番号のある椅子

番号のある椅子

それは、大通りからまっすぐに伸びる銀杏並木へ入り、銀杏の木6本目を左に曲がると見えてくるコーヒーの香りに包まれた小さなお店の物語です。



辛かった昨日はさようなら。

あなた様が優しい気持ちになれますように。

それは、大通りからまっすぐに伸びる銀杏並木へ入り、銀杏の木6本目を左に曲がると見えてくるコーヒーの香りに包まれた小さなお店の物語です。


木製の大きな扉がゆっくりと手前に引かれて、ゆっくりとした足取りの老人はカウンター奥から2番目の椅子にゆっくりと腰かけました。
カウンター越しでカップを磨いているマスターに「瑠璃色のカップでモカを下さい。」と言いました。
ほどなくコーヒーが運ばれました。
瑠璃色のカップに注がれたモカのコーヒーはその厚みのある柔らかな手に包まれて、優しく静かな時間が過ぎてゆきます。
老人はしばらくするとまだ温もりが残るその瑠璃色のカップを静かに置きました。
カウンターの端に置いてあるB5ほどのレター用紙に何やら書くと丁寧にたたみ結われた紙はその椅子に落ち葉の様におかれました。


急に降りだした雨に追われる様に、若いお母さんと小さな男の子が扉を元気よく開けて入ってきました。
男の子は店に入ると奥の方へ直進して、奥から2番目の椅子の上に置いてある結んだ紙を取って若い母親に差し出しました。
「ママ、お手紙があるよ。」
「あら、誰かの忘れ物…?あのぉ…」
と若い母親が言い終える前にカウンター越しのマスターは
「僕にお手紙かな?」
と男の子に言いました。
男の子はその結んだ紙を指さしたまま
「ママ、あけて」とせかせました。
若い母親はその結び目をほどき折りたたんだ紙を広げて男の子の耳元で小さな声で読んであげました。
「この椅子は19番目の椅子です。あなたが幸せに包まれますように。」
「あなたってパパ? パパ幸せになるんだ。」
男の子は嬉しくてはしゃいで喜ろこんでいます。
若い母親はくっすと笑うと
「そうだね。パパが幸せになるのかな?」
とカウンター越しで微笑んで見ていたマスターに目を向けました。
マスターは男の子を抱き上げてその椅子に座らせると
「パパもママも僕も幸せになるんだよ。」
と優しく答えてあげました。
男の子は大喜びで
「よかったね。ママ」
とママを見上げて嬉しくてたまらないように足をゆらゆらさせました。
急に降りだした雨も止んで静かになった町がきらきら輝きだしてきました。
若い母親は同じように結んだ紙を同じように奥から2番目の椅子に置きました。男の子は
「ママもおなじ。」
と言って結んで置かれた紙と奥から2番目の椅子に
「バイバイ」
と小さな手を振ってお店を出ました。



幾日か経ったある暖かな朝、ゆっくりと扉が開き、ゆっくりとした足取りの老人が店の奥から2番目の椅子に腰かけました。
カウンターの上にはやわらかく結んだ紙が瑠璃色のカップと共に運ばれました。老人は微笑みながらその柔らかな手でゆっくりと結び目をほどきました。
“19番目の椅子の主様へ お陰様でパパもママも僕も幸せですよ。ありがとうございます。”
と書かれた紙を優しい眼差しで読み終えると大切にその紙をたたみ直してジャケットのポッケに終いました。
静かな柔らかな時間が流れてゆき、また老人はいつもの様に椅子の上に結わいた紙を置くとゆっくりと店を後にしました。


午後まだ早い夕暮れに若いカップルがなだれ込むように入ってきました。
カウンター奥を目指して2人は座ろうとしました。
「あれ、なんだべ、これ、」
「あけてみ?」
「何、暗号?」
「な、わけねいべ」
じゃれ合いながらその結び目をほどき、なかを確かめるように覗き込みました。
「“この椅子は19番目の椅子です。あなたが幸せに包まれますように。”…だって、え?19番目って? ここ19も椅子あんのかよー。」
「なんかいい!返信しょ。」
ワイワイふざけ合ったままカップルは踊るように、店を出ました。


また幾日か過ぎてゆきました。


少し肌寒く感じる雨の朝、ゆっくりと扉が開きゆっくりとした足取りの老人がカウンター奥から2番目の椅子に腰を下ろしました。
瑠璃色のカップと共に運ばれた無造作に結んだ紙が老人のテーブルに置かれました。
老人は、静かにそれを開くとちょっと困ったように首を傾げています。
カウンター越しのマスターが老人の方へ顔を向けると。
「私にはちょっと字が読みずらいですなぁ…」
とつぶやくと申し訳なさそうに開いた紙を差し出しました。
マスターは穏やかな声でゆっくりと読み始めました。
「やほー!元気ぴ?? 19番目の椅子さんへ、 わたしらはすげぇーハッピイでげす。君もバッチ幸せになんなよ。な。じゃにーっ。てか。」
読み終えて戻ってきた紙を笑いながら楽しそうにジャケットのポッケに終うとまたゆっくりとした時間が流れ始めました。
そしてまた、いつもの様に老人は店を後にしました。


辺りがひっそりとしだした夕暮れまじかにサラリーマンらしきスーツ姿の男性が重い足取りで疲れたように入ってきました。
奥から2番目の椅子の上に置かれた紙を取るとそのままカウンターの上に置きました。
そして、そのままだんまりと重い時間が過ぎてゆきました。
男性はしばらくしてようやく気づいたようにその紙をつまんで眺めて何気なく開けてみました。
「この椅子は19番目の椅子です。あなたが幸せに包まれますように。」
読み終えると、男性は途方に暮れたような顔になりまた。
まただんまりとした重たい時間が過ぎてゆきました。
疲れ切った様子の男性が店を出た後にマスターは奥から2番目の椅子を見ました。
椅子の上には四角に畳まれた紙が置いてありました。



しばらくぶりに晴れて明るい空の朝、ゆっくりと扉があきゆっくりとした足取りで老人がいつもの場所に座りました。
瑠璃色のカップと四角に畳まれた紙が運ばれ老人の前に静かに並びました。
その四角い紙には「明日、田舎に帰ります。この町にお世話になりました。この町のみな様の幸せをお祈りします。」と書かれていました。
老人はしばらく静かに紙に目を落としたままでした。
ゆっくりと何かを認めたように頷くと四角にたたみ直した紙をジャケットのポッケに確かめるように入れました。
そしてまた、いつもの様に老人は店を後にしました。


あるお昼過ぎ、柔らかな微笑みで語り合う夫婦がカウンター奥の椅子に腰かけました。「あら、何かしら。」
「この椅子は19番目の椅子です。あなたが幸せに包まれますように。」
「あら、不思議ね、ご存じなのかしら?」
「あんがい、そうかもしれないね。」
何だか楽しい気分になって二人は微笑み合いました。
穏やかな夫婦は店を後にする際に、きちんと二つ折りになった紙をマスターにそっと手渡しました。
マスターは「ちゃんと届けますよ。」と言ってその紙を丁寧に両手で受け取りました。



夕べからの雨が止んで静かな朝、ゆっくりと扉が開き、ゆっくりとした足取りでいつもの様に老人が入ってきました。
マスターはいつもの様に瑠璃色のコーヒーカップと二つ折りになった紙を老人の前に置きました。
「先月、長男に子供が生まれました。一番の幸せを包んできたところです。来週また幸せちゃんを包に参ります。あなた様も幸せに包まれますように。」
読み終えると老人は顎を撫でながら「とうとう私にも予知能力が付いてきたのかな?」おどけたようにマスターに言いました。
マスターは大きく頷きふざけて見せました。

そしてまたリピートのような毎日が過ぎて行き、また朝が来てその繰り返しの中に老人の姿がなくなって久しくなったある日。


店の様子を伺うようにゆっくりと扉があきました。
カウンターを眺めながらゆっくりと奥から2番目の椅子に向かいゆっくりと椅子を引き確かめるように座りました。
そしてカウンター越しのガラスの棚にあるコーヒーカップを見つめながら
「モカを瑠璃色のコーヒーカップでお願いします。」
とマスターに言いました。
マスターはモカのコーヒーを瑠璃色のカップに注ぎました。
初めてお店に来たその女性に、どこか懐かしい気持ちに成りました。
女性は差し出された瑠璃色のコーヒーカップを優しく両手で包み優しくなでました。
マスターはその柔らかで優しい瞳に気づきました。
「お父様は…」
穏やかな声で聴きました。
「はい、父は幸せの国へ旅立ちました。」
そう答えるとまた静かで柔らかな時が流れ過ぎてゆきました。
その女性はしばらくその椅子に寄り添うように座っていました。
そして立ち上がる時に椅子をそっと撫でました。
女性が店から出た後、奥から2番目の椅子の上には几帳面に結ばれた紙が整えられた椅子の上に置かれていました。
「父が愛した19番目の椅子さんへ 私はあなたの優しさに包まれてとても幸せな毎日でした。ありがとうお父さん。」
落ち葉の様に静かにその紙は置かれ、静かにゆっくりと扉が閉まりました。

番号のある椅子

コーヒーの香り、風の匂い、懐かしい時間、優しく穏やかな想い出…

記憶の隅っこにあるあなたの町を思い出して頂ければ幸いです。

番号のある椅子

普段着の町には、様々な人たちが暮らしてる。 みんな知らん顔ですれ違ってゆく、気に止めることなく。 見ず知らずの人たちが、ひとりまたひとり心を通わせて行く、何気ない時間が意味を持った想い出に代わる。 同じ時を生きてる仲間として、かたちにして、想い出にして。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-19

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