黄金の月

黄金の月はそこにあって死んだ光で照らし続けていた。

貴方に声をかけたのは僕の方からだった。
自動車学校の仮免の検定を、何度目かの再試検を、また落ちてしまった貴方の沈んだ後姿に、声を掛けずにいられなかったからだ。
 「今度は受かるよ、きっと・・・」
「気休めね、それ・・・運転の才能ないのかなあ、悩むなあ・・・」
肩をすくめて自重気味に話す貴方が年上には思えないほど可愛く見えた。
「人生で初めてよ、試験というものに落ちるのはね・・・それも、見通しの立たない迷路にはまりこんだみたいだもの、受かる気がしないってのも初めて・・・」
「そんなに落ち込まないで、たかが運転免許の試験に落ちただけじゃない、そんなことで貴方の人生が終わるわけでもないし・・・」
「落ち続けてるのよ・・・一緒に入った渡辺君、貴方もう本験受かったんでしょ・・・」
「はい、おかげ様で今日受かって、後は学科受けて、ここともさよならですね」
「はあー、落ち込んじゃうなあ私・・・自分がこんなに鈍いなんて思ってもみなかったわ」
「まあ、そんなに溜息なんかつかないで・・・僕が奢ります、なんか食べましょ、ほら、気分かえて・・・」
「はあー、大学生の君に奢ってもらうの、25の私があ、尚更落ち込んじゃうわよ、はい、私が奢るから付き合ってね」
 学校の近くの貴方が良く行くというかきがメインの旬鮮料理の店で、僕らは生ガキと焼きガキ、酒蒸し、フライ等々、旬のカキを堪能し、彼女が吟味した高そうな白ワインを何本か開け、貴方はカキの薀蓄と、今までの人生がいかに順風満帆だったかを仔細に僕に語った。
「ここのカキはねえ、産地の漁師さんから直送なのよ」と言いながら、レモンをたっぷりかけ、生ガキを頬張る貴方の口元がやけに色っぽかったのを僕は、今でも鮮明に覚えている。
 「北海道、厚岸のカキは一年中食べられるし、十一月から一月はサロマの弧太郎ガキでしょ、で同じ時期に三陸のカキも食べられるし、秋田産の天然の岩カキは6月からね、で、たいして勉強もしてないのにWの政経現役よ、人生で初めての挫折がこれかなあ、やんなっちゃうなあ、全く・・・」

 「ねえ、なんで、なんで私が三回も仮免落ちなきゃいけないのよ、もう、なんでなの・・・一部上場企業をコネもなしで実力で受かって、今の地位だって熾烈なエリート面した男たちを押しのけて、年収一千万に届こうかっていう私がよ、なんで、落っこちるわけ・・・」
 脚を組んだ格好でカウンターに何度も拳を打ちつけ、彼女は本当に悔しそうだった。
僕はと言えば、スリットの入ったスカートから覗く彼女の脚と、宙に浮いた黒のパンプスが所在投げに揺れているのをただ馬鹿みたいに眺めていた。

 灰皿には彼女の怨念のように吸殻がたまり、僕たちは確かにしこたま酔っていた。
 彼女がグラスに残ったワインを一気に開け、僕をじっと見据えた。
「渡辺クン、貴方よく見るとイケテルってわけじゃないけれど、まあまあよねえ」
「ああ、それ、よく言われますねえ。イケテルってわけじゃないけれど、悪くもないって・・・」
僕だって酔っていたのだ、25の成熟したかなり落ち込んでいるかなり手ごわい女性に対して、それくらいの軽口は叩ける。

 タクシーは中々捕まらなかった。
彼女は完全に酔っ払い、千鳥足で僕の半歩先を歩いている。
 とうとうパンプスを脱ぎ、両手にそれをぶら下げ調子外れの歌まで飛び出す始末だ。
「梓さん、ほんとに大丈夫ですか・・・」
「おっつ、名前で呼んだな・・・ははは、私たちもうソウル・ブラザーだねえ、ははは・・・」
言いながら彼女は僕の腕に倒れかかった。
「渡辺クン、渡辺クン・・・私、今日はどうかしてる・・・そ、そ、早朝から会議なんだよねえ、ち、ち、近くのホテル泊まるわ。そ、そ、そこまで連れてって・・・」

 僕は、彼女とヴィトンの小ぶりなバッグと重そうなヴィトンの書類ケースを抱え、彼女がその時だけ毅然と差し出したカードで支払いを済ませ、ホテルのフロントを抜け、10階だかのツインの部屋まで行き、そこで力尽き、彼女とともに一人には大きすぎる片方のベッドに抱えた彼女もろとも倒れ込んだ。

 天井がまるでプラネタリウムみたいにチカチカして見えた。
どのくらいそうしていただろう、僕の上にはつまり梓さんがいた。
 「じゃあ、梓さん、あんまり落ち込まないでくださいねえ、僕はお役目終了ってことで帰りますから・・・」
立ち上がろうとした僕の腕を梓さんの腕が遮った。
「帰るの・・・」
顔を覆った乱れた栗毛色の髪の奥で、梓さんの瞳が僕を見つめていた。
「人生で初めて挫折を味わった女を一人残して貴方は帰るわけね・・・」

分厚いカーテン越しに、大きなはめ殺しの窓ガラスの上にぽっかりと浮かんだ満月が妖しく光を放っていた。

 部屋の中を窒息するほど密度の濃い月灯りだけが照らしていた。

 「知ってる・・・月の光って一度死んでるのよ、太陽の光を浴びて輝いてるだけだもの、生命はその太陽の光を全身に浴びて死ぬ速度を速めてるのよ・・・だから人間は、月に反射した死んだ光を体中に浴びて、少しだけ生きるのを止めてね、月灯りの中でだけ、生命の呪縛から逃れることができるのよ・・・」

 梓さんが言いながら腕の力を強めた。
ベッドに倒れ込みお互いをまじまじと見つめた。
「あ、梓さん、僕だって五体満足で健康な日本男児ですから・・・」
彼女の人差し指が僕の言葉を遮った。
「渡辺クン、貴方ねえ・・・きっと、そこがイマイチイケテナイとこなのかもねえ」
「ああ、それも良く言われま・・・」

 長い、長いキス・・・鼻腔を擽るパーヒュームの香り・・・僕の腕の中で安心しきったように小さな寝息を立てる梓さん・・・!!!えっ、寝ちゃってるって!?・・・結局僕たちは朝まで折り重なって寝ていただけだった。

 梓さんは、その後、僕が免許を取ったこと、そして、あの日ホテルで何もしなかったのは、こんないい女である私に対する侮辱だと言い、それを逆手に、広い駐車場で僕の車を何度も運転して4回目にして無事仮免に受かり、本検も一回で見事パスした。

 いつものように梓さんの奢りで何度目かの食事の後、梓さんのお気に入りのホテルで僕たちは一晩を明かした。
 そして、三ヶ月ほどそんな関係が続いた。

 携帯が鳴った。
「・・・渡辺クンは歳の差なんて関係ないっていうけれど、6歳の差は永遠に縮まらないのよ・・・なんだか貴方といるとそんな負い目を常に抱えてなきゃならないの・・・」
「・・・なぜそんなに梓さんが歳を気にするのか僕にはさっぱり分かりません・・・」
「・・・余裕よねえ、その言い方・・・貴方には結局何も分からない、私たちもう駄目なのかな・・・」
「駄目なんかじゃないですよ、梓さんが勝手にそう言ってるだけじゃないですか・・・」
暫く沈黙が続いた。
「・・・いけないのは私ね、渡辺クンはなんにも悪くないのよ・・・」
 唐突に切れた。

 満月を見ると今でも梓さんを思い出す。
青白く光る天空に浮かぶ黄金の月は、そこにあって、死んだ光で僕を照らし続けていた。



                <了>

黄金の月

黄金の月

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-03-25

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