君はいつか死ぬ

君はいつか死ぬ。
だから君は書く。それゆえに君は書くのだ。

君たちは揃ってベッドに入った。いつもより早い時間にベッドに入った。眠くない。結婚してからかれこれ経つ。なので、じゃあセックスでも、ということにもならなかった。そこで君たちはおしゃべりをすることにした。

「最近よく考えるんだ」と、話題を提供したのは君の方だ。
「何について?」と君の妻は訊く。妻は嬉しそうだった。夫婦には日頃あまり会話がない。ピロートークもたまにはしてみたい、そんな気分の夜だったのだろう。
「死について」
「シ?」
「死だよ」
「あの死?」
「そうだよ」
「どっか具合が悪いの?」
「そうじゃなくて」
「どうして考えるの?」
「さあ?」と君は照れたように笑った。「キミは考えないの?」
「考えないわねえ」と妻は少し考えた。
部屋の電気は消えていた。何も見えない。新月の夜、都心の上空三十階の寝室に差し込む光はない。君と妻の間にはベビーガーコがいた。黄色く小さなアヒルのぬいぐるみ。夫婦はよくガーコに語りかけて遊ぶ。ガーコには君と妻の血が半分ずつ流れているように君たちには思えた。
「あのさ」とガーコの丸いあたまを指先に感じながら君は妻に訊ねた。「キミは怖くない?」
「怖い?」
「いつかキミが死んでしまうことがさ」
「怖くないよ?」と妻の声は闇の中無邪気に響いた。「どうして怖いの?」と問う妻の台詞が「どうして怖くないの?」と問う君の台詞に被った。
二人は闇の中揃って短く沈黙した。白い迷路をあっちとこっちから駈けてきたアヒルとトナカイが、角を曲がったところでバッタリと鉢合わせた。ような、そんな沈黙だった。

「眠い?」と君は君の妻に訊く。
「ちっとも」と妻の声は答える。
「じゃ、想像してくれるかな?」と君はいつもの調子で語り始める。いつもの調子で、というのは、いつも女の子を口説くときのように、の意味だったりする。催眠ヴォイスtypeA。妻はそんなことは知らない。または知らないフリをしていたりする。のを君はたとえ知っていたとしても知らないフリをしていたりする。そうだろう? 違うかい?

ともあれ君は語り始める。「いいかい? まずは白い部屋を想像して。想像できたかな?」
闇の中、ゴソリと寝返る妻の気配を感じながら、君はしばらく返事を待つ。
「できたわ」と声がする。
「オーケー。では次に」と君は続ける。「部屋の中央に白いソファを想像してくれ。シングルソファ。とても気持ちのよいソファを想像してくれておいたほうが、あとが楽だよ?」
たいして広くはない、または広くたって構わない、白い部屋。その中央に気持ちのよいシングルソファ。
「想像できたわ」と妻。
「オーケー。したら次に想像して。そのソファには少女が座っている」
「何歳くらいの?」
「何歳でもいいよ」
「かわいい?」
「キミと同じくらいにかわいい」
「賢い?」
「キミと同じくらいにね」
「ヘキサゴン!」
君は笑ってしまう。「てか、容姿も知能もどうでもいいんだ。キミが自分を重ねられそうな主観をひとつ想像してくれたら、それでいい」
「意味わかんない」と言いながら妻は鼻を鳴らす。「ヘキサゴンだから」
「オーケー」と君は笑う。「キミだ。そのソファにはキミが腰掛けてる。それでいいかい?」
「うーん。それなら」と妻はまた寝返りをうち、また鼻を鳴らす。「それならいいわよ。あたしが座ってるのね?」
「そうだよ。白い部屋の白いソファにキミは座っている。それでは」と君は声をtypeBにシフトする。「それではテレビを点けようぞ」
「テレビ?」
「そうなり」
「番組は?」
「ある女の子が生まれ、そして成長してゆく。そんな映画なのなり」
「なのなり?」
「いや、つまりね」と君はtypeAに戻る。「つまりカウチポテトだよ。キミは白い部屋の白いソファに座って朝から晩まで映画を観てるんだ」
「お腹が減るわね」
「減らない」とtypeAは断言する。「何も食べなくても何も飲まなくてもお腹は減らない。トイレにだっていかなくていいよ?」
「便利ね」
「それに眠くもならない」
「今夜のあたしたちみたいね?」
「そう」と君は笑う。「白い部屋の中ではずっと眠らなくても平気なんだ」
「映画を観てればいいのね?」
「だけでいい」
「待ってよ」と、おそらくは家計簿帳を思い浮かべて妻は言う。「ペイパービューなの?」
「いや、あのね」
「それとも地上波なの? 金曜ロードショーみたいに。じゃないわよね。朝から晩まで、だもんね。スタチャンみたいに、でしょ。じゃ有料じゃない?」
「小さい」と君は君の妻を責める。「なんて小さな想像力だ」
「失礼ね」と妻はまたまた鼻を鳴らす。「ね? 失礼よね? ガーコ? あんたもそう思うでしょ。あたしがアヒル口だからってああやってバカにしてるのよ。なんですって? アヒル口だから? そーよ、そーなのよ、ガーコ、ひどいでしょう? ひどいわよねえ。アヒルをなんだと思ってるのかしら。あたし蹴っ飛ばしてやろうかしら? いいわね、ガーコ、やっちゃってよ、やっつけてよ! いいわ、あたしにまかしなさい。いくわよ。トオ!」みたいな妻のいつもの一人二役により、君はぬいぐるみのガーコのキックを浴びた。
「そんなピンクのソラマメみたいな足で蹴られても痛くなんかないよ」と君はガーコのあたまを撫でる。「お金のことは考えなくていい。白い部屋にお金は必要ない」
「お金がなかったら困るわよ。コンビニだって行けないし」
「買い物は必要ないんだ。お腹も減らないし喉も乾かないんだから。生活費はゼロでいいんだ」
「洋服だって欲しいわよ。美容院だって行きたいし」
「おしゃれの必要はないんだよ。誰も訪ねてこないんだから」
「あたしが訪ねるもん」
「残念ながら」と君は言う。「キミはどこにも行けない。なぜなら部屋にドアはないからだよ」
「なんですって?」
「正確にいえば」と君は意地の悪い声を出す。「キミはソファに座ってることしかできない」
「なんで?」
「そういう決まりだからだよ。そういう状況を想像してほしい」
「離婚ね」
「なんだって?」
「籠のアヒルなんてイヤよ」と妻はまた寝返りをうつ。向こうを向いたのだな。と君は思う。
「離婚なんてできないんだ」と君は説明する。
「知らないのね」と妻はまた寝返りをうつ。こちらを向いたな。と君は思う。「あたし、結構モテるんだから」
君は当然聞き流して。
「第一に」と説明する。「白い部屋にいるキミは結婚してない。だから離婚なんてできない。それに、その世界に男なんて一人もいないんだ。乗り換えようがない。キミ独りきりの空間なんだ」
「人権問題ね」と妻は唸る。「あたしは独りぼっちで、どこにも行けない。誰も訪ねてこない。お金もないから出前もとれない」
「部屋には電話だってないんだよ」
「何があるのよ?」
「テレビがある。それにソファ」
「それだけ?」
「それだけ」
「おかしくなりそう」
「だよね」と君は囁く。「おかしくならないためにキミは何をする?」
「テレビを観るわよ。それしかないでしょ」
「だよね」と君は応える。
「深夜は?」と妻は不安そうに言う。「番組放送が終了したあとはどうしたらいいの?」
「番組は二十四時間オンエアされてる。途切れることはない。それは保証する。ただし」
「ただし?」
「番組は選べない」
「何チャン?」
「なんだって?」
「どこの局よ?」
「関係ないだろ。チャンネルの選択肢はゼロだ。好むと好まざるとに関わらず、面白かろうが面白くなかろうがキミはそれを観るしかないんだから」
「他に何もないからね?」
「そう。他に何もないから。キミはテレビを観るしかない」
またまた短い沈黙。今度の沈黙は、壊れた蛇口が最後の一滴をこぼした後のような、そんな沈黙だ。と君は思う。
「どんな映画?」
「ある女の子が生まれたとこから始まる映画。女の子の成長を描くんだ。リアルなタイム進行でね」
「リアルなタイム進行?」
「そうだよ。映画の中の一時間は白い部屋の一時間でもあるんだ」
「トゥエンティフォーみたいに?」
「そうそう」
「上映時間は?」
「わからない」
「五分で終わるかもしれないし、八十年経っても終わらないかもしれない」
「だんだんわかってきたわよ」と妻はまたもや鼻を鳴らす。女は鼻で会話する。というのは、君が結婚後に見つけた、ちょっとした真実だったりする。「いくらあたしがヘキサゴンだって、それくらいわかるわよ」
「わかるかい?」
「わかるわよ」とガーコの声で妻は言う。「つまりその映画の女の子は八十年代初年の十一月十三日生まれなんでしょ?」
「それは誰だい?」
「この人よ!」とガーコ。「あんた、あんたの奥さんにあんたの奥さんの映画を見せるつもりなんでしょ。一生分の映画を見せるつもりなんでしょ?」
「偉いね」と君はガーコのあたまをまた撫でる。「ガーコは三歳なのに賢いね。たいした理解力だよ」
「で」と妻は二十九歳の声で言う。「あんた、あたしにどうしろって言うの?」
「どうしろとも言わない。そういう状況を想像してみてほしかっただけだよ。映画は今、冴えない旦那とベッドの中でアヒルを挟んで会話してる二十九歳の女性を映してる」
「それがあたしね」
「そう。そしてそれが」と君は言う。「キミの人生だ」
「退屈ね?」
「そうでもないさ」
「退屈よ。ドライブも行けないし」
「映画の中で行けるさ」
「外食だってあたし、したいし」
「そういうシーンだってきっとあるさ」
「それは映画の中のあたしでしょ。ほんとのあたしはソファに座ってずっとテレビ観てるだけじゃない?」
「すぐに慣れるさ」
「慣れる?」
「ソファに座ってるキミをキミは意識しなくなるってことさ。映画館で映画観てるときキミは映画館の椅子に腰掛けてるキミ自身を意識したりはしないだろう?」
「そんなことしたら映画に集中できないじゃん?」
「だよね」と君は笑う。「だからキミは自分の映画に集中して、ゆえにキミはソファのキミを忘れる」
「それが人生だと?」
「ガーコに負けないくらい頭がいいね」
「あたしはガーコより頭いいわよ。その証拠に、あんたのそれが人生とは違うってことを指摘できるわよ?」
指摘。と君は思う。我が妻に[指摘]だなんて語彙があるとは驚きだ。なんて君は思ったり思わなかったり。「自由選択の余地よ。そのアル、ナシが違いなのよ」と妻は鼻を鳴らす。
自由選択。と君は思う。この女について俺は実は何も知らないのかもしれない。なんて君は思ったり思わなかったり。
「映画を観てるあたしはひたすら受け身じゃないの」
「よい[指摘]だ」と君は肯く。
「イタリアン食べたあとのシーンであたしはメニューを見ながらドルチェを選ぶ。ティラミスにしようか、それともパンナコッタにしようか。現実のあたしは迷えるけど、映画の中のあたしは迷えない」
「迷うかもしれないよ」
「それは脚本がそうだったんでしょ?」
「だね。だから、迷うかも」「迷うかどうかも現実のあたしは迷えるわ」
「それもまたシナリオかもしれない」
「屁理屈ね」と案の定妻は鼻を鳴らす。「だって映画の中では決まってるんでしょ。ティラミスかパンナコッタか」
「現実だって決まってるかもよ?」
「そんなことないわよ。あたしはティラミスを選んだフリして実はふたつとも食べちゃうかもしれないもん」
「ということもきまってるんだよ」
「なんですって?」
「ってキミがこのシーンで言うことも例えば決まってた。自由意思についてキミがあれこれ考えて、確かに自分には自由意思があるって感じることも描かれてた。と思うようなことが自由意思の証拠でしょ、って今キミが思ったようなその心の動きも決まってた。自由に何かを選択してるつもりになってる心の動きそのものも映画では描かれていた。ビデオじゃないんだ。巻き戻しはできない。ゲームじゃないんだ。セーブ地点に戻ることもできない。または、戻るというシチュエーションもまた直線的に描かれていたとそう考えてみればいい。キミはひたすら映画を観させられてる、それだけで、実は主体的に人生を生きてる気になってる、それだけだ、と考えてどこか」と君は言葉を区切る。「論理的破綻はあるかい?」
「何よ」と妻は怒ったように言う。「論理的破綻って何よ。人生は理屈じゃないわよ。だって生きてるんだもん。ほら、今あたしはあんたのほっぺを触った」と言いながら君の妻は君の頬に手をあてる。「わかるでしょ。あたし、わかるわよ。あんたはここにいる。あたしもここにいる。これは現実。とにかくそれは確かじゃないの」
「確かじゃないよ。つまるところ五感は脳に伝えられた電気信号だ。世界に対するキミの認識も電気的な情報だ。映画が情報であることの延長線上にあるものだよ」
「でもでも」とガーコは言う。「この人には脳があるもん。あたしにはないけど」
「白いソファに座ってる人にだって脳はあるよ。ねえ、でも脳ってのは別の言い方に言い換えて語り合おうよ。白子を食べたくなくなると困るからあまりイメージしたくないビジュアルなんだ」と君はくだらないことを言う。「つまり脳ってのは」
「何よ?」
「主体だよ」
「主体?」
「夢見る主体」
「夢?」
「ともあれ認知主体」
「ヘキサゴン!」
沈黙。今度の沈黙は決闘を終えたガンマンの沈黙だ。と君は思う。
「わかったわ」
倒れたのは妻の方だ。「あたしはヘキサゴンだから、草食動物みたいに優しく、あんたの言ったことをそのまんま受け入れてあげるわよ」
「ありがとう」
「つまり」と妻は言う。「つまり人生には自由がないのね。夫に口答えする自由がないようなものね。悲しいのね」
「あるよ」と君は力を込めて言う。
「ある?」
「自由はあるよ。一つだけある」
「何よ?」
「電源を切る自由だよ」
「電源を切る?」
「そう。テレビを消す自由」
沈黙。世界の終わりを思わせるような、ほんとうのホンモノの沈黙。
「自殺?」と妻。
「違うよ」と君。「プラグを抜くんだ。ただそれだけ。シナリオに自殺が書かれてなかったらキミは自殺なんてできないだろう? だから、ソファのキミに自殺の自由は与えられていない」
「でもテレビは消せるのね?」
「そうだよ。テレビを観てるキミに気づいたキミ、に残された選択肢は二つだけだ。そのままテレビを見続けるか、テレビを消すか、それだけ」
「怖いわね」
「怖いだろう?」
「テレビを見続けるのもつらいし、テレビを消して白い部屋で独りぼっちになっちゃうのも怖い」
「存在するとはつまりテレビを見続けるってこと」
「つらいわね」
「そしてテレビを消すことは?」
「映画が見れなくなっちゃうってこと」
「そう。一人称視点の物語を離脱すること。劇中のキミというキミの視点も消えて、あらゆる関係性も消えて、ソファに座るキミという主体だけが残ること。言い換えれば」と言って君は息を吸う。「ソファに座る視点に目覚めること」
君の耳に妻の溜め息が届いた。
「怖いわね。それがもし、死ということならば、あたし」と妻は言う。「死ぬのは怖いわ」
「わかってくれて嬉しいよ」と君は言う。「でもね、おそらく」
「おそらく?」
「僕が怖いといった死は、それとは違うものなんだ」
「なんですと?」とガーコは無理してふざける。シナリオにそう書かれていたのだろう。
「死について語る前に、まずはある種の生を定義しておきたかった。今まで語ったのは、脱感覚的な生をイメージしてもらうためだったんだよ」
「この上まだ続くの? 死についてのお話が?」
「そのとおり。第二章に続くんだ。続きがもし、望まれるならば、ね?」
そう言って君は<耳を澄ますように>目を閉じた。妻も遅れて目を閉じた。ガーコだけが、まんまるのその目をパッチリ開いて、闇の向こうを、独りでじっと見つめていた。

おしまい?


画面に映る寝室の闇を見ながら僕は立ち上がった。白いソファをあとに、テレビに向かって歩む。テレビから延びているプラグを白い壁の白いコンセントから毟るように引き抜く。テレビは消えた。
僕はソファに戻り腰掛ける。
テレビは沈黙している。君も君の妻もどこにもいない。さっきまで僕そのものだったような君は消滅したが、この僕は存在し続けている。この白い部屋で。ドアのない部屋で。
テレビが消えてしまうと、他に何もすることはない。腹が減ることも喉が乾くこともないので、僕は半日じっとしていた。ピクリとも動かずに僕は僕の内を見つめていた。他に何も見つめるものがないのだからしょうがない。
やがて僕はしかたなく立ち上がった。テレビに向かって歩む。
毎度毎度の繰り返しだ。番組を選ぶことはできない。プラグをコンセントに差し込めば、また誰かの物語が始まる。一人称の視点に僕は僕の視点を重ねる。
テレビに集中する以外に我を忘れる手段はない。退屈であること、僕の内面と向き合うこと、それから逃げようと思えば、テレビに集中するより他はないのだ。画面の中でまた一つの命が誕生した。

おしまい

君はいつか死ぬ

君はいつか死ぬ

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-28

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