもので、できるだけそれを抑えたいという項羽の気持ちがあらわれた陣形である、と韓信はみた。
「項王の個人的武勇は凄まじいが、将としては凡庸である。……麾下の兵の勇猛さに頼りすぎている」
 韓信はそう言い、ふたつに分かれた楚軍を各個撃破する決心を固めた。

 情報は時の経過につれて、明瞭になっていく。このたび項羽は自ら出征し、第二陣の中軍に属していることが判明した。
 そして、第一陣の将の名がわかったのは戦闘開始のほんの数刻前である。
 第一陣の将は、鍾離眛であった。

――眛……。ついに我々も剣を交えることになったか。この日が来ないことを願っていたが……。願わくば、私の前に姿を現すな。
 韓信は思ったが、作戦を開始するにあたって、そのような思いを頭の中から払いのけた。
――なるようにしかならない。
 そう思うしかない。

「前衛の部隊はかねてよりの指示どおりに動け。両翼の部隊は合図を聞き逃すな。我々はこれより楚軍を迎え撃つが、これは今後の漢の命運をかけた戦いであると言ってもいい。この戦いに敗れれば、我々は滎陽はおろか、関中までも失うであろう。そのため、諸君には心して当たってほしい。また、諸君には覚悟してもらいたいが……確実にこの中の何名かは命を落とす。それが今の我々の置かれた立場というものである。だが、悲観するな。我々は弔うことを忘れはしない。……では諸君、準備はいいか」

 韓信の作戦前の演説は、決して兵たちを煽動するような熱い口ぶりではなかったが、逆にそれが緊張感を高めた。熱し過ぎず、冷め過ぎず、漢軍は適度の精神状態で楚軍を迎え撃つことになった。

 楚軍の進撃する姿が彼方に見え始めた。見通しのよい平野部では、伏兵など用意できず、お互いに正攻法で競い合うしかない。正面からぶつかり合って激しく火花を散らす。武人が武人らしく戦う絶好の機会であった。

 しかし、韓信は自分に武人らしさなど求めておらず、このため柔軟な思考でこの難局を乗り切ったのである。

         五

 楚軍の陣形は漢軍と同様に方陣を組んでおり、幅と厚みのある密集隊形であった。同じ陣形をとっている以上、兵の質が高い楚軍の方が有利である。
 にもかかわらず、韓信は楚軍の先鋒の姿が視界に入るやいなや、ためらいもなく前衛の部隊に突進を命じた。

 両軍の前衛同士がはげしくぶつかり合う。しかしそれも長くは続かず、質でも人数でも劣る漢軍は押され始めた。

 漢軍の前衛部隊は中央から切り崩され、左右に分断されるように陣形がふたつに割れた。中央突破を許したのである。
 ふたつに割れた部隊はそのまま再結集することなく、抵抗も散発的である。これをいいことに楚軍は漢軍の中央を奥深く突き進み、ついには中軍に位置する韓信の陣に肉迫した。

「漢の司令官だ! あれを討て」
 楚兵たちの叫び声が韓信の耳にも入る。中央を深くえぐられた漢軍は、このとき進退極まったかのように見えた。

 しかしこれこそ韓信が仕組んだ罠だったのである。

 韓信は前衛部隊を突出させて敵に当たらせたが、実はこの行為こそが擬態であった。あえなく敗れたかのように前衛部隊を左右に分断させた韓信は、この間にひそかに方陣をT字型に変形させた。周勃・灌嬰の両翼を前進させて横に広がる形にしたのである。
 そして左右にわかれた前衛部隊は、それぞれ両翼の部隊に吸収されていく。これによって陣形は変則的なY字型となった。
「合図の鼓を鳴らせ」
 韓信は命を発した。それを受けてさらに陣形の変化は続く。韓信の属する中軍は、楚軍の進撃を緩やかに吸収するようにさりげなく後退する。
「第二の合図だ。鼓の律動を早めるのだ」
 この合図を機に、両翼部隊は後退する中軍とは逆に前進を始めた。
 この結果、陣形は完全なV字型に変形したのである。
 楚軍は漢軍の中央に深く侵入したつもりでいたが、実際は左右を漢軍に取り囲まれていたのだった。

 韓信は楚軍がそれにようやく気付いたと見ると、両翼からの攻撃を強化し殲滅にかかった。そしてある程度楚兵の抵抗力を削ぐと、さらに陣形を変化させ、楚軍の軍列を完全に包囲した。
 陣形はO字型になったのである。
「よし。うまくいった。……後方の部隊が救援に駆けつける前に、取り囲んだ一軍を撃滅せよ」
 韓信の命によって一斉攻撃が開始された。情け容赦のない弓矢の斉射、脱出をはかる楚兵たちへ突き立てられる長槍、戦況は漢軍の圧倒的優勢となった。

 後方にいた劉邦は、指揮を執る韓信の背中を見つつ、
――信め。……思っていた以上に、やりおるわい。
 と、感じざるを得なかった。
 またその隣の張良は、
――謀略なしの、正攻法だったはず……。不利な条件ながら我々は今、楚を撃ち破ろうとしている……。なかなかどうして……。
 と、舌を巻いた。

 しかし当の韓信は、作戦の成功を確信したわけではなく、また安心していたわけでもない。
――時間をかけすぎると、後ろから項王が来る。
 そう思った韓信は、親衛隊に進撃をともにするよう命じた。状況は漢による楚兵虐殺の場となっていたが、韓信はそれでも満足せず、敵将を捕らえることで一気にこの場の雌雄を決することにしたのである。

         六

――こんなはずでは、なかった。
 包囲の輪が小さくなっていく中、鍾離眛は退路を断たれ、追い込まれていく。
 次第に兵との間隔が狭まり、密集の中に身を置きながらも、究極的な場面で感じられるのが孤独であることは、彼自身にも驚きだった。

 漢の指揮官が韓信であることは、彼にもわかっていた。今、この場に及んで思い出されるのは、過ぎし日の韓信とのやり取りであった。
(おまえのような臆病者が将になったとして、兵がついてくるものか)
 その臆病者に滅ぼされかけているのは、自分であった。
(私が将になったならば、味方の兵を死なせない。そのくらいの気構えはあるつもりだ)
 韓信はかつてそんなことを言った。その言葉の通り、味方の兵を数多く死なせたのは、彼ではなく、自分であった。
(眛、お前の目はひどく濁っているぞ)
――だからどうしたというのだ。目が濁ったとしても、それはこの乱世の中で人の死を大量に見てきた証拠だ。お前のように現実から目を背けてきたわけではない。

 人は死ぬ直前に過去のことを大量に思い出すものだという話を聞いたことがある。
――なんということだ! 今の自分こそが、それではないか。
 眛の心の中に、諦めに似た感情が浮かび始めたとき、部下の叫び声が耳に入った。
「将軍! 敵将と思われる騎馬の一団が、こちらに向かって突進してきます!」
 眛は我に帰った。死の淵から引き戻された感じがした。
「断じて来させるな! 逆に包囲して討ち取るのだ」

 漢軍に包囲され、絶望的な劣勢に立たされた楚であったが、それにもかかわらず進撃しようとすると彼らは抵抗した。
「カムジン、前を行け!」
 韓信はカムジンを先頭に立たせ、行く手を阻む楚兵たちをひとりずつ矢で射たせた。カムジンの短弓から放たれた矢は、正確に、無慈悲に楚兵の心臓を貫き、次々にその命を奪っていく。

 そして、やがて司令官らしき男の姿が韓信の目に入った。
「眛……」
 それは焦燥しきった鍾離眛の姿であった。

「韓信! わざわざおでましか。私に討ち取られに来たのか」
 韓信は強がりをいう鍾離眛の目を見ることができなかった。
「今に至ってそのようなことを言うな……。状況はすでに決している。降伏しろ、眛」
「降伏……情けをかけるな! ……斬ってみせろよ、信! どうせお前には斬れまい……。お前は昔からそういう奴だったからな! だが私は違うぞ! 遠慮なくお前を斬ることが……私にはできるのだ!」
 言い放った鍾離眛は剣を抜いて韓信に斬ってかかった。
 それを見たカムジンがとっさに韓信の前に立ちはだかり、短弓から矢を放った。
「うっ! ……」
 矢が眛の右肩に突き立った。彼はその激痛で剣を落としたが、痛々しい所作でなんとかそれを拾い上げようとする。

「やめろ、カムジン。……いいんだ」
 韓信はカムジンを抑え、さがらせたが、鍾離眛は再び突進し、韓信に剣を突き立てようとした。
 韓信はしかし剣を抜かず、手にしていた長槍をさかさまに持ちかえると、その柄の先で眛の腹を突いた。衝撃に耐えられず、眛はその場に転倒してしまった。
「汚いぞ、信! 剣で勝負しろ。……家宝の剣が泣くぞ!」
 しかし韓信はそれに答えず、全軍に撤収を命じた。後方に項羽の軍が到達するのを確認したからである。

 項羽はすでに散開した漢軍を深追いすることはせず、壊滅寸前となった鍾離眛の軍を救出して軍を返した。
 互角以上の兵数が予備兵力としてあるとしても、この戦いは項羽にとって、負け戦であった。戦いは流れが大事であり、その流れを覆すのには倍以上の兵数が必要だったのである。

 かくして項羽率いる楚軍の撤退により、漢は滎陽以西を勢力圏として確保することができたのだった。


「なぜ? 将軍。なぜ斬らなかった……のですか?」

 カムジンは韓信に質問したが、はかばかしい答えは得られなかった。
「うむ。最初は斬るつもりでいた。しかし、相手は鍾離眛だ。……彼とは無二の親友だ。幼いころから人慣れしなかった私の唯一の友である彼を、私が……どうして斬れよう?」

 まだ若く、戦争の理不尽さも深くは知らないカムジンには、無二の親友が敵味方に分かれていることの意味がどうしても理解できなかった。
 カムジンはさらに質問しようとしたが、表情に暗い影をおとす韓信に、それ以上なにも言うことはできなかった。


 一方の鍾離眛。彼は誰にも聞こえないよう気をつけながら、小声で呟いた。頭で考えるだけではなく、声に出さないと気が済まない。そんな感じだった。
「信……どうして斬らなかったのだ。お前が私を斬ってくれたなら……私は恨まないだろう。しかし生かされた以上、再び戦場でまみえることになったら、私はお前を斬らねばならない。私はそれが……どうしようもなく嫌でたまらないのだ。お前が私を斬ってくれたら……そんな思いとは無縁でいられたのに」

 鍾離眛は右肩に深手を負い、介抱されながら、ひとり涙をこぼしてつぶやいたという。

西魏王の娘

         一

 魏豹(ぎひょう)という男は魏咎(ぎきゅう)の従弟で、その名が示す通り、魏の王族の末裔である。魏咎は陳勝・呉広の乱の際に自立して王を称したが、章邯に攻められ、降伏した後に焼身自殺をしたことは先に述べた通りである。
 このとき難を逃れた魏豹は、章邯が項羽に降伏したことを知ると、魏咎の跡を継ぐ形で魏王を称した。しかしやがて項羽の天下になると領地は削り取られ、河東郡の平陽付近一帯を支配する西魏王に立場は留まった。
 これは項羽自身が魏の東部・梁といわれる地帯(旧首都の大梁付近)を支配したかったからだと一説にはいわれている。

 この項羽の処置に魏豹が不満を持ったかどうかまではわからない。しかし漢が韓信の策にしたがって関中の地を平定したとたんに漢の側に立ったということを考えると、そのような気持ちを持っていたことは充分に想像できる。
 しかし関中から魏豹の居城である平陽までは近く、遠くの楚より近くの漢と結んだ方が身の安全をはかれると単純に考えた結果が、漢への鞍替えの実情と言ったほうがよさそうである。

 その魏豹が京・索での一戦を終え、楚軍の追撃が止んだときに漢に対していとまごいをした。
「老母の容態が悪く、看病したい」
という理由で平陽へ帰る、というのである。
 いかにもとってつけたような理由だが、この時代は「孝」の精神が限りなく尊重されているので、親の看病を理由にされては無理に引き留めることはできない。しかしこのときの漢の首脳部には、魏豹の申し出は、趙の陳余の一件もあり、体よく離反するためのかこつけだと思われた。

 魏豹はそれを察し、自身の帰国に関してもうひと言付け加えている。
「私は帰ってくるつもりでいますが、いくら私自身が帰ると言ったところで、漢王は信じないでしょう。つきましては私の娘を漢に置いていきます。人質と思っていただいて結構ですが、なにせ男勝りな性格の娘なので、前線にでも置いて使ってくださってもよろしいかと。凡庸な男子よりはよほど気構えがしっかりしております」
 できれば男子を人質にしたいというのが本心であったが、劉邦はこれを受け、魏豹の帰国を許した。

 人質の女子は、名を蘭といい、このとき二十二歳であった。当然ながら姓は魏なので、この人物の姓名は魏蘭である。れっきとした西魏の公女の身分であったが、いでたちは皮革製の胴当てや肩当てを身に付け、足には軍靴を履いており、男子の兵士と変わらぬそれであったという。

 漢の首脳部の面々は、みなその姿を見て驚いた。また、兜を外した蘭の素顔が若々しく、きりりとした目元がとても美しいことに、揃いも揃って不安を覚えたという。
 このような妙齢の、しかも美しい女を前にして、好色な劉邦が手をつけぬはずがないと考えたのであった。
「大王ならば魏蘭が人質であることを忘れ、夜ごと愛撫しようとなさるに違いないが、それははなはだまずい……。娘の蘭が大王に愛されることは、父の豹の立場を高めてやることにつながる。豹は全幅の信頼のおけない人物であり、そのような事態は許されない。まして王妃の呂夫人は楚に囚われの身であり、どういう扱いを受けているのか見当もつかない状況である。このようなときに大王に背徳の種を残すわけにはいかない」
 これが、首脳部の共通の意識であった。

 かくして魏蘭は張良の進言により、韓信のもとに送られた。父、魏豹の望みどおりに前線に身を置くこととなったのである。
 そのとき劉邦は張良にむかって毒づいたという。
「女というものは男に愛されてこそ幸せなのだ。韓信のような女の扱いも知らぬ奴のところに送っては、かの娘が可哀想ではないか。子房よ、君は女心がわからんのか」
 張良は次元が低いこのような話題にも真摯に付き合う。
「大王……魏蘭は武装しておりました」
「今さらなにを言う。そこが印象的だったのだ」
「おそれながら、大王は武装した女と寝所をともにできますか。ああいう女に気を許すと、寝首をかかれる可能性が大でございます。魏蘭のような女を御していくのには韓信のような堅物の男が最適でございましょう」
 このころの劉邦は若いときよりも保身に敏感になっている。目の前の美女よりも優先すべきは、自分の身の安泰であった。それは漢の命脈を保つためか、老いによって生じる生への執着のためかは、はっきりしない。
 いずれにしても、劉邦は諦めるしかなかった。

         二

「蘭にございます」
 韓信の前で深々と頭を下げた魏蘭の姿は、印象的なものだった。
 目は細くはないが、目尻がはっきりとしており、それがきりりとした印象を相手に与える。
 髪はおろしていたが、それでも肩にかかるくらいの長さでしかなく、この時代の女性としては極端に短い。
 口は大きくなく、真一文字に結ばれている。
 肌は白く、背筋はぴんと伸び、胸を張っている。立場は人質だが、にもかかわらず態度は堂々としており、全体的に凛とした雰囲気を醸し出していた。

 韓信も確かに蘭の姿に感じるものがあった。一度見たら忘れられない女というのはこういう女に違いない、と内心で思ったくらいである。
 しかし口に出しては、単刀直入にこう言った。
「君はどうしてそのような格好をしているのか」
 魏蘭は表情を変えずに話し始めた。
「きっかけは臨済で章邯に襲われたときです。あのときは一族もろとも逃亡したのですが、私は父から男装していた方が目立たないと言われ、このような姿で臨済を脱出したのです」

 韓信はふうむ、と相づちを打ち、さらに聞いた。
「臨済を章邯が襲った、というのは、斉の田儋が討ち死にしたときのことだな。あのとき魏王咎は民衆の安全を確保したのち焼身自殺した、と聞いている。……しかしそれからすでに相当の歳月が経っているな。にもかかわらず君が今もってその格好をしているのはなぜだ」
「父が許さないからです。臨済を脱出し、さし迫った危機を乗り越えたとはいっても、乱世の中では女は生きにくいものだし、父も安心できないと……。私もぞろぞろした宮女のような格好よりは、このほうが気に入っております」

 韓信は話の内容に納得したような表情をしたが、口に出して言ったことはそれと正反対であった。
「ふむ、そうか。……では今後、君が陣中をそのような格好をして歩くことを禁ずる」
 このとき、はじめて魏蘭の表情が変わった。つかの間であったが、眼を見開き、驚きを表したのである。
「理由を……お聞かせ願いますでしょうか?」

 韓信は別になんでもないとでも言いたそうな素振りを見せて、答えた。
「理由は簡単なことだ。君のような妙齢の女子がいると、陣中の兵士が落ち着かない。兵たちの多くは家族を引き連れて各地に出征しているので、君はその中に混じって、軍装を解き、女として暮らせ。髪もゆるゆると伸ばすがいい」
「嫌です!」
 急に感情をあらわにした魏蘭に、今度は韓信の方が驚いた。

「……わかっていないな。これは君のためでもあるのだ」
「どういうことですか……」
「私の見たところ、君の軍装は格好だけだ。実際に戦場で敵を殺したことはない。どうだ、違うか?」
「…………」
「そのような未熟な、しかも女を戦地に立たせることはできない。まして君は大事な人質なのだ。私としても、無駄に死なせるわけにはいかない」

 魏蘭は唇を噛み、韓信を睨みつけた。
「たとえ将軍のおっしゃる通り、私の軍装は格好だけだったとしても……誰しも初陣というものがあるはずでしょう? 私は女だからという理由でそれさえも許されないのでしょうか」
「無理に戦場に立つ必要はない、と言っているのだ。君の態度はおかしく、怪しいな。ひょっとしたら魏豹の命を受けて、私なり漢王なりを暗殺するつもりではなかろうな?」
「それは、ございません。私は漢の側に立って戦いたいのです。将軍のもとで……お疑いだとしても証明するものは何もございませぬが……」

 韓信には、蘭がどうしてこれほど戦地に立ちたがるのかが、よくわからない。対処に困った韓信であったが、そのとき急を告げる伝令が現れ、彼らの会話を遮断した。
「申し上げます。西魏王豹は蒲津(ほしん)の関を塞ぎ、漢に敵対する構えを見せております!」

 韓信は驚かなかった。やはり来たか、という思いで眼前の蘭に視線を投げ掛ける。しかし当の蘭に動揺した様子はなかった。
「……魏王豹は人質である娘を見捨てる覚悟らしいな。いわば、君は捨て駒というわけだ」
「…………」
「蒲津は黄河の渡し場である。ここを塞いだということは漢は滎陽周辺に閉じ込められた形となり、いずれ機が訪れれば、楚、趙、魏の三国から攻められ、包囲されるであろう」
「…………」
「君はこうなることを予測して、人質となることを了承したのか。事態がこうなったからには、君はいつ斬られてもおかしくない。魏豹とて、それをわかっていたはずだ……。君は娘として父親に愛されていないらしいな」

 韓信はそう言ったものの、返答を期待したわけではない。烈士というものは男女を問わず、こういうものなのであろう。やりきれない思いを抱いたが、それを隠し、傍らの衛士にむかって命令を発した。
「人質としては、もはや無用の長物である……この者を斬れ」

         三

 衛士たちが、処刑の準備を始めた。魏蘭は両手を後ろに縛られ、足には枷をはめられた。目隠しをしたのは韓信の情けである。しかし同時にそれは自分のためでもあった。決心を固めたとはいえ、やはり女性を斬殺するのは気が引けた。せめて死ぬ間際の表情は見ないでおきたかったのである。

「将軍……お聞きください……」
 蘭は静かに語り始めた。韓信は心が揺れた。
「発言を許可する。ただし、ひと言だけだ。しかしそれによって私が決断を覆すことはないぞ」
 韓信はいつも以上にかたくなになっていた。ほんの一瞬も魏蘭の姿に心を動かすことがなかった、と言えば嘘になる。韓信としては女にたぶらかされたという思いがあったに違いない。
「私は……魏を討ちたいのです」
「馬鹿なことを! ふざけているのか」

 やれ、と合図を出しかけたときだった。
 韓信の前に一人の老人が現れたのである。
「待たれよ。将軍の采配は勇猛なる無数の敵に対して振られるもの。このようなたったひとり、しかも女に対して振られるものではない」
 その声の主は酈食其であった。
「酈生……。しかし、この女のおかげで魏はまんまと離反し、漢は孤立しようとしているのです。私としては、女だからこそ、そのような芸当が可能であろうと考えられます。生かしておくべきではありません!」
 酈生は韓信の態度に驚きを禁じ得ない。自分の知っている韓信は、もっと柔軟な男で、戦時といえども安易に人を殺すことを考えない男であった。
――戦陣を重ねるにつれて、感覚が鈍ってきているのか……いや、相手が女だからこそ、自分が意志の固いところを見せようとしているのかもしれん。……要するに、意地を張っているのだ。

 酈生はそう思い、韓信をなだめようとした。
「将軍、事態がこうなったからには今さらその女を殺したところで何も解決せぬ。それに今の段階でその女を殺すことは、はなはだまずい。漢王は魏を討つ気は今のところないらしく、わしに魏豹の説得を命じられた。人質が死んだとあっては、説得できない」
 韓信は、はっとした。
――私は、てっきり魏を討つものだと……。これでは、ただ戦いを欲するだけの蛮勇と変わらない。女を前にして冷静な判断ができなくなるとは……。どうしたというのだ、私は……

「落ち着いてきたようじゃな。そう、大王は楚と敵対しており、このうえ魏と対立することは欲していない。そのためわしに命令を下された。『おい、おしゃべり! 行って豹を連れてこい。それができたら一万戸の領地をやろう』と、いつもの調子だ。将軍は少なくともわしが魏豹と接触している間、その女を生かしておかねばならぬ。でなければわしの一万戸の領地の件もなくなってしまうからな」
「説得は、できましょうか?」
「……正直、難しいじゃろう。説得できねば、討つしかない。そのときまで、せいぜいあの女を飼いならしておくことだな。魏豹の彼女に対する仕打ちを思えば、今後は漢のために働いてくれるかもしれん」

 酈生はそう言って去っていった。韓信は前言を取り消し、
「……女を解放しろ」
 と周囲の者に命令したが、自分が正しい判断を下せなかったことに気恥ずかしさを感じ、近侍の者すべてを退出させた。一人になりたかったのである。

         四

 自らも屋敷の奥へ退き戻ろうとする韓信を、解放された魏蘭は呼び止めた。
「将軍。お話の続きを……私は、魏を討ちたいのです。その心に偽りはございません」
「もういい。君は自由の身だとは言えないが、大切な人質だ。もう殺そうとしたりはしないから安心しろ。宿舎は今日の夜までには用意させる」
 韓信は魏蘭を顧みようとはしなかった。しかし魏蘭はなおも食い下がる。
「将軍、せめてお話を。言い方を変えますから。私は魏豹を討ちたいのです」
「……! 君たち親子は、そういう仲か。いったい何があったというのか……いやいや、聞くまい。それは君の家庭内の問題だ。個人的な怨恨を持ち込むと全体の作戦行動に支障が出る。聞かないでおこう」
「将軍のお心の中だけにでも……たとえ思いが達せられないとしても、誰かに聞いてもらいたいのです」
 思ったよりしつこい女だ、と感じて振り返った韓信は、魏蘭がうっすらと涙を浮かべていることに驚き、結局室内に入れてしまった。

「最初に言っておくが」
 韓信はいつも以上に威厳を保とうと努力している。籠絡されまいとしているのかもしれないし、女の前で単に格好をつけているだけなのかは自分にもよくわからなかった。
「誰が誰のことを愛し、捨てられた者がどうした、などという話なら、よそでやってくれ。私はそのような男女の愛憎劇のような話題は好まない」
 魏蘭は室内に足を踏み入れると涙に濡れた頬を手で拭い、居ずまいをただして席に座った。そうすると、すでにもとの凛とした表情に戻るのである。
――変わった女だ。やはり私は籠絡されるのではないか。

 韓信は警戒を解かず、緊張した面持ちで魏蘭と面した。その様子を端から見ると、世慣れしていない若者が初めて女性と二人きりになったときと変わらないように見える。
「ご安心ください。話はごく政治的なものです。……要点から申しませば、私は魏豹の実の娘ではないのです」
「ほう、養女か? では君はいったい誰の娘か?」
「魏豹の従兄、魏咎の娘です」

 韓信は心ならずも、興味を覚えた。体が前のめりになり、膝を乗り出した。
 しかし、ふと我に帰ると、そんな自分に嫌気がさす。あわてて姿勢をもとに戻し、あえて仏頂面をしてみせた。
「詳しく聞こう」

 魏蘭は話し始めた。
「私には二人の兄がおりました。上の兄は魏賈(ぎか)、下の兄は魏成(ぎせい)といい、私を含め三人とも正室の子です。父は……魏咎は、臨済が章邯によって包囲される運命にあることを予期し、ひそかに私たち三人を魏豹のもとに託したのです。しかし魏豹はちょうど斉王田儋が救援に駆けつけてきたことを知り、賈と成の二人を斉軍に編入させてしまいました」
「君は魏豹のもとに残ったのか?」
 蘭の表情にうっすらと苦渋の色が浮かぶ。
――陰がある。事実を話しているように見えるが……。

 韓信はまだ半信半疑である。
「私は女でしたから……。生き残ったとしてもさして自分の将来の障害とはならないと思ったのでしょう。魏豹は王になることを欲していました。王になるためには、魏咎はおろか、その二人の息子も邪魔だったのです」
「……そして二人の息子は、狙いどおり章邯によって滅ぼされた。田儋とともに……というわけか?」
「その通りです。その間に魏豹は私を連れて臨済を脱出し、楚に逃れました。いっぽう従弟の魏豹の裏切りを知り、同時に二人の息子を失った父は、そのことに落胆して焼身自殺したのです」
 魏豹は自身が生き延びるための努力を惜しまない男だった。しかし、それだけでは悪人であるとは言いきれない。およそ人間というものは本能的に生に執着するもので、それは自分も同じだからである。
 それに反して、目的の達成のために簡単に死んでみせる烈士の部類が賞賛されるのは、彼らが人間の本能を超越していると見えるからであろう。少なくとも韓信はそう思っていた。
 しかし生き延びるだけが目的ならば、魏豹は王位など求めるべきではなく、市井に隠れて平穏に暮らしていればいいだけの話であった。魏豹に何らかの形で関わった者は、野望に付き合わされたあげく、魏につき、楚につき、漢につき、そして今は漢に背いてまた楚の側に立っているのである。
 運命を翻弄されるというのはこのようなことをいうのだろう。

「ある夜、私は寝所を襲われました」
「へえ? 誰に」
 話の内容が急に変わったので、韓信の反応も少々間の抜けたものになった。
「必死で抵抗して事なきを得たのですが……暗がりで誰かはよくわからなかったものの、十中八九あれは魏豹だったと思います。私が男装して鎧や兜を付けたりしているのも実はこれがきっかけです。それ以来魏豹はあてつけのように人前で私のことを男まさりだと言いふらすようになりました」

 韓信はため息をついた。
――やはり、個人的怨恨が……しかし、無理もないではないか。
 そう考え、やがてさとすように意見を述べた。
「決めた。……魏豹には生き続けてもらう。いま酈生が行って説得を試みているが、それが成功して戻ってきた暁には、君との一件を公にし、恥をさらしながら人生を送ってもらうこととしよう。それがいい」
 魏蘭はしかし納得がいかないようであった。
「……私は殺したいほど憎いのですが」
「いや。どんな事情があれ、女である君に人殺しの感覚を味わわせたくない」
「……でも、魏豹が説得に応じるとは思えません」
「そのときは私が出征して、生け捕りにでもするさ」

 そのとき魏蘭の目の鋭さが若干やわらいだように見えた。もともと表情の変化が少ない女性だったので、韓信にはそれだけでも微笑したように見えたのである。
 韓信は多少、いい気になった。
「さて、私は君のことをさっきから君、君と呼んでばかりいる。小蘭とでも呼べばいいか? それとも蘭姫とでも呼ぶべきか」

 小蘭とは日本的な表現をすれば「蘭ちゃん」と呼ぶのに似ている。韓信のこの問いに魏蘭のやわらいだ表情は影を潜め、もとのきりりとしたものに戻った。
「蘭で結構です」

 これを聞いた韓信は調子に乗りすぎたと思い、市井の若者と同じように女性の扱いに関して後悔し、反省したという。

         五

「子房よ、やはり滎陽以東は放棄すべきか。魏豹が背いてわしにはよくわかった。楚の項羽を警戒しながら中原を支配するなど、現状ではとても無理だ。誰かおらぬか? わしのかわりに戦ってくれる者は?」
 劉邦は弱音を吐いた。もうやめたい、と言うのである。相談を受けた張良は劉邦のそんな気持ちを知りながら、あえて淡々と作戦について語るのであった。
「九江王黥布の動きが、近ごろ目立ちませんな。斉の田栄を討伐した際にも同行しておりませんし、我々が彭城を陥した際にも救援に来ませんでした。先日の京・索での会戦の際も先鋒を務めていたのは鍾離眛で、彼は参戦しておりません。これは、項王と黥布の間に隙が生じたということでしょう」

 劉邦は憮然とした。
「いったい、なんの話だ」
 張良は構わずに続ける。
「彭越を覚えておられますか」
「魏の宰相だ。かつてわしが任じたのだから忘れるはずがない。しかし、王の魏豹が背いているというのに、あの男はまるで顔を見せないし、弁明もしようとしない。まったく……どいつもこいつも逆賊ばかりだ」

 彭越は鉅野(きょや)(地名)の漁師上がりの男で、田栄が楚と争った際に将軍として斉の側に立って戦っている。その後、漢が彭城を攻略した際にこれと合流し、劉邦から旧魏の領地を自由に攻略してもよいという許可を得た。そこで魏の宰相の位を得たのである。
「急ぎこの両人に使者を遣わせ、味方としましょう。黥布は罪人あがりで楚の猛将、彭越は一匹狼のような男でどちらも全幅の信頼はおけませんが、敵の敵は味方、という言葉もあります」
「心もとないな。彼らが楚に背いて漢に味方するとしても、最終的に目指すものは、自立であろう。それならば魏豹や陳余などを味方にしているのと変わらない」
「確かに。しかし、我が軍には韓信がいます。彼に命じて北の地を制圧させるのがよろしいでしょう。大事を託して担当させるに足る将は漢軍では彼一人かと……。魏豹は背信したのですから、その領地は取りあげ、彼に捨て与えてしまうのが得策かと思われます」

 劉邦には名案であるかのように思えた。しかし、これは韓信を別働隊の将とすることである。漢軍随一の将軍を本隊から切り離して、誰が本隊を守るのか?
「本隊は、当然ながら楚の項王と常に相対します。厳しいことですが、それは漢王ご自身に指揮を執ってもらわなければなりません」
 劉邦は心底辟易した。
「……子房、わしは、もういやだ。韓信でさえ項羽には勝てるかどうかわからんのだ。それなのにこのわしが指揮を執って勝てるはずがない」
 これに対して張良は声を抑え、しかし断固として言った。
「お聞きください……もし韓信が本隊の指揮官として楚と戦い、項王を討ち殺したとしたら……おそれながら天下を統一するのは大王、あなたではなく韓信でしょう。そうなったらいずれ大王は韓信と戦わなければならなくなる……韓信と戦って、勝てますか?」
 劉邦は張良の話の内容に悪寒を覚えた。
「……いや、とても……」


「どうでしたか?」
 韓信は戻ってきた酈食其を呼び止め、尋ねた。
「どうもこうもない。魏豹の分からず屋め……。魏豹が背いたのは、他ならぬ自分自身の野心のためだ。それをあの男……漢王の行儀の悪さのせいにしおった。気取ったことを申しておったわい」
「魏豹は、なんと?」
「人間の一生は白馬が壁の隙間を通り抜けるほどの短さだと……よくわからんが、だからやりたいことをやるという意味だろう。とにかく漢王は上下の礼節をわきまえず、諸侯と奴隷の区別もないから二度と顔を合わせるのはごめんだ、と申しておった。いずれにしても説得は失敗、わしの一万戸の領地の話もなくなった。将軍、やはり君の出番だ」
「それはそれは……ところで酈生、魏の大将はたしか……周叔(しゅうしゅく)という老将だったと思いましたが。彼が今回も指揮を執るのでしょうか?」
 韓信の問いに酈生は答えた。
「いや、周叔は老齢で体の自由が利かない。今回は栢直(はくちょく)であろう」
「ならば話は早い。私が言うのも何だが、彼はほんの小僧っ子に過ぎない。騙すのは、簡単です」
 韓信は魏蘭のことで頭を悩ましていたが、やはり軍事のことを忘れていたわけではなかった。あらかじめ彼は説得に赴く酈生に、魏軍の内偵を依頼していたのである。

 かくて韓信に魏豹討伐の命が下された。紀元前二〇五年八月のことである。


          六

「いま将軍に私が申すべきは、お悔やみ申し上げます、といったところでしょう。さりながら同時にお慶び申し上げます、とも言わせていただきます」

 蒯通の弁舌は、韓信には謎掛けのようでよくわからない。韓信はこのときもいったい彼がなにを言おうとしているのかがわからず、戦闘前の忙しいさなかということもあって、いらいらする気持ちを抑えられなかった。
「蒯先生。先生のような縦横家はそのような論調で相手を手玉に取るのだろうが、私に対する時はもっと単刀直入に物事を述べてほしい。先生はいったいなにを私に言いたいのか」

 蒯通は韓信に対して再拝し、滔々と意見を述べ始める。
「将軍は、天下を統べるお力をお持ちです。それでありながらこのたびも漢王の手駒となりおおせ、命じられるままに動いておられます。これを私は、お悔やみ申す、と言っているのです」
「なにを言う。私は漢王麾下の将軍である。先生の言う手駒という表現にはいい気はしないが、実際はその通りだ。臣下が主君の命に従うのは当然であろう」
 韓信はどなりつけたい衝動に駆られたが、蒯通が自分を高く評価して物を言っているのがわかったので、なんとか我慢している。

「狩人は、野の獣を取り尽くすと、猟犬を煮殺すものです。どうか深くご考慮を」
「……狩人が漢王で、猟犬が私だと言いたいのか。なんという不遜なことを。まあいい、考えておこう。それでどういうわけで今度はお慶び申し上げます、なのか?」
「将軍は、魏の公女を手中に収められました。魏豹を討ち、かの公女を前面に押し立てれば、将軍が魏王を称することも不可能ではありません。そのためお慶び申し上げます、といったのでございます」
 韓信は苦虫を潰すような顔をした。
「手中に収めるなどと……嫌な言い方をする。私と魏蘭とはそのような関係ではない。それに私には彼女を政争にまきこむつもりはこれっぽっちもないのだ」
「ほう、意外でしたな。かの蘭という娘は器量も常人以上、将軍にお似合いだと思ったのですが……将軍にはあまりお気に召しませんでしたか」
 韓信は体温が上昇するのを感じた。蒯通が指摘しなかったから不明だが、もしかしたら赤面していたかもしれない。
「縦横家というものは、そうやって女性の外見にも論評を下すものなのか。しかし私の好みは、……もう少しふくよかな女性だ。蘭は確かに美人ではあるが、私の好みとは……」
 そのとき後方に当の魏蘭の姿が見えた。
 その姿は相変わらず軍装を施したままである。結局韓信は魏豹を討つにあたって蘭にその様子を前線で見せることにしたのだった。

「失礼します。将軍、魏の公女を得たことは、この上もない機会ですぞ。身をたてるには何ごとにも機会が大事です。機会、機会! よくお考えください」
 そう言って蒯通はその場を立ち去った。
 蒯通は明らかに韓信を使嗾し、煽動している。韓信は自分の運命というものを考えずにはいられなかったが、深く思考したところで答えが見つかるものでもない。
 
 しかし、劉邦に背いて自立する、というのはどう考えても自分らしい生き様だとは思えなかった。

         七

 このとき韓信は任じられて左丞相となり、軍の管理などにおいてほぼ自由な裁量を与えられた。
 丞相の権限については諸説あるが、実質的な総理大臣というのが一般的な見方である。また左丞相もあれば右丞相もあり、どちらかが上位に立つのだが、これは王朝によって異なるようである。この時期の漢の場合、内政の長として蕭何が存在しているので、韓信が左丞相ならば、蕭何が右丞相であり、蕭何の方が上位に立ったと想像される。おそらく韓信は征服地の占領政策などを副首相のような立場で一任されたのだろう。

 このとき韓信は気が進まなかったものの、蘭を中軍に置いた。
「蘭、常に私の見えるところにいるのだ。戦闘中は馬が興奮するかもしれないから、気をつけるのだぞ。最低でも、カムジンより前には出るな」
 蘭は緊張しているらしく、韓信の言葉にこくりと頷いてみせただけであった。

 魏軍は函谷関の近く、黄河の北岸の蒲坂(ほはん)に大軍を集め、漢軍は対岸の臨晋(りんしん)に陣を取った。
「川を前に陣取ることは兵書の通りで魏豹はそれを実行している。しかし、敵が渡河してこない限り恐れることはない。こちらも川を前に陣取っているからだ。どういう形でもいい、渡河して敵陣に飛び込んだ軍の方が勝つ」
 そこで韓信はあからさまに川岸に船を連ねて、あたかも大軍が渡河を試みているように魏軍に見せかけた。
 船は弓矢の射程距離ぎりぎりのところで進んでは退き、また進んでは退き、を繰り返す。それは魏軍を挑発しているかのようであり、逆に攻めあぐねているかのようにも見えた。

「韓信は漢軍随一の将だという話であるが、噂ほどではないな!」
 対岸の魏豹は周囲の者にそう話し、まともに迎撃する必要はない、と判断を下した。このままにらみ合いが続き、兵糧が先に尽きた方が撤退すると考えたのである。
 魏豹はあらかじめこうなるであろうことを予測し、根拠地である平陽からの補給路を充実させておいたのである。

「将軍……大丈夫なのですか? 戦況が膠着状態になっていることが、私にもわかるくらいです。このままで魏豹を捕らえることが可能なのでしょうか?」
 それまでおとなしくしていた蘭が船上で韓信に問いかけた。滞陣四日めのことである。
「心配するな。布石は打ってある。明日の昼前には渡河の機会が訪れるはずだ。それより蘭、カムジンの様子が変だ。見てやってくれないか」
 カムジンは騎馬戦では尋常でない能力を示すが、船に乗ったのはこれが初めてだった。川の流れは緩やかだが、彼はそれにも耐えられず、船酔いの症状を示していたのである。
「カムジン、大丈夫? ……ふふ、勇士だと聞いていたけれど、可愛いのね」
「すみません」
 介抱されるカムジンを見て韓信は、憎まれ口を叩いた。
「カムジン、その様子では別働隊の方にお前を配置した方がよかったな!」

 別働隊の存在を蘭が知ったのはこれが初めてだった。
 韓信としては蘭を陣中に置くことは決めたものの、ここに至るまで彼女が魏と通じているかもしれないと疑い、話さないでおいたのである。

 崑崙山脈を源流とする黄河の流れは蒲坂・臨晋のあたりで支流のひとつと合流する。関中台地を源流とするこの支流が渭水である。
 本流である黄河は黄土高原を通過した後、東流して中原へ注ぐ。そして渭水と合流した地点で直角に向きを変え、北へ流れる。韓信が別働隊を置いたのは、本流が支流と合流する地点に近い夏陽(かよう)という城市であった。ここを渡河地点として対岸に渡れば、魏軍の後背をつくことができる。韓信自ら指揮する臨晋の船の部隊は、囮であった。
 別働隊の将は、曹参(そうしん)である。沛時代からの蕭何の部下であり、劉邦旗揚げ以来、最古参の男であった。韓信などより年齢も上、身分は韓信が左丞相であるのに対し、曹参は仮の左丞相であった。
 韓信が曹参に最も重要な局面を任せたのは、そのような事情に配慮したからのようである。

 戦闘開始に先立ってあらかじめ木製の(かめ)を大量に買い集めた韓信は、これを曹参に言い含めて託した。曹参は別働隊として夏陽に到着するや否やこれを加工して筏とし、魏軍が蒲坂にくぎづけになっているところを尻目に渡河に成功した。そして後方の城市を次々と陥落させたのである。

 魏豹はこれに驚き、兵の大半を曹参の軍に対抗させたが、これが原因で臨晋から韓信率いる本隊の上陸を許してしまった。

「魏豹を殺すな! 生け捕りにせよ」
 渡河してしまえば兵力の差は歴然としている。韓信は上陸してようやく息を吹き返したカムジンを先頭に立たせ、悠々と魏豹を包囲することに成功した。
 いっぽう曹参は西魏の首都平陽に攻め入り、魏豹の妻子を虜にし、ことごとく平定した。そして平陽は曹参の食邑となったのである。

「蘭、どうする。対面するか」
 とらわれの身となった魏豹の前に蘭は無言で現れた。
「殺すなよ」
「……殺してやりたい……憎いのです」
「一時の感情、屈辱に屈するな。大事をなそうとする者は、そういうものに耐えなければならない。耐えられないのなら、忘れてしまえ。小人物を殺したところで、君の名誉には決してならない」
「それは……かつて将軍が無頼漢の股の下をくぐった経験から、おっしゃっているのですか」
「……誰にそんなことを聞いたのか知らぬが……その通りだ」
「……わかりました。忘れることはできませんが、耐えてみせます」

 そう言った後、蘭は、捕縛されている魏豹の前に立ち、敢然と言い放った。
「親子の縁は、もともとかりそめのもの。今後私はその縁を断ち切らせていただきます」
 そしてつかつかとその場を立ち去った。

――うむ……そうだ。それでいい。

 韓信は蘭のその姿に、自分の生き方を見たような気がした。

 魏豹はそのまま滎陽へ送られ、漢の一兵士として扱われることとなった。王位は取りあげられ、平民におとされた。
 後任の王は置かれず、西魏は河東、太原、上党の三郡として漢の直轄地とされた。旧魏の王族は死滅したわけではないが、王国自体がなくなった以上、すべて身分を剥奪されたのと同じである。そしてそれは公女の魏蘭も同じであった。

 魏蘭を利用して韓信を王としようとする蒯通の目論みは外れた。

愛・反間・苦肉

         一

 蒯通が韓信について感じていることは、独立独歩の人だということであった。態度が穏やかなので表には出ないが、基本的には他人を信用できない性格のように見える。
 蒯通の目から見るに、韓信の軍はそれほど軍規が厳しくない。それでも軍が秩序を保っているのは、韓信が常勝将軍だからで、決して韓信が部下の教育に熱心だったからではないように思えた。
 かつて蒯通はこのことについて韓信に尋ねたことがある。

「士卒には、各々の良心に従って行動しろ、と常々言っている」
 そのときの韓信の答えがそれであった。それが韓信の信念だと言えばそれまでだが、これは韓信には信念などなく、自分の考えを他者に押し付けてまで従わせることを嫌っていることをあらわしている。

 しかし韓信は物事を言わねばならないと思うときには言う男で、決して主張が少ないとか、気弱な男ではないと思われた。蒯通が思うに韓信は人と必要以上に関わるのが面倒なだけなのである。軍規が緩やかなのに部下が従順なのは、さしあたってそのような者ばかりを登用しているからに過ぎない。カムジンという、あの常に韓信の傍にいる楼煩の男などは、そのいい例だった。これとは逆に、反抗的だが正論を吐く、うるさい者は韓信の周辺には存在しない。
 しかし、考えてみればそのような者は必要なかった。こと軍事に関しては、韓信の判断は常に正しかったからである。

 だが、あくまでもそれは軍事に限ったことであり、政略的なことは、韓信はあまり考えていない。いや、考えないようにしていると言った方がいい。
 韓信は他人を信用してはいないが、自分は信用されたがっている。劉邦が自分を信用して、将来も粗末に扱わないことを願っているのだ。

 これらのことを考え、蒯通は以下のように結論づけた。
――韓信は他人を信用していないが、本当は信用したいのである。漢王よりわしの方が信用のおける相手だとわからせれば、説得は可能だ。

「失礼ながら将軍、いいえ、丞相は、せっかくの私の言を用いませんでしたな」
 蒯通は韓信に対して、思い切ってそう述べた。
「呼び名は将軍のままでよい。蒯先生、先にも言ったが、私には魏蘭を政争に巻き込むつもりはなかった。魏の地を征して王となる気もさらさらない。そのため平陽は曹参にくれてやったのだ」
「くれてやった、と言うからには、本来魏の地は将軍が領有するべきである、と自分で思っているからに違いありません。私もそう思いますし、他の誰に聞いてもそう言うでしょう」
 韓信は痛いところをつかれた。だが認めるわけにはいかない。
「……曹参は古参の将で、漢王に対する貢献は新参者の私以上である。いずれ私にも食邑は漢王から与えられるであろう。それを思えば、第一に魏の地を与えられるべきは、やはり曹参である」

 蒯通は話題を変えた。
「将軍、知っておられますかな? 漢王は(りく)(地名)の九江王黥布に使いを出し、漢に迎え入れたことを?」
「黥布を? ……初耳だな。本当か」
「黥布はご承知の通り、天下に名を知られた猛将であり、漢王の側に立って戦えば、その貢献の度合いは将軍と肩を並べるか、上回るかもしれません」
「何が言いたいのだ」
「このままでは、漢王は将軍に与えるべき食邑を黥布に与えることになりましょう。将軍はそれで満足なさりますか?」
「黥布には黥布の、私には私の食邑が与えられるだろう。何を気にすることがあるのか」
「私もくわしくは存じませんが……黥布はその身ひとつで漢に身を寄せたものの、ゆくゆくは淮南(わいなん)王の位を得ることは決定しているそうです。これに比べ、将軍は丞相どまり。おかしいとは思いませんか? 黥布と将軍を比べれば、私には将軍の方が王にふさわしいと思われます。しかし漢王は将軍に王の地位はおろか、食邑も満足に与えない。……それは内心で将軍を恐れているからです」
「何を馬鹿な! 私よりよほど黥布の方が恐ろしい男だ。あの男の新安での行動……二十万の秦兵を一度に穴埋めにした男だぞ。義帝を弑したのも黥布だと聞く……私がそんな黥布より漢王の信頼度において……劣るはずがない!」
「では、賭けましょう」
「賭けだと?」
「そう、賭けです。将軍は代・趙への出征を理由に漢王に増兵を要請する……そうですな、三万ほどでよろしいでしょう。漢王が素直に兵を送ってよこしたら将軍の勝ち、なにかと理由をつけて少なくよこしたり、まったく兵をよこさなければ私の勝ちです。どうですか?」
「……いいだろう、付き合おう。何を賭ける?」
「運命を。私が勝てば、将軍は王への道を進み、将軍が勝てば、私はもう何も申すまい。こうして将軍にうるさがれながら、差し出口をはさむことはもうやめ、それこそ黥布のもとにでも参ります」
「そうか? しかし、私は君が黥布のもとに行くことを望んでいるわけではない」

 韓信は蒯通の提示した条件を拒否し、かわりにうまい酒を供与することを条件とした。韓信はそれほど酒が好きなわけではなかったが、他に特別欲しいものが思いつかなかったのである。

         二

 劉邦のもとより返答の使者が送られてきたのはそれから十日ほど経ってからであった。
「漢王は左丞相韓信どのに三万の兵を送ることを、お決めになりました。つきましては丞相には代・趙の攻略をつつがなく実行してもらいたい、との仰せです。なお、三万の兵を統率してこちらに送り届けるのは張耳どのが担当されます。丞相は張耳どのをそのまま留め置き、趙攻略に際しての補佐をさせよ、とのご命令です」

――見たか! 賭けは、私の勝ちだ!

 韓信は魏を滅ぼした際に、捕らえた魏兵を自軍に編入させ、兵力を増強させることに成功している。それを考えれば、あらたな三万の増兵はどうしても必要というわけではなく、送ってもらえればありがたい、という程度でしかなかった。蒯通が賭けを持ちかけてきたために、万が一劉邦が兵をよこさなくても損はない、と考えて話に乗ったのである。

 しかし実際に劉邦が三万の兵を送ることを聞いて、韓信は心底安心した。
 自分の要求どおり、劉邦が兵をよこしてくれることは、劉邦が自分を信用していることに他ならないと思え、言いようもなく心が安らいでいくのを感じる。
 とりわけ心強かったのは重鎮である張耳の派遣を決めてくれたことだった。なんといっても張耳は趙の建国に中心的に携わった男である。かつての朋友の陳余と雌雄を決しなければならないことを思えば気の毒ではあるが……しかし、それは韓信にはどうすることもできない問題であった。

――賭け自体はくだらないものではあったが、漢王のお気持ちを確認できたことは、有意義であった。
 韓信はそう思い、さらに、
――漢王に、私の真心が通じたのだ。
とさえ思った。連戦連勝の漢の総大将としては無邪気すぎるような感はあるが、それだけにこのときの韓信の喜びがひとしおであった、ということがわかる。

 ひとり悦にいった様子で居室で安らぐ韓信に、室外の衛士が来客の旨を告げた。

「蒯通さまからのお届けものをお持ちしました」
 そう言って入室してきたのは、軍装を解いた姿の蘭であった。白の長衣に幅の狭い帯を巻いただけの簡素な平服であったが、いつもと違うだけに新鮮に見える。
「私にはこれがどういう意味をもつのかよくわかりませんが……蒯通さまは私に将軍のもとへ行き、この酒を届けよ、と申されました」
「そうか……。まあ、座るがいい。せっかくの届け物だから、飲むことにする。君にも付き合ってもらおう」
「はい。……(しつ)(琴に似た楽器)でも弾きましょうか?」
「ほう、弾けるのか? さすがに良家の娘だな。しかし、それは次の機会に。今は、話がしたい」
「はい」

 酒器が用意され、青銅の瓶から薄黄色の酒が注がれる。この時代の酒は、香りが強い反面、アルコール分は少なく、相当に飲まなければ酔うことはない。成分に関しては、ある種の穀物が原料であること以外、未だ不明である。

「……この酒の届け主である蒯先生は、私に王として立つことを使嗾し続けている」
 韓信は一杯めを一息に飲み干すと、そう口にした。
「え?」
 察しのいい蘭は話の内容が危険なことに、すぐ気が付いた。

「蒯先生は漢王が私のことを内心で恐れていると……だから要請しても兵を送ることはないと……しかし漢王は私の要請どおり、兵を送って下さった。この酒は、私が賭けに勝った証なのだ」
 韓信は危険な話をしているが、表情は明るい。どうやら賭けに勝って安堵し、単純に喜んでいるらしい。蘭にはそう思えた。

「蒯通さまは私に、結果はまだわからないと伝えてほしいと申しておりましたが……。私も内容はよく存じませんが、いま聞いた限りでは安心するのはまだ早いかと存じます」
 蘭は二杯めを注ぎながら言った。それを口につけようとした韓信の手が止まる。
「……どういうことだ」
「将軍は、頭の良いお方でございます。本当はご自分でもお気づきになっているのに、考えたくないに違いありません。それゆえ、気付かないふりをしているのでございましょう。いま、兵三万が増強されることは、私も聞き及んでおります。将軍はそれを漢王との信頼関係の証だと考えておられるようですが、これはやはり漢王が将軍のご機嫌を損なうことを恐れている、と考えた方が自然のように思われます」
「そうなのか? 人はやはり……そのように思うものなのか。しかし私は軍を漢に向けたりすることは考えていない。漢王もそう思ったからこそ兵を私に貸し与えたのだろう。私が離反することはないと……。叛逆して自立をするかもしれない将に、王が兵を与えたりするものだろうか?」
「そこは、漢王とて確信がないからでございましょう。要するに将軍は試されているのです。将軍が漢王の気持ちを賭けで確かめたのと同じです。私の個人的な考えでは……漢王はそのうち、兵を返せと言ってくるでしょう。そのとき将軍がなにかと理由をつけて返さなければ、将軍に叛意あり、と考えるに違いありません」

 韓信は二杯めを飲み干した。すでにその表情から安堵の色は消え去っていた。

「蒯通さまを……遠ざけてはいかがですか?」
「そうしたところで漢王の気持ちが変わるわけでもあるまい。蒯先生は……あれはあれで私のことを高く買っているところがあってな……。無下に扱うのは申し訳がないのだ。子供っぽい言い方かもしれぬが……彼ほど私を褒めてくれる人物は、実はそうそういない」
「私は、将軍を高く評価することにかけては、蒯通さま以上です」
「……蒯先生がそう言え、と言ったのだろう。それとも君も私に叛逆を勧め、王となれと使嗾したいのか」
「違います。私はただ将軍のことを……お慕い申し上げます、と言いたいのです」
「……からかっているのか」
「そんな……本気です」
「…………」

 二人の間にしばしの間、沈黙の空気が流れた。

         三

「……私は作戦行動中は、あまり自己を甘やかさないように心がけている。食事は簡素に、睡眠も短くとり、よほどのことがない限り、酒も飲まない」
「そうでしょう。私も将軍がお酒を嗜むお姿を見るのは、今日が初めてです」
「もともとそれほど酒が好きなわけではない。いま目の前にしているこの酒にしても、いいものであることには違いないのだろうが……実は私には酒の味など、よくわからない。多く飲めば酩酊する、それだけだ。私は、それを嫌う」
「なぜ?」
「……かつて上官だった項梁は、酒に酔って正確な状況判断ができず、そのおかげで私の目の前で章邯に惨敗し、死んだ。あのときの衝撃は、忘れられない……それゆえ私は常に正気でありたい、と望んでいる。女は……男にとって酒と同じようなものだ。深くのめり込みすぎると、正気を失う」
「将軍がそのように自己を律しておられることは、素晴らしいことだと思います。……ですが、将軍……酒の味も知らず、女も知らずでは、人生の半分しか知らないのと同じでございます。深くのめり込まず、適度に味わえば、酒も女も人生を彩るものとなるのです」
「……だから君のことを適度に味わえと……そう君は言っているのか?」
「! ……将軍。そのような言い方は、いやらしゅうございます」
「すまぬ。自分でもわかっているのだ。私は過度に自己を押し殺し、そのためかたまに耐えきれなくなり、はち切れるようになることがある。若い頃、私は自分で生活することができず、よく人の世話になった。……私は彼らの好意に感謝しつつも、自分自身が情けなく、それに我慢しきれなかった。思うに私にはいい意味での厚顔さが足りないのだろう。人の好意に触れるたび、私はそれを恥に思い、常に自分から絶交を持ちかけたものだ」
「…………」
「かつて旧友の鍾離眛は、楚の項梁のもとに参じる際に、私を誘った。私は意地を張り、それを断った。しかしそれでいながら私は……結局項梁のもとへ参じたのだ。そのとき眛はそれを咎めもせず、推挙してやる、とまで言ってくれた。だが私はそれも断り……いまとなってはお互いに殺し合うような仲と成り果てている。私が素直に眛の誘いに従っていれば避けられた悲劇だ。いったい誰を責められよう、すべて私の責任にほかならないのだ」
「…………」
「蘭、君の好意も私は素直に受け入れられないでいる。軍服姿の君は、凛々しく魅力的だ。それにもまして今宵の君は、まったく違う印象で……やはり美しい。しかし駄目だ。私の手は、敵兵の血で汚れている。君はもう人質ではないのだから、私のもとを離れ、もっと清廉潔白な男を見つけてどこか平和な地で暮らすといい」
「……将軍は、父を死に至らしめた章邯を廃丘に追い込み、そしてこのたびは魏豹を……。将軍は私にとって英雄なのです。どうかお近くに置いてください。そしてわがままを申すならば、私は将軍のいちばんお近くに居たいのです」
「そうすれば君が私の人生の半分を教えてくれる、というのか。君がそばに居ることで、私の人生が彩られる、というのか?」
「そうありたい、と思っています。どうです? 私は将軍と違い、自分の気持ちに素直でしょう?」
「……ふむ。どうすれば、そのように素直になれるのだ?」
「さしあたっては、私の身を将軍に捧げます。将軍はなにも言わず、それをお受け取りくださいませ」
「私に、君を抱けと言っているのか?」
「……将軍、私は、なにも言わずに、と申しました」

 蘭の態度に媚びる様子はなかった。彼女は私を抱いてください、と韓信に懇願しているのではなく、私を抱きなさい、と言っているのだった。

         四

 室内に射し込む月の薄明かりによって、魏蘭の姿はより幻想的に見えた。
 どちらかというと細身の蘭であったが、衣服を脱いだその姿は充分に成熟した女性らしく、韓信は目のやり場に困った。しかし、目を離さずにはいられない。
 ひしと抱き合い、蘭の胸や腹に顔をうずめると、確かに自分は人生の半分しか知らなかったと自覚せざるを得ない。韓信は世の中にこれほど柔らかなものがあることを知らなかった。
 彼は自分が未知の快楽に溺れることを恐れ、戸惑った。しかし、手は蘭の体を触らずにはいられない。胸の小高いふくらみを揉み、すべすべとした腰をまさぐる。柔らかな臀部を抱え、やがてしっとりとした秘所をなでた。そうすると蘭は控えめな吐息を漏らし、両足で韓信の体を抱え込んだ。
――なんと……男まさりと言われた蘭が……。
 韓信はそう思わずにはいられない。
「将軍……」
 その声はいつもより高い音域で、小刻みに震えながら発せられた。
  韓信はもうなにも考えられなくなり、まるで貪るかのように蘭の体の中へ飛び込んでいった。

 その体に口づけをしても、甘い味がするわけでもない。それでも口づけをしようと望むのは、それをするたびに蘭が息を漏らすからだった。
 韓信がそれにある種の征服感を持ったのは、確かである。
 戦場で敵兵を討ち殺す征服感と別のそれは、よほど平和的なものであり、征服する側もされる側も満足できるものだったのだ。


「蘭、君には感謝しなければならない」
 蘭はすでにまどろんでいるようだったが、韓信は興奮が冷めないのか、寝付く気にならない。蘭は眠気を抑えて、話に付き合わねばならなかった。
「……何を、でございますか?」
「私に、気付かせてくれたことだ。私は戦いの中に身を置くこと久しいが、なぜ自分が戦うのか、考えたことはなかった。たとえ考えても答えは出なかっただろう」
「未来の……漢王の国家樹立のために尽力してきた……のでは?」
「建前は確かにそうだ。しかし、事実がそうであるかどうかは、我ながら怪しい。おそらく、いままでの私は戦うこと自体が、人生の主題だった。戦争でどれだけ自分の能力を発揮できるか……競技のようなものだ。私の救い難いところは、自分だけではなく、他人もそのような目的で戦っていると信じていたことだ。しかし……いまとなっては、自分は愚かだったと思う。他の者たちは大きな目的を持って戦っていたのだ。私などより、よほど高尚な目的だ」
「その目的とは、何でしょう?」
「当たり前のことだろうが……大事なものを守ることだ。どうだ、とんだお笑いぐさだろう? 私はその当たり前のことが、わからなかったのだ。ところがいま私は君を抱き、遅まきながら人生の何たるかを知った」
「将軍は……大げさに考え過ぎでございます。男女が愛し合うことは、普通のことです。市井の若者でさえもすることではないですか」
「その通りだ。だが私は、女を抱けば自分が弱くなるものと思い込み、その結果、なんの目的もなく戦ってきた。そんな私が幾千、幾万もの人命を奪ってきたとは……。人生の意味を知らぬ大将。世の中で何がもっとも大事か知らぬ丞相……。それがこれまでの私の正体であった」
「では……人が自らの命を捨ててまで戦うのは、愛のため……ということですか?」
「ううむ……確かにそうに違いないが……私としては軽々しくその言葉を口にしたくはない。おそらく私には、それを語る資格がないのだ。なぜかと言えば、人殺しの私が愛を建前に戦うというのは矛盾した行為だからだ。……だが、今はその矛盾さえも受け入れることができる。いま私は……死んでも君を失いたくない。それでいて、できることなら死にたくはないのだ。君を守り通せても私が死んでしまえば、君と居る幸福を味わうことができない。……きっと人が戦う理由とは、そんなところだろう」

 韓信は蘭を抱き、精神的な安定を得た。多少の矛盾にも動じない心の余裕ができたのである。そしてそれは彼の態度に表れたようにも見える。
 韓信は自分の信用度をはかるためだけに得た三万の兵のかわりに、新たに得た魏兵のなかから精兵を選び、やはり三万を劉邦のもとへ送り返したのだった。

 韓信と蒯通の賭けは、結局勝敗が曖昧なまま終わった。

         五

 このころ、滎陽の漢軍は窮地に立たされている。
 漢は滎陽から秦時代からの穀物倉である敖倉につながる甬道(ようどう)を築いてこれを補給の要としたが、楚は断続的にこの甬道を急襲し、分断した。これにより、滎陽には飢えの気配が漂い始めている。

「やはり当初の構想どおり、滎陽以東は楚にくれてやるのが得策かもしれぬ。誰が何と言おうと、和睦じゃ。それ以外どうしようもない」
 劉邦はそう弱音を吐いたが、張良を始めとする諸将は諦めがつかない。
 
 いま、韓信は西魏を降し、趙・代を降すに違いない。さらに燕・斉を降すことができれば大陸の北半分は漢の勢力圏となるのである。
 これに加えて、南には新たに参じた黥布を淮南に派遣し、楚の後背を突く計画を立てている。これが成功すれば、楚を完全に封じ込める包囲網が完成するはずであった。
 さらには彭城と滎陽の中間に位置する梁(かつての首都大梁などの魏の中心地域)周辺では、彭越が神出鬼没的に兵を率いて出没し、楚の補給路を断っている。
 ここで劉邦率いる本隊が和睦を結んでしまっては、せっかくの彼らの活躍もまったく無意味なものになってしまうのだった。

「誰かいないか? わしのかわりに全軍を指揮する者は?」
 その漢王劉邦の痛切なる願いに応えたのが、新参の護軍中尉、陳平であった。
 陳平は言った。
「私の腹づもりでは、項王は情にもろいお方、こちらが頭を下げ、和睦を請う形をとれば必ずや了承します。しかし強硬派の亜父范増などは反対いたしましょう。そこにつけいる隙が生じるかと存じます」
「項羽の性格……あれは情にもろいというのだろうか? わしが思うに、やつは暴虐だ」
 劉邦は疑問を呈してみせた。
「暴虐なのは、敵に対してのみです。項王は自分に敵対する相手を無条件に憎むことができますが、逆に味方に対しては愛情をもって臨みます。これは項王が愛憎のみで動く人物であることを示しています。これを逆手に取れば……はっきり言って、項王に取り入るのは簡単です」
「しかしわしはかつて鴻門で項羽に頭を下げ、それから態度を翻すかのようにして今に至っている。それでもやつは和睦を承諾するのか」
「するでしょう。しかし、先ほども言った通り、項王が承諾しても范増が反対します。和睦は結局成立しません。そこで私は策を弄し、彼らを切り離そうと思います」

 劉邦は陳平に軍資金として黄金四万斤を与え、それを自由に使わせて工作に当たらせた。それは、反間(はんかん)(スパイの意)の策であった。
 劉邦は陳平がどのように金を使おうと文句を言わず、出納に関しては報告の義務なし、としたという。
 このため陳平がどういう手法でスパイ活動を進行させたかは史料に残っていない。陳平は韓信と同様に楚から転向した男だったので、あるいは旧縁をつてに楚兵を買収した、ということも考えられる。

 とにかく彼は実際に項羽に和睦を申し込んだ。項羽はこれを受けようと考えたが、范増は必死になって止めたという。ここまでは予想どおりであった。
 陳平は和睦がならないと知ると、ここで反間を楚軍中に放ち、噂を流布させた。
「将軍鍾離眛は功が多く、項王に珍重されてはいるが、それでも未だ王侯とはなれず、自らの土地も持たない。このため彼は漢に寝返ろうとしている」

 この種の噂は鍾離眛のみならず、范増を始めとする他の楚将に対しても同様に流された。項羽が部下に恩賞を施すにあたって吝嗇だとされている噂を利用したのである。
 感情の多い項羽は、これで部下を信用しなくなった。
 鍾離眛は前線から戻され、後方に待機を命じられた。范増はしきりに総攻撃を主張するが、項羽は范増に裏の意図があることを疑い、いうことを素直に聞かなかった。

 ついに項羽は使者を漢に送り、独断で和睦を前提とした交渉を行うに至る。

 漢軍の陣中に至った項羽の使者たちの目にしたものは、歓待の渦であった。
 太牢(たいろう)といわれる豪勢な料理、それを目前で調理するための巨大なまな板や(かなえ)、さらには調理人までその場に待機していた。使者たちが食いたいものをその場で調理して提供しようということらしい。

「このような厚いおもてなしを……項王がこれを知ったら、きっと漢王を厚遇いたしましょう」
 使者の一人がそう口にした途端、劉邦、陳平を始めとする漢軍の誰もが白けた表情を見せた。
「項王……? 我々はみな、てっきり君たちのことを亜父范増の使者かと思っていたのだが……勘違いのようでしたな。なるほど、項王の使者か……いや、失礼申した」

 あっという間に豪勢な食事の類いはすべて片付けられ、かわりに粗末なものが提供された。使者たちが驚愕したことは言うまでもない。
――これは……范増が漢に通じているということだ!

 項羽の使者たちはそう確信し、帰ってその旨をつぶさに項羽に報告した。これによって項羽は范増の裏切りを信じたのである。

         六

「漢が韓信を使って北の諸国を討伐しているのは憂慮すべき事態だが、これは逆に絶好の機会でもある。つまり、本隊の守備に韓信はおらず、漢を降すにいまより好機はないのだ! 和睦などもってのほか。今すぐ士卒に命令なさって滎陽を陥とすのです」

 范増は口から唾を飛ばしながら、力説した。しかし項羽はすでに范増を疑い、その言葉に従う気はない。
 項羽は言った。
「亜父、我々の敵は漢のみにあらず、後方に斉もいる。いまわしが滎陽を本気で陥とそうとして自ら出撃したら、彭城は斉に奪われるだろう。……それとも亜父はそれを見通してわしに献策なさるのか?」

 范増は目を剥いた。項羽が自分に対してこのような口の聞き方をしたのは初めてである。
「なにを言っておられるのか。滎陽を獲ればよいのだ。彭城がその隙に奪われることがあっても、あとから奪い返せばよい。王にとって先に潰す相手は、斉より漢だ。なにを迷われるのか」
「……亜父、貴公を亜父などと呼ぶのは今日でやめにして、他の武将と同列に扱うことにする。以後は後方へ下がれ。それが不満ならば劉邦のもとに馳せ参じるがよかろう。本来漢に通じていることなど許されない大罪ではあるが、貴公のこれまでの功績をかんがみて、特別に不問に付す」

 范増は耳を疑った。
「大罪? 不問? なんのことだ。王はわしが漢に内通でもしていると言っているのか? 王よ、気でも狂ったのか?」
「黙れ! 貴公の裏切りはすでに明らかだ。殺されないだけでもましだと思え」
 項羽はついに怒気を発した。范増はいたたまれなくなり、退出せざるを得なかった。
――いったいどういうことか?
 范増は身に覚えのない疑いをかけられ、その原因を探った。
 それは間もなく明らかとなったが、漢の詭計に陥った項羽に落胆した范増は、自らにかけられた疑いを晴らそうとはしなかったという。

「天下はだいたいおさまったことだし、あとは王自ら治められますよう。わしのような老将はもはや必要ありますまい……骸骨を乞い(一身を捧げてきたが、骨だけは返してもらいたい、という意。辞職を申し出ること)、故郷に帰らせていただこうと存じます」

 項羽はこれを許し、范増はひとり彭城に向かったが、その途上で背中に悪性の腫瘍ができ、それがもとで死んだ。
 范増の死は病気が原因ではあったが、憤死といって差し支えなかろう。

 項羽が真相を知ったのは、范増の死後間もなくである。漢による詭計だと判明した結果、鍾離眛など諸将はその地位を回復したが、范増はすでに亡く、取り返しがつかなかった。そのため項羽は劉邦を激しく憎み、いっそう滎陽の囲みを強化した。

 漢・楚の対立は激しさを伴い、続いていく。

背水の陣

         一

 代という国は、もともと戦国時代には趙の一郡であり、北のはずれにある。この時代には項羽の諸国分割により独立の体をなしていたが、事実上は趙の属国といってよかった。
 代王は、名目上陳余である。
 しかし陳余は政務を宰相の夏説(かえつ)に任せ、自分は趙王の後見人として邯鄲にいることが多い。
 戦略上重要なのは代より趙であるので陳余の気持ちもわからないわけではない。しかし置き去りにされた代の住民は哀れであった。本来国を守備するはずの戦力は趙に持っていかれ、代を守る兵は極端に少ないのである。
 しかし、逆にこのことがかえって代の国民を救うことになった、ともいえる。

「……守る気があるのか疑いたくなる陣容ですな」
 軍事には明るくない蒯通でさえ、そのように言った。
「陳余は代を失っても構わない、と考えているのだろう。そのぶん趙の防衛は固めているに違いない。しかし、いただけるものならいただいておこう」
 韓信はそう話し、代城を囲んだ(代は国名であるのと同時に都市の名でもある)。
「戦略上、無駄な戦いというものは、敵兵にとっても味方にとってもよくないものだな」

 そう話す韓信の隣には、蘭がいる。
 韓信は蘭を危地には置きたくないと考えていたが、蘭が応じなかったため、やむなく常に目の届くところに置くことにした。立場は幕僚といったところか。とはいっても韓信は基本的に戦術は自分ひとりで考案し、実行する。蘭には話し相手になってもらえればよかった。頭の中だけで戦術を練るよりは、会話をした方が構想を具体化しやすかったのだろう。

「将軍がそう言われますからには……投降を呼びかけるのですか?」
 蘭の問いに韓信はしばし考え、返答した。
「……いや、なまじ投降などを勧め、相手が応じなければ籠城が長引く。それでは付き合わされる住民にとってはいい迷惑だ。速攻即決、これに限る」

 韓信は兵力を集中させ、城門を撃ち破ると同時に城内に騎馬兵を侵入させ、あっという間に制圧した。宰相の夏説は逃亡し、西の閼与(あつよ)まで逃れて抵抗を試みたが、そこで眼前に弓矢を構えた兵士を目の当たりにし、硬直してしまった。
「民を思い、降伏するか。それとも代王への忠節を果たすか。貴公が忠節を果たそうと思えば、代の幾多の城市はことごとく焼け、民は死ぬ。貴公もやはり死ぬだろう。しかし降伏すれば、民は救われ、貴公も死なずにすむのだ」
 弓を構えた兵が言っているのではない。
 その隣にいた兵がまるで通訳でもするように語っているのだった。

「念のために聞くが、降伏したら、私の忠節はどうなるのだ」
 夏説は恐怖におののいた声で、尋ねた。
「……代王はいずれ……我々が討つ。死人に忠節を誓っても……意味はない」
 弓を構えた兵士が、たどたどしい調子で答えた。
 それは楼煩人のカムジンであった。

 代は短期間で韓信の手に落ち、宰相夏説は捕虜となった。代の住民は戦乱に巻き込まれることが少なく、このため漢の統治を容易に受け入れたという。
 この戦いで得た代兵の捕虜は三千名ほどであったが、韓信はやはりそれを劉邦のもとへ送った。

         二

「陳余という男は学者肌であってな。兵書などはよく読んで理解している。しかしわしの見る限り、頭の固いところがあるようだ。兵書に書いてある以上のことは、決してしない」
 張耳は趙への道すがら、韓信にそう話して聞かせた。
「例えば?」
「陳余の陣形は基本に忠実で、見た目も美しい。しかしそれだけでは勝てぬ。一言でいえば、やつには応用力が乏しい。わしが鉅鹿で章邯に囲まれていた時も、陳余は並みいる諸侯軍の中で最もきらびやかな軍容を保ちながら、何もできなかった」
「なるほど……ところで張耳どのと陳余は刎頸の契りを結んだ間柄とお聞きしていますが、いま陳余を討つことに対してためらいはございませんか」
 張耳は、韓信の問いにため息をついた。
「本音を言えば……陳余を殺さずにすむのならそうしたい。魏の県令だったわしと陳余は昔、秦によって二人とも首に懸賞金を賭けられ、逃亡生活を送った。苦楽をともにした朋友なのだ。それがどうしてこうなったか……所詮はわしに人を見る目がなかった、ということなのだろう。いずれにしてももはや、わしと陳余は並び立つことはできない」
「……討つことに迷いはないと?」
「しつこく聞くな。迷いはない」

 韓信は、信じられなかった。人はこうも割り切れるものなのか……。それというのも、韓信は旧友の鍾離眛を討てなかったのである。
――私が、弱いということなのだろうか。
 思いに沈む韓信の背に、蘭の手が添えられた。


 韓信の軍は閼与から東へ進軍を始め、山岳地帯にはいった。趙軍は井陘口(せいけいこう)でこれを迎え撃つべく、二十万もの兵を集めた。
 大軍である。
 対する韓信の軍は、魏や代に駐屯する兵や、劉邦のもとに送った兵を差し引いて、三万程度しかいなかった、と言われている。
 加えて井陘という地名はその字の通り井戸のような形をしていることに由来しており、四方が山に囲まれ、中央は谷となって深く沈み、その底に川が流れている。
 水量は決して多くはないが、戦場に川があることは戦術上の制約が多い。川そのものを防衛線として利用されれば、攻める側は非常に不利である。
 ましてそこに至るまでの道が、険しい。
 山中のことなので道幅が狭く、行軍は横に広がらず、縦に伸びる。これは行軍に分断の危険を伴うことを意味した。

 圧倒的不利の条件であった。韓信は密偵を送り、状況の把握に務めた。

 一方そのとき陳余は幕僚の李左車(りさしゃ)から、熱のこもった献策を受けていた。
 その李左車は言う。
「漢将の韓信は、平陽で魏王を虜にし、閼与で夏説を生け捕り、勝ちに乗じております。いま韓信は張耳を補佐として得、謀議して趙を降そうと画策しており、その鋭鋒には正面から当たるべきではありません。ところが幸いなことに井陘への道は狭く、車や騎馬が並んで行けないことは、我が軍にとって有利でございます。つきましては私に兵三万をお貸しください。間道から出陣し、敵の横っ腹を討って分断いたしましょう。その間、本隊は塁を高くして陣営を固め、防御に徹すれば、敵は進もうにも進めず、退こうにも退けず、十日以内に韓信・張耳両将の首を持参することができます」

 陳余はこれを聞き、不快感をあらわにした。
「なにを言う。兵法に『敵に十倍すれば、これを囲み、二倍ならば戦う』とあるではないか。いま韓信の軍は数万と称してはいるが、実際には二万かそこらだろう。まして彼らは千里の道を歩き、我が軍と対峙しようとしているのだ。いくら勝ちに乗じているといっても、疲れているに決まっている。この程度の敵を正面から敗れないようでどうする」
 李左車はなおも食い下がった。
「しかし、聞くところによりますと韓信は詭計を得意とするとか。こちらが正面から迎え撃とうとしても、やつらが正面から現れるとは限りません。現状では地の利はこちらにあるのですから、それを最大限に利用することを考えるべきではないですか」
 陳余はそれに対して鼻で笑うような態度を示した。
「君は、政治というものをわかっていない。戦争というものは、勝てばそれでよいというものではないのだ。いま我々が有利な立場にありながら、弱い韓信の軍を騙し討ちにしたと世間に知れたら……諸侯は趙を懦弱(だじゃく)な国と評し、軽んじるだろう。軽んじられれば、攻め入られる。それが道理というものだ」
「漢軍が弱いと、はたして言い切れますか? おそれながら正々堂々と戦うのは武人としての本懐ではありますが、この戦いにおいて趙は負けることは許されず、確実に勝つ方策を採らねばなりません。あなたにはそれが……」
「もうよい。下がれ。すでにわしは君の策を採らぬことに決めた」
「…………」
「君は、戦場では趙王のそばにおり、護衛に徹しろ。それ以上のことはするな。王はもともとこの戦いに乗り気でないゆえ、窮地に立たされると安易に降伏しかねない。目を離すな」
「…………」
「わかったのか」
「……御意にございます」

 この会話の一部始終が密偵によって韓信の耳に入った。これにより韓信は井陘に至る隘路の途中に伏兵がいないことを確信し、安心して軍を進めることができたのだった。

         三

「私が思うに、陳余という男は戦争を美化して考えているな。正義とか、男の見栄などを重視しているように思える」
 韓信の言葉に、即座に張耳は反応した。
「それはそうだろう。彼は儒者だからな」
「! そうでしたか。それは初耳でした。……しかし、だとすれば、彼は腐れ儒者だ。戦争の本質がなんたるかをまるでわかっていない。以前の私と同じように、彼は戦争を競技のように考えている」
「ほう……」
「戦争には少なからず、犠牲が伴う。そうである以上、手法はともかく勝たなくては意味がない。陳余は李左車の意見を取り入れるべきだった。他に方法があるのに、正々堂々と正面から戦うことなど……偽善だ。反吐が出る」
 張耳は韓信が感情をあらわにするのを初めて見た。意外に思ったが、しかし言いたいことはわかる。
「だが、それによって我々に勝機が見えてきた、違うか?」
「確かに。兵法に通じた陳余の鼻っ柱を折ってみせよう……いや、すみません。張耳どのの旧友であることを失念して、少し興奮してしまいました」
「構わん。すでに袂を分かった、と言っているではないか。その様子では充分に勝算があるのだな?」
「はい」
 韓信の頭の中には、すでに作戦の構図が描かれていた。

 韓信は井陘口の手前三十里に陣を留め、その日の深夜、カムジンを始めとする騎兵二千人を招集した。
 それら騎兵一人一人に赤い旗を持たせ、韓信はここに至り、初めて作戦を明かしたのだった。
「諸君はこの赤い旗を持ち、間道から趙の砦に近づいたところで、待機しておれ。くれぐれも見つからぬように林間に身を潜めているのだぞ。私は本隊を率いて趙軍と正面から戦うつもりだが……、その際あえて敗れたふりをするつもりだ」
「は……?」
「私が敗走する姿を見れば、砦の中の趙兵は追撃を始めるに違いない。つまり、そのとき砦は無人となる」
「…………」
「その瞬間を逃さず諸君はいち早く砦に侵入し、趙の旗を抜き取り、この赤い旗を立てよ」
 そう言いながら、韓信は兵たちに軽食を配った。
「作戦前のことなので腹一杯食わせてやることはできぬが……今日、趙を破ったのち、みなで一緒に会食することにしよう」
 朝飯前に戦局が決する、というのである。

 兵たちは了承の返事をしたものの、誰も本気で信じる者はいなかった。せいぜい士気を高めるくらいの発言だと思ったのである。
 しかし、韓信は本気だった。


 趙軍は塁壁を築いてそれに身を隠し、さすがに軽々しくは出撃しない様子であった。
 すでに地勢を得ているのだから、じっくり時間をかけて戦うつもりだろう。
 これを見た韓信は、士卒に対してこう言い放った。
「趙軍は軽挙妄動を謹む構えを見せているようだが、彼らの自制心を解放する術を私は知っている。……それは大将たる私自身が突出し、その結果敵陣の中に孤立することだ」
 士卒たちは、それを聞いてざわつき始めた。
「それでは危険すぎます」
「それこそ、軽挙妄動ではないのですか」
 韓信はそれを手振りで制し、
「私は死ぬつもりはないが、事実その危険はある。君たちはそうならないようせいぜい踏みとどまって、私を守れ。我々が勝つか負けるかは、そこが分かれ目である」
 と言った。
 そして敵が守備に徹して動きを見せないのをいいことに悠々と進軍し、なんと川を背にして陣取ったのである。

 趙軍はその様子を見て大笑いした。
「韓信は兵法を知らない」
「自ら退路を断つとは、しろうと同然」
 味方の漢兵も口にこそ出さないが、同じようなことを思った。

         四

「……川を前に置けば、敵の侵入はある程度防げるが、いま敵地に侵入しようとしているのは、我々の側だ。よって本来川を前面に陣を張らなければならないのは趙軍の方であり、彼らに川の向こう側に陣取られると、攻めるこちらとしてはやりにくいこと甚だしい。……だから、私はそうさせない」
 戦いを前に魏蘭や蒯通を前に語った韓信の言である。
 しかし、韓信は具体的なことはそれ以上語らなかったという。

 夜明けとともに戦鼓が高らかに鳴り、漢軍の進撃が開始された。趙兵たちは迎撃しようと撃って出たが、そこにあったのは彼らにとって目を疑う光景であった。
「……大将旗だ!」
「韓信が先鋒でいるぞ!」
「裏切り者の張耳もいるぞ! 取り囲め! 捕らえよ」
 趙軍の兵士はみな塁壁から出て、飢えた虎のように韓信めがけて突撃を開始した。

「来たぞ、諸君。さあ、逃げるぞ!」
 韓信を始めとする先鋒部隊は、なりふり構わず逃げ出した。戦鼓や旗を捨て、一目散に川岸に向かって走り続ける。
「後退せよ! 退却するのだ」
 韓信は大声で命令を発する。
 それに呼応するかのように趙兵は次々と塁壁から出撃し、漢軍を追いつめて行くのだった。

 それまで戦況を見続けていた陳余は、傍らの李左車へ勝ち誇ったように語りかけた。
「見ろ。韓信は弱い。君の言う勝ちに乗じた軍というのは、こういうのを言うのか?」
 李左車は不審に思いつつも、返す言葉もない。
「……私の誤りだったと思われます……」
「君の処分については、この戦いのあと、じっくり考えさせてもらう……さあ、者ども! 私も出るぞ。付いてこい!」

 陳余はそう言いつつ馬に跨がり、自らも出陣することを宣言した。
 つまり、彼は韓信の罠にはまった。


 韓信たち先鋒部隊は抵抗もそこそこに後退し、川岸まで追い込まれたところで味方の軍と合流した。
「諸君!」
 ここで韓信は息を切らしながらその長剣を抜き、たかだかとかざして士卒に号令を下した。
「見よ! 前方は敵、後背は川だ! 怯懦な心で敵に臨めば、諸君を待っているのは死である! 恐れをなして後退すれば、諸君は川に飲まれ、やはり待っているのは死だ! 諸君が生き残るには、前方の敵を撃ち破るしかない」
 漢兵たちの間に緊張の空気が充満する。
 韓信はそれを断ち切るかのように剣を振り下ろして命令を下した。
「反撃せよ!」
 おしよせる趙軍を相手に、漢の兵士は死にものぐるいになって戦った。
「退くな! 踏みとどまれ!」

 死地に追い込まれた漢兵たちは数で劣勢であるにも関わらず、意外なことに趙軍の猛攻に持ちこたえようとしている。
「……大軍に細かな作戦などいらぬ。数で圧倒すればよいのだ」
 戦況の膠着状態に苛立った陳余は、ついに砦で待機する兵たちに出陣を命じた。

 この時点で、砦は空になった。

「諸君、もう少しの辛抱だ! 持ちこたえろ! 死ぬな!」
 韓信は自らも剣を振るって、敵を切り倒しながら、味方を鼓舞する。しかし味方の兵の中には猛攻に耐えきれず、川に落ちて溺死する者が続出し始めていた。
「退くなと言っているのに!」
 彼らを助けてやることはできない。韓信としては見捨てることしかできず、ある程度の犠牲が出ることは覚悟の上の作戦だった。

 あらかじめわかっていながらそうした、というのは救われない武将の(さが)とでもいうしかない。韓信が、自分には愛を口にする資格がないと言ったのは、このような自分の行為の罪深さを自覚しているからだろう。

 そうした苦戦を小一時間も繰り広げたころ、城壁の旗が趙のものから漢のものにさし変わった。
 例の赤い旗である。
 潜伏していた二千の騎兵が空になった砦を占拠したのだった。
 これにより、状勢は逆転した。
「砦が奪われたぞ! あれは漢の旗だ!」
 兵の声に驚愕した陳余は後ろを振り向き、さらに驚愕した。
――そんな馬鹿な。そんなはずはない!
 しかし目に見えるのは、砦からこちらに向かって突入してくる漢の騎兵の姿であった。紛れもない現実だった。
 士気を失った趙軍は、総崩れとなった。砦と川からの挟撃にあった趙兵たちは次々に討ち取られていく。
「陳余だ! 誰でもいい、早く陳余を討つのだ!」
 韓信は叫びながら、自分でも陳余を追いかけた。
 陳余は馬を走らせたが、逃げ道があるわけでもなく、無計画に走り回るしかなかった。
「誰か、わしを守れ! 助けろ!」
 しかし、趙兵たちは自分たちを守ることで精一杯である。ある趙の将軍は逃げ惑う配下の兵を斬り、反撃するよう強要したが、やがて乱戦の中で自分も斬られた。

 そして逃げる陳余の脳天に矢が突き刺さった。
 陳余は落馬し、自らの馬に踏まれて人形のように転がり、落命した。
「楼煩だ!」
 陳余を射殺したのは、カムジンだった。
「大将の陳余は……討ち取った……殺されたくないやつは……降れ!」
 カムジンのそのひと言で、それまで逃げ回ってばかりいた趙兵たちが馬を降り、地べたにひれ伏し始めた。戦局は終結を迎えたのである。

「……やれやれ、またもカムジンに手柄を与えたことになるな……しかし、まあ……これでよい」
 韓信は周囲の者にそう言って、安堵の溜息を漏らしたという。

 陳余の遺体は、川のほとりに運ばれ、そこで首を切断された。

         五

「趙王をこれへ……」

 捕虜となった趙王の(けつ)は、韓信の前に引き出され、引見を受けた。
「累々と続く趙の王家の血筋を私が絶とうとは、考えていません……。ただ、これからは市井の者として、静かに、大過なく暮らしていただきたい。それがあなたのためであり、我々のためでもあるのです」
 韓信の言葉を受けて、歇は静かに頭を下げながら言った。
「そもそも余をかつぎ上げたのは、陳余と、そこにいる張耳である……。擁立した者に裏切られるとは……実に悲しいことだ。しかし、いま将軍の慈悲により、こうして生かされていることに感謝し、恨みごとは言うまい。……また、将軍に言われるまでもなく、余は静かな生活を望んでいる。張耳よ、余は……余は、王になどなりたくなかったのだ! たまたま王家の血筋に生まれたというだけで運命を翻弄されるのは、もう終わりにしたい。なぜ余をそっとしておかなかったのか!」
 韓信の横にいた張耳はこれを聞き、自分の野心に満ちた人生を恥じ、さめざめと泣き崩れた。
 韓信は、これに深く心を動かされ、
「不肖、張耳に代わって謝罪申し上げます」
と、歇に向かって深々と頭を下げた。歇にも、張耳にも同情したのである。

 さらに韓信は、井陘の戦いに先立って、奇襲を献策した李左車を殺さず、生け捕りにしている。
 韓信は虜囚となった李左車を前にすると、その縛めを自ら解き、東を向くように座らせ、自分は西を向いて座った。これは韓信が李左車に師事することを意味する。軍事に対する根本的な考え方が、自分と同じだと考えたのだった。

 こうして捕虜の引見を終えた韓信は、約束どおり、士卒と食事を共にした。
 遅めの朝食の中、兵たちは口々に韓信に質問を投げかけた。
「将軍、このたびの戦術はいったい……私どもはなにがなんだかさっぱりわかりませんでした。いまだにどうして我々が勝利を得たか、よくわかりません。これは、偶然の結果なのでしょうか」
 韓信は、犬肉をほおばりながら、兵たちの質問に答えた。
「そうだな……いや、偶然などではない。まずは、私は君たちに謝らなければならないだろう……。私は君たちをあえて死地に置き、それを利用してこのたびの勝利を得たのだ。結果は私の狙いどおりだった。決して偶然ではない」
 韓信はそう話しながら、口の中の犬肉を吐き出しそうな素振りを見せた。犬の肉の味が嫌いだったわけではない。ただそれを味わうと、かつて犬の屠殺人の股をくぐった屈辱が思い出されるのであった。

 兵士はそんな韓信の気持ちにはお構いなしに質問攻めにする。
「兵法には『山や丘を後方に、水や沼沢を前方に陣せよ』と記されているとうかがっております。しかしこのたび将軍は、これとは真逆に川を後ろにして陣を構えました。将軍の作戦は兵法に基づいたものではない、ということなのでしょうか」
「そういうわけではない。このたびの私の作戦も兵法に基づいたものである。しかし、兵法には抽象的なことしか記されていないため、君たちが気付かないだけなんだ」
「と、いうと?」
「孫子の書には『死地に陥れられて初めて生き、亡地に置かれて初めて存する』とある。これはちょうど君たちのことを示しているのだ。つまり、兵は死にたくないという気持ちの強い者が、生き残ることができる。このため私はあえて君たちを死地に置いた。謝らなければならないと言ったのは、このことだ」
「なるほど」
「いっぽう兵書には『兵を死地に置いて奮闘させるためには、川を後ろに陣構えさせよ』などということはいちいち記されていない。兵書にある言葉どおりに戦えば必ず勝つというのであれば、この乱世に敗者は存在しないだろう? 大事なのは兵書から何を読み取るかであり、忠実に兵書にある内容を実行すればそれでいい、というわけではないのだ」
「趙の陳余も一説には兵書に通じていた、ということですが……」
「我々よりも大軍を擁することができたので、それで満足したのだろう。確かに兵法には相手より多くの兵力で戦い、数で劣る時は逃げよ、ということが記されている。陳余はそれを盲信し、陣を敷いた時点で勝ったつもりでいた。生意気な言い方を許してもらえるならば、彼は底の浅い男だ」

 韓信は陳余が嫌いだった。苦難を共にした張耳との過去の交友を忘れ、己の野心のみに基づいて行動した、儒者でありながら義に疎い男。
 それが韓信の陳余に対する評価だった。また、正面から戦えば自尊心は満足させられるが、それで勝ちを得たとしても兵は少なからず損耗し、失わくてもすむ人命を失うことに気付かなかったというのも気に入らない。
 いらいらとしたが、肉を飲み込み、ひとしきり気を落ち着けた韓信はさらに語を継いだ。
「私が、君たちを死地に置いた理由はまだある……。私は、見ての通り若輩者だし、日ごろから君たちを心服させようと努力していたわけではない。よって、私の号令だけでは君たちの本当の力を引き出すのは無理だと思った。このたびの勝利は君たちの生き延びたい、という願いが敵兵にまさった、それがいちばんの要素なのだ。私は、それを少し手助けしただけに過ぎない」
「しかし、兵の力を引き出したのは、他ならぬ将軍の知謀でございます。とても私たちの及ぶところではございません」

 兵たちは揃って韓信を祝福し、あらためて勝利を喜んだ。韓信は、尻が痒くなるような気恥ずかしさを感じたが、喜びを感じずにはいられなかった。
 兵士たちと気持ちを共有することができたことに、初めて感動したのである。

 しかし、やはり自分の決断のせいで命を散らした者がいる、という事実は変わらなかった。それは指揮官として常に背負っていかねばならない、あがなうことのできない罪であり、逃れられない責務であった。

 韓信はほんの一瞬でも喜びを感じたことに、恥を感じた。

邯鄲に舞う雪

         一

 人の世は、清濁入り交じって流れる川のようであり、混沌としている。清流は清流のままでいることは難しく、その多くは周囲の濁流の影響を受け、自らも濁流と化すものだ。
 また、汚らしい泥のなかに埋もれる宝石が、その輝きを主張することは難しい。泥の中ではせっかくの宝石もただの石ころと見分けがつかないものである。
 鬱蒼とした林の中で、わずかな日光を得て可憐に咲く花を見つけることは困難である。林の中は雑草ばかりで、深く分け入らないとそれを見つけることはできず、せっかく見つけても価値がわからないものにとっては、花も雑草であると思われるものだ。

 韓信は、自分が濁流の中の清流であり、泥の中の宝石であり、雑草の中の花だと考えていた。それはいまでも変わらない。
 以前は、自分以外に清流たるものは存在せず、周囲の者はみな泥だと信じ、花である自分を雑草と見分けがつく者はいないと考えていた。つまり、自分以外の者を認めようとしなかったのである。

 濁流や、泥、雑草の類が人の世には多いことは間違いない。
 しかしその中で確固として輝きを放とうとする者が自分だけではないことを、韓信はようやくわかりかけてきている。内省的ではあったが、孤高を保ちすぎる傾向にあった自分の生涯を少しずつ修正しようと努力し、機会があれば他者を理解しようと心がけるようになった。
 そのきっかけは彼自身にもよくわからなかった。意識もしたことがなかったが、もしかしたら蘭との出会いが大きいのかもしれなかった。
 趙将の李左車に教えを請う態度をとったのは、そういう心の現れだったかもしれない。
 他人に教えを請う行為自体は、人としてさして珍しいことではないが、以前の韓信を知る者にとっては容易に信じられないことであった。

「私ごときがどうして将軍のお力になれましょう。亡国の大夫は国を語らず、敗軍の将は軍を語らず、というではないですか。たとえ私がなにを言おうと、将軍にとってためになる話はありますまい」
 助言を請われた李左車はこう言って協力を固辞したが、韓信は諦めず、食い下がった。
 敗軍の将は兵を語らず……李左車は謹み深く、謙虚な男であった。あるいはこういう人物を韓信は好んだのかもしれない。

「……私は、北に燕を攻め、東に斉を攻め、これを降そうと考えています。これは、実に大それたことで、責任も重大なのです。もちろん私自身にもどうやって燕や斉を攻め降すか、おぼろげながら考えはあります。しかし確信を得るには至っていません。私は部下を死地に向かわせ、燕や斉の住民を戦乱に巻き込まねばならない。そうである以上、部下や住民に犬死にはさせたくないのです。やるからには、成功させねばならない」
「将軍のもとにもよき相談相手はおりますでしょうに。なぜ私のような者の意見など聞きたがるのか」
「傲岸なように聞こえるかもしれませんが……私は、負けたことがありません。連戦連勝が続けば、次も勝つと信じて疑わなくなるのは自然なことです。我ながら、その気持ちを抑えることができなくなりつつある……。私につき従う兵にしても、同じでしょう。どうか、第三者の目から見て、私が次にどうするべきかご教示いただきたいのです」
「そういわれても、私は趙国内においても、それほど重き立場の身分だったわけではない。それに対して将軍は若いといっても、漢の重鎮中の重鎮……。将軍の求めるような国家的な戦略など、私が助言できるはずもありません」
「……李左車どのは、百里奚(はくりけい)という人物をご存知か」
「は? 楚出身のかつての秦の宰相ですな」
「そう。百里奚は当初()(春秋時代に存在した国)国にいたが虞は滅び、その後秦国に赴いたところ、秦が覇者となった。これは百里奚が虞にいたころは愚者で、秦に行ってから急に知恵者になった、ということではないでしょう。虞にいようが秦にいようが百里奚その人の本質は変わらない。要は彼を用いたか用いなかったか、当時の君主が彼の意見を聴いたか、聴かなかったか、ということです。もし陳余があなたの計画を採用していれば、私などは今ごろ虜囚の身であったことでしょう。どうか辞退せずに……私はあなたの意見のままに行動するつもりです」
 李左車はこれを聞き、ついに折れた。
 この大陸における通例の儀礼では三度目の懇願に対して了承するものであるが、彼は四度目でようやく了承した。のちに売国奴として批判されるのを恐れたのであろうか。

「私の見る限り、士卒はみな疲れているようです。勝ち続けているので士気は高いですが、気持ちだけでは戦には勝てません……。実際には使い物にはならないでしょう。したがってこのまま将軍が燕に侵攻したとしても弱い燕に勝てず、ましてや強国の斉に勝てるはずがありません。まずは士卒を休ませ、そのうえで燕に対して使いを出すのがよろしいでしょう。そうすれば趙を降した将軍の武威が生きてきます。燕は靡くように降伏しましょう。実情を隠して示威するわけですな。……兵法に『虚声を先にして実力を後にす』とありますが、いま将軍がとるべき作戦がそれなのです」

 韓信はそれを承諾し、言われるままに行動した。
 はたして燕は李左車の言う通り降伏し、韓信は戦うことなく燕を勢力圏の下においたのである。

 李左車が韓信に対して示した方策は、とりたてて奇抜なものではなく、韓信の直属の幕僚の中には、似たような考えを持っていた者もいたに違いない。
 しかし注目すべきは、韓信が李左車を説得した際に発した言葉が、彼の軍事に対する考え方を顕著に示していることにある。
 部下や民衆を死地に巻き込む自分を必要悪のような存在だとし、さらには戦勝に目が眩みつつあることを隠さず、それを不安として他者の意見を取り入れようとした乱世の英雄に対する記述は、史書にはあまり見当たらない。

         二

 酈食其という儒者は、老人でありながら挙動が軽く、いつも軽快な足取りで韓信の前にひょっこり顔を出す。
 その彼は屈託のない調子で韓信に対して言った。
「将軍、たびたびのことで申し訳ないが、漢王が兵をよこせと仰せだ。出せるか?」
 韓信としては「簡単に言うものだ」と半ばあきれる気持ちもあるのだが、それを口に出して言う気にはなれない。酈食其は、彼にとってどうにも憎めない人物なのである。
「出しますよ。というより、出すしかないのでしょう?」
「うむ。まさか出せません、とは言えまいな。いや、言わないでくれ。それを伝えるのはわしなのだから……。そんなことを伝えれば漢王はまた癇癪を起こし、わしのことをきっと口汚く罵るに違いないのだ。実は、この間もさんざん叱られたばかりでな」
「言いませんよ。……それよりなぜ叱られたのですか?」
「我ながら妙案だと思ったのだが……秦の滅ぼした六国の子孫をたてて、それぞれを王とするよう漢王に献言したのだ。漢王が覇王として君臨することになれば、項王も襟を正して心服する以外にないと思ったのでな」
「…………」
「やはり駄目か、そうであろうな。漢王は一度はわしの策を採用し、大急ぎで印綬を作らせたが、張良があわてて引き止めたそうだ。時代に合わん、といってな。おかげでわしは大目玉だ」

 酈食其は悪びれた様子もなく、淡々と話す。韓信にはそれがおかしくてたまらなかった。
「今さら項王が襟を正してなどと……。私が張子房どのでもやはり止めたでしょう。六国をたててその六国が揃って楚に靡いてしまっては、元も子もない。酈生ともあろうお方が、どうしてそのような早まった献言を?」
「それは……早いところ現状を打開しなければどうにもならぬとわしなりに思ったからだ。はっきり言うが、滎陽は落城寸前だ。早めに手を打たなければ、あとひと月も持つまい」

 酈生はこのとき苦渋に満ちた表情をした。
日ごろ温和な態度を保ち続けている儒者の彼としては、珍しいことである。
「漢も詭計を用いて、楚軍の内部を切り崩したりはしているのだ。しかし、決定的な打撃を与えることができないでいる」

 このとき韓信は酈生から伝え聞き、陳平の策によって亜父范増が死んだことなどを初めて知った。
「深刻な状況ですね……。しかし、現状では私にできることは少ない。せいぜい兵を補充して差し上げることぐらいしか……。漢王はさぞや憔悴していることでしょう」
「軍事面ではな。私生活の面では、心配ない。漢王は囚われの身の呂氏のかわりに若い戚夫人を得るに至った。もともと女好きのお方だ。若い婦人を相手にしていた方が精神的にも安定するに違いない。判断力はしっかりしておられる」
「に、しても急がねばならぬ。斉を討伐し楚を逆に包囲すれば……」

 韓信はしばらくの間、士卒を休ませることに決めていたが、もしかしたらそれも撤回しなければならないと考えた。
「いや、心配するな。事を急いで将軍に失敗されてはすべてが無に帰す。成功したとしても……」
「成功したとしても?」
「……将軍の立場を悪くするだけだ。わしにはそう思える」
「…………」
「将軍の功績はいまでも大きすぎる。このうえ斉を平定などしたら漢はおろか、楚さえも上回る勢力になりかねん。将軍が戦いに勝つたびに漢王が兵を送れといちいちいうのは、それを抑えるためだ。いや、たしかに滎陽が苦しいという事情はあるが、基本的には将軍の力を削ぐためだと思えてならない」
「……私が自立勢力を持つというのですか。私の幕僚にも似たようなことを言う者がいる。しかし、その度に私は言うのですが……私にはそんな気はない」
「君がどういうつもりなのかは、たいして問題ではないのだ。重要なのは事実であって、実際に将軍の勢力が自立するに足るものであれば、漢王としては警戒しなければならない。今のところ将軍にはその気はないようだが、人の心というものは、ちょっとしたきっかけでうつろいやすいものだからな」
「私は……違う。私はもし自由を与えられたならば、誰とも関わらずにひとり気ままに暮らしたい、というのが本心なのです。誰が自立などするものですか。王など称して不特定多数の人々を相手にするなど……面倒です」
「だから将軍がどう思っているかは問題ではない、と言っているだろう。将軍、こういう故事をご存知か?……かつて秦の将軍王翦は楚を滅亡させるにあたって六十万の兵を用意した。これは楚を撃ち破るに充分な数であったが、王翦の心次第では秦を撃ち破ることも可能な数だ」
 韓信は口を挟んだ。
「その話なら知っています。王翦は始皇帝にいらぬ疑いを持たれぬよう、再三にわたって使者を送り、戦勝後の褒美をことさらねだった……戦後の恩賞で頭が一杯で、反乱など考えてもいないことを印象づけるためです」
「その通り……。考えてみるがいい。将軍の立場は王翦と同じだ。だが、将軍は漢王に対して何も要求していない」
「要求など……臣下が主君に要求をするなんて、不躾(ぶしつけ)ではないですか」
「確かにそうかもしれんが、留意すべき故事だ」

 韓信は息をのんだ。自分の立場はそれほど微妙なものなのだろうか。

 酈食其は続ける。
「将軍が考えるべき事項はまだある……。漢王は函谷関を出て中原に進出してからも、折りをみて何度か関中に戻っている。そのわけが分かるか?」
「関中は漢にとって重要な拠点だからでしょう。それは他ならぬ私が漢王に主張したことです」
「……それだけではない。漢王は丞相蕭何が謀反するのではないかと疑っておられたのだ」
「……蕭丞相が? まさか。彼はそんなお人ではない」
「蕭何は漢王とはまるで違い、真面目で人格者でもあるし、それゆえ人望もある。関中の父老の支持を得て、若者を駆り集めれば、文官とはいえ謀反は可能だ」
「…………」
「しかし蕭何が優れているところは、それに自分自身で気付いたところだ。彼は漢王の信用を得ようと一族郎党から男子をすべて集め、残すことなく滎陽の前線に送り込んだのだ。体のいい人質というものだろう。将軍はそのようなことをなさっておいでか」
「……いえ、まったく。第一私には親類縁者が少ないので……」
「考えるべきだ。旗揚げ以来の重鎮の蕭何でさえ疑われるのだ。言いたくはないが、漢王と将軍の信頼関係は、漢王と蕭何のそれよりは薄い。……親類に心当たりがいないのであれば、他の者を探すべきだ。要は漢王の気に入る者を差し出せばよいのだからな。さしあたり……例の魏豹の娘などはどうであろう」
「…………!」

         三

「お顔の色がすぐれませんね。どうなさったのですか?」
 蘭の問いかけに、韓信は応じる言葉を見つけることができなかった。
「悩み事でも?」
「……ある人が、君のことを……人質に出せと……漢王のもとに……」
「いつになく歯切れの悪い物言いですこと。それを言ったのは酈食其さまでしょう。先ほど私に直接話してくださいました。私にはそんなに悩む必要があるとは思えませんが」
「まったく、あの爺さんときたら! あの人は思いつくとすぐ行動に飛び移るのが悪い癖だ。この間も漢王に叱られたばかりだというのに」

 蘭はくすっと笑い、韓信をなだめるように穏やかな口調で話し始めた。
「悪い人ではありません。あの方は将軍のことを、ずいぶんと気にかけております。将軍は智勇兼ね備えた名将にして、漢の至宝たる存在だ、とまで申しておりました。それゆえ漢王との微妙な関係が気になると……」
「酈生のことはいい。肝心の君の気持ちはどうなんだ? 私は君を行かせたいとは思っていないが、心を鬼にして行けと命令すれば、君は断る立場にはない。非情なようだが、公私の区別はつけなければならぬ」
「おそれながら、将軍のいまの言いようは間違いでございます。いったい公とはなんでございましょう。将軍が漢王ににらまれたくないから私を人質に出す、ということを示しているのでございましょうか? にらまれたくない、というのは私的感情でございます。公ではなくて私の領域です」
「では君の考える公とは、なんだ」
「将軍にとっての公とは、将軍自身が理性を保ち、精神と感情の平衡を保ち、それによって軍の士気を維持することにある、と私は考えます。漢王は確かに自立できるほどの勢力を将軍に持たせることを危惧しておられるようですが、それによって将軍が戦いに敗れることを望んでおられるわけではありません。つまり、将軍は軍を常に勝てる状態に保つことが公であり、何よりも優先して務めねばならない責務なのです」
「つまりは、私が君を手放すと、私が気落ちして理性を失い、その結果、私の軍は弱くなると……そう言いたいのか?」
「いやな女だと思われたくはないのですが……その通りでございます」
「そんな風に君のことを見たりはしない。たぶん……君の言う通りだろう。しかし……ということは君は行く気がないのだな?」
「私が行けば、それなりに効果はあるのでしょうが……行きたくありません。つきましては私に考えがございます。聞いていただけますか?」
「聞こう。聞かせてくれ」
「では……先日将軍は井陘で趙を激戦のうちに破り、趙王を虜になさいました。これにより趙は王座が空位となったわけですが、将軍はそれをそのままにしておいでです。これをどうお考えになられますか」
「私も好きでそうしているわけではない。趙の国内は現在無政府状態であり、早く手を打たないと諸地方に反乱が起きるだろう。しかも、それを機に楚に武力で干渉される恐れがある。だが燕との交渉を先にしてしまったので、後手に回ってしまったというのが正直なところだ……しかし、趙を王国のまま保つか、漢の直轄郡の一部にするかは私の決めることではない。漢王の沙汰を待っているのだ」
「滎陽は窮地に陥っている、と聞いております。漢王は実際それどころではないのかもしれません。時間が経てば経つほど状況は悪化しかねません。沙汰を待つのではなく、将軍から行動を起こすのがよろしいでしょう」
「……まさか、君まで私に王を称せ、というのではないだろうな」
「……違います。張耳さまを趙王に推挙するのです。そうすれば将軍が自らの王位襲名を考えていないことを漢王に印象づけることができましょう。趙国内の早期安定にもつながります」
「なるほど……そうだな。酈生が兵を連れて帰るときに伝えてもらうことにする。しかし、漢王はそれを了承するだろうか?」
「極端な話をすれば、了承するかしないかは問題ではありません。要は将軍に王を称す意志がないことを伝えることができればそれでいいのですから。でも……了承するでしょう。張耳さまは趙にゆかりの深い方ですし、漢王ともご関係の深い方ですから」
「君も幕僚らしい口の聞き方をする……どうも私はそう言うことを考えることが苦手で……君の言う通りにしよう。今後もよろしく頼む。軍事にしか頭の回らない私を、どうか守ってくれ」

 蘭は、韓信のこの言葉を聞き、嬉しそうに微笑んだ。
 軍服を着て戦場に臨んだ蘭であったが、井陘の戦いにおいて、韓信は蘭に戦地に立つことを禁じ、後方の非戦闘員の護衛を命じた。
 女である自分に人を殺させないという韓信の心遣いであることはわかるが、やはり重要な局面で力になれないことを蘭は残念に思うのである。なんとか韓信にとって必要な人間でありたい、と思い続けた彼女の願いが叶った瞬間であった。

 かくして韓信は張耳を趙王に立てることを酈食其を通じて上奏し、漢王はこれを認めた。蘭は政略的な眼力を証明することとなったのである。

         四

 新たに趙王となった張耳と韓信は、趙の地方平定を目的に各地を巡り歩き、旧趙軍の兵士を駆り集めては、漢王のもとに送り届けた。
 時にはその途中で介入してきた楚軍とも遭遇する。そこで小規模な戦闘を繰り返しながら、国内の安定に務めるのである。
 李左車の策に従い、しばらくは大規模な戦略行動を避けて兵を休息させようとしていた韓信であったが、実際には本格的な休養などはとらせようもなかった。

 韓信は、疲労した兵を率いて趙の政治的混乱を収拾しようと画策してはいるものの、そもそも混乱を生じさせた原因が自分にあるような気がして、心やすらかではいられない。とりわけ民衆に思いを馳せれば、なぜ自分がわざわざこの国を攻略しなければならなかったのか疑問に感じる。
 それは軍人としての自分自身の存在意義を疑うことであった。

 そして、彼にできることは非常に少ない。韓信は軍卒たちに、決して民衆との間にもめ事を起こさないよう指示を与えることしかできなかった。
「城邑で民衆と悶着を起こした者には厳罰を持って対処する。……仮に問題が生じた場合は、諸君の内なる良心の声に耳を傾けろ。征服者である我々に対する民衆の風当たりは強いかもしれないが、諸君が自制し、度量を示すことによってそれは解決されていくに違いない。決して武器を持たぬ者に武器を向けてはならぬ。……このことを忘れるな」
 しかし韓信はこの指示を道徳的な正しさを意識して出したわけではなかった。
 彼は、基本的に他人の運命などを顧みることがなかった。自分さえしっかりしていれば逆境は乗り越えられ、乗り越えられない者には、それ相応の原因があるものだ、と考えていたのである。滅びるべき者は、滅びるのだという冷めた態度で人に接するのが常であった。

――天下を救うためではない。自分が生き延びるためだ。
 征服地の民衆の支持を得ることができなければ、自分を待っているのは破滅である。それに気付いた韓信が出したこの指示は、民衆のためを思ってのものではなく、人気取りをして自分が生き延びるためのものであった。
 そのためか、この訓令は肝心なところで徹底さを欠いた。

 人の良心というものは、個人によって尺度が違うものである。韓信はそのことに気付かず、それによって大きな計算違いを犯した。

 首都の邯鄲の城内は度重なる戦闘により荒廃してはいたが、それでも豪邸に住み、多数の使用人を使い、権勢を振るった生活を送っている者が市井の中にもある程度存在する。
 その大半は秦の統治下における軍功地主の子孫で、分家を繰り返しながらも財力を損なわず、いまに至っても没落せずにいるのであった。
 その中で(とう)氏という名家の一族が、ある夜ひとり残らず惨殺された。使用人も含めて二十三名という人数が、誰にも気付かれず、一夜のうちに死に尽くしたのである。明らかに殺人行為に習熟した者の仕業であった。
 韓信のもとにその知らせが届けられたその日の夜には、同じように(きょう)氏の一族が皆殺しにあった。総勢三十一名、逃げ延びた者はまったくいない。

 遺体には、大きな損傷がなかった。あるのは頭部または胸部に貫通した小さな穴だけで、調査の結果、至近距離から鏃のない弓矢で射抜かれた傷だと推測された。

――狙いが正確だ。隣家の者に気付かれもせず、何人も一夜のうちに殺すとは、相当な腕だ……。軍の者の仕業に違いない。いや、軍の中にもこれほど正確な射撃の技術を持っている者は少ない。ということは……。
 韓信は不審の念を抱きつつも、ひそかに城内の名家に兵を回し、三日三晩、ほぼ交替もさせずに護衛させた。
「邯鄲の富豪に個人的な怨恨を持つ者の犯行だろうか。それにしてもわからないことが多い……襲われた董・姜両家は混乱があって多少荒れてはいたが、失われた財物はないそうだ……」
 韓信は蒯通を相手に話しながら、不覚にも居眠りをしてしまった。
「将軍、横になってお休みになられた方が……。将軍に体調を崩されては元も子もありません」
「いや……すまぬ。しかし眠くて横になるのも体調を崩して横になるのも、与える影響は同じだ。どちらにしても私が不在となることに変わりがない。やはり、起きていることにしよう」
 韓信は眠い目をこすりながら、そう言って姿勢を正した。
「今日あたり、犯人の手がかりがつかめそうな気がするのだ。これは単なる勘なのだが……犯人がただの物盗りではなく、邯鄲の富豪に恨みを持つ者であれば、たとえ我々が護衛していても目的を達しようとするだろう。犯人が我が軍内にいるとすれば、我々が趙国内に駐屯している間だけがその機会だからな」

 蘭が話の輪に加わった。
「やはり、将軍は……犯人は我が軍の中にいると、お思いですか?」
 韓信がそれに答える前に、蒯通が答えた。
「魏蘭どの、当然ではないか。一度に二十人も三十人も殺せる者が市民の中にいるものか。しかも犯人は証拠隠滅のために矢を回収しているが、そのために貫通した矢が抜きやすいよう、わざわざ鏃のない矢を使用しているのだ。弓矢に精通している者にしかわからない知恵だと言えよう」
 蘭は悲しげな顔をして、それに答えた。
「では……、犯人が軍の者である以上、断罪するのは将軍のお役目、ということになりますね。なんだかとても……いやな予感がします」
 韓信も同調した。
「気は進まないが、事情がどうあろうと死罪を言い渡すしかあるまい。もちろん、見つかればの話だが」

 蒯通は韓信が戦場以外で人を殺すことにためらっていることに気付き、故事を引き合いに出して話を進めた。
「小耳にはさんだのですが、いま大梁周辺で楚軍の後背を襲いつつけている彭越という将軍がおります。彼は挙兵するにあたって、地元の青年たちから首領となるよう要請されましたが、いちどはそれを断ったのだそうです」

 韓信も蘭もなんの話かよくわからなかった。蒯通の話はいつも回りくどく、理解しにくい。
「で?」
「彭越は再三青年たちから要請されたので、渋々挙兵を決めたのですが、その割には青年たちに緊張感が足りず、自分に対する服従心も足りないと感じた。そこで彭越は決起の集合時刻に遅れた者をその場で即刻斬り殺し、軍神への生け贄としたのだそうです。それ以降若者たちは彭越を恐れ、軍律が定まった、と聞いております」
「ふむ……」
「また孫武(そんぶ)(春秋時代に呉国で活躍した兵家の権威。「孫子」の著者)は主君の呉王に兵法を説く際、宮中の婦人一八〇名を仮想の兵士に見立て、ふたつの隊にわけて説明したといいます。そのとき孫武は呉王の側室である寵姫二人をそれぞれの隊長に任じましたが、孫武が号令をしても女どもは笑うばかりでいうことをよく聞きませんでした。そこで彼は呉王が制止するのも無視し、隊長である寵姫二人を斬り捨てたのです。以降、婦人たちは号令に粛然として従った、といいます」
「その話なら、知っている。蒯先生は私になにを言いたいのか」
「お分かりでしょう。兵や民衆を従えるには、口で命令しても徹底するものではありません。恐怖心を植え付けることが必要なのです。おそれながら将軍にはそれが足りないように私には思えます。断固とした決断が必要ですぞ」
「……わかっている」


 そしてその日の午後には、犯人が捕らえられたという知らせが韓信の元に届いた。顔をふせ、両脇を軍吏に抱えられて引きずられながら、一人の男が韓信の前に姿を現した。

 韓信は半ば想像していたことではあったが、それが間違いであることを祈り続けていた。
 しかし、軍吏が髪の毛を引っ張って犯人の顔を上げさせたとき、自分の祈りが通じなかったことを、自覚せざるを得なかった。
 それは韓信が最も信頼していた男の中のひとりだったのである。

「……カムジン……!」

         五

 物心がついた年ごろには、彼は馬の背に跨がっていた。

 当時の馬には(くら)はあるが(あぶみ)は発明されておらず、幼い彼はよく落馬したものである。
 それでも彼は言葉を覚えるより先に馬の扱いを完全に習得し、まともに手綱を握らなくても自在に扱えるまでに至った。
 さほど血のにじむような努力をした、という意識はない。ただ、楼煩人としての血がそれを可能にさせるのである。

 楼煩なら楼煩らしく、北の地で狩猟や牧畜をして暮らしていれば幸せだったことだろう。しかし中原のみならず、長城より北の地にも野心は存在する。匈奴と月氏の争いに端を発した争乱で、楼煩は匈奴に併合され、その多くの者は中原に逃れた。

 楼煩人は趙の北のはずれに居住地を与えられ、そこで静かに昔ながらの狩猟生活を送ろうとしたが、そこには獲物となる獣の数が少なかった。よって彼らは遊牧民族ならではの騎射の技術を生かし、それを軍事に転用して生計を立てようとした。
 かくして諸国間に散らばった楼煩の成人男子たちは、確たる民族的目的も持たず、楼煩人同士相撃つこととなったのである。

 多くの者が戦死し、彼の父親もどうやら戦死したようだった。彼の母親は生活のための収入を得ようと、彼を邯鄲の富豪に売った。

 少年期に親元を離れた彼にとって、母国という概念は存在しなかった。というのは、彼は習得不充分のうちに楼煩の居住地を離れたために、母国語もろくに喋れなかったからである。
 そして邯鄲にきてからも、周囲の人間がなにを言っているのか、ほとんど理解できなかった。

 自分はいったいどこの何者だという思念は常に彼に付いて回る。しかしそれさえも頭の中ではっきり考えることは不可能で、あるのは漠然とした言葉にできない不満だけであった。
 思いや感情を言葉で表せない彼にとって、話が通じる相手は馬しかいない。彼は、自分が馬の生まれ損ないではないかと考えるようになった。

 奴隷の売買は春秋時代の末には禁止され、以後後漢の代になるまで復活しない。しかしこれは社会制度として奴隷制をとらなくなった、というだけであり、個人で奴隷を所有する風習はこの時代にも依然として残っていた。
 カムジンは明らかにその中の一人で、もっぱら馬の世話をして少年時代を過ごした。

 彼が調教すれば、どんな駄馬でも駿馬と育った。
 奴隷主はそれを喜び、馬を買い集めては彼に調教させ、商品として市場に出し、多額の利益を得た。
 奴隷主はそれに満足すると、今度は彼自身を商品として他の富豪に売り渡した。馬を見事に育て上げる能力のあった彼は、商品として高く売れたのである。
 そういったことが二度、三度と繰り返された。

 しかし、どこに行ってもまともに人語を操れない彼は、人と馴染めなかった。そのため彼を買った富豪たちは彼を蔑み、同じ奴隷仲間でさえも彼を自分たち以下とみなしたのである。

「私……馬と話せば……心が和みます……けど、それを求めているわけでは……ありません。馬などよりも……人と話がしたい……でも、人は誰も……私を人として……見てくれませんでした」
 カムジンは観念しているのか、たどたどしい言葉遣いながら、淡々とした態度で話した。

「馬語しか話せない男か。しかし現在の君はそうではない。少なくとも私は君を人として信用していた」
 韓信は自分で意識したのであろうか、過去形でカムジンに対して話した。

 しかしそのような言葉の機微はカムジンにとって理解できないことであった。
「その通りです……将軍は、私を……人にしてくださいました。……でもそれが間違いだったのかもしれません……人としての意識が……自分の中で……明確になっていくにつれて……私は……過去の屈辱を……晴らしたいと……思うようになったのです」

 そういうこともあるものか、と韓信は思う。
 しかし韓信は卑賤の身であったことはあるが、奴隷として扱われた経験はない。本当の意味でカムジンの立場が理解できたかどうかは自分でも怪しい。
「カムジン、覚えているか……。私は良心に従え、と言った。そこで聞く。君が復讐しようとする時、君の良心は何を告げたのか?」

 カムジンは答えを迷わなかった。
「私は……紛れもない人であります……それを理解できない者は……人ではない……馬鹿です。馬鹿は死なねば治らない……殺さなければまた馬鹿なことを……しでかします。私の良心は……彼ら馬鹿者どもを……殺すことを是と告げました」
「後悔はないか」
「……ございません……」

 韓信はため息をつきながら、それでも意を決して言った。
「カムジン、君に死罪を命じ渡す……。君が人でなく、馬や牛であったなら、私は今回のことを単なる事故として処理し、君を助命するだろう。しかし、君の言う通り、君は紛れもなく人だ。人である以上、罪は免れない」

 背後にいた蘭は、我慢できずに叫んだ。
「将軍! ご慈悲を……お願いです」

 しかし当のカムジンはそれを受け入れ、深く頭を垂れた。覚悟のうえでの行為だった、ということなのだろう。

「いや、蘭よ……罪人とはいえ、罪を罰せられることは人としての証である。私は彼を最後まで人として扱いたい……カムジン、人として死ね……。君と私の仲だ。私が自ら君の首を刎ねよう」
 韓信は剣を抜き、カムジンに歩み寄った。だが、その手が震えるのを抑えようがなく、歩を進めるごとに決心が鈍る。

「……言い残すことはないか」
 本当は自分の方が言いたいことは多い。
 しかし、言い出せばきりがなかった。

「将軍、いままでありがとうございました。将軍は私を人にしてくださったばかりか、一人前の男にしてもくださいました。そして一人前の男のまま、死ぬ機会を与えてくださったのです」
 それはカムジンが初めてつかえることなく明晰に放った言葉であった。きっと最後の言葉としてあらかじめ準備しておいたに違いなかった。

「……すまない、カムジン」

 なぜ自分が謝罪の言葉を口にしたのかは、よくわからない。しかしそれ以外に彼にかけてやる言葉は見つからなかった。

 韓信は自らの手で剣を振り下ろし、カムジンの首を斬りおとした。

 若き勇者はゆかりの趙の地で、その一生を終えたのである。

 蘭はそれを見て、泣き崩れた。
 韓信は事を終え放心したが、やがてこの出来事を忘れないようにと木簡に書を記した。

――かつて奴隷にして、現在は漢の勇猛たる武人咖模津、十二月、罪を犯して斬首される。その死に対する態度はいさぎよく、それは彼が奴隷などではなく、紛れもない武人であることの証左であった。

 最後の文字は手が震え、うまく筆を運べなかった。
 それは韓信が自分の行為を後悔しているからか、折しも降り始めた雪のため、寒さに手が凍えたからなのかは、よくわからなかった。

 これが紀元前二〇四年十二月のことである。

滎陽脱出

         一

 韓信がカムジンを誅罰したことにより、皮肉なことに兵の間にはよい意味での緊張感が生まれ、より軍隊らしい組織になっていった。綱紀が粛正されたのである。
 趙の民衆はそれを評価するようになり、次第に恭順の意を示すようになっていった。

 しかし当の韓信は決してそれを喜んだわけではなく、カムジンを失った悲しみは容易に癒されるものではなかった。何をするにも物憂く、思考も集中力を欠く。規律を正した兵たちとは逆に、指揮官の韓信は行動力を欠くようになっていった。

 カムジンを斬ったのは、明らかに見せしめである。それが効果的であったことは確かだが、自分にとって失ったものが大きすぎるように思えたのだった。

「将軍……お気持ちは察しますが……どうかご自分を責めずに……」
 蘭は韓信を慰めようとしたが、その口調もいつもより精彩を欠く。それは今回の出来事が蘭にとっても衝撃的であったことを物語っていた。

「不思議なものだ……幾千、幾万もの命を奪ってきた私が、たったひとりの罪人のためにこうも心を痛めるとは……。私はきっと最悪の偽善者であるに違いない。カムジンをこの手で殺めたことは確かに悲しいことだが、敵兵の命を奪ったときにはこんな感情とは無縁でいられるのだ。どちらも貴重な生命であることには変わりがないのに……」
「なにも不思議はございません。人として正常な感情でございましょう。人というものは死が悲しむべきこととは知っていても、見知らぬ人の死にはまったく心を動かさないものです。天下のすべての人の命が大事なものであることは否定しませんが、そのすべてに感情を動かされていては、とてもまともな精神状態を保てません」
「君の言う通りだ。しかし、私の言いたいことは違う。私はたとえカムジンが死んだとしても、これほど自分が悲しむとは思っていなかったのだ。もっと私は……自分のことを冷淡な男だと思っていた。もっと感情を自分で調節できる男だと……しかし、それは違った。しょせん私も……感情で動く市井の人間と変わらない」
「それでいいではありませんか……。感情の量は人それぞれに違うものですが、まったく感情を持たない人というのは、存在しないのです。真に精神的に強い人というのは、感情を持たないのではなく、あらゆる物事に心を揺り動かされながら、それを乗り越えて行動に移せる人のことをいうのです」
「では、私は弱い。……どうすれば、乗り越えられるというのだ」
「カムジンを失ったことは、変えようもない事実……。受け入れるしかありません。将軍もそう思ったからこそ、ご自分でお裁きになったのでしょう? ……ご安心ください。カムジンはいなくなりましたが……おそれながら、まだ私がおります」
「それは心強いことだ。……いや、皮肉ではない。本心だ。しかし、私はしばらくの間休みたい。兵たちにも相互に休息を取るよう、指示してくれないか」
「将軍……」

 韓信は、それきり奥の部屋にこもってしまった。
 そしてそれから約半年の間、目立った行動は起こさなかったという。

         二

 これに前後して韓信が趙を討伐し平定に奔走する間、劉邦率いる滎陽の漢軍は決断を迫られていた。

「脱出しましょう」
 策を献じたのは、陳平であった。かつて楚軍に反間を潜入させ、内部から切り崩しを試みた男である。
 しかしその策は范増を死に至らしめるなど一定の効果はあったが、きわめて一時的な影響を与えることしかできなかった。

 いま項羽は諸将への信頼を取り戻し、以前にもまして攻撃を密にしている。
 とはいっても城を直接攻撃するのではなく、城につながる甬道を攻撃して、これを遮断するのである。

 甬道とは塹壕が道のように連なったもので、滎陽城から敖倉につながっており、漢軍はこの甬道を利用して、敖倉に貯蔵された穀物を糧食として城内に運んでいた。
 その甬道が完全に楚の手に落ち、ついに滎陽は食が尽きたのである。

「東門から婦女子を出します。大王はその隙に西門から脱出を」
 陳平という男の策は、常に王道の反対側にあるようで、素直に受け入れることが難しい。このため味方である漢軍の中にも陳平を好まない人物が多かった、と言われている。

 漢王劉邦もこのとき、難色を示した。
「出した女どもはどうなるのだ。いくらわしの命が貴重といえ、殺され、犯されるだけのために女を戦場にさらけ出すのはいかがなものか」

 陳平はしかし、動じない。彼の策には続きがあったのである。
「女どもには甲冑を着せ、武装させます。それでも楚軍の中に勘のよい者がおれば、前線に女の集団が突然姿を現すことに疑念を抱き、罠だと気付くはずです。それゆえ、楚軍を騙すためには女ばかりでは不十分でしょう。……私はこの時のために、大王の替え玉になる人物を用意しておきました。この者に偽って楚軍に降伏する旨を伝えさせます」
「その間に逃げよ、というのだな。しかしそれではその者は……」
「死にます。確実に」
「むむ…………」

「目の前に現れた大王を称する人物が偽物だと知り、なおかつ降伏が偽りだと知った項王は、怒り、我々を追おうとするでしょう。それを阻止するために滎陽には最低限の守備隊を残しておきます」
「! いまでさえ滎陽を支えきれないのに、少数の守備隊で支えきれるわけがない。守備隊の連中は……」
「十中八九、死にます。あるいは早めに大王が兵力を回復し、反転することができれば彼らを救うことができましょう。しかし、現実的に無理です。彼らも死にます」

 劉邦はさすがに戸惑い、作戦に許可を与えることを躊躇した。

 自分のために死んでくれる者がいることには、正直助かる。もともと王なのだから臣下に自分のために死ね、と命令を出すことも可能なのだが、そもそも王としての責務は臣下なり領民なりに生と食を保証することにある。
 もちろんそれは程度の問題であり、少なからず臣下は自分のために死ぬものであると理解してはいても、罪もない者に死ぬとわかっている任務を与えることには一人の人間として抵抗を感じざるを得ない。

「迷っていらっしゃいますな……。おそれながら大王、お覚悟が足りませぬ。王という地位はそれだけ重いのでございます。臣下がそれを理解し、自らの命を大王のために捧げようとしておりますのに、大王ご自身がそれを理解していないようでは、彼らが哀れでございます」
 陳平はこのときすでに人選をすませており、二名の士卒を劉邦の前に引きあわせた。
 一人を参軍の紀信(きしん)といい、もう一人を御史大夫(ぎょしたいふ)周苛(しゅうか)といった。

 劉邦は、二人の顔をまじまじと見ると、やがてため息まじりに問い始めた。
「お前たち二人は、死を賭してこのわしを守ろうとしているそうだが……その気持ちはありがたい。しかし、お前たちに直接恩賞を与えることはできん。なぜかと言えば……お前たちは死ぬからだ。そこで問う。わしは何をもってお前たちの忠誠に報いればよいのか。そして……お前たちはどこまで本気なのか」

         三

 紀信は劉邦が戦場に身を晒すとき、その戦車に陪乗することを任務としていた。
 劉邦の戦車は必ず夏侯嬰が御者として操縦する。また、(ぼう)などの長柄の武器を用いて主に劉邦の身を守るのが、参乗の樊噲であった。紀信は弓を使って樊噲の矛の届かない範囲の敵を射つのが役目であり、職名は乗長である。
 身分の上下関係からいえば、高位な順に乗長、参乗、御者の順であり、紀信がいちばん上位であるはずである。しかし、夏侯嬰と樊噲は漢軍の重鎮中の重鎮であり、高貴さの度合いからいって紀信などは及びようもない。
 ここで本来の上下関係に逆転現象が起きた。乗長の紀信がいちばん下っ端とされたのである。

 しかし、当の紀信はそれを不満に思ったことはなく、これを当然のこととして受け止めていた。それというのも車上から放つ彼の弓矢は、敵兵に命中することがまったくといっていいほどなかったのである。

 彼は、幼いころから何をやっても人並み以上にこなせたことがなかった。
 家業の農作業を手伝っては、鍬や鋤の柄を一本残らず折り、使い物にならなくした。力仕事には向かないかもしれないと考えた両親が学問を勧めたが、同じ間違いを何度もしてばかりであった。遊び仲間と駆けっこをしても常に誰よりも遅く、力比べをしても彼が勝てる相手は三歳も年下の相手しかいなかった。

 そんな彼が唯一自慢できるのは、度胸の良さである。何ごとにも他人より先に挑戦する気概だけは人一倍あるのだが、残念なことに挑戦の結果は、すべて周囲を落胆させた。だからこれは度胸が良いというよりは、単に向こう見ずというべきだろう。自分の能力の限界を見極めずに物事に取り組むあたり、自己を客観視する能力にも欠けていたかもしれない。
 結局唯一の自慢の種も他人に笑われる原因となったのである。

 人は彼のことを、「口先だけの男」とか「見かけどおりの駄目な男」と呼び、彼の家族は不器用な息子になにも期待をかけなかった。
 父は紀信の顔を見れば溜息を漏らし、母は常に小言を繰り返す。兄に至ってはなにも言わず、ただ冷笑するだけであった。
 嫂とは話もろくにしたことがなかったが、陰で自分のことを「穀潰し」と呼ぶのを耳にしたことがある。

 長じて漢軍に属してからも、たいして状況は変わらなかった。夏侯嬰の馬の制御力、樊噲の武勇の陰にかくれ、へたくそな弓を引き絞り、無駄に矢を消耗する日々が続いた。彼が持ち場を変えられなかったのは、豪勇を誇る樊噲がいる以上、弓手の存在自体がさして必要ないからだけであった。
 いてもいなくても構わない存在、というのが紀信の自他ともに認める評価である。

 しかし、男としてこの戦乱の時代に生まれた以上、いつまでもそんな自分でいたくはない。彼は家族からは白眼視され続けたが、それなりに育ててもらった恩義は感じていたので、仕返しと恩返しを同時に願った。
 つまり、穀潰しと呼ばれた自分の軍功によって家族が養われていくことを狙ったのである。

 紀信は陳平の前に突如参上すると、一計を献じた。
「事態は急を要します。私が楚を欺き、漢王と称して降伏を申し出るとしましょう。その隙に大王は滎陽を脱出されるのがよろしいかと……」
 さして能力もなく、自分自身に成長も見込めなかった紀信にとって、軍功をあげるためには自分自身の命を投げ出すことしかなかったのである。


「私は、勇すくなく、才乏しき身。これ以上生きながらえたとしても大王のお役に立てることは少なかろうと存じます。よって、このたびの策に志願したのですが……事が成就した暁には、国もとの私の家族の安全を保障していただきたく……将来大王が天下を治めるに至った際には、賦役も免除してやってほしいのです」
 紀信は遠慮がちではあるが、それでもあからさまに自分の希望を劉邦に伝えた。
 沛のごろつきで、やはり一族から疎まれてきた劉邦にとって、紀信のような男が家族からどう扱われてきたか、想像することは簡単だった。
――こいつは、家族に感謝しているのではない。見返してやりたいだけだ。

「約束しよう。思い返せば、お前はわしの戦車に乗りながら、ついに敵兵の一人も仕留めることができなかった。しかし、それはもうよい。忘れろ。わしもそのことは忘れることにする。……いまからわしはお前のことを不器用な弓手としてではなく、忠節の士として記憶に刻むことにする。お前の家族もきっとお前を一族の英雄と奉らねばならなくなる」

         四

 周苛は沛の城下に生まれた。
 青春時代に劉邦と巡り会い、雷鳴に打たれたような衝撃を受けた。しかしそれは決して良い意味ではない。

――世の中には、こんな男もいるのか。
 劉邦は沛の城下の酒場に入り浸っては、いつもツケで酒を飲み、金を払う意思はまったく無かった。酒場の主人からはさぞ煙たがれる存在であろうと思われたが、想像に反して彼らは喜んでいたという。
 劉邦がいる店には、劉邦を慕う者が多く集まり、そのおかげで酒場の収支は黒字になるらしい。劉邦自身は金を払わないが、取り巻き連中の支払いが、その損失を埋めてくれるのである。

 些細なことではあるが、謹直を旨として人生を歩んできた周苛にとっては、信じられない世の中の矛盾であった。

――世間というものは、真面目な者だけを受け入れるものではないらしい。
 周苛は、劉邦のそばについてその生き方を学びたいと考えるようになった。謹直な者ゆえの思考回路であろう。やがて劉邦が挙兵し、泗水郡一帯を平定した際に、周苛は劉邦の食客となった。

 もともと、自分が武勇に長じた男でないことは、周苛も自覚している。食客とは主人から経済的援助を受けるかわりに、さまざまな形で主人の行動を助け、時には生命をかけてその危地を救わねばならない存在である。ところが謹直なこと以外にとりたてて取り柄のない周苛には、主人の劉邦の危地を救う機会が訪れなかった。

 それにも関わらず、劉邦は漢王となると、周苛を御史大夫に任命した。
 御史大夫とは、王の側近中の側近で、政策の立案やその執行状況を管理する副宰相格の地位であり、これは破格の待遇というべきものである。
 劉邦は常に適当な態度を構えながらも人を見る目に濁りがなかった、と言われているが、このときも謹直な周苛に対してその能力に応じた地位を与えたのだろう。

「身分不相応な待遇を与えられながら、その知遇にこれまで応えられず、大王を後悔させること久しい私ですが、ようやく長年にわたる恩義に報いる機会に恵まれました。滎陽の守備には不肖私が将を務め、一命をもって大王のご脱出の手助けをいたします」
 真面目な周苛らしい整った口上である。しかし、この周苛の言を劉邦は喜ばなかった。
「お前を厚遇したのは、ここで死なせるためではなく、のちのちお前には活躍の場があろうと思ってのことだ。確かにお前には陳平のような人を誑かす謀略の才はなく、張良のような壮大な軍略もない。そして韓信のような軍の指揮能力もないが、お前の忠実で誠実な人柄は人民を統治するにあたって、必ず役立つのだ。活躍の場を間違えるな。お前は平時にこそ必要な人材だ」

 周苛は首を横に振りつつ、自嘲気味に答えた。
「おそれながら、平時に有用な人材は、私でなければならないということはなく、他に代替えの要員がいくらでもおりましょう。私が思うに、韓信将軍などは政務をとらせても、おそらく人並み以上にはこなせます。ですが、私に彼の代わりは務まりません」
「それを言うな。韓信の代わりになるような男など、そうそういない」
「わかっております……人には人それぞれの個性があり、能力もさまざまなものです。私は若い頃、大王のおそばで大王の生き方を学ぼうとつとめた時代がありました。また、先の韓信将軍の武功を耳にするにあたり、どうしたら自分に彼のような活躍ができるのか、思い悩んだ時期もありました。しかし、やはりしょせん私は私……。大王の真似をしようと思っても、韓信の真似をしようと思っても、どだい無理な話です。私は大王のおっしゃる通り、忠実で誠実なだけが取り柄の男。どうか大王にはそれを私に証明させる機会をお与えになり、私に滎陽で死ね、とご命令ください」
「……そんな命令は出したくない。考え直せ」
「しかし、私がやらなければ、他の誰かがやらねばならない任務でありましょう。にもかかわらず、どうしてもご命令くださらないとあらば、私は大王に信用されない立場を恥じて、いまこの場で死ぬことにします」

 周苛はそう言って、腰の剣を抜き、それを迷わず首に当てようとした。
「待て! ……仕方ない、命ずる。そのかわり他に副官を任命するゆえ、お前は可能な限り生き残ることを考えるのだ。これこそが、命令である」

 劉邦は滎陽の守備に周苛に加え、樅公(しょうこう)、韓王信、そして魏豹を残すことにした。
 しかし、のちに周苛は他の将と共謀し、魏豹は反覆常ない男で信用できず、共に戦うことはできないとして、殺害した。このことは彼のこの局面にかける思いが尋常でないことを象徴的に示している。

         五

 その日、滎陽の東門が開き、中から二千人ほどの部隊が突出を始めた。楚兵たちは突然の展開にみな首を傾げたが、包囲している側としては、期待していた事態である。一斉に攻撃を始めた。

 しかし漢兵たちは抵抗もろくにせず、散り散りになって逃亡するばかりである。
 楚兵たちが追いかけてその姿形を確認してみると、どれも甲冑に身を固めた女であるらしかった。

 いぶかった楚兵たちが状況を把握できないでいるうちに、彼らの前に目にも眩しい黄色い布で全体を覆い尽くした車両が現れた。その車両は随所に牛や犛牛(ヤク)の尾を飾りとして施した大旗を靡かせており、いわゆる黄屋車(こうやしゃ)という漢王劉邦の専用車両であった。

「余は漢王である! いま余と余の軍は、城中の食が尽きたため、休戦を申し出る。戦闘をやめよ! 余は楚に降るであろう」

 楚兵たちはこれを聞き、みな感動して万歳を叫んだ。
「ついにやったぞ」
「これで国に帰れる」
 兵たちは武器を捨て、互いに抱き合い、無邪気に自分たちの勝利を信じて喜びを表現した。
 その隙に甲冑姿の女たちは四散して残らず姿を消した。
 あとには黄屋車だけが残った。
 しかしその車両も項羽の本陣までたどり着くと、主人の漢王だけを残し、滎陽城に引き返していった。

 知らせを聞き、奥から姿を現した項羽は目の前の男を見るなり、激怒した。顔中に広がる憤怒の色を隠そうともしない。
「貴様、漢王ではないな! 何者だ!」

 漢王を称したその男は、項羽の面前で付け髭をとり、上げ底をした履物を脱ぎ捨てた。そうするとまるで王の貫禄などはなく、意外なほど小男だったのである。
 項羽の周囲の者は、あっけにとられた。

「我こそは、漢王を詐称する逆賊紀信である! 楚の馬鹿者ども、その濁った目にこの姿をしっかりと焼き付けておくがいい!」

 項羽は頭に血が上り、相手の胸ぐらをつかんで恫喝した。
「貴様がどこの誰だろうと関係ない! 劉邦はどこだ」
「お前が何者だと聞くから答えてやったのだ。劉邦の行方など知らぬ!」
「この……無礼者め!」

 項羽は紀信を突き放し、唾を吐き捨てるように言い放った。
 しかし紀信はその様子を笑い、からかうようにして跳ね回る。
「お前が頭にきてあそこを攻撃しても無駄だ! すでに漢王は滎陽にはおらぬ。項羽の馬鹿め、人殺し、鬼」

 項羽はさらに逆上して紀信を指差し、周囲に向かって叫んだ。
「……こいつを、焼き殺せ!」

 自分の身が炎で焼かれていく状況を、紀信はあまり観察しないようにした。それを考えると、ともすれば「助けてくれ」と言いたくなってしまう。あと数刻で楽になれる、我慢だ、と思うようにして、あとは未来の自分に対する評価に思いを馳せることにした。

 家族が不本意ながら、幸せな生活を送っている姿が見える。ざまを見ろ。 

 兄と嫂が子供たちを囲み、弟の武功を誇らしげに話して聞かせる場面が見える。偽善者どもめ。俺はお前らのことが心底嫌いだ。

 それを想像すると不思議なほど気が紛れた。
 体はいつの間にか焼き尽くされ、紀信はそれに気が付くこともなかった。

 紀元前二〇四年七月、紀信の人生は死を目前にした最後の瞬間にのみ輝きを放ち、その蜉蝣のような一生は幕を閉じた。

         六

 紀信が項羽に悪態をついている間に、劉邦や陳平らはごく少数の護衛を従え、滎陽城をあとにした。諸将もそれに次いで段階的に脱出をはかり、彼らはひとまず関中に入り、再起を期すこととなったのである。

 滎陽城には周苛、樅公ら少数の守備隊が残されている。劉邦には彼らを見捨てる気持ちはなかった。
「早く陣容を整え、滎陽を救うのだ」
 言うばかりでなく、劉邦は実際に行動に移そうとしたが、それを止めた者がいる。
「滎陽へ出ては、楚軍と正面から戦うことになり、これまでとなんら状況が変わりません。それよりも武関から南方面に出兵すれば、楚軍は滎陽を捨て置き、そちらに兵を向けることになりましょう」

 劉邦はその言をよしとして、河南の(えん)(しょう)という地に出兵し、楚軍をおびき寄せようとしたが、結局滎陽を救うという目的は果たせずに終わった。

 紀信が項羽によって焼かれたのは七月のことで、その後、周苛が魏豹を殺害したのは八月のことであった。さらにそのひと月後滎陽城は攻略され、項羽の手に落ちた。
 周苛を始めとする残存守備隊が滎陽を守り通したのは二か月程度であり、その期間は短いようでいて、長いようでもある。

 劉邦が河南の地に出兵し、陽動を試みたが間に合わなかったことを思えば、短い。
 しかしそもそも食糧難を最大の理由に劉邦が撤退したことを考えれば、周苛らは長期間にわたって滎陽城を死守した、と評価するのが正しいかもしれなかった。
 少なくとも実際に敵として周苛と渡り合った項羽は、そう感じたようである。

「わしのもとで将軍とならぬか。上将軍として、三万戸の封地を与えよう」
 項羽は引見した周苛に誘いの言葉をかけた。敵を無条件に憎みぬくことを旨としてきたこの男にしては、極めて希有なことである。
 それだけ周苛は奮戦したということで、さしもの項羽も敵将の行動に美を感じた、ということだろう。

 しかし、周苛はそれをきっぱりとはねつけたのである。

「私は、常に勝つ側にいることを望み、敗れる側にいることを望まぬ。つまり、お前は、敗れて虜になるのだ。殺されたくなければ、せいぜい早めに降ることだ。お前など……漢軍の敵ではないのだ!」

 周苛は煮殺された。釜茹での刑である。
 この刑は、他の刑罰に比べて圧倒的に死を迎えるまでの時間が長い。当然被刑者が死の恐怖を味わう時間も長く、それだけに見た目以上に残酷な刑であるといっていいだろう。水温が徐々に上がり、それにつれて死が刻々と近寄るのを実感しながら精神の平衡を維持するのは大変なことで、大抵の者は途中で「助けてくれ」と泣き喚く。

 あるいは項羽は周苛が「助けてくれ」と言えば、助けたかもしれない。
 しかし、釜の中の周苛は、一切そのようなことは口にせず、目を閉じ、無言のまま息を引き取った。周苛は死ぬ瞬間まで自分に取り乱すことを許さず、謹直な男であり続けたのである。

 よって彼がどの瞬間に死んだのか、正確に知る者はいない。

 項羽はあわせて樅公を殺し、韓王信を捕虜とした。ここにおいて滎陽城はその役目を終えたのである。

武将と弁士

         一

 劉邦率いる漢軍は滎陽を救おうと河南の(えん)(しょう)の地に出兵した。
 彭越は楚軍の後背を撹乱せんと彭城の東、下邳を討った。
 黥布はこの時期に正式に漢軍に合流し、劉邦とともに兵を集めた。

 しかし滎陽を囲んでいた項羽はこれらの動きを察知すると、まずは東に向かって彭越を討ち、あっという間に敗走させた。
 その帰途で漢軍が成皋(せいこう)(地名)にはいったと聞くと、急ぎ滎陽を落城させ、周苛を煮殺し、成皋を包囲したのである。真の意味で「向かうところ敵なし」というべき動きであった。

 劉邦はこのとき項羽のことを恐れるあまり、夏侯嬰ただ一人だけを従え、ひそかに成皋を脱出した。

「なんとも情けないものだ……嬰、お前と二人で逃避行を決め込むのはこれで二度目だな」
 劉邦の言動には以前の覇気が薄れてきているようで、夏侯嬰にはそれが気になって仕方がない。年を取ったせいもあるのだろうが、やはり滎陽で紀信や周苛を見殺しにしてしまったことが、だいぶこたえているのだろう。
「以前は韓信が追いすがる楚兵を撃ち破り、我々を助けてくれました。今度も心配いりません。幸運を期待しましょう」
 夏侯嬰の言葉には劉邦をいたわる気持ちが込められているが、残念ながらまったく根拠がなく、気休め程度でしかない。
「そばに居るのがお前では、幸運を期待するしかないわい」
「! これは、手厳しいおっしゃりようで……。話は変わりますが、大王にはどこに向かわれるおつもりですか」

 これを聞き、劉邦の機嫌はさらに悪くなった。
「わしに行くあてなんぞあるものか! それを考えるのはお前の役目だろう」
「私は……しょせん御者でしかありませんので」
「御者というものは、車上の主人にもしものことがあれば、主人になりかわって指揮を執るものだ。お前が御者ではわしはおちおち死んでもいられぬわい」
「はぁ……。では、愚見を申し上げますが、どこかの地で再起をはかるにしても兵がなければなんともなりません。どこかで大々的に募兵でもいたしますか?」

 劉邦はそれを聞いてしばらく考え込んだ。
「いまからそんなことをしても間に合わん」

 しばらく柄にもない沈思の表情を見せた劉邦は、やがて思いついたように顔を上げながら、言った。
「嬰、北へ向かえ。……趙だ。趙にいる韓信の兵を強奪する!」
「え……?」
「やつはわしの将軍だ。すなわちやつの兵は、わしの兵でもある。……深く考えるな、いいから行け!」


 韓信の軍は代国の攻略以来、井陘、邯鄲へと次第に南下し、このときは黄河の北のほとりの修武(しゅうぶ)という地に駐屯している。約半年の間に目立った軍事行動がなかったとはいっても、やはりなにもしないでいたわけではなく、諸地方の制圧、鎮撫に奔走していたのである。
 地味な作業であり、それまでの韓信の華々しい活躍とはあまりにも違う。しかも修武は黄河をはさんで滎陽と至近の距離にあることから、ここまで来ていながらなぜ救援に来ないのか、という思いを劉邦以下漢の首脳部が抱いたことは容易に想像できる。

――信のやつは、わしを見捨てたのではないか。……思えば張耳を趙王に推挙したのはあいつであった。……信は張耳を傀儡として自立するつもりでは?……いや、それはあり得ん。やつは、そんな男ではない。だが……
 劉邦の思考は縺れた糸のように複雑に絡み合い、確たる答えは見出せない。
 劉邦はこれまで韓信のことを信用してきたつもりであった。
 だが、その信用が裏切られたときのことを想像すれば、とてつもない恐怖感に襲われる。

――おそらく対等の条件で戦えば、韓信に勝てる者はいない。黥布や彭越などとは、比べ物にならん。智と勇をあれほど兼ねそろえたやつは、少なくともこの時代にはいないであろう。あの恐ろしい項羽でさえも……敵ではない気がする。

 まして自分などが……と思うと劉邦の背筋には冷たい汗が流れた。
「深く考えるな」とは夏侯嬰に対してではなく、自らに発せられた劉邦自身の心の叫びであるかのようであった。

         二

 修武に仮仕立ての砦を設け、そこで起居していた韓信は、その日、朝起きてみて愕然とした。
――印綬がない!
 あわてて枕元の小箱をあさったが、自分の記憶は定かである。昨日の晩、たしかにこの箱に保管して就寝したのだ。誰かが持ち出さない限り、なくなるはずがない。
 念のため、もうひとつの小箱を開けてみた。
――なんということだ! 割り符さえも……。

 容易ならざる事態だった。印綬と割り符がないことには、漢王になりかわって兵士に号令を下すことができない。このふたつが手元にないということは、韓信がすでに漢の将軍ではない、ということを意味した。

 戦乱の時代といえども、人は能力さえあれば何をやっても構わないというわけではない。それを許せば、天下は際限なく乱れ続け、いつまでたっても統制はとれないのである。認められた者が認められた職権に基づいて行動することを許す、その象徴が印綬と割り符なのである。

――しかし、いったいどこの誰が……。
 そう思いつつ室外に出ると、そこにいるはずの衛士の姿もなかった。韓信はことさら自分を偉そうに飾り立てたりしたことはなかったが、それでも将軍ともなれば自分が就寝している間は、兵士が寝ずに番をしているものなのである。

 自分が寝ている間に何が起こったのか、想像もできずに広間に向かって歩いていくと、戸口に蘭の後ろ姿が見えた。蘭は戸をわずかに開け、そこから室内をおそるおそるのぞき込む仕草をしている。

「蘭、何をしている。実は大変なことが起きた」
 韓信は後ろから声をかけたが、蘭はそれを聞くなり振り返って、韓信に向かって、
――しぃっ。
 と口の前に人差し指を突き立て、大きな声を出すな、と暗に示した。そして室内を指差し、声を出さずに口をぱくぱくとさせながら、身ぶり手振りで懸命に何かを伝えようとしている。
 しかし、本人の熱心さとは裏腹に、その仕草はどこか愛嬌を含んでいた。
「なにをふざけているのだ……中でなにかあったのか。いいからそこをどけ。忙しいんだ」

 韓信は戸に手をかけ、一気にそれを引いた。
「いけません、将軍!」
 蘭はついに声を出し、韓信を止めたが、間に合わなかった。

 そこにいたのは韓信の印綬と割り符を手にした漢王劉邦その人だったのである。

「おはよう、信」
「…………」
 韓信は物も言えず、黙ってひれ伏すしかなかった。
――こういうことか。どうりで衛士がいなかったわけだ。
 印綬などが紛失したのは、漢の支配を快く思っていなかった趙の住民が、ごく穏便な方法で事態の打開を狙ったことが原因だと思っていた。しかし実際はそうではなく、理由は不明だが、どうやら自分は王によって兵権を剥奪された、ということらしい。

 韓信は、自分がなぜこのような立場に立たされているのか理解できなかった。
 戦場では明晰を誇るその頭脳も、この場ではまったく機能しなかったのである。

         三

「お前は、いったい何をしているのだ」
 劉邦は開口一番、そう韓信に言った。
「何を、と申されますと……?」
「わしがいまこうしてお前の前に立っていられるのは、命をかけてわしを守ろうとした者たちがいたおかげだ。その者たちは、いわばわしの代わりに死んだ。しかし……よくよく考えてみれば、そもそもあの場にお前がいたら、彼らは死なずにすんだのだ。陳余を斬り、趙歇を虜にしたのはすでに半年以上も前の出来事であるというのに、いったいお前はいままで何をしていたのだ、と聞いている」

 劉邦の口調は常になく、厳しい。返答次第ではただではすまないだろう。
「滎陽の危急については聞き及んでおりましたが、趙は広大な国土でありますゆえ、鎮撫にも時間がかかり……」
「お前にそんな任務を与えた覚えはない!」
 劉邦はついに怒気を発し、韓信を一喝した。
 韓信は頭を地に付け、弁解する。
「……おそれながら、確かに私が大王より与えられた任務は、趙の武力制圧でございます。しかし、趙王を捕らえ、陳余を殺した、それだけで趙の国民が漢の言うことを聞くようになるかといえば、そうではありません。こちらが国の指導者を排除したからには、責任を持ってその後の処理もしなければならないのです。そうでなければ漢はただ諸地方に混乱をもたらすだけの悪辣な存在となりましょう」

 韓信のいうことは正論であり、劉邦としてはたとえ内輪話であっても、趙の民衆のことなど放っておけ、とはいえない立場である。内心はどうであれ、もしそのようなことを口走りでもしたら、天下に覇を唱える資格を失うからだ。
 これにより対話の主導権は韓信に移った。
「いま私は趙の国境の南の端までたどり着き、この修武に駐屯しております。確かにここから滎陽までは、黄河を挟むのみでごくわずかの距離に過ぎず、趙の内政状況など捨て置き、大王のもとへ馳せようと思えば、そうできたでしょう。しかしあえてそれをしなかったのは、私が趙を離れるのをいいことに、楚が介入することを心配したからです」
 これも事実であった。
 しかし事実のすべて、ではない。
 韓信が積極的な軍事行動に出なかったのは、確かに彼自身の鋭気の喪失によるものが大きい。
 それはカムジンを失ったことから始まる軍事に対する倦怠感、目的意識の喪失、さらには以前より存在した漢王劉邦との信頼関係への疑惑……などが重なり合った結果によるものだろう。
 韓信は趙国内の鎮撫の必要性にかこつけて、滎陽の危急をやり過ごしたのである。

 劉邦は、そのすべてを見通したわけではないが、そこを見事に突いた。
「お前のいうことはいちいち正しいが、楚の主力はわしを狙っているわけだし、趙の国難に介入する楚軍の勢力などたかが知れたものだろう。それに趙国内の鎮撫活動についても、なにもお前が直々に行う必要はないのだ。すべて張耳に任せておけばよい。そのための趙王であろう」
「はぁ……しかし……」
「それとも趙の民衆を手なずけて、国力を蓄えて自分の勢力とし、わしが楚に敗れて敗走すると、それを大義名分として楚を討つ……。そして項羽を屠ったのち、返す刀で漢も討つつもりか。お前ならそれもできないことはあるまい」
「……お戯れを……!」

 韓信は比較的感情を表に現さない男であったが、この時は額に脂汗が浮かんだ。
 劉邦はそんな韓信の顔をまじまじと観察し、韓信が真剣に受け止めていることを確認すると、自分が発した言葉に自分で戦慄した。
 いざ韓信が劉邦のいう通りに行動すれば、劉邦にはそれを防ぎようがなかったのである。

「冗談はほどほどにしておこう」
 決定的な破局は避けねばならなかった。韓信は味方にしておくのに限る。不満を抱かせて楚に寝返りでもされれば、漢の滅亡は免れない。
 劉邦は、不用意な言動は慎まねばならなかった。

「趙でのお前の逡巡は過ぎたことで、それを責めても仕方のないことだ。……あらためて言うが、いつまでも趙に留まっておらず、とっとと斉に行くのだ。そして斉を討ち滅ぼし、北の大地を残さず漢の領土とせよ」
「……仰せの通りに……しかし、印綬がなくては兵を指揮することができません。どうかそれを……お返しください」
「うむ。印綬はわしの手にある。しかしわしはこれをお前に返す前に、権利をひとつ行使するつもりだ。すなわち、いまお前の手元にある兵を三つにわけ、ひとつを趙の防衛に回し、ひとつはお前の手に残そう。もうひとつはわしが統率し、連れて帰る」
 これにより韓信の兵は三分の一となったのである。それでも韓信は劉邦に威圧を感じ、従うしかなかった。

「お許しを得て、差し出口を挟みたく存じますが……よろしいでしょうか」
 このとき末席から発言したのが、蘭であった。劉邦は興味深くそれを眺め、発言を許した。
「魏豹の娘、魏蘭であったな。信のもとで重用されていると聞いている。よろしい、意見を申せ」
「ありがとうございます。いま、大王は将軍に三分の一の兵をもって斉を討てと仰せになりましたが、斉は趙より強大にして、七十余城を保有する大国。知勇を謳われた将軍といえども、とてもそのような寡兵では攻略できません。そこでご提案がございますのですが……」
「申せ」
「大王が将軍の兵をお取りあげになられますのは、ここにおらせます韓信将軍が私兵集団をもつことを憂慮しているからだと、私は考えます。本来将軍にはそのような意志はないのですが、大王に対してそれを証明する術をもたず、こちらも苦慮しておられます。これを解決するには大王の信任厚い方をこちらに副将として派遣していただき、もって将軍の行動を監視していただくのが最上かと存じます」
「ほ! 当事者二人を前にして、ぬけぬけという女だ。しかし、その意見には聞くべき価値がある。いいだろう、曹参と灌嬰の二人を副将として送る。信よ、この二名の将軍が到着次第、斉へ向けての征旅を開始せよ」
「は……」
「不満か。それとも副将は盧綰や周勃の方が良いか」
 盧綰や周勃はより劉邦の側に近い人物で、彼らを迎え入れることは監視の度合いを強めることとなる。自分に後ろめたいことが一切ない、と言い切れればそれでも構わないのだが……。

「いえ、そのようなことは……。勅命、謹んで承ります」

         四

「韓信、信頼を裏切るような行動はとるな。君をいちばん最初に見出したのは、この俺だぞ。その俺の顔に泥を塗るな」
 別れ際の夏侯嬰の言であった。
「私がいつそのような行動をとったというのだ。このたび私は確かに趙で逡巡して活躍できなかったが、それは私自身の抱える問題に原因があったからで、ことさら大王の破滅を願ったからではない。これによって私が裏切ると考えるのは大王の思い込みであり、妄想だ」
 韓信はそう言い、身の潔白を主張した。
「ならいいが……大王は、君を信頼している。いや、信頼せざるを得ないのだ。強国斉を討伐する任務を与えられる者など、漢には事実上君しかいないのだからな。単独行動を許され、大王の目の届かないところにいるのをいいことに、変な気をおこしてくれるなよ」
 夏侯嬰は返事を待たず、劉邦を車に乗せ、修武の地をあとにした。

 劉邦の韓信に対する思いは微妙としか言いようがない。
 当初の構想どおり魏、代、趙、燕、斉は攻略してもらわないと困る。
 しかしそれに成功しすぎて韓信の勢力が劉邦のそれを上回ることがあってはならなかった。
 このため劉邦は韓信が武功をあげるつど、理由をつけて兵を取りあげて勢力を削ぎ、魏蘭の言うような韓信を首領とする私兵集団が形成されることを阻害した。

 しかしそれが何回も続けば、韓信にも不満が生じる。
 不満は叛逆の種となり、劉邦としては韓信に叛逆されれば太刀打ちする手段も能力もない。そのため懐柔することも必要であった。
 すなわち劉邦は印綬を返さず、韓信を趙の相国に任命したのである。
 つまり、印綬は新たに作り直されたのだった。
 相国とは総理大臣に相当する内政の長のことをいい、丞相とどう違うかは諸説あるが、臨時的に丞相の上に置かれる地位であると解釈すれば問題ないであろう。
 しかしいずれにせよ、韓信がこの措置に満足したどうかはさしたる問題ではない。ただ、地位を与えられた以上はそれに相当する職務を遂行しなければならない、という義務が生じたのは事実であった。

 これにより、韓信は気持ちを改めざるを得ず、斉への征旅を開始した。
「私は、そんなに危険人物だろうか。印綬を取りあげられるほどにらまれる覚えは私にはないというのに」
 そう愚痴りたくなるのも無理はない。たしかに半年もの間ぐずぐずと行動をせずにいた自分も悪いが、彼が行動するということは、ひたすら人を殺す、ということなのである。
 地位と名誉を引き換えに、とはよく使われる台詞であるが、彼自身はその両方とも人並みでさえあれば構わなかった。そのような状況にあって、逡巡するのはむしろ人としての証ではないか。
「印綬が新しくなって戻ってきたのは喜ぶべきことでしょう。結局待遇は以前より良くなったことも、やはり喜ぶべきです。曹参さまは以前にも行動を共にしたこともございましたし、灌嬰さまはまだお若く、監視としては警戒すべきようなお方ではありません」
 蘭はそう言いつつも、不安を禁じ得ない。
 韓信の将来が見えてこないのである。
 天下が乱れているうちは、韓信は劉邦にとって必要な存在であるが、いずれ項羽を討ち、世が泰平になった際、韓信はその能力のゆえに存在を許されなくなるのではないか、と思うのである。
 しかしその思いはこの時点では漠然としていて、解決方法も見えてこない。
 また、劉邦が項羽を討つと決まったわけではなく、その逆の可能性の方が現状では高いのであった。

「印綬がなくなって、私はこのうえもなく不安を感じた。これは私が漢王の臣であるということを如実に示していると思う」
 韓信は今朝の出来事を振り返るかのように話し始めた。
 その表情は、苦い薬を無理に呑んだようなものである。自分にとって良いことなのか悪いことなのかよくわかっていない様子であった。
「どういうことですか?」
「わからぬか? もし私に叛意があれば、印綬などなくても行動は可能だ。大沢郷で挙兵した陳勝・呉広に印綬があったか? 会稽の県令を殺して自立した項梁に印綬があったか? 沛で挙兵した漢王は印綬をもっていたか? 答えはいずれも否である。人が人に叛くときには印綬など必要ないのだ。しかし私は印綬なしに行動することを、どうやら本能的に嫌っているようだ。こんな私が漢王に叛くなど……」
「あり得ない、と? では、将軍は心から漢王に忠誠を誓っておられるのですね」

 蘭はこのとき韓信が即座に肯定するものと思っていたのだが、その答えは意外なものだった。
「……実のところ、よくわからない。嫌いではないことは確かだ。だが、では好きかと聞かれると、特別そのような感情はないように思える。確かなのは、あのお方は私の意見を聞き、私の能力を引き出してくださった、ということだ。それは感謝しているが……今や私の能力は、あのお方にとって邪魔なものになりつつある。どうすべきか……いや、そんなことより」

 韓信は蘭に向き直って、話題を転じた。
「君にとってこの知らせがどういう意味を持つかわからないが……魏豹が死んだそうだ。仔細は聞かされていないが」
 はたして蘭は悲しむのか、喜ぶのか。韓信は蘭の反応に興味を持つことに罪悪感を感じたが、事実興味があるのだから仕方がない。
「魏豹が……いえ、もういいんです。関係ありません」
 蘭は表面上、喜びも悲しみもあらわさなかった。
――しかし……なにも感じないはずはあるまい。
 そう考えた韓信は、
「君が悲しむならば、同情しよう。喜ぶならば、共に笑おう」
と言って、蘭の肩に手を置いた。

 蘭はそれに対して微笑を返したが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。
――人の感情というものは、近い間柄であっても容易に理解できないものだ。
 韓信はそう思わざるを得なかった。劉邦の心も、蘭の心も、よくわからない。しかも自分自身の心も、よくわからないのであった。

 曹参、灌嬰が引き連れてきた兵を迎え入れ、韓信の軍は編成を新たにし、北東方面に向かって進撃していく。しかし、その軍勢が済水のほとり、平原という地に達したところで韓信は決断を迫られた。

 斉がすでに漢に帰順の意を示している、という情報が入ったからだった。

         五

 酈食其は六十半ばの老齢でいながら、身長は八尺(当時の一尺は約二十三センチなのでおおよそ百八十四センチ)を超える大男であったという。
 老齢、しかも大男というと一般に鈍重な印象を持たれやすいものだが、その外見に反して、彼の動作は常に機敏だった。
 世に出る前の若い頃、彼は何かを思いつくと後先を考えず行動に移すことが多く、故郷の高陽では、なにかと暴力を伴うトラブルを起こすことが多かった。このため地元の県令や父老たちも彼と必要以上に接触することを嫌がり、城門の外に追いやって、そこに立たせて門番とした。

 そのような問題児ならぬ問題青年の彼であったが、周囲の者にとって意外なことに、本質的には武を好まず、学問を好んだという。
 嗜好と行動が一致していない酈食其のことを高陽の人々は尊敬せず、陰で「狂生(気違い書生)」と呼んで蔑んだ。
 老年になってからは、まともな儒者らしく温和な表情を保ち続けているが、当時は単なる厄介者として扱われていたようである。

 彼は幼年の頃から儒家思想に陶酔し、その世界観の実現を夢見て暮らしてきていた。
 しかし人生の半ばを過ぎても世の中は乱れ続け、儒教世界の実現どころか、その兆候さえも見出せない。酈食其は次第に焦りを感じるようになり、その焦りが彼の行動を過激にした。
 これが市井の者とのトラブルの原因になった。暴力を用いてさえも、自分の思想を広めようとしたのである。

 しかしその彼が高陽の門番時代に劉邦と出会い、その軍に従うことになって、ようやくその鋭気は和らげられることになった。劉邦の率いる漢の軍事力をもって儒家思想を天下に広めることが可能になったからである。

 儒家の祖たる孔子は、本来武力による覇道政治を否定し、仁・義・礼などの徳行の積み重ねこそが王道だと主張して、その実践を奨励した。そのため酈食其が選んだ軍事力で儒家思想を広めるという行為は、孔子の教えに大きく矛盾している。
 そのことは酈食其自身も感じていたが、孔子の唱えた徳治政治が実現されるためには、過程よりも結果を重視せざるを得なかった。劉邦が天下を治めるべき存在になってから、徳を積み重ねれば良い、と考えたのである。

 この当時の儒家の学派間の論争で、人の性は善か悪かというものがあったが、酈食其はこれについて独特の視点を持っていた。
 人は誰しも生まれたときには無教養であり、真っ白な布のようなもので、それが善か悪かは別問題だと考えていたのである。

 真っ白な布はどのような色にでも染まり、洗い直せばまた違う色に染め直すことができる。しかし、いくら念を入れて洗っても、再び真っ白な状態に戻すことは不可能に近い。
 だから人は多少なりとも色を持つのが普通で、いつまでたっても純白のままでいることはなにも学んでいないことの証明だと思っている。
 しかしその一方、数々の色に染められ、布が限りなく黒に近いことも彼にとって軽蔑の対象であった。受け入れることは大事だが、ただ環境に影響され、流されるまま生きていると考えるのである。

 酈食其にとって理想的な人物は、何度も洗い直した跡の残った布を持つ人物なのであった。
 人の本性が善であろうと悪であろうと関係なく、その人の現在が善か悪であるかを重視したのである。


 酈食其が見るに、出会った頃の劉邦は、限りなく薄い灰色の布を持っていた。悪を象徴する黒に何度も染められながら、その色を何度も洗い直した痕跡がうかがえる。
 しかしそれでいて善を象徴する明るい色にも未だ染まっていないことも確かで、逆にこれが可能性を期待させた。
 これこそが劉邦なら自分の考え方を受け入れるだろうと感じた所以である。

 一方、韓信に初めて出会ったときは、驚きを感じた。
 彼の持つ布は、表が黒で、裏が白いのである。
 黒い色は限りなく沢山の色を混ぜ合わせた結果黒くなったらしい。
 白い色はただ単に何もない、ということではなく、何物にも染まろうとしない不安定な自意識の象徴であるように思われた。

――こういう男は、生きていくのがつらかろう。
 周囲の環境に翻弄され、時には順応し、時には反発しながら、ひたすらに自分自身の求めるものを追おうとする。
 しかし布の裏が白いということは自分自身がなにを求めているのか不明である証拠でもあった。自分で自分を染める、ということが今の時点ではできないでいるらしい。

――激しい風雨にさらされながら、……ただ一本倒されずに咲き続ける花のようだ。
 本来花は環境に適合して育つものである。しかし韓信はまったく場違いな環境に生まれ、種を飛ばしても子孫を残せない環境に咲き、その存在の無意味さを知りつつも咲き続けようとする花のようであった。

――この男には種や花粉を異世界に飛ばすための、鳥や蜂のような存在が必要だ。
 そう思ったのは、風雨の中の一輪の花が、弱々しくも健気で美しいと感じたからである。

――その鳥や蜂のような存在が、わしだ。
 酈食其は韓信を見るたびに、そう思うのだった。


         六

 酈食其は劉邦に次のように献策した。
「楚は滎陽を奪いましたが、敖倉を堅守することなく、すぐさま兵を東に振り向けてしまいました。また成皋も楚によって奪われましたが、愚にもつかない兵どもに守備させるばかりで、これを奪い返すのはたやすいと存じます。敖倉の穀物の貯蔵量を考えれば、漢がこれを捨て置くのは重大な過失ではないかと……。成皋を奪い返し、敖倉の穀物を支えとすれば、漢が実力で楚を制圧する状況にあるという威勢を天下に示すことになります」
「なるほど」
 劉邦は同意を示した。確かに敖倉の穀物は欲しい。

「北では燕、趙が平定され、残すは斉のみとなっております。斉は楚と国境を接しているので住民は戦乱に馴れ、人を騙したり、変節することになんの抵抗もありません。これは王族の田氏も同様なので、たとえ数十万の兵をもって斉に攻め入ろうとも一年やそこらで撃滅することは不可能でしょう。ここは、私が斉に赴き、漢に味方する利を説いて参りたいと存じます」

 酈食其はそう説いたが、劉邦はこれに対してはなかなか同意を示さなかった。
「かの地には韓信がいて、わしはその信に斉を滅ぼせと命令を下してきたばかりだ。お前が使者として行くのであれば、韓信の進軍を止めねばならない。それに……斉の田氏は、田儋、田栄、田横の三兄弟いずれも独立心が強く、一度帰順の意を示したとしてもすぐ裏切るような気がする。禍根を残さないためには一族もろとも滅ぼしてしまうのが最善なように思うが」
「確かに田氏は一筋縄ではいかない血筋でございます。私が使者として説得できたとしても、屈従するのはほんの一時に過ぎません。もし私が失敗したら韓信に命じて撃てばいいでしょう。また、成功すれば田氏には油断が生じます。やはりそこを撃てば……」
 いずれにしても最終的には武力で討伐する、ということであった。

 しかしそれでは使者として赴く酈食其の身が非常に危険である。
 劉邦がそれを質すと、酈食其は涼しい顔をして答えた。
「挙動の軽さは私のいちばんの取り柄としているところです。どうかご心配なさらずに」

 劉邦はこれを受け、酈食其が使者として斉に赴くことを許した。
 そして韓信にはなにもこのことについて伝えなかったのである。

 身軽さが自慢の酈食其は、命を受けるや否や斉へ急行し、韓信の軍より先に到達すると、宰相の田横や斉王田広(田儋の子)を説き伏せて、漢に帰属することをあっさりと約束させてしまった。
 七十余城を守る斉の守備兵たちはこれを受けてそれぞれ撤退し、斉王田広は漢と懇親を深めようと日夜酒宴を開き、酈食其を痛飲させてもてなしたのである。

         七

「酈生が……? それでは兵を引かねばなるまい」
 知らせを受けた韓信は、当然攻撃は中止すべきだと思い、実際に一時進軍を止めようとした。

 しかし、それに不満を募らせた幕僚がひとりいる。
「お待ちください」
 と言ってそれを押しとどめたのは、蒯通であった。

「蒯先生、喜べ。ひとつ私の仕事が減った。兵を死地に送らなくてすむことを酈生に感謝しなければな」
 韓信は本心からそう言った。戦わずにすますことができれば、そうしたい。ここのところ戦って勝つたびに、自分の立場がどんどん悪くなっていくことを実感しているからだった。

 しかし蒯通は韓信が珍しく喜色をあらわしていることを無視して言った。
「軍を止めてはなりません。勅令がございましたか」
「勅令……? いや、それはない……。しかし、私は印綬を持ち、軍の指揮権を一任されている。漢王から斉を討伐せよとの勅令を受けてここまで進軍してきたことは確かだが、その必要がなくなった以上、軍を止める権限は私にある。当然ではないか」
 蒯通はさらにそれを無視し、自分の意見を述べ始めた。
「斉の王族の田氏は、常に己の自立心のために背信を繰り返す油断ならぬ一族でございます。田栄はすでに死しておりますが、弟で宰相の田横はまだ健在です。田儋の息子の斉王田広もその血を引継いでいる以上、似たような性格でしょう。斉は武力で討ち、田氏一族はすべて滅ぼすべきです」

 韓信は反論しようとしたが、いい文句が思いつかない。斉はかねてより滅ぼすべきだとは韓信自身が思っていたことであり、田一族は確かに味方としては信用できない存在であった。
「……しかし、まさか酈生が勝手にやったことではあるまい。使者として斉に赴いた以上、酈生も漢王より勅命を受けてやったことに違いないのだ。私が勝手にその功績を奪うことがあってはならないだろう」
「先ほども申しましたが、将軍に行軍中止の勅令は出されておりません。と、いうことは斉の武力討伐の勅令は、いま現在も有効なのです。斉を討つのであれば今が絶好の機会でありましょう」
「今が絶好の機会……酈生に口説かれて油断しているうちに討てというのか……。しかし、それでは酈生の身が危ない。彼はまだ斉に滞在中だというではないか。私にはあの老人を見殺しにすることはできない。君は知らないかもしれないが、彼は私にとって……大事な友人の一人なのだ」
「さもありましょう。が、その前に酈生は一介の弁士でございます。そのたかが弁士に過ぎない男が車の横木に身をもたれかけながら舌先三寸で斉の七十余城を降したのですぞ。これをどう思われますか」

 お前だって弁士ではないか、と言いかけて韓信はやめた。
 いかにも武人が弁士より格上だと言っているように聞こえるかもしれない、と思ったからである。
「私に彼の成功を(ねた)めというのか。妬んで田氏もろとも殺せと……。やめてくれ! 私はそんな度量の狭い、安っぽい男ではない」
「将軍は長い年月をかけて諸国を征伐してきましたが、この将軍の功績と酈生の舌は同じ働きをした、ということですぞ。ここで酈生の功を認めるということは、将軍のために死んだ数多くの部下の命が酈生の舌と同じ価値しかない、と認めることになります。それでもいいのですか」
「いや、しかし弁士というものはそのためにいるのだろう。弁士たる者の最大の武器は、数万の兵士と同じ働きをする舌ではないか。私は、時と場合によっては武力より弁士の舌の方が有効であることを知っているし、その意味では、なんら自分に恥じることはない。死んだ者の話を持ち出したりしても、私の心は動かないぞ」
「悲しいかな、将軍は、弁士が一体どのような存在であるか、理解していらっしゃらない」
 蒯通は嘆息するように言った。

 韓信は侮辱されたような気がして、面白くない。ぶっきらぼうな態度で蒯通に言い放った。
「そうか。では、弁士たる者がなんであるか、どうか私にわかるように説明していただきたいものだ」
「弁で世の中の趨勢を変えることには、限界があります。変えられたとしてもほんの一時のこと。それはなぜか。人の心はうつろいやすいく、その時々によって状況は推移するからです。弁士はそれに合わせて論じているに過ぎず、本質的に世界を変えることはできません」
「お前だって、弁士ではないか!」

 韓信は結局我慢できず、その言葉を発した。
「然り。弁士は皆、自分の口や舌では世界を変えることができないことを自覚して、行動しているのです。酈生も例外ではありません」
「なぜ、そう断言できる?」
「私も弁士のはしくれだからです。それを自覚していない者は、弁士ではありません……。酈生は自分の口では世界を変えることはできないと知りつつ、斉へ乗り込んだ……。彼は、言うなれば死士です! 彼は斉で死ぬつもりです」
「…………」
「将軍が酈生の意志を尊重するなら、この機に軍を進め、斉を討つべきでしょう。そうしなければ、酈生は生き伸び、このたびの成功で褒美をもらえましょうが、いずれ斉は裏切ります。そのかどで、彼は処罰されましょう。本人がそんなことを望んでいるかどうか」
「…………」
 韓信は決心がつかず、いらいらとするばかりだった。

 いったい漢王はなにを思って酈生が斉へ行くことを許可したのか。
 どうして蒯通はこうも食い下がるのか。
 田氏を生かしておいてよいものか。
 なぜ自分は迷うのか。

 いくら考えても納得のいく答えは出ず、いたずらに時間が流れていった。

「将軍……」
 ここで蘭が二人の論争に割って入り、どうやら解決への糸口が見えたようであった。
「漢王の意図をお考えになるのが、ここは先決かと……。将軍に討伐の勅令を出したことを漢王がお忘れになったとは、思えません。それでいて酈食其さまを派遣されたのは、やはり将軍に短期間で斉を平定してほしい、という思いの現れではないかと存じます」

 韓信はため息をつきながら言った。
「蒯先生のいうことが正しい、というのか。酈生もろとも斉を叩け、と……」
「斉王は酈食其さまの弁に傾聴し、今はその意見に従っているようですが、もし楚の弁士が現れてまったく逆のことを言えば、簡単に態度を豹変させるかもしれません。斉王を生かしておけば、常にそのような危険が生じるのです。蒯通さまが、弁士に国を変えることはできない、と言うのはこのことでございましょう」
「しかし」
「酈食其さまはご老齢に似合わず、俊敏な方。身の危険を感じれば、自分で自分の身を守ろうとするでしょう。それでも身を守れなかった際には、将軍はそれを理由に斉を潰せばよいのです。酈食其さまは、きっとそれを望んでいます」
「ということは……やはり彼は死士だというのか。しかし、なぜそのように命を粗末にする必要があるのか? そんなにまで死にたいものなのか」
「……酈食其さま本人が選んだ道です」

 蘭は暗に酈食其は助からない、と言っているようで、韓信も覚悟を決めざるを得なかった。

濰水の氾濫

         一

 平原から済水を渡り、斉国内に侵入を果たした韓信率いる軍勢の進軍速度は、快調そのものであった。
 城の内外に守備兵がほとんどいないということは、軍を向ければ必ず城が陥ちる、ということであり、人命や時間を無駄に損なうことないので、韓信としては大いに助かる。
 時間がかかれば、敵に迎撃の機会を与えることのほか、糧食の問題も発生する。糧食の問題が発生すれば、兵の士気にも関わり、それが深刻な状況に陥れば、餓死する者も出てくる。そんな軍が戦に勝てるはずがない。

 韓信の軍が斉に至り、そのような問題に直面せずにいられたのは、他ならぬ酈食其の功績であった。
 韓信としては、なるべく酈食其を救出し、保護したい。できれば危機を察知して脱出していてもらいたかったのだが、首都の臨淄に間近に迫った今でも斉軍の反撃が散発的なことは、酈食其がまだ臨淄に残っていて、斉王相手に説得なり工作なりしていることの証拠であった。

 つまり、酈食其は助からない。

 そうと知っていても、今さら進軍を止めることはできなかった。
 ここで軍を引くということは、せっかくの酈食其の功績を無にすることであり、ひいては劉邦の意に背くことになる。私情にかられて中途半端な侵略行為で終われば、酈食其が斉王に殺されるばかりでなく、自分も劉邦に殺されるかもしれなかった。
――結局は、自分の命が惜しい、ということか。
 韓信はそう思い、自らを嘆かざるを得ない。
 しかし一方で、
――人として生を受けたからには、それを惜しみ、大事にするのは当然のことだ。なにを思い悩む必要がある?
 という開き直った感情も心の中には存在する。

――酈生のような達観した死生観を持つ男は、このような感情のせめぎ合いとは無縁でいられるのであろうか。
 だとすれば尊敬すべき生き方ではあるが、自分がそれに倣おうとは思わない韓信であった。
――酈生は、死して名を残す……。彼のような男に比べたら、自分は単なる軍人に過ぎぬ。その単なる軍人ができることと言えば、せいぜい長生きして、敵兵を一人でも多く殺すことしかない。自分は生きて名を残すしかないのだ。

 韓信の酈食其に対する思いは、さまざまな過程を経ながら、結局最後には自分を自虐的に評価するところで帰結した。

         二

 昨晩まで親しく酒を酌み交わしていた相手が翌朝になって態度を豹変させることは、この時代のこの国では、珍しいことではない。ある朝、酈食其は斉王田広の自分に対する表情がいつもと違うことに気付いたが、たいして驚きもしなかった。
「広野君(酈食其の尊称)、君は天下は漢に帰すと余に語ったが、それはこういうことなのか」

 田広の表情、口調も反問を許さないものであったが、それに動じる酈食其ではない。涼しい顔でこれに応対した。
「さて、どういうことですかな」

 しらじらしい言葉、わざとらしい表情。あたかも確信犯的な態度である。
「……われわれ斉が漢に味方することを決めた以上、漢軍の矛先は、楚に向けられるべきではないのか。しかし、聞くところによると漢は大軍を擁し、済水を渡り、ここ臨淄に向かっているそうではないか。君はこれをどう説明するつもりだ」

 酈食其は鼻を鳴らして、不満を表明した。物わかりの悪い子供を叱りつけるような態度である。
「今さらなにを言われるのか。わが漢が貴様ら斉国などと同等と思われては困る。わしが心から貴様らと誼みを結ぶはずなどないではないか。貴様らはわしがなにを言おうと、面従腹背の態度で臨み、都合が悪くなると、平気で裏切る。今、漢が軍を臨淄に向けたのはひとえに貴様らが信用できぬからだ」
 それまで横でこれを聞いていた宰相の田横が、たまりかねて会話に割って入った。
「ほざけ。信用できぬというのは、お前のような奴のことをいうのだ。口先だけの老いぼれめ。儒者のくせに礼儀も知らない男だ。死ね」

 田横は左右の者に命じて、大釜を用意させた。酈食其を煮殺そうというのである。
 年に似合わず大柄の酈食其は四人掛かりで取り押さえられ、手足を縛られて釜の中に放り込まれてしまった。

 頭から釜の中に落ちた酈食其に向かって、田広は吐き捨てた。
「さて、広野君……。このまま死にたくなければ、漢軍に進軍を止めるよう、取りはからえ。それができないとあれば……死ぬまでだ!」

 すでに釜には火がつけられている。酈食其は徐々に熱くなっていく水の温度に恐怖を感じながらも、精一杯の虚勢を張った。
「馬鹿どもめ! わしを殺せば、漢がお前たちを許すはずがないというのに! お前たちは辞を低くして、わしに頭を下げて頼むべきだったのだ。『どうか漢軍の進撃を止めてください』とな! しかし、もう遅い。わしがお前らのためになるようなことをしてやる義理はすでにない」

 田広、田横ともにこの言葉を聞き、事態がすでに収拾のつかないところに至ったことを知って、歯がみした。
「姑息な……誰がお前のような小人に頭を下げたりするものか」
「確かにわしは小人に過ぎぬ。お前らにとってわしのしたことは姑息な手段だったかもしれん。だが小人が大事を成就させるには、そんな小さなことにこだわってはいられない。お前らがわしのことをどう思おうとも、突き進むまでだ。真に徳のある者はちっぽけな礼儀などにはこだわらぬのだ!」
 生涯儒者として礼儀の神髄を追及してきた男の結論が、これであった。

 田広などにとっては、酈食其が儒者だということも虚言であったかのように思われ、どこまで自分は騙されていたのかと思うと、我慢ならない。田広は釜の中の酈食其の顔に唾を吐き、罵倒した。
「貴様は腐れ儒者だ! 腐れ儒者の礼儀など、人を誑かすかりそめの姿でしかないことを余は思い知ったぞ。早く死ね! 貴様が死んだ後、その肉を食ってやるわ……どうせ美味くはないだろうが」

 酈食其は次第に気分が激し、どんどん高くなっていく湯温が気にならなくなってきた。
 彼の言動は、もはや虚勢ではなくなっていた。
「よいか、断言してやる。わしは確かに死ぬが、お前たちにわしの肉を食っている暇はない! それはなぜか教えてやろう。漢の指揮官は、韓信だからだ! 天下無双の将である彼にかかれば、お前らなど……」
 ここで酈食其は頭の中で言葉を選び、
「野良犬のようなものだ」
と吠えるように言い放った。

 彼の罵倒はさらに続く。
「斉の犬どもめ! お前らが韓信に尻を蹴られ、屠殺される光景がわしには見えるぞ。悪いことは言わぬ。犬は犬らしく振るまえ! 腹をさらして降伏するのだ。それが嫌なら、今すぐ尻尾を巻いて逃げるがいい!」

「この……」
 反論しようとした田広であったが、田横がその肩に手を置き、押しとどめた。彼らは煮られ続ける酈食其をそのままに残し、兵をまとめ臨淄を脱出し始めたのである。

 酈食其が放つ高笑いの声が、それを見送った。

         三

 韓信が臨淄に突入したころには、すでに斉の高官たちの姿はそこになく、あるのは取り残された下役人と宮女たち、そしてわずかな数の宦官の姿だけであった。

「酈生は! 酈生はどこにいる」
 探しまわる韓信のもとに、ひとりの男が近づいてきた。その男は、おずおずと一通の書簡を差し出し、韓信に対して仔細を説明しだした。
「私は、広野君の従者でございます。従者は私の他に何名かおりましたが、他の者はみな四散してしまいました。ただ私だけは韓相国(韓信のこと)さまにこちらの書簡を渡すよう申し付けられておりましたので、ここに残った次第でございます」
「酈生はどうした。どこにおられるのか」
 韓信は従者の言葉を遮るように質問した。
「広野君は、すでにお亡くなりになりました……。壮絶な最期でした。どうかその書簡をご覧になってください。広野君は生前より、こうなることを予測して、その書簡を相国宛にしたためておられたのでございます」

 韓信は酈生がすでに亡いという現実を突きつけられ、激しく動悸を感じた。
 結局はこうなるのか、どうして逃げなかったのか、という思いが錯綜し、しばらくの間呆然と佇んだ。

「……どうか」
 従者は書簡を読むよう韓信に催促すると、自分も難を逃れようとその場をあとにした。韓信はそれに気が付きながらも、ただその後ろ姿を眺めているばかりである。

「将軍……」
 蘭が読むように促すと、ようやく韓信は我に帰り、おそるおそる書簡を開いた。


『……ここに至り、わしは礼の正体を知った。一口に言えば、礼というものは相容れることのない人間同士の欲を反影したものなのである。遅まきながら、わしはついにそれを知ったのだ。

 人はそれぞれ内面に欲を抱えており、それをまったく持たない者は、人ではない。人は程度の差こそあれ、誰しも欲を持ち、それを隠そうとしない者は、一般的に悪人とみなされる。しかし、欲こそが人生、ひいては社会を向上させる原動力となっていることは否定できず、堯舜(ぎょうしゅん)の時代(堯、舜ともにはるか古代の聖王の名。神話のように昔であることを指す)から今日に至るまでの世界の発展の素因となっていることは確かだ。
 いわば欲は人における必要不可欠の構成要素であり、礼はそれをあらわにしないためのごまかしの道具でなのである。

 かつて荀子は人間の本性は悪であるとし、礼によってそれを正すことができると説いたが、仮に人の欲望を悪とみなすのであれば、今さらながらその説は正しいと認めざるを得ない。
 しかしあえてわしはその説を疑う。
 はたして欲は、本当に悪であろうか。

 生物はすべて現状に満足せず、常により高みを目指すもので、これはなにも人に限ったことではない。野にいる獣でさえも、より良い餌場を求めて縄張り争いをし、子孫の繁栄のために同胞同士で相争うものだ。
 人の欲もこれに似たようなもので、欲を原因とする争いごとは絶えることがない。これを思うに欲とは生物に本来備わった本能というべきもので、悪だ、とはいえない。

 しかし獣と違って知恵を備えた人という生き物は、その知恵ゆえに欲を隠そうとする。その道具こそが、礼なのである。
 ではなぜ人は欲を隠そうとするのかと言えば、隠しておいた方が欲の実現が容易であるからだ。
 欲を隠さない人物は、警戒され、文化的でないと批判される。その結果、欲を実現させることは難しい。
 これに対して利口な者は礼を用いて、内面に潜む欲を隠し、誰にも気付かれぬよう、その実現に向けて努力をするものだ。

 将軍は儒者ではないが、わしの見るところ、礼を巧みに用いている。よって将軍の内面に潜む欲がなんであるのか見極めることは非常に難しい。
 しかしわしは、ついに将軍の欲がなんであるのか発見することに成功したのだ。
 常に孤高の存在でいること。
 これはおそらく将軍自身気付いていないことであるに違いない。だが、わしにはわかる。
 将軍は、項王はおろか漢王からでさえも干渉を望んでおらぬ。しかしそれは自身が王になりたいがためではない。将軍は誰にも膝を屈したくないだけなのだ。

 将軍がそれを自覚しているならば、今までにその機会は何度となくあった。しかし将軍は自身の抱えている欲がなんであるか気付いていないため、行動を起こせずにいる。知恵や仁、義、あるいは礼の精神が将軍の欲の発揚を抑えており、わしとしては、もどかしく思うばかりだ。

 ところで、礼の正体を知り尽くしたわしは、人生の目的をほぼ達したわけだが、ひとつやりたいと思っていたことがある。わしに残された最後の欲の実現だ。
 それは、自らの死を尊敬する者のために捧げたい、という欲である。迷惑かもしれないが、士というものは自分の死も劇的に演出したがるものなのだ。

 間もなくわしは、ここ臨淄で死を迎える。願わくば将軍はわしの死を有意義に活用することを考えてもらいたい。死者に対しては、礼など不要だ。わしの死と引き換えに斉の地を将軍のものにするがいい。
 将軍と初めて会った時、わしは将軍にかしずいてみせる、と言ったものだったが、あれはあながち冗談ではない。わしは将軍のことを本気で敬愛しているのだ。

 最後となるが、いずれ項王は敗れ、天下は漢のものとなろう。しかし将軍はたとえ一人になっても独立を保つべきだ。将軍の才能は項王亡き後、漢王にとってきっと有害なものとなるからだ。
 このこと、決して忘れたまうな』

 酈生の書簡を他人に見せることはできなかった。韓信は書簡を懐深くしまい込み、内容に関しては蘭にさえも語ることはなかった。
 よって韓信がそのときなにを思ったのかは定かではなかったが、彼が臨淄を平定してさらに東方を目指す姿に、常にない悲壮感が漂っていたのは誰の目にも明らかであった。

「……酈生……くそっ!」
 韓信はそう呟き、歯がみした。

         四

 韓信は斉王田広を追撃し、ついに高密という海岸沿いの都市にまで至った。田広たちの前には海が立ちふさがり、逃げ場をなくした彼らは、使者を送って楚に救援を求めた。

 そもそも斉という国は、項羽が諸国を分割した際、いち早くそれに不満をあらわして叛旗を振りかざした国である。楚と斉はそのころから慢性的な敵対状態にあったわけだが、それゆえにこの二国に協調関係が生まれたのはやや唐突的な感がする。楚、斉にとって漢が共通の敵となり得たからこそ生じた苦しまぎれの連合、といったところだろうか。
 実情は、国体を失った斉が藁をもつかむ気持ちで楚にすがり、楚は打算に基づいて手を差し伸べたに過ぎないのだろう。

 項羽により斉軍の救助を命じられた楚将の竜且(りゅうしょ)と、彼の部下との会話はそれを象徴しているかのようであった。

「漢軍は故国から遠く離れた地で戦うため、兵は逃げ場がなく、必死で戦わざるを得ません。斉、楚は己の地で戦うため、苦しくなると兵は散り散りになってしまいやすい、と言えましょう。ここはむやみに戦わず、斉の国内に使者を遣わして漢に叛かせるのが良いのでは、と考えますが」
 慎重論を唱えた部下に対して、竜且は激怒したという。
「馬鹿か、お前は!」
 部下はひれ伏して許しを請うたが、竜且は聞く耳を持たず、目の前の食器や調度品を投げつけながら、持論を展開した。
「貴様のその足りない頭で必死になって考えてみろ! 斉が救援を求めているのに戦わないとあっては、いったいわしにとってなんの得があるというのか? 斉を漢に叛かせるのでは、楚に利はない。ただ斉が勢いを盛り返すだけではないか! いま我々が斉の国難に乗じて戦って勝てば、斉の半分以上の領土を手にすることができるのだ。そんなこともわからんのか!」
 これは漢のみならず、斉の支配をも目論んだ発言である。

 また竜且は次のようにも言っているのが、記録に残っている。
「漢の将、韓信は昔楚に属していたことがあるので、わしはその人となりをよく知っている。かつて漂母(食を恵む老女)に寄食し、自分で自分の世話もできなかった男だ。無頼者の股の下をくぐる屈辱を受けながら、その恥をすすごうともせず、人を凌ごうとする勇気さえもない。敵としてはまったく恐れるに足りぬ」
 要するに韓信はあしらいやすい男だ、と評したのである。鋭気に富む楚軍の諸将からすると、韓信はこれまで幾多の戦いに勝利をあげてはいるが、小細工を弄してばかりいる印象が強かったのかもしれない。よって詭計に陥りさえしなければ負ける気がしない、と思っていたに違いなかった。
 外見や経歴から判断して気弱そうな男だから、正面きって力比べをすれば必ず自分が勝つ、と信じていたのである。
「そんな奴を相手に、なんで戦わずにすまそうというのか!」
 竜且は最後にそう言ったという。
 つまり、韓信はなめられていたのである。しかし、彼はその点を逆手に取られることとなった。


 韓信率いる漢軍と竜且率いる楚軍は山東半島の付け根に位置する濰水(いすい)という川を挟んで対陣した。
 楚軍は二十万、その誰もが溢れ出そうとする戦意を隠そうともしない。対岸には自分に対する殺意が渦を巻いているかのように、韓信には見えた。

――竜且は、やる気だ……しかし、そうでないと困る。

「準備をするとしようか」
 韓信は部下に命じて一万個以上の土嚢を作らせ、それを濰水の上流に積み上げて、その流れをせき止めた。
 夜のうちの作業であり、作業には慎重さを必要とする。
 濰水は水深こそ浅い川ではあったが、川幅は広く、流されてしまえば岸にたどり着くのは難しい。なおかつ敵に悟られないためには、事故が発生して兵たちがうろたえ騒ぐのを防がねばならなかった。

 地味な作業ではあったが、韓信は心ならずも気分の高揚を感じた。敵を狼狽させる罠をひそかに仕掛けるという行為は、誰しも胸がわくわくするもので、この時の韓信もその例外ではなかった。
 彼はそれを自覚し、
――幾多の兵を犠牲にしておきながら、いま私の胸にあるこのときめきの正体は何だ? カムジンや酈生を失っておきながら、まだ私は人を殺し足りないというのか……。
 と、自分の人格を疑った。

「竜且という人物と将軍はお知り合いなのですか」
 近ごろ蘭は、韓信にひとりで物思いにふける機会を与えないよう、努力している。韓信は思考が深く、そのおかげでこれまで戦勝を重ねてきたことは事実であったが、大事な人物をひとり、ふたりと失っていくにつれ、彼はその思考の深さにより、押しつぶされてしまうのではないかと気がかりなのであった。
 この時の質問もたいして内容的には重要なものではなかったが、それでも頭の中で悶々と考えてばかりいるよりは、くだらない話でもした方がましだと思った程度のものである。
「知り合い、というほどのものではない。向こうは私のことを知っているだろうが、実は私は彼のことをよく知らない。ただ知っているのは、勇猛さが自慢の将だ、ということだけだ」
 韓信はそう答えた。蘭が驚いたのは、韓信のこの言葉に多少相手を軽蔑した響きがあったことである。知らない、とは言っているが、過去に侮辱を受けた経験でもあるのではないか、と蘭は疑い、それを質した。
「本当に知らないのですか」
「? ……本当だ。ああ、君の言いたいことはわかる。よく知らない相手をなぜそのように軽侮するのか、と言いたいのだろう……。私は彼のことをよく知らないのは事実だが、彼が私のことをどのように評しているのかは、だいたい想像がつく。竜且ばかりではない。楚将は皆、私のことを臆病者だと評しているに違いないのだ。過去の私の経歴が経歴だからな。しかし、今回はその思い込みを利用させてもらう」
「どういうことですか?」
「見ての通り、私は川の流れをせき止め、竜且の軍が渡河しやすいようにお膳立てをしてやっている。わかるかとは思うが、これは罠だ。そして罠には、おびき寄せる餌が必要なのだ。馬鹿で単純な奴ほど、すぐ餌に食い付く……竜且のような奴ほどな!」

――やっぱり、知っているんだ……!
 蘭は思ったが、あえてそれを深く追及しようとはせず、別のことを口にした。
「ところで、餌って……なんですか?」
「わからないのか? 餌は、臆病者の私以外にないだろう」

         五

 夜が開けて、朝靄が次第に薄れるにつれ、楚軍の兵士たちは目の前に広がる状景が昨日と違うことに一様に違和感を感じ始めた。
――川の水量が少なくなっている!
 もともと浅い川であったので、船ではなく徒歩や騎馬のまま、なんとか川を渡るつもりであった。しかし川に足を踏み入れると、どうしても行動が制約されるので、そこを遠弓で狙い撃ちされる危険がある。
 この問題を解消するには、相手に川を渡らせるに限る。竜且は当初そう考えていたのだが、川の水位が下がったことにより、その必要がなくなった。

 彼はその勇猛さをこの機会に最大限発揮し、先手を打って渡河を決行しようと考えた。
 しかし、兵たちは川の水位が突如として下がるという自然現象を怪しみ、かつ恐れ、なかなか思うように動こうとしない。
 気が付いたときには先に漢軍の渡河を許していた。
「ちっ……先を越された。馬鹿どもめ」
 味方の不甲斐なさに歯がみした竜且であったが、よく目を凝らしてみると先頭に大将旗を掲げた一団が見える。
 その中ほどに紛れもない韓信の姿があった。
――自ら来たか。ほう、意外な……。
 竜且はそう思ったが、別に韓信のことを見直したわけではなく、単に自暴自棄になっているだけだと思った。
 二十万の楚軍に対して、いま川を渡りつつある漢軍の数は明らかに少ない。彼我の兵力の差も考えず、ただ突進して死ぬだけの兵法も知らない男の姿であるように思われた。
「奴の奇策も尽きたように見える……来るぞ。迎え撃て」
 楚軍は竜且の命のもと、漢軍が川を渡りきる前にこれを迎撃せんと足を水に浸して次々と川の中に突入していった。

 いっぽう楚兵が討って出るのを確認した韓信は、進軍速度を緩めつつ、戦鼓を鳴らすよう命じた。この合図を境に、漢軍は陣形を乱し、統率がとれなくなったように見える。
 竜且はその一瞬の隙を逃さず、全軍に突入を指示した。
――虎が、罠にかかった。
 韓信は竜且の騎乗する馬が川に脚を踏み入れたことを確認すると、さらに合図を出し、全軍に渡河した道を逆戻りさせた。罠だと悟られないよう、兵たちに慌てた素振りをさせたのは、彼の芸の細かさである。

「取り乱せ。怯えた振りをして、竜且をおびき寄せるのだ」
 漢軍の兵がこれに応じて敗走するふりをした姿は、あたかも鮫に追われた小魚の群れの姿のようであった。井陘での戦いに続き、偽って敗走する機会が二度も続くと、芝居も真に迫るというものである。

 しかしはやる気持ちを抑えきれない竜且は、これが芝居だと見抜けなかった。
「見よ。漢軍の醜さを。わしは知っている! 韓信が昔から臆病者であったことを!」
 左右に向けてそう言い放った竜且は、一気に漢軍を追いつめ、雌雄を決しようと渡河の速度を速めた。漢軍はこれを逃れようとやはり速度を速め、もとの出発した地点に再上陸を果たした。

 上陸した漢軍は押し寄せる楚軍をそれなりに迎え撃ちながら、「その時」を待った。しかし彼らは次第に押され、じりじりと川岸から後退を始める。やがて楚の先鋒部隊のすぐ後ろに位置していた竜且その人が上陸したとき、事態は楚軍の予想しない展開を見せた。

 川の水位が一気に上昇し、渡河中の楚兵たちが残さず流されたのである。

「……何ごとだ!」
 振り返った竜且の目に見えるものは、流されていく人馬や、槍、戟などのもはや役に立たなくなった武装品、そして無様に折れた自軍の旗竿であった。
 そして対岸には、もはや渡河が不可能となり、取り残された楚の残兵たちの姿が見えた。
 竜且は楚の先鋒部隊もろとも漢軍の中に孤立したのである。

 流れをせき止めていた土嚢の山が、決壊したのだった。上流に残っていた兵が韓信の合図によりそうさせたものである。

 激流による轟音が轟く中、韓信は岸に残された竜且を始めとする楚兵たちを完全に包囲し、じりじりとその包囲網を狭めていった。一人、また一人と楚兵の姿が視界から消えていく。対岸の楚兵たちはそれをただ眺めることしかできなかった。

竜且はついに進退極まり、喚くように叫び立てた。
「韓信! 川を氾濫させるなど……このえせ呪術師め! 貴様が小細工を弄したことは知れているのだ。俺と正面から勝負するのがそんなに怖いのか。こそこそと逃げる真似などして、情けないと思わないのか。自尊心のかけらもない奴め! 勝負しろ、韓信!」

 しかし韓信は応じなかった。応じる必要もない。
 戦の勝敗はすでに決し、指揮官たる重要な地位にある韓信が無意味な一騎打ちを演ずる必要性は、全くといってないのである。

 結局、竜且は漢の雑兵に過ぎない男の手にかかって刺殺された。

 韓信は無惨に横たわる竜且の遺骸を指差し、将兵に向かってつぶやくように言った。
「見よ……。あふれる自尊心のあまり冷静に状況を判断できなかった者の、成れの果てだ……!」

         六

 対岸に取り残された楚の残兵は、それぞれ逃亡し、斉王田広も捕らえられ、のちに処刑された。
 そして曹参、灌嬰の二人に斉の残党狩りを命じ、諸地方に分散して逃げ回る田姓の者たちを捕らえたり、抵抗する者を殺したりさせた。

 しかしそれでも逃げ延びた者は存在する。宰相田横は田広の死を伝え聞くと、にわかに斉王を称して、灌嬰の軍を襲った。
 しかし田横は逆にこれに敗れ、逃れて梁の彭越のもとに走り、保護された。彭越は友軍なので韓信としては釈然としない気持ちが残ったが、よく考えてみれば、楚に走られるよりははるかにましであった。韓信にとって彭越はあまり馴染みのある人物ではないが、友軍である以上、田横の復権を手助けしてこちらを攻めてくる可能性はほとんどない。田横自身がおとなしくしていてくれれば満足すべきだった。

 このように田横を取り逃がしはしたものの、韓信が斉を攻略した際の態度は、これまでになく断固とした印象を受ける。
 かつて韓信は魏豹を討伐した際にもこれを殺さず、劉邦にその処分を委ねた。
 また、趙を征伐した際にも幹部の李左車を赦し、助言を請う姿勢さえも見せている。
 しかし斉を攻略した際にはそのようなことはなく、徹底した意志のもと、積極的に滅亡を狙ったかに見えるのである。

 あるいは酈食其の死による心境の変化があったのかもしれない。
 また、かねてより田氏の動きに好意を抱いていなかったことも、根底にあったのかもしれない。
 いずれにしても斉は趙のように傀儡の王をたてた国家ではなく、田姓一族が堅固に支配体制を固めていた国だったので、残酷なようだが旧来の体制を解体するには徹底した殺戮が必要であったのだろう。

 そもそも、韓信は武力で斉を討つつもりでいた。
 大国の斉を滅ぼすためには、中途半端な気持ちで臨むと失敗する。
 しかし田氏の連中は気に入らないとはいえ、個人的な怨恨があるわけではない。決して憎んでいたわけではないのだ。

 酈食其の死は、韓信に田氏を憎ませるに役立った。

 だがこれも都合のいい解釈である。韓信は酈食其の死が自分の行動に原因することを自覚しながら、それをどう消化するべきか悩んだ。
 責任を感じ、自害すればすむ話ではない。
 自らの行動を恥じ、撤兵すればすむ話でもなかった。
 それでは酈食其の命をかけた行為が無駄になってしまう。
 韓信は自己嫌悪を覚えつつ、責任を田氏に転嫁しようと決めた。そうするしかなかったのである。

 やり場のない思いを敵にぶつけ続けると決めた韓信は、竜且を破った後も逃亡した楚兵をしつこく追い、ついに残さずすべて捕虜とした。

 なおも国内には各地に少数の反乱勢力が残されてはいるが、事実上、大国の斉はついに平定されたのである。

我は仮王に非ず

         一

 曹参はもと沛の獄吏であり、そのころから蕭何の下で働いていた男である。
 その彼が上役の蕭何と諮り、ごろつきの劉邦を担ぎ上げたところから漢王朝の歴史が始まった、と言っても差し支えない。のちに蕭何の死後、漢の二代目の相国として王朝創業時の混乱期を支えたことから判断しても、いかに彼が重要な人物であったか想像することは難しくないだろう。

 しかし、劉邦が彭城で惨憺たる敗北を喫してから皇帝に即位するまでの間、彼に与えられた役割は、ほぼ一貫して韓信の下の一武将として働くことであった。
 魏豹を征伐する作戦に招集されたのに始まり、代、趙の制圧、続いて斉の攻略……。曹参がこの間に韓信のもとを離れたのは井陘の戦いの後から斉へ出撃する間までしかない。
 劉邦の意図が、自立の可能性が高い韓信の行動を監視させることにあったとすれば、信用できる重鎮である曹参にその役目を与えた、ということであろう。しかし疑惑のある韓信に替えて曹参を大将に任じた、という事実はなく、これは曹参の才が韓信のそれを上回ることがなかった、ということを意味している。

 韓信は言葉にこそ出さなかったが、そのことを後ろめたく感じ、曹参と会うときには遠慮がちに言葉を選びながら話すことを常としていた。
 だが、当の曹参はあまりそのようなことを気にせず、おおらかに、細かいことを言わず、包み込むような態度で韓信と接したという。
 のちに蕭何の跡をついで相国となり、人民を統治するにあたり「静」・「清」の二点を重んじて善悪正邪を併せ入れることに徹したという彼の性格の一端が、ここに顕われている。

 この当時の曹参は武将であったが、韓信は曹参のそのような点を信頼し、斉国内の鎮撫を含めた内政の大部分を彼に任せ、自身は国境付近を渡り歩いて再び楚が介入してくることに備えている。

 その曹参が使者をよこして、韓信に訴えた。
 言上は次の通りである。
「斉の住民は漢の支配を快く思わない様子……。民衆は我々に石を投げつけ、武威を示しても畏怖する気配もなく、日夜、騒動が絶えない。このまま放っておくと騒動が反乱となり、反乱は戦争に至る。私が思うに、これは斉の住民の不安が引き起こした事態である。彼らは王国の維持を期待し、斉が漢の一郡となることを欲していないのだ」
 この言を受けて韓信は臨淄に向かい、それとなく住民の様子を観察した。
 しかし臨淄の街道は戦時の混乱期にも関わらず、以前と変わらぬ賑わいを見せ、表面的には不穏な空気は感じられない。住民に対しては、たとえ領主が変わっても自分たちの生活には干渉させない、という意気込みさえ感じた。

 ただし、臨淄の風景は、韓信が想像していたものと、やはり若干違った。

 彼は臨淄を学問の都として捉えていたのである。
 戦国時代の斉は学問を奨励し、諸国から集まった学者たちに臨淄の南門にあたる稷門(しょくもん)周辺に邸宅を与えて住まわせていた。
 彼らはそこで日夜論議を交わし、研究にいそしみ、これが斉のみならず中国全体の文化発展に寄与したのである。これらの学者たちは稷下の学士と呼ばれ、その代表的人物として、かの孟子や荀子がいる。

 しかしこのときの臨淄の街角では、人々は闘鶏に興じ、たむろして博打を打っている。
 辻には怒号が飛び交い、路地裏にはならず者たちが闊歩していた。
 活気があることは確かだが、殺伐過ぎていて、それが健全な活気であるとはいい難い。学問の都だからといって町中の人間が皆学者であるはずもなかったが、もう少し秩序のある世界を韓信は想像していたのだった。

 実際に臨淄の様子を見て不安を抱いた韓信は、城内の父老連中を招き、議論の場を設けた。民衆の心を安んじるには、まず父老から、というのがこの時代、この国の定石である。
「……私が見るに、斉の人心は荒れているようだ。私の認識では、臨淄とは諸国から学問を志す者が一同に集結する場所で、百花繚乱の文化が花開いた土地であったはずだが、実際に見てみると、とてもそのような印象は受けない。これは単に私の認識違い、ということなのか。それともなにかの原因によって民衆はすさんだ心を持つようになった、ということなのか」
 これに対し、父老たちは若い韓信を鼻で笑うような態度をとった。
「臨淄は学者だけの町ではござらぬ。鉄、銅、織物……。これらの産出量で臨淄の右に出る城市はないであろう。臨淄は当代きっての工業都市なのだ。ゆえに、城内にはいろいろな者がいる。その中には性格が穏やかな者も、荒い者もいるであろう。その中で荒れた者が目立つのは自然なことだ」
 父老の一人はそう語ったが、臨淄が大都会であることを誇りとし、それがあたかも自分の功によるものであるように語るのが、韓信には気に入らなかった。
「なるほど臨淄は大都会で人口も多く、さまざまな性格の者がここに居住している。しかしだからといって、人民が兵に石を投げつけたりすることを座視するわけにいかない。趙の邯鄲は臨淄と同じような都会であったが、このようなことはなかったのだ」
「経緯が異なる。臨淄の住民は、斉の王室になにが起きたかを知っているのだ。つまり、漢によって騙され、誑かされて滅びたということを、だ!」

         二

 その挑戦的な物言いは、韓信の心を大きく揺さぶった。
 しかし、韓信にも反論できないことはない。
「斉を騙し討ちにする意志はなかったが、結果的にそうなってしまったことは事実として認めよう。しかし、私にも言いたいことはある。斉の王室は騙されたことにより、大きな国内の争乱を伴うことなく、滅んだ。君たち住民にかける迷惑はなかったとは言わないが、最小限にとどめることができたはずだ」
 父老たちは互いに顔を見合わせ、
「聞いたか、これこそ詭弁よ……。そもそも漢が攻めてこなければ、なにも起きず、なにも変わらなかった。斉は斉人によって治められることを望む。漢の支配を歓迎するはずがない」
 と、韓信に向かって口々に言い放った。

 韓信は彼らを説き伏せねばならない。
 もちろん一人残さず斬ることはできたが、そうしてしまっては民衆に反乱の種を植え付けるだけのことである。
「……君たち父老は、それほどまでにもとの斉王のことを敬愛していたというのか?」
 韓信はあえて言葉尻に嫌みを加えて、父老たちに向けてこの言葉を発した。
「……無論である」
「それは嘘だ。もし本当なら、遠巻きに石などを投げつけるのではなく、より我々が確実に死ぬ方法で攻撃すべきだろう。我々はそれなりの軍備を保持しているが、君たち民衆に比べればはるかに寡勢なのだからな」
「……かつてこの地に暮らした学者たちは、そのような行為を非文明的だと批判したものだ。我々も同意見だ」
「そうかな? 私の見る限り、臨淄の街道には命知らずを気取った連中が何人もいたようだったが? 君たち自身ができないというのであれば、彼らに命じるなり、褒美をとらせるなりしてやらせればいいだろう。どうしても斉の王室の復権を望むのであればな」
「…………」
「むろん、そんな状況になって私が黙っているはずがない。君たち民衆に比べれば、我々が寡勢であることは先に述べた通りだが、それでも精一杯抵抗を試みるとしよう。しかし君たちが優勢であることは動かしがたい事実だ。よって、早く行って町のならず者どもに命じるがいい。漢を称する逆賊どもを皆殺しにせよ、と。檄を飛ばして我々の非を打ち鳴らせ。……聞くところによると、田横はまだ存命であるとのこと。彼を担ぎだせば斉を再興する大義名分も立つ」
「…………」
 父老たちは、なにも言わなかった。
「どうした。……できないか? そうであろう。できないに違いないのだ。理由を説明してやる。一言でいえば、君たちが斉の王室のためにそこまでする義理はないからだ。つまり、君たちにとっては我々も斉の王室もたいして変わらない。どちらとも存在しなければ自分たちが自由気ままに生活できる、その程度の存在だからだ。したがって君たちが我が兵に石を投げるなどの行為は、単なる日ごろの憂さ晴らしであり、それに大義名分はない。我々が斉の王室を騙して敗走させたことなど、後からとってつけた理由に他ならないのだ」
「…………」
「君たちは青二才の私を手玉に取ろうとし、どうせ支配される身であればより良い条件で、と望んだ。斉の民衆は戦乱に馴れ、自分たちの安全のためには嘘偽りを申す者が多く、なおかつ腹黒い者が多い、と聞いていたが、なるほどその通りであった。私を強請(ゆす)り、脅迫すれば賦役が免除されるとでも思ったか。思い上がるな!」
 韓信は議論で相手を威圧することには馴れていなかったが、ここは精一杯の努力をし、父老たちを恫喝した。
――自分は、やはりしょせん武の道にしか生きられない男なのだろうか。戦場に出ることもせずに権謀を弄する輩が、これほど気に入らぬとは……。

 言葉を失った父老たちを前にして、韓信はそう思わずにはいられない。自分が完全に正しいとは信じられないが、目の前の父老たちが正しいとは、どうしても思えない。

 いったい正しいこととは何なのだろうか?

「相国さまのおっしゃる通りでございます……。私どもはしょせん自らの道を自ら決めることができず、自ら行動も起こせない弱虫でございます。しかし私どもはそれでも市井の者どもを導き、保護する立場にございます。相国さまには不愉快な思いをさせたかもしれませぬが、これもひとえに斉の民衆を思いはかっての行動にございます」

 父老の一人のこの言葉を聞いて、韓信は自信がなくなった。やはり正しいのは相手の方ではないのか。どうにかして、反発したい。
「口先ではなんとでも言えるさ! 君たちのその一貫性のなさはいったい何だ? 斉の民衆を思いはかって、だと? 嘘をつく奴は決まってそういうことを建前にするものだ。やれ人のために、社会のために、と言うが、私にとって嘘をつく奴の本質は変わらない。……自分を守ろうとしているだけだ。民衆や社会なんてものは建前に過ぎぬ!」

 父老たちは互いにささやき合い、相談している様子だったが、やがてひとつの結論を出したようだった。代表と思われる人物が話し始める。
「相国さまはまだお若いようで、人の心がどう動くのかご理解していらっしゃらない様子……。よいですか、相国。世の中に嘘をついたことのない者など、皆無なのです。仮にあなたさまがこれまで嘘をついたことがないとしても、これから先には必ず嘘をつく必要性に迫られましょう。……しかしながらあなたさまの心は清廉にして、そのようなことを避けたいと願っていらっしゃいます」
「そのとおりだ。なるべくなら民衆とは本音で語り合いたい。君たち父老ともだ。私は常にそう願っている。……しかし、それは私の心が清廉だからではない。私は敵と戦うにあたって、常に相手を騙し、裏をかくことで勝利してきた。……私が人と真情で向き合いたいと望むのは、その裏返しに過ぎぬ」
「しかし、政治というものは一種の戦場でございます。あまり相手を信用すると、それこそ裏をかかれるものです。どうか、我々を信用なさってください。相国さまには気に入らないことも多いとは思いますが、そこを我慢してくだされば、住民に嘘をついて従わせるなどの汚れ仕事は我々が引き受けます」
――それでは、私は傀儡ではないか。
 韓信は思う。政治とは、やはりいやなものだと。

 だが、自分が制圧した土地だからといって、必ずしも自分が統治しなければならないわけでもない。自分がこうして指導的立場に立っているのは当座の方便であり、その間に先頭に立ちたがる者に立たせてやるのも、あるいは一種の統治策といえるのではないか。
「……諸君の言動は、甚だ不遜で、私としては虫が好かない。手のひらを返すように前言を撤回する態度も気に入らぬ。しかし我慢することにしよう……。思うに諸君は首を切り落とされることも覚悟で、ここに来たのだろう。私は諸君のその気構えには感服している。ゆえに諸君の願いをひとつだけ、聞いてやろう。包み隠さず、申せ」
「……斉は春秋時代、最初に天下に覇を唱えた国にして、古くは太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)(周の建国に貢献した人物。釣り好きであったことから現代でも釣りを趣味とする人を太公望と呼ぶ)や桓公(かんこう)(春秋の五覇の一人。五覇のうちもっとも最初に覇を称し、斉を諸国間で第一の存在にした)などの偉大な支配者、また管仲(かんちゅう)晏子(あんし)などの名宰相を生み出した国でございます。国民はみなそのことを誇りとしており、いま田氏が追われ、滅びたのを機に、その国名が失われることを嘆き、恐れております。おそれながら相国には斉という国名を残すことを、お願い申し上げたく存じます」

 韓信は実はほんの一瞬頭の中で戸惑ったが、父老たちにはそうと悟られぬよう、毅然とした口調で言い渡した。
「いいだろう。……ただし、自治を認めるということではないぞ。それにそのことを決めるのは私ではない。漢王がお決めになることだ」

         三

「お見事でした」
 曹参はそう言って讃えたが、韓信としては結局してやられたように思う。
 そもそも城邑の父老などは、領主が変われば贈り物を用意して取り入ろうとするのが普通である。それに比べて斉の父老たちときたら……。結局はなめられたように思われるのであった。
「本当にそう思いますか? しかし実を言って私には斉をどう治めてよいのか見当もつかない。父老たちにはあのように言ったが、本当は自治してもらった方が楽なことは確かだ。しかし……占領しておいてまさかそうするわけにもいくまい」
 曹参は韓信に同調したが、ここで意外なことを言った。
「斉の民は農奴や子供に至るまで謀略に慣れ親しみ、信用できません。自治はおろか彼らの親しむ者を王に擁立することさえも、危険過ぎます。よって斉は漢が統治すべきで、もし斉を王国として残すのであれば、漢の者を王としてたてなければなりません。……相国、お立ちなされ」

 韓信は曹参の言葉を聞き、少なからず動揺した。
「! ……冗談でしょう。私などより……君の方が適任だ。識者だし、人望もある。漢王も君ならば信用するでしょう」
「まさか。私はかつて蕭何とともに漢王を擁立した身。その私が自ら漢王と並び立つわけにはいきません。私には相国のような知謀も少なく、王となっても国を守ることはできないでしょう」
「私なら、それができるというのか?」
「他に誰がいるというのです?」
「…………」

 しかし、一武将に過ぎない自分が勝手にそのような決断をしても構わないものだろうか。韓信は漢の将の面々を頭に浮かべ、王にふさわしい者がいるか考えを巡らせた。
 黥布には淮南王の地位が約束されている。
 彭越には梁(魏の東半分)の地を自由に切り開く権利が劉邦より保証され、ゆくゆくは、かの地で王位につくに違いない。
 その他盧綰や周勃、樊噲をはじめとする劉邦の子飼いの連中……忠誠心はあっても能力的には疑問符が残る。
 韓信は彼らを見下していたわけではないが、彼らが王に向いているかと問われれば、否定せざるを得ない。

 武力だけでは単なる暴虐な王が誕生しやすい。
 知力だけでは政策が陰謀に傾きやすく、民が心服しないこと甚だしい。
 王になるには人徳が不可欠である、とはこの国の定説であるが、では人徳とはなにか、ということになれば明確な定めはない。
 しかし韓信はそれを武力と知力の均衡である、と考えていた。そして人に対する厳しさと優しさの均衡、さらには鋭気と自制の均衡、それを持つ者のみが人々の尊敬を集め、運に恵まれると結果的に王位に就くことになる、と考えていた。

 では自分はどうかといえば、韓信としては自分自身をいくらでも否定することができた。
 武力と知力は兼ねそろえているつもりではいるが、それは軍事に限ったことで、政治にそれを応用できるかといえば、自信はない。
 人に対して厳しいか、といえば、あるいは自分は優しいといえるかもしれない。
 しかしそれは表面的なもので、基本的に彼は自分を含め、人が嫌いであった。自分の優しさは他者と深く関わることが嫌なことの裏返しであることが、彼自身にはわかっている。
 そして自分には鋭気などない。
 もともとはあったのかもしれないが、彼は相手の鋭気を利用することを得意としたため、自分自身はそれを持つことを極力避けてきたのである。
 鋭気がないのに自制などしようもなく、この点においても自分は不適格者だと、考えたのだった。

 しかし曹参の言うように、他に誰がいるということになれば、やはり思いつく人物はなかった。
 韓信には本気で曹参自身にやってもらいたい、という思いがあったものの、冷静に考えてみればそれもやはり無理な話である。
「立たれよ、相国」

 曹参はもう一度韓信に言った。韓信は戸惑いつつも、決心を固めねばならないと自分に言い聞かせた。

         四

 結果的に韓信は次のように劉邦に対し、使者を通じて意見を奏上した。
「斉という国は、民衆に至るまで嘘、偽りが多く、変心に満ちており、端的に申せば、変節の国だと言えましょう。また南は国境を楚と接し、防衛に関しても容易ではなく、非常に統治するに難しい国です。厄介なこの国を治めるにあたっては、王をたてて徹底的に支配するしかありません。一武将の地位では不十分なのです。願わくは私を仮の王として任命していただくよう、お願い申し上げます」
 韓信としては謹み深く、遠慮がちに「仮の王」などとしたのだが、おりしも劉邦は窮地に立たされているさなかであったので、これに激怒したという。

 というより、ここ数年の劉邦に順風満帆なときはなく、常に窮地に立たされているありさまなので、韓信がいつ意見をいっても素直に受け入れられることはなかっただろう。
「王になるだと! わしが苦しんでいるというのに知らぬふりを決め込んで、王になるだと! 助けにも来ず、あいつは勝手なことばかりほざきおって」

 使者が恐縮するのを前にして劉邦はさらに言おうとした。
「いったい韓信のやつはわしのことを……痛っ!」
 劉邦は突然口を閉ざした。
 韓信を個人的に攻撃しようとする言動を抑えるために、張良と陳平がふたりで劉邦の足を踏んだのである。

 びっくりした劉邦の耳に張良が口を近づけ、使者に聞こえぬよう声を潜めて囁く。
「漢は、甚だ不利なときにあります。ここで韓信に不満を抱かせては、助けに来ないどころか、叛く恐れがあります。……韓信は王に取り立ててやれば、少なくとも自分の領地は守ろうとするでしょう。韓信の領地は、間接的には漢の領地でもあります。彼が敵でないことに、満足すべきです」
 そこで劉邦は気付く。
 韓信がとてつもない戦果をあげ、いまや自分に対抗できる勢力になったことを。
 かねてより抱いていた懸念がいま、このとき実現しつつあるのであった。

「……立派な男が、諸侯を平定したのだ。なぜ仮の王などと言うのか。遠慮せずに堂々と王を称せばよい!」
 劉邦はいきなり前言を覆した。
 表向きは態度を軟化させたのである。使者は劉邦の意図が読めず、わけが分からなかったが、少なくとも韓信が王位に就くことを漢王が認めた、ということだけは理解できた。

 かくして劉邦は新たに斉王の印綬を韓信に授けることになる。これは同じ王といえども斉王より漢王の方が格上で、覇者の肩書きは韓信ではなく劉邦にあることを意味する。
 そして印綬を韓信に届ける役目は、張良に与えられた。
――信よ……これ以上望むな。……それがお前のためだ。
 使者として旅立った張良と、送り出した劉邦はそれぞれ同じようにそう思ったのだった。

 韓信が張良と対面するのは、久しぶりのことである。再会を喜ぶべきであったが、しかし張良の面持ちはどこか暗い。常に病気がちな青白い顔色をした張良が、目元に憂慮の色を浮かべていることは、韓信にもわかった。

「相国……いや、韓信。君に斉王の印綬を渡す前に言っておくことがある。なにしろ王ともなれば至尊の身。いまのうちでなければ言いたいことも言えぬ」
「子房どの、そういう言い方はやめてください。私は王位に就くといっても、漢王に仕える身であることには変わりありません。どうかいままで通りのおつきあいをさせていただきたいものです」
「本気でそう思っているのか」
「……どういうことですか? 私にはわかりませんが」

 張良はため息をついた。
 もともと韓信を別働隊の将として推薦したのは彼自身であったが、こういう事態になるのであれば、韓信を劉邦のそば、息のかかるところに置いておくべきであった、と後悔したのである。
「漢王は君が斉王に就くことを了承なさったが、実は危惧を抱いている。君は有り余る能力を持ちながら、なかなか漢王の救援に訪れない。斉を治める苦労があることはわかるが……さっき君が言ったように、君が漢王に仕える身であれば、まず第一に漢王の窮地を救うべきではないのか。王を称して斉国内の地盤固めをするのは民衆のためか? それとも自分の権力増強のためか? いずれにしても漢王のためではないことは確かだ。そうではないか?」
「……本意ではないのです。できれば斉王の地位など、替わってくれる者がいたら、替わってもらいたい。しかも斉は大国で、うまく御することができれば、漢や楚に対抗できる勢力となりえる……。これが危険なことであることくらいは、私にもわかっています。だから、漢王からよほどの信頼を受けている者しか、斉王とはなれません。だが、斉はうまく御することこそが難しいのです。漢王の信頼を得ている、そのことだけでは斉王としてはうまくやっていけないでしょう。斉を治めるには反覆常ない斉の民衆を抑え込む武力が必要なのです。私は、漢王の信頼はおぼつかないが、武力はある程度保有している。これが、私がやるしかないと考えた所以です」

 韓信のいうことは張良にもわかる。
 しかし、彼の返答は張良の質問への答えにはなっていなかった。
「それはわかる。しかし、漢王は憂慮しておられる……」
「漢が強権をもって治めなければ、斉は簡単に心変わりをし、楚につきましょう。だから、私が斉王を称するのは漢のためなのです。また、漢に味方することが斉の民衆のためになることは明らかです。だって、そうでしょう? 漢は楚に勝利して天下を統一するのですから! そして斉を治めることに成功すれば、結果的に私の権力が増強されることは避けられません。それによって漢王には睨まれることになるかもしれませんが、それは私が自制すればすむ話です。……なんの問題も起きません」

 張良は、もしかしたら韓信がこの種の問題に対する勘が鈍く、無頓着にことを進めているのかと疑っていたが、想像に反して韓信はわかっているようだった。
「韓信……くれぐれも自制を。そうしなければ、君自身の身を滅ぼすことになる。このことを忘れるな」

 張良は別れ際に、酈生と同じく「このことを忘れるな」という言葉を残し、去っていった。
 しかしその言葉は似たようなものであっても、内容はまったく反対の意味であるようにも思えた。
 韓信にはどちらの言葉に従うべきか、その明確な答えはない。

         五

 一心に剣の手入れをしていると、気が紛れる。
 微小な剣先の欠けに注意を払い、それを見つけると納得がいくまで研ぎ直す。
 その間に考えることは何もなく、ただ作業に集中するだけであった。
 韓信は、思索で頭の中がはち切れそうになると、好んで自ら剣の手入れをした。

 斉を攻略するにあたって、韓信は自ら剣を振るうことはなかった。前に使ったのはいつのことだったか……。
 思い出した。カムジンを斬ったときだ。
 思い返せば、自分はあの時も思い煩い、一心不乱に剣を研ぎ直したものだった。それ以来剣を使う機会は一度もなく、そのため刃こぼれが見つかるとは思えない。韓信は今、鞘に納まった剣を前にして、どうやって現在の不安感を解消しようかとひとしきり悩んでいる。

 やがて思い切ったように鞘から剣を引き抜いてみると、驚くことにその刃にはうっすらと錆が浮いていた。
 韓信はそれに気付き、よくもこんな状態のまま戦場に立ち続けていたものだ、と思った。
――あるいはこれも、自分の運の強さを示しているのであろうか。
 そう思うと心強く感じられることは確かだが、一方で馬鹿馬鹿しさも感じられる。
 錆び付いた剣を持ちながら生き残った、それは確かに強運を示すことかもしれない。
 しかし彼は人生を運に左右されるのではなく、自分の行動で決めたかった。これまで運を信じて行動したことなどなかったのである。
――この錆は、死者の呪いなのだ。
 迷信めいた考えであることには変わらないが、そう思った方が得心がいく。カムジンの呪い、酈生の呪い、陳余の呪い、田広、竜且の呪い……そして章邯や雍昌……。

 ずいぶん昔のことを思い出した。
 雍昌を仕留めたのはまだ自分が淮陰にいたころだった。かつて淮陰城下で剣を引きずりながら歩いた幼き日の自分……。母や栽荘先生の姿が懐かしく思い出された。あの人たちが生きておられたら、いまの自分を見てどう評価するだろう。

 章邯を殺したのは確かに自分ではなかったが、彼の運命を決めたのは他ならぬ自分である。
 あの頃の自分は内に潜む心の弱さを見透かされまいと、剣を杖がわりにして自分を大きく見せてばかりいた。章邯の姿が恐ろしく、垂直の城壁をよじ登って逃げた姿の方が、本当の自分であるというのに。

――そう思うと、やはり運か……。
 しかし、そうとは認めたくない。自分はあの章邯を自分の策略で追いつめ、その結果、漢に勝利をもたらしたのだ。
 それは決して運などではない。
――やはり、呪いだ。
 結局どちらにしても自分にとって歓迎せざるものであった。しかし呪いが自分の招いた結果だとすれば、恨むべきは自分しかいない。
 その方が韓信にとっては気が休まるのである。

 おそらく母が生きていたら、生前と同じように「もっと人を信用するものだ」と言い、栽荘先生が生きていたら「太子丹と似て不器用だ」と言うだろう。
 ともに自分のひとりよがりな性格を指摘するに違いないのである。
 しかし二人ともすでに死者であったので、韓信としては想像して苦笑するしかない。
――死者が物を言うはずがない。
 そう思う一方で、母と栽荘先生の呪いが剣に込められていないことを願うのである。
 もし死者が生者を呪うことができるなら、物を言うこともできるかもしれないのだが、それを考えようとはしない韓信であった。

 韓信は剣の表面に浮かぶ錆を見つめながら、そのようなことを考え続けた。物事を考えないように剣の手入れを行うはずが、結局その剣が彼の思考を複雑にした。

 考え込む韓信の姿には、錯乱している様子はうかがえない。しかし逆に思考に集中しすぎて全く周囲が見えなくなるようであった。
 このとき、魏蘭は韓信の前にしばらく前から座っていたのだが、それでも韓信には全然気付いてもらえなかった。
「将軍……いえ、王様」
 蘭は我慢できなくなって自分から声をかけたが、それに反応した韓信の目はどこか空ろだった。
「王様……」
「……そんな呼び方はよしてくれ……私らしくない」

 韓信は気だるそうに蘭に向き直って言った。その様子は蘭の目から見ても王らしい威厳はない。
「張子房さまには、なにも問題ないとおっしゃったそうですが……その様子では本心から言った言葉ではなさそうですね」

 蘭としてはいたわりの言葉をかけたつもりであったが、韓信にとっては嫌味に聞こえたようである。
「見ての通り、このざまだ。いまにして思えば、趙歇の気持ちがよくわかる。なりたくもないのに王にされた気持ち……。他人にはわかるまいよ」
「でも、王座に就きたいと漢王に上奏したのは、将軍ご本人じゃありませんか」
 蘭は韓信のことを王様と呼ぶのはやめて、これまで通り将軍と呼んだ。
「違う。私は仮王になりたいと言ったのだ。私の自分の気持ちに対する最大限の妥協だ。王にはなりたくないが、なる義務があると感じたから言ったまでだ。それを漢王は遠慮せずに真の王になれと……。それでいて叛逆を疑うとは、どういうわけだ……。いったい私にどうしろと?」
「推挙してもらえばよかったのです。斉には王をたてねばなりませんが、誰か適任の者はおりませぬか、漢王にそう申し上げればよかったのです。結局漢王は将軍を王にたてるしかなかったでしょうが、自分から言い出したのと相手に言わせたのとでは、印象の度合いがまるで違います」
「それは……確かにその通りだが、しかしもう遅い。君もそれを先に言ってほしかったものだ」

 韓信の言う通りだった。蘭は自分の考えがいわゆる後知恵だったことに気付き、素直にそれを詫びてみせた。
「申し訳ございません。私は幕僚としてなんの役にも立てず……」
「よい。過ぎたことだ。それより今後のことを考えるとしよう。何度も言うようだが、私は一体どうするべきか」

 蘭は少し考え込んだが、基本的に考えはあらかじめ定まっていたようである。ただ、それを韓信にどう伝えるべきか迷ったようであった。
「漢王を信じて行動するしかない、と思われます。私がおそばで見ている限り、将軍は政治的な立ち振る舞いが苦手のようす。時勢の流れるまま、漢王の命ずるまま行動すれば、難は避けられるかと思います」
「それではいずれ私は疎んじられ、せっかく就いた王の座を降ろされるかもしれない。私はそれでも構わないが……」
 ここで韓信はすこし笑いを漏らした。
「どうしたのです?」

 蘭の問いに、韓信は珍しく浮ついた表情を見せて言った。
「いや……私は王座から降りてもいっこうに構わないが、それでは君を王妃に迎えることができない、と思ったまでだ」

 韓信が意外に感じたのは、蘭が顔を赤らめもせずにその言葉を受け止めたことだった。
「ご冗談を。でも私もいっこうに構いません。私は将軍が将軍のままでも構いませんし、仮に平民になられたとしてもお供します。もちろん、王となられても」
「蘭、君の気持ちは嬉しいが、どうして君は私のことをそのように思ってくれるのか? いや、……今さらかもしれないが聞かせてもらいたい」

 蘭は韓信の問いに、気負う風でもなく答えた。
「……将軍の武功は前例がないほど大きなものですが、将軍個人のお人柄は……傍で見ていて、どうしようもなく頼りなく見えるのです……将軍は他人を信用なさらないし、生き方も不器用で……私は、常におそばに控えていないと心配で仕方がありません」

 このとき蘭は韓信にとって重要な位置を占める二人の死者がいうべき言葉を、全く不自然な様子もなく言ってのけた。その事実に韓信は具体的な説明はできなかったが、深く心を動かされたのである。

 しかしなぜ自分の気持ちが高揚したのか……自分で自分に説明ができないことを彼は苛立たしく感じた。
 常に明確な解答を求め、理路整然とした論理を好む……韓信とはそういう人物だったようである。


 紀元前二〇三年二月、韓信は斉王として君臨した。
 当時の人間で、それがよいことであると断言できた者は、ほとんどいない。当時の誰もがそうするしかない、他にどうしようもない、と思った結果、生じた出来事だった。

(第二部・完)

対峙は続く……

         一

 漢は彭越に楚の後方を撹乱させ、その隙に再び成皋を奪取した。そして険阻な広武山に陣を取り、項羽を迎え撃つ構えを見せた。
 ひと口に広武山というと単独の山を連想させるが、実はこの山は二つの峰に分かれた連山であり、「広武山」という山名は、その総称である。
 漢・楚の両国が争っていた当時にそれぞれの山がどう呼ばれていたのかは不明であるが、現代では東が覇王城、西が漢王城と呼ばれていて、有名な史跡となっている。
 つまり、広武山に築城した漢軍を追って楚軍も広武山に入り、互いに谷を挟んで対峙することになったのである。この事実だけから判断すると、ついに漢は武力にまさる楚によって山に封じ込められた、と感じてしまいがちだが……。

 しかし、実際は西に陣取った漢の後背には敖倉があり、食料が尽きることはなかった。かつて秦が強権的に民衆から収奪し、こつこつと蓄え続けた穀物が漢を救ってくれる……したたかな漢の戦略が、そこにあった。

 これに対して東に陣取った楚の後背には何もなく、唯一当てにできるのは遠い彭城からの軍糧の補給路しかなかった。しかも、これを彭越がたびたび襲撃する動きを見せ、項羽を対処に困らせたのである。

 このことを受け、対立の長期化を嫌った項羽はしきりに短期決戦を挑もうとした。が、当然ながら劉邦はそれを受け流し続ける。戦況は膠着状態となり、両者が対峙する期間は思いのほか長いものとなった。
 項羽と劉邦の両者の駆け引きは続き、永遠に決着することがないように思われた。しかし、この時こそが長らく続いた楚漢抗争の最終局面の始まりで、いわば、終わりの始まりなのである。

 時は酈食其の死後、韓信が臨淄に突入したころであった。

 ある日の午後、楚の陣営に何やら動きが見えた。向かいの峰の様子をうかがっていた漢の兵士たちには、具体的なことはよくわからない。ただ、遠目に見える楚の兵士たちの表情がそれまでになく明るく、自信に満ちていることだけがわかった。

 なにが始まるのか不審に思った漢兵たちが様子を見ていると、やがて楚兵たちは大きな板を持ち出し、それを漢に見せつけるように正面に据え付け始めた。
――いったい、どういうことだろう。
 板の大きさは縦が八尺、横が六尺ほどの大きさで、ちょうど人間がひとり両手を広げて横たわることのできる大きさである。それがわかっても漢兵たちは事態を掌握することができないでいたが、やがて一人の老人が連行され、その板に磔にされるのを確認することとなった。
 そして、ようやく楚軍の意図がわかったのである。
――あれは、劉太公だ!
 磔にされたのは、劉邦の父であった。彼は劉邦が彭城で敗戦して以来、嫁の呂氏とともに楚軍に捕らえられ、捕虜となっていたのである。

「漢王よ! 聞こえるか。今、お前の父は、お前自身の不孝によって煮られようとしている。悔い改めようとするならば、今すぐ降伏しろ。それが嫌だというのであれば、お前の父は死ぬ。言っておくが、わしはどちらでも構わない。父親を失うか、降伏するか、選択の自由はお前にある。どちらか好きな方を選べ」
 項羽はそう言いながら、周囲の兵たちに指示を出した。すると大きな解体用の包丁やら、料理用の大釜やらが粛然と用意されていく。

 太公を磔にした板は、実は巨大な「まな板」であったのだ。

 劉邦はこの様子を確認し、いたたまれなくなった。これまで自分は決して孝行息子などではなく、思いのままに天下を望み、結果的に肉親を巻き添えにして苦しめてきた。それを常に心に病んできたわけではないが、ここまでされるとさすがに気持ちが揺れる。黙って殺させるわけにはいかなかった。

 劉邦は怖じ気づき、行動を起こすことをためらったが、王としての義務がそれを許さない。意を決して胸を張り、谷を隔てた項羽にむかって言い放った。
「項王! ……わしとお前はかつて……ともに懐王の臣となり、兄弟の約を結んだ仲であったな。わしとお前は兄弟! ……つまり、わしの親父はお前の親父でもある」
 現代ではとても通用しそうもない理屈だが、これも、この時代特有の「義」の概念に基づく論法である。「義」は戦乱の時代のなかでの数少ない道徳概念のひとつで、これを否定することは当時の人々にとって最大の悪徳とされた。また、子が親を殺すことは「孝」の理念にも反する。

 劉邦は実際に自分と項羽が義兄弟だと信じたことは一度もなかったが、懐王の下でともに君臣の契りをたてたことは事実で、理論上は間違っていない。よって、この種の論法を項羽が真っ向から否定することはないだろうと信じた。
「お前が自分の親父をどうしても殺すというのであれば、わしはあえて止めようとは思わないし、実際にここからではただ眺めることしかできない。好きなようにせよ。ただし、ひとつだけお前に言いたいことがあるのだが」
 ここで劉邦は内心で怯えつつも、極めて不遜な一語を発した。
「……お前がそこの親父を煮殺した暁には、どうかわしにも煮汁を一椀恵んでもらいたいものだ」

――生意気な!
 この言葉に逆上した項羽は、本当に太公を殺そうとしたが、項伯がこれを諌め、ことなきに至った。劉邦は危険な橋を渡ることになったが、なんとかこの場を乗り切ることができたのである。

 広武山における楚漢対立の第一幕が、これであった。

         二

「どうだ、体の具合は?」
 項羽は居室に戻ると鍾離眛のもとを訪ね、そう語りかけた。
「おそれながら、まだ歩ける状態では……」
 それまで横になっていた鍾離眛は、項羽の姿を認めると体を起こし、居ずまいを正そうとする。

「そのままでよい」
 項羽はそれを止め、自ら眛の肩を抱き、あらためて横に寝かせた。
 広武山での楚漢の対立のそもそもの発端は、成皋近郊で鍾離眛が漢を攻め、逆に包囲されたことにある。そこに風雲告げるかのように項羽が現れ、恐慌をきたした漢軍が広武山に逃げ込み、築城したのだった。

 この戦いのさなか、鍾離眛は落馬して足を負傷していた。
「痛むのか?」
 項羽の口調には、眛を責めるような厳しさはない。もともと味方には優しい男である。しかし、眛としてもいつまでもそれに甘え、寝続けるわけにはいかなかった。

 それを意識していても、なんとなく自分の鋭気が失われつつあることを自覚せざるを得ない眛であった。
「医師の話では、骨は折れていないとのことです。……しかしまだ腫れが引かず、患部は熱を発し、よく眠れもしない状況でございます。再び将軍として兵を率いる日が、いつになることやら……」
「弱気になるな。戦陣の先頭に立てば、負傷することもあるものだ。わしにはそのような経験はないが、これは特別なことなのだ。わしが負傷せず、君が負傷したことを気に病む必要はない」

 凡人たる自分は戦えば負傷し、超人の項羽は負傷しない、ということか。
 眛には項羽がぬけぬけと物を言っているように思えたが、よくよく考えてみると項羽の言は正しい。自分が能力的にも運にも恵まれているのであれば、上に立つ人物は項羽ではなく、自分であろう。そのような事実を目の前の項羽が黙認するだろうか?
……するはずがない。自分は項羽より劣る男なので、彼に服従し、彼によって生かされているのだ。
「しかし、このところ私自身、精彩を欠いている気がするのです。戦えば勝てぬだけでなく、自分自身も負傷してばかりで……。怪我が治って戦陣に立ったとしても項王のご期待に添えるような活躍ができるとは思えません」
 項羽は鼻から音をたてて息を吐き、不満の意を示した。
 正直な話、鍾離眛には自分ほどの働きを期待してはいない。それは確かであった。しかし、最低限の働きはしてもらわないと困る。楚軍中で眛ほどの重要な地位にある人物が、理由はどうあれ自分の下を離れることは避けたい。項羽の下からはすでに范増が去り、黥布も去ってしまっていたのだった。
 そればかりではない。今、漢の軍中で軍略を練っている陳平も、もとはと言えば項羽の部下であったし、かつては韓信も項羽の部下であった。これ以上人材の流出を防がねばならない項羽としては、眛をいたわらねばならない。
「韓信にやられた矢傷の方は、癒えたのか。思えばあの時も、わしがもう少し早く戦場にたどり着けば良かったのだ。君があのとき受けた傷に関しては、君自身に責任はなく、わしの戦略のまずさから生じた出来事だった。よって、君はもっと自分に自信を持て。そうすればわしは最大限の努力をもって、君の将来を保証しよう」
 項羽の言葉はかつて陳平の策略によって鍾離眛を疑い、結果的に遠ざけてしまったことを意識している。今、項羽は彼なりに自分の行為を反省し、贖罪の意を示しているのであった。
「わかっています……私の弱気は、負傷による痛みから発した一時的なものでありましょう。もう少し時間を……。時間が経てば、私の鋭気も復活します。ところでお話に出た韓信の件ですが」
「韓信が、どうした」
「彼をどうお思いになりますか」

 鍾離眛の問いに、項羽はしばらく考え込み、やがて言葉を選ぶようにして答えた。
「奴は……不思議な男だ。かつて奴は楚軍にいたころ、何度かこのわしを諌めようとしたことがある。わしを恐れもせずに……。また、奴は無法者の股の下をくぐるような男であったが、戦場では果敢にもわしと一騎打ちをしようとした。これは一体どういうことか? 奴にとってわしは市井の無頼者以下なのか? あの男に腹を足蹴にされたことは、わしにとって一生の屈辱でもあるのだ」

 鍾離眛は韓信を多少弁護するような口ぶりで、それに答えた。
「実を言うと私は、彼とは幼少の頃からの知り合いで、その性格をよく存じております。彼は……本来争いを好みませんが、相手が強ければ強いほど、立ち向かおうとします。どうでもいい相手とは争いもしないばかりか、口もききません。彼は、そういう男です」
「では、わしはめでたく奴に認められたということか。喜ばしい限りだ。……いや、冗談はさておき、実のところ、わしは奴が恐ろしい。味方の時は全く気にもしなかったのだが。韓信は西魏、趙、燕を従え、いま斉を平定しようとしている。眛よ、漢の本隊は実は韓信ではないのか? わしには目の前のひげ親父が実は囮のような気がしてならぬ」
 気位の高い項羽にとっては、劉邦などただのひげ親父に過ぎぬ。鍾離眛は思わず笑いを漏らしそうになったが、項羽の表情が真剣だったので、あえてそれを控えた。

「韓信が斉を平定し、彭城に入城したら、楚は一巻の終わりだ。しかし、わし自身はあえて劉邦を討つことにする。韓信は、劉邦が死ねば楚に降伏するかもしれないが、劉邦は韓信が死んでも、降伏はしないだろう。確たる理由はないが、そんな気がする」
 この言葉を立証するかのように、項羽は斉の王室を救援することを名目に将軍竜且を派遣した。実際は韓信の進撃を止めることが目的だったことは言うまでもない。そして自分は劉邦を相手にしきりに勝負を挑み続けたのである。
 項羽が早めの決着を願ったのは、兵糧が不足しているという事情も確かにあったが、東の韓信の動静が気になったということも一因としてあるのだった。

         三

「天下の者が長らく恐々とおののいているのはなぜか。ただ我ら両名がこの世に存在しているからである。ただ我ら二人が対立し、民はその巻き添えを食っているに過ぎないのだ。わしはこのような現状を深く憂える。願わくは、漢王と二人、単身で戦い、互いに雌雄を決することを望む。わしは、いたずらに天下の民をこれ以上苦しめたくはない」

 これは、項羽が対立する劉邦に宛てて使者に言わせた文言で、いわば果たし状である。自己の存在が必要悪であるという自覚を窺わせるあたり、ただ暴虐なだけと言われた項羽という男の真の人間性が見てとれるような言葉であった。
 しかし同時に、このときの項羽がどれほど勝負を焦っていたか、それを窺わせる文章でもある。

「冗談じゃない。わしは腕力を戦わせるのはごめんだ。知恵で戦う」
 劉邦は項羽の挑戦に対し、笑って答えたという。それもそのはずである。一騎打ちなどしたら、項羽が勝つのは目に見えているからだ。
 お前の土俵で勝負するはずなどないではないか、劉邦はそう主張するに違いなく、そのことは冷静な判断力があれば、項羽にもわかるはずであった。

 項羽の判断力を鈍らせた原因は、韓信にあった。これより先、項羽はひとつの凶報を耳にしていたのである。

「竜且が死んだ、だと!」
 項羽としてみれば、竜且に完全な勝利を期待していたわけではない。しかし、竜且にはせめて自分が斉に赴くまで戦線を維持することを期待していたし、彼にはそれができると思っていたのだった。
「そればかりではありません。高密に赴いた楚兵は悉く殺され、残りはすべて捕虜となってございます。東方へ遠征した楚軍は、全滅です」
 凶報をもたらした使者は、その言上があたかも自分の武功であるかのように、語気を強めて報告した。
「全滅! ……全滅だと……」
 項羽は使者を睨んだが、しかし口から出てくる言葉は呆然としたものでしかなかった。だが使者はその眼光の鋭さに気を取られ、にわかに態度を粛然としたものに改め、報告を続ける。
「竜且を殺し、斉王田広を処刑した韓信は、ついに斉王を称した、との由にございます」

――韓信め! あの男が、斉王! 信じられぬ。
 項羽はめまいを感じた。自分は韓信を確かに恐れていた。しかし、奴は恐れていた以上の男だった、そういうことか。もう一度、あの男と剣を打ち合い、対決すべきか。
 いや、狡猾なあの男のことだ。たとえ一騎打ちをすることになったとしても、どこかに伏兵を忍ばせておくに違いない……では、どうしたらわしは韓信に勝てるのか? このままでは……。

「項王。こうなっては、韓信を懐柔するよりほかありません。味方に引き入れるのです。それしかありませぬ」
 事態を憂慮し、痛む足を引きずりながら現れた鍾離眛は、項羽の耳元でそう囁いた。しかし項羽は、その言葉に同意を示そうとしなかった。
「わしは、討ちたいのだ。いま奴を懐柔しようとすることは、わしが奴に膝を屈することと同じだ。なぜ覇王たるこのわしが……」

 項羽は意固地になり、幼児のように駄々をこねた。眛としては、説得するしかない。
「項王が漢王を破るためには、後顧の憂いは取り除いておかねばなりません。たとえ彼を味方にすることが、項王が膝を屈することと同じだとしても、漢王を破るまでの間です」
「辛抱しろ、というのか! このわしに! それよりもわしが劉邦と対峙している間に、誰かが奴を討て。誰かおらぬのか、韓信に対抗できる奴は!」
 鍾離眛は首を横に振って、答えた。
「おそれながら、私には無理です。ほかの誰もが、そう答えるでしょう」
「貴様らはそれでわしに忠誠を誓っているつもりか!」

 項羽はそう言いながらも、怒気に任せて鍾離眛を斬ってしまおう、という気にはならなかった。情けないことだが、兵糧不足の現状では、項羽自身にも韓信に勝てる自信がなかったからである。
「仕方がない。韓信の下に使者を送ろう。だが、これは……時間稼ぎに過ぎぬ。使者の成否次第では、わしはやはり韓信を討つだろう」
「お聞き入れくださり、ありがたく存じます」

 言いながら、鍾離眛は考えた。おそらく、韓信は心を変えず、使者を送ることは結果的に無駄に終わるだろう、と。
 眛の知る韓信は、人の変節を嫌う。嫌いながら、彼自身一度楚から漢へ鞍替えしているのだ。つまり彼は一度変節をしているのであり、二度目は絶対にない、と思ったのである。

――信……。お前は、なんという大物になったのだ。あの、剣を引きずって歩いた貧乏小僧が王になるとは……。
 眛にとって韓信はいまや袂を分かった敵同士であったが、それでも彼の栄達は旧友として誇らしいものであった。しかし、
――危険だ。危険すぎるぞ、信……。まさかお前ともあろう者が、栄達に目を眩ますことはないとは思うが……。足元をすくわれぬよう、気をつけろ……。
 とも思うのであった。
 足元をすくわれる危険とはどのようなものなのか、眛には具体的に説明はできない。しかし漠然とした感情が彼を不安にさせるのであった。

         四

 韓信のもとに使者が現れたのは、その後、間もなくであった。
 使者は、名を武渉(ぶしょう)という。盱眙(くい)の出身で、純粋な楚人であるらしかった。

――いよいよ私も、項王に一目置かれる存在となったか。
 韓信は過去を振り返り、自嘲気味に笑った。かつて自分はなにを進言しても目もくれない項羽に不満を持ち、楚を見限った。ところがいまや自分は斉王となり、ようやく項羽に認められる存在となったのである。
 見返してやった、という気持ちは確かにあった。だが、それで人生の目的を達したとは、当然韓信は考えない。

「漢王はひどい奴で、あてにできぬ男です」
 武渉はそう言って、話を切り出した。韓信としては、予想どおりの話の展開なので、それを理由に会見を打ち切るつもりはなかった。項羽の気持ちを知る機会はそう多くなく、使者の言上から楚の実情を知り得る良い機会だと考えたのである。

「項王は秦を破滅させたのち、将軍たちの功績を数えて土地を割き与え、それぞれの領地の王とし、士卒を休息させました。漢王は功績相応の領地を得ておきながら、勝手にそれに不満を持ち、いまや楚を攻撃しています。欲が深く、満足することを知らない、そんな奴です」
「……ふむ。続けるがいい」
「そもそも漢王は、鴻門で項王に情を受けて、今に至っております。あのとき項王は、漢王を可哀想に思い、生かしてやったのであります」
「そのときの仔細は私も知っている。確かにその通りだ」
「ところが危機を脱した漢王は、何度も約束に背き、項王を攻撃する始末……。奴に親しみをかければ裏切られ、約束をすれば破られる。どうやったらそんな男を信用できる、というのですか」
 劉邦に反転して攻撃しろと献策したのは、他ならぬ自分……。この男はそれをわかっていて言っているのだろうか。韓信には武渉が間接的に自分を批判しているかのように思えた。
 しかし、だとすれば劉邦がいま苦境にある根本的な原因は、自分にあるのかもしれない。自分の策に乗って行動している劉邦を見捨てることは、過去の自分の献策が間違いであったことを示すことになる。
 韓信は、そう考えた。
「武渉どのは、盱眙の生まれだそうだな。君が項王のもとに仕えている理由をお聞かせ願いたい」
 使者の武渉は、突然の韓信の問いに、どう答えてよいのか分からぬ様子だった。
「は……?」
「君は項王が好きか、と聞いているのだ」

 単刀直入なものであったが、これほど答えにくい質問はないだろう。
 好き、と答えれば韓信はそれを否定する理由をいくつも挙げにかかろうとするだろうし、かといって嫌いと答えるわけにはいかない。そもそも項羽の人格には、問題がありすぎた。武渉の好きなのは項羽の人格ではなく、他者を圧倒する武勇だけであった。しかし、それも正直に答えるわけには、やはりいかない。
「私は、楚に生まれ、かの地を愛しております。項王は紛れもなく楚を代表する御仁でありますゆえ、お仕えしている次第でございます」
 結局、武渉は当たり障りのない答え方をした。これに対して韓信は、
「なるほど」
 とそっけない相づちをうち、付け加える。
「要するに、君は楚に生まれたから、楚の天下を望んでいる、と言うわけだな」
「はい」
「楚の国民たる自分が、楚出身である項王を支持するのは自然なことだと。そうだな?」
「はい」
「……嘘だ」
「は?」
「君が項王に仕えているのは、将来は項王が天下を統一する、彼のもとにいれば安心だ、という打算が理由だ。……いや、気を悪くするな。責めているわけではない」
「いったいどういうことでしょう」
「人が人に仕えるということは、個人に対して忠誠を尽くすということであり、特にいまのような戦乱の時代にあっては、忠誠の対象は国や制度ではない、ということだ。君はあたかも楚に忠誠を尽くすような言い方をしているが、それは偽りで、実際は項王に忠誠を尽くしているに過ぎない」
 武渉は韓信の言いたいことがよくわからなかった。
「もう少し、ご説明を」
「項王は武力に長け、配下の者には慈愛に満ちた態度で接する。それは確かだ。したがって彼に忠誠を尽くそうと思う者は多いだろう。君もその一人だ」
「その通りでございます」
「項王を信奉する者たちは、項王が楚ではなく漢の主君であれば、盲目的に漢に忠誠を尽くそうとするに違いない。私が言いたいのはこのことだ。人は国にではなく、個人に忠誠を尽くそうとするものなのだ。だが……私はそうありたくない」

         五

「たしかにその通りかもしれません。しかし、それはいけないことでしょうか。私には、項王を信奉しようが、楚を信奉しようが結果的には同じことのように思われます。もし項王が漢の君主であったとしても、国の名が異なるだけでたいして違いはないかと……」
「その通りだ。だからそう言っているではないか」
 韓信は、ここで言葉を切り、頭の中で考えを整理した。
「つまり、君は項王が好きだから従っているに過ぎない。本質的には、私も同じだ。私は、項王が好きなわけではないから従わない。それだけのことだ」
 武渉は目を丸くした。韓信は知将だと聞いていたが、いまの物言いはまるで子供のようではないか。
「斉王様は、項王がお嫌いですか」
「いや、そこまでの感情はない。かつて私は項王に何度も諫言したが、項王はそれを少しも聞き入れてくださらなかった。私が彼に仕えないのはこれが最大の理由であって、ことさら項王を嫌っているからではない。好きではないことが即嫌いであるということにはなるまい」
 武渉はうまくかわされたような気がした。しかし、意外に韓信の本音はそこにあるのではないか。
「では、斉王様は漢王をお好きなのですか」
 武渉としては自然な質問である。だが韓信はこの問いに対して困ったような表情をあらわした。
「……感謝はしている。漢王は私の策を用い、私自身も登用してくださった。そればかりか、漢王は自分と同じ食べ物を私に勧め、寒いときには自分の着ている服を私に着せ、暑いときには私の汗を拭いてくださった。……漢王には漢王の意図があるのかもしれず、あるいはそういった行為のすべてが私の離反を抑えるためにあったのかもしれない。しかし、私は項王からそのようなもてなしを受けた経験がない。よって私はたとえ情勢が漢の不利にあるとしても、漢の側につくであろう。それが、恩義というものではないか」
 恩義を感じていながら、好きだと断言できない苦しい心情がそこに現れていた。だが幸いなことに、武渉には劉邦と韓信の微妙な関係を見出すことができなかったようである。
「さもありましょう……。しかしあなたはいまや単なる漢の一将軍にあらず、一国の王たる身でございます。斉の国民の運命を無視して、不利な漢の側に立つことは、正しいことでございましょうか?」
「しかし、あながち漢が不利だとはいえまい。私が漢の側に立つことによって、情勢は逆転するだろう」
「……さすがにわかっておられますな! 天下の趨勢は、斉王、あなた様の動きにかかっておるのです。あなたが漢の側に立てば、天下は漢に帰し、楚に立てば、天下は楚に帰すのです。これは斉王様にとっては非常に危険な立場であるといわなくてはなりません。私は、漢王が斉王様の忠節に応えることはないと考えておりますが、斉王様があくまでも漢王に恩義を感じていらっしゃるというのであれば、しつこくは申し上げません。ただ、漢・楚いずれにも属さず、中立を唱えれば、天下は三分され、しばらくの間安寧でしょう。それが知恵者のとるべき行為であろうかと存じます」
 武渉は韓信が項羽の側につくことがないことを悟ると、次善の策をとった。つまり、漢に叛かないかわりに、味方もさせない。漢・楚両国の戦いのかやの外に置こうとしたのである。
 韓信自身は武渉の言葉にそれほど深い感銘を受けたわけではなかった。
 しかし、彼の帷幄のなかに、雷鳴に打たれたようにこれに反応した者がひとりいた。

 それが、蒯通であった。

         六

――天下の均衡はこの方の双肩にかかっている。
 蒯通は、そう考えた。「この方」とは、他ならぬ斉王韓信のことである。
――この方は、ご自身でそのことに気付いているに違いない。しかし生来の生真面目さから、目を背けようとしておられるのだ。

 恩義のある劉邦に叛くことは充分に不遜なことであり、韓信自身の礼節を疑われるような行動である。
 それは蒯通にもわかるが、こと人命に関してはどうであろうか。いまここで韓信が自立し、漢・楚・斉の三国の武力均衡による停戦状態がなれば、長く続いた戦乱の時代は終わりを告げるのである。漢王劉邦も死ななければ、楚王項羽も死ぬことはない。そして彼らの下に従属する何十万もの兵士、さらにはそれの何十倍もの国民の命が失われることがないのだ。

――決断させるべきだ。
 そう考えた蒯通は、楚の使者の武渉が帰った後、韓信に近づき、こう話したという。
「手前は若いころに、人相を見る術を学んだことがございます」

 韓信には、蒯通がなにを言おうとしているのか、よくわからなかった。しかしまわりくどい蒯通の話法にはすでに通じていたので、この時もなにか言いたいことがあるのだろうと思い、話に付き合うことにした。
 いつもであれば、韓信は蒯通に「単純明快に話せ」と言ったことだろう。そうしなかったのは韓信の心に少なからず迷いがある証拠であった。

――説得できるかもしれぬ。
 蒯通は心を励まし、言葉を継いだ。

「身分の高下は骨相にあり、心の憂い喜びは容貌にあり、成功失敗は決断にございます。これらを参酌すれば、たいていのことは見通せるものでございます」
「……そうか。では蒯先生には私のことがどう見えるのであろうか」
 韓信がこう聞いたのは単なる興味本位である。しかし蒯通は深刻な面持ちを浮かべ、静かに言った。
「どうか大王……お人払いを」
 韓信はその様子に驚き、なにかまた蒯通が不遜なことを言い出すのではないかと勘ぐったが、やがて周囲に向かって言い放った。
「左右の者。席を外せ」

 そばに控えていた蘭は心配そうな目をしてこちらを見ていたが、韓信は彼女にも言い渡した。
「蘭、君もだ。……蒯先生が内密の話があるらしい」
 蘭は終始無言で、それでも何かを言いたげな表情を浮かべていたのが韓信にはわかった。しかし、臣下の手前上、韓信は蘭に発言を許さず、他の大勢と同様に退出させた。
 蒯通にとって、この場で最も邪魔な存在が常に韓信の判断に賛意を示す魏蘭であったが、とりあえずはうまく彼女を遠ざけることができたのである。

「……さて、私が大王のお顔を拝見する限りでは、その位はせいぜい封侯どまりですな。しかも危険で安穏としていません」
「ほう……」
「しかし、尊いのは大王の背中の方でございます」
「? 背中に吉兆……それはいったいどういうことか」

 蒯通は説明を始めた。
「いま、楚・漢の両王の運命は、大王の手に握られております。大王が漢につけば漢が勝ち、反対に楚につけば楚が勝つでしょう。私が見るに……大王はどちらについても、最後には破滅を迎えます。漢が楚に勝てば、漢は次に斉を滅ぼします。楚が漢に勝てば楚は次に斉を滅ぼします」
「……本気で言っているのか。蒯先生は、楚の使者の言うことが正しいと思っているのか」
「私が思っているのではありません。単に人相を観た結果を申しているのです。しかし、あえて個人的な感想を付け加えるとすれば、観相は正しい結論を導きだした、と思っております」
「……続けたまえ」
「……大王のとるべき道は、楚・漢の両者を利用し、どちらも存立させ、天下を三分することです。鼎(かなえ・金属製の鍋・釜に似た器で、古来より王権の象徴とされる)が三本の脚で安定して立つかの如く、天下に三つの国を存立させることで安定をもたらすのです。お分かりでしょうが、三本の脚のどれかひとつでも失われると、鼎は倒れます。よって、この状況では先に行動を起こしてはなりません」
「三者鼎立……それでは蒯先生は事実上漢王を見捨てろと申すのか?」
 蒯通はこの韓信の問いに当時流行した諺を用いて返答した。
「天の与えを取らざれば、かえってその咎を受ける、時の至るに行わざれば、かえってそのわざわいを受ける、と申すではありませんか」

 機会を得ながら行動を起こさなければ、待ち受けるものは破滅である、ということであった。

 韓信は、否定したかった。しかし、蒯通が言いたいことは不本意ながら彼には理解できるのである。そのため、韓信は蒯通が離反を使嗾していることを知り、それをけしからぬことだと思いつつも、断罪することはできなかった。

         七

「武渉にも言ったことだが」
 韓信は蒯通が本気であると感じ、膝を交えてとことん話し合うと決めた。いつぞやのように賭けなどをして曖昧な結果に終わることは、避けなければならない。二人の話し合いは二人だけの問題ではなく、国の命運に関わることを思えば、当然であろう。
「……漢王は私を優遇してくださる。ある時はご自分の車に私を乗せ、またある時はご自分の食べ物を自らの手で私によそってくださった。それだけではない……漢王はご自分の衣服を私に着せてくださったこともあるくらいだ」
「漢王には漢王のお考えがあってのことでしょう。漢王は、要するにあなたに仕事をさせたがっているのです。自分のために敵を殺せと。自分が行く道を掃き清めろと。つまり……すべて自分のためです」
 あろうことか、蒯通はあからさまに漢王を誹謗してのけた。韓信はその事実に内心で愕然としたが、それに逆上して斬る気にはならない。彼は彼なりの表現で、自分を評価してくれているのだ。
「そうかもしれない。しかし、私は楚の項王のもとにいた時、身分は宮中の護衛でしかなかった。話はなにも聞いてもらえず、あの頃の私は鬱屈していた。そんな自分をここまで取り立て、育ててくれたのは、ほかでもない漢王なのだ」
「…………」
「私は聞いたことがある。人の車に乗った者は、その人の心配事を背負い、人の衣服を着た者は、その人の悩みを抱き、人の食事を食べた者は、その人のために死ぬ、と。これはすべて……私に当てはまる。私は一時の利益や打算に心を奪われ、欲しいままに振る舞ってよいものだろうか。道義に背きはしないか」

 蒯通は韓信のこの言葉を聞き、気の抜けたような溜息を漏らした。あきれて物も言えない、と言わんばかりである。
「大王。どうか……小事に拘られますな。きっとあなたはご自身では漢王に親しみを信じ、それによって遠い子孫の代までの安泰を望んでいるのでしょう。しかしおそれながら……私はそれは間違いだと思っております」
「……どういうことだ」
「ごく最近の話からすれば、そう、張耳と陳余の話がいいでしょう。かの二人は平民であった頃、互いに死を誓い合った関係でございました」
「ふむ」
「張耳は陳余に追われ、漢王のもとに走り、漢王は兵を貸し与えて張耳に陳余を討たせた。この時の貸し与えた兵というのが、大王、あなたのことです」
「そのとおりだ」
「結果、陳余の首と体は離ればなれになり、彼らの刎頸の交わりは偽りに満ちたものとして、天下の物笑いの種となったのです。しかし、私は趙にもいたことがありますのでよく存じているのです。あの二人の仲の良さは、天下広しといえども最高のものでした。それがこのような結果に終わったのはなぜか」
「なぜだ?」
「わざわいは過度の欲望から生まれ、なおかつ人の心は一定せず、常にうつろうものであるからです」

 陳余が張耳を除き、王になりたいと願った結果、張耳はそれを阻止しようとし、結果的に陳余は滅んだ。陳余の欲、張耳の欲から生まれた悲劇である。
 そして実際に陳余を滅ぼしたのは、韓信自身であった。人は欲に取り付かれると友情もたやすく投げうち、定見のない行動をとるようになる典型的な例である。

「ううむ……感じるものはあるが、しかし私が漢王との誼を捨てて覇道に走ったとしたら、同じ結果を生むことになりはしないか。大いなる欲の前に小さな友誼などは信用ならぬものだと言いたいのはわかるが……」
「大王が誼を大事になさっても、漢王がそれを重視するとは限りません。それを言いたいのです……納得なさらぬ様子ですな。では、もうひとつ、少し昔の話をいたしましょう」
「まだ、あるのか」
「このような例はいくらでもございます。数え上げればきりがありませんが、なるべく分かりやすい話を……。春秋の世における、(えつ)国の話がよいでしょう。越は呉に破れてほとんど滅亡しましたが、越王勾践(こうせん)は数々の屈辱を経ながらも国を復興させ、ついには呉を滅亡させるに至りました。そのとき越王を補佐したのが、文種(ぶんしゅ)范蠡(はんれい)という人物です」
「知っている。文種は治において、范蠡は武において勾践を補佐し、覇者たらしめた。しかし文種はある種の讒言が原因で自害を強要され、范蠡は勾践の性格に危険を察知し、事前に斉に逃亡した、という話だろう」
「然り。この二人は越王とともに苦難の時代を生き、その忠誠度は並外れたものでありました。しかし覇者となった勾践は文種に死を命じ、范蠡は半ば追放されるように国を去るに至りました。そのとき范蠡がなんと言ったか」
「それも知っている。『野の兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓はしまわれてしまう』と言った」
「そのとおり。以前にも私は大王に似たようなことを申しました」
「覚えている……。あのとき私は君のことを、ひどく不遜なことを申す奴だ、と思ったものだ。だがやはり……いまでもその印象は変わらないな」
「申し訳ございません。しかし、よくお考えを。大王と漢王の友誼は、張耳と陳余のそれ以上であったか。あるいは君臣が互いに信頼し合うこと、文種・范蠡と勾践以上であったか。おそれながら私は、いずれにも及ばないと思っております」
「…………」
「大王、あなたは人臣の身分でありながら、君主を震え上がらせるほどの威力を持ち、名声は天下に鳴り響いております。輝かしい経歴であることは確かですが、私は心配でなりません」
「…………」
「ここであなたが独立を宣言すれば、天下に蔓延する流血劇は終わりを告げるのです。やもめやみなしごは生まれなくなります。そのことをよくお考えください」
「うう……蒯先生……今日はもうその辺にしていただこう。私もよく考えてみるゆえ……」

三国は鼎の脚の如く

         一

 蒯通との会話を切り上げた韓信は、居室に戻ると侍従の者に蘭を呼ぶように言いつけた。彼としては曹参に先に相談するべきか迷ったのだが、考えてみれば劉邦の腹心たる曹参が韓信の自立を支持するはずがない。韓信にはそもそも自立の気持ちはなかったが、それでも曹参を相手に結果のわかりきった相談をするよりは、蘭を相手にした方が客観的な意見が聞けると思ったのである。

 また、蒯通との対話に常にない疲労を感じた韓信は、無意識に蘭に癒しを求めた。
 ふとそのことに気付いた彼は、
――自分も、いつの間にか弱くなったものだ。
 と感じるのである。
 それが自分にとって良いことなのか悪いことなのか、一概に断定することはできない。

 召し出された蘭は、間もなく韓信のもとに現れ、常と変わらない挨拶をした。
「将軍、蘭にございます」
 蘭が韓信のことをいまだに将軍と呼ぶのは、韓信の希望によってのことである。

「早かったな。蘭……」
「お召しがあるものと思っておりましたので。……それで蒯通さまはどのようなことを?」
「うん……一言でいうと、自立しろと。そうしないと私自身の身が危ういそうだ。漢王にも項王にも味方せず、三国鼎立の世を実現しろと彼は言った」
 その言葉を聞いた蘭が漏らした感想は、
「いかにも蒯通さまが言いそうなことでございますね。理には適っていると思います」
 というものでしかなかった。

「……それだけか?」
 蘭の態度が意外にもそっけないものだったので、韓信は不安を抱かざるを得ない。もしや、自分は見放されたのではないか?

「いえ、私の意見などよりも重要なのは、将軍の意志でございます。将軍が蒯通さまの言うとおり行動することにしたのであれば、私は無条件にそれに従います」
 求められもしないのに意見などしない。臣下のとるべき態度としてはそれが正しいのかもしれないが、この時の蘭の態度はいつも以上にそれにこだわっているかのように思えた。いつもの蘭なら、そのような態度を必要以上にとることはないし、自分もそれを全く気にしたことはなかった。

――つまり、彼女の本心は反対なのだ。
 韓信はそう考え、口に出してはこう言ってみた。
「蘭には蘭の考えというものがあろう。私は、それを聞きたいのだ」

 蘭はしかし、あくまでも、
「私の考えよりも」
 と前置きし、韓信の主張をまず先に聞き出そうとした。
 韓信はもはやただの一将軍ではなく、王となった。それであるからにはまずは王が先に意見を主張すべきだ、と思ったのであろう。
「将軍がどう思うかが重要です。王の施策を実現するために幕僚は努力するものでございましょう? 幕僚の施策を実現するために王が努力するのは、順番が逆でございます」
「もっともなことだ。しかし、肝心の私の意志が定まらない。だから君の意見を聞きたいと思ったのだが……。正直な話、蒯先生の話は身につまされる思いがして、よくわかる。だが、いざ実行するとなると、どうか? 漢王に対してはあまりにも申し訳ない。項王に対しては、三国鼎立など通用しないように思える」
「それはそうでしょうね。仮に三国が並び立つ世になったとしても、争いはなくならないでしょう。項王は覇気の趣くまま行動し、斉を攻撃するかもしれません。そのとき漢が助けてくれるかどうか」
「……いやなことを言う。助けてくれるに決まっているではないか」
「……さあ、どうでしょう」

 二人の間に沈黙が流れた。韓信は思う。蘭もまた蒯通と同じことを言おうとしているのか。
「将軍が漢王に対してあくまで義理立てをし、忠誠を尽くすべきだとお思いでしたら、なにを迷うことがありましょう。そうなされば良いのです。……ですが、将軍はその見返りを望んではなりません。望んでも裏切られるだけでありましょうから」
「! では、私は結局どうすれば……」
「いやなことを思い出させるようですが……将軍がカムジンをお裁きになったときにいった言葉……『君の良心はなにを告げたのか』……いま将軍はこの言葉をご自分に投げかけるべきだと存じます」

 確かに自分は漢の国家樹立のためにここまで働いてきたのであって、幾多の敵を殺してきたのも、自らが斉王を称したのも、あくまで統一のための手段であって、目的ではない。たとえ戦乱に終止符を打つという崇高な理念を称して漢から独立を果たしたとしても、それでは未来の自分へ与えられる称号は「裏切り者」、「変節者」といった類いのものであろう。
「手っ取り早く戦乱の世を終わらせるためには、あるいは私が自立することも有効かと思ったのだが……やはり思い違いのようだ。早まりすぎた考えだった」
 韓信はそう言い、蘭の助言に謝意を示したのだが、このとき蘭は意外にも世の中に対する諦念ともいえそうな言葉を残した。
「人の世が人の世である限り、争いがなくなることはございません。諸国間の戦争が終わり、統一国家が樹立されたのちに、待ち受けるものは結局内乱でございましょう。ですから将軍はもっと気楽に……人の世の運命を背負い込むようなお気持ちをもつのはおやめになった方が良いかと存じます」
 確かにそのとおりであった。韓信はそう思い、自分の無力を嘆いたが、それこそが思い上がりだということに気が付いた。

 戦争の後には内乱が……。あるいは内乱の時に、自分は再び必要とされる存在となるのだろうか。それは鎮圧者としてか、それとも内乱の首謀者としてか。

 蘭にはそのような自分の未来の姿が見えたのだろうか。韓信はそのことを聞こうかと思ったが、結局やめにした。答えを知るのが怖かったからである。

         二

 広武山での楚・漢の対立は泥沼化し、なかなか進展を見せない。楚は軍糧の補給に苦労し、このときの軍中には、次第に飢えの徴候が現れてきている。

 これに対し漢は敖倉を後背に抱え、食料に関する問題は抱えておらず、楚が飢えて弱ったところを攻撃すれば、あるいは勝てたかもしれなかった。
 しかし項羽の圧倒的な武勇が、劉邦にそれを思いとどまらせた。加えて劉邦の父と妻を人質に取られているという事実は、彼らに行動に慎重さを要求した。
 このため、広武山の攻防において、常に先手を打つのは楚の側である。

 谷を挟んで、楚軍はしきりに漢軍を挑発したが、劉邦はどのような嘲りを受けようとも、まともに取りあおうとはしなかった。それにいらついた項羽は、軍中から壮士を選抜し、一騎打ちで漢に挑ませることに決めた。

 士気向上のための余興のようにも思われるが、項羽としては狙いがある。楚の壮士が次々に漢の壮士を撃ち破れば、さしもの劉邦も自軍の士気の低下を恐れ、自ら姿を現すに違いない、と考えたのだった。

 かくして武勇自慢の楚の壮士の一人が軍門から出撃し、騎馬で谷を降りていった。
「我と勝負せよ」
 長柄の矛を構えた壮士は、そう言って漢軍に勝負を挑んだ。
「誰もいないのか。漢は腰抜けばかりの集団だと聞いていたが、なるほどその通りよ!」
 壮士はそんな調子で漢軍を狼藉し始めたので、たまりかねた劉邦は左右の者に、ぼそりと言った。
「仕方ない。誰か、出せ」

 この命を受けて、漢の軍門から左手に短弓を抱えた一人の騎馬武者が姿を現した。巧みな騎術で谷をくだり、馬上で矢をつがえながら、彼は言った。
「私が、相手だ」
 言うと同時に短弓から矢が発射される。矢は突進してくる楚の壮士のこめかみを正確につらぬいた。あっという間の勝負である。
「あれは……楼煩だ! そうに違いない」

 楚軍の兵士はみな一様に恐れ、おののいた。漢の楼煩兵はそれを当然の如く受け流し、つぶやく。
「一人目……次、出てこい」
 その声が聞こえたかどうかは定かではない。しかし先に仕掛けた以上、引くことのできない楚の側としては、次の壮士を前面に出すしかなかった。

 この状況で楼煩の弓術にまともに張り合おうとするのは、無謀とも言える。楚の壮士がいくら剣術や槍術に長けていても、接近することができなければ、威力を発揮することはできない。
 よって二人めの壮士は突進しつつ弓を構えて相手の楼煩に狙いを定めて射ったが、楼煩兵は馬を操り、そのことごとくをかわした。そして相手が短弓の射程内に入ったことを確認すると、静かに狙いを定めて矢を放つ。
 矢はやはり正確に楚兵の目と目の間をつらぬいた。

「二人目……。次!」
 言うと同時に楼煩は馬を走らせ、楚の軍門との距離を縮めた。相手が射程に入るまで待つ時間の無駄を省こうとしたのである。

 楚の三人めの壮士は軍門を出たと同時に、射殺された。
「次!」

 そのとき楼煩兵の視界に大柄な兵の姿が見えた。手には戟をとり、きらびやかな甲冑を身に付けている。
「四人目……」
 楼煩は矢をつがえ、その人物を射とうとした。しかし、不思議なことに、それ以上体がいうことをきかない。手はこわばり、目は目標を直視することができなかった。
 彼は突如恐れをなしたようにその場を離れ、一目散に軍門のなかに逃げ込んだ。

「……項王だ! 項王がいる!」

 逃げ帰った楼煩は狂ったように喚いた。項羽は楚の四人めの壮士として、自分自身を前線に配置したのであった。

         三

 項羽とあえて一騎打ちを挑もうとする者など、漢軍の中にはいない。出れば殺されるのはわかっており、劉邦自身もそれを理解していた。
 しかし、理解していながら、この場に至っては出ざるを得ないのが実情であった。
 漢は楚に比べて全体的に武勇で劣るので、生存を望む兵は楚に靡くのが自然な流れである。だが漢は食を保証することで兵の流出を防ぎ、どうにかここに至っている。
 だが、それも限界であった。項王を恐れ、すごすごと逃げ出すような王に兵がいつまでも心服するはずがない。

――いま、この場に韓信がいたら……。
 劉邦はそう考えたが、すぐさま首を振ってそんな考えを頭の中から追いやった。韓信が項羽に打ち勝つことになったら、兵は韓信に従うだろう。そんな事態になっては、自分の存在意義など無きに等しい。

 劉邦は意を決し軍門を出て、項羽と対峙することにした。しかしわかりきったことだが、武を競い合って敵う相手ではない。劉邦は両軍の兵たちが見守る中、項羽を論破することにしたのである。

「項羽! 貴様ほど悪逆な者は天下にはおらぬ」
 谷を隔てた会見が始まった。両軍の兵士は等しく息をのみ、誰もひと言も発しない。
「天下を貴様の手に渡すわけにはいかぬ。なぜならば貴様は罪の多い男だからだ。わしはそれを証明するために、いまここに貴様の罪を列挙してやる。数えきれないほどの罪だが、だからといって、どれも見過ごすわけにはいかん」

 項羽は本来こらえ性のない男であったが、この場では怒りをあらわすことなく、なにも言わなかった。劉邦の出方に虚をつかれたのか、それともお手並み拝見、とでも思っていたのか、この時点では定かではない。

「罪の一つ! かつて懐王は先に関中に入った者を関中王と定めるとしたが、貴様は約束を違え、わしを蜀漢の王とした」
「二! 貴様は卿子冠(宋義のこと)を偽って殺し、自ら大将軍の座についた」
「三! 貴様は趙を鉅鹿に助け、それが終わると懐王に断りもなしに諸侯を引き連れ、函谷関に入った」
「四! 懐王は秦国内では暴虐な行為を働くなと命令されたにも関わらず、貴様は宮殿を焼き、始皇帝の墓を暴き、財物をことごとく私物化した」
「五! 貴様はやはり断りもなく、独断で秦王子嬰を殺した」
「六! 貴様は悪逆な方法で秦の士卒二十万を新安で穴埋めにし、秦の降将章邯を勝手に王に封じた」
「七! 貴様は自分の部下にばかりよき地を与えて王とし、もとの王を辺地に移し、天下に争乱を起こさせるに至った」
「八! 貴様は義帝(懐王)を郴県に追いだして彭城を都とし、韓王の地を奪い、梁・楚の地をあわせて王となり、欲望のまま広大な領地をとった」
「九! 貴様は江南においてひそかに人に命じて義帝を殺させた」
「十! 貴様は人臣の身でありながら主君を殺した。また、降伏する者を殺した。政治をとっては不公平、誓いを破ってばかりで義に背く。天下に轟く大逆無道とは貴様のことだ」

 劉邦はあらかじめこのような項羽に対する誹謗を暗誦でもしていたのであろうか。
 この場に及んでこれほど項羽に対する中傷を列挙してみせるとは、よほど胆力の座った男でなければできない行為である。単なるごろつきの出身であったと言われる劉邦であったが、やはり天下に覇を唱えようとする資質があった、ということか。だがそのこと自体が「一種の狂人である」とも言えないことはない。

「貴様はわしと決戦しようと、そこに突っ立っておるが」
 劉邦は次第に気分が高揚してきたのか、滑舌も良く、調子に乗っている。
「貴様を討つことは、わしにとって賊に誅罰を与えるのと同じことだ! よって貴様を討つのは、貴人たるわしの仕事ではない」

 項羽は狼藉を浴びせられながら、まだなにも反論しないでいる。劉邦はそのことにさらに気分を良くし、最後のひと言を発した。
「貴様を討つ仕事はわしではなく、刑余の罪人こそがふさわしい!」

 おお、というどよめきが両軍の兵士の中に起こった。
 しかしそれもつかの間のことであった。どよめきは漢兵の悲鳴によって、かき消されたのである。

 劉邦があおむけに転倒しているのであった。
 どういうわけか、ぴくりとも動かない。誰もなにが起きたのか、理解できないでいた。

 これを確認した項羽は、後方に控えた兵に声をかけ、その場をあとにした。
「よし。よくやった……あとで褒美を」

 項羽の後ろに隠れていた兵が、劉邦めがけて弩を放ったのである。これが劉邦転倒の原因であった。

 弩から発射された矢は、劉邦の胸板に命中していた。

         四

「……人の意見を聞くことが、まず第一。第二にはその意見をもとに計画を練ること。これが物事を成功に導く手段でございます。間違った意見を尊重し、適切な計画をたてることなく、長い間安泰であった者は、稀です。大王、決断は知ることの結果であり、逡巡は物事の妨げなのですぞ」
「わかっている」

「細かな計算を充分たてているつもりでも、天下の大きな見通しを持たぬことは、木を見て森を見ないことと同じです。また、知識を得ておきながら、決断して行動に移す勇気を持たぬ者に幸福は訪れぬ、といわれています」
「ふむ」

「猛虎の逡巡は、蜂が刺すのに劣る。進まぬ駿馬は、鈍い駄馬の歩みに劣る。勇者の気後れは、凡人の決断に劣るのです」
「…………」

「功業は成功しにくく失敗しやすいもの。機会というものは、つかみにくく失いやすいものなのです。時は来れり。おそらくは、いまこそが一生に一度の機会なのですぞ。これを逃せば、二度と機会は訪れますまい」

 蒯通は、韓信が小さな恩義にこだわり、決断しないことに憤りを感じていた。もし自分が韓信の立場であったら……ためらうことなく決断する。
――乱世の武人であるという、自覚が足りないのだ。
 蒯通は韓信の悩む姿を見るにたびに、そう思う。およそ天下に覇を唱えようとする人物などは、人のことを人と思ってはならない。世界を敵に回す覚悟が必要なのだ。
――しかし、残念なことに、この男にはそれがない。能力は有り余るほどなのだが……。
 だが、それを理由に韓信を責める気にはならない。そもそも蒯通は、韓信に覇王となる意志がもとよりないことを知っていたからだ。本人の意志とは無関係に、勝手に話を進めているのは自分の方であった。

――私の思いは、果たされることがないだろう。
 蒯通は、半ば諦めている。それでもこうして説得を続ける自分が、不思議でたまらない。

 もともと蒯通は縦横家として、君主の意を酌み、その王業を助けるために弁を武器として諸国間を渡り歩くべく身をたてたのであった。しかし、思い返せば、自分が弁をふるった相手は君主たる韓信に対してばかりで、その意味ではまったく王業を助けているとはいえない。
――斉王自身が項王や漢王相手に対抗意識を燃やしてくれなければ、私が彼らを相手に弁論する機会は、訪れない。
 ということは、自分は武人ではないが、あるいは韓信のように乱世に名を轟かしたいだけなのか。天下の趨勢を変える弁士として活躍の場を得たい、ということなのか。

 そう考えてみると、自分が韓信を相手にくどくどと長広舌をふるう理由が、次第にわかってきた。
――私は、斉王の活躍を、妬んでいる。……いや、妬んでいるとはいっても、彼を憎んでいるわけではない。私は、彼に憧れているのだ……そうに違いない。

 はたして自分は単に王業を助けたかっただけなのか。もしそうであれば最初から項王や漢王に仕えていれば、その目的は果たせたはずだ。しかしあえて自分はそれをせず、韓信を選んだ。それはなぜか?
――彼が若く、可能性を秘めていたように見えたからか……。いや、彼の年齢は項王とさほど違いがない。だとすれば、自分が彼に惚れ込んだ理由は、彼の若さだけではないはずだ。

 項羽や劉邦にあって、韓信にないもの。それは他者を威圧するような鋭気に満ちた態度であった。反対に韓信にあって、項羽や劉邦にはないもの。それは冷静に現実を見据える目であった。
――初めて彼の姿を見たとき、既に彼は漢の大将として数々の武勲を誇っていたが、外見の印象からはまったくそれを感じさせない、普通の青年のように見えたものだ。
 見る者によっては、韓信には覇気が足りなく、冷めた感情で物事を判断する傾向があり、頼りなく感じたことだろう。しかし、実際は彼のそのような性格が数々の武勲を生じさせたのである。

 例えば韓信は、勝つためには自尊心など捨て、平気で負けるふりをした。劉邦はまだしも、項羽などには絶対あり得ない行動である。
 そして韓信は、再三にわたって自分を囮にして、敵将を討ち取った。常に危地に身を置き、それによって勝利を得ようとする行動は、項羽はまだしも劉邦にはない。
 しかもそれらはいずれも、敵に勝利し、かつ自分が生き残るための最も有効な手段だったのである。このように、韓信はすこぶる冷静な判断を下す男であった。

 その韓信は、狡猾な敵将を相手に、それ以上の狡猾さを発揮して撃ち破った。また、偏った知識に凝り固まった敵将を、それを上回る知識の高さで撃ち破り、傲岸かつ腕力自慢の敵将を、それをあざ笑うかのような知恵で撃破した。
 蒯通はそばでそれを見ていて、そのたびに痛快な思いをしたことを思い出さずにはいられなかった。楽しかったのである。

――この人物であれば、確実に王となれる。私はそれを助け、天下に絶対的な覇王を生み出すのだ。
 蒯通は無意識のうちに、それを自分に義務として課したに違いない。

――しかし、私はどこかで思い違いをしていたのかもしれぬ。常に現実的な判断を下す韓信は、覇王となって時流に乗った生き方をすることを拒んでいる。思えば彼は、将来に夢を馳せるあまり、現実と夢の区別がつかなくなるような若者ではなかった。これは韓信より、私の方が夢見がちな性格であった、ということか?

 蒯通はそれに気付いたが、それでも韓信の返答に一縷の望みを託している。藁にもすがる思いであった。
 しかし、それも将来に夢を馳せていることに変わりがない。

          五

「学者というものは、似たような考え方をするものらしい。かつて酈生は私に、『漢の世になっても、それに属さず、独立を保て』と助言を残した」

 韓信は蒯通を前に重い口を開き、話し始めた。
「このことは内密に頼む。酈生は漢の功臣として死んだ。その彼が私に謀反を唆したという記録を残したくない」
「承知しております」

 蒯通には、もとより会話の内容を他言する意志はない。それもそのはず、彼が韓信に訴えているのは、他ならぬ謀反の勧めであったからだ。説得に失敗し、ことが曹参や灌嬰などに漏れると、自分の命が危ない。

「酈生は私に独立したほうが、孤高を保てると遺言を残したが、思うにそれは私の個人的な性格を考慮した上での発言で、戦略的なものではない。……彼が私に独立を勧めたのは、私が基本的に他者との濃密な関係を嫌うことを察してのことだと思うのだ。つまり、無理をして人の上に立つよりは、誰とも関わらず、世捨て人のように生きろと……」
「…………」

「私は、どちらかというと他者と向き合うよりは、自分と向き合う方が好きだ。私の周囲には愛すべき人物が多数いるが、残念ながら世の中には、そうでない人物の方が多い。君も知っていることと思うが、私はかつて無法者にいわれのない侮辱を受け、その者の股の下をくぐったことがある……このうえもない屈辱だった。……私は王となったからには、あのような無学な、人を侮辱することを楽しみとしているような……とにかくあのような人物を、この世から一掃したい、と思っている。だが、人道的な観点から判断すると、それは間違いだ。強権を武器にそのような人物を有無を言わさず抹殺することは、人道に反する。それを私が行えば、私自身が彼らを批判する資格を失ってしまうのだ」
 韓信が昔の屈辱について言及するのは、極めて珍しい。自ら語ることがなかったので、多くの人は韓信が昔のことを気にも留めていないと考えがちであったが、本当はそのようなことはなく、彼は忘れていなかった。
 蒯通は韓信の恨み節ともいえそうな今の発言内容に驚きを感じざるを得ない。

「漢王に関しても、また然り……。かつて君と私は、漢王の私に対する扱いに関して賭けをしたことがあったな。あの時の勝負は曖昧な結果に終わったが、今に至り、私は断言することができる。……賭けは君の勝ちだ。漢王の私を見る目は猜疑に満ちている」
「そうでしょう。だからこそ私は……」
「ただし」
 韓信は語気を若干強めた。おそらく自分に言い聞かせているつもりなのだろう。蒯通はそう思い、口を閉ざした。

「漢王が恐れているのは私の指揮能力であって、私個人ではない。例えば私と漢王が二人きりで対面している際に、漢王は死の恐怖を感じたりするだろうか? 韓信に殺される、と思ったりするだろうか?」
「……どうでしょう。私には、大王がその腰の剣で漢王をひと突きにするとは、思えません。しかし、漢王もそう思うとは断言できますまい」
「いや、私には断言できる。漢王は自分が殺されないとわかっているからこそ、私の勢力を削り、印綬を強奪するなどの行為を平然と行う。本気で恐れているのであれば、そのようなこともできはしないはずなのだ。つまり、私は漢王に一方では恐れられながら、一方では、なめられている」
「では……」
「しかし、なめられるのは、当然のことだ。私は彼の臣下なのだからな。つまり漢王は、私のことを恐れながら、まだ私のことを臣下として扱ってくださっている。臣下たる私としては、それが屈辱だとしても甘受するのが当然だろう」
 蒯通は、ここに至り、韓信の言いたいことが理解できた。彼は、あえて鉾を収める、と言いたいのだろう。蒯通は全身の力が抜けていくのを自覚した。

「私は屈辱を受けたとしても、仕返しをすることを恐れる。自分で言うのもおかしいが、私は……計算高い男だ。仕返しをしようと思えば、緻密な計算でそれをやりきることができる。小は淮陰の無法者から、大は漢王に至るまで……。だが、仕返しは仕返しを呼び、結果、私は天寿をまっとうできないだろう」
「では大王は、漢王に忠誠を尽くすと……? 自立はしないと?」
「そうだ。侮辱を受けたとして、それに武力で対抗するのは、私の良心が許さない。正しいと思えぬ。ためらう理由がある以上、実行すべきではない、というのが結論だ。たとえ漢王が私のことを恐れ、邪険な扱いをしようとも、私自身が自重すれば、決定的な破局は免れる。漢王が自ら破局を招こうとするならば仕方ないが、あえて私の方からそれを招くことはない」
「大王の名は後世に忠臣として伝わることでしょうな。しかし、それは悲劇的なものでありましょう」
「……裏切り者として名を残すよりはましだ」

 蒯通は絶望した。彼の意見は取り入れられなかったのである。失意のうちに座を立とうとする蒯通であったが、そんな彼に韓信は別れ際、ひとこと言葉を添えた。
「蒯先生……」
「は……」
「ありがとう。君が意見してくれたおかげで、私は深く考え、自分を見つめ直すことができた。今後思い迷うことがあれば、私は君の言ったことを思い出し、それをもとにどう行動すべきか決めるだろう」
 このときの韓信の発言は、本人にとっては単純な謝意の表明のつもりであったに違いない。
 しかし、蒯通にとってはこれが別れの言葉のように思えたのである。

         六

 斉は幼い子供まで猜疑心が強く、民衆の端々に至るまで謀略に満ちた国である。首都の臨淄はかつて学問の都であったが、その影響からか民は純朴ではなく、中途半端な知識を持ち、口答えすることが多い。また、刃傷沙汰も多く、城市には無頼漢がはびこり、治安がいいとはいえなかった。これについては諸説あるが、かつて斉の最大有力者であった田文(孟嘗君)が諸国から食客を集め、それによって繁栄を得たが、一方で愚にもつかない無法者も斉に集結したことによるものだとされている。
 この時代の無頼漢たちは、その子孫であるらしかった。

 このためにわかに王を称した韓信にとって、斉を治めることは楽な仕事ではない。もともと人が感情を優先して行動することを本質的に嫌う彼は、統制された国家を望んだ。すなわち、法によってすべてを管理し、城市には軍隊が巡回するような国家である。
 しかしそれが行き過ぎると民衆の反発を招き、暴動や反乱を招くこととなる。このため曹参や魏蘭が助言を与えるとともに、統治策に修正を加えたりして、どうにか斉は運営されている、というのが現状であった。

 韓信は自分のあずかり知らぬところで事件がおき、それが重大な結果を招くことを極端に恐れた。このため城市でささいなことがあっても、韓信のもとに通報が届くような仕組みづくりをしている。
 警察国家のような傾向があり、韓信自身もそれが最良の策だと信じて行っていたわけではない。しかし、彼がそのようにまるですべてを把握しようと努力したことには、理由があった。
 かつての邯鄲での出来事は、自分の統治能力への不信を呼び起こすとともに、大事な人物を失う結果になった。韓信はそれを再現させてはならないと思い、必要以上に民衆を監視する政策をとったのである。

 この日、韓信のもとに届けられた報告は、かつて耳にしたこともない、異様なものであった。
「市中に妙な話を神託として触れ回っている狂人がいる」
 というのが、その第一報である。韓信は、胸騒ぎがした。
――革命は、神託から起きる。それがどんなにくだらぬ内容でも……。

 神託が真実かどうかは、問題ではない。問題はそれを触れ回る者がどのような意志をもっているか、であった。実際に陳勝と呉広は架空の神託をたよりに、革命をある程度、成功させたのだった。韓信としては、単なる珍妙な出来事として捨て置くわけにはいかない。
「詳しく調べ、逐一報告せよ」
 韓信はそう命じたが、そのうち落ち着かなくなり、自分で確かめようと、ひそかに市中に出かけた。斉王だと市中の者に悟られぬよう、連れには蘭だけを選んだ。

「護衛は、必要ないのですか?」
 蘭は韓信の不用心な行動を案じ、そう尋ねた。
「目立たぬようにしていれば心配ないだろう。それにもともと護衛などいらぬ。私は、ある程度剣技には長じているから……。もし道ばたに項王が潜んでいたら死を覚悟するが、まさかそんなことはないだろう」
 韓信はこのとき冗談を言ったらしかったが、蘭としては落ち着かない。彼女としては、道ばたで韓信が命を落とすことが天下の趨勢にどんな影響を与えるのか、想像するだけで恐ろしかったのである。
「いざという時には、君のことも守り通してみせる」
 その言葉は、頼もしいことは確かだったが、韓信らしくないとも感じられた。不安を打ち消そうと、無理に発した言葉のように思えたのである。

「……ああ、あれのようです」
 蘭が指差した先には、世にも珍妙ないでたちをした初老の男が、やはり珍奇な舞を披露していた。額には鉢巻きをし、両手に松明を持ち、ほぼ全裸に近い格好で何やら聞き取れない言葉を大声で発している。
 よく耳を凝らしてみると、彼は世の行く末について予言をしているかのようであった。顔や体を白い塗料で塗りたくり、舞っている。
 それは……極めて原始的な神官の姿であった。

「……黄河は血の色に染まり、名は改められる。赤河と! 蝗は人肉を喰らい! 大地は血で染まる! 雨は降れども草木は枯れ、風は吹けども熱は冷めず! 飛ばぬ鳥は犬に喰われ、走らぬ犬は蟻に喰われる。三王は喰い喰われ、やがて空も血の色に……ひひ……おぇ」
 その男は大声を出すために腹に力をいれすぎたのか、道ばたに這いつくばって胃の中のものを吐き出した。滑稽なようにも見えるが、一種の神事のようにも感じられた。
「なんだ、あれは。なにを言っている」

 韓信と蘭は揃ってあっけにとられ、しばらく物も言わずにその男の姿を見つめていたが、そのうち、二人ともやりきれぬ思いに耐えきれず、涙が流れてくるのを抑えられなくなった。
「ひひ……信……信ではないか。ぎゃは! 蘭……お前たちにいいものをやろう」

 その男はこちらに気が付くと近づいて、二人に水銀で練った仙薬を手渡した。
「不老不死の薬だで! それを呑めば千年の長寿。ぎゃは!」

 その男はそう言い残すと、振り向きもせず走り去っていった。
 手に残された水銀の塊は、ただの毒の塊に過ぎない。かつては薬として処方されたこともあったが、この時代にそれを信じて呑むことは、気違いを証明することであった。

「……蒯先生……!」
 韓信は涙にくれ、大地に膝をついた。
 蘭は嗚咽し、水銀の塊を地に投げつけた。

 韓信の決断は、蒯通の気をふれさせたのである。
 しかし、蒯通が本当に気狂いを起こしたのか、というとそうではない。
 謀反を使嗾した蒯通は、処断されることを恐れ、気違いのふりをしたのである。
 叛逆を使嗾した時点で既に気がふれていたのだと彼はその行動によって、主張したのだった。後難を恐れての行為である。

――私が、君を殺すと思うのか! 君は、私をそんな男だと……!
 韓信はそう思ったが、もはやどうすることもできない。自分の決断が、彼にあのような行動を起こさせたことを後悔するべきかどうかも見当がつかなかった。

 蒯通は二度と韓信の前に顔を見せなかった。狂人を装い、逐電したのである。たとえ韓信が決断を後悔したとしても、結果は変わらなかったことだろう。

 蒯通の立案した三国鼎立の戦略はこの時代に成立することはなかったが、これより四百年後に活躍する諸葛亮という人物に見出され、実現される。「天下三分の計」としてあまりにも有名なこの策は、元来劉邦、項羽、韓信の三人の王を分立させ、その武力均衡によって社会を安定させるという蒯通の策をもとにしたものであった。

対峙の果てに……

         一

 広武山に陣する項羽のもとに、武渉が韓信の説得に失敗した知らせが入った。
「韓信は、わしに味方せぬ、ということか。さもあろう」
 傍らに控える鍾離眛は、思案を巡らせては見たものの、良い案も浮かばず、押し黙っていた。
「味方でない者は、敵である。敵は滅ぼすもの。……韓信を、斉を攻撃せよ」

――やはり、こうなるのか。
 項羽の命令を聞き、眛は嘆息した。項王の思考は単純すぎる。今この状況で、これ以上兵を割くわけにいかないことがわからないのか。
「漢との対立が長引き、軍糧も不足している今、斉を攻撃する余裕はございませぬ」
 眛はそう言って再考を促した。配下の将軍に過ぎない立場の自分としては行き過ぎた言動である。しかし、それをわかっていながら言わずにはいられない眛であった。

「彭城の兵を北へ差し向け、斉の動きを牽制するのだ。韓信をここへ来させてはならん」
「しかし、韓信の動きに気を取られ、彭城の守備が手薄になれば、西の彭越、南の黥布に行動の自由を許すこととなります。奴らはこれ幸いとばかりに彭城へなだれ込むでしょう」
 これが漢の軍略の妙であった。項羽が目前の劉邦率いる本隊にばかり気を取られている間に、別働隊が諸地方を制圧し、いつの間にか楚を取り囲む。眛にはその軍略が完成の時を迎えているかのように思えた。
「その時は、以前のようにわしが兵を返し、彭城を奪還する。まして今、劉邦は倒れた。死んだかどうかは定かではないが、傷つき動けないことは確かだ。漢に最後の一撃を加えてこれを殲滅し、疾風のごとき早さで彭城に帰る。できぬことはない。なにを思い煩うか」

 このときの項羽の表情は、いつもの激情家のそれではなく、傷つけられた少年のようなものだった。眛は項羽に対して、韓信の懐柔を諦めるべきではないと言いたかったのだが、結局その表情を見てなにも言うことができなかった。
――項王は本来、武の人である。考えてみれば、その項王がかつて自分のもとを去った韓信に、頼んでまで戻ってきてもらう立場をよしとするはずがない。……思えば、悲しいものよ……。項王や漢王、韓信らの戦いは、天下の命運を左右する……しかし、同時にそれは単なる男の意地のぶつかり合いに過ぎぬかもしれぬのだ。
 眛は立ち去っていく項羽の背中を見つめながら、そんなことを思うのであった。

 居室に戻った項羽を、ひとりの若く、美しい女性が出迎えた。
 しかし彼女は、項羽の姿を見ても、型にはまった挨拶の口上などは述べたりしない。ただ、にこりと微笑んでうやうやしく頭を下げるだけである。
「やあ……待っていたのか」
 項羽の言葉に女性は、微笑みながらこくりと頷き、恥ずかしそうに下を向いた。それを見ると項羽は、なんとも表現しようのない幸福感に満たされるのである。

「お酒を……いま、お持ちいたします」
 そう言って立ち上がった女性の姿は、驚くほど細い。巨漢の項羽と並べると、ひとすじの糸のようであり、見るからに繊細な、壊れやすい細工品のようであった。

 項羽は、繊細なものが好みであった。自分が支えてやらなければ存在できぬもの、余計な理屈抜きで自分に庇護を求めるもの、自分を愛してくれるものを無条件で愛した。
 この女性はその典型であり、名を()といった。

 項羽は虞に対して、たまに天下の動静の話をする。このときも、
「劉邦は倒れ、もう少しで漢は滅ぶ。そうすればわしは東に走り、斉の韓信を討つだろう。それで天下の趨勢はほぼ定まる」
 などと話したが、虞はこれに対し、やはり微笑みを返すだけであった。
 項羽が虞を愛する理由は、この邪心のない微笑みだけで充分であった。

 虞の手から注がれる酒を受けながら、項羽は考える。
――なぜ、世の人々は、この女のようにわしのことを受け入れることができぬのか。わしを愛せば、わしはその愛を裏切りはしない、というのに……。
 驚くことに、暴虐を謳われた項羽は、自分のことを愛されるべき人間だと信じていたのである。貴族として生まれた者に特有の考え方であろうか。

 しかし、実際に彼は、自分の庇護の下にある者の信頼を裏切ろうとしたことはない。
 かつて韓信は項羽のことを自分の部下に対して吝嗇な男だと評したことがあったが、事実そうであったかは、疑わしい。要するに項羽の寵愛の度合いが低い者にとっては、自分に対する扱いが他者に比べてぞんざいなものに思えるだけであって、この種の批判の矛先は、項羽に限るものではない。

――わしをけちな男だと評するのは、わしの愛を受けるべき資格を持たぬ奴らばかりだ。……そして、そのような奴らはいまに滅びる。
 項羽は平素そのようなことを考えていたが、このとき夕日の赤い光を浴びた虞の神々しいほどの美しさを見ると、それは確信となっていった。

――わしを愛するこの虞の美しさは、どうだ。まるで神のようだ。神が滅びることなどあり得ぬ。
 その思いが、神でさえ自分を愛するというのに、自分を愛さぬ者が滅びぬはずがない、という思いに転じた。

――劉邦は、あのまま死ぬに違いない。
 項羽には自分を愛さない者の末路が見えたような気がした。

         二

 胸に当たった矢は突き刺さり、非常に強い衝撃を劉邦に与えた。さらにその衝撃によって劉邦は転倒し、頭を打ち、気を失った。

 どれほどの時が経ったのだろう。劉邦が再び目を開けたときには、谷の向こうに項羽の姿はなく、岩場に一人きりで立っていたはずの自分のまわりには、張良や陳平などの幹部たちが輪をなしていた。
「お気付きになられたぞ!」
 周囲の男たちは口々に劉邦の無事を祝い、喜びの声をあげた。劉邦は、うつろな意識の中で、それを腹立たしく感じた。
――痛い……なんという痛みだ。こいつらはなにがそんなに嬉しいのか。人の痛みも知らず……。
 しかしその思いは、自分にも当てはまる。劉邦は数々の部下の死によって、現在の地位を保っているのだった。
 実際に矢傷を受けた痛みを体感した彼は、自分のためにこれに倍する痛みを感じながら死んでいった者たちの苦しみにはじめて思いを馳せることになった。

――紀信や周苛を始めとして、わしに命を捧げてくれた者は、数多い。その中には名も知らぬ者も多いが……どうして彼らがわしのために死んでくれたのか……謎だ! しかし、ひとつはっきりしているのは、いまわしがこのまま死んでしまっては、彼らの死をかけた努力がすべて無に帰す、ということだろう。

 そう考えた劉邦は、痛みを振り払って起き上がり、座った姿勢をとったかと思うと、一気に突き刺さった矢を引き抜いた。それに伴って多少血が吹き出たが、意に介した表情は見せない。
 しかし、顔色は青白く、額には脂汗が浮かび、誰の目にも憔悴していることは明らかだった。
「……お前らのその顔はなんだ! ……わしは死んでおらぬ」
 剛胆な口調で言い放った劉邦は、なにを思ったかしきりに右足の親指のあたりをさすり始めた。
「よいか。わしが射抜かれたのは、足の指だ。兵たちに胸を射たれたと悟られてはならぬ」
 自分が射たれたことによって兵の士気が低下することを恐れた劉邦は、痛みに耐え、張良の介添えのもと陣頭に立ち、士卒に自分の無事な姿を見せて回ったという。

 しかし無理がたたったのか、傷口が開いた。まともに立っていることも困難になった劉邦は一時成皋へ引き下がり、療養することになった。
 これにより漢の上層部の意志は、次第に講和を目指す方向へ流れ始めたのである。

 胸の傷は深かったが、それでも思っていたより早く治癒の兆しが見え始めた。しかし、問題なのは心の方である。「足を射たれた」と虚勢を張ってみせたとしても、自分自身に嘘をつき通すのは難しい。劉邦はこのとき、自分の傷ついた心を癒すのに苦労した。
 劉邦は体力がある程度回復すると、逃げるように関中に戻ってしまった。

 丞相の蕭何は、劉邦が突然帰還したので、目を丸くして驚きをあらわした。
「お怪我をされたと聞きましたが、もう出歩いておられるとは……お体の具合は大丈夫なのですか」
 蕭何は劉邦に尋ねたが、劉邦の返事は素っ気ない。
「体など、もうよい」

 蕭何は重ねて聞く。
「どうなされたというのです」
 劉邦は、これに対し返事をしなかった。
――もう、やめだ。

「おつらそうでございますな」
「蕭何」
「はい」
「……長いこと戦ってきて、わしは、ようやくわかった。わしはどうあがいても項羽には勝てぬ。お前は知恵も回る男だから、わしのかわりも務まるだろう。明日からお前が王だ。いや、今日、いまからでも構わない」
「……本気でおっしゃっておられるのですか」
「本気だ」
「残念ながら私は軍事のことはどうも苦手でございまして……恐れながら、辞退申し上げます。しかし、大王があくまで王座を退くというのであれば、かわりにひとり適任の者を推挙いたします」
「誰だ? ……いや、言うな。答えはわかっている」
「韓信を推挙いたします」
「……言うな、と言っているのに!」

「ご不満ですか」
「……あいつは駄目だ」
「理由をお聞かせ願いますか?」
「あいつは……自分に対して厳しい男だ。それに真面目な男だし、頭もいいときている。しかし、だからこそあいつは、他人の弱さや、あるいはだらしなさや奔放さを許さないに違いない。あいつの治める国は秦以上にがちがちの管理社会になるだろうよ。臣下や民衆は暮らしにくくなるはずだ」
「そうでしょうか」
「そうに決まっている」
「ならば、あきらめてご自分で国を治めていただくしかありませぬな。韓信が駄目な以上、大王にやっていただくしかありませぬ。大丈夫、やれますよ」

 蕭何は気分の落ち込んだ劉邦をなだめたりすかしたりして、機嫌を取りつづけた。そして渋る劉邦を無理に誘い、関中の父老たちに会わせ、酒宴をさせたりした。そこで父老たちに激励された劉邦は、結局広武山に戻ることとなる。

 劉邦が関中に滞在したのは、たった四日間に過ぎなかった。劉邦にとって、自らの傷心を慰めるには短すぎる期間であったに違いない。

         三

――なぜ、あれしきのことで……。

 韓信には蒯通が狂人を装った際に、どうして自分が落涙したのか、よくわからない。
 見捨てられた、と思ったのか。それとも蒯通をそこまで追い込んだ自分が許せなかったのか。

「私は、本当に気がおかしくなられたのか、と思いました」
 蘭はそう言って、口をつぐんだ。韓信は、自分がなぜ泣いたのか不明であったが、それ以上になぜ蘭が泣いたのかが、よくわからない。
「蒯通さまは……ずるいお方です」
 韓信がそのことを問いただしても、蘭はそれ以上言おうとしない。
 言えば、蒯通を誹謗することになる。自分が言えば、韓信は本気で蒯通を斬ろうとするかもしれない。蘭は、そのようなことは避けたい、と考えた。

「……私は、若い頃から決断力に乏しく、師からよく嘆かれたものだ」
 口を閉ざす蘭を相手に、韓信は切り口を変えて会話を続けようとした。
 ちなみに韓信がいう師とは、栽荘先生のことを指すのであって、劉邦や項羽、あるいは項梁などの上官を指すのではない。
「師がおられたのですか? 初耳です」
 蘭は興味を覚えたようだった。
「私は幼いころに両親をなくし、みなしごとなった。その人は私の師であると同時に、親代わりでもあった。しかし、それはともかく」
 韓信には栽荘先生にまつわる話をする気は無いようで、内心蘭は拍子抜けしたが、まさか話の腰を折るわけにもいかない。
 自分と韓信の関係は恋人以上であると自負していたが、それ以前に王と臣下なのである。臣下である以上、忠実でありたいし、主君の前では実直でありたかったので、あれやこれやと詮索するべきではない。だが、未来には昔話をする機会も訪れるだろう。
「蒯先生の策には、注目すべき点がいくつかあったが、基本的に私は実現不可能だと考えていた。にもかかわらず、私はそれを蒯先生に伝えることができず、結果的に彼は逃亡した。彼は死んではいないが、私が彼を失ったことには変わりがない。カムジンや酈生などと同じように……私はなにがいけなかったのだろう?」
「まず、将軍がなぜ実現不可能だとお思いになったか、お聞かせください」
「ああ……」
 韓信は、話し始めた。

「私の勢力範囲は、趙・燕を含めれば、確かに漢・楚に対抗できるものである。蒯先生の持論はこれら三者の武力均衡によって、天下に安定をもたらす、というものであった」
「はい」
「しかし、天下に存在する勢力はこれら三国だけが絶対的なものかというと、実のところそうではない。梁の彭越や淮南の黥布が黙って見ているはずがないのだ。私が自立すれば、彼らも同様の動きを見せるのは、自然な成り行きだ」
「将軍が自立すれば、彼らも漢から独立すると……? でも将軍の勢力範囲と彼らのそれには、格段の違いがありましょう」
「確かにそうだ。だが、三国の武力均衡で天下の安定を目指すからには、四国めや五国めがあってはならない。彼らの動き次第で、武力の均衡が崩れるから……。たとえば、私が彼らと同盟を結んだとすれば、その勢いは漢を上回り、楚を上回ることになるだろう。そうすれば漢と楚は手を結び、ともに私を滅ぼそうとするに違いない」
「! 項王と漢王が手を結ぶことが、あるのでしょうか」
「……項王からそれを言い出すことはないかもしれない。しかし、漢王は、やるだろう。あの方は、目的のためならば自らの感情を押し殺して行動に移せる。それまでの項王との軋轢や、私との友誼を投げ捨て、項王に頭を下げてまでも誼を結ぼうとするに違いない。これは……たやすく真似できることではない。私があの方に及ばない理由が、そこにある」
「将軍は、漢王に及ばないと?」
「及ばない。とても及ばぬ」
「項王には?」
「項王は、どうであろう。……近ごろよく思うのだが、項王は私と似ている。いや、私が項王と似ていると言った方がいいかもしれないな。私が思うに、項王は信念の人だ。自分の価値観を信じ、それに従わない者と戦うことを辞さない。私に彼ほどの武力や勇気はないし、彼ほどの絶対的な価値観はない。しかし、ひとりよがりなところだけは似ている、と思われるのだ」
「それはどうでしょう? 私には、項王は欲望の人と思われます。もっとも実際に接したことはないので、はっきりとは申せませんが。項王は天下に覇を唱えることが目的で、対抗する者と戦う、それだけです。漢王も同じで、天下に覇を唱えるために、かつての味方も敵に回し、敵も味方に引き込もうとする、それだけです。そこでおうかがいしたいのですが、このお二方に共通するものはなんだと思われますか」
「……なんだ、わからぬ」
「このお二人は、目的があまりにも壮大なために、常識が見えなくなっているのです。目が眩んでいるといっても差し支えないかと……」
「はっきり言う。しかもとてつもなく大胆な発言だ」
「蒯通さまの間違いは、将軍がこのお二人と同類の人種だと思って行動したことでございましょう。蒯通さまは将軍のことを見誤ったのです。それから生じた結果に、将軍が頭を悩ます必要はございません」
「私は本質的に彼らと違う、というのか」
「そうです。将軍は王を称するために戦ってこられたのではありません。天下に覇を唱えるために数多くの死地をくぐり抜けてきたわけではありません。将軍は国をつくることよりも、個人として平和を望んだゆえに戦ってこられました。だから、この場に至っても漢王との友誼を重んじて裏切らず、死んでいった者を思っては悲しみ、思いが通じず去った者を思っては嘆くのです。これは、目的に目が眩まず、未だ常識にとらわれている証拠です。ですが思い違いをなさらないように。これは欠点ではなく、美徳なのです」
「ふうむ。では私の目的意識は小さい。小さいがゆえに普通の人間として振る舞うことができる、というわけだな。確かに私は気宇壮大な男ではなく、武将として世に立ちたいと思ったのも、単にそれが私に向いていると思ったからであった。そしてその先のことは、あまり考えていない。世間は……私を笑うだろうな。このような思慮不十分な男が、王を称したと」
「笑う者には笑わせておけばよろしいかと。将軍はそのような者は好まないとは思いますが」
「ああ。嘲りは大嫌いだ。それをする者も……嫌いだ」
「嫌いなのが普通なのです。ですが、人は王位に固執すれば、それにも耐えるようになります。漢王のように。どうしても耐えられなければ、嘲る者を滅ぼそうとするでしょう。項王のように。私は……将軍にはそのような生き方をしてもらいたくありません」
「しかし……私は、すでに王となってしまった。これから先、私が自分自身を失わずに生きていくためには、どうすればいいのか」
「将軍が漢王に味方すると決めたからには、漢の統一に最善を尽くすべきです。そして……漢が楚に打ち勝った暁には、斉国など漢王に差し出してしまうのがよろしいでしょう。そして将軍はそのかわりにどこか小さな封地をいただき、そこで自由に暮らすのがよいかと存じます」
「……そうか……それはいい。静かな、穏やかな暮らしが目に見えるようだ」
「将来そのような地で将軍とご一緒に日々の暮らしを営むことは、私の夢でもあるのです」
「……夢か。……いい響きの言葉だ。今日から私もその夢を共有し、実現のために努力するとしよう」
「はい。でもあまり固執なさらずに。固執が過ぎると、目が眩みます」

 韓信はそれから気を取り直したように、何度か斉から出撃しては、楚の後背を襲い、小さな戦果を積み重ねた。梁の彭越の行動にあわせたのである。

 項羽は態度にこそ出さなかったが、これを受けて漢との和睦の必要性を気にし始めた。

         四

 無理を押して関中の父老の前に姿を現したのが功を奏したのか、広武山に陣する劉邦の軍に関中から多くの子弟が兵として補充された。
 その模様は谷向こうに陣する項羽の目にも留まる。首領が矢に倒されたにも関わらず、漢が軍行動を止めようとしないことに項羽は苛立ち、対応に苦慮した。

――漢との戦いはひとまずおき、後背の韓信や彭越を先に処理すべきだ。
 項羽はそう思ったが、どうしても行動に移せない。劉邦に傷を負わせ、漢を追いつめている自分が、相手に停戦を求めるなど不自然だと考えたのである。自身の矜持が許さないのであった。

 しかし、項羽にとって幸運であったのは、漢が兵力を増強したにもかかわらず、和睦の意志を楚に示したことである。項羽にとっては渡りに船であったことは確かだが、もちろんこれは偶然ではなく、楚がそれほどまでに漢を追いつめた結果であった。行為の善悪は抜きにして、項羽としては努力が実ったことに違いはない。

 だが、政策面でもしたたかな面をみせる項羽は、漢から派遣された和睦の使者を一度、追い払った。
 陸賈(りくか)という名のこの使者は、儒者であり、話術も巧みで教養もある男であった。それでも説得に失敗したということは、おそらくは条件面で折り合いがつかなかった、ということであろう。
 漢側が停戦を条件に劉太公と呂氏の返還を求めたのに対し、項羽は納得がいかなかった。わざわざ停戦してやるのに、こちらにはなんの見返りも保証もないとは、どういうことか。
 そう考えた項羽は陸賈を一喝した。
「出直してこい」

 あらためて使者として選ばれたのは、侯公(こうこう)という人物である。
 この男が鴻溝(こうこう)という広武山よりわずか東の土地を境に天下を二分することを提案し、受け入れられることになった。
 鴻溝より東が楚であり、西が漢である。
 これにより項羽は領地として梁を保有し、漢は関中・巴蜀のほか韓や西魏は保有するものの、それ以上の東進は阻まれたことになる。しかし、この和睦により劉太公と呂氏は解放され、漢兵はみなこれを歓迎し、万歳を唱えた。長く続いた対陣は終わりを告げたのである。

 このとき使者として実績をあげた侯公は、その褒美として封地を与えられ、平国君という尊称を送られた。
 が、その後どういうわけか逐電してしまっている。
 実はこの人物は周囲からあまり信用を得ていたわけではなく、行く先々で国を傾ける、と警戒されていたという。彼に送られた「平国」君という尊称は、「傾国」の反対語であることから、この人物に対する劉邦や漢の首脳部の警戒感がよほどのものだったことがうかがわれる。
 こうなると史実では逐電したことになっているが、あるいは暗殺されたとも考えられる。しかし、実際に侯公がどのような人物であったかは記録に残されてはおらず、真実は定かではない。

 ともかくも項羽は広武山の陣営を払い、東に向けて退却を開始した。奇策によって劉邦を傷つけ、優位に立った楚軍であったが、実情は軍糧に事欠き、苦しい立場であったことは確かであった。
 この和睦を誰よりも喜んだのは項羽であっただろう。一様に万歳を唱える漢軍に対し、撤退する楚軍の姿の方が全体的に消耗しているように見えたことは、それを象徴するかのようであった。

 去り行く楚兵たちの姿を眺め、劉邦は安堵の溜息を漏らした。
――これで、しばらくは……。
 疲れていた。毎日のように続く緊張が体力を消耗し、胸の傷はなかなか完治しようとしない。劉邦にとって地獄のような日々であった。しかし、それも終わりを告げようとしている。

 だが、寝所に入ってひと休みしようと考えた劉邦の前に、表情をこわばらせた張良が立ちはだかった。劉邦はなにか予想していなかった事態でも発生したのかと心配し、立ち止まった。
「子房……」
「大王……機会はいましかありません。楚軍を追い、後ろから討つのです」
「なに! ……しかし、和睦が」
 張良のもともと青白かった顔が紅潮している。どうやら自分の策に興奮の色を抑えきれないらしかった。
「ええ、ええ! 和睦は確かに成りました。しかし、そんなことはもうどうでもよろしい。とにかく楚を撃ち破るのはいまが絶好の機会です。これを逃せば、漢は滅びます!」

 張良は感情的な男ではないが、このときは激しく主張し、劉邦はその勢いにのまれ、この策を容れた。漢軍は広武山からひそかに出撃し、楚軍の追撃を開始することになる。

 陳勝・呉広の蜂起から端を発し、長く続いた楚・漢の抗争は、この時点より最終局面に入った。

         五

 灌嬰は漢の歴戦の武将であったが、年は若い。もともと諸国を渡り歩いて絹を売り歩く商人で、そのおかげか馬の扱いに慣れ、商売人上がりらしく、機を見て判断を素早く下す技術に長けていた。彼の戦は速戦即決、疾風の如き速さが特徴である。

 京・索の戦いを機に、旧秦の名高い騎士たちを従えることとなり、彼の軍はその速度にさらに磨きをかけた。このころから彼は「騎将灌嬰」と敬意をこめて呼ばれることとなる。

 そのような灌嬰であったので、当然ながら劉邦を始めとする漢の首脳部の信用はあつい。しかし残念ながら彼には政治的影響力がなかった。
 自己顕示欲が少なかったのかもしれず、あるいは生来政治的なものの考え方が苦手だったのかもしれないが、いずれにしても彼が尊重されるのは軍事の面に限ってのことである。このことから、灌嬰は非常に実務に長けた人物で、構想力を自慢としていたとはいえず、その点では韓信に似ていなくもない、と言えそうである。

 その灌嬰は、韓信が斉を制圧すると、もっぱら楚との国境付近の防衛にあたり、斉の残党や混乱に乗じて侵入をはかる楚軍を相手に粉骨砕身の働きぶりをみせた。その戦いぶりに韓信が信用をおいたことはいうまでもない。

 しかし、最近は様相が少し変わってきている。これまでは防御が主な任務だったのに対し、近ごろは小規模ながら積極的に楚の補給路を断つような命令を受けるのである。さらには命令を発する韓信が自ら姿を現し、共に戦うことも多くなった。

――斉王の心の迷いが、晴れたのだ。
 灌嬰はそう思い、この事態を歓迎した。それもそのはず、彼は戦略上、韓信配下の斉軍に所属してはいるが、もともと漢の将軍なのである。それも重鎮であるといって差し支えない立場であった。その彼にとって韓信が楚の使者を迎え入れたり、幕僚の意見を真に受けて自立を企むことは、望むべき事態ではない。

「灌嬰将軍。そろそろ大規模な遠征があるかもしれぬ。心構えをしっかりとしておけよ。もっとも……君なら大丈夫なことと思っているが」
 このとき、韓信は灌嬰に向かってこのような内容のことを言った。灌嬰はこれに対し、
「大規模な遠征……それは、どの国を相手にするのでしょうか?」
 と質問したという。
 捉えようによってはきわどい内容であったかもしれないが、灌嬰には嫌味を言ったつもりはない。むしろ冗談めかして近ごろの韓信の気の迷いを茶化したのである。
 彼にとって韓信は王としては話しやすい相手だったのである。

「そういじめるな。もちろん相手は楚だ。……しかも今度は項王と直接相対することになるだろう。だから心しろ、といっているのだ」
「そうですか。いよいよ……。いや、私は相手が漢だとしても、戦いますぞ。斉王とともに」

 韓信はこの言葉を聞いて笑いながら言ったという。
「君のその言葉はうれしい。しかし、くれぐれも他人のいる前でそんなことを言ってくれるなよ。君も知っていることと思うが……私の立場は依然、微妙なままなのだ」
 灌嬰はそれを聞き、苦笑いしながら答えた。
「ええ、知っています。しかし、斉王。あなたが楚を討つとお決めになられたことには、内心ほっとしているんです。仮に自立するとして……私はあなたと行動を共にするつもりではおりますが……ことが成功すればよいが、失敗したら私どもは逆賊の汚名を着ることになる。できることなら、そんなことは避けたいですから」

 灌嬰の言葉は、この当時の忠誠心というものがどういうものか、如実に示している。
 人は国や制度ではなく、人に対してのみ忠節を尽くす。美しい精神である。しかし、結果的にこの精神が延々と続く無秩序を生んだと言えるだろう。理念より憧れでこの時代の人々は行動したのだ。

「漢王の忠実なる臣下たる君が、軽々しくそんなことを言うべきではないぞ。……君に妙な気をおこさせないためにも、私はここで断言しておくべきだな。斉王韓信も、やはり漢王の忠実なる臣下である、と」
 この時の韓信の表情には、曇りがなかった。
 灌嬰はそれを認め、
「よかった。これで前面の敵に意識を集中できる、というものです」
 と心から安堵したような顔で答えた。
 韓信の軍は、常勝の軍である。彼らは、負けたことがなかった。ただし、それがゆえに負けるのは想像できないほどに恐ろしいのである。
 そのため、韓信に従う兵たちは、自分たちの首領が無用な、意味のない戦いをすることを望まなかった。灌嬰はそのような兵たちの気持ちを代表して述べたと同時に、自分自身の強い思いを言い表したようである。

 韓信には、それが痛いほどよくわかる。自分の気の迷いが、恥ずかしくなるほどであった。

         六

「話は変わるが、兵たちは、君の言うことをよく聞くか?」

 韓信の質問は唐突ではあったが、灌嬰には彼がなにを言いたいのかよくわかった。
「旧来の漢の兵たちは問題ありません。しかし、新たに加わった斉兵はどうも……彼らは反抗こそしませんが……どう表現すればいいのでしょう……熱心さが足りないように感じられます」
「ふむ。そうだろうな。無理もないことだ」
 征服された斉の兵士たちは、いうまでもなく捕虜である。しかし、この時代の捕虜に人権は認められない。被征服者の兵は、征服者側の兵として戦うことを強要されるのだった。彼らが自分たちの主義・主張を態度で示すことは、禁じられていたわけではないが、現実的に難しい。我を通して旧主への忠誠を示そうとすれば、征服者によって惨殺されるのが関の山なのである。

 よって、軍は勝つたびに新参者の兵が増え、膨張していくことになるのだが、それら新参の兵を心服させることは、征服者にとって重要な課題のひとつである。彼らが反乱などを起こさないにしても、常に命令に対して消極的な態度で臨むようであれば、軍全体の士気が低下していくのは目に見えていた。
 ましていま韓信が問題にしているのは、一癖も二癖もある斉人なのである。彼らの国民性を思えば、自分の目の届かないところに、しかも国境の最前線に彼らを配置するのは危険が大きすぎたのだった。

「軍の編成を新たにし、君の部隊は漢兵を主体としよう。斉兵は私が引き受けて臨淄に連れて帰ることとする。構わないな?」
 灌嬰に異存はなかったが、斉人を斉に帰す、というのは多少不安に感じられた。小規模なものといっても、ひとたび戦闘ともなれば、多少なりとも味方に戦死者は発生する。灌嬰は、残酷なようではあるが、斉人にもっとも死の危険が高い任務を与え続けてきた。

――どうせ失う兵であれば、斉人に死んでもらおう。
 彼ら斉人が故郷に帰れば、旧知の人物たちと謀略を企み、よからぬ行動を起こすかもしれない。それを思えば、前線で死んでもらった方がよい、と考えたのであった。
 しかし、国を統治することを考えれば、それではいけないのかもしれない。斉人を捨て駒にし続けることは、彼らに不服従の精神を植え付けることになり、反乱の種をまくことなのかもしれない。
 灌嬰はそう考え、不安に感じたものの、韓信の能力を信じ、同意した。
「私には、一抹の不安がございますが……それでも斉王のご判断は正しいと思われます。あなたにならば、なにかと問題の多い斉人でも従う者は多いでしょう。そして斉は次第に安泰な強国へと育っていくはずだ」

 これを聞き、韓信は気恥ずかしそうな顔をして言った。
「私にそのような徳はない。げんに国政はほとんど曹参に任せきりにしているくらいだ。軍事以外になんの取り柄もない私に残された仕事は、前線の視察くらいさ。……まあ、暇つぶしのようなものだ」
「そうでしょうか? おそれながら漢の将軍である私でさえあなたには従っているのです。どうして斉人が従わないことがありましょう。どうか自信をお持ちください。……そして、斉国の安泰を望むのであれば、早めに王妃を迎え、後継者をお決めになることです」

 韓信は灌嬰の言葉に目を白黒させながら答えた。
「王妃……後継者……。将軍、私は確かに王として斉国の安泰を願ってはいるが、斉の国王であることは私の人生の最終目標ではない。私は、漢が楚に勝った暁には斉国を漢王に献上するつもりなのだ」

 灌嬰は韓信のこの言葉に驚いた様子であったが、すぐに態度を改め、茶化した態度で反論した。
「仮に斉王がそのようなことをなさっても、漢王がお許しになるはずがないでしょう。引続き斉の国政を見よ、と命じられるはずです。斉王の人生の最終目標がなにかは存じませぬが、諦めて王妃を迎えることです」
「……はたして漢王はそのような命令を下すだろうか。私としては確信が持てないうちは王妃を迎えようという気にもならない。そして、私自身漢王からそのような命令を下されることを望んでいないのだ」
「そのようなことを! いまの言葉を聞けば、魏蘭は悲しみますぞ!」

――そんなことはない。そんなことはないのだ、灌嬰……。
 灌嬰は韓信と魏蘭の二人の夢を知らない。
 知らないがゆえのおせっかいな発言であったが、韓信はそれを腹立たしく感じたりはしなかった。まだ自分の周囲には、自分のことを思い、意見してくれる者が存在する。自分がそれに応えられるかは別問題として、韓信はそのことが嬉しかったのだった。

 灌嬰と別れた韓信は、その言葉のとおり前線の斉兵たちを引き連れて臨淄に戻った。しかし、このことがのちに悲劇を生むことになる。

 灌嬰の不安は、やはり正しいものであった。

夢から覚めて……

         一

 臨淄に戻った韓信の目に最初に印象的に映ったのは、弓の練習にいそしむ蘭の姿であった。
「また、君はそのようなことを……。なぜ、君の興味は武に傾くのか。君を戦場に立たせることは、私はしないつもりだ。何度も言っているではないか」
 韓信はくどくどと説教くさく蘭に対して言ったが、当の蘭はそれを気にかける様子もみせない。
「いつ、なにが起きても構わないように……。最低限自分の身は自分で守らなくては。私は、残念なことに世間一般のしおらしい女性ではないのです」
 蘭はそう言いつつ、矢を的に向かって放ってみせた。蘭の弓勢は男性のそれとは比べ物にならないが、狙いは正確である。矢は的の中央に突き刺さった。
「見事!」
 傍らにいた曹参がこれを見て手を叩いた。
「魏蘭どのの技術は、日増しに向上しております。乗長に任命して戦車に陪乗させても良いくらいですぞ」
 その曹参の言葉に蘭は気を良くしたのか、はしゃいだ様子をみせて言った。
「そうでしょうとも。将軍のことも守って差し上げます!」

 韓信には、蘭がこのような子供っぽい話し方をすることが意外に感じられ、それに可愛気を感じたことは事実だったが、王者たる自分が、そのようなことで軽々しく感情を外に示すものではない、と考え直した。
「私は戦場では馬に乗る。戦車に乗ることはない」
 それだけ言い残して、そっけなくその場をあとにした。蘭はその後ろ姿を微笑をたたえた目で見送りながら、ぺろりと舌を出した。

「相変わらず、世慣れないお方でありますこと」
 しかし蘭にとっては、それが韓信の魅力なのであり、灌嬰やこの場にいる曹参にとってもそれは共通の感情のようであった。
「あの方はそれが長所であろう。私はあの方には浮ついた態度をとってもらいたくないと思っている。もしあの方が軽薄な男であったとしたら、きっと幻滅するだろう」
 曹参はそのように韓信のことを評した。
「しかし、王としては多少堅物過ぎる傾向がある。真面目なお方だけに、価値観の異なる者を理解しようとしないところがあるのも事実だ。あの方にとって義や仁の精神は教えられて身に付けたものではなく、持って生まれた素養であると言えよう。だから、それを持たぬ者の気持ちがよくわからない。したがって裏切りや、変心を企む者に気付かない可能性が大きい」
 そのように曹参は、韓信についての評を付け加えた。

「ここ斉の国では、裏切りや変心が国民の間に渦巻いています。将軍はそれに気付いていないと?」
 蘭は曹参の弁に不安を感じ、問いただした。
「将軍ではない。王だ。君たちの間ではそれが普通かもしれないが、公式の場ではあの方のことを王と呼ぶように気をつけねばならぬぞ」
「はい」
「……質問の件だが、わが斉王は頭では気付いておられる。しかし、それがどのようなものなのかは具体的に理解しておられない。危機感が少ないと言えよう。このたび王は前線から斉出身の兵を引き連れて戻られたが、私にはそれがどうも無警戒に過ぎると思われるのだ」
「ですが、兵を心服させ、民心を安んじることを思っての行為だと私は思いますが……。故国を奪われた兵に前線の守りを委ねることは危険ですし、兵を送り出している家族に対しても、一度は支配者として慈愛に満ちた行動をしめすことは重要なことと……」
「言いたいことはわかる。斉の家族にとって息子たちが近くに戻ってきたことは歓迎すべき事態だといえるだろう。しかし、問題なのはその家族たちが、まぎれもない斉人だということだ。裏切りや変心に満ちた心を持つ斉人たちなのだ」
「……斉の国民の誰もがそのような心を持っているとは思えません」
「確かにそうかもしれぬ。だが、安心はできん。家族たちが戻ってきた兵を説き伏せ、兵たちがその計略に基づいて行動したとしたら……。反抗心を持たぬ斉人がいたとしても、ことが起きれば彼らはやはり斉人の側に立って行動するだろう。我が王は、未だ斉人の心服を得るに至っていない。反乱がおきる危険はいくらでもあるのだ」

 しかし、それが一体どのような危険であるかは、曹参自身にも予測がつかず、もちろん魏蘭にもわからない。曹参は、戻ってきた斉兵の行動に注意することだ、と言ったが、蘭は具体的に何をしてよいのか想像できず、
「微力を尽くします」
 としか返答のしようがなかった。

 自分の手に残された弓が威力を発揮することがあるのか。蘭はそれを思うとたとえようもない不安に襲われた。
――いざという時には、この弓を人に向かって射たなくてはならない。私に本当にそんなことができるのかしら……。
 練習で的の中央に当てて喜ぶのとはわけが違う。思えば韓信は自分にそんな思いをさせないために、弓の練習などやめろ、と言い続けていたに違いない。

         二

 韓信のもとへ、漢から使者が送られてきたのは、それから間もなくのことであった。
「広武山にて死闘を繰り返してきた我が漢と楚は互いに和睦を結び、これにより鴻溝を境として、両国の領土が確定いたしました」

 使者の言上に韓信は無言で先を促した。この事実だけでは、喜ぶべき事態ではない、とでも言いたそうである。
「和睦にともない、漢王は人質とされておりました御父君劉太公様と王妃呂雉様を奪還なされました」
「ふむ!」

 韓信はここでようやく反応を示した。
「……ということは、漢にとって攻撃をためらう理由はなくなった、ということだな。いよいよ、項王を討ち、楚を滅ぼすときが来たようだ」
 傍らで聞いていた曹参は、しかし疑問を呈してみせる。
「だがしかし、いま使者どのは和睦が成ったとおっしゃったではないか。和睦を違えて攻撃することは義に反する……大王、そうではないか?」
「いや、曹参どの。これは戦略なのだ。そうに違いない」

 韓信と曹参は使者を置き去りにして話しだした。
「項王は、武勇一辺倒の人で、また実際に強い。正面からまともにあたって勝てる敵はいないだろうし、項王その人もそれを自覚している。これに対して漢軍はまともにあたっては勝てないのだから、知略を駆使して戦うしかない。よって和睦はほとんど偽りと言うべきもので、漢王にはそれを守るつもりはない、と見た」
「しかし、そのような不義を項王が許すだろうか?」
「それは関係ないな。殺してしまえば許すも許さないもないだろう」

 常にない韓信の大胆な発言に一座はしんと静まり返った。
「……失礼、少し表現が残酷だったようだ。しかし、正面切って正々堂々と戦って殺すのも、知略を駆使して相手を騙して殺すのも……つまるところ、結果は同じだ。どちらも相手を殺すことに変わりはない。つまり、戦争というものに美や正義などを求めてはならない。敵と戦う以上、それを覚悟する必要があると、私は思うのだ」
 置き去りにされた形の使者は、ようやくここで存在を主張し始めたかのように話の続きを披露した。
「斉王のお言葉は、正しいと私には思われます。漢王は彭城に帰還しようとする楚軍の後を追い、機を見てこれを急襲せんと目論んでおられます。つきましては宿年の戦いに雌雄を決するべく、斉王にご出陣いただきたいとの由にございます」

 韓信は深々と頷き、了解の意を示した。これにより、前線から戻ってきた斉兵たちは、ほぼ休む間もなく再び戦場に送り出されることになったのである。このことは斉兵や、その家族たちに深い不満を与えることになりかねなかったが、別の見方をすれば、韓信が兵を心服させる良い機会だと言えた。

 韓信に従う者は、戦場における彼の神通力とも言えるような武勇に魅せられているのであって、決して韓信個人に畏怖の念を持っているわけではなかった。また、韓信自身も兵を威嚇したり、あるいはなだめたりするなどの努力をしていたわけではない。言葉や態度で相手に畏怖の念を抱かせることが得意ではなかった彼は、ただ実績のみで兵を従わせてきたのである。
 つまり、兵が韓信に従ってきたのは、韓信が常勝の将軍だったからに過ぎない。さらにこれは韓信は自ら戦ってみせることでしか、人々の心服を得られないことを意味した。
――漢王には、王者の徳がある……項王も多少偏りがあるとはいえ、懐の深さがあると言えよう。だが自分には……それがない。あるのは、ただ……

 韓信にあるのは、戦えば必ず勝つ能力だけであった。

 韓信は斉兵たちを心服させ、ひいては斉の国民すべてを統率するためには、自分が直接軍を率いて戦ってみせることが必要だと考え、実際に彼は二十万の兵に号令して臨淄に集結させた。
 途中国境付近の守備にあたる灌嬰の十万の軍と合流し、三十万の兵力で楚を迎え撃つ算段であった。

         三

 裏切りや変心、謀議、詐略などは一般に悪行とされているが、それを実際に行う者は、自分の行為を悪行とは思っていないことが多い。それを行う者にとっては、大いなる目的のためにとらざるを得ない正しい行為であり、事実それが成功すると、後世から正義として認められるのである。
 たとえば夏の(けつ)王や殷の(ちゅう)王はそれぞれ暴虐の王とされているが、彼らを滅ぼした殷の(とう)王、周の武王が自分の行為を正当化するために史書にそのように記録させた可能性は充分にある。

 このとき、斉の二五百主(千人を統帥する長)であった郭尹(かくいん)という人物にも、自分の行為が悪であるという認識はなかった。彼の行為は信念に基づいたものであり、充分に成功の可能性があったのである。

 郭尹は即墨の代々田氏に仕える名家に生まれた。祖先に宰相や将軍となった者はいなかったが、着実に軍功をあげ続けることにより褒美として得た土地を広げ、尹の代に至っては、即墨に郭家あり、とまで謳われるようになった。
 郭尹がどういう人物だったかというと、一言でいえば守旧派である。これは保守派ということではなく、どちらかというと復古主義者というべきであり、現状を維持するというよりは、何ごとも太古の昔を理想とする人物であった。革新よりは伝統、機能性よりは見た目の荘厳さを重視した彼は、戦場に立つときにも古式にならい、戦車を利用するのが常であった。

 この時代にはすでに軍の主力は騎兵が中心となっており、郭尹もそれは認めざるを得なかった。しかし、彼の考え方からすると、馬に跨がって戦うのは雑兵のすることで、かりそめにも王を称する者が自ら馬に跨がるなど、もってのほかだった。
 このため、郭尹の目には、項羽や韓信は王として映らないのである。春秋から戦国の中頃までは、中原の文明人は戦車に乗って戦うのがならわしであり、馬に跨がって戦うのは胡人(北方の異民族)である、とされていたが、郭尹はこの時代になってもその考え方を維持していたのである。そして裾の長い長衣を着て、戦車に乗り続けることを自らの誇りとしていた。

 しかし何ごとにも実用的なものを優先させる傾向の強い韓信は、臨淄に戻る途上で、早々に郭尹の率いる戦車隊を解散させてしまった。
「戦車などは、敵に与える威圧感は相当なものだが、小回りが利かない。まして山中や隘路での戦いでは戦車自体が足手まといになることが多いのだ」

 韓信のこの発言は理にかなったものではあったが、郭尹の自尊心をおおいに傷つけた。
 しかし郭尹はこれに素直に従ったばかりではなく、驚くことに不満を漏らす者を厳しく折檻したのである。そして自らも胡服を身に付け、熱心に馬術を鍛錬した。
 韓信は郭尹の態度を賞賛し、それまでの二五百主から二階級上げて校尉(一万人統帥の長)とした。
 かくて郭尹は韓信の信用を得ることに成功した。少なくともそう見えた。

 首都の臨淄に集結を果たした斉軍の指揮官たちは、王の韓信よりそれぞれ印綬を手渡される。
 しかし、その場に郭尹の姿はなかった。
 不審に思った韓信が周囲の者に聞けば、郭尹は病のため、今回の動員には参加できない、とのことであった。

 しかし郭尹の配下の兵はおおむね臨淄に送られてきていたので、作戦自体に影響は少ないと考えた韓信は、そのまま兵に号令して行軍を開始した。
 このとき曹参は国内の守備のために臨淄に留まり、韓信は魏蘭にも残るように言い含めたが、蘭は頑としてそれを断り、韓信と行動をともにしている。
――何やら胸騒ぎが……。いやな予感がするのは、この間の曹参さまとの会話のせいかしら……。
 そう思うと、目の前の斉兵の誰もが疑わしく思えてならない。歩兵のひとりが小石につまずいて歩調を乱すのにさえも、どきりとさせられる。

 なかでも韓信の信任が厚いとされる郭尹が不在というのは、かえすがえすも残念なことに思えた。蘭は郭尹という人物とは懇意ではなかったが、悪い印象を受けたことはない。
 まして他ならぬ韓信が信用して校尉に任じた人物とあっては、疑う理由はなかった。
 しかし、軍が臨淄を出てまもなく泰山の麓にさしかかったころ、蘭はこの重要な局面に不在を決め込む郭尹の行動の不自然さに気がついたのだった。

「将軍……校尉郭尹の配下の兵の様子が……どことなく変でございます。落ち着きがないというか……なんとも口では言い表せないのですが」
 蘭はついに韓信に不安をぶつけた。これに対し韓信は、沈思の表情で、
「うむ……そのようだ。郭尹が病に伏せているというのは、実は私も疑っている。あるいは彼がなにか企んでいるのではないかと……しかし、確証はない。いずれにしても私は、このようなこともあるかもしれないと思い、手は打ってある。郭尹が裏切れば討ち、裏切らなければ、なにも起こらない。大丈夫、考えてある。君は心配しなくてもいい」
 と答えた。
 そして蘭の細い肩に優しく手を置き、微笑みかけたという。

――ああ、将軍……。
 韓信の手のぬくもりは、身に付けていた武具を通してしか伝わらなかった。皮の肩当て越しに置かれた彼の手の感触は、実際にはほとんど感じられない。

 それでも蘭は自分の足の力が抜けていくのを感じた。さらには、下腹部から局部のあたりにかけて、むずむずとした感覚を覚えた。

――このようなときに、私はなにを……
 蘭は常になく今日の自分が韓信を求め、欲情にかられていることに気が付いた。しかし、それがなぜなのか具体的にはわからない。
 ただ、臨淄を出たときから抱き続けている胸騒ぎにそれが起因していることだけは、確信があった。

         四

 軍が林の中に入ったころ、前方を行く郭尹配下の兵たちの動きに変化があった。
「む……動いたな!」
 林間の隘路に軍列が入ったのを機に、彼らは勝手に歩みを止めた。そして一瞬の間をおき、反転して韓信の側に向かってきたのである。
 しかし、これに対する韓信の反応は素早かった。

 韓信は軍を引き連れて臨淄を発つ前に、留守番役の曹参を相手にちょっとした会話を交わしている。
「曹参どの。私が留守にしている間、臨淄の防衛はしっかり頼む」
「大王は楚の心配をなされよ。大王の居城は私が責任を持ってお守りします」
 曹参の返答は力強いものであったが、韓信はそれを聞いても浮かない表情のままだった。
「うむ……。君の言葉は心強い。しかし、私の勘は……今回の出征に一波乱あることを告げている。十中八九、なにかが起こる」
「……なにか、とは……叛乱か?」
「そうだ。鋭い。さすがだな……。手短かに言おう。校尉の郭尹の行動が怪しい。彼は今回病と称して出征しなかったが、部下たちはきっと彼によってひそかな命令を言い含められているに違いない。おそらく隊列が伸びきったところで、彼らは叛旗を翻す」
「……ふむ」
「しかし私が思うに、これは陽動にちかい行動だ。私が彼らの相手に苦慮し、足止めをくっている間に、病と称した郭尹が首都に入って王宮を制圧する。そして郭尹は檄を飛ばし、それによって他の斉兵たちもこぞって郭尹に味方する。そしてよそ者の王である私は斉兵のなかに孤立する、という算段だ」
「深い洞察ですな……。それで、その時はどうするのです」
 曹参にはこのとき韓信が少し表情を変えたように見えた。ほんの少しの変化であったが、驚いたことに韓信はどうも一瞬笑ったようであった。
「郭尹はしらじらしいと言えるほどの従順な態度をとり続けた。疑り深い私には、それが怪しく思えて仕方なかったのだ……。彼に裏の意志があることを悟った私は、他の斉兵たちがいざというとき彼に同調しないよう、工作する必要性に気付いた」
「工作……どうやって?」
「……彼らの忠誠心を金で買った。王の地位を悪用し、宮中の富を利用して彼らを傭兵として雇ったのだ。そして、それは成功した。彼らが裏切ることはない。ひとりぐらい反発する者がいるとは思ったのだが」
「……まったく気が付きませんでした。いつの間にそんなことを……」
「私には、直属の親衛隊がいる。カムジン亡き後、久しく活躍の場がなかった彼らだが、今回は暗躍してもらった。斉兵たちに金をばらまいて口説かせたほか、それぞれの分隊に指導的役割として潜り込ませている。……いやはや、こうなっては私もよほどの悪人だな。人の心を金で買うなど……」
「悪しきことを悪しきこととして反省する態度があるうちは、人として正気でいることの証拠でございましょう。金で忠誠心を買ったことは、方便です。前恩賞を与えたとお考えになればよろしいでしょう……。それに、郭尹の叛乱を実際に抑えれば、必然的に兵の心服度は増すはずです。お心を強く持つことです」
「ああ……そうだな。くれぐれも郭尹の来襲に警戒し、宮中の門はすべて閉ざしておくことを忘れないでくれ。私が戻ってくるまで何ぴとも中に入れるな」
「お言葉のとおりに」

 このときの韓信の読みは、自分が郭尹の立場であったら、という視点に立ったものであった。
 しかし、軍事的な能力、また経験でも韓信より劣る郭尹は、それがために韓信の予想の範囲外の行動をし、その読みは微妙に外れることになる。
 相手が素人に近いことによって生じた誤算であった。

         五

 韓信の前には横三列に並んだ兵たちが、等しく弩を構えている。このときの一列は十二人ほどで、道幅はそれでほぼ埋め尽くされた。総勢三十六名の弩兵が向かってくる郭尹軍に対し、迎撃の態勢を構える。

 韓信は長柄の鉾を構えた。
「奴らが射程内に入るまで、落ち着いて待て……。充分に引きつけて仕留めるのだ。やみくもに狙いを変えるな。自分の正面の敵を正確に射てば、それでいい」

 兵たちの顔に緊張の色が浮かぶ。しかし、眼前の敵が射程に入るまで、ほんの数秒しかかからなかった。彼らに緊張を落ち着かせるゆとりはほとんどなかったと言っていい。
「射て!」
 韓信の号令が飛び、弩から一斉に矢が射出された。狭い林の中の道に、射抜かれ、横転した兵馬の列が後方の部隊の前進を阻む。道を塞がれ、立ちつくした彼らの前にさらに矢が集中し、それによってまた道には横転した人馬が溢れた。

「斉に生まれた者は、斉人にのみ忠誠を尽くす! そう思う者は、我々に味方せよ!」
 郭尹の配下のひとりはそう叫んだが、それに呼応する者は誰もおらず、さらには彼自身もそのひと言を最後に矢に倒れた。
 やがて前方からの弩の射撃と、味方の死体によって前進を阻まれた彼らは、やむなく後退を始めようとした。

 しかし、後方にも逃げ道はなかった。金で雇われた斉兵たちが彼らの逃走を阻むかのように、一斉に弓矢で攻撃し始めたのである。
 こうして林の中は斉軍による同胞同士の殺し合いの場と化したのだった。

 惨劇はしばらくの間続いたが、一万人弱の郭尹の配下の軍が滅び尽くすまで、ほんの一時間もかからなかった。韓信の圧勝である。
「無益なことを……」
 韓信はその様子を見て呟いたが、周囲の者たちは皆一様にその手際の良さを褒めたたえたという。
 しかし韓信はそれをあえて無視するかのように、言い放った。
「まだ終わってはいない。首謀者の郭尹自身が未だ健在だ。道を塞いでいる遺体を片付け、進路を開けろ……我々はこれより臨淄へ引き返す」

 多くの者がこれを意外に感じたようであり、そのためか指示は徹底しなかった。韓信は説明の必要を感じ、先ほどの指示にもうひと言付け加えた。
「郭尹に戦略を考える頭が少しでもあれば、私が不在のうちに臨淄を攻めるだろう。今頃、宮殿は戦火に燃えているかもしれない……さあ、急げ」
――ああ、そういうことか。
 周囲の者は納得し、作業に取りかかった。しかし約一万に及ぶ遺体の山を道からどかすというのは、想像以上に時間のかかる作業である。次第に日が傾き始めた。

 この日は朝から曇天で、薄暮の頃になると視界が悪く、そのことが余計不安をかき立てる。韓信は少しいらいらとした様子で、その辺に落ちている小枝を拾っては折ったりするなど、意味のない行動をしながら時間を潰していた。
――いつもの将軍ではないような……。
 蘭の視線は韓信に注がれている。落ち着きを失った韓信の姿を見つめると、先ほどまで感じていた胸騒ぎが、よりいっそう高まるのを感じた。
――ああ、この感じ……。不吉な予感! 波乱はこれで終わりではなく、続きがあるに違いない……理由はないけど、そんな感じが……。
 蘭は無意識に腰につけた(えびら)から矢を引き抜き、波乱に備えた。

「まだか。日が落ちる前に終わらせるのだ」
 韓信の声に焦りの色が感じられる。しかし作業は依然としてはかどらず、彼の軍は遺体の山によって二つに分断されたままであった。
「早くしなければ、臨淄陥落の恐れがある。そうなっては、郭尹の思うつぼだ」

 韓信がそう言ったときである。突如林の中から戦車が車輪の奏でる轟音とともに出没した。
「敵襲だ!」
 作業に没頭し、戦闘態勢を整えていなかった兵たちは一様に慌て、次々に逃げ出した。だが戦車は彼らを蹂躙するように突進を続け、乗員による矢や鉾が彼らをなぎ倒していく。そして林の中からは次々と戦車が姿を現し、その数は五騎に及んだ。

「まさか……こんな林の中に戦車とは……」
 韓信を取巻く兵たちは次々と逃げ出し、彼は取り残された形になった。
 狭隘な林の中に戦車を隠し、軍が分断された機を見て奇襲を放つ。郭尹がとった作戦がそれであり、この戦車隊の指揮官が郭尹本人であったのだ。

――これまでか!
 四頭の馬が引く戦車の一台が既に眼前に迫り、韓信も観念せざるを得なかった。

 しかし、馬の鼻息の音が聞こえるまでそれが近くに迫ったとき、韓信は自分を押しのけるようにして前に立った武者の存在に気付いた。
「時代遅れの戦車などに、なにができる!」

 その武者は叫びつつ、続けざまに矢を五連射した。そのうちの四本の矢は正確に馬の脳天をそれぞれ突き刺し、残りの一矢は御者の眉間をつらぬいた。制御されなくなった戦車はこれによって横転し、乗員の二人は地べたに叩き付けられ、それきり動かなかった。

 武者は続いて二台めの戦車に狙いを付けている。落ち着いた所作であった。

 窮地を救われ、我に帰った韓信があらためて見ると、驚くべきことにこの武者は魏蘭であった。
 このとき動転していた韓信は、武者の叫び声が女の声であったことにさえ気付かなかったのである。

         六

「蘭、危険だ。下がれ!」
 気を取り直した韓信は、蘭に向かって叫ぶ。しかし、蘭はそれを拒むのだった。
「いま、将軍のまわりには私しかおりません! なのにどうして下がることなどできましょう!」

 そして二台めの戦車に向けて、矢を放った。その矢はまたも御者の眉間に命中し、戦車は動きを止めた。乗員の二人は、戦車を捨て、こちらに向けて肉迫してくる。

「下がれ!」
 韓信はついに蘭の前に立ちはだかり、敵兵の突進を防ごうとした。剣を抜き、浴びせられる矢を叩き落とす。そのときになってようやく部下たちが態勢を整え、弩を連射して応酬を始めた。二人の敵はそれによって倒れた。

 しかし、息つく暇もなく三台め、四台めの戦車が襲いかかる。蘭はなおも迎撃しようとし、韓信は剣を再び鉾に持ち替え、乗員を串刺しにしようと兵を率いて前進した。

 思えばこれがいけなかったのかもしれない。
 韓信は突撃を部下に任せ、自身は防御に徹するべきであった。
 部下の兵に号令し、前方の二台の戦車を撃破しにかかった隙に、最後の五台めの戦車に後背をとられてしまったのである。

 密林の中で戦車がこれほど敏捷な動きをとれるとは思っていなかった。その点で郭尹が自身の戦車隊を誇りにしていた理由がようやく韓信には理解できたのである。
 しかし、いまはそんなことを考えている場合ではない。韓信の後背には兵はおらず、ただひとり蘭だけがいるだけであったのだ。

「蘭、逃げるのだ!」
 韓信は叫んだ。その声は確かに蘭の耳に届いたように思えた。しかし、蘭はあえてそれを無視し、自身に迫った戦車を迎撃しようと矢をつがえている。
「いま行くぞ」
 韓信は叫んだが……

 蘭は矢を放ち、それは三たび御者の眉間をつらぬいた。しかし、車上の乗長がこれに応射し、その矢はまるで吸い込まれるように、蘭の体に深々と突き刺さった。
 蘭は韓信の目の前で腹から血しぶきをあげてその場に倒れてしまったのである。
――ああっ! なんということだ!

 韓信は狼狽したが、事態は彼に取り乱すことを許さなかった。倒れ込んだ蘭に向かい、乗長がとどめを刺そうと剣を抜いて迫っているのに気付いたのである。
 韓信はこれを阻止しようと鉾を振り回して、乗長の剣を叩き落とした。

 このとき剣を落とし、振り向いた乗長の男こそが、郭尹その人であった。
「郭尹、お前……」
「これは斉王様……。王自ら鉾を振るっておでましとは、どこまでも奇抜なお方だ」
「なにを言っている。ふざけたことを言うな」
「あなたが王となって以来、斉はすっかり様変わりしましたな。王家の血統は軽んじられ、伝統は失われた」
「……お前の戦車部隊を解散させたことを言っているのか」
「はは! それもございますが、いちばん象徴的なのは……ほれ、そこに転がっている兵でありましょう! 女を前線で戦わせる王は、天下広しといえどあなたのみでございましょうな」

 韓信はこのひと言で、郭尹を許すまい、と決めた。
「そうかもしれぬが、お前の自慢の戦車隊を壊滅させたのは、ほかの誰でもなく、彼女だ。侮辱するような言い方は許さん」
「女を侮辱するつもりはない。わからんのか。あなただ。あなたを侮辱しているのだ!」

 郭尹はそう言うと、剣を拾いあげ、斬りかかってきた。しかし、その姿は剣の重みに耐えきれず、逆に振り回されているようであり、どう見ても接近戦に慣れているとはいえない。韓信は鉾で郭尹の右足の太ももを突き刺し、動きを止めたところで左足も同様に突き刺した。

「馬鹿者め!」
 そして彼は珍しく逆上したような声をあげ、腰の長剣を抜き放つと、郭尹の首を一刀のもとに斬り落とした。

 郭尹の残りの戦車は兵たちによじ登られ、制圧された。結局狭い林の中では、その利点を発揮することができなかったのである。

         七

 意識が薄らいでいくということは、こういうことなのだろうか。
 ひどく眠い。

 しかし、寝てはならない。ひとたび眠りに落ちれば、自分は目覚めることがないに違いないからだ。

 まぶたが重い。
 しかし、目を閉じてはならない。閉じてしまえば、再び開けることは難しい。

 つまり、私は死の淵にいる。

 目を開き、最後に見る将軍の姿を意識に焼き付けるのだ。ほんのわずかの間でも長く……。

 傷口が痛む。
 しかし、うめき声などをあげるのはもってのほかだ。私は、将軍の前では、常に美しく、可憐でありたい。

 手が握られた。その感触は柔らかく、温かい。

「蘭……」
 それは求めていた将軍の声だった。しかし、それに続けて発せられた言葉は、ひどく散文的で、それだけに切ない。

「矢は……君の腹部から背中まで貫通している。……出血がひどい。残念だが、私には治してやることができない」

 可哀想な将軍! 本当なら、泣き出したいほど困惑しているはずなのに! 

「……しかし、死んではならぬ! 君が死んでしまったら、私は……」
 いけません、将軍。あなたは王なのです。王者たる者、たかが女の死に心を揺るがされるべきではありません。それを伝えなければ……。

「……将軍……私は……もう助かりません。死ぬなという命令には……従えません」
「馬鹿げたことを! 今死んでしまったら、君と私の夢はどうなる! 夢の実現には、手を伸ばせば届くところにまで迫っているのだぞ!」

 ああ、将軍……お優しいお言葉を……。私はそれだけで幸せでございます。私はあなたの手の温もりだけで……。
「私は、君ともっと長くいたいのだ! 死なないでくれ」
 駄目な私……。本音を言えば、将軍は私の死に悲しみ、立ち直れなくなるかもしれないというのに……。でも、言いたくてたまらない。

「将軍……将軍ともう一度……普通の、市井の男女のように……でも……もう叶わぬ夢です……」
 まぶたが重い。ひどく眠い。もう目を開けていられない。
 言葉の途中で、蘭は静かに息を引き取った。
 韓信は、その言葉に答えてやることができなかった。

 魏蘭の死によって、韓信はその夢を断たれた。
 夢を見始めたときは二人であったが、覚めてみると一人きりだった、そんな出来事であった。

 時に紀元前二〇三年九月のことである。

九つの罪

         一

 臨淄に留まっていた曹参のもとへ韓信から使者が送られ、それにより曹参は事態のあらましを知ることになる。
 このとき、使者の第一声は次のようであった。
「予測に反し、賊徒郭尹は首都臨淄ではなく、遠征隊を襲撃せんとしたが、我々は犠牲を払いつつもこれを撃滅し、郭尹の首は討ち取ったり。よって臨淄の宮殿、城市の厳戒態勢はこれを解くことを許可する」

 使者の報告に曹参は内心で安堵した。郭尹が斉の子弟をそそのかし、多数の兵力で臨淄を襲撃すれば、正直守りきれる自信はなかった。せいぜい籠城し、持ちこたえ、韓信の帰還を待つことしかできなかっただろう。

「郭尹は、そちらに現れたのか……。だとすれば、あまり政治的な野望はなかったのかもしれぬな。戦車隊を解散させた斉王への単なる仕返しであったか」
 使者は頷きながらも深刻な面持ちで答えた。
「そうに違いありませんが、危険なことは変わりありません。万が一斉王が郭尹によって討ち取られることがあったりしたら……」
「個人的に武を競い合って、斉王に勝てる者はおるまいよ……あの方にとっては、項王でさえも敵ではない。私はそう見ている」
「はあ……」
「ところで、犠牲というのは、どれくらいだ?」
「……数は少のうございます。しかし、その中にもとの西魏の公女が」
「……魏蘭が! 彼女が死んだというのか」
「左様にございます」

――これは、いかん! 
 曹参が見るに、韓信は武人としては一級である。しかし、そのことと人として成熟していることとは、違う。
 確かに韓信は礼儀をわきまえ、謹み深い男であったが、彼はそれを他者にも求める傾向が強く、無法者の部類を人一倍嫌う。
 このため、たとえて言うと韓信は切れ味の鋭い抜き身の剣のようであった。剣の輝きにだけに惹かれ、いたずらに近寄ると大怪我をする。そういう存在である。
 その危険きわまりない剣を収める鞘のような存在が、魏蘭であった。鞘をなくした剣があたり構わず人々を斬りつける、そのような事態が曹参には連想されたのである。

「斉王は魏蘭どのを眼前で失いましたが、気丈にも涙は見せず、終始ご立派でございました」
 使者はそのように評したが、これは暗に韓信が薄情だったことを伝えたかったかのように曹参には聞こえた。
「いや、悲しくないはずがない。あるいは悲しいという感情を飛び越え、呆然自失の状態に陥っているのかもしれぬ。いずれにしろ、このことで斉王のお人柄を忖度するのはよせ」

 曹参はそう言って使者を下がらせ、自身は自室に引きこもった。そして、生前の魏蘭の姿を頭の中で回想すると、涙があふれてきた。あまりの衝撃のために泣けなかった韓信のかわりに泣いたのである。

「……このたびの楚遠征の計画は中止……。あるいは、無理もないことか」
 国境付近で韓信の到着を待っていた灌嬰は、やはり使者の言上を聞き、そうこぼした。

「斉王のご様子は、どうだ?」
「正気を保っておられますが、さすがに覇気は感じられません……。どこか、力が抜けた感じでございます」
「そうだろうな。楚を相手に戦うどころではない。斉王はおそらく、謀反を起こした郭尹よりも、魏蘭を守りきれなかった自分自身を恨んでいるに違いない。あの方は……そういうお方だ。なんともおいたわしい限りじゃないか」
 灌嬰には痛いほどよくわかる。韓信という男は、常に人を当てにしない。よって郭尹の叛乱も魏蘭の死もすべて他人のせいではなく、自分のせいだと考えるだろう。
 そして、そう考えなければ自分を慰めることもできないに違いない。
 灌嬰はそう考えたが、使者は別の見方をしたようである。

「しかし魏蘭どのは、女性でありながら……勇ましく戦ったことは賞賛に値しますが、私としてはもっと自分を大事にすべきだったと思います。斉王のご寵愛を受けていたのですから……」
「確かにそうかもしれぬ。結果的に命を落とし、斉王を悲しみの底に落としたことを考えれば、君の言うことは正しい……が、魏蘭のことを斉王が愛したのは、おそらく魏蘭がそのような性格であったからだろう。知ってのとおり、斉王は堅物で、身辺にあまり女を近づけない。いわゆる女性らしい女性には興味がないのだ」
「しかし、斉王はことあるごとに魏蘭どのが前線に立とうとすることを戒めておられました」
「そうだ。だがもし魏蘭がおとなしく言うことを聞くようであれば、斉王は魏蘭のことを愛さなかっただろう。そこが複雑な、男女の心理というものだ。斉王が魏蘭を愛したのは、彼女が美しかったからではなく、彼女が共に乱世を戦った戦友だからさ。……考えてもみよ。魏蘭は確かに美女であったが、世の中には彼女以上の美女はいくらでもいる。もっとも、容姿に限っての話だが」

 使者はそれを聞いて納得したのか、引き下がった。灌嬰はその後ろ姿を見送りつつ、思考を重ねる。
――しかし、まずいことになった。斉王の精神の回復にどれだけ時間がかかるのか……。漢と楚の抗争終結の鍵は、斉王が握っているというのに。このまま動かないということになれば、漢王は怒り、斉王が背信したと思うだろう。一方項王はこれを見て、斉に戦う気なしと判断すれば、攻め込むか、懐柔するか……いずれにせよ、事態はよりいっそう混迷を深める。……魏蘭よ、なぜ死んでしまったのだ。君さえ存命ならこんなことには……。
 長く国境守備の任にあたり、魏蘭と接する機会の少なかった灌嬰だったが、にもかかわらず、悲しみがこみ上げてくる。

――あの凛とした姿を二度と見ることができないとは、残念なことだ。

         二

 臨淄に戻ってきた韓信の姿は、一見普段どおりであるが、よく見ると目もとに疲労の色が浮かんでいた。彼は、ほとんど寝ていなかったのである。
「やあ、曹参どの……ご苦労。私は……さしたる理由もなしに、戻ってきてしまった」
 出迎えた曹参は、いたわりの言葉をかけた。
「あのような事件のあとでは、仕方のないことです」
「うむ。少し休もうと思う。休んだところで気持ちが安らぐとは思えないが……」
「鋭気をお養いください」

 曹参に言われるまま、韓信は居室に入って一人きりになり、思考を巡らせた。

――なぜ、私は戻ってきたのだろう?
 というところから彼の思考は始まる。

――女の死を理由に戦意喪失する指揮官に、兵が従うはずがない。
 そのことを知っているのに、自分は戻ってきた。

――臨淄に戻ったとしても、蘭が待っているわけではないというのに……。
 自分でも説明がつかない。臨淄に戻れば、自分を癒してくれる何かがあるわけでもなかった。

――私が戻ってきたことで、あるいは漢は敗れるかもしれない。
 漢王の苦悩する顔が頭に浮かぶ。迷惑をかけて申し訳ない、という気持ちが浮かんだことは確かだった。

――しかし、いまはどうにでもなれ。知るものか。
 彼は腰の剣を外し、床に投げ捨てるように置くと、そのまま横になった。天井を見上げ、さらなる物思いにふける。

――蒯通が去ったとき、私は悲しみにくれて涙を流したというのに、蘭がこの世を去ったときは、一滴も涙が出てこなかった。……私は生来酷薄な男なのだろうか?
 これも自分で自分自身に説明できないことのひとつであり、容易に解けない謎のようなものであった。

――あのとき、泣いている暇がなかった、といえば確かにそうだ。しかし、いま蘭の顔を思い浮かべてみても、涙は浮かばない……。それは、最後まで彼女が私を裏切ることをしなかったからかもしれない。

――あれは誰だったか……。かつて私のことを評した者がいた。人を信用しないくせに、人からは信用されたがっていると……。蒯通が去ったときに泣いたのはその証拠か。思いが通じなかった相手に失望したから泣いた、ということか。では……人生の半ばまで生きることもできず死んでいった蘭のために、流す涙はないということか。……やはり、私は自分のことしか考えられない酷薄な人間に違いないな。誰が私をこのようにした? 父から受け継いだ血のせいか? 母の教えか? それとも栽荘先生が私をそのように育てたのか? ……いや、いずれにしても私の人生は私自身のものだ。誰を責めることもできない。私自身の生き方が間違っていたのだ……。

――蘭はかつて、私のことを人生の半分も知らない男だ、と評した。しかし、いま考えてみると、それは蘭自身もそうだったと思う……。蘭、私は君がうらやましい。私の残りの人生は、きっとつまらないものに違いないからだ。だってそうだろう? 人生とはほとんど……苦難に満ちている。君がいたからこそ……それにも耐えることができたというのに、残りの人生をどう過ごせというのか? 野望、謀略、裏切り、変節……私は人生を満たすこれらの苦難を君なしで乗り越えていかねばならない。……私は君がうらやましい。君はこの先そんなものと無縁でいられるのだから……。

 行軍の間、ひとしきり考える余裕もなかった韓信は、このとき初めて蘭の死を現実のものとして受け止めることができたようだった。
 その証拠として、彼はこのとき久しぶりに熟睡できたのである。

 しかし、事態は韓信に休息を許さない。このとき劉邦は、韓信の到着を待ち続けた結果、すでに固陵の地で楚軍に敗れていたのである。
「信の奴め! ……わしを見捨てて生き残れると思ってのことか。……許せぬ。誰のおかげで今まで……」
 劉邦は癇癪を起こし、身の回りの食器や調度品を手当り次第に打ち壊し始めた。兵たちはその様子に恐れおののき、平身低頭するばかりである。

 張良はそんな劉邦の姿を見て、嘆息せざるを得なかった。
――韓信……なにがあったかは知らないが……なぜ漢王の逆鱗に触れるような行動ばかりするのだ。私も君を見る目を改めなければならないのか? できることなら、そうあってほしくないことだ。
 張良も覚悟を決めざるを得なかった。彼が韓信をかばい続けるのには、限界が近づいている。

         三

 しかし、このとき劉邦のもとに来なかったのは、韓信だけではない。項羽から梁の地をもぎ取り、何度も楚の補給線を断ち切り続けた彭越も来なかったのである。

 彭越の功績は、地味ながら非常に大きい。常に草莽に身を潜めるようにして、楚軍の後背を狙い、隙を見ては攻撃する。危なくなれば散り散りになって逃げ、いつの間にか結集して、再攻撃する。項羽にとっては蚊を追い続けるような作業の連続であった。事実、劉邦はこれによって何度も窮地を救われたのである。
 しかし、当の彭越にとって、自分の地道な活動が劉邦のためであったかというと、そうとは断言できない。済水のほとり、鉅野出身の彭越にとっての第一の目的は、あくまで自身の支配地の確保にあった。もともと梁の地を支配していたのが楚であったから攻撃したまでで、仮に支配者が漢であったなら、ためらわずに漢を攻撃したことだろう。
 劉邦にしても、もし自分が梁の地を支配していたなら、それを彭越に分け与えようとはしなかったに違いない。もともと他人の土地だから、勝手に横取りすることを許可したのである。
 そのような彭越に対して、無償の忠誠を求めることは、難しい。功績は並び称されるものの、劉邦の禄を食んだ韓信との違いはそこにある。
 しかし、逆に考えれば、これは韓信の方が不遜な行動をしていることになる。彭越は劉邦に忠誠を尽くす義務はないが、臣下の韓信にはそれがあるのであった。

――彭越は、わかる。しかし、韓信は……。
 という気持ちを劉邦が抱いたとしても、不思議ではない。このとき韓信は万難を排してでも劉邦のもとへ参上するべきであった。

「韓信や彭越を動かすには、もはや信用や忠誠で臨むべきではありません」
 張良は、考えたあげく劉邦にそのように切り出した。
「子房よ、それはどういうことか? わしは彼らを信用してはいけない、ということか? 忠誠を期待してはいけないと?」
「左様にございます」
 張良は、持論を展開し始めた。
「韓信、彭越の功績は多大にして、余人の及ぶところではありません。この二人は広大な領地を持ち、それぞれに独自の戦力を抱えております」
「……ふむ」
「なおかつこの二人は軍事的指揮能力にすぐれ、たとえ寡兵でも独力で楚と戦えるだけの力がございます。……これに対して我が漢軍は兵力の数では楚と対抗できるものの……」
「わかっている。その先を言うな」
「……残念ながら指揮官に彼らほどの才能を持った者がおりません」
「だから言うなというのに。斬るぞ!」
「お許しを。しかし、考えても見てください。大王が韓信と戦って勝てるかどうか。彼がひとたび天下に号令すれば、斉の兵はおろか、趙、燕、代それぞれの兵が彼に味方しましょう。彭越がその気になれば、人知れず諸城を攻略し、我が漢軍は関中との連携を裂かれるに違いありません。しかし、彼らは今まで何度となくその機会はあったはずなのに、それをしてこなかった。それはなぜでしょう」
「さあ……わからぬ。子房にはわかるのか?」
「推測ですが……大方の予想はつきます。韓信に関しては、天下を望む気持ちはありません。斉王を称した今でさえも、彼は自分のことを大王の臣下のひとりだと認識していることでしょう。しかし、その認識があるからこそ、彼は動きづらくなっています」
「まだ、わしにはよくわからぬ」
「つまり……彼は頭の良い男ですので、先のことがよく見えるのです。臣下である自分がこれ以上の戦果を挙げてしまえば、功績の面で主君たる大王を凌ぐことになる……忠実な臣下であったはずの自分が、いつのまにか大王の最も有力な対抗勢力になってしまうことを危惧しているのです。要するに自分は功績をあげた後、滅ぼされるのではないかと」
「わしが韓信を滅ぼすというのか? ……信の奴がそのように考えることはありそうな話ではあるが……現実的にはあり得ない。わしは武力で奴を制圧することができぬ」
「しかし、韓信は大王が命じるたびに、自身の兵を割いてよこしました。彼の忠義心がそうさせたのです。彼には申し訳ありませんが、その忠義心を利用すれば、大王が彼を滅ぼすことは可能でしょう」
「……聞くだけでも嫌な話だ。わしは悪逆の項羽を討つために、最も忠義に富んだ男を滅ぼさねばならぬ、ということか?」
「そう決まったわけではありません。しかし、韓信自身は、それを恐れているのです」
 劉邦の表情にも、張良の表情にも後味の悪い木の実を噛み潰したような色が浮かんだ。
 実際にはそうではなかったが、自分たちが韓信を亡き者にしようと画策しているような気がしたからである。

         四

「一方彭越は」
 張良は気を取り直して、話を続けた。
「とにかく梁に固執した男です。彼には天下を統一するような気概はありません。秦のような広大な帝国は彼の常識から外れたものであり、旧来の戦国諸侯国こそが彼の理想なのでありましょう。つまり、彼には項王亡き後の梁の領有権を保証してやることです。きっと言うことを聞くでしょう」
「ふむ。して韓信は、どうする?」
「同じです。彼にも土地の領有を正式に認めることです。広大な領地を。しかしそれでいて、その権力が大王を超えるものではないことであることが重要です。それによって、彼は安心するでしょう」
「餌で釣り上げるようなものだな。結局は韓信と彭越を同列に置くということか?」
「然り。皮肉ですな。欲の少ない韓信と、欲の塊のような彭越。この二人の得るものが同じだということは……。しかしこの二人を動かすには同じ口調では駄目です。彭越には協力を促すように、韓信には強要するように言わねばなりません」
「逆ではないのか……ますます皮肉だ。しかし、韓信に臣下としての立場をわからせることは、彼自身にとっても良いことだろう。子房に任せる」

 かくて、韓信には陳(泗水と睢水が分かれるあたり。現在の淮陽)から以東、海に至るまでの地を与え、彭越には睢陽から北、穀城(現在の東阿)までの地を与えることが正式に宣言された。
 彭越はこの報を聞いて手放しで喜び、参戦を決意したという。
 しかし、韓信はそうはいかなかった。

 韓信の手には、使者から託された書簡がある。それはいわゆる命令書であったが、彼はそれを一読して、深いため息をついた。
「書簡には、なんと?」
 様子をみて不審に感じた曹参は、韓信に尋ねた。韓信はそれに対して苦笑いで応じ、曹参にそれを渡した。読んでみよ、というのである。

「これは、命令書に違いないが、同時に私を糾弾する書簡である。凝っていてよくできた文章だ」
 曹参が目を走らせてみると、書簡には以下のように記されていた。

「……積年の漢と楚の争いの中で、足下の功績は甚だ大きく、充分に賞賛されるべきものである。しかし漢王たる余は長引く戦乱の中で、足下の働きに対して充分な恩賞を与えることを怠ってきた。そこで、今余は足下の功績をいちいち列挙し、それに対する恩賞を与えようと思う。
 一 足下は漢中において大将軍の任を与えられ、その権限に基づき、関中反転の計を指揮した。すなわち足下自身が断りもなく焼き尽くした桟道を修復すると見せかけ、古道を用いて秦の地を征服したのである。これにより雍王(章邯)を囲むことに成功したが、桟道を修復する作業には多大なる費用、また多くの人命が失われた。しかし、功績の甚大なるを鑑みて、これは不問に処す。
 二 足下は大将軍として函谷関から東方へ進出する兵をよく指揮し、首尾よく河南、殷、韓のそれぞれの王を討ち破った。このとき足下が韓を制圧する際、旧韓の王家の復権を援助したため、韓は王国の体を維持し、漢の直轄の郡となることはなかった。しかしこれは張良の意に沿ったものであると認められるので、やはり不問に処す。
 三 余が彭城の占拠に失敗し、三万の楚兵に追われることになった際、足下は余の逃走を助け、素晴らしき才幹で楚軍を撃退した。これは甚だ賞賛されるべき功績で、余が今に至り存命であることも、ひとえに足下のこのときの働きによるものである。しかしあえて言えば、余が敗走を始めてから行動を始めるのではなく、事前にそうならないよう戦略を練るのが足下のそもそもの役目であった。だが、余が足下に命を救われたのは事実であるため、今になってこのことをとやかく言うつもりはない。
 四 滎陽にて軍容を整えた余は足下の献策に基づき、京・索の地で楚軍を迎え撃ち、その西進を止めることに成功した。このときの指揮官としての足下の働きは筆舌に尽くし難く、まことに見事だったと言えよう。しかしながら、このとき敵将鍾離眛を討ち逃したことは、足下らしからぬ失態である。だが、これも足下の軍功の大きさに比べればほんの小さなことなので、目をつむる。
 五 魏王豹が老母の看病と称して背信した際、余は足下に事態の収拾を命じたが、足下は黄河を挟んで正面から魏豹と対陣すると見せかけ、市場で瓶を買い集め、これを急造の筏にして後背から渡河し、見事魏豹を虜にした。実はこのとき、余は魏豹に裏切られることをそれほど恐れていたわけではない。ただ、魏豹のような男が裏切りに成功すると、第二、第三の魏豹が漢軍の中に現れる。余はそのことを恐れたのである。このとき、足下のとった処置は最善であった。すなわち魏豹を殺さず、裏切りに失敗した男の見本として残したことである。ただし余はこのとき魏豹の娘とされる人質を足下に預けたが、足下はこれを自身の幕府に招き入れたまま返さず、なにを思ったのか愛妾として扱っていた節がある。このことは機会があれば、ぜひ問いただしてみたいところである。
 六 井陘口において足下は陳余率いる趙の大軍と戦い、これを見事破った。足下はこのとき新たな趙王として張耳を推挙し、余はそれを認めた。そしてもとの王である歇を殺さず捕虜とし、余はそれも認めた。しかし、敗軍の将である李左車を赦したことは、聞かされていない。足下は敵将の生殺与奪の権を握っているので、誰を生かし誰を殺すのも自由であることは確かであるが、それにしても敵軍の中心的な立場にある人物を無条件に赦すとはどういうことか。李左車を中心に漢に敵対する輩が集結するかもしれぬ、ということを足下はこのとき考えるべきだった。しかし、現在に至るまで李左車はなんの動きも見せていないので、結果的に足下のとった処置は問題がなかった、とみなすことにする。
 七 修武の地ではさまざまなことがあったが、余は足下に趙の相国の任を与え、斉へ赴かせた。無数の武勇を誇る足下が率いる軍の前に、斉の七十余城はいずれも屈服し、田一族は事実上、潰えた。また足下は介入をはかる楚軍を撃退し、猛将竜且を斬ることで、さらに武勇の数を増やした。しかし、余が派遣した酈食其を救出できなかったことは、足下の輝かしい武勇に一点の曇りを生じさせる出来事だったと言えよう。しかし、これについて余は足下を責めはしない。弁士に過ぎない酈生と勇者の足下のどちらを生かすべきかとなれば、余は間違いなく足下を生かす。
 八 聞くところによれば、足下のもとに項羽の使者が訪れ、足下を誑かして楚に帰順させようとしたらしいが、賢明なる足下はこれを謝絶し、余に対する臣従の意を明らかにした。余は常々足下の意志を固く信じており、これから先もそれは変わらない。しかし、あえて言わせてもらえば、このとき足下は使者を斬り、その勢いをもって軍を動かし、楚を討つべきであった。斉の国内の問題に頭を悩ませていることはわかるが、余の最終的な目標は、漢という国号で天下を統一することであり、斉国の継続的な存続ではない。よって斉が多少不安定な状態にあるといっても、まずは最大の敵である楚を討つことを最優先に考えるべきであった。しかし、このことについて張良や陳平は口を揃えて言う。足下が心を変え、敵対しようとしないことこそ、漢の最大の強みなのだと。したがって余もそう考え、足下の判断と行動を支持することにする。
 九 これに先立ち、足下は斉の国民を服従させるには自分に与えられた権力が不足だとし、王を称した。これにより、漢王たる余と斉王たる足下は身分上同格となった。しかし足下が以前と変わらず臣従の態度を示していることに余は感謝し、満足している。願わくば、それが未来永劫続くことを望んでいるが、このたび足下は余が命じたにもかかわらず、会戦の場に現れなかった。あるいはこのことは足下の心変わりの結果ではないのか。このような疑念が余の頭に浮かばぬよう、足下は努力すべきであり、またその義務がある。しかし、寛大な余はこのことも不問に処す。
 以上のように足下のこれまでの功績は甚だ大きい。しかし、戦乱の世とあって、これまで余は足下の功績に報いることができずにいた。よって正式に足下の斉国の領有を保証することとする。すなわち、陳から東の海に至る地は、すべて足下のものである。
 しかしこれは、足下が遅れることなく次の会戦の場に現れ、正しく兵を指揮した場合に限ってのものである。つまり、足下の行動が余に再び疑念を抱かせるようなものであったなら、次は不問に処すことはないと思え。
 足下の正しき行動を期待する。  漢王劉邦」

         五

 文書の末尾には印が押されていた。印が押されてある以上、この文書が私的な手紙などではなく、公式な命令書であることを意味している。
 しかし、この時代の命令書とは要点だけを端的に記しているものが多く、韓信も曹参もこのような、くどくどと長い文章を綴ったものは、見るのが初めてであった。

「……どう思う?」
 韓信の問いに曹参は率直に答えた。
「あなた様の功績に対して賞賛していながら、それにいちいち注釈をつけていますな。漢王があなたを信頼するかどうかは、次の戦いの結果にかかっている……今に至るまであなたは功績を重ね続けてきたが、漢王はそれに満足しているわけではない……そういうことでしょう」
「そうだろうな……しかし」
 韓信は手で地面の砂を一握りすくいあげ、それをひとしきりもみ砕いたと思うと、勢いよく放った。いらつく心を落ち着かせようとする素振りであった。
「私は、都合よく振り回されているだけのように思える。今さら斉国の領有を認められてもな……失った者が帰ってくるわけではない。斉の地をもらったところで、そこに蘭が待っているわけではないのだ」

 曹参は、言葉を失った。蘭の死に関して、韓信がその気持ちを吐露したのは、これが初めてであったことに気付いたのである。
「……お察しいたします」
 そのひと言しか返しようがなかった。

「うむ。しかし、本当に私の気持ちを察してもらいたい相手は、君ではなく漢王だ。私は、あの方に忠誠を誓ったことで……蘭や酈生を失い……カムジンを殺さねばならなかった。しかも私はもとより……斉王になりたくて戦ってきたわけではないのだ。戦いに勝つことは確かに自分の虚栄心を満たす。しかしそれが欲しくて戦ってきたわけでもない。私はただ……戦いに勝つことで他人から嘲りを受けないことを望んだ。しかし、結果はこうして漢王に軽んじられる存在と成り下がっている」
「…………」
「出会った頃の漢王は、私が寒がっていると服を着せ、暑いときには汗を拭いてくれたりもしてくれた。腹をすかしていると見れば、食事を用意し、道で出会ったときには車に乗せてくれた。しかし、あの方は……お変わりになり、そのような気持ちを示すことをしなくなった」
「領地を保証していらっしゃいます……それは、汗を拭いたり、服を着せたりすることよりもはるかに大きな恩賞でございましょう」
「それはそうだが、しかし漢にこの地をもたらしたのは、漢王の力によってではない。酈生と……はばかりながら、私の力だ。いや、私と酈生はそもそも漢王の命によって行動したのだから、その功が漢王に帰せられるべきだということはわかっている。だが、そうとわかっていても言わずにはいられないのだ」

 臣下も韓信のような地位になってくると、結果だけが重視される。功績は功績のみ評価され、それに伴う苦労や、失った犠牲などは無視される。

 大樹は自分の周辺に子孫を残すべく種を飛ばすが、種が成長して自分と並ぶような高さに育つことを期待しているわけではない。自らの作る影が日の光を遮り、子孫の成長を阻害することを知っているからだ。
 このため成長半ばで枯れ朽ちる子孫は、親である大樹の養分となって短い一生を終えるのである。人々は大樹の咲かせる美しい花や、美味なる実にのみ感銘を受ける。しかし、その裏に犠牲が伴っていることに気付く者は少ない。

 このとき曹参が受けた韓信の功績の印象がそれであった。韓信自身は自分の功績のために犠牲となった者を思い、自責の念に駆られているが、その功績があまりに偉大で美しいものであるため、他者はなぜ韓信が自分を責めるのか理解できないのである。そして、このときの他者とは漢王である劉邦を指すのだった。
「……では、このたびは命令書に従わず、遠征しないということにいたしましょうか」
 曹参はそう言って韓信の返答を待った。しかし、韓信はなにも言わない。
「もし、それがまずいということであれば、王ご自身は今回臨淄に残り、兵は私が引き連れていくことも可能です」

「……いや、それはよくない。命令を与えられたのは私であって、君ではないからだ。仮に私が君に任務を代行させたとしたら、私は忠誠心を疑われるばかりか、項王との戦いを前に逃げ出した男として、嘲りを受ける。君の気持ちはありがたいが、ここはやはり私自身が行かねばならないだろう」

 漢王ははたしてこのような韓信の性格を見込んで命令を発したのだろうか。曹参の見る限り、韓信はそれほど劉邦を尊敬しているわけではない。よって忠誠心も口で言うほど、あるわけではなかった。
 ただ韓信にあるのはどんな無理な命令も実現させる能力であり、本人もそれを自負しているのである。命令に対して「できません」と返答することは、自身の能力を否定することであり、劉邦にしてみれば、韓信のそのような性格を理解していれば、どんな命令でも押し付けることが可能なのである。

 しかし、このことは逆に韓信を信用していることの証でもある。かつて韓信は項羽の配下にいたが、項羽が韓信を信用して任務を与えることがなかったため、彼は漢に転属した。彼が漢に不満を持ったからとして、再び楚に帰属するとは考えられず、残された道は自立するばかりである。
 かといって放っておいては、やはり信用を形にあらわすことができない。劉邦の立場としては韓信を信じて命令を出すことだけが、自分が上位に立つための手法であるのだった。なぜなら、軍事的能力において、韓信は劉邦を上回るからである。韓信に忠誠を誓わせるには、軍事によってではなく上位者の威厳ある態度を示す方が効果的なのである。

――斉王は、野心の少ないお方であるから助かっているが……。斉王の自制により、漢は命脈を保っているといっても過言ではあるまい。しかし、天下に項王が存在しているうちはまだいい。項王亡き後、漢王は斉王になにを命令するのか。そのとき漢王はどうやって斉王の上に立とうとすることができるのか……。

 曹参は将来劉邦、韓信双方に不幸が訪れることを思い、頭を悩ました。しかし、彼にはどうすることもできない。
 このようなとき、魏蘭が生きていれば……少なくとも韓信をうまくなだめ、激発を抑えることは可能なはずであった。
――漢王と斉王の争いが起きれば、私は立場上漢王の側につかねばならぬ。斉王と袂を分かつのは心苦しいばかりだ……。いや、そんなことは言っていられない。斉王の力をもってすれば、漢王はおろか私自身も滅ぼされるに違いない。どうか……なにも起きてくれるな。

         六

 楚を討つにあたって、劉邦は韓信・彭越の両軍を招集するのに先行し、黥布に淮南の地を制圧させている。黥布は劉邦の従弟である劉賈(りゅうか)とともに楚の南方地域に侵攻し、ついに旧都寿春を陥落させた。さらには楚の大司馬周殷(しゅういん)を説き、これを寝返らせることに成功すると、ともに北上して城父を陥とし、決戦の地に向かうべくさらに北上を続けた。
 これにより黥布は正式に淮南王を称した。

 韓信・彭越・黥布。この三人こそが、楚を倒し、漢の世を築いた元勲である。並び賞されることの多い彼らであるが、この中で武勲随一の者は、やはり韓信であろう。韓信は他の二人とは違い、長く劉邦の配下として働いてきた男であり、漢が国家として産声をあげたときから支え続けた男なのである。このため韓信は彭越・黥布のほかに、張良・蕭何と並び賞されることも多い。
 その意識はこの時代に生きる者の通念であり、韓信自身もそれを否定していない。
 しかし史実の中に韓信の増長をうかがわせるような発言の記録はなく、彼の自意識がどれほどのものだったかを推測することは難しい。
 ごくわずかな判断材料として、このとき各地から集結した漢軍を指揮したのが、やはり韓信だったことが挙げられる。劉邦は居並ぶ豪傑たちの中から韓信を選び、韓信も迷わずそれを受けたということである。この事実は韓信の実力が自他ともに認めるものであったことを証明するものであろう。

 臨淄を発ち、決戦場へ向かう道すがら、韓信は灌嬰をその軍に迎え、行軍を共にした。
「斉王……いよいよ、ですな。いよいよ項王を……」
 灌嬰は積年の抗争がついに終結することに興奮を抑えきれない。

「ああ。いよいよだ。私が淮陰を出てから何年の日々が経ったことか……。あっという間のことのように思える。しかし逆に長い年月だったとも思う。いずれにせよ、ついに我々の戦いの日々も終わりを告げる。……そう思うと実に感慨深い」
 韓信のこのときの表情は、灌嬰にはひと言で説明できない。喜んでいるようでもあり、寂しそうでもある。
「私は、自分自身のことがよくわからない……。もう無用に人命を犠牲にすることがなくなることは、やはり嬉しい。しかし、一方で私はまだ戦い足りないのではないかと……。戦いを指揮することしか能のない男から、戦いを取りあげたらなにが残る? おそらくそれは無であろう」
「斉王には、王として斉国の発展に責任がございます。この先もやることは多いでしょう。無であるはずがありません」
「……私などは国政に口を挟まぬ方が良いのだ。曹参がうまくやってくれる。あの者は寛大で、人の良いところも悪いところも受け入れる。そして緩やかに、社会全体を包むように統治していける男だ。狭量な私にはその真似ができぬ」
「大王、あなた様には曹参のような能力はないとおっしゃるのか?」

 灌嬰の見るところ、韓信は常に正しさを意識している男であった。それは確かに素晴らしいことである。
 しかし、今本人が語ったように、確かに狭量なところは存在するようであった。
「ない。実は私はこう考えている。他人には気を許すことができないと。社会は悪意の塊のようなものであり、その悪意は過去から脈々と受け継がれてきたものだと。つまり、ちんぴらから生まれた子はやはり成長してちんぴらとなり、やがてちんぴらの子を産む。世の中からちんぴらをなくすには、その血脈を絶つしかない。殺すしかないのだ」

 灌嬰は絶句し、ひとしきり考えた。この方は以前からこのような考え方をしていたのだろうか。あるいは魏蘭の死がきっかけとなり、一時的に極度の人間不信に陥っているのかもしれぬ。
「極端に過ぎますな」
 結局どう答えてよいかわからず、そのひと言だけを返した。もしかしたらこのひと言が韓信を怒らすのではないかと灌嬰は内心で恐れたが、意外にも韓信はこれを肯定した。
「そのとおりだな。だから私は王には向かないのだ。以前にも言ったが、私はこの戦いが終わったのち、漢王に斉国を献上するつもりだ。誰かに譲ってもいい」
「……また、そのようなことを」
「私は生前の魏蘭とひとつ約束を交わしていた。戦いが終わったら静かなところで、誰にも干渉されず、ひっそりと暮らそうと。残念ながら魏蘭はいなくなってしまったが、今でも私の思いは変わらない。私が王であれば、きっと世の中を正したくなる。理想を掲げて、その実現のために人の命を軽々しく絶とうとするだろう。おそらく私は、自分自身を止められないに違いない」

 韓信はそう語り、不思議なことに灌嬰はこの言葉に納得したのだった。

――私が仕えた韓信という人は、王座にありながら自身の増長を恐れ、ありのままに権力を振るうことを嫌った。……一言でいえば、自制の人だった。

 灌嬰はのちに知人に対してそう語ったという。

四面楚歌

         一

 つい先日まで優勢であったはずの楚が、窮地に立たされている。彼らは、固陵で追いすがる漢軍を撃破したものの、決定的な打撃を与えることができないでいた。
 以前の楚軍であれば、勝ちに乗じて漢軍を追い、劉邦の息の根を止めることもできたであろう。しかし、このときの楚軍には、体力がなかった。
 広武山での対立が長引き、その間に彭越に補給路をたびたび断たれた彼らは、深刻な飢えの問題に面していたのである。

 彭城に戻れば、食にありつける。しかしそれは漢を彭城に招き入れることになり、下手をすれば、首都陥落の恐れがある。彭城は平野のただ中に位置し、周囲には山も川もなく、攻めやすく守りにくい土地なのであった。

 項羽としては、以前のように首都を荒らされることは避けたい。それは単に戦略上の問題よりも、自分の愛した土地がよそ者に奪われることを嫌ったからである。
 このため項羽は全軍に命じて、固陵より西、彭城に至る手前の垓下という地に築城を命じ、残りわずかな糧食をそこに運び込んだ。垓下を最後の決戦の地として籠城戦を挑もう、というのである。

――なぜ、このようなことになったか……。
 腹を空かせながらも、懸命に築城作業にいそしむ兵の姿を見て、項羽は心を痛めた。兵たちは餓死寸前の状態にありながら、自分に対する不平を口にせず、働いてくれる。
 彼らの忠節に報いる機会がないかもしれないと思うと、涙が出てくる。もし不平を言う兵がいれば、全軍を戒めるためにその者を殺さねばならない。そのこともたまらなく気が引けるのであった。
 傲岸で暴虐だと恐れられた項羽ではあるが、そのような人並みの感情も持ち合わせていたのである。

 彼が常人と違うのは、その感情の量であった。敵と見れば見境なく殺し尽くし、酌量しない。
 しかし、その一方で彼は降伏した章邯を赦し、鴻門で劉邦を赦している。
 最後まで抵抗する敵には容赦ない態度をとり続けることができるが、ひとたび相手が下手に出れば、感情が揺れるのであった。このため、項羽に殺されるかどうかは、相手の出方次第による。この点を生前の范増老人は、項羽は心が弱い、とたびたび批判していた。

 あるとき項羽が劉邦と対峙している間に、外黄の地を彭越に奪われたことがあった。
 このとき項羽は、前面の敵を部下に任せ、急ぎ外黄へ向かったが、城壁の内部の住民たちが抵抗したため、奪還に苦労した。それでもなんとか彭越を撃退したが、腹がおさまらなかった項羽は、住民に仕返しをしようと決める。例によってすべて穴埋めにしようとしたのであった。
 しかし、このとき住民の中のとある小童が、項羽に泣きながら訴えかけた。
「外黄の民は彭越が強要するので、抵抗しただけなのです。そうしなければ皆彭越に殺されるからです。私たちは彭越が恐ろしく、大王の到来を心待ちにしていたというのに、今その大王によって殺されるとあっては、天下の民のなかで大王に味方する者はいなくなりましょう」

 これで心を動かされた項羽は、外黄の民をすべて赦し、その結果、諸城が争って項羽に降ったという。范増の批判する項羽の心の弱さが、福に転じた結果となったのだった。

 もちろん項羽にそのような心の弱さを恥じる気持ちはない。ただ感情のおもむくままに行動してきたのみである。怒るべきときに怒り、悲しむべきときに悲しむ。本能のままに生きてきた項羽は、この時代の誰よりも人間らしいと言えるかもしれなかった。

 しかし、項羽は何ごとにも感じやすい男であったので、ひとたび敗戦の色が見え隠れするようになると、踏みとどまって逆転を期するという気持ちになれなかったようである。あたかも激情に駆られるまま、兵を道連れに全軍玉砕という滅びの美学を追及したかのように見える。

 垓下に築城し、最後の決戦を挑もうとした項羽の目に、続々と集結する漢軍の姿が見える。その数は際限がないほど増えていく。項羽にはそれが信じられなかった。

――漢にはまだ、これほどの兵力があるのか。いつの間に……。
 口には出さないが、内心で驚愕している項羽のもとに、報告がもたらされた。
「新たに三十万の兵が、漢に加わった模様です」

――三十万! 冗談ではない。今までどこにそんな兵力を隠していたと言うのだ!
「……どこの、誰が指揮している軍だ」
 項羽は動揺を隠し、聞き返した。

「斉軍です。斉王韓信が、漢軍に加わったのです」
「韓信! あの男……」

 項羽の心に、諦めの気持ちが浮かんだのはこのときであったかもしれない。
――わしは、彭城に帰ることができないかもしれぬ。
 かつて項羽は韓信のもとに使者を送り、言わしめた。
「君が漢の側に立てば、天下は漢に帰し、楚の側に立てば、天下は楚に帰す」

――這いつくばってでも、味方に引き入れるべきであった。
 そのような後悔は確かにあった。しかしそんなことが自分にできようか?
――絶対にできない。このわしが、韓信などに……。

 項羽は必要に応じて自分の意志を曲げる、ということができなかった。貴族として生まれた誇り、自分自身の力を信じる心がそれをさせなかったのである。
 市井に育ち、あまり自尊心のない劉邦との差が、そこにあった。

         二

「信……いや、斉王よ。ようやく来たな。しかし、よく来てくれた」
「は……」
 劉邦と韓信の対面は果たされた。
 対面は両者とも言葉少ない状態に終始し、わずかの時間で終わりを告げた。二人とも、互いに相手のことを憎んでいるわけではない。しかし、かつてのように腹を割って話をする間柄では、すでになくなっていた。
 しかし、それでも劉邦は韓信に全軍の先頭に立って指揮をするよう命じ、韓信はそれを受けたのである。

 指揮権を得た韓信は以下のように諸将を前にして戦術を説明した。
「およそ項王という人は、常に軍の先頭に立ち、敵兵の血潮を浴びながら戦うことを誇りとしてきた。しかし、このたび彼は籠城戦の構えを見せている。これは彼らしくないことであるが、それだけに逆に警戒すべきことでもある。……そこでなぜ項王が籠城したのかを考えてみる必要があるのだが……私が見るに、楚軍は食料の確保に苦労しており、漢軍と正面から戦う体力がない。この場合楚軍が取る選択肢は二つある。ひとつは追いすがる漢軍を適当にいなし、いち早く彭城へ戻り、食を確保する策。ふたつは彭城の手前に拠点を築き、そこを決戦の場として、勝ったのちにゆっくり食事にありつく、という策だ。しかし、どちらの策も楚にとっては最善の策とはなりえない」

 劉邦を始め、兵たちは韓信の言葉に聞き入った。戦いを前に彼の発する言葉は、常に不思議な説得力を持ち、聞く者に自信を与える。韓信の持つ状況の把握力、戦術理論がそうさせたことに違いないが、そのいちばんの理由は彼が常勝の将軍であったことによるだろう。

「まず、いち早く彭城へ向かう策であるが、これはたとえそれに成功したとしても、彭城にたどり着くまでに多大の兵の犠牲を伴う。また、たどり着いたとしても彭城が戦場となり、今度は彭城の民衆までも犠牲となってしまう。自国の兵や民を愛する項王が取る策ではない。……まして彭城自体が平野のただ中にあり、守りにくいという事情もある」

「ふたつめの策。拠点を築いて彭城を守ろうとする意図はわかるが、食料はすでに残り少なく、籠城にたえるほどの量はない。必然的に補給が必要だが、残念なことに拠点に食料を運ぶ手だてもない。今や楚は四方を漢の勢力に囲まれ、後方からの支援などは望めぬ状態だ。……しかし、結果的に項王はこの策を取った。おそらく食料が尽きる前に全兵力で漢にあたり、雌雄を決しようと決意したからに違いない」

 おお、というどよめきが兵の間に起こった。最後の一戦。項羽の決意。韓信の言葉に兵たちの中に緊張が走る。

「しかし、状況は変わった。今漢王のもとには私を始め、淮南王黥布、相国彭越の軍が加わり、兵数は倍になった。これはいかに項王が武力に長けた人であったとしても、容易に撃ち破ることができない数である。つまり項王の思惑は外れ、垓下は単なる孤城になったのだ」

 再び兵たちの間にどよめきが起こる。
「楚軍恐れるに足らず!」
 そんな声が上がったりもした。兵たちの覇気が高まっていくのを韓信は感じ、心強く思ったが、話はまだ終わっていない。落ち着いた所作で兵たちの興奮を抑える仕草をすると、彼はさらに語を継いだ。

「以上のことを鑑みて、項王が垓下に籠城したことは、彼の戦略眼が鈍ったことを示すものである。……しかし、我々は油断してはならない。かの項王は、多少の戦略上の不利など、たったひとりで打開できる実力を持った剛勇である。楚の兵士はそんな彼が生きている限り、彼を信奉し続けるだろう。そして彼の行くところに兵が集まるのだ。項王を逃がしてはならぬ。この一戦で彼を必ず亡きものとし、楚兵たちの心のよりどころを絶たねばならない」

 一座が緊張に満ちた。しばらくの間、だれもひと言も言葉を発せず、事態の深刻さを噛み締めている様子であった。

――とんでもないことになった。

 いつかは訪れるに違いないことではあるが、これは戦局の決定的場面であった。
 兵たちにとって自分がそんな場面に立ち会うのは名誉であると同時に、なるべく避けたいことでもある。その理由はいうまでもないことだが、死の危険性が他の場面より高いからであった。

 漢王劉邦の立場は少し異なり、長らく続いた項羽との争いに終止符を打つことに名残惜しさを感じていた。
 不思議なことに寂しい気がしたのである。
 しかし、そんな思いは間違いで、自分に従う兵たちの気持ちを裏切るものだと考えた彼は、思いを心の奥底にしまい込むことにした。

 韓信の様子を見て、彼が本気であることを確認した劉邦は、静寂を破り、語を発した。
「信よ。……して、具体的な戦術は?」

 韓信はこのとき微笑したようであった。
「考えてあります」

 答えながら、韓信は自分に激しい嫌悪を感じざるを得ない。
――なんてことだ! 自分は……楽しんでいるというのか? 蘭を失ったというのに。酈生を、カムジンを……みんなもう帰ってくることはないというのに! 彼らの死という悲しみを乗り越えながら私が成そうとしているのは、人を殺すことなのだ! しかも私は……それを楽しんでいる。なんという不埒な男!
 さらに許せないのは、一方でそう思いながらも、他方では沸々と戦略が自分の頭の中にあふれてくることであった。

――なんてことだ。
 韓信は繰り返しそう思ったが、自分を抑えることができない。

         三

「籠城はしたものの、支援部隊が来るわけでもない項王としては、早めにこの状況を打開したいところです……。つまり城外で兵が戦っている隙に、自分は難を逃れてひそかに彭城に戻り、再起を期す。項王の行動としてはこれしか考えられませんが、我々としては、そうさせてはなりません」
「項羽が逃げる、というのか?」
「その機会をうかがっておりましょう。そのため、私はこのたびの戦いで項王が直接陣頭指揮をとることはない、と思っています。おそらく彼は兵を小出しにして戦わせ、自身は戦いません」
「…………」
「しかし、項王は生来こらえ性のない男でございます。一度は逃げると決めたとしても、きっかけさえあれば我々を打ち負かし、前面を突破しようと試みるに違いありません。……このため、我々は二度三度にわたって楚軍に負けるふりをし、それによって彼らにきっかけを与えます」
「……それは敵に倍する大軍のとるべき作戦ではないな」
「相手の意表をつくことこそ、作戦と言えるのではないでしょうか。項王は漢が大軍だと知れば、対抗できないものと思い、逃亡を企む。ところがその大軍が意外に弱かったら? 数だけを頼んだ烏合の衆だとしたら? 彼ならずとも攻撃して撃ち破りたくなるでしょう。我々としては、そこを突けばよいのです」
「しかし、我々の戦いが偽計だと悟られはしないか。確かに我が漢軍は強くなく、数を頼んだだけでは楚には勝てないかもしれない。……しかし、今の漢軍は数だけではない。指揮官として君がいるのだぞ」
「私は負けるふりに関しては常日ごろ得意としており、今に至るまで何度もそれを実行してきています。項王は私の戦い方を見て、気付くかもしれません。『韓信の戦いぶりは、噂どおりの意気地のないものだな!』と。そう思えば、自ら出陣し、戦場に姿を現すでしょう。この場合は、そこを捕らえる。あるいはそれでも慎重を期し、彼自身が出陣しない場合も考えられます。しかしそのとき彼は、城中の大半の兵士を動員し、漢を撃ち破ろうとするでしょう。このときこそ我々は大軍の利点を生かし、彼らを逆に殲滅する。これにより、項王は城中に孤立します」
「戦況不利となれば、逃げ出すと君が今言ったばかりではないか」
「そのとおりです。この場合、彼は落ち武者となります。私の狙いは彼を落ち武者にすることです。それもほぼ単独で逃亡する落ち武者に」
「ふうむ。……よく考えてある。お前が敵でなくてつくづくよかったとわしは思うぞ」

 劉邦のこのときの発言には、多少の皮肉がこもっていた。韓信にはそれがよくわかったが、今さら言うべきことは何もない。

         四

 このときの漢軍の布陣は先頭に韓信が自ら率いる三十万の兵、両翼を孔将軍(孔煕)と費将軍(陳賀)が固め、その後ろに総大将の劉邦、さらにその後ろに周勃と柴武がそれぞれ率いる部隊が陣取る、という重厚なものであった。
 漢軍の総数は不明ではあるが、韓信の軍だけで三十万であることを考えると、すくなくとも五十万ほどはあったと思われる。
 また、彭越や黥布の軍が予備部隊として控えていたことを考えれば、垓下を囲んだ漢の勢力は天地を覆うようなものであったに違いない。というのも、これを迎え撃った項羽率いる楚軍は十万程度でしかなかったのである。いかに武勇を誇る項羽といえども、太刀打ちできる数ではない。深刻な状況に項羽は城壁の防備を固め、突出させる兵はほどほどにして対応した。わずかな兵を犠牲に脱出を試みようというのである。

 しかし、城外に出した兵の数は僅かであったのに、それを処理しようとする漢軍の動きは項羽の目に鈍重に見えた。韓信はほぼなにもすることもできず、少数の楚軍の動きに翻弄されているようであった。

――あるいは、大軍であるからこそ、指揮が徹底しないのかもしれぬ。
 項羽はそう思い、韓信の指揮能力を軽く見積もることにした。
 これは、できることなら逃亡ではなく、戦いを欲した項羽の本能がそう思わせたのかもしれない。
 しかし、実際は韓信が項羽にそう思わせているのであった。

 だが、それを見抜けなかった項羽は、韓信が要領を得ずに後方に下がる姿を見て、城内に留まっている残りの兵に出撃命令を出した。

 これを機に両翼の孔将軍と費将軍が猛然と楚軍に襲いかかり、韓信が攻めあぐねた少数の兵たちを殲滅した。城内からは楚兵たちが次々に出撃してきたが、彼らはただ大軍に包囲されるだけのために出てきたようなものである。
 態勢を立て直した韓信が再び前面に兵を進めると、目立った抵抗もできずに壊滅するに至った。

――してやられた……韓信めに……。
 項羽の全身から力が抜けていき、それとともに気力が失われていった。

 覇気を失った項羽は、もはや本来の項羽とはいえない。貴族の子として甘やかされて育てられてきた、忍耐強くない男の姿が見え隠れする。これまで、乱世の武人として人に見せないようにしてきた姿がそこにあった。
 項羽は絶望のあまり、天を仰ぎ、座り込んでしまったのである。
 それを遠巻きに、なにも言わずに見つめた虞の目には、彼が溢れようとする涙をこらえているかのように見えた。

 このとき城内に残った楚兵の数は、わずか千名に満たなかった。

 日が暮れ、空に星の姿が見えるようになった。韓信は篝火のもとで物思いにふけっている。
――今夜は星や月の光が眩しい……。我々にとっては好都合だが、逃亡をはかる項王にとっては不運なことだ。

 また、こんなことも思う。
――星の光りが人それぞれの運命を示しているとしたら、今夜、とびきり大きな巨星がその輝きを失うことになるかもしれない。それは、あの星か、それとも、あの星か……。

 韓信の陣営には、吉兆を占星術で占うような者はいない。彼は戦いを前にして、祭壇に生け贄を捧げるようなこともしなかった。常に現実的で、自分の力のみを頼りにしてきた彼であったが、このときは人並みに感傷に浸っていたのである。

「お見事でしたな。城内に残るは項王と、わずかの兵……。あとは、それをどう仕留めるか」
 灌嬰は物思いにふける韓信の横に立ち、純粋に興味本位に聞いた。韓信が項羽の息の根をどうやって絶つつもりか聞きたかったのである。

「うむ……。戦力の大半を失った項王は、半ば強引な形で脱出をはかるに違いない。……そこで我々は彼を追うわけだが……その役目は……灌嬰将軍、君にやってもらおうと考えている」
「は?」
「いや、これはもう私の考えではない。既に私は漢王にこのことを奏上し、許可を得ているのだ」
「なぜです? 斉王の部隊をもってすれば、決して難しい任務ではないはずですが……」
「恐ろしいのか? 項王のことが」
「そういうわけでは……」
「君はかつて漢王のもとで滎陽と敖倉をつなぐ甬道を守り続け、多大なる功績を示した。しかし、地味な任務であったために、その功績は正当に評価されていない。また、私のもとに来てからは長らく国境の守備にあたり、私としては感謝しているのだが……君は漢王の部下であるため、勝手に私が封地を与えることはできぬ。私にできることは、君に誰も文句のつけようもないほどの大功をあげさせることだ」
「つまり……?」
「うむ。君の自慢の騎馬隊をもって項王の首をあげてみせよ。それによって漢軍内での君の地位も高まるだろう」

 韓信の命令は、灌嬰が主に護軍中尉の陳平とそりが合っていないことを考慮してのものであった。
 灌嬰は古参の武将として、新参の陳平が劉邦に重用されていることにかつて異議を唱えたが、その陳平の作戦がこれまで成功しているので、結果的に漢軍内での孤立度を高めている。
 韓信はそのことを気遣い、灌嬰に軍功をあげさせようとしたのだった。

 一方で韓信が項羽を斬れば、本当の意味で劉邦を上回る存在となってしまう。人臣の身でありながら主君を恐れさすほどの軍功をあげることの危険性、その本当の意味にようやく気付き、自らは身を引いたのかもしれない。
 だが、そんな気遣いも本来は戦いが終わってからするべきものだった。
 というのも未だ項羽は城内に健在で、彼が生きている限りまだまだ油断はできないのである。しかも、実は韓信としてもいかにして項羽を城外に引き出すか、この時点で具体的な考えはなかったのだ。

 垓下城を取り囲む漢兵の間から、歌声が響き始めたのはちょうどその頃であった。

         五

 それがいわゆる楚歌だった。民謡である。巫(みこ。シャーマン)の唱える呪文のような感情的な韻律を起源とし、随所に音律を整えるための「(けい)」という語が加えられる(兮という文字自体には文章としての意味はない)。
 このような特徴は北方地域のそれにはなく、このこと自体が楚が他の中原諸国と文化的に異質であることを物語っていた。中原の人々は、楚人が歌う呪文のような歌を軽蔑し、逆に楚人はそれを誇りにしているのである。

「気味が悪い」
 睢陽出身の灌嬰は、この歌声を聞き、そのように評した。
「あんな歌のどこがいいのか……」

 歌っている兵たちの中には、すでに感極まり、泣き出す者も出始めていた。楚人以外の者から見れば、異様な光景である。部外者から見れば、彼らがなぜ泣いているのか、想像もつかない。

「いや……楚人ではない君にはわからないだろう。理解しようとしても無駄だ。楚人の歌は、楚人の心にのみ、感銘を与える。あの歌は……城壁の中にいる項王の心に響くに違いない」
 韓信は彼らの歌自体には共感せず、それが与える結果にのみ興味を示したようであった。

――斉王はもともと楚の生まれだと聞いていたが……故郷の歌を聞いて郷愁にかられたりはしないのだろうか?
 灌嬰はそう思ったが、口に出して質問することはしなかった。確たる理由はなかったが、どうも触れてはいけないことのように思えたのである。

「項王は、感情の人だ」
 韓信は、そんな灌嬰の疑問をよそに話を続ける。
「項王は楚人であるから、あの歌が楚の歌であることがわかるはずだ。つまり、楚王である自分を包囲している敵軍の中に、実は楚人が多いという事実に気付く。彼にとって、これほどの精神的痛手はないであろう。追いつめられた項王は、間もなく何らかの行動を起こすに違いない。灌嬰将軍、君の出番は近い。陣に戻って準備を急げ」
「承知いたしました。項王が落ち武者となる時が来た、というわけですな?」
「そのとおりだ。しかし、気を許すな。彼はただの落ち武者ではない。史上最強の落ち武者だ。……しかし、それにしても」
「は?」
「漢軍の中にも、いつの間にか楚人が多くなったものだな。少し前まで、私は自軍の中に自分の同胞を見ることはなかったというのに。これも時代の流れというものか」

 韓信は韓信なりに楚人としての郷愁を感じているかのようであった。その彼が今やろうとしていることは、楚を滅ぼすということなのである。

 彼にとって、郷愁と愛国心とはまったく別のものであった。

         六

 垓下に築城したといっても、その実情は砦を築き、周囲に防塁を巡らした急造のものに過ぎない。大軍を擁した漢軍が攻城兵器を用いて間断なく攻撃を仕掛ければ、救援のあてもない楚軍としてはひとたまりもなかった。そのうえうかつにも韓信の策にはまり、城外で大半の兵を失った項羽には、脱出するしか道は残されていない。
 しかし、この状況下では脱出こそが難しく、項羽は軍を解散する決断に迫られた。
 それでもあるいは自分の実力をもってすれば、電撃的に漢軍の中央を突破することも可能かもしれないと思う。しかし冷静に考えれば、そんなことは不可能に違いないとも思える。結局なかなか決断をすることができず、行動を起こせずにいた。

 最終的に彼に決断させたのは、敵陣の中から聞こえてきた楚歌であった。敵である漢軍の中に楚人の占める割合が多いことを実感させられた項羽は、意を決し、砦の中に残った残兵を集め、それぞれに酒や食事をふるまった。
 軍糧が足りず、飢えた状態で戦ってきた楚兵たちにとって、久しぶりに与えられた飽食の機会である。城内の兵たちは皆、それが最後の機会であることを無言のうちに認識したのであった。
 また、たとえ一食のみといえ、自分たちが飽きるほど腹を満たせるのは、半数以上の味方が戦場に散ったおかげであるということを知り、誰もが生き残ったことに罪悪感をもった食事の機会だった。

「……我々に残された道は、もはや二つしかない。脱出か、降伏かだ」
 項羽は宴席で、配下の者を前にそう言った。
「脱出したいと思う者は、各自めいめいに道を切り開き、脱出せよ。それが無理だと思う者は、敵将韓信のもとに降伏するがいい。そのことを責めはしない。韓信は狡猾な男ではあるが、残酷ではない。殺されはすまい。……しかし、わしは別だ。わしには脱出するしか道は残されておらぬ」

 楚兵たちは、口々に項羽に最後まで従う旨を告げた。これは項羽にとってありがたいことではあるが、同時に敵に発見されやすくなることを意味する。逃亡する部隊が大集団になればなるほど、敵の目を引きつけることになるからだ。

 しかし、このとき感情が高ぶっていた項羽は、部下の兵たちの忠誠心に感じ入り、涙をこぼした。もはや自分は助からない。それならば敵に見つかりやすいか、そうでないかはたいした問題ではない。ただ自分と生死を共にしようとする人間が、まだこの段階に至っても存在したということに心を動かされたのである。

 だが、問題はそれだけではない。自分たちは敵陣に囲まれ、あるいは死に、あるいは生き残るだけである。
 しかし、非戦闘員を連れていくことはできない。
 彼らを連れていけば、行軍速度が鈍る。その結果、戦闘員・非戦闘員ともに生き残る可能性が低くなるからだ。

 非戦闘員の大部分は女官であった。項羽の愛する虞もそのひとりである。

 女官は置いていったとしても、殺される可能性は少ない。しかし、その多くが敵兵たちの慰みものとされ、犯されることは容易に想像できる。そのことを考えると、項羽としては虞だけは置いていくわけにはいかなかった。

 だが、繰り返すようだが、連れてもいけない。悩んだ項羽は、その気持ちを次のような歌の形にして表した。

 力拔山兮氣蓋世(力は山を抜き 気は世を覆う)
 時不利兮騅不逝(時 利あらずして 騅逝かず)
 騅不逝兮可柰何(騅逝かざるを 如何すべき)
 虞兮虞兮柰若何(虞よ虞よ なんじを如何せん)

 (すい)とは項羽が常に騎乗する馬の名である。
 実際に騅が何らかの原因で走らなくなった、ということではなく、項羽はこの歌で戦況が自分の思うようにならないことを、騅が走らない、ということで表現したのだった。

 そして楚歌に特徴的な「兮」という文字が連発する。「兮」は日本語では「けい」と表し、先述したように直訳すべき語はない。しいて言えば文節ごとに「ハイ!」などとかけ声をかけるようなもので、それだけに感情をこの語に乗せて歌う項羽の姿が目に見えるようである。

 項羽はこの歌を数回繰り返して歌った。そしてそれにあわせるように虞も歌い、剣を持って舞ったという。そして最後には、
「四方楚歌の声、大王意気尽き、賤妾いずくんぞ生に聊んぜん」
 と歌い添えた。自分のような妾がどうして生きていられようか、と歌ったのである。
 虞の決意がうかがわれる歌であった。
 
 そして、項羽は虞が歌い終わると、腰の剣を抜いた。やがて目の前に背を向けて座った虞に向けて、ゆっくりと、いたわるようにその剣を振り下ろした。

 目は閉じられていた。虞の女神のような姿は、斬られた後も、その形を変えることはなかった。

 ことを終えた項羽の頬についに涙が伝った。これを見た周囲の者も皆泣き、誰も顔を上げることができなかったという。

 その夜の未明、項羽は騎馬で従う者八百名だけを引き連れて防塁の外に駆け出し、漢の包囲網を竜巻のような勢いで突破した。そのうえで突撃の足手まといになる非戦闘員は砦の中に残され、置き去りにされた。
 遺体となった虞もその中にいたことは言うまでもない。

 そして夜が開けたころ、騎将灌嬰の率いる五千の騎兵が、静かにこれを追撃した。

抗争の終わり

         一

 未明には八百騎いた味方が、淮水を渡り終えたころには百余騎しかいなかった。いなくなった者たちは、討ち取られたのか、方々に逃げ出したのか、それとも単にはぐれただけなのか、項羽にはまったくわからなかった。目の前の光景が現実かどうかさえ、頭の中ではっきりしない。
 しかし、耳を澄まさなくても漢軍の閧の声は聞こえてくる。確かに自分は追いつめられているのであった。

――天運に見放された。
 対等の条件で戦えば、絶対に負ける気がしない。にもかかわらず、こうまで自分が追いつめられているのはなぜか。

――天がわしを滅ぼそうとしているのだ。
 項羽はこれまで常に実力を誇示し、そのことによって天下を支配しようとしてきた。
 彼の武勇は天下随一のもので、そのことは彼自身のみならず、この時代の誰もが共有する認識であった。

――実力のない者に、このわしを滅ぼせるはずがない……わしを滅ぼそうとしているのは、天以外にありえぬ。
 そう考えたのは項羽の自尊心の高さゆえであろうか。彼は同時代の他の人物によって自分が滅ぼされるとは、決して考えようとしなかった。

 しかし、実際に項羽を追いつめたのは、対陣を続けて楚軍を飢えさせた劉邦の軍略であり、四方を制圧し楚を孤立させた張良の戦略であり、さらには項羽の性格を見抜いてその軍の大半を砦から引きずり出して殲滅した韓信の戦術であった。

 それゆえに項羽が滅びるのは天命によってではなく、己の武勇を信ずるあまり、知恵の部分をないがしろにした報いであるといっていいだろう。

「項王の首には千金と万戸の邑がかかっているんだぞ。逃すな!」
 迫りつつある漢兵たちの叫び声が聞こえた。
 逃れようとした項羽は、このときひとりの農夫に出会い、道を尋ねた。
「左の方角に向かうがよい」
 農夫はそう言い、項羽はその言に従った。

 が、思いがけず沼地に馬の脚をとられることになった。
 農夫は項羽を騙したのである。すでに付近の住民は漢によって買収されていたのであった。これにより項羽は漢軍に追いつかれ、従うのはわずか二十八騎のみとなる。

 項羽を滅ぼそうとしているのは、やはり天などではなく、人の意志であった。

「呉中で兵を起こして以来、八年になる……。今までに七十あまりの戦いを経験し、わしは常に勝利してきた。そしてわしは天下を得たのである……したがって今ここに困窮しているからといって、それはわしの戦い方のまずさが原因ではない。天がわしを滅ぼすのだ」
 項羽はわずかの部下を前に最後の自己主張をした。ついに死を覚悟せざるを得ない事態となったが、どうせ死ぬのであれば最後まで自分らしく死にたい、ということであろう。

「今わしはそれを証明するために、諸君のためにこの囲みを破ってみせよう。三回戦って、三回とも勝ち、敵将を斬ってその旗を折ってみせる!」

 項羽はそう言い放つと部隊を四つにわけ、円陣を敷くと四方に向かって突撃させた。

「君らのために、まずあそこに見える一将を斬ってみせるぞ!」
 項羽は自ら先頭に立ち、愛馬である騅を疾風の如く走らせた。すると包囲していた漢兵たちは一様に恐れ、剣や鉾を落とし、地面にひれ伏した。
 そして項羽はその言のとおり、漢の一将を斬ってみせたのである。

 ちなみにこのとき、漢の楊喜という人物が勇気を振りしぼって追撃したが、項羽に一喝され、それだけで辟易して数里の距離を後退したという。
「辟易」という語には、相手の勢いに圧倒されて尻込みするという意味があるが、このときの故事がこの語の由来である。

         二

 この戦いで項羽らが討ち取った漢兵は数百人、対して彼らが失ったのはたった二騎のみであった。

「どうだ」
 項羽は従う者に向かい、胸を張ってみせた。
「大王の仰せのとおりです」

 項羽が自分の戦いぶりのまずさゆえに、現在の困窮があるわけではないと言った、そのことである。
 しかし、この段階に至って局地的な戦いに勝利しても、大勢を覆すことにはならない。そのことは項羽自身もわかっていた。あくまでも自分の生き様を最後まで貫こうとしたのである。

 この後、項羽一行はやや東に進路を取り、烏江という地にたどり着き、そこから長江を渡ろうとした。そこに船を用意した烏江の亭長にあたる人物が待っていた。

 その亭長は言う。
「大王、早く船にお乗りになり、江東の地で再起をおはかりください。この近辺で船を持っているのは私だけです。漢軍が来ても、彼らには乗る船はありません。お急ぎを」
 項羽の脳裏に先刻農夫に騙されて沼地にはまった記憶が呼び起こされる。この亭長もまた、自分を欺こうとして……。

「お急ぎを!」
 亭長の目に必死さを見た項羽は、また心を動かされた。元来、感じやすい男であった項羽は、このような必死に自分を救おうと努力する者を見ると、優しくなるのである。

「君は、長者だな」
 そう言って、項羽は微笑んだ。
「わしははじめ江東の子弟八千人を引き連れてこの川を渡った……しかし、今その中で生きている者はひとりもいない。たとえそれでも江東の父兄がわしを哀れみ、王として迎えてくれたとしても……わしには彼らにあわせる顔がないのだ。また、彼らがわしのことを責めずに許してくれたとしても……わしはそれほど厚顔な男ではない。自分の心の中に恥を感じずにはおれぬ」
「それは……」

 亭長は言葉を失った。それでは項羽は川を渡らない、というのか。
「天がわしを滅ぼそうとしているのに、川を渡ったところで運命は変えられぬ」
 亭長の目に涙が浮かんだ。項王は、ここで死ぬつもりだ、そう思ったのであろう。

「亭長。せっかくの君の好意だが、わしは受けることができぬ。せめてもの償いとして……わしの馬を君に授けよう。わしはこの馬に乗って五年、向かうところ敵なく、一日に千里を走った。よって……殺すには忍びない。君が世話をしてくれたら助かる」
 こうして項羽は愛馬の騅を手放し、以後は徒歩で行動した。従う者たちも皆馬を捨て、自分たちの運命に愛馬を道連れにすることを避けた。

 ここで彼らは再び漢軍の追手と遭遇し、激しく戦闘を交える。既に手元には戟や戈などの長柄の武器はなく、おのおの剣のみで接近戦を挑まざるを得なかった。
 しかしここでも彼らは漢兵数百人を斬り、楚兵の戦闘力の高さを証明するに至る。だが、この戦いで項羽自身は十数箇所の傷をこうむった。

 彼は、戦場で苦しみを感じたことはなかった。まして傷の痛みを感じたことなど皆無に等しい。
 彼はほとんど負けたことがなかった。しいてあげれば、かつて韓信という若造に腹を蹴られたことがあったが、それも実際には彼に深刻な痛みを与えたわけではない。

 傷の痛みは、自分の運命がここで尽きることを実感させた。物事に感じやすい項羽は、自分の滅びゆく運命をいとも簡単に、あっさりと受け入れた。

――どうも、このあたりで最期のようだ。
 初めての傷の痛みを、じっくりと味わうように気持ちを落ち着かせる。常に勝利してきた彼にとって、敗者の気持ちは一生に一度しか味わえないものであった。
 貴重な体験を無駄にはできない。この一瞬、目に見える光景を頭の中に焼き付けるのだ。

 そう思い、周囲を取り囲む漢兵たちを観察しようとすると、圧倒的優位にたちながら、自分を恐れ、攻撃をたじろいでいる彼らの姿が見える。
 臆病者どもめ! 彼は漢兵たちの不甲斐なさに心の中で笑った。

――やはり、わしを滅ぼすのは、漢ではない。天がわしを滅ぼすのだ。
 項羽の自覚は、死の間際に確信に変わる。このうえは、それを敵兵に向かっても証明したい、と考えた。

 その方策を考えながら、視線を動かすと、ある男の顔が視界に入った。見覚えのある顔。それは幼き頃、会稽の地でともに遊んだことのある男の顔であった。
「お前は……ひょっとして呂馬童(りょばどう)か?」

         三

「間違いない。馬童……久しぶりだな。近ごろ顔を見ないと思ったら、漢にいたのか……」
 項羽は決して呂馬童という青年を責めたわけではなく、むしろ死を前にして旧友に会えたことを喜んでいたのである。

 しかし、一方の呂馬童はそう思わなかった。項羽を前にして足の震えをとめることができない。
「俺が、漢軍に入ったのは……当然のことだ」
 呂馬童は恐怖心を抑えながら、やっとのことでそう言った。

「当然……? わからんな。どういうことだ」
「俺は……幼いときから、お前のことが恐ろしかったのだ!」

 これを聞いた項羽は、なんとも残念な表情をした。
「それは……実にすまないことだ」
「今さら遅い……おおい! ここにいるのがまさしく項王だぞ!」
 呂馬童はそう叫び、応援を呼んだ。仲間がいなければ、恐ろしくてたまらない。昔も今も変わらず、目の前の項羽という男が恐ろしくて仕方なかった。

「馬童よ」
 項羽は悠然と構え、来援する敵兵に対抗しようとする構えも見せなかった。
「聞けば、わしを捕らえた者には千金と、万戸の封地が報奨として与えられるそうだな」
「そうだ」
「旧友の誼である。わしは自分の体をお前のために恵んでやることにした。もはや恐れることはない。わしの首を劉邦のもとへ届け、以後の生活を保障してもらうがいい」
 項羽はそう言い放つと、呂馬童の目の前で剣を自分の首に当てると、いきなり頸動脈を斬った。

 激しい血しぶきをあげながら、どう、と倒れ込んだ項羽の遺体に数人の漢兵たちが群がった。彼らは報奨金や封地を目当てにして互いに項羽の遺体を確保しようとし、その争いの中で何人かの死傷者まで出した。

 結局激しい争いの中、項羽の遺体は五つに切り裂かれた。

 頭部を指揮官の王翳という人物が確保したほか、騎司馬の呂馬童が右半身、郎中の呂勝と楊武が片足づつを確保した。左腕に当たる部分は、先に辟易して数里後退した郎中騎の楊喜がものにした。
 彼らはそれぞれ封地を与えられ、それぞれに侯爵の地位を与えられたのである。

 項羽は最期まで自分が滅びるのは、実力によるものではなく、天に与えられた定めとし、漢兵の手にかかることを拒み、自害を果たした。
 敗勢が決まってからも自らの生き様を証明しようと、武勇を最期の瞬間まで見せつけ、それによって漢兵の数百人が命を落とした。
 雄々しい最期ではあったが、彼の見せた最後の抵抗は、軍事的に無意味なものであり、道連れにされた漢兵たちは、ほぼ無意味に殺されたといって差し支えない。彼らは、項羽という男の自分を飾ろうとする欲に付き合わされただけなのである。
 さらに項羽の遺体に群がって報奨を得ようとした者たちの姿は、戦時下にも尽きることのない人間の欲を象徴するかのようであり、醜態そのものであった。

 しかし、人間社会を動かす原動力は、往々にしてそのような欲なのである。

         四

「なんと美しい……」
 数十名の部下を引き連れ、垓下の砦の内部を検分して回った韓信は、楼台に横たわる若い女性の遺体を前に足を止めた。
 二十代前半か、あるいは十代後半かもしれない。そこに寝ている女性には首から背中にかけて大きな傷があり、激しい出血の痕があったが、それにも関わらず天女のような面影が残されていた。

「項王の寵姫、虞美人にございます」
 傍らにいた女官の生き残りのひとりが、そう告げた。
――項王の愛妾……。

「どんな娘であったか」
 興味を覚えた韓信は、女官に向けて質問した。

「口数の少ない、しとやかで、おとなしい方でございました」
 それきり女官は涙を流し、話ができなくなった。

――項王はあれほど多くの人を殺してきておきながら、最後には類い稀な美女までも道連れにする……しかし、項王に殉じた者がこの女のみだということは、喜ぶべき結果には違いない。
 だが、項羽が死ぬことになり、その結果この美女が自らの命を絶ったということは、韓信に感傷を起こさせる事実であった。

――あるいは、この娘を死に至らせた原因も、自分にあるのではないか。
 そう思うと、いたたまれなくなる。

――なにも死ぬことはないだろうに。
 敵将である自分に対する当てつけかとも思われてくる。

――この娘がもし蘭だったら、やはり死ぬだろうか。
 いや、そんなはずはない。あれは、ひとりでも生きていける女であった。確かに美しいが、いかにも王家の後宮に住む姿が似合うこの女とは……違う。

「斉王は、このような女がお好みですか」
 ふいに発せられた配下のひとりの質問に、韓信は答えた。
「いや、……どんなに美しいといっても死んでしまっては、咲かない花と同じだ。あるいは枯れた花か……。いくら枯れた花を愛でてみても、寂寥を癒すことはできず、かえってそれは増すばかりだ。……項王のそばに葬ってやるよう手配せよ」
「は、ですが項王はまだ……」
「いずれ死ぬ」
 このとき項羽の死はまだ確認できないでいたが、韓信にとってそれは既定の事実であるかのようであった。

 戦いは終わり、韓信は兵を引き連れ、斉への帰途についた。残党の始末をしつつ、臨淄に帰ろうとしたのである。

 天下はあらかた定まった。にもかかわらず、韓信の心には、晴れ晴れとしたものはない。
 かつて、魏蘭は彼に言ったことがある。
「戦争が終われば、内乱が始まる」

 それは正しいことのように思えた。今日まで絶えることのなかった戦いが、明日から急になくなるとは、どうしても思えない。
 しかし項羽が死んだ以上、内乱を起こすにしても新たな首謀者が必要で、それが誰なのかが当面の問題であった。

 韓信は思う。自分は世に戦いがあれば、必要とされる男だと。
 つまり、内乱が起こったとしても自分が鎮圧するつもりでいたのである。

         五

 項羽が自害して死んだのは紀元前二〇二年十二月である。
 かつて楚の令尹であった宋義は項羽のことを「猛キコト虎ノ如ク」と評したが、猛虎とはいかにも彼を呼ぶにふさわしい通称であるかのように思われる。敵と見れば見境なく噛み付き、その反対に同族や味方に対しては限りない優しさを見せた彼は、動物的な野生を残した人物のようであった。いわば、群れを守るボスのような存在である。

 一方の劉邦は、とある伝説から竜の子であるとされた。
 その伝説とは、母親が竜に犯されたのちに生まれた子だ、というのもので、非常に信憑性が薄い。しかも驚くことに、それを広めたのが妻を寝取られた形になった父親である劉太公であったらしい。
 これは史料にも記載されている話だが、事実として認めるには、あまりにも途方もない話である。
 東洋的神秘に彩られたそのような伝説がどうして生まれたのか正確には不明だが、ひとつには当時流行した五行思想において、漢王朝は五行のなかの「火行」に由来するとされていたので、その創始者である劉邦を「火」に縁の深い想像上の動物である赤竜の子と称した、という説がある。
 しかしこの説に基づいても、なぜ漢が火行に由来するのか論理的に説明することは難しい。おそらくこの伝説は、後の西洋に生まれた王権神授説に似たようなもので、劉邦が天命によって天下を治めることを定められていたことを言いたいがために作られた逸話なのだろう。
 あるいはライバルである項羽が天命によって滅んだという説に基づき、劉邦は天命によって生まれたという対極的な創作がなされたのかもしれない。

 しかし創作だとしてみても、劉邦を竜にたとえることは、やはり自然であるかのように思われる。悠然と空を泳ぐその姿は、古くからの儀礼やしきたりを嫌い、細かいことにこだわらなかったとされる劉邦の印象によく合うのである。

 同時代にその猛虎と赤竜が並び立つことは許されず、縄張りや主導権を主張し合い、ついに戦うことになったのは必然であったように思われる。
 獰猛な虎には牙や爪の武器があり、それは触れる固体をすべて破壊する力があった。
 これに対して、竜には口から吐き出される火焔がある。
 竜そのものには戦闘力はあまりないが、その吐き出す炎には猛烈な燃焼力があった。
 韓信などは言うなれば、その炎にたとえることができる。
 形のない炎にたいして、虎が牙や爪で対抗しようとしても、無効であった。そして炎は虎を包み込み、ついに焼き殺した。

 楚漢の攻防を象徴的に示そうとすれば、そのような表現が似合う。

 しかし、虎を殺したあと、竜は一抹の不安を覚える。自分の吐き出した炎がふいに風に煽られると、制御力を失うことに気付いたのである。
 吐き出した炎によって、ともすれば自分が焼き殺される危険があった。
 しかも不思議なことに、その炎は消えることがなく、大きくなったり小さくなったりして空中に存在し続けているのである。

 危機を感じた竜はなんどかその炎を自分の鼻息で吹き消そうとしたが、炎は意志を持っているが如く、なかなか消えようとしない。対処に困った竜は、その長大な尾を振り回し、それを遠ざけることに尽力した。
 一見、炎を消し去ることは諦めたかのように見える。
 しかし実際は、竜は次の手を考え、機会を狙っていたのだった。

 一方の炎には、実のところ意志などありようがない。炎は炎に過ぎず、勢いよく燃えるべきところでは燃え、そうでないところは勢力を落とすだけの話である。
 竜の吹き消す力が十分でない、それだけであった。

 そもそも炎を生かすか殺すかは、炎の意志によってではなく、それを扱う者によって定められるのである。しかも炎は小さくなっても炎であることには変わりなく、ともし火のような大きさになっても生き続けることができる。扱う者が適正な判断を下せば、それは世界を照らす明かりとなり、暖をもたらすものともなり得るのだ。

 竜はしかし虎を焼き尽くした以上、もはや炎は危険なものとしか考えなかった。ゆえに消し去ることばかりを考え続けたのである。

 炎が消えない限り、天下に争乱は、まだ続く。

         六

 項羽を失った楚の諸城は、次々に漢に降伏していった。
 ただ魯だけはなかなか降ろうとせず、抵抗を続けたという。これは当初懐王が項羽を魯公としたことに起因しており、魯の人々は項羽に忠義だてして漢の攻撃に対して皆死のうとしたのであった。
 これは、意外にも項羽が住民によって支持されていたことを示す証左であり、それを残虐な方法で制圧することは征服者としての資質を問われることであった。そのことに気付いた劉邦は項羽の首を彼らに示して見せ、抵抗の無意味を説いたところ、ようやく彼らは降ったのである。

 こうして楚の地は残らず征服されるに至った。劉邦は項羽のために喪を発し、彼を穀城という地に葬った。
 穀城とは梁にある土地で、項羽のかつての領土であったことには違いないが、春秋・戦国時代に由来する本来の楚地というわけではない。よって項羽は楚人というより、魯公として葬られた、と言えそうだ。

 劉邦は、項羽の葬儀にも参加し、その場で涙を流してみせた。
 それが好敵手を失った悲しみの涙なのか、それともついに宿願を果たしたうれし涙なのかは、はっきりしない。おそらくその双方なのだろう。
 というのも、彼はその後、項氏の生き残りの人物を誰も殺さず、縁のある項伯などに劉姓を授けたりしているのである。偽善的にも思えるかもしれないが、劉邦のこの行為は乱世に滅んだ敵将を哀れむ気持ちが表れており、そのため葬式で流した涙に嘘はなかったと思われる。

 葬儀を終えた劉邦は帰還の途につき、その際に定陶を通った。定陶には、帰還途中の韓信率いる斉軍が、軍塁を築いて駐屯していた。ここで劉邦は一見不可解な行動をとるのである。

 項羽亡き後の天下の争乱が、始まろうとしていた。

             (第三部・完)

破局の訪れ

         一

 定陶。
 かつて項梁が命を落とした地。このとき、定陶は梁に属する。
 韓信は、あちこちに潜む楚の残党に進路を阻まれながら、ようやく済水のほとりに位置するこの地にたどり着き、兵に休息を与えた。梁は彭越が支配する友邦の地ではあったが、用心深い韓信が随所に軍塁を築き、警戒を怠らなかったことは言うまでもない。このため、兵たちにとって本当の意味での休息はなかった。
 定陶にたどり着いたと言っても、もちろん堂々と城門の前で休むわけではなく、必要以上に目立たぬよう遠くに城門を望む位置に軍を留め、なおかつ敵の目の届かない山陰に身を潜めて、休息をとるのである。必然的に野営する形になるわけだが、それも遠征軍としては仕方のないことである。

 あたりが夕闇に包まれ、星が見えてくるころになると、遠目に見える定陶の城壁の上に灯がともった。橙色に浮かび上がったような城市の姿は幻想的であり、兵たちの中には夜の町に遊ぶ平和な日々を連想し、涙を流す者もいる。

 しかし韓信の頭の中には、そのようなものはない。
 彼の頭の中には、かつてこの城市で松明の明かりの下、演説をした章邯の姿があるばかりであった。
「……賊は誅罰されるものであり、討つにあたって我々は礼儀など必要としない。ただ、殺せばよいのだ!」

 恐れを抱きつつも、圧倒的な章邯の存在感にうちひしがれた自分。
 あのとき自分は知らず知らずのうちに章邯に憧れを抱いたのかもしれない。

「大秦万歳!」
 秦の兵卒たちのあの一体感。どうやってあれほど彼らを統率することができたのだろうか。軍の指揮能力に自信がないわけではないが、自分には兵を熱狂させるなにかが足りないのかもしれない。

 韓信はぼんやりと輝く定陶の灯を見ながら、そんなことを考えた。しかし考えても答えが見つかるわけではない。
 そもそも彼には熱狂する兵の気持ちがわからなかった。
 というのは、彼自身が誰かに熱狂するほどの忠誠を誓ったことがないからである。

 例えば彼は、冗談でも「大漢万歳」などとは言ったことがなく、ましてや「大斉万歳」などと叫び、兵を鼓舞しようとしたことはなかった。
 だとすれば、自分はなんのために戦ってきたのか。
 漢王のためか? 少し違う気がする。
 では項王を倒すためか? それも違う気がする。確かに項王は自分を重用せず、身内の者ばかりを厚く遇した。しかし、だからといって殺したいほど憎いというわけではない。

 やはり自分は戦いたかったから戦った、ただそれだけなのだ。戦い自体に目的はなく、なんの主義主張もなしに道具のように人を殺す、ただの職業的殺し屋なのだ。
 そんな自分が身分不相応にも王を称し、望みもしないのに人の上に立つことになった。
 その報いは主君からのいわれのない不信の目。
 あげくはたったひとりの愛した女性を失うという目も当てられない悲劇。
 しかし、それらはすべて自分がさしたる理由もなしに戦いを好んだ結果、招いた出来事なのだ。したがって、誰を責めようもない。

――あの城壁……。
 かつて生爪を剥がしながらよじ登った城壁が見える。
 あらためて見ると、城壁は相当に高く、一般的な人の背丈の十倍はありそうだった。また、この時代の城壁の多くは土を固めたものに過ぎないが、その構造は頑丈であり、土だからといって指を突き刺したとしても、穴が開いたりすることはめったにない。

――我ながら、よくあの壁を乗り越えたものだ……。
 人間は生命の危機を感じると、本能的に潜在的な力を発揮するというが、あの時の自分がまさにそうであった、と韓信は思わざるを得ない。
 次々と討ち取られていく仲間を尻目に、彼らを助けようともせず、生き残ることだけを考え、あたふたと逃げ回った自分。自分の命が危機に晒されているとき、当時の主君である項梁を守ろうなどとは露ほども考えなかった自分がそこにいた。

――項梁に心酔している者ならば、守ったかもしれぬ。しかし、あの時の私は……いや、今でも私には自分の命を賭けてまで守ろうとする者はない。
 項梁が劉邦であったとしても、自分は見捨てただろう、と韓信は思うのである。

――あるいはあの時私の隣にいたのが蘭であったら……。
 守ろうとするに違いない。自分が死を賭してまで守ろうとする相手は、彼にとって、蘭しかいなかった。
 しかし、その蘭ももういない。

――なんとも死に甲斐のない人生ではないか。
 あるいはそれは生き甲斐よりも重要なことだったかもしれない。特にこの時代の武人にとっては、自分がなんのために、どうやって死ぬかということは、どのように生きたかということより大切なことなのである。

「……士というものは、自分の死も劇的に演出するものだ」
 かつて酈生は韓信に残した書簡の中で、そう語った。
 死を目前にすると、その人物の本性が現れる。自分の信じた生き方を貫こうとすれば、死を前にして恐怖をあらわすことは許されない。それは自分で自分の生き方を否定することであり、どれだけ美しく生きたとしても最後に醜態をさらすことになるのであった。
 少なくとも当時、士を自称した人物はそう信じたのである。

 だが韓信はすでに蘭を失い、自分の死に様を表現することもできない。
――私を残して先に逝くとは……君は私にどう生きよ、というのか……。

 過去の出来事から未来への不安を連想していくうちに、すっかり夜もふけ、韓信はまどろんだ。冬の寒さの中でも平気で眠気を催す自分が恨めしい。

 その夜、韓信は蘭の夢を見た。

         二

 夢に現れた蘭の姿は、あるときは見慣れた軍装だったかと思うと、次の瞬間には一糸もまとわぬ裸身であったりした。

 夢の中の彼女は、脈絡もなく目の前で弓を放っていたり、なにかを語りかけてきたりする。しかし、その話の内容がどのようなものなのか、韓信は自分の頭にどうしても理解させることができない。
 彼はそれにもどかしい思いを抱いたが、その思いさえ現実のものではない。すべて夢の中のことなのである。
 さらに彼を苛立たせたのは、美しいはずの蘭の裸身が、わずかに不鮮明だったことである。現実の世界では、彼はほんの数度、しかも暗がりでしか見たことがなかったため、頭の中にそれを細部にわたって焼き付けることができなかったからであった。
 夢から覚めたとき、彼が思ったのは深い後悔と、おぼろげに感じられる不安であった。
 夢の中の蘭は、具体的になにを告げているのかわからなかったが、どうも注意を促していたように思われる。たとえ夢でも彼女に再会できたことを喜ぶより、韓信にはそのことの方が気にかかった。

 既に夜が開け始め、辺りには気の早い鳥の声が響いていた。城壁の灯は既に消えている。彼がそれに気付いたとき、鳥の声に混じって後方から兵の怒号が聞こえてきた。

「何ごとだ」
 夜警を担当していた兵たちにそう尋ねてみたが、混乱しているようで返答は要領を得ない。
 前方にいた兵士たちにとって、このとき自軍内に何が起こっているのか正確に判断することが難しかったようである。三十万という大軍の弊害がここにあった。

 後方の部隊からの伝令が韓信のもとに駆けつけたのは、それから数刻してからである。その伝令が息を切らしながら韓信の前で跪き、告げた。
「後ろから、襲撃を受けました」

 報告内容の意外さに韓信は思わず声を荒げた。
「後ろだと!」
 楚の残党か、それとも彭越の手の者か?
「いったい、どこの敵だ」

 伝令は答えて言った。
「漢軍です。敵は漢。しかも漢王直属の部隊です」
「漢王が……!」
「すでに後方の部隊は包囲され、兵は奪われつつあります」

 これを聞いた韓信の目が、怒りに燃えた。
「……寝ている者たちを起こせ! 中軍の陣形を組み直し、鶴翼の陣を敷け。後方に迫る敵を包囲しつつ、敗兵を収容するのだ。これ以上兵を奪われるな!」
 韓信は全軍にそう指示を出し、自らも馬に乗り、駆け出そうとした。

「対抗するのですか」
 漢王の軍を相手に戦うということに、斉兵の誰もが尻込みをした。韓信自身も決して乗り気だったわけではない。しかし、楚が事実上滅びた今、劉邦は増長し、思いのままに振る舞おうとしている。斉の元首として自分は、それをどこかで止めなければならない。
「当然だ」
 そう言い残し、韓信は数名の部下を引き連れ、敵陣近くまで突進していった。

         三

 韓信の軍に目立った将はいない。常に韓信自身が直接軍の指揮をとり続けたため、その必要がなかったためである。
 当初、斉兵の多くは韓信に馴染まず、なかなか言うことを聞こうとしなかったが、韓信の軍事における指示は微に入り細を穿つもので、彼らがかつて仕えた田栄や田横とはまるで違った。
 もともと名族の出だった彼らは、兵を酷使し、必要以上に叱責する。そのおかげで現場はぴりりとした空気に包まれることは確かだったが、肝心な場面では、具体的な指示はなかった。
 窮地に立たされ、どうすればいいか迷っているときに彼らが受ける指示は、「命を捨てて戦え」という非常に抽象的なものでしかなかったのである。

 一方韓信は、そのようなときには細かく指示を出した。右に逃れよ、左に逃れよ、と。そしてその指示に従えば、自分たちの命が助かるばかりか、形勢を逆転し、最終的に勝つことができたのである。

 このため韓信に対する斉兵の信頼は高まっていた。しかし、一方でこのことが韓信のいない場所では斉の兵は弱いという結果を生んだ。皮肉なことに、兵が自分の頭で考えるということをしなくなったのである。
 このときの混乱も、そのことが生んだ弊害と言ってもよく、韓信の目の届かない後方でそれは起き、彼が駆けつけると事態は収束に向かったのである。

 韓信が姿を見せると、兵たちは安心して落ち着きを取り戻し、統率された動きを見せた。斉兵を包囲している漢兵たちを大きく両側から取り囲み、さらにに包囲する態勢をとったのである。
 だが、相手は友軍だということもあり、激しく攻めたてるということはしない。包囲しかえすという行為によって、無言の圧力を加えたのである。

 漢は包囲している斉軍後方部隊を攻撃することができない。攻撃すれば、韓信に攻められるからである。いっぽう韓信も漢軍を攻撃できない。攻撃しようとすれば、漢軍は報復として包囲している斉の後方部隊を殲滅しようとする素振りを見せたからである。これにより戦場は膠着状態となり、双方ともに動きがとれなくなった。

 そのような睨み合いが小一時間も続いたころ、漢の側に動きが見えた。劉邦が車に乗り、その姿を現したのである。
 韓信もこれを見つけ、睨むように劉邦を見据えると、挑戦的な口調で言い放った。

「漢王。混乱のさなかとあって、馬上から失礼する」

         四

 まず最初に跪かないことを宣言した韓信は、問いつめるように言葉を継いだ。
「このたびの襲撃は、いったいどういうことか、ご説明いただきたい……。漢は斉に宣戦布告した、ということか。それとも我が斉兵の一部になにか礼を失した行為があり、それを誅罰なさっているのか。……楚が滅び、天下の覇者となり仰せた漢王に対して甚だ不遜ではあるが、ご返答によっては、しかるべくの対抗措置を取らざるを得ない。お覚悟はよろしいか」

 常になく断固とした韓信の物言いであったが、劉邦はこれに対して反応しない。
 かわって返答したのは御者の夏侯嬰であった。
「落ち着け、信。まずは馬から降りて跪くのだ。そして今の礼儀を失した言動を詫び、赦しを請え。話はそれからだ」

 韓信はしかしこれを黙殺し、なおも劉邦に向き直った。
「大王、ご返答を」

 慌てた夏侯嬰が声を荒げた。
「信!」
「夏侯嬰っ! 車馬を管理する太僕(職名)に過ぎないお前が軽々しく私の名を呼ぶな! 今の私は斉王だぞ! お前こそ車を降りて跪くのだ!」
 韓信は目を怒らせ、夏侯嬰を一喝した。これも常にないことである。
「落ち着けったら! 確かに今の君は王で、俺などは及びもつかない存在だ。だが、昔のことを忘れたわけではあるまい。君の才能を第一に見抜いたのは、この俺なのだぞ。その恩を忘れたわけではないだろうな」
「ああ、そのとおりだ。確かに君には感謝している。私が今斉王として君臨していられるのは、連座によって罪を着せられた私を君が救ってくれたからだ。しかし! それを恩に着せて私の前で野放図な態度で振る舞うな。君ほどの重鎮がそのような態度を見せると、馬鹿な者の中にはその形だけを真似ようとする奴が出てくるものなのだ。跪け!」
「…………!」

 二人の間に一触即発の空気が流れた。夏侯嬰はそれまで握っていた手綱を離し、腰の剣に手をかけた。
 それを見た韓信も剣を抜き、振り払って構えた。剣が空気を切り裂く「ひゅぅ」という音が、あたりの静寂をぬってこだまする。

「よさぬか」
 その静寂を破ったのは、劉邦の声であった。
「嬰、剣の柄から手を離せ。斉王が話している相手はお前ではなく、このわしだ。王同士の話し合いだ」
「は……」

 夏侯嬰は結局韓信に跪くことはしなかったが、それを機におとなしくなった。そのかわりに劉邦は車を降り、地に両足をつけて立ち、韓信と向き合う。
 韓信もこれにならい、馬から降りた。最低限の礼儀である。

「まずは、大王……。なぜこのようなところにいらっしゃるのかお聞きしたい」
「項羽の葬儀に参加してきたところだ。今は、その帰りよ」
「ほう……では、灌嬰は見事項王を仕留めたのですな……。それはそれで結構。天下はあなたのものになったわけだ。その覇者たるあなたが、なぜ私の軍を襲う?」

「信よ」
 夏侯嬰に向かって軽々しく呼ぶなと怒ってみせた韓信の名を、劉邦はさりげなく、しかもぬけぬけと呼んでみせた。

「単刀直入にいう。お前はつけ上がっているぞ。確かにお前の軍功は大きく、指揮能力は余人の追随を許さぬものだが、そんなお前でも万能ではない。そこでわしはお前の軍を破り、お前から兵を奪った。それを証明するために」
「! 意味の分からないことを……。臣下の兵を主君が武力をもって奪うという話など、今まで聞いたこともない。武勇を自慢し、証明したいのなら敵に対してすればいいではないですか」
「お前は、敵よりも恐ろしい。今はそのことにお前自身が気付いていないだけだ。わからぬか? わしがお前なら……迷わず天下の覇者の地位を狙う」
「馬鹿馬鹿しいことを! 大王は大王のままでも天下を狙ったではないですか。私は……その手助けをしただけだ。私自身にはそんな気はない」
「お前がどう思おうと、関係ない。重要なのは、お前の意志ではなく、能力なのだ」

         五

 韓信は、あきれた。あきれてものも言う気がしない。
 しかし、だからといってひれ伏すのも嫌だった。筋の通らない指示に従うことほど、彼にとって面白くないことはない。

「お言葉ですが」
 韓信は右手に持ったままの剣を強く握り直し、劉邦の目を見据えて言った。

「後方の兵を強奪することで私の勢力を割いたとお考えになるのは、間違いです。奪われた兵はせいぜい五、六万に過ぎません。それしきの兵力の喪失で私の軍が弱くなることはない。三十万が二十万、いや、十万でも私がその気になれば……」
「わしを殺すことができるというのか? 恫喝か、それは? だからこそわしはいくらでもお前の兵力を削ぎたいのだ。いっそ二度と兵の指揮がとれぬよう、お前の頭脳を破壊してやりたい。しかし、それはお前を殺すことだ。わしがそれをしないのは、ひとえにお前のこれまでの功績に感謝しているからなのだ」

 韓信の顔にますます怒りの色が浮かんできた。
――よくも、ぬけぬけと……。
「私は大王に殺されるべき存在だというのですか? 何故? 私は今まで一度たりとも叛逆をほのめかしたことはなく、私がこれまでしてきたことは、すべてあなたを利する結果となったはずだ。そのような者に対して、いきなり武力を行使して兵を奪うとは……甚だ心外だ。兵が欲しいのなら、差し上げましょう。ですが……なぜ口で、言葉にしてそう言ってくれなかったのです?」
「お前は臣下としての自分の立場をわかっておらぬようだな。本来臣下というものは、主君に生殺与奪の権を握られているものなのだ。そもそも項羽を倒し、天下の覇者となりえた主君たるこのわしが、兵を奪うのにわざわざおまえの許可を得る必要があるというのか!」
 劉邦は、主君の権威を自分に植え付けようとしている。
 それが理解できない韓信ではないが、おとなしく従う気にはどうしてもなれないのであった。死を命じられれば、死ぬしかない、そんな存在に自分がなるのは認められない。

「今、大王は項王を倒し、天下の覇者となりえた……その事実は認めましょう。臣下は覇者の命令を聞かねばならない……それもわかります。しかし、大王は大事なことをお忘れになられている。……功ある者をそれにふさわしい態度で迎えなければ、忠誠は失われる。いったい私の忠誠はどこに向けられるべきか? 大王は私の忠誠が不要なのか!」
「お前の忠誠はうわべだけのものだ。お前は、わしが死ねと命じても死ぬことはない。しかし、わしが今まで窮地を脱してこられたのは、そのような死士たちがいたからなのだ。お前の功績は、彼らに及ばぬ」
「仮にそいつらが生きていたところで、私と同じ働きが出来たかどうかは疑問ですな。よいか大王、あえて言わせていただきます。事実上、項王を倒したのはこの私だ! あなたの言う死士が具体的に誰かは知らぬが、彼らに項王を倒すことができたというのですか」
 韓信の本音がついに出たかのような発言であった。

「信! そんなことを言うな! 臣下の功績は、主君に帰せられるものだ。そんなことぐらいお前にも理解できるだろう。子供でもわかることだぞ!」
 夏侯嬰がまた騒がしく叫んだ。韓信には、嬰が自分を心配して叫んでいることがわかる。
 しかし、それをありがたく感じるだけの気持ちの余裕が、このときの彼にはなかった。
「うるさい、黙れ、嬰っ!」

 韓信は感情をあらわにした。そもそも駆け引きをしようとしていたわけではない彼の気持ちが、そこに表れている。
「よせ。功臣たちが相争う姿を兵の前で見せるな。……信、お前の言いたいことはわかる。確かにお前に死なれては、天下統一の業はならなかった。わしとて感謝はしているのだ……。しかし、あえてわしはお前に言わざるを得ない」
「なにを」
「お前が先刻夏侯嬰に向かって言った内容と同じことだ。お前ほどの重鎮が軍功を鼻にかけて、わしの前で野放図な態度で振る舞うな。馬鹿な者の中には、お前のそのような態度を形だけ真似ようとする奴らが出てくるものだからだ」
「…………」

 なにも言い返せない。韓信は自分の立場を理解せざるを得なかった。軍功随一の自分は、軍功随一であるがために、見せしめにされている。
 劉邦の言う「馬鹿な者」とは、彭越や黥布のことを指すのだろうか。それとも趙王張耳や燕王臧荼(ぞうと)。あるいは韓王信……。彼らを統御するために自分は屈辱を受けながらもそれに耐えることを強いられているようであった。

 あるいは、自分は滅ぼされるかもしれない。彼らが増長し、権利を主張し始めることになれば……。
――軍功随一の韓信でさえ、粛清される。我々など彼に比べれば、くずのような存在に過ぎぬ……。彼が殺されたのだから、我々もいずれ……。
 諸侯たちがそう考え、おとなしくしていれば、劉邦としてはやりやすいに違いない。

――私は、やはり道具に過ぎぬ。
 韓信はそう考え、これ以降、自分のこれまでの生き方を内心で否定するようになった。

         六

「信のやつめ。あいつはすっかり変わりましたな。昔はあんなことを言う男ではなかったのに」
 夏侯嬰は去りゆく韓信の背を眺めながら、なんとも悔しそうに呟いた。

「いや」
 劉邦は感心したようにそれに答える。
「昔のあいつは、軍事を極めようとするただの学生のようであったが、すっかり頼もしくなった。このわしを恫喝してみせるとは、やはり奴もいっぱしの王のひとり、ということよ」
「それは……褒めているのですか? それとも……」
「どちらとも言えん」

 臣下の成長を喜ぶと同時に、その危険を考えざるを得ない劉邦の微妙な心理がそのひとことにあらわれていた。が、夏侯嬰はそれに気付かない。

「聞くところによると、韓信は例の……魏の公女を失ったとか。奴の性格が変わったのはそれが一因ではないかと思われます」
「魏の公女? あの魏豹の娘を失った? 死んだのか」
「斉国内のちょっとした内乱が原因で命を落とした、と聞いております」
「ふうむ……。では、もしかしたら奴は、単に捨て鉢になっているだけかもしれぬな。しかし、人というものは大事なものを失ってからこそ、真価が問われる。奴がどう変わっていくのか、今後は見ものだな」
「? あまり意味がよく分かりませんが」
「あいつはもともと……何と言えばいいのか……面従腹背の男だ。表面的な態度は柔らかいが、心の底では誰も信頼していない。そんなあいつが愛した女が、魏豹の娘であった。おそらく魏豹の娘は、韓信の欠点を補い、奴が道を誤らないように導いたことだろう。わしも何度かあの娘を見たことがあるが、そのとき受けた印象が、そんなものだった。お前も彼女を見たことがあっただろう」
「私は、女は外見しか重要視しないたちですので……。しかし、それを失った韓信は?」
「導く者を失って道を誤るか、失った者の生前の教えを尊重して正しく生きるか、そのどちらかだろう」

 劉邦はそう言って識者ぶった表情をしてみせた。
――元来ぐうたらで、やくざのような生活をしてきた漢王などに、人が正しく生きる道などわかるのだろうか?
 夏侯嬰は、ひそかにそう思った。劉邦の付き人のような存在の嬰でさえそう思うのだから、もし韓信本人がこの言葉を聞いたとしたら、怒りをあらわにしたかもしれない。

「お前に、人の道のなにがわかるというのか!」
 と。

 右手に握られた剣は、振り回す機会を与えられないまま、鞘に納められた。
 あるいは韓信が劉邦に叛意を示し、殺そうとしたとすれば、このときが最後の機会であったかもしれない。
 しかし、忠義のために命を捨てる死士とまではいかなくとも、常識的な意味での忠誠心をもっていた彼は、それがために思い切った行動はとれなかった。
 だがそのために、未来は彼の予見したとおりの方向に動いていくのである。

皇帝と楚王

         一

 紀元前二〇二年二月二十八日、劉邦は皇帝を称した。
 型通り三度辞退し、四度目で受ける。これこそ権力欲をあらわにしないための礼儀作法であり、「自分はそんな柄ではないが」と謙遜し、「諸君がどうしてもというならば」という形をもって至尊の位につくのである。
 いかにもわざとらしく、当時でもしらじらしい印象を受けた者はいたことだろう。

 その劉邦は臨時に帝都を雒陽(洛陽・火行に由来する漢は水に由来するさんずいを忌み、洛陽を雒陽と改名した)に定め、その南宮で酒宴を催した。

 その酒宴の場で皇帝は、配下の者たちに問うたという。
「君たちは隠すことなく、朕に実情を述べてみよ。わしがどうして天下を得ることができたのか、さらには項羽がどうして天下を失ったか」
 このときの劉邦の一人称は、「朕」と「わし(吾)」が並存している。慣れていないためか、それとも形にこだわらなかったのかは不明である。

 それはともかく、この劉邦の問いに対して、ある高官がこう答えた。
「陛下は人を見下げて侮ってばかりですが、項羽は仁義に厚く、慈愛に満ちた態度で人に接します」

 これなどはおよそ皇帝に対する話し方ではない。中国の皇帝というものは、人々にとってほぼ神に等しく、臣下が直接話をすることも許されない、という印象が強いが、この高官は面と向かって皇帝の欠点をあげつらっているのである。
 おそらくこれは劉邦が屈託のない性格だったこともあるかもしれないが、まだ皇帝の権力が完全に確立されていないことを示しているのだろう。

 高官は話を続けた。
「ただ陛下は、人に城を攻略させた際、功ある者にその城を惜しみなく与えました。項羽は賢者を疑い、能者に嫉妬し、土地を得ても人に与えなかった。これこそ、彼が天下を失った理由です」
「ふうむ!」
 劉邦はこれを聞き大きく鼻息を漏らした。不満とも面白がっているともとれる仕草である。

「いかがでしょう」
「公は一を知りて二を知らぬ」
 見識が狭いことを示す荘子の言葉である。学がないといわれている劉邦がこの言葉を口にしたことから考えると、この時代にはすでに慣用句として用いられていたようだ。

「聞け。はかりごとを巡らし、勝利を千里の彼方から決する能力においては、わしは子房(張良)に及ばず、国家人民を鎮撫し、糧食を絶やさず士卒に給することでは、わしは蕭何に及ばない。また、百万の軍を率い、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ずとる能力……。この能力において、わしは韓信に及ばない。この三人は皆、揃って人傑であるが、わしはこの三人をよく使うことができた。これこそがわしが天下をとった理由である。それに対して項羽はたったひとりの范増をよく使うことができなかった。これがわしに敗れた理由なのだ」
 そう言って、劉邦は笑った。あらかじめ用意していた文章のようであり、言いたくてたまらなかった台詞のようであった。

 そばでこれを聞いていた夏侯嬰の目に、涙が浮かんだ。
 感動したのではない。あくびをかみ殺していたのである。

――結局は自分が答えるのなら、最初から下問などしなければいいのに。
 三人の人傑を今後どう扱うか……使うことができたと豪語する皇帝に、彼らがいつまで使われる立場に甘んじるか。それが懸念材料である。

――お上が笑っていられるのは今のうちだけかもしれない。
 このとき彼が心配したのは、張良や蕭何のことではなく、やはり韓信のことであった。

 しかし、なぜそこまで彼が不信の種となるのか。これまでの流れを考えると、責任は韓信にあるのではないようである。
 おそらくは、この時代に生きる人々の多くが、「自分が韓信であったら」と考えたからであろう。自分が韓信であれば迷わず天下を狙う、だから彼が狙わないはずがない、と。
 野心家たちの権力欲に取り付かれた考え方が、韓信本人の意向を無視し、一人歩きしていたのである。

         二

「西の秦、東の斉」とは当時よく用いられた言葉である。天然の要害に守られたこの二国がかつてともに強勢を誇り、最後まで覇権を競い合ったことから生まれた言葉であった。
 これが漢のような統一国家の時代になると、誰にこの地を守らせるか、という問題になってくるのである。防備に適した土地は、そのまま独立国家になってしまう可能性をもっているからだ。
 かつての秦の土地は、関中である。これは漢が直接統治していたが、一方の斉の地は、韓信が統治している。
 これは重要な問題であった。攻め込みにくく、守りやすい軍事上の要衝を、当代きっての名将が統治することは、危険きわまりない。
 このことから、劉邦は韓信に国替えを命じることを早くから決めていたと思われる。韓信が心変わりをして、叛旗を翻さないうちに。言うことを聞くうちに命じるつもりだった。

 結果、韓信は楚王に任じられた。七十余城を有する大国家の斉に比べると、このとき定められた楚の領土は五十余城に過ぎず、勢力は実質的に劣る。しかしなんといってもかつての領主である項羽亡き後、その地を治めるのは大役といってよく、大変な名誉であったことは間違いない。なおかつ韓信自身が楚の出身であり、「故郷に錦を飾った」ということでもあるので、栄転であることには違いなかった。
 しかも韓信の自尊心を傷付けることなく勢力を削いだ。これは劉邦の行った絶妙の人事だといえるだろう。

 では、斉はどうしたのかというと、劉邦はしばらく王位を空位のままにしておいた。
 かの地には曹参がおり、彼に任せておけば大過なく治まるだろう、と踏んだのである。少なくとも韓信に任せておくより空位のままの方が不安が少ない、そう思ったのであった。しかし、もちろんいつまでもそのままにしておくわけにもいかず、後に劉邦は自分の息子である劉肥に斉王の地位を与えている。

 臨時の首都であった雒陽から関中の櫟陽に首都を移し、次々と諸侯の封地が定められていく。
 主だったところでは、韓信が楚王となり、下邳を都にしたほか、
 淮南王として黥布、都は寿春。
 梁王として彭越、都は定陶。
 燕王として臧荼。都は薊。
 趙王として張耳。都は邯鄲。(ほぼ同時期に張耳は死去し、息子の張敖が跡を継いでいる)
 韓王として韓(王)信。都は陽翟。(以後、匈奴への備えとしてかつての代の地にあたる太原郡を韓王信の封地とし、韓と称させている)
 などが挙げられる。しかし、早くも七月には燕王臧荼が謀反を起こして滅ぼされ、劉邦と同年同日に生まれた親友の盧綰が燕王に封ぜられた。

 これらの諸侯国はすべて大陸の東側に集中し、漢の覇権のもと、存続を許された。一方の西半分は漢の直轄地とし、いくつかの郡に分けられ統治される。
 かつての秦の統治策であった郡県制と、周代以来の封建制が入り交じったこの体制は、郡国制と呼ばれることになった。

 しかし、これが漢の統治体制の完成形というわけではない。中央は地方に必要以上の勢力を持たせぬよう尽力し、常に警戒の目で諸侯を見張ろうとする。後の日本における江戸幕府と同じように首都への参勤の義務を諸侯に課し、適度に財力を奪おうとしたほか、北の国には匈奴へあたらせ、中央の防波堤としたりした。
 そのような状況に諸侯が不満を募らせて叛意を見せると、滅ぼして劉姓をもつ親族を新たな王に任命するようになったのである。

 しかし、それは後の話であり、このときは生まれたばかりの制度に誰もが浮き足立っていたに過ぎない。

         三

 楚王となった韓信が都の下邳に移り住み、初めて行ったことは政策的なことではなく、過去の清算であった。

 まず彼は人を遣って淮陰の城下から、綿うちにいそしむ老婆を召し出した。韓信が若い頃、貧窮して釣りをしながら生計を立てていたときの恩人である。

 召し出された老婆は、下邳の宮殿の中で王と対面し、ようやく事態が理解できた。
 かつてひもじく暮らしていた若者を助けた記憶は確かにあったが、よく考えてみれば、名も知らない。王の名は韓信だと聞かされても、それが自分にとってなにを意味するのかよくわからないまま、やってきたのである。

「元気か、媼……。私を覚えているか」
「…………」
 ひれ伏した老婆は恐れ、なにも言うことができない。ただ素振りのみで相づちを打つだけであった。

「では、あのとき私が別れ際にいつか恩返しをすると言ったことも覚えているだろう。私は口からでまかせを言ったつもりはない。しかし、媼。貴女は私の言葉を信じず、鼻で笑って侮辱した。覚えているだろう」
「……確かに覚えておりまする……あのときの私の不遜な態度は、万死に値します。どうか、この老体を捧げますゆえ、家族には手を出さないでおくれまし」
「そんなつもりはない。私は以前の自分の言葉を実行するために媼を呼んだに過ぎぬ」

 韓信はそう言うと、近侍の者に命じて黄金千金を老婆に与えさせた。
 恐縮する老婆に向かって、韓信は言う。
「媼。あのときの自分の言動が万死に値すると思うのなら、止めはしないから自害せよ。私は殺さぬ。しかし、反省して後の行動を正す糧とするならば、わざわざ死ぬことはない。その金を使って楽しく余生を過ごせ。これで私と貴女の人生における貸借はなくなったのだ」

 続いて韓信は、下郷の南昌の亭長を召し出した。
 以前行き倒れのような生活をしていた韓信を助けて世話をしながら、手のかかることを理由に細君が嫌がらせをするようになり、その結果絶交することになった人物である。
 その南昌の亭長に、韓信は百銭を授けながら言った。
「貴方は、心の小さいお人だ。人に目をかけておきながら、どうして最後まで面倒を見ようとしなかったのか」
「申し訳ございません」
 心だけでなく気も小さかった亭長は、そう言ってひれ伏すばかりである。しかし、結果から考えれば、彼の行動は正しい。
 亭長が最後まで韓信の面倒を見てやったとしたら、韓信の今の姿は彼のあとを継いだ亭長に過ぎなかったかもしれない。王となりえたのは、彼と袂を分かったのち、韓信が成長したからなのである。

 韓信は最後に亭長に向かって言った。
「その百銭を貴方の細君に示し、以後は出しゃばった真似をするなと強く言え。もっとも、貴方の細君が出しゃばったからこそ、現在の私があることは確かだが……おそらく、そんな巡り合わせは二度とないだろう」

 また、韓信はある男を召し出した。名も知れぬ男だったので、あるいは見つからないかもしれないと思っていたのだが、このようなとき、王権というものは便利なものである。人を使って国中をくまなく探させる、ということが容易にできるのであった。

 召し出された男は、かつて韓信が股をくぐらされた男であった。
 因縁のあるその男を前にして、韓信は周囲の高官たちに向かい、品評するように話す。高官たちは、韓信が彼を斬るのではないか、と内心で心配した。

 ところが、韓信の口調は落ち着いていた。
「こいつは、なかなか立派な男だ」
「どんなところが、でございましょう?」
「……私の剣が実質的に飾り物であることを、こいつはひと目で見抜いた。酔っぱらっていたにもかかわらず……。なかなか眼力のある男だと言わねばならない」
「ほう……」
「こいつは、公衆の面前で、私に恥をかかせた。私は恥を忍んでこいつの股の下をくぐったわけだが……。私はその後、多くの戦いを経験し、今に至って王の身となったわけだが、思えば私を戦いに駆り立てた原動力は、こいつが私に与えた仕打ちなのだ。感謝しなければなるまい」
 こういう台詞を韓信は真顔で話すので、聞いている者にとっては、それが皮肉なのか本心を語っているのか、よくわからない。

「男よ、聞け。あのとき私はお前を斬ろうと思えば斬ることができた。……そうしなかったのは、お前のような者を斬っても私の名があがることはない、と思ったからだ」
「……その通りでございます」
 男は恐縮し、震え上がった。今、この場で斬られると思った。

「お前の言う通り、当時の私は人を斬ったことはなかった。その意味では確かに私の携えていた剣は飾り物に過ぎなかったかもしれない。だが、教えてやろう。あの剣はまさしく本物で、私は今も変わらずそれを携えている。あれ以来この剣は多くの者を斬ってきた。お前がその中のひとりにならずに済んだのは、……途方もなく幸運なことなのだ」
「おっしゃる通りでございます」
「聞き分けがよいな。お前がそんなに聞き分けがよいのは、私が怖いからか? 平民の私は恐れず、王の私は恐れる……私が私であることには変わりがないというのに」
「……返す言葉もございませぬ」
「まあよい。以後は私のもとで働け。中尉(町の警察長官を示す)の職を与えてやる」
「……は?」
「帯剣した相手に素手で立ち向かおうとしたお前だ。胆力には自信があるのだろう。その胆力を間違った相手に向けるのではなく、悪党どもに向けるがいい。せいぜい権威を笠に着て、世の悪者を取り締まることだ」

 韓信のこれらの行為は、温情的な措置に見えないことはないが、やはりすべて復讐なのであった。
 老婆や亭長には恩もあるが、怨もある。
 中尉に命じた男には、実のところ怨しかない。
 しかし韓信は彼らに誅罰を与えることで旧怨をはらそうとはせず、逆に彼らに恩を売った。彼らは、かつて蔑んだ韓信の庇護のもとで暮らしていくことになるのであり、過去の自分たちの行為の浅はかさを一生後悔しながら生きていくことになるのである。
 彼らが自害でもしない限り、その後悔は消えることがない。

 故郷に関わる過去を清算しようとした韓信には、もうひとつやるべきことがあった。
 それは母の墓を整備することである。
 町を見下ろす小高い丘の上に置かれた墓。それは幼年期の韓信の暮らしを象徴するかのように粗末なものであり、しかも戦乱が続いた数年の間、なんの手入れもされず、ほとんど雑草に埋もれかけていた。
 王母の墓としてはあまりにも貧相であり、韓信としては、せめて墓石を覆う草を取り除き、丘を切り開いて周囲に万軒の家が立ち並ぶようにしたい、と思ったのである。当然領民から上がってくる租税を利用しての整備となるが、それぐらいの贅沢は許されるだろうと判断してのことであった。
 その思いが叶い、実際に土木の責任者と現場で打ち合わせをしているときであった。草むらの陰で人の気配を感じた韓信は、身の危険を感じ、飛びすさりながら叫んだ。
「誰だ!」

 その誰何の声に、反応があった。気のせいではなく、確かに長い枯れ草の陰に誰かが潜んでいる。
「危害を加える意志はない。……どうか、人払いを」

 草むらの中から、男の声が聞こえた。相手は一人であるようだった。そして、その声は聞き覚えがあるような気がしないでもなかった。
――一人ならば……。
 敵意がある相手でも対抗できる自信はある。そう思った韓信は、近侍の者に丘から降りるよう顎で示し、静かに剣を引き抜いた。
「出てこい」

 その声に応じて姿を現した男に、韓信は愕然とした。
 彼には清算すべき過去がまだあったのである。それを忘れかけていた自分が愚かしく思えた。
「眛……!」

 草むらの陰から現れたのは、頬が痩けて以前よりやつれてはいたが、紛れもなく鍾離眛の姿をした人物だったのである。

         四

「生きていたのか」

 二人の再会は、劇的なものであったが、双方にとって心から喜び合えるものではなかった。
 韓信は鍾離眛が自分を殺しにきたのではないかと疑い、鍾離眛は会いにきたものの、韓信が自分を受け入れてくれるかどうか確信がなかったのである。二人の間には、お互いに探りを入れる態度が見え隠れした。

「信……まだ、その剣を」
「うむ。……親父は、いい贈り物をしてくれた。この剣は、長らく続いた戦乱を生きぬき、ついに折れることがなかった。しかしだからといって大事に隠していたわけではない。この剣は多くの者を斬った。……時には望まぬ相手も」
「……そして、その剣は私の首も斬るのか」

 眛の言葉にはっとした韓信は、剣を鞘に戻し、態度を改める。
「私が君を斬るはずがないだろう……。君次第だが。さっき君は、危害を加えるつもりはない、と言った」
「その通りだ。嘘ではない……実は、君に頼みがある」
 韓信は内心の不安を隠し、鍾離眛を信用することにした。人を信用することをあまり得意としない彼であったが、それでも心を許せる相手はこれまでに何人かいたのである。
 もっとも付き合いの長い眛が、自分を殺そうとしているとは、さすがの韓信も、考えたくはなかった。

「言ってくれ」
「……君の母上の墓で待っていれば、いずれ君は現れると思っていた。君の母上を弔ったことが、遠い過去のように思える。なぜ、こんなことになったのか……いや、すまぬ。余計なことだった。率直に言おう。……助けてほしい。匿ってもらいたいのだ」
「! 驚いたな……。君だけか? 部下の者はどうしたのだ」
「散り散りになってしまった。彼らがどうなったのか、私は知らない。私は、ただ一人路頭に迷い、こうして身を潜めている。君とは別の運命を選んだ結果が、この有り様だ」

――あの気位の高かった眛が、たった一人、墓の前で……。
 そう思うと、哀れである。しかしあえてそのことには触れまい。生き残ったことは幸運に違いないが、潜伏の日々は眛にとって耐え難い屈辱であったことだろう。

「有り様などと……そんな言い方はよせ。私としては、君一人だけの方が匿いやすい。お互いに死地をくぐり抜けて、こうして再会できたのだ。私が君の頼みを聞かないはずがないだろう」
「そうか……そう言ってくれると、助かる」
 韓信は結局鍾離眛を自分の屋敷に匿い、世話をすることにした。
 しかし、これはかなり危険なことである。朝廷は、楚の残党を見つけた者に報告の義務を課しており、どれだけ長い期間にわたって眛を匿い続けたとしても、ほとぼりが冷めるということはないように思われたのである。
 ましてや彼はただの残党に過ぎぬ人物ではなく、楚の宿将であった。皇帝が見逃すはずがない。

 韓信としてもそれに気が付かなかったはずがなく、自分が危ない橋を渡ろうとしていることを自覚していた。しかし、だからといって親友を見捨てる気にはなれない。
 それは、この時代の社会が共有していた「義」の感覚に基づくものによる。かつて項伯が旧縁の張良を通じて劉邦の危機を救ったように、義の概念は、敵・味方という関係の上にあるものなのであった。
 つまりこの時代の人々にとって、個人的な誼は、公的な関係を上回る。

――皇帝も、かつては敵の重鎮に危機を救われたことがあった。だとすれば、私が敵の重鎮を匿ったからといって……眛自身がなにも怪しい行動を起こさなければ……問題は起きないだろう。このことで私の罪を咎めるとしたら……それは過去の皇帝自身の行為も許されぬこととして認めることになるのだ。
 韓信はそう考えた。しかしこのことがのちの彼の運命を決定づけることになる。見通しが甘かったと言えばそれまでだが、自分が皇帝を裏切ったという感覚は、彼にはない。
 もし真相が暴かれたとしても、話をすればわかってもらえると思っていたのである。

 あるいは彼は、自分が皇帝と対等に話をできる特別な存在だと無意識に自覚していたのかもしれない。しかし、これを人に言わせれば、「つけ上がっている」ということになるのである。

         五

 韓信の統治者としての能力に関しては、史料にさほど記録が残されていない。
 ごくわずかに、韓信は国入りした当初から、県や邑を視察して回り、その際に軍兵を引き連れ、重厚な隊列を組んで行動した、という記述がある。
 戦いが終わり、大勢が定まったとはいえ、王朝創業時における油断できない世の中である。どこかに反乱分子が潜んでいるかもしれず、常にそれに対する警戒を解かなかった、ということがその行動の一因としてあるのだろう。
 しかし、はたしてそれだけであろうか。
 想像するに、おそらく油断できないと感じたことは間違いない。だが、彼の警戒心はどこかに潜んでいる反乱分子だけではなく、民衆にまで向けられていたように思われるのである。

 世に出る前から何度となく自分を取巻く人々の予測不可能な行動や言動のために屈辱を味わい、将軍として戦うようになってからも、人の変心や裏切りを幾度となく目にしてきた彼にとって、憎むべきはうつろいやすい人の気持ちであり、利に傾きやすい人の心であった。
 当時の社会には道徳観念として、義や仁、孝の精神はあったが、それらはいずれも個人に関する行動原則であり、公的な意味合いは薄い。
 当時の人にも他者を思いやる心がないはずはなかったが、それが「忠恕」という概念として一般民衆の間に浸透していくのはもう少し先の話である。
 つまり、当時の社会は身内に対しては手厚く接するが、赤の他人に対しては酷薄な社会だったのである。

 極端に言えば、自分たちの利益のためには、他者を陥れても構わないというのが春秋時代以来のこの大陸の習わしであった。それを時代の変化にあわせて正そうとしたのが法であり、秦はこの法に基づいて民衆を統治しようとしたのである。

 楚における韓信の行動も、それに近いように思われる。
 城中を隊列を組んだ軍の行列が闊歩するという殺伐とした光景は、韓信の民衆に対する示威行動であり、法や軍律で社会を統治しようとした意志の現れではなかったか。あたかも邑や里に存在する小さな悪事も許さない、とでも主張しているかのようであり、もし韓信が潔癖な性格であったとすると、充分ありそうなことに感じられるのである。

 しかしこれはあくまで想像であり、事実そうであったかどうかはわからない。
 史実から読み取れることは、韓信の軍による統治を民衆は好ましく思わなかった、ということぐらいで、事実、翌年(紀元前二〇一年)になると、皇帝劉邦のもとに韓信の謀反を訴える上書が届けられている。おそらくこの上書の届け主は平民ではないだろうが、韓信のこのような統治策を快く思わなかった者によるものだろう。

 その上書の内容も定かではない。
 しかし、このとき漢の中央は楚の残党狩りに熱心で、懸賞金をかけて捜索させていたころであったことを考えると、あるいは韓信がひそかに鍾離眛を匿っていることを知った者が、そのことを密告した内容であったとも想像できる。

 櫟陽の朝廷は、その密告の話題で持ち切りとなった。
「鍾離眛は、一人ではなにも出来まい。放っておいても構わないではないか」

 そう言ったのは、蕭何である。人というものは追い込まれると悪事を働く、というのが彼の持論である。厳しく取り締まることは、かえって状況を悪化させるように思われ、鍾離眛を捕らえることにも、韓信を誅罰することにも気が進まない。

「鍾離眛ごときは、問題ではない。重要なのは、奴の後ろ盾に楚王がいることだ。楚王と鍾離眛が結託して、朝廷を転覆しようとすれば……相手は楚王なのだ。我々としては、ひとたまりもない」
 周勃が反論する。何度か将軍として韓信の指揮下で戦ってきた彼は、韓信の武勇を恐れ、そのことに危機感を抱いているようであった。

「しかし、確かに密告はあったが、それが事実かどうか、まだ確認は取れていない。仮に内容が事実だとしても韓信が朝廷を転覆しようとするとは限らん」
「蕭相国! 相国は実際に戦闘をした経験がないからわからんのだ。楚王韓信の軍事的才能は、並ではない。わしは京・索でも垓下でも彼の戦いぶりを間近で見てきた。奴の指揮のもとに戦えば、いくさ下手な将軍ばかりが配下として名を連ねていたとしても、最終的には勝ってしまうのだ。そんな男を敵に回したくない。味方でいるうちはいいが……鍾離眛隠匿はいいきっかけだ。これを機に処断した方がいい」

「周勃……いくさ下手の将とは、お前自身のことか?」
 議論の場に失笑が起きた。
 発言の主は、皇帝の劉邦である。このときの劉邦は、どこか眠たそうな態度であり、会議そのものに気乗りしない様子であった。ことさら冗談めかして周勃を笑い者にしようとしたのは、その現れである。

「否定いたしませぬ。韓信に比べれば、私などはいくさ下手と揶揄されても仕方がありません」
 答えた周勃の表情は、真剣そのものである。彼は、議題を冗談の種にしてうやむやにしてしまうことを許さなかった。

「では、ためしに聞くが、この中に楚王韓信と戦って勝てると思う者はいるか」
 劉邦は聞いたが、誰も反応しない。

「樊噲、お前、どうだ」
「めっそうもございません。手前などは、ただ目の前の敵を殺すばかり……楚王のような百里をも見通す戦略眼は持っておりませぬ。ですが、やはり見逃してはならない事態だと……楚王は誅罰すべきです」
「夏侯嬰は」
「同感です。しかし、その方法が問題でして……楚王と戦って勝てるか、と聞かれれば、とても無理です、としか答えようがありません。馬の扱いなら勝てましょうが……」
「ふふ。話にならんな! ……灌嬰、お前は?」
「私は……楚王を捕らえたり、誅罰したりすることには反対です。そもそも楚王は武勇のみならず、智においても今この場にいる誰よりも上回っておいでです。知勇兼ねそろえる、とはまさに楚王のようなお方を指していうのであって、無力な我々が浅知恵を振り絞って戦ったとしても、とても勝ち目はありません。まして、楚王は人格的にも、すぐれたお方です。かつて項羽は楚王を自軍へ迎えようと誘いましたが、賢明な楚王は皇帝への臣従を誓い、それを断ったのですぞ」
「そのことは、お前にいわれずとも既に知っている。わしは、お前に韓信に勝てるかどうかだけを聞いているのだ」
「……勝てません。とても」
「そうか。軍事では勝てないとあらば、策略を用いるしかないな。……陳平! ここにいる者たちに仔細を説明せよ」

 御前会議の場に、策士陳平が呼ばれた。
 韓信のもとに仕えること長く、その性格を知り抜いていた灌嬰にとって、嫌な予感がしたことは言うまでもない。

楚の宿将の最期

         一

 陳平という人物は、数々の奇策で敗勢だった漢を救った。その功績が認められて後々まで権勢をふるい、丞相の地位まで登り詰めた男である。
 ただしこの時点での彼の肩書きは、范増を死に至らしめたとき以来の護軍中尉のままであった。

 その陳平は、これより以前、諸将の意見が韓信誅罰に傾いていることを知り、事前に皇帝劉邦と話し合っている。
「……諸将の意見はどのようなものでしたか?」

 陳平がそう質問したとき、劉邦の態度はまだ定まっていなかった。
「韓信を滅ぼそうというのが大勢のようだ。……しかし、それも無理のないことだ。あいつらにとって韓信は最大の競争相手だからな。樊噲や夏侯嬰、周勃などの古参の将軍たちは、古参であるが故に、韓信には負けたくなかろう」

「陛下のお気持ちは、どうなのです? その……誰が最大の功臣か、という点ですが」
「本人の前では増長するだろうから言えないが……武勲の大きさから言って、文句なく韓信だ。諸将どもは口では韓信を穴埋めにするべきだ、などと言ったりするが、現実的にそれを実行できる能力はない。自分らの手の届かないところで、韓信が勝手に滅び、自分たちの出世を阻む存在がひとりでに消えてなくなることを望んでいるのだ」
「難しい問題ですな、それは。私も人ごとのようには思えませぬ。新参者の私を周勃どのや灌嬰どのはあまりいい目で見ておられぬようですからな」
「……わしはどうしたらよいのだろう」

「まずは問題を整理しましょう。第一に楚王が叛いたと誰かが告げた、とのことですが……その叛乱の事実を知っている者はいるのでしょうか」
「誰もおらぬ。あるいは根も葉もない噂に過ぎぬかもしれん」

「なるほど……では楚王韓信はそのような上書が陛下に届けられたことを知っているのでしょうか」
「まだ知らぬはずだ。確証はないが」
「そうですか」
「敵情を探るのは、そもそもお前の領分だろう。わしに質問すること自体、間違っているのではないか?」
「いやいや、ひとくちに敵情とおっしゃりますが、まだ楚王が敵と決まったわけではありませんぞ……。しかし、仮に楚王を敵に回すとして……陛下の兵は、その精鋭さにおいて、楚兵と比べてどうでしょう」
「及ばぬ。楚兵は伝統的に強いと言われているからな」

「では、将軍の質は? 楚王韓信に指揮力、統率力においてまさる将軍が陛下の配下におりますでしょうか?」
「いや、おらぬ。韓信を上回る用兵家がいると言うのなら、連れてきてもらいたいくらいだ」
「では、おそれながら陛下が韓信と戦うことは無謀であるとしか言いようがございません」
「だから聞いておるのだ。わしはいったいどうしたら、と……」
「考えがございます」
 陳平は、その場で劉邦に一計を授けた。

 そして、会議の席である。姿を現した陳平は、控えめな咳払いとともに話し始めた。
「……将軍方の意見は、上書の内容を信じ、楚王を誅罰する方向に傾いているようですが、どうやって誅罰するかが問題です。楚王の兵は強く、現時点で用兵力をもって楚王を凌ぐ者もいない。誅罰しようとした者が、返り討ちに遭う危険が高い、と言えましょう」

 陳平は蕭何と灌嬰が誅罰に反対であることを知っていたが、あえてそれを無視して話を進めた。
「楚王を誅するにあたって、陛下の威を借りて我々が楚国内に入って行動することは出来ません。楚は韓信の庭のようなものであり、彼が兵にひと言指示を与えれば、我々はあっという間に包囲されてしまうでしょう」
「…………」
「また、上書の内容を明らかにし、楚王の罪を声高々に問責することもできません。あまり追いつめすぎると、楚王は本当に叛くしか道がなくなります。彼が兵を引き連れて関中に押し寄せたら、我々には対抗できる手段も、人もいないのです」

「要点を早く言ったらどうだ」
 もともと陳平のことを快く思っていない周勃は、嫌味な口調で話を遮った。
「……では、言いましょう。韓信を捕らえるには彼を単独の状態で国外におびき出し、口実を設けて逮捕する、これしかございません。すなわち、このたび陛下には陳の雲夢沢(うんぼうたく)という名勝地に物見遊山に出かけてもらいます。そこに饗宴を開く名目で諸侯を招待し、その場で捕らえる……軍兵を従えた韓信を捕らえることは至難の業ですが、平和な出遊にその身ひとつで拝謁にきた彼を捕らえることは、一人ないし二人の力士がいれば済むことです」

         二

「……それは、騙し討ちではないか。あまりに楚王に失礼であろう」
「そんな恥知らずな行為を、陛下や我々にしろというのか」

 諸将はそのようなことを次々に口に出して言った。陳平はこれにむかっ腹を立てて反論する。
「あなたがたは、どうもお覚悟が足りないようだ。そもそも上書があったからといって、楚王に本当に叛逆の事実があったかどうかは、定かではない。にもかかわらずあなたがたは、揃って楚王の失脚を望んでいる。私がこうして提案しているのは、ひとえにあなたがたが彼の失脚を望むからだ。諸君が、韓信より下位の地位に甘んずることをよしとしないからなのだ」
「生意気な口をきくな! だいたいお前の作戦は、どうしていつもそのように人を騙すことを前提にしているのだ! 陰謀でしか物事を解決しようとしないのは何故だ!」
「決まっているではないですか。あなたがたでは、韓信に勝てないからだ。それとも敗れて死ぬのを承知で、武人としての美意識を尊重して正々堂々と戦う、とでもいうのか。やめたまえ! とても勝ち目はない。私から言わせてもらえば、これから滅ぼそうとする相手に礼節をもって遇するなどというのは、偽善でしかない。この際だからはっきり言っておくが、十中八九、韓信は無実だ。彼を滅ぼすのは、彼が罪を犯したからではない。あなたがたのためなのだ! 後になってから知らなかった、とは言わせないぞ」
「この……ふざけるな!」
 周勃が食って掛かった。普段は朴訥で、まっすぐな性格の彼は、陳平の奇術めいた施策を常々不満に思っていたのである。

 会議の場はあわや爆発寸前の様相となった。
「もうよさぬか。……お前たちの気持ちはわからないでもないが、基本的に朕は韓信を捕らえることを、すでに決めている。なぜかというと……」
 部下たちの争いを仲裁した劉邦は、そう言いながら玉座から身を起こした。
「朕の人生は、そろそろ終わりを告げようとしている。まだ体力はあるが、わかるのだ。だから、朕としては、自分が死んだ後のことを考えざるを得ない。思うに韓信は……諸君らと実力差がありすぎる。このままわしが死ねば、天下は韓信のものになり、それに不服を抱いた諸君らは、叛乱を起こすだろう。そうすれば、漢は終わりだ。わしとしては、生きているうちに諸君の不満の種を除いておかねばならない」

 劉邦のこのときの発言は、諸将に衝撃を与えた。皇帝が自分の死期を悟り、自分亡き後の天下を行く末を案じた上での策略だとまでは、誰も想像していなかったのである。
 しかし、劉邦の韓信に対する警戒は、彼らには極端すぎるようにも思えた。特に灌嬰にとっては。

「楚王は、そのようなお方ではありませぬ」
 発言しにくい雰囲気の中、灌嬰はただそのひと言だけを発し、なんとか意思表示をしてみせた。
「うむ。わしとて、引っかかるものはある。ここにいる誰もが認めていることとは思うが、韓信は漢王朝創業の最大の功臣であり、性格も安定した男だ。だが……現実的に韓信が国家を転覆させる能力を有する限り、不安は取り除かねばならぬ。たとえ武人として恥ずべき方法をとらざるを得ない、としてもだ」
 皇帝のその言葉を最後に、会議はあっけなく終わった。既に皇帝の意志が決定している限り、彼らがいくら議論しても無駄なのである。

 こうして韓信は誅罰されることになった。

「曹参や盧綰、そして張良がこの場にいれば、こうはならなかったろうて」
 蕭何は灌嬰を前にそう言って嘆息した。曹参は斉の宰相、盧綰は燕王としてそれぞれ不在で、張良に至っては統一後、わずかな領地をもらっただけで半分引退した形である。

 皇帝と同年同日に生まれた親友の盧綰がいれば、皇帝の不安を和らげることができたかもしれない。
 韓信と長く戦場をともにしてきた曹参がこの場にいれば、少なくとも議論は大勢に押されることなく、もっと白熱したことだろう。そうすれば皇帝の意志が変わることもあったかもしれないのだ。
 そして張良がいれば、陳平による詐略的な解決方法をとることなく、もっと誠実で、武人の自尊心を尊重する案が提出されたかもしれない。
 しかし、彼らはいずれも不在で、そのことが韓信の運命を決定づける一因となったのである。

「張子房(張良)どのは(りゅう)侯となり、まだ若くして隠居生活をしている、と聞きましたが……」
 灌嬰は蕭何に尋ねた。
「お上は張良の功労を高く評価しておられた。それゆえ、彼には斉の土地、三万戸を封邑として与えようとしたのだ。これはとてつもなく広大な領地だ。……つまりお上は韓信に代えて張良に斉を治めさせたかったのだろう。しかし、張良はこれを固辞し、わずかに留のみを領地とするにとどめたのだ。彼は病弱な男であったので、引続き国政に参加する自信がなかったのかもしれないが……実情は違うな。広大な領地を持ち、権勢を得ることで、自分が韓信のように疑惑の目で見られることを嫌ったに違いない」

 それを聞いた灌嬰は、突如涙をこぼした。蕭何は驚き、逆に灌嬰に尋ねる。
「なにか知っているのか」
「いえ……」
「では、なぜ泣く」
「……かつて楚王は、私に語ったことがありました。いわく『自分は漢による天下統一がなったのち、斉国は陛下に献上して、どこでもいいから小さな土地をもらい、静かに余生を暮らすつもりだ』と……。張子房どのの現在の隠遁生活は、実は楚王が望んだものなのです! 話を聞いた当時、私は楚王の気持ちがよくわかりませんでした。……しかし、今に至り、ようやくその意味がわかったのです」
「……そうか」

 蕭何は答えを返すことができなかった。なんという皮肉な運命。韓信は張良に比べて立ち回りが不器用だった、ということか。
 しかし、そんなひと言で片付けられるほど、事態は簡単ではない。

――無双の国士も、これまでか……。
 かつて蕭何は韓信を「国士無双」と評し、劉邦にしきりに推挙した。
 自分のその行為が、結局は韓信を苦しめることになったのではないか。蕭何は近ごろになって後悔を感じている。

 灌嬰の涙を見ることで、蕭何のその後悔はさらに増幅していった。

         三

 下邳の宮殿では、韓信が鍾離眛を招き、余人を交えずに議論している。
 このとき韓信が鍾離眛を匿っていることを知っている者は宮中には多い。しかし、それがいけないことだと認識している人物は少なかったようである。
 はるか遠くの関中の地で、皇帝がそれを問題視していることに気付いている者は、ほとんどいない。もしかしたら気付いている者は、当事者の二人だけだったかもしれなかった。

「眛……。唐突だが栽荘先生の前歴を知っているか。その……淮陰に来る前の話だ」
 韓信の問いに鍾離眛は首を振った。
「いや、知らぬ。君は知っているのか?」
 興味をそそられて膝を乗り出した眛だったが、目の前の韓信は浮かぬ顔である。どうやら、栽荘先生を種に昔話に興じるつもりではないらしい。

「栽荘先生は、戦国時代の燕の遺臣で、本名を鞠武というそうだ。燕の太子である丹の守り役であったらしい。先生が死ぬ直前、私に話してくれた」
「ほう……。太子丹といえば、始皇帝に刺客を送った人物だな。それに失敗し、燕は秦によって滅ぼされた。栽荘先生は国を失い、淮陰に逃れてきたというわけか……。大人物だな。意外にも、というべきか、やはり、と言うべきか……」
「うむ。……ところで先生が言うには、私は太子丹に性格がよく似ているそうだ。先生に言わせれば、私などは生き方の不器用な若者、ということになるらしい。太子丹も同じように不器用であった、とのことだ……今になって思い返してみると、栽荘先生は私の性格をよく見抜いていたよ。やはり、だてに年はくっていなかった、と言わざるを得ない」
「ふむ……」

 鍾離眛は、なぜ今韓信がそのようなことを話しだしたのか考えた。
 韓信は今、自分の不器用さを実感している。と、いうことは彼は今、なにかの問題に突き当たり、それをうまく解決できずにいるに違いない。
「信……。言いたいことがあるのなら、率直に言ってみたらどうなのだ」

 眛はそう言ってせき立ててみたが、韓信の態度はまだはっきりしない。
「うむ。そのつもりだが……もう少し話させてくれ。太子丹は、始皇帝を殺害しようと刺客である荊軻を咸陽に送り、それに失敗したことで燕は滅亡するのだが……、この事件は太子が秦からの亡命者である樊於期を中途半端な義侠心を発揮して匿ったことに端を発している」
「……つまり、亡命者の樊於期が私であると言いたいのか。君が私を匿ったのは、中途半端な、つまらない義侠心がゆえだと」
「……よく、わからない。しかし、このままいけば、そういうことになる。私は、つまるところ、太子丹のような末路を迎えたくないのだ。たとえ、性格が似ていたとしても」
「……言っている意味がよくわからないが」
「君が私のもとで今後どのような人生を送るつもりなのかを知りたい。君はこのまま死ぬまで隠れ続け、何ごとも成すことなく一生を終えるつもりなのか」
「…………」
「それならそれで構わないのだが……。だが、おそらく君にはそんなつもりはないだろう」
「ああ。その通りだ」
「では聞く。君の目的はなんだ?」
「再び世に出て、名を残すことだ」
「それでは答えになっていない。何をして名を残すつもりなのかを聞きたいのだ」

 韓信の表情には、わずかながら不安が浮かんでいる。
 眛にはその理由がわかった。もし、自分がいずれ漢を打倒するためにここに潜伏しているのだ、などと言ったら……。

「私は、君を手助けするために、ここにいる。君にはそれがわからないのか」
「なに? どういうことだ」
「私を公職につけよ。そうすれば、君の王権は強化される。君と私が組めば……現在の君の不安定な立場を解消することができるのだ。私に兵を与えよ。君の兵たちの鉾先は今民衆に向けられているが、それは間違っている。民衆を威圧しても権力は強化されず、それはただ失われるばかりだ。権勢あるものに対して軍威を見せつけることこそ、国の安定につながる。それは結果的に民衆を守ることにつながるのだ」

 眛としては、充分鋭気を抑えたつもりである。彼の言ったことは、項羽の世を復活させることでも、漢を転覆させることでもなく、韓信の力添えをして楚の国力を充実させることだった。
 しかし、漢に対して武力を見せつけることには変わりはない。
 眛の見たところ、韓信はこの点に拒否反応を示したようであった。
「過激に聞こえるかもしれないが、これは必ずしも皇帝を討つ、ということではないぞ」
「……そうか。しかし……」
「不安か。だが、考えようだ。君の持つ武力は、十分漢に対抗できるものだ。加えて君自身の指揮能力や用兵の妙をもってすれば、漢はうかつに楚に手出しできない。さらに配下の将として私がいれば、皇帝たりとも君の機嫌を損なう真似はできなくなる」
「しかし……それは結局、敵対することだ。敵対とはつまり……叛くことだ」
「わからない奴だ。実際に武力を行使することはない。示威するだけで、ことは足りるのだ」
「確かにそうだが、しかしそれには君の存在を、漢に認めさせねばならない。ひそかに君を匿い、独断で要職につけたとあっては、私は叛逆者とみなされてしまう。実際はそうではないとしても、彼らに口実を与えるような行動は慎みたいのだ。……なあ、眛。私とともに皇帝のもとに出頭しないか。そして助命を請うのだ。誠心誠意訴えれば、きっと皇帝は聞き入れてくださる」
「それは、疑わしいものだ。……しかし、なぜ今になってそのようなことを言う? 信、君は……私を軽々しく匿ったことを後悔しているのか」
「いや、決してそうではない。ただ、君を匿い、庇護し続けるために現在の状況を打開したいと思っているだけだ。……実は先ほど私あてに朝廷から正式に命令が下った。楚領内に逃げ込んだと思われる君を逮捕せよ、とな」

         四

「皇帝は怒りや恨みなどの一時的な感情で、判断を誤りやすいお方だ。しかし、あの方のいいところは、その誤った判断に固執しないところだ。自分の下した決断が間違いであると気付けば、修正することを厭わない。事実、もと楚将の季父(きふ)は首に懸賞金を賭けられていたが、最後には許されたのだ。かつての敵とはいいながら、有能な男を殺してしまうことの愚かさに気付いたのだ」

 韓信がこのとき話題にした季父という男は、もと項羽配下の将軍で猛将と恐れられた男である。
 項羽滅亡の後、彼は諸国を転々とし、流浪の日々を送った。時には頭の毛をすべて剃り、手枷をはめて奴隷の姿に扮したこともあった。しかし最後には魯のとある有力者のもとに転がり込むこととなり、その有力者の訴えを聞いた夏侯嬰が皇帝に進言し、助命されることとなった。
 その後季父は漢の要職に付き、劉邦死後の帝室の混乱を数度に渡って解決に導く活躍を見せる。

「季父の例は、数少ない例に過ぎぬ。丁公(ていこう)は殺されたぞ」
 ここで鍾離眛の言う丁公とは、季父の叔父で、本名を丁固といった。季父の母親の弟であり、やはり楚の将軍である。
 かつて彭城で漢王であった劉邦を追撃した丁公は、ついに剣の届く距離にまでそれに肉迫した。
 このとき命の危険を感じた劉邦は、「いくら戦争だからといって、二人のすぐれた人物が個人的に殺し合う必要があろうか」などと言って丁公をなだめたという。
 この言葉をもっともなことだと思った丁公は、剣を収め、劉邦を見逃した。

 ところが項羽が滅び、漢の世になったのち、丁公が劉邦に謁見しようとすると、劉邦は即座に彼を捕らえ、軍中に触れを出した。
――丁公は主君に不忠な男である。項羽に天下を失わせた者は、ほかでもない丁公である。
 と。

 結局丁公は斬り殺されたわけだが、そのときに劉邦は、
――後世の臣下たる者たちに、丁公の行動を見習わせてはならぬのだ。
 という言葉を残している。

「季父が生き延び、丁公が死んだのは弁護する者がいたかいないかの違いだ。季父には夏侯嬰がおり、丁公には誰もいなかった。皇帝の信用する者が弁護すれば、丁公だって助かった可能性は高い。だから私は君を弁護しようと言っているのだ」
「……では聞くが、信。君はそれほど皇帝の信用が厚いのか?」
 あらためてそう問われてみると、確信はない。韓信は言葉に詰まった。
「…………」

「君は、思い違いをしている。皇帝は、機会さえあれば楚を直接支配したいと望んでいるのだ。君のような異姓の王に治めさせることは皇帝にとって苦渋の決断なのだ。それを君はわかっていない」
「……君の言う通りなら、最初から私を楚王などに任じなければよかったではないか」
「鈍いな、君は。もともと斉王だった君から王位を取りあげるわけにはいくまい。不満を持った君が兵を率いて叛乱しては困るからな。……おそらく欲の少ない君は、そんな意志などない、と言うだろう。しかし多欲な者は、寡欲な者の考え方がわからないのだ。皇帝は君が本心を訴えたところでまったく理解できないに違いない」
「……だったら、どうだと言うのだ」
「はっきり言って君は、皇帝にとって厄介な存在だ。考えていることがよくわからない、扱いにくい男として持て余されているのだ。きっと皇帝は君を除きたい、と思っていることだろう」
「…………」

「いいか、君がこれまで通り生き続けるためには、少なくとも今の状態を維持し続けなければならない。皇帝が楚を攻め滅ぼそうとしないのは、君の兵力に加え、今私がこの地にいるからだ。皇帝は旧楚の宿将たる私を恐れ、私がこの地にいるうちは、楚に攻め込んだりはしない」
 韓信はこれを聞き、しばらく考え込んだ。目を閉じ、こめかみに指を当て、沈思の表情を作る。
 やがて答えに行き着いた彼は、目を開けて言った。

「眛……。私が思うに、皇帝が恐れるのは君ではない。皇帝が恐れているのは……私なのだ。君が楚地にいる、いないはたいした問題ではない。要は私が君を匿っている、そのことが重要なのだ。君の叛乱を恐れているのではなく、私が君を利用して叛乱を起こすことを……彼らは恐れているのだ」

         五

 韓信の発言は事実を捉えている。
 が、熟考の末に答えにたどり着いた彼は、その答えが鍾離眛にどのような感情をもたらすかを考えることなく、言葉にして出してしまった。
 韓信がそのことに気付いたとき、既に眛は怒りの炎を目に宿していた。

「信、君は……この私のことを……恐るるにも足らぬ存在だ、と言いたいのか。楚の宿将鍾離眛は、取るに足らない存在だと……」
「いや、そんなつもりで言ったのではない。ただ、皇帝が敵視しているのは君ではなく、私であることを言いたかっただけだ。つまり、私が頭を下げれば、君は許される。皇帝は君を恨んでいるわけではなく、私の武力を恐れているのだ」
「ありあまる能力を持ちながら叛く気概もない奴を、皇帝が恐れるものか!」

 鍾離眛は激発こそしなかったが、その言葉には力を込めている。
 韓信はどう彼をなだめるべきか、迷った。
「叛くこと自体を美化するのはよせ。私には、そんなつもりはない。それがなぜかわかるか? 私は今の地位を得るまで、数々の者を失ってきた。常勝将軍だと言われてきたが、失った兵の数は決して少なくない。しかも私が殺してきた敵兵の数は、それ以上なのだ。今私が意趣返しをして叛いたりしたら……彼らの死はすべて無駄となる。なんの意味も成さなくなってしまうのだ」
「さっき君は皇帝の美徳を説明したな。彼は間違った判断に固執しないと。それが本当に美徳だとすれば、君は単なる頑固者だ。過去の間違った行動にとらわれ、これからとるべき行動を改めようとしない」
「……それは皇帝の美徳だ。私のではない。私はそんな美徳を持ち合わせてはいない」
「ああ、そうだろうさ! 人は、誰しも正しいと思うからこそ行動に移すのであり、明らかに間違っていると思われる行動は、なかなか出来ないものだ。私だってそうだ」
「…………」

「私は、楚に仕えた過去の行動を間違っていたとは思っていない。楚が敗れ、滅びたのは確かだが、だからといって私が間違った行動をとったとは思っていない。聞け! 項王は敗れはしたが、悪人ではなかった。私は悪人に仕えたつもりはまったく無いのだ。……なのに、なぜ私が赦しを請わねばならぬ?」
 項羽は確かに敵に厳しく、残虐な面はあったが、ひとたび情に触れると寛大な態度を示し、身近な者には礼を尽くして接した。
 また、論功行賞の際、あまりに細かく国を切り刻んだことで吝嗇だと評されたりもしたが、これは裏を返せば、できるだけ多くの者に報奨を与えたいと望んだ結果だとも言える。
 義帝(懐王)を弑したことは、確かに間違った行為だったかもしれないが、項羽にとっては正しいことだったのだろう。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。

「誰かが言った。大事を成す者は、一時の屈辱をものともせぬ、と……。眛、君もそうだとは思わないか?」
 韓信は暗に鍾離眛に耐えろ、と言おうとした。

 ところがこの言葉も鍾離眛の癇に障った。
「王座にしがみつき、大事を成そうとしているのは、君だろう。私ではない!」

「眛! 事態は差し迫っている。私の近侍の者の中には、君の首を皇帝の元に届け、事態の沈静化を目指すべきだ、と言う者もいるのだ。……頼む。私とともに皇帝のもとへ……このとおりだ」
 韓信は床に頭をつけ、ひれ伏した。彼の必死の思いがそうさせたのである。しかし、鍾離眛はそれを受け付けようとしなかった。

「斬られた方がましだ」
「なにを言う! 誰が君を斬ると言うんだ。私には、そんなことは出来ない」
 韓信がそう言って目を上げたとき、鍾離眛の剣は既に抜かれていた。

 はっとした次の瞬間には、その剣が韓信の頭上に振り下ろされていた。
「やめろ!」
 危うく身を翻して逃れた韓信は、次の攻撃を防ぐために、自らの剣を抜き、構えた。鍾離眛の剣は、それを激しく打ち叩く。

「やめないか!」
「信! 受けてばかりいては、私を斬って首だけにすることは出来ないぞ。斬らねば、……私は君を斬る!」
 二度、三度金属音を鳴り響かせ、剣が火花を散らした。鍾離眛は力任せに剣を打ち付け、それを防ぎ続けた韓信は体勢を崩して転倒した。

 そして彼の剣は手から離れてしまった。
――しまった、剣が……。
 絶望を感じた韓信の喉元に、眛の剣先が突きつけられた。
「信。……ついに私は、君に勝つことができた」

         六

 季節は冬で、十二月の寒い中である。屋敷の戸は閉め切られ、寒気が中に入り込まないようにしてあった。このため、室内の音はあまり外に響かない。

 また韓信は自室に鍾離眛を呼ぶ際は出来る限り余人を遠ざけ、衛士も通常より離れた場所に配置していたので、彼らが異変に気付かない可能性があった。
 あるいは大声で助けを呼んだ方がいいかとも思われたが、声を出したとたんに殺されることも考えられる。侍従の者たちが機転を利かせて対応してくれることを願った。

 その思いが通じたのか、彼らが廊下を走る音が、伝わってきた。助かった、と韓信は思ったが、よく考えてみると彼らを介入させることは、鍾離眛の死を意味する。助けると約束した以上、彼を殺させることは出来ない。
 たとえ自分が死ぬことになっても……韓信は、やはりこの場は二人だけで解決することを望んだ。
「来るな! 来てはならん。もうしばらく、そこにとどまれ」

 韓信は顎の下に剣先を突きつけられたままの状態で、大声を発して家令たちを制した。
「……いい判断だ。彼らに私を取り押さえさせないのは……。私が君を斬ることがない、と思ってのことだろう。……事実、その通りだ」
 眛はそう言ったが、剣は引かない。
「斬らないのか……?」
「君はかつて私に高らかに宣言したことがある。そう……相手が私でも自分は構わずに斬る、と。その思いは私も同じだ。いや、同じだった。……しかし、いざとなると旧来の友人を斬ることは出来ないものだな。さしあたり、君に頭を下げさせ、剣技で上回ったことに満足することにしよう」
「助けてくれるのか?」
「ああ。そうだ。おっと! ……まだ動くな。私は……幼き頃から常に……君に勝ちたいと望んできた。常に君より上の立場でいたいと。だが君は……それを昔からわかっていながら、私にそうさせようとはしなかった。子供の頃は学問や剣技で常に私を上回り、長じてからも君は私をはるかにしのぐ武功をたて、ついには王座に就いた。そして、あろうことか……今君は、生意気にも……私を助けようとしている。我慢できることではない。助けるのは、私だ! 君が私を助けるのではなく、私が君を助けるのだ!」
「…………」
 韓信は身動きできない。
 しかもこの時点で彼は、眛がなにを言いたいのか理解できなかった。

 眛は続けて言う。
「私の気持ちがわからぬのか? ……まあ、いい。それだけ君は無感覚になった、ということだ。権勢に溺れ、人の気持ちが見えなくなっている。前に君は私に言ったな。目が濁っていると! 私は、その言葉を今君に返そう」
「私の目が濁っているというのか。君になにがわかる。望みもせぬのに人の上に立っている私の立場を、君が理解できると言うのか」
「生意気な口をきくな。助けてやろうというのに」
「……君の手助けを得て皇帝に刃向かう、という考えには同意せんぞ」
「それが最善と思ったのだが……君が納得しないのならば仕方がない。私の首を持って行き、皇帝に媚びるがいい。だが言っておくが、それはほんの一時しのぎに過ぎん。いずれ君は、皇帝に滅ぼされるだろう」

――あっ!
 鍾離眛の考えにようやく気付いた韓信は、とっさに彼の行動を止めようとした。
 しかし、一瞬早く眛の剣がその動きを抑え、無言で動くな、と命じる。

「信。お前は人が言うほど、すぐれた人物ではない。私の方が……」
 言葉の途中で、眛はそれまで韓信に向けていた剣を自分に振るい、一気に自らの首筋を切った。

 血が奔流のように噴き出し、韓信はその返り血にまみれた。
「ああっ! 眛! 眛! ……うう」

 しばらくたってから家令や衛士たちが室内をのぞき込んだが、その様子は凄惨な血の海であった。韓信はうずくまり、ぴくりとも動かない。鍾離眛は仰向けに倒れたまま、やはり動かなかった。
 彼らは斬られて血を吹いたのが客人の鍾離眛なのか、あるいは主君の韓信なのか、即座に判断することができなかった。

逆臣とは

         一

 髪や体を洗い、こびりついた血のりを流し尽くしたつもりでも、臭いが残っているような気がする。
 あるいは顔に浴びた血潮の生ぬるい感触。
 それを忘れ去ることは不可能に近い。ついさっきまで意識を持ち、流暢な調子で言葉を継いでいた眛が、あっという間に血と単なる肉の塊と化したことを受け入れることは難しかった。

 韓信にとって旧来の友人である鍾離眛を失ったことは、確かに悲しいことであり、衝撃的なことであった。しかしそれ以上に気になったのは、死ぬ間際の彼の言動の不可解さであった。

――そもそも眛が助けてくれ、と言ったのだから、私は彼を匿い、助けようとしたのだ。それを今さら……。

――武人としての誇りが、いつまでも自分の世話になることを拒否したのだろうか。それとも彼は常に自分に劣等感を感じており、自分はそのことに気付かなかった、ということだろうか。考えられることではある。おそらく眛が言ったとおり、近ごろの私の目は濁っていたに違いない。

 そう考えれば、悪いのはやはり自分ではないか、という気がしてくる。
 自分の行為や言動が彼を追いつめる結果になったのではないか、と。
 しかし一方で反発も覚える。
 眛に限らず、世の中には烈士に類する人物が多すぎる。彼らは、苦難や屈辱に耐えて生き抜こうとせず、いとも簡単に死のうとする。往々にして自分の命を顧みない者は、他人の命をも顧みることがないのだ。
 つまり、すぐ死ぬ奴は、すぐ人を殺そうとする、だから今の世の中には戦乱が絶えない、そう考えるのである。

 しかし、殺した人間の数では、同時代で韓信に匹敵する者は少ない。これはつまり、自分も他者の命を軽んじていることでは世にはびこる烈士と同じである。
 自分が彼らと違うのは、自らの命を惜しんでいる点であった。

――あるいは、私は彼ら以下の存在かもしれない。
 自分には雄々しく死んでみせる勇気などない。
 そのくせ敵対する者を無慈悲に殺す能力だけは持っている。

 かつて項羽を初めて見たときのことが、思い出される。あのとき自分は項羽のことを内心で「殺し屋」と呼んだ。しかし、いま思い返してみると、その言葉は自分にこそ当てはまる。

――そんな風に自分のことを卑下するのはよせ……私の悪い癖だ。考えてもみろ……いくら主義主張のために美しく死んでみせたとしても、しょせん世の中は生者のものだ。死んでしまえばそれ以上主義主張を世に唱えることは出来ない。人というものは……生きていてこそ意味をなすものなのだ。

 死んではなにも出来ない。
 死者になにが出来よう。
 韓信は、そう頭の中で繰り返し、自分を慰めるしかなかった。
 しかし、いくら考えてみても今後自分が生き続けてなにを成そうとしているのかは、わからなかった。だったら死んでも同じではないか、という思いさえ頭に浮かんでくる。

――いや……生きながらえれば、きっとなにかはあるに違いない。
 結局韓信の考えは、そこに落ち着いた。

「大王。天子の出遊の時期が近づいております。このようなときですが、そろそろご準備を……」
 思いに浸る韓信に対して、家令の一人が、そう告げた。すでに劉邦が雲夢沢に赴き、諸侯と会同することは、韓信にも伝えられていたのである。

         二

「天子? ……出遊……? そうであったな。……ちっ、なんとも間が悪い」
 出遊などとは、平和を象徴するような言葉であるが、韓信には、いささか時期尚早にも思われた。天下が完全に治まったとはいい難く、諸地方に叛乱の種火がくすぶっている状態だというのに、いい気なものだ、と思ったのである。
 まして当然ながら、このときの彼はとても遊ぶ気にはなれない。

「このたびは……ご病気とでも称して、欠席されてはいかがですか」
 心配した家令がそう告げた。言われずとも、理由を付けて欠席することを韓信も考えないではなかった。

 そもそも諸地方の叛乱の種火の中で、いちばん大きなものは、他ならぬ楚なのであり、誰がいちばん危険なのかというと、韓信なのであった。もちろん自分でそう意識しているわけではない。皇帝からそのように見られている、ということが、わかるだけである。

――行けば、もしかしたら一個戦隊が待ち受けているかもしれぬ。出遊を理由に私をおびき寄せ、一気に処断しようと……。
 だが、それにしても口実はない。
――ひょっとすると眛を匿っていたことが、彼らに知れていたのかもしれんな……。
 考えられる限り、自分の後ろ暗いことといえば、そのことだけである。しかし、そのこともすでに解決した。鍾離眛は死に、結局命令のとおり韓信は眛を捕らえた形となったのである。

――彼らに私を処断する口実を与えないよう、眛の首をじかに見せてやれば……眛には悪いが……。しかし、眛はそうしろ、と言った……一時しのぎに過ぎぬ、とも言ったが……。

「いや、病気を称するのはまずい。私には、こそこそと逃げ隠れする理由はないよ。気乗りはしないが、明日の朝には出かけることにしよう」
 結局家令たちに準備を任せ、韓信はその夜、いつもより早く眠りにつくことにした。
 鍾離眛の首は、道中での腐敗を防ぐために、家令たちの手によって白木の箱に収められた。

 その夜、韓信はまた、蘭の夢を見た。
――君が夢に現れると、ろくなことが起きない。

 そう思いつつも、喜びを感じる。あるいは眛を失った傷心をいたわるために蘭が夢枕に現れたのかもしれない、と思ったりもした。
 が、夢の中の蘭とは、会話が成立しない。
 また、夢の中の自分が何を語っているのかも定かではなかった。
 韓信は寝ているにもかかわらず、その状況にもどかしさを感じ、夢の中の自分に対して彼女に手を伸ばして触ることを命じた。

 しかし、夢の中の自分はいうことをきかない。
 蘭は生前の印象的な微笑をたたえながら、近寄っては来てくれる。しかし、彼女に触れることはどうしても出来ないのであった。

 それでも諦められない彼は腕をのばすことを命じ続ける。
 ついにそれに成功した、と思ったとき、彼は目が覚め、すべてが夢であったことを理解したのだった。腕は現実の世界で動かせただけであり、ただ虚空をさまよっていたに過ぎなかった。

 彼が残念に感じたことは言うまでもない。
 しかし、彼はそんな自分に対して自嘲的に笑い、冷静にその事実を頭の中で分析するのであった。
――蘭が夢に現れた翌日には、よくないことが起きる。これは蘭の魂がまだ生きていて、私に危険を告げている、ということなのだろうか……? いや、そんなことはあり得ない。……馬鹿馬鹿しい。思うに、危険を感じているのは私自身なのだ。私は本能的に危険を察知し、夢の中の蘭はそれを象徴しているに過ぎぬ。

 しかし、危険を察知したからといって、とるべき対策はなにもない。
 皇帝の出遊を迎えるだけのために、まさか軍を引き連れていくわけにもいくまい。そのような行為は、かえって疑惑を招く可能性が高かった。必要最小限、近侍の者しか、今回は連れて行けない。
「……私は、雲夢で捕らえられるかもしれないな……しかし……その時はその時だ」

 運を天に任すことに決めると、少し気分が楽になった。
――項王は死ぬ間際まで天命を信じ、行動したと聞くが……なるほど自分を納得させるには都合の良い思考法だ。

 韓信はそう考えた後、夢を見ることのない、深い眠りに落ちた。

         三

 雲夢沢は陳のはるか南、当時淮陽と呼ばれた地域に属している。
 戦国時代に陳国が滅亡して以来楚の領土であったが、この時代に韓信が治める楚は、もっと東に領土を移している。よって当時の都である下邳からは遠く、行程に約十日前後の日数を要する。

 しかしこのとき劉邦は諸侯に現地集合を命じたわけではなく、先にその手前の陳に集まれ、と命じている。諸侯が比較的集まりやすい場所に集合場所を設けた形であった。

 にもかかわらず、韓信が鍾離眛の首を携えて陳に到着したときには、誰もまだ来ていなかった。一番乗りだったわけである。
 皇帝一団もまだ到着していない。

――もしや誰も来ないということはないだろうな……。
 自分の留守を狙い、諸侯会同して楚に攻め込もうという魂胆ではないか、と疑った韓信は、気が気ではない。先日の夢のことも気にかかる。

 しかし、翌日には皇帝が諸将を従えて到着し、とりあえず安心した韓信は、これを出迎えようと御前まで近づき、拝跪した。
 この時期の拝跪の仕方は、簡便である。両手を胸の前で組み、組んだまま頭の上にかざした後、跪いて一礼する。
 秦の時代はもう少し複雑な儀礼が定められていたが、劉邦が関中を制圧した際に自ら簡略化したのであった。
 この二、三年後、儒家の思想に基づいた典礼が細かく定められ、儀礼は複雑なものになっていく。そのことが結果として皇帝の権威を高めることにつながっていくわけだが、まだこの時点では、韓信のような者にとって皇帝と直接話をすることは、難しくない。

 韓信は、このとき手にしていた鍾離眛の首が入った箱を前に置き、拝謁した。
 その箱が劉邦の興味を誘ったようである。
「信、それはなんだ」

 韓信は答えた。
「楚の宿将、鍾離眛の首にございます。逮捕せよ、とのご命令を受け……捕らえた証にございます」

 これを聞いた劉邦は、興味深そうに、ほくそ笑みながら言った。
「ほう……信、お前が殺したのか?」
「いえ……。彼は捕らえられた後、自害いたしました。ご確認なさいますか?」

 韓信は箱を開け、中身を見せようとしたが、劉邦は手を振って、それを拒絶した。
「必要ない。後で確認させるとしよう。とにかくその箱は魚の腐ったような嫌な臭いがする。とても臭い!」

 そう言うと劉邦は手招きで近侍の者を呼び寄せ、箱を持ち去らせた。
 それを確認した後、彼は何気ない所作で左手を軽く挙げてみせた。
 するとそれを合図とし、左右から二名の屈強な武士が現れ、物も言わずに韓信の両腕を押さえた。

 彼らはそのまま力任せに韓信を地に這いつくばらせたのである。
「何をする! ……これはなんの真似だ」

 韓信は押さえつけられ、砂にまみれた顔で叫ぶ。
 だが二人の武士はなにも答えなかった。
 そして劉邦もなにも言わない。
 劉邦の後ろに控えた将軍たちもなにも言おうとはしなかった。

「最初から……私を捕らえるために、君たちはここに来たのだな!」
 周勃や夏侯嬰、樊噲などの将軍たちは皆、目を背けて韓信と目を合わさないようにしている。韓信は彼らのそんな様子に反感を覚えたが、その中に灌嬰がいたことを認め、観念した。

――灌嬰! お前まで……。
 見捨てられた気がした。
 しかし、冷静になって考えてみれば、これも自然な成り行きである。もともと劉邦の命を受けて韓信に従軍していた彼は、やはり劉邦の臣下であり、自分の臣下ではない。
 個人的に親しい関係ではあったが、公的な立場は違う。彼が劉邦と自分のどちらかを選ばなければならないとしたら、文句なく劉邦を選ぶだろう。自分が彼の立場であったとしてもそうするに違いない。

――これからの時代、義侠心では天下を変えることは出来ない。
 それは韓信が鍾離眛を匿いながらも、最後まで守りきることが出来なかったことにより痛切に思い知らされたことである。
 自分でも出来なかったことが、灌嬰に出来るとは思えなかったのだった。

 縄で縛られ、車に乗せられた後、両手に枷をはめられた。かくて虜囚の身となった韓信は、自嘲気味に自分の立場を言い表したという。

「ああ……やはり人の言っていたとおりだった……野の獣が狩り尽くされると、猟犬は煮殺される。大空を舞う猛禽が狩り尽くされると、弓は蔵にしまわれる。敵国を滅ぼし尽くすと、謀臣は亡き者にされる……天下は既に定まったのだから、私が煮殺されるのはやはり自然なことか……」
 劉邦はその言葉に対し、
「君が謀反をしたという……密告があったのだ」
と答えた。悪く思うな、というひと言でも付け加えたいかのような口ぶりであった。

「それは讒言です」
「だが証明する術はなかろう」
「確かに……。ですが陛下も私が謀反をしたという証拠をお持ちではないでしょう」
「証拠がないということが、お前の無実を証明することにはならん。密告書には、お前がいたずらに軍列を組んで市中を巡回し、市民を恐怖に陥れたと記されてある。そして、天下が定まった後、不必要に軍容を見せつけるのは、謀反の意志の現れだとも記されてあった」
「それはそいつの私見というものです。……要するに、私は憶測で逮捕されたのですな。つまり、謀反の可能性があるから、と。しかし言っておきますが、可能性なら誰にだってあるのですぞ」
「確かにそうかもしれないが、並みいる諸侯の中で、お前がいちばん実行力があることは間違いない」
「では、やはり私は可能性で逮捕されたのか。単なる可能性で……」

 それを最後に韓信は口を噤んだ。もはやあきれて物も言えない、という心理だろうか。

 会話が途絶えたのを機に、韓信を乗せた車は静かに走り出し、雒陽へ進路をとった。

 その後、黥布や彭越などの諸侯が陳に到着したが、彼らが揃って雲夢沢に行くことはなかった。急遽出遊の取りやめが宣言されたのである。諸侯たちは皆、この場に韓信がいないことにその原因があるに違いないと思ったが、それを口に出して言う者はなかった。

 韓信の受難は、彼らにとって決して対岸の火事ではなかったのである。

         四

 陳から雒陽まで運ばれる間、韓信はあまり自分の不遇について考えないようにした。考えるほど深みにはまって抜け出せなくなり、ついには狂人となってしまうと恐れたのである。
 道中空腹を感じたが、それも忘れるよう努力した。手枷をはめた状態では、自分で食物を口に運ぶことは出来ない。他人の手で食わせてもらうことを想像すると、このうえもない屈辱を感じるのだった。

 車窓から外の様子をうかがうと、自分を護送する部隊がひどく小規模であることに気付いた。目立たないように配慮された結果かもしれないが、これも彼としては不満である。

――なめられたものだ。
 武芸にもある程度の自身を持っていた彼は、自分に対する警戒が甘いことに対してそう感じる。
 しかし、もともと叛逆する意志がなかったことを思えば、このような不満を持つことはおかしい。あるいは自分はここで剣をふるってひと暴れし、ここでひとりで叛逆するつもりなのかと自問してみたりした。
 しかし、そんな行為は叛逆とはいえない。それは単なる収監を恐れた受刑人の脱走行為であり、仮にも王を称する者のとるべき行動ではない。
 やってしまいたいという衝動がないとは言い切れなかったが、その後のことを考えるとためらわれた。
 性格的に無計画なことを嫌った彼は、事態をただ受け入れることに徹することにした。
 しかし、これも自分の将来が見えなかったことに変わりはないので、やはり無計画であった。

――だいいち、手枷をはめられた状態で何が出来るというのだ……。
 反抗を諦めた彼は、心の中の不満を和らげるよう、考え直すことにした。護送を指揮する士官は、優秀で皇帝からその能力を信頼されている者であるに違いない、と。囚人が暴れだしても落ち着いて対応できる能力を持っているからこそ、このような小部隊で自分は護送されているのだ、と考えるようにしたのである。

 雒陽の手前、潁水のほとりの許の城外で、一行は小休止をとった。ここで韓信はその士官と実際に話をすることになる。
「お疲れでしょう」
 動きを止めた車の中に乗り込んできたその士官は、そう言いながら一皿の食事を差し出した。
 しかし、その皿には鳥の干し肉を焼いたものが一切れだけのせられているだけだった。
「なにぶん食料の蓄えが少なく……申し訳ありませんがこれで我慢してください」
 士官は、そう言いながら韓信の手枷を外した。

「いいのか? 枷を外したりして……。私の腰にはまだ剣があるのだぞ。もし私が剣をとり、暴れだしたらどうする気だ」
「……困ります。しかし、大王はそんなことはなさいますまい」

「確かにここで君を殺したとしても、逃亡の日々が待っているだけだ。私はそんなことはしない。もともと無実なのに、いまここで剣を振るえば、私は本当の意味で犯罪者となってしまうからな」
「その通りでございます。それに私は、危険だからといって大王の剣を取りあげるわけには参りませぬ。その剣は、大王の武勇の証。ひいては今ここに天下が定まったのも、大王のその剣が折れることがなかったからでございます。どうしてその剣を私が取りあげることができましょう」
 士官の表情には、韓信を恐れている様子はなかった。
 かといって憐れんだ目で見ているわけでもない。それとは逆に、かつて不敗を誇った韓信と直に会話できることを純粋に喜んでいるようであった。

「君は気が利く男のようだな。実は私はいま腹が減って仕方がなかった。しかし人に食わせてもらうのは、私の矜持が許さない。この手枷をどうしたものかと考えていたところなのだ。それを君はいとも簡単に外してくれた。……これは私を信用する、ということなのか」
「信用するもなにもありません。大王は、無実なのですから」
「……ああ、そうだ。しかし、政治というものはときに無実の者を獄に落としたりする。私はそのいい例だ。あるいは私のような者が生き残り、好き勝手に振る舞うことは天下の平和のためには障害となるのかもしれぬ。悪いことは言わない。私にあまりよくしてくれるな。君の立場を微妙なものにしてしまう」

 そう言って、韓信は鶏肉を食べ始めた。雒陽に着いたら即刻牢獄に入れられて、満足な食事は出来ないかもしれない。量は少ないが、よく味わって食べたいものだ。
「大王は……今後のことが恐ろしくはないのですか」
 士官は質問し、食事に集中させてくれない。

「それは……私だって人並みには恐ろしいさ。しかし……これは天罰かもしれん。やれ不敗だの常勝だのと言われたって、私のこれまでしてきたことは、人殺しに他ならない。私に殺されてきた者たちは、皆等しく恐ろしかったに違いないのだ」
「しかし、大王は使命としてそれをやってきたに過ぎません。それをするように命じたのは皇帝であり、天罰を受けるとしたら、大王ではなく皇帝ではないでしょうか」

 韓信はその言葉を聞き、もはや食べてはいられなくなった。
「……君のことを私は皇帝の忠実な臣下だと見ていたのだが……君は罪は皇帝に帰せられるべきだというのか。めったなことを言うものではない。首が飛ぶぞ」
「確かに私はいままで忠実に皇帝にお仕えしてきました。それを正しいことと信じ、疑うことをしてきませんでした。……しかし、今に至って言えることは……この王朝は駄目だ、ということです。宮中はすでに戦後の利権を貪る輩で埋め尽くされ、陛下ご自身も自分だけの国家を作ることしか頭にありませぬ。……私欲のかたまりでしかありません」
「…………」

「そもそも創業のために命を賭けた大王のようなお方を捨て駒にする王朝に未来があるとは、どうしても思えませぬ」
「君は……皇帝の味方なのか、それとも私の味方なのか」
「……現時点では皇帝の臣下であることには違いありません。ですが、私は以前から大王のことを尊敬して参りました。いつか、お近づきになりたいとも……」
「……では聞くが、私がついに皇帝に叛くと決めたときには、君は力添えをしてくれるか? ……いや、例えばの話だ」
「そのときは、謹んで馳せ参じます」
「……その時が来るかどうかはわからない。私は明日にでも殺されるかもしれないのだ。もし、生き残ることができたら……そのようなときも来るかもしれない。君の名を聞いておこう」
「……陳豨(ちんき)。陳豨と申します。梁の宛胊に育ちました」
「うむ。覚えておこう」

 このとき、韓信は本当に陳豨とともに皇帝に叛くと決めたわけではなかった。そんな先のことよりも、明日、まだ自分の命があるかどうか……そのことの方が喫緊の課題だったのである。

         五

 韓信が雒陽に護送されたことを確認すると、皇帝は天下に大赦令を出し、多くの罪人を解放した。
 このことを聞いた韓信は、さすがに面白くない。
――私を捕らえることが、それほどの慶事だというのか。無実だというのに……。

 不満を覚えた韓信だったが、それでも現状に満足すべきだっただろう。彼は死罪を免れたのである。

 よかった、と安堵する気持ちがないわけではない。
 しかし一方でなにも悪いことはしていないのだから当然だ、という思いは常に頭の中にある。
 このとき韓信に与えられた処分は、王位を取りあげて淮陰侯に格下げする、というものであった。

 これを受けて楚の地は二分され、東を荊国として従弟の劉賈を王とし、西を楚国として弟の劉交を王としている。またこのとき劉邦は、息子の劉肥をたてて斉王とした。
 かつて韓信が王として治めた国に、それぞれ劉姓をもつ親族が王として擁立されたのである。このことを考えてみれば、やはり韓信には罪はなく、同姓の王を擁立するための口実に過ぎなかったと言わざるを得ない。

 楚はかつて項羽を輩出した土地でもあるので、当時の朝廷としては統治するにあたって慎重を期したことは想像に難くない。
 また、斉も七十余城を有する大国で「西の秦、東の斉」と呼ばれるほどの重要な軍事上の要所である。さらに海に面した地でもあるので、物産も豊富である。このような土地は直轄の郡として統治するのが理想であるが、急激な中央集権化は秦の時代のように庶民の反発を招く。よって直轄地とするのは無理でも、なるべく朝廷の立場に近い者に統治させることが望ましい。
 韓信が罪に問われたのは、そのことだけが原因のように思われる。

 しかし韓信が斉王を称したのは当時の状況を考えれば他に方法はなく、それを認めた劉邦の罪であろう。
 というのも韓信は斉王を称するのは当座の方便として、自らは仮の王となることを奏上しているのである。それをやけになって真正の王としたのは劉邦自身であった。
 つまり韓信は劉邦の統治策の間違いのとばっちりを受けたに過ぎない。

 彼に与えられた処分にも、そのことは見受けられる。楚王から淮陰侯への格下げという処置は、逆臣という大罪人に与えられる処分としては、軽すぎる。
 もし韓信に本当に謀反の事実があれば、ふつう死罪は免れない。それなのにそうしなかったのは劉邦の目的が韓信に兵権を与えないことにあり、制御可能な範囲内で、功績に応じてやりたいという思いがあったからに違いない。
 つまり一国を与えるのはやり過ぎだった、というわけである。
 これはしかし彭越や黥布などの異姓の諸侯王に関しても同じであるので、韓信が自分だけに与えられた処置に不公平感を抱くことは避けられない。

 だが当時の朝廷が、もっとも危険と考えられる男から順番に処理していった、と考えればこのことも説明は可能である。というのも彭越や黥布らも最後には韓信と同じ運命を辿ることになるからであった。

 このとき韓信に与えられた淮陰侯という地位は、漢の爵制のなかの「列侯」にあたる。列侯とは秦・漢時代に採用されたいわゆる二十等爵のなかの最高位で、封邑(領地)が与えられるほか、賦役や罪の減免の対象となった。
 この場合、韓信に淮陰を領地として与えたことになり、王とは支配する領域の大きさに雲泥の差があるとはいっても、彼が君主である事実には変わりがなかった。

 通常列侯はその封邑に実際に赴き、諸官を従えて権力を世襲するものであるが、中央の官職についている者はこの限りではない。また何らかの理由で皇帝から首都にとどまるよう命じられている者もあったようである。
 韓信が封邑である淮陰に赴いて、故郷の土地の行政に尽力したという記録は史料に見受けらず、どうやら彼は首都に留められた部類に属するようであった。前後のいきさつから推察すれば、彼は首都に軟禁されたと見るのが自然だと思われる。

 韓信を封邑に行かせれば、彼は地元で兵を募り、それを朝廷を転覆させる規模にまで発展させるかもしれない。よって皇帝としては、彼に最低限の名誉だけは与えておき、中央で監視しておくに限る。つまり、皇帝は実質的に韓信の兵権を奪ったのである。
 兵無き名将は、飛べない鳥と同じ……あるいは走らない馬と同じである。
 劉邦は韓信の危険性を警戒し、彼をそのような立場に追いやった。
 しかし繰り返すようであるが、これは温情的措置である。
 劉邦は皇帝であるので、罪状もなく韓信を殺そうと思えば、殺せた。そうしなかったのは、劉邦が韓信の才能を危ぶみながらも惜しんだからであり、ともに死地をくぐり抜けてきたという一種の友誼を感じたからに違いない。危険な男なので除きたいが、殺すには忍びないという劉邦の微妙な心理がこの施策にはよく現れている、といえるだろう。

 またこのことは、逆臣でない者を逆臣として扱うことに徹底さを欠いた、とも言える。
 生かされた形の韓信は、実はまったく逆臣ではなかったために、自分に課された処置が不当なものと感じざるを得なかった。彼は自分がなぜ才能や功績においても数段劣る周勃や夏侯嬰、樊噲たちと同じ身分なのかと自問し続けるようになった。
 もちろん理由はわかっている。性格的なものや、実際の行為によるものではなく、持っている才能そのものが危険だからであった。だからといって才能はすでに身につけられているものなので、捨て去ることはできない。自分ではどうにもできない悩みなのである。

 後世において、このときの処分は韓信が才能を鼻にかけ、大きすぎる功績に驕ったために招いたものである、と評されることが多い。確かに漢を擁護する立場に立てば、そう説明するしかないかもしれない。
 だが韓信の側から見れば、やはりこれは不当な措置であったとしか言いようがないのである。

追いつめられて……

 韓信は生かされたが、雒陽から関中の櫟陽(れきよう)(当時の首都)に居宅を移され、無為な日々を送っている。
 身分は列侯なので封邑からの租税が入り、暮らしに不自由はないが、目的を喪失した感は否めない。
 能力を持て余す日々が続き、自然に気持ちも荒んでくる。病を称して謁見の場に出ず、行幸にも一切随行しなかった。
 かいがいしく名誉を回復しようと活動することは、気が進まない。謁見の場で下げたくもない頭を下げ続け、折りたくもない膝を折り続けるのは、嫌だった。本当に心の底から自分が尊敬する相手であったら、そうしたかもしれないが、残念ながらもはやこのときの劉邦は、韓信の尊敬の対象ではなかった。
 好きでもない男に頭を下げることは「媚びる」ことであり、権力を前にして節を曲げることを意味する。

 彼に同情的な者の中には、助言をしてくれる者もいる。
「悔い改めて、あらためて皇帝に対する忠節を示すことだ。一から出発する気持ちで……」
 自分を心配してくれていることはわかる。しかし、いったい何を悔い改めるというのか。改めるのは皇帝の方だろう。自分はなにも罪らしき罪は犯していないのだ。
 態度が悪いと言われればそれまでだが、劉邦の子飼の将軍たちの中には、自分より功績を鼻にかけて恩賞を強要する輩は多い。彼らに比べれば、自分などは謙虚だと評されてもよいくらいであった。

――周勃や灌嬰などと、この私が同じ身分とは……。
 かつては彼らを配下に従えて戦った韓信である。彼らには恨みこそないが、自分の方が優れていると考えるのは自然であった。
 しかし、嘆いていても始まらない。「悔い改める」という表現は気に入らないが、再び世に出るためには、これまでの功績をすべて水に流し、一から再出発する覚悟が必要だと考えざるを得なかった。

 そう考えた韓信は、ある日樊噲の邸宅を訪問した。皇帝に昔から忠実だった臣下の心境がどのようなものであるか、確かめようとしたのである。
 韓信自身が初心に帰るためであった。

 このとき樊噲は韓信が来訪したと聞くと、みずから門から玄関までを掃き清め、跪いて頭を地に付けて迎えた。そして韓信を大王と呼び、自分のことを臣(わたくし・しもべを意味する一人称)と呼んだという。
「大王さまには、わざわざ臣の家に足を運んでいただき……」

 朴訥な男であり、決して卑屈な男でもなかった樊噲の平身低頭ぶり。これには訪問した韓信の方が驚かされた。
「樊将軍。もうその呼び方で私のことを呼ぶな。私はすでに王ではない」
「承知しておりますが……少なくとも私の中ではあなた様ほど王にふさわしい方はおりませぬ」
「なにを言う。君と私とでは、身分の違いはない。私は……淮陰侯だ。君だって舞陽侯だろう」

 樊噲は劉邦が陳で韓信を捕らえた際、それに協力したことを評価され、列侯の地位を得たのである。
「……聞けば、会議の席で君は私を捕らえることに賛成したそうではないか。のみならず陳での会同の席にも君はいた。捕らえられ、惨めな姿をさらした私を君は弁護しようともしなかったではないか。その君が……私を呼ぶにあたって尊称を使うのはおかしい。そう思わないか?」
 韓信の物言いもややねじくれ気味である。

「お怒りはごもっともでございます。しかし臣には大王を妬む気持ちなどなく、今でも尊敬する気持ちに変わりありません。……ですが臣はやはり皇帝の臣下なのでございます。会議の席で大王を捕らえることに賛成したのも、皇帝がそれを望んでいると察したからです。臣はあの方のやることには逆らえないのです」
「……それだ」
 韓信は樊噲の言葉に「我が意を得たり」とでも言いたそうな反応をした。

「君や夏侯嬰の皇帝に対する臣従のあり方は、尋常じゃない。私には理解できないのだ。どうしてそのように皇帝に尽くそうとするのか?」
「さて……どうしてと言われても困りますな。強いて言えば……そう、お互いに愛し合う男女が不貞を働かないのに似ている、とでも申しましょうか。恋人のようなものです。世の中には美女は多い……しかし恋人のいる男は、それに見向きもせず、自分の愛する女性だけを追い求める……もちろん、例外はありますが」
「ふうむ……わかるような気はする……しかし、たったそれだけのことなのか? 私はかつて……君が皇帝を救おうと我が身を顧みず突進する姿を見た。覚えているだろう、鴻門での一連の出来事だ。私は君のあの姿を見て、皇帝はよほどの方なのだろうと想像したのだ。だから私は漢に属することにした……。だが君の今の話を聞いていると……少し落胆したような気になる。君たちの関係にはもっと高尚な理由があるはずだと思っていたのだ」
「臣どもはあの方を担ぎ上げることに、その後の運命を賭けたのです。確かに……皇帝より人格的にも能力的にもまさった人物は多い。大王、あなたもそのお一人です。しかしそれをわかっていて臣が節を変えないのは……過去の自分の判断が正しかったと信じているからです。確かに気持ちが揺らぐことはありますが……」
「つまりは、間違いを認めたくない、ということか? 結局はそれだけのことなのか」
「しかし、人臣たる者のとるべき態度は、それに尽きるのではないのでしょうか」
「…………」
「どうかなさいましたか」
「……君がうらやましい。私は……そこまで他人に尽くそうという気持ちになれぬ。皇帝は私のことを、忠誠心が足りぬといって時に叱責する。いったいどうしたら君のように振る舞えるのか……」
「大王には難しいかもしれませんな。あなたは才能も人格も皇帝より……いや、はっきりと口に出しては言えませんが……。しかし、大王はその割によく我慢して皇帝に尽くしていると思います」

 結局要領を得ずに樊噲宅をあとにした韓信は、その帰り道に誰に向かってというわけでもなく呟いた。
「人臣として覚悟が足りぬ、ということか……。よりによって忠節の関係は恋人同士のようなものだ、とは! そんなものは……ただの感情に過ぎぬ」

――忠節において私が樊噲に及ばぬはずだ……私は皇帝を愛してなどいない。

「……恋人同士に義や仁の論理があるはずもない。樊噲はただ婦人のように皇帝を愛しただけだ。その樊噲と私が今や同じ身分だという……とんだお笑いぐさではないか!」

 韓信が捕らえられて淮陰侯に格下げされた後まもなく、皇帝は新たな人事を発表した。
 楚・斉に新たに劉姓の王を配置したほかに、韓王信を太原に国替えさせたのである。
 わざわざそのような人事を行ったのは、この時期北方の異民族である匈奴がたびたび中原に進出してくるからであった。皇帝は韓王信を北方の都市である太原に配置し、匈奴への備えとしたのである。
 この事実は、創業当時の漢王朝が内外に多くの問題を抱えていたことをよく示している。

 この人事を発表した直後、韓信は皇帝と直接会話をする機会を得ている。なにかと理由を付けて参内しない韓信であったが、宮殿に出入りする機会がまったく無かったわけではなかったらしい。
 皇帝は韓信が宮殿内にいることを聞きつけると、即座に呼びつけて雑談の相手をさせた。
「病気だと聞いていたが……顔色は悪くないように見える。さては信、お前の病気は仮病であろう」

 からかうように言う皇帝を前に、韓信は真剣な表情で答えた。
「頭が重いのです。近ごろはよく眠れず……朝も爽快に感じることがありません。気持ちが落ち込み、何をするにも集中できないのです。確かに体力的には問題ないようなのですが、どうも心に病原を宿しているように思えます」
「邸宅にこもってばかりいるからだ。外に出て、人と交流しろ。たまに朕と行幸を共にするのも、よい気分転換になるだろう」
「どうもそのような気になれません。ここにいると常に誰かに見張られているような気がして……陛下、私を領地の淮陰に行かせてはもらえないでしょうか」
「……確かにお前は見張られている。否定はせぬさ……しかし、不自由をさせた覚えはないぞ。領地に行くことは許さぬ」

 意固地になって否定した皇帝だったが、ここで韓信は現実的な問題を提示してみせた。
「どうも租税が領地から報告されている額と合わないようでして……足りないのです。私としては現地に赴いて実情を確かめたく思うのですが……」
 緊急を要しているわけではなかったが、事実であった。どこかで不正が行われている可能性が高いと知りながら、ここまで韓信はそれを詳しく調査する気にもなれず、放置したままにしていたのである。
 その言のとおり、何をするにも集中できなかったからであろう。

「……わざわざお前が行くべき問題でもあるまい。しかるべき者に調査を命じ、不正があったら処置すればよい。官吏とはそのためにいるのであり、王侯とは彼らに命じるために存在するのだ。繰り返すが、お前が行くべき問題ではない」
「…………」
「不服か」
「はい。……ここにいてもやることがないものですから。陛下の臣下として働く機会を与えられないのでしたら、自国に戻って自分の問題を解決したいと思ったのですが……」
「お前はすでに大功をたてたのだから、偉そうにしてふんぞり返っていればよいのだ。お前の手を借りねばならぬような問題は、今のところない。本当に病気なのであれば、今が良い機会だから養生に専念せよ」
「……本当に問題はないと……? 聞くところによると、匈奴の今の首領はなかなかに有能な人物だと。陛下は韓王信をこれに当たらせましたが……」
「奴はお前ほどではないが、軍事の才はある。しかし役不足だと言いたいのか」
「韓王信は戦いにおいては粘り強く、一時の激情に駆られて死を選ぶような男ではありませんが、とても匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)(当時の匈奴族の首領の名)にはかないますまい。冒頓は、かつて月氏と争い、楼煩を滅ぼした恐るべき男です。私が行って軍を指揮するより他に方法はありません」

 韓王信はかつて劉邦が滎陽を放棄した際、周苛とともに滎陽に残って項羽の猛攻に耐え続けたが、落城後周苛は煮殺され、彼は捕虜となった。
 しかし彼は折りをみて脱出し、ふたたび漢に帰属したのである。
 韓信が彼のことを粘り強いと評したのはこのことであった。しかし、当然蛮族と対峙するには生き残る能力があるだけでは駄目で、軍を率いて勝利に結びつける能力がなければ、あてにすることは出来ない。

「かつて秦の蒙恬将軍は匈奴に睨みをきかし、その進出を封じてきた。信、お前はその蒙恬の役目を担おうというのか。聞くが……その役目はお前でなければ駄目なのか。他の将軍では……」
「項王ならば、その鋭い気迫で匈奴を封じることが可能でしょう。彼の気迫は彼を取巻く兵にも伝染する……彼に率いられることによって、兵たちは強くなった気持ちになるのです。かつての楚が戦場で恐れられた所以が、そこにあります」
「しかし項羽は既に死んでいる。仮に生きていたとしてもあの男がわしの為に働くはずがない」
「では、章邯などはどうでしょう。章邯は単なる地方の徴税官に過ぎない男でしたが、ひとたび将軍の座を得ると、瞬く間に烏合の衆だった秦軍を再編成し、当代最強の軍を作り上げました。なぜか。統率力に優れていたからです。彼にかかっては、罪を犯した囚人も一人前の兵士と仕立て上げられる」
「死人ばかりを例に挙げるな。それほど漢は人材が払底しているというのか。生きている人物を挙げろ。もちろん、お前以外にだ」

「……では、私は陳豨を推薦いたします」
「ふむ。なぜだ」
「陳豨の軍事的な指導力や統率力については……実はよく知りません。しかし、私にはわかるのです。戦場で力を発揮する者と、そうでない者との区別は、ここ数年の経験で感覚的にわかるのです。彼なら、兵たちの能力を存分に引き出し、匈奴と対等にわたり合える程度に戦えるでしょう」
 ここで韓信は「勝てる」とは言わなかった。彼のこれまでの論理では、生者のうちで匈奴に勝てるのは自分だけなのである。他者に勝たれてしまっては、論理が崩壊する。

「他でもない、お前が言うのだから間違いないのだろう。しかし、当面は韓王信をあたらせてからだ。それで駄目ならば陳豨を遣わそう。やはり勝てねば、わしが行く。親征するのだ」
「陛下が……?」

 韓信はこのとき表情を崩した。幸いにして悟られることはなかったが、実はこのとき彼は失笑をこらえたのであった。
「わしが自ら率いれば、兵たちの意気は上がり、敗れることもあるまい。問題はわしの指揮官としての能力だが……信、お前はどう思う?」

 韓信はこの問いに断言するように答えた。
「失礼ながら陛下の指揮官としての能力は、せいぜい十万人の兵を統率するくらいのものに過ぎません」
「嫌なほどはっきり言いよる……気に入らんな。そういうお前はどうなのだ?」
「私などは……兵が多ければ多いほど統率できましょう」

 皇帝はこれを聞き、笑い出した。
「おかしなことを言う。兵が多ければ多いほど力を発揮するお前が、わしに捕らえられたのはなぜだ」
「……さあ、ひと言で説明するのは難しい問題です。強いて言えば、陛下は兵を指揮することよりも、将軍を指揮することがうまかった、ということでしょう」

 善ク將ヲ將ス、……この韓信の発言は、劉邦の特徴をよく示した言葉として後世にまで伝わっている。
「まさに天授の才能、とでも言えましょうか」
 そう付け加えた韓信の態度は、一見追従を示したかのようにも見える。しかし、実は彼の言いたいことは逆であった。前線で兵を指揮する能力がないのだから、邪魔にならぬよう後方に留まっていろ、暗にそう言いたかったのである。

 つまり彼は皇帝を賞したのではなく、嫌みを言ったのだった。

 国情は混迷を極め、匈奴にまつわる劉邦の施策はことごとく裏目に出た。

 まず第一に、匈奴と戦端を発した韓王信が冒頓単于率いる軍に包囲された後、寝返ってしまう。
 韓王信は匈奴の将軍となったのだった。これが紀元前二〇一年秋のことである。
 年が明けた冬に劉邦はこれを鎮めようと親征し、逆に匈奴に包囲された。包囲はまる一週間続いたが、漢の朝廷が冒頓単于の妻に大量の贈り物を送った結果、劉邦はようやく解放され、講和が成ったという。
 この救出策は陳平の案によるものだったとされているが、漢が冒頓単于の妻に何をどのように送ったのかは一切定かにはなっていない。どうやら当時から機密扱いになっていたようである。

 韓王信が期待どおりの働きをしなかったこと、劉邦の親征が失敗に終わったこと、これらはすべて韓信が予期していたことである。
――言わぬことではない。皇帝はなぜ私の言うことを信じなかったのか……。
 しかし、依然として韓信にお呼びはかからない。皇帝は匈奴との国境に近い代の地を樊噲に平定させると、その地に自分の兄の劉仲を王として置いた。そして同時に鉅鹿の太守として陳豨を任命したのである。

――陳豨はともかく、劉仲など……ただの農民に過ぎぬ。単に皇帝の兄だからといって王位に就けるとは……
 一族を高位に置き、それを世襲させることは、叛逆行為を抑制する効果がある。それはわかる。
 しかし、ただ血をわけた兄弟だからといって国家の建設になんの功績もない男を王としてたてることは、皇帝が公私混同しているかのように思えるのだった。

 後の話になるが、代王劉仲は匈奴を恐れて国を捨て、雒陽に逃げ込んだ。彼の代王としての地位は取りあげられ、以後は郃陽侯にされたという。能力も胆力もない男に王座を与えるあたり、やはり劉邦のなかに公私混同があったことは否めないであろう。

 韓信の劉邦に対する不信は、決定的になった。そればかりか、このままでは国が滅ぶ、匈奴に国を乗っ取られる、そのような危機感をも持つようになった。
 確かにすべてではないが、少なくとも半分は自分の努力によって成り立った国なのである。それを過信だとして非難できる者は、いないだろう。

――人に任せてなどおけぬ。私が先頭に立って国を守るべきではないのか。
 だがそれを皇帝は許そうとしない。

――建国間もないというのに、すでに政治は腐っている。腐ったものは新しく取り替えなければならない。それは自然な成り行きだ。
 あるいは皇帝と戦うことも覚悟せねばなるまい。はたして自分にそれが出来るのか?

――条件さえ対等に持っていければ……勝つ自信はある。いや、多少条件が劣っていようとも……
 戦端を開く機会を見失わないこと。そして正確な戦略。それさえあれば負けることはない。
 韓信はついに意を決した。

 紀元前二〇〇年二月、漢は長楽宮の完成を機に、首都機能を櫟陽から長安へ移動した。
 韓信もこれにあわせて長安へ移住し、相変わらず監視の目の中で暮らし続けている。しかしそんな中、一人の男の訪問を機に、彼の叛逆の日々は始まっていったのであった。

 長安に居を移す煩雑な作業も一段落し、しばしの休息をとる。
 淮陰から上がってくる租税の額が合わないという問題は未だ解決していない。まだ深刻な事態とはなっていないとはいっても、いずれは原因を追及しなければならなかった。
 しかし、それはすべて終わってからだ。今、自分が優先すべきは正しき戦略を練ること。それに尽きる。

 居室でひとり考え込む韓信のもとへ、家令が来客の旨を告げた。
「淮陰侯……鉅鹿の太守さまがお見えになってございます」
「うむ。通してくれ」

 現れたのは、いよいよ任地に旅立つことになり、暇乞いの挨拶に訪れた陳豨であった。
「来たか。よく来てくれた」

 韓信はそう言って立ち上がると、近侍の者を遠ざけ、陳豨の手を取るようにして庭へ連れ出した。
「ここの庭は広大で、散策するにはちょうど良い。独り者の私には広すぎるくらいだ」
「大王……いえ、淮陰侯。あなたの庭は天下でしょう。これでも物足りないぐらいではありませんか?」
 陳豨の態度は特に韓信に対して媚を売ったようなものではない。
 この時代の武人にとって韓信はやはり尊敬に値する人物であり、陳豨はそれを素直に言葉に表しただけであった。

 しかし、韓信はその言葉を否定した。
「いや……私はいくつもの国を滅ぼし、何人もの武将を討ち続けて現在に至っているわけだが……実は私自身、一国を束ねる王となりたいと望んだことはなかった。戦乱の世が終わった暁には……静かな暮らしを求め、誰からも忘れ去られて過ごしたいと望んでいた。しかし、不思議なものだな。今の私は王座を追われ、監視の目はあるものの何不自由なく暮らしている。それがたまらなく嫌で仕方ないのだ」
「国家の大役を担いたいと……? 働き足りないということですか?」
「いや、少し違う……。私はただ、戦いたいだけなのかもしれない」
「…………」

「先に君は、この王朝は駄目だ、と言ったな。今でもその意見に変わりはないか?」
「無論です。それどころか不満は日増しに大きくなってきております。かつて項王は項姓を持つ者ばかりを優遇し、親族以外には冷たいと評されましたが……今の皇帝の施策はそれと変わりがありません。諸国には劉姓を持つ者ばかりが王として立ち、異姓の者はないがしろにされつつあります。座視すべき事態ではありません」
「うむ……よく言った。ついては相談がある。君を信頼して、ぜひ頼みたいことがあるのだが」
「なんなりとご命令ください」

「君の任地の鉅鹿という土地は、伝統的に多くの精鋭を生むところだ。近年では項羽と章邯が激突した土地であり、これに勝利した項羽が覇王として名を轟かすきっかけになった場所だ。したがってことを起こすには極めて縁起のいい土地だと言える」
 陳豨はこのとき韓信がなにを言おうとしているのかを、理解した。
「では、ついに……」
「ああ。君は幸いなことに陛下の信頼が厚い。君の行動に多少疑わしいところがあったとしても、陛下は心を動かさないだろう。つまり、下準備に十分な時間がとれる、ということだ」
「はい」
「二度三度、君の忠誠が疑われる事実が発覚するようになると、陛下はようやく重い腰を上げることになる。あの方は、極端な方だ。いざ君を討つことを決めると、部下に命じることなく自分で軍を率いて行動するだろう。私が見る限り、近ごろはその傾向が強いようだ。以前にもまして気が短くなっておられるのだろう。やはり年のせいかもしれない」
「そこを返り討ちにするのですな。入念な準備をしたうえで……」
「……まあ、それができれば最善だが……。持ちこたえてくれさえすれば、それでよいと私は思っている。私の狙いは、陛下に首都を留守にしてもらうことだ」
「ほう……」

「陛下が留守になれば、宮殿には私の敵になるような者はいない。そこで私は兵を集め、長楽宮を襲撃し、呂后と太子を(とりこ)にしようと思う」
「……殺すのですか?」
「いや。彼らはあくまでも陛下を私の前に引き出す餌だ。つまり、彼らを人質にとり、陛下と戦うことを……私は望んでいるのだ」

「……謹んで仰せのとおりにいたしましょう。しかし……危険ではないですか? いや、私ではなく淮陰侯が、です」
「以前に人から聞いたことがある。人は大事なものを守ろうとするからこそ戦うのだと。そして、世に戦いが尽きることはないのはそれが理由だと。確かに危険なことではあるが……ここまでしなければ、陛下は私と戦ってはくださらぬだろう」

 かつて経験した幾多の戦いの中で、彼は多くを失ってきた。
 かわりに得たものといえば、王侯としての名誉であったり、封地であったりした。
 しかし自分がそれを欲していたかどうかは、どうもよくわからない。

 振り返って考えてみると、自分は乱世に生きる武人としては、よくやってきたと思う。
 失った者のために流す涙は最小限にとどめ、悲しみを感じながらもそれに打ち負かされず、忘却することはできなくとも、悲しみの経験を自分の中で消化し、あらたな行動を起こす糧としてきた。

 栽荘先生が死んだあの日、自分は戦いに身を投じることを決意した。
 生まれ育った淮陰の危機を救い、母の墓に別れを告げた。
 あれからもう十年の月日が経とうとしている。

 カムジンを殺し、酈生に死なれ、蒯通には見捨てられた。
 蘭は自分を守って命を散らした。
 鐘離眛は自らの血を自分に浴びせた。
 どれも悔恨を伴う忘れられない出来事である。

 だが、彼らを思い出して再び涙することは、韓信にはなかった。確かに彼は溢れるほどの感情の量を持ち合わせていなかったのかもしれず、実際に喜怒哀楽を表情に出すことは少なかった。
 彼自身それを自覚し、あるいは自分は酷薄な男なのではないかと何度も自問を繰り返してきた。

 しかし、いつも答えは見つからなかった。戦った結果、彼らを失ったことを思えば、自分は戦わないほうがよかったとも思える。
 だが戦わなければ彼らとの友誼や信頼、愛情は育まれることがなかっただろう。
 そう考えて自分を慰めるのが常であった。

 あろうことか、自分はまた戦おうとしている。もはや自分以外に守るべきものはないというのに。

 すでに決断したはずなのに、心が揺らぐ。常に自分の決意が完全に正しいと信じられる者は少ないが、このときの彼もその一人であったのだ。

 陳豨と話し合った日の夜、また韓信は蘭の夢を見た。

 夢の中の自分は、うるわしき蘭を前にして意外にも毒づいた。
「君が姿を見せるたびに私が喜ぶと思ってもらっては困る。私は……いい加減君を忘れたいのだ。何度も顔を見せて、私を苦しめてくれるな」

 しかし蘭は姿を消さないばかりか、表情さえも変えようとしない。
 生前から特徴的であった大きいが切れ長の目は、穏やかに微笑をたたえている。
 あまり厚みはないが柔らかそうな唇も、微笑をたたえていた。

 その唇は開くことがなかったが、声が聞こえた。
「なんのために戦うのです」

 それは韓信が現実の世界で思い続けた疑問であった。常に考えているからこそ、夢の中にまで疑問は持ち込まれる。
 現実の韓信は眠っているはずだが、意識の中で反発した。
 しかし、夢の中の自分はその問いに対していとも簡単に返答してみせた。
「孤高を保つためだ」

――そうだ。そのとおりだ。
 眠っている韓信の自意識がそれに同調を示す。
 夢の中の自分は、さらに本音をぶちまけた。
「私は、尊敬されなくても構わない。しかし、人に蔑まれるのは嫌だ。誰も私のことを見向きもせずとも構わない。しかし、後ろ指を指されるような存在に成り下がるのは嫌だ。成り上がらなくても構わない。しかし、落ちぶれるのは嫌だ。戦って負けるのは構わない。しかし戦わずに臆病者呼ばわりされるのは嫌なのだ」

 夢の中の蘭はこの言葉を聞いても表情を変えなかった。相変わらず穏やかに微笑み、背筋を伸ばして立っている。なんとなく眩しく思えた。
 心なしか金色の後光が射しているようにも思える。
 天女のような姿。
 光は次第に強くなっていき、夢の中の自分は、その眩しさに目を背けた。

「では将軍は、自分を守るために戦うのですね」
 それも現実の世界で韓信が思い続けたことであった。
 結局は自分のために他者を巻き込み、犠牲にしようとする自分。
 そんな自分の生き方に嫌悪感を抱きながらも、他に進むべき道を見つけられないでいる自分。

「君は、私に嫌みを言うためにわざわざ夢の中にまで現れたというのか!」
 眩しさに耐えながら、再び蘭を見据えた。
 すると目の前の蘭の姿は、また裸身であった。
 金色の光が一糸もまとわぬ蘭の姿を照らし、夢の中の自分は思わず目を細めた。
 そしてそのまま蘭に近寄り、その輝く肢体に手を触れようとした。

 すると金色の光は突如として消え失せ、辺りは薄暗いもやに包まれた。
 そして夢の中の自分は、なぜか蘭の股の下を這いつくばってくぐろうとしていたのである。

――なにがどうなっているんだ?
 意識の中で韓信は自問した。

 それが通じたのか、夢の中の自分は慌てた様子で振り向き、後方の蘭の姿を仰ぎ見ていた。

 しかし、振り向いた直後に見えたのは武具をつけ、剣を右手に持った武者であり、明らかに蘭ではなかった。

「眛!」
 そこにいたのは首から血を吹きながらたたずむ鍾離眛であった。
「眛! 眛!」
 夢の中の韓信は、しきりに眛に呼びかけた。
 しかし、反応はない。

 しばらくして鐘離眛の首が音もたてずに落ちたところで、韓信は目を覚ました。

策略

 今にしてみると、蒯通がしつこく自分に勧めたことは、すべて正しかったように思われる。

「知識を得ておきながら、決断して行動に移す勇気を持たぬ者に幸福は訪れぬ」
 かつて蒯通は、そう言った。あのとき彼の勧めに応じて決断していれば、その後の自分の運命は変わっていたかもしれない。

 酈生は、死ぬ間際に残した書簡の中で、自分に独立を示唆した。
「将軍は自分の欲に気付いていないために、行動を起こせずにいる」

 今、韓信は自分の欲が何であるかを知った。
 誰にも膝を屈したくない自分。
 人の上に立ちたいと望んだことはないが、かといって卑屈な存在であることを拒否したがる自分。
 酈生は自分より、自分のことを見抜いていた。

 カムジンは戦場で成長し、自我に目覚め、それ故に罪を犯した。
 そのカムジンの晩年の姿と今の自分が重なるような気がして、彼は悪寒を覚えた。
 自分は今に至り、ようやく自分自身の欲求を理解することができたからである。
 これは、自我に目覚めたということに違いなかった。

 そのようなことを常に考え、自分の決意に対して悩み続けた。その期間は長く、まる二年に及ぶ。
 韓信は、陳豨の行動を待っていたのである。

「……君は陛下の信頼が厚い。二度三度君の忠誠を疑う行為が発覚して、ようやく陛下は行動を起こす」
 韓信のその言葉を受けた陳豨は、鉅鹿に到着するとすぐに食客を集め、私的勢力の形成に努めた。
 その食客の数は膨大で、あるとき陳豨が趙の邯鄲を訪れた際、連なる食客の車が一千台を超え、公立の宿舎がすべていっぱいになったくらいである。

 趙のある大臣がこれに不信と危機を感じ、朝廷に参内して皇帝に訴えた。陳豨は軍令の範囲をこえる私的勢力を持ち、そのため謀反の可能性が高い、と主張したのである。
 皇帝はこの主張を受け、人を遣って陳豨の食客の素性を調べさせた。その中には後ろ暗い過去を持つ者も多かったが、そのことが陳豨の謀反を証明することにはならない。
 皇帝は陳豨を罷免しようとはしなかった。

「大丈夫、その調子だ。ゆっくりで構わない。構わず勢力の拡充に尽力せよ」
 韓信は陳豨からの密使の報告に、そう返答した。
「我が主の陳豨は、今後どのように行動すべきか、淮陰侯におうかがいして参れ、と申しておりましたが……」

 韓信は、満足した。陳豨は自分のために行動してくれている。
「殊勝だな……陳豨という男は。彼の行動は彼自身の野心から発せられているものではなく、私のために捧げられている。……もっと早い段階で出会うべき人物であった」

 韓信は密使に伝えた。
「帰ったら、陳豨に伝えてほしい……匈奴に亡命した韓王信とひそかに同盟せよ、と。具体的な方策は問わぬ。陳豨の数多い食客の中には、韓王信の部下に誼がある者もいるだろう……そのつてを頼るのも方策のひとつだ」
「承知いたしました。必ず、そのように」
 密使はそう答えて陳豨のもとへ帰っていった。

 韓信はその後ろ姿を見つめつつ、思う。
――策士として裏から謀りごとを巡らす、というのは性分に合っていないが……なかなか根気がいるものだな。自分で戦う方が、よっぽど気楽だ。
 しかし、今の韓信に手持ちの兵力はない。戦いは陳豨に任せ、自分は機会を待つことしか出来なかった。
 なまじ待っている間は考える時間があるだけに、くじけそうになる。
 彼は自分の意志を保つべく、弱気と戦っているのだった。

 翌年の七月、皇帝劉邦の父、劉太公が死去した。
 国中に喪が発せられ、諸侯や列侯は皆、長安に召し出されることとなった。
 が、陳豨は病気と称してこれを無視した。

 それでも皇帝は動かなかった。よほど陳豨を信頼していたのだろう。
――思っていた以上に、なかなか動かんな。気の短い陛下なら、あるいはと思ったのだが……。陛下の鋭気が衰えたか。しかし機は熟した。

 そう考えた韓信は、ついに使者を通して陳豨に指令を出す。
 その指示は短かったが、的確に要旨を伝えていた。

「代王を称し、趙に侵攻せよ!」

 趙は、韓信にとって思い入れのある土地である。
 兵に背水の陣を敷かせ、その結果陳余を斬り、趙歇を捕らえた。李左車に師事し、張耳を王に据えた。
 その功績で名をあげた土地であったと同時に、邯鄲での住民虐殺の罪でカムジンを死罪に処したという苦い経験もしている。良くも悪くも思い出深い地であった。

 前年(紀元前一九八年)、その趙のである政変が起こっている。当時の趙の国王は張耳の子にあたる張敖(ちょうごう)であったが、その張敖が列侯に落とされたのであった。
 きっかけは趙のある大臣が皇帝の弑逆を企み、それが発覚したことである。臣下の罪は主君の罪と考えれば、この処置は妥当であった。
 だが皇帝が張敖の後釜として、またもや劉姓の者を王位に就けたことは、韓信にとって気に入らないことであった。

 そもそも張敖は、劉邦の娘である魯元公主(魯を名目的な領地として与えられた皇帝の長女の意。本名は不詳)を妻としており、これは劉邦が彭城を脱出する際に車から捨てられ、何度も夏侯嬰に拾い上げられた人物である。
 投げ捨てたりしたことを考えれば、劉邦の娘に対する情は薄かったとも考えられるが、なんといっても皇族である彼女を妻にした張敖の地位は保証されたものと思われていた。
 ところが弑逆計画に張敖が関わっていないことが立証されても、皇帝は彼を復位させようとしなかったのである。

 これについては諸説あるが、劉邦は理由を付けて異姓の王を除外したかっただけに違いない。少なくとも事情を聞いた韓信はそう信じた。

 韓信にとってこの事件はいまいましいことではあったが、逆に好都合でもあった。
 あらたに趙王に据えられた劉如意(りゅうじょい)(戚夫人の子。庶子である)は活発な性格であったとされるが、目立った軍功はない。そのため趙で叛乱が起きてもうまく対処できず、その結果皇帝である劉邦自身が鎮圧に動く、と読んだのである。

 そして、事実そのとおりになった。

 陳豨叛乱の報告を受けた皇帝は、親征の意を表明し、諸将に命じて征旅の準備をさせた。
――いよいよその時が来た。

 韓信は側近の者を集め、ついにその胸の内を明かした。
「諸君、陳豨が北の地で叛乱を起こし、皇帝の意に背いたことは知ってのとおりだ。皇帝は自らこれを鎮圧するつもりで諸将に従軍を命じている。……この私にも征旅を共にするよう、先ほど命令が届いたばかりだ」

 この時期の韓信の側近たちの大半は、かつて親衛隊として戦地を戦い抜いてきた者たちであった。
 彼らは久しぶりの出征とあって、わき起こる興奮を隠しきれず、それぞれに歓喜の表情をした。
「謀反人の陳豨を我らの手で捕らえれば、皇帝に淮陰侯の力をあらためて示すいい機会となることでしょう。腕が鳴る、とはこのことですな!」
「淮陰侯がちょっと本気を出せば、敵う相手など天下にはいない。皇帝の腰巾着に過ぎぬ将軍どもにいつまでもでかい面をさせておけるものか!」

 彼らの言う将軍とは、夏侯嬰や樊噲、周勃など旗揚げ以来の古参の将軍たちをさす。彼らもと親衛隊の側近たちは、やはり一様に不満を感じていたのだった。

 しかし歓喜に沸く一座の中で、ただ一人韓信だけは白けた表情のままであった。ひとしきり側近たちが喚き散らすのを静観し、それが落ち着いたころ、彼はあっさりと言い放った。
「諸君らの気持ちはよくわかった。しかし、私はこのたびの征旅には随行しない。病気を称して長安に留まるつもりだ」
「え……?」
 一同は皆あっけにとられた。

「失礼ながら……それでは淮陰侯の名誉を回復する機会が失われてしまいます。どうかお考え直しください」
 側近の一人の言葉に韓信は答えた。
「名誉か。皇帝のご機嫌をうかがい、その一挙手一投足に怯えながら日々を暮らす生活が名誉だというのなら、そんなものはこちらから願い下げる。事実、諸侯王としての生活はそういうものだ。率直に言おう……。皇帝は諸将を連れて趙へ親征する。その隙をうかがい、私は居城の長楽宮を襲撃するつもりなのだ」

 韓信のそのひとことに、側近たちは目を丸くした。
――これは……淮陰侯の朝廷転覆の計画だ!

「そもそも名誉とは、人から与えられるものではない。私はそれを自ら手中にするため、行動を起こそうと思う。つまり長楽宮に侵入し、呂后と太子を捕らえて人質とし、皇帝を決戦の場に引きずり出す……私の勝手な判断だが、異存のある者はいるか? いれば今のうちに申し出よ。同調できぬ者に仔細を詳しく語ることは出来ない」
 韓信の口調は穏やかではあったが、それでいて断固としたものだった。
 側近たちは韓信の決意を聞いた以上、実際には同調できないとは言えない。言えば秘密保持のために斬られるか、少なくとも獄に入れられるからである。

 韓信は静かに目で訴えているのであった。私と行動をともにせよ、と。

「私は常に負けない戦いをしてきたつもりだ。諸君が心配するのも無理はないが、今度の戦いも今までの私の戦いとなんら変わるところはない。十分に成算はあるし、根回しもすでにしてある」

 韓信は淡々と説明を始め、手始めに側近たちに質問をした。
「皇帝は趙の地へ親征するが、その目的はなんだと思う」
「謀反を起こした陳豨を討つためです」
「うむ。その通りだ。ではなぜ陳豨が叛旗を翻したか、わかる者はいるか」
「いいえ……」

 側近たちは一様に首を傾げた。彼らには韓信がなにを言いたいのかがよくわからなかった。
「陳豨はもともと皇帝の信頼が厚い男であったが、ひそかに現状に不満を持っていた。私はとあるきっかけで彼と知り合うことになり、彼に策を授けた。叛乱を使嗾したのだ」
「……!」

「陳豨が鉅鹿の太守に任命されたことは私にとって僥倖であった。かつて私のもとで弁士をつとめていた蒯通は常に私に口酸っぱく言ったものだった。『機会、機会。機会をとり逃しては大事を成すことは出来ない』と。……私は彼の言葉に従い、陳豨を造反に引きずり込んだ。鉅鹿で私的勢力を作れ、匈奴に亡命した韓王信と結べ、代王を僭称せよ、と……。陳豨の叛乱はすべて、私の指示に基づいて行われている。その結果、皇帝は首都の長安をもぬけのからにして、戦地へ向かおうとしている。今のところ、状勢は私の思うとおりに動いているのだ」
「……さすがは淮陰侯。その深慮遠謀には、我らなどとても及びませぬ」
「お世辞を言うのは早い……問題はこれから先だ。私は陛下の留守を狙い、長楽宮を襲おうとしているが、君たち全員の協力を得たとしても、兵の数がまだ足りない」

 韓信の側近は、この時点で二十名に満たなかった。
 そのうち、かつて韓信が彭城で項羽の追撃を阻止したときに初めて結成されたいわゆる親衛隊に由来する者が七割、残りの三割は韓信が楚王就任後に仕えるようになった者たちである。
 よって三割は個人的な武勇も、あまりあてにできない。
「長安は城市として造営の途中であり、城壁も未だ半分くらいしか完成していない状態だが、都市としてはすでに機能を果たしている。市中には居住区もあれば市場もあり、幾多の人民がここに成功と繁栄を求め、流入してきている。……このことは良い面もあるが、悪い面もある。市中には勤勉な良民が溢れているが、逆に遊民や無頼の徒も溢れているのだ。……西にある獄はすでに囚人でいっぱいだとの噂だ。……私は、あえてそれを利用しようと思う」
「……囚人を兵として使う、とおっしゃるのですか?」
「そうだ。もちろん忠誠はあてにできない。しかし、ものは考えようだ。人が罪を犯すのはなぜか。……いろいろな状況があるが、共通して言えることは、利に目が眩むからだ。罪人として捕らえられている者は、その欲求に打ち勝てない者たちなのだ。つまり、こちらが利をつかませることを約束すれば、彼らから忠誠も買える」
「あまり……気持ちのいい話ではありませんな」
「そうか? しかし人の道に反する、とまでは言えまい。事実、秦の末期には地方の徴税官に過ぎなかった章邯が囚人を兵として編成し、それを当時最強の軍隊に仕上げた例もある。私はひそかに軍人として章邯を尊敬しているので、今回はその例にならいたいのだ。……他に方策がない、ということもあるが」
「…………」

「囚人たちも生まれ変わる機会を得ることになるかもしれない。彼らは確かに悪人かもしれぬが……私はかつて人から聞いたことがある。人の性は、本来は悪だと。そして人生における数々の経験が、それを善に導くのだ、と。だから私も君たちも、人としての根源が悪であることは、囚人たちと変わらない。ただ彼らの人生には、善に導かれるきっかけがなかっただけのことだ。我々がそれを与えると考えればよい」
「……淮陰侯がそれでよろしければ、我々には反対すべき理由はございません」
 側近たちは口々にそう言った。
 しかし、誰もが「自分は善である」と言い切れる自信があったわけではない。だが韓信を含め、彼らは皆、そのことを考えないようにした。

「兵の件は、それでいいとしても……最終的には皇帝と戦うことになるのです。……大義名分が必要です」
「うむ。……考えるところはある」

 韓信は、自分の頭の中を整理するかのように、しばらく沈思すると、やがて話し始めた。

「項王が死んだことで」

 韓信の口調は、暗い。頭の中に散乱する思いを必死に体系化して言葉にしていくために、すらすらと口から言葉が出てこない。
 しかし、かえってそのことが聞いている側の側近たちにとって、一言一言の重みを感じさせる。
 そして、いかにも自分たちが陰謀をはかっているようにも思えてくるのだった。
「秦末からの楚漢興亡の歴史は終わりを告げた、と考える者は多い。しかし……私はそうは考えない。状況は、楚が滅び、漢が大陸を統一したというだけで、秦が漢に変わっただけのことだ。単に支配者が変わったというだけのことだ」
「しかし、秦の政治は腐敗していました。変わるだけの理由はあったと思われます」
「政治の腐敗があったのは確かだ。しかし、単に腐敗していただけだとしたら、腐敗の原因を取り除けばいい。すなわち腐敗の元凶であった宦官の趙高を殺し、天下の良識家を採用し、二世皇帝をもり立ててやればよかったのだ。しかし、秦が滅ぼされたのは腐敗が原因ではなく、もっと根本のところが原因だ。腐敗以前に問題があったのだ……法で人々は身分を定められたのが秦の政治の特徴であったが、その法は支配階級のためのものであり、被支配者である民衆にとって、法は弊害でしかなかった。これが秦の滅んだ最大の原因だ」
「…………」

 側近たちは韓信の話に聞き入る。韓信はいったん口をつぐんだが、それは側近たちの反応を知りたいからではなく、やはり自分の考えを整理しようとしているからであった。
 側近たちは、それを知り、あえて口を挟もうとはしない。

「大沢郷で決起した陳勝は、後世まで伝わるであろう名言を残した。『王侯将相、いずくんぞ種あらんや』……王侯や将軍・大臣、どれも皆おなじ人である。家柄や血統などによらず、自らの才覚でその地位を得ることが、誰にでも可能なのだ、と。一連の楚漢の興亡が革命と呼べるものならば、私はこの陳勝の言葉こそが、今後の活動方針を示す綱領と言えるものだったと思う」

 テーゼだったと言うのである。韓信の言葉は、古代における革命論であった。

「陳勝は王侯の存在を否定したわけではなく、それが家柄や血統で継承されることを拒んだ。才能や努力で成功をつかみ取る社会を夢みて、それを言葉にした。その言葉に同調した群雄が乱を起こし、中原は革命の場となったのだ。しかし、漢によって統一された現在の社会は、陳勝が望んだ形とは違う。才能を持ち、かつ多大な貢献をした諸侯は劉姓を持つ血族に取って代わられ、血族は世襲でその地位を確約されている。皇帝は至尊の地位とされ、神仙と同様、あるいはそれ以上の存在となり仰せた。そしてやはりその地位は世襲され、血族による支配が続いていく……。春秋時代の氏族社会の復活だ。劉一族による独裁体制の確立。陳勝の唱えた才覚や努力で地位を得る体制が生まれる余地は微塵もなく、その意味で革命はまったく完成していない。時代は逆戻りしている、と言えるだろう」
「ですが……皇位が血統で継承されないことになると、常に天下は戦乱の危険に晒されます。そのことをどうお考えで?」
「そこまで知るか。私に出来ることは……良くない体制を武力でぶち壊すことだけだ」
「では、皇帝と戦って勝ち、淮陰侯自ら皇帝を称すのではないのですか」
「私は……憚りながら言うが、自分のことを優れた武将だとは思っている。しかし、古来優秀な武人が同時に優秀な統治者であったことは稀だ。私もその例に違わない。経験があるから言えることだが、どうも私には統治者としての才覚はなさそうだ」

 それでは後に混乱の種を残すだけではないか……。
 側近たちはそのように思い、韓信自身もそう考えた。
 しかし自分が皇帝に勝てば、才覚ある者を市中から選び、政務を執らせることが出来るだろう。その者の才覚次第では、玉座に座らせることも考えてもいい。
 韓信はそう思い、語を継いだ。
「皇帝が態度を改め、才覚に応じて人材を適所に置けば、私としても剣を収めるつもりはある……しかし、期待できないだろう。あの方は、お変わりになられた。旗揚げ当時の度量の深さはすっかり影を潜めてしまった。その昔、あのお方は臣下の額の汗を拭き、同じ食事を勧め、同じ車に乗せるほど、厚く遇した。それがあのお方の度量の深さであったのだが……今やあのお方は過去の自分の度量を悔いておられる。臣下に与えた領地を取りあげ、ことあるごとに約束を違える。人として許されるべき行為ではない」
 韓信がそう言って座を外したところで、側近たちは互いに小声で語り合った。

――我らが主君は、お若いのに落ち着きのある方であると思っていたが……意外に青臭いことも言うものだな!
 と。
 しかし、彼らの多くは主君たる韓信を敬愛していたし、彼の言うことならば疑わずに従う者が多かった。親衛隊として以前から韓信に従っていた者たちは、特にそうである。

 だが、一部にはそうでない者も存在した。
 新参者の中には直接に韓信の武勇を目にしたことがなく、過去の劉邦と韓信の関係についても知らない者が何人かいたのである。

 つまり、側近たちの中には韓信が好きで従っている者と、ただ運命の流れのままに従っている者とが混在していた。このため彼らの忠誠の度合いもさまざまであり、その結果、一枚岩となれなかったのである。

 皇帝が親征を開始し、函谷関を出たことを確認すると、韓信は行動を起こした。夜中に獄を訪れると、彼は強い口調で獄吏に通達した。

「勅令である」
 獄吏はその言葉を聞くと、跪いて畏まった。
 韓信は兵を強奪するにあたって、皇帝の権威を利用したのである。

「皇帝陛下は親征なされたが、斥候の情報によると謀反人陳豨の勢力は八十万に達することが判明した。陛下の軍は精鋭であるが、数においては陳豨の軍がやや勝る……。そこで陛下は私に、諸官庁の囚人労務者を解放して兵となし、しかるのち参軍せよ、と命じられた」
「ははっ!」

 この種の論調で韓信たちは市中にあるいくつかの獄から囚人を駆り集め、急造の軍とした。
 次いで武器庫に侵入し、同様の論調で倉庫番の小役人を説き伏せ、武器を調達した。
「武器の携帯は必要最低限にとどめよ。戟や鉾をいくつも集めたとて、訓練もしていない囚人たちには、うまく扱えぬ。彼らには弩を用意するのだ!」

 弩は引き金を引くだけで発射できる。さほど腕力がいらず、命中精度を高めることも弓に比べると容易であった。
 韓信が得た兵はほとんど軍事的には素人同然だったので、この種の武器が入手できたことは幸運であった。

 兵たちに武器を与え、かつ鎧や甲などの装備品を支給すると、韓信は囚人たちに恩賞を約束した。
「私がこれからやろうとしていることは、いわゆる謀反だ。しかし、謀反は成功すれば謀反ではなくなり、革命と呼ばれるようになる。だからくれぐれも悪事を働くような意識では臨まないでほしい。君たちは、半ば強制的に私に協力するはめになった。もちろん成功後の報奨は十分にする。生涯にわたって賦役を免じ、能力のある者には政治にも関与させよう。金品も存分につかませる。……だがそれは、すべて終わってからの話だ」

 囚人たちは自分たちがどのような立場に立たされているか、即座には理解できなかった。しかしやがて、
「名に聞こえし淮陰侯様と行動を共にできることは、我々には望外の幸運。道を誤り罪人として獄につながれた我々ですが、まっとうな道に戻れる機会をお与えくださったことを感謝いたします」
 という内容のことを口々に言い、韓信への臣従の態度を明らかにした、という。

「うむ。心強い言葉だ……。君たちが過去にどのような罪を犯したのか、私は知らない。君たちがどの程度私に忠誠を捧げてくれるのか、私にはわからない。だが、ことは急を要する。私は君たちを信用し、恩賞を約束した。君たちは恩賞につられて謀反に加担することになるが……自信を持って行動してほしい。決して利を追及することを気に病むな。君たちが生き延びて恩賞に授かりたいと望む心こそが、私を勝利に導く。生き延びて瀟洒な暮らしをしろ。豪勢な食事にありつけ。飽きるほど贅沢三昧をせよ。無欲な者は生き残ることができぬ。そして生き残る者が少なければ、我々は敗れるのだ」
 韓信は心ならずも、囚人たちにそう訴えた。当てにならない忠誠心よりは、短期的には欲を喚起した方が効果的だと考えたのである。

 韓信は囚人たちを要所に配置し、時期を待った。皇帝の軍が陳豨の軍と戦端を開くのを待ったのである。対外的には四日後に長安を出発し、皇帝の軍に合流する、とした。

 朝廷もそれを疑わず、計画は成功するように思われた。

 韓信が長く抱えていた問題が解決したのはちょうどその頃であった。
 淮陰からあがってくる租税の額があわなかった問題である。
 真相は、帳簿の記入を担当していた家令の横領であった。

「この忙しいときに……。ひとまず、獄に繋げ。殺してしまいたいところだが……囚人を兵として雇っておきながら、彼だけを死罪にするわけにもいかん」

 沙汰を後回しにして、当面の問題に集中するつもりだったのだろう。
 しかし韓信はどちらかというと潔癖な性格だったので、この種の悪事に対して決して寛容な男ではなかった。
 兵とした囚人たちには利を追及することに気後れするな、という内容のことを言ったくせに、本心ではそのような人間のうつろいやすい心が許せなかった。そしてこの時代に韓信を知る者たちは、彼がこの種の問題に厳しいことを皆知っていたのである。

 そのためこの家令も死を覚悟した。

 罪を犯した家令には弟がいた。
 兄弟ともに韓信が楚王となったときに初めて仕えることとなり、いずれも戦闘の経験はない。
 彼らは、韓信が彭城の西で項羽を撃退したことも、兵書にとらわれない策を用いて井陘口で大勝利を得たことも知らない。
 さらには大国の斉を制圧した栄光の陰に酈食其を失ったという悲劇、劉邦に義理立てをして出兵しようとした結果、愛する蘭を失ったこと、それらすべてを知らなかった。

 知っていたのは散文的な事実のみだけであった。
 かつて斉王を名乗り、その後は楚王となったが、友人という理由だけで楚将の鍾離眛を匿った結果、降格されて現在は淮陰侯に留まっている、という事実。

 どうやら自分たちは朝廷に睨まれている人物に仕えているらしい、という漠然とした不安は、かつて親衛隊を名乗っていた家令たちも同じように感じていた。
 しかし忠誠の度合いが少ない新参の者は、その不安を跳ね返すことができなかったのである。

 家令の弟は、兄がいずれ殺されることになると思い、ひそかに屋敷を抜け出て長楽宮へ走った。

「大事件です」

 と叫びながら上奏し、韓信の計略のいっさいを皇后である呂氏にぶちまけてしまったのである。

悪意の絆

 大いなる計略は、小人物の密告によって、実現を阻まれた。つまらぬ男によって運命を台無しにされたという見方が出来ないでもないが、やはりこれは韓信自身の失態であった。大を見るあまり小を見ず、天空を泳ぐ竜を眺めていたら蜂に刺され、それがはからずも致命傷になった、といったところだろう。しかし、この時点での韓信はまだ自分の失敗を知らない。
 作戦決行を三日後に控えて彼が考えることは、実務的な不安がまず第一であった。もと親衛隊の連中は十分に信用に足る者たちであったが、実戦からしばらく離れている。心配してし過ぎるということはなかった。
――こんなとき、カムジンが……。
 かえすがえすも惜しい。自ら手にかけたことを今さらながら後悔する韓信であった。
――しかし、あのときの自分の判断は間違いではなかった。
 後悔することは自分の行為を否定することである。カムジンは、罪人であった。よって裁いたことは正しい。だが一方で自分は罪人どもを赦し、兵として迎えている。他に方法がなかったとはいえ、カムジンに顔向けできない、と考えてしまうのだった。
――いずれにしても、カムジンはもういない。考えても無駄なことだ。
 そう思い、とりとめのない思考を打ち切ろうとしたが、そもそも自分の決断自体が正しいかどうかさえ、確信がない。思考はさらに深みにはまっていくのであった。
――蘭がいてくれたら……。
 実際は彼女がいても韓信の言うことに反対することはなかっただろう。しかし、彼女が後押しをしてくれることで、自分が気分的に楽になれることは確かだった。一人で決断するのではなく、ともに悩み、励まし合いすることでこそ、人は実行力を発揮する。
――しかし、蘭ももういない。やはり、考えても無駄なことだ。
 絆は断ち切られ、彼はたったひとりで行動を起こさねばならなかった。謀反が謀反に終わった理由が、そこにあった。

「私が聞くところによりますと、淮陰侯韓信という男は、そもそも貴方が皇帝に推挙した人物だとか。大変な人物を推してくれたものですね」
 命を狙われていることを密告によって知った呂后は、傍らに控える相国蕭何にとげとげしい口調で言った。
「は……。しかしまさかこのような事態になるとは……」
 蕭何はしどろもどろしている。人質として項羽に捕らえられていた呂氏は、解放された後、性格が豹変して恐ろしくなった。蕭何は呂氏の目を直接見ることができない。
「淮陰侯は当代随一の知将と聞きます。私は戦時中一貫してとらわれの身でしたので詳しくは知りませぬが。本当にそうなのですか?」
 蕭何は額に流れようとする冷や汗を呂后に悟られぬように拭いながら、答えた。
「……かつて臣は、淮陰侯のことを『無双の国士』として皇帝陛下に推挙いたしました。そのことは間違いございません。また、実際に彼はその異称のとおり、天下の大国を次々に制圧し、ついには仇敵である楚を滅ぼしました。今、こうやって皇妃様と臣が宮殿にいられるのは、半分以上彼の功績によるものなのです」
 呂后はこの蕭何の言葉を聞き、不満げな表情をした。
「それでは皇帝陛下の功績は半分以下と、相国は言うのですか? なんとも不遜な発言ではありませぬか。……まあ、相国は嘘はつかないお方だと私は思っていますので、信じましょう。それで、相国はこの事態をどう解決しようとお考えですか? 密告者の話によると、淮陰侯の兵の正体は、囚人だとか。将が優秀でも兵が烏合の衆では、私としては対処は楽なように思えるのですが」
「とんでもございません」
 蕭何は顔を上げて、反論した。宮中にも関わらず、叫ぼうとしたほどである。
「韓信と戦うには漢の総力をあげて戦うしか、勝つ見込みはございません。しかし今、国の兵の大半は陳豨の討伐に……。彼は勝つ戦いしかしない男です。彼が行動を起こすときには、必ず勝利の算段が出来ているのです。したがって、彼と戦ってはなりません」
「戦わずに、どう解決するというのです? 淮陰侯の武勇を褒めちぎるのはほどほどにして、早く策を示しなさい」
 蕭何の額の冷や汗は、脂汗となった。策がないことはない。しかしそれを実行することは、ためらわれた。自分がいち早く認めた男を裏切るのは、国のためとはいえ、後味が悪すぎる。
 しかし、蕭何に選択の余地はなかった。
「臣と……淮陰侯に共通して信頼できる者を使者として遣わしたいと思います。うまくいけば、彼は一人でここを訪れることになりましょう」

 決行の前日、午後になってから韓信は朝廷から使者を迎えた。側近たちは心配し、もともと病気を称しているのだから会わない方がいいと勧めたが、韓信は逆に怪しまれることを嫌い、使者を通した。
 しかし、韓信は使者の姿を見て、すぐに後悔した。やはり会わない方がよかった、と思ったのである。
 使者は、灌嬰であった。
「淮陰侯……病気と聞いておりましたが、お加減はいかがですか」
 灌嬰は嫌みともとれる口調で、そんな挨拶をする。
「灌嬰将軍……なぜ今時分にこんな所にいるのか。君は陛下の陳豨討伐に随行したはずではなかったのか」
 韓信の心に一抹の不安がよぎる。彼はすべてを計算のうちにおいていたはずだった。ところが意外なところに、意外な男がいる。それだけで彼は気分が落ち着かなくなるのであった。
「正確なところは、少し違います。私は皇帝陛下に先行し、三日ばかり早く戦場に到達いたしました」
「ほう、そうか……。しかし、私が聞いているのはそのことではない。戦場に行ったはずの君がなぜここにいるのか、と聞いているのだ」
 灌嬰は少し間を置いてから、いたずらっぽい笑いを含んで答えた。韓信は一瞬、それが彼の演技のように思えた。
「どうか、驚かれますなよ。私は戦勝報告にいち早く長安に舞い戻ったのです!」
「戦勝報告……? と、すると陳豨は……」
「討ちました。陳豨は、死にましたよ!」
 韓信の心の中で、なにかが崩れる音がした。ほんの一瞬ではあるが、彼はなにも考えられなくなり、返す言葉を失った。予想外の事態。計算外の出来事。めまいがして、目の前の灌嬰の姿がよく見えなくなった。たまらず焦点を合わそうと努力をするが、それにも意識が集中しない。顔色は蒼白になり、視線は空を泳いだ。
「どうかなさいましたか」
 灌嬰の声に一瞬の自失から解き放たれる。それでも言葉は流暢には出てこなかった。
「いや……それは……めでたい。慶事だ。……君が、討ち取ったのか?」
「そうです」
「……さすが、私の見込んだ男だ」
 灌嬰はその言葉に微笑したが、韓信の目には、それがどことなく気まずそうで、かつぎこちないもののように見えた。照れているのだろうか。
 それにしても皮肉とはこのことである。灌嬰が自分の見出した武将であったとしたら、陳豨もそうだったのである。自分のしたことは、自ら将来有望と見込んだ二人の武将を戦わせ、その一方を死に追いやることであったのだ。おまけに結果は自分の望まぬ形となった。決して灌嬰が死ぬことを望んだわけではないが、二人が戦った結果、生き残ったのが灌嬰の方であるということに、韓信は確かに失望を感じたのであった。
「して、君の使者としての用件は、私にも戦勝報告をすることなのか」
 韓信は内心の動揺を灌嬰に悟られまいとして、やや毅然とした調子で話題を転じた。
「いえ、そうではありません。あやうく忘れるところでした。私は相国の使者として参ったのです。……つまり、陳豨討伐の成功を祝い、宮中にて呂后主催の祝賀が催される、と。淮陰侯はご病気で体調が優れないとは思うが、なんとか参内して祝賀を申されたい、と相国は申しておりました。諸侯は皆、参内することになるそうです。ゆえに淮陰侯も、是非にと……」
「蕭相国が……」
 ひとしきり考えた韓信は、迷いつつも答えを出した。蕭何は自分を見出してくれた男であるし、自分が逃げ出したときは、後を追いかけてまで来てくれた男であった。その彼が、自分を陥れるようなことはしない、と。
「……伺おう。明日の昼には長楽宮に赴き、呂后の御前に参内する」
 それは、自分自身に発せられた、呂后襲撃計画の中止宣言であった。

「心底、疲れましたよ」
 長楽宮に赴いて呂后に復命し、与えられた居室で相国蕭何と二人きりになる機会を得た灌嬰は、そのように本音を漏らした。彼は蕭何によって戦場から呼び戻され、本来なら三日程度かかる距離を、わずか一日で走破したのだった。
「大丈夫なのだろうな。本当に……淮陰侯は、明日やって来るのだろうな?」
「間違いないと思いますよ。淮陰侯は、戦略以外で嘘をつくお方ではない」
「様子はどうだった? 言動などに密告は正しいと感じさせるなにかがあったか?」
「……陳豨が死んだと聞いたとき、淮陰侯は激しく動揺なさっているご様子でした。もともとあまり表情をあらわにしないお方なのですが……さすがに隠しきれない様子で……あのとき私は、密告の内容が正しいことを確信いたしました。……淮陰侯は確かに陰謀を巡らしております」
 灌嬰はそう答えたが、韓信を誹謗している口調ではない。むしろ憐れんでいるようであった。
「そうか……よくわかった。将軍、君は急いで前線へ帰れ。今すぐ戻って、陳豨と戦うのだ」
 蕭何の言葉には、疲れたと言っている灌嬰にさらに労働を強いる非情さが現れているが、その他にもうひとつ重要な意味が込められている。
 この時点で陳豨は死んでいなかった。つまり、彼らは共謀して韓信を騙したのである。
「今すぐって……明日、淮陰侯がいらっしゃるんですよ! 私がいなければ怪しまれるじゃありませんか」
「後のことは私に任せておけ。君はいない方がいいのだ。君は淮陰侯に心服している。……だからきっと助命を請うに違いないのだ……だから君はいない方がいい。さあ、すぐ行け」
「助命って……まさか淮陰侯を殺すつもりですか? ねえ相国、落ち着きましょうよ。いったい何を考えているんです!」
 蕭何は灌嬰の物言いにあきれ顔をした。
「私に向かって『ねえ』とはなんだ。よくもそんな言葉遣いであの律儀な韓信のもとで働いてきたものだな。彼は他人に対して峻厳な態度で臨むと聞いていたが、どうもそうではなかったらしい」
 灌嬰は反省したが、うまく質問をはぐらかされたような気がして、腑に落ちない。
「すみません」
 謝る態度にも、ふてくされた調子が残る。灌嬰は、まだ若者であった。
「冗談だよ。そんな顔をするな。しかし君は本当に韓信のことが好きなのだな」
 蕭何はなだめるように言った。
「君の見た、韓信という男の印象を聞いておこうか」
「はい……」
 灌嬰は、話し始めた。
「……人は、淮陰侯のことを高慢で、自分だけが正しいと信じている、と評します。そのため、人はあの方の軍功や高い見識を評価しながらも、必要以上に近づこうとはしません。淮陰侯もそのことは自覚しておられるようですが、自分から態度を改めたりはしないし、自ら交流を広めようと努力される方でもありませんので、孤立することが多いように思われます。しかし、実際にあの方と触れ合うと、その考えの深さ、謙虚な態度、相手に対する敬意を持った言動に驚かされます。……考えられますか? 淮陰侯は天下随一の軍功を持ちながら、常に自分の成してきた行為に疑問を持ち、与えられた任務とはいえ、人を殺してきたことを後悔ばかりしているのです」
 灌嬰は話しながら感情が高ぶってきたのか、目に涙を浮かべているようであった。蕭何はそれを認めながら、つとめて冷静に振る舞おうとした。一緒になって韓信に同情していたら、これから成すべき任務が果たせなくなる。
「韓信は……将軍としては一流であったが、王としては、中途半端な存在であった。彼は性格的には物静かな男であるから、民衆に対しては慈悲を持った心で臨むだろう、と私は考えていたのだ。しかし、実際に彼のしたことは軍威を見せつけて、民衆の心に恐怖を植え付け、厳しく取り締まることであった。それが逆効果だったな。民衆はひそかに彼に反発するようになったのだ。相次いで彼を告発する密告が朝廷にもたらされたのも、自然な成り行きだろうて」
 灌嬰は、目を伏せるようにして頷いた。
「認めます。しかし、それも淮陰侯がご自分の行為が絶対的に正しいものだと確信が持てなかったからこそなされた行為であり、それでいて民衆の小さな悪事が許せなかったことのあらわれでございます。つまり、淮陰侯は……悪事を見つけても、それを裁くことは自分に許さなかった。幾多の人間を血祭りに上げてきた罪多き自分が、人を裁くことなどできない、と考えたのです。だから民衆が罪を犯さないよう脅し、それでも罪をなす者には法や軍律で対処したのです」
「……要するに自覚が足りなかった、ということだ。王として強い意志をもって民衆と向かい合う気持ちが足りなかったのだ。人は……基本的に罪を犯すものだ。施政者たる王は、それを丸ごと抱きかかえる度量が必要なのだ。善も悪も、罪も……丸ごと、すべてだ」
「それは、なかなか難しいことでしょう。人は淮陰侯のことを、こう言います。感情がなく、人間味にかける、と。ですが、私に言わせれば、いま相国のおっしゃったことができる人こそ、人間らしくありません。相国だって……本心ではそう思うでしょう? そもそも淮陰侯の可能性を一番先に見出したのは貴方ではないですか! その貴方が、淮陰侯を謀殺しようとしているとは……。相国は平気なのですか?」
「私とて、心穏やかではいられない。……しかし、やらねばならんのだ。韓信が謀反に成功すれば、その意味するところは、陳豨や韓王信の叛乱どころではない。韓信は確かに人との交流が少ない男だが、その能力は天下に高く評価されている。よって彼が叛旗を翻せば、諸侯の中で彼に味方するものが出てくるだろう。黥布や彭越などが韓信と組めば、国土は燎原の火に焼き尽くされる。悲しいことだが、……彼は除かねばならない」
「……しかし、淮陰侯の叛乱は、決してあのお方の気まぐれから起きたものではない。それを導いたのは我々のあのお方に対する仕打ちであり、陛下のなさりようです。今だからこそ申し上げますが、あのお方に謀反を勧める者は、何人となくいた。しかし淮陰侯は、その進言をすべて退け、陛下に対する臣従を示し続けました。人臣たる身である以上、臣従することが正しいと信じ続けたからです。しかし、あのお方が正しい行動をとろうと努力なさっていたのに、我々や陛下の淮陰侯に対する態度は、正しくなかった。今からでも遅くありません。彼に今までの無礼を謝し、待遇を改めることを約束するのです。淮陰侯は決して広大な領土を欲しているわけではありません。ただ、一人の男として尊厳を保つことを約束すれば、それで満足なさるはずです」
 蕭何は考えた。灌嬰の言うことは、おそらく正しい。だが、やはりその通りに行動するわけにはいかなかった。
「……先ほど申したとおり、施政者は正・邪を丸ごと抱え込む必要がある。君の言うように、韓信が正で、我々や陛下が邪だとしても……国を保つためには邪が正を除くことも時には必要なことかもしれぬ。そしておそらく……今がその時なのだ」
「…………」
「行け。行って陳豨の首をあげよ。陳豨の乱は、韓信の策略だ。陳豨の首をあげ、叛乱を鎮めることで、君は尊敬する韓信を超克できる」
「淮陰侯を超克することで、彼と同じ運命を辿ることはご免ですよ! ……しかし、もう行きます。……やはり、あのお方の殺される姿は見たくありません」
 座を立った灌嬰の後ろ姿は、肩を落としているように蕭何の目に映った。
――灌嬰! 泣き言を言うな! お前はまだいい……見ないで済むのだからな。私は……。
 蕭何は明日、韓信と対面しなければならない。そのときどんな顔をして彼に向かうべきか、よくわからなかった。

「伺おう」
 そう言ったものの、謀殺される危険性を感じなかったわけではない。陳豨は、殺される寸前に二人の間の秘事を明かしたかもしれなかった。そう考えると、韓信は自分の死が徐々に近づきつつあることを運命として受け入れざるを得なかった。
 明日の昼過ぎには自分はこの世に存在しないかもしれない。そんな風に殺される瞬間のことを考えると、確かに恐ろしかった。しかし一方で、その後は現世の苦しみから解放されることになる、と思うと、気分が楽になる。死に対する恐怖も「喉もと過ぎれば」という具合のものだろう、とも思えた。恐怖は感じるが、それは彼が想像していたより、たいしたものではなかった。
 殺されるまでは生き続けようと考えていた韓信であったが、最近では以前より生に対する執着もなくなってきている。
 以前の自分は、よく口にしたものだ。
「死んで出来ることは、何もない」
と。確かにそれは間違いではない。しかし、今の自分にはもうひとつ、確信を持って言えることがある。それは、生きていても出来ることはほとんどない、ということだ。
 気・力ともに充実しているときは、個人の実力こそが、天下を動かす原動力になる、と考えたものであった。しかし、結局天下を得たのは自分より実力の劣る劉邦であった。思いがけないこの現実に力が抜けた。これが仮に項羽であったら、自分は即座に対抗しようとしたに違いない。実力者が、実力者に挑むのは当然のことだからだ。
――では、私は何を思って劉邦に味方したのだ。
――結局味方をしたのだから、劉邦が天下をとったのは当然のことだ。それとも私は、皇帝の座を狙っていたとでもいうのか。
――いや、そういうわけではない。私が望んだのは……自分の知勇をもって戦乱の世にけりをつけることであって、結果的に誰が皇帝になろうと知ったことではない。しかし、一連の戦乱が終わればすべて終わり、というわけではなく、私にもその後の人生があるのだ。考えてみれば当然のことではないか。我ながら、なんと浅き知恵……。
――なんのことはない。天下を動かすのは、運だけであった。これこそが、真理よ……。劉邦は運を味方に付けて、私を利用することに成功したのだ。
 韓信の心の中に一種の諦念が浮かぶようになったのは、いつ頃からのことだろう。
「私は、出来ることなら将になりたい。将になって天下を動かすのだ」
 少年時代、自分は栽荘先生に向かって、そんなことを言ったものだ。
 ああ、先生……。私は間違っておりました。私は何にもなるべきではなかった。将どころか、王になっても天下を動かすことは出来なかった。市中にはびこるクズのような輩を一掃したいと思っていたのに! 男女を問わず、老若を問わず!
 先生、どうして私を正しき道に導いてくださらなかったのですか。私は、学者にでもなればよかった。口下手な私ではありますが、世の中に対して思うところは多々あるのです。それを一巻の書物にでもすれば……。かえすがえす、お恨み申し上げます!
――しかし、少なくとも自分は、世に名を残すことになった。それは悪名であるかもしれないが、自分のような経験ができる者は少ないのではないだろうか。
 韓信はそう考えもしたが、すぐにそれを否定した。
――馬鹿な! 自分の人生が満足できるものだった、とでもいうのか。よい経験をしたと? 私の一生は素晴らしかったと? そんなことはないさ! 私が死に追いやったのは、悪人ばかりではない。敵として死んだ者の中には、数多くの善男善女がいたに違いないのだ。それを知りながら殺さねばならない人生の、どこが素晴らしいのか!
――その酬いとして私は蘭や酈生を失うことになった……。それで十分だと思っていたのだが……どうやら私の罪は限りなく深く、私自身が死ななければ償うことができないほどらしい。
 そう思いながら、目を閉じた。眠ったのではない。人生の中での数少ない良い思い出を反芻しようとしたのである。
――少年時代の眛。常に私の前に立ち、先に行動した。年は変わらないというのに、彼はいつも兄貴分を気取り、私を見下した態度をとった。当時は癪に障ったりもしたが、今となっては可愛いものよ。彼は幼き頃から、私を恐れていたのだ。だから健気にも虚勢を張り……。
――カムジン。ほとんど口をきかないお前と、心が通じたように感じたのはなぜだろう。あるいは私はお前を動物のように扱ってしまったのかもしれぬ。主人の命令に忠実に従う猟犬のように。もしくは戦うためだけに生まれてきた軍鶏のように。いずれにしろ私は、物言わぬお前が人と同じ心を持つことに思い至らなかった。もっと早く気付いてやれれば……。
――酈生、あなたはよくわからない老人だった。温和な表情。礼儀に満ちた所作。それでも若い頃のあなたは荒くれ者だったと聞いている。いったい、人はそんなにも変われるものなのか。もしそうだとしたら、やはり荀子の説は正しいと言わねばなるまい。善が悪に変わるのは一瞬のことだが、悪が善に変わるのにはとてつもない努力が要る。酈生、あなたはそれを見事やってのけた。できることなら、私も……どうせ死ぬのであれば、あなたのように美しく死にたいものだ。だが、私はひたすら人を殺し、最後には謀反を犯した。結局、最初から最後まで悪だ。善人となって死んだあなたのような最期は、私にはとうてい無理だ。
――蒯先生。君は何度も私に独立を使嗾したな! 当時視野の狭かった私は、君の言うことを理解できず、最後まで君の意見を取り入れなかった。しかし……私が今していることは、君の言ったとおりのことなのだから、やはり君の言うことは正しかったのかもしれぬ。今君がここにいて、私に助言してくれれば心強いことこの上ないが……。なぜ、私のもとを去ったのか! 君は私を見捨てたのか! もしどこかで生きているのなら、私の死後、人に伝えてほしい。韓信という奴は馬鹿であったが、それなりに忠義心を持った男であった、と。
――そして、蘭よ。君の凛とした立ち姿。大きい瞳に切れ長の目尻。きりりと一文字に結ばれた、男に媚びる様のない唇。恐れを抱きながらも、戦場に立とうとする勇ましさ。君は、私のそばにいさせてくれと言いながら、単に庇護される立場を嫌った。自立した女であった君は……ただ美しいだけの、人形のような女とは違う。私は、君のそんなところが……たまらなく好きであった。おそらく世の中には、君より美しい女は多数いることだろう。しかし、君ほど私の意にあった女はいまい。……しかし、それを失うとは……くそっ!

 いいことを思い出そうと思っても、どうしても後悔がつきまとう。そして思い出されるのはすでに自分のそばにいない者ばかりのことであった。
 気付いてみれば、自分には人との絆がなかった。自分の生き方がそうさせたのか、誰かの策略でそうなってしまったのかは、わからない。
 わかるのは、確かに自分は孤独である、という事実だけであった。

 朝、目覚めてみると、夢を見なかったことに気付く。ここ最近は、凶事の前日に必ずと言っていいほど、蘭が夢枕に立つ。今日、彼女が現れなかったということは、吉兆であるかもしれなかった。
 それに、必ず自分が殺される運命にあると決まったわけではない。使者は灌嬰であったが、彼を自分のもとに差し向けたのは、他ならぬ蕭何であった。蕭何が自分を陥れるとは、考えにくい。
「もし日が落ちるまでに私が戻らなかったら……そのときは殺されたものと思え。君たちには、あるいは難が降りかかるかもしれぬが、そのときはすべて私に脅された、と弁解せよ。そうすれば、きっと皇帝は君たちを赦す」
 一縷の望みを残してはいるものの、やはり最悪の事態を考慮して韓信は側近たちにそう言い残して出立した。
 列侯に許されている専用の車に乗り、長楽宮への道を辿る。見えるのは、乾いた黄色い大地。その中に点在する緑の木々を眺めると、それがあるいは見納めになるかもしれないことに思い至る。彼は目を閉じ、それ以上なにも見ないことにした。
 やがて壮大な門の前で車が止まり、韓信は外へ出た。宮殿の奥へ奥へと歩を進める。衛士に腰の剣を預け、非武装の状態で呂后の面前にまみえた。
 しかし、その場には祝賀を述べるはずの諸侯は、誰もいなかった。
「淮陰侯……」
 その声が、蕭何のものであったことに韓信は気付くのが遅れた。どうも目の前の事実が理解できなかったらしい。
「相国、灌嬰は……? 他の諸侯は、どこだ。黥布や彭越は……」
 韓信は小声で蕭何に問いかける。だが、蕭何は直接その問いには答えず、韓信の目を見ずに言った。
「お妃様が、君に話があるそうだ」
 その言葉に従い、韓信は呂后の前に歩み寄り、跪いて挨拶をした。しらじらしく時候の言葉でも並べようかと思ったが、結局ひと言も発せぬ間に、呂后の方から声がかかった。
「なるほど、謀反を企む者は、その心を読まれまいとして礼儀を正そうとする」
「は……?」
「あなたは、陳豨を唆して謀反人としましたね。そしてあなたはこの私と、私の息子を虜にしようとした。……こちらにはすべてわかっているのです!」
――そこまで知られていたのか。
 あるいは陳豨の側近が捕虜として捕らえられ、その者がすべてを吐露したのかもしれない。もはや人生に諦念を抱いていた韓信は、申し開きをする気にはなれなかった。
「陳豨の手の者が、すべて白状したのですか」
「いいえ。白状したのは、あなたの手の者です。家令の一人を獄に繋いだでしょう。その者の弟が知らせてくれたのです!」
――あの兄弟め!
「ついでに知らせておきましょう。陳豨は生きています。いずれは死ぬことになりましょうが、今の時点で我が軍は彼を破るに至っていません。まだ、彼はぴんぴんしていますよ。あなたが死ぬことになり、計画が御破算になることも知らずに!」
――ちっ。そういうことだったのか。
 韓信は内心で舌打ちをした。実に小さな嘘にまんまと騙されたものよ、と自分に興ざめしたのである。
 自然、自暴自棄になった。
「灌嬰は常と変わらぬ飄々とした態度で、私を騙したわけだな。思えば奴は、陳で私が捕らえられたときも静観していた。奴とは付き合いが長いし、私はそれなりに友誼を感じていたのだが……とんだ思い違いよ!」
 宮中に関わらず、床に唾を吐き捨てるような勢いであった。常に冷静な印象の韓信らしくない。人は死を目前にすると、本性があらわれるという。韓信の本性は、実は激情家であった。
「淮陰侯。灌嬰を責めるな。彼がすすんで君を騙したと思うのか。……このわしが相国という立場を利用して、彼に命じたのだ」
 蕭何は、高ぶる韓信の態度を和らげようと、場を取りなそうとする。
「そうだろうよ! 相国、あんたも同罪だ」
 依然、韓信の態度はおさまらない。
「相国を責めてはいけません。相国は私を救おうとして命令なさったのです。私を救うということは、陛下を救うということであり、同時にそれは国を救うことなのです。そんなこともわからないのですか」
 呂后は冷ややかにそう言った。
「ふん……なるほど……君らはずいぶんと仲がいいことだな! 国を救うと称し、共謀して私を除こうと……悪意の絆! 今さらだが、その知恵と仲の良さを私が斉や趙の地で苦しんでいるときに発揮してほしかったぞ! そうすれば建国の苦労は、半分程度で済んだのだ」
 痛烈な侮辱である。韓信は、この言動だけでも死罪を免れなかった。
「そのときは、私は虜囚の身で項羽のもとに捕われて……」
 呂后はそれでも話を続けようとしたが、韓信の激情はこのとき頂点に達した。
「お前などに言っているのではない! いったいお前が国のために何をしたというのか! 愚鈍なためにむざむざ捕われたくせに。お前の愚鈍さが、漢軍の足枷となったことがわかっていて口をきいているのか!」
「やめろ、やめないか、淮陰侯」
 蕭何は泡をくって制止しようとした。
「相国! もうその呼び名で私を呼ぶのはやめろ! 私はすでに謀反を犯し、もはや漢の職制の外にある身分だ。私を呼ぶなら、単に韓信と呼べ。私は……罪人として死んだ父と、不貞を犯して死んだ母の間から生まれた、(あざな)も持たぬ平民の子だ! こんな国の尊称で呼ばれるより、本名で呼び捨てにされる方がよっぽどましだ!」
 この言を聞き、ついに呂后は、堪忍袋の緒を切った。
「話にならぬ。相国、別室に連行して獄吏に引き渡しなさい。そして、すぐに首をはねるのです。三族すべて、殺しなさい」
 三族とは、狭義では妻子と両親、広義では一族すべてのことをいう。韓信の両親はすでに死し、妻子がないことは明らかだったので、この場合は遠縁の者を探し出し、すべて殺し尽くせ、という意味である。
「は、しかし……」
「考えてはなりません。迷いのもとです。余計な感情を持ってはいけません。すぐ、やるのです」
「……御意にございます……」
 やむなく蕭何は、武士を呼び、韓信を取り押さえさせた。両腕に枷をはめられ、引き立てられながら、韓信は喚くように言葉を連発した。
「まったく、蒯通の言う通りだった! こんな国など、早いうちに滅ぼせばよかったのだ。それにしてもこの私が、あろうことかあんな女に騙されるとは! 天運、まさに天運としか言いようがない」
「もうよせ、信……」
 連行される韓信の後を、蕭何が静かに追った。

 宮中の鐘室に韓信は連行され、蕭何もその部屋に入った。
「……なぜ、あんな死に急ぐようなことを言ったのだ」
 蕭何としては、やりきれない。彼は最後の瞬間まで韓信を助命することを諦めていなかったが、肝心の韓信が自分で自分の死刑を確定してしまったのである。
「すみません……相国には、ご迷惑を……お立場を悪くしてしまいました」
 韓信の態度には、すでに狂乱した様子はない。落ち着きを取り戻した、いつもの彼の姿がそこにあった。
「私は……誰かに運命を左右されるのは嫌だ。たとえ死ぬことを免れないにしても、私は自分の責任でそれを迎え入れたいのです」
 蕭何はため息をついた後、得心した。いかにも韓信らしいことだ、と。
「そもそも、叛乱を計画したのは……それを陛下が望んでいたからです」
「! ……どういうことだ」
「私のことを陛下が持て余していることは、わかっていました。建国の元勲も事が成就すれば、邪魔になる……そのような理屈がわからない自分ではありません。不遜な言い方ですが、陛下には私に正面から戦いを仕掛ける勇気がない。勝つ自信がないからです」
「だから……自分から挙兵しようとした、というのか?」
 蕭何の問いに、韓信はこくりと頷いた。
「……勝てる見込みは、あったのか」
「厳しかった。しかし、ないわけではありませんでした。正直どっちに転ぶかわからない。後は……運しだいです。結果、運に見放された私は戦う前に滅ぶこととなりました……さあ、お話はこれまでです。私は、自分で自分を斬る勇気はありません。部下の者にお命じください」
「なにを」
「なにをって……首をはねよ、と命じるのです」
「……簡単に言いおって……最後に言い残すことはないか」
 韓信は少し考える素振りをした後、言い残した。
「……それでは。私の家臣の者には、あまり厳しい処分を科さないでいただきたい。彼らのなかには進んで私に仕えてくれた者もいますが、そうでない者もいるのです。それと……私には、家族はいません。妻としようと決めた者には先立たれ、弟同然のように接していた者にも、やはり先立たれました。天下をくまなく探せば、父や母に血のつながる者も見つかるかもしれませんが……私はその人たちを知りません。呂后は三族を殺せとお命じになりましたが、その辺は相国がうまくごまかしていただきたい」
「うむ。……ほかならぬ君の頼みだ。善処しよう」
「ありがとうございます。それと……陛下によろしく。陛下がご帰還あそばしたときには、伝えていただきたい。韓信は陛下の覇業を助けたのであり、決して邪魔するつもりはなかった、と」
「そんなこと、伝えなくても陛下はわかっておいでだ」
「そうでしょうか……そうかもしれません。ですが、伝えていただきたいのです」
「うむ」
「さあ、今度こそ、終わりです。お命じください。私が……心穏やかでいられるうちに」
「…………」
「……さあ!」
 韓信は目を閉じ、その瞬間を待っている。蕭何は心を決めなければならなかった。難しいことはない。彼はたったひと言、語を発すればよいだけであった。蕭何がためらったのは実際にはほんの数刻だけであったが、彼自身にとってそれはとてつもなく長い時間に感じられた。
「……やれ」
 剣を振るう音が聞こえ、やがて体が床に崩れる音が聞こえた。
 蕭何はそれを見ることができなかった。

 人の世は、清濁入り交じって流れる川のようであり、混沌としている。清流は清流のままでいることは難しく、その多くは周囲の濁流の影響を受け、自らも濁流と化すものだ。韓信は、自分が濁流と化すことを、頑として拒否した。しかし、結果として清流は流れをせき止められたのである。
 また、汚らしい泥のなかに埋もれる宝石が、その輝きを主張することは難しい。泥の中ではせっかくの宝石もただの石ころと見分けがつかないものである。韓信は早くから自分が宝石であることに気付き、輝こうとした。あるいは石ころに生まれた方が幸せだったと考えながら。
 鬱蒼とした林の中で、わずかな日光を得て可憐に咲く花を見つけることは困難である。林の中は雑草ばかりで、深く分け入らないとそれを見つけることはできず、せっかく見つけても価値がわからないものにとっては、花も雑草であると思われるものだ。韓信は種子を飛ばし、雑草の中に自分の仲間を増やそうとしたが、そのどれもが失敗に終わった。種子は芽を出した段階で風雨や害虫に晒されることとなり、ついに生き延びることができなかった。そして韓信自身も価値のわからない者によって、他の雑草と同じように踏みつけられ、最後には枯れ散ったのである。
 韓信が死んだのは紀元前一九六年の春だったとされる。一人の英才が衆愚によって亡き者にされたという事実。戦乱が終わりに近づき、それによって英雄は不要とされたという時流。新時代を築きながらも、自らはその時代に乗り遅れた男の悲しい末路であった。
 韓信は死ぬ間際に、そんな社会に生きる人々のありかたを「悪意の絆」と称した。絆を失った者の魂の叫びだったと言えよう。

最終章・その後

 陳豨は韓信の死後も奮戦し、その後約二年に渡って戦線を維持し続ける。やはり韓信が見込んだ男だけあって、秀でた能力を持っていたと言うべきであった。
 これに自ら兵を率いて相対していた皇帝劉邦は、長引く戦局に見切りを付け、一時長安に帰還した。そして、思いがけず韓信の訃報に接することとなる。

「陛下のご留守中に、淮陰侯を謀反人として誅しました」
 皇帝の帰還を迎えた呂后の言は結果だけを述べており、なんの感情も込められていない。よって、劉邦はいちいち事実を確認しなければならなかったが、ひととおり説明を聞き終えると、嘆息したり、喜んでみせたりしたという。
「……死んだか……韓信が」
「ええ。死にました」
「簡単に言う。しかも簡単にお前は殺した。建国の元勲を! 苦楽をともにした好男子を!」
「怒っていらっしゃるのですか」
「いや……そういうわけではない。わしは……お前に感心しているのだ。よく決心できたものだと。わしは……いずれ韓信は除かねばならぬと思っていたのだが、結局今までそれが出来ずにいた。奴の功績や、これまでの付き合いのことを考えれば……わしにとって奴は殺してしまうには惜しい男だったのだ」
「いけないことだったのでしょうか」
 劉邦はその言葉を受け、真剣に悩んだようだった。しかしやがて頭の中を整理すると、言葉を選ぶように、慎重に語を継いだ。呂后の気に触らないよう、意識したようだった。
「仮にわしに親類縁者が一切いなかったとしたら、韓信に跡を継がせてもよかったように思える。しかし、実際にはそんなことはないのだから、韓信は滅ぼさねばならなかった。これでよいのだ……だが、韓信はまだ若い。わしより先に逝くことになろうとは思ってもみなかっただろうて。……ところで、奴は死ぬ前になにか言葉を残さなかったか」
 呂后は劉邦の感傷にさほど関心を示さない様子で、これに答えた。
「なんでも、蒯通という者の言うことに従わなかったのが残念だ、という内容のことを喚いておりました」
「蒯通だと……?」
 劉邦の目が吊り上がった。
「……そいつは斉の弁論家だ!」
 未だ狂人を装い、斉に潜伏していた蒯通は、勅令によって逮捕された。

「お前は淮陰侯に謀反を勧めたとか。間違いはないか」
 皇帝劉邦は、覇者の権威を見せつけるように蒯通に対して詰問した。しかし、手枷をはめられた蒯通はそんな劉邦の偉そうな態度に動揺することもなく、鋭く言い放つ。
「無論!」
 劉邦はそんな蒯通の態度に呆れながら、問う。口の聞き方を理由に蒯通を罰することはしない劉邦であった。
「では淮陰侯はお前の教えに従い、今回の謀反を計画したのか」
「違う。しかし淮陰侯が後からわしの教えを思い出し、計画に及んだことはあるかもしれぬ」
 あるいは蒯通は責任を逃れようとしているのかもしれない。だとすれば劉邦はそれを許すわけにはいかなかった。
「ならば、遅ればせながら淮陰侯は、お前の計画を実践したわけだな。では、お前は大逆の罪人として死ぬべきではないか? 敬愛する淮陰侯が、お前の教えに従った結果として死んだのだから、教唆したお前も当然そうあるべきだろう。そう思わないか?」
 追及した劉邦であったが、意外にも蒯通の態度は確信犯的なものであった。どうやら自分の過去の行為に自信を持っているらしい。
「韓信を敬愛していたと……? なんの、わしに言わせれば、韓信は馬鹿に過ぎぬ! 年も若く、それゆえ時流を読み切れなかった小僧に過ぎぬ! あの馬鹿は……さっさとわしの計画を実行しなかったから、滅んだのだ。そうだろう? あの小僧がわしの計画にのっとって行動したら、陛下はそれを防げたか」
 劉邦はこの蒯通の言葉に激怒した。
「不遜なことを言う奴だ。わしに対しても、淮陰侯に対しても不遜きわまりない。大釜を用意せよ! こやつを煮殺すのだ!」
 気の利く側近によって手早く大釜が用意され、すぐにそれに火がつけられた。
「何を言う! わしは無実じゃぞ! 煮殺すなどと!」
 蒯通は反論した。しかし手枷をはめられていた彼は、両脇を劉邦の臣下たちに抱えられ、いとも簡単に釜へ放り込まれてしまった。
 劉邦はその蒯通の顔に唾を吐きかけるような勢いで、言い放った。

「ぬけぬけと無責任なことを言う奴め! お前は信を悪の道に引き込もうとした。何が無実だと言うのか!」
 しかし蒯通は決して悪びれる態度を見せず、その様子に劉邦は若干たじろいだ。もしかしたら目の前の男は本当に狂人なのかもしれない、と。
「わしは韓信の臣下として、彼が一人の人間として幸せに暮らせるよう、提言しただけだ。それが結果的に陛下の利益を損じることになろうとも……そんなことはわしの知ったことではない! もとより臣下とは主君のためにのみ働くべき存在であるからだ」
 煮られながら必死に抗弁する蒯通の姿に、劉邦の心は動かされつつあった。しかし論破されるわけにはいかない。劉邦は諭すように、蒯通に言い渡した。
「お前が韓信の臣下であると同様に、韓信はわしの臣下であったのだ」
 その言葉には、言外になぜ正しく韓信を導かなかったのか、という意味が込められていた。蒯通にとっては失笑の種であったが、劉邦にとっては、それは間違いなく本心であった。
「その通りだが、当時わしはそれを知っていて、主君に韓信を選んだのだ。選んだ以上、わしは自分の主君のためだけに働いた。飼い犬というものは……飼い主以外の者には吠えつくものなのだ。当然のことではないか!」
「しかし、お前は見たところ犬ではない。人だ! 人の頭があるのなら、当然道理というものが理解できるはずだ! 違うか?」
 ここにもこの時代の論理があった。人は人にのみ忠誠を尽くし、国に尽くすものではない……蒯通の主張することはそのことで、劉邦はそれを否定しようとしているのであった。そんな生き方は、犬のようなものだと。
「わしが言っているのは、たとえ話だ。わしは韓信の飼い犬として、陛下に吠えついた。しかし……あんたには想像できまい……飼い主の韓信は、わしを制したのだ! 『不忠であるからやめろ』などとと言ってな! それ以来、わしは吠えることをやめ、身を引いたのだ。韓信はわしの飼い主ではあったが、それと同時に陛下の飼い犬であった。彼はわし以上に……主人に忠実な犬であったよ!」
「…………」
 劉邦は言葉を返せなかった。人に犬のような生き方をさせたのは他ならぬ自分であるというのに、それを今になって否定する権利はないことに気付いたのであった。
「なにも言えまい! 言い返せまい! それはそうだろう。韓信もわしも無実なのだからな! あんたは理由もなく韓信を殺した! そしてこのわしも殺そうとしているのだ!」
「……もういい。それ以上言うな……赦してやる。どこへなりと行くがいい」
 長年にわたって結果が保留されてきた韓信と蒯通の賭けは、劉邦が韓信の忠義を認めたことで、韓信の勝ちに終わった。

 一連の出来事を終え、蕭何は韓信について語ったという。
「思えば、韓信という男は、常に中庸を意識していた人物であった。武に偏り過ぎず、智に傾き過ぎず……これは裏を返せばどちらの能力も兼ね備えているということで、彼は経験を積めば、きっと統治者としても頭角を現したに違いない。だが、残念なことに時代がそれを許さなかった。それに彼は人の行為の正しさを考えるに、中庸ではなかった。正しいことと悪しきことを区別しようと意識し過ぎたのだ。結果的に正しさを求め過ぎる彼に、我々をはじめとする周囲の人間たちは……誰もついていけなかった。そして彼自身も……自分自身が正しいと認める生き方を実行できずにいることに悩み……捨て鉢になった。時代だ。時代が彼にそうさせたのだ。我々は彼に感謝すべきだろう……はじめて出会ったころの彼は、私に言ったことがある。曰く、乱世にけりをつける男になりたいと……彼は確かにその思いを実現した。最後には自分自身が舞台から消え去ることで、彼は戦乱の世にけりをつけたのだ」

 臨淄の宮中で報告を受けた曹参は、しばし目をつむり、押し出すように言葉を紡いだ。
「淮陰侯が謀反……そしてそれに失敗……彼らしくないことだ。しかし……彼としてはそうせざるを得なかったのだろう」
「彼らしくないとは……謀反したことがですか? それとも失敗したことがですか?」
 周囲の者の問いに曹参は断言するように答えたという。
「無論、失敗したことだ。ほぼ成功する可能性がない計画を……彼はわかっていてたてなければならなかった。彼の謀反は……彼が望んだものではない。我々、漢の首脳部が望んだことなのだ。彼はそれを知りながら、謀反を実行した。我々のために」
「あえて敗れる戦いを挑んだ、ということですか」
「私が知る淮陰侯は、常に勝つ戦いをする男であった。無謀な賭けに人々を巻き込むことをしなかった男だ。だが彼は……今回は負けるための戦いをした。世の時流が自分の死を望んでいることに気付いたからだろう。かえすがえす、私がおそばにいられなかったことが残念でならない」
「では淮陰侯は……自暴自棄になった、ということですか」
「そうかもしれない。しかし、残念だ……いい男であったのに……。いつの世も正直者は馬鹿を見る。彼の死がそれを変えてくれることを祈るばかりだ」
 曹参はそう言い、深くため息をついた。

 自身の吐き出した炎が燎原の火となる前に鎮火したことを劉邦は安堵しつつ、二度とその炎が吐き出せないことに気付いた。炎は炎である以上、吐き出された後は、自分の手に負えない。しかし存在する以上、たとえ小さくなっても夜陰を照らすともしびとなり、人々が暖をとるための熱源となる可能性を秘めていた。
 だが消火された今となっては、その可能性はない。そして自分自身にももうそのような炎を吐き出す源がなかったのだった。それを知った劉邦は、過去の自分の行為を思い出すたびに後悔するようになっていった。
 やがて彼は年老い、覇気を失っていった。

 韓信の死後、漢の建国の元勲である異姓諸侯王は次々と滅ぼされ、呂后を中心とした外戚が跋扈する時代となっていく。彼の死は、歴史上のひとつの危機の終わりであり、新たな危機の始まりでもあった。

(第四部・完・完結)

韓信

韓信

紀元前二〇〇年代の中国大陸。淮陰に生まれた韓信は紆余曲折を経て戦乱へ身を投じる。国士無双と称され、才能を開花させたさせた彼は漢の大将軍となり、その名を天下に轟かせたが、それは苦悩と失意の日々であった。「背水の陣」「四面楚歌」に代表される数々の局面を切り抜けた彼は、一将軍のみならずその身を王位につけることとなるが、それがもとで立場は微妙なものとなっていく。その韓信の出生から死に至るまでを描いた本格歴史作品。全四部構成。

  • 小説
  • 長編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-19

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著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 序章・楚の滅亡
  2. 少年期
  3. 乱世
  4. 無聊
  5. 賊徒討たれる
  6. 関中へ
  7. 咸陽落城
  8. 鴻門の会
  9. 漢の韓信
  10. 章邯を討て!
  11. 中原へ進出す
  12. 彭城潰乱
  13. 京・索の会戦
  14. 西魏王の娘
  15. 愛・反間・苦肉
  16. 背水の陣
  17. 邯鄲に舞う雪
  18. 滎陽脱出
  19. 武将と弁士
  20. 濰水の氾濫
  21. 我は仮王に非ず
  22. 対峙は続く……
  23. 三国は鼎の脚の如く
  24. 対峙の果てに……
  25. 夢から覚めて……
  26. 九つの罪
  27. 四面楚歌
  28. 抗争の終わり
  29. 破局の訪れ
  30. 皇帝と楚王
  31. 楚の宿将の最期
  32. 逆臣とは
  33. 追いつめられて……
  34. 策略
  35. 悪意の絆
  36. 最終章・その後