お見送りオブジェ

僕が作られたのは、今から大体四、五十年前くらいのこと。新しくできた新幹線の駅にぴったりなオブジェを、ということでつくられた。見た目はなんだか、大きいまんじゅうにちっちゃいまんじゅうが手足としてくっついたみたいな感じだ。
僕は、自分の姿は見えないし、自分の生い立ちを覚えていたわけではなかった。なのに、どうしてそこまでいろいろ知っているのかと言うと、僕の前に石碑があるからだ。この石碑には、僕が作られた経緯が書いてあり、それを読みに来た人がたまに朗読していくのだ。
形を知ったのは、携帯電話が普及して、僕が待ち合わせスポットになった頃だ。男女のカップルの片割れや、友達同士で待ち合わせをするとき、僕のことを「大まんじゅうに小まんじゅう四つ」と説明するのだ。
気付いた人もいるかもしれないけど、僕は作られてすぐに意識があったわけではない。僕が意識を持ち出したのは作られてから十年後くらい。気付いたら、目の前に大人、子供が大勢歩き回っていて、大きな話し声が聞こえたものだから驚いた。
日本には、八百万の神様がいるっていう話があるらしくて、僕もその一人(神様を数える単位は知らないけど)らしかった。これが、例えばどこか、唯一神を信仰する国だったら、僕は生まれなかったのかな、なんて考えたことがあった。だけど、僕がどこかほかの国に作られても、日本は海の上に小さく浮かんでいて、そこには八百万の神がいるんだから、やっぱり僕も生まれたのかな。
作られた当初、僕はとても市民に愛されていた。その頃の記憶はないけれど、なんとなく体にその感覚が残っているような気がする。
たとえば、僕のちいさくてまんじゅうみたいな手。この手がどことなく、暖かいのだ。頭だって、なんだかなでられたような心地よさもある。きっと、すべすべしていたから、なでたほうも気持ちよかっただろう。
他にも、愛されていたという根拠はある。僕が意識を持ち出した頃、周りにいたほかの神様たちは驚いていた。なんでも、僕が生まれたのが早すぎたそうだ。
僕たち、物やご神木に宿る神様は、人の信仰とか、親しみなどが集まって生まれるらしい。そして、それが集まるまで、早くても二十年、遅い人は百年だとか、かかることもよくあるらしい。
十年で生まれた僕は、それだけみんなから愛されてきた、というわけだ。
もっとも、それも最近では風向きが怪しい。
僕がここでみんなを見守っている間にも、時代はびゅんびゅんと過ぎていく。なんだか、昔よりみんな忙しそうに見える。その所為なのか、僕に意識を向ける人も少なくなってきている。
それでも時々、おばあさんやちっちゃい子供たちが僕の頭をなでたり、手をぎゅっと握ってくれたりする。その時、僕はありったけの神通力を込めて悪いことを追い払おうとする。けれども、僕たち神様の神通力は人の心が力の源なので、最近ではもうあまり凄いことはできない。今の僕が悪いことを追い払おうとしても、精々、凄腕のお払い師がお払いをした、くらいの力しかないだろう。
それでも、僕はありったけの力を込める。
僕を生んでくれた人たちに、少しでも恩返しをしたいから。
僕を愛してくれた人たちに、少しでも愛のお返しをしたいから。
僕は、みんなが大好きだから。
僕は、みんなを見送り続ける。
みんな、幸せになりますようにと願いを込めて。

お見送りオブジェ

お見送りオブジェ

駅前でずぅっとたたずむ、あるオブジェのお話。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted