かえるろーど。(七-*)





 *
 座り込むから目立つ一角の,金魚掬いを避けて来たのは育てられる自信が持てなかったからで,掬えるかどうかに関係なかった。すれば掬えたと思う,大物の出目金とまではいかなくても,真四角の,端っこを泳ぐというより止まっているような小ぶりの真っ赤な金魚を,貼られた和紙が透けたポイで,破れたことになる前に,銀のボールと冷たい水と誰似か知らない左利きで,上手い具合に,ひょいっとして。それで金魚は何も気付かずに尾びれを動かしちょっと進んだり,また少し泳いでからゆっくりと,休んだりして,ビニール袋に移されて,浮いたように持ち帰えられてあとは水槽の,定温の水温の中で何事もなく,絶えるまで生きる。
 私の家には,ただ水槽が見当たらなかった。だから一個も無いんだと思ってる。
 私はだから金魚掬いをしたことがない。育てられる自信あっても,掬えないなんて一度でも,思ってもみたこともないんだ。
 そんな金魚と水を閉じ込めたビニール袋に,鉛筆一本を使うマジックでは,水が漏れたりしないんだそう。空いたはずの穴の辺りで袋を貫いた鉛筆が,今度は刺さった蓋みたいに働くからで,実はとても当たり前の事,不思議なんてそこには無いとケイ兄ちゃんは言う。「不思議は,でもあるよ。」,そう私が言っても,「それはタネを育てている思考の協力のもと,欠伸をしながら見ている夢みたいものだ。」とケイ兄ちゃんは私にすぐ,返事する。
 ケイ兄ちゃんの言う『その』ことは,私にはやっぱりよく分からない。でも眠ってるよりは起きている方がいいと思って,やっぱり私は幼く聞く。
「じゃあ,起きたが良い?それは夢で,ホントじゃないんだって。」
「いや,夢に嘘も本当もないから,それは余計なことで,あまり良くない。例えでも,それはしないに越したことはない。」
「しちゃいけない,ってことなの?」
「『しないに越したことはない。』,だ。」
 分からないことが増えていく私はやっぱり幼いかもしれないと思って,私は聞く。 
「違いがよく分からないよ。どうして?『ジジツ』が大事って,だれかがよく言ってるし,『ジジツ』を知ることって,良いことじゃないの?」
「事実を述べることが正しく働くことも,勿論あるさ。例えばあからさまな詐欺にあってることが分かっているのに,それを教えるべきでないなんて僕も思わない。けれど,そうすることが常に正しいとも思わない。夢は夢,ただ見るもので,見るときは必ずみるものだ。嘘か本当か問わなくても,見たくなくても見たくても,夢のお断りなんて受け付けられない。時には主役,ほとんど脇役みたいに扱われて,勝手に回ったカメラにまで振り回されようと,始まりはもう終わってる。かかるはずのカットなんて実はないんだ。」
 『カット』は知ってる私は雲梯のようにそこにぶら下がって,ケイ兄ちゃんと続けられる話を続けようと思って聞き続ける。ケイ兄ちゃんも,それに続けて答えると思うから。
「『サツエイ』は止まらないってこと?」
「そういうことだな。」
「裏側なんて,ないってこと?」
「途切れないから,そうだな。だから幕間もない。」
「嘘だよ,それ。ケイ兄ちゃん,間違ってると思う。」
「そうか?」
「そうだよ。」
「そういう理由は?」
「だって私はいま起きてるから,夢なんて一つも見てないもん。」
「本当か?」
「ホントだもん。」
「私は起きている?」
「きちんと起きてるもん。手の『ここ』,つねらなくても分かるもん。例えばね,昨日残した一口ショートケーキも朝からペロッと食べちゃったし,ここに来るまでにカズちゃんとお気に入りの雑貨屋さんで,お気に入りのヘアゴムとまあまあだけど小さくて使いやすそうな髪留めも,お揃いで買っちゃったもん。それにいま。こうしてね,ケイ兄ちゃんと話してる。分からないことが多くても顔見てきちんと話,してるもん。」
 ケイ兄ちゃんがニヤッとする。そんな時の嫌な予感は外れない。それはやっぱり正しいみたいで意地悪く,ケイ兄ちゃんが今度は質問をする。
「僕が『夢』の人だったらどうする?お前が泣きべそかいて僕の部屋に立て籠もって,お前の親と共同戦線を張った『あの』最初の出会いから夢じゃないって,どうやって証明する?」
『ショウメイ』が分からない私は聞く。
「『ショウメイ』って?」
「一つの結論が論理的に『真』であることを,適切な理由を示して,適切に導くこと。まあ,要は,いまお前が生きている世界が夢じゃないって,理由を僕にきちんと説明出来るかってことだ。」
 手足が長いケイ兄ちゃんは私がもっと小さかった時から『コムズカしい』と言われてるけど,実際にそうだから,私はケイ兄ちゃんに何かの説明をすることが嫌いじゃないけど,好きでもない。なのにいつも負けたくないからいつものように,考えて私は言う。負けるもんかと,思って言う。
「痛みがあるもん。痛ければ,夢じゃないもん。」
「成る程。だけどその『痛み』ごと,夢だったら?そもそも最初に『痛い』と思ったこと,覚えてるか?その時私はきちんと起きていて,それは夢じゃありませんでしたって,『その』胸張って,言えるか?寝てなかったって,手をあげたりして言えるか?」
 すぐに『言えない。』と分かって思っちゃっても,すぐに次を考えなきゃいけないのは,『こんな時にイジわるなケイ兄ちゃん』には無視するぐらいに先を見て,振り切るぐらいに次を考えるのが良いということを,小さい頃からの『ケイケン』で,そう分かっているから。だから『センテをウつ』ように,私は言う。
「色んな物,つかめるよ。例えばリモコン,携帯,お菓子にジュース。『あの』熊の可愛いお人形に,今はいてるこのサンダルに,このワンピースに,ほら私の髪も,耳も頬っぺたもクチビルも,まだいろんなところ,つかめるよ。こんなこと,起きてないと出来ないもん。何だったらケイ兄ちゃんのお尻を叩いてあげようか?」
「そんな事したらどうなるか,分かってて言ってるんだったら,どうぞご自由に。だけどその前に,お前,『掴んでる』ってどうやって知ってるんだ?」
  仕返しの内容も回数もひどかった昔を思い出して『ジョーダン』と,冗談っぽく言うタイミングを逃したけど私は答える。
「だって感じるんだもん。こうやって,ギュッとすれば,私の手で,『私の手』だって感じられるもん。」
「成る程。じゃあちょっと戻る話になるが,『痛み』は?どうやって知るんだ?」
「感じて分かるよ。」
「『感じて』分かるか。」
「うん,感じて分かる。」
「『感じて』分かる。」
「そうだよ。」
「まあ,そうだよな。」
「もう,何?もっと分かりやすく言って。」
 ケイ兄ちゃんはニヤつく。
「じゃあ,今度は確認だ。お前,『痛み』を『感じた』最初が,『夢』じゃないって言えたんだったか?『ショウメイ』出来たんだっけか?」
『あ。』と思ったことは「あ。」と口を突いて出たから,ケイ兄ちゃんはワザとと分からせるタイミングで,「そう。」と続けて間を空けた。『そのお誘い』に乗ると『コウカイ』すると,私は分かっているのに乗っかって言う。だから『コウカイ』って,本当に先に立たないと知ってる。
「ちょっと。」
「何だ?」
「ケイ兄ちゃん,ふざけてる?」
「巫山戯てなんかないさ。お前が気付いたって,分かったんだからな。やっぱりお前はそんなに『賢くないわけじゃない』。」
「否定を重ねるのは分かりにくいからやめろって,ケイ兄ちゃんが言ってたよね?」
「ほら,僕のワザとに気付けるぐらいに,やっぱりお前はそんなに『賢くないわけじゃない』。」
「ケイ兄ちゃん!」
「何だ?」
「ケイ兄ちゃん!!」
「うん,だから何だ?」
「もう!」
「もう?」
「もー!」
「うんうん,やっぱり賢く『賢くないわけじゃない』。」





 『うー!』と立てた腹に乗らない言葉を上下の奥歯で磨り潰して,その時の私は押し黙ったのだけれど,気付いたことにザワザワと気持ち悪くなったせいでもあった。堂々と口を開けば私の世界が変わるような,どこか近くの,例えばビニール袋に移されるような気分が嫌だったんだ。
 それに気付いていたのか,私には分からないケイ兄ちゃんは私に対して自分のしたことを随分と高い棚に上げて,屈託のない笑顔を私に見せて,答えるように話を始めたのを覚えてる。
「まあ,冗談だよ。かいらかい半分のな。でも結構,分からないもんだよな,『夢』から『現実』を引き離すにしろ,その逆にしろ。中国の思想家も悩むはず,これは難しいことだと僕も思う。」
 私もその時思ってた。そしてもう,それがケイ兄ちゃんに伝わっていると思っていた。だから私は口は閉じた。信じてみたくて,口を閉じた。
「問題は難しい。そんな時,それなら,解くよりその付き合い方に悩むべきなんだろうな。それも問題に対する実際のやり方として。立ち止まり方よりどうやって歩くかの方向で,解くよりより良い解答のように。と,できる限り適当に言ってみたけど,分かるか?」
 分からなかった。でも頷いた。ケイ兄ちゃんが言ってることに,多分寄り添ったものになってると思ったから。そしてどうやら間違ってはいなかったみたいと信じたのは微笑んでから,ケイ兄ちゃんが私は「やっぱり賢くないわけじゃない。」と,私を見て,言ったからだった。
「より適当な話になっているのか,僕も結構懐疑的なんだけれども,感触が似てるから話すとな,大学の授業でその科目の担当教授に聞かれたことがあるんだ。耳で聞く分にはシンプルなんだけど,考えればややこしいことで,そんなこと聞くのはもちろん哲学。まさか単位合わせ見え見えの毎年の学生諸君の一人にでも,質問が飛んでくるなんて情報,耳にしたことなかったし思いもしなかったから,やっぱり油断大敵だったんだけど,さて。」
 変に背を伸ばして皺なんて付いてない癖にその時着ていた青いシャツを正してから,ケイ兄ちゃんは私に聞いてきたのは,多分『教授風』のお遊びだったと思う。
「ここで決して『賢くない訳じゃない』お前に,聞こうと思う。口を開く大きな機会。きちんと答えてくれると勝手気儘に期待するけれども,いいか?」
 私がまだ黙って,ただ頷いたのは,『口を開く大きな機会』が質問のあとにやって来ると思ったからだったのだけれど,それを見てケイ兄ちゃんは『ヨシヨシ』とするように,あるいは『クソマジメ』を擽るように少しだけ,口元で笑っていた。『もう!』とまた,怒りたくもなったけど,意地っ張りをさらに張った私は続けて黙って待っていた。見ればケイ兄ちゃんはまだ笑っていたのだけれど,いつの間にかただ笑ったみたいに見えたから,本当にただ私に,笑顔を見せただけなのかもしれなかった。
 『どっちだろう?』
 そう考えているうち,ケイ兄ちゃんの質問は飛んで来た。それは仮定の,『あなたならどうする?』式のものだった。それに加えてケイ兄ちゃんは自分の言葉と思えるものを言ったのだった。
 「言葉を知らない女の子の道案内をするとして,この場合,お前ならどうすればいいと思う?」と。
 今から埃を払うみたいに,その時を思い返せば全く他意のない言い方で,あるいはケイ兄ちゃんに珍しい,言い間違いだったのかもしれないと思う。その時そうは思えなかったのは予感めいた私の,勝手な解釈だったのかもしれない。今の私から見て特にそう思うけれどそのことは,確認しなかったけど。
 その質問は,まるでケイ兄ちゃんの近くで待ってる,あるいはもう巻き込まれてる,生々しい事態の相談のように聞こえた。だから幼い素直な『分からない』は,控えることにしたのだった。
 『言葉を知らない女の子の道案内』で,言葉は使えないことはあの時の私でもすぐに分かったから,問題は伝わってるか分からないけど,私は誰で,どうしたいのかを,相手に伝える方法と,『女の子』が伝えようとすることを,理解する方法だった。あの時の私は伝える方法しか思い付かなかったけれど,この二つの問題は結局は一つの問題だったから,運良く,答えるのに何の問題もなかったのだった。
 言葉を使えない意思や気持ちは大体遅い。
 この時に,私がその実感を持って思い返したのは,カズちゃんとのいつものやり取りだった。カズちゃんはいつも突然で,二人の間のことに関して言葉が後から付いて来て,私はようやく確認出来るような付き合いだったから。『言葉を知らない女の子』との間における,『その時間の流れ方』が分かると思ったのだ。だからカズちゃんと仲良くなったきっかけを,『問題』への『回答』を単純に言い始めることにした。
「手をつなぐ。」
「それで?」
「それで私をこうして指差して,次にその子のこともこうして,指差して,そうして外に向かって指差すの。『一緒に行くよ。案内するよ。』って伝えるの。」
「成る程。それで?」
「それからその子の行きたいとこに向かって歩き出す。ちょっと強く引っ張ったりもすれば,多分そこでその子にも,私がしようとしていること,伝わると思う。その途中で自己紹介もするかな。同じ女の子ってところから始めると思う。」
「伝え方は?」
「言葉以外,思いついて,出来ることをしてみる。」
「手を握る,みたいなやつか?」
「うん,そんなところ。そんな辺りにあること。」
「成る程な。それで,お前はその子を何処まで連れて行くんだ?」
「目的地だよ,その子が,その時に行きたいところ。」
「どうやって?言葉を知らないその子の,行きたいところをどうやって知る?」
「探す。こればっかりは『手を握る』とか,そんな辺りの,そんなことで伝え合うことじゃないと思うから。だから一緒に探す。一緒に歩いて,その子が『ココ』って,私に指差して教えてくれるまで。」
「一緒に歩いて一緒に探すか。成る程な。確かにそれが,確実かもな。」
「うん。そう思う。」
「ただ問題はな。」
「なに?問題なんて,ないでしょ?」
「それがあるんだ。」
「ないよ。」
「いや,あるんだ。」
「じゃあ,なに?あるんだったら,早く言ってみてよ。」
「まず時間。それと事情だ。」
 時間の問題は仕方ないのに。ワザと遅くして答えたケイ兄ちゃんが居たけど,今度はどうにか無視をして,私は確かめるように聞き返した。
「時間と『ジジョウ』?」
「そう,時間と事情。その女の子の目的地が,例えばパーラーみなみを中心としたコンパスで引いた円内にあればいいけどな,そうじゃなかったらお前,その子と一緒にそのまま行って,もう帰らずに,取り敢えず学校は長期に渡って休むつもりなのか?」
「あ。」
「そう,なんてツマラナイ冗談でもう一度,お前の一直線な真面目を擽ったりしたら,もう少し『賢くなくなる』かな。」
「もう,ケイ兄ちゃん!」
「いやいや,誤解するなよ。これはな,実に事実なことだと思ってるんだよ,実際。」
「もう!またからかってる!『チョウハツ』してる!」
「お,感心感心。」
「もー!」
 またそう言って,曲げたおへそに合わせた表情を,『ムッ』とさせてあの頃の私は隠しはしなかったけど,何回目か知れなかったそんなやり取り,ケイ兄ちゃんのいつもの意地悪い笑顔を叩きたかった私の笑顔は,毎朝よく見る姿見越しに写って見えてしまう,本当に短い時間が好きな時間で,また見たかった期待でもあったんだ。ショートカットしたようなすぐ手前,近道みたいな私の気持ち。
 あの時だって同じだったはずなんだれども,からかいと,ケイ兄ちゃんの小難しさに私はやっぱり腹も立てていたから,仕返しと,ささやかな意地悪とばかりに気になることを聞いたのだった。
「じゃあ,ケイ兄ちゃんは?そんな女の子にあったら,どうするっていうの?先生には,なんて答えたの?」
「僕か?お前と大体同じさ。そんなに変わりがない。」
「なにそれ。なんか『ゴマカ』してる!」
「流石にそれはしてないよ。お前はからかうのが丁度良いぐらいなんだから。」
「もー!」
「いや,これもな,真実と言っていい,本当のことなんだ。」
「もー!!」
「おっと,そろそろ今日のからかい具合が良い感じに仕上がってきたな。これ以上は烈火の如く,お前の涙腺のご活躍に,僕の懸命な,なだめすかしに励むことになりそうだ。でもな,繰り返すけど,本当に大差ないんだ僕の答えは。言葉を控えめにするところと,その『女の子』の隣に立って,同じ方向を向くところもな。」
 でも私はそのままに,信じはしなくて膨れっ面で突っ込んでいった。
「でも,『タイサない』って言葉は知らないけど,結局,私との違いはあるってことでしょ?ケイ兄ちゃん,同じだって,言ってないもん。」
「お。」
「なに!?」
 「いやいや。」
「なに!?」
 『イヤイヤ。』とわざとらしく右手を振って,口では何も言わなかったケイ兄ちゃんは,またニヤついていたけれど,それでも違いは話し始めてくれた。
「そうだな,まずお前は必ず場所を探すんだ。『言葉を知らない女の子』の,行きたいところ,着いていたいところを探す。真一文字に口を結ぶ,真面目なお前のこと,むやみに角を曲がらずに,直線に近い道順で『女の子』に付き合って,多分『そこ』を探し当てたりもするんだろう。でも,僕はそうしないかもしれない。選択として,探すことは選ばないかもしれない。」
 それは変だ,間違ってる。膨れっ面の頬の空気を緩めるようにして,私はそう思ったことを違う表現にして言った。
「『道案内』なのに探しもしないなんて,何もしないのと一緒だよ。どうするの?なにするの?」
 しかしケイ兄ちゃんの返事は早かった。
「何するかは決まってる,というかまあ思い付く。歩いて散歩,走って追いかけっこ,をするかどうかは,その『女の子』の年齢によるけれども,まあ一緒に過ごす。それこそ時間と事情が許す限りで,そも『女の子』に嫌われたりしない間に。それでその途中,お腹が空くことになればその時間,朝だとすれば朝御飯,昼が遅くなってもランチして夕方を迎えたりしたら,夕飯は軽めにしてデザートを多く,食べることもあるかもしれない。そうしてまた次に会うことが出来れば,また一緒に過ごす。時間と事情と,好印象が許す限りで。」
 まだチャンスはある。そう思って膨れっ面は三度突っ込んだ。
「何それ?単なるデート,ただのナンパだよ。スケベ。」
 でもやっぱり早かったから,それはとてもケイ兄ちゃんの返事だったと思う。
「論理が大きく羽を伸ばして飛躍中みたいだけど,まあ反論はしないよ。似たようなもんだからな,していることは。曲がる度に増えてもいくさ。それで合う時間もあるだろうし,色々と,想像をしてみるさ。同じものを見ているようで,多分違うものを見ているんだろうから。電信柱からちょっと先行く爪先まで。その『子』が本当に,自分の行きたい場所を知っているかどうかも,きちんと疑って。」
 それを聞いた私は確かにケイ兄ちゃんと私の違いを知った。私はストレートで,ケイ兄ちゃんは曲がりくねる。私はその『女の子』の前を行ったりするけど,ケイ兄ちゃんは恐らくちょっと後ろに立ってる。その『女の子』に付いてくようにして,見たそうにしているものを見せるようにして,案内も,丁寧にしたりして。
「分からなかったら?」
 そう聞いたその時の私は,仕返しし切れなかった意地悪の仕返し,反省したくない変な嫉妬もあった質問をした。それでもやっぱりケイ兄ちゃん。返事は容易く,早くて,私はやっぱり真似出来ないものだった。
「嫌われてなければ時間と事情が許す限り,また同じことを繰り返す。それでも無理なら,うん,諦める。」
「ひどい。」だ何だと抵抗すれば,ケイ兄ちゃんが「うん,教授にも同じこと言われたよ。おかげで成績ギリギリだった。」と聞けばまた頑張って,うろ覚えで「それはとても『ハクジョウなモノ』です。」なんて言ったものだから,「『な』は余計,詩的にみてもそれはあまり賢い使い方じゃない。」と突っ込まれて終いには,「『ハクジョウモノ』に対して失礼だ。」とわざとらしく説教された。まずは「うるさい!」と大きな声で発声し,「これは失礼。」なんて手前の箪笥から安易に取って身につけたような紳士な対応があって,やっぱり私は「もー!!」と,最後に叫ぶことになった。
それで「おっと,忘れてた。」なんて言って,「自重自重。」と唱えながら,ケイ兄ちゃんは私に『ジチョウ』の意味と用法を教えようとまでしたのだ。 私は口ではっきりと『プンプン怒ってる!』と言った。ケイ兄ちゃんは『プンプン』だけを取り出すように繰り返して,何時の何処で使ったか検討してから,「分からないのに懐かしい感じ」に,変に感心して嬉しがっていた。
 でも私はもう床に向けた顔と一緒に目を伏せて,嬉しがったりしなかった。また黙ってばかりだった。だから良く聞こえたと思う,ケイ兄ちゃんの軽そうな微笑みを浮かべたような呼吸は短くて,とても近くで聞こえてから私に,約束をしたのだった。
「まあ,そうだな,からかい過ぎた自分のせいだし,こればっかりは僕が証明してお前に見せるしかないな。『言葉を知らない女の子の道案内』,お前が言ったやり方とそんなに変わりはないってこと。お前も分かる分かりやすさを,きちんと備えた易しさでな。」





 話の終わり,いつもケイ兄ちゃんは頭を撫でた。この時もそうで,また何回目になるのかなんて,分からなかった。私はいつも初めてみたいに喜んだし,二回目以降を数えなかった。小難しい話題は結局,見上げる私とそれを見てくれるケイ兄ちゃんで挟まれて,はにかむように中心から閉じられるのがいつもだった。
 話の小難しさは相変わらず,でもそれから私の髪は随分と伸びて,二人の背丈も大分近くなっている。ケイ兄ちゃんの方がまだ高くて手足も相変わらず長いから,私の頭はまだ撫でられるはずなんだけど,年齢の恥ずかしさは私に横移動を強いるかもしれない。はにかむのはもう,私かもしれない。されると嬉しいのが変わらないのが,私とケイ兄ちゃんの何かの繋がりになるかもしれない。
 でもねケイ兄ちゃん。私はもうすぐ言葉を失くすか,捨て行くように置いていくことになると思うけど,さっきの証明はとても難しいかもしれない。『ここ』の隔たり,思うより見えないし,考えるより程遠かった。距離の問題でもあるけど,それぞれの出入り口の問題として,それは一応確かめた。別の子は何度も確かめて,今もそうしている。
 『ここ』のことは私もよく分からない。居るようで居ないことはよく分かるけど,後のことは知ることも出来ていない。歩いていないせいかもしれない。座ったままのせいかもしれない。決めただけでそれ以外の何でもかんでもを,『道案内』に委ねてしまっているせいかもしれない。『道案内』は蛙みたいに鳴くんだよ。人でないのは確かだと思う。
 『ここ』のことを語る言葉は『ここ』の言葉が良いみたいで,発音するたび息苦しくなって,意味ないみたいに文字がばらける。おまけに明かりも乏しいから拾う度,必ず一文字忘れるし,拾ったそばから落ちもする。だから私はもうすぐに言葉を失くすことになるか,捨て行くように置いていかざるを得ないことに,きっとなる。
 それが『ここ』の何かのルール,何処から来たのか知らないルール。私はそれを,知る由もないんだよケイ兄ちゃん。
勿論,帰りたくない訳はあるし,それはケイ兄ちゃんも良く知ってる。それは止まった子と,進んでる子の歩む方向の違いだけで,誰が悪いとか悪くないとか,そうすれば良かったとかそうじゃないとか,何で気付かず,気付いてあげられなかったんだとかが,くっ付く話じゃないね。ケイ兄ちゃんの言う通り,事はもっとシンプル,あの子は笑って明日も見てて,私は黙って一昨日見てるってだけ。私はよく昨日を育てて水をあげて,今日を先送りにしてる。だから座っていた段差が忘れて平坦に,日付を削って戻る勢い,七月が夏じゃなくなっていくみたいで,ただの十二分の一月(ひとつき)の顔になってしまってる。それがまだ悲しく感じる。
 ケイ兄ちゃん,フラットって難しいね。私はまだまだでこぼこだ。




 口に出来る言葉をもってして言えるから一人ごとするには苦労は無いけど,ぽろぽろと,こぼれる言葉のことが分かっているから,今にうちに話をし続けて終わることにしようと思う。昨日が昨日にあるように私は私で『ここ』に在って,『ここ』と変わらないものになる。『ここ』に在るから,帰ることなんて一つも要らない。帰りたくないなんて言う必要もない。だからケイ兄ちゃん,カズちゃんにはさよならを言って欲しい。ケイ兄ちゃんは分からないと思うからカズちゃんには,キミオくんと幸せにと,マサオくんにはごめんなさいとも伝えて欲しいと,言って欲しい。
 パパとママには気を付けてと,それは健康と体のことだと言うだけでいい。それはケイ兄ちゃんに対しても一緒だし,ケイ兄ちゃんにはもう少し,分かりやすさも付け加えるかな。
 それで妹には,そうだね,強いて言うなら『かーぺんたー』の糸の解れを直したらって言っておいて。綿が減ると,縫いぐるみでも『かーぺんたー』が悲しむって,追伸を付け加えてもいいから。




 言い忘れてたかもしれないし,届いているとも思えないけど,それでも私が言うのは私は,金魚掬いをしたことがないのは育てられない自信からで,掬えないなんて一度も思ってもみたことがないってこと,これまでのことと,何の脈絡もないこと。ケイ兄ちゃんに知っておいて欲しいと,ただ思ったから言わずにいられないことなんだ。





 ああ,ケイ兄ちゃん。『道案内』はやっぱり人じゃないみたい。また『ゲコッ』って言った。はっきり聞こえた,確かなことだったよ。
 ねえ,ケイ兄ちゃん。もしかするとそれが『ここ』のことで分かった,最初で最後のことになると思う。だってね,もう,こうしているうちに何処かの一文字が落ち始めたみたいだから。
 ただそれはこうして話すことに,支障のない言葉みたい。




 
(『一』へつづく)



 
 

かえるろーど。(七-*)

かえるろーど。(七-*)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-10

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