腺腫様甲状腺腫(1)〜伊藤病院入院

8月1日、朝は8時半に家を出た。前日から来ていた義母に送り出してもらった。
とにかくこの日までは忙しかった。仕事にケリを付けたり、入院中に家に来てもらう義母に生活しやすいように家の中を整えたり、子供が熱を出して看病したりと、自分の病気のことなど考えるヒマなどなかった。ただ、私が不在中に何かトラブルが起こるのは避けたかったので、とにかく誰かが大変になることがないよう、家族一人一人に役割を定めて細心の配慮をしたつもりだ。
1週間分の入院生活グッズをつめたボストンバッグはさすがに重かった。ちょっと歩いては立ち止まって休んだ。そうやって、やっと駅にたどり着きラッシュアワーの地下鉄に乗った。
主婦が家を空けるのは勇気がいる。不安は山ほどあった。しかしそれを考えると、肥大した甲状腺がまたむくむくと太って呼吸を圧迫していく。

9時半に病院へ着くと4階のナースステーションに向かった。
私はこの日までに用意しておいたたくさんの書類(輸血同意書、契約書など)を看護婦に渡すと、身長と体重の測定をし、病室に案内された。3階の6人部屋だ。私は窓際の一角のベッドの脇に荷物をおいた。
入院スケジュールには、今後6日間の予定が細かく記されていた。終わったら、チェックボックスにレ点を入れていく。

看護婦や薬剤師、担当医が来て、病棟の案内、薬の説明、明日の手術の説明をしてくれた。
気になることが一つあった。私の右ふくらはぎに、青い血管が浮き出ているところがあるのだ。これは静脈瘤だろうか。もしそうだとなると、術中に血流が悪くなり、術後に血栓塞栓症になりやすい。手術時に血流を促すために着用する弾性ストッキングのかわりに足のマッサージ機をつけることになる。
医師に診断してもらったら、やっぱり静脈瘤だそうだ。私の右足の付け根の血流ポンプになる弁が壊死しているというのだ。
私は心臓がぎゅっと縮まって、全身が急速に冷えていった。
医者はおだやかに笑って「これくらいのは軽度のもので、よくあることです。弾性ストッキングで大丈夫です」といった。

斜め前のベッドから女の子の「痛い、痛い」と、すすり泣く声が聞こえた。中学生か高校生のようだった。母親らしき女性の声も聞こえた。
そんなに痛いのだろうか。。。手術前なのに、こっちまで痛くなってくる。独り部屋にすれば良かったな、と思いながら、私は持ってきた仏教の本を開いた。
仏陀の言葉で安らかに手術に挑みたかったが、仰向けになると肥大した甲状腺が気道を圧迫する。枕を低くすると、呼吸が苦しく、高くすると、肩が凝る。もうどうしようもない。

とにかく疲れたので、寝たかった。先月までものすごく忙しかったので、寝られることを楽しみにして入院したのに、いざ病院のベッドに潜ってみると、あちこちから聞こえてくる患者のうめき声に不安を煽られて、安眠なんてできたものじゃなかった。
消灯時間になると、私は睡眠薬を口に放り込み、さっさと布団をかぶった。

~(2)へ続く

腺腫様甲状腺腫(1)〜伊藤病院入院

腺腫様甲状腺腫(1)〜伊藤病院入院

2011年8月1日。私は、右葉甲状腺摘出手術をするために、伊藤病院に入院しました。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-28

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