シロノノロイ

namahage2 作

この物語は、ホラーゲーム『シロノノロイ』(作:namahage2氏)の二次創作物です。
ゲームをプレイしたことのない方でも楽しんでいただけるような物語にしたいと思っています。もちろん、プレイしたことのある方にも、ご一読いただければ幸いです。
都合により最後まで書けない可能性もありますが、なるべく途中で途切れないように書いていきたいと思います。
前述の通りあくまで私の勝手な解釈の二次創作物でありますので、実際に『シロノノロイ』をプレイしていただくことをお薦め致します。
このような私めに掲載のご許可をくださった、シロノノロイ制作者のnamahage2様に感謝と敬意を籠めて。

シロノノロイ 始まり

シロノノロイ


 「そろそろ行こうか」
 「うん」
 合掌を終えると、父は名残惜しそうにゆっくりと立ち上がった。それに併せて玉砂利がざりざりと音を立てる。少し墓石に触れながら立ち上がると、線香から燻る煙が、真白の身体に静かに絡まった。
 「さて。じゃあ、母さんにお別れ言いなさい」
 「うん。お母さん、またね」
 控えめに手を振ると、まだきれいな『杉村』の文字も優しげに見つめてくるような感じがする。
 墓地を後にし、父に手を引かれながら、農道へと出る。
 寒かった冬はとっくに終わりを告げて、すっかりと暖かくなってきた。左の方にある畑の土からは春の匂いが立ち昇り、モンシロチョウがヒラヒラと飛んで来て、真白の鼻先を掠めた。
 「きゃっ」
「真白!危ない!」
真白が驚いて思わずのけぞると、横から父が受け止めた。真白は「いたた…」と立ち上がった。
 「真白、大丈夫かい?」
 「う、うん。ありがと、お父さん」
 真白は照れたように笑った。
 「それにしても、どうしてこんなところで…。ハハッ」
 「あっ!もぅ笑わないでよぅ!」
 こんどこそ、真白は真っ赤な顔になって、両手を振り上げた。
 「いやいや、ごめんごめん。フフ…」
 農道を左に曲がると、村の中を流れる川に架かる橋が見えてきた。
 その橋を渡ると、すぐに祖母の家の前に出た。その道は桜街道になっており、七分咲きに咲いている。父は「本当にここも、あの時と変わらんなぁ…」と懐かしそうな顔をしていたが、不意に時計を見ると、残念そうな顔をこちらへ向けた。その表情を見た真白はその表情の意味を悟って、俯いた。
 「じゃあ、お父さん仕事だから…」
 「うん…」
 父は、俯く真白の目線に合わせるように片膝をついた。
 「真白、おばあちゃんの言うこと、よく聞くんだぞ」
 「うん…」
 なおも、真白は視線を地に落として返事をする。父は真白の頭にゆっくりと手を乗せる。
 「お父さんな、このまま真白がおばあちゃんの家で暮らすのもいいと思っているんだ」
 「…」
 「お父さんは仕事でかまってやれなかったし転校ばかりで友達もできなかっただろう?」
大きくて暖かな手が、真白の頭をなだめるように撫でる。
 「おばあちゃんも喜ぶし、そうしなさい」
「…うん。わかった」
 未だ不服ながらも、頷いた。父は、「しばらく会えないけど、元気でな」と言って真白の頭をポンポン、と叩いた。
 「夏には会いに来るからな」
 「うん。またね」
 顔を上げて遠慮がちに微笑んだ。
 「またな」と何度も言いながら去って行く父に、真白はその姿が消えるまで手を小さく振り続けた。
 本当なら見えなくなっていく背中を、今すぐにでも追いかけたかったが…。
 「少し散歩でもして帰ろうかな…」
 腕にはめていた子供用の腕時計を見やる。去年の誕生日に父が買ってくれたものだ。桜の花びらのような薄桃色が可愛らしくてお気に入りだった。本当は人形が欲しかったのだが、時計をつけた真白を見た父が心底嬉しそうにしていたので黙っておいた。
 お昼ご飯をほっぽって遊びに行っていたとなれば、祖母に叱られてしまうだろうが、幸い昼食まではまだ時間がある。
 真白は重々しい心持ちを振り切るように、足を大きく踏み出した。


 桜街道を十分ほど歩くと、一際大きな桜の木があった。並木とは違い、巨木の花びらは既に満開になっていた。
 祖母が言うにはこの桜は『オバケ桜』というものらしい。由来としては真白が聞いた限り二つある。まず一つは、まだ雪深い時期に蕾が芽吹き始め、村中のどの桜よりも長く咲き続けるため。
 そして二つ目は(これは学校で聞いた話なのだが)、『あの桜の木の下では、怪現象が度々起こる』ため、というものだった。花見に来た客の酒瓶が揺れ出したり、かぶっていた帽子が風もないのに飛んだりするそうだ。昔は少なからず花見客も訪れていたようだが、そういうことが起こるようになってから、ぱったりと途絶えてしまったらしい。小学校では、それに尾ひれがついて『桜の木の下には人が埋まっていてその人が養分となっている』とか、『その人の呪いで怪現象が起こる』など、噂されている。
 どこにでもあるような他愛ない噂話だが、真白も恐怖心から、行かないようにしていた。
 しかし、目の前の情景は真白が想像していたものとは、対照的なものだった。
 「わぁっ…」
 あまりの美しさに真白は息をのんだ。
 降り落ちる花びらたちは、風に弄ばれるようにユラユラと揺れる。落ちた花弁が重なり合って、木の周囲は薄桃色の絨毯と化していた。
 去年の秋に、都市部からお母さんの実家のこの村に越してきた真白にとって、この年は村で過ごす初めての春だった。当然、並木の桜も見ていたし、それなりに綺麗だとは思っていたが、ここの美しさにはかなわなかった。
 真白はもっと近くで桜を見たくなり、思わず走り寄って、幹に触れた。
 不意に強い風が吹いて真白は身を庇った。桜色の絨毯は吹き飛び、桜の雨が散る。
 その時、真白のポケットから中途半端に入っていたハンカチが、先ほどまで桜色に覆われていた若草の上に落ちた。
 「あっ、ハンカチが」
 慌てて拾おうとすると、その手をすり抜けるようにして、ハンカチはひらりと舞い上がった。それだけでなく、真白から少し離れたところまで飛んでいくと、まるで舞い落ちる桜の花びらのようにフラリと揺れた。しばらく同じ動きを繰り返すと、また、はためきながらながら飛んでいく。
 「まっ、まって!」
その様子に唖然としていた真白は、ようやく我に返って追いかけると、一瞬、ビクリと跳ねるとその場にパサリと落ちた。
 「つかまえた!」
 今度は逃すまいとしていた真白の手が勢いよく押さえつけた。それ以上ハンカチは動き出そうとはしなかった。
 「うぅ…。汚れちゃったよ…」
 これもお気に入りだったのにな…。
 そう思いつつ強く押しつけて押しつけてしまったためついた雑草の端切れと土を怪訝な顔で払い落とした。
 (風で飛んだのかな…)
 しかし、どうしても風だけで動いたようには思えなかった。
 (変なの)
 とたんにさっきまで忘れていた噂話を思い出し怖くなってきた。真白は思わず身震いした。なんだか、視線を感じるような気がする。
 「気のせいだよね…。…もう帰ろ」
 ハンカチの汚れを早くぬぐいたいのと、恐怖心が真白の足を急がせた。


 「うぅ…。悪いことしちゃったかなぁ…」
 ハルは桜の幹に寄りかかりながら、先ほどの女の子のことを考えて溜め息をついた。落ちたハンカチを取ってあげただけならまだしも、それを使って自分がいるということを示せないかと思ってしまったこと。そして、あろうことかそれを落としてしまったことを後悔していた。
 「これじゃ、『ほんまつてんとう』じゃない…」
 遙か昔に誰かから聞いた言葉を呟いて、もう一度、はぁ…、溜め息をつく。桜と同じ色に染まった髪と着物の袖が、風で振れた。
 「それにしても、また気付いてもらえなかったなあ…」
 俯きながらそう呟くのはこれで何度目だろうか。
 何十年も前から様々な人たちがこの桜を見ようと訪ねてきた。だが、誰一人としてハルの存在に気付く者はいなかった。お客さんが来たら、いろいろな方法(例えば、お花見客の酒瓶を揺すってみたり、服の端をつかんでみたり)で自分がここにいることを気付かせようとしていたのだが、そのたびに「わっ!」とか、「きゃ!」となって逃げ帰ってしまうのだ。
 最近ではなぜかお客さんもめっきり減って、さっきの女の子も三年ぶりくらいだったかもしれない。
 「わたしってオバケの才能ないのかなぁ…」
 若干涙目になって。巨木の根に腰を下ろした。
 「さみしいなぁ…、だれか来ないかな」
 そう言ったとき、サクリと草を踏む音が聞こえた。
 「!」
ハッ、と顔を上げると、真っ黒な着物に紺色の帯を締めた人影が歩いてくる。
 「…。気付くはずないよね」
 あやうく消えない期待感に、ぬか喜びさせられそうになって、ハルは目を伏せた。そうしている間に、影はハルの目の前まで来ていた。
 「おい。人にイタズラするのも程々にしておけよ」
 「え…?」
 またサッと上を向くとぼさぼさの頭が斜めに傾いた。どうやら男の子のようだ。
 ハルは後ろと左右を見渡した。
 「他に誰かいるっけ?」
 その言葉に、ハッと目の前の少年を見る。
 「わたしのこと見えてるんだね!!」
 男の子の言葉を聞いた瞬間、ハルは思わず飛び上がっていた。
 「やったぁ!」
 「な、何??」
 ぼさぼさ頭はハルのあまりの喜びっぷりに引いているようだったが、ハルはそんなことお構いなしでぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
 「お、おい!ちょっと落ち着けって!」
 「ご、ごめん!わたし嬉しくってつい…!」
 ハルは目の端の涙を拭いながら言った。
 「わたし、幽霊なんだけど。今まで誰も気付いてくれなくて!」
 気付くとハルは、男の子の手を包むように握っていた。男の子は少し赤くなって「は、はぁ」と身を引いた。ハルは握っていた手を放しながら「あ、自己紹介しなきゃ!」と息を整えた。
 「わたしはハル!あなたの名前は?」
 「ハチ」
 と男の子は無表情に言った。
 「ハチ?よろしくね!ハチ!」
 ハルはもう一度、ハチと名乗る少年の手をぎゅっと握ると、もう取り乱すようなそぶりを見せず「よろしく」と無表情を貫いていた。
 今までそのぼさぼさの髪の毛で見えていなかったが、ハチの鋭い瞳は、左が赤色で右が青色という特殊なものだった。
 「ねぇ、ハチ。よかったら、時々、ここに来てくれたりしないかな…?」
 おずおずと訪ねると、ハチは「?」と小首を傾げた。「えっとね…」とハルは続ける。
 「この辺り、最近あんまり人が来ないし。その…、さみしくて。」
 ハルは握っているハチの手を見つめた後、少し上目遣いにハチの顔を見た。
 「少し話をしてくれるだけでいいの!ダメ…かな?」
 ハチは少し考えるように自分の手に目を落とすと「いいよ」と一言、言った。ハチの無表情な顔が、微かにほころんだ気がした。
 「ほんと!?」
 「ああ。…今日は用事があるから」
 ハチは「またな」と手を振りながら振り向いた。
 「うん!またね!」
 ハルも「絶対!約束だよ!」と去って行くハチの背中に手を振っていた。
 ハチが去ってから、今日はいい日だなぁと、ハルはニコニコ顔が収まらないまま、ふっ、と、消えた。


 四ヶ月後。
 「真白、夏休みの宿題終わった?」
 真白は裕子と、さんさんと太陽の照る中、農道を歩いていた。裕子は、こっちに来てからできた友達で、何かと世話の焼ける親友である。今日は小学校の恒例行事である、水泳に行って、一時間ほど泳いできたのだ。裕子は途中、駄菓子屋で買った棒アイスをなめながら、学生の長期休みの定番の質問をした。
 「うん。終わったよ」
 「えぇー!もう終わったの!」
 真白が平然と答えると、裕子は大げさに驚いて「わたしなんて、開いてすらないよ…」と、これから待ち受ける宿題の山に絶望しているようだった。いつもならここで、宥めたり、手伝う約束などしてやるところだったが、あいにくと、今の真白にはそのようなことに気を裂いている余裕はなかった。
 (結局、お父さん来てくれなかったなぁ…)
 夏休みの初旬ぐらいには、こっちに遊びに来てくれると言っていたのだが…。父は来ないどころか電話すらない。
 きっと仕事が忙しいのだろう。こんなこと、こっちに引っ越してくる前もたびたびあったではないか。そう考えても、やはり煮え切らない気持ちが、真白の中に渦巻いていた。
 「ちょっと、真白聞いてる?」
 いつの間に食べていたのか、裕子は先ほどまで半分以上残っていたアイスバーの芯棒をブンブン振り回していた。
 「あ…。ごめん、なんの話だっけ?」
 「だから、夏祭りの話だよ!」
 真白はキョトンとしていた。
 「夏祭り?」
 「そうそう!夏祭り夏祭り!」
 そういえば、今日の水泳でも何人かの友達が言っていたのを聞いたような気がする。
 「そっか。真白はお祭り、行ったことないんだっけ?」
 二人は川に架かる橋に差し掛かっていた。
 「どんなお祭りなの?」
 真白がそう言うと、裕子は「よくぞ聞いてくれました!」と得意げに語り始めた。
 「結構大きなお祭りなんだよ!屋台もたくさん出て、太鼓も出てみんなで盆踊りを踊るんだよ!」
 裕子は大きく腕を広げて、早口に説明した。
 間髪入れずに「だ・け・ど!」と芯棒を左右に振った。
 「なんと言っても凄いのは灯籠流し!」
 「灯籠流し?」
 真白はまたしてもキョトンとしてしまった。
『灯籠流し』という言葉は聞いたことがあったものの、詳しくは知らない。
 川を背にして立っていた裕子が橋の中腹から、光る水面を指さした。
 「この川が光に包まれて、とっても綺麗なんだよ!」
 裕子はまるで祭りを誇るかのように満面の笑みを浮かべていた。
 「そうなの?灯籠流し、見てみたいな」
 真白も釣られて少し寂しげに笑った。川面に反射する太陽で、裕子そのものが輝いているように見えた。
 「うんうん!絶対来なよ、楽しいからさ!」
真白に向かってグッと親指を突き出すと、裕子は「バス来ちゃうから、またね!」と、タタッ、と駆けていった。
 もう宿題のこと忘れてるんだろうなぁと思いながらも、真白はあることを思いついた。
 「あ!そうだ。お父さんに電話しよう!ええと、公衆電話は…。」


道が二手に分かれている。
 左手の方は真白がいつも通う通学路になっていて、二キロほど歩くと学校につく。
 右の方は昔ながらの民家や駄菓子屋が、間隔をあけて軒を連ねている。先ほどのアイスもここの駄菓子屋で買ったもので、学校帰りには裕子と一緒によく利用するので、引っ越して間もなく、真白にとって村の中でなじみ深い場所となっていった。
 公衆電話があるのは、その駄菓子屋の前だ。 「いつもありがとうね」と、声をかけてくれる駄菓子屋のおばさんに軽く会釈し、公衆電話に駆け寄る。どうして公衆電話からかけるかというと、家からだと祖母に聞かれるのが恥ずかしいのと、祖母は非常に心配性なので、こと真白には甘いので、自分が寂しさから父に電話しているのだと知れたら、電話越しに父を怒鳴りつけてでも、『こちらに帰ってくる』という約束を取り付けるだろうからだ。そうなれば仕事で忙しい父にも迷惑がかかるだろうし、祖母が「いっそ、こっちで暮らせ」というかもしれない。真白にとってはそれはそれで嬉しいことなのだが、父の邪魔になることだけはしたくなかった。
 十円玉を二枚投入して覚えている父の携帯電話の番号をダイヤルする。こういう時に自分にも携帯電話があると便利なのだが、小学校の友達の中で持っている者もほとんどいないので、真白はこういう時以外、特に必要性を感じなかった。なにより、忙しい父に強請るのは忍びなかったのである。
 数回の呼び出し音の後に「はい、もしもし。杉村ですが…」と父が出た。
 「もしもし、お父さん」
 「なんだ、真白か。どうしたんだい?」
そう問われて、自分が四か月の間に見聞きしたすべてのことを、滔々と語りだしてしまいそうになるのを抑えて、「ええと、大したことじゃないんだけど…」と前置きした。
 「夏祭りの灯篭流しが綺麗なんだって、友達が言ってたの。お父さんは見たことある?」 と、早口に言った。
「灯篭流し?いや、見たことないなぁ」
 父は数秒の間をおいて「そうか、灯篭流しか。いいね」と朗らかな口調で言った。
 「なら、夏祭りの日に合わせて、真白に会いに行こうかな?」
「本当!?」
真白は自分の胸が熱くなるのを感じた。
 「ああ、もちろん」
 父は優しくそう言うと「ごめん、いま仕事中だから切るよ?」と、すまなさそうに言っていた。
 「あっ、ごめんなさい」
 なんだか、結局邪魔してしまったらしく、真白は少し恥ずかしくなった。
 「いや、いいよ。また、電話するよ」
 「うん!またね!」
 やった!
 受話器を置いてから、真白は自分の顔が思わずほころんでいるのを感じた。もう夏休み中は会えないかと思っていたので、より嬉しく感じた。
 本当に灯篭流しのことを聞いてよかった。明日、裕子にお礼を言わなくちゃと心に決めて公衆電話の前から立ち去ろうとすると、石段が目に飛び込んできた。
 この石段を登ると、確か神社があるはずだ。
 「そうだ!小銭が余ったし、神社にお参りしようかな」
 

 石段を上がって鳥居をくぐると、拝殿が見えてきた。田舎の村にしては立派な神社のようで、拝殿の周りをお堀のように掘り込んで川を流していたりする。敷地も広く、奥手の方には木々が林のように並び立って小道を作り、その先の石段は山の方にまで続いていた。
 真白は手水鉢で手を清めて、賽銭箱の前まで来ると、五十円玉と数枚の一円玉を落とし入れた。祖母に習った二礼二拍一礼の動作で目を閉じる。
 お父さんと一緒に暮らせる日が来ますように。
 
 そう願ったとき、真白は自分の後ろにいくつかの黒いシルエットが、まさにカメラのフラッシュを浴びた影のごとく、現れて一刹那の内に消え去ったことに気付かなかった。
 
 「…そろそろ帰らなきゃ」
 今日の出来事だけで少しくすんでいた夏の風景が、いっぺんに華やいだ気がした。
 真白は夏祭りに思いを馳せながら、石段を早足で駆け降りた。
 夏の終わりの近づいた空は、すでに黄昏色に染まり始めていた。

夏祭り当日 6:00

 祭りの会場は提灯の薄ぼんやりとした灯りに照らし出されていた。近くの公園で演奏されている祭囃子と、道行く人々の艶やかな着物と喧騒が、日本人のこころの故郷とも言うべき風景を作り上げていた。
 夏祭りは裕子の言った通り、結構な規模で催された。この村の祭りは、実はそこそこ有名な祭りらしく、村人だけでなく周辺の村人や観光客も参加していて、真白にとってはかつてないほど村に活気が満ち溢れていた。
 神社主催の慰霊祭ということもあって、石段のある通りには多くの屋台が立ち並んでいた。当然あの駄菓子屋も屋台を出していて恰幅の良いおばさんに声をかけられた。
 「ああ、真白ちゃん!寄って行って」
 おいでおいで、と大きな招き猫よろしく、おばちゃんは大降りに手を振っている。屋台の前まで来るとビニール袋に入ったベビーカステラを渡された。
 「いつも贔屓にしてもらってるから、サービスだよ」
 「え、え?ホントにいいの?」
 真白がそう聞くと、おばちゃんは、ガハハ、と笑って「いいさぁ」と暖かな笑い顔になった。
 「これはおばちゃんからの感謝の気持ちなんだから。さぁ、さ、遠慮しないで」
 「ありがとうございますっ!」
 こちらも自然と笑顔になっていた。しかし同時にこころの中には、寂寥が渦巻いた。おばちゃんの笑顔は、真白の母にどことなく似ていて(当然、真白の知っている母の面影とは、年齢も造作もかけ離れたものだったが)、それを見るたびに母との思い出が蘇ってきて、少しだけ胸の中に冷たい風が吹き込んでくるようだった。
 あの頃はずっと一緒にいられると思っていた。幼い真白にとって別れのときはすぐにやってきた。
 カステラを持ったまま石段に腰掛ける。
 母は病気だった。どんな病だったかは聞かされていない。母は面倒見がよくて優しい人だった、ような気がする。『だったような』とは真白自身、母のことをよく覚えていないからだ。それが母の死のショックでそれまでの母の記憶が抜け落ちているのか、ただ時の流れなのかは定かではなかったが、今の真白には母の死に顔すら思い出せなかった。思い出せない理由が、『時間』だとは思いたくなかった。
 カステラを一つ二つとパクついていると、右方から声が上がった。
 「ましろ~!」
 見ると、涼しげな白い水玉模様の入った青い浴衣に身を包んだ祐子が、袂がまくれるのにもかまわず手を振りながらこちらへ走ってきた。食べかけていたカステラを慌てて口の中に押し込んで、手を振り返す。
 「真白、浴衣似合ってるじゃん!」
 祐子は既に、屋台で買ったのであろう綿菓子を持ちながら言った。真白の浴衣は時計と揃いの桜色で、朱色の帯を締めている。
 「ありがとう!祐子のも可愛いよ!」
 「えへへ、そうかなぁ?」
 祐子は、照れたように頭をかいている。
 「祐子の言う通りこんなに大きなお祭りだったんだね!」
 真白が率直に感想を述べると、「そうでしょ、そうでしょっ!」と先週の橋の上で語った時のように、「むんっ」と胸を張りながら応じた。
 「もちろんフィナーレの灯籠流しも綺麗だけど、今鳴ってる太鼓の櫓も、大きくて凄いんだよ!一緒に行こうよ!」
 「ちょっ!祐子っ!」
 祐子は真白の手を取って櫓の方へ駆け出した。それにあわあわと引っ張られながらも、真白は祐子に感謝した。彼女はなんだかんだと手の掛かる親友だったが、こういう明るく前向きな彼女の言動に何度救われたか、真白には数え切れなかった。暗澹としていた気持ちがスッと晴れていくのを真白は感じていた。

 その後、祐子について櫓を見に行ったり盆踊りで同学年の友達と出会ったり、その子らと一緒に射的や金魚すくいなどやって慌ただしくも賑やかに時は過ぎていった。
 スーパーボールすくいに夢中だった祐子は、「そういえばさ……」と顔を上げると真白の方を見上げた。
 「なに?祐子」
 「いつもの時計。今日はしてないんだね?」
 その言葉にハッとして左腕を見ると、見慣れた桜色の腕時計は影も形もなかった。
 どこかで落としたっけ?いや、道中で外した覚えもないし落としたら流石に分かるだろう。祭りに来る前を振り返り、あっ、っと声を上げた。
 「……家に置いてきた、かも」
 祖母に浴衣を着つつけて貰う前に、邪魔だからと外してちゃぶ台の上へ腕時計を置いたことを思い出した。
 「ちょっと取ってくる!」
 次の屋台に向かおうとしていた一行から身を翻し、元来た道を走り出す。「私もいこうか~?」と祐子の気遣わしげな表情を見る。
 「いいよ!一人で行ってくるから!」
 今日は父と会うのだ。あれがなければ困る。きっと自分の贈った腕時計を付けた娘を見たら、父はまた嬉しそうな心底安心したような顔をしてくれるだろう。
 手を振る祐子達の姿を背に、真白は暗い畦道を知らぬうちにスキップしていた。

 
 「ただいま~……」
 ゆっくりと家の引き戸を開く。既に家の蛍光灯は消えており、静かだった。まだ寝るには早い時間だったが祖母はもう寝ているのだろうか。
 祖母も昔は体が弱く、母と同じ病を患っていたらしい。今では自分にも他人にも厳しく、しかし快活に笑う祖母であるが、母が亡くなったときは自分の遺伝なのではないかと酷く自身を責めていたそうだ。
 玄関から廊下を歩き、居間へと上がる。大きな一枚板の机の上を探る。祖母が言うには、昔はこの大きな天板の上で親戚が集まって祝宴を催したりしていたようだったが、最近では疎遠になってしまった者達も居て、そんな集まりも出来なくなってしまったようだ。
 「あ、あった」
 指先に触れた硬いものを引き寄せて見ると、桜色のフレームと針が闇の中に浮かぶ。短針は七時の方向を指していた。いくら早寝と言ってもこの時間帯ならば、まだ祖母も真白も起きていて、夕飯を食べているぐらいの時間だ。
 もしかして、と真白は思う。もしかして、祖母は寝たいにも関わらず私に合わせて起きてくれていたのかな……。祖母は厳しい人だ。それ故に、優しい。
 真白は、ぐっ、と息を飲み、腕時計を腕に巻き付けると、出来るだけ物音を立てないようにゆっくりと引き戸を開いた。
 今の真白には、それしか出来なかった。
 

 真白はもう一度祭りの会場へと、歩き出した。三日月の月明かりが静かな光を真白に投げかけていた。しかし、それでも歩く道は暗く、いちいち足下を確認しないと躓いてしまいそうだった。そのようにして歩いて行く真白の目に、何かが横切った気がした。顔をあげた真白は目の前の異様な光景に、目をしばたかせる。
 「あれ……?さく、ら?」
 桜並木に薄桃色の花びらが、満開で咲いていた。さっき真白の顔を掠めたのは、サラサラと音が聞こえそうなほどに振り落ちる桜の花びらの中の、その一片だったようだ。
 「ど、どうして?」
 確かにこの近くには『オバケ桜』がある。しかし、真白の聞いた話ではこの並木の桜たちは何のいわくもないし、それであれば『夏の終わり』という季節は桜が咲くにはまったく見当違いであるはずだ。
 真白はそのことを奇妙に思ったものの、なぜだか恐怖はなく、その光景に心引かれていた。咲き乱れる桜が、ざわりと夜風に揺れ、月光に青白く照らし出されていて、まるで桜の木に、青い炎が燈っているかのようだ。昼間の桜にはない、鋭く洗練された美しさを真白は感じ、誘われるように右手を前に伸ばした。
 「バウ!」
 「きゃ!」
 突然、何者かが吼えた。真白は、咄嗟のことに腕を胸の前まで引っ込めると、声のした方向へと振り向いた。
 犬だ。
 少し距離が離れているにもかかわらず、真白の背丈ほどもあるのではないかと思えるほどに大きく見えた。風になびく体毛は、犬自身が創る影より黒い。しかし、最も目を引くのは、真白を鋭く見つめるその双眸だ。
 右目は紅く、左目は蒼い。
 瞳の外縁を色鉛筆で薄く塗り重ねたかように、淡く、しかし強烈な印象を放つ目が真白を睨み付けている。
 いや、違う。
 異色の瞳が向けられているのは、真白が手を伸ばした桜の木の方だ。真白も釣られてそちらの方を見ると、にわかに木の幹の中腹がボンヤリとかすんでいる。
 「ッ!!」
 瞬間、深海に叩き付けられるような感覚に、真白は思わず身を引いて目をしばたたかせる。それでも犬も『ボンヤリ』も、咲き誇る桜の花も消えてはくれなかった。
 真白は祭り会場への道を駆け出していた。早く人の気配がするところへ行きたかった。言い知れぬ恐怖を感じていた。それは黒い犬や『ボンヤリ』に対してではなく、目の前で起きる異常事態をすんなり受け入れた自分へであり、受け入れさせた雰囲気であり。
 それらと同時に、全てを投げ出し身を任せてしまいたくなるような、そんなネットリとした甘味のようなものが確かにあったからだった。


 真白が祭り会場につくと、裕子たちといたときより更に賑やかになっていた。全力でここまで駆けてきた真白は、その喧騒にやっと息を吐いた。浴衣は着崩れ、真夏の夜ということもあり、真白の額からは汗が流れた。
 荒い息をつきつつ、裕子たちを探す。しかし、人ごみのせいで遠目では色がうごめいているようにしか見えず、人の対流をかき分けて行く気力はなかった。ふと腕時計を見ると、そろそろ父との待ち合わせの時間だ。しぶしぶ裕子たちを探すのをあきらめて、待ち合わせ場所である神社の境内へ向かった。
 人波に押し流されるままに進むと、境内へ向かう階段が見えてきた。普段はさほど気にならない段差が、疲労の所為か、今は高く遠いものに感じる。
 「お父さんは、来てないみたい……」
 ゆっくりと鳥居をくぐると、本殿の前は階段の下の喧騒など別次元の話であるかのように、寂しく感じるほどの静謐さに包まれていた。当然、人っ子一人、いない。
 腕時計を見ると、待ち合わせ時間のちょうど五分前だった。
 「早く来すぎちゃった、かな」
 父のことだから五分前ぐらいには来ているだろうと思っていたのだが、当てが外れてしまったようだ。いや、それともまた仕事で遅くなるのだろうか。
 真白は賽銭箱の隣に腰かけ、顔を伏せる。
 仕事ならば、最悪ここにさえ来られないこともあるだろう。けれどもその仕事だって、他ならぬ自分のためにも父は働いてくれているのだろうと真白は考えていた。だからこそ、そんな父の迷惑にはなりたくなかったし、自分の出来うる限り父を喜ばせたいとも思っている。
 それと同時に、母を失った時と同じような寂しさを真白は感じずにはいられなかった。
 もっと一緒にいたい。そう胸の中で思った瞬間だった。
 「え!?」
 突如、拍子木を打ち鳴らすような音と、光源のない光が静寂の満ちる境内に響き渡った。驚いて顔を上げた真白は、ボンヤリとした人影を目にした。数人の小さな影がこちらを見て立っている。顔は見えなかったがなぜかそう感じた。まるで影そのものが立体感を持ったように表面には夜の闇にもくすまない黒がべったりと塗りたくられている。
 その時、真白には呟くような声が聞こえた。正確には『聞こえた』ではなく『伝わってきた』だろうか。
 「なに……これ」
 通りゃんせ、通りゃんせ
 頭に声が直接響いてくる。その恐怖と脳髄が丸ごと相手の手中に収まってしまったかのような不快感に、真白は堪らず両手で頭を覆う。
 此処は何処の細道じゃ
そしてハッ、とした。
影達がゆっくりとこちらへ近づいてくる。未だ続く歌とそれに伴う不快感に顔をしかめながら、立ち上がって本殿の階段を駆け上がった。最上段まで上がって木製の引き戸に手をかけた。だが、たいして重くもなさそうな扉はいくら引いても開く気配がない。
「な、なんで開かないの!?」
天神様の細道じゃ
黒い影は滑るように真白へ近づき、もやの掛かった手を伸ばしてくる。
「いやっ!」
真白はその手を払い除けた。
「っ!」
バシンという破裂音がして先頭の影が揺らぐ。その拍子に真白は片手が掛かった引き戸が妙な重みを無くしたのを感じ、一気に引き開けた。引き戸を閉めると、真白はうずくまって身を固くした。
 何分そうしていたことだろうか。
何者かの気配が徐々に遠ざかっていくのを感じる。どうやら影達は本殿の中までは入ってこられないらしかった。
真白は今まで留めておいた息を大きく吐き出し、手の甲の痛みに気付いた。先ほど影の手を払った右手が、火傷でもしたかのように痺れた。途端に得体の知れない影への恐怖が再び巻き起こった。
「怖い……怖いよ」
助けて、お父さん。
震えながら右手を胸に抱いた。
「どうしよう……」
ここにはさっきの影達は入ってこられないようだが、もしも入ってこられる”ナニカ”が存在するなら、真白はまさに袋のネズミになってしまうだろう。
その時、石段のそばの公衆電話の存在を思い出した。
「下まで走って助けを呼べば……」
引き戸の隙間から外を覗くと、やはりあの影達は居なくなっている。
 今しかない。
 戸を引き開けると真白は一気に駆け出した。
 真白は石段の半ばまで来て違和感を感じた。うるさいかった祭りの喧噪が聞こえない。
あれほど賑わっていた通りは火を落としたように静かで、お囃子も聞こえてこない。屋台もその主人を失っていた。
 明らかな異常事態に真白は焦りながらも公衆電話から父に電話をかけた。数回のコール音も、いつも以上に長々しく感じた。
 「はい、杉村ですが、」
 「もしもしお父さん!今どこ?!」
 「ああ、真白か!すまない、急に仕事が入って遅れそうなんだ」
 行きは良い良い、帰りは怖い
 「!」
 真白の喉がビクリと跳ねた。
 この不快感はあの時の……。
 恐る恐る振り返るとそこにはおびただしい数の影がひしめいて、真白の無防備な背中に近づきつつあった。
 「い……や……」
 「真白、どうしたん」
 「嫌!お父さん、早く来て!」
 真白は受話器を耳に押しつけもう片耳を塞ぎながら叫ぶように言った。
 「真白!なにがあっ……」
 「お父さん!?」
 電話口からはくぐもったノイズが漏れ出していた。
 黒い対流は真白を呑み込まんと近づいてくる。
 「お父さん!おとうさ……」
 真白はハッとして喉に手を当てた。
 声が、出ない。
 いくら叫ぼうとしても音すら出てこないのである。喉が捻れるような痛みだけがこれが現実であることを示していた。
 (助けて、助けてお父さん!)
 黒い軍勢が受話器をすがるように握った真白を呑み込んだ。
 響く歌声と火傷の様な痛みが真白を蝕んでいった。
 視界が暗転した。

 真白は最初、自分が目を開けているのか分からなかった。
 無論、真白自身瞼を開いている感覚はあったが、それだけだった。闇とも、 光とも言えない空間が眼前に広がっている。
 (ここは、どこ……?)
 真白は一歩踏み出す。
 その時、横を何かがするりと通り抜けたように感じて、真白は身構えた。
 (なにか……いる……!)
 真白は自らの周囲にゆっくりとした風の動きを感じた。その渦巻きのような胎動は、徐々に距離を縮めているようだった。
 (……!)
 それが自分を包囲するような動きであることに気付き、真白は脱兎の如く駆け出した。
 (逃げなきゃ……!でも、どこに……?)
 周りはまるで目を瞑っているかのように未だ暗い。
 何かの追ってくる気配がする。どうやら包囲網から抜けた真白に、執念深く狙いを付けているようだ。鉛のように重い空気が波のようになって、真白を襲った。堪えきれず、真白が半ば吹き飛ばされるようにしてうつ伏せに手をつくと、目の前には仄かに光を放つ真珠のような玉が落ちていた。
 (なんだろう、これ……。あったかい……)
 ほんの握り拳程度のそれから発せられる懐かしいような光に真白は自然と吸い込まれるように手を伸ばし、玉に触れた。
 (なに!?何かに引っ張られる!)
 突然何かに着物の襟首を強く引かれ真白は強引に引き起こされた。
 (やめて!離してっ!)
 まさか先ほどの影の仲間ではないかと、真白は身をよじって必死に振りほどく。予想以上の力の前に真白が諦めかけたとき、てにsいていた真珠色の玉がそれまでの鈍い光とは比べものにならないくらい輝いて、真白の視界は白一色に塗りつぶされた。
 
 真白が恐る恐る目を開けると水の中を漂っているようだった。無数の光が尾を引いて、まるで泣いた後のようにピンぼけしている。視界はフラフラと彷徨い、上下左右の感覚が不確かだ。
不意にまた襟首を引っ張られた。
 (わわっ!)
 方向が変えられた視界には、今度は大きな楕円が見えた。はっきりしない瞳を、グシグシと擦るとようやくそれが水面に映る月だということがわかった。
 ふと上を見上げるとさっきの光景がパノラマの星空であったことに気づく。しかしながら、着物は膝下からつま先にかけて濡れ、ついでに袖まで濡れている。
 (私、どうして川に……?そう言えば、あの玉は)
 思い返そうとしたところで肩を後ろから叩かれた。驚いて振り返るとそこには、暗闇に赤と青の光が並んでいた。更に驚いて一歩後ずさると、それが同い年くらいの少年であることがわかった。
 身長は真白より一回り大きく、夜に溶けるような着物に、同じく無造作な黒い髪。闇に浮き出す異色の双眸は、獣のそれのように鋭く睨みを効かせている。
 (あなたが私を助けてくれたの……?)
 真白は自分自身に驚いて口を押さえた。そういえば、あの影達に襲われたときから今まで全く自分の声が聞こえてこない。そのことは対面した少年の怪訝な表情からも窺い知れる。
 少年の口が開いた。
 「……!……?」
 (なに?何を言っているのか聞こえない……)
 どうやら真白の声が出ていないのではなく、耳が聞こえなくなっているのかもしれない。  もしかしてその両方かもと考えて、真白は思わず自分の肩を抱いた。
 「……」
 少年はそんな真白の様子に、ただでさえ鋭い目つきを、いっそう険しくした。
 なにか少年の気分を害する様なことをしてしまったのかと真白は身体を硬くしていたが、それには目もくれず少年は振り返り歩き出す。真白が呆然とその様子を眺めていると、不意に少年は肩越しに振り返ると、顎をしゃくった。
 (……『ついて来い』ってことかな?)
 少年の正体は分からないが、あの影達やさっきの光る玉のことを知っていそうだった。
 真白は胸に当てた手を、ぎゅっと握りしめると再び歩き出す少年の後を、小走りに追った。

 黒髪の少年の後を追って辿り着いたのは、真白が影に襲われた神社だった。最初、真白は少年の行く先が件の境内だと分かるとさっきの影達がまだいるのではないかと少年の後ろに隠れるようにしていたが、幸いなことにそこにあるのは月明かりに照らされた神社だけだった。
 少年は躊躇いなく本殿へと上がると、勝手知ったる様子で戸棚からマッチを取り出し四隅の蝋燭に火を灯し始めた。その慣れた様子を見るに神社の関係者なのだろうか。部屋が明るくなるにつれ、真白は自分の身に何かが起こったことを明確に意識することになった。
 (わぁ……!私のカラダ、真っ白だ……)
 着物はまるで色が抜き取られたように白く変化し、桜の花びらの模様もすっかり消え去っていた。お気に入りの腕時計も文字盤だけを残して色が抜け落ちている。髪の毛も同様だ。元々肌は色白の方だったが、今では着物と同化してしまいそうなくらい異様なほど白くなっている。
 自分の身に起こった事態に、疑問を感じている真白を、板張りの床に正座した少年が手招きで呼んだ。
 暗闇では真っ黒に見えていた髪の毛は、少し藍色がかっているようだ。しかしながら暗闇の中で見た仏頂面は健在だった。
 少年に釣られて真白も正座すると、少年は戸棚から取り出した紙とペンを真白の前に置いた。
 “なにか聴きたいことは?”
 行書体に近い、達筆な文字だ。
 (『筆談しよう』って事なのかな?)
 少年の字の下に可愛らしい丸文字が並ぶ。
 “字がきれいだね”
 それに少年は少々面食らった様子だったがすぐに険しい目つきに戻っていた。
 “そうかな。あんな目に遭ったのに落ち着いているんだな”
 “ううん、ホントは怖いよ。表情に出にくいだけ”
 母が亡くなった時から父に気を遣わせないように、暗い感情は表に出さないように暮らしてきた癖がこのような異常な状態に対する恐怖までも押さえ込んでいた。
 “私どうなっちゃたの?死んじゃったの?”
 “まだ死んでない。「ノロイ」に七つの魂を盗まれて亡霊となり、この二重世界に迷い込んでしまったんだ”
 淡々とそこまで書いて少年は真白にペンを、質問を求めるように差し出し、真白は少し考えるようにそれを受け取った。
 “二重世界ってなに?それに「ノロイ」って?”
 “お前が元いた世界とは別に在る世界、そして今いる世界が『二重世界』。村人や観光客なんかは元いた世界にいるから、現実と同じ場所で展開しているここから出られればまた会えるはずだ”
 親友の祐子や父がこの怪異に巻き込まれていないことが分かって、真白はホッと、胸をなで下ろした。
 ここで少年は一度書くのを止めて、真白にペンを向けた。真白が首を振ったので、少年はさらに書き出した。
 “ノロイって言うのは、生き霊みたいなもの。お前が川に沈められていたのも、『蛇魚』ってノロイの仕業だよ”
 それから少年は顎に手をやって考えると、“普段は、滅多に人を襲うことはないんだけどな”と付け足した。
 今度は真白がペンを取った。
 “わたし、死んじゃうの?”
 書かれた字は震えるように歪んでいた。
 “今のお前は身体に魂が染みついているからまだ生きているけど、長くは保たないと思う。完全な人に戻るためには、盗まれたあと六つの魂を、盗んだノロイを捜して取り戻すんだ”
 『長くは保たない』、その言葉に真白は自分の死というものがどんどんと現実的になっていくのを感じて、両掌をきゅっと握り込んだ。少年はしかめっ面から少しだけばつの悪そうな顔でしばらく真白を見ていたが思いついたように一言付け加えた。
 “心配するな。俺も手伝うから”
この少年の説明が真実なのであれば、自分はその「ノロイ」というものに魂を奪われ、現実世界からこの二重世界に移動してきたということだろうか。そしてこの少年も……。しかしそうなのだとしたら、なぜこの少年はこんなにもこの世界のことに詳しいのだろう。
(なんで……)
“なんで助けてくれるの?”
少年は鋭い目つきを緩めることなく、しかしどこか満足げに、
“それが、役目だから”
と、返した。

シロノノロイ

これから、真白、ハル、ハチは自らの存在に、劇的に作用する出来事に出会います。
それは、三人にとって危機であり、またこれからの未来に意義のあるものでもあります。
…と、偉そうなことを語ってしまいましたが、「これ、全編書けるかなぁ…」と不安で仕方ありません!
それ以前に読んでくれる方がいるのか。不安です…。
やっとこさ、更新できました。

シロノノロイ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-25

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. シロノノロイ 始まり
  2. 2