たった七日間の逃避行 3
逃げるぜぇ、超逃げるぜえ。 でも、逮捕は確定なんだぜぇ。
一応、レーティングを変更しときます。
目が覚めると、世界は赤と黒に染まっていた。
ここは地獄か?
早速、罪を償わせるために落とされたか。
いや、そうじゃない。
その中に、彼女がいる。
地獄なら、彼女がいるはずない。
「絵馬」と呼ぶ。
「トウカさん」と返る。
僕は彼女の手を引き、外へ出た。
彼女以外の何も見ず何も考えず駅へ向かった。
遠くへ、とにかく遠くへ。
誰にも見つからない所へ逃げよう。
そこで、新たな暮らしを始めるんだ、二人で。
僕と彼女の逃避行が始まった。
「で、君は彼女を連れて逃走したと?」
机と椅子しかない四角い部屋に、男が二人。
若い刑事風の男が問い、もう一人の男が頷く。
「そうか……で、凶器はどこへ」
「……あの部屋にあります」
「あの部屋とは、茂是の部屋か?」
「……何度も言ってます」
刑事風の男は、ニタリと笑う。
「おかしいねえ、あの部屋には凶器らしきものは“無かった”んだよ」
「……えっ」
「君は凶器を持たずに逃走、その後凶器は部屋から消えた……こんな完全犯罪が成立しちゃ、オジサン達お手上げだね」
「もう一度調べて下さい、バールがあるはずです!」
「困ったなあ、隅々まで調べてそんなの無かったんだよ」
「誰かが、誰かが持ち去った、そうに決まってる!」
「見ず知らずの誰かが凶器を持ち去るなんて、そいつは良い趣味してる」
少し間を空け、刑事風の男は口を開いた。
「何度も言うけど、君は騙されてるんだよ」
「……おなかが空きました」
「さっき食べただろ、我慢」
「……わかりました」
彼女の手を引き、荒れた道を行く。
あの後、遠くの港町へ辿り着いた。
地名は、わからない。
駅の看板も汚れや傷で読めなくなっている。
コの字型の山に囲まれており、コの字の空いている部分は海になっている。
交通手段はたった一本の電車のみみたいだ。
……まるで陸の孤島。
世界から閉ざされた、閉鎖空間。
逃げるには都合の良い町だ。
ここで仕事を見つけ、暮らしていこう。
僕はそうしたい、それを望んでいる。
何をすべきかなんて、わかっている。
罪のない彼女を巻き込まず、自ら自首するのが最善だ。
だが、僕はそうしたくない、それを望まない。
これが僕の意志であり、行動理由である。
彼女の手を引き、荒れた道を行く。
「おい新巻、生きてるか?」
刑事風の男が、机に突っ伏した男の後頭部をペンで突く。
「残念ですけど生きてますー」
「全く、これくらいの仕事でこんなになるなんて、若者は」
「髪が白いだけで、桐生さんの方が若者じゃないですかー」
「魂は年齢食ってるんだよ」
「そういうもんなんですかねー?」
「そうだ、理解出来た所で仕事だ、行くぞ」
刑事風の男は、もう一人の男を担いで部屋から出た。
もう止めた煙草の臭いが染みついた車内。
白髪をした刑事風の男、桐生俊哉は昔を思い出していた。
昔と言っても数年前だが、彼にとってはそうではない。
「どうしました桐生さん?」
「いや、ちょっと昔を思い出してね」
「昔話ですか、聞かせて下さいよー」
「いや、そんなんじゃない。 ただ、高梨という名前には妙に縁があってね」
「もしかして前世の因縁とかあったりしてー」
「お前やっぱり子供っぽいよな」
縁がある。
それだけではないが、この事件は自分の手で解決したい。
あいつとは無関係かもしれないが、関係あるかもしれない。
まだどこかで生きている……かもしれないあいつの手がかりになる、かもしれない。
発見次第、器物破損公務執行妨害その他諸々の罪で即逮捕だが。
……そしたら、またあいつに会えるかもしれないから、な。
「じゃあ、新巻は二人の捜索を頼む」
桐生は車から降り、新人を見送る。
あいつ、窓から手を降りやがった。
若いというよりは、まるで子供だ。
自販機でコーラを買い、ベンチに座ってキャップを捻る。
たまにはこういうのもいいだろう。
……さ、仕事へ戻ろう。
隣に置いたもう一本のコーラを回収して、止めたはずの煙草をくわえる。
火は付けない。 気分だけだ。
僕は、堤防に座り海を眺めていた。
もし、海の底に家を作り、そこで二人で暮らせればと考えていた。
息は出来なくても、きっと魚や貝が美味い。
だけど、僕は彼女を生かさなければならない。
僕より先に死なせてはならない。
必ず、やり遂げてみせる。
「海、綺麗だねー」
突然、見知らぬ男が声をかけた。
この辺境には似合わないスーツを着ている。
「僕は新巻って言うんだ、君はー?」
「……こんな所まで何をしに?」
「上司の命令で高梨トウカって人を探しに来たんだよー、こんな場所にいるはずないのにー」
「えっと……探偵さんですか?」
「違うよ、プロの警察だよー」
ああ、もう来たのか。
やっぱり、嘘はいつかばれてしまう。
また場所を変えなければならない。
僕達の居場所を、誰にも知られてはならない。
「で、その人知らないー? 第一村人さんー」
「あ、はい、知りません」
嘘はいつかばれてしまう。
だが、嘘は一つしか吐けないわけではない。
「そういえば、その人をあの電車を終点まで行った場所で見た気がします」
「本当、ですか?」
急に警察の男の雰囲気が変わった。
空気が張り詰める。
「あ、一応写真撮らせてね」
男はスーマートフォンの背部をこちらへ向ける。
無音でシャッターが切れる。
顔を、撮られてしまった。
「じゃあ、また会う時があったら……その時はよろしくねー」
「は、はい、さようなら」
また会うときは、手錠を手にしているだろうな。
暗い部屋、カビのにおいが漂っている。
その部屋で二人が寝ている。
その部屋で彼女のにおいを探すも、カビのにおいに上書きされる。
辿り着いた先には、彼女の柔らかな肌があった。
うっすらと、壁の穴から光が射している。
もう、朝か。
横たわった裸体を布団から出し、服を着る。
着たシャツの襟が赤く濡れている。
あの時に切ったのか、軽い切り傷があった。
ここから出よう。
そう決めた。
これは、僕の自己決定だ。
彼女の意志は伴わない。
……そう決めたのに。
床に突き刺した刃渡り数センチの折れた包丁。
折れていても、ぼろい床には落しただけで容易く突き刺さってしまっている。
暗い部屋の中、僕は彼女を呼び出した。
「もう、逃げられないかもしれない」
「知ってる」
「だから、もうここで終わらせようか、と思う」
「それで?」
僕は、折れた包丁を僕の喉に当てる。
「そうするの?」
「そうしか、無いじゃないか」
「そう」
「犯人は僕だ、絵馬は一人で戻ってくれ」
「……わかった」
腕に力を入れた時、不意に体が揺れる。
絵馬が、僕に抱き着いている。
彼女の頭が、僕の胸元に顔を埋めている。
「私は、そうは望んでない」
「私と生きて。 そう望んでる」
何で、黙って帰れば元の生活に戻れるのに、何で。
「あなたがここで命を捨てたなら、私が拾う」
「だから、私と生きて?」
彼女は、僕の顔を見上げる。
強く握ってた筈の包丁を落としてしまう。
落した包丁が、彼女の顔の皮を裂く。
だが、彼女の顔は変わらない。
ああ、そうだった。
あの時誓ったじゃないか。
もう、彼女にこんな顔させないと。
たった七日間の逃避行 3
まだ続くよ!