C-lover
日常
むかしむかし、ちょっとむかし。
あるところに不幸な少年がいました。
彼は感情を理性で抑えることができない子供でした。
けれども、彼は思ったことを口にすることができません。
言葉が繋がらないのです。
頭には次々と浮かぶのに、その速さに身体がついていかないのです。
少年がとれる行動は一つ。暴力に訴えることでした。
それでも早々と月日は流れ、少年は青年となり現在絶賛高校生中です!
「うおっりゃあああああああ!」
机は廊下を一直線に舞い、掲示板を叩き割って壁にめり込んだ。
「また随分と激しくやってるねえ」
二年四組の教室から顔を覗かせている彼の名は二木峰孝俊。面白いことが大好きなちょっとした変態さん。その極細のつり目が開くと恐ろしいことが起こるという噂も。
「本当にどうしたものかな」
孝俊の後ろから姿を現したのは静宮心。通称ココちゃん。小さなスレンダーボディは一部男子生徒に人気があるカテゴリー部門優勝候補の美少女で、小学生の頃から伸ばし続けた黒髪はツヤツヤで美容方面にも詳しく、これまた一部の女子生徒からは神扱いされるほどの存在だそうです。
「どうしましょう、ココちゃん」
「あいつは暴れ出したらなかなか止まらんからな。ふむ、出番だ、委員長」
同じく四組、廊下から一番離れた席でボーッと空を見上げていた彼女に声をかける。
ちらりと視線だけを心に向けた。
「お前、風紀委員長だろう。止めてこい、いつもみたいに」
しばらくしてから視線が空に戻った。
「無視するなあ!」
彼女は瀬賀冬華。成績優秀だが、人付き合いに難あり。ぶっきらぼうな風紀委員長。どうして二年生で委員長をやっているかというと、実力でもぎとったとか。ちなみに心も風紀委員である。
「仕方ない…」
気怠そうに立ち上がり、横に掛けてあった袋から竹刀を取り出すと廊下へ赴く。
「ファイトだ、委員長」
「瀬賀っち〜、怪我人出さないようにね〜」
不意に冬華の足が止まる。満面ニヤ顏の二人を振り返った。
「それはあいつに言え」
戦場へと歩む彼女の背中を見て、カッコいいと思う孝俊と心であった・・・。
場所は二年一組の教室前。教師たちが集まっていた。その輪の中心、台風の目にいるのは一人の青年。名前は吉良つばさ。大柄な教師を右へ左へと投げ飛ばしている。
「おい、つばさ」
人垣を掻き分けて冬華が現れた。
暴れるつばさは気付かない。
「つばさ!」
回るつばさは気付かない。
「つぅばぁさぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あ、冬華」
気付いた。だが、回転を急に止めたため、振り回していた教師が冬華の方へと飛ぶ。
パラパラ・・・
ぶつかる寸前、教師はベクトルを九十度変えて天井に衝突した。
「相変わらず強えな、お前」
「そんなことはどうでもいい。今度は何の騒ぎだ」
冬華はあくまで冷静に問う。
近くにいた女性教師が慌てたように答える。
「吉良くんがいきなり暴れ出したって、先生方は言ってるんだけど」
「違う!こいつらが尾木をいじめたんだ!」
指差した方向では尾木という男子生徒がプルプルと震えている。
つばさが強く訴える。ジェスチャーを交えて語り出した。
それをまとめるとどうやらこういうことだ。
授業中、同じクラスの尾木くんが指名され返答に窮した。理由はまだ習っていなかったらからだ。けれどそれに気付かない教師が強く叱りつけたらしい。
「こいつら、尾木を罵倒したんだ!クラスメイトをいじめる奴は許さない!」
「ちょっと待て!」
再び目を血走らせて前のめりになったつばさの前に冬華が立ち塞がった。
「どけ、冬華」
「ダメだ。ここは私に任せて退け。先生には改めて謝罪を要求する。だから退け」
「嫌だ。それじゃあ虫が収まらねえ」
「どうしてもというなら私が相手だ」
「わかった」
刹那、拳が空を切った。
周りの人間が視認できたのは全てが終わった跡。
つばさがうつ伏せに倒れ、床にはヒビが入っていた。手首が赤く腫れている。
「学習しろ、バカ」
ピクッピクッと痙攣を続けるつばさを見下ろして竹刀を肩に掛ける冬華。
これが翔陵高校の日常。
そして、こここそが私の学校。
私、高村紫乃葉はこの春できたてのピッカピカの一年生であります!
部活動
ゴールデンウイークも明け、新しいクラスや学校にも少しずつ慣れ始めた頃。
高村紫乃葉は部活棟二階の人気のない廊下の突き当たり、とある扉の前にいた。
扉に貼られた紙には『遊興部』と書かれている。
まだ梅雨にも入っていないというのに、紫乃葉の額からは汗が流れ落ちる。
「どうしよう」
どうしてこんなところにいるかって?
話は数時間前に遡ります。
入学当初は一人ぼっちだった私にも友達が出来ました。
最初に話しかけてくれたフレンドリーな優子、優子と同じ中学出身で気の強い恭子。
昼休みは二人と一緒に食べることにしていたのです。
今日も変わらず談笑していると、突然優子がこんなことを言い出しました。
『あんたら、知ってる?二年にめっちゃ恐い先輩おんの』
すると、恭子が強い反応を示します。
『知ってる知ってる。いろいろ噂あるよねー。先生振り回して骨折させたり、机を遠投して掲示板割ったり、あと壁ぶち抜いたとか』
『何それ、ウソでしょー』
何も知らなかった私はその時、尾ひれのついた噂話くらいにしか思ってませんでした。
『ほんで、その先輩って部活入ってんねんて』
『何部何部?』
『確か名前は遊興部やった。部室は部活棟の二階らしいで』
『それほんとー?あそこって立ち入り禁止じゃなかったっけ』
『それはデマ。先輩が陣取ってから誰も恐くて近寄らんくなったから、そう言われてるだけやって。昨日部活見学行った時に先輩から聞いたもん』
この時、恭子があんなことを言い出すなんて。
『じゃあさ、行ってみようよ』
『えー、何で』
『面白そうじゃん』
『恭子は相変わらずの怖いもの知らずやな』
『どっちかっていうと怖いもの見たさかな』
『ほんなら、ジャンケンで負けた人が今日の放課後行くってことで!』
『ちょ、優子まで。何で乗ってんの?』
『最初はグー、出っさなきゃ負けよ、』
『え、ちょっと、待って…』
『ジャンケン、ホイ!』
そうしてジャンケンに負けた私は否応無く、罰ゲームをさせられていたのでした。
「はあ」
優子も恭子も悪い子じゃないんだけどなー。
仕方ない。
悩んで十数分。紫乃葉は覚悟を決めた。
取っ手に手を伸ばす。
最初に何て言うかは想定済みだし、大丈夫。
部屋の中で鈍い物音がする。
大丈夫。大丈夫。きっと優しい先輩が待ってくれてるよ。
怒鳴り声や叫び声が聞こえてくる。
だ、大丈夫だよね?殴られたり、し、しないよね?
青ざめ、怯え切った紫乃葉の手が取っ手を掴んだ。
バン!
今から引くはずの扉が凄い勢いで勝手に開いた。
衝撃に手が痺れている。
何が起こったのか、私には分からなかった。
ただ目の前に背の高い人影があってこっちを睨み下ろしている。
「どけ」
「は、はいぃ!」
奇声にも近い声を上げて横に飛び退く。
人影は少しの間睨み下ろしていたが、部屋を出るとそのまま廊下を行ってしまった。
こ、怖かった。
ヘナヘナとその場に座り込む紫乃葉。
すると、部屋の中から綺麗な黒髪の女の子が顔を出した。
「お、もしかして入部希望者?」
遊興部の部室は思っていたよりも広く、置いてある備品も上質で、まるで校長室のような佇まいだった。ソファに座っていると黒髪の女の子がコーヒーを入れてくれた。
「ありがとうございます」
ミルクがなかったのでブラックで飲む。やっぱり苦かったが、これはこれでおいしい。
「君はブラックでもいけるクチか?」
ホッとしていると向かいに座った細目の人が話しかけてきた。
「はい、まあ。お父さんがよく飲んでいて、小さい頃から味見をしてるうちに」
「そうか。なら合格だ。入部決定だね」
「え?」
「あれ、君は遊興部に入部したくて来たんじゃないのか?」
「ち、違います」
「じゃあ何でこんなところまで。ここは今、立ち入り禁止区域みたいに言われてるらしいけど…」
細目が紫乃葉を凝視してくる。
「ははあ、なるほどね。これは僕の予想だけど、もしかして君は友達とかにのせられてきたんじゃないかな。肝試し感覚で」
何で分かるの?
「何で分かるのって顔してる。よくいるんだよ、怖いもの見たさでつばさくんにちょっかい出す奴。まあ、大半は大怪我して帰る羽目になるんだけど」
ニヤリと不敵な笑顔が紫乃葉を貫く。
絶対この人、何か悪いこと考えてる!
「まあ、せっかく来たんだし、これも何かの縁だ。ゆっくりしていきな。今日はつばさくんももう戻ってこないだろうし」
「あの、つばさくんってさっきの人のことですか?」
「そうだよ。二年一組吉良つばさ。詳しい情報は本人から聞くか、本人と触れて知るのが早いタイプの人間だね」
「はあ」
「ちなみに僕は、二年四組二木峰孝俊。遊興部の部長なんだ。部員は僕を含めて五人。ここにいる静宮心ちゃん、と」
「よろしく」
「さっきドアから出て行ったつばさくんと、窓から出て行った瀬賀冬華ちゃん」
「窓から!?」
ほら、と言って孝俊は廊下と反対側の壁を指す。
そこには開け放たれた窓があった。
「ここ、二階ですよね」
「それをやってのけるのが瀬賀っちだよ。まあ、瀬賀っちも変わってる子だから、付き合ってみないと分からないだろうね」
「へー…」
遊興部、何かぶっ飛んでる。
「あとは、幽霊部員の坂駒万里くん。まあ、万里くんと会うことはないと思うから安心していいよ」
安心ってどういう意味だろ…。
「そう言えば、君の名前聞いてなかったね」
「あ、えっと、一年七組高村紫乃葉です」
「紫乃葉ちゃんだね。よろしく」
「よろしくお願いします」
その後も二木峰先輩は遊興部の活動内容や部員の話から、他愛もない世間話までいろいろと話してくれた。
気付けば、下校時刻を知らせるチャイムが鳴っている。
「お、もうこんな時間か。帰ろうか」
「そうですね」
最初はどうなるかと思ったけど、結構楽しかったなあ。
女子二人は先に出て、孝俊が戸締りをする。
扉を施錠した後、孝俊はこちらを向いた。
「さっきも言ったけど、うちの部活は休みないから、良かったら明日も来てね」
「私も紫乃葉みたいな後輩が来てくれると嬉しい」
「え、あ、あの、はい…」
え、何かこれ入部しないといけない空気?言葉は遠慮がちだけど、そんな満面の笑みで言われたら断れないし、どうしよう…
「じゃあ、また明日」
そう言って二人は先に帰って行った。
~おまけ~
帰宅途中の孝俊と心。
「さすがは孝俊。上手く勧誘した」
「いやあ、ココちゃんこそナイスアシストでしたよ」
「まあ、どちらにせよ、これで我が遊興部の未来も安泰だな」
「そうですね。紫乃葉ちゃんは押しに弱そうでしたし、真面目そうだからきっと明日も来てくれますよ」
「そうやって通っている間に部員に…くふふ」
「ええ、部員に…くくく」
夕焼け空に彼らの笑い声がこだましていった。
「くふふ」
「くくくくくっ、けほけほ」
「大丈夫か!孝俊」
「むせただけですから…けほっけほっ」
言葉
遊興部に出入りを始めてから、早七日。もうすっかり住人です。
当初の目的だった吉良つばさ先輩は最初に会ったっきり顔を合わせていません。
二木峰先輩によると照れているだけだそうですが、あんな恐そうな先輩がそんな乙女チックなわけありません。また二木峰先輩の悪い冗談でしょう。
こうやって通ってみると、遊興部はみんなの言うように恐ろしい場所ではないことが分かりました。部長である二木峰先輩は冗談や悪戯で人が困った顔をするのが好きな変態さんですが、越えてはいけない一線を分かっているみたいで、悪い人ではありません。私より背の低いココちゃん先輩は優しくて良識があって、まるでどこかのお金持ちのお嬢様みたいと思っていたら、本当に有名財閥のご令嬢だったそうです。冬華さんは何もしなければおしとやかで美人さんなのですが、意外に活動的でたまに超人的な能力を見せるガッカリ美人です。風紀委員長があんな奇抜な人でいいんでしょうか。
まあ、とにかく!今日も私は楽しい高校生活を送っているわけです! 以上。
「もうそろそろかな」
「もうそろそろだな」
「もうそろそろか」
「何がですか」
最近やっと先輩たちとの付き合い方が分かってきた…気がする。
「つばさくんだよ」
「吉良先輩がどうかしたんですか?」
一口啜ったコーヒーカップをテーブルに置いてココちゃん先輩が話し出す。
「つばさはここ一週間ロクに暴れてない。だからもうすぐ、何かが起こる」
「何かって?」
「それは…」
「それは?」
張り詰める空気に思わず喉が鳴る。
ガッシャーン!
会話の間を狙うように何かが割れる音がした。部屋ではない。中庭から聞こえる。
「ほら来た!」
「行くよ、紫乃葉」
制服のブレザーを着直す二人。冬華に関してはもう窓から飛び出している。
「え、ちょ、どこにですか?」
「つばさくんを止めに行くんだよ」
言われるがまま、紫乃葉も後に付いて行った。
数分後、下履きに履き替えることなく中庭へ直行した私たちは、惨状を目にすることになった。流れる血が池を鈍い赤色に半分染め、その畔には何人かの男子生徒が倒れている。どうやら一年生のようだ。着ているものもボロボロで、呼吸をしているかさえ怪しく見える。けれど、それよりも異様だったのは、その幾つもの肢体が転がる中、同じく一年生の男子が首を掴まれて浮いている光景だった。
苦しそうにもがくが、その首を締めている手からは力が抜けない。
そのうち、その生徒は気を失った。
「やめろと言っているだろうが!」
聞いたことのある声が響く。綺麗な低音に怒りの情が見られた。
ギャラリーの中から密やかな歓声が聞こえる。
冬華はそちらを睨んで牽制すると、青年に向き直った。
「つばさ。これ以上暴れたら謹慎や停学ではすまんぞ」
返事はない。
「仕方ない」
冬華さんが肩掛けにした袋から竹刀を取り出す。
それを真正面に構え、踏ん張った。
瞬間、彼女の体は青年に肉迫し、脇腹目掛けて竹刀を突いた。
けれど、その攻撃は届かずに終わる。
腰を捻り、遠心力を持った青年の右手が冬華の頭部を直撃。彼女の体は池を越え、校舎に打ち付けられめり込んだ。表面の塗装がパラパラと崩れ落ちる。背中が挟まったままの冬華はぐったりと頭を落としている。殴られた部分からは血が溢れ出していた。
「そんな…」
「瀬賀っちが負けるなんて」
心と孝俊が紫乃葉の横で狼狽えていた。完全に呑まれている。
「どうすれば…。瀬賀っち以外に止められる人間なんていないし、今のつばさくんはちょっとの衝撃じゃ気絶してくれないだろうし、会話も出来ないんじゃ、どうすれば」
二木峰先輩が隣で何かをブツブツと考えている。
さっき先輩たちは吉良先輩を止めるって言ってた。でもこの様子だと無理っぽい。
私も何か考えないと。
青年は変わらず、姿勢を保っている。
「ん?」
紫乃葉は青年の口元が何か動いていることに気が付いた。
孝俊の袖を引っ張る。
「二木峰先輩。吉良先輩、何か呟いてませんか?」
「ああ、あれはいつもの癖だよ。つばさくんが暴れるのは溢れて止まらない感情を制御出来ないからなんだけど、あの鬼人モードに入るとああやって脳に入り切らない感情を言葉にして吐き出しているんだ。本人はあまり自覚がないみたいだけど」
「そうですか」
「それがどうかした?」
「いえ、別に」
「ああ、聞き取ろうとしても無駄だよ。ほとんどが無秩序な言葉だし、まず聞き取れる距離まで近付けないから。これは経験談だから」
「…分かりました」
じっと青年を見つめる紫乃葉。そして、その足は何かを思い立ったように歩き出す。
「紫乃葉ちゃん?」
「先輩。いえ、部長。私、ちょっと行ってきます」
「紫乃葉…」
現在中庭で意識があるのは、青年と彼女だけ。
彼女は恐れることなく、真っ直ぐに青年に向かって突き進む。
ざわついていたギャラリーも距離が縮まるごとに声を潜める。
一歩、また一歩。
冬華が弾き飛ばされた辺りで青年が彼女を見据える。
まだまだ近付く彼女の首を青年の大きな手が捉えた。
そのまま体が持ち上がる。
手に入る力はどんどん強くなり、首が締め上げられて行く。
苦しいはずの彼女はそれでも青年を見つめ続けたー。
息が小さく漏れる。
「あなたは悪くない」
全員が息を止めたような静寂が終わりを告げた。
紫乃葉の体が地面に落ち、つばさの手が首から離れる。
その隙を見て教師たちが一斉に駆け寄った。
二人が引き離されるその合間、つばさの手は紫乃葉の頬に添えられた。
彼はただ一言こう言ったそうだ。
「ごめん…」
それが涙とともに溢れ出たものであることは彼女以外に誰も知らない。
つばさは教師たちに取り押さえられた。
「大丈夫か、紫乃葉!」
「ココちゃん先輩…」
「びっくりしたよ。紫乃葉ちゃん。あとは任せて」
「部長」
つばさの元へと向かう孝俊を呼び止めた。
「どうした?」
「私、入部します」
背中を支えられている紫乃葉に孝俊は笑いかける。
「わかってるよ」
その笑みに紫乃葉も微笑みで返した。
今度こそ孝俊は拘束されたつばさの元へ行く。
「なあ、紫乃葉」
「何ですか、ココちゃん先輩?」
「どうやってつばさを止めたんだ?」
どうやら私の声は聞こえなかったようですね。ココちゃん先輩が不思議そうに覗き込んできます。ここはどう返しましょうか。
「つばさ先輩の…吉良つばさという人間の声を聞いただけです」
「よくわからんぞ」
あの時、つばさ先輩の声を聞いた。多言ある中の一つを。ただそれだけ。
「それにしても、他人同然の男のためによく体を張れる。紫乃葉はすごいな」
「いえ、私は…私にできることを…した、まで…ですから…」
私の記憶はここで終わった。
ノート
中庭血染め事件の犯人である吉良つばさは一ヶ月の停学処分となりました。
年配の先生たちの中には退学処分にするべきと主張する人もいたらしいのですが、事件の被害者である一年生の男子生徒らが暴力行為をはたらいていたこと、その現場を目撃して割って入ったつばさ先輩に彼らが先に手を出したことが判明し、その先生方は協議の結果に苦虫を噛み潰したような表情で頷いたそうです。
今回の件によって「吉良つばさ」という名前は一年生の間にも広まりました。英雄と悪魔の二つの面を備えて…。
かくいう私も悪魔を鎮めた人物として有名になってしまいました。最初は怖がられたり冷やかされたりの毎日だったけれど、そのうち事件自体が皆の過去の記憶の一部へと溶けて行ったことで注目されることもなくなりました。優子と恭子は相変わらずの調子で学校の七不思議や怪談話を集めてきては私を実験台にして毎日楽しくやっています。事件の直後には私をからかおうとする人たちから庇ってくれたりと本当に良い友達です。
少し話が逸れてしまいましたね。
事件後の遊興部の先輩方についてですが、現在遊興部は活動休止中なのです。
つばさ先輩は停学処分、冬華さんは入院中、つばさ先輩の暴走を止められなかった二木峰先輩とココちゃん先輩は明らかに落ち込んでいて、停学処分の期限を過ぎるまで部活は中止ということになったのでした。
今回のお話は部活休止が決まった日の放課後から始まります。ではでは…
私、高村紫乃葉は、現在絶賛高校生中です!
「部活やめる!」
つばさの処分が発表されてから三日後、部活棟二階の遊興部部室のソファに腰掛けて心の入れたコーヒーを飲んでいた孝俊は突然、本当に何の前触れもなく立ち上がった。
「バカ言ってんじゃないってんですよ」
「だってだってだってなんですよー。部員の半分が学校にいないんですよ。寂しいですよね、寂しいですよね、ココちゃん?」
「わかった、わかった。わかったからほっぺたをスリスリしようとするな!っていうか、ホントに怖いから。今の孝俊の顔、風化したモアイ像より怖いから!」
椅子に座ったまま両手両足全部で孝俊の全力頬擦りを防ぐ心。
その様子を見て紫乃葉は呆れる。徐に自分のカップを置いて立ち上がり、孝俊の襟を掴む。そして、思いっきり後ろに投げた。
「部長、それ以上近付くとセクハラですよ」
孝俊の体は、見事にさっきまで紫乃葉が座っていた側のソファに着地した。
「ココちゃん先輩は私のものです!」
「違うでしょっ!」
「じゃあ、ココちゃん先輩は私なんかより部長の方が良いって言うんですか、ぐすん」
「あの、いや、そうじゃないけど…その、えっと…」
「ぐすん」
「あーもう!し、紫乃葉の方が……好き……だよ」
「センパーイ」
赤くなる心の頬に紫乃葉は自分の頬を合わせる。
スリスリ、スリスリ。
復活した孝俊が起き上がって一言、
「なんて恐ろしい子!」
数秒後、我を取り戻した心が紫乃葉を引き離し、再び孝俊に向き直る。
「けれど、どうしたものかな?つばさと冬華が休みでは遊興部の活動は成立しない」
「そうなんですか?」
「紫乃葉ちゃんにはまだ言ってなかったっけ。遊興部のモットーは
『遊を善とし、興を重んじよ。
遊びの中に真理を見出し、空気の流れを見定め、
自らに行動の自由を与え、光ある未来を掴み取るべし』って感じなんだけどね」
「まあ要するに、楽しくやってればいいんだよ」
「ココちゃん、ザックリすぎだよ…」
孝俊は向かいの自分のカップを引き寄せて中のものを一気に飲み干した。
「えーっと、それでそのモットーに準じるために大事なことが幾つかあって、そのうちの一つが…」
「『観察』」
「ココちゃん。いいとこ取りはもうやめようね」
「わかった」
よし、と孝俊は一つ咳払いをして説明に戻った。
「えーっと、モットーに準じるために大事なことが幾つかあるんだけど、遊興部は毎年それらにそったお題を決めて活動するんだ。例えば、さっき言った『観察』。今年の観察の項目のお題は『吉良つばさの生態観察』なんだよ。ココちゃん、あれを」
「りょうかい」
心は机の引き出しを開ける。その中にはたくさんのノートが入っていた。題名は『吉良つばさ観察日記』。その一番上のノートを取り出して紫乃葉に渡す。
紫乃葉は恐る恐る表紙を捲った。目に飛び込んできたのは紙を埋め尽くす文字の羅列だった。一日一頁のペースでその日のつばさの行動と、それに至るまでの感情の軌跡の推測、推測に対する筆者の感想などが事細かく書かれていた。次の頁も、その次も。捲っても捲っても同じ羅列が続く。
「本当はこのお題は去年のものなんだ。卒業した先輩たちがつばさくんに目を付けちゃってさ。始まりは去年の入学式の二日後、それから休日祝日長期休暇以外は今日までずっと書き続けてきたんだよ。でも、今度の騒ぎでつばさくんは一ヶ月の停学…」
「観察のお題は当分お預けっていうこと」
「他にもお題はあるんだけど、それにはつばさくんか瀬賀っちのどちらかの協力が必要になるからね。二人が戻ってくる一ヶ月後までは遊興部の活動はできない」
この時、初めて遊興部がちゃんとした部活であることを紫乃葉は知った。ただ遊んでいるんじゃない。ただ騒いでいるだけじゃない。
「遊ぶことにも真剣なんですね…」
ノートをそっと抱きしめて目を閉じる。
この中に詰まった記憶と努力と思い出が体に流れ込んでくる。
『遊を善とし、興を重んじよ。
遊びの中に真理を見出し、空気の流れを見定め、
自らに行動の自由を与え、光ある未来を掴み取るべし』
真実を見つめて、自分がするべきことを決める。
「今日で部活は一時休止ですか?」
「そうなるな」
落ち着いたトーンで静かに尋ねる。
「じゃあ、このノートを全部借りてもいいですか?」
「あ、ああ。別に問題はないけど…」
紫乃葉は顔を上げ、目を開けた。
窓から夕陽の光が入る。廊下側を向いて立っている紫乃葉の顔が逆光で陰になる中、その瞳の奥がギラギラと光っているように見えた。その輝きが決意した者の意志の輝きであることを二人は直感し、その迫力に圧倒された。
そして紫乃葉はその瞳を揺るがすことなく、こう付け加えたのだった。
「あと、つばさ先輩の住所を教えてください!」
吉良つばさ
高村紫乃葉はかなりの場違いさを感じていた。
ここは翔陵高校の最寄り駅から三つ離れた駅の北側に広がる高級住宅街の一角。大きな屋敷が軒を連ね、走る車はどれも名のある高級車ばかり。朝食後の運動なのかたまに人を見かけるが、彼らも宝石をあしらった明らかに高価な指輪やアクセサリーを身につけていた。そんな場所に平凡な女子高生である自分がいることがどうしても不自然に思えて、すれ違いざまの視線が痛い。
今日は停学期間二週目の日曜日。
紫乃葉は以前、静宮心から聞いた住所を頼りに吉良つばさに会いに来たのだ。
「ここ、かな?」
長く続いた漆喰の壁の迷路を抜けてすぐのところに吉良邸はあった。
高級住宅街の家々からすれば少し見劣りはするが、それでもかなり大きい。黄土色の壁に赤茶色の屋根。玄関と門との間にはよく手入れされた庭が見え、そこに敷かれた石畳が道を作っている。フェンスの所々にも色鮮やかな花が咲いており、この情景を写真にしたらガーデニング本の表紙を飾ってしまいそうだと感嘆の声を漏らすほどだ。
「うわあ…」
「おい!」
呆気にとられていた紫乃葉の後ろから、手がぬっと伸びてきて肩を掴んだ。
「ひゃっ!」
不意をつかれて思わず飛び跳ねてしまった紫乃葉の体は、その拍子にバランスを崩して走行中の車の前に倒れこんだ。磨き抜かれたボンネットの照り返した光が視界を包んだ次の瞬間、紫乃葉は誰かに抱きとめられていた。
「あー危なかった」
「え、えっと、助けていただいてありがとうございます」
「いや、いいよ。驚かせたこっちにも非はあるし……あ!お前」
「へ?」
声につられて顔を上げる。
そこにいたのは正しく吉良つばさだった。
吉良邸の客間は家具も豪華であったが、それよりも紫乃葉が清潔感を受けたように隅々まで掃除が行き届いていることが最も部屋の煌びやかさを見せているのだった。全体的に白で統一されていて、窓からの光が至る所で反射している。壁にはめ込まれた液晶テレビを囲むように置かれたソファーに腰掛けると吹き抜けの影響か、より一層部屋が広く感じられた。紫乃葉が興味深そうに周りを見回す間に、つばさはカップを二つ机に置いて斜め向かいに座った。
「アッサムだけどいいか?」
「あ、お構いなく」
カップを口に近づけると仄かに甘い香りがした。梅雨前の少し湿った大気は何処かへ行ってしまい、草花が萌え穏やかな春風の匂いが漂う頃に舞い戻ったかのような感覚を受ける。鼻の奥を何かがすうっとすり抜けていくような感じ。はあ、と二人して息を吐くとつばさが正面を向いたまま尋ねてきた。
「どうしてお前がウチの前にいた?」
「ココちゃん先輩に住所を聞いて、お見舞いに…」
「俺は病気じゃねえ」
「そう、ですよね」
気まずい。何を話していいのかわからない。
「部活休止になりました」
「そうか」
「冬華さん、もう来週には退院するそうです。学校復帰までに自宅でリハビリをするそうです。それにしても回復早いですよね。超人的っていうか」
「二木峰から聞いた。あいつらには迷惑かけたからな、学校戻ったら何かして返さねえと。あと、お前にもな」
「いえ、私は何もしてませんから気にしないでください」
「謙遜はいい。俺を止めたのがお前だということはわかってる。冬華にも出来なかったことをお前がやったんだ。少しくらい調子に乗っても罰は当たらない」
「そうですかね」
「そうだ。ところで…」
つばさが紫乃葉の顔を指差し、ぐっと近付いた。
「名前、何だっけ?」
数秒の間、沈黙が流れる。道路を行く車のエンジン音が遠くの方で聞こえた。
「え?あ、あの…知らずに喋ってたんですか?」
「うん、まあ。最初は制服じゃなかったしわからなかったけど、顔は見覚えあったから。部室の前でも会っただろ?」
「確かに会いましたけど」
「ダメなのか?」
まるで子犬だ。本当に不思議だという表情で聞いてくる。黒目がうるうる輝いて何となく子犬のように見える。
「いやダメっていうか、不用心過ぎではないかと…」
「そうか。これからは気を付ける」
ちょっとションボリしたみたいで、肩が下がっている。雨に打たれた子犬だ。
「で、名前は?」
「高村紫乃葉です」
「何組?」
「一年七組です」
「二年一組吉良つばさだ。改めてよろしく」
「はい、こちらこそお願いします」
そして再び沈黙の時。お互い次の言葉が見つからない。
見つめあったまま十数秒。
「お茶、注ごうか?」
「あ、ありがとうございます」
幽霊
今日はつばさ先輩が戻ってくる日!
久し振りに遊興部も活動再開です。
「おお〜!元気でしたかー、つばさくん」
「元気じゃねーよ、ったく。お前らの仕業だろ!高村を俺んとこに寄越したのは」
「いやいや、あれは彼女が自分から言い出したことだから」
「まあいい!んで、後の部員は?」
つばさと孝俊以外はまだ来ていない。
「ココちゃんは家の用事で先に帰りました。瀬賀っちは委員会です。高村さんはまだですね」
「あ、そういや冬華は治ったのか?」
「うわー思いっきり他人事ですね。一応加害者なんですからお見舞いくらいしてあげないと。ドーナツ持って行かないと瀬賀っち大激怒ですよ」
「わかってるよ。いつものことだからつい忘れてただけだ」
「いつも、じゃあないですよ…」
「…そう、だな」
カラカラとドアのスライド音の後に紫乃葉が入ってきた。
「あ!部長につばさ先輩。こんにちはです」
「こんにちは、紫乃葉ちゃん」
「よ、よお」
つばさのぎこちない挨拶にも紫乃葉は笑顔で答える。
と、部屋をぐるりと見回して紫乃葉は首を傾げた。
「あれ?ココちゃん先輩、いないんですか?」
「ああうん。ちょっと家の用事でね…」
言葉を言い終える前に、まだ温かいコーヒー入りのカップが孝俊の手から滑り落ちた。
ガラン。テーブルに奇妙なバランスで着地したカップは遠慮なくその中身をぶちまける。焦茶色の液体が面の上を滑らかに過ぎ、孝俊の足元にポタタタっと零れた。
「先輩!零れてますよ!」
紫乃葉が慌ててハンカチを取り出す。
一歩孝俊に近づいた瞬間、紫乃葉にも空気が凍ったのがわかった。
「万里!なんで、てめえがここに!」
紫乃葉の後ろに姿を現したのは、身長が二メートルほどの痩せ型の青年。顔立ちは優しそうなのに、眼鏡の奥に光る眼が内に秘めたおぞましさを見え隠れさせている。
「あ、か、彼はココちゃん先輩を探してて、そこに丁度私が通りかかって、じゃあここにいるんじゃないかなーって私が連れてきたんです」
「紫乃葉ちゃん?」
「何でしょうか、部長」
孝俊の狐目が少し開いてる。紫乃葉は初めて孝俊の両目を見た。
それは狐というよりは息を潜めた狼。ずっと見ているとピンと張った糸で動きを封じられるような感覚で、体の自由がきかなくなりそうだ。
「ちょっと下がっといてくれる?」
「は、はい」
紫乃葉は静かに壁際まで後ずさった。
目の前ではつばさと万里が今にも殴り合いになりそうな雰囲気を出している。
つばさを見下す万里。万里にガンを飛ばすつばさ。
一触即発とはこういうことを言うのだと思った。
「何の用かな?」
真っ先に口を開いたのは孝俊だった。
「君がこんなに早く顔を出すとは思わなかったよ。どの面を提げてきたんだい?」
「俺は…心に会いにきただけだ」
「万里!てめえ、どの口でその名を呼んでんだ!」
言いながら、もうつばさの右拳は振り抜かれていた。
けれど、それは坂駒万里の左手の中に収まった。
人一人ゆうに投げ飛ばすつばさの鉄拳がいとも簡単に止められた。
その事実は紫乃葉が万里のすごさを理解するのに十分だった。
「つばさくん!やめなさい。次は謹慎ではすみませんよ」
「ちっ」
つばさは万里をもう一度深く睨みつけた後、ソファーを蹴りでひっくり返して部室を出て行った。乱暴に閉められたドアがゆっくりと開放時の位置に戻る。
「で、ココちゃんに何の用?」
「お前には…関係ない」
「関係はある!君が以前起こした問題は遊興部部員全員の問題だ。だから今の部長である僕は事件の当事者である君がどういう目的で彼女に会おうとしているのか、知る必要がある」
「部長か。…偉くなったもんだな」
「君がいない間にずいぶん変わりましたよ。遊興部も、僕たちも」
「そうみたいだ」
万里の目線が一瞬だけ紫乃葉を掠める。
「さあ、目的を教えてもらいましょうか」
「今日は帰る。…面白いものも見れたし」
真剣な孝俊の視線を嘲笑うかのように万里は大きな体を翻し、ドアをくぐった。その目線が部屋を出る前にまた紫乃葉を射たことは、当の二人しかまだ知らない。
万里の出て行った部室は嵐が通り過ぎた後のように閑散としていた。
「ごめんね、紫乃葉ちゃん。怖かったでしょう」
さっきとは打って変わっていつも通りの表情で孝俊は声を掛けた。
氷漬けにでもされたかのように立ち尽くしていた紫乃葉は、戸惑いながらも少しずつ緊張を融解させて行く。
「いえ、その、はい。ちょっと驚きました。先輩のあんな恐い顔は初めて見ました」
「でしょー。口調も変わってるらしいんだよね、自分じゃ気付かないんだけど」
「あの人ってもしかして坂駒先輩ですか?」
「正解。前に話したよね?幽霊部員の坂駒万里くん。彼とは前にちょっとあってね」
「さっき言ってた遊興部全体に関わる問題ってやつですか?」
「うん、まあ、それだ」
「あの…そのことについて、聞いてもいいですか?」
「じゃあ、先に部屋を片付けようか」
幼馴染
「万里くんはココちゃんと幼馴染でね。家同士の仲が良かったこともあって、小さい頃からよく一緒に遊んでいたらしい。僕もみんなとの付き合いは長い方だと思うけど、あの二人の関係は他人が踏み込めない何かがあったんだ、去年までは…」
去年の夏休みの始め。
遊興部は海にも行かず、山にも行かず。
誰もいない学校の、誰も立ち寄らない遊興部部室でのんびりまったり過ごしていた。
「あっちー。今年の夏はどうなってんだー」
「つばさくーん。それ、去年も同じこと言ってたよー」
「あれ、そうだっけ」
「んなこと、どうでもいいでしょーが」
「ココちゃん!ナイスツッコミ!」
「孝俊。そのノリやめろ。ウザい、あつい、失せろ!」
「ひでーな、おい」
部室には当然クーラーもなく、心が家から持ってきた小型扇風機を二台ほど回しているが、日本の夏はそれでは収まりがつかなかった。
窓には簾、廊下側のドアは開けっ放し。団扇で扇ぎながら時が来るのを待つ。
「俺ら何してんだっけ、ここで」
「部長待ってんでしょーが」
「そうだったねー」
窓から無数の蝉の鳴き声が響いてくる。と、その雑音を掻き消すかのように入り口の扉が閉められた。そして再び乱暴に開く!
「やーやー諸君!夏バテしとるかい?」
元気溌剌な声の主は当時の遊興部部長、橘時雨。スポーツ万能少女で、幾多の部活動に勧誘を受けながらも遊興部を離れなかった変わり者だ。
「先輩、何で今一回ドア閉めたんですか?」
制服のブラウスを腰で結び、上半身はタンクトップ一枚という大胆な格好で現れた時雨に対して、つばさが投げ掛けた質問は至って冷静なものだった。
「いやー、何かこういう登場の仕方の方がかっこいいかなと思って」
「相変わらずですねー部長は」
「おいおいどうした二木峰。お前にしては珍しく見落としてるじゃないか。今日の私はいつもと一味違うんだぞ!」
そう言って胸を強調するポーズをとる。
「スポーツ少女らしくタンクトップ一枚で、大人びた体のラインをこう見せつけているのさ!」
「その胸で大人とか言われても…」
瞬間、つばさのこめかみが時雨の両拳に抉られた。
「何か言ったか?あん?これでも見た目よりはあるんだぞ。しかもまだまだ発達中だ」
「すみませんすみませんすみませんー!」
絶叫がこだます。
そんな中、心は部長が買ってきたアイスを目敏く見つけ、真っ先に飛びついていた。
ゴリゴリ君をペロペロ舐めながら心は時雨の容姿を見直した。
「時雨姐さん、髪型変えました?」
「お、よくわかったな。さすが心だ。纏める位置を少し落としてみた。ちょっと大人っぽくなってるだろ?」
「ええまあ。っていうか姐さん、ポニーテールとサイドアップは全然違いますよ」
「え?そうなのか?私はあんまりそういうことに詳しくないからな。そうだ!できれば今度、心が私の髪を編んでくれ」
「私がですか?」
「ああそうだ!休日は冬華のコーディネートとかもしてるんだろ?そのついででいいからさ。な?」
「まあ姐さんの頼みなら断りませんけど…」
「よし、決まり!あれ、そう言えば冬華は?」
「帰省中ですよ。それとあと一人はもうすぐ来ます」
孝俊が報告しているとまもなく、廊下をすごい勢いで走ってくる音が聞こえた。
「遅くなりましたー!」
息を切らせながら駆け込んできたのは、坂駒万里だった。
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