タメ夫君との80日戦争
夫は65歳。大手の企業を務めあげ、今は定年人生を楽しんでいる。私、63歳。ずっと専業主婦のかたわら、内職をしている。
二人の性格は全く違う。合理的に考え、さっさと物事をこなす私。一方、夫はじっくり、ゆっくり、おまけに要領が悪い。以前祖母は、成功をするには「運・根・鈍」が必要だと言っていた。つまり、「運がいいこと、根気があること、そして多少鈍いほうがいい。」と言うことらしい。こう考えると、夫の性格も意外と悪くないのかもしれない。とは言え合理主義の私は毎日イライラの連続だ。
定年で家にいるのだから自分のことぐらい自分でと、彼に任せたのが大間違い。リビングの一角を自分のスペースと決めて、物をため込んでいる。今までは私も思い通りに物は処分できた。しかし、今は毎日夫がいるから、到底私の意思通りにはいかない。日々増えていく夫の私物に私の我慢も限界だ。
タメ夫君の一日
夫は物が捨てられない。私は心の中で「溜め夫」つまり「タメ夫」と呼んでいる。
7時30分
「お父さん(子供ができて以来、夫をこう呼んでいる。)ごはんよ。」
と呼ぶ私の声に、もそっと起きてくる。年のせいかよく早朝にトイレに行くようだから、おそらくその時間は目覚めているのだろう。
私と顔を合わせると、
「おはよう」
と朝の挨拶。そして手に持ったアイスノン冷凍庫に。これは夏に限ったことではない。一年中なので多分彼は、首だけ上は体温の違う変温動物に違いない。
そして第一の問題行動を起こす。
アイスノンに巻いたタオルの行き場所だ。当然のように食卓テーブルの椅子の背に。彼にしてみれば、毎日洗わなくてもいい。どうせ夜になれば、またアイスノンに巻いて使うのだから、という訳だ。私は毎日洗濯かごに入れてほしいのに。彼の流儀だから仕方がない。
何日同じタオルを使っているのだろうか。タメ夫君は風呂好きだから、決して体は不潔ではない。だけど洗濯はそれほどしなくてもいい。これは彼の実家の考え方だ。
朝食は必ず新聞を読みながら。
ここで第二の問題行動を起こす。時々別紙で「シティライフ」という新聞が入ってくる。ここにはグルメ情報が載っている。最近はグルメにはまっているらしく、テレビもそのような番組を好んで見ている。
彼にとっては、この情報誌は宝物。早速自分の陣地に積み上げる。
もう80センチは積み上がろうとしている。でも本当なら1メートルは超えているはずだ。以前私が黙って処分したからだ。気がつかないだろうと思ってやったが、彼は目ざとく見つけて
「勝手にいじっただろう」
と、のたもう。それ以来私は手をつけられなくなった。いわばタメ夫君のスペースは治外法権になったのだ。
食事が済むと着替え。
ここで第三の問題行動だ。当然のように昨日着たズボンや上着は椅子にの上にある。ガウン・パジャマを脱ぐと、おもむろに着替え。
ガウンとパジャマはスタンド式の洋服掛けに。以前私が管理してた頃にはパジャマは洗面所の一角に。ガウンはリビングの大きな引き出しに。それぞれ場所は決まっていて、今のように人前でひらひらしてはいなかった。
午前中の彼の仕事はない。唯一あるとすれば、朝食後の食器を台所まで運び、テーブルを拭くことだ。基本的にこの仕事?は昼食、夕食も同様である。
家にいるようになった最初の頃、彼はよく引き出しの整理をしていた。
しかし何一つ処分すないので、スッキリ感は全くなく、私にとってはやってもやらなくても何も変わらないような気がした。
昼食にはよく二人で外食をする。夫が定年になると毎日三食ごはんを作るのはしんどいという、私の希望もあっていつの間にかそんなルールができた。
タメ夫君はそういうことにはいっさい文句を言わない。基本的にはやさしい夫である。ただ一つ片付けを除いては・・・
タメ夫君は三時頃からスポーツジムに出かける。
筋トレのあとプールで歩く。泳げない彼は、平泳ぎ2メートルで最後をしめくくり、プールを出る。プールのあとのお風呂ではサウナにも入り、丁寧に洗ってのんびり過ごすらしい。帰宅は七時近くになる。
タメ夫君のすごいところは、そのあと家に戻って3~4時間しかたってないのに、夜、また入浴するところである。
「皮脂が抜けて肌がパサパサになっちゃうよ」。
ずぼらな私は風呂まめの彼に心の中でささやく。
「ヒマだったらカルチャーの講座でも受けて何かやったら?」
という私の思いをよそに彼のこの単純な毎日は過ぎてゆく。
こんな程度のスケジュールなら、さぞかし「家でゴロゴロ」のはずだが、そんなことは決してない。常にごそごそと何か動いているのだ。
要領よく短時間で物事を済ませてしまうということに、命をかけている私の方こそ空いた時間はソファーで昼寝。
さしずめ私とタメ夫君はウサギとカメらしい。
車買い替え事件
タメ夫君の現役のころはバブル時代。世の中同様、我が家も浮かれていて、車検のたびに新車に買い替えていた。
そのころは事件もなかったが、バブルもはじけて買い替えのスパンが伸びてきた頃から問題が起こるようになる。
車を引き取りに来る日にタメ夫君はなぜかタイヤ4本を家に残した。
「どうするの?」
と聞く私に
「使うかもしれないから」
と言う。
かくしてタイヤは隣家との狭い境界地に。
数年が過ぎ、現在乗っている車のタイヤを交換しなければ、という時がきた。
購入するためか、しきりにお店を探している。
私はここぞとばかり
「置いてあるタイヤを使えば?」
と、皮肉たっぷりに言ってやった。すると
「あんなのは使えない」
と堂々と言う。
私はカチンときたが、喧嘩するのも面倒だ。
そして残したタイヤは置き去りにされたまま、新品のタイヤに交換された。
「家のタイヤはどうしてくれるの」
私は心の中で叫んだ。
ある時、息子が車を買い替える時があった。
ここはタイヤ処分の最後のチャンスだ。これを逃す手はない。
だがタメ夫君はやさしい割には頑固だ。物の言い方一つで人の言うことを絶対に聞かなくなる。
さて、なんと言おうか。
そうだ、タメ夫君は蚊が苦手だ。刺されると皮膚は赤く膨らみ、
「かゆい かゆい」
と大騒ぎをする。刺されたって、3回掻けばかゆみも収まりOKの私とは大違いだ。
「お前は田舎育ちだから」
なんて憎らしいことをいうが、そんなことは今、関係ない。
この手を使おう。
そして私は言った。
「庭に蚊が多いのはタイヤに溜った雨水が原因だよ。」
タメ夫君はタイヤを買ったことへの後ろめたさか、すなおに処分に応じた。
狭い場所だから、置いたとき同様に、大変な思いをして運び出し、無事息子の車と一緒に処分された。
こうなることは最初からわかているのに、タメ夫君の行動は全く理解できない。
それから数年たち、最近エコカーに替えた。
さすがにタイヤを残すことはしなかたが、車のなくなった車庫を見てびっくり。
今度は車内の足元に敷いてあったゴム製のマットが6枚。車庫の真ん中に並べてある。
「またやったか」
と思う怒りの心を押さえ、
「マットはどうするの?」
と聞いた。
今度は
「バックするのに目印になる」
と言う。
「うそつけ!」
と心の中で叫びながら、目下捨てさせる方法を思案中である。
いずれ不要であることはタメ夫君も承知のはずだ。
ではなぜその時に処分できないのか。
思い切りが悪いと言えばそれまでだが、どうもそればかりではないような気がする。
タメ夫君は情け深い男だ。きっと車とも別れづらく、何か残しておきたいと思うのではないか?
でも私にとっては大迷惑な話である。
日々枯れ葉を蓄え、汚くなっていくマットにイライラを募らせている。
健康器具
タメ夫君はタダのものは何でも手に入れるのが好き。
いや、手に入れないのは大損だと考えているようだ。
タメ夫君は株を持っている。
今はやりのデイトレーダーではなく、昔ながらの証券マンとの取引で、持った株はずっと持ち続けている。企業にとってはいい株主なのかもしれない。
株を持つと、会社によっては株主優待と称して、自社製品をくれたりするところがある。
ありがたいものもあるが、正直もらっても困るような物もある。
A社では健康器具の中から、何か選ぶという優待サービスだ。
私は不要なものはもらわなければいいと思うのだが、タメ夫君の辞書には辞退などという言葉はない。通知がこれば必ずもらう。
かくして、ぶらさがり健康器、ダンベル、ベンチプレス等々一つずつ家に運び込まれることになった。
私はせめてもの抵抗で、タメ夫君の寝室に置くように提案した。タメ夫君の寝室は和室だ。例のもさえなければ、テレビ台だけのスッキリした部屋なのに、今や・・・。
この不用品をタメ夫君は活用しているのか、
「使ってるの?」
と聞けば
「やってるよ」
と答える。
怪しいもんだ。ジムに行っているタメ夫君は、家でまで筋トレをやっているとは信じがたい。
また、やっているところを見たこともない。
でも「使っている」という言葉には逆らえず、1年ほどはそのままで過ごした。
その間、ごちゃごちゃしたタメ夫君の部屋を私はブツブツ言いながら、掃除をしていた。
1年を過ぎたころ、にはタメ夫君が健康器具など使っていないことを確信した。
さて、これをどう処分しようか。
捨てることなんて到底納得しない。
そうだ、3階だ。
3階だったら人の目に触れることもなく、私もあまり見なくて済む。
3階には息子の部屋がある。 息子が独立してからすでに何年か経ち、すでに物置き化している。
あの部屋に何とか移動させればよい。
さてどうやって説得しようか。
タメ夫君は頑固だから、上手に言わないとへそを曲げてしまう。
そうだ、ひらめいた。
(地震だ!)
そこで私は
「お父さん、地震が来て、頭の上に倒れたら終わりだよ。」
タメ夫君もまだ命が惜しいらしくて、しぶしぶ納得した。
寝室は元に戻り、私はニンマリだ。
洋酒事件
ドアのチャイムが鳴ったので、出てみると一人の若者が立っている。
「洋酒の不用なものありませんか」
と言う。
普段はこのような形の対応はしないのだが、我が家にはおみやげでもらった、洋酒がたくさんある。
一昔前までは海外旅行のおみやげは洋酒と、相場が決まっていた。
しかしタメ夫君は酒を飲まない。外での付き合い酒がせいぜいだ。
息子が大学生の頃、飲み会で持ち出すことはあったけれど、まだ結構な数の洋酒が残っている。
上手に処分すれば、かなりのお金になるかもしれないけれど、所詮そんな能力もない。
これはよい機会だと思い、2~3本残して、すべて渡した。
若者は
「えっ。こんなにあるんですか」
と言って、1万円を代金としてよこした。
1万円はその後、飼い犬のエサ代と消えた。
私としては何の文句もない。
タメ夫君は、もはや洋酒のことなんて忘れているに違いない。
ところがである。
タメ夫君が突然、
「前、洋酒がたくさんあったけれど、どうした?」
と言ってきた。
ドキッ。
思わず心臓が高鳴った。
「なんで、まさか」
そんなことタメ夫君が気づくはずがないのにと思いながら、とっさに
「段ボールに入れて、どこかにしまったと思うよ」
と嘘を言った。
あまりの突然の出来事で私の嘘はバレバレのはずだ。
しかしタメ夫君はそれ以上追及しない。
嘘は見抜いていたはずだ。
わたし同様、彼も私の性格を見抜き、これ以上詮索をしても口を割らないと判断したのだろう。 エライ!
しかしここで大きな疑問がわく。
タメ夫君はなぜ唐突に洋酒のことを言い出したのだろうか。
絶対ありえないことなのに。
次の日、その疑問はあっさり解決した。
私の家ではキッチンに食品庫用の棚がある。
そこには買い置きのマヨネーズやら、乾物やら多くのものをストックしている。
最近タメ夫君が彼の実姉の家でもらってきた健康ジュースをとりあえずその棚に納めた。
賞味期限があるので、昨夜
「早く飲んだ方がいいよ」
と言ったのだ。
タメ夫君はいつもは見ない棚のビンを取りに行ったのだ。
そこで洋酒のビンを見つけ、昔の記憶がフラッシュバックしたというわけだ。
しかしなぜそんなところに洋酒のビンがあったのだろう。
「しまった」
と私は思った。もともと外からは見えない食器戸棚の奥にあったビンを処分した。ついでに広くなったスペースを整理したが、あろうことか残っていた1本を例の棚に納めてしまっていたのだ。
そしてそこにタメ夫君をわざわざ誘導してしまったというわけだ。
その辺が私のツメの甘さだ。
反省、反省。
衣装持ちのタメ夫君
ここまで書くと、読んでくださっている方には想像がつくだろう。
タメ夫君は洋服をいっぱい持っている。
昨年ダウンコートを買った。
タメ夫君自身が欲しかったのではないが、私が気に入って購入した。
タメ夫君は外出用のダウンをもっていない。
昔買ったのは、サイズが合わなくなってしまったから、その代わりにと、私は思っていた。
新しいダウンコートをタメ夫君はすごく気に入ってくれた。
早速私が
「もうあの昔のダウンコートはいらないね」
と言うと、やっぱりの声が返ってきた。
「あれは、夜中の初詣の時に着るから」
確かに毎年12月31日は12時過ぎたら近くの神社に初詣に行く。
夜中ではあるし、けっこう寒いので年に1回だけ、ぱちぱちのダウンを着る。まだ処分する気にはならないらしい。
でも今年からは新しいダウンを着るはずだ。しかし処分はしない。
すべてがこの調子だから、私の洋服の倍くらい、タメ夫君は所有している。
なのに。普段は同じ服ばかり着ている。 もうっ!
心配
ある日、新聞の人生相談の欄に
「弟が物を集めて困る」
という相談があった。
弟が最近、粗大ごみから「まだもったいない」
と言って、いろいろ家に持ち込むとのこと。近所から苦情がきそうだというのである。
タメ夫君は拾ってくることはないので、安心だが・・・いや待てよ。
老化現象という難敵がある。
今までそれほどでもなかった人が年とともに物を集め出し、ついにはごみ屋敷に。 おお怖っ!
この記事についてはタメ夫君なもしっかり報告しておいた。
私の周りを見てみると、2通りの人間がいるようだ。
そろそろ初老にさしかかり、人生のしめくくりもふと頭をよぎる。
そこで、そろそろ身の回りをスッキリさせたいと整理を始める人がいる。
人によっては、アルバムの写真まで捨て始めているというから驚きだ。
さしずめ私は元々の性格もあるが、そちらのグループだろう。
もう一方は、整理どころか、年とともに益々物を増やし捨てなくなる人間だ。
もちろんタメ夫君はそちらのグループ。
先日浜松に行って旧友に会った。
彼女の市では来年度から有料になるということで、友人は夫と一緒に粗大ごみを処分したそうだ。
彼女の家は処分に関しては、夫婦が同じ価値観を持つ。
うらやましいなぁ。
私の捨て好きもタメ夫君の捨てられないのも、元々ある性格なんだろう。
これから二人とも年をとっていく。
タメ夫君の老化現象が「捨てられない」を加速させないか、どうかが今の心配だ。
タメ夫君との80日戦争
ソファーを大きなものに替えた。部屋のスペースを広げるために、今まで壁から離してあった食卓のテーブルを壁につけることにした。
食卓のテーブルの一角はタメ夫君の陣地だ。
テーブルには、パソコンを、足元には段ボールに入れた何か怪しげな書類が。
今まで壁とテーブルにはちょうど段ボールを置ける隙間があったので、その横に椅子が置けた。
今度はテーブルをくっつけたことにより、当然段ボールが邪魔になった。
タメ夫君の陣地のピンチだ。段ボールを取らなければまともに座れない。
私は「シメタ」と思った。
そしてリビングボードに納めてある私の物を2階に運び、空間を作った。
「ここに入れていいよ。」
という私に
「うん。わかった」と返事はしたものの、どうも生返事だ。
手元に何でも置きたいタメ夫君はどうもやる気はないらしい。
タメ夫君は壁際の椅子に座ってパソコンを開くのが常だが、今や足元の段ボールが邪魔してまともにできない。
なのにである。
タメ夫君は一向に片付ける気配はなく、ついにパソコンを斜めにして使い出した。
もう呆れるやら、ため息が出るやらである。
もうじき最強の助っ人である娘が里帰りする。
娘は私以上に捨て好きだ。
以前からタメ夫君のスペースについては文句を言っていた。
多分今度もキツーく言ってくれるに違いない。
でもタメ夫君は、そんな言葉にはめげないだろうなぁ。
新しいソファーは座り心地もよく、快適である。
ここは私の陣地。タメ夫君の好きにさせてはならない。
何か周りにヘンなものを置きださないように、日々目を光らせている。
最近タメ夫君が扇風機を欲しいと言い出した。
扇風機の風でクーラーの冷気を循環させるという、マメ知識をどっかで仕入れたらしい。
私は扇風機の購入には段ボールの片付けを条件に出した。
「もうこれ以上、そこがごちゃごちゃするのは、勘弁してよ。」
という私の言葉に反論できず、扇風機の話は立ち消えに。
強引に自分の意思を通さない。いえ 通せない? タメ夫君のカワイイところだ。
果たしてタメ夫君のコーナーは綺麗になるのか、否か?。
今のところこう着状態が続いている。
私が何か言わなければ事は進まないかもしれない。
私が勝つか、あるいは負けて、あきらめるか、
今の状態を動かすには、もう喧嘩しかない。
若いころなら私も血の気が多く、大喧嘩もいとわなかったが、最近は年のせいか、喧嘩する元気もなくなりつつある。
ソファー購入から80日が過ぎようとしている。
タメ夫君はその間わずかな動きを見せた。
私は、大して片付いていないけれど
「ワー綺麗になった」
と大げさに喜んだ。
これに気を良くしたタメ夫君はそれから、どんどん片付けに入った。
と、これは私の妄想。
現実はその後まったく動きなし。
タメ夫君の中では、片付けは終了か?
なんか 私の負けかもしれない。
タメ夫君との80日戦争
世の中には効率、スピードを重んじる人間と、その逆の人間がいる。前者は新幹線型、後者は普通列車型かもしれない。
新幹線を好む人間は普通列車ののんびり旅なんて信じられない。
でも普通列車を好む人は、ゆっくり進むことで得られる景色や情緒を楽しんでいるはずだ。新幹線型の人間が普通列車のよさがわからないように、普通列車型の人間は新幹線のよさを評価しないかもしれない。
私たち夫婦はたぶん新幹線型の私と普通列車型の夫なのだろう。
私たちもいずれどちらかが一人になる日が来るだろう。
もし私が残れば、必要以上に物が消え、寒々とした家になるかもしれない。夫が残れば、考えるのも怖い。
夫も隣近所に迷惑をかけるほどのゴミ屋敷にはしないと信じてはいるが・・・・。
無駄なものはサッサと処分する私と、品物と別れづらい夫。
お互いにイラッとしながら、これからも折り合いをつけながら進んでいこう。