夜桜探題所活動録

以前書かせていただいた作品とは違った雰囲気です。

分かりやすくかけるように心がけますがもしかしたら難しくなってしまうかもしれませんので

ご注意ください。

序章 桜

古来より、日本人は「桜には人の魂が宿る」と伝えられてきた。

桜はそれ程様々な「表情」を出すからであろう。

凛としていて、美しくも儚い…そんな言葉が非常に良く似合うものだ。

ただし、それは昼の桜の姿だ。夜の姿はもう一つの姿を見せる。

月明かりに照らされる桜は確かに美しさも儚さもある。

それにもう一つ、「怪しさ」が加わる。「妖艶」と言った方が正しいか。

まぁ、その様な姿も含めて桜は今もなお人々に愛され続けているのだろう。

よく「色恋沙汰も、ちょっとした話題も関心が無い」と言う人間もいる。

それは仕方が無い。そういう性格に生まれてきてしまったのだから。

だが、その様な人間でも桜を人目見れば「関心が無い」なんて言えなくなる。

馬鹿みたいに「綺麗だね!」なんて騒がずとも「おぉ…。」と感嘆の声を一つ上げるものだ。

それほどまでにも桜には人々を引き付ける力を持っている。

まぁ、そんな俺もその様な人間の一人なんだが…。

そんな事はともかく、桜は人を表す。

この事を是非頭に入れてもらいたいと思う。

夜桜と春風

春独特の温かな風が縁側に座る俺の頬を撫でた。

今宵は月が綺麗に見える。更に、ここからは川と桜並木が見えている。

丁度散りだしてきて水面に花びらが落ち、かたまって流れていく「花いかだ」が見る事が出来る。

昼の桜も綺麗だが俺は夜桜の方が好みだ。理由は…正直分からない。

ただ、何かに惹かれるのだ。「好き」とはこのようなものだろう?

静かに目を閉じる。…背後から足音が聞こえてきた。

「夜道さん…。まだ起きていられたんですか?」

振り返った先に居たのは一緒にこの家に住んでいる鴨ノ河 桜(かものかわ さくら)だ。

夜桜探題所で働く俺の助手だ。ショートヘアーの黒髪が春の風になびいている。

「あら、花いかだですか。」

「あぁ。今日はいつにも増して綺麗だったからな。」

桜も縁側に来て俺の隣にちょこんと座った。そしておもむろに口を開く。

「花いかだ 誰ぞの思い 乗せていく 」

桜はよく短歌や俳句を口に出す。生憎俺はそちらの知識は無い為上手いかどうかは分からない。

意味もなんとなくしか掴めないままこの日は眠りにつくことにした。

夜桜探題所の朝

中国のとある人が「春眠暁を覚えず」なんて言葉を残しているが、春はその言葉がよく似合う。

「まだ眠っていたい」と体が布団から出ようとしない。

だが、トントンと軽快なリズムが微かに聞こえて俺はやっとの思いで布団から脱出した。

夜桜探題所は京都の町外れ、人気の無いところにある。

趣のある日本家屋の周りは木々で囲まれ、少しはなれたところには桜並木のある川も流れている。

平安の世でも連想させるように自然との調和が整ったところだ。

鳥のさえずり、木々の擦れる音、川の音…。心を落ち着けるには最適だと思う。

さて、この探題所の朝は至って平凡だ。

自室を抜けて台所まで行くと桜が白を基調とした桜模様の着物の袖をたくし上げ、朝食の準備をしている。

普段は俺がやる事が多いのだが今日は寝すぎてしまった…。

「あ、おはようございます夜道さん。もう少しで準備できますからね。」

「おはよう。悪いな。」

「いえいえ。」

軽く言葉を交わし、台所に一番近い部屋に入る。ここで食事を取るからだ。

さて、出来るだけの準備をするとしよう。

夜桜探題所の朝 2

壁に掛け軸、そして一輪挿しが置かれ部屋の中央には背の低いテーブルが置かれただけの部屋。

この部屋は普段依頼人が来たときに通している部屋でもある。

テーブルは4人並んで座れる程度の大きさにしている。

そのテーブルに2人分の箸、湯のみ、茶碗を出す。すでに桜が湯を沸かしていたのでそれを使って茶を入れる。

更に、二人がいつも食べる量のご飯を茶碗によそい、一通りの準備が出来た。

タイミングを見計らったかのように桜が朝食を持ってきた。

着物の白と帯の薄い黄色と緑が春の陽気に溶け込んでいて眩しく思えた。

一方で俺は黒がかった灰色の着物に渋い緑色の帯、そして黒の羽織というなんとも暗い装いだ。

今日の朝食は玉子焼き、紅鮭の塩焼き、納豆、豆腐とアゲの味噌汁に白米。

桜はまだ17歳だが料理の腕は大人顔負けのものだ。特に味噌汁は絶品だ。

背丈もそこまで高いというほどでもないが…確か156位と言っていたな、雰囲気は大人そのものだ。

ちなみに俺は175前後だ。まぁ平均よりも少し高いぐらいだとは思う。

さて、朝食が目の前に並び終えられた。

手を合わせ二人で「いただきます」と言い食事を取った。

夜桜探題所の朝 3

静かに食事をしているとひらひらと桜の花びらが開け放っていた障子から舞い込んで来た。

「あら…。今日は一段と綺麗に見えますね。」

と外の景色を見て桜はいった。確かに、少し散りだしたようで趣がある。

先ほど舞い込んできた花びらを桜はそっと拾い上げ、口を動かした。

「麗かな 春の風に いざなわれ 何を思いて 来たりけるかな」

「どんな意味だ?」

桜は苦笑して言った。

「そのままですよ。どんな思いでここに来たのだろうか、そんな思いです。

…あぁ、少しひねりも加えてみました。」

「ほう?」

「噂を聞いた誰かがどのような思いをもってここに来られるのだろうか、です。」

なるほど、「麗かな春の風」が噂で「来たりけるかな」は「客人」の事を指しているのか。

「実際に来たら良いがな。」

「今日は来られますよ。そんな気がします。」

桜はニコニコしながらそう言う。

俺は訳も分からないまま味噌汁をすすった。

舞い込んで来た花びら

朝食の後は自室で読みかけの小説を読んでいた。ちなみにミステリーだ。

桜は客室の掃除をしていた。細かいところまで丁寧にやる姿は毎度感心させられる。

すると、玄関で鈴の音が聞こえてきた。これは来客用にと置いてある呼び鈴代わりの鈴だ。

桜が急ぎ足で玄関に向かったらしく扉が開く音が聞こえ、会話も聞こえてきた。

俺も客人に会うために少し身だしなみを整える。そして、朝食をとった部屋に入った。

座っていたのは恋人同士だろうか…一組の男女だった。とりあえず俺は対面する形で席に着いた。

「初めまして、夜桜探題所の所長若草 夜道(わかくさ よるみち)と申します。」

「あ、初めまして。私は天崎 沙織(あまさき さおり)と言います。こちらは私の恋人の河野 俊(こうの しゅん)です。」

天崎は長い髪を後ろで一つに束ねていて春らしいピンクのカーディガンに白いワンピースを身にまとっていた。

河野は紺のパーカーに黄緑のシャツ、そしてジーンズというとてもラフな格好だ。

「それでは天崎さん。本日はどのようなご用件で?」

俺がそういうと天崎は顔を下げてしまった。

そして、ポツリと言葉を出した。

「最近、私の友人の雰囲気が変わったように感じて。」

異様な友人

依頼人の天崎はゆっくりと話し始めた。

「私が彼と付き合った頃から友人の美奈の様子がおかしくなったんです。

いつも優しい人だったのに、その日から目が血走ってきて…。最近では後をつけられているんです。」

…交際後に態度が急変か。話しの内容を聞く限りかなり危険な状態になっている。

「では、ご友人と貴方方2人の関係をお聞きしてもよろしいでしょうか。」

「はい。私と俊、そして美奈は高校からの親友でした。大学も同じ所に3人で入り、仲良くしていたんです。」

3人は昔からの親友同士、そして天崎と河野の交際による友人の異変…。

俺はここまでの話を聞き、ある確信を持った。

「恐らく、ご友人は「邪鬼」に憑かれてしまったんでしょう。」

「じゃき…?」

俺の言葉に天崎は首を傾けた。まぁ、当然の反応だろう。

「えぇ、「邪鬼」です。今からご説明しましょう。」

その時、ふすまが静かに開いて桜がお茶を出してくれた。

一口そのお茶を含み、俺は2人に説明を始める。

邪鬼とは

「邪鬼とは、簡単に言ってしまえば「人間の持つ欲望」です。しかし、これだけでは邪鬼になりません。

その欲望が「負の要素」を含む事によって生まれます。」

「負の要素?」

「はい。簡単に例えるなら…キリスト教で言われている「七つの大罪」です。これらをベースとし、「負の欲求」が

強く、大きく成長する事により「邪鬼」が具現化されてしまいます。こうなってしまっては本人も周りにも

被害が及んでしまいます。…ひどい時には殺人を起こしてしまう人もいらっしゃいました。」

そこまで話すと2人は顔を青ざめた。「自分達も被害にあうのか?」といったところだろう。

ひとまずもう一度お茶を飲んで話をする。

「お話を伺っているとご友人は「嫉妬」が原因で邪鬼に憑かれてしまったのでしょう。」

「嫉妬…ですか…。」

困惑した表情。ここまで意味も分からない話を聞かされたうえ、「友人が嫉妬をしている」と聞かされたのだ。

無理も無い。

俺は一度話すべきか悩んだ。

これは、「嫉妬」の邪鬼はどの邪鬼よりも強く禍々しいのだ。

…最悪の場合を話すべきか悩み、話をする事にした。

邪鬼とは 2

「恐らく河野さんに恋心を抱いていたのでしょう。しかし、あなたと河野さんが交際を始めた。

心優しかったご友人はショックを受けたんだと思います。そして…そこから「嫉妬」が生まれてしまった。」

天崎は言葉も出ないほど驚いているようだ。そして、瞬時に気づいてしまった。

「私、美奈に狙われているんですか…?彼女に、殺されてしまうんですか…!?」

悲痛な叫び声が部屋に響いた。彼女の目には涙が溢れそうになっている。

「…狙われているのは確実です。殺される確率は…無いとは言えません。」

「そんな…!!」

「そうならないように、対策を採りましょう。」

そう言うと今にも泣き崩れてしまいそうになっていた天崎が動きを止めた。

「たい、さく…?」

不安に満ち溢れた言葉だった。

「はい。よく聞いてくださいね?」

前振りをおいて俺は話し出した。

護衛の式神

「ご友人の邪鬼を除霊します。その為には、貴方と行動を共にする必要がある。ですが、それは相手に警戒されてしまうでしょう。」

「じゃ、じゃあどうすれば?」

俺は懐から一枚の桜色をした人型に切り抜いた紙を彼女の前に置いた。

「これは?」

「式神です。これには特殊な呪文をかけていますので、念じていただければ私を呼び出すことが出来ます。

念のためにもう一枚お渡ししますね。」

2枚の式神を天崎はカバンにしまい、再び正面を向いた。

「…よろしく、お願いします。」

深々と頭を下げ、帰り支度をしだした。

その後、桜が二人を見送っていた。

俺は自室に戻り、外の景色を見ながらポツリと呟く。

「嫉妬…ね。かなり手ごわくなりそうだ。」

嫉妬渦巻く桜花

客人を送り出し、暫くすると夕食が出てきた。外を見るともう暗くなっている。

「今回は…嫉妬ですか。」

桜は悲しげで、尚且つ厳しい表情で尋ねてきた。

「あぁ…。どうした?」

桜が何故そんな事を尋ねたのか、俺は分かっていた。だが、あえて尋ねてみた。

「…思い出深いですからね。」

彼女は静かにそう言った。

「…安心しろ。ちゃんと桜の分も式神を渡しておいた。」

桜はその言葉に少し安心したように微笑んだ。

「ほら、飯が冷めるぞ。」

そう言い、少し冷めだしてきた夕食をとることにした。

…何故桜が「思い出深い」と言ったのか、俺は夕食をとりながら改めて考えてみた。

もう3年も前の事になるな…。

桜とはたまたま町に買出しをしに行った時に出会った。

嫉妬渦巻く桜花 2

3年前の春。俺は食料や本の買出しに来ていた。

基本的には町のほうには出てこないので一気に1か月分の買出しをする。

ある程度の食糧を買い、人通りの少ない通りの本屋に寄ったときだった。

やけに暗いオーラの人影が目に入った。

黒いセーラー服に黒い短髪の女学生。だが、その雰囲気からは生気が感じられない。

そして、彼女はじっと一点を見つめていた。目線の先は同じ制服を着た数人の女学生だ。

その目は恨めしそうだった。次の瞬間、彼女はゆらゆらと歩き出した。人気の無い方にゆっくりと…。

その姿に俺は何かを感じ取った。…いや、はっきりと見えてしまったのだ。

「邪鬼」が。それも、人の姿に耳と尻尾がついていた。紅色の袴姿、ゆらゆらと揺れる尻尾や耳は狐だ。

静かに彼女の後をつけた。ここまで具現化されると彼女が危ない。


5分ほど歩き、辿り着いたのは人の居ない公園。

錆びた鉄棒と砂場しかない公園に殺気が溢れる。

「だ、れ…?」

黒々としたオーラに思わず冷汗が流れた。

嫉妬渦巻く桜花 3

「引き剥がせて貰うぞ。…嫉妬だな。」

懐から桜色の式神をだす。煙と共に現れたのは俺の相棒「カマイタチ」。

こいつは「強欲」の邪鬼の姿の代表だ。相棒は敵の邪鬼目掛けて攻撃を仕掛ける。

目は包帯で巻かれて見えず、真ん中で分けられた長い前髪、後ろで一つに束ねられた黒髪。着流した紅の着物。

耳や尻尾は薄いピンク色で、敵ながら見とれてしまう美しさだ。

しかし、かなり手ごわい相手だ。手からは鎖を出し、何度も動きを止められそうになる。

「…ッチ!!!」

カマイタチは尾の鎌でその鎖を断ち切っていく。相手との距離は次第に縮んでいく。

「こない、で!!」

うろたえた。そして、相手の力が一気に弱まった。

その隙を見逃さなかった。俺は間合いを詰める。相手は短い悲鳴を上げた。

「封印させてもらう。」

そう短く告げ、彼女に桜色の式神を貼り付け、邪鬼を封印させた。

彼女は膝から崩れ落ち、意識を失ってしまった。

「…だいぶ時間かかったな。」

嫉妬渦巻く桜花 4

邪鬼を引き剥がした後、彼女は膝から崩れ落ちてしまいそのまま気を失った。

放っておく訳にもいかないので人気の無い道を進み、俺が住んでいる家に運んで寝かした。

先ほどの除霊でその時は気づかなかったがかなり多くの箇所に怪我をしていたようで、体の節々が痛む。

腕を見ると邪鬼が出した桜色の鎖によってついた切り傷、頬にもそれがあり鏡を見るとうっすらと血が滲んでいる。

自室においてある救急箱を彼女の寝ている客間まで持って行き、その場で簡単な治療をした。

彼女に目をやるとそれほど怪我をしているわけではなく、少しかすり傷がついている程度だった。

短く息をつき、救急箱を閉じると彼女がゆっくりと目を開けた。

「…ここ、は…?」

掠れた声。邪鬼に憑かれていた時、かなり叫んでいたのだ。

「夜桜探題所という所だ。具合はどうだ?」

焦点のはっきりしない目で彼女は俺を見た。

「覚えているか?何があったのか。」

そう俺が問うと、彼女はゆっくりと頷いた。

「…話、聞かせてもらっても良いか?」

「分かりました。」

先ほどとは違う、落ち着いた声で話し出した。

嫉妬渦巻く桜花 5

細く弱々しい声で、何故あのような状態になってしまったのか教えてくれた。

「私は、つい先月に両親を亡くしました。原因はたまたま2人が訪れていたデパートでの火災です。

私はその時学校の用事があってそこには行きませんでした。

…両親を亡くしてからは親戚の家に引き取られ、いつもと同じ日常を過ごす事が出来ました。

ですが、友人などの家族を見ていると…胸の中で黒い何かが渦巻いていったんです。」

彼女はそこで言葉を切った。

よほど両親のことを好いていたのだろう。それがあだとなり、邪鬼に憑かれてしまったのだが…。

「そうか。」

「あなたは、何故私に憑いたモノに気がついたんです?」

逆に彼女の方から質問された。先程よりも声にハリが出てきた。

「昔から変なものが見えてしまう体質でな。すれ違った時にそれが見えたんだ。」

そう言うと彼女は満足したようで、にっこりと綻ばせた。

春の陽だまりのような笑顔とはこの事を言うのだと実感した。

「ありがとうございました。」

彼女はそのまま体を起こし、帰りますと言った。

嫉妬渦巻く桜花 6

「分かった。…さっき居た本屋まで送ろう。道が分からないだろうしな。」

「あ、大丈夫ですよ?このあたりの地理は覚えているんで。」

京都のこんな人気の無い土地の地理を把握しているとは…なかなか珍しい。

「そうか。じゃあ気をつけて帰れよ?」

「はい。あ、お名前伺っていませんでしたね?」

彼女は微笑を浮かべながらそう言った。

「そうだったな。俺は若草 夜道だ。」

「夜道さん…。素敵な名前ですね。私は鴨ノ河 桜です。」

なんとも雰囲気に合った名前だ。

互いの名前を告げると、彼女…桜は深々と礼をして玄関を後にした。


その後、暫くの間は桜は姿を見せなかった。

学校の事もあったからであろう。それに、当時彼女は中学生だった。

それを知ったのはその日から丁度1年後の事だ。

嫉妬渦巻く桜花 7

チリンチリン、と玄関の鈴が鳴る。

玄関まで出てみると、そこには一人の見覚えのある少女が居た。

「お久しぶりです、夜道さん。」

桜だ。なんでも、中学を卒業したので挨拶に来たらしい。

いつも使っている客間に通し、二人分の茶を入れてから話をした。

「で、なんでわざわざ挨拶を?」

「あぁ、ちゃんとしたお礼がまだだったと思いましてね。区切りも良いですし。」

あの時の言葉で礼は済んだと思っていたが…。なかなか律儀な性格のようだ。

「私、親戚にあの時のことを話しました。叔母さんが「何かしないといけない」と言ったのもありますし。」

「確かに、普通なら報酬は頂いているが…。桜はまだ学生だ。別に何も求めやしないさ。」

その言葉に桜は首を横に振った。

「私の気が治まらないんです。」

暫くの沈黙。

俺は耐え切れず、ため息を漏らした。

嫉妬渦巻く桜花 8

「私は、親戚に預けられている身分ですしお金を払うことは出来ません。」

それはそうだ。そのような身分でなくても、普通学生なら自ら報酬金を払うことなど無い。

「ですから、恩返しという意味合いも込めてここで働きたいと思っているんです。それが、「報酬」です。」

その言葉に目を丸くした。

「働くって…。その辺にある仕事とは違うんだ。勤務時間は不特定、それにお前は学校もある。

難しいと思うぞ?」

俺の言葉に桜は苦笑を浮かべた。

「ですから、進学はしませんでした。住み込みで働く為に。」

1年も前の恩返しをする為に、この娘は自分の将来を投げ捨てたというのか…?

その目は真剣そのものだ。…ここまでされたら断る事は出来ない。

「親戚には了承を貰っています。ですから…。」

「分かった。じゃあ荷物まとめたら言ってくれ。部屋を開けておくから。」

「は、はい!」

桜は嬉しそうな表情になった。その日から桜と俺で探題所をきりもりしてきた。


そうして、今に至るのである。

満月に照らされし妖狐

さて、話を今に戻そう。

今は夕食を終えて後片付けをしている。

いつ呼び出されても良いようにお札やその他の準備をあらかじめしておく。

「満月が綺麗ですね…。」

桜がふいにそう言った。

縁側から覗いてみると、空には見事な満月が浮かんでいる。

「…何か、起こりそうですね。」

不安げな声でそう聞いてきた。何も起こらなければ良いが…。

その瞬間、俺の視界は暗闇に飲み込まれた。

「式神」として召喚されたのだ。毎回これには慣れない。なんせ、何処につながっているか分からないからな。

目を開けると、目の前には黒いオーラをまとった長髪の女が居た。

「よ、夜道さん!!桜さんも…!!」

後ろに居たのは天崎だ。

「では、除霊を始めさせていただきます。」

満月に照らされし妖狐 2

改めて自分が何処に飛ばされてきたのか、目だけでざっと確認する。

木造の建物に灰色の鳥居…そして、石段があることからここが神社である事が分かった。

何故こんな時間に天崎がこんな場所に来ていたかは分からないが…。目の前の敵に集中する事にした。

白いカーディガンに黒のシャツ、細身にジーンズというラフな格好。

背中を丸め、顔だけ少し上げている。髪が長いのでその表情ははっきりと分からない。

だが、髪の毛の隙間から見える目は血走っていた。ぼそぼそと何かを言っている。

「シュンクン、ワタシノ、オマエ、ユルサナイ…。」

ずっとこの言葉の繰り返し。この状態はだいぶ強い負の感情のこもった邪鬼に取り憑かれた時になるものだ。

桜の時は自分で制御できる程度のものだたが、ここまで来ると自分の意思などどこかに消えてしまう。

唯一残るのは自分が最初に浮かんだ意思のみだ。「嫉妬」の感情が芽生えた発端と言った方が分かりやすいだろう。

暫くのにらみ合い。その後敵がゆらゆらと歩き始めた。

「桜、邪鬼を引き剥がしてくれ。」

「はい!」

このまま攻撃に仕掛けても良いのだが、人間に危害を加えるわけにはいかない。

そこで、桜にいつもこの役目を頼んでいるのだ。

邪鬼を引き剥がせるのは、桜の方が得意だからな…。

満月に照らされし妖狐 3

桜は懐から桜色の式神を取り出す。少し年を唱えると、煙と共に桜の花びらが散った。

そして姿を現したのは…嘗て桜に取り付いていた邪鬼だ。

凛とした姿は当時から変わらず、今でも惚れ惚れしてしまう。

「邪鬼を引き剥がして!」

桜が指示を出すとコクン、と一回頷き両手を敵に向けた。

その瞬間、敵に向けて桜色の鎖が両手から飛び出してきた。

グングン鎖は伸び、あっと言う間に敵を縛りつけた。

そのまま腕を上に上げると、人間ではなく邪鬼のみが鎖と共に天に掲げられた。

これが桜の邪鬼の特徴だ。邪鬼のみを捕らえる事の出来る鎖は、こいつしか今まで見た事が無い。

一方人間の方は糸が切れてしまった人形のように力無く倒れてしまった。

「美奈!しっかりして!!」

天崎が叫んだ。桜は上空の邪鬼を警戒しながら美奈と呼ばれた女性をその場から運び出した。

これで除霊を開始する事が出来る。

「さて、仕事するぞ。」

一枚の式神を取り出しながら俺はそう言った。

満月に照らされし妖狐 4

剥がされた邪鬼の姿は「妖狐」だ。尾は9本に分かれ、体は全体的に黒い煙のようなものをまとっていて

墨で描かれた狐が墨を滴らせながら現実世界に入り込んでしまった…この例えが一番しっくりくる。

目は赤くつり上がり、グルルルッと唸りを上げるたびに白い牙が月光の光を浴びて妖しげに光っている。

桜の邪鬼…「朧桜(おぼろざくら)」の鎖はかなり頑丈なので暫くは取れない。だが、早めに行動に移ることにした。

懐から取り出した式神を念を入れ召喚させる。

現れたのは昔からの相棒「カマイタチ」だ。早速カマイタチは風を起こし、俺を妖狐の所までの道を作った。

一気にそこを上っていき、もう一つのお札を取ろうとする。これは封印用のお札だ。

だが、その行為は阻まれてしまった。

妖狐が朧桜の鎖をちぎってしまったのだ。

その瞬間妖狐は叫び声をあげ、その衝撃で地面に叩き落されそうになった。

だが、カマイタチの作った風のクッションのおかげで直撃だけは免れた。

「クッ…!!なんだあいつは。」

思わず顔をしかめてしまう。

だが、先程まで居た場所に妖狐が居ない事に気づいた。

そう、妖狐は桜が運び守っていた美奈の元に急接近していた。

「桜…!!!」

頭から血の気が失せ、俺は桜の名を叫んだ。

満月に照らされし妖狐 5

妖狐の体が砂埃と共に消え、こちらからは桜達の姿は確認できない。

「桜…!!」

徐々に砂埃が消えていき、ようやく影が見えてきた。

そこに居たのは妖狐、そして倒れこんだ美奈を庇う様にしゃがみこんだ桜、その前には朧桜が

鎖で作り上げたガードで妖狐の攻撃を凌いでいた。

「朧桜…、ありがとう。」

桜が安心したように言った。その言葉に朧桜は小さく頷き、妖狐を突き放した。

その姿を確認し、俺は再び攻撃を仕掛ける事にした。

「カマイタチ、仕掛けるぞ!」

その言葉に反応し、カマイタチは俺と反対側から走りこみ挟み撃ちにする。

妖狐は9本の尾をそれぞれ自在に操り、幾度と無く攻撃してくる。

「…隙が無いな。」

その攻撃を避ける事が精一杯であった。何度か攻撃が頬や腕を掠める。

「カマイタチ、空に持っていけ!!」

俺はカマイタチに指示を出し、お札を用意した。

月に照らされし妖狐 6

カマイタチは風を自在に操る。妖狐を空中に舞い上げる事など苦にならない。

妖狐は足をばたつかせたり体をねじったりして抵抗しているがどんどん空中に浮かんでいく。

カマイタチは瞬時に俺の足場となる風を次々に出していき、その通りに空へと上っていく。

いきなり空に舞い上げられてしまい、上手く体勢を整えられないでいる妖狐が俺をにらんだ。

「大人しく封印されてくれ。」

俺は冷静にそう言った。正直もう体力が限界に近づいてきたのだ。早く終わらせたい…。

妖狐の目の前で止まり、お札をかざし術式を唱えようとした。

だが、その言葉は途切れてしまった。

妖狐が最後の意地とでも言うように、1本の尾を俺に突き刺したのだ。

ゴホッと咳き込むと一緒に血液が吐き出された。

そのまま背中から血を滴らせながら重力に従って落ちていった。

そこは神社の周りを囲んでいた森の上だったようで、視界の端に木が写る。

「夜道さん!!!!!」

遠くで桜の叫び声が聞こえたような気がした。

闇桜の湖

目を開けると辺りは暗闇に包まれていた。

そこにひらりと1枚の桜の花びらが目の前を横切った。

その花びらは淡いピンクの光を発しており、軌跡を残すように光がきらきらと輝いた。

「ここは…。」

貫かれたはずの腹を見ても傷一つついてない。

一体ここは何処なんだ…。すると俺の疑問の声にこたえるように誰かの声がした。

「ここは『闇桜の湖』。夜道、お前の中にあるもう一つの世界だ。」

俺の中にあるもう一つの世界…?何を訳の分からない事を…。

「おや、もう私のことを忘れてしまったのか?悲しいな、まったく。」

その声が聞こえたかと思うと、近くで何かが水に入る音がした。

自分の足を動かしてみると、水を切る音がする。どうやらここは一面に水が張っているらしい。

ジャブジャブ、と何かが近づいてきた。

「久しぶりだね、夜道。覚えているか?」

そこに現れたのは真っ黒な生地に桜を散らした着物を着た、気の強そうな女性だった。

闇桜の湖 2

長くサラサラとしたストレートの黒髪、綺麗に整った顔立ち、雪の様に白い肌…。

「お前がこっちに来るのは…まだ早いと思うんだがなぁ…。」

その一言で脳内の記憶が一気に繋がっていった。

「沙良、さん…?」

俺の言葉に彼女はゆっくりと頷いた。

だが、俺の目の前に居るはずが無い。

いや…居てはいけないはずの人間だ。

なぜ、俺は…彼女と会話をしているんだ…?

その心情を読み取ったかのように沙良(さら)さんが話した。

「言ったよな、ここはお前の中にあるもう一つの世界だって。」

俺は頷く。

「あの時、私が前の中にこの空間を作ったんだ。」

「は…?」

「意味が分からないとは思う。…そうだな、昔話をしようか。」

沙良さんは少し目を伏せて語りだした。

闇桜の湖 3

「今からもう何年も前だったな…お前と出会ったのは。まだ5歳だったお前が邪鬼に憑かれていたのを見たとき

正直驚いたよ。こんなにも幼い子供までもが邪鬼に憑かれてしまうなんて思ってなかったからね。」

「…そうでしたね。」

沙良さんは腕を組みながら更に続ける。

「しかもとてつもなく強大な邪鬼だった。今でこそそんなに小さな紙切れの中に納まっているが、あの時は

手のつけようが無かったな。…それなりに戦いも激しくなった。」

当時、俺の邪鬼「カマイタチ」は先程まで戦っていた妖狐と同じか、それ以上に強大な力を持っていた。

幼かった頃の俺にはその力に耐える事が出来ず、カマイタチに心が支配されていた。

理由はもう忘れてしまった。というか、理性すら飛んでいたと言ってもおかしくない状態だった。

そんな中、沙良さんは俺の体からカマイタチを剥ぎ取り、必死に押さえ込もうとしたのだ。

だが、その力は大きすぎた。

カマイタチを押さえ込む事には成功した。沙良さんの命と引き換えに…。

沙良さんが最後に言い残した言葉は「強く生きてくれ。」だった。

先程、何故「ここに居てはいけない人間だ」と言ったか…もう分かったと思う。

沙良さんは…もう生きていないのだ。

闇桜の湖 4

生きていないはずの人間が今、自分の目の前に居て会話が出来ている…。

つまり、俺は死んでしまったのか…?

「お前はまだ死んでないよ。」

全く…何処まで心を読めば気が済むのだろうか。

「ここはお前の中にあるって言ってるだろ?嫌でも分かるさ。」

「…なるほど。」

ひとまずは理解した事にしよう。

「今は生死の瀬戸際にいる。まぁ、アチラの世界に戻るよ。」

「何を根拠に…。」

「お前の体、大分透けてきてるだろ?元の世界に戻りかけているんだよ。」

足元を見ると確かに自分の体が消えかかっている。

「いいか?私が使っていた式神をお前に託す。それであいつを押さえ込め。」

「沙良さん…。」

沙良さんが最後に笑顔になって言った。

「これからも、頑張れよ。」

闇桜の湖 5

みるみる自分の体が透け、風が強く吹き桜の花が舞いだした。

彼女はゆっくりと俺から離れていく。

「沙良さん…!」

俺は手を伸ばした。まだ、礼もいえてないじゃないか…!

「ありがとう、ございました…!!」

伸ばした手は届かなかったが、その言葉は届いたようだ。

彼女は寂しげに微笑み、小さく手を振った。

その瞬間、風の勢いはさらに増して桜の花びらが彼女の姿を隠してしまった。

どんどん増える桜の花びらに埋もれていき、俺の視界は暗黒と化した。

妖狐喰らう鬼

目をゆっくりと開けると心配そうな顔をした桜がじっとこちらを眺め、天崎も同じようにして俺を見ていた。

「桜…。すまないな。」

「夜道さん…!いいんです、夜道さんが無事だったならそれで…。」

桜は今にも泣きそうになりながらそう言った。

ぐっと体に力を入れると腹部に痛みが走る。そっと見てみると、桜が巻いてくれたであろう包帯が

真っ赤に染まり、茶色く変色し始めている。

「まだ、無理はなさらない方が…。」

桜は俺の動きを制止した。

俺は桜の頭に手を置き、出来る限り優しく言った。

「早くあいつを倒さないと状況は同じだ。大丈夫さ、今度こそしとめる。」

桜はまだ不安そうにしていたが渋々俺の意見を承諾してくれた。

木々に囲まれ、丁度敵からは見えていないらしく妖狐はうろうろと歩き回っている。

その姿を確認し、俺はゆっくりと歩き出した。

いつの間にか手に握られていた式神を握り締めながら…。

妖狐食らう鬼 2

ザッザッ、とわざと足音を出しながら妖狐に近づく。

相手はこちらの方を見るとすました顔でこちらを見ている。

俺は式神を胸の前に掲げ、そのまま念をこめた。妖狐は何かを察知したのか警戒態勢に入る。

地面に向かって落とすと土煙が上がった。

もくもくと立ち込める土煙の中から出てきたのは…「鬼」だ。

ただ、昔話で出てくるような鬼の姿ではない。人の姿に鬼の特徴が所々入っているのだ。

後ろで細く一つにまとめられた黒髪、首や腕に巻かれたボロボロの包帯、何もかも飲み込んでしまいそうな

漆黒の着物、爪は鋭く頭には角が2本。チラッと振り返った鬼の顔は整っておりどこかにいそうな青年の顔立ちだ。

妖狐はその鬼に対してかなり警戒しているらしく、グルルルと唸り声を上げている。

鬼はそんな妖狐の様子を見て、一回指を鳴らした。

パチン、と乾いた音が響いたと思えば、鬼の手には日本刀が握られていた。

「さて、巻き返しとするか。」

静かに呟くと、鬼は妖狐目掛けて一気に駆け出した。

妖狐食らう鬼 3

間合いを一気に詰めた鬼はその勢いを保ったまま妖狐に斬りかかる。

が、間一髪妖狐はそれを回避する。その表情はどこか焦っているようにも見える。

鬼はすぐに体勢を立て直し次の攻撃に移る。先ほどの攻撃の時に妖狐は上空に行ってしまった。

すると、ぐっと足に力を入れそのままジャンプをした。妖狐と同じ高さまでだ。

妖狐はあからさまに動揺している。次々と斬りかかって来る鬼の攻撃を避けるのに必死のようだ。

そこに淡いピンク色の鎖が伸びていくのが見えた。

朧桜が伸ばした鎖だろう。それは妖狐の動きを防いだ。

「ギャアアアア!!」

とこの世のものとは思えない叫び声を妖狐が上げた。自身の危険を察知したのだろう。

鬼はそんな妖狐を気にせず蹴り落とした。

ズドン、という音と共に地響きと土ぼこりが起こった。

落ちたその場所はひどく窪み、その中央には妖狐がガタガタと震えながら何度も立ち上がろうとしていた。

「悪いな、もうそろそろお別れだ。」

冷たい視線を弱りきっている妖狐に注ぐ。そして、封印用のお札を目の前にかざす。

「お前は、もうこの世に出る事は無いだろう。」

そう言い、呪文を唱えると先ほどの奇声を上げながら妖狐はみるみるお札に吸い込まれた。

訪れし静寂

風が静かに吹き、あたりの木々が互いに葉を擦り合わせカサカサという乾いた音を鳴らしている。

先ほどまでの戦闘が嘘だったような…そんな錯覚をもたらすほど辺りは静寂に包まれた。

しかし、目の前に広がる大穴と自身の腹部から走る激痛と滲み出してきた赤い液体がその戦闘の大きさを

静かに物語っている。

美奈という妖狐に憑かれていた女は以前目を覚ましていない。

心配そうに天崎は美奈を抱えて桜と共にこちらによって来た。

「夜道さん…お疲れ様です。」

心配そうに、そして安心したように桜が言った。

「あぁ…。後は被害者が目を覚ませば任務完了だな。」

チラッと天崎を見る。天崎は無言で深く頭を下げた。

その表情にはまだ不安が残っているようで、微笑すらしていない。

「ひとまず探題所で休ませよう。手当ても十分出来ると思う。」

そう言って俺は移動の呪文を書いたお札を境内に貼り付けた。

その瞬間、大きく真っ暗な穴が出現した。

天崎は怯えながらも先に進んでいった俺と桜に続くようにして足を踏み入れた。

訪れし静寂 2

真っ暗な空間をどれぐらいの時間歩いただろうか…。

真っ暗、とはいっても等間隔に提灯がぽつぽつと浮かび、進むべき道をほのかな明かりで示してくれている。

俺と桜は何度も通ってきたから何とも思わないが、ふと後ろを見ると天崎がとても怖い表情で歩いていた。

「…やっぱり初めての奴に通らせると怖がってしまうか。」

小さな声で俺は呟く。天崎は己の恐怖心との戦いで精一杯らしく、何も聞き返しはしなかった。


「あ、あの…。本当に探題所に戻れるんですか?」

暫く歩いていると後ろから泣きそうな声が聞こえた。

訳も分からないままこんな怪しい道を通らされているし、目的地に着かないことに対して不安を覚えるのも当然だろう。

「安心してください。ちゃんと着きますから。 …ほら、遠くの方に光が見えてきましたよ?」

なるべく優しい声で、天崎の不安を取り除くように言っていると、小さな光が見えた。

「あ…。」

それを見て安心したのか、天崎は口元をほころばせた。

訪れし静寂 3

光がだんだんと近くなり、ようやく外に出る事が出来た。
目の前に広がる川と桜の風景に心が癒される。

「では客間に行きましょうか。桜、案内頼んだ。」
「はい。では、こちらへ…。」

桜と天崎を先に客間に向かわせ、俺は余分に置いてある自室の布団を取り出しに行った。
さすがに気を失っている人を畳のままで寝かせるわけにはいかない。
しかも、依頼人の目の前なのだからなおさらだ。
正直、先ほどの戦闘で受けてしまった傷のせいで体力はほとんど消耗してしまった。
少し動いただけでも痛むし、布団を持っていくのもかなり苦戦を強いられている。
かといって、桜に任せるわけにもいかない…。
理由は…俺の中にあるプライドが許さないから、で分かっていただきたい。

ようやく辿り着いた客間では、桜がテーブルを端に寄せて布団を敷くことが出来るスペースを確保していた。
天崎は縁側近くで気を失ってしまった友人を抱えたまま立ち尽くしている。

「お待たせしました。すぐに用意いたしますので…。」

ニコッと笑顔を作って布団を敷こうとした。…が、桜に腕の動きを止められた。

「夜道さん、もう貴方もお休みになってください。そうでなくても安静にしてください。」

心配そうに微笑む桜だが、腕を握っているその力はとてつもなく強い。

「わ、分かった。じゃあ頼むよ。」

そう言うと桜は笑って腕を放した。…いつからあんなに怖い一面を出すようになったのか。
そう思いながら俺は天崎の隣に行き、布団の用意が終わるのを待った。

訪れし静寂 4

広い和室の中央にしかれた布団の中でスヤスヤと一定のリズムで呼吸をしている女を囲むようにして俺達は腰を下ろしていた。
目が覚めるまでの間はここを下手に動く事も出来ないし、何より俺の傷口の事もあって桜がこの部屋から出させてくれないのだ。…心配してくれる事はありがたいが。
寝込んだ友人の枕元では心配そうな目線を送る天崎がいる。
事の発端が自分だと分かり、責任を感じてしまっているのだろうか…。
無論、天崎に責任があるわけではない。誰がどんな相手と付き合おうがそれは個人の自由なのだから。
今回はたまたま…そう、不運にも友人が「妬み・嫉妬」という負の感情を増幅させてしまったから起こった。
責任は誰にあるわけでもない。色恋沙汰に全く興味は無いが、個人的にはそう考えている。

「今回は…ありがとうございました。」

静寂に包まれた部屋に天崎のか細い声が響いた。
天崎のほうに目をやると、少し目を潤ませていて今にも泣き出しそうだ。
慌てて桜が受け答えをする。

「あ、あの、泣かないでください…!ご友人はこの通り無事なんですし…。」

「でも…!!夜道さんにも、桜さんにもこんなに迷惑を掛けてしまって…。私が彼女の気持ちを察していたら…!」

悲痛な叫びを上げる天崎に桜は言葉に詰まってしまっていた。

「貴方が悪いわけではありません…。いや、そもそも誰も悪くなど無いんです。」

俺は先程考えていた事を天崎に伝えた。
その表情は相変わらず悲しげで、ポロポロと大粒の涙が頬を滑り落ちていっている。
ついには両手で顔を覆ってしまった。よほど責任を感じているらしい。
恐らく、それが天崎の長所でもあり短所なのだろう。
そう思っているときだった。

「あれ…。こ、こは…?」

眠りから覚めた女が掠れ声でそう呟いたのは。

訪れし静寂 5

「み、美奈…!!よかった…本当に良かった…!!」

うっすらと目を開けた「美奈」と呼ばれる女はゆっくりと体を起こした。
邪鬼に憑かれていた反動が残っているようで、少し気だるそうに見える。
始めてその姿を見たときに血走っていた目は本来の落ち着きを取り戻している。あの時とは全く違う、おっとりとした雰囲気が美奈を包んでいる。

「沙織…。私、どうしちゃったの?途中から記憶が曖昧で…。」

記憶が曖昧になるまで邪鬼の力が及んでいたのか…。先刻戦った相手を思い出し、一人でその負の感情の大きさを納得する。
天崎はゆっくりと、端的に美奈に今まであった事を話し出した。美奈は悲しげな表情になりながらも静かにその話を受け入れているようだ。
そして、静かに口を開く。

「ごめんね、私が抱いてしまった醜い感情のせいで…。沙織だけじゃなくって他の人にも迷惑掛けちゃったね。」

そう言いながら彼女は俺と桜を見た。軽く頭を下げられたのでつられて頭を下げる。
本当にこの人物があれほどまでの邪鬼を成長させてしまったのか、疑問が出るほど良い性格の人だ。
「恋愛」とはこんな人でさえ、人格を変えさせてしまうものなのか…。

「沙織、帰ろうか。皆に心配掛けたくないしね。」

美奈はふわりと笑って天崎にそう提案をした。
天崎もそれに同意し、荷物をまとめだした。
ここに戻ってくる前、実は転移の術式を施したお札をあの神社に貼っていたので彼女達をそれを使って送る事にした。
転移をする前、2人は深々と頭を下げてお礼を述べた。
そして、彼女達の姿が無くなり再び静寂が探題所を包んだのであった。

花いかだの夜

先刻までの戦いが、夢の中で起こっていたものだと思わせるほど辺りは静まり返っていた。
天崎と美奈を送り終えると、桜が救急箱を手に持ってにっこりと笑った。
いつの間に持ってきたのだろうか…。
俺は病院には通う事が出来ない。なぜなら、邪鬼との戦闘を口実に治療をされるのが難しいからだ。
元々、邪鬼の姿を確認する事は出来ない。むしろ見えないほうが一般的なのだ。
巷でいう「幽霊」や「怨霊」と同じ類と言えば分かりやすいと思う。
それ故病院にはいけない…いや、行きたくないのだ。
今回の戦闘でもそうだが、ここまで大きな怪我を負わされると医者の方も相当詰め寄ってくるだろう。
桜が来る前までは一人で簡単に処置をして済ませていたが、桜はとても丁寧に処置を施す。
その行為を変に断る事も出来ないので、布団が敷かれたままの客間に向かった。

「暫くは安静にしないといけませんね。探題所のほうもお休みにされたほうが良いです。」
「大丈夫だよ…。ちょっと腹に風穴が開いたからって…。」
「風穴が開いて生きている方が珍しいんです!夜道さんはもっとご自分の体を大切にしてください!!」

まったく、と呆れたような怒ったようなため息を吐きながら桜は包帯やらを救急箱にしまいだした。
知らない間に治療が終わっていたらしい。風穴が開いたといっても貫通はしていないから大丈夫だと思うのだが…。
最後に桜は朧桜を呼び出し、その鎖で腹部を緩く巻きつかせた。
こうする事で傷の治りが早くなるのだ。

「とにかく、暫くはお仕事禁止です。お金の心配ならとりあえず無いですし、ゆっくり休んでください。」
「…分かったよ、そうしよう。たまには…そういうのも悪くないかもな。」
「そうですよ。夜道さんは真面目すぎるんです。」

桜は微笑を浮かべた。それに釣られて俺も笑ってしまう。
朧桜の鎖がそのタイミングでゆっくりと取られていった。

「それじゃあ、おやすみなさい夜道さん。」
「あぁ、おやすみ」

俺と桜はそれぞれ自室に戻っていった。

花いかだの夜 2

月明かりが照らす自室。どうやら障子を閉めずに出かけてしまっていたようだ。
そのまま縁側の方まで歩くと、以前も見た花いかだが見えた。
淡い色彩のそのいかだには、一体誰のどのような意思が乗せられているのだろう。
思いが叶わなかった絶望か?それとも、嫉妬か?それとも…。
捨てきれない思い…なのか?

「…考えても仕方が無いな。」

フッと苦笑をしながら独り言を呟く。
まったく、夜桜にはいつも困らせられてしまうな。
そう思いつつ、縁側に腰を下ろし月明かりに照らされた夜桜を眺める。
今回の「桜」はまさに夜桜の「怪しい姿」を現したのであろう。
邪鬼を倒した後はいつもその邪鬼を桜に例えて考えてしまう。

「…そろそろ眠るか。」

ゆっくりと立ち上がり、敷きっぱなしになっていた布団に戻る。
明日からはしばしばの休息だ。
…あぁ、今回の事を資料にまとめなくてはいけないな。
睡魔が襲ってきて、ゆっくりと目を閉じる。

一瞬、花いかだが見えた。
悲しげで、どこか安心したようにも見える笑みを浮かべた女の人を乗せて流れていく。

『お前はもう大丈夫。その鬼を私の身代わりだと思って使いな。』

意識が途切れる寸前、懐かしい声が聞こえたような気がした。

夜桜探題所活動録

4/27日 大学生(天崎沙織・河野俊)が友人に異変があると相談を受け、邪鬼が憑いている可能性があると判断し敷き紙を渡した。その日の夜に邪鬼に憑かれた友人(美奈)が天崎を襲撃。苦戦を強いられたが、除霊は成功。

負傷者:若草夜道(かすり傷が数箇所・腹部を貫通ではないが貫かれ重症)
     鴨ノ河桜(かすり傷が数箇所)
     美奈(邪鬼の影響で暫く意識不明だったがその日のうちに回復)

戦闘場所:とある神社

報酬額:

探題所の活動を記すノートにここまで書き込んだとき、台所から桜の声が響いた。

「夜道さーん!朝ごはん出来ましたー!」
「分かった、すぐに行く!」

ひとまず返事をすると、先ほどまで書いていたページにペンを挟んでノートを閉じた。
この活動所の記録はもう10冊を軽く越えてしまった。
これから、どれだけこのノートが増えていくのか…。
まじまじとノートが保管されている棚を見ていると桜の声がまた響く。

「夜道さん!朝ごはん冷めちゃいますよ!」
「分かった分かった!今行くから!」

苦笑をしながら客間へと足を運ぶ。
夜桜探題所の朝がまたこうして訪れたのである。


END

夜桜探題所活動録

どうも、もすかるです!
今回の作品は桜が綺麗に咲きだした頃に思いついたものでしたが…時期が大分ずれてしまいましたね。
元々、私が「桜」・「京都」・「召喚式の戦闘」が好きだったのでこれに似たり寄ったりの作品を今まで何度も書いてきていましたが、今回の作品はその中でも一番考えて作ったものですね。
まだまだ私は劣るところがたくさんありますので、ご指摘があれば教えていただけると嬉しいです。
ツイッターのアカウントを乗せてありますので、そこからお気軽に伝えてください。
それでは、また次の作品に向けて頑張りたいと思います!

夜桜探題所活動録

人は様々な欲の塊であると言われるが、ひょんなことから「負の欲望」へと変化してしまうことがある。 その負の欲望「邪鬼(じゃき)」は人に憑き、周囲の人間までもを巻き込んでしまう。 それを防ぐべく一人の青年「若草 夜道(わかくさ よるみち)」は邪鬼を祓うために 「夜桜探題所」を設立した。 これは、夜桜探題所の活動の一部を覗いたものである。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-04-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 序章 桜
  2. 夜桜と春風
  3. 夜桜探題所の朝
  4. 夜桜探題所の朝 2
  5. 夜桜探題所の朝 3
  6. 舞い込んで来た花びら
  7. 異様な友人
  8. 邪鬼とは
  9. 邪鬼とは 2
  10. 護衛の式神
  11. 嫉妬渦巻く桜花
  12. 嫉妬渦巻く桜花 2
  13. 嫉妬渦巻く桜花 3
  14. 嫉妬渦巻く桜花 4
  15. 嫉妬渦巻く桜花 5
  16. 嫉妬渦巻く桜花 6
  17. 嫉妬渦巻く桜花 7
  18. 嫉妬渦巻く桜花 8
  19. 満月に照らされし妖狐
  20. 満月に照らされし妖狐 2
  21. 満月に照らされし妖狐 3
  22. 満月に照らされし妖狐 4
  23. 満月に照らされし妖狐 5
  24. 月に照らされし妖狐 6
  25. 闇桜の湖
  26. 闇桜の湖 2
  27. 闇桜の湖 3
  28. 闇桜の湖 4
  29. 闇桜の湖 5
  30. 妖狐喰らう鬼
  31. 妖狐食らう鬼 2
  32. 妖狐食らう鬼 3
  33. 訪れし静寂
  34. 訪れし静寂 2
  35. 訪れし静寂 3
  36. 訪れし静寂 4
  37. 訪れし静寂 5
  38. 花いかだの夜
  39. 花いかだの夜 2
  40. 夜桜探題所活動録