短編小説 『灰色の涙』

……

…………。

私はふと目を覚ました。

家の窓から明るい日差しが入っているところを見ると、どうやらもう朝のようだ。
念の為、私は時間を確認する為に近くの時計へと視線を移した。

……七時。

時計の短い針は七時を指している。
どうやら間違いなく朝だ……。

目の前には何年も前から一緒に生活をしている、七歳の子供の「準」とそのお母さんの「彩」が
私の方へ顔を向けて笑顔を作って座っていた。
私も二人の明るいその笑顔へ笑顔を返すようにニコリと笑う。

今日も外は天気が良い。窓から光り輝く日光が部屋のフローリングを綺麗に照らしている。
毎日こんな日が続けばいいなと、私は願うばかり……。
平和なゆったりとした幸せな時間が続けばそれで私は満足。

その時、私の目の前のテーブルにいきなり、今日の朝ごはんが置かれた。

いきなりのことに少々驚いてしまったが、私がすぐに気を取りなおして料理へと視線を移す。
そして、私とテーブルに座っている二人は同時にいただきますと呟いた。
二人はご飯を食べ始め、私はその様子をジッと伺う。
二人の様子を伺う私は何処か緊張の面持ちで何かを待っていた。

いつだ、いつくる……。

そう心の中で呟きながら私は何かに身構える。

何故、身構える必要があるのか。それはある理由があるからだ。
実はご飯を食べるその瞬間。たまに彩が真剣な顔をして私を見つめるときがあるのだ。
何故かは分からない。
でも、私はその彩の顔が正直怖かった。

まるで怒られているような、そんな感覚に陥ってしまう。
だから笑っている顔の方が好きだ。

……今日の二人は……。

……

…………

……笑っている。

良かった……。

私は胸を撫で下ろした。
笑顔の理由は分からないが、今日は何か良い事があったみたい。
二人の顔は外の朝日のようにキラキラと輝いていた。

今日も良い日になりそうな気がした……。

少しして、二人は時間に追われるように忙しなく動いていた。
これもいつも私が見る光景だ。
毎日この光景を見るが、この後は結局二人とも外へ出て行ってしまう。
準は黒い小さなバッグ。いわばランドセルというものを背負って家を出て行く。
彩はキチンとした制服を着て外へ出て行く……。
恐らく仕事に行っているのだろうか。
外へ行けない私には知りようがない。

そして、結局二人は家からいなくなり、家には私一人になってしまった。

ちょっと悲しいのは仕方ない、いつものことだ。
……我慢、我慢……。
ちなみに、私の一日はというと。
二人が家から出て行く際に、いつも寝かせられる。
基本、準が帰ってくるまで私は寝たままだ。
特にすることもないし暇だからだ。
しかし、準が帰ってくるとすぐに私は起こされる。
そして準は私のことを見てまた笑ってくれるのだ。

それでしばらくして、日が落ちてから彩が家へ帰ってくる。
いつも疲れ果てた感じで私の前へと座る。
そんな彩も私の前ではいつも笑ってくれる。
やっぱり真剣な顔をしたり泣いたりしたりと、怖い顔のこともあるけど……。
大抵は笑顔で私を見つめてくれる。

それから少しして、二人が寝るころに私も一緒に眠りにつく。

そして、気付けば朝に。

と、これが私の一日である。

暇ではあるけど、二人の笑顔が見られるだけで私は幸せだった。
二人がいつも私を大事にしてくれる。
そんな毎日が……。

しかし、そんな幸せな日々もそう長くは続かなかった。

ある日の昼。
私の家に新しい家族がやってきた。

その子は私よりとてもスリムで、凛々しい顔立ちをしていた。
最初は全然気にしなかった。
新しい家族が増えた、嬉しい。

そんなことを思っていた。

……だけど、彼女は私からすべてを奪っていったのだ……。

まずは居場所。
彼女が来てから私の居場所は家から無くなってしまった。
私の特等席であった棚の上はその新しく家族になったその子に取られてしまった。
私は部屋の隅に追いやられ、そこで毎日を過ごすことに。

私は悔しかった。

何で新しく家族になった彼女にあの場所を取られたのかと……。
今まで二人は私のことを凄く大事にしてくれたでしょ……。

何でいきなりこんな仕打ちをするの……?

と、私は毎日部屋の隅で悲しみに包まれながら泣いていた。
だけどまだ心の中では二人を愛していた、好きでいた……。
嫌いで居ることが出来なかった。
何故なら、今まで二人は本当に私のことを大切にしてくれていたのだから……。
あのときの記憶が今でも私の頭の中を埋め尽くすのだ……。
しかし、そんな私の中におぼろげに残る微かな希望も、時間が経つごとに儚く薄れていった……。

準も彩も次第に私など見てくれることも無くなり、注目はいつも、
新しく来た彼女に集まるようになったのだ。
いつも私を見て笑ってくれた二人は、もう私を見てくれることは無い……。

私は絶望の中に立ち竦む。

もう起きない。私は起きない……。
ジメジメとした部屋の隅で私は起きることをやめた。
起きていてもつまらないし、起こしてもくれなかったからだ。

私は悲しい、辛い……。

いつも準と彩は私のことを大事にしてくれていたじゃない……。
なのに何で……。
そんなことを思い、毎日が過ぎる。
心の中はもう空っぽ。

私の知っている準と彩はもう居ない、居ないんだ……。
そうあの二人は消えたんだ……。
あの優しい二人はもう消えた。

あそこに見えるのはただ準と彩に似たまったく違う生き物だ。

違う生き物……そう、違う……。

私はそんなことを考えつつ底の見えない暗闇へと落ちていく気がした。
二人が違う生き物だと思わないと辛くて生きていけない……。


ある日。外は私の心を具現化しているように曇っていた。
黒い雲が空を覆っている。
あぁ、今日もいつもの辛い一日が始まる。
そんなことを思い、私は目を瞑る。

しかし、この日私は何故か、彩に抱えられて今の場所から移動することになった。

何事だろうと思いつつ、私の心の中には小さな希望が溢れ出る。
もしかしてあの優しい彩が戻ってきてくれたの?また私に笑顔を見せてくれるの?
そう心の中で私は彩に問いかけた。

しかし、彩は無表情で私を運んでいく。

え、何でそんなに怖い顔してるの?何で?

私はこの日の彩の顔が今までで一番怖かった。
冷徹なその目は、抱えられた私の方へ向けられている。

え、私は何処に運ばれようとしているの?

一時はまたあの特等席へと運んでくれると思っていた。だけど違う。
その特等席はあっという間に通り過ぎ、今は家の玄関にまで進んでいた。

まさか……。

私の心の隅にあった希望という二文字はこの時、完璧に闇の中へと落ちていった……。

何で……。

……私は家まで追い出された。

私の居場所は外の玄関の横のダンボールの中だった。
今は夏になりかけの5月……。
まだ肌寒い。それに雨も降りそう……。

うう……。

私の心は外の湿気と悲しみというミキサーに巻き込まれて、徐々に徐々に少しずつ砕け散っていく気がした……。


一週間後。

私はそのダンボールの中で毎日を過ごしていた。
私の体は徐々に埃で汚れていき、今では家の居た頃の面影はない。

毎日、朝に準と彩が玄関を行き来する……。
しかし二人とも私を見てくれることは無い……。
希望なんてもの、そんなものはもう私の中には無かった。

私はもう不要なのですか、そうですか……。

毎日二人が私の横を通り過ぎるたびに心の中でそう訴える。
だけどそんな訴え、二人に届くはずなんて無かった……。



しばらくして。

私の目の前に複数人の見知らぬ人物が現れた。
その人物は私をダンボールごと持ち上げると、知らない車へと運んでいく。
もう、どうだっていい。どうなろうと知ったことか。

私は二人の家を見ることも無く、車の中へと入れられた。
灰色に汚れた心を持つ私を乗せた車は、何事も無かったかのように出発する。

何処へ行こうと、もう関係なかった。

自分は捨てられた。そんなことはもう分かりきっている。
二人にとって私は用済みだ。もう一緒に居る必要なんて無い。
だから家に居る必要もないし、家族である必要も無い。
もう私という存在は居ないも同然。そう、見えないのと同じ……。

「……」

うっ……。

私はそんな開き直りをするも、やはり心の中であの二人を捨てきれていなかった。
もう希望なんて無い。それは分かっていること。

でも……。

あの二人はいつか私の元に帰ってきてくれるかもしれない……。

いつか、いつか……。

「……」

今までの楽しかった出来事が走馬灯のように、私の頭の中を走り抜けていった。

朝ご飯と、二人が手を合わせる音。あの暖かい部屋、そして暖かい二人の優しさ……。
準が学校から帰ってきたときに無理やり起こされて少し辛かった出来事。
仕事帰りに疲れていた彩が見せるささやかな笑顔……。

う、うぅ……。

何で……何でなの……。

二人は……。

何で私を捨ててしまったの・・・?

私の思いも空しく、車はどんどん家から離れていったのだった……。

そして、車が走ること二時間。

やっとのことで車は止まり、私はその車から降ろされた。
まったく見知らぬ場所だ。

大きな工場……だろうか。

私は長い長いベルトコンベアーへと置かれた。
よーく見るとコンベアーの行き着く先には物を潰すための大きなプレスが忙しなく動いている。
周りは、私と同じく体は汚れ、怪我をしている方々がたくさんベルトコンベアーに置かれていた。

皆捨てられたんだ……。

私はそんなことを思い、ただただベルトコンベアーの流れに身を任せる。
こう、じっくりと周りを眺めると彼らも私と同じ境遇である事が分かった。
皆、古いものばかりだ。

中には新しい物もあるが、一部に怪我を負ったり壊れていたりしている部分がある。
私は虚ろに微笑むと、冷たい鉄で出来た汚いあの空を眺めた。
今更気付く。私が捨てられたことの必然性に。

私は古い……。
そう、単純に時代の流れに置いていかれたんだ。

この大きなフォルムに写りの悪い画面。

……それは捨てられても仕方がない……。

改めて自分の体を見つめた私は、静かに目を閉じた。

悲しい……ただひたすらに悲しい……。

心の何処を見渡しても光は無い。今はそう言いきれる程。
だけど、悲しいのに私は泣けない。何で?

そんなの当たり前のこと。

機械が涙を流せるわけないんだ……。

私はこの忙しなく流れる時代に乗り遅れた無意味な機械。

そう、ブラウン管テレビなんだから。

人に楽しい映像を見せ、時には悲しいニュースを流すただの機械。
そう、生き物じゃない……ただの造形物。

それは家に来た薄くてスリムな液晶テレビにも負けるわけだよね……。

……だけど。

こんな意味も無い造形物にだって考えたい時はある。
心なんてない。考えることも出来ない。でも、作られて捨てられるのは私たち自身なんだ。
何で私はこんな機械に生まれてきた?
そんなことを考えるぐらい……許してほしい……。

……そう。

せめてボロボロになって完全に壊れるまで使ってほしい。
最後まで、大事に使って欲しい。

……こんなことを望むくらいなら……良いよね……。

私は空を仰いで悲しみに打ちひしがれた。
もう、とことん苦しんだ。
そろそろ涙を流すぐらい許してくれる……?
私はそう呟いて、悲しみをいっぱいに涙を流そうとした。

「……」

しかし、少しして私は自分の無力さに思わず笑ってしまっていた。
自分でも分かっていた。

……私はずっと前から知っていた……。

涙なんてもの、私に有りはし無かった……。
灰色に写る私の顔は、何処か砂漠のように乾いている。
この世も砂漠の様に乾いているのだとしたら、私はその乾いた砂の一部になるのだろうか。

そして、その砂漠を癒す涙は一体誰になるのだろうか……。

ま、そんなことは分かりきっている。

どうせ彼らでしょ……?

……フフッ。

皮肉だよね。
乾いた心を持つ彼らが、この世界の涙なんだから……。
私たち機械にとっての大事な涙なんだから……。
私たちがどうこう言えるものじゃ、無いよね……。

だって今ここに存在できているのは、彼らに作ってもらっているから……。
元々、彼らが居なかったら。私は、居ない……。

そう、ここに居るのは彼らに作ってもらっているから……なんだ。

「……」

気付かぬ間に、大きな大きな死のプレスは私の頭上に迫っていた……。



~灰色の涙~ 終わり 執筆 2006年 4月11日

短編小説 『灰色の涙』

短編小説 『灰色の涙』

彼女は今までずっと平和な日常を過ごしてきた。 そんな、永遠に幸せな日常を望んでいた彼女に降りかかることとは・・・。 そして彼女の見た結末とは・・・。 ※ 少々暗めです。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-08

Copyrighted
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