地平線

悲しいことや苦しいことがあると必ず地平線を見つめてしまうのは、まだあなたのことを忘れていないから。

遠く、遠くの地平線を眺めて育ってきた。

海はいつも、私のそばで
心地よいリズムを聴かせてくれた。

ただ、風にまかせて揺れているだけではない。
神の怒りのように荒れ果てた日には
町中が凍り、人々は背中を震わせた。

私は今日も海を見に行くため、支度をしていた。

「サキ。また海を見に行くのかい。たまには勉強もしておくれよ。」
口うるさい母は変わらない。

「大丈夫。ちゃんと期末の予習はしてるから。」

母の返事を聞く前に砂利で敷き詰められた我が家の庭を通って外へと出て行く。

私は世間でいう受験生なのだろうが、真面目に勉強をするつもりはない。
そこまで頭も悪くはないし、期末といっても私はまだ高校1年生だ。
遊びたい盛りの少女には期末よりも大事なこともあるのだ。


猫じゃらしが生えている雑草のトンネルを潜り抜け
隣のおじさんが立てた木の柵を越えると
そこには私のオアシスが広がっている。


「おーい。サキー。来てたのかよー。」


遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。
昔から聞きなれた声。口調。

「タクヤ。久しぶりだね。」

声の人物は幼馴染のタクヤだった。
こいつも毎日、海に通ってはサーフィンを楽しんでいる。

「あんたも期末が面倒くさいの?」
「当たり前だよ。あんなのは勉強が出来るやつだけがやるもんだよ。」

相変わらず、スポーツだけに熱心なところは変わっていないようだった。
夏休みもそろそろだが、まだ少し肌寒い。
そのくせ、上半身を裸にしたまま平然と海の中へと入っていくのだから
体力自慢テストがあればタクヤは間違いなく1位だろう。


「それよりさ、またあの人来てるんだよね。」

タクヤが言う、あの人とは
ここ最近、この海によく現れる謎の白いワイシャツの男だった。
毎日毎日、この海にやってきては
浜辺をトボトボと歩いて帰っていく不思議な人だった。

「本当だ。今日も来てるのね。」
「絶対、地元の人じゃないよなー。」
「うん。見たことないね。」

そんな話を2人でしていると、すぐに男は帰っていった。

「なあ。あれさ、後つけてみない?」
タクヤの突拍子もない提案だった。
「う、うん。」
私はなんだか怖かった。
この海の近くは深い山ばかりで、山から少し離れても
手入れの行き届いていないところばかり。
よりにもよってその男は、その山の方へ向かっていったからである。


「じゃあ、決まりな。」
そう言って、タクヤは歩き出したが
私はその後に着いていくことが精一杯だった。

山奥の歌声


男の歩く足の速さは、いつも海で見かけたときの速さとは少し違った。

「あいつ速くねえか?いつもより。」
「うん。なんかね。」
私はデコボコとした山道で口数が減っていた。
「あいつ何処まで行くつもりなんだよー。」
タクヤも疲れてきたのか勝手なことを言っている。

大きな分かれ道があった。
男は迷わず左へと進んでいた。
私たちも急いで後を追う。
すると、目の前には1つの民家が建っていた。
低い平屋が一軒、そこにあった。

「こんなところに家・・・。」
不思議でならなかった。
地元にいてこんなところは初めて見たからだ。
確かに、頻繁に山に行くわけではなかったが
それにしても珍しかったのである。

庭には猫じゃらしがたくさん生えていた。

「おかえりー。」
遠くから男の声がする。
表札などは何もなかった。

「変なやつ。何者なんだ?こんな山奥に住んでるし。」
タクヤは疲れているのか少し不機嫌そうだった。
「もう帰ろうぜ。」
タクヤがそう私に言ったとき、男の家から確かに歌声が聴こえた。
「サキ、どうしたんだよ?」
「シッ、静かにして。」

曲名こそ分からなかったが、オペラかクラシックのようだった。
「綺麗な声・・・。」
「何がだよ?」
「あんた聴こえてないの?」
「え、うん。」
不思議だ。私にしか聴こえていないなんて。

「本当に?」
「本当だってば。なあ、早く帰ろうぜ。陽も落ちてきそうだし。」

私たちはやがて帰路についた。

タクヤの耳が悪かったのか、私の耳が良かったのか。
それともあれは、私が聴いた幻聴だったのか。
それすらも分からない。

ただ、あの男の家から流れてきた音だということに間違いはなかった。

私は無事に家に着き、ご飯を食べ、お風呂に浸かり
やがて布団に潜りながら、あの歌のことを思い出そうとしていたのであった。

地平線

地平線

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-04-03

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  1. 悲しいことや苦しいことがあると必ず地平線を見つめてしまうのは、まだあなたのことを忘れていないから。
  2. 山奥の歌声