ランタンと一緒に

ランタンと一緒に

僕の名前は小倉智成、11歳。お父さんの転勤で今は音楽の都ウィーンってところに住んでる...と言っても4か月前に日本から越してきたばかりだけど。
え、ウィーンを知らない?ウィーンはオーストリアの首都だよ。カンガルーはいないからね、オースト“リア”だから。モーツァルトは知ってるかな?シューベルトは?ヨハン・シュトラウスは?あ、ベートーベンくらいなら聞いたことくらいあるんじゃないかな。この人たちはみんな、ウィーンで活躍した有名な音楽家なんだ。だから、ウィーンの街を歩いてるとバイオリンやチェロを背負ったり、フルートを首に引っさげてる日本人だってよく見る。世界の音楽家にとってウィーンは夢の都なんだ。いや待てよ、そんなことを言ったらここは僕の桃源郷でもあるんじゃないか。小学校に入る前からピアノは習っていたし、3年生になるころには地元のオーケストラに入ってヴィオラをちょろちょろ弾いていたからな。断っておくけど、これは僕がやりたいから始めたことじゃない。いつかお母さんが友だちとお茶をしているときに盗み聞きして知ったことなんだけど、子どもにピアノを習わせるのはお母さんの長年の夢だったのだ。なんでもお母さんが中学生だった時、音楽の授業で先生がピアノ弾ける人はいないか聞いて、生徒たちが「え、あいつなら弾けるんじゃね?」「あいつピアノ習ってたよな」とざわざわし始めた。そうしてその“あいつ”は前に出てピアノを弾くことになったんだが“あいつ”はサっとピアノの前に行き、無言で席に着いて弾き始めた。それが周りの生徒の予想を上回る物で、お母さんの心も打ってしまったらしい。そんなこんなで、ピアノを弾ける男の子はカッコいいという印象を植え付けられたお母さんは、僕をピアノ教室に通わせることにしたのだった。まぁ、ウィーンに来てからというもの、ピアノ教室には通ってないしヴィオラも家のどこかでかくれんぼをしているみたいだから、自分を音楽家と呼ぶにはいささか烏滸がましいのかもしれない。あ、それからこの口調については気にしないでほしい。よく年齢にそぐわないとか、高飛車だとか言われるけど、これは今読んでる本がたまたまこういう口調で、影響を受けやすい僕がその本の中に書かれてる口調をそのまま真似てるだけなんだ。いつもこういうわけじゃない。
 さて、自己及び町の紹介はこれくらいにして、そろそろ本題に入っていこうと思う。ちなみに今は夏、最高気温は40度を越し、ヨーロッパにいながら日本の暑さとさほど変わらない地獄を味わっていた。家に帰っても冷房がないのは正直しんどい。平成生まれの日本人なら熱帯夜で眠れないなんてことはないんじゃないかな。僕は毎日格闘してるがね。ウィーンの日本人学校に通ってる友だちも同じ。ここに通ってるのはけっこうお金持ちの子ばかりみたいだけど、クーラーを持ってる子なんていなかった。もちろん学校にクーラーがついてるはずもなく、僕らは日本から取り寄せた扇子をぱたぱたしながら授業を受けなければならなかった。日の当たる窓際の生徒たちは、暑さのせいで頭から湯気を出していた。
「っよ!と~も!」
 昼休みになると、この学校に来て初めてできた友だち岩谷洋二郎が声をかけてきた。この子はウィーン歴三年目、お父さんが国連に勤めてるとかですごくお金持ちらしい。僕はお金持ちには自動的に頭が下がってしまう意気地なしなのだけど、この子はその息子というだけで別に気おくれせずに話せる。洋ちゃんは本当に元気な子で、この子の近くにいるとなんだか僕まで元気をもらえる気がする。ただし、運が良いというわけではない。ウィーン国立歌劇場の前で財布を盗まれているし、カフェのトイレに行ってるうちにカバンが消え、つまり盗まれ、学校に持ってきたアイポッドタッチは先週先生に取り上げられていた。それでもこの子は元気なのだ、よく小さなことでくよくよしてる僕の背中を叩いてくれる。
「一緒に食べよ、洋ちゃん、トモちゃん」
 長谷川知美ちゃん、僕と一緒の時期にここへ転校してきた日本人。両親の都合でウィーンにやってきたのも僕と同じらしく、すぐに友だちになった。僕たち3人はとっても仲が良くて、何をするのも一緒だった。掃除当番、調理実習、お昼は一緒に食べてたし、同じ家庭教師の先生の元で算数と国語、つまり日本語を習っていた。家庭教師の先生は優しい大学生のお姉ちゃんでウィーンには交換留学で来てるとか。そしてやっぱり音楽には縁があって、トランペットを吹いてるんだとか。
「聞いたか?中央墓地にでるお化けの噂」
 つかの間の沈黙を洋ちゃんが破る。
「お化け?ここはヨーロッパよ?ゾンビとかだったらわかるけど...お化けはないわね」
 流石頭脳明晰成績トップの知美ちゃん、お見事、その通り!ここは霊だの魂だの信じないヨーロッパ人の住む国だ、火葬しないんだから出るのはゾンビのはず。
「そぉ~だ!そうそう、お化けじゃない!ドラキュラだった!あの中央墓地、ドラキュラが出るんだってよ!」
 妖精やドワーフ、サンタクロースからエイリアンまで、あらかたの未確認生命体の存在は信じてきた僕だが、ここまで取ってつけたように言われては、疑わざるを得ない。ちなみに中央墓地とは、先ほど言ったベートーベンやシューベルト、ヨハン・シュトラウスが眠る栄誉ある墓場。ドラキュラなんかに出てきてもらってたまるか!
「お前たち、信じてないだろ」
「見間違えじゃないの?ドラキュラみたいな格好してるヨーロッパ人なんていっぱいいるし」
同感です、そんなのただの噂だよ、う・わ・さ。心の中で僕は舌を出していた。
「まぁ、当然の反応だよな!だからさ、今日、俺たちで調べに行かないか?」
 相変わらず洋ちゃんはアクティブでポジティブだった。てゆうか、後先を考えていない。でも、僕と正反対の性格だから僕は彼が好きなんだと思う。たぶん、それはあっちもそうで、お互いに惹かれあってるところもあるんだろうけどね。こんなクラスのリーダー的男子が僕と友だちでいてくれるのは少し嬉しい。
「集合は夜9時。中央墓地入口ナンバー2で!」
「え、なに?ナンバー2って」
 ナイス質問、僕も気になった。てゆうか、洋ちゃん勝手に決め過ぎ!待てよ、これがリーダーシップという物なのか。
「おいおい、岩谷も知らないのかよ...しょうがねぇな」洋ちゃんが箸をこっちに向け、カチカチ鳴らす。「いいか、中央墓地はウィーンの中央にないとはいえ、ウィーン最大の墓地なんだぞ?中にバスが通ってるほど巨大なんだ。それで入り口もたくさんあるわけ。だから、その中でも中央入口って呼ばれる2番口にしようって言ってるのさ」
「そこから入ればベートーベンのお墓も見れるの?」
 知美ちゃんはベートーベンのファンだ。なんでも、知美ちゃんも小学校入学前からピアノを習っていて、先生がベートーベンを心底愛していたんだそう。それで弟子の美紀ちゃんも彼のファンになったという具合だ。僕は『エリーゼのために』しか弾けないけど、知り合ったばかりのころはよくその話で盛り上がった。ありがとう、ベートーベン。
「見れるとも!モーツァルトだって、シューベルトだって、ヨハン・シュトラウスだっているぜ!」
「あれ?モーツァルトは違うところに眠ってるって聞いたけど...」
「え~っと、確か...まぁ細かいことは気にするな!どうせ今日、確かめられるんだからな!」
 そんなこんなで集合時間と場所が決まったわけだけど、う~ん、お墓ってそんな夜遅くまでやってるのか?てゆうか、そこまでどうやって行けばいいんだろ...

夜9時になった、夕暮れ時に汗をかきかき、やっとのことで僕は墓場の入り口ナンバー2に到着した。ウィーンにはシティサイクルなるものがあり、一時間以内だったら無料で自転車を借りられるのだ。僕はそれを使って来た。ほかの2人もそうするだろうと思ってたんだ。否!2人はどうやってきたと思う?なんと、親に車で送ってもらって来やがった。おいおい、どういう理由を言えば夜の9時から墓場で遊ぶっていう子どもを待ち合わせ場所まで送ってくれるんだ?僕は親に秘密で来たって言うのに...あぁ、これがバレたら一週間はゲームやらせてもらえないんだろうな。
「洋ちゃん!あんまり遅くならないうちに電話しなさいよ!」
 車の中から洋ちゃんの母親らしき人物が手を振る。なんというおぼっちゃま...まぁ、人のことは言えないけど。
「あ、洋ちゃん!」閉まりかけた窓が再び開く。「これこれ、忘れてるわよ」
 洋ちゃんは慌てて車まで戻り、それを受け取った。
「そうそう、忘れるところだったぜ。ありがと!」
 洋ちゃんは手に持っている物を僕らに見せた。ランタンだった。彼の説明では毎年10月に聖マルティンの日というのがあるらしく、生徒たちは各々ランタンをデコレーションし、暗くなったらそれを持ってマーチングするんだと。洋ちゃんの青いランタンには、折り紙でできた金魚らしき魚が所せましと泳いでいた。ランタンと言っても、中は蝋燭じゃない。ただの豆電球だ。人工的なライトが青いランタンに透けて奇妙だった。

こうして子どもたち3人は中央墓地の巨大なゲートの前に揃ったわけだが、改めて見ると、でかい。僕らの数倍はある高さの門は何人たりとも通さん、とその固い鉄の口を閉じている。
「ちきしょ~、もう閉まってるのかよ!」
 当たり前っちゃあ、当たり前だろう。誰が好き好んで日の沈んだ後に墓参りをするだろうか。ただでさえウィークデイすら7時半で全ての店が戸締りするウィーンだ。夜中の9時に墓場がオープンなわけない。
「登って入るしか手はないか!」
 いや、帰るっていう手があるだろ。誰の手だよ、そりゃ。
「やっぱり!ジーンズに履き替えてきて正解」
 僕が口を開くよりも先に、知美ちゃんも柵を登り始めたので、黙ってついて行かざるを得なかった。それにしてもどんだけ不用心なんだ、どこかに監視カメラはあるにしても、普通こんなことしたら警報くらい鳴るだろう。墓荒らしっていうのはエジプトだけの習慣でもないわけだから。いや待てよ、それもまんざらでもないのか、ここには皇帝やその家族は眠っていないわけだから盗むものもない...そんなことを考えてるうちに、僕らは柵の裏側に着地していた。僕はさておき、洋ちゃんも知美ちゃんも体育は得意らしい。つい今日やった野球の試合でも、2人は4番打者を任されていた。僕は打席順が分からないほど後ろに回されてたっていうのに。
「どこにあるの?ベートーベンのお墓」
「お、俺に聞くなよ。俺だって初めてなんだ」
「え~、そうなの!?だって昼間あんなに...」
「うるせぇ!地球の歩み方に載ってたんだよ、モーツァルト・ベートーベン・シューベルトのお墓は一か所にまとまってあるってな!」
 まぁそうだろうな、音楽のことを全く知らない日本人、それも小学生がウィーン中央墓地に来たことあるっていう方がおかしい。
「で、地球の歩み方は持って来たの?」
「いや、忘れた」洋ちゃんは全く悪ぶれることもなく言った。「そういうことはな、あ~いうところに書いてあるもんなんだよ」
 洋ちゃんが指さす先には掲示板があった。なるほど、確かに地図みたいなものがかすかに見えるな。あそこなら観光者用にベートーベンの墓のことくらいは書いてあっても...
「ないね」
「ないな」
 そう、掲示板には一言もベートーベンとは書いていなかった。全くの地元人用の掲示板で、どこが何番セクションといった情報しか載っていない。いきなりピンチである。周りを歩いている人なんていないから人に聞くこともできないし...嫌な予感がすると、急に自分たちがいる場所を思い出した。僕らは墓場にいるのだ。背筋がつんと寒くなった。
「安心しろよ、ベートーベンとか偉い奴らの墓は真ん中にあるもんさ」
 洋ちゃんは地図の真ん中にある教会を指さす。あれ、いつの間にか主旨かわってない?
「そうね、ここまで来たんだからベートーベン見ないで帰れないしね」
 いや、怖い。帰りたいです。
「なんだ、トモ?怖いのか?」
 そうです、怖いんです。ていうか、キミたちには霊感という物が微塵もなくてこういうところが全く怖くないとかそういうのなんですか、そうなんですか?
「怖い?まさか、ヨーロッパのお墓って日本のと違って綺麗じゃん?もっと怖いの期待したのに、残念だな~」
 僕は嘘をついた。そりゃあ女の子の前で怖いなんて言えないだろう。それに、言ったことも本当で、日本の普通のお墓に比べたら全然綺麗なのだ。墓石は皆、個性があって四角いのや丸いの、天使が飛び回っているのまである。しかし、銅像だけはやめてほしい。時刻は9時半近く、だいぶ暗くなる中でかなりリアルな上半身がゾンビに見えてならなかった。僕は勇気を振り絞って手をつなごうと提案し、知美ちゃんを真ん中に、僕が右側、洋ちゃんが左側で歩いた。洋ちゃんも知美ちゃんも僕の提案になんにも異議申し立てしなかったから、多分少しは怖かったんだろう。いや、これで怖くない方がおかしい!
そんなこんなで僕らは中央道を教会へ向かった。
「この並木道はさ、映画『第三の男』に使われたんだってさ」
 洋ちゃんは自慢げだが、どうせ地球の歩み方だろ?それにそんな映画、僕は観たことないし。あとで調べてみたけど、その映画っていうのはかなり古い映画らしく、お父さんやお母さんが青春時代を送っていた頃に有名になったものだ。ウィーンの遊園地・プラターの観覧車やらなにやら、ウィーンにゆかりのあるものがたくさん出てるんだとか。オーストリアの映画と言えばサウンド・オブ・ミュージックも有名らしいけど、僕はそれも観ていない...それにしても洋ちゃんの青色ランタンが作り出す魚の影付きの光はその場の雰囲気を一層気味の悪いものにしていた。
「Ich(イヒ) gehe(ゲーヘ) mit(ミト) meiner(マイナ) Laterne(ラターネ) und(ウント) meine(マイネ) Laterne(ラターネ) geht(ゲート) mit(ミト) mir(ミア). Da(ダァ) oben(オーベン) leuchten(ロイヒテン) Sterne(シュターネ) und(ウント) da(ダァ) unten(ウンテン) leuchten(ロイヒテン) wir(ヴィア)...」
 洋ちゃんが歌いだした。ありゃりゃ...ドイツ語は未だにさっぱり意味不明。でもそれは知美ちゃんも同じはず。ドイツ語は難しい。
「面白い曲ね」
 え?知美ちゃん分かるの?いつ習ったんだ?ウィーンの学校とは言っても授業は週に数回のドイツ語の授業以外は全部日本語だし、僕らと遊んでるときも日本語じゃないか...しょうがない、ここは正直に聞くか。
「ん?どんな歌詞なの?」
「え~っとね、直訳しかできないけど、私は私のランタンと一緒に行く、同じように私のランタンは私と一緒に行く、上では星が光っていて、下では私たちが光ってる...って感じかな」
「へぇ~、すごいな」
 洋ちゃんが僕の気持ちを代弁してくれた。
「お母さんがね、せっかくウィーンに住んでるんだからドイツ語を習おうって、家庭教師ではないんだけどオーストリア人のお手伝いさんを雇ったの。それで夕飯が終わると家族みんなでドイツ語の授業を受けてるのよ」
 なるほど、ブルジョアが成せる業だな。
「まだまだ分からないことだらけだけど、今のは基本単語ばかりだったじゃない?」
 ランタンが基本単語なのか?オーストリアに来てこのかた一度も聞いたことがないのだが...まぁいい、この中でドイツ語ができないのは僕だけだと分かっただけで十分だし、このヘンテコりんな歌のお陰で恐怖心も少しどっかに行った気もするしな。10月に歌うのが楽しみだ...それまでにドイツ語をなんとかしなきゃ、だけど。
「見えてきたぜ!教会!」洋ちゃんが左手のランタンを掲げる。
「あれはユーゲントシュティル様式かしらね、カールス教会に似てるわ!あれ、でもあれはバロック様式か、フィッシャー・フォン・エルラッハの」
 この少女の頭はどうなっているのだろう。地球の歩み方が組み込まれてるのか?ユーゲントシュティルってなに?カールス教会ってなに?バロック?フィッシュの鰓???知りたい人はぜひともグーグル先生に聞いてほしい、おそらく僕が説明するよりも簡潔で分かりやすいだろうから。ちなみに、洋ちゃんも今回ばかりは何もコメントをしなかった。
「こんな時間に...開いてるといいね!」
 そう、そういう発言にならコメント残せるよ。
「まぁ、十中八九閉まってるだろうね」
「試さなきゃ分からないだろ」
 そう言って洋ちゃんは知美ちゃんの手をはなすと、ドアノブに手をかけた。いくらがちゃがちゃしても開かない。言った通りじゃないか。それにしても、ここまでやってるのにここの警報装置は作動しないのか?監視してる人もいないのか?これじゃあここに埋まってるウィーン人たちもおちおち寝てられないなぁ...
「こういう教会には裏口があるはずだ!」
 そういうと洋ちゃんは再び知美ちゃんの手を取り、教会の右側へと僕らを導いた。またまた主旨が変わってる気がするんだが...ドラキュラはどうなった?ベートーベンの墓はもういいのか?知美ちゃんもなにか言おうよ...
「ほらな、あった!」
 教会の右側にあった扉は同じく開かず、僕らは裏手に周っていた。正面口やサイドにあったドアに比べればいかにも裏口らしいちっぽけな扉だ。
「このドアならもし鍵がかかってたとしても蹴り破れそうだな」
 おいおい、と思いながら僕は洋ちゃんの不幸の原因をなんとなく理解できた気がした。こいつは色んなところで神や仏の怒りを買っているんだ。要するに自業自得と言って良いだろう。
「おっ、開いてるぜ」
 安心するべきか、不安になるべきか...僕らは楽々と教会に侵入したのだった。管理人さ~ん、眠ってるんですかぁ?
「さすがにちょっと怖いわね」
 知美ちゃんの握る手が強くなるのを感じた。まぁ、無理もない。神聖な場所とはいえ、夜中で真っ暗な上に、誰もいないのは正直、薄気味悪いとしか言いようがない。
「裏口なんだ...こういうのはこういうところに...」
 洋ちゃんはランタンで横の壁を照らしていき、数秒のうちに電気のスイッチを発見、あたりはたちまち明るくなった。友よ、お前は今までどんなことをしてきたのだ?
「もう手をつなぐ必要はないな」
 洋ちゃんはそう言って知美の手を離し、ランタンの電気を消す。僕は知美ちゃんの手を離さなかった。一瞬知美ちゃんは僕の方を見たが、僕はそれでも離さなかったので、手をつないだまま探索することを無言で承諾したようだった。僕が怖いんだよ!
「おい!エレベーターがあるぜ」
 まったく、本当に行動力のあるやつだ。まぁ、この階にはなにもないみたいだしな。僕らはそのエレベータに乗った。
「ん~、地下と地上階と1階、2階...ここは地上階のはずだから、とりあえず一番上に行ってみる?」
 お、知美ちゃん、けっこう元気になってるな。
「え?地下行ってみようぜ、地下!なんかあるかもしれねぇじゃん?」
「断じて断る!!教会の地下ほど怖いものはない!!」
 僕はとっさに叫んでいた。しかし、そうでもしないとこいつは無理やり地下のボタンを押しそうだからな。地下なんて御免だ!ウィーンのシンボル・シュテファン寺院の地下には何があると思う?カタコンベだよ、カタコンベ!ペストで亡くなった人の骨が並んでるの!あのトラウマを直すのに丸1週間はかかったんだからな、絶対御免だ!しかもこんな子供3人で!絶対呪われる!
「じゃあ、地下で♪」
 こいつ...笑顔で地下の階を押しやがった!!ドアは閉まっていたから、もうどうしようもできない。ああ、終わった。僕の人生はここで終わるんだ。ああ、知美ちゃん、キミの手だけが僕に生きる気力を与えてくれてるんだよ...
「つ、着いたね...」
 ほ~ら、知美ちゃんも怖がってるじゃないか。大の大人だって、ここから出るのを躊躇うはずだ!11歳の僕らが怖がって何が悪い!
「なに突っ立ってんだよ、ほら、行くぞ!」
 まさしく直立不動で突っ立っている僕らを洋ちゃんはエレベータから押し出す...なんでこんなことになってるんだ...僕はどこで間違えたんだ?
「ねぇ、何か聞こえない?」
 一抹の不安が脳裏をよぎる。確かに何か聞こえた。聞こえてしまった!しかもこれは...人の泣き声じゃないか?
「まさか...」声にならない声を押し出す。
「ドラキュラだ!!」
 洋ちゃんが駆けだした。おいおい、もし本当にドラキュラだったら血を吸われるんだぞ?死ぬんだぞ?...あれ、それともドラキュラになるんだったっけ?
「お~い!岩谷ぁ!知美ぃ!!来てみろよ!!」
 また大きな声を出して...とにかく死んでないのが確認できたから僕はこのまま帰りたいのだが...知美ちゃんが僕の腕を引っ張る。はいはい、気になるんですね、分かりました、どこまでもあなたに着いていき...見てない、見てない、お墓なんて見てない、お墓なんてみてない...ん?なんだ、綺麗じゃないか。地下の中央は天井から電気の光が漏れてまさしくトリニティー!と言った感じだった。なんだ、トリニティーって...
「その子...誰?」
 洋ちゃんの隣には黒い服を着た僕らと同じ背丈の女の子が座っていた。どうやら怖がる相手ではなさそうだ...いや、どう考えても怖がるべきだろ。こんな時間に墓地に侵入する子どもなんて僕ら以外にいてほしくない。
「こいつさ、父さんとはぐれちまったみたいなんだ」洋ちゃんが立ち上がって言った。「ほら、自己紹介してこいつら驚かしてやれよ」
 女の子が立ちあがりこっちを見る。青白い顔に八重歯が一際目立つ。
「あ、あの...こんばんは。ドラキュラのエリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエです」
 おどおどと話す姿はどこかかわいらしかった。いや、今はそんなことを言ってる場合じゃない。なんだって?ドラキュラ?
「ほ~ら、驚いた」洋ちゃんが笑っている。
 確かに驚いたが、怖くはない。全く。それは知美ちゃんも同じみたいだ、彼女は僕の横でただただ口を開けてぽかんとしていた。
「あ、」知美ちゃんがやっと声を出した。「思い出した!エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエって、シシィのことよね!ハプスブルク家の美しい王妃!!」
 なるほどね、なんかドラキュラっていうのがいっそう怪しくなってきたわ...
「はい...私の父が王妃の大ファンなので...」
 いくら大ファンといっても、苗字まで同じにすることないだろ...どんだけ好きなんだよ、てかそんなのアリなのか?
「ねぇ、ベートーベンのお墓ってしらない?私たち、そのお墓を探してるの」
 知美ちゃん、この子は今までお父さんとはぐれて泣いてたんだよ?少しは気遣ってあげよ?
「知ってますよ!私、生まれてからずっとこの墓場で育ってますから!庭みたいなもんなんです」
 ん?じゃあお父さんは自然とここに帰ってくるんじゃないのか?もはやここはお前の家みたいなもんなんだろ?
「よし、じゃあ案内してくれ!そうすればお父さんも見つかるだろうから!」
 洋ちゃんは相変わらず張り切っている。自称ドラキュラをツアガイドにするなんて、なんて野郎だ。
「待ってればお父さん、帰ってくるんじゃ...」僕はそう言いかけた。
「分かりました!案内しますよ、ベートーベンのお墓に!」
 まぁ、これで目標は全部達成するわけだが...
「着いてきてください!」
 さっきまで泣いていたのが嘘のよう、エリザベス姫は率先してエレベータの方へと向かっていった。白いワンピースね、一応ドラキュラなんだから黒を着ようよ...
「安心して、私のお父さんはちゃんとしたドラキュラの格好してるから!」
 読唇術か!?一瞬ドキッとした。でもその言葉は洋ちゃんに向けられたものらしい。エレベータ内、改めて見てもこいつはただの女の子だ。写真を撮って無料新聞のHeute(ホイテ)に送りつけたとしてもまったく記事にしてくれないだろうな。
「どこの入り口から入ってきたんですか?」
 元来た道を戻りながらエリザベス様がお聞きになる。
「え、あそこの2番口からだけど」
 洋ちゃんが指さしながらすっからかんと答える。ドラキュラと一緒だからだろうか、来た時より暗いのに全く怖くない。
「そうですか、どうしてお見逃しになったんでしょうね。ベートーベンのお墓は...ここです!」
 右の方を指さすエリザベス女王。前を見れば入ってきた門が、右にはベートーベンのお墓が。
「洋二郎ぉお前、来るとき左側歩いててなんで気づかないんだよ!」
 怒るつもりはさらさらなかったが、つい口に出してしまった。
「おいおい、あんなの見てたとしても暗くてなんだか分かるわけねぇだろ」
 ごもっともです、前言を撤回させてください。
「真ん中がモーツァルト、奥左がベートーベンで右がシューベルトよ!」
 ひょいひょいと指さす皇后陛下。彼女曰く、モーツァルトの墓はウィーン郊外のザンクト・アルクス墓地にあるそうで、ここにあるのはただの記念碑だそうだ。誰が置いたか知らないが、ウィーンで一番有名なチョコレートであるモーツァルト・クーゲルが記念碑の上にぽつんとのっていた。洋ちゃんはそれを手に取り、あろうことか銀紙を剥き始めた。お願いだから食べるなよ!一方、知美ちゃんはベートーベンの墓の前に行き、何やら祈り始める。置いてきぼりにされた僕は、その約3秒後、大声を上げることになる。
「ぎゃああああああああ!!!」
 何かの気配を感じ振り返った僕の前には、なんと、僕らが想像していたのと全く同じ姿をしたドラキュラさんが立っていたのだ。あの子の言っていたことは本当だったのか。僕の悲鳴にみんなが振り返る。
「探したぞ、シシィ!」
 見た目とは全く想像できない優しい声だった。いや、しかし安心できない。このおっさんは口から血を流していた。
「はい、チーズ!」
 まぶしいフラッシュが、僕とドラキュラのおっさんを襲う。洋ちゃんの仕業だ。抜け目のない奴だ、最初の目的をしっかり覚えていたのか。でもどうする、ドラキュラの怒りを買わなきゃいいが...
「さぁ、帰ろう!」
 こいつは僕らが見えてないのか?フラッシュにすら気づかなかったとか?
「じゃあね、みんな。楽しかった」
 僕が悲鳴をあげてから今まで約1分。実にあっけなく、ドラキュラ親子は教会に戻っていった。
「じゃ、俺たちも帰るか」先ほどカメラに使った携帯で、洋ちゃんは家に電話をかける。
「母さんが、みんなも家まで送ってくれるって」
 こうして、僕らは実に何事もなかったかのように“肝試し”を終えた。

 次の日、僕は眠い目をこすって食卓に着いた。昨晩のことが全く夢だったように思えてならない。しかしお父さんが見せつけてきた高級新聞紙derStandardによってそれは否定される。信じられない写真が表紙を飾っていた。昨日撮られた僕とドラキュラの写真である。洋ちゃんのやつ、行動が早すぎだろ...それにしても確かに実際あったことだが、普通信じるか?まさか高級新聞紙に載るとは...しかも情報源、11歳のお子様だぞ?ウィーンよ、もっと載せるべき記事はないのか?ため息がでるくらい、今日もウィーンは平和だった。
え?じゃああのドラキュラのおっさんが口から流してた血は何かって? まぁご想像にお任せするよ。


ランタンと一緒に

ランタンと一緒に

ウィーンの日本人学校に通う子どもたちが繰り広げるハラハラドキドキの肝試し。夏にはちょっと早いけれども、短編なのでどうぞお気軽にお読み下さい。感想お待ちしています。画像は中央墓地のサイト(http://www.cusoon.at/wiener-zentralfriedhof)から拝借致しました。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • コメディ
  • 児童向け
更新日
登録日
2013-04-14

CC BY-ND
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