庭にマグマができました2。
「BBQをやりたいです」
玄関で出迎えてくれた妻の第一声はこれだった。
「なぜ?」
私は革靴を脱ぎながら言った。
妻の言う事はいつも唐突で、きちんと理解するには一つ一つ聞いていかないといけない。
「庭にマグマがあるのに、BBQをしないのはマグマに失礼でしょ」
しかし、聞いてみても謎が深まる事のほうが多い。
「それで僕はどうすればいいの」
「とりあえず……」
妻はもったいぶるように一呼吸置いた。
「BBQセットを用意してほしいの」
そして、最終的には私に仕事が降りかかってくる。もう慣れっこだけど。
庭にマグマが湧き出てきたのは、2週間前の事だ。
気づいたら庭の真ん中に直径30センチ程のマグマがあった。
特に噴火する様子もなく、ただグツグツと煮えたぎっているだけだ。
それによって私たちの生活に変化があったかというと、そんなことはなく、私はいつも通り仕事をし、妻は家事をしている。
変わったことといえば2日に1回ドラム缶を使った五右衛門風呂に入っていることと、妻がマグマノートなるものを書き始めたことくらいだ。
マグマノートとはただのマグマの観察日記で、妻が毎日欠かさず書いている。
一度内容を見たことがあるが、それは小学生が書くような観察日記だった。
大学などの研究資料にはなりそうもなく、まして人の名前を書けばその人の心臓を止められるなんて特殊能力もない。
しかし、妻は楽しんでやっているようなので、口を出さないようにしている。
スーツから部屋着になった私は妻と一緒に料理を食べた。今日はロールキャベツだった。
「BBQセットってかなりの値段すると思うんだよね」
私の言葉に、妻は食べる手を止めた。
「それで?」
「少しばかり、お小遣いがほしいんだけど」
妻はゆっくりと目を閉じてから、何かを悟ったかのように目を見開いた。
「金がないなら知恵を出せ」
「……」
まるで賢人のような口調だ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
「でも野菜とか肉とか串とか買うと、かなりの値段すると思うんだ。少しばかり、お金を……」
「知恵がないなら汗をかけ」
「……」
この賢人には何を言ってもだめなようだ。
金のない私は仕方なく知恵をしぼり出すことにした。
「BBQセットを貸してほしいんですけど」
楽器店の床掃除をする私は、店の隅でギターの手入れをする店長に言った。
店長はギターから目を離し、こちらを見た。
「なぜだ」
店長は少し不機嫌そうな声で言った。
「庭でBBQをやるつもりで、もし持っていたら貸してほしいなと思ったんですけど」
店長は訝しげな表情でこちらを見る。
何か悪い事でも言っただろうか。少し不安な気持ちになる。
「あのお、どうしましたか」
しばらく無言が続いた後、その重い雰囲気に耐えきれず私は口を開いた。
「ああ、いや」
店長はゆっくり首を左右に振る。
「最近お前の話には驚かされっぱなしだったから、身構えてたんだが」
店長の顔が気の抜けたような表情になった。
「2階の倉庫にBBQセットが置いているから勝手に持っていきな」
「ありがとうございます」
なぜ楽器屋の倉庫にBBQセットがあるのかと疑問に思ったが、ただで貸してもらえるのだから何でもいいや。
結局、金も知恵も汗も出さずに手に入れることができた。
「ところで、BBQは誰とするつもりなんだよ」
「妻と二人です」
「妻と二人?!」
店長の目が栗みたいにまん丸になった。
「妻と二人っきりで肉を突きあって何が楽しいんだ」
「でも僕の妻は人見知りなので」
ゴトンと音がした。
見ると店長がイスから滑り落ちていた。
「お前の奥さん何歳だ」
店長がイスを支えにして立ち上がりながら言った。
「27歳です」
「お前、27歳っていったら充分すぎるほど大人だろうが。人見知りだからとかじゃなくて、もっと人付き合いとかを考えていかないといけないんじゃないか」
「はあ」
「近所の知り合いとか何でも良いから誘ってみろよ。そういったことで奥さんの人見知りを治してあげないといけないんじゃないか」
「はあ」
私は近所の知り合いを思い浮かべた。全然、顔と名前が一致しない。
「まったく。あ、ちなみに俺を呼んだって良いんだぜ。大学生の頃はBBQ奉行なんて言われてて……」
「いや、結構です」
「そうか……」
店長はしょぼくれた顔をして、ギターの手入れを再開した。
人を呼ぶと言ったら、妻はどんな顔をするだろうか。
妻は極度の人見知りだ。
散髪屋に行くのが嫌なため自分で髪は切るし、病院に行くのが嫌だから自力で病気も治す。
「あ、そういえば」
店長は、まるで今思いつきましたというような口調で言った。
「今週の金曜日の夜、俺のバンドがライブするんだよ」
店長は学生時代のバンド仲間といまだに音楽活動をしている。
メンバーのほとんどが40歳近くで、バンド名は「アラフォーズ」。
5年前は確か「アラサーズ」だったはずだ。
「それで、チケットが余ってるんだよ。良かったら奥さんと一緒に来ないか」
「いや、結構です」
店長が不満そうな目をこちらに向けてきたが、無視した。
「なぜだ。確かにおっさんだらけのライブだが、それなりに歌はいいし盛り上がる。なのに、なぜだ」
「ライブ会場みたいにやかましいところとか僕きらいなんですよ」
「……」
店長はすねた子供のような顔をしていたが、無視した。
「ずっと聞きたかったんだが、お前、俺のこと店長と思ってないだろ」
「思ってます。仕事上は」
「そうか……」
店長は一段としょぼくれた顔でギターの手入れを再開した。
私は楽器店からの帰り道、家の隣にある3階建てアパートに寄った。
近所の知り合いと言われ、1組の夫婦が思い浮かんだ。
半年ほど前にこのアパートに引っ越してきた若い夫婦で、引っ越してきた際には私の家にも引っ越し祝いのタオルを持ってきた。
道で会ったらあいさつする程度の仲だったが、BBQに誘うとなったらこの夫婦くらいしか思いつかなかった。
夫婦の家は3階の一番奥にある。「三宅」と書かれた表札の家の前に立ち、チャイムを鳴らした。
「はーい」
中から出てきたのは夫だった。
上下を白い作業着につつみ、首にはピンク色のタオルがかかっている。
そういえば、引越しのあいさつの時に建設業の仕事をしていると言っていた。名前は確か「亮」だ。
「すみません、こんな夜分遅くに」
「いやいや、いいっすよ。それでどうしました?」
「実はうちの庭でBBQをしようと思っているんですよ」
「BBQ?」
「そうなんです。うちの庭にマグマができて、それで」
「マグマ?」
亮は口をぽっかり開けていた。
「妻と二人でするのも少し寂しいので、一緒にどうかと」
亮はしばらく思案顔になった。
「土日なら、俺も嫁もいけるんすけど」
「そうですか、じゃあ今週の日曜日でどうですか」
「いいっすよ」
日にちも決まったところで、私は亮に別れを告げた。
階段を下りながら、すんなり承諾してくれたことに胸をなでおろしていた。
しかし、もう一人説得しないといけない人間がいる。
私は1階まで下りたところで、自分の家を見つめた。
それがまるでラスボスのダンジョンのように見えた。
「隣のアパートの三宅さんもBBQに誘ったから」
その言葉に妻は食べる手を止め、こちらをギロリとにらんだ。
「誰?」
「半年くらい前に引っ越してきた夫婦。僕らよりちょっと若いくらいの」
妻の黒目がしばらく左右に行ったりきたりする。そして、急にパッと目が見開いた。どうやら思い出したようだ。
「どうして誘ったの?」
「僕ら二人だと寂しいかなと思って」
妻の鋭い視線を感じた。
私はそれを避けるように食べる手を速めた。今日はお好み焼きだった。
「確かあそこの奥さんって金髪よね」
「ああ、そうだったと思う」
「金髪は信用できない」
まるで黒人差別をする白人のような言い方だ。
過去に金髪の人とどんなトラウマがあったのだろうか。
それを聞くと何時間も延々としゃべりそうなのでやめておいた。
「金髪だけどすごくいい人だよ。旦那さんにも今日会ったけど、優しそうな人だったし」
「人を見た目で判断しちゃいけない」
妻はキング牧師さながらの口調で言った。
それは金髪というだけで人を判断した妻にこそ言うべきセリフではないだろうか。
しかし、そんなことを言えば火に油なので、やめておいた。
「向こうの夫婦も参加してくれたら食材費も半分になるじゃないか」
「それなら食材も2倍になるわ」
「ご近所づきあいって大事だと思うよ。これから何年も同じところで住むわけだし」
少し強めな口調で言うと、妻は口をつぐんだ。
結婚してから今までの二人の口論は、私の全敗だった。
しかし、今日こそは勝ってやる。
「決めました」
妻は落ち付いた口調で言った。
「BBQ大会は中止します」
「えっ?!」
急に何を言い出すんだ、この人は。
妻は何事もなかったように、晩御飯を食べ始めた。
「ちょっと待って。せっかくBBQセットもただで借りれそうなのに、それはないんじゃないかな」
「あーーーーーーー」
妻は両手の人差し指を耳の穴に入れて、狂ったように叫び始めた。
「なにもきこえませーん」
そう言って部屋の外へと歩いていった。
確信した。妻には一生、口論で勝てないだろう。
日曜日、雲ひとつない上空に太陽がさんさんと光を放っていた。
ピンポーン。
家にチャイムの音が響き渡った。
玄関のドアを開けると、そこには亮が立っていた。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ来ていただきありがとうございます」
私は軽く会釈した。
「どうも、妻の加奈です。よろしくお願いしまーす」
亮の後ろに金髪の女性が立っていた。奥さんの加奈だ。
「バブー」
その背中には赤ちゃんがいる。娘のくるみだ。
「奥さんも今日はよろしくお願いしますね」
亮の言葉に、私の後ろに隠れるように立っていた妻は、小さく会釈した。
結局、BBQ大会は開催される事となった。
四日前に妻と私は一つ取り決めをした。
もし当日、晴れていればBBQをするが、雨が降ればBBQは一生しない、というものだった。
その取り決めを承諾した妻は、その日から逆テルテル坊主を作り続け、雨乞いのダンスを踊り続けた。
その努力もむなしく、今日はすがすがしいほどの快晴となった。
「うわ、何だこれ」
「へえ、すごーい。マグマって初めて見たー」
「バーバー」
三宅一家は我が家のマグマを見て、口々に感想を漏らした。
人様にマグマを見られるのはこそばゆい気持ちだった。
「では始めていきましょうか」
そう言って、私はマグマの上に網をポンと乗せた。
さらにその上に串刺しにした肉やら野菜やらを乗せていった。
私たち4人プラス赤ん坊は、網を囲むように座りこんだ。
時々ひっくり返して焼き加減を確認しながら、焼きあがるのをじっと待っていた。
「奥さんの髪って超きれいですよねー。シャンプーは何を使ってるんですかー」
加奈が妻に言った。
「牛乳石鹸です」
「まじっすかー。それでそんなにきれいなんて信じられないですねー」
私は二人の会話をドキドキしながら聞いていた。
あっけらかんとした加奈に対して、妻は不信感丸出しの表情だった。
「いやあ、庭にマグマがあるっていいっすね」
隣にいる亮が声をかけてきた。
「はあ……」
どうだろうか。自分の庭に、岩盤さえ溶かす灼熱のマグマがあるのは気のいいもんじゃないと思うが。
「うちはアパートだからなあ。庭さえあればマグマがあってもいいと思うんすけどね」
駐車場があれば車を買うのに、というノリで言われても困る。
話しているうちに食材が焼け始めた。
「んー、すごくおいしいー」
「本当だ。超うまいっすね」
「ああ、確かに」
気のせいかもしれないが、普通にやるよりもおいしく感じた。
やはりマグマの火力のおかげだろうか。
「マグマで焼いたもの食べるなんて、原始人か私たちくらいじゃないですかねー」
皆でむしゃむしゃ食べている間、加奈が言った。
確かにそうかもしれない。
むしろ原始人もそんなことしなかったのではないか。
ということは私たちが初めて。なんだか誇らしい気分になった。
30分ほどで全て食べ終わった。
私たちは芝生の上に体を投げ出して休んだ。
「バドミントンでもやらないっすか。実は4人でやろうと思って、持ってきたんですよ」
亮が自慢げにラケットを持ち上げた。グリップのところに百円均一のロゴが入っている。
私はあんまり乗り気じゃなかった。運動が大の苦手で高校以来まともな運動はしていない。
「やりましょう」
声を出したのは妻だった。
「奥さん乗り気っすね。じゃあ、やりましょうか」
なぜ妻はこんなにやる気満々なのか。妻の学生時代の部活は何だったっけ。
思い出した。美術部だ。
ラケットを持った4人は、マグマを囲むようにして立っていた。
マグマにはドラム缶をかぶせておいた。
間違って足でも突っ込んだら大惨事だからだ。
ふと、近くからシューシューと音がするのに気づいた。
なんだろうと思いあたりを見回すと、それは妻の呼吸の音だった。
彼女はラケットを両手に持ち前傾姿勢となり、目は亮が持っているシャトルだけを見ている。
マグマ以上の熱気が彼女から感じられる。
何がそこまで美術部だった彼女をかきたてるのだろうか。
「じゃあ、いきますよ」
亮が打ったシャトルは妻の上方へと向かった。
すると妻は体をくの字に反らした。
「おおっ」
腕が目にも止まらぬ速さで振られる。
振り下ろされたラケットは、実にシャトルと30センチ以上の隙間をあけ、見事に空を切った。
ポテッ。
シャトルが悲しい音を立て芝生の上に落ちた。
「……」
長い沈黙が流れた。
妻は自分のラケットをさすりながら、ため息をついた。
「ラケットが悪いわ」
たかが105円のラケットに過度な期待をしすぎではないだろうか。
妻は空振りを3回繰り返した後、ラケットを放り出し、縁側のほうに去っていった。
加奈も妻をなぐさめに縁側に行った。
男2人となったバドミントンも30分もせずお開きになった。
私はすっかり息が切れていたが、亮はまったく息は乱れておらずぴんぴんしていた。
きっと現場仕事で体を動かしているからだろう。
私と亮は芝生の上に腰をおろした。
「今日は誘っていただいてありがとうございます」
隣に座る亮がぺこりと頭を下げた。
「いえ、こちらこそ突然頼んだのに来ていただきありがとうございます」
「加奈もこっちに引っ越してきて、知り合いもいなくて毎日しょぼくれてたんすよ。でも今日、奥さんと話していてすごい楽しそうなんでよかったです」
縁側のほうを見ると、妻と加奈が座って話をしてした。
熱心に話しているのは妻のほうで、加奈は「なるほどー」とか「すごーい」とか「ほんとにー」というような相槌をうっていた。
いつの間にか妻のひざには赤ん坊のくるみが座っていた。
「いや、妻も普段はしゃべり相手がいないんで、喜んでいると思います。こっちこそ感謝です」
「奥さんも面白い人っすよね」
「はあ、そうですね」
確かに、あそこまで見事な空振りをできる人間はそういないだろう。
「奥さんに道でよく会うんすけど、あいさつしてもいつもそそくさと逃げちゃうんで」
「それは、すみません」
「いえいえ。でも今日、話してみてすごい純粋な人なんだなと思いました。だんなさんもかっこいい人だし、いい夫婦だなって思いました」
「いや、そんな、全然」
「僕らもお二人みたいな夫婦を目標にして頑張ります」
正面きって言われると、なんだかものすごい恥ずかしかった。
別に大したことはしてないのに。
あとで妻にも伝えてあげよう、そう思った。
目の前のマグマは、変わらずグツグツと音を立てていた。
「今日は本当にありがとうございました」
三宅夫婦は玄関前で深々と礼をした。
「いえ、こちらこそありがとうございました」
「あ、奥さん、キャベツの切り方の伝授、また今度おねがいしますねー」
「がってん」
そう言って、妻と加奈は手を握り合った。
まるで戦い終わった友が健闘をたたえ合っているかのようだった。
ともあれ二人の間には深い友情が芽生えたみたいだ。
「さよーならー」
「バーブー」
三宅一家は手を振りながら、自分のアパートへと帰っていった。
「今日は楽しかったね」
妻が言った。
「そうだね」
彼らの姿はもうなかったが、私たちはしばらくその場に立っていた。
「またやりたいね」
妻の言葉に私は大きくうなずいた。
「バドミントン」
そっちかい。私は心の中でツッコミを入れた。
次の誕生日にでも新しいラケットを買ってあげよう、そう思った。
庭にマグマができました2。