私的恋愛論争

私的恋愛論争

きっかけは〇〇

 紫陽花の葉を、雨粒が愛でる。愛でられた葉が、今度は身を揺すって雨粒を振り払う。雨粒は葉を滑り落ち、無機質なアスファルトへと飛び込んでいった。雨粒一つ一つがアスファルトを叩くと、辺りにはカーテンコールにも似た響きが広がる。
 今の私の状況に対して世界がカーテンコールを送っているのだとしたら、そんな世界には唾を吐いて決別しなくてはならない。いや、この際唾を吐きかける相手は自分自身なのかもしれない。
 私は路傍(ろぼう)仰臥(ぎょうが)し、遥か上空から降り注ぐカーテンコールを聴いていた。
 これが他人の所行であれば、私はすぐさま目を逸らし、なんだあの変態野郎はなどと言い捨て、侮蔑(ぶべつ)の表情さえ浮かべることだろう。はたまた昨今ブームとなっているSNSサイトなどに投稿し、変な男がいたという無意義な情報をあまつさえ写メール付きで発信していたかもしれない。
 私がまさに現在進行形で行っているのは、それほどの変態的な所業である。当事者たる私は、当然目を背けるわけにはいかない。
 なにゆえ私はこのような非常識極まりない状況に陥ってしまったのか。一つ率先して言えることは、この行為が決して私の趣味だとか道楽という類のものではないということだ。これ一つ取って私を変態と決めつけるのは早計である。私は変態ではない、とそう思う。完全に否定できないのは、日頃の自分を顧みるにつけて思い当たる節が無いわけでもないからだ。
 ひとまず変態如何(いかん)の話は棚に上げ、今回の事件の顛末(てんまつ)について回顧してみよう。物事の解決する手段において、事の発端や原因を探ることは上等策の一つである。私は落ち着いていれば、元来できる子なのである。

 ―*―

 今朝、家を出た時の私の頭上には、日差しを遮るような雲など一切なく、傘を携行しようなどという考えは微塵(みじん)もなかった。思えばこれがそもそもの過ちであり、阿呆な私はルンルン気分で快晴の街を歩きだした。
 この一日については割愛(かつあい)するが、私はとある場所を訪れた。その場所は道が複雑で、私は事前に用意した地図を片手に、散々迷いながらもようやく辿り着いたのだった。そして、その場所からの帰り道、一粒の水滴が私の頬を濡らした。私は映画やドラマなどを観て感動しても、あまり涙を流すようなタイプではなく、そもそも涙が流れる理由も目的もないので、これは雨だと分かった。
 嫌な予感が頭をかすめ、見上げた空は案の定鼠色の雲に覆われていた。この時、すぐ近くにコンビニエンスストアがあったが、私はビニール傘を買う金をケチり、全力で走り始めた。これがいけなかった。
 始めは尿道の錆びついた小便小僧のように情けない水量だった雨も、あれよあれよという間に立派な豪雨に変わっていた。やがて雷までもが鳴り始め、私は鞄で頭を庇いつつ、胸中では雷様に謝罪しながら、顔面は何だかもの凄い形相で雨の街を走り抜けた。
 ここで私は不思議な体験をした。雨に濡れて体が冷えたからか、もしくはアドレナリンが過剰に分泌されたからかは知らないが、だんだんと走り回るのが心地よくなってきたのである。まるで天使の背中を追いかけながら走っているかのような愉悦さえも覚え、心は何やら穏やかだ。表情も活き活きとして、朗らかな笑顔で足取りも軽い。
 そうやって無邪気に走り続けた私は、当然の帰結として道に迷った。
 元来が迷いやすい道中だったのだ。地図も何も見ず、加えて持ち前の絶望的な方向感覚も遺憾なく発揮した挙句、まして得体のしれない高揚感に(さいな)まれていた私は、見知らぬ街の路傍に一人立ち尽くす破目になった。
 天使と小悪魔の分別も付かず、浮わっついた幻想に現を抜かして身を滅ぼした古人は数多くいよう。そういった先人の教えというのは、大概失敗した後に思い出すものである。当方そんなことなど考える余裕もなく、目下後悔している次第である。
 気が付けば私は全身びしょ濡れ、靴も下着も自尊心もずぶ濡れだ。思わず落涙しかけたことは言うに及ばない。いっそ泣いたところで、涙は雨に紛れるだろう。そうしないのはきっと、なけなしの自尊心を守るためである。

 ―*―

 それにしてもなんとひどい状況だ。雨は一層激しさを増し、視界の全てを灰色に染めている。もし神様という人がいるなら、私は神様を相手取って民事訴訟を起こさなければならない。私のような真面目で実直な青年に対して、(いささ)か度を越えた試練を与える様は、悪趣味もしくは鬼畜の所業である。必ずや賠償金、あるいは手っ取り早く福音を形にして払っていただく必要がある。
 今朝もっと早く起きていれば少しは結果が違っていたかもしれない。もっと時間にゆとりがあったなら、寝癖を直したり、朝食を食べたり、あるいは軽快な音楽とともに伝えられる天気予報を聞いて「今日は雨かあ」などと独り言をほざいた上で傘を携行することを選択した結果としては雨に濡れるのを未然に防ぐばかりか道に迷うことさえなかっただろう。
 憎らしい空を見上げてみれば、激しい雨が私の顔を引っ叩いた。雨の神様、私のことがお嫌いか。
 問いかけに対する答えはなく、代わりに雨のビートが胸を刺すばかりである。
 これからどうしたものか。傍らに黒髪の美しい乙女が居て、一つの傘を共有しつつ歩くのであれば、この雨は一転して憎い演出たり得るだろう。しかし、傘も乙女もなく、独り雨に打たれるこの身の哀れなことよ。
 こういう時ほど、思考を放擲(ほうてき)して他人に助言を乞いたいものであるが、無情にも周囲には猫の子一匹いない。止むを得ず、私は自ら頭を働かせた。
 私の頭の中には、ノーベル科学賞を受賞し得るだけの才覚を秘めた大脳が納まっていると(ちまた)で噂されている。しかし、困ったことにそれを取り出す方法が分からない。ただ、それだけの頭脳が備え付けられているのだから、かかる状況下においても素晴らしい情報処理能力と解決能力が発揮されることが十分に期待できた。
 そんな私の大脳が限界を迎えるまでに、そう時間はかからなかった。恐らく誤作動が起きたのだろう。そう解釈すれば、次のような動作に至った言い訳が少しくらいできるかもしれない。
 何を血迷ったのか、私は濡れた路面に尻を着けた。にわかに水がはじける音がして、尻に冷たい感触が訪れる。既にずぶ濡れ状態だった下着だが、直接水を吸い込んだことで、より一層の冷たさを私の尻に感じさせた。
 この時、働き尽くしだった大脳がついに自我を放擲した。何処かから内なる私が現れて、「もうどうにでもなれ」と声高に叫んだ。
 吹っ切れた私は、アスファルトに背中を託した。全身で大の字を描いてみれば、雨を浴びる面積は最大となり、雨による圧力もなかなかのものになる。
 目いっぱいに頭を働かせて考えた最後の手段としては、あまりにも情けないものだ。天地開闢(かいびゃく)以来最低、人類の栄誉における面汚し、二酸化炭素を排出する廃棄物、あるいは二足歩行する有害物質といっても過言ではない。
 心が清らかな若者は、非情な現実に直面した際に思わず目を背けてしまいがちである。時には現実から逃避してしまいたくなることもあるだろう。
 今の私はまさしくそういう状況である。異論は認めない。
 私の目は、雨の侵入を防ぐべく固く閉じられている。雨が目に入るのは心地の良いものではないので、これは当然のことである。
 しかし、少しだけ力を抜いてみた。無意識に握られていた拳の力も抜き、全身から力という力をことごとく抜いた。今ならチワワにだって力負けするだろう。
 すぐさま雨が目や口の端から侵入を試みるが、しばらくすればそれすらも気にならなくなった。数刻もすると、身に降り注ぐ雨が心地の良いものに感じられてきた。もう何がなんだか分からない。頭に続き、体までもがおかしくなり始めたら人間お終いである。
 そう思う一方で私の身体は涅槃(ねはん)に旅立ったような心地を得、気分は(すこぶ)る良好である。自分が雨の下に晒されているとは到底思えない。誤作動を起こした脳が、身体に未知なる成分を送っているのではないだろうか。
 気が付くと、顔に当たっているはずの雨の感覚が無くなっている。いよいよ天に召される頃かもしれない。19年と余日、思えば短い人生であった。苦難の多き人生であったが、これから薔薇色に輝くはずだった。これは死んだあとで化けて出なければ損をする。誰を祟ればいいのか分からないが、とりあえず成仏はできない。この人通りの少ない寂れた路地も、お化けの出る恐怖の路地として一躍人気となることだろう。
 しかし、ここで一つの疑念が生まれた。顔に当たる雨の感覚は無いが、身体に当たる雨の感覚は依然として残っている。顔だけに感覚が無いのだ。
 これはどうにもおかしいので、私はうっすらと目を開けた。

 ―*―

 それは、さながら無機質なアスファルトの上に咲く花のようだった。私の顔の上で、鮮やかな赤色の傘が開いていたのだ。この傘が、私の顔を降り注ぐ雨から守っていたのである。
「生きてた」
 傘の持ち主の細い声が、私の鼓膜を揺らした。夏の終わり、しまい忘れた風鈴がそよ風に揺れ、遠慮がちに一度だけ鳴いたような、涼やかな声だった。
 どうやら私は死んでいたのだと思われていたらしい。なんとも失敬である。こんな私でも一生懸命生きているのだ。こんな寂しい路傍で野垂れ死んでたまるものか。
 そう思う一方で、彼女の言動に激しく賛同した。こんな雨の日に路傍に倒れ伏しているのは、大方死体か変態かのどちらかである。正解は後者であるが、私の素性を知らない人なら車に轢かれた死体を思い浮かべるだろう。
 右手で目を擦れば、ぼやけていた視界が次第に光を取り戻す。光を得た私の目には、鮮やかな色彩とともに見るべきでないものまで映り込んできた。視界などずっとぼやけたままの方が良かったのだ。いっそ失明してしまえばいい。然る後には階段から転げて死ねばいい。
「あの……パンツが」
 白だった。いや、そんなことはこの際どうでもいい。彼女はスカートを着用しており、決して短くはないものの、彼女との位置関係上、私の目からはそれが容易に見えてしまったのだ。思ったことを嘘偽りなく素直に告げるのは、純朴たる私の数少ない長所であるが、今はタイミングが悪かった。取り乱した彼女が「この腐れ外道野郎」と言って私の顔を踏みつければ、今度こそ私の生涯が閉幕する。
 私が死を覚悟し、今生の別れを考えていた時、彼女は叫び声一つ上げず、さながら柳が風に流れるように後退した。心なしか雨の音が少し大きく聞かれた。遠くの空には晴れ間が垣間見えた。
 これは私が類まれに見る超絶的な美男子だからであろうか。あるいは彼女がこういった破廉恥(はれんち)な行為に対し、あまり頓着(とんちゃく)しない性格なのだろうか。
 恐らく前者はなかろう。もし彼女が物事の判断においてルックスを重視するようなら、今頃私の顔面は原型を留めていないことだろう。
 然らば後者か。私は自前の慧眼を以ってして、彼女の姿を紳士的に一瞥した。頬の艶、髪の質感、その他多面的な初々しさを見るにつけ、私と同年代、あるいは年下と見受けられる。
 そんな年頃の女性が、得体の知れない男に自らの下着を括目されたにも関わらず、何らリアクションを起こさないというのはどういうことか。女性として然るべき対応を取らなくてもよいのだろうか。
 彼女はあくまでも落ち着き払っている。彼女の体が突如浮かび上がり「我こそは下界に舞い降りた女神である」と言ったら、私は「なるほどね」と応えるだろう。それくらい彼女は不思議で神妙な存在に思えた。気のせいか後光も見える。
 彼女が女神だというなら、私は女神に対して無礼を働いたということになる。これにより与えられる裁きが如何程のものなのかは知れないが、死罪だというのならば、死ぬ前に美しいものを見せてもらえたことに感謝しよう。断じてパンツのことではない。
 私はひとまず体を起こし、彼女に向き直った。
彼女の髪に滴る雫が輝いた。水も滴る良い女、などと考えているのはお門違いである。それは彼女が私のために傘を差し向けているのが原因だと気付いた。
 このままでは、見ず知らずの女性に風邪をひかせてしまう。こうなっては、私一人のもどかしさと奇行の問題ではない。このような不本意な境遇に彼女を巻き込んでしまっては、全日本紳士の会会員としての名折れである。もっともそんな会は存在しない。
「傘ありがとう。でも、これでは君の方が濡れてしまうよ」
 傘というものは、そもそもが雨から人を守るためのものである。人が濡れないために差すのが傘であって、私のような濡れ鼠には傘本来の役割を発揮できない。つまり、傘とは濡れていない彼女のような人にこそ相応しい。
 そんな私の紳士的な言葉を黙殺し、彼女は徐にカーディガンのポケットに手を入れた。ポケットから取り出し、私に差し向けられたそれは真っ白なハンカチだった。人の温もりや優しさといったものを集めて濃縮し、具現化させたかのようなそのふわふわした布切れが、私にまたも落涙の危機を与えた。
 ハンカチを受け取ると、私は遠慮がちに顔を拭った。ふわりと柔軟剤の香りが浮き立ち、それだけでなにやら幸せな気持ちになれる。
 雨は尚も降り続けるが、明るい陽射しも差し込める。狐の嫁入りなんていうのは勝手にやっていればいいと思うが、日が出るなら出るではっきりしてもらいたい。
 彼女が雨に濡れていくのを何とかして避けたい。この状況を打破する言葉を画策する。想像していただきたいのだが、目いっぱい紳士らしく語りかけた言葉が黙殺された時、その後は何を語ればよいのだろうか。単に彼女が私の言葉を聞き取れなかったのであれば、また同じことを言えばよかろう。しかし、一度黙殺された言葉をもう一度繰り返し、再び黙殺された時の恐ろしさは想像に難くない。およそ自責の念に駆られてたっぷり二週間は悪夢にうなされることだろう。
 彼女の表情は堅固な城塞のように付け入る隙が無く、真一文字に結ばれた唇が沈黙を破ってくれることはない。理科準備室の人体模型を二時間眺め続けたような冷たい眼が、私を真っ直ぐに射抜くように見つめている。女性の視線を一点に集めるのは吝かではないが、焦燥を感じるということは現状喜んでもいられない。
 ふと自分の凄惨な有り様を顧みれば、私は今の今まで全力で困っていたということを思い出した。きっとこの女性なら、親切ついでに道を教えることも厭わない大きな器を持っているに違いない。もとより頼るものの無い私には、これを逃せば万事休すである。
「すみません、お聞きしたいのですが、ここはどこですか」
 私はあくまで紳士的に尋ねた。
「あなた迷子なの」
 ……いかにも、私は迷子である。しかし、もっとマシな言い回しもあったのではないか。
 健全な青少年が道に迷うことは珍しいことではないだろう。自らの進路について懊悩し、度々進行が頓挫してしまうのは仕方のないことである。しかし、それはもっと精神的なお話であって、私のようなあからさまに道に迷っている状態を擁護するものではない。
 そう思うと、やっぱり私は迷子に違いなく、思えば思うほどに迷子なのであった。
「そう。じゃあついてきて」
 そう言い放つと、彼女は踵を返して歩き始めた。どこか分かりやすい道まで案内してくれるのだろう。大通りに出られれば、流石の私も帰路に着けるはずだ。早く帰って風呂に入りたいものである。
 そうして私は、この見ず知らずの女性の後について歩き始めたのだった。

 ―*―

 現在の私の状況を端的に説明するなら、私はまさに入浴中である。冷えた体を芯まで温めてくれるお湯に、心も体もリラックスしているわけである。
 しかし、脳みそばかりは一向に休まる気配が無い。むしろ先刻にも増して、重労働を課されている次第である。これはいったい何事か。
 その要因を探るには、やはり今一度自分の置かされている状況について再考してみる必要がある。なんだかさっきからそんなことばかりしているように思えてくる。
 入浴剤の溶け込んだ不透明な湯は、ほのかに花のような香りがして、心なしか肌にきめ細かい張りまでももたらしてくれている気さえする。水面には黄色いアヒルが自由な様子で浮かんでいる。
大きなバスタブは、私が目いっぱいに足を伸ばしたところで端から端に届かない。足の長さの問題ではない。
 天井はやけに高く、黒いタイルの床には顔が映りそうなくらいに光沢がある。
 私がこんな豪華な風呂に入っているのはいかにも奇怪である。私の部屋にこんな風呂は無い。似ても似つかない。そもそも私の部屋には風呂が無い。
 私を不潔と思ってはいけない。いつもはちゃんと近所の銭湯に通っている。休みの日などはたまに節約のために止む無くさぼったりもしているが、そんな些事はどうでもよい。
 私の部屋の有り様についてはいずれお話しすることだろう。今は一旦忘却し、考えるべきことは他にある。
 現状を把握するにはまず記憶を遡る必要がある。思い返せばここまでの道程、少々ぼうっとしていたところがあったかもしれない。きっと長く雨に打たれていたせいだ。

 ―*―

 “付いてきて”と言った彼女に具して歩き始めた私は、おおよそ彼女が私を分かりやすい大通りまで導いてくれるものだと思っていた。しかし、いつまで経っても道は開けてこないばかりか、彼女はまるで密林を開拓するかのように狭い路地を縫って行った。人通りなどはほとんどなく、そんな小道を彼女は躊躇(ためら)いもなくすいすい進んでいく。
 道中も彼女は傘を私の方に向けようとしていた。私はそれをなるだけ拒んだ。彼女も頑として私を雨から凌ごうとする。そんなよく分からない攻防戦の末、図らずも不格好な相合傘の様相になってしまった。
 女性と相合傘をして街を歩くに吝かではないが、如何せんぎこちない。緊張の面持ちで強張っている私の横で、彼女は無表情のまま泰然と歩みを進めた。
  そうこうしている内に、私たちの目の前に古い建物がぬっと現れた。シダ系の植物にびっしりと覆われた壁面は、かの甲子園球場をも彷彿とさせる。私もかつて野球少年だった頃は、(はばか)らず甲子園に憧れを抱いたものだった。それが今、このような形で甲子園を訪れることになろうとは、ついぞ思いもしなかった。
 彼女は躊躇もせずに、甲子園の土を踏んだ……もとい、古びた建物の中に入っていった。ここはいったい何ぞやと思い、ツタの中に埋もれた表札を見ると、古びた文字で『山下古書館』と書いてあった。
 この名前はかつて耳にしたことがある。この街のどこかにある山下古書館という建造物には、山下大明神という老人が巣くっており、入館したら最期、死ぬまで古書を食わされるのだという。
 そんな恐ろしい場所には近寄りたくないものだと思っていたのだが、突如目の前に屹立した建物はまさしく山下古書館であった。
 狼狽(うろた)えている私を横目に、彼女は中に入って行ってしまった。このまま見過ごしていては、彼女が古書を死ぬまで食わされてしまう。私も紳士の端くれとして、恩人とも言える彼女をみすみす死なせてしまう訳にはいかない。
 しかし、中に入ってしまったら私も古書を食わされてしまう。この若さでそのようなえげつない死に方をして、この街の都市伝説掲示板のネタとして貢献するのは御免である。かといって彼女を見捨てるわけにもいかない。
 頭の中で自衛本能と売名本能の間を行ったり来たりした。表層は落ち着き払っていながらも、脳内では審議が難航してパニック状態である。
 いつの間にやら雨は止んでいて、彼女の傘は寂しげに畳まれていた。アスファルトからは絶えず水の匂いがしている。
 彼女の身を案じながら入口の前で立ち尽くし、腕を組んでじたばたしていた私もようやく意を決し、いよいよ突入せんとしたその時、彼女は何事もなかったようにあっさりと出てきた。まだ二分も経ってはいなかった。
 キョトンとしている私を尻目に、彼女は再びひらひらと歩き始めた。状況の把握にもう少し時間を必要とするところだが、置いて行かれては非常に困るので、彼女の後をつらつらと歩いた。
 空はすっかり晴れていた。雨上がりの空に虹でも出ていれば、これは大変情景的である。目を凝らして空を見てみるが、それはどこにも見当たらない。すかさず虹が発生する条件を頭に並べ、状況と定義を検討する。虹が好きだからというわけではなく、虹を発見することで彼女との円滑な会話を得るためである。
 会話というのは話題を見つけようと心掛けた時ほど弾まないものである。無口で口下手な男がモテるのは遠い昔のお話であり、昨今では快活なコミュニケーション能力を携えた軽薄男が美女をさらっていくのが常である。
世の男子諸君は何をそんなに話すことがあるのか知らないが、喫茶店でも学生食堂でも非常によく喋る。喋る言葉に内容が伴っているのか些か疑問である。大した内容の無い譫言(うわごと)を喋るくらいなら、私はいっそ名誉ある沈黙を守る。しかし、空気が重たくなるのは何故か。

 ―*―

 沈黙を破れず20分程歩いた頃、ようやく我々は密林のような路地を抜け出していた。私はある種の感動を覚えた。ショーシャンク刑務所から脱獄したような気分である。晴れて自由の身だ。
 とはいえ、未だに現在地が知れない。だいぶ長い距離を歩いたような気もするが、ここは私の住む街なのだろうか。この街に越してきてあまり長い時間が経っていないのもあるが、それにしたって知らな過ぎる。身を置くからには、ある程度道を覚えるというのが街に対する礼儀である。
 彼女は私の少し前を歩いている。悠然と歩く姿にはどこか品があり、歩く彫像のようにも見えたが、時々振り返って存在を確認してくれた。
 先ほどまでの信号も無い閑静な住宅街からは一転し、車道は四車線になり、歩道橋やバス停なども現れた。住宅なども減り、雑居ビルやマンションが立ち並んでいる。私の住んでいるアパートなど、一瞬で立ち退きになってしまいそうだが、同じ街だとは到底思えない。

私的恋愛論争

私的恋愛論争

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-31

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