燃える海

燃える海に潜って、二人リュウグウノツカイを見に行って、本当の愛を形にするよ

 僕が東雲に最初に目をつけたのは朝早くの電車でうなだれている彼女をみた時で、学校に行くときラッシュを避けるために一本早くの電車に乗ると、音楽をイヤホンで聞きながら携帯をいじっていた。それだけなら普通の女子高生らしいのだけれども、彼女は眠ったり至極だるそうな顔なんてしていなかった。ずっと静かに怒ったような顔をしていた。しまいには舌打ちでもしそうな勢いで携帯を乱雑にポケットにしまい込むと、音楽を聞きながら景色をつまらなそうにみていた。感情なんて全くないどころかあいかわらず苛ただしげだった。この人ものすごく怖そうだな、というのが僕の第一印象だった。僕は電車では読書、ときまっているので姿勢を直そうとして真向いにいる東雲をみて随分びっくりしたものだった。普段同じクラスであんなに友達と楽しそうにはしゃいでいる東雲をみているからこそ。もしかしたら女子なんてみんなそうなのかもしれない。一人でいるときと他人といるときの態度がちがうなんてよくあることだし。
 それからよく東雲をかるーく頭においてみることにした。どうやら東雲は体が弱いらしく、体育は普通の授業は出ていたけどマラソンや長距離走はでていなかった。でも決して運動が苦手ではないようで球技となると普通にうまかった。他の男子からの人気もそこそこあったような気がする。たしか。髪が黒くて鎖骨くらいまでの長さで、色白で細身だった。外見だけみればたしかにかわいいけど、なんだか僕は東雲がふつうのかわいい女の子じゃなくって、よくできた女子高生の人形にみえた。
 実際、一回思ってしまうとその考えはすごくしっくりきているように思えた。きちんと女子らしい弁当をたべている姿も、うるさすぎないほどに革製の補助バックにキーホルダーをつけているのも、勉強がそこそこできるのも、ハンカチとティッシュと絆創膏をいつも持っているのも、ぜんぶぜんぶ女子高生をきちんとやりすぎてて変だった。
 唯一例外はご飯を食べたあと五種類くらい薬をのむところくらいで、いっしょにご飯をたべている友達たちには「お腹がよわい」といっていた。それで納得しちゃうなんて女子高生らしいなあ、と紙パックのジュースと焼きそばパンを食べながらぼーっと思っていた。僕の友達には最近ぼーっとしすぎてるぞかっこつけてんのか、と意味のわからないツッコミをされたので男子高校生よろしく軽く殴っておいた。じゃれあいが起きるのも、これからじゃれあいがしばらく続いて、昼飯食べる時間ねえ!と友人がさわぐのも、まるで工場のラインみたいに当たり前にながれていく日常だった。もしかしたら最初に東雲に興味を持ったのは、僕にどこかしら似ているところがあるからかもしれなかった。
 どこか僕はぼーっとしているところがある、と友達にはよく言われるのだけれど、それはいろいろ考え事をしていて口に出さないだけであって、きっとただ呆けているだけではないはずだった。毎日朝出る前にはきちんと天気予報だって見てるし、朝邪魔でもきちんと傘はもっていく性質だった。そのはずだったのに、めずらしく傘は忘れてしまって、オマケにいつも鞄の中に入っているはずの折りたたみ傘は骨がすこし曲がっていた。今日はついてない。骨がすこし曲がっているのはこの際我慢して、折り畳み傘をもって下駄箱にむかったときに、ひとりだけ、おんなのこがいた。
東雲だった。玄関の軒先で空を無表情でみつめていた。他の生徒はもう大体が帰ってしまっていて、俺と、東雲と、違う学年の生徒がまばらに居るだけだった。僕も軒下に出る。しばらくすると東雲は覚悟を決めたように、ごく自然に雨の中に歩き出そうとした。
「ちょっと」
そういって東雲を呼び止める。
「あ、斎賀くん、どうしたの」
そういってほほえむ。
「どうやって帰るの?」
そういって東雲を指差す。東雲は自分を指差して、わたし?といったように表情をつくる。
「あー、私傘わすれちゃったからさ、歩いて帰ろうかと」
「まてまて、風邪ひくだろ」
「いやーたぶん大丈夫だよー」
そういってへらへら笑う。
「傘貸すわ」
「え、そんな!傘かしてもらうとか申し訳なさすぎるよ!」
と言って、今度はあわてる。
「いやーぶっちゃけその傘すこし曲がってるんだよね。それに僕ジャージあるし。今日体育あるの男子だけでしょ」
「え、ほんとうにいいの?」
東雲はきょとんとした顔でこちらを見る。
「いいよ。また今度返してくれればいいし」
「ありがとう、きみはやさしいね」
そういって東雲は笑った。なんだか困ったみたいな笑顔だった。
じゃあね、ありがとう。なんていってそのまますたすた歩いて東雲は帰っていった。僕はそのあとすぐ帰るのもなんだか逡巡してしまって、しばらくして雨が小降りになったあとジャージをYシャツの上にはおって帰ったのを覚えている。アスファルトが濡れて、雨の日独特のみずみずしい香りがしていた。
 
結局はじまりはその日で、それから東雲と付き合って一年が経っていた。それなのにいまだに僕は東雲に抱く感情にうまく名前をつけれないでいた。恋だとか愛だとかいってしまえば結局そうなのだろうけど、なんだかちっぽけな気がするし、性欲が無い訳でもないのだけれど本当に好きな相手に対して肉欲を挟んで愛を語るのはひどくばからしかった。だから周りの友達があの娘とやりたいとかやっただとか、そういう話には基本乗ってはいたけど、なんか、それしか考えることないのかな、って思っている節もあった。肉欲が終着点の男女の関係なんて爛れているというよりは、青臭い気がした。
「ああ、それね、わかる」
給水塔の大きな影でふたりでなんとなく手をつなぎながら、東雲のウォークマンを片耳借りて、ジュースを飲んでいた。天気がいいから、ふたりで午後の授業をさぼって屋上に来ていた。僕らは特に色めいた話もなく普通に青春を謳歌していた。一緒に帰って、週末は遊びにいったり互いの部屋に来て小説や漫画を読んだりゲームしたりしていた。東雲は意外とどのゲームをやらせてもうまい上に小説も漫画もいろいろな種類を幅広く読んでいて、内容に統一性はなかったけどどれもぶっとんでいるようなものが多くて。例えば地味な男の子が蛇口で化け物を倒していく話とか、ベトナムの戦争をかわいらしい絵で描いた話とか、話が一切ない黒と白だけの絵本だとか、そうかと思えば豪華な刺繍がほどこされた絢爛な絵本だとか、読んだら狂うといわれる本だとか。どこからそういった情報を見つけるのかと思うくらい不思議だった。面白かったからいいけど。ゲームはガンアクションだとショットガンで突っ込んでいって敵をほとんど蹴散らしてくれるし、対戦ゲームだと容赦ないくらい強かった。そうやってすこしずつ積み上げた思い出がきらきらと溜まっていくきがして、僕はそういう思い出を決してわすれたくなかったし、この先もずっと続いて行くものだと思っていたんだ。
「ずっとこのままがいいなあ」
そういった東雲は今にも泣きそうな顔をしているようにみえたから、思わず抱きしめた。
「ずっとこのままだよ」
「ほんとう?」
ふつうのどこにでも居そうな女の子だった。でも違ったんだ。この子には僕だけで、僕にはこの子だけなんだと思ってた。もしそうじゃなくったって、僕は東雲のことを絶対忘れたくなんてなかった。
「わたしにはきみだけだよ」
きみだけ、そういって顔をうずめる東雲はよわい人形みたいな白い首を傾ける。
「おれにも、きっとずっと東雲だけだよ」
そういってゆびきりをした。入道雲が濃すぎる青の空を隠していた。

 ある日東雲を迎えにいくと、膝に大きなガーゼをつけて、足に湿布を貼っていた。顔にもガーゼがついていた。東雲の家族はみんな仲がよかったので、どうしてそんなに怪我をしたのかわからなかったから聞いてみた。
「あのね、交差点でころんじゃって。ひかれはしなかったんだけど」
「ころんだだけでそんなになるもんなの」
「…うん」
「なにか隠してない?」
「まだ言いたくないなあ」
そういって東雲が太陽みたいに笑うもんだから僕はそれ以上何も言えなかった。ただ重いものは僕が極力持つようにして、今以上に東雲に気を使った。そこ段差だよ、とか、車きているからまだ信号渡っちゃだめだよとか、そういうと東雲はまた太陽みたいに笑っておとうさんみたい、って言うのだけれど、実際前より体が弱くなってきてるように思えた。東雲から元々体が強くなくて、いろいろな薬をのんでなんとか日常を送っているとは聞いていたのだけど。前よりなんだか顔色もよくないし、実際よく熱を出して学校を休んだりしていた。僕がお見舞いにスポーツドリンクや桃のゼリーを持っていくとよろこんで、「熱を出したかいがある」なんて言ってた。
 それだけならまだよかったのだけれど、ときどきがくっと全身の力が抜けるように転ぶことがあった。最初はそんな頻度じゃなかった。すこしずつ、すこしずつ多くなっていった。今じゃ一日一回はそういって転ぶのでだんだんふたりとも慣れてきて東雲は僕に寄り掛かるようにころぶようになったし、僕も東雲を支えてすぐなんともなかったように立たせてあげるのも上手になった。それもなんだか笑えるくらいだった。今じゃそれも懐かしかった。僕も東雲も知らないふりをしていたんだ。終わりなんてないって約束したから。ほんとうのおわりがくるまで、知らないふりをすることにしたんだ。
 
夏休みの半ばに、東雲が水族館に行きたいと言い出した。最初駅で待ち合わせをするという話をしていたんだけれども、東雲が途中でまた転んだりしたら危ないので僕が迎えにいった。東雲はうれしそうにしていた。夏用のワンピースとつばの広い帽子が似合っていた。そのまま駅に向かうにしても、駅についても東雲はご機嫌で、ちょっと饒舌だった。そんなところが愛らしかった。
水族館につくとパンフレットをもらって、イルカショーとペンギンパレードを見るまでに時間があったので比較的ゆっくり水槽をみてまわった。どこでも東雲はきらきらする魚に目を子供みたいにまんまるに開いて、きゃっきゃと笑っていた。魚に詳しいらしく、ときどき説明を挟みながら。ナポレオンフィッシュはおでこがみょーんとしてる、ってはしゃいでたっけ。
イルカショーもペンギンパレードも見終わって、もう一回みたい、と東雲が言うので深海魚の水槽にもどる。東雲はリュウグウノツカイがすきなようだった。
「これすごいめずらしいの。めったに見られないんだよ。生きている間に見られてよかった」
「そんなに?」
「そんなにだよ!ほんとうにめずらしいんだから。水族館でさえ見れるかどうか」
「そうかそうか、よかったな」
そういって頭をなでてやると、なついた子犬みたいな顔をしていた。
 帰り際、安物のブレスレットとスノードーム、あと東雲が欲しそうにしていたアザラシの真っ白いぬいぐるみを買ってやった。東雲はなんどもいいの、と聞き、それ以上にありがとうを何回も言った。うれしそうな顔をしてくれたから、僕はそれでよかった。
 帰り際の電車で東雲がふいにこんな質問をした。
「もし、あしたわたしが死ぬとして。君はどうする」
「そのときになってみなきゃわからないよ」
「そっか、だよね」
そういってまた東雲はまた困ったように笑うだけだった。
東雲を家に送り届けて、その日は帰った。僕は東雲とお揃いでこっそり買ったブレスレットをきらきら反射させながら帰った。東雲はその日一度も転ばなかった。

 次の日から東雲と連絡がとれなくなって、おかしいとおもって東雲の実家に電話してみると、東雲は入院していた。疲れと夏バテで体調を崩したらしいとのことだが、東雲のお母さんの声色がなんだかひっかかって、ほんとうのことを教えてください、というと、あなたにあまり重い話はしたくない、と言われてしまった。僕は直接東雲の家に行って、土下座した。お願いします。あの子の為ならなんでもするから本当のことを教えてください。愛しているんです。そういうと、玄関口で東雲のお母さんは泣き崩れた。
「あのこ、もうあんまりながくないの」
そう泣き崩れながらいう東雲のお母さんの一言で、瞬間僕は冷たい水をぶっかけられたような気分になった。ぐるぐるいろんなことが頭を巡った。まだ、まだ、時間が足りなかった。全然思い出が足りない。まだ出会ってから一年ちょっとしか経ってないじゃないか。その次に僕が思ったのは、ただ一つだった。
「東雲に会いたいです」
そう絞り上げるようにいった僕に、東雲のお母さんは東雲の病室を教えてくれた。街でも大き目の国立病院に東雲はいた。焦りで泣きそうになる。今こうやって僕が電車に乗っているあいだにも東雲が死んでしまったら、そういう考えがぐるぐる頭を巡ってしまって、僕は季節遅れの花粉症のふりをして必死に泣きそうになるのをこらえていた。
 個室の病室で、東雲はしずかに眠っていた。まえにあったときより少し痩せた印象を受けた。病室のベッドの横には僕が水族館であげたアザラシのぬいぐるみがあって、テーブルサイドにはスノードームも置いてあって、おまけに右手首にはお揃いのブレスレットがきらきらしていて、もうそれだけで僕の涙腺を木端微塵にするのには十分だった。ベットのそばで思わず嗚咽をもらしていると、東雲が目を覚ました。
「ばれちゃったか」
「なんで…もっとはやく言わなかったんだよ」
「悲しい思い、させたくなかった」
君はやさしいから、そういって点滴がついた腕でしずかに僕を抱きしめる。抱き返すと、そのからだの薄さにぞっとした。
「ブレスレット、実はお揃いだったんだよ」
「うん、うれしい」
そういってまた太陽みたいに笑った東雲の目からぽろり、と涙がこぼれる。宝石みたいに綺麗な涙だった。

そのまま、しばらく日が傾くまで二人で抱きしめあっていた。お互い何もしゃべらなかった。ただ、二人がそこにいるという実感が欲しかった。
「あのさ、俺毎日来るけどさ、欲しいものとかしたいこととかなんでもいって。全部なんとかするから」
「それは頼もしい」
東雲は力なくわらう。
「それじゃあねえ、指輪がほしいなあ。婚約指輪。安物でいいの。お互いの薬指につけていたい」
「うん、わかった。あした買ってくる」
「はやいなあ、さすが、あとね」

「わたしうみにいってふたりでほんもののリュウグウノツカイがみたい」
真剣な目でいったあと、これはまだ先でもいいかもしれないけど。そういって東雲は笑った。その言葉の真意を受け取って。僕はその日から東雲の為に生きることを決めた。
 
まず帰りに市役所で婚姻届をもらってきた。そうして夜遅くまでやっているブティックで高すぎはしないけどそこそこの値段の指輪を用意した。家に帰り、両親に事情を話して土下座して、婚姻届に署名をもらった。両親は静かに泣いていた。僕も気づくと泣いていた。そうやって署名をもらって、自分のところを記入したあと自分の部屋の片づけをした。東雲との思い出になったものは案外多くなくて、着替えをいれてもボストンバック一つ分でおさまってしまった。そうして病院からなるべく移動時間が短い海を調べたのだけれど、東雲の体力を考えて、途中で休憩のためにホテルを予約した。今までバイト代や小遣いなんかを貯めておいて本当によかった。そう思えた。次の日東雲の両親に御挨拶に行った。またここでも事情を話して、婚姻届に署名をもらった。その日は東雲のご両親の車で病院に行った。東雲のお母さんが簡単な白いベールと着替えようの白いワンピースを用意してくれたので、僕も途中で家に寄ってもらってスーツに着替えた。うちの父と母も事情を察してくれたようで、東雲の両親と僕の両親はおんなじ車に乗って、病院に向かった。途中で、花と小さいケーキも買った。東雲のお母さん曰く今日は東雲の体調が比較的いいらしいので、僕は周りのひとがここまでしてくれた事と東雲のきっと喜ぶであろう顔を考えていると、顔がほころぶのだけれども、その後、を考えてしまうとどうしても悲しくなってしまい歯止めが効かなくなってしまうので、なるべく考えないようにした。
病室にぞろぞろとそれぞれ手にベールやら一眼レフやらケーキやら持っていくと、それだけで東雲はよろこびながらまたぽろぽろと涙をながしてしまった。お化粧をするんだから泣きやみなさい、と東雲のお母さんがそういって、僕たちはしばらく病室をでて時間をつぶしていた。僕の母親も若干乗り気で、なんでこんなかわいい子がうちのと付き合ってくれているのかしらなんていいながら、東雲の着替えを手伝っているようだった。
しばらくして病室に戻ってみると、そこには僕の花嫁さんがいた。白い肌と整った顔が本当にウェディングドレスを着ているようにみせていた。ベッドについているテーブルに、婚姻届を出して、ボールペンも出す。東雲はふふふ、と笑いながら署名をした。そうして僕は指輪をとりだしてそうっと東雲の薬指に嵌めた。僕のは東雲が嵌めてくれた。この時点で僕の親父が一眼レフで何枚も写真をとってくれた。そうしてわいわい、意外と明るい雰囲気で結婚式の真似事をして、二人で買ってきたケーキにナイフをいれたり、花束をブーケトスといって投げたりした。楽しかった。まるで子供にもどったみたいにみんな無邪気に笑ってた。
そうしてこれ以上はしゃぐと体に障る、という理由で解散したあと、各々の家に帰って、僕は深夜親父の部屋を訪ねた。デジタル一眼レフだから、早めに現像するように頼んであったのだ。親父は何枚も何枚も焼き増ししてくれていた。僕は東雲と僕が肌身離さず持つように二枚だけもらって、あとは向こうの両親にやるなり飾るなりしてくれ、と言った。
「いいのか?二枚だけで」
「いいんだよ。二枚だけで。ずっと持ち歩くから。あとでいいのができたら部屋に飾るからまた後でちょうだい」
「わかったよ、まかせておけ」
そういった父の背中は本当は僕たちがこれから何をするのか知っているのかもしれなかった。小刻みに、震えていた。知らないふりをしてくれる、その優しさに向かって僕は去り際に小さく「ありがとう」と言った。

 東雲に翌日はしっかり休むようにして、その翌日に海に行こう、と伝えてあった。東雲も案外ちゃっかりした奴で、こっそりお気に入りのものや服をすこしずつ怪しまれない程度にお母さんに持ってきてもらっていたらしい。その日の明け方、僕は彼女をさらった。最初で最後の逃避行だった。

 移動中疲れていたのか東雲はぐっすり眠っていて、電車で移動しながら僕も少しうとうとしてしまった。その間も、繋いだ手はお互い絶対はなさなかった。
ホテルにつくとすでに夕方で、東雲がリュウグウノツカイを見に行く時間帯がわからなかったのでチェックインのときにすでに宿泊分と夕食の分を払ってしまって、東雲に聞くと時間帯は夜明けがいいとのことだったので、朝食のサービスは断っておいた。ホテルの部屋で夕食をとって、東雲は二人でホテルに泊まるなんて初めてだ、とはしゃいでいたのを覚えている。相変わらず飲む薬の量は以前にも増して尋常じゃない量ではあったものの、本当に具合がよいらしく、その日は人より少ないものの、きちんとご飯を食べ、戻すこともしなかった。
 そのあと二人で部屋のバスタブにお湯を溜めて二人で入った。子供みたいにきゃっきゃとはしゃぐ東雲をたしなめたり、お風呂のタオルでタオルまんじゅうを作ったり、髪の毛を洗ったり洗われたりした。このままずっと続けばいいのに、そう思うたび不意に涙がこぼれそうになるので、できるだけ泣きたくなかった。
「ねえ、ずっといっしょだよ」
「うん、そうだね」
「そりゃ、このさきこんなことは二度とできないけどさ、ずっといっしょだもん、なにも悲しくなんてないんだよ」
そう東雲が言ったのを聞いて僕は大きな誤解をしていた。ああ、そうか。ここで終わりじゃないんだ。これから先も彼女と居られる、なにも、なにも悲しいことなんてないじゃないか。
「そうだな、何も怖くないし、何も悲しくなんてないな」
その日は二人で抱きしめあったまま丸くなって寝た。何も知らない無垢な赤子みたいに。東雲は疲れたのかここでも寝ていたけど、俺は東雲と過ごす時間がすこしでも惜しくて、ずっと寝ないで朝を迎えた。
「由真、起きろ、時間だ」
「はあい、準備するからまっててね」
そういって二人とも顔を洗い、歯を磨き、身支度を整える。念入りに。
「ね、これ覚えてる?」
東雲が着たのは水族館に行ったときのワンピースだった。
「奇遇だな、俺もあの時の恰好だ」
お互い顔を見合わせて思わずわらってしまう。
「打ち合わせしたわけじゃないのにね」
「そりゃあ、本物のリュウグウノツカイに会いにいくんだからな」
やがて身支度も終わり、ボストンバックと東雲の大き目の旅行鞄を持って、海へと出発する。ホテルから徒歩5分ほどで、全く人気のない、日の上る前の海岸についた。
「人いないねえ」
「釣りとか漁船が少しはいると思ったんだけど、これは好都合だな」
「ねえねえりょうちゃん、ちょっと砂浜見ようよ。わたしリュウグウノツカイは日の上るジャストに見に行きたい」
「わかった」
そういって僕は何をするのでもなく東雲と砂浜を歩いた。荷物は東雲がここ、と途中で言った場所に置いておいた。ふたりのお揃いのブレスレットと指輪がうすっぺらい月の明かりで少し光る。
「みてみて」
そういって東雲はたくさん角がとれたいろいろなガラスや桜貝やきれいな石やコルクなんかを拾っていた。僕も一緒になって拾って、交換したりした。
 やがてうすっぺらい月がだんだん頼りなくなってきて、空が薄く青くなり始めた。
「いこうか」
そう東雲がいったので、二人で最初の鞄のところに戻る。繋いだ手をぶんぶん振り回して東雲はたのしそうだった。僕もつられて笑う。僕たちは、だれが何と言おうと、今幸せだった。
そのまま笑いながらお互いの鞄に石やガラスを詰める。この位の重さならたぶん当分は浮かないだろう。
靴を履いたまま、海に向かって歩き出す。東雲は肩に旅行鞄を掛けて、僕はボストンバックをリュックのように背負って。途中で手が離れたらいやだと東雲がいうので、東雲を抱きかかえて、予備の金具とベルトで、腰同士をつなぐ。
「これならだいじょうぶ」
「そうだね、さすが」
東雲は泣いてなんかいない。僕も泣いてなんかいなかった。むしろ嬉しかった。ずっと、ずっとふたり、一緒。
「途中で転ばないでね」
「由真じゃないんだから。それに軽いしね」
顔が近くにある。東雲がキスをする。僕からもキスをする。
「私あと寿命長くて3か月だったらしいよ。その間薬漬けらしいけど。そんな形より、いまこうして君といられるほうが、何倍も幸せ。だけど思うの。りょうちゃんはこれでよかったの?君は私以外に好きになる人がこの先でてくるかもしれない。その未来を潰しちゃわない?本当に後悔してない?」
「いや、悪いけど、君だけなんだよ。本当に君だけだから。愛したのも、恋したのも、思い出も全部君だけ。だから、たぶんこんな方法取らなくても確実に僕は君の後を追って死んでたと思う」
「ふふ、うれしい」
そういって東雲は僕に抱きつく。水位は既に胸に達している。
「あ、みて、朝日。海に反射して海が燃えている」
「本当だ」
辺り一面海が真っ赤で、本当にその様は海が燃えているようだった。
水位が肩にまで達した。
「あのさ、水族館の帰り、はぐらかしていた答え言うよ」
「ああ、あの明日私が死んだらどうするっていう」
「俺も後を追って死ぬよ、それだけ」
水位はもう顎先まできている。こんなに海が燃えているのだ。きっとリュウグウノツカイにだって会えるだろう。東雲が腕の力を強める。何もこわくないよ、とささやいて頬にキスをする。
「ふふふ、ねえ、だいすき」
「愛しているよ」
「名前よんで」
「由真」
「遼ちゃん」
「大好きだよ」
「大好きだよ」
「「さようなら」」




本気の恋愛なんてみんな言っているけど、どれもこれもうすっぺらいんだよね。わたし本当の愛ってその人しかいらない、ってことだと思う。
へえ、例えば?
私が死んだら、本当に私のあとを追ってくれるくらい、わたしのことを好きなひとがいてくれたら、その人を本気で愛そうって、決めてたの
そうか、じゃあ僕は愛される素質があったわけだな
それもあったけど、気づいたら、君が居なくちゃ駄目になってたの、そのくらい愛していた
僕も、最初は興味だけだったんだ。だけどさ、お互いが居なくちゃだめになってたんだよね
私たち一生懸命恋をしたよね
そりゃ、海が燃えるくらい
ねえ、次生まれ変わるならなにがいい?
次もいっしょがいいな。
知ってる?心中した男女って次は双子に生まれ変われるんだって
それはいいな。ずっと一緒だ。
ずっと一緒よ。
ずっと一緒。
あ、みて、その下、リュウグウノツカイが見える
本当だ。夢みたいだね。
きっと夢なのよ。燃える海の夢。
二人っきり。

燃える海

燃える海

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-04-06

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