二一グラム
そう遠くないかもしれない、未来の話。
じっとりとした、肌にまとわりつくような風が吹いた。
乱立する石には名前が刻まれており、その下に眠る者の証となっている。
墓標と呼ばれる、人間の最後の存在証明の前に、そっと花束を置いた。
「理解不能です」
後ろから、男性の声がした。声変わりが済んだばかりの、まだ年若い声だった。
「貴方のしていることは、全く意味のない行為です。何故するのか、理解出来ません」
声の主に対して、私は一言だけ思った。
――ああ、またか。
本来、私が思う、感じることはない。何故なら、必要のないことだからだ。
生活補助のアンドロイドとして、起動したのが四年ほど前。月が欠けては満ちる様子を、ここに眠る主人と何度も見上げ、それをしなくなったのが一年前、いや、正確には三七一日と二時間一四分前のこと。ベッドに横になっていた主人が突然、「月が見たい」と言い出し、足の不自由な主人のために車椅子を押しながら外へ出た時だった。
自身の記録に残っている最後の主人の顔は、満月を見上げた時の笑顔である。
「人間は死亡すると、水や炭素といった塊になります。感じることも、考えることもありません。ましてや、魂が幽霊になるということも、科学的に否定されています。貴方の行動は、科学的視点から見ても異端です」
言葉ひとつひとつをRAM(主記憶装置)に書き込み、それぞれを分析・処理していく。
男のいうことは正しく正論であり、現代において普遍的である。それらを考慮しても、自分のしていることは異常であることは、疑いようのない事実だった。
「二一グラム」
「…………」
「人間の魂の重さは、二一グラムだそうだ」
遥か昔、自立型アンドロイドが生まれるよりも前の時代。さる国での医師が提唱した実験結果である。
人間と犬、双方で死亡前と死亡後の体重の変化を調べた結果、人間は二一グラム軽くなったが犬は変化がなかった、というものらしい。
後ろの男は冷静に反論した。
「一九〇七年、アメリカのダンカン・マクドゥーガル医師の実験ですね。その実験は測定方法が正確ではない、死亡の基準の曖昧さ等が問題に上がり、科学的根拠はないものとされていますが」
「その通りだ。科学的根拠はない」
では何故、と男は続ける。
AIが処理する中で、彼の推測を組み上げる。一連の会話の流れで、彼が何故と聞いたのは「何故この時代で、そのような非科学的な話を出すのか」だろう。
彼の口が次の言葉を紡ぎだす前に、彼の問に答えた。
「人間は昔から、非科学的な言動、行動を繰り返してきたと聞く。言葉には力がある、万物には神が宿っている、と」
「全て迷信です。神は存在しません」
「そうだ。人間は宇宙の塵が突然変異を起こし、自律行動するようになった末の進化形態だ。変異こそ奇跡的確率であれ、なにもおかしなことはない」
「貴方の言いたいことが、私には理解出来ません」
「ならばただ聞け。考える必要はない」
「………………」
「私の主人も、多数の人間の例に漏れず非科学を信じる人間だった。意味もないのに毎日月を見上げ、不要なのに毎日墓参りというものをしていた」
墓前で、手を合わせる。言葉はない。ただ、手を合わせ目を閉じ、身じろぎしないだけだ。
数秒の後、目を開ける。なんら変わりのない、主人の墓があるだけである。
「私も主人に聞いたことがある。『どうして墓参りをするのか』と」
「……主人の方はなんと?」
「『先に逝った女房に言っているんだ。死んだ今でも、お前を愛しているとな』と答えられた」
「死んだ人間は、聞くことができません」
「私もそう思って聞いた」
「……答はなんと?」
「『死んじゃおらんさ。少なくとも、俺の中でずっと生きている』。そう答えられた」
「やはり、理解出来ません」
「言っただろう。考える必要はない」
曲げていた膝を伸ばし、墓標を見下ろす。寄り添うように立てられている白い墓石には、同じ種類の色の違う花束が置かれていた。
「たった二一グラムの差。誤差とも取られてしまうその僅かな違いに、主人のような人間は希望というものを抱いていたのかもしれない」
「やはり、理解出来ません」
「ああ。理解できない」
鈍色に染まっていた空は黒さを増し、周囲は湿気を高めていた。
機械のこの身体は、雨を拒む。
そういえば、主人は雨の音が好きだと言っていたことを、不意に思い出した。
「私が理解するには、もう少しここに通う必要がありそうだ」
二一グラム
捉え方は人それぞれです。
作者は幽霊を信じています。