腺腫様甲状腺腫(3)~病院生活・療養
正直私は、入院するのを心待ちにしているようなところがあった。
当然、体を切るのは痛いだろうし、リスクも大きいだろうけど、家事や子育てや仕事や、日常のいろんなことから解放され、一人になってゆっくり休める時間が持てるのは、この上ないありがたいことだった。
だけど実際入院してみると、思っていたような安らぎの時間はあまり持てなかった。
まず術後は傷口の痛みで思うように体がうごかせなかったし、朝から検温だの、検診だの、いろんな人が入れ替わり立ち替わり来て、うとうとしてても無理矢理起こされた。
6人部屋といっても、一つ一つのベッドはカーテンで仕切られていて、カーテンを閉めてしまえば、医者や看護婦が来る時間や食事の時間以外はゆっくりできるものと思っていたのだが、意外と周囲の雑音が気になった。
私のいた部屋には、60~70代のおばあさんから、30~40代の中年女性、高校生など、いろんな年齢層の人がいた。同じ甲状腺を病んでいるといっても一人一人病状は違っていて、私のように良性でも大きくなりすぎて摘出する人もいれば、甲状腺の機能が上手く働かないため全摘出する人、大豆大の腫瘍でも悪性と診断され手術する人もいた。腫瘍の状態、場所などによって手術の難易度もまちまちで、入院してくる人は皆それぞれ不安を抱えていた。
ストレスをあまり表に出したくない私は、四六時中カーテンを閉めていたかったけれど、痛みや不安を周囲に発散しなければ、いても立ってもいられないという人もいて、正直、迷惑だった。まあ、これが6人部屋のリスクというものだろうけど。
誰かが手術室に行く、帰ってくる、というと、誰もが固唾をのんで見守らずにはいられない。
入院時にはたくさんの付き添いが来て、手術直前までおしゃべりで明るさを振りまいていた人が、手術室から帰ってきたとき、出血が止まらずに再手術となり(100分の1の確率の事だそうだ)、何人もの医師や看護婦が慌ただしく部屋に入って来て、その人をベッドごと手術室までつれていった。ちょうど当日に入院して来た人がその有様を見て「再手術ですか、そんなことあるんですか」と不安そうに主治医に質問していた。
私も手術前日、斜め前のベッドの高校生が痛い痛いと泣いていたのには、かなりストレスを感じた。病院の規則では面会は午後3時から午後8時までなのに、朝早くから夜遅くまで女の子に付き添っている両親にも不公平感を持ったし、そんな両親のことを、「やさしいご両親ね」なんてほめていた隣のベッドのおばあさんも、よくわからなかった。
だから申し訳ないけど、私は周囲が雑談で盛り上がっているときも、カーテンを閉めていた。
普段の私なら、そんな中で周囲に気を遣わせないよう気を配るが、そんな気遣いをする気もおきなかった。甲状腺を一つ失って、ホルモン機能が低下したせいかもしれない。よけいなことは考えたくないし、したくはなかった。
ベッドの横についているテレビも見なかったし、本も読まなかった。入院中の退屈を紛らわすためにわざわざMP3に詰め込んできた、普段から好きで聴いていたROCKナンバーも、うるさくて聴く気がしなかった。
ただ寝ているだけで、退屈しなかった。
何にもしないで天井を向いて寝ていると、カーテン越しにいろんな人の話が聞こえてきた。手術で甲状腺を300g以上(!)とったという人。その人がチラーヂン(ホルモン剤)を1日24錠も飲んでいたということ。ストレスで病気がどんどん悪化したこと。夜に痛くて泣いていた女の子には彼氏がいて、先日お見舞いにきたこと。。。など。
甲状腺の病気の周囲をとりまいている、いろんな日常が、様々な色合いで私の中に入ってきた。これは一つの収穫かもしれない。
8月6日に退院し、その足で横浜の実家へ療養に行った。1週間会えなかった4歳の娘と一緒だ。私に会えてうれしそうに笑った娘は、しばらく見ない間に大人びた顔になっていた。
実家では父と母が老体にむち打って私と娘に世話を焼いてくれた。申し訳ないなと思ったが、ありがたかった。私はやっと、心から休むことができた。
傷の回復は順調だったが、体力の回復が思わしくなかった。朝夕娘と散歩に出たが、手荷物をもつと首に負担がかかるので、手ぶらでごく近所をぷらぷらと歩くだけだ。日が昇ってきて暑さが増すと、もうだるくてしかたがなかった。帰ってきて疲れては寝ていた。入院中同様、何かしたいと思わなかった。テレビも、本も、音楽も聴かず、ただ寝てるだけで退屈しなかった。そうやってあっという間に1週間が過ぎていった。このままの生活をしていても回復しそうにないので、日常生活に戻るべく東京の自宅へ帰宅した。
現在、退院から3週間目に突入し、体もだいぶ慣れてきた。気づくと八月も下旬にさしかかり、秋の気配を感じた。
今年は私のせいでろくなレジャーも楽しめず、家族には申し訳ないことをしたなと思ったけど、娘も主人も不思議と明るい顔をしていた。
皆大変な思いをした夏だったけど、それが結果的に良い経験になってくれたなら、良かったなと思う。
腺腫様甲状腺腫(3)~病院生活・療養