週末のランチ

「古来から乱世と治世は繰り返されてきたと言われます。が、近代の終わりに最終兵器ができちゃった事により、乱世と治世の循環はなくなって。乱を起こすと最終兵器が使われて我々どころか地球が滅びますので、怖くて使えません。乱が起こされずに治世の時代がずーーーーっと続きます。やがて治世はにごり滞りドロドロとながれ、どうにもならないよどんだ平和の中で、人間はかつての人間じゃなくなって。ああ、そうか、最終兵器を作った我々は、なにがどうであっても滅ぶのだと気づいてしまったわけです。取り返しなど容易にはつきません。そして今に至るんですよね。今、ゆるゆるな滅亡期」
先輩の妄想はとめどなく溢れかえり、僕と先輩のテーブルを侵し、床に垂れ、壁を這い上がってふくれあがり、何本もの太い枝をのばし、この店を占領した。うう、なんか息がしにくい。こんな妄想聞きながら昼飯なんか無理だよな。昼下がりの神保町。僕は先輩を放置してカレー屋を後にした。コンクリはうす白く乾き、日差しは眩しく、空はまあまあの青さで、古書店の脇道には猫までいる周到さの土曜日。AKBって結局何人いるんだろうか? と気を紛らわしながらも、僕はまあまあ青い空を見上げた。ビルとビルの間、光の関係で黒い縁取りになった中央に細長く空がある。脇道のタイルのよごれた外壁に背中をあずける。あまたの高層ビル群にささえられた高い空には雲もない。長野の空はもうすこし低いよな。人で溢れかえり、車で溢れかえり、書物で溢れかえり、妄想で溢れかえり、汚物で溢れかえり、欲望であふれかえり、いわゆる混沌が支配するような所が都会か。夢とか希望もたぶんあるんだよな。都市には人工のものしかなく、それは大量生産に適した形で作られて、人間に適することなく、地球に適する事無く、猫にも適さず、ゴキブリにすら適さず。ただただ、物を作る人々がその日の糧を得る為に作られ続けるものであって、便利であっても、もともとさして不便ではなかった。動き出したら止まれないのだそうだ。せめて芸術家が作ればいいんだろうに、と思いながら、自然に溢れかえったふるさとを思った。

 あのど田舎に帰りてぇ。五月というのはそういう気分になる季節だと妄想好きの先輩はいう訳だが、本当にそういうものか? 古書店の脇で猫を足下にみながら、夏に一回、田舎へ戻ろうと思った。
 昭和八十年。東京にはもう蝉もいないそうだ。最終兵器か。誰だか知らないけど嫌なものを作ったもんだ。へたれるなぁ、つかれるなぁ、俺の元気というのはどこへ行ったんだ? 逃げたのか?
「まあ、あれだ。下を向いても何もなく、上を向いても何もない、君が向くべき方向は前でもなく、後ろでもない、横でも、過去でもない、未来。あくまでも未来。そうなんじゃないか。未来にむかって進め!なんてね。まあ、ほっといてもずんずん未来はやって来るからあんまり気にすんな。鬱の時は息だけしてればいいらしいぞ。それから君のカレーも食べといた、もったいないからね、ごちそうさま」先輩の昼食が終わったらしい。座っていた猫が長く伸びをしてから去って行った。
カレーも無くなり、乱も治もなくなった世界の片隅の神保町で僕は最終兵器の事を思った。

週末のランチ

神保町には一回いったきり。
もちろん冒険とか探検とかのノリでした。

週末のランチ

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-27

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