林檎のかけら
林檎作、短編集。過去に書いたものをこちらにUPしていきます。
色々な僕ら
たっちゃんは何色だろう?
大学のメインストリートを歩きながらふと考えた。たっちゃんは一見とりたててこれと言った個性がない。いわゆる普通の人だ。
隣を歩いてる高校から一緒のけんちゃんは間違いなく赤。すぐにカッとなる短気くん。自分の信念を熱く語るのが好きで長いつきあいになるけどたまにうざいときがある。
少し前をすたすたと歩いてるたかやんは青だな。いつもクールでクレバー。試験前はみんな必ずたかやんの世話になる。
かくいう僕はあえていうなら黄色かな。いつもなんか騒いでて落ち着きがない。黄色ってずっと見てると目がチカチカしてくるよね?元カノにもいわれたんだよね……ずっと一緒にいると疲れるって……。
おっと、辛気臭い話はやめやめ。
たかやんとたっちゃんとは大学で会った。学部のゼミが同じで新歓コンパのとき同じテーブルに座ったのが始まり。ちなみに僕ら四人以外はみんな女子。……まあ文学部なんて所詮そんなもの。
それから僕ら四人は数少ない男同士、自然につるむようになった。けど、飯食いに行く時も遊びに行く時もたっちゃんが希望をいうことはまずなかった。
「たっちゃんには自分の意見とかないわけ?」
けんちゃんは毎度、口癖のようにそういっていたけどグループにはこういう人も必要だよねって漠然と思ってた。みんながみんな主張してたら何も決まらないもんね。
入学して一年経つ頃には僕はたっちゃんといる時間が一番長くなっていた。けんちゃんはバイトだといってたいがいすぐ帰っていくし、たかやんはサークルに入っていて、放課後は部室に直行。僕とたっちゃんは特に何もしてなくて自然と一緒に帰ることが多くなっていたのだ。
その日は後期試験の最終日で最後のテストがみんな一緒で、四人一緒だった。そして……僕とけんちゃんは朝から険悪ムードだった。
原因はけんちゃん。
僕の元カノとつきあっているのが発覚したのだ。しかも僕と別れてすぐつきあい出しバイトだと言って帰ってたうち半分はデートだったらしい。
今朝電車でたまたま会った高校の友達から聞いてわかった。まあ別れた原因は百歩譲って僕にあったとして……つきあってるならつきあってるっていえばいいのに……ずっと僕に隠れてつきあっていたことに無性に腹が立った。しばらく言い合いになった後気まずい沈黙が流れた。
「なあ、ちょっとオレにつきあってよ?」
三人の視線は一瞬にしてたっちゃんに集中した。
「なに?」
けんちゃんが不機嫌そうに聞いた。
「いんじゃない?ここでこうしてるよりは」
今まで黙っていたたかやんが口を開いた。
「で、どこいくの?」
僕が聞くとたっちゃんは何も言わずただニッコリと笑って歩き出した。僕ら三原色トリオはなんとなく、互いに距離をとりながらその後を追った。
大学を出て15分くらい歩いただろうか。着いたのはタコ焼き屋だった。
「おばちゃんタコ焼き二つ」
たっちゃんがいった。どうやら常連らしい。
「はい。これけんちゃんと二人で。たかやんはオレとこっちね。」
そういってたっちゃんはタコ焼きを一パック僕に手渡した。するとけんちゃんは無言で僕からパックをとりあげタコ焼きを一個頬張った。
「あちっ。ん、うま!むっちゃうめぇ!ほら、なかちゃんも食ってみ?」
突然けんちゃんがそう言って僕に笑顔でタコ焼きを差し出した。僕は渋い顔のまま手づかみで一つタコ焼きを口に放り込んだ。
「うおっ、ヤバイ!コレマジうまいなー!な、けんちゃん、これあそこのより断然うまくね?」
僕は自然と笑顔になりけんちゃんに話しかけていた。“あそこ”とは僕とけんちゃんが通っていた高校の向かいにある売店で、そこのタコ焼きをよく二人で学校帰りに買って食べていた。
「たっちゃん、どーやって見つけたのここ?」
たかやんが口の端についたソースをぺろりと舐めながら聞いた。
「ああ……一人で帰るときいろんな道通るんだよね。それで。気に入った?」
たっちゃんがそう言って僕らの顔を満足そうに見ていた。
その時「白だ」と思った。
たっちゃんは白だ。たっちゃんのおかげで僕ら三原色は一緒にいても真っ黒にならずに済んでいる。
たっちゃんがいるから僕はクリーム色に、けんちゃんはピンク(笑)に、たかやんは水色に少しだけ近づき……互いに反発し合わないよう、うま~く色合いを調合されていたみたいだ。
“個性がない”なんて……僕はどっかでたっちゃんを、バカにしていたのかもしれない。
……ごめん、たっちゃん。白ってすごい個性だよ。
僕は初めてたっちゃんの何気ないすごさに気付いてタコ焼きをもう一つ注文しながら一人ひそかに感動していた。
桜の記憶
その時、私は少し涙ぐんでいた。
顔をあげるとそこにはいるはずのない彼がいた。満開の桜の木の下、彼が私に微笑みかける。胸の奥がぎゅっとなった。
*
一週間前、念願の開花宣言を受けて私は翔に言った。
「ね~お花見いこうよ?」
翔と付き合い始めて、はじめて二人で迎える春をしっかり記憶に残したくて……私は翔を花見に誘った。
「別にええよ。友梨がいきたいなら付き合うわ。」
そうして今日、私は翔とお花見をする…はずだった。
*
「……友梨?……ごめん、今日無理や……」
「翔?」
朝一、ケータイの着信音に起こされ寝ぼけながら電話に出ると、掠れた声で申し訳なさそうに翔が言った。
……ひどい声。
「なに?どーしたの? 大丈夫?風邪ひいた?熱あんの?」
「……ん……熱はかってへんけど多分ある……なんか身体むっちゃ熱いし……。昨日ほんま疲れてて……ソファーに倒れ込んだまま気付いたら寝とって……起きたらむっちゃ喉痛くて声でーへんし……ほんまゴメン……」
翔は一生懸命出ない声を出しながら説明してくれた。
「いーから。ちゃんとあったかくして寝て?薬は?飲んだ?お見舞いいこうか?」
「風邪うつすとあかんからこんでええよ……とりあえずなんとか薬買ってきて今飲んだからこれから寝るわ……ほんまごめんな……」
電話を切ってしばらくボー然としていた。楽しみにしてただけに、ショックが大きかった。翔の身体の心配してあげなきゃいけないのに……会えなくなったこと、花見にいけなくなったことが悲しすぎて何もする気が起きず……朝早く起きたのに結局またふとんに戻り、昼過ぎまでふて寝していた。
だって……次会えるときにはもう桜散っちゃってるもん……多分。
大人げないなあ……と思う。私はいっつも自分の感情ばっかりでなんでもっと翔のこと考えてあげれないんだろうって。
さすがに寝過ぎて寝ているのも苦痛になり、私は起きて着替え近くの公園に一人で花見にいくことにした。
平日の昼間だけあって公園には子供を連れたお母さんたちで賑わっていた。そんな光景を横目で見ながら、私は桜がよく見える公園のベンチに腰かけた。
桜はまさに満開でほんとにキレイで、モヤモヤしてた気持ちがスーッと晴れていつの間にか穏やかな気持ちになれていた。
翔……風邪、大丈夫かな……。
心地よい風に吹かれながら、青空に翔の笑顔が浮かんだ。私を見て目尻をさげ大きく口を開けて笑う、愛しい人の満面の笑みが。
私はケータイを桜に向けて写真をとり、翔に写メを送った。タイトルは「お大事に」。本文はあえて書かなかった。桜の写真だけを添付し、送信した。
それから私は持ってきた小説を読み始めた。一ヶ月前、好きな作家の新刊が出てすぐに買ったのに一度も開くことなく袋に入ったままだった。毎日翔のことばかり考えてて……私は買った本さえ読んでなかった。
自分の時間、自分のために何かすること、私はすっかり忘れてた。それじゃバランス悪いよね。だから翔が風邪ひいても心配よりがっかりしたりして……こんなんじゃダメだよね。
初めはそんなことを考えながら読んでいたものの、気付くといつの間にか小説の世界に引き込まれていて、雑念は取り払われていた。
一気に小説を読み終え、余韻に浸りながら本を閉じた。少し涙ぐんでいた。顔をふっとあげると、来たときにいたはずのお母さんたちの一団は姿を消していた。代わりに……
桜の木の下のブランコに翔が座っていた。
びっくりして見間違いじゃないかと思って何度も目をこすった。すると、翔が立ち上がってこちらに歩いてくる。
「翔?」
私がそう呼びかけると翔は、ニッコリ笑って私のすぐ前まで歩み寄り、私の隣に腰かけるとすぐに私の肩に頭をもたせかけた。
「は~やっぱしんど…」
触れ合った部分から翔の熱が伝わってきた。まだ……熱あるんだ。
「どうしたの?ちゃんと寝てないとダメじゃん」
「だって友梨……めっちゃ楽しみにしてたやろ?朝はほんましんどかって無理やったけど……寝たら動けるようになったし……写メ見てほんまの桜見たくなってきたんやけど……動くとやっぱしんどいわ…」
肩で息をしながら翔が言った。
「ありがと」
ずるいなあ……私は嬉しくて泣きそうになっていた。
なんでこんなやさしいんだろ。なんであたしのためにこんな無理してまできてくれんの?あたしはなんもしてあげれてないのに……なんで?無言になった私の顔を翔が覗きこんだ。
「泣きたかったら我慢せんと泣いたらええよ……胸貸すか?」
病人にあたしが心配かけてどーすんの。
でもやっぱりそんな翔のやさしさが心に染みて……私は無言で翔の胸に顔を埋めた。そんな私の頭を翔は右手でぎゅっと引き寄せた。
少し、乱暴に……でも、泣けるほど優しく……。
今日のこと……あたしは多分桜を見る度に毎年思い出すんだろうな……。幸せな記憶として、来年も、その先も……ずっと……。
貴方の熱と、優しい右手……
それが私の桜の記憶。
手の中のしあわせ
「修二ー!聞いてよ~。またフラれちゃったよ~」
待ち合わせ場所にくるなり、愛衣がそう言って俺に泣きついた。愛衣は俺の幼なじみ。俺は昔から愛衣のことが好きやった。けど愛衣は惚れっぽいやつでそのくせ長続きしなくて……結局振られるたびに俺は呼び出され、愚痴を聞き慰める役回りになっていた。
ちなみに今回は東京出身のやつが相手らしく、愛衣のやつ……わかりやすく喋り方まで相手に合わせてたりして……むかつくったらありゃしない。
「またかー?どうせまたわがままゆうたんやろ?」
俺は呆れて聞き返す。
「えー別にわがままじゃないもん……ただ夜中にどうしても会いたくなって……今から会いに来てって何回か駄々こねたくらいだもん……かわいいもんじゃん」
愛衣がそういって膨れっ面をした。
「はぁ……。それさあ、疲れてるときにやられてみ?やんなるって?愛衣はもう少し相手の立場で考えるとかできるようにならんと続かへんと思うわ。自分の感情だけで動いてるやろ?」
俺はなんだか面白くなくて……少し厳しいことをいった。
「……」
案の定、愛衣は黙り込んだ。
「あれ?なに急に黙り込んでんの?」
俺は意地悪くそう言って、愛衣の顔を覗き込んだ。
「修二のバカー!そんなダメ出ししなくてもいーじゃん!失恋したときくらい慰めてよー」
愛衣がそう言って手足をジタバタさせた。俺はすかさず言い返す。
「バカはお前の方やろ?」
「なんでよ?」
愛衣が泣きそうな顔で俺を睨みつけた。
「だってお前、そんなわがままも受け止めてくれる奴が近くにおんのに全然気ぃつけへんやん?」
俺はそう言ってニヤリと笑った。
「誰よー?」
愛衣が身を乗り出して聞き返す。え、本気でわかってへんのかな?鈍感にも程があるわ。
「俺」
「修二?」
「そ。お前に付き合えるの俺ぐらいちゃう?」
俺はそう言って愛衣にウィンクした。
「……アホ」
「なんやて?」
「修二のアホ!」
「愛衣?」
愛衣が俺を涙眼で睨みつけた。
「そーゆうことはもっと早くゆうてよ。あたしアホやからちゃんと言われんとわからへんよ……」
愛衣はいつの間にか関西弁に戻っていた。それにしてもやっぱり気付いてへんかったか……。でもようやく、俺を見てくれた。俺はその言葉を聞いて愛衣を……ぎゅっと抱きしめていた。
「なあ」
「ん?」
「あたしのこと好きなん?」
腕の中の愛衣が上目使いで聞いた。
「うん」
「いつから?」
「……内緒」
「えー教えてくれてもいーやん!」
また膨れっ面。かわいいやつ。
「そやな~お前が俺のことめっちゃ好きになったら教えたるわ」
そう言うと愛衣は
「ケチ」
と言いながら俺の腕からすり抜けて少し先を歩き出した。俺はそんな愛衣の後ろ姿を見つめながら……その後ろを歩き出した。
春になったとゆうのに、今日はまだ少し肌寒い。
「なあ……手、つながへん?」
愛衣の横まで辿りつき、俺は自分の手を愛衣に向かって差し出した。
「手、つなぎたいん?」
愛衣がニヤニヤした顔をして聞き返す。
「いちいち聞き返すなや」
「ふふ」
微笑みながら愛衣が差し出した右手、俺の左手とひとつになる。
今、この手の中に幸せがある。まだまだ俺の「好き」のが全然でかいけど……愛衣の「好き」もすぐに……おっきくしたる。俺に惚れさせたる!
「ん?」
そんなこと思いながら見つめていた愛衣が俺を見つめ返した。
やっと……俺のもんや……
「 ……好きやで」
そう言った俺の言葉に、愛衣は
「知ってる。」
と言って嬉しそうにはにかんで笑った。
珈琲の後味
「何ニヤニヤしてんの?」
「ん?なんでもないよ」
表参道の大通りから狭い路地に入った所にある落ち着いた雰囲気のカフェに彼と二人、昼下がりのティータイム。
暑さと寒さが交互にやってくる気まぐれな春の気候の中で、今日は日差しがあたたかく、すっきりキレイに晴れていて窓から見える青が心にすっと爽やかな風を吹き込んでくれた。
いつもは紅茶しか飲まないのに私、今日は慣れないコーヒーを頼んでみた。
向かいの席の達哉は湯気の立つカップからその琥珀色の液体を少しずつすすりながら、満たされた顔をしている。私も同じように口をつけるけど熱さと苦さからなかなか喉を通っていかない。
なんでこんな苦いものをみんなおいしそうに飲むんだろ?
「てか里美がコーヒーって珍しくない?」
達哉が聞く。
「ん……ほんとは飲めないんだけどさ」
「えーじゃあ違うの頼めばよかったじゃん」
「いいのいいの」
「ほんとに?」
そう言って、達哉は笑いながらまたコーヒーをすすった。私も同じようにカップに口をつける。その暖かい液体は喉を通り身体の内側に染み渡り、冷房で少しは冷えた体を中からじんわり温めていった。
私は小説を読みながら、彼は音楽を聞きながら、何を話すわけでもなく過ごす時間が私はとても好きだ。
時々お互いの顔を見て笑い合う、柔らかい時間を共有しているしあわせを確かめる、それだけでいい。
昔は違った。話してないと不安だった。沈黙が怖かった。でもいつの間にか、一緒にいるのが自然になって……一緒になにかしていなくても居心地がいい、そんな関係になっていた。
*
気付けば日は暮れかけていた。
「そろそろ出よっか」
達哉が伝票を掴んで立ち上がり軽く背伸びをした。
「そうだね」
私も立ち上がって羽織っていたカーディガンを脱ぎカバンに詰め込んだ。
「あれ?結局全然飲んでないじゃん?」
達哉が私のカップに六分目まで入っているコーヒーを指さしていった。代わりに水は氷までなくなっていた。
「んーやっぱりダメだった」
「じゃあなんでコーヒーにしたの?」
達哉がまた聞いた。私は何も答えずに
「ごちそうさま」
と言って達哉の肩をポンと叩き先に店を出た。
一歩外に出ると、日差しがなくなった分肌寒く思わず首をすくめる。
「ねえ?なんでコーヒーにしたの?」
会計を済ませ、店から出て来た達哉が私の手をさりげなく握りながらまた聞いてきた。私は達哉の顔を見つめながら答える。
「だってコーヒーは達哉のキスの味なんだもん」
次の瞬間、達哉の唇が重なって……いつもの珈琲の後味がした。
LAST SKY
裕伍はよく空の写真を撮っては私に送ってくれていた。裕伍のとる写真が私は大好きだった。
事故の時も……裕伍は私にメールを送ろうとしていたらしい。電源が入った瞬間、ケータイは一通の未送信メールを送信した。と次の瞬間、私のケータイのバイブが鳴り、届くはずのないメールが私の元に届けられた。
*
葬儀の後、裕伍のお母さんが私に遺品として裕伍のケータイをくれた。
「電源がね……もう入らないみたいなの。だからあまり意味はないかもしれないけど…あの子が離れているあなたと繋がるために持っていたものだから……これはあなたが持っていって。」
葬儀の間も……そして彼が煙になって空に帰っていく時でさえも私は泣けなかった。……理解できなかった。彼がもうこの世にいないという実感がまるでわかなかった。
裕伍とは遠距離だった。次はゴールデンウイークに会うはずだった。その日は珍しく一日連絡がなくて夜にでも電話しようとしていた矢先、登録はしてあるもののほとんどかかってきたことがない「裕伍自宅」の文字が待受に浮かび上がった。胸騒ぎがした。電話の向こうからは初めて聞く彼のお母さんの声……。突然、彼の死を告げられた私はただ「はい」と頷くことしかできなかった。
*
帰る時間になり、着替える時間もなく私は喪服の上にコートを羽織っただけで駅に向かった。なんとか新幹線に飛び乗る。席について私はようやく深い溜め息をついた。ポケットの中に手を入れ裕伍のケータイを握りしめたまま、カバンから自分のケータイを取り出しメールの受信履歴を見返す。
裕伍の何気ない言葉が、彼が切り取ったたくさんの空の写真が……私の渇いた心に染み込んでいった。
ねえ?裕伍は最期に何を見たのかな?何を思っていたのかな?裕伍の声が聞きたいよ……。もう一度裕伍を抱きしめたい。裕伍の体温を感じたいよ……。
無駄なあがきだと知りつつ私は裕伍のケータイを取り出し、真っ黒い待受画面を開き……祈りを込めて電源ボタンを押した。とその瞬間、画面に光が灯った。心臓が止まるかと思った。画面はメール送信完了の文字を映すとすぐにまた、真っ黒い画面に戻った。次の瞬間、私のケータイが振動し、メールを受信した。
恐る恐るメールを開く。浮かび上がる裕伍の文字……。件名には「青空のおすそ分け」とあり写真が添付されていた。
そこには裕伍が最期に見ただろう澄んだ青空が映っていた。その日の朝、私の住む街は今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。私はすでに日課になっていた朝一の“おはようメール”にそのことを書いて、裕伍にメールで送っていたのだ。
裕伍らしいな……。
私はそれを見て……初めて裕伍の死を実感した。もう……裕伍からこんなふうにメールが届くことはないんだ。もう裕伍の切り取った空の写真を見ることもできない。彼はもう……この世界のどこにもいないのだ。
その後はいくら電源ボタンを押してももう……それが目覚めることはなかった。裕伍と共に……永遠の眠りについたのだ。
「ありがとう」
裕伍の最期のメールにそう、一言返信すると、ケータイをポケットの中にねじ込んだ。途端に涙が頬を伝う。後から後から溢れてくる。私はそれを拭うこともせず、座席のシートを倒してそっと目を閉じた。
わがままな彼女
「なんか身体だるくてなんもしたくない」
お昼時、麻衣がソファーでブランケットにくるまりながらオレを見て言う。
「いいよ、寝てな。オレがなんか作ってやるから」
ああ、オレってなんていい彼氏。そんなことを思いながら、麻衣の頭をそっと撫でる。
「ごめん、修ちゃん……ありがと」
麻衣が上目遣いでオレをみながら控え目に微笑む。
「いーから寝てな」
そんな麻衣が愛しくて、オレは彼女の頬にキスをした。
「うん」
麻衣はそう言うとブランケットを頭までかぶって眠りについた。
*
「 麻衣?麻衣?」
「ん?」
ごはんを作り終えると、ちょっと起こすのはかわいそうかなと思いながらも麻衣の肩を揺すった。
「オムライスできたよ。食える?」
すると麻衣は、
「んー修ちゃん食べさせて」
と目をこすりながら甘えた声で言った。
「もーしょーがないなあ」
そういいつつ、彼女には甘いオレは嬉しそうにソファーの前に座り、オムライスをスプーンで一口よそい「あーん」といってそれを麻衣の口に運んだ。
「ん……おいしい」
麻衣の顔がほころぶ。
「そ?よかった」
オレは目を細めて麻衣の顔を見つめながら、さらにオムライスを麻衣の口に運ぶ。オレってば、ほんといい彼氏。っていうかむしろお母さん?(笑)
「食ったらちゃんとベッドで寝ろよ。オレ、今日はもう帰るからさ」
最後の一口をスプーンでかきあつめながら言うオレに
「いや」
と間髪入れず麻衣。オレを睨んでいる。
「いやって……」
最後の一口を口に運ぶと、麻衣はスプーンに噛み付く勢いでかぶりつき、頬を膨らませながらモグモグした。麻衣ってば子供みたい。でも、そんなとこもかわいかったりするんだよね。
「 修ちゃん、そばにいてよぅ」
食べ終えた麻衣は両手をオレに差し出しながら涙眼で訴えた。今度は泣き落とし作戦か。
「んー、どうしよっかな~」
オレは空になった皿をキッチンに運び皿を洗いながら、焦らす振りをした。だってくるくる変わる麻衣の表情、見てて飽きないんだもん。すると、麻衣はブランケットをかぶったままキッチンまで歩いてきて、オレの背中に抱きついた。
「修ちゃんお願い。手つないで添い寝して?」
麻衣がしゃべると熱い息が背中にかかる。麻衣の身体が触れてるとこから、じんわりあったかくなって、その温もりをもっと味わいたくなる。これも麻衣の作戦なんだよなあ。そうわかっていても……抗えない。
「わかったよ。」
オレは水道を止めてタオルで手を拭き、麻衣の方に向き直した。オレの顔を見上げている麻衣の頭をポンポンとたたくと、麻衣の顔がくしゃっとなった。その顔がオレは一番好きだ。
「修ちゃん。」
「ん?」
「つち。」
「え?」
「すし。」
「なに?」
「すき。」
「ん、オレも。すち。」
いつものやりとり。そうしてオレは麻衣を抱きしめる。すると麻衣はまた顔をくしゃって崩して、自分の頭をオレの胸にグリグリとこすりつけた。てか、こいつ、ほんとに体調悪いのかよ?なんてイジワルなことをふと考えてしまう。
「じゃ、いい子にしてちゃんとおふとんで寝ようね」
そういってオレは彼女の手をひいて、ベッドに向かった。……大人しく手をつないで添い寝してあげられる自信は、正直ないけど。
Once Again
「大丈夫?なんかあった?連絡こないと心配なんだけど」
美弥からのメールに「大丈夫」のたった一言を打ち返す力もない……。心の中で「ごめん」と呟きながら倒れるように眠りにつく午前3時……俺、そろそろ死ぬかもしれない。
*
気づいたら三週間、休みなく働いてた。休めばいいのにという周りの声にはひたすら耳栓!……休めるもんならとっくに休んでるし!休めないからこうして頑張ってるってゆうのに、世の中の女子には働く男子に対する労りの気持ちが足りないと思う。なんて……声を大にしたところで肝心の女子の方々の心には届かないというのが現実……つらいぜ。
そんなわけで、日を追うごとに美弥からの電話や留守電がケータイの履歴を埋め尽くし、未読のメールが増えていく……が最近は受信ボックスを開く勇気もない。
ベッドに倒れ込みとりあえず読メの新着コメントとナイスをチェックする。ってそんなヒマあるならメールしろよって話だと思うけど他人に対して遣う気力は一ミリだって残ってないのよ……。なんて、美弥には口が避けてもいえないけどね。
しかも美弥からのメールはチェックしないくせに、読友さんからのコメントはちゃんと目を通してナイスを押す。そんな自分の律儀さが裏目に出たのか…ポチポチナイス押してるうちに……美弥からの着信をとってしまった……今日もすでに午前3時……嵐の予感……。
「……」
「……」
しばしお互い無言が続いた。嵐の前の静けさ、というのはまさにこのこと。しかし向こうは出るわけないと思ってかけてるし、こっちは出るつもりなく出ちゃったし……正直何を話していいかわからない。
「……電話出れんじゃん」
沈黙を破ったのはものすごーく低い美弥の声。やっぱ……怒ってるよね……。
「ごめん……仕事マジ忙しくってさ……」
「てかそーゆう事情を説明するメールの一通くらいくれてもよくない?」
うわ~火に油注いじゃったみたい。美弥の真っ赤な顔が目に浮かぶ。
「いや……ほんと、そんな余裕もなくて……帰ったら寝るだけの生活でさ……読メもせっかくコメントもらってもナイス押すだけで精一杯で……」
「はぁ~?」
かぶせるようにして美弥のブーイングが暗闇にこだました。うわっヤベっ!これマジやばい!口が滑った!完全にミスった!
「てか、読メやる暇あんなら電話しろっ」
はい……おっしゃる通りでございます。返す言葉もございません。
そっから延々、美弥の説教というか愚痴というかが始まった。俺は最初必死に目をこじ開け相槌を打っていたものの、やはり睡魔には勝てず……ケータイを握りしめたまま眠ってしまった。……ことに、目が覚めてから気付いた。
……強烈な喉の痛みとともに。
いつもならエアコンのタイマーをかけて寝てるのに昨日は美弥の電話のせいでエアコンはつけっぱなし……部屋は寒いくらいだった。
「ん……ぐぅあ……んんっ」
ヤバイ、完全に喉やられてる……声が出ない……。
熱も上がっているのか全身が鉛のように重く起き上がるのは不可能だった。潰れた声で会社に電話して休むと伝え、また死んだように眠りに落ちた。
*
再び目覚めると、部屋はまた暗くなっていた。ケータイの待受で時間を確認すると夜8時を過ぎていた。
たっぷり寝たおかげで体が少し軽くなると、急に空腹感に襲われた。そいや昨日の昼からなんも食べてない。ふらふらの体で起き上がり冷蔵庫を開けてみたが……なんも入ってない。
……買い物……行くのメンドクサイ……誰か……ヘルプミー!でも美弥……には昨日の今日で連絡しづらいしなあ……と思ってたら、当の美弥から電話がかかってきた。俺はまだ枯れた声ですがるような気持ちで電話に出た。
「もしもし……」
「なに!?太一どーしたのその声?」
美弥が急に心配そうな声をあげた。
「……風邪……ひいて……さっきまで寝てた……」
「病院は?薬は飲んだの?ちゃんと食べた?」
「病院……いってない……昨日からなんも食べてない……お腹すいた……」
「もーなにやってんの!わかった!今からいくから待ってて!」
そういうや否や電話はプツリと切れた。俺は急に安心して……また眠りについていた。
*
「……太一、ごはんできたよ」
肩を揺すられて瞼を開くと美弥がいた。
「美弥……」
「食べて薬ちゃんと飲んでから、また寝なさい」
そういって差し出されたとん平焼(俺の大好物!)はめちゃくちゃうまくて、俺は無言でがっついた。それは実際、久しぶりに食べるコンビニ飯と松屋以外の食事で、食べたら体の奥から力が沸いてくる気がした。
そいやずっとちゃんと食べてなくて五キロも痩せちゃったんだよね……。
食べ終わり、薬を飲んでまたふとんに入りながら、台所で洗い物をしている美弥の後ろ姿を眺めていたら……なんだかじわじわと、ある感情が沸き上がってきた。
「結婚しよっか」
俺は美弥の背中に向かって小さな声で呟いていた。
水音がとまる。美弥が近づいてきた。
「弱ってるときの言葉は信用しません」
といって鼻をつままれた。でもそんな美弥の目はめちゃめちゃうれしそうに笑ってて……そんな美弥を見たらさらに愛しさが込み上げてきた。俺は美弥の頭を乱暴に自分の胸に抱きよせる。
「風邪治ったらもっ回、プロポーズさせて」
そういって、美弥の髪をくしゃくしゃと撫でた。顔を埋めたまま美弥がコクリとうなづいていた。
Honey Smile
「しゅ~う~ちゃん♪」
夕飯を食べた後、ソファーに座りまったりくつろいでいた修ちゃんに私は後ろから抱き着いた。
「ちゃん付けはやめろゆうたやろ?」
修ちゃんがそう言って私の手を振り払う。修ちゃんはちゃん付けで呼ぶと怒る。でもしょうがないよね、修ちゃんて一番呼びやすいんだもの。
「なんで?修ちゃんは修ちゃんじゃん」
そう言って、また修ちゃんの首に両腕を絡ませた。
「なんか気色悪いわ~。呼び捨てでええって」
そんな私の腕を掴み、首だけ振り返って視線を合わせながら修ちゃんが言った。
「えーだったら修ちゃんもちゃんとあたしのこと名前で呼んでよ~。」
私は修ちゃんの前に回り込み、その膝の上に乗ると両手でほっぺをつねりながらいった。だって修ちゃん……普段、全然名前呼んでくれないんだもん……。と、修ちゃんは
「香織」
と、私にほっぺをつねられたまま……渋々、私の名前を呼んだ。
「も~もっと気持ち込めて呼んでよぉ……あ!そうだ♪ね、耳元で囁いてよ?」
「アホか!そんなはずいことできるか、ボケッ」
案の定、修ちゃんは暴言をはいて横を向いてしまった。
「も~修ちゃんは照れ屋さんなんだから~」
ひとしきり修ちゃんで遊んで満足した私はそういいながら修ちゃんの膝の上から降りて、テーブルの上の空になったマグカップを掴みキッチンに向かおうとした。
と、修ちゃんは私の腕を掴んで乱暴に引き寄せ、少し怒った顔のまま私をじっと見つめたかと思うと、何もいわずいきなり唇にキスをした。
「ちょっ、修ちゃん!」
驚いて腰をひいた私をまたぐいっと引き寄せ、修ちゃんは
「この減らず口……聞けんようにしたる」
といってニヤリと笑った。次の瞬間、またも私の唇を強引に奪った。息ができないくらい濃厚なキスに私は身体がしびれ、唇を離した後もしばしボー然としていた。
「形勢逆転やな?」
修ちゃんが意地悪く頬笑む。……悔しい!
「も~そんなキスされたら……修ちゃん、欲しくなっちゃうじゃん……」
負けてたまるか。私がそういうと修ちゃんは
「な、お前何ゆうてんねん?」
と動揺した次の瞬間、
「そんなん言われたら俺の方がお前のこと……欲しくなるやろ?」
といった。うわっヤバイ。腰抜けそう……。
私は掴んでいたマグカップをまたテーブルに置き直して、修ちゃんに抱き着いた。胸に埋めていた顔をあげ修ちゃんの顔を見ると修ちゃんは目を細め……私を乞う顔をしていた。
私は唇を少し開け、修ちゃんの唇を誘った。そうして今度は優しく……とろけるようなキスをした。
「なんかもう……しあわせすぎて溶けてなくなりそう」
私がそういうと修ちゃんがまた、すかさず言う。
「お前そーゆう台詞よく言えるよな……俺には絶対無理やわ」
まったく、口が減らないんだから。私は悔しくてまた言葉を重ねる。
「なことゆうても……修ちゃんあの時は、けっこうはずい台詞ゆうてるでー?」
「あほっ、関西弁真似すんなや!あの時は特別やろ?てか、あ~も~!うっさいなー。もう知らん。」
修ちゃんは終いには、拗ねた顔をして私から手を離した。私はそんな修ちゃんの腕をつかむ。
「からかってごめん……でもね、女の子はいつも言葉が欲しい生き物なの。あたしは四六時中、修ちゃんのことで頭いっぱいで……好きって何回ゆっても足りないくらいなのに……修ちゃんはそうじゃないのがなんか悔しくて。」
私は言いながら涙目になっていた。すると修ちゃんは
「あほっ……大事なことは何回も言うもんちゃうやろ?」
と怒鳴った。それでも、私は修ちゃんの次の言葉を祈るように待ってしまう。
「ったく……しゃーないな、そんな顔で見られたらいわなあかんやんか……香織……好きや」
修ちゃんの声が胸いっぱいに響く。修ちゃんを見るとその耳は真っ赤になっていた。
「修ちゃんかわいー」
「かわいーゆうな!」
「もー修ちゃん大好き」
そういって修ちゃんに抱き着いた私を修ちゃんは柔らかい笑みで見つめていた。それはまるで蜜のように甘く、とろけるような微笑み。
あたしを芯まで甘く……染めていく。
林檎のかけら