うらら、らら

12年前に書いたものです。その場の空気をまるっと書きたかったようです。

うらら、らら

 私は家からほとんど出ることのない仕事をしている。だから、私の友人というのは、この仕事をする以前に出会い、仲良くしてくれている人のほうが断然多い。以前というのは、私がこの仕事につくまでの、ふわふわとしていて周りから心配されていたころのことだ。
 今、私は漫画を書いて生きている。周りの仲の良い何人かは「やっぱりね」というけれど、別の何人かは「驚いた」といい、また母は「なにやってるのかと思ったら」といい、父は「驚いた。でも、やっぱりな」といった。私は正直驚いている。私の日々の妄想を絵に写し、それでお金がもらえるのだから不思議である。
 私の漫画について、仲の良い何人かは「意味がわからない」といい、また別の何人かは「興味深い」といい、またまた別の何人かは「おもしろい」という。母と父はほとんど触れることはないが、ただ一度だけ「いいという人がいるんだからいいんだろう」といった。私はというと、実はそんなにおもしろくないと思っている。「わはは」と腹を抱えて笑えるものではないし、ティッシュの箱が手放せないものでもない。私が妄想にふけっているときの気持ちというのは、たいていの場合「はあー」と思って「あああ」なのだ。だから、そういうのはおもしろいとは少し違うと思うし、興味深いものでもないと思う。私自身が私自身の妄想について語っているから、こういう考え自体、基本的にズレているとは思うのだけど。
 私は漫画で食べていけるようになるまで、適当にアルバイトをして生活していた。アルバイトというのは楽である。責任というものがあまり目に付かない。私は意外にも(といわれることが多い)間違いが少なく、そして地味な身なりで地味な顔をしているので、真面目なおとなしい娘に見られがちであるということも加わって、間違えてしまったときは「すみません。今後は気をつけます」といえばたいてい許される。
 短大を卒業してから、五年ほどぷらぷらしていた。その間にいろいろなアルバイトをし、いろいろな人と出会った。今でも交流がある人もいるが、そうではない人もいる。スナフキンはその中でも特にくっきりとした輪郭――しかしそれは手でつかめそうなほどの外側の輪郭ではなくて、雰囲気の輪郭であるが――を持って私の中に色褪せることなく存在している。多分それは、当時の私がスナフキンのことを、自分が思っているよりも、ずっとずっと好きだったからだろう。

 彼は毎週水曜日に図書館にきていた。私はそのころ毎日のように図書館に行っていた。彼を気にするようになってからは、狙いを定めて通うようになった。
 彼はいつも分厚い本を借りていた。色の白い、細い、けれどもごつごつとした指が本をしっかりと掴んでいた。私はまずその手に恋をし、その手の持ち主である彼に恋をした。手と同じ色の白い、細い、けれどもごつごつとした人だった。
 彼と私は、同じ本を手に取ることはなかった。十数年ぶりに会う同級生ということもなかった。ただ、図書館に入る時間と、図書館から出る時間が同じだっただけだ。それでも私と彼は仲良くなった。私の思い違いかもしれないが、仲良くなった。
 彼は私に名前も、職業も、電話番号さえも教えてくれなかった。私が「私は、辺見あかね、二十四歳です」と自己紹介しても「近くの薬局で店員をしています」と職を明かしても「私の電話番号は○○○-××××です。夜八時以降ならたいてい出ます」と連絡先を教えても、「そうですか。教えてくれてありがとう」としか答えなかった。私は少しがっかりしながら、それでも、少しでも私のことを知ってもらえたという喜びと図々しい満足感に浸っていた。
 しかし、彼はいつでもなにをいっても似たような返事で、耳から入った言葉が頭の中にちゃんととどまって、記憶という紙切れにこりこりと情報を書き込んでいるのかどうかというのは、定かではなかった。
 ある日、私の何度目かの自己紹介のあと彼がいった。
「あなたは何度も何度も自己紹介しますね。なぜですか? 僕はもうあなたの名前を覚えていますよ。薬局の店員で夜八時以降なら電話の繋がる辺見あかねさん」
 私は密かにガッツポーズをした。私の口から出た言葉たちは、正確に彼の頭の中で情報を書き込んでいたのだ。
「あなたのことが知りたいので、まずは私からいうべきかと思ったんです」
 私はとてもかしこまった。いよいよだ、と思った。
「そうですか」
彼は目を伏せていい、次に顔をあげていった。
「辺見あかねさんは、とても礼儀正しいのですね。でしたらお教えしましょう。といいたいところですが、私はあまり自分の名前が好きではないので、いいたくありません。そして僕はなにもしていないただの学生、二十一歳です。電話はありますが、家の電話なのでかけてこられると母親が出て面倒くさいことになりかねないのでお教えしたくありません。よろしいですか?」
 彼はまっすぐに私を見ていった。私はものすごく納得してしまった。しかし、どうしても気にかかることがひとつだけあった。呼び方だ。『アナタ』と呼びつづけるのはなんだか気恥ずかしいし、『キミ』と呼ぶのはどうもしっくりこないのだ。もしかしたら、スナフキンは『アナタ』とか『キミ』と呼ばれることが、実は不愉快でたまらないのかもしれない。私はかしこまったまま聞いた。
「わかりました。でしたら電話もかけませんし名前も聞きません。でも、あなたのことはなんとお呼びすればいいのでしょうか?」
 彼はしばらく考えて、やがてなにかを解き放つようにいった。
「好きなように呼んでください」
 彼の言葉は私の頭の中で響いた。好きなように、ならば、これしかない。
 あるとき、彼は本棚と本棚にはさまれて腕組みをし、じっと本の背表紙を見ていた。私はさりげなく彼の隣に並ぼうとしたのだが、彼は私よりもさりげなく別の場所に移動してしまって、私はあまり興味のない中国文学の本棚を眺めることになった。まあ、目的が動いたのだからと、私もじりじりと、あくまでさりげなく動くのだけど、目の端に映った本が気になってぺらぺらと立ち読みなんかをしているうちに、彼は最初の位置に戻っていて、じっと腕組みして本の背表紙を見ているのだ。そのとき
「スナフキンのような人だ」
 と否妻が走ったのだ。ムーミンを読んだことも、真面目に見たこともない私だけど、徹底的に自由で孤独でマイペース(のように私には見える)なスナフキンのようだと、思ったのだ。
 彼はどう思っているかは知らないが、私はその呼び名を気に入った。声に出して呼ぶたびに、スナフキンの「キン」のあたりがいとしかった。時おり、涙まで込み上げてきそうなほどにいとしかった。だから私は彼にそうとうの恋をしているのだと気づいた。スナフ「キン」。スナフ「キン」。
 図書館が閉まってからも、ふたりは外で話したりもした。しかし私の知っている彼というのは、夕方の六時から七時、または七時半ぐらいまでの彼だった。寝起きの彼や風呂上りの彼を想像しようとしたけれど、まったくもってダメだった。どうしても夕方の彼の姿しか思い描けなかった。試しに、コンビニエンスストアで牛乳を買う彼や受話器を握る彼を想像しようとしたけれど、これもまったくもってダメだった。私の想像力はあまりにも非力で、貧相なものなのだと痛感した。それから一度として「別の彼」の姿を想像することはなかった。だから私の中の彼は、常に薄い闇をまとい、分厚い本を持ち、いつでも似たような返事をするスナフキンなのだ。
 彼との逢瀬は、出会った年の冬の入り口あたりで終わってしまった。彼が図書館に来なくなったのだ。ならば、仕方がない。私は彼の名前も電話番号も知らないし、彼は一度も私に電話をかけたことはないし、諦めるしかない。何度もそういい聞かせたのだけど、未練がましい私は彼の電話を待った。鳴らない電話の前で、ただひたすらに待った。時には自棄を起こし友人と飲みに出てしまったり、眠ってしまったりしたけれど、そのあとはたいてい、自分でも驚くほど後悔して落ち込んでしまうので、年明けには大人しく待つようになった。しかし、一度も彼からの呼び鈴は鳴ることはなく、とうとう春を迎えてしまった。その年の春も、例外なく気持ちのいい風が吹き日が照り草が芽吹き花が咲き、私はようやく片思いをやめてしまおうと決意したのだった。

 なぜに突然スナフキンのことを思い出したかというと、ちょっと驚いてしまう出来事があったからだ。
 私は前々から風呂でも使えるCDプレイヤーが欲しかった。それさえあれば長風呂も楽しかろうと思ったのだ。一番心を揺さぶられたのは、海外の製品で、縦長の、吊り下げ・縦置き・壁面取り付けOKの優れものだった。雑誌の切り抜きをもって、早速家を出た。とりあえず町の電気店に行き、次に繁華街よりのディスカウントショップをのぞき、繁華街のの電気店にも行き、もしかしてと思いながら東急ハンズに行ってやっと見つけた。すぐさま購入し、抱きかかえて持ち帰った。市内電車から降りると、空は透明な藍色が幾層も重なりはじめていて、赤い満月が重そうに浮かんでいた。私は
「見つけましたよ。とうとう見つけましたよ。お風呂で使えるCDプレイヤーですよ」
 と月に話しかけてしまった。嬉しさのあまり。
 ハチミツが、もうこれ以上はないくらい凝縮した色の月だった。今にも滴ってきそうだった。甘ったるい夜空だった。
 部屋に帰り早速使ってやろうと思ったのだけど、このCDプレイヤー、防滴であって防水ではないので水のかからないところに置いてくれとのこと。だったら、と思って風呂場で散々考えたのだが、いい置き場所が見つからない。借りものの部屋なので壁に穴はあけられない。風呂場で困り果てていると、換気扇が目に付いた。あそこなら。しかし換気扇のカバーを外したところで、フックがかかりそうなところはなかった。そのとなり、なにやら開きそうな場所がある。ついでと思って押してみると、簡単に持ち上がってしまった。そこはダクトやらどこかの線やらがたくさん通った、夜空よりも暗い闇だった。
 私はどこか引っ掛けられる場所はないかと(もし、あったとしても、風呂場のど真ん中あたりにそんなものをぶら下げることは賢明とはいいがたいのだが)懐中電灯を持ってきて、そのふたのようなものをどかせ、頭を半分突っ込んだ。すると、そこにあったのだ。バラライカ。
 ほこりをかぶっておらず、かといって使われているようにも見えない(使うとどこが磨り減ったり色褪せたり悲鳴をあげたりするのかわからないけれど)。持ち主は? と思ったが、多分このバラライカを所有できる人はいないだろうと思った。なぜなら、きちんと座りなおして「ではここで一曲」と言い出して、一曲弾ききってしまいそうなほど孤立し独立しているように見えるのだ。しっかりしたバラライカだった。
 バラライカという楽器は、仲の良い友人のひとりが「かわいいだろう」といって見せてくれたことがあったので知っていた。「かわいいだろう。この形がたまらないだろう。この角のあたりとかさ、愛嬌があってさ」といっていた友人は、弾くことはできないようだったが、楽しそうなので放っておいて、私はそのバラライカから直感的にスナフキンのことを思い出し、ひとりいやらしくにやけていたのだった。
 しかしなぜうちの風呂場の天井裏にバラライカ。と風呂場の天上に頭を半分突っ込んで考えたが、まったく想像できなかった。そういえば、友人が「お前の想像よりは高いものだよ。絶対にやらないよ」といっていたことを思い出し、さらに混乱してしまった。
 しかしいつまでもこうしているわけにもいかず、本来の目的はCDプレイヤーの引っ掛ける場所、もしくは置ける場所を探しているわけなので、今日のところは見なかったことにしておこうと、ふたを元通りに閉めて、浴槽から降りた。
 その後、散々の上に散々考えて、結局CDプレイヤーは据付の棚の一番高いところに注意して置くことにした。そしてその日の風呂は、疲れたのでシャワーでさっと流すだけにした。窓の向こうには、もう赤くない満月が、取ってつけたように浮いていた。
 翌日、やはりバラライカが気になっていた。気にすまい、気にすまいと思えば思うほど気になった。誘惑と悪戦苦闘している頭の中で、スナフキンの輪郭は色鮮やかに蘇り、触れることができるんじゃないかと思うほど、精巧に再現された。
しかし、スナフキンへの当時の想いを思い出したからといって、会いに行こうととか声を聞こうとか、そういった行動は起こさなかった。今よりも何倍も想っていたときでさえ、思い通りにならなかったのだ。今になって思い通りになるわけがない。それに、私の情熱というやつも、えらいこと薄れていることだろう。
 私は、思い出してもむだむだ。考えてもむだむだ。気にしてもむだむだ。と、自分を諌めたが、それとは反対にスナフキンはより精巧に蘇り、バラライカは誰にあてたわけでもない曲を、ひとりで奏でているような気さえするのだ。
 思う存分もんもんとしながら数日が過ぎた。時間がたてばバラライカも気にならなくなるだろうし、スナフキンのレプリカに悩まされることもなくなるかもしれないと思っていたのだが、部屋にこもりきりで仕事をしているものだから、どうしても気になる。コーヒー牛乳をつくりながら思った。そして、気づいた。これは秘密に似ている。秘密に似ているからこそ、こんなにも手ごたえがあり重いのだ。気づいて少し楽になった。
 気づいてから一度だけ、バラライカを見に風呂場の天上のふたをあけた。バラライカはまだそこにいた。バラライカはとてもかしこまった様子でそこに横たわっていた。私に見られていることから目を背けているようにも見えた。私は一旦浴槽を降り、冷蔵庫の缶コーヒーをもって、また頭を半分突っ込んだ。そして缶コーヒーをバラライカのそばに置いて、
「ま、ま、遠慮せず」
 と勧めた。そして部屋に戻り、仕事に戻った。少しだけ、気が晴れた。
 その日、電話が鳴った。仲の良い友人のひとりが失恋したという。だから明日みんなで飲もうじゃないかというのだ。私は久しぶりの飲み会の誘いに迷うことなくうなずいた。人の失恋をだしにしているようで悪い気もするが、楽しく酒を飲めて、尚且つその友人の気が少しでも晴れたらそれはとてもいいものだと思う。話はとんとん拍子に進み、明日、うちの近所の焼肉店で軽くやって、それから一番むだに広い私の部屋で本格的に飲むことになった。
 楽しい気分で風呂に入った。天井を見上げ、バラライカはどうしているんだろうか、スナフキンはどうしているんだろうかと考えながらJEWELを聞いた。湯気の中に失恋した友人の顔が浮かんで消えた。水のような気持ちになった。
 翌日、昼過ぎにうちにやってきたふたりと買い物に出かけ、簡単なつまみを途中まで料理してちょろちょろと飲み始めた。夕方、焼肉店に行ってみると久しぶりに会う顔とそうでもない顔が合わせて五つあった。合計八人での宴会となった。失恋した本人は下戸なのでまったく酒を飲まず、ぐじぐじとしばらく愚痴っていたのだが、気持ちよく酔い始めるものが出てきたあたりで明るく励まされ、とりあえず笑っておこうか、ということになり、焼き網を囲んで笑った。思ったとおり楽しかった。
 二時間で店を出て、適当に酒を買い足し、私の部屋に集まった。作りかけたつまみが出来上がる前からおのおのが適当に飲み、つまみが出来上がったらそれを囲んで飲んだ。飲んで飲んで飲んだ。なぜこんなに酒を飲むのかよくわからないまま、楽しければいいじゃないかということで、ともかく飲んだ。
 いくらか時間が過ぎ、ふたり眠ってしまったころ、ひとりが「今日の月は綺麗だから月光浴でひやひやと酒を飲もう」といいだした。「いいねえ」「それはかっこいいよねえ」とそれぞれが玄関から履物を持ってベランダに集まり、グラスや缶を片手に月を仰いだ。夜空に青白い半月が、空に食い込むようにそこにあった。
「月の光はいいよねえ」
 と、誰かがいった。
「私は白い月の光が好きなのよねえ。三日月だといいわよねえ」
 と、また別の誰かがいった。
「私はやっぱり今日みたいな半月の青白いのがいいわよ」
 と、また別の誰かがいった。
「私は満月の赤いのも綺麗だと思うわよ」
 と、私はいった。みんな一様にいやーな顔をした。横に伸びそうな「いやー」な顔。指差して変なのと、私ひとりが笑った。
「赤い月って恐いよね」
「なんだかな。気味悪い感じ」
「良からぬことが起きそうな感じ」
 思い思いに批判してくれるが、私は好きだというのだからいいじゃないか、とは口に出さずに「ぷっはー」といった。赤い月でも黄色い月でも白い月でも青い月でも、満月でも半月でも下弦の月でも上弦の月でも三日月でも、それが月である以上、私は好きなのだ。静かにひとりで青白い半月に乾杯した。
「そういえば、赤い満月の日、面白いもの見つけたの」
 ひとり乾杯のあと「気味が悪い」だの「縁起が悪そう」だの「ホラー映画みたい」だのと、思い思いに赤い月の悪口をいっている友人たちに向かっていった。いった後、ついうっかり、というような気持ちになった。けれど気持ちよく、ご機嫌に酔っていて、歯の裏側まで迫ってきている言葉を飲みこめるわけはなかった。
「赤い満月の日ね、一目ぼれしたCDプレイヤーを買ったのよ。それをさて置こうと思ったら、置く場所が見当たらないの。だからいろいろと考えて、お風呂場の天上にふたみたいなのがあるじゃない、あそこをね、開けてみたの。そしたあったのよ。バラライカが! 私驚いちゃって。あんなに驚いたのは、久しぶりだったわあ」
 気づいたらものすごく得意げにしゃべっていた。ああ、秘密事だと思っていたことなのに。などと反省しながら、顔はヘラヘラと笑っていたと思う。
友人たちはそれぞれ違うように、でも似たように「は?」という顔をしていた。
「えっと、なんで、CDプレイヤーの置き場所を、風呂場で悩むんだ? それにバラライカってなに? どういうこと?」
 ひとりがとても分かりやすくみんなの「は?」を説明した。分かりにくかったか、と私は反省し、みんなを風呂場に案内した。そして、これこれこうなんですよ、と説明した。現物を見せながら実際の場所で説明すると、みんな理解してくれた。
「で、どうしたの、バラライカ」
「そっとしておいたよ。でも気になったから昨日開けてみちゃった」
「あったの?」
「『いた』のよ。でもなんだか知らん顔されてるみたいで寂しかったから、缶コーヒーで機嫌をとっておいた」
「缶コーヒーでね、機嫌がとれるもんなのかね」
「いや、わかんないけど」
「見てみるか」
「うん、い……」
「私はいやよ。だって恐いじゃない。自分の知らない誰かがいるかもしれないのよ」
「おお、そういわれてみればそうかもしれん。おい、かなり気味悪いぞ」
「ん、そうかな」
「そうよ、気味悪いよ。ホラー映画っぽいよ」
「ん、……そうなのかな」
 2DKのおまけのようについている狭い脱衣所と風呂場で、男女六人が開ける開けないでしばらくもめた。もめている最中、ひょいふたは開いた。一番開けたがっていた友人がひょいと開けてしまったのだ。
「ひゃ」
「きゃー」
「わっ」
「いやー」
「……」
「いるでしょう?」
 友人は頭を半分突っ込んで見回して、片手で何かを取ろうとした。
「懐中電灯、もってこようか?」
「いや、いらない。バラライカ、ないよ。コーヒーの……空き缶があるよ」
 友人は空き缶を私に向かって放り投げた。取り損なって脱衣所に転がった。私の後ろで固まっていた友人たちは、なにやらわけのわからないことを叫んで脱衣所を飛び出した。私は拾い損ねた缶を拾い、しげしげと眺めた。普通に開けて飲んでいる。
「バラライカ、飲んだのかね」
「そうかもね」
「で、出ていっちゃったのかな」
「そうかも、ね」
「多分、気を使ったんだろうな」
「えっ、悪いことしたなあ」
 私と残った友人は、空き缶を見つめた。私は、出ていったであろうバラライカのことを思った。友人は、何を考えていたのだろう。
「タイミングが、良かったんだよ」
 しばらくの沈黙のあと、友人はいった。たくさんの想像や思いが、ぐっと圧縮されてできた、モザイクのような言葉だった。その言葉はぽろりと落ち、空き缶にぶつかり、ボロボロと崩れ、足元に届く前に、空気に溶けた。
 私は顔をあげた。
「タイミングが、良かったのねえ、きっと」
 わずかに、涙声になっていた。

 居間に戻ると、出ていった四人は「そういえばこの家は妙な気配がする」だの「酔って泊まったときに誰かがシャワーを使っていた」だの、ありもしないことをいい合っていた。私は空き缶を捨て、一升瓶から日本酒を継ぎ足してベランダに出た。月は変わらず照っていた。
 そのあと、誰も帰らずみんなで雑魚寝した。布団は三つしかないのでずらりと並べて敷き、縦になり横になり、適当に眠った。
 とても幸せな夢を見た。私は図書館のすぐそばの石の椅子にすわり、バラライカを弾きながらスナフキンを待っていた。ギターのようにバラライカを抱えて、スナフキンの手を思いながらJEWELのJesus Loves Youを熱唱していた。もちろん、現実ではインチキな鼻歌でしか歌えないし、バラライカの、持ったものしかわからない大きさや重さや手触りや弾き方なんかはわからないけれど。
 とても気持ちよかった。スナフキンはもうすぐくるんだと、空き缶よりも軽い、けれども生きた自信の中で思っていた。空はどんどん密度を増し、恐るべき速さで太陽は身を隠し、変わりに真っ赤な満月が現れた。
私はスナフキンの控えめすぎる雰囲気が着実にこちらに向かってきていることを知っていた。久しぶりに顔を見たらなんて声をかけよう。弾いてみてください、と頼んでみようか。いや、スナフキンは「僕はギターは弾くけどバラライカは弾かないよ」とつれなくいうだろう。ちぇ、つまんないやつ。
 早くスナフキンの姿を見たかった。夢の中でもいいから会いたかった。あの似たような返事を聞きたかった。
過ぎてしまった時間だと知っているからこそ、こんなにも儚く甘く思えるのだろう。私は、いやだなあと思うほど強くて、恥ずかしいぐらい女々しい。だからこんなにも一生懸命歌っているわけだ。
 スナフキンの手が、私の肩を叩いた。きっといま、誰かの腕か足が私の上に乗っかっているのだなあ。

うらら、らら

うらら、らら

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-10

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