アルグレイド・オンライン

ステージ0 絶望ステータス

 さぁ、諸君―――

 ―――ゲーム・スタートだ

     √

 ―――俺は人間が嫌いだ

 青年はわかっていた。
 自分は一生、人間という存在とは分かり合えないと……

 PPPPPPPPPPPPPPPPPP………

 暗い部屋、4畳半の部屋、床は無数のゲーム機と漫画、小説が占領しており、布団の上にまで本が散らばっている、壁には無邪気に笑う幼少期の青年と、照れくさそうにピースだけする白髪の少年、そして顔をシールで隠されているもう一人の人物、この3人が写った写真が飾られていた。
 外の光を遮断するカーテンの所為か部屋は薄暗く、電気の点いていない変わりにパソコンのモニターが部屋を照らす。
 そして、散らばった布団と本の上に倒れている一人の青年。
 ぼさぼさに伸びた黒髪に、寝不足気味で出来たクマ、ジーパンにパーカーとラフな格好。
 彼の手元では先ほどからスマートフォンがアラームを鳴らしているが、彼は未だに眠ったままだ。

 世界を一つの大きなゲームでしか見ることが出来ず、 
 物事を直視することを嫌い、
 誰よりも人の真意を見抜くことができ、
 誰よりも危機察知能力が高い、

 自分は世界から隔絶された存在だと思っている青年。
「ん、……るせぇ、な…」
 青年が目を覚ました。
 ゆっくりと起き上がり、頭をぼさぼさ掻き毟る。
 カーテンの隙間から朝日が照らしている。
「あ、さ……か、ねみぃな」
 スマートフォンのアラームを止め、まっすぐにパソコンに向かう。
「あちゃー・・・昨日は寝落ちしちまったからか、ランク下がってるよだりぃ~」
 大きなあくびをしながらモニターを眺める。
 完璧なまでなステータス。
 これを作り上げるのに3ヶ月程度は要しただろう。
 しかし、所詮は仮初の姿。

 現実での自分は、すべてにおいて逃げ腰だ。

 彼にとって、現実が《ゲーム》で、ゲームが《現実》のようなものだった。
「ふぁ……もういいや、もう一度寝よう」
 今度はちゃんとパソコンをシャットダウンし、再び布団に戻る。
 ドサッと勢いよく倒れこみ、虚ろな瞳は天井を仰いだ。
 真っ暗な室内、静まり返った空気、そよ風の音すら聞こえないこの空間で、青年は耳を塞いだ。
「あぁ…そうだよ、わかってる」
 ボソッ
 乾いた唇を小さく動かし、言葉を綴る。
 ずっと頭に響いている、鬱陶しい声。
「俺は、人間なんか大っ嫌いだ」

 かつて人を心から信じ、天真爛漫に誰にでも笑顔を振りまく青年は、
 その中でも、唯一なんでも相談できる二人の親友の、
 その一人に、我が身大事に自身を裏切られ――――。

 彼は、涙を流すことを、笑うことを、世界を直視することを――――
 
 ―――――やめた。

 もう誰にも弱みは見せない、
 もう誰も信じない、
 もう誰も必要としない、

 だが、もし変われるとしたら?
 もし、自分を変えることが出来るなら?
「誰でもいい―――」

 ―――俺に、人を信じさせてくれ。

     √

 ―――私は、何のために生まれたの?

 少女はわからなかった。
 自分がこの世界に存在している理由が……

 うるさいなぁ……悲鳴を上げるくらいなら、最初から私にかかわらないでよ。
 私は、自分を抑えることができないんだから―――。

「…空、赤いなぁ」
 公園のブランコに乗り、ぼーっとした表情で夕日に染まった空を眺める一人の少女。
 翡翠の色の瞳に、綺麗な茶髪の髪、ちょっと掴んだだけでも痣ができそうな柔肌、黒いセーラー服を着た一人の少女。
 黄昏ている少女、とても美しい絵になるが、それをぶち壊す異常な光景が、彼女の背の後ろにある。

 それは、背後に無数の男たちの屍が転がっていて、充満した血の臭い――

 キィ…キィ……
 少女が体を揺らすたびにブランコが小さく揺れ、錆びた鉄がこすれる音が耳障りだ。
 錆びた鉄の臭いは血の臭いと似ていて不愉快だ。
 片手に持っているコンバットナイフはその銀色の刀身をすべて血に染め、血が滴っている。

 彼女は、連続殺人鬼と呼ばれる存在だ。

 物心が付いたころからナイフを持ち、血の臭いを嗅ぎ、命を絶つことに快楽を感じていた。
 10歳のとき、初めて一人でやくざの事務所を壊滅させた、全員の首を刎ね、頭部を便所に押し込み、首を失った体はソファに重ねるという猟期的な行動までとった。
 中学生のとき、自分をいじめたクラスメイトを、その日の晩にバラバラに切り刻み、川に捨てた。
 そして今も、こうして自分に近づく者を片っ端から殺している。 

 自分に近づくものはすべて敵だと思い続け、
 物事をナイフの一振りで解決させようとし、
 誰よりも嘘を嫌い、
 誰よりも殺人能力が高い、

 わかっているのだ、自分は壊れた殺人マシーンだということを、でも、止められない。
「夕日の空って、血の色みたいだなぁ」
 私は、死が怖い。死に近づきすぎた所為で、自分の死が酷くリアルに想像できてしまう。
 いつ遺族に復讐されるのか、
 いつ殺し屋に狙われるのか、
 いつ警察に捕まり、死刑にされるのか、
 
 怖い、恐い、こわい、コワイ…
 なら、殺すのをやめればいい、そう思うのが普通だろう。
 でも、無理だ。無理なのだ。
 何故だと思う?
 たとえるならそう、人間は呼吸をしないと酸欠で死んでしまう。常識だ。
 《ソレ》と同じで、彼女は人の命を絶つことでしか、自分が生きていることを感じることが出来なくなっていた。 
 それはつまり…

 ―――人を殺さないと、自我を保つことが出来ないほどに、それが常識だと感じるほどに、彼女は壊れているのだ。

 そして、その所業と、自覚故に、彼女は心から望んでいた。
 言葉とは裏腹に、
「明日は…何人、殺せるかなぁ」
 誰か止めて欲しい。
 この狂った自分を、願わくば、
「誰も、必要ないもん、みんな、死んじゃえばいいよ…」

 ―――誰か、こんな壊れた自分を必要として欲しい。

ステージ1 人間嫌いの《壊れ者》と人殺しの《壊れ者》

 人生なんて無理ゲーでクソゲーだ。
 
 66億人ものプレイヤーが好き勝手に行動して、
 プレイヤーキルを平然と行い、
 優秀すぎるとペナルティが科せられ
 逆に優秀じゃなくてもペナルティを科せられる。

 こんなクソゲーに見捨てられた俺。
 誰が作ったのかわからないゲームステージに、
 システムを統べる者はどこにもいない、
 不正をしたプレイヤーを裁く管理人もいない、
 ただただシステム崩壊の道をゆっくりと進む世界に、
 俺は何を思えばいいんだ?

 人の真意を見抜ける、だから人間が怖い。
「俺たちずっと友達だよな」
 こんな利用できる奴、手放せるかよ
「大丈夫、私が何とかするよ」
 もっとも、この事件を引き起こしたのは私なんだけどね
「君、大丈夫?怪我は無い?」
 何だよこいつ、死んでねぇのか、せっかく人の死を生で見られると思ったのに。
 言葉の裏には針千本
 人は笑顔の仮面の裏に、醜くて、ぐちゃぐちゃで、気持ち悪いものを隠し持っている。
 それが俺には見える。
 それがたまらなく怖かった。
 
 そしてある日、あいつに裏切られた…
 なんでも話せる、俺の大切な親友だったのに、関係の無いもう一人まで巻き込んで…
 だから俺は人が信用できない。
 ある日突然、心変わりする人間が信用できない。
 言った5秒後に意見が変わる人間が信用できない。
 自分から友達だといってくる人間が信用できない。
 俺の周りに笑顔でくる人間が信用できない。

 あぁ、せめて、誰でもいい。
 俺を信じさせてくれ、そして

 ―――俺を信じてくれ。

     √

「ふぁ~……よく寝た」
 朝、ゲームと本の瓦礫の中からゾンビのごとく起き上がった青年。
 首をコキッと鳴らしながら立ち上がり、時計を見た。
 時刻は朝の7時。
「……あぁ、イベントの時間だ」
 と、青年はいつものようにパソコンに向かい、電源を入れる。

 彼の名前は冴崎 涙(さえざき るい)。
 18歳、童貞、コミュニケーション障害、非モテ。
 特技、危機察知能力が高く、人の真意を見抜ける。ゲーム。
 特徴、左目が蒼い。

 そして、世界を一つの巨大なゲームとしてみている。
 もっとも世界から、離れた存在。
 
 そんな彼は、パソコンが立ち上がり、いつものオンラインゲームにログインしようとした直後、手が止まった。
「…ん、メール?」
 画面の隅っこに《新着メールが一件着ています》と表示されている。
 知らないアドレスで、ゲームの広告などでもなさそうだ。
 迷惑メールだろう。
 涙はそのメールを開かずに削除しようとしたとき、突如パソコンの画面が暗くなった。
 しん、と静まり返ったパソコン。
「…やべぇ、バグったかな……」
 涙がげんなりした表情でパソコンの電源を落とそうとした瞬間。
「ッうわ!」
 今度は画面が眩いほどの光を放ち、涙の意識を刈り取った。

 数秒後、光は収まったが……

 ―――そこには、涙の姿が消えていた。

 代わりに、暗くなったパソコンの画面に白い文字で、
 《ゲーム・スタート》
 と、打ち込まれていた。

     √

 おぉ、なんか青いなぁ。
 あれ、町が見える。
 すっげぇ、雲の上なんか始めてだ。
 っていうか風がすごいな、ビュンビュンいってるぜ。

 ………あれ?

 これ、おかしくねぇか?
 さっきまで俺は自分の部屋にいたはず、
 そんでもって、パソコンの画面が光りだして…
 疑問の中、涙は、
 ―――地面に向かって一直線に落ちていることに気づいた。
「………ッな!」
 ようやく自体が飲み込めた涙は、いきなりすぎて言葉が出なかった。
 ただ、地面に向かって落ちているという感覚と、

 涙の隣に、無邪気な笑みを浮かべた少年が一緒に落下していることだけが、容易に理解できた。

「おぉ~、やっぱり驚いてるね」
「あああ当たり前だ!っつーか誰だぁ!」
「えっへへ~、やっぱり君を選んだのは正解だったなぁ~、ボクの目に間違いは無かった!」
 少年は無邪気に笑ったまま涙を指差した。
「ねぇ涙くん、ボクとゲームをしようよ」
「は、はぁ!?それどころじゃねぇだろうがああああ死ぬってこれぇ!」
「アハハッ、大丈夫、まだまだ落下し続けるし、落下しても死なないからさ♪」
「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇよッ!」
「むー、訳わかんなくないよ、だってボクは神様なんだもん」
「は、はぁ?」
 突如、落下速度が緩やかになり、やがて止まった。
 空中に浮いたまま、涙と少年は向かい合った。
「涙くん、君は自分を変えたいって思わない?」
「いきなり何を…」
「世界をゲームとしてみてるなら、ゲームの主人公になろうとは思わない?」
「主人公、ね」
 ッハ、涙は鼻で笑った。
「世界、人生なんつークソゲーに、主人公なんていねぇよ、モブキャラの集合体、それが世界だ」
「そう、実にすばらしい考え方だと思うよ」
「…あ?」
「だから、そんな君にお願いがあるんだ」
 少年は笑顔から真顔になり、真剣な口調で涙に言った。

「ボクの世界を救ってください」

「はぁ?」
 再び涙は鼻で笑った。
「何言っちゃってんのさ、世界を救う?この俺が?ハハッ…、バカも休み休み言ってくれないかな…俺はなんの力を持たない、ただの非力な存在だ、それに―――」
 
「―――あいにく俺は、人間っつーのが大嫌いなんでね、そんなのを救うなんて真っ平ごめんだ」
 鋭い目つきに、皮肉気味に笑いながら少年を見る。
 少年は表情を変えず、ゆっくりと口を開いた。
「わかってる」
 一歩、少年が涙に近づく。
「君が人間が嫌いというのも、過去に何があったのかも、ボクは知っている…
 でも、それでもボクは君に頼みたい、この世界は今、滅びの道を進んでいるんだ、誰かが止めてくれないと、たくさんの種族が、動物が、命が、絶滅してしまう…、ボクは、それを止めたいんだ」
 力強く少年は言うが、それゆえに疑問を持つ。
「なら、適材適所がいるだろ、なんで俺なんだ」
「言ったでしょ?ボクは君が適材適所だと思ったんだよ」
 ……クンッ
 少年が優しく涙に微笑みかける。
「君は、誰よりも人を憎んでいるけど、その分、誰よりもやさしい…誰よりも不器用で、誰よりもまっすぐで、そんな君をボクは信じてみたい」
 ……トクンッ
 少年が涙の左手を取る。
 小さい、だが暖かいその手は、微かに震えていた。
「だから、たとえ人間のためじゃなくてもいい、これから与える力を、君のため、君の思うもののために使って欲しいんだ、その結果は、世界を救うことと同じことだから、だから……」
 少年は、切なげな表情で涙に優しく、だがどこか懺悔するように
「君の力が、必要なんだ」
 ……ドクンッ!
 涙の心臓が大きく跳ね上がった。
 そして、少年は涙から手を離し、一歩下がる。
 顔を上げると、先ほどの無邪気な笑みを浮かべていた。
「だからさっ!ゲームをしようよ!」
「……ゲ、…ゲーム?」
「そう、ゲーム!ボクの世界、『アルグレイド』を舞台とした、命がけのゲーム」
 先ほどとは打って変わってハイテンションな少年に、涙は眉をひそめた。
「………命がけ、ね」
「そう、命がけ、クリアすればボクの世界は救われ、涙くんは自分を変えられるかもしれない、そこは君次第だ」
「負けたら?」
「君は死んで、ボクも滅びる世界と運命を共にする」
 少年は笑っているが、声は笑っていない、
 相手を馬鹿にしているような喋り方だが、相手を試している、
 ゲームと称して、本当に俺に助けを求めている、
 その覚悟は、本物。
「……いいぜ、そのゲーム…やってやろうじゃんか」
 少年は涙の言葉に心のそこからの笑みを浮かべた。
 そして少年に飛びつき、腰に抱きつく。
「やった!ありがとう!涙くん!」
 数秒間涙の腰に顔を埋め、そしてプハッと離れる。
「それじゃあルール説明だ!これからいく世界の名前は『アルグレイド』、そこでは人間、エルフ、獣人、メカニアっていう4つの種族がいるんだ、細かい説明は実際に見てみてよ、そして、敵は『7つの大罪』、弱みに付け込み世界を壊そうとする奴等だ、そしてここからが肝心なところ」
「肝心?ありきたりの展開だろ、各所のボスを倒してラスボスに挑む、RPGの鉄板じゃん」
「そうだね、だけどヤバイのは君が忌み嫌いう《ルールを無視した存在》がラスボスってこと」
 少年がピッと下を指差す。
「そいつはボクと同じ、神様のような存在で、君のような、別世界の人間をたくさん引き入れている…」
「その理由は……?」
「わからない、けど、下手に別世界の存在をつれてきたら世界のバランスが維持できなくなるんだ」
「なるほど、ね……事情は大体わかった」
 涙は無表情で、感情をどこにも表さないが、
「俺に任せろよこのゲーム、絶対に負けないからよ」
 少年の頭をなでながら、涙は少年の目を見た。
 ルビーのように紅い瞳は、どこまでも透き通っている。
 その瞳からわかるのは、こいつは俺を利用しようとしている。
 だが、その反面世界を救おうという気持ちは本物、
 そして想定外の事態が起きて、俺を連れてきた、
 最後にもう一つ、

 俺以外にも、この世界につれてこられた《プレイヤー》がもう一人いる。

 そしてソレが誰なのか、それはもうすぐこの少年は教えてくれる。
「それじゃあ、そろそろ」
「うん、でも一つだけ、話しておくことがある」
 少年は一歩後ろに下がり、
「もう一人、ボクはこの世界に呼んでいる、その人も君と同じ《壊れ者》だよ」
「《壊れ者》とは失礼な…でも、悪くねぇな」
 確かに、俺は壊れているからな。
 口には出さないが、心でそう呟いた。
「嫌いなフレーズじゃねぇ、気に入ったぜ、《壊れ者》っての」
 
 世界をゲームでしか見れず、現実を直視出来なくて、
 誰よりも人の真意を見抜いてしまうが故に人が怖くて、
 誰よりも人を愛していたが故にその裏切りに激昂して、
 誰よりも人が嫌いなのに、
 誰よりも人に愛して欲しくて、

 あぁ、そうさ。
 俺は《壊れ者》
 人を信じることが出来なくなって壊れた愚か者。
 でも、変われるとしたら?
 《壊れ者》として、出来ることがあるのなら?
 面白そうじゃないか。
 そんな面白いエクストラステージ、やらなきゃ損でしょ。

「さて、ゲーム・スタートだ」

 言い終えると、体の力が抜け始める。
「もう一人の《壊れ者》の情報は君の頭の中に送っておくよ、あと、与えた力の使い方もね」
「あ、あぁ…」
「それじゃあ、ボクの世界をよろしく」
 その声を最後に、涙の意識は静かに途切れた。

     √

「ん、んぅ……」
 目が覚めたのは、どこか知らない綺麗な部屋。
 ホテルの一室のような空間。
 小さな机には、封筒が置いてあった。
 
 《壊れ者》の涙くんへ
 これからの門出を祝って、僕からのギフトだ。
 君の左手に刻まれている刻印は君の能力、名前は君が適当につけるといい。
 そして、これを見たときに同時に発動するように仕組んでおいた、もう一人の《壊れ者》のヒントだ。
 すべてを話すとゲームが成り立たないから、ごめんね。
 でも、《壊れ者》同士は引き合うから、きっとすぐに出会えるよ。
 決して力を悪用しないでね?
 それ以外は全部自由にしていいからさ。
 まぁでも、悪用しようとすればきっと能力が反発すると思うから大丈夫かな?
 もう一人の《壊れ者》にもランダムに能力を与えているけど、実際君等二人がどんな能力を手にしたのかは知らない、だから具体的な使い方はボクからじゃ説明できない。
 そしてもう一つ、君たちの持つ能力にはしっかりと『自我』が存在する。
 感情を持った能力、というわけだ。
 だから君が能力とシンクロすれば、おのずと力は増幅するし、シンクロしなければ、逆に力は弱っていく。
 これから苦楽を共にする相棒だ、大切にしてくれ。
 これが最後、君が戦うべき『敵』についてだ。
 7つの大罪、彼らはセブンズ・ギルティと呼ばれている存在だ。
 姿はわからないが、それぞれの象徴である大罪を能力としている。
 
 それじゃあ、ボクのチュートリアルは終わりだ、ゲームを楽しんで、自分を変えて、世界を救ってくれ。

                                   アルグレイドの神 ヴィンセントより


「なげぇチュートリアルだな」
 手紙をポケットにしまい、はぁと息を吐く。
 左手を見ると、十字架の周りに六枚羽の刻印が刻まれている。
「これが俺の能力、ね…使い方はボチボチってことで、とりあえずよろしく頼むわ」
 涙の言葉に反応するように、刻印が紅く輝いた。
「さ・て・とぉ~、頭の中に情報があるーって言ってたけど…おぉ、ホントだ」
 少し考えると、もう一人の顔がすぐに思い出せた。
 記憶の底にあるというより、記憶に上書きされたような感じだ。
 名前はわからないけど、顔はわかる。

 茶髪のロングヘアーで、若干幼さが残っているけど、たぶん俺と同い年、特徴的なのは翡翠の瞳かな。

「へぇ、結構可愛いじゃん、どうでもいいけど」
 いくら可愛くても所詮人間。
 涙は少女を記憶に留め、自分の格好を見る。
 いつも来ているパーカーに、ジーパン、ボサボサの黒髪にクマ。
 まぁ、大丈夫か。いや、ダメだろ。
「とりあえず、もう一度寝よう」
 せめてクマは直さないとこれじゃあ犯罪者に見えてしまう。
 再びベッドに倒れこみ、目を閉じる。

 願わくば…「夢じゃありません」ように…


     ☆


 私の人生は、恐らく血に染まった道だろう。

 初めて人を殺したのは5歳のころ、両親が押しかけた強盗グループに殺されて、私は襲われかけた。
 服を破かれて、腕を掴まれて、怖くてしょうがなかった。
 この人を倒さないと私は何か大切なものを失う。
 この人を倒さないと、たおさないと、タオサナイト……
 
 この人を、殺さないと、私は、死ぬ。

 気が付いたときには強盗グループはみんな私の足元に倒れていた。
 目が大きく開いた状態で、口からたくさんの血を吐いて、ピクリともしない。
 ためしに、手に持っていた包丁で刺してみた。
 反応が無い。

 死んだんだ。

 私が殺したんだ。

 そのときに感じた、生きているという安堵感、脱力感、安心感。
 紅い血が綺麗。
 肉を斬ったときの感触が気持ちい。
 命を絶つことが楽しい。

 もっと、もっと、もっと殺したい。
 17歳になった私は、近づくものがすべて敵にしか見えなかった。
 でも、成長するにつれ、意識が高まっていくたびに、私は自分が怖くなった。
 私は殺すばかりで、人を愛したことが無い、愛されたことが無い。

 だから、誰か、誰でもいい…

 ―――私を止めて、私を愛して…

     √

「月、綺麗」
 一人の少女が、廃墟となったビルの屋上に寝そべっている。
 綺麗な茶髪に、翡翠のような瞳。
 黒いセーラー服を着た少女は、ただぼーっと、夜空を眺めていた。

 彼女の名前は千歳 夕音(ちとせ ゆうね)。
 17歳、無表情、コミュニケーション障害、恋愛経験ゼロ。
 特技は早着替え、運動全般、創作。
 特徴、ナイフを常に懐に携えている。
 
 そして、近づくものをすぐに殺してしまう、殺人衝動。
 もっとも、世界で恐れられる存在。

 そんな彼女はただ呆然と空を見つめ。
 ふと、腰から愛用のコンバットナイフを取り出す。
 それを空に向ける。
「ふふ、刃が月の光を反射して、綺麗…」
 静かに微笑みながら、ナイフを弄ぶ。
 誰も夕音には近づけない。
 だって、近づいちゃう人はみんな殺しちゃうんだもん。
 クラスメイトも、通りすがりの人も、私を追いかけてきた警察官も。
 みんな殺しちゃう。
 だって、誰が味方かわかんないんだもん、だったら殺したほうが楽じゃん。
 でも……
「隣に、誰もいない、夕音はさびしいよ」
 ポツリと呟く。
 最近よく街中でカップルをよく見かける。
 仲のいい男女がうれしそうに手を組んでいる。
 あんな風に自分もなってみたい。
 ちょっとした好奇心だが、
「無理だよね、夕音は人殺しだもん」
 誰かを愛することも、愛されることも無い。

「なら、愛されようよ」

「ッ!」
 突如聞こえた声に、夕音は飛び起き、ナイフを構えた。
 すると、目の前に先ほどまで誰もいなかった場所に見たことの無い少年が笑顔でたっていた。
「だ、誰…」
「ボクの名前はヴィンセント、ようやく見つけた…僕の理想の《壊れ者》」
「こ、こわれ、もの?」
「うん、ねぇ夕音ちゃん!ゲームをしようよ!」
 少年は一歩近づき、夕音は一歩下がる。
 なんだ、この少年。
 笑顔なのに、子供なのに、夕音より絶対に弱そうなのに。
 後ろに下がってしまうほどの威圧感がある。
「ゲーム、って?」
「うん、これからボクの世界、『アルグレイド』に連れて行くから、もう一人の《壊れ者》と一緒にアルグレイドを救って欲しいんだ」
「…世界を、救う?」
「うんっ♪」
 夕音は顔を強張らせた。
 この少年、本気で言っている。
「世界を救えって、夕音がなんだかわかってるの?」
「当たり前じゃん、ボクは神様なんだよ?」
 一歩、再び少年が前に出る。
「千歳 夕音、17歳、連続殺人犯で、殺人衝動に恐怖を感じている、そして、それを止めてくれて、自分を愛してくれる人を心の底から欲している、でしょ?」
 その通りだ、だからこそ、夕音は唖然とした。
「………な、んで…」
「言ったでしょ?ボクは神様なんだよ?」
 笑顔で言った少年を、夕音は警戒しながら、
「夕音は近づいた人間はみんな殺してしまう、夕音は誰も愛せないし、愛されないッ」
「うん、だから、このゲームは夕音ちゃんにとってもチャンスなんだよ」
 少年が、笑顔のまま口を動かす。
 月明かりに照らされた少年は、酷く不気味に見えた。
「ゲームをクリアすればボクの世界は救われる、それと同時に夕音ちゃんも変わることが出来るんだよ」
「か、わる」
「そう、その衝動も、人に愛されたいという願望も、全部かなうんだよ」
 少年がそっと手を差し出す。
「さぁ、ボクの、神様のゲームを、君は挑戦してみるかい?」
 少年の手を取れば、ゲームとやらが始まる。
 
 自分が変えられる。
 これは願っても無いことだ。
 自分のこの殺人衝動が抑えられて、
 今まで経験したことが無い、愛を感じることが出来て、
 自分も、その人を愛することが出来て、
 そんな自分になれるかもしれない。
 
「やる、よ」
「え、本当!?」
 夕音は小さくうなずいた。
「夕音も変わりたい、世界を救って変われるなら、安いもの」
「それを安いかどうかは君の判断だからね、あぁそれと、君ともう一人、《壊れ者》を呼んでいるんだ」
「もう一人…?」
「そう、彼も君と同じ、《壊れ者》だ、そして、彼もゲームに参加する理由がある」
「もう一人、いるんだ」
「あぁ、そうだよ」
「ねぇ、一つ聞いていい?」
「ん、なんだい?」
 夕音は、ナイフを構えたまま、静かにたずねた。
「なんで、《壊れ者》って言うの?」
「なんでって、そんなの、君たちが壊れているからに決まってるじゃないか」
 笑顔で言い放った。
 夕音はとっさにナイフを振り下ろそうとしたが、理性で押し留めた。

 確かにそうだ。
 自分は壊れている。
 どうしようもないくらいに人間に近づきたくて、
 どうしようもないくらいに人間を殺したくて、
 どうしようもないくらいに人間を愛したくて、
 どうしようもないくらいに人間に愛されたくて、

 あぁ、確かに私は《壊れ者》だ。
 いい響きじゃないか、殺人鬼の夕音にはちょうどいい。

「わかった、それじゃあ、連れて行って、アルグレイドに」
「あぁ、了解だよ」
 少年がパチンッと指を鳴らすと、夕音の体の力が抜けていった。
 目の前に闇が広がる。
「もう一人の情報は目覚めたときに頭の中に入っているから、間違っても殺さないようにね」
 聞き終えるか否かで、夕音の意識は闇に消えた。

     √

「ん…にゃぁ……」
 目が覚めたのは、ホテルの一室のような空間。
 大きく伸びをして、ベッドから降りる。
「ここ、は…」
 本当に別世界に来たのだろうか?
 ふと、机に封筒が置いてることに気づいた。
 どうやら手紙のようだ。

 《壊れ者》の夕音ちゃんへ

 これからの門出を祝って、僕からのギフトだ。
 君の首筋に刻まれた刻印は、君の能力。
 ボクは能力について何が贈られたかは知らない、けど、能力にも「自我」があり、簡単に言うと、感情を持った能力なんだ。
 だからこれから苦楽を共にする相棒を大切にしてくれよ?
 次にもう一人の《壊れ者》についてだけど、これを読み終えたころには頭の中に情報が送られているよ。
 そして、このアルグレイドの敵、それは7つの大罪、セブンズ・ギルティと呼ばれている奴等だ。
 それぞれの象徴としている大罪を能力にしているから気をつけてね。
 詳しいことはもう一人の《壊れ者》に聞いてね♪
 大丈夫、君たちは同じ《壊れ者》、必然的に惹かれ合う存在なんだから。

                                 アルグレイドの神 ヴィンセント

 
「これ、説明書、見たいなものかな」
 夕音は手紙を封筒に戻して机の上に置く。
 部屋にある鏡で、自分の首筋を見てみる。
 右側の首筋に、コブラのような刻印が刻まれている。
「これが、夕音の…よろしくね、能力さん」
 夕音の挨拶に、刻印が反応するかのように紫色に輝いた。
「えっと、……これが、もう一人の…」
 鏡から離れ、再びベッドに腰掛けると、頭の中に突然一人の青年の顔が浮かび上がった。

 歳は恐らく自分に近い、ボサボサの黒髪で、ラフな格好をしている。
 一番特徴的なのは、右目の黒い瞳と、左目の蒼い瞳、オッドアイというものか。

 これが、もう一人の《壊れ者》…。
 殺さないように、気をつけなくちゃ、ダメなのかな?
 いくら同じ道を選んだ者だとしても、やはり今までが今までだ。
 いきなり人間が変わるわけじゃない。
「とにかく、明日になってから、探そう…」
 再び布団に体を包み、静かに目を閉じる。

 今日起きたことが、全部ぜーんぶ…

 ……「夢じゃありません」ように…

ステージ2 運命的エンカウント

 ―――危ない!

 ブレーキの音が響き、俺の目の前で、大切な親友が……

 俺の目の前で…命がッ!

 俺の伸ばした手は、届かなかったのか?
 助けられなかったのか?
 
 紅い飛沫が舞う。
 俺の顔にソレがかかる。
 生暖かい、今まで体内に流れていたソレを、俺は静かに拭い取り、改めて目の前を見る。
 無残に、
 残酷に、
 非情に、
 目の前で、肉の塊となったソレを見て、俺は

 俺は、おれは、オレは……

 何も出来なかった。

     √

 ガバッと、勢いよく涙は起き上がった。
「……クソッ」
 久しぶりにあの夢を見た。
 涙が壊れるきっかけになった、あの時の夢。
「なんで今……最近は見なかったのに」
 はぁ、と頭を抱える涙。
 そして気づく。
 涙の掛け布団がなくなっていることに。
「あれ、何でだ?」
 寝相悪かったかな?
 そう思い、ベッドの下を除いてみた。
 ―――と、そこには奇妙な光景があった。
 
 涙の寝ているベッドの下に、何かもぞもぞ動く物体がある。
 どうやら涙の掛け布団を奪ってそれに包まったのだろうが…
 誰だ?
「おい、何してんだ」
 布団を掴み、それを引っ張る。
 包まっていた中身を見て、涙は…
「…………………」
 言葉を失った。

 そこにいたのは、会ったことは無い、だがしっかりと記憶に焼きついている人物。
 黒いセーラー服に綺麗な茶髪の少女。
 そう、もう一人の《壊れ者》、千歳 夕音だ。
 
 もう一人の《壊れ者》、夕音は気持ちよさそうにすやすや寝ている。
 それだけならまだ微笑ましい、ゲーマーである涙なら「どこのギャルゲーだっての」と、笑い飛ばしているだろう。だが、笑えないのは。
 夕音が握っているコンバットナイフがキラリと光る。
 今にもナイフを振り下ろそうとして、突然眠りに落ちた。そんな様子だった。
「これが、もう一人の…?」
 とりあえず起こしたほうがいいのだろうか?
 あの少年、ヴィンセントの言う通り、あっさりと引き合ったな。
「探すまでも無い、か」
 と、少し警戒しながら夕音からナイフを奪い、机の上におく。
 そして、夕音の体を少しだけ揺らす。
「おい、起きろ、おい………」
 夕音の体に触れる際、自身の左手に刻まれた刻印が目に入る。
 夢じゃ、なかったんだ…。
 涙は小さく笑い、夕音を起こした。
「起きろって、おい」
「ん、ぅ……」
 ようやく夕音が薄く目を開く。
「おぉ、起きたか、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「…ッ!……ッ!!」
「…へ?」
 刹那、涙の背筋に鋭い悪寒が走った。
 反射的に体を左にそらす、とそのコンマ1秒後に、夕音の右手が涙の首を掠めた。
 ジワリと冷や汗が滲む。
「ちょ………あぶねぇな」
「ッ?よけ、られた?」
 互いに目をパチクリとさせる。
 そして―――
「―――――ダッ!」
「っあ…」
 本能的に恐怖を感じた涙は、青ざめた顔で夕音の脇を全力で駆け抜け、部屋を抜け出した。
 夕音はきょとんとしたまま立ち尽くしていた。

 部屋を出て外に飛び出た涙は、走りながら目を疑った。
 なんか猫耳生えてる女の子がいる!?
 うぉっ!尖った耳、エルフ耳の人もいるぞ!?
 メカニア…ってのはどういう姿してんだろう?
「まさか、とは思ってたけどマジでいろんな種族がいるんだな」
 チラッと後ろを確認すると、夕音がナイフを片手に追いかけてくる。
「嘘ッ!?マジかよ!」
 俺なんかしたっけ!?
 心の中で叫ぶ涙だが、彼は知らない。
 夕音に殺人衝動があることを、そして彼女が連続殺人鬼だということも。
「だーッ!だから人間は嫌いなんだよ!わけわかんねぇ!」
 叫びながらも人ごみから離れようと逃げ続けた。

     *

 かわされた?
 夕音はあの瞬間が数時間ような感覚にとらわれた。
 攻撃の瞬間、確実に殺した、という確信があったのに。
 自分の攻撃がかわされた事など、今まで一度も無かった。
 それはおろか、あそこまで冷静に対処したことに驚きだ。

「嘘……」
 そして、改めて自分に気づく。
 殺人衝動に駆られた、殺人鬼の自分に変わっていくことに。

 わからない、あの青年が。
 夕音の攻撃を、唯一かわすことが出来らあの青年が。
 興味がある、その筋肉に。
 興味がわいた、その命に。

 殺してみたい。

 彼の腕を、足を、首を、切り落としてみたい。
 血をすべて抜き取ってみたい。
 この胸の高鳴りを沈めたい。
「殺して、みたい…」
 気が付くと夕音はすぐに行動していた。
 ヴィンセントの注意はこのとき、彼女の頭の中からすっかり消えていた。
 ただ欲望に忠実に。
 机に置かれたナイフを拾って懐に携え、青年の――涙の後を追いかけた。

     *

 どれくらい走っただろうか、人ごみは出来る限り避けようと必死にあっちにこっちに曲がっていた。
 気が付けば、人気の無い森林公園の中にいた。
「こ、ここまでくりゃ、なんとかなるか…」
 大きな木によりかかり、深呼吸を繰り返す涙。
「くそ、可愛いからって油断した、なんなんだよ急に…」
 あの一瞬。
 本当に一瞬だが、夕音と目が合った涙は、彼女の心が見えた。
 まだ少ししか見えてないが、あれは……
「確かに、壊れてるね…ったく」
 ふぅ、と息を吐いた涙。
 の、目先をナイフが掠めた。
「おわぁ!」
 危うく目玉が真っ二つになるところだった。
 涙は後ろに飛び、近くの岩に着地する。
「ったく、危ないな……おい女、お前、名前教えろ」
 岩に腰を下ろしながら、見下ろすように夕音を睨む。
 夕音は木に突き刺さったナイフを握りながら、呆然とした瞳で涙を見る。
 
 ―――きた。

 涙は夕音の瞳の奥を見つめる。
 彼女の真意を、見つめる。

 瞬時に流れてくる夕音のヴィジョン。
 彼女がこうなった理由が、彼女の衝動的な殺意が、そしてそれに恐怖し、衝動に対する支配を忘れてしまったことが、殺人が本能的に快楽に感じていることが、

「ッ…とぉ…こりゃあまた」
 背筋が凍りついた。
 今まで出会ってきた人間の中で、恐らく一番壊れているだろう。
「なぁ、いい加減名前くらい教えてくれよ、もう一人の《壊れ者》さん?」
 立ち上がり、自分の左手を見せる。
「俺は冴崎 涙、自己紹介くらいは出来るだろ?」
「………………………」
「だんまり、か…」
 なら、と。
 頬をぽりぽりと掻きながら、しかし出来る限り冷たい目線で、
「それとも、自分の名前は無いつもりか?殺人鬼」
「ッ!」
 瞬間、夕音の目つきが変わった。
 呆然とした表情から、殺意をこめた鋭い視線で涙を睨む。
「驚いたか?……俺に隠し事はできねぇぞ」
 ヘラヘラしながらも、しっかりと夕音を見つめて、
「もう一度聞く、お前の名前はなんだ」
 夕音は少し考え、小さくつぶやいた。
「…………ゆ、夕音は、夕音だもん」
「…………………へぇ」
 夕音はナイフから手を離し、自分の胸に手を当てる。
「ゆ、夕音の名前は、千歳 夕音、じゅ…17歳」
「千歳、ね…ちゃんと会話出来るんじゃん」
「夕音は、別にあなたが、嫌い、って訳じゃ、ないの…」
「ナイフを振り回しといて?」
「あ、そ、それは……その…」
 うろたえながら手を振り、否定の意思を表す夕音。
 もちろん、涙にはそれが本心じゃないということはわかっていた。
 そして、わかっているからこそ、心の底から警戒心を剥き出しにしていた。
 
 十数秒間おろおろしていた夕音だが、ぴたりとその挙動を止め、ダランと体の力を抜く。
 涙の視界から夕音が消えた。
「―――――死んで」
「っと!」
 静かな殺意と共に夕音は涙の背後に飛んでいた。
 コンバットナイフが涙の首を掠める。
 夕音は着地と同時に再びナイフを振る。
「ちょ、いつの間にナイフを引き抜いてやがった!」
 夕音の攻撃速度もすごいが、それを紙一重ですべてかわす涙の動きも常識離れしていた。
 そして、先ほどの大きな木まで下がる。
 涙がキッと夕音の攻撃に備えると、夕音は次の攻撃はしてこない様子。
「夕音ね、君に興味があるの」
 ナイフを弄びながら涙を見つめる。
 その顔がだんだん高揚していく。
 夕音の頬に汗が伝う。
 不思議とその姿は妖艶なイメージを涙に持たせた。
「今まで、夕音が殺せなかった人はいなかった、全員、やくざも、いじめっ子も、クラスメイトも、みんな夕音の攻撃一つで死んじゃったのに…君は、夕音の攻撃を全部かわして、まだ死なない、まだ殺せない…すごく、イイッ♪」
「そりゃあ、どうも」
 涙は苦笑いでそれに応じる。
「なら、もう狙わなくてもいいんじゃないかな?俺に千歳の攻撃は当たらないぜ?」
「…うん、なんで当たらないかわからない」
「それなら―――」
「だから、殺してみたいッ」
 夕音はナイフを構え、まっすぐ涙の飛び込んだ。
 弾丸のように一直線に、涙の喉元をめがけてナイフを突き出す。
「―――――ッ!」
 その攻撃に対して涙は、ぎりぎりまで回避せず、
 ナイフが喉に食い込んだ直前に横に反れた。
「なっ!」
 夕音は目を見開いたまま先ほどと同じ木にナイフを突き刺す形になる。
 ズドンッ!
 まるで弾丸が撃ち込まれたかのような轟音が公園に響く。
「また、避け、られ…た?」
「……お、おぉー、危ない危ない、喉が切れちゃったじゃんか」
 軽くおどけながら喉の傷口に手を当てる。
 表情とは裏腹に、心臓が爆発しそうな勢いで暴れていた。
(回避が後1秒でも遅かったら死んでたな…まさか俺の予想の速度より速いなんて…)
 
 対する夕音は突き刺さったナイフを呆然と見つめながら、涙を見る。
 何を考えているのかわからない瞳、夕音の背筋がはじめて凍りついた。

 ―――この男を、冴崎 涙を殺すことは、不可能なんじゃないか?

 全力の速度の突きすらかわした男を、夕音は捕らえられるのか?
 否、不可能に近いだろう。
 なら、どうやって殺せばいい?
 いや、そもそも殺さなくていいのではないか?
 この男なら、
 涙なら、夕音の願いを、
 夕音の衝動を止めることが、出来るのでは?

「どうした、ぼーっとしちゃってさ」
「別に、何でも……ない」
「なら、何でもないならいい加減俺を殺すの諦めてよ」
「……………」
「そこで黙るなよ…」
 軽くため息を吐いたそのとき、涙じゃないと聞き逃すほどの、小さな音がした。
 ピキッ、と、見てみれば夕音のナイフが突き刺さっている木に亀裂が走っている。
 亀裂はゆっくりと、だが確実に広がっている。
「ちょ、千歳?」
「…何?」
「今から俺の言うこと、マジで聞いて」
「なん、で?」
「やばいから、今の状況が」
「な、にを…今更」
「うんそうなんだけどね」
 ぶっちゃけ、ナイフで襲ってくる少女ほどやばい状況は今のところ無いだろう。
「いいから言うこと聞け、死にたいのか?」
「む、夕音、ナイフがあれば、負けない」
 夕音がナイフをぐっと掴む。
 亀裂の隙間が広がる。
「わー!ナイフは掴むな!相手なら後でしてやるからナイフだけは触るな!」
「なに、を、訳のわからないことを」
「木にヒビ入ってんの!抜いたら倒れるぞ!」
「う、そ…夕音をだまそうとしても、無駄」
「嘘じゃないって!」
 涙の必死の説得を信じず、その場にとどまり警戒していた夕音、だが。
 タイムオーバーだ。
 亀裂は完全に一蹴し、木は夕音に向かって倒れていく。
「…ッえ?」
「危ない!」
 夕音が小さく声を出すのと、涙が駆け出したのは同時だった。 
(ダメだ、間に合わない!)
 夕音と涙の距離はやく10メートルちょっと、夕音は木の根元に立っているから今からじゃとてもじゃないけど避けきれない。
 しかも最悪なことに夕音は硬直している、これじゃ避ける以前の問題だ。
「このっ……ッ!」
 涙の左手の刻印が輝く。
 すると、涙の体が羽のように軽くなり……

 ドスンッ

 木は倒れ、あたり一面に土煙が立ち込める。
 木の下には―――誰もいない。
「はぁッ…はぁ……はぁ…」
「――――――――――――え?」
 夕音は目をパチクリさせていた。
 荒い息遣いで呼吸を繰り返す涙は、夕音をぎゅっと抱きしめたまま固まっていた。
 遠くはなれたところに土煙が見える。
 その距離は、およそ50メートル弱はあるだろう。
(まさか…あの一瞬で、夕音を抱えて?)
 夕音は、涙の背中に黒い翼が生えていることに気づいた。
 涙自身はまだ気づいていないようだが、もしかしてこれが、
(のう、りょく…なの?)
 涙に与えられた能力は、自分を加速させる力?

 ―――いや、そんなことよりもだ。

 夕音はいまだに自分を放そうとしない涙を見る。
「はぁ…はぁー…よかった」
 ボソッと、涙は小さくつぶやいた。

 …よかった?
 夕音は困惑した。
 よかった、それは自分が助かってよかったということか?
 いや、それなら殺人鬼である自分を助けた時点でまだ命を狙われるかもしれない、それはよくないはずだ。
 ということは、必然的に夕音を助けてよかったということか?
 殺人鬼の、ましてや数秒前まで自分を殺そうとしていた相手を助けてよかった?
 何故だ?この男、なにを…?

 ギュッ……

 夕音を抱きしめる涙の力がわずかに強くなる。
 どうする?今なら油断した涙を殺すのは簡単だ。
 ナイフが無くとも手刀で首をへし折るのは造作も無い。
 恐らく避けることもないだろう、だが…
(なに、この……胸の、ざわめきは…)
 夕音は今までに感じたことの無い感覚に飲み込まれていた。
 顔が熱い。
 胸が苦しい。
 体の力が抜ける。
(ダメ…気を、抜いたら…気絶、しそう)
 うまく言葉が出てこない、これは一体…?
 涙はようやく呼吸が落ち着いたのか、ゆっくりと夕音を放す。
「ぁ……」
 思わず声が出そうになった。
 暖かい感覚が離れてしまった。
 ばつが悪そうに頬をぽりぽり掻きながら涙。
「ごめん、なんかずっと抱きしめてた」
「あ、い、いや…大丈夫、です」
 なぜかその場に正座して夕音はうつむいた。
 ダメだ、今彼の顔を直視できない。
 どういうことだ?この感情は……もしかして?
「えっと……とりあえず、部屋に戻ろうか、今なら落ち着いて話が出来そうだし」
「う、うん…」
 夕音は涙の手を借りて立ち上がり、その後も顔を伏せたままだった。

     *

 部屋に戻った二人は、涙はベッド、夕音はイスに腰を下ろした。
「…で、だ」
 話を切り出したのは涙だった。
「さて、どうやらまず最初に、俺の能力は加速系みたいだな」
 自分の左手を眺めながら夕音を見る。
 ふむ、こうしてみるとやはり可愛いな、この女。
 抱きしめてみてわかったけど肌とかかなり柔らかいし、黙っていれば人形みたいだ…
 まぁ、あの殺人衝動は困るけど。
「千歳はどんな能力なの?」
「え、あ、いや…ゆ、夕音は、まだわからない」
 いまだに涙の顔を直視できない夕音はうつむきながら答えた。
「……ねぇ、千歳」
「あ、ぇ、は、はいッ」
「まだ、その……抱きしめたこと気にしてる?」
「ふぇッ!?あ、え、そ、そんなこと、なななななないよッ!」
「…めっちゃ気にしてるよね、それ」
 はぁー…と、深いため息をしながら頭をバリバリ掻く。
「あー、そのなんだ、悪かった…あんときはあーするしかなかったんだ」
「だ、大丈夫だよ!ぜ、ぜんぜん平気…だから」
 夕音はバッと顔を上げて手を振る。
「そ、それより、き、君も、だいじょう、ぶ?」
「ん、俺は平気だよ」
 こいつのおかげでな。
 そういいながら左手をヒラヒラさせる。
「さてと、それより千歳、これからについて考えよう」
「ん?…これ、から?」
「あぁ、このアルグレイド・オンラインをクリアするためには、いくらなんでも情報不足だ」
「アルグレイド、オンライン?」
 夕音が首をかしげる、それを見て涙は「あぁ」と気づき、
「俺が勝手に名づけた、ヴィンセントの言っていたゲームの名前さ、この手のファンタジーゲームはよくMMORPG、オンラインゲームによくあるシュチュエーションだからな、だから《アルグレイド・オンライン》だ」
「へぇ…もの、しり」
「常識だよ、さて話を続けるけど」
 涙がポケットからスマートフォンを取り出す。
「普通、ゲームで必要なのは装備の確認と、今いる場所の把握、戦い方、あと今回なら能力の使い方だ、でも今何より必要なのは……情報だ」
「じょう、ほう?」
「あぁ、今の俺たちは情報量が圧倒的に少ない、まだ敵の存在すら把握できてない上にどんな奴が敵なのか、この世界のルールなんなのか、それもまだわからないってのが現状だ」
 涙はスマホをポケットにしまい、立ち上がった。
「とりあえず散策だ、情報を集めないとね」
「………………」
 夕音はぼーっと涙を見つめている。
「?…千歳?」
 心配になった涙は夕音の顔を覗き込む。
 と、そこで我に返った夕音は一瞬で顔を真っ赤にした。
「~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
 ガバッと跳ね除け、ナイフを構えた。
「な、なななななな、なにしてるですか!」
「え、いや急にぼーっとしたから心配になっただけだよ?」
 口をあわあわとさせ、構えたナイフもガタガタ震えている。
 何に動揺してるんだ?
 涙は首をかしげながら、
「まぁいいや、今日はこの辺で寝よう、流石に疲れた」
「は、はははははいっ!」
 いまだに心臓の高鳴りが止みそうにない胸を抑え、夕音は涙が寝静まるまで眠れなかった。

     √

 翌朝、部屋を出る直前に涙が思い出したように告げた。
 ほんの些細な一言。

「あ、言い忘れてた」
「…ッ?」
 階段を下りている途中、涙は振り向き、
「あまりおどおどすんな、胸を張れ」
 と言ってスタスタ歩いていった。
 夕音はその場に立ち止まり、ふと気づく。
(おどおど、するな……初めて言われた)
 夕音はまだ熱い頬に手を当て、小さく微笑んで涙の背中を見つめた。
 意見をまっすぐ言われたことは初めてだった。
 そのためか、彼女にとってそれはとても衝撃的なことだった。
(おどおどしない、はっきりと…ッ!)
 彼は防御と回避はずば抜けているが、あの能力だと戦闘には向いていない。
 となると、
(涙くんを守るのは、夕音の役目!)
 ぐっと拳を握り締めて強く誓った。
 彼を守る。と。
 今まで殺すことしか知らなかった夕音にとって、その心の変化は想像以上のものだった。
(さっそく一つ変わったよ、夕音はッ!)
 昨日の夜までは人はそう簡単には変わらないと思っておきながら、
 でも、
 たった一つのきっかけで、人は大きく変わることが出来る。
 彼女はそれを実感しているに過ぎない。
 そう、これが『普通』なのだ。
 今まで彼女の中に無かった『普通』のこと。
「待ってよ、冴崎くん!」
 夕音はこれからに胸を高鳴らせ、期待に目を光らせながら前に進みだした。

ステージ3 ネコ耳ピコピコ


 夕音は死神で、疫病神。
 夕音に近づけば、絶対に死ぬ。
 否、夕音が殺す。
 だから誰も、夕音には近づかない。
 夕音も、誰にも近づかない。

 でも、だからこそ、

 寂しかった
 甘えたかった
 寄り添いたかった

 誰よりも人に怯え、
 誰よりも人の温もりに飢えていた、
 
 誰かが隣にいて欲しかった、
 誰かが夕音を止めて欲しかった、
 誰か、夕音を愛して欲しかった、

     √

 月が照らす室内、そこに、3人の男女がいる。
 男がベッドにゆっくりと歩き、
「づはぁ~…つ、疲れた…」
「大丈夫?冴崎くん」
「だいじょーぶ?」
 月明かりが照らす室内に、涙はベッドに横たわりうだっていた。
 それの光景をまるで弟でも見るような暖かい目で見ている夕音、しかし、
 …なんかもう一人いる。
 ネコ耳をピコピコさせている年端も行かない少女、いや、幼女?
 ルビーのような紅い瞳に、露出度かかなり高いワンピース型の服、しかもサイズが大きくて肩からずり落ちている。
「大丈夫?じゃねぇーよ…そもそも疲労の原因は9割ぐらいお前達の所為だからな!?」
 ガバッと顔を上げて夕音とネコ耳少女を睨む。
 そこには一切の邪気が無い、満面の笑みの夕音。
 そしてもう一つは、愛らしい笑みのネコ耳少女。
「はぁ…」
 涙はただため息を吐くしかなかった。
「やっぱり、人間嫌いじゃなくて、生き物嫌いにでもなろうかな…」
 再びベッドに顔を埋める涙、その思考は今日の朝に巻き戻る。

     
 部屋を出た涙と夕音は、手始めにこの国のことを誰かに聞くことにした。
 服装はエルフ、人間、獣人によって違うため、彼らが普段の格好をしていても浮くことは無く、町の風景も普通の都会、ただ緑がところどころにあるという点を除けば、今まで彼らがすごしてきた世界となんら変わりは無かった。
「まずはこの町について聞きまわるか」
「うんッ」
 涙の呟きに返事を返す夕音。
 その顔をじっと見て、ぼそりと、
「お前、何か良いことでもあったのか?」
「え?なんで?」
「いや、なんか急にハキハキと喋りだしたなって思ったから」
「えっ?そうかな」
 少しだけ照れたようにうつむく夕音。
 もちろん彼は気づいていない。
 そのきっかけを与えたのは自分だということに。
「別にいいでしょ?夕音も変わるもん」
「ふーん…まぁいいや」
 そういって再び前を向く涙。
「冴崎くんは変わらないの?」
「何が」
 歩きながら夕音の言葉に耳を傾ける。
「ヴィンセントが言っていたでしょ?自分を変えるためのゲームでもあるって」
「あー…アレか」
「だから夕音は早速変わってるの!冴崎くんは何かある?」
「別に、ただ今こうして他人と外を歩くって時点で大きな進歩だ」
 今までは、ずっと部屋に引きこもりっぱなしだったからな。
 涙は苦虫を噛み潰したような表情になる。
「そもそも俺は人が嫌いなんだよ」
「うん、夕音も嫌いッ」
「じゃあ何で俺は平気なんだ?」
「同じ《壊れ者》だからかな?」
 違う。
 本当は助けてもらったからで、
 本当は夕音が殺せなかった初めての相手だからで、
 本当はそんな彼に惹かれているからだ。
「あっそ」
 興味無さげに返事を返し、スタスタと涙は歩いてしまった。
「そ、れにね!」
 夕音は涙の隣に並び、彼の顔を見上げた。
 何を考えているのかわからない表情。
「冴崎くんの能力はスピード型で、あまり戦闘向きじゃないでしょ?だから夕音が守るの!」
「勝手に決めるな、………いや、やっぱ頼りにするわ」
「~~~~ッ!うんッ!」
 歓喜に顔をほころばせる夕音。
 それを横目で涙、
(まぁ確かに、いざとなれば利用出来るだろ)
 どうあがいてもこいつは人間、やはり信用は出来ない。
 なら、相手がこちらを信用しているその気持ちを利用するしかない。
(あまり腐りたくないんだけどな)
 このゲームで、俺は変われるのか?
 涙はそんな疑問を抱きながら歩いた。

 その背中を追いかけながら、夕音はポーッと顔を紅くした。
(なんだろう、冴崎くんといると、やっぱり胸がモヤモヤする…)
 まだその感情がなんなのかわかっていない夕音にとっては、そのモヤモヤは不快だが快感に感じているはずだ。
(でも、頼りに、頼りにしてるって言ってくれた、夕音のこの力を、役に立てるッ!)
 利用されているとも露知らず、夕音はさらに気持ちを高ぶらせた。
 いや、もしかした気づいているのかもしれない、利用されていることに。
「さ、適当に情報を集めようぜ」
「……っあ、うんッ」
「よし、そんじゃあ手始めにーっと」
 涙がきょろきょろしていると、視線の端に何かを捕らえた。
「んー?」
 見てみれば、大柄な男が3人、小柄なネコ耳少女を囲んでいる。
 どうみても穏やかな空気じゃない。
「……冴崎くん?」
 夕音が彼の名前を呼んだ時には、彼は歩いていた。
 まっすぐ、まっすぐ……


「なー、いいだろー?ちょーっとだけだって」
「すぐに良くなるからよ」
「い、いやッ」
 ネコ耳少女はネコ耳をピコピコさせて反発している。
 一人の男がネコ耳少女の肩を乱暴に掴んで逃がそうとしない。
「は、放してッ!」
「君が俺たちと一緒に来るならなー?」
「ッ、そんな…」
「それとも、無理やりにでもいいんだぜ?まぁその場合ならここで、って話だけどな」
「い、嫌っ!」
「大体そんな露出度たけぇ服着といて、誘ってんのかっての」
「こ、これは獣人の正装!」
「ごちゃごちゃうるせぇな、いいから脱げってッガガッ!?」
 男の一人が白目を剥いて沈んだ。
 大きな口からゴボゴボと泡が吹き出ている、
「ッな!」
「誰だッ!ゴェッ…」
 振り向いた刹那、もう一人の男も沈んだ。
 四肢を痙攣させ、まるで感電したみたいだ。
「な、なんだ、誰だ!?」
 最後に残った男がきょろきょろ辺りを見る。
 そこには、誰もいない。
 姿が見えない?
 いや、違う。

 見えない速度で男二人を静めた人物が、最初に沈めた男の背中に華麗に着地を決め、ただ一言。

「誰だ?俺様だ」

 鋭い眼光のまま、涙はニヤリと笑った。
 肩を掴んでいる男はそのまま流れるように、ネコ耳少女の首に腕を回す。
「キュッ!?」
「な、何しやがった!」
 ネコ耳少女はたやすく浮き上がり、首を吊られた状態になる。
 男はじりじりと後ろに下がる、が。
「それ以上下がったら殺す」
 涙の一言で動きが止まった。
 その眼光で睨まれれば誰でも止まるだろう。
 視線には、一切の冗談は入っていない、ただ本気で殺意のみを出していた。
「俺はその女に用がある、さっさと消えるか、俺に狩られるか、どっちか選べ」
「あ、あぁ!?ふざけんな、テメェこの状況がわかってねぇのか?こ、この女の首ぃへし折られたくなかったら…」
「折られたくなかったら、なんだよ」
「ッな!?」
 男が気がついたときには、腕にネコ耳少女の姿は無く、代わりにネコ耳少女は涙に抱えられていた。
 彼女自身も何が起きたのか理解しておらず、ただキョトンとした様子で、ルビーのように紅い瞳を涙に向けていた。
「て、テメェ…何を」
「うるせ」
 男の台詞を遮るように足を払い倒す。
 呻く男の腹部を踏みつけ、ギロリと見下ろす。
「俺は今、非常に機嫌が悪い、何でかわかるか?」
 黒と蒼の瞳に睨まれ、男は背筋が寒くなるのを感じたのだろう。
 静かに息を飲んで答える。
「わ、わからない…です」
 ガクガクに怯えながら男は答えた。
 ピクッ
 涙の眉がわずかに動く。
「わからない、だぁ?」
「ひぃッ!」
「わからねぇなら教えてやるよ…」
 涙は大きく足を振り上げ、
「目障りなクソが、目障りなことをしてるからだッ」
 足を振り下ろし、男の意識を刈り取ったということは、言わなくてもわかるだろう。

「冴崎くん、その子は?」
「んー、絡まれてたから助けたー」
「いや、夕音が聞いているのはそこじゃなくて」
 ジト目で涙を見る夕音。
「なんで、その子は冴崎くんの肩にへばりついているの?」
「へばりつくって言うか肩車だろうな、この状態だと」
「~♪」
 涙と夕音のやり取りを気にしないように、ネコ耳少女は鼻歌を歌いながらネコ耳をピコピコさせている。
「しょうがないだろ、なんか知らんがくっついてきたんだから」
「ならなんで助けたの…」
「え?だってこいつ人間じゃないし」
 そう、涙がこの獣人を助けようと思った理由、そして今もこうして肩車を許している理由。
 それは、彼女が『人間』の部類じゃないからだ。
 人間だったらどうするのか、もちろん男たちを蹴散らすだけ蹴散らして後はさっさと退散するだろう。
「そういう問題なの……」
 もはや呆れてため息を吐く夕音。
 彼女が気に入らないのはそこではない。

 なぜ、あのネコ耳少女は涙の肩に乗れているのか、だ。

(それになに、この気持ち…なんか…………すっごいイライラする)

 思いっきり嫉妬心を剥き出しにしていた。
 腰のナイフに手をかけるほどに、そして、
「千歳、すんごい殺気出てる」
 涙にも気づかれるほどに。
「お前なぁ、ガキ相手に殺意なんか出してんじゃねーよ、っていうか何でお前が不機嫌なのさ」
「冴崎くんには関係ないもん」
「関係ないなら俺を睨むな」
 嘆息しながら涙は肩車をしているネコ耳少女に目を向ける。
「おい、お前名前は?」
「んにゅ?名前ー?」
「のわっ、バカ!顔が近い!」
「お顔赤いよー?びょーき?」
「違うッ!いいから顔を上げろ!」
「にゃー♪」
「冴崎くん、今すぐそいつ3枚に下ろすからどいて」
「お前はお前で何をしようとしている!」
「うぅ…だって」
「で、お前もだ」
「うにゃっ」
 涙はネコ耳少女の襟首を掴んで持ち上げる。
 そのまま自分の目線まで持ってくる。
「俺の質問に答えねーんなら、お前に用は無い」
 静かにそう告げると、ネコ耳少女はネコ耳をペタンと倒し、しゅんとした。
「捨てるの?」
「捨てられたくねーなら答えろ」
 どの道聞くことを聞いたら捨てるけどな。 
 涙は心の中で補足する。
 
 こいつを拾ったのはあくまで『獣人』という新しい情報源で、しかも人間じゃない。
 人間じゃないなら俺が毛嫌いする必要ないし、獣人という未知の情報も得られる。
 ついでにアルグレイドについて簡単に疑いも無く答えてくれそうなガキだからな。
 利用しない手は無い。

(俺も最低な奴になったもんだな…)
 目の前で思いっきり凹んでいるこのネコ耳少女を見ていると、やはり多少なり罪悪感がある。
「…いつまで黙ってんだ、喋んないと」
「3枚に下ろすよ?」
「お前は黙ってろ」
 ナイフを構えた夕音の頭をグイーッとどかし、ネコ耳少女と目を合わせる。
 獣のような瞳孔は、まっすぐに涙を見つめている。
「レティア……レティア・トランス」
「レティア、ね、わかった」
 地面にレティアを降ろそうと腕を下げる、が。
「おい、何でしっかり掴んでんだ?」
「す、捨てられたくない」
「いや、普通に降ろすだけだが」
「3枚に?」
「千歳、次そのネタ引っ張ったら許さないぞ」
「う、うぅ……コクリ」
 夕音が涙目になっておとなしく下がる。
 レティアはまだ涙の腕にしがみついたままだ。
「……お前さ、家に帰る気無いの?」
 もうめんどくさくなった涙はレティアを家に帰そうと思った、が。
「家?…ないよ」
「は?」
 その言葉に、涙は声を漏らし、夕音は静かに目を見開いた。
 が、当の本人は無邪気の笑みのまま、
「住処壊された、私は一人、もう、捨てられたくないの~」
「…………」
「…………」
 二人が口をつぐむ。
 なんて言えばいいのかわからなかった。
 本人は気にしていないみたいだが、この二人からしてみれば別だ。
(一人…か)
 涙は自分の腕に必死にしがみついている少女を見つめてふと自分の姿と照らし合わせてしまった。
 捨てられたくない恐怖。
 誰かが自分の下から離れていく恐怖。
 それはどちらもまったく同じ恐怖だろう。
 まだレティア自身はその恐怖の本質を理解していないからいいものだが。
 そして、同じ恐怖だと理解したからこそ、涙は、
「………はぁ」
 自分の腕を頭に回した。
「乗れレティア、腕が疲れた」
「―ッ!うんッ!」
「しょうがない、よね」
 夕音も流石にこの状況で嫉妬するわけにもいかず、何も言わなかった。
「ねー、おにいちゃんの名前はなんていうの?」
「あ?涙だ、涙」
「ルイ…るいにぃだね!」
 勝手にしろ、小さく吐き捨てる。
 さて、いい加減本題に入ろう。
「それよりレティア、教えて欲しいことがあるんだけど」

     √

「…あの後まさか体が張り裂けるまで遊びにつき合わされるとは…おかげで筋肉痛だ」
「あはは、冴崎くんは体が弱いね」
 連続殺人鬼でありながらずば抜けた運動神経を持ち合わせた夕音と比べられてもな。
 涙は夕音を軽く睨みながら、
「お前とは違うの、しかもあいつは野生児だぞ?勝てるわけが無い」
 腰をさすりながら苦々しく呟く。
(俺は反射神経と危機察知に長けているだけで、運動神経自体は人並みなんだぞ…ったく)
 まさか例の森林公園で木登り、かけっこ、鬼ごっこ、かくれんぼなど、体を動かす遊びを合計で30種やることになるとは思っても無かったであろう涙は、悲鳴を上げている体を無理やり起こし、二人を見る。
「そ、それで、だ…千歳、来い」
「うん」
 涙に手招きをされ、夕音は涙のベッドのそばに座る。
「レティアのおかげで、だいぶ情報が掴めた、今からまとめるぞ」
「うん、わかった」
「私も手伝うのー」
 涙の背中にのしかかるように体重をかけるレティア。
 なんだか親子のようだ。
 いや、年齢からすれば兄妹だろうか?
 もちろん涙は鬱陶しそうにするけど。
「それじゃあ、まとめるぞ」
 涙はスマホを取り出し、大きな用紙を広げた。

 今回得た情報、それは―――

 この世界、アルグレイドは4つの種族で成り立っている。
 ヴィンセントのいっていたように人間、メカニア、獣人、エルフの4種族、そして彼らにはそれぞれ特性があるようだ。

 人間は、これといった特性は無いものの、異能を使える者が多少なり存在する、だが寿命は4種族で一番速いため、残り3種族が滅ぼそうと思ったらすぐに滅ぼせるらしい。
(弱すぎだろ、人類)
 思わず同情してしまう。

 次にエルフ、彼らは古代樹の森が加護している国家で、生まれつき魔力と寿命が高く、人間を見下している。
 中には共存を望む者もいるようだが、ほとんどのエルフは独立国家を目指している。
 特徴は尖った耳で、レティア曰く「なんかむかつく種族」らしい。

 メカニアは、人類が生み出した機械が自我を得て急成長していった種族で、基本的には人間に従順。
 中にはそのメカニアの心を弄ぶクソ野郎がいるらしいが、人間はその程度の下種だと涙は思っている。
 姿形は人間にそっくりで、見分けるのは困難、だが機械なので年を取らず、なおかつ寿命が無い。
 人類軍は従順なメカニアを兵器にする計画があるらしいが所詮は噂。
 メカファクトリーという国があるが、ランクで言えば人類国より下らしい。
 
 最後に獣人だが、レティアを見ればなんとなく理解できる。
 獣人はその名の通り「獣と人間が遺伝子的に組み合わさり生まれた存在」で、様々な動物と合成されている。
 ちなみにレティアは見た目どおりのネコで、神森と言う超大規模な森に住んでいるらしい。
 服装は涙たちの知識で言えば「原始人の服」で、非常にエロい。
 夕音曰く「動くのには最適そう」な服。
 メカニア、人類、エルフの抗争にはかかわらず、他国家との戦争には介入しない、完全に独立した種族。

 そして、この4種族が共存を目指している連合国家の一つが、今涙たちのいるスレイド・ヴァレルだ。
 ここでは多種族間の争いを認めず、真の意味で共存を目指している。

 種族関係では、エルフは人間を見下しているので、エルフと人類は超劣悪関係。
 メカニアと人類では、人類の下種な人間がいる所為で、人類とメカニアは主従関係。
 メカニアとエルフはそこまでの関係の悪化は無く、メカニアの武器技術にエルフは頼っているので、エルフとメカニアは割りと友好関係。
 獣人はどこにも属さないので関係皆無。


「…と、こんな感じかな」
 用紙にペンを走らせ、今ある情報をすべて書き上げた。
(やっぱり、人類は最低だな、しかも立場も弱いし)
 技術も、力も、その命すら残すに値しない。
 この関係図を見る限り、人類の味方は主従関係であるメカニアぐらいだ。
 そのメカニアも、いつ反乱を起こすか…。
「まぁ、人類との交流は不要か、そもそも俺たちもその人類なんだし」
「そうだね、エルフとも接するのは難しいと思う」
「だな、いくら連合国家とはいえ、偏見を持たれたままじゃなんとも…」
 ふむ、涙は静かに目を閉じる。
「まずは、メカニアを探すか?獣人はレティアがいるんだし」
「そうだね、でもどうやって見分ければ…」
「私出来るよー、メカメカと人間、匂いでわかる」
「「でかした野生児!」」
 思わず涙と夕音の声が重なる。
「よっしゃ、そうと決まったら明日はメカニアを仲間にするぞッ」
「おーッ!」
「にょー♪」
 涙の宣言に、夕音、レティアは賛同する。
「さて、もう夜だし寝ようか」
 涙は二人にそう促して一人立ち上がる。
「あれ?冴崎くん?」
「俺はちょっと散歩してから寝るよ」
 夕音はとっさに涙の瞳を見た。
「…わかった、レティア、先に寝よ」
「えー、るいにぃと一緒に散歩したいー」
「ダメ、切り刻まれたい?」
「さー寝よう!」
 冷や汗を滝のように流しながら寝支度をするレティア。
 夕音はそんなレティアを横目に、涙に目をやる。
「すぐに戻ってくるよ、それじゃおやすみ」
 夕音の意図を察したのかそうじゃないのか、涙は優しい笑みを浮かべて部屋を出た。

 …………

 部屋に静寂が訪れる。
「冴崎くん…」
 夕音はあの時、涙の瞳を見たときに感じた。
 何かを迷っている。
 そんな気がした。
「るいにぃ、寂しそうだった」
「えっ?」
 不意に布団からニョッと顔を出したレティアが呟く。
「何か、怖がってて、私やゆうねぇと一緒にいるのを、拒んだ」
「…………」
 野生の第6感という奴か、レティアはそう告げると寂しそうな顔をした。
「ゆうねぇも、何か迷ってる、それに二人ともアルグレイドの人じゃないでしょ?」
「まぁ、ね」
「だからアルグレイドを聞いた、私は利用できるから」
「そこまでわかってるなら、なんで付いて来たの?」
「それは…」
 レティアは口ごもる。
 だが夕音の意見は正しかった。
 自ら好んで利用されようとは思えない、相当のお人好しかただのバカかだ。
「あの時のるいにぃの目が、温かかったから」
「あの時?」
「私を、助けてくれたとき」
 あの男たちからレティアを救い出した時のことだろう。
「私を抱えたるいにぃは、温かかったから、そばにいたくなった、のかな」
 小さく笑いながら舌を出すレティア。
「ゆうねぇもそうでしょ?」
「夕音も?」
「うん、ゆうねぇも、るいにぃに助けられて、それで一緒にいたくなったんでしょ?」
「……………………………」
 無言の肯定、夕音は大きくため息を吐いた。
「あんた、それを冴崎くんにいってあげたら?きっと殺されるよ」
「でしょ、だから言わないのッ♪」
 このクソ幼女。
 夕音は静かに毒突いて布団をかぶった。

     √

「はぁー、星が綺麗だ」
 部屋を出た涙は、そのまま森林公園に向かった。
 ベンチに寝転がり、静かに空を見上げる。
(今回得た情報は大きい、やっぱりレティアを助けたのは正解だったな)

 だが、と涙は不安要素を考える。

 レティアはあの様子だと俺たちから離れない、ならもし、セブンズ・ギルティと戦うとき俺はどうすればいい?
 あいつも守って戦うのか?
 いや、それは可能だろう、なぜならレティアは人間じゃない、俺は人間を助けるつもりはない。
 なら、何故夕音を助けた?
 いや、そもそも

 敵はいつになったら現れる?

 どんなゲームでも、雑魚なりボスなり、一度戦闘を経験して勝ち負けを決めなくちゃ前には進めない。
 まして、ボスレベルが出てくるのだとすれば俺は確実に負ける。
 負けて、力をつけて再び挑むのが定石だ。
 だが、この世界に来てもう数日、だが敵の影一つ見当たらない。
 種族間の抗争や、多種族の争いがあっても、セブンズ・ギルティについての情報は得られなかった。
 そもそもこんな世界に、敵なんかいるのか?
「変わるためのゲーム、負ければ即死の世界を救うゲーム…アルグレイド・オンライン、か」
 微妙なネーミングセンスだな、俺。
 そう呟き小さく笑う。
 いいさ、俺は変わる。たとえ敵がいなくても。
 変わらないといけない、過去を捨てなくとも、過去を糧にすれば変われるかもしれない。
 だから俺は今夕音と一緒に行動している。
 今までの俺なら、あんな狂った殺人鬼、傍には置かないだろう。
 あいつの力は利用できる。
「利用できるもんは、すべて利用してやるさ」
 涙の呟きが、大きな夜空に静かに消えた。

 俺は、人間なんか嫌いだ。


 けど。

 
 人間じゃなく、そいつの「存在」なら、好きになってもいい。

ステージ4 コンティニュー


 私は気がつけば生まれてた。
 気がつけば一人だった。
 気がつけば喋れるようになった。

 でも誰も、家族が無かった。
 周りの人たちはみんないるのに、私はいない。
 寂しい、訳じゃないけど。
 周りから阻害された感覚が嫌だった。
 
 だからあの時助けてもらったとき、私はこの人についていきたいと願った。
 たとえ利用されているからでもいい。
 いや、利用されるのなら、彼の役に立てれば。
 そう思って…

     √

 朝、鳥のさえずりが聞こえる。
 朝日の光が涙の顔を照らし、ゆっくりと涙は目を開けた。
「…ねみぃ」
 徹夜が常識だった引きこもりゲーマーの涙にとって朝ほど意識がはっきりしない時間は無い。
 ゆっくりと起き上がり、その異変に気付いた。
 あれ?体が重たい。
「…んー…?」
 そして布団の上には野生児見た服が脱ぎ捨てられている。
 さらに、涙の布団の中からモゴモゴと何かが蠢いている。
「………………………………」
 チラッと横を見るが、夕音はまだすーすーと寝息を立てている。
 だが、いない。
 いるべきはずのもう一人が。
 そして、その野生児見た服はそいつが着ている服であって、
 それは、つまり。
「……………………おいおい、勘弁してくれ」
 どこのエロゲーだよ。
 夜這いならともかく、いや、それでもやばいことに変わりは無いが。
 朝這いっておい。
 ようやく頭の覚醒した涙は、最悪の予想を立て、恐る恐る布団をどける。
「ん、るいにぃおはよっ♪」
 そこには満面の笑みで涙の腰に抱きついているレティア。
 ただし、全裸。
 ネコ耳をピコピコさせ、紅い瞳は歓喜を浮かべて、なぜか頬が高揚している。
 妙に艶かしくてエロい。
 だが当然、こんなところで興奮できるわけも無く、
「…………」
 バサッ布団をどかし、即座にレティアの首を掴む。
 持ち上げた際にその裸体が目に入ったが気にしない。
(っていうか幼女に興奮なんぞするか)
 俺はロリコンじゃない。
 涙はそう自分に言い聞かせ行動に出た。
「にゅっ!?」
 驚いた声を上げたレティアだが、それを無視してレティアの服を取り、着せる。
 着終わったのを確認した涙は、そのまま流れるようにレティアを部屋のドアの外に放り出し。
 ドアの鍵をかけた。
「るいにぃ!?なんで!?」
「自分の心に聞いてくださーい」
「なんで!?私何か悪いことしたの!?」
「自覚ねぇのかよ…」
「教えてよッ!」
「人の布団に潜り込んだらいけません」
「ダメなの!?」
「ダメだよ、ってか何で裸だったんだよ」
「だって、獣人は基本寝るとき何も着ないんだもん!」
「マジかよ、露出狂か?」
「だから入れてよー!」
「反省した?」
「した!」
 即答した。
 絶対に反省して無いだろこのガキ。
 涙は渋い顔をしながら、ゆっくり振り返った。
「と仰っていますがどうしますー?千歳ー」
「そのまま締め出しちゃおう」
「はぁ、お前起きてるなら寝たふりするなよ、そしてお前、レティアが俺の布団に潜り込んだとこ、見てたろ?」
「ナンノコトカナ?」
「急にカタコトになるな」
「WATASIHASONNANOSIRANAIYO」
「何人だお前は」
 静かに夕音を睨み、一言。
「俺に隠し事はできねぇぞ?」
「う……」
 確かに、と夕音は思った。
 涙に隠し事をすればたちまちばれる。
 今までの経験でわかっていたことだ。
「はい、ごめんなさい」
 静かに頭を下げる。
「うん、よろしい」
 そして扉を開け、外からレティアが飛び込んできた。
「お前も今度から人の布団に入ってくるなよ」
「わかった!」
「ホントにわかったのかよ…」
 ジト目でレティアを睨みながら夕音を見る。
 まぁ、少なくとも夕音は反省しているみたいだ。
 ならいいか。
 涙は気持ちを切り替えた。
「うっし、ならお前ら準備しろ、さっさと飯食ってメカニアを探しにいくぞー」
「「おーッ」」

     √

 その後、町に出た3人は早速メカニア探しを始めた。
 とは言っても、当然メカニアに手当たり次第コンタクトを求めるわけではなく、適材適所を探すことにした。
「なぁ、メカニアってどんな匂いなんだ?」
 町を歩きながら不意に涙がレティアにたずねる。
「んー、なんか鉄くさい?あとドクンドクン聞こえない!」
「まぁ機械だからね」
「機械だからな」
「機械だもんッ」
 なにやら妙なシンクロだがそこは無視しよう。
 少しの時間町を探索散歩していた。

 そこで、ふと涙は待ち行く人々に目をやった。
(なんだ…この妙な違和感)
 妙によそよそしい、いや、怯えている?
 だが、町の人々自身、それに気付いていない。
 本能的な恐怖を感じている。
 これは、一体…?

(それとなんだ?さっきから体に張り付いている視線は…)

 神経を研ぎ澄ませ気配を探るが、怪しいものはいない。
 ならこの感覚はなんだ?
 町の住人といい、この感覚といい。
 何かある。
 そう思い、少し身構えていると。

『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

「ッ!」
「なにッ?」
「ふにゃ?」
 突然、甲高い悲鳴が聞こえた。
 とっさに音の聞こえたほうを向く。
「レティア、あの先には何がある?」
「ふぇ?」
「早くッ!」
「ふにゃ、あ、食肉工場だったけどつい最近潰れちゃったよ」
 レティアが言い終わるよりも前に、涙は駆け出していた。
「冴崎くん!?」
「千歳!お前はレティアを頼む!」
 それだけいって駆け出した。
 
 まったく、何をしているんだ、俺は。

 これではまるで、悲鳴を聞きつけて颯爽と駆けつける。

 ヒーローじゃないか。

     √

 タッタッタッタッ――――
 
「はぁ、はっ……はぁッ!」
 涙は必死に走っていた。
 今己が出せる限界のスピードで、肉体の限界を凌駕する速度で。
「行けるかッ」
 自身の左手の刻印を睨む。
「頼むぞ、時間がねぇかもしれないんだ!」
 先ほどから連続して爆発音がする。
 それは次第に近づいてくる。
 予想は二つ。
 まだ悲鳴の主が生きて逃げ延びているのか、
 それとも悲鳴の主は殺され、犯人がただ暴れているのか、
 どっちにしたって…
「行かなきゃダメなんだよぉッ!」
 涙の叫びに反応するように、刻印が今まで以上に紅く光り輝いた。
「ッ!?」
 光は涙を飲み込み―――


『求めてよ』
 そこは黒い空間。
 壁も、床も、天井も無い、ただどこまでも闇色に染まった空間。
『私を求めてよ、涙』
「お前、は…」
 涙の目の前には、白いワンピースを着た少女。
 少女は涙の頬に手をやり、優しく微笑む。
『あなたが望めば、私はそれに従うから』
 少女の背中からゆっくりと、6色の羽が生えた。
 まるで、6枚羽の織天使(セラフィム)のように…


「……今の、は」
 走りながら意識が飛んでいたのか、涙は我に帰り立ち止まる。
 爆発の音は依然と続いている。
「そう、か……俺」
 姿勢を低くし、陸上競技のスタートのような姿勢をとる。
 大きく息を吸い、静かに吐く。
「時間が無い、急ぐぞ」
 足に力を込め、その名を叫ぶ。
「加速しろ、6枚羽(セラフィム)!」
 ダッ―――
 駆け出した涙の姿は、誰も見ることは出来なかった。
 
「いける、これなら」
 すべてが超スローモーションのようだ、これが、今の俺の世界、俺の速さ、俺の…力。
「絶対に、助けてやるッ!」
 音のなる場所へと、涙はよりスピードを加速した。
 見えたッ
 涙の視線の先に、ぼろぼろの服を着た女の子と、その後ろには高級そうな服を着た男女。
 彼らの視線の先には、特撮ヒーローに出てきそうな怪物。
 狼をイメージした甲冑のような怪物がそこにいた。
 明らかに少女がビクビクしながら前へ出ている。
(まさか、アレがメカニアか?)
 主従関係という情報が頭をよぎる。
 まさか、本当に…
「ッく…そ…」
 全身に力を込める、涙は歯を食いしばり、目の前の光景を睨みつける。
 
 ―――涙の背中から、漆黒の翼が生えた。

「ふざけるなあああああああああああああああ!」
 涙は喉が裂けるほど叫びながら、飛び込んだ。
 その狙いは、あの狼のような怪物。
「うらぁッ!」
 涙の飛び蹴りは、的確に怪物の首に命中し、そのまま吹き飛ばした。
 ゴガァァァァァンッ……
 工場の置くまで吹っ飛ばされた怪物、そして今までいなかった場所に人が現れ、キョトンとしている少女と男女。
「はぁ…はぁ……」
 肩で荒い呼吸を繰り返しながら、助けた彼らに目をやる。
「あ、あなた…は」
「はぁ……別に、ただの正義の味方だ」
 首をコキッと鳴らし、怪物の飛んでいった場所を睨む。
 起き上がらない、やったのか?
「はぁ…はぁ…はぁー…」
 安心した涙は、そのまま膝から崩れ落ちた。
「あっ」
 倒れる直前に、少女は涙を抱きとめる。
「はぁ…あぁ、悪い、な…」
「い、いえ…大丈夫ですか?」
「ちょ、っと…体が裂けそう」
 無理も無い、人間の出せる速度じゃないからな。
 そのまま静かに少女は膝を突き、膝枕の形をとる。
「無理をなさらず休んでください」
 少女は優しく涙の髪をなでる、だが。

「ふざけるなっ!」

 高級そうな服に身を包んだ男が声を上げる。
 少女は慌てて涙を抱き起こして一歩下がる。
「何をしているこの屑鉄がッ!お前にどれだけ高い金積んだと思っているんだ!」
 男は小太りでちょび髭、なんていうか…
(あからさまな嫌なやつ、って感じだな)
 小さくため息をつく。
「なのにこの体たらくはなんだ!あんな化け物から私たちを守れないのか!」
「も、申し訳ありません、ご主人様」
「このクズが!スクラップにするぞ!」
 少女の頭を足蹴にする男。
「申し訳ありません、申し訳ありません」
「黙れ!この人間気取りの化け物が!」
 そのまま殴る蹴るなどの暴行を少しの間続けていた。
 女のほうは冷ややかに少女を見つめ、
 涙は……。
「この屑鉄……まぁいい、お前は引っ込んでろ」
「は、はい…」
 頭を下げて後ろに下がった。
 男は表情を変え、にこやかな笑みを浮かべる。
「やぁ、申し訳なかった、危ないところを助けてもらって感謝するよ」
「いえ、それより彼女は?」
「あぁ、気にしないでくれ、アレは私のメカニアだ、最近派遣されたのだが、どうにも使い物にならん」
 男は鼻で笑う。
「あの悲鳴は?」
「私の家内だ、怪物の姿に驚いてしまったのでな、でもおかげで助かったよ」
「先ほどの爆発は、一体なんです?」
「爆発?……あぁ、あれはさっきの化け物が暴れた音だ」
 男はすらすらと口を動かす、だが。
「嘘、でしょ?」
 涙は静かに告げる。
「あんたは嘘をついた、俺が聞こえた悲鳴はあの子の声だった」
「何を言っているんだい?」
「俺に嘘は付けない」
 男は静かに涙の目を見る。
 黒と蒼の瞳は何を考えているのか、想像もつかない。
 どこまでも虚空のその瞳に男は背筋に寒気を感じた。
「で、でもまぁ、こうしてみんな無事だったんだ、それでよかったじゃないか」
「よくねぇよ、答えろ―――俺は人間が嫌いなんだ、嘘をつくんならこのままお前を絞め殺す」
 涙が一歩前に出る、と。

 ガラッ…ガシャァァァァァンッ!

 背後で瓦礫が吹き飛ぶ音がした。
「ッな!」
 振り向くと、そこにはあの怪物の姿が。
 折れた首を片手でゴキッとはめ込んだ。
「マジかよ…」
 涙に戦慄が走る。
 夕音の言うとおり、俺の能力はあまり戦闘向けじゃない。
 あの蹴りで倒せないとなると、やばい。
「あ、あぁ……お、おぃ屑鉄!何とかしろ!」
「は、はい!」
 男は少女の背を蹴り、無理やり前に出させた。
「テメッ…」
 その光景に憤りを感じた涙、だが今はそれどころじゃない。
「ック…まいったなぁ、こりゃ」
「ここは私が守りますから、あなたも下がってください」
 強がってそう言い放つ少女だが、
「バカかお前、腕も足もガクガク、あまつ涙目になってる奴に助けてもらうほど、俺は弱くない」
 瞳を見ればわかる。
 涙は吐き捨てると少女の頭を軽くなで、後ろに下がらせた。
(あーあ、キャラじゃないっての、こういうの)
 誰かを助けるとか、こんなかっこいい台詞を言ってみるとか。
 俺はガキじゃねーんだぞ?
 
 苦笑いしながらも怪物を見据える。
「お前が、敵…かな?」
〈グルルルルルルッ〉
 涙の言葉に唸りで返す怪物。
「意思の疎通は無理か、ってことは雑魚か、セブンズ・ギルティか―――」

「―――実力行使だ」
 ズダンッ
 まるで拳銃で撃たれたような音を響かせ、涙は飛び込んだ。
(遅いんだよッ!)
 怪物の動きがスローモーションで見える。
 これなら、勝ち目はある!
 そう思った直後。
 怪物の動きが変わった。
 急に素早くなり、涙の攻撃を回避した。
「ッなに!?」
(俺のスピードに、合わせやがったッ!?)
 怪物に胸倉をつかまれ、そのまま投げ飛ばされる。
「のわぁあああああああああッ!」
 ガッシャーン……
 少女をすり抜け、鉄の扉に激突する。
「ガッ……」
 肺の空気が一気に吐き出され、そのまま扉を壊して倒れこむ。

「ッ!」
 少女が慌てて涙に駆け寄ろうとしたが、その髪を掴んで男が少女を無理やり前に出させる。
「お前は私たちを守らんか!このクズが!」
「あ、あぁ…」
 少女は目に涙を溜め、怪物と向き合った。

     √

「あれ…またこの空間か?」
『またじゃないよ…来るの早過ぎ…』
 少女の呆れた声が聞こえる。
 というか呆れていた。
「いやいや、速度だけじゃ敵は倒せません」
『そんなこと、胸を張って言わなくていいから』
 ペシッ
 少女――セラフィムが涙に軽くチョップする。
『なんで能力を一つしか使わないの』
「っえ?」
『私は、あなたの望むままに力を与える者、あなたが望めば…』
 セラフィムはそこまで言って口をつぐんだ。
『とにかく、まだ死ぬには早いでしょ?何も変わってないんだから』
「うっせ、わかってるよ…」
『ふふ、それじゃあがんばりなさい』
「お前は俺の母親か」
 涙は笑いながらツッコミ、セラフィムに手を振った。

     √

「あ……ぁ…がッ」
 体は傷だらけになり、それでも少女は男たちを守ろうとしていた。
 こんな奴等を守る義理はない、だけど、
(私は、人間じゃない)
 メカニアは、人間より序列が低い、だからこのまま死んでも、文句は言えない。
 たとえどんなに相手が悪くても、
(でも…私は…)
 怪物に首をつかまれ、その体が浮き上がる。
「ぁ…あぁ…」
 喉をつぶされる勢いで締め上げられ、口の端から涎が垂れる。
 黄金色の瞳から、人工的に作りだされた涙が頬を伝う。
(せ、めて……だ、れか…を…)
 薄れ行く意識の中、死を覚悟した少女の瞳に、

 焔が映った。

 漆黒の業火だ。
 焔は瓦礫をすべて燃え散らし、ガララッと、誰かが起き上がる音がした。
 あの人の…涙が吹き飛ばされた場所。
 つまり、それは、
「あーあ、服ボロボロ、最悪だぜ…」
 瓦礫をすべて燃え散らし、平然とした様子で暗闇から現れた一人の青年。
 額が裂け、血が垂れているのを一切気にせず、まるで寝ていたかのような態度。
「っあ…ぁ…ッ」
 少女が何か言おうとしたが、怪物に首をさらに絞められ言葉が出ない。
 それに気付いた涙は、
「はいはい、まずはその手を離そうか」
 音も無く怪物との距離を詰め、少女を掴んでいる腕を左手で掴む。
 そして、
「燃え散れ」
 ゴウッ
 左手から放たれた漆黒の焔は一瞬で怪物の腕を燃やし、少女は力なく地面に倒れた。
「ゴホッ、ガハッ…ハッ…ハッ…」
 生きている。
 その実感が彼女の涙腺を壊した。
 人口的な涙でもいい、今は、泣きたい。
「ヒック…うぅ…うくっ…」
 涙はその泣き声に背を向け、怪物と対峙した。
「あ、そーだ、おっさん」
「ッ、な、なんだね!」
 男は突然声をかけられ思わず裏返った声を出した。
「そいつ、後で俺にくれよ」
 少女を指差して軽く言う。
「は、はぁ?」
「あんた、屑鉄とか言ってるけど、日々のストレスをそいつで発散するの、やめたほうがいいぜ?」
「ッッな!?」
「だから、この戦いが終わればそいつは俺がもらう、オーケー?」
 口の端を静かに吊り上げ、額の血をぬぐう。

 ちょうどその頃、夕音とレティアも工場に辿り着いた。
「はぁ…はぁ、やっと、到着…」
「うにゃー、にゃ!るいにぃ!」
 夕音とレティアの瞳に映ったのは、黒い翼を生やし、左手から黒い焔を出している涙の姿。
(焔?まさか、スピード系のとは別の能力?)
 それと、涙の後ろに座っている女は誰だ?
(また冴崎くん……女の子助けてる)
 その後ろになんだか癇に障る男女もいるが、彼のことだ、女の子のほうを助けたのだろう。
 でも今は、
「レティア、あの人たちをとりあえずどかそう」
「そうだね、なんかるいにぃちょっと怖い」
 レティアも感じたのか、やっぱり野生児だな。
 夕音は癇に障る男女と少女を避難させながら涙の後姿を見る。
(夕音は、彼を守れるのかな……夕音が冴崎くんに守ってもらってる)
 初めてであったときも、レティアのときも、今回も……
 彼は人を即座に助けようとする、それがどんな奴でも。
「冴崎くん……」
「…千歳?レティアも」
 振り返り、ようやく二人に気付いた涙。
「そいつらをちょっと離れさせて、でも逃がさないで、オーケー?」
「え?…わ、わかった」
 夕音は最初は戸惑ったが、この3人のどれかがメカニアなのだろうと、流れで察した。
「冴崎くんは?」
「俺はちょっとこいつを倒してから、それにまだ能力の使い方、ちゃんとわかってなかったからな」
 自分自身を指差しヘラッと笑う。
 怪物は自分の右腕が焼き切られたことをようやく理解したのか、
〈ガァァァァァァァッ!〉
 と、叫びを上げ、涙を睨んだ。
 それを笑いながらも、冷ややかに睨み返す涙。
「来いよ、今度は灰まで燃え散らす」
 涙は怪物が動くよりも先に動いていた。
 一瞬で懐に入り、怪物の腹部に焔を叩き込む。
 凄まじい勢いで燃え盛る焔は、あっという間に怪物の腹部を貫通させ、涙の腕が突き抜けた。

「ッと――――雑魚が」
 黒い灰に成り果てた怪物を横目に、涙が呟いた。
 あまりにもあっけない、これが涙の力なのかッ!?
 レティアと夕音が目を剥くが、当の本人は至って平然としている。
「よし、終わり、千歳、レティア、あの三人はどうした?」
 振り返り、静かな笑みを浮かべながら振り返る。
 これで終わり、誰もがそう思った。



「流石だね、涙」



 その声は、突然聞こえた。
「相変わらず、ヒーロー大好きっ子か?お前は」
 その気配は、突然現れた。
「昔から変わらないよな、誰かを守れるヒーローになりたいって、あれだけ言ってたし」
 その姿は、突然目の前に浮かび上がった。
「でもまぁ、そんなところも、友人としては鼻が高かったんだぜ、俺」

 夕音が、涙が、レティアが、少女が、高級そうな服を着た男女が、ただ息を呑むことしか出来なくなった。
 現れたのは一人の青年。
 歳は涙と同じくらいであろう、真っ白の髪とは逆に、真っ黒なスーツに身を包んでいる。
 凛々しい顔つきには、優しそうな笑みを浮かべている。
 だが、その笑みとは裏腹に、わずかな動きも許さないというような威圧感を放っている。
 
 ―――そんな…

 その姿に、涙は言葉を失った。
 息が出来ない、心臓が爆発しそうだ。
「な、んで……おま、え…が」
 それは、涙の部屋に飾っていた、3人で写っていた写真。
 照れくさそうにカメラに向かってピースサインをしている。
「なんでお前が生きているんだッ」
 あの、白髪の少年に、良く似ていた。




「時雨ぇッ!」


 涙の叫びを、笑顔で、静かに、青年は答えた。
「おぅ、久しぶり、涙」

ステージ5 涙―ナミダ―


 俺は一度、大切なものをすべて失った。
 手が届きそうだったのに、届かなかった。
 だから、俺はもう二度と失いたくない。
 失いたくないから、大切なものは作らない。
 
 そう、決めていたのに…

     *

 夕音は壊れている。
 人の命を絶たないと生きていけないと思っていた。
 でも、今は違う。
 今は、守りたい人がいる、夕音のことを頼ってくれる人がいる。
 
 だから夕音は、絶対に守り抜く。

     *

 私は一人だった。
 居場所なんてどこにも無い、ただ当ても無く歩き続けていた。
 でも、初めて私に居場所をくれた。
 私を受け入れてくれた。そのためなら私は。

 あなたのために、この体を捧げてもいい。

     √

「…時雨、お前…なんで」
「よぅ、久しぶり、大きくなったな、互いに」
 突如現れた青年に、涙は目を奪われた。 
 そこにいるのは彼の親友。

 死んだはずの親友、片瀬 時雨(かたせ しぐれ)だ。

 時雨は静かに涙に歩み寄る。
 涙はただそれを眺めるだけ。
(嘘だ、まさか…敵の策略か!?)
 まず最初に、否定した。
「冴崎くん、どうしたの?そこの彼は、冴崎くんの友達?」
「るいにぃ?」
 夕音とレティアの声は、涙には届かなかった。
 彼の頭の中には、混乱と喜び、困惑と悲しみ、
 今あるすべての感情がぐちゃぐちゃになっていた。

 彼が…目の前のあいつが時雨なはずが無い。
 なぜなら彼は、10年も前に死んでいるんだ。
 俺の人間嫌いのきっかけとなった事件の被害者なんだ。
 それが、なんで…
 なんで、このアルグレイドに?
 まさか、セブンズ・ギルティの能力か?
 人の過去を具現化する能力なのか?
 いや、でも、そのはずは…
 それならガキの頃の時雨が出るはずだ、それなのにッ!

 心臓が高鳴る。
 頭がくらくらする。
 息が出来なくなる。
 足元が緩くなる。

 俺の親友で、
 俺が助けられなくて、
 俺の所為で死んだに等しいあの時雨。

「俺がいて、驚いた?」
「ッ!」
 バッと顔を上げる、
「時雨…お前、生きて…」
「ははっ、そんな反応してくれるなんてうれしいよ、涙」
 笑いながら、涙の肩をたたく時雨。
 
 そう、間違いない、あいつだ。
 白髪をコンプレックスにしてて、俺とあいつ以外とはあまり喋らなかった…。
 あの時雨だ。

「どうして、お前がここに…」
「え?あぁ、話せば長くなるなー、まぁさ、今日は俺の新しい仲間を紹介しようと思ってさ」
「あ、たらしい、仲間?」
「あぁ、おい出てこい」
 時雨が両手をたたく。
『ッ!』
 刹那、時雨を除く全員の背筋が凍りついた。
 影で見えないが、レティアは第6感で、涙は危機察知能力で、夕音は衝動的な恐怖で感じ取った。
 数は7人、物凄い殺気を放っている。
 一歩も、動けない。
 「時雨、そいつらは……」
 もう予想はついていた。
 最悪の予想だ、でも、確信だ。
 こいつらは…
「ん、こいつらはセブンズ・ギルティ、お前なら知ってるだろ?」
「ッな…に…なんッ、で…それを…」
「だって、涙はあいつらを倒すためにこのアルグレイドに着たんだもんな」
「おま、え…まさか…」
 時雨は爽やかに微笑み、一歩、また一歩後ろに下がる。

「そのまさかだよ?俺はセブンズ・ギルティのトップ……コードネームは『JOKER』だ」

 そう言った。
 涙は自分の耳を疑った。
 こいつ、今…セブンズ・ギルティの…
 敵のトップって、言ったのか?
「ジョー………カー……?」
「そう、ジョーカー、だからさ、涙」
 時雨は笑顔のまま、手をかざした。
「悪いけど、死んでくれ」
「――――――――――――っえ?」
 涙が呟いた瞬間、紅蓮の焔が涙に向かって突っ込んできた。
 なす術も無く、涙は吹き飛ばされる。
「ッがああああああああああああ!」
 地面を転がり、夕音たちの近くまで飛ばされる。
「あ、…なん…で…」
「ごめんな、涙」
 時雨が一瞬、ほんの一瞬だけ、寂しそうな顔をした。
「ッ!」
 だが次の瞬間すぐに先ほどの笑みに戻り、静かに闇に消えていく。
「時雨、……時雨ぇ!」
 慌てて駆け寄ろうとした涙の体を、夕音とレティアが抱きとめる。
「冴崎くん!ダメだよ!」
「るいにぃ!体の傷が広がっちゃう!」
「放せよッ!時雨が、時雨がいるんだッ!」
「涙くん!」
 今まで見たこと無いほど涙が取り乱し、ついに夕音が悲痛な叫びを上げる。
「無理だよ、わかったでしょ…今の夕音たちに、彼らは倒せない、殺されるだけだよ」
「知るかッ!んなことどうでもいいんだよ!そんなことよりも……」
「涙くん?」
 ついに涙は力尽き、その場に倒れた。
 精神的なショックが大きかった所為で、肉体へのダメージが遅れてきたのだろう。
「涙くん!涙くん!」
「るいにぃ?!るいにぃ!」
 薄れいく意識の中、二人の声が聞こえたが、今の涙にとって、それはどうでも良かった。

     *

 片瀬 時雨は、俺の幼馴染だった。
 あいつと、俺と、時雨…
 三人はいつも一緒にいた、気がつけば隣にいる、そんな存在だった。
 俺はあの二人が大好きだった。
 人が好きだった。

 俺はそのうるさい性格で場を盛り上げるのに必死だった。

 時雨は自分の白髪が気になるといつも言っていた。
 
 あいつは、いつもそんな俺たちの隣で笑っていた。

 そのまま小学生になり、俺は中学、高校もこの三人で、いや、もしかしたら社会に出ても俺たちはずっと友達でいられるんじゃないか?
 そう思っていた…。

 でも、違った。
 俺たちが8歳になった頃に、その事件は起きた。

 始まりは些細な出来事だった。
 クラスメイトの一人がいじめられたと、保護者から連絡が来た、誰も自白しようとも、犯人を教えようともしなかったが、もちろん犯人はわかっていた。
 どこにでもいるようないじめっ子だ。わかっているのに言わない、俺はそのことに腹が立った。
 だから、俺は進言した。
「あいつがいじめてるの、俺見た」
 と。
 事件は解決、いじめっ子は担任の先生に怒られ、親にも連絡され、これで終わったと思った。
 俺は人を助けた、いいことをした。
 そんな達成感で胸がいっぱいだった。

 ――――だけど、人間はそれほど甘い生き物じゃなかった。

 いじめっ子はその腹いせに、その標的を俺たちに移した。
 彼は力も強く、中学生とつるんでいた。
 小学生の枠を超え、中学生さえも交えて、彼らは俺だけでなく、時雨とあいつも標的にした。
 最初は俺をかばってくれていた時雨とあいつ。
 でも、でもッ………

 あいつは裏切った。

「おい、誰か車に轢かれろよ、そしたらもういじめないから」
 いじめっ子は、生で人の死体を見たいと言い出し、そんなことを言い始めた。
 最初は俺たち三人、ふざけるなと罵ったが、
「なら、俺たちにこれから一生いじめられるか?」
 後ろには中学生、トラの意を狩る狐だ。
 今思えば、何でこいつらをあの場で殺さなかったのか、疑問でしょうがなかった。
 その時の時間は、人も、車も多い時間帯、そしてその場所はよく事故が起きている場所だった。
 あいつらはすべて計画していたんだ。

 この場所なら、確実にバレずに、なおかつ生で人の死体を見れる…と。

 誰も動こうとしないことに、苛付を感じ始めたのか、いじめっ子は俺を殴った、蹴った。
 口の中が切れて血の味がしたけど、そんなことどうでも良かった。
 その頃の俺はバカ正直にまっすぐな奴だったから、こんなことをする奴の心がわからなかった。
 どうせ殴るのに飽きたらやめるだろ。
 そう思いながら俺は耐えた。
 けど、あいつは違った。
「わかった、誰か轢かれればいいんだろ」
 小さく呟き、そっと横断歩道の前に立つ。
 いじめっ子が殴るのをやめ、目を輝かせた。
「おぉ、やってくれんのか?」
「あぁ、任せろ」
 あいつは笑った。
 不気味に、
 恐ろしく、
 嫌悪感をいだかせるような、そんな笑み。
 一歩、前に踏み出した。
 時雨が止めようと叫び、あいつの腕を掴んだ。
 俺は安堵の息を漏らした。
 
 だけど、それがあいつの目的だった。

「悪いけど、死んでくれよ、時雨」
 あいつ掴んだ時雨の腕を掴み、前に押し出した。
「ッ!やめろぉ!」
 とっさにいじめっ子を押しのけ、前に出た。
 左手を力強く突き出し、時雨に伸ばす。
「…っえ?」
 時雨は、何が起きたのかわかっていなかった。
 そう、
 俺も、時雨も、
 あいつを信じていたから、
 こんなことは、誰も予想していなかった。
「しぐれぇええええええええええ!」
 時雨が伸ばした手が、もう少しで届く…掴めば助けられる。
 それなのに……

 あと数センチのところで、運悪くトラックが時雨の目の前を…

 肉の裂ける音が、
 骨の砕ける音が、
 体が地面にこすり付けられる音が、
 血の鉄の匂いが、
 内蔵の匂いが、
 地面の摩擦で焦げた、たんぱく質の匂いが、
 
 時雨が死んだという事実が、

 俺を壊した。

「ッああああああああああああああ!」
 俺はそのまま倒れ、泣き叫んだ。
 時雨が死んだ。
 届かなかった。
 何故?
 何故あいつが死ななければいけない?
 どういうことだ、これは夢か?

 いや、違う。

 俺が人間を信じていたから、
 俺が人間を愛していたから、
 俺があいつを信じていたから、
 俺が弱かったから、
 俺の手が届かなかったから、

 俺の、所為で…

     *

「ッ…し、ぐれ…時雨………」
 涙はうなされていた。
 あの一撃を喰らい、倒れた涙を家に運ぼうと言ったのは、意外なことにあの高級そうな服を着た男女だった。
 この青年には助けられた借りがある、借りたものは返すのが礼儀だ、と。
 夕音とレティアは一瞬躊躇ったものの、あの取り乱した涙を見る限りあれこれ言っている暇はないと感じた。
 もっとも、涙の傷は深く、出血も酷かったため、まともな治療を出来ない夕音とレティアにとっては願っても無い申し出だった。
 夕音は人を殺したい衝動には駆られたものの、涙のためだと思い必死に押し殺した。

「あの……」
「ん、なんだね」
「助けてくれてありがとうございます」
 夕音は目の前に座る男に頭を下げる。
 男はッフと鼻で笑い、
「別に、言っただろう、私たちは彼に借りがある、私も貴族の身だ、礼儀は弁えるつもりだ」
 それに、と、男は少し苦笑いをしながら、
「久しぶりにまっすぐな青年に出会ったからね、私も面を喰らってしまったのだよ」
「…え?」
「窓の外を見たまえ」
 夕音はそういわれ、静かに窓に目をやる。
 そこには、先ほどのボロボロの服を着た少女が、庭の手入れをしていた。
 レティアもいる。
 二人で何か話しているみたいだ。
「彼女の名前はネーナ、我が家のメカニアだ」
「あれが、メカニア」
「彼に言われたとおり、私は彼女に酷い仕打ちをしていた、毎日のストレスを彼女への暴行で発散していたんだよ」
 ははは、と申し訳なさそうに笑う。
「まったく、彼に言われてびっくりしたよ、その青年は人の心が読めるのかい?」
「まぁ、そうかもしれませんね」
「それに、この戦いが終わったら彼女をくれ、と私に申し出たのでね、自分をやり直すチャンスだと思うし、彼女は君たちに託すことにしようと思ったんだ」
「いいんですか?」
 私たちは、と夕音が言いかけ、男がそれを止めた。
「みなまで言うな、事情は知らないが戦っているのだろう?それに…」
 男は涙を見る。
「君も、彼も、アルグレイドの人間じゃない、そうだろ?」
「それは…」
「わかるんだよ、メカニアも知らないし、何より瞳がね…綺麗に透き通っているから」
「瞳、が?」
「あぁ、今の私たちは濁りきっている、それこそ、何かに当たるほどにね」
「…………」
 自分の瞳が透き通っている?
 人殺しの夕音が?
 彼女は少し困惑した。
 男は優しく夕音の頭を撫でた。
 滝のように汗を流し、苦しそうに呻く涙。
「今の彼には、心の支えが必要だと思う…、よくは知らんが、あの白髪の青年は彼の友人だったみたいだからな、友人に裏切られたショックは、とても大きい」
 そして、それを自分で照らし合わせるかのように、
「人間として恥ずかしいよ、何かに当り散らしていたのに、それでもネーナは、私たちを守ろうとしてくれた、そして、そのネーナを守ってくれた彼、名前はなんと言うんだい?」
「涙、です」
「涙、いい名前だな」
「えぇ、本当に」
 男は髭をいじりながら、
「涙くんか、彼は人間が嫌いだといいながら、人間である私たちを救ってくれた、人の心を取り戻させてくれた、感謝しているよ」
「あの…あなたは?」
「ん?おぉ、すっかり忘れていた、私はウォーレン・ヴィル、気軽にウォーレンでいいよ、そういう君は?」
「夕音は、千歳 夕音、夕音でいいです」
「夕音ちゃんか、君もいい名前だ」
「そう、ですか?」
「あぁ、私が保証しよう」
 なんだこいつ。
 最初に出合ったときのあの嫌な感じがしない。
 まさか、この人も変えたのか?涙が?
(だとしたら、涙くんは……)
 きっかけはほんの些細なこと、
 でも、当人にとってはそれがとてつもなく大きいことになる、
 ここに来たばかりの夕音の時みたいに。

 ウォーレンは立ち上がり、涙に近づく。
「あの爆発は、ネーナが私たちを守るために戦っていた音だったのだよ、それをとっさに言い訳してしまった…私はクズだな」
「…そ、うだ、な」
「涙くん!」
 夕音が涙に駆け寄り、涙の手を握る。
 まだ起き上がれる力は残っていないのか、視線だけ夕音に向ける。
「お、ぉ…ちと、せ……か」
「目が覚めたのか、おい、誰かいるか!?」
 ウォーレンが慌てて廊下に飛び出て叫ぶ。
 すぐに一人のメイドがやってきた。
「客人が目覚めた、早く医者の準備を!」
「はい、ただいま!」
 ウォーレンの勢いに押されたのか、メイドも慌てて廊下を走り去る。
「よかった、目が覚めたのだな」
「お、っさん……?」
「あぁ、ここは我が家だ、安心してくれ」
 そして、ウォーレンは膝を突き、涙に頭を下げる。
「改めて礼を言わせてくれ、私たちと、ネーナを助けてくれて、私に人の心を取り戻させてくれて、ありがとう」
「……?」
 涙は状況を理解していなかった。
 それもそのはず、涙のイメージはこんな優しい中年オヤジじゃない。
 もっと癇に障るクソ野郎だったはずだ。
「涙くんが変えたんだよ、この人を」
「お、れ……が?」
 はて、自分が何をしたのか。
 そんな表情で少し考えたが、すぐにやめた。
「そ、か」
 別にどうでもいい。
 そんな様子だった。
「それ、より……どうなった?」
「彼らは消えた、時雨って人も、一緒に」
「……ッ…!」
 悔しそうに下唇を噛み締める。
 まさか、時雨が生きているなんて。
 歓喜はあった、当然だ。でも。
『俺はこいつらのトップ『JOKER』だ』
 時雨のあの言葉。
 涙たちの敵、セブンズ・ギルティのトップ…つまり
(俺たちの…敵ッ)
 そう思うと、こみ上げてきたものがあった。
 それがなんなのかわかっていたから、涙は必死にそれを堪える。
「く、そっ…」
「今は休みたまえ、ここなら安全だ」
「そうだよ、少し休もう、ね?」
 夕音の優しい言葉がうれしく思えた。 
 いつ以来だろうか、人間にこうも優しくされたのは。
「ち、とせ……お、っさ、ん」
「ん、どうした?何か欲しいものでもあるのか?」
「涙くん?遠慮しなくていいよ、なんでも用意するから」
「い、や……一人、に、して…くれ」
「え、でも…」
「たの……む」
「………わかった、なら何かあればすぐに呼んでくれ」
 ウォーレンが立ち上がり、夕音に手を当てて静かに首を振る。
 
 今は、そっとして置いてあげよう。
 
 夕音は涙を再び見る。
 握っていた手がわずかに震えている。
 下唇を噛み締め、何かを堪えている。
 腕で顔を隠しているけど、わかる。
(涙くん………やっぱり)
 夕音は立ち上がり、静かに部屋を出た。

 静まり返った室内。
 ただ天井を見つめていた涙の脳裏に、時雨の言葉がよみがえる。
『よぅ、久しぶり、大きくなったな、互いに』
 あぁ、本当に久しぶりだ。
 10年ぶりだったのに、あいつだとすぐに気づけた。
 あいつも、俺が涙だって気づいてくれた。
 10年も昔なのに、
 あんな別れ方をしたのに、
 その原因は、俺なのに、
「ッく……ぅ…ぅう……」
 堪えられない。
 涙の瞳から、透明な雫が流れた。
 あの日以来、一度も流したことの無いそれを、静かに、けれどたくさん。
 まるで今まで無理やりせき止めていたダムが決壊したように、
 まるで今までの思いを一気に吐き出すように、
 まるで今まで気づかなかった感情に、ようやく今気づいたかのように、
 まるで今まで感じなかった恐怖を感じたかのように、
「う、うぅ…・うあわあああああああああああああっ!」
 涙は今まで、あの日を境に、人間を信じなくなったその日から……

 ―――一度も誰にも見せなかった『涙』を涙は流し続けた。

「ああああああああっ、あぁ…うわあああああああああっ!」
 悔しい、
 弱い自分が、力があっても、時雨に追いつけなかった自分が、
 時雨を止める事が出来なかった自分が、
 時雨との再開を、素直に喜べなかった自分が、
 あの日、助けられなかった自分が、
 時雨に負けた自分が、
 すべてが悔しい。

 やっぱり無理なのか?
 力を得ても、別世界に来ても。
 俺は変われないのか?
 一人じゃ何も出来ないのか?
 今まで一人で生きてきたのに…
「ちくしょう……ちくしょうっ!」
 拳を握り、腕を上げようとするが、体の痛みがそれを拒絶する。
 最も信頼していた友によってつけられた傷が、涙の体を束縛する。
 それでも彼は、
「俺、はぁ……す、べてを……守るんだッ」
 あの日救えなかった命が、
 俺をこんな風に変えたのだ、
 夕音のときも、レティアのときも、あのメカニアの少女とウォーレンのときも、
 手が届くから助けた。
 いや、手が届かなくても助けるだろう。

 俺はもう二度と、手が届くのに伸ばさなかったり、手が届かなくなるなんてことは、嫌なんだ。

 だから、この手が届くものは、俺が助けたいと思ったものは―――

 ―――絶対に助けるッ!

 だから今だけは…
「ぁぁぁぁぁぁああああああああああ!」
 泣かせてくれ。

     √

(涙くん、泣いてた)
 部屋を出て、扉に寄りかかった夕音は、そのまま座り込んだ。
 悔しかったのかもしれない。
 いや、悔しいのだろう。 
 目の前で死んだはずの友人が現れ、しかも敵のトップで、
 そして、その友人にやられた。
 夕音には友人がいないが、その精神的な痛みは想像を絶するはずだ。
(夕音は、何が出来るだろう…)
 いまだ何の兆候も見せない自分の能力、頼れるのはこの殺人衝動が引き起こす爆発的な身体能力だけ。
 お気に入りのコンバットナイフも、あんな力を持つものたちの前ではまったくの無意味。
 その時、ふとウォーレンの言葉を思い出した。
『今の彼には、心の支えが必要だと思う…』
 夕音に出来るのだろうか?
 彼の、涙の支えになってあげることが…。
 今まで、人を殺すことや、憎むことはあっても、励ましたり、支えたりすることは決してなかった。
 でも、今は彼の力になりたいと願う。
 夕音が変わる『きっかけ』を与えてくれた、彼の傍にいたいと思う。
 だから今は……
(がんばって、涙くんッ)
 過去と戦っている彼の邪魔はしたくない。
 夕音は立ち上がり、静かにその場を後にした。

     √

「るいにぃ…大丈夫かな」
「大丈夫ですよ、ご主人様のお呼びしたお医者様がおりますから」
「違うのー、そーいうのじゃないのッ!まったくねーなはもー」
「え、そうなんですか?」
 ネーナとレティアは、庭の手入れをしながら二人で話していた。
 これはレティアなりの情報収集のつもりだった。
 少しでも彼の役に立ちたい。
 でも今は……
「私が心配なのはるいにぃのココロなの、ボロボロのココロなのッ!」
「ボロボロの、ココロ、でございますか?」
「そうっ!だって、お友達にあんな酷いことされて…るいにぃ泣いてたもん!」
「そうだったのでございますか?私には少しも…」
「違うのッ、ココロで泣いてたの!大泣きしてたの!」
 ぷんすかという擬音が似合いそうな起こり方をしながら涙のいる窓を見つめる。
 獣人ならではの優れた聴覚だから聞こえた。
 いや、恐らくネーナの機械の聴覚でも聞き取れただろう。
 先ほどの叫びを。
(るいにぃ…私に居場所をくれた人……)
 自分に居場所を与えてくれた、いわば恩人ともいえる人の苦しみ。
 助けたいのは夕音もレティアも、ネーナやウォーレンも同じ気持ちだ。
 だが、今は一人にしてあげないとだめなのだ。

 あふれる気持ちはあるが、今は絶えなくてはならない。
 
「ねぇねぇ、ネーナ!」
「はい、なんでございましょう」
「おとこのひとをげんきにするほーほーっていうの、教えてよ!」
 レティアがニシシと、いたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべた。
 だから時が来れば、たくさんたくさん、元気にしてあげよう。

ステージ6 感謝とお礼と―


 時雨たちの騒動から一週間。
 ようやくまともに喋れるまで回復した涙。
 まだ体中包帯だらけだが、一応動くことも出来るようだ。
 しかし、何より深いのは……

 ―――彼の、心の傷。

 10年前に助けられなかった親友に、殺されかけた。
 その事実が、彼の心を蝕んでいた。
 彼を、より深く壊していた。
「はぁ……」
 目が覚めて数日、まだ誰とも話そうとしない涙。
 窓の外からレティアと夕音、ネーナが庭で雑談を交わしている光景をただ眺める。
 彼女たちは、今どんな思いなのだろうか。
 瞳を見ていない涙は、恐怖していた。
 あんな情けない、無様な姿を晒して、夕音たちが幻滅したら?
 もし、彼女たちが自分から離れたら?
 また、一人になる。

 そう思うと、心が引き裂かれそうになる。
 今まで、一人でも平気だと、時雨がいなくなって、周りには誰も要らないと思っていた涙なのに。
 今は、そんな風に考えられない。
 ただ、考えているのは……
(俺は、あいつらを守れるのか?)
 そう、時雨の件があった所為で、極端に誰かを守りたいと思っていた。
 それが、アルグレイドに来てからより強くなった。
 今の俺には力がある。
 それこそ、あいつらを、夕音たちを守れるほどの力が。
 でも俺は、それを使いこなせず、時雨に負けて…

 ―――彼は気づいていない。

 結局今はこうして、あいつらに助けてもらっている。
 嫌々助けているのか、それとも本心で心配してくれているのか…
 今の俺にはわからない。

 ―――この『迷い』こそが。

 このままじゃいけないとわかっていても、何故だろう。
 踏ん切りがつかない、といえばいいのだろうか。
 まだ何か、心に引っ掛かっている。

 ―――彼の『変革』なのだということを。

 その引っ掛かりが取れない限り、俺は前には進めない。
 あいつらにも、顔向けできない。

 ―――彼の『成長』だということを。

 コンコンッ

 ノックの音が聞こえ、慌てて目元を拭う。
 気づかぬうちに流していた『ソレ』を拭い、返事をした。
「…誰ですか?」
「えっと、カリスと言います、ちょっといいですか?」
 カリス?
 聞いたことの無い名前だった、この家の人だろうか?
 だが、そんなことは今はどうでもいい、
「悪いけど、俺は―――」
「話したいことがあるんです、お願いします」
「……………」
「どうしても、少しだけでいいので、お願いします」
「……………はぁ」
 涙は静かに扉を開ける。
「少しだけ、な」
 扉の前に立っていたのは、桜色の瞳をした、優しそうな青年。
「ありがとうございます、改めて、カリス・ヴィルです」
「涙だ」
 ヴィル…ウォーレンの息子だろうか?
 涙は短く言い捨てた、するとカリスは涙の手を引き、
「裏庭で話しましょう、そのほうが誰にも聞かれない」
「あぁ、いいぜ…」
 
     *

「それで、なんだよ話って」
「えぇ、その…」
 カリスは少し躊躇い、やがて決心したかのように頭を下げた。
 深々と、礼儀正しく。
 涙はいきなりの行動で首をかしげた。
「ありがとうございます、ネーナを、父上と母上を助けていただいて」
「……別に、アレは俺が勝手にしたことだ、礼を言われる筋合いは無い」
「いえ、助けてもらったのは事実ですから」
 涙はカリスの瞳を覗き込む。
 
 嘘はついていない。

 ということは本心で感謝しているのか?
 涙は呆れた。
 そんなバカ正直、この世界で通用するのかよ…とんだ甘ちゃんだな。
「それともう一つ、お礼をいうべきなことがあります」
「え?」
 それは予想外だったのか、涙は驚いたような声上げた。
「ネーナを助けてくれて、父上に人としての心を取り戻させてくれて、ありがとうございます」
「人の心…?」
 涙は頭の上に『?』を浮かべるような顔をした。
 カリスはえぇ、と小さく頷き。
「父上は前から、取引先やお得意先との付き合いでストレスが溜まっていたそうで、それをネーナに当たって発散していたんです、僕も何度も止めたのですが聞いてくれませんでした」
「ネーナ?……あのメカニアか」
「えぇ、父上から聞きました……ネーナを助けたときに、涙さんは仰ったそうですね、そいつは俺がもらうって」
「あぁ、言ったな」
 確かに、でもそれは利用できるから、情報が得られるからという下心からきたもので良心からじゃない。
 まさかそれにまでお礼を言うのか?どれだけお人好しなんだよこの男。
「父上が言っていました、彼に言われて初めて気が付いた、自分が恥ずかしいって」
「へぇ、あのおっさんがね」
 意外だな。
 と、そこで今度は涙から話題を持ちかけた。
「まぁいいや……いい加減本題に入ろうぜ?」
 先ほど瞳を見たときに『流れ込んだ』彼の本心。
 そして、本当の目的。
「え?」
「え?じゃねーよ、それを聞くために俺をここに呼んだんだろ?」
「…………」
「黙るなよ、別に悪いことじゃないさ」
 ただ、と続ける、
「俺に嘘は付けないぜ」
「……っふ、流石ですね涙さんは」
 静かに微笑み、大きく伸びをする。
「父上が言ったとおりだ、あなたに隠し事は出来ませんね」
「あたりまえだろ?それで何が聞きたいんだ?」
「単刀直入に言います、あなたのその力についてです」
 カリスはまっすぐに涙の瞳を見た。
(へぇ、こいつ……透き通った、いい眼してるじゃん)
 涙は小さく笑う。
「あなたはこの世界、アルグレイドの人じゃない…だからそんな力を持っているんですか?」
「さぁね、俺にもわからないよ」
 軽くおどけながら自分の左手の刻印を見つめる。
「ただ、俺がこのアルグレイドに来たときに託されたんだ」
「託された?」
「あぁ、この世界を救うために使えってな」
 ハハッ
 笑い飛ばし、涙はカリスを見た。
「笑っちゃうだろ?俺は人間が嫌いなのに、大嫌いなのに……世界を救わなくちゃいけないんだぜ」

「それは……嘘ですよね」

「…あ?」
 思いもよらぬ返答に、涙は目を剥いた。
「あなたは、人を嫌いだといっていながら、夕音さんを助けたじゃないですか」
「お前、それをどこで…」
「夕音さんから聞きました」
(あのおしゃべりめ……)
 ばつが悪そうに頭を掻く。
「別に、あれは能力のテストをしようとしただけだ」
「ほかにも、レティアさんのときも、今回も、毎回我が身を捨てるように助けている…それほどにまで人間が好きなんじゃないんですか?」
「……さぁ、な」
 言葉に詰まる。
 そうだ、俺は何故…

 人間が嫌いなのに、守ろうとしたんだ?

「それは、あなたが本当は、心の奥深くで、人間を信じているからなんですよ」
「信じている?俺が?」
「はい、あなたは誰よりもまっすぐで、誰よりも正義の味方なんです」
 曇りの無い、綺麗な桜色の瞳、そこから見えた真意に涙は―――
「……面白いな、お前」
 涙が一歩踏み出す。
 心の引っ掛かりが取れた気がした。
 そうだ、嫌いなのに守ろうとしている。
 それが俺の心の引っ掛かりだったんだ。
 ようやく気づいた、俺は…。
「お前みたいな奴は初めてだ、だから気づけた、だから…特別に教えてやるよ」

 俺が本当に目指していたもの。
 俺がなりたかったもの。
 俺の目標だったもの。

「俺は、誰かが困っていれば、誰かが危ない目にあえば、必ず助ける…正義のヒーローのように颯爽と現れてな、俺はこの能力を与えられた、その資格がある―――ヒーローは助ける相手が誰であろうと、ちゃんと助けるんだよ」

 たとえどんなに嫌いでも―ッ

 涙はカリスを見る。
「でも、普通はそんな考えにはならない、そういう考えになる奴は、決まって『そういう経験』をしている奴だけだ。つまり……お前も、何かを抱えているんだろ」
「…やっぱり、わかりますか?」
 カリスは苦笑いしながら涙の左手を指差す。
「もう一つ聞きたいのは、セブンズ・ギルティについてです」
「セブンズ・ギルティ?」
「僕は、いや……僕の本当の両親は、セブンズ・ギルティに殺された」
「本当の両親?」
「僕の本名はカリス・オレト……ヴィル家の人間じゃないんです、僕は養子、ウォーレンさんに拾われたんです」
 カリスは悔しそうに笑う。
(その笑い……知っている)
 弱い自分をあざ笑う、自虐的な笑み。
 かつて涙も、そんな笑みをよくしていた。

 時雨を守れなかった、助けられなかった自分の非力さを笑う時のような、そんな笑み。

 カリスも、俺と同類なのか…。
「両親が殺されたのは7年前、まだ小さかった僕が覚えているのは、セブンズ・ギルティと名乗ったことと、その――涙さんと同じ、左手に刻まれた刻印です」
「刻印?」
「もちろん涙さんと同じ刻印じゃないです、僕が見たのは右手に孔雀のような刻印でした」
「右手、孔雀……刻印」
 涙は呪文のようにそれを呟く。
(収穫だな、セブンズ・ギルティには刻印が刻まれている……その一人は孔雀)
「だから僕は、セブンズ・ギルティについて調べたんです、彼らについてわかるのは、その情報が裏歴史にしか記されていないということと、彼らが七つの大罪の能力を所有するということだけでした」
「それで、同じ刻印のある俺を見つけた、と」
 えぇ、と小さく返事をした。
「悔しかった、目の前で、僕の村が全滅するのをただ見つめるしか出来なかった自分が、目の前で引き裂かれた両親に、駆け寄ることすら出来ずに逃げ出した自分が、ただ悔しかった」
「俺を疑ったのか?」
「疑っていないのかと言われれば嘘になります、最初はあなたもセブンズ・ギルティなんじゃないかって思った、でも今は信じています本心から涙さんを」
「そりゃどうも」
 こいつは、もしかして……いや、やっぱり…
 俺と同じように……壊れている。
 だけど、この環境が、彼を救ったのか?
「俺はお前のように、まっすぐな考えは出来ねぇ、というか、人間を助けるのは基本的にナンセンスだ」
 俺にはいなかった奴が、彼にはいたのか?だとしたらそれは…

 ―――とても羨ましいじゃないか。

「けど俺はお前が気に入った、だから約束しよう、俺は絶対にセブンズ・ギルティを倒す、お前の両親の仇もちゃんととってやるよ」
 カリスは穏やかな笑みを浮かべた。
「あぁ、このアルグレイドがかかってるんだからね、僕も協力するよ」
「協力はいらない、俺の邪魔さえしなければそれでいい」
 久しぶりだった。
 他人と和解したのは。
 やはり、これは……
「それじゃあ、それ以上は体に障ります、そろそろ部屋に戻ったほうが」
「あー、そうだね」
 胸の傷に手を当てる、確かに傷口がひりひりし始めてきた。
「改めてこれからよろしく、涙さん」
「あぁ、こちらこそ、カリス」
 涙とカリスは苦笑いしながら部屋に戻った。

     *

「おい、これは……どういう状況だ?」
「ぼ、僕に聞かれてもー……答えられないかも」
 部屋に戻った涙とカリスは絶句した。
 ただ呆然として、二人が漏らした言葉は、
「何してんだ?千歳、レティア」
「何をしているんだい?ネーナ」
 呆れたジト目で見つめる二人の先には……
 笑顔のネコ耳モコモコワンピースのレティア(微エロ露出度高)
 恥じらいの初音●クのコスプレの夕音(なんかスカートの丈が短い)
 堂々の裸エプロンのネーナ(一番エロい癖に一番平気な顔してる)

((何してんだこいつ等ッ!?))

 涙とカリスの思考が一致した。
 何か言いたいけど言い出そうとしない夕音に、何か褒めて欲しいのかネコ耳をピコピコさせているレティア、これに何の意味があるのかまったくわかっていないがとりあえず堂々としているネーナ。
 うん、わからん。
 冷や汗を滝のように流しながら、涙とカリスは固まっていた。
(何してんだあの殺人鬼と野生児は!ついに気でも狂ったのか!?)
(何してるんだよネーナ!まさか父上にそんな趣味がッ!?いやプログラムに故障が!?)
「「何してるんだお前ッ!」」
 二人同時に叫んだ。
 夕音は、
「い、いや……夕音は好きでこんな格好してるわけじゃないのに……」
 と、スカートを無理に引っ張り太ももを隠そうとしている。
 レティアは、
「えへへ~、ねーなに『けんさく』っていうのしてもらったんだ~ッ♪男の人はこういうのに『もえ』を感じて元気になるんだってッ!どう?どうどうッ?私のモコモコ~」
 と、子供なので発達の低い胸を必死に強調しようとかなり際どい服装。
 おまけにネコ耳とシッポをぴょこぴょこさせて目を輝かせている。
 ネーナは、
「カリス様、申し訳ございません、検索したらこのような服が出てきたので皆様に着用してもらったのですが、どうでしょうか?」
 小首をかしげながらエプロンを引っ張る。
 とりあえず犯人はこいつだった。
 はぁー…と、涙はこめかみを押さえ、
 あちゃー…と、カリスは天井を仰いだ。
「千歳、レティア」
「「なに?」」
「そこに正座」
「「……はい」」
 ビシッと、足元を指差す涙。
「ネーナも、そこに並んで正座して」
「了解しました」
 
     *

「でぇ?何をしたのかー……わかってるよね?」
 三人の目の前に、イスに深く腰掛け足を組み、涙は不機嫌そうにたずねた。
 カリスもイスを用意して、二人分の紅茶を淹れている。
 最初に手をあげたのは夕音だった。
「ゆ、夕音は反対したんだよ?で、でもレティアが無理やり…」
「ガキに無理やりって言い訳は通用しないよ?」
 いつもより強い口調に、夕音は思わず怯える。
(今日の涙くん、怖い……けど、怖い涙くんも、なんだかイイかも)
 久しぶりに涙と話は出来た。
 それはうれしい、けど内容が説教とは…。
 しかもなにやら新しい扉が開きかけている。
 内心で喜びと悲しみの両方を味わう夕音。
「おかげで傷に響いた、なんか言うことあるだろ?」
「ごめんなさい」
 ペコリと頭を下げた夕音。
 本心では、

 本当は言って欲しかったのだ、
 『可愛い』と、褒めて欲しかったのだ、
 だから無理にでも断ることはしなかった。

 次にレティアに視線を移した。
 正座させられているのにまだネコ耳をピコピコさせながら何かを期待している。
 そんなレティアに涙は非常に冷め切った声で、
「で?レティアの意見は?」
 だが、この声に怯えることなくレティアは、
「るいにぃを喜ばせたかったから!」
 迷い無く言い切った。
「あ?」
「あのねあのね!私もゆうねぇもるいにぃが元気ないのずっと気にしてたの!だから元気になって欲しいなーって思ったの!だからネーナに『けんさく』してもらって元気の出る方法を探したのッ!」
 少し困った笑みを浮かべ、
「でも、るいにぃのココロがボロボロで大泣きなの!だから笑顔にしたかったの!」
 その言葉に涙は、
「ッ…………もっと、手段を考えろ」
 静かにレティアの頭を撫でた。
「えへへ~♪」
(やっぱり、こいつ等……)
 レティアの瞳を見て確信した。
 やっぱり、本気で俺の心配をしていたのか?
 そうなると突然ばつが悪くなり、慌てて夕音とレティアに背を向け立ち上がる。
「ったく……お前らは………あ、そうだ、ちと……せ?」
 先ほど怒ってしまったのを謝ろうと思い振り返り夕音を見ると、なにやら黒いオーラを出しながらナイフを持って鬼神のごとくレティアを睨んでいた。
(なんであんただけ頭撫でてもらってんの!夕音は怒られたのにッ!)
 これなら素直に褒めて欲しかったといえばよかったと今更ながらの後悔をしていた。
(どうせならもっと過激な格好のほうが良かったのかな)
 ダメだと思う。
 もちろん、そんな夕音の葛藤は涙が知る由もないが。
(あ…やっぱ理不尽に怒られてレティアは怒られてないもんな、そりゃ頭にくるわ)
 涙は頭を掻きながら夕音の前に座り込む。
 この手の展開はギャルゲーではお決まりだ、台詞は即興だがしかたがない。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
「んな怨霊みたいな唸り声を上げるな」
 ペシッ
 夕音に軽くチョップして、
「まぁそのー…なんだ、状況を考えてしてくれるんなら、可愛いと思うぞ?お前のそのコスプレ」
 と、それだけ言って部屋を出た。
「やったねッ!ゆうねぇ!」
「…………………………」
「ゆうねぇ?」
「――――――――――」
 顔を紅くして、涙の出て行った扉を見つめて夕音は、
「固まってるねー」
 カリスが苦笑いしながら紅茶を飲む。
(なんだ?涙さんって本当に人間が嫌いなのか?)
 その割にはえらく口がうまいな。
 カリスの疑問も当然だろう、彼の知識はアルグレイドには無い『恋愛シュミレーションゲーム』の知識なのだから。
(っま、いいか)
 自己完結させ、ちらりとネーナを見る。
「お前も、今度からそういう知識は吹き込むな、しかも客人に」
「はい、申し訳ありませんでした」
 ネーナは笑顔で頭を下げた。

     √

 コンコンッ
「ん、なんだ?」
 涙はいじっていたスマホを机に置き、扉を開ける。
 そこには、コスプレした夕音。
「こ、こんばんわ」
「…お前、まだそんな格好してたのかよ」
「う、うん…入ってもいい?」
 涙はため息をついて夕音を部屋に入れた。
 
「でー、どうした?」
「い、いや…そ、その…」
 あからさまにもじもじしている。
 涙は机をトントンたたきながら、
「俺ははっきりしろって言ったよな?一番最初に」
「う、うん……でもー、あのね?」
「あ?」
「今日は一緒に、寝てもいい?」
「…お前どこかで頭でも打ったのか?」
「いや違うよ…」
 夕音は俯きながら、ちらりとスカートを指先でつまんだ。
「こ、こぅ?」
「なにが?」
「あ、あれぇ…こうだっけ?」
 そういって今度は両端を持ってスカートを少しめくる。
「何がしたいんだ、お前」
「え、えっと、レティアが『こーやったら男の人はこーふんして一緒に寝るよ!』って言ってたから、その」

「おいこらレティアああああああああ!」

 夕音が言い終わるや否や即廊下に飛び出し数秒後首根っこ掴まれたレティアとともに戻ってきた。
「ありゃりゃ!?なんでそんなに早いのかな!」
「お前俺の能力を忘れたのか?」
「ッあ!忘れてた!」
「まぁそんなことはどうでもいい、千歳に変なことを吹き込むな!」
「なんでー?」
「お前、あの千歳みてなんとも思わないのか!」
 レティアがチラッと見ると。

 ぽわわわわ~……

 完全に妄想世界にスリップナウの夕音の姿。
「あー……はははー……ごめんなさいー……」
「どーすんんだよ、あいつ」
「るいにぃ、ガンバ!」
「はぁ?っておい!」
 いつの間にか涙の手からすり抜け、レティアは廊下を飛び出し逃げ出した。
「マジかよ、ったく……おい千歳」
「にゃい!」
 ビクッと背筋を伸ばす夕音。
「お前はベッドで寝ろ、俺はもうソファでいいから」
「え、い、一緒の布団に入ろうよ」
「NO」
「なんで?」
 その言葉に盛大なため息をもらす。
「お前な、俺は一応男なんだぞ?もしかしたらって思わないのか?」
「だ、だからっ…」
 夕音は真っ赤な顔をズイッと涙に近づけた。
「う、夕音は、涙くんなら、その……い、いいよ?」
「寝なさい」
 ペシリ
 夕音に軽くチョップしてベッドに放り込む。
「はぁー……どうしたんだよ、急にお前は」
「え、え?」
 キュッ……と。
 気が付けば涙は、無意識のうちに夕音を抱きしめていた。
 腕に力を込め、だが優しく包み込むような暖かさ。
 かつて届かなかった手が届いた気がした。
「でも、良かった……俺は、お前を信用できない」
「それが良かったの!?」
「ハハッ……でも、お前という、『千歳 夕音』としてのお前なら、信じてもいいかもな…」
「そ、それってー……」
「気にするな、寝ろ」
「え、もうちょっと、このままが、いいかも」
「このまま?………………ッ!?」
 夕音の言葉にようやく自分が何をしていたのか気づいて慌てて離れた。
「な、なななななななッ!お、俺は何を!?」
「夕音は、嫌じゃないよ?」
「俺が嫌なの!」
「夕音を抱くことを?」
「発言に気をつけようぜ!抱きしめるといおうか!」
 抱くだったらRー18の世界へGOになる。
 涙は頭を抱えて自分の行動の真意を問う。
 当然答えは出ない。
「え、えぇ?」
「涙くん?」
「な、なに?」
「その、もう一回、抱きしめて?」
「嫌だッ!」
「お願い、出来れば抱きしめながら寝て?」
「その誘い方は誤解を招くぞ!」
「だから、涙くんならいいって」
「俺が無理なんだってば―――――!」
 このとき、涙はわからなかった。
 
 彼の感情に芽生えた『ソレ』がなんなのか。

アルグレイド・オンライン

アルグレイド・オンライン

俺は、私は、変わるんだ、この世界でッ! 片やゲーマで人間嫌い、それでも人を信じたい青年と、片や連続殺人鬼で人間はみんな敵と感じて、それでも人に必要とされたい少女。 壊れた二人が目覚めたのは、√世界と呼ばれる、もう一つの世界・・・ 神に魅入られた二人は、自分を変えるために世界を救うゲーム、負ければ即死の『アルグレイド・オンライン』に足を踏み入れるッ! 現代の色に染まった主人公と世間の嫌われ者になった主人公、二人の主人公の織り成すぐちゃぐちゃな戦いッ!壊れたからこそ出来ることがある!壊れたからこそ見えるものがある!そして―――壊れたからこそ守りたいものがある!

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ステージ0 絶望ステータス
  2. ステージ1 人間嫌いの《壊れ者》と人殺しの《壊れ者》
  3. ステージ2 運命的エンカウント
  4. ステージ3 ネコ耳ピコピコ
  5. ステージ4 コンティニュー
  6. ステージ5 涙―ナミダ―
  7. ステージ6 感謝とお礼と―