たった七日間の逃避行 2
いつものバイト先。
毎週、この日は凄く暇である。
来るお客さんは一時間に5名ほどで、もう定休日にしたらいいのに。
そんな日に今日は長くシフトが入っている。
「いらっしゃいませー」
小太りの店長が高い声でお客さんを迎える。
珍しく、この時間は6名目の来店だ。
「いらっしゃいませ」
音を立てずにお冷を置く。
「ああ、君がトウカ君?」
「え、はい」
男は、僕の名札を見てそう言った。
「絵馬がお世話になってるんだってね、いやぁすまないね」
「あの、すみませんがどなたですか?」
「ああ、申し遅れた」
--この男こそ、
「茂是明彦、絵馬の実の父親」
「え、ああ……え?」
「いやあ、迷惑かけてるよね、うちの娘」
「そんなことは……」
「金銭面で困っているだろ? ホラこれ受け取って」
懐から取り出した封筒を、僕に差し出した。
紙がうっすらと透けて、中の絵が見える。
諭吉が……沢山。
厚さがゲームボーイアドバンスほどはある。
「いやいや、そういうのは困りますって」
「あ、そう? じゃあ仕方ないなあ」
男はその封筒を戻した。
男はそのまま料理を注文し、食事を終えると、いつの間にか帰っていた。
絵馬さんの父親。
ずっと娘を置いてどこかへ行ったままだった男。
その男がすべき役目を、僕の祖父が行っていた。
この男はすべき役目をせず、どこかで油を売っていたであろう男。
あの男は本当の父親なのか?
だとして、彼女に会わせるべきなのか?
彼女がそれを望んでも、そうでなくても……どうしたらいいのか、わからない。
血のつながり程の濃い関係は、僕と絵馬さんの間には無い。
だが、あの男にはあるかもしれない。
わかならい。 今の僕には、わからない。
休憩時間、僕は絵馬に電話をかける。
「もしもし、絵馬?」
「はい、そうですが」
「さっき、モゼって人が来たんだけど、知り合い?」
「……そうです」
「父親って言ってたけど」
「……そうです」
「……もしもし?」
「はい」
「会わないの?」
「もう会ってました、結構前に」
「そ、そう」
「もう切りますね、では」
「絵馬……さん?」
それだけだった。
わかったのは、絵馬さんがあの男を父親だと認めた事だけ。
彼女の気持ちは何も、わからなかった。
数時間後の店内に、またあの男が現れた。
「よお、トウカ君」
「……いらっしゃいませ」
「元気ないな、座るよ」
僕は無言でお冷を置く。
「お決まりましたら、お呼びくださ……」
「絵馬をこっちで引き取る」
「えっ?」
「絵馬は大事な娘だ、君には渡せない」
「渡すだなんて、そんな、僕はただ……」
「ただなんだって? まあいい、そんな事よりトウカ君」
男は少し間を置き、こう言った。
「絵馬とは、したのか?」
「え……は?」
「あいつはいいぞ、言う事をちゃんと聞く」
この男……何を言って……
「ちょっとトウカ君!?」
店長が僕を休憩室へ引っ張って行く。
「おい聞いてたのか? まあいいか」
数分後、店長が戻ってきた。
今日はもう帰って安めとのこと。
着替えて休憩室を出ると、もう男はいなかった。
自転車に跨り、夜道を行く。
街灯が道を照らすが、闇夜は完全には照らされていない。
僕は、一体何が正解で最善だというのかわからない。
もし、絵馬さんはあの男の下へ行くと望めば、僕はどうしたらいい?
引き止めれば良いのか?
僕はあの二人の問題に割って入って良いのだろうか?
僕は、一体どうしたいのか。
わからない。 いや、わかっている。
わかったとして、それを実行して良いのか?
「あなたにわかりますか? 桐生さん」
「ああ、簡単だな」
僕は、昔のドラマに出てきそうな若い警部の男に問う。
「絶対に殺しはしない。 殺さない為に、自分を鍛えている」
だが、それを即答で返される。
「強い者は弱い者を殺さない。 だが、逆はそうでない」
「僕はあなたほど強くない」
「ああそうだ、君は弱い」
「だけど僕は、あいつより……」
「そうだな、少なくとも君らは両方、弱者だ」
僕は、あの夜の事を思い出す。
暗い夜道、照らす街灯、彼女の声。
「今でも鮮明に思い出せるんですよ、桐生さん」
部屋へ帰ると、明かりが消えていた。
どこを調べても、彼女はいない。
テーブルの上に置かれた物に気が付く。
あの時の、あの男が差し出した封筒。
その下に、隠すように置かれた紙。
僕はそれを手に取る。
手紙。
絵馬さんが、僕に宛てて書いた手紙。
行かなくてはならない。
僕は、あの男、いや絵馬さんに会いに行かなくてはならない。
そして、あの男が鎖で繋いだ首輪を断ち切らねばならない。
僕は、そうしたい。
僕は自転車を走らせる。
暗闇の中、ただ足を動かす。
道は暗くて先が見えない。
街灯もその場だけしか照らせていない。
だが、自転車のライトは先を照らす。
僕は、そこしか見えない道をただ走る。
男はご丁寧に封筒内に地図と住所、電話番号のメモまで置いていった。
自転車は、その場所へただ走る。
行って、この封筒を叩きつけてやる。
「……絵馬さん?」
その場所へ到着した時、彼女の声が聞こえた気がした。
その声のもとへ、紙に記された場所へ、近づいて行く。
「おいおい、今日はやけに静かだな」
あの男の声だ。
「誰かを待ってるのか知らないが、あいつなら来ないぞ?」
ドアまで接近した。
だが、僕は、開けなかった。
彼女の声がしない。
彼女は受け入れたのか?
「来ない、あいつは昔から臆病だ」
「なあ、戻ってこいよ」
「……はい」
僕は、ドアに背を向けた。
僕には、出来ない。
ふと、視界にそれが映る。
それはバールのような工具。
足元に転がるそれを拾い、転進する。
その時、僕の心は弱く、黒く染まったのかもしれない。
ドアを開く。
鍵はかかっていなかった。
あの男が、絵馬さんの上に跨っている。
「よお、トウカ」
「ああ、明彦」
手にしたそれを、男に振り下ろす。
そこで僕の視界は、暗転した。
たった七日間の逃避行 2