思い出の管理人
「そんなこともあったっけなあ…。」
「そう、そう、ハルヒコちゃんたらあの時さあ、おっかしいの。」
一年ぶりに懐かしい顔ぶれがそろった。今日は高校時代の同好会のミーティングである。
「日本史研究会」のメンバーはたったの七人。おまけに同期の親友たちばかりだったので、卒業後は消滅してしまった。しかし、毎年「ミーティング」と称して集まり合うことは続けていた。
なんのことはない。ただ、みんなで顔あわせて
「元気?」
なんてやっているだけだ。
でも、古い友人たちと合うのは毎年の楽しみだった。そう、昨年までは…。
「ねえねえ、おぼえてる?平泉行ったとき…」
「あー!そうだ。マサトったらおみやげに水飴買ってさぁ。」
「容器つぶれてバックがねとねとで。べそかいてやんの。」
「えーい!んなこと忘れんかぃ!」
「あははは!」
皆が次々と懐かしいエピソードを話しているのに、ボクは愛想笑いに疲れてきていた。
「それからさぁ、長野行ったときはね…」
昔話を盛り上げているのは『エリ』こと三島エリカである。
ボクらが忘れていた出来事を次から次へと思い出させてくれる。その一時、ボクらはあの懐かしい時代へ戻るのだ。皆もそれが楽しみで毎年集まり合っていると言っても過言ではない。
戻るといっても、もちろん気持ちだけである。あれから八年。皆も変わった。
結婚した者、親になった者。
水飴事件のマサトなんてプログラマーなんてのになっちゃったから、白髪がずいぶんふえたようだ。そして、ボクも…。
*
「ケイちゃん。今日、どしたの?」
帰り道に声をかけてきたのは、あのエリだった。
「いや、別になんでもないよ。」
「うそだぁー。今日ほんとに変だよ。すっごく顔暗いもん。」
「もともと暗いよ。」
「それは言えてるけどー。」
「そこまで言うか?」
「へへ、ゴメン。」
エリとは中学時代からの同級生で、誰にも負けないとびきりの笑顔を持った(少なくともボクはそう思っている)女の子だった。人一倍「知りたがり」で、いつも「なに?どうして?」と人に聞き回っていた。今でもその性格は変わらない。
変わらないといえば、髪型も中学の時からずっと変えていない。いや、それだけでなく化粧だってほとんどしていないから、顔もそのまんまである。同好会宴会係長のヨウスケなんてもう絵に描いたような「オトーサン」になっているというのに。
ボクは気分のよくない理由を彼女に例のごとくしつこく尋ねられるがいやで、話題を変えようとした。
「しかし、エリはいろんな事よく憶えているよね。」
「あ、話そらしてる。」
「そうだよ。だめ?」
「んー、いいよ。」
ボクは彼女のこの性格が好きである。
「別に憶えたくて憶えてるわけじゃないんだけどね…。私の宿命ってやつかな。」
「シュクメイ?」
「私の家系って『思い出の管理人』なの。」
「なんだい、それ?」
ボクは(また始まったよ)と思った。
「『思い出の管理人』っていうのはね、みんなの過去を大切にとっておく役目なんだ」
「過去を?」
「そう。みんなの過去をあずかって『思い出』にかえてあげるの。そして『管理人』は、あずかった過去を大切に持っている間は年をとらないの。」
「えっ?」
ちょっとボクは不安になった。
彼女が全然変わらないのはそのせい?
いや、まさかね。でも、彼女も今年二六歳である。でも見かけは一六。あの頃のままだ。
「家系っていうことは…」
「そう。私の母の家系。母もすっごく若いでしょ。」
そういえばそうだ。二年前はじめて彼女のお母さんに会ったのだが、ボクは彼女のお姉さんかと思ってしまったほどだ。ボクはますますうろたえた。
しかし、これも彼女のいつもの空想の話に違いないのだ。
ボクは一呼吸をおいて、おどけたふりをして聞いた。
「そうか。みんなの過去を管理するなんて楽しいだろうね。」
「そうでもないよ。」
彼女はうつむいた。
「過去っていうのはのは楽しいものだけじゃなくて、つらいものもあるでしょ。「過去」が「思い出」に変わった人にとっては過ぎたことだと笑い話にできる。懐かしいものになる。そしていつかは忘れてしまう。でもね、管理人にとっては「過去」はいつまでたっても「思い出」になってくれない。つらい過去は『つらい』のまんま。だから…。」
そう、
『つらい』
ボクが今、味わっているのはその『つらい』なのだ。
「そうか。『つらい』のはいやだよね。」
「ケイちゃん、今、『つらい』んだ。」
「あ、うん…。」
ボクはつい、うっかり白状してしまった。
風が吹き、街路樹の葉をざわざわさせてゆく。
「ケイちゃん、ありがとね。いつも私の話、真面目に聞いてくれるのケイちゃんだけだもんね。」
「あ…、ああ。でも今度のお話はなかなかリアルだったよ。」
「ふふっ」
彼女は意味ありげに笑った。
(ボクの『つらい』気持ちが何故だか、少し軽くなったような気がする…)
「じゃ。また来年だね。」
「あ、ここから帰るの?」
「うん。ケイちゃん、元気だしてよね。」
「あ…、うん…。」
彼女が街灯りの中をゆっくりと歩いてゆく。まるで自分の歩数を数えるように。
1歩、また1歩。
歩道橋の上から彼女を見送りながら、ボクはぼんやり考えていた。
そうか。『つらい』のはまだ「過去」のままだからなんだ。早く思い出にしてしまえば…そうすれば『つらい』こともただの笑い話になってくれる。
そうだよ、彼女に思い出に変えてもらおう。やっぱり彼女にはそれができるに違いない。
だって、さっきも…。
階段を駆け下り、ボクはエリの後を追いかけた。
せつなくてどうしようもない、たった半日前のつらい「過去」を持って。
「おーい!管理人さん!」
彼女は待ちかねたようにクルリと向き直った。
まるで、ボクの気持ちもボクが追って来ることも、「はじめっからわかってたんだ」というふうに。
そして、駆けてくるボクにむかってあのとびきりの笑顔で微笑んだ。
思い出の管理人