アカプルコ・ゴールド

アカプルコ・ゴールド
テキーラとダーク・ラムをパイナップルジュースとグレープフルーツジュースで割り、シロップを注ぐ。

 ひさびさに足を踏み入れた店内は、相変わらずに、暗い赤の照明で、サンダルウッドが焚いてあって、カウンターの落書きもそのままだった。最後に来たのはオレが地元に帰る前だったから、もう15年以上経つのだろう。まだ大学生で、仲間たちみんな、講義をサボっては古臭い三本立ての映画とか、葬儀屋のバイトとか、なんでもないことに一喜一憂して、ドーハの悲劇の二日後に、俺の好きな映画俳優が死んだのを、よく覚えている。
カウンターに座ると、マスターが久しぶりと言った。
「よく覚えてましたね。」
「良くじゃないけど、一応な。」
なにか適当なのを一杯おねがいすると、変則のトーキョー・ダウンが出てきた。強いアルコールと甘み、メロンとコアントローが香る。
オレがいま、東京で仕事しているのを知っているのだろうか。見透かしたようで、この人も相変わらず、只者ではない。
そんなことを思っていると、カウンター最奥の若い女が話しかけてきた。
「メロンとオレンジって、まるでケーキみたいね。」
胸がドクッと強く脈打つのを感じた。オレは無言で女を見つめてしまう。
それは彼女の肌がライトを跳ね返すくらいに白いからでも、スカートから伸びる脚が真っ直ぐで長いからでもなくて、放たれた言葉が記憶を掘り起こしたからだ。
ケーキみたいね。
そんな言い方をする女を、オレはもう一人知っている。

 女はサクコと言った。はじめは大学仲間のツレだったか、そういう感じでオレたちにくっついて、いつの間にか溶け込んでいた。でも学生ではなかったと思う。歳もオレたちの幾つか上だったはずだ。サクコは見た目も行動も派手で、大きな笑い声が、いつも場の雰囲気を盛り上げるのだ。そんな彼女に思いを寄せる連中が、少なからず居たに違いない。
「なによソレ。男のクセに、またそんな甘いのを呑んで。
まるでケーキじゃない。」
「お前の方こそ、めずらしいのを呑ってるな。」
サクコはいつもビールかジン・トニックを呑んでいるのに、その夜に限ってオレンジ色のカクテルを飲んでいた。
「これは特別よ。」
一口くれと言って口に含んだが、予想よりも上を行く甘さだった。
「これだって、デザートだぜ。」
サクコはフフフと微笑んだ。
「アカプルコ・ゴールド。」
「なんだって?」
「名前、アカプルコ・ゴールドって言うの。」
「アカプルコ?あのアカプルコ?」
アカプルコはメキシコのリゾート地で、ゴールキーパーのカンポスの出身地だったと思う。
「そうよ。」
そう言って、また笑みをこぼした。そのときオレは彼女らしくないと思った。静かな笑い方も、甘いカクテルも、特別というより、違和感だった。事実、酒に強い彼女にしては、二、三杯で酔いが回ってしまって、店を出る頃にはゆらゆらと足許がおぼつかない様子で、そして、私を送ってと言った。
「知ってる?アカプルコは太陽と海に囲まれていて、そこに居るためには、男も女も子供もお年寄りだって、原色の水着を着なくちゃいけないのよ。
アカプルコはね、原色のリゾートなの。私、いつかアカプルコに住むわ。」
「酔ってるね。」
「酔ってないわ。」
「酔ってるよ。」
彼女の腕がオレの首に回ったときには、舌が唇に滑り込んでいた。
「確かめてみない?」

「なぁに?」
「いや、綺麗な髪をしているなと思って。」
どこからそんな気障な台詞が湧いてきたのか不思議だ。
あの晩、もう夜が明けてしまって、朝焼けに彼女の全てが露になった。細いうなじも、波打つ腹筋も、湿った陰毛も、全部が金色だった。肌が凍えるように冷たかったような気もするし、焦げつくほど熱かったような気もする。息が苦しくなるほど抱いたし、同じくらい締め付けられただろう。そして、あれきりサクコは居なくなってしまった。上京したとか、結婚したとか、噂が流れたが、それも直ぐに聞かなくなった。オレは帰郷して、探そうともしなかった。アルコールが見せたまやかしの時間と思っていたから、探そうと思わなかったのか。
オレのトーキョー、サクコのアカプルコ。憧れの土地。
赤い照明が消えてしまったら、グラスの中は黄金色に戻るはずだ。オレの記憶に強く蘇ったのは、アカプルコの女の、ただただ金色なこと。
朝焼けにオレは、サクコに惚れていたんだな。
「すまない。初対面の女性に失礼なことを言ってしまったかな。」
「いいわよ。褒められて嫌な女なんか居ないわよ。
それより、そのお酒、味見させてくれない?オジサン。」
「オジサンかぁ。
いいとも。さあ、どうぞ。」
オレは苦笑いで差し出した。
女の髪の感じは、どこかサクコに似ている。それとも赤い光のせいか、オレには解らない。
スノーボールが一回転して、カランと音を立てた。
女はアカプルコに行ったことがあるだろうか。

アカプルコ・ゴールド

アカプルコ・ゴールド

酒場には色んな人間がきます。老いも若きも、女も男も、喧騒や思い出を残していきます。 ひさびさに足を踏み入れると、忘れていたことが、ふと思い出されたり、そんな酒場の有様を短くまとめました。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-15

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