出立の日 prologue again

国の政策ほか設定のすべてはフィクションです。

プロローグ

 原始的なノートブックとサバイバルツール〈えんぴつ〉をみつけたのでこれを記す。


小説『出立の日』

1
「おい太郎」とクラスメートの隼人くんが言った。「おまえんちのじーちゃん、まだなのかよ?」
 これでもう十回目だ。今月になってから何度もおなじことを言われている。
「早く決めろよ、国民のハジだぞ!」
 わからない。〈出立〉しなきゃハジなのだろうか?
「どうしておじいちゃんがいかなくちゃいけないんだ?」とぼくはベソをかきながらやっと言った。
 「未来のためじゃないの、わたしたち未来をになう子供たちのためじゃないの!」と今度はルミ子ちゃんが言った。
 隼人くんがぼくをつき飛ばした。ぼくは掃除用具入れのロッカーにぶつかり、そしたら、上からバケツが落ちてきて、頭に当たってベコッと音をたてた。痛かったけど泣かずにガマンした。
「国のハジ! 国のハジ!」と隼人くんが歌をうたうように言った。
「わたしのおばあちゃんだって去年出立したんだからね!」
 ルミ子ちゃんの声がキンキンと響いた。
 顔をあげることができなかった。ふたりはすごい目つきでぼくをにらんでいるにちがいないから。だから、転がったバケツを見ていた。バケツにはマジックで二年二組と書いてあった。二年二組、二年二組、と何度も意味もなく頭の中でそれを読んだ。隼人くんやルミ子ちゃんの声からにげたくて。頭の中をからっぽにしたくて。

2
「お帰り」とお姉ちゃんが言った。「学校楽しかった?」
「うん」
 かかとのボタンを押して反重力シューズを脱離しながらウソを言った。
「ならいいんだけど」とお姉ちゃんは、シューターから出てきたおやつをテーブルにならべながら言った。「今日校庭から小学部の窓を見たら、あんたがクラスの子になんかはやしたてられてたみたいだったから」
 パタンと廊下のむこうで音がした。奥の部屋からおじいちゃんが出てきたようだった。
「いいにおいじゃないか」と、おじいちゃんはうれしそうに言ってテーブルに座った。「スミ子が生きてたら、スミ子にも恭子がシュートしたおやつを食べさせてあげたかったよ」
 おばあちゃんは三年前に病気で死んでしまっていた。
「シューター任せなんだから、わたしの手柄でもなんでもないよ」とお姉ちゃんはこたえた。「よかったらまだまだシュートするけど」
「食べすぎるとコレステロールが心配だから」と言いながら、それでもおじいちゃんは目を細めておいしそうにおかしを食べた。
「出立前にいっぱい食べてよ」
 お姉ちゃんのその一言におじいちゃんの手がとまった。
 それに気がつかなかったのか、お姉ちゃんはフンフンとハミングをしながらきげんよくシューターに次の注文をセットした。
 ぼくは気がついてしまった。お姉ちゃんのハミングはあの歌だった。
 おじいちゃん、ありがとおー♪
 というあの歌。

3
「おじーさん、ありがとおー♪ あなたをわすれないぃー♪」
 音楽の時間、二年二組の生徒八名で合唱をしている。「日本のために、世界のためにー♪」
 みんないっしょうけんめい歌っている。音楽の時間はとても大事にされているのだ。
「未来のために、わたしたち若葉のた・め・にー♪」
 ぼくはキライだ。こんな歌大キライだ。
「清くぅ、雄々しくぅ、誇りを胸にー、さあいざ出立のとき♪」
 隼人くんとルミ子ちゃんが歌いながら横目でぼくを見た。
 「さよなら、フォーエバー♪」
 しかたなくぼくも、大きく口をあける。ふぉ・お・え・ばぁ・あ!
 気がつくとピアノをひきながら先生もぼくを見ていた。
「おばーさん、ありがとおー♪」
 歌の二番がはじまった。

4
「ねえ、どうして出立しなきゃならないの?」
 半年ぶりに早い時間に帰ったパパにたずねてみた。
「だれもがみんな出立するんだ」
 パパはお風呂に肩までつかりながら言った。ザンブとお湯があふれて、洗い場のぼくの足を洗った。
「パパも?」
「いつかはね」
「ママも?」
「そうだよ、恭子や太郎だって、いつかはね」
 パパは当たり前のことのように言った。
「イヤだよ」とぼくは言った。「さよならなんてしたくないよ!」
「しっ!」とパパはひとさし指を立てて、せなかの排気ローターのほうを見た。
 その様子がなんだかとてもイヤだった。だからぼくは大きな声でさけんでしまった。「なんでだよ!」
 パパは立ちあがり、排気ローターのスイッチをオフにした。
 ちくしょう、さけんでやる、もっとさけんでやるぞ!「パパもママも毎日毎日いっしょうけんめい働いて、イライラしたりカリカリしたりして、それでもがんばってるんでしょ。そんなパパやママの会社づとめがやっと終わりになったと思ったら、あっというまに出立の日になっちゃうなんて、そんなのイヤだよ! ぜったいイヤだよ! なにかおかしいよ!」
「太郎っ!」
 パパにひっぱたかれた。はじめてひっぱたかれた。
「国民の義務なんだ。そう決まってるんだ。出立の日に、〈生きる〉ほうをえらんでしまったら、それこそ大変な目にあうんだよ、そのあとの人生はジゴクなんだよ」
 ぼくは泣いた。
「いいかい太郎?」とパパは、やさしくぼくを湯船にまねきながら言った。「むかしむかーし、ええと今は2050年だから、それから1945を引いてごらん。四ケタはまだむずかしいか。そうだ、105だね。むかしというのは正確にいうと105年前のことなんだけど、そのころ日本は世界を相手に戦争をして負けたんだ」
 戦争があったのは習って知っていた。
「日本には勝てない戦争だった。でもね、だからといって戦争に反対したり、赤紙を無視したりしたら」
「赤紙って?」
「兵隊として出陣しなさいという国からの命令が記されたお手紙だよ」
「青紙だね、まるで!」
「うんそうか、そうだね、今でいう青紙みたいなもんだ。で、その赤紙を無視して戦争に行かなかったり、戦争がまちがっているってことを発言したりしたら、その人は非国民と言われてね」
「非国民?」
「卑怯者ってことさ。お国のために戦わないで、自分の命ばかりをまもろうとする人は仲間はずれにされたんだ」
「でも戦争に行ったら死んじゃうんでしょ?」
「うん。パパもまだ生まれる前のことだからよくはわからないんだけど、負け戦だってことに途中で気がついた人も少なくはなかったみたいだ。だからなかば死ぬことを覚悟して戦地に行ったんだと思う。でもね、負けるとわかっていても、戦うために戦わなきゃならなかった」
「どうして?」
「そういう世の中だったからさ」
 そういう世の中?
「非国民と言われた人はひどい目にあったそうだ。本人もその家族もだよ。そうすることで、国民一丸となって戦争を戦うというシステムを国家はまもっていたんだ」
「なぜ戦ったの?」
「国益のためさ、国のためだよ、もっとわかりやすく言うとみんなのためさ。自分ひとりや自分の家族だけの幸せじゃなくて、みんなの幸せを考えましょうというわけだ。みんなが幸せになれないと、そのみんなの一部分である自分や自分の家族もやっぱり幸せにはなれないからさ」
 むずかしい話だったけど、パパの声を聞けることはとてもうれしかった。パパやママは仕事でいつもいつもいそがしかったから。
 でも。「でも、おじいちゃんが死んじゃうのはイヤだよ!」
「名誉なことなんだぞ。出立の日にちゃんと出立するってことは」
「えらべるんだよね」
「そう、出立しないこともえらべる。いいかい、でもよく聞いてくれよ」とパパはぼくの肩をつかんで言った。「太郎もいずれ七十歳になったら、出立の日をむかえることになるんだ。出立をえらぶか、出立しないで生きることをえらぶか、それはタテマエとしては自由だ。でもな」
 タテマエ、の意味がよくわからなかったけれど、うんうんとわかったふりをしてパパの話の続きをまった。
「パパは太郎にもぜひ〈出立〉をえらんでほしい」
 近所の高田のおじいさんが出立した日のことを思い出した。おじいさんはその日、〈孫ころメイツ〉の少年少女の合唱に見送られて出立した。高田のおじいさんには子供がいなくて、ずっとひとりで住んでいた。そんなおじいさんのうちに〈孫ころメイツ〉のみんなは、出立の一年くらい前からいっしょに住みはじめたのだった。とてもやさしそうな女の人が一緒に住んで、高田のおじいさんや〈孫ころメイツ〉の子供たちの世話をやいていた。おじいさんは幸せそうだった。人生最高の一年だ、とよく言っていた。家族がいないので、家族に残されるはずのセンベツというやつは、ハッピーラストイヤーという一年間のお金になったのだそうだ。出立の日、たくさんの人が大聖堂に集まった。ぼくもおじいちゃんといっしょに出席した。国のえらい人が舞台の上で、高田のおじいちゃんがどんなにリッパな人生を生きたかを話した。それからみんなでおかしを食べたりジュースを飲んだりした。高田のおじいさんは舞台の上のリッパなソファに座って泣いていた。ブラスバンドの演奏が終わって
いよいよベットに入るその前に、おじいさんは立ちあがりキョーツケをして、くの字にした右手を頭のあたりにシュタッとかかげた。ケーレイというのだと、おじいちゃんが教えてくれた。おじいちゃんがおじいさんにケーレイを返したので、ぼくもそれをやった。それからメイツのみんなが歌った。音楽の時間にさんざん歌わされたあの歌だ。

 おじーさん、ありがとおー♪タンタタン♪
 あなたをわすれないぃー♪タンタタン♪
 日本のために、世界のためにー♪
 未来のために、わたしたち若葉のた・め・にー♪
 清くぅ、雄々しくぅ、誇りを胸にー、さあいざ出立のとき♪
 さよなら、フォーエバー♪

 船の形をした大きなベッドにおじいさんは入った。そして出立した。もう帰ってこない。
 そんな出立の日のことを思い出した。
「出立っていうのは」とぼくはパパにたずねた。「死ぬってことなんでしょう?」
「まあね」
「高田のおじいさんは死んだの?」
「出立したんだ」
「どうちがうの?」
「出立は名誉の死だ。未来のために、おまえたち若葉のために、いさぎよく身をひいたのだ」
 なにかがちがうと思った。「おかしいよ、自然じゃないよ。どうして神様のおむかえを待たずにあんなふうに死んでしまうの?」
 パパはしばらくだまった。
 お湯がぬるくなってきた気がしたので「オイタキ!」とぼくはボイスオーダーでお湯をあつくした。
「こうなってしまったのにはいくつかの理由がある」とパパはまた話し始めた。「ひとつには〈少子化〉だ」
「ショウシカ?」
「太郎たち小学部の二年生は、なんクラスある?」
 一組と二組だから。「ふたつだよ」
「ひとクラスは何人だ?」「八人」
「むかしはね、もっとたくさんのクラスがあったんだ。おじいちゃんの学校なんて四十人のクラスが八つもあったらしい」
「えっ?」
「パパのときはもう少子化が進んでいて、二十人のクラスが五つくらいだったかな、つまりね、だんだんに子供の数が減ったんだ」
 わからなかった。子供の数が減ると、どうしておじいちゃんが船に乗らなくてはいけなくなるのだろう?
「そして次に〈不況〉だ」
「フキョー?」
 呪文ばかりがくりだされてくる。
「リーマンショックって歴史で習ったか? まだか。あれは2000年代のまだはじめの十年くらいの事件だったかな。大きな会社が海の向こうで倒産したんだ。そしたら世界中の経済がメタメタになって」
「海の向こうなのに、なんで?」
「つながっているんだよ。世の中が悪くなれば、日本も悪くなる、そうしたらひとりひとりも悪くなる」
 つながっている?
「ともかく世界中が〈不況〉になった。サラリーマンの生活は大変になった。日本の国そのものも借金まみれでひどいことになった」「ねえ」とちょっとイライラしながらぼくは言った。「日本が貧乏になったり、子供たちの数が減ったりしたことと、〈出立〉はどんな関係があるの?」
「うん、そこがポイントだね、なかなかかしこいぞ」と言ってパパは笑った。ステキな笑顔だった。「そこに登場するのが第三のキーワード〈年金〉だ」
「ネンキン?」
 どうやらとっておきの呪文らしい。
「むかしむかしはね、年金制度っていう夢のようなシステムが、じっさいにちゃんと機能していたんだ。ああ、年金っていうのはね、若い人は元気で、ほらガンガン働けちゃうだろ、でもお年寄りは足腰や目にガタがきて若い人みたいには国のために効果をだせなくなっちまう。だからお年寄りには、ジャマになっちゃうからもう働かないでじっとしてなさい、って国が言ったんだ。ごはん食べるお金くらいはあげるからそれでいいでしょって」
「やさしいね」
「そうかな。そのお金はどこから出るかっていうと若い人たちからなんだ。若い人はいっしょうけんめい働いて、その稼いだお金の一部を国におさめる。さっきのリーマンショックのころはたしか、国民年金だけでも一万四千円くらいをおさめていたんじゃないかな、毎月毎月だよ。そうやっておさめたお金を国がうまいこと運用して、ああ、運用っていうのはつまりタマゴを産ませて増やしてくれるってことさ。それで六十五歳になったときから、少しずつお金を返してくれるんだ。重要なのはここさ。預かったお金をちょっとずつ、年をとったあとに返してくれるんだけど、長生きした人はじっさいに払った以上のお金を返してもらえるっていうシステムなんだ。例えばサラリーマン時代に一千万円をおさめた人の場合、六十五歳から先、二十年生きたとしたら、二千万円になって返ってくる。ああ、国が損しちゃうと思うかな。そうでもなくて、だってほら、国はお金にタマゴを産ませて増やしていたんだから。タマゴはね、産ませられるんだよ、経済が上向きならばね。そうだよ、かしこい
ね、不況じゃダメさ、タマゴは生まれない。だから不況のときは、あんまり長生きされると国としてはこまっちゃうんだよ。見えてきたようだね、そういうことさ。少子化で若い働き手は減っている。パパやママがこんなにいそがしく働くのはそのせいさ。でも不況が続いているもんだから、給料もあがらない。だから高田のおじいさんみたいに子供をつくらない人が増えてますます少子化は進んだ。不況だから、年金を預けてもタマゴは産ませられない。でも医療技術は進歩してお年寄りは長生きになった。だから国は、タマゴを産ませてもいないのに、預かったお金以上を返さなきゃならない。そうだよ、年金をおさめてくれる若手は減っているのにだよ。だろ。国は大赤字さ」
「それで?」
「まあ、いろいろなことがためされたよ。コイズミ内閣のときの後期高齢者の医療にかかわる行政改革とかね。2010年には、タバコの歴史的大増税がおこなわれた。高くなりすぎたタバコを買えるのはお金持ちだけさ。お金持ちはたくさん稼いでる人だから厚生年金をたくさんおさめている。こういう人たちには働けるうちはガンガン働いて年金をおさめてもらって、一方でガン年齢になったら、年金を受け取るより前にとっとと死んでほしいわけだ。だからお金持ちの人にこそタバコを吸ってほしかったんだ。税金も入るし、いい作戦だろ。他にも、死んだらチャラになるマンションローンなんてのもはやった。自殺でもかまわないっていうんだから、そう、お家を借金で買って、借金が返せなくなったら死んじゃってお家を家族に残す、みたいな生き方もこっそりとだけど認められたんだ。死んでもらうためのサギみたいなもんだよ。不況まっただなかの日本で三十五年もかけてローンを返済できるわけがない。次の世代の負担を減らすためにもお年寄りにはバンバン死んでもらう必要が
あったんだ、国全体にとってね」
 わからない呪文がいっぱいだし、パパの言ってることは、まだぼくにはむずかしかったんだけど、口をはさまずにだまって聞いた。なぜって、パパの言葉は太陽みたいにあったかかったし、すこしでも長くいっしょにお風呂にはいっていたかったから。
「2040年には、国家的犯罪が明るみに出て大問題になった。太郎の生まれるちょっと前のことだよ。発ガン性物質を水道水にまぜていたのさ。ママは太郎が元気に生まれてくるかとても心配していたんだぞ」
 しなびたニンジンみたいなぼくの右手を見た。左手にくらべると、とてもちっちゃい。クラスには同じような子が三人いるし、ルミ子ちゃんには片方の耳がない。隼人くんは子供のくせにハゲ頭だ。パパやママに比べてぼくらはみんなコセイテキなんだけど、どうやら今聞いた話になにか秘密がかくされているのかもしれない。
「発ガン年齢になった五十歳くらいからの人がバタバタと亡くなった。若い人もいずれ発病する。日本のガンによる死亡者数はあのころから世界的にも群をぬいて上昇した。それでも」
「それでも?」
「それでも日本の財政は再建できなかったし、年金をはらえず国はつぶれそうになった。そこで」
「そこで?」
「出立の日制度が導入されたのさ。七十歳の誕生日になると青紙がとどく。なぜ青いのかというと、一説にはさっきのリーマンショックのころ、年金名簿がなくなっちゃったようなお粗末な事件があって、その穴埋めみたいに今度は各国民に毎年、年金定期便とかいう経過報告の青い封筒がとどけられたらしいんだけど、そのなごりとのことだ。ともあれその青い紙がとどくと、七十歳の人は選択しなくちゃならない。ちがうよ、お洗濯のことじゃなくて、えらぶってことだよ。そう、出立するかしないかをね」
「しないをえらんでほしい!」
「さっきも言ったように、えらぶっていうのはタテマエでね、実際はえらべないようになってるのさ。非国民の話をしただろ。あれと同じさ。生き残ることをえらんだら、もう人間扱いされなくなる」
「ひどいよ」
「みんないっぱいいっぱいなんだ」そういってパパは真っ白になってしまった髪の毛をかきあげた。「だれだってそうさ、パパだってママだってそうさ、生きるために必死で働いている。だから働かないで、みんなの年金を食いつぶして生きていく人を見る目はとても冷たい。ほら三丁目の小林商店のおばあちゃん、覚えてるかい?」
 タバコ屋の、と、ぼんやりと覚えていた。外から見ると、店の奥の暗い部屋で、いつもひとりで立体映像の番組をにらんでいた。ぼくらが見てるのに気がつくと、オドオドした目でこっちを見たり、また向こうを見たりして、へんな人だと思っていた。
「結局自殺しちゃったんだ。さびしい死に方だったよ。お葬式にもだれもこなかったみたいだ」
 パパはどうして、まだちいさな子供のぼくにそんなむごい話をするのだろう。パパもとてもつかれているのかもしれない。
「一千万円あったらな、と正直思っちゃうんだ、パパも。うん、うちの場合計算したら、おじいちゃんのセンベツ金は一千万円なんだよ。それだけ入ったら、太郎や恭子にもやっと反重力スカイコプタを買ってやれるし、ママにだって」
「いらないよ!」
 スカイコプタに乗らずにシューズで通学してるのはうちの学校でお姉ちゃんとぼくだけだ。でも、いらない。シューズで登校しつづけたってかまわない。スカイコプタより、おじいちゃんのほうが、ずっとずっとずっと大事だ。
「なぜ国が一千万も支給するのか調べてみたんだ。カンタンな計算だったよ。七十歳までに支払われる年金は一千万円で、それは三友商事時代におじいちゃんが積み立てた厚生年金の額より多くもなければ少なくもない。つまりそのお金はもともとおじいちゃんが国に預けていたものなんだ。だからここまではチャラだ。でも、おじいちゃんがもしも八十五歳まで生きたら、その後の十五年間で支払われる年金は国の持ち出しになり、その額はざっと二千万円になる。早く死んでもらえれば、センベツに一千万円払っても、別に一千万円が節約できることになる。そのくらいが公平だと国は計算したわけだ。だからうちの場合、支給金は一千万円なんだ」
 よくわからなかったけれど、おじいちゃんに値段がついてるみたいでイヤな気分だった。
「今月に入って、三度目の督促状がきただろう。そう、あの濃い青色のやつだ。どういうわけか督促のたびに封筒の青が濃くなるんだな。最初は明るい空色だったのに、今は重くるしい紫みたいな青になっちまった。あの封筒からは、うちだけじゃなくて、地区全域の家庭に配られてるんだ。うちのおじいちゃんが青紙に応じずに迷っているってことが近所じゅうに知れわたったってことさ」
 どうりで、と思った。隼人くんやルミ子ちゃんのおうちの人は、その手紙を読んでおじいちゃんのことを知ったのだろう。
「ごめんな太郎、へんなこと、いっぱい話しちゃって。つぎにいつ早く帰れるかわからないし、最近過労ぎみでいつ倒れるかもわからないんで、いっぱい話しちゃったよ。といっても大人の話だから、太郎にはちっともわからなかっただろう。わすれてしまってかまわない。でもいつか、太郎が大きくなって、パパに青紙が届くころ、なんとなく思い出すかもしれない。今は呪文を聞いたと思って、もうなにも考えないでいいよ。パパはな、おまえや恭子が元気に成長してくれていったらそれでいい。それがいちばん大事だ。ママもそう思ってる。おまえたちがパパたちの未来なんだ」
 そう言って笑うと、ぼくの頭をひとつなで、パパはお風呂からあがった。

5
 出立するかしないかは、七十歳の誕生日から七十一歳の誕生日まで一年間考える時間があった。たいていのお年寄りは、青紙の出立契約書にサインをして、七十一歳の誕生日をまたずに船にのるのだった。
 でもおじいちゃんは紫色の青紙にもサインをしないでがんばっていた。
 そんなある日のこと、その日はめずらしくママが早く帰れる日で、お姉ちゃんとぼくとおじいちゃんは、シューターからおいしい晩ごはんをとり出して、ママの帰りを今か今かと待っていた。
 チャイムが鳴って、玄関のエアロックがはずれた。
 ママだ、とぼくらは玄関に走った。
「キャー」
 お姉ちゃんが悲鳴をあげた。
 ママの顔はぐちゃぐちゃだった。青黒くはれあがり、血がにじんでいた。洋服もドロベタに汚れていて、シューズは片方だけしか残っていなかった。
「夕子さん、どうした?」
 おじいちゃんがママに歩みよった。
「うっかり墜落して」
 そんなふうなことをママはちいさな声でつぶやいた。もちろんウソだ!
 ママの背中には悪口の紙がはりつけられていた。
〈出立できない弱虫のムスメ!〉
〈金かえせ!〉
 それを読むと、おじいちゃんはゲンコをつくってブルブルとふるえた。そして奥の部屋に走りこんだ。
 ママのことはお姉ちゃんにまかせて、ぼくはおじいちゃんをおいかけた。
 奥の部屋でおじいちゃんは、地べたにはいつくばるようにして青紙にサインをしていた。

6
 おじいちゃんの出立の日が決まった。それは七十一歳の誕生日の二ヶ月くらい前の土曜日だった。
 その日が近づいてきても、だれもなにも言わなかった。お姉ちゃんはおじいちゃんの大スキなおかしを毎日シュートした。ママはときどきムリして会社を休んで、おじいちゃんと過ごした。ぼくもなるべくおじいちゃんといっしょに過ごそうと思うのだけど、出立の日のことを思うと、じょうずに笑うことができなくて、だからあまりおじいちゃんの部屋にいけなかった。
 ときどきおじいちゃんは、ひとりでじっと目をとじて、なにかにたえているようだった。
 パパがカレンダーをはずした。

7
 そうしてついに出立の日の朝はやってきた。
 パパもママも会社を休んだ。
 ぼくはブレザーを着せられた。蝶ネクタイは首がきつくてイヤだったけど、大事な日だからガマンしなさいと言われた。
 いい天気だった。窓から見える空は見たこともないほど濃い青で、白い雲が波のようにかかっていた。ぼくの心はどんぐもりなのに、外の世界は晴れてるだなんて、なんだかふしぎな気がした。
 みんなで朝ごはんを食べてから、スカイメトロで大聖堂に行くことになっていた。
 時計が八時をつげた。かれこれもう一時間もまっていたけれど、おじいちゃんはあらわれなかった。
「太郎」と小さな声でパパは言った。「おじいちゃんを見てきてくれないか」
 うん、と頭をタテにふって、ぼくはテーブルをたって、おじいちゃんの部屋に行った。
 ノックしながら呼びかけた。「おじいちゃあん?」
 返事がない。
「太郎だよ」
 やっぱり返事がない。
「あけるよ」
 おじいちゃんの部屋に入った。
 おじいちゃんは白い着物を着ていた。
 そして部屋のすみに体育座りでいた。うつむいて目をとじていた。
「朝ごはんにしようよ」
 ぼくの言葉におじいちゃんは首をふった。
「いやだ」とおじいちゃんは言った。
 みかん色のカーテンごしに太陽が少しだけさしこんでいるだけで、部屋の中はうす暗かった。
「いやだ」とまたおじいちゃんは言った。「死ぬのはいやだ!」
 せなかに気配を感じて、ふりかえるとパパがいた。

8
 時計はもう、正午をさしていた。
 ぼくらはまだうちにいて、おじいちゃんもまぜてテーブルを囲んでいた。テーブルの上でおかしが冷めていた。だれもなにも話さなかった。
 そのときだ。
 窓の外からアテンションコールがひびいた。
「山田正一郎様のお宅にアテンションコールです。こちらは、福祉省第一執行部執行課板垣祐介ほか二名です。本日正午より予定されておりました山田正一郎様の出立式典に出立者様をお迎えにあがりました。エアポーチをあけてください」
 見ると四人のりのスカイコプタが、うちの外でホバリングしている。
 お金に余裕のある人は反重力スカイコプタで、うちみたいにチュウリュウの人は反重力シューズで空を行き来していた。地上はスラム化していて危険だったから。
 「予定時刻を過ぎました。エアポーチをあけてください」
 スカイコプタのつくった大きな影がリビングに侵入していた。ビュンビュンと風を切る音が、ぼくたちをおどしてるみたいだった。
 ぼくらは立ちあがり、バカになったみたいにスカイコプタを見ていた。
「くりかえす。ただちにポーチをあけなさい。さもないと新法371条第2項出立者隠匿の罪に関する強制措置のガイドラインにしたがってポーチを破壊します!」
 パパが窓辺に走り、あわててスカイポーチのロックをはずした。
 ビュンビュンという音が突然やんだ。スカイコプタは反重力アンカーでぼくのうちの横に静止した。
 地上二十階のゲートから入ってきたのは、顔をみると首がいたくなるほど大きな、黒いスーツを着たふたり。それと銀ぶちゴグルをかけたひとりだった。こちらは真っ赤なスーツを着ていた。
「なんだよ、シケた部屋だな」シューズも脱がずにあがりこみ、黒スーツの片ほうが言った。
「しかたねーよ、第三所得層のチュウリュウなんだから。三十階だての廃墟の二十階だなんてハンパなところに巣ぅ作りやがって。ま、センベツでちったあジョウリュウの暮らしに近づけるだろうよ」と黒スーツのもうひとりがこたえた。
 人が少なくなったせいでむかしふうの高層マンションは空き家だらけになっていたから、チュウリュウのぼくらでも景色のよい階をえらんで住むことができた。パパはこんなふうにも言っていた。うちはコダカラがふたりだから、そのぶんとてもユウグウされていて、だからチュウリュウになれたんだって。
「ガキだのみのチュウリュウ庶民は悲しいねえ!」と黒服の人はまた言った。
「ムダグチをたたくな。出立者を収容して撤収するぞ」と赤スーツの人は黒スーツのふたりに向かってそう言い、そのあとパパに向かってこう言った。「山田哲郎さんですね。お父様をお連れに参りました。執行時間を過ぎてもお見えになりませんでしたので、多少手荒な連行となりますが、いえ、気になさらないでください、当日〈なんらかの理由で〉遅刻なさる方はたくさんいらっしゃいますから。でもご安心ください。どんなに遅れても」
 そこで赤スーツの人は言葉をくぎり、ゴグルの奥の冷たい目をおじいちゃんに向けて、それから続けた。「出立が執行できなかった例は一件もございませんから」
 黒スーツの片ほうが鼻歌を歌った。あの歌だった。

 おじーさん、ありがとおー♪フンフフン
 あなたをわすれないぃー♪フンフフン

「いやだ!」
 おじいちゃんは叫んだ。そしてかけ出し、自分の部屋に逃げこんだ。
 スーツの人たちはあとを追った。スーツの背中には日の丸が刺繍されていた。
「じじいめ、カギをかけやがった」
「どけ、蹴破る!」
 男たちは部屋に侵入した。
 ぼくも、パパやママ、お姉ちゃんといっしょに、おじいちゃんの部屋になだれこんだ。
「往生ぎわがわりぃなあ、正一郎さん」
「こうなりゃしかたねぇ。あれは何条だったっけ、まあいいや、とにかく新法の執行の特例の定めにしたがってだなあ」
 と黒スーツの人が言うと、赤スーツのおじさんが訂正をした。「だめだ岸田、正確にやれ、新法第396条一項にある執行の特例の定めにのっとって」
「おう!」と黒スーツの男は勢いよくこたえ、それからポケットから取り出したのは注射器だった。「強制執行に移らせていただきます!」
「時間もおしてまいりました」と赤スーツの人は静かに言った。「この場で簡易的にご出立いただきます。あ、対価のほうはお口座宛に一両日中に振り込ませていただきますので。さて、それでは」
 注射器を持った男がグッと一歩をふみ出す。
「いやだあ!」とおじいちゃんはまたさけぶ。
 注射器の男がおじいちゃんの左腕をつかむ。
 おじいちゃんの目に涙が浮かんでいる。
 ぼくは飛びついた!
 気がつくと注射器を持った腕にしがみついていた。
「なんだ、このガキは!」と言って黒スーツの人はぼくをふりはらおうとしたけれど、ぼくは両手両足でしっかりその腕にくらいついた。右手はヒトナミより小さかったけれど、ちゃんと力はでるのだった。
「やめろ!」とぼくはどなった。「おじいちゃんをつれついくな!」
 男のもう一方の手がぼくの頭をたたいた。いたかったけどぼくは平気だった。なんたってぼくは命がけだったんだから。
「隼人くんたちにいじめられたっていい。センベツのお金もいりません。おじいちゃんを殺さないでください。ぼくはおじいちゃんが大スキで、おじいちゃんもぼくが大スキなんです!」
 自分で言ったのに、なんだか悲しくて涙がでた。
 またぶたれた。
 いたくて泣いてるんじゃないぞ、なんでだかよくわからないけれど悲しくって泣いてるだけだぞ、だなんて心の中でだれにともなくぼくはいいわけをしていた。
 空気の流れを感じてチラリと上を見ると、注射器を持った人のもう片方の手がまた高く上がって、ぼくをねらいすましていた。ぼくは歯をくいしばり目をとじた。
 でも、かくごをした一発はふりおろされることはなかった。顔をあげると、そのふりあげられた手を、おじいちゃんの細い手がつかんでいた。見ると、おじいちゃんは真剣な目つきでスーツの人をまっすぐに見つめていた。そして言った。
「出立する」
 静かな部屋にひとことがリンとひびいた。
「おじいちゃん!」
とぼくが言うと、おじいちゃんはぼくを見て、とてもやさしく言った。
「ありがとうな、太郎。ほんとうにほんとうにありがとう。おじいちゃん、わかったんだ、おじいちゃんがなんのために生きるのか、なんのために死ぬのか」
 おじいちゃんの目はしずかで、そしてあたたかかった、少しさみしそうだったけど。
「太郎、おじいちゃんはな、なんのためだかよくわからないまままに、国の都合で殺されるのはイヤだったんだ。神様のきめたときがきてはじめて人は船にのるべきであって、お金や集団の暴力に屈して死をえらぶようなことがあってはならない、なんてそんなふうにも思ったんだ。でもな」
 部屋はますますふしぎな静けさに満ちていった。おじいちゃんの声はおだやかにしめっていたけれど、ちゃんとしっかりしていた。
「でも太郎、おじいちゃん、わかったよ。おまえやお姉ちゃんのことが、おじいちゃん、なによりも大切だったんだ。お姉ちゃんがおかしをいっぱいシュートしてくれるそのようすや、さっき太郎がこんなおじいちゃんのためにがんばってくれたのを見て、おじいちゃん思ったよ、こわがってちゃダメだって。未来のために、太郎たち若葉のために、それだったらいいんだ、太郎たちのためならいいんだ、おじいちゃん、理由を見つけたぞ、太郎のおかげだ、ありがとう、おじいちゃん、これでやっと、出立できるよ」
 クスンと音がした。そっと見上げると赤いスーツの人がちょっと泣きそうだった。ワルモノのくせに、とぼくはふしぎだった。
「恭子、来てくれないか」とおじいちゃんはお姉ちゃんを呼んだ。「おじいちゃんのほっぺにお別れのチュウをくれないか?」
 お姉ちゃんが近づいて、おじいちゃんの首をだくようにしてチュウをした。お姉ちゃんはボロボロ泣いていた。
「悪い死に方じゃねーじゃねえか」と黒スーツのひとりが言った。
「それでは」と赤スーツの人が言った。「出立をお願いいたします」
 注射器を持つ腕に力がはいった。
 おじいちゃんの目がぼくを見ている。とてもやさしく見ている。
「太郎」と小さな声で少し緊張したようにおじいちゃんは言った。「手をにぎっていてくれないか」
 哀しみに全身が燃え上がるように熱くなるのを感じながら、ぼくは左手をだした。
「できたらそっちじゃなくて」とおじいちゃんは言った。「コセイテキなほうの手で握手してくれ」
 ぼくは、しなびたニンジンみたいな右手でおじいちゃんの右手をしっかりとにぎった。
「太郎」
 声がふるえていた。手もふるえていた。
 だめだ。とぼくは思った。イヤだ。イヤだイヤだイヤだ!
「いやだよう!!!」
と注射器の人の耳元で大声でどなった。
「おじいちゃん、やっぱりちがうよ、まちがってるよ!」とぼくは、つづけておじいちゃんに向かってさけんだ。「ぼくらは、未来なんかじゃないよ。ぼくらはぼくらだよ。ぼくはぼくなんだから、だれの未来でもないよ!」
 するとおじいちゃんは、はっとしたようにぼくを見つめ直した。
「そうだよ、よく見てよ。ぼくを見てよ。ぼくの顔を見て。ぼくの手を見て。そうだよ、ぼくはぼくなんだよ、だれかの未来なんかじゃない。日本のために生きてるんでも、みんなのために生きてるんでもない。ぼくはぼくのためにぼくを生きてるんだ。だからわがままを言わせてよ、大事なおじいちゃんをぼくはぜったいになくしたくない。こんなへんなきまりなんかで、おじいちゃんをうばわれてたま、」
 言い終わらないうちに、ドカッと音がして、注射器を持ったおじさんが転がった。だれかに蹴り飛ばされたのだった。
 びっくりして顔をあげると、それはパパだった。
「太郎、わかったよ」とパパは言った。「太郎たちは、そうだよ、パパたちの未来なんかじゃなかったな、太郎たちは太郎たちだ。太郎たちの好きなように生きて、好きなように死ねばいい!」
 半分起き上がった注射器の人を、パパはまた蹴り上げた。今度のキックは強力で、相手はのびてしまったようだ。
 パパを見上げた。パパは黒いスーツの人と同じくらい大きい。昼間は会社でエイギョウの仕事をしているけれど、夜は山で玄武岩の切り出しを何十年も続けてきたんだ。何十年もがんばって働いてきたパパの手は岩よりも固いんだ!
「行きましょう、とうさん!」パパはおじいちゃんの手をとった。
 突進してくるもうひとりの顔に右のゲンコをたたきこむと、「恭子!」と叫んだ。「太郎とママを連れて外のスカイコプタにのりなさい!」
 うばった注射器を赤スーツの人の首によせながらすばやくパパは言った。「コプタのキーをよこせ」
 映画みたいでカッコよかった。パパがこんなに強いだなんてちっとも知らなかった!
 すべてがグルリとめまぐるしくかわったみたいだった。でもホントはこれがホントにホントウなんだとぼくにはわかった。
 ぼくら五人はスカイコプタに乗りこんだ。
「これ、五人のれるの?」とお姉ちゃんが言うと、笑ってパパがこたえた。
「車検証プラス一名くらい、むかしも今も、なんてこたないさ!」
 目の前に、明るい夏空がひろがっていた。心の空をおおっていた黒雲も、もうすっかりなくなっていた。太陽が顔をだしたんだ!
「さあて、それでは山田家五名は」とパパは明るく言った。「がんじがらめの日本から、出立いたします!」
 スカイコプタは飛んだ。ぼくらは矢のように空を突きぬけていった。
「どこに行くのかしら?」まるで家族旅行にでかけるときみたいにワクワクとした声でママが言った。
「ぼくらが」とパパはこたえた。「ぼくらを生きることのできる場所へ!」


エピローグ

 ぼくらがぼくらを生きることのできる場所へ、とあのときパパは言ったのだけど、それはつぎのこととまったくおなじことを意味していた。
 ぼくらがぼくらを死ぬことのできる場所へ。

 結局あのあと、わずかな日数ののち、おじいちゃんは死んでしまった。

 ぼくらが不時着したのはヒダ高山の山地だった。スカイコプタの中にある遭難用ツールを使って、ぼくらは火をおこし、ケモノをつかまえ、スミカを年々改築、タテマシして、自然の中を、文明の外を生きた。

 不時着してわずか三日目におじいちゃんは感染症を発症して、まもなく帰らぬ人になったのだが、たき火の横で家族みんなに見まもられながら息をひきとるとき、うれしそうにこうつぶやいた。「よい死だ」

 昨日、ぼくは山犬を食った。石に刻んだ目盛りによれば、ぼくはもうすぐハタチになる。十二年間ほどを森で生きてきたわけだ。最初は家族そろって、そして今はひとりぼっちで森を生きている。

 パパは、ぼくが十五歳の秋に死んだ。山犬にママがおそわれたとき、パパは山犬と戦ったのだ。がんじょうなゲンコでパパは犬の片方の牙をくだいた。そのカケラは今、ぼくの胸にぶらさがっている。犬にもかなりのダメージを与えたのだけれど、モロに受けた正面からの牙はさすがに強烈だったようだ。パパは戦いながら、食われて、パパの死を死んだ。
 あの日ママが危険ゾーンに分け入ったのは、薬草をつむためだった。そのときお姉ちゃんは、ヘビの毒にやられて苦しんでいたのだった。
 パパが食われてから、ママも食われたけれど、でも犬は薬草は食べなかった。おかげでお姉ちゃんは生きた。

 お姉ちゃんが山を出たのは、ぼくが十八歳になった夏だった。夏らしい雲がもくもくとわき立ったその日、お姉ちゃんは山をおりるのだと言った。いっしょにおりようと言われて、ぼくはことわった。お姉ちゃんにはお姉ちゃんの生き方と、そして死に方があるのだから、ひきとめる理由はなにもなかった。ぼくとしても、あのときすでに自分の生き方と死に方を定めていたように思うので、山をおりるだなんてもちろん考えられなかった。
 お姉ちゃんは山をおりた。手紙がとどくわけもなく、だからその後のことは知らない。どっかでお姉ちゃんらしくやっているのだろう。ひょっとしたら赤ちゃんなんてつくっているかもしれない。お姉ちゃんらしく生きて、そして死んでくれればそれでいい。

 ひとりぼっちになったら、思った以上にさびしかった。自然はすっかりなじみのなかまになっていたし、鳥の声も、樹木をふきぬける風の音も、月あかりに照らされた夜の雲も、朝つゆにつつまれた小さな丸い景色も、そう、あらゆるそこにあるものが、いつだってぼくをなぐさめてくれたけど、それではなにかがたりないようにも思えた。

 なので、これを書いている。漢字やコトバは、森にきてからもパパやお姉ちゃんから習ったけれど、ちゃんと学校を出たひとなんかとくらべられるとちょっとツラいな。
 出立をめぐるあの事件がおきたころを物語にして書いてみたら、なんとか自分の今を整理することができたような気がする。物語の中には、なつかしいパパやママ、お姉ちゃん、そして大スキだったおじいちゃんが登場してくれるから、とてもなぐさめられたし、犬を待つ日々のちょうどよいヒマつぶしにもなった。
 でも、スカイコプタの中にあった原始的なノートブック(サバイバル用品として、使い方を学校で教わっていてよかった)の紙の残りがあんまりないんで、ここらで終えようと思っていたら、ほんとにうまいこと昨日、山犬があらわれやがった。

 このノートを今読みかえしてぼくは思った。これはデジタル文書とはまたちがって、原始的な形でしっかりそのまま物質なわけだから、ぼくが死んだあとずっと未来まで残るかもしれない。そしたらだれかに読んでもらえるかな。日本という国でかつて行われていた集団的管理、人が人を生きられず、人が人を死ぬことのできなかった時代のそのありさまを。
 狂犬病の毒がまわってきたのだろう、おかしなモウソウなんかも考えてひとりでクツクツと笑ってしまうな。ええと、なにを考えたかってえと、あれだよ、なんだっけ、未来、ああダメだ、アタマがまわらない、くさった傷口のイタみすら遠くにいっちまってる、もう字を書いてるんだかなんだか、未来! そうだ、タイムマシン、タイムマシンなんかできてさ、このノートがむかしにいったらいいな、そしたらさ、まだぼくがにねんせいでさ、おじいちゃんもげんきでさ、おねーちゃんのおかしがあってさ、そんで、パパもママも、あ、いまぼくのおなかのなかにかえってきたんだよ、いぬをやっつけてくってやるってのが、ちんけなぼくのいきかたとしにかただっておもったんだけどね、いやほんとにまんぞくさ、いぬちくしょうもぶっころしたし、それに、こんなふうにみんなのはなしもかきおわりそうだし、そうだ、これがね、タイムマシンであのころよりまえにはこばれて、よのなかがかわったりしてたら、ぼくらはきっとしゃーわせだったんだろな、ああ、ええと、なんだっけ、
うん、さあ、そろそろ出立のときだ、まぶしいな、太陽がむかえにきてくれたよ、ねえお日様、ぼくはね、はなしたいこと、きいてほしいことが、ほんとはいっぱいいっぱいあったんだ、あのね、お日様、


 以上がノートブックに記されていたことだ。

『prologue again』

 執務室のドアがノックされたので、ノートを抽き出しにしまい、気持ちを引き締め直してから「どうぞ」と応じた。
「失礼いたします」と告げて秘書官が入ってきた。「お約束のインタビュアーの方がお見えになりました」
 秘書官のあとから入室したのは、若く背の高い金髪の女性だった。アングロサクソンに、いくらか南方系の血が混じっているようで、意志の強そうな顎が印象的だった。
「お忙しい中お時間を頂戴いたしましてありがとうございます」とブロンドのインタビュアーは頭を下げた。
「こんな時間にあなたのほうこそ、いや、なんとお呼びしたらよろしいでしょうか、はい、ミス・リーでよろしいと、わかりました、ご苦労さまです、ありがとう」と私も笑って頭を下げた。
 ミス・リーは屈託のない笑みを浮かべた。よいインタビューとなりそうだった。
「日の出までの時間でよろしくお願いいたします」と告げて秘書官は下がった。治安のすこぶるよい昨今では、インタビュアーとふたりきりになることを危険視する者もいない。
「それでは、総理へのインタビューをはじめさせていただきます」とインタビュアー・リーは告げた。
「『出立の日』制度を撤廃し『新・出立の日』制度を樹立された年を、総理の革命元年と見る向きがございますが」
 出立の日か、と思いながら私は頷いた。どのインタビューにおいても必ず聞かれることで、答えもすでに洗練されたかたちで完成に近づいていた。
「今世紀初頭の十年においてすでに、新制度の雛型とも呼ぶべきものの胎動がありました」と私は応えた。「例えばアジア地域への高齢者の移住、当時は、ええ確かロングステイでしたか、そう、永住に限りなく近いニュアンスでロングステイなどと呼ばれていたようですね、日本の定年退職者が、当時の世界地図でいうところの東南アジアの、ええ、正確な国名はあとで秘書官に確認していただきたいのですが、タイですとかマレーシアですとか、そんな国々に移住することがブームとなっている時代がありました。東南アジア各国にとってはジャパンマネーの流入というメリットがあり、日本の定年退職者にとっては、物価の安い地域で限られた年金を有効に活かして生活できるというメリットがあったわけです」
 いつものように私は話した。
「アジア全域を互助的に結びつけることが『新・出立の日』制度の原点であったということですね?」
「そのとおりです」
「アジア地域における、いわば家族的な思いやりを発展させて制度化なさった、その功績により総理は、若くしてミスター・エイジアと讃えられる指導者になられたと?」
「お恥ずかしい限りです」
 インタビューは快調に進んだ。
「『出立の日』制度の廃止はまさに革命でした。その勇気と信念はどこから得られたのでしょうか?」
 質問がそこに至ったのは初めてのことだった。
「一冊のノートからです」と率直に答えた。
「ノート、とは何でしょうか?」ミス・リーは速記シグナルを激しく瞬かせながら確認した。
「ノートブックです。ご存じありませんか?」
「すみません」と彼女は少し赤くなって応えた。「勉強不足で申し訳ありません」
「いえいえ、当然でしょう、骨董を趣味とするご老人ならまだしも、あなたのように若く聡明な方が興味を惹かれるような代物では、たぶんございませんから」
 言いながら私は机の抽き出しを開き、さきほどしまったばかりのノートを取り出した。
「こんなものです」とノートをかざして言った。「ご覧になりますか?」
 ミス・リーは緊張した面もちでノートを受け取り、慎重にペーパーをスライドアップした。
 はたして、私が初めてノートを見たときと同じ反応を示した。大きく目を見開いて、彼女は苦しそうに喘いだ。「これはなんですか、この不均一で荒々しい汚れのような文字は?」
「それが肉筆というものです」と私は応えた。「手書きという、ハンドメイドのワンオフな記録です。再現性は極めて低くオリジナリティは各段に高い。えんぴつという原始的なツールにより表現されています」
 ミス・リーは胸を押さえ、呼吸を整えているようだった。無理もない。肉筆の放つエネルギーは並大抵のものではない。ことに叫びや、怒りや、願いや、それらの言葉はただでさえ言霊を帯びやすいのに、それが人間の生々しい手によってじかに書き付けられたとあっては、その残留思念値もカウンターの針を軽く振り切るほどに高いはずだ。
「これは何を訴えているのです?」
「読めばわかります。多少古くさくはありますが、簡単な日本語で書かれていますから。よろしければコピーをさしあげましょう」
「よろしいのですか!」
「おじさんも、きっと多くの人に読まれることを希望していたでしょうから」
「おじさん、とおっしゃいましたか?」
「アンクル太郎、私の母の弟です。かつて森で死にました」
 インタビュアーは黙った。私の言ったことがうまく理解できなかったのだろう。まあいい。そのためにノートがある。そのために物語がある。
「ご覧なさい」と私は言った。
 私の正面、すなわちインタビュアーの背後にある窓の向こうで夜が、熱を持ったかのように明るく色づきはじめていた。
 私の視線を追って、ミス・リーは後ろを振り向いた。
「ああ、日がのぼる」と彼女は独り言のようにつぶやいた。
 夜明けだ。
「これをご覧いただきたかったのです」と私は言った。
 怪訝そうに彼女は私を見た。
「私は毎朝、語り合ってきました、太陽とです。おかしいでしょうか、でも本当なんです。ノートに記された物語をお読みになっていただければ、私の気持ちをよりわかっていただけるかもしれません」
 執務机を離れ、ミス・リーの横まで歩き、並んで東の空を見た。
「夜になれば太陽はしずみます、しかし朝になればまたのぼります。歴史はときに闇におおわれる。多くの血が流れ、多くの翼が汚される。しかし、その時代を生きた魂の物語は決して無にはなりません。魂の生き様と死に様は、後の世まで伝わり、かならずその礎となるのです。真摯な物語でさえあれば、どんなエピローグもきっとプロローグにつながる、とそういうことです」
「詩人でいらっしゃいますね?」と言ってミス・リーはナチュラルに笑った。
「恐れ入ります」
 世界は、刻一刻と明るく染まりはじめた。我々は並んで朝日のドラマを見守った。
「真剣に生きて真剣に死んだ者の魂は太陽に迎えられるのだと、そうですね、これはいわば私の個人的な信仰です、祈りであり願いです。私は毎日太陽に問いかけました。太陽は毎日私に多くを語ってくれました。太陽に語りかけ、太陽の言葉に耳を傾けること、私がしたことはそれだけです。革命の知恵と勇気をすべて私は、太陽から学びました」
 この街にまた朝が来た。太古と変わらぬ朝が来た。
 はるけく有史以前の原初から太陽はあり、太陽系の存続する限りはるかにずっと太陽はある。数多の歴史を人の生死を、見守り続けて太陽はある。貫いてある。
 横を見るとインタビュアーは、朝日を浴びてより新しく、より切実に生まれ変わっていた。
「とても素晴らしい体験でしたわ、ミスター・エイジア」とインタビュアーの立場を脱いで彼女は言った。
「ウェルカムです」と応えて手を差し伸べた。
 彼女は私の手を握り、そしてこうねぎらってくれた。「早朝からの取材にご協力いただきまして、ありがとうございました、本日の執務に影響がなければよいのですが?」
「大丈夫だよ」と私もこの際、執務の鎧を脱いでリラックスして応じた。「今日の日中は、もともとオフにしてあったんだ。大事な用事があったからね」
「大事な用事、ですか?」
 ミス・リーは片方の眉を上げて悪戯っぽく尋ねた。
「そう」と私は応えた。「息子の運動会なんだ」
 彼女の顔がぱっと明るく輝いた。
「太陽として見守らなくてはならない」と付け足すと、彼女は力強く頷いてくれた。
「パパとぼくの晴れ舞台の日ね?」
「そう、いざ出立の日さ!」
 晴れた空が、はるけくかなたまで広がっていた。


出立の日 prologue again

出立の日 prologue again

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-24

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

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