腺腫様甲状腺腫(2)〜手術
睡眠薬のおかげでよく眠れた。
「手術前日は不安で眠れない人もいるんですよ」
意外と図太い私。朝看護婦に血圧を測ってもらったら、上が122の下が88(おおよそ)正常範囲だった。
7時に朝食。しかし私は、本日手術なので昨晩から禁食。水分も禁止。
トイレに行くのに、ベッドを立った。
昨日手術で、夜遅くまで痛い、痛い、と泣いていた女の子は、ベッドでよく眠っていた。天井から痛み止めの薬袋が吊るされ、細い管が、彼女の包帯を蒔いた手に繋がっていた。
手術は午後1時半から2時半の予定だった。
昼前に看護婦が来て、点滴の針を私の右手に刺した。
針が静脈に入る時、ものすごく痛かった。その後も、針の違和感が続いた。昨日女の子が泣いていたのは、これのせいだったのか、と思った。
私は仏陀の本を片手にベッドに寝転がっていた。活字好きな私も、この時ばかりは、ほとんど文字が頭に入っていかなかった。時計の針が刻々と進むのを、ただ見守るように私はつとめた。
昼ちょっと前、母が来て、その一時間後に、主人が来た。
陽気な母は、病床の私を見ながら冗談を言っては主人と笑ったりしていた。でも私の顔をみると、すぐ表情が暗くなった。
マイナスな感情は伝染する。こういうとき、近隣の人に不安を発散する人は結構いるが、それはかえって逆効果だ。言えば言うほど不安は膨張し、手術室なんか入れなくなる。
私はしゃべるのをやめて、ずっと天井を見ていた。母は私にかまわず主人と談笑していた。このまま、明るくやっていてほしいと思った。
前の手術が難しかったり時間がかかったりすると、時間がずれ込むことがある、と聞かされていた。
そういうわけて、お呼びがかかったのは、予定時間から1時間半遅れた3時だった。
看護婦が手術着を持って来たときは、救われた気分だった。
私はパジャマを脱ぎ、バースショーツという下着をつけ素肌に青い手術着を羽織り、頭髪をまとめて青いキャップに入れた。そして、白い弾性ストッキングを履くと、看護婦に連れられ、母、主人とともに病室を出た。母と主人は4階のラウンジで待つことになっている。私は看護婦とともに6階の手術室へ行った。
大きな冷蔵庫のような印象だった。
アルミ製の扉の前で名前を呼ばれて中に入ると、履物がおいてあったのでスリッパを履き替えた。前の椅子に座っていると、正面のピンクの間仕切りカーテンの横から手術着とマスクと帽子をかぶった看護婦が出て来て、笑顔で名前を、はっきりとした口調で確認した。
アルミ製の壁のようなのが隙間から見えた。カーテンの奥に通されると、幅50~60cmくらいの細いベッドがあった。隣に間仕切りカーテンがあり、手術を行っているのだろうか、かちゃかちゃと物々しい音と、緊張感のある声がした。
私は看護婦の指示通りにベッドにあがった。もう感情が麻痺したロボットのようだった。麻酔科の医師が、笑顔で、はっきりとした口調で、私の名前を確認した。二人の看護婦が声を掛け合い、私の体にタオルをかぶせ、手術着を脱がせた。体にいろんなものがつけられていくのがわかった。
透明のゴム製のマスクを鼻と口の上に乗せられた。それから2~3秒後だっただろうか。強烈な冷気が鼻から入り、目の前が真っ白になった。
がらがらと荷台のようなベッドにのせられて移動していた。もうろうとした意識の中で看護婦の声と、母の声が聞こえた。
猛烈にのどが渇いていた。しかしつばを飲み込むと喉が痛かった。背中、首、腰、いろんなところが凝っていて、痛かった。しかし首を動かそうとすると、切れているらしい、首の付け根がずきんと痛んだ。私は、あきらめたように仰向けになって目を閉じていた。時々声がした。時々まぶたを開いてみると母が見えた。声を出すにはかなり力がいった。
どれくらい寝ていたのか、時間の感覚がなかった。
私は何かしゃべったらしい。
「手術、とても順調だったわよ、出血もなかった、傷口、きれいよ」という母の声が聞こえた。
消灯時間が過ぎた頃、看護婦が来た。
看護婦の指示に従って、ベッドから起き上がるために横を向いた。
頭の重さで首が曲がり傷が痛んだ。看護婦に抱き起こされて、私はベッドに座ることができた。窮屈だった弾性ストッキングを脱がせてもらい、手術着を脱いでパジャマに着替えた。
ベッドの脇に用意していたペットボトルの水を、ゆっくりとストローで飲んでみた。
無事飲むことができた。(むせて飲めない人もいるらしい)
手術でいろんな薬を入れると排泄機能がストップするとは聞いていた。でも、なんとなく、トイレに行きたい気がして、看護婦に支えられながらベッドを立った。首から管が出ていた。看護婦はなにやらテープみたいなのを切って私の首に袋のようなものをかけていた。管が動いて傷口が痛んだ。
「ごめんね、今、痛かったね」
歩けた。ただ、便座に座っても、首の痛みとか、肩や腰の痛みとかで、できなかった。
「緊張しているのかな。手術おわってからまだ4時間くらいしか経っていないから」
水分補給が可能になったので、私は睡眠薬を飲んで寝た。
術後の傷は、思ったより回復が早かった。
手術翌日から食事は全部食べられたし、出血も少なく、通常はドレーン(管)を外すのに2日かかるのを、私は1日で外れた。
私の首から切除した右葉甲状腺の写真を医者から見せてもらった。
真っ赤な塊はイチジクみたいだった。輪切りにすると白い模様があった。(主人は「アボガドみたいだった」といって、気分悪そうだった)
鏡を見ると、私の喉、やや右寄りに10cmほど、茶色いテープが貼られていた。
傷口の痛みはそれほどなかった。しかし、直径6cm程度の腫瘍を含めた右の甲状腺をまるごとえぐりとったので、傷の中がずきんずきんと痛かった。これが完全につくには1~3ヶ月かかるという。
テープ交換は週1回。退院後1週間はあごを極端に持ち上げるのは禁止。アルコール、重い荷物の運搬も同様。自転車、車の運搬は退院3週目から。肉体労働、スポーツなどは、一応4週目からとなっているが、個人差があるらしい。女性は胸の重みが傷の負担になるため、しっかりした下着を着けるなど気を遣ってほしいと言われた。
傷口に貼ってあるテープは圧迫感があり、腫瘍があった頃とあまりかわらない。
術後1ヶ月の9月1日の外来診療で、傷の治り具合によっては、テープがはずれるかもしれない。
~(3)へ続く
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