夏の終わりの静かな風 1

「吉田くんじゃない?」
 ふいに背後から声をかけられた。

 驚いて振り向くと、そこにはひとりの女性が立っていた。

 年の頃は二十代半ばくらいだろうか。きれいな女の人だった。
 

知り合いだろうかと思って僕は記憶の糸を手繰り寄せてみたのだけれど、どうしても思い出せなかった。それで僕が戸惑っていると、
「覚えてない?」
 と、彼女は言った。
「ほら、高校のとき同じクラスだった。」
 と、彼女は笑顔で続けた。

 その彼女が出してくれたヒントのおかげで、ようやく僕は彼女のことを思い出すことができた。彼女の名前は狭山ゆかりで、高校のときのクラスメイトだ。

 咄嗟に思い出すことができなかったのは、彼女が昔と違ってきれいに化粧をしているせいと、もともと僕と彼女が高校の頃特に親しい間柄だったわけでもないということがある。

 顔を合わせれば話す程度の、そんな知り合い程度の仲だったのだ。それに考えてみれば、こうして彼女に会ったのも高校を卒業して以来だから、もう七年近くが経ってしまっているということになる。僕が瞬時に彼女の顔を認識できなかったのも無理のない話だった。

「そっか。狭山さんだ。」
 と、僕は思い出せなかったことを誤魔化すように曖昧に微笑んで言った。
「なにしてたの?」
 と、彼女は言った。
 僕は彼女の問いに、自分が手にしている漫画雑誌に目線を落とした。手にしていた本がたまたまエロ本等ではなくて良かったと安堵した。

「ちょっと立ち読み。今実家に帰ってきてるんだけど、家にいても何もすることがなくて。」
 僕はいいわけするように答えた。僕は今帰省していて宮崎にいる。僕が今居る場所は、ここ、地元の日南では一番大きな本屋さんだ。
「そっか。」
 と、彼女は納得したように軽く頷くと、それから、
「ねえ、久しぶりだし、今度ゆっくり話さない?」
 と、笑顔で言った。
「今わたしバイト中でちょっと時間ないんだけど、明日とか、どう?」
「そっか。狭山さんここでバイトしてるんだ。」
 僕は今更のように彼女が黒のエプロンを着ていることに気がついた。黒のエプロンはこの書店店員の制服だ。

「明日だね。べつにいいよ。特に用事もないし。」
 今のところ僕には特に予定と呼べるほどのものは何もなかった。
「良かった。じゃあ、明日の一時にそこのファミレスで待ち合わせでいい?」
 彼女は窓の外を指差して言った。

 窓の外にはジョイフルというファミリーレストランがある。
「うん、それでいいよ。」
 と、僕は手にしていた漫画雑誌をもとの棚に戻しながら言った。
「じゃあ、明日の一時に。そこのファミレスで。」
 彼女は微笑んで言った。
 了解、と僕は答えた。

 じゃあ、またねと言って、彼女は僕に背を向けて歩いていった。
 
 僕は去っていく彼女の後姿をなんとなく少しの間ぼんやりと眺めていた。

夏の終わりの静かな風 1

夏の終わりの静かな風 1

東京で東京でアルバイトをしながら小説家を目指している僕は久しぶりに故郷の宮崎に帰ってくる。そこで偶然再会した友人や家族と会話を重ねながら、僕は改めて生きる意味や、これから将来のことを考えていく。僕が東京に戻る頃、夏の終わりの静かな風が吹き始めていて・・。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-07-02

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