真っ赤なウソ

「はぁっ! はぁっ!」
 もうすぐ春だというのに朝はまだまだ寒くて、布団から這い出るのに思った以上に時間がかかってしまった。
 目覚まし時計のベルを止めて、暖かい布団にくるまりながらもう一度眠りにつく、という極上の怠惰を貪った結果、僕はこうして大通りに出るまでの路地を全力で走り抜けている。
 何故かというと、このままで待ち合わせの時間に遅れてしまうどころか、学校に遅刻してしまうから。これを世間では寝坊と言うらしい。
 時刻は八時十分。
 待ち合わせの時間から十分オーバーしているのだ。もうすでに僕のことを見捨てて一人で登校しているかもしれない。
 そう思って、曲がり角を曲がって大通りに飛び出す。
「やっぱ……いないか」
 角のコンビニの前には赤いポストがある。その前が僕と彼女の待ち合わせ場所なのだが、そこには犬の散歩をしている老婦人しかいない。勿論彼女は待ち合わせ相手ではない。
 息切れする呼吸をどうにか整えながら、マフラーを外して暑くなった首元に風を送る。
 仕方ない。僕を待っていたら遅刻してしまうのだから、さっさと行ってしまうのは当たり前の事だ。誰が彼女を責められようか。
 ここまで走ってきたおかげで、歩いても遅刻することはなさそうだが、こうしてこのまま突っ立っていたら、再び遅刻の可能性が湧きあがってしまう。
「とりあえず行こう」
 もう一度辺りを見回して、やっぱり彼女がいないことを確認した後、僕はマフラーを巻き直してトボトボと歩き始めた。
「未來……待って」
 と、その時、背後から僕の右腕の袖が引っ張られた。
 驚いて振り返ってみると、そこには老婦人とは似ても似つかない女子高生……つまり、僕が探していた女子生徒が立っていた。
「おはよう、未來」
「あ……おはよう、香凛。先行ったのかと思ったよ」
 上杉香凛。物心つく前からいつも一緒にいる幼馴染だ。
 別段、約束をしているわけではないのだが、いつの間にか朝はいつも一緒に登校するのが日課になってしまっていた。約束していない、ということは遅れても文句を言われることはないのだが、それでも寝坊して急いで待ち合わせ場所に来る、なんて行動を取る僕も呆れるくらい習慣化した香凛との登校を自然に受け入れているのだろう。
「私も……私も、遅刻しちゃって……」
 香凛は目を伏せて小さな声でそうつぶやいた。
 身長は僕の胸当たり。僕もあまり大きい方ではないから、香凛は女子にしても小柄な女の子だ。
 少し目つきは悪くて仏頂面だけど、整った顔立ちをしていて真っ黒な長くて艶やかな髪を持つ美人さんだ。と、言うのが僕のクラスメイトの私見である。
「へぇ、そうなんだ奇遇だね」
「そう、奇遇……ほら、ぐずぐずしてると遅刻するよ」
 それだけ言うと、サッサと僕を置いて歩き始める。
 口数が少なくて、声が小さいのだが、自分の意見を押し通す我の強さが前面に出ている香凛に、僕はなんだか引っ張られるように人生を歩んでいる気がする。
 小さな歩幅で僕より先に進んでいく香凛の後ろ姿を見て、僕は可笑しくなってしまった。
「何……笑ってるの?」
 笑い声が聞こえたのだろうか。不機嫌そうな顔をして振り返ると、いつもより鋭い目つきで僕のこと睨み付けた。
「ううん、なんでもない」
 きっと、自分の身長のことをバカにされたのだと思ったのだろう。彼女は小さいと言われると不機嫌になる。
 でも、僕はそれよりももっと違うことを可笑しいと思って笑っている。
 それは香凛には内緒にしていること。
 香凛以外はみんな知っていること。
「もう、なんなのよ」
「なんでもないってば。さっ、急ごう急ごう」
 誤魔化すように笑いながらポンポンと背中を叩き、後ろから香凛を抜き去る。香凛は呆れるようにため息をひとつ吐きながら笑い、小走りをして横に並んだ。
 僕の横で香凛の長くて綺麗な髪が揺れたが、その色はさっきまでの黒ではなかった。髪の色は変色して、茶色になっていたのだ。
 彼女にはある特殊な体質がある。
 それは、彼女が嘘を吐くと髪の毛の色が赤色に変色していく、というなんとも不可思議な体質だった。
 香凛は、自分も寝坊して今来たところだ、と言っていたが髪の色が変色したということはつまり彼女は寝坊をしておらず、きっと僕のことをずっと待っていてくれたのだということだ。そうやって、強がりばかり言って嘘を吐くのも彼女の性格を表しているものだと言える。
 それがついつい可笑しくなってしまったのだった。
 その時、びゅう、という音と共に冬の冷たい北風が二人に吹き付けた。
「うっ、さっむ! か、香凛! 大丈夫?」
「ぜ、全然……寒くないし」
 男子と違ってスカートの女子にとっては尚の事冬の時期は辛いだろうに、下らないようなところで強がってばかりだ。
 寒さに耐えてしかめっ面をしながら、さらに赤みがかった髪の毛と指の先を見て僕はもう一度可笑しくなって笑った。

 2年生のクラスが並ぶ廊下に辿り着いたところで、僕と香凛はそれぞれ自分のクラスへと別れた。別れ際に、ちゃんと勉強しなよ、と香凛から小言を言われるのも日課となっている。
 ガラリと音を立てて引き戸を開けると2年2組の教室だ。
 道中、ふざけながら歩いてきた割にはHRまでまだまだ時間がありそうだ。これなら走らなくても遅刻しなかったのかもしれない。
 時計の針を見ながら、後ろでに扉を閉めると
「おはよう、國下くん」
 と、一人の女子生徒に挨拶をされた。
「あぁ、おはよう会長」
 見ればそれは、今年の選挙戦で見事勝利し、我が高校における生徒会長を務めることとなった女子生徒で同じクラスの加賀桜だった。いつも笑顔を絶やさない明るい性格で、みんなから慕われている。成績も良いらしいが、僕と彼女にはあまり接点がないため詳しく会話をしたことはない。
 クラスメイトに挨拶をするのは当たり前のことなのだろうが、ろくな会話もしたことがない彼女が朝一番に挨拶をしてくるなんて、珍しいことだった。
 それに加賀桜と言えば、学年でもかなり人気の高い女子生徒だ。誰にでも優しくて、可愛くて、スタイルが良くて……まぁ、そういう僕だってちょっと気になってたりする。
「ちょっと聞いていいいかな?」
「え? なに?」
 窓際の一番前の席、つまり僕の席へと向かおうとすると会長は僕の後ろから同じ速度でくっついてきた。僕に質問だなんて、珍しいにもほどがある。
「國下くんってさ、いつも隣のクラスの上杉さんと一緒にいるよね? もしかして、二人って付き合ってるの」
 僕の席まであと一歩、というところで僕はびっくりして後ろを振り返った。
 見れば、なんだか悪戯っぽく笑った生徒会長が立っている。
 一瞬、時が止まった感じがしたが、ハッとなって我に返ると僕は鞄を持ったまま両手を大きく振った。
「い、いや! 違うよ! かり……う、上杉の家とは僕が生まれる前から仲が良くって、お互い生まれた年も一緒だったから、いつも一緒にいるだけで……」
「幼馴染ってやつ?」
「そう! それ! 幼馴染! だから彼女でもなんでもないよ」
 なんで僕はこんなに必死になって否定してるんだろう。自分でもよくわからないけど、付き合っている、ということは事実無根のデマなわけだから生徒会長に勘違いされるわけにはいかない。
 僕は無意識に鼻の頭を掻きながら、なんとか落ち着こうと呼吸を整える。
「ふぅん」
 恐る恐る生徒会長の顔を見ると、その表情はとても楽しそうに見えた。プレゼントをもらうためにワクワクして順番を待っている子供のような、無邪気そうな笑顔だ。
 まさか彼女がこんなに子供っぽい表情を見せるとは思いもしなかった。勝手なイメージだが、もっと大人びた女の子だと思っていたからだ。
 朝から驚くことを次々に仕掛けてくる加賀は、その零れるような明るい笑顔を浮かべて、ふいに、
「じゃあ、明日。私と待ち合わせして一緒に学校に行かない?」
 なんて、最も驚くべきことにほとんど接点のない僕を誘って来たのだった。


 午前の授業をつつがなく終えて、僕は自分の席でゴソゴソと鞄の中から母親お手製のお弁当を取り出していた。
 しかし、今日の朝からとんでもないことを言われたせいか午前の授業はほとんど頭に入っていない。
 ちらりと生徒会長の方を見やると、いつもの生徒会長というように、多くの友達に囲まれながらお弁当を食べていた。じーっと見ていても僕の視線には気づかない。
 僕のことなど眼中にないようなその行動を見ると、僕は口から自然とため息が漏れた。
「やっぱり、からかわれたのかなぁ」
 少しでも期待した僕がバカだったのかもしれない。香凛との関係をバカにされたり、噂されるのは小学校の頃からしょっちゅうだったけど、こういうからかわれ方は初めてだ。
 僕は肩を落として弁当の包みを広げた。
「新会長はそういう冗談を言う人じゃないと思う」
「うわぁ!?」
 突然背後から声を掛けられた。
 驚愕のあまり飛び上がって後ろを振り返ると、そこには二人の男子生徒がそれぞれの昼食を持って立っていた。
「な、なんだ有馬か……」
 ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべた男子生徒、有馬翔。香凛と同じくらいじゃないのか、と思うくらい小柄な彼は去年から同じクラスになっている一番の友人だ。卓球部に入っていてインターハイにも出場するくらいの実力を持っているらしい。
 美少年、という言葉は彼のためにあるのだろう。まるで、外国人のような綺麗な栗毛とハッキリとした目鼻立ちで女子から大人気である。
「おい、俺もいるぞ、俺も」
 そして、もう一人のやる気の無さそうな顔をして購買部のパンを抱えているのが、バスケ部の伊藤晃だ。有馬とは正反対に体が大きく、女好きでだらしない、男臭い性格をした第二の友人だ。有馬とは入学式当日から不思議と意気投合したらしく、それからはいつも一緒につるんでいる。その身長差から凸凹コンビと呼ばれている二人である。
 有馬とは違って、女子からはあんまり人気が無いようで、顔を合わせればその愚痴ばかりだ。
「はいはい、伊藤もな。いいから、座りなよ」 
「それで? 俺、バカだから、わかりやすく説明してもらおうか?」
 隣の空いている席から椅子を乱暴に引っ張り出した伊藤は、明らかに不機嫌な顔をして僕に言い寄った。なんというか顔が近い。
「それは僕が説明して貰いたいよ。同じクラスになって一年くらい経つけど、加賀とはほとんど喋ったことないんだよ? 今日になって急に挨拶はされるわ、一緒に登校しようなんて誘われるわ……」
 自分で説明をしていても、やっぱりからかわれているとしか思えない。ラブレターを貰ってウキウキした気分で呼び出し場所に行ったら、悪友たちが笑いながら待ち構えている、なんていう悪戯を仕掛けられた気分である。
 どこかの誰かが、僕が待ち合わせ場所に来るかどうか、賭けているんじゃないだろうか。
「さっきも言ったけど、新会長はそういう冗談を言わない人」
 何か自信でもあるのだろうか。有馬は弁当の卵焼きを小動物のように小さく齧りながら、そう断言した。
「有馬って、加賀と小学校から同じなんだよなー。何? お前らってなんかあったわけ?」
 ひひ、と嫌らしい笑みを浮かべた伊藤は標的を僕から有馬に変えて、顔を近づける。
「残念だね、伊藤。そーゆーんじゃないから叩いたって何にも出ないよ。上がる煙もない」
 伊藤の嫌味もどこ吹く風。一切の焦りも見せず、冷静に言い返した有馬はたくさん咀嚼した卵焼きを飲み込み、舌を出して笑った。
「へぇ、じゃあ有馬と加賀って幼馴染っていう関係なの?」
「幼馴染……とは違うかな。でも、まあ似たようなもの」
「?」
 なんだか煮え切らない答えだが、本当に加賀との間に浮いた話があったのではない、というのが分かる雰囲気ではある。たぶん僕と香凛との関係に近い、家族のような親近感をもっているのかもしれない。などと考えていると、有馬は僕の顔を見てにんまりと笑って、
「とはいえ、未來と香凛ちゃんとの関係とは違うけどね」
 と、言った。
 まるで心の中を覗かれたかのような錯覚すら覚えるほど、的確に僕の考えを見抜いた有馬は、すまし顔で笑っている。
「僕と香凛とは違うって……?」
「君たちのところとは違って、本当に何もないってこと」
「い、いや……だからどういう意味だよ……」
 有馬が何を言いたいのかわからない僕は、戸惑いの表情を浮かべて聞き返しても有馬は楽しそうに笑うだけだった。
「ってか、そんなことはどーでもいいんだよ!」
 僕と有馬のやり取りに痺れを切らした伊藤は、よく噛み砕いた購買のパンをごっくんと飲み込むと、怒りの形相で机を盛大に叩いた。
「俺が聞きてぇのは加賀がなんで、彼女持ちの國下になんて声を掛けるのかってことだよ! フリーの俺に声を掛けろよ!」
「バッ、バカっ! 声が大きいッ!」
 教室中に聞こえるほどの大声を張り上げる伊藤。こんな会話を生徒会長本人に聞かれるわけもいかない僕は慌てて教室を見渡すが、幸いにも会長とその友人たちは教室から出て行ったようだ。
「……ふぅー……こら、伊藤! もうちょっと声のトーンを下げろよ」
「うるせー! 俺は本人に聞かれたって一向に構わん! むしろフリーのアピールをできるチャンスじゃねえか。できれば加賀以外の女子にも聞いていて欲しい! 俺はフリーだッ!」
 堂々と胸を張ってそう公言する伊藤を見て、クラスメイトは確実に引いている。特に女子たちからはコソコソと小さい声で非難の声が上がっているのが聞こえるほどだ。
「わ、わかったから伊藤。一回落ち着け、席座れ」
「ん、あぁ。それで? 加賀って真面目そうな姿形して実は他人の男を取る泥棒猫ってキャラなのか?」
「……キミは生徒会長に何か恨みでもあるの?」
「へ? 何が?」
 驚く程失礼なことを口走る伊藤だが、自分でも何が失礼なのかわかっていないのだろう。あまり物事を深く考える性質ではないのだ。
「だからさぁ、有馬は加賀と昔からの知り合いだろ? それなら加賀の性格だってよく知ってんじゃねえかなって。現に國下を誘ったこと自体は冗談でもなんでもないって有馬は考えてるんだろ?」
「そうだね。新会長は冗談でもあーゆーことは言わないよ。それに、彼女は泥棒猫でもない」
「そうかぁ? じゃあ、なんで彼女持ちの國下に――」
「ちょっとストップ!」
 さっきから伊藤が自然と口走ってる台詞が気になった僕は二人のやり取りを両手で制止する。
「あのね、伊藤。僕は彼女いないからね?」
「はぁ? お前なぁ、いい加減にしろよ。お前と香凛ちゃんがただの幼馴染ではないってことは、このクラス……いやこの学年中でもう周知の事実として受け入れられてることなんだぞ?」
 ムッとした表情をした伊藤は明らかに苛立った様子でそう言った。
「そ、そんなんじゃないって言ってるだろっ!」
 誰も僕たちが付き合ってるだなんて宣言したわけでもないのに、どうして周りのみんなは決めつけるのだろう。
「落ち着いて未來」
 焦った僕の様子を見た有馬が落ち着いたトーンで口を開いた。
「確かに未來と香凛ちゃんは付き合っていない。それは伊藤もわかってること。まあ、学年のみんなはそう思ってないかもしれないけど、ね」
 その台詞に釈然としていない伊藤は不機嫌そうな顔のままだったが、有馬は気にせずに続ける。
「でも、未來。香凛ちゃんのこと何とも思ってないって言いきれる?」
「……そ、それは――」
「いや、言わなくてもいい。それに、何もないなら何もないでいい。それは未來の自由だよ」
 これで話は終わり、とばかりに有馬は食べていたお弁当の蓋を閉めると、いそいそと片付け始めた。
「あれ、どこ行くんだよ有馬」
「職員室。顧問の先生に呼ばれてるから。それじゃ」
 それだけ言うと有馬はニッコリと笑顔を浮かべて僕の席から離れて行った。残された僕と伊藤はただただポカンとするしかない。
 なんだか言いたいだけ言って逃げて行ったようにも見えるけど、有馬の言葉は僕の頭の中をぐちゃぐちゃとかき回すには十分だった。


 放課後になるとクラスのみんなは各部室へと散っていく。卓球部やバスケ部のエースである有馬や伊藤も例外ではない。
 また明日、なんてありきたりな挨拶を交わして、部室へと向かう二人を見送ると僕は鞄を机に置いたまま、立ち上がろうとはしなかった。
 それも昼間に有馬から言われた言葉が午後の間中ずっと僕の心を混ぜ返していたからである。
 ――僕は香凛をどう思っているのだろう。
 今まで何度も答えを出そうとして後回しにしていた問題なのだった。それを卑怯だと言われたら、そう受け入れるしかない。
 それは彼女の特異体質が関係している。
 香凛が無意識にでも心と反する答えを口にしようものなら、みるみる髪の毛が赤くなる体質は香凛から僕への好意を真っ直ぐに伝え、それを理解するのは容易なことだったからだ。
 だけど、確証はない。
 僕が"香凛は僕のこと好き?"と質問しようならば、明らかになる問題なのだが、僕は怖くて今の今まで質問できたことはない。
 もし、この質問をして香凛が"好きじゃない"と黒い髪のまま答えたら、と思うと恐ろしくて質問などできないのだ。
――ならば僕は香凛のことが好きなのか。
 わからない。香凛との関係が特別なものになることへの想像が全く働かないのだ。彼女との恋人関係がどのようになるのか考えるだけで胃袋に異物が流れ込んだような気持ち悪い感覚に襲われる。全身から心臓を通って脳の中に這い登ってくる違和感を拭うことができない。
 やっぱり香凛は僕の家族なんじゃないか……そう思わざるを得ないのだ。
 それだったら、生徒会長との方が想像できるというか――
「國下くん。ボーっとしてどうしたの?」
「ひっ!」
 既視感というより、実際昼間あったことの繰り返しである。考え事をしていたところに背後から誰かに話しかけられた。
 情けない声を出しながら後ろを振り返ると、そこには有馬ではなく生徒会長の加賀の姿があった。目を丸く見開いて驚いた表情を浮かべている。
「驚いたぁ。國下くん、変な声出さないでよ」
 驚いたのはこっちだ。
 なんて文句のひとつも返そうと思っていると、生徒会長は一変、楽しそうに笑うと口を開いた。
「それより、今朝の話なんだけどさ、どうかな?」
 嬉々とした表情を浮かべる生徒会長は、その輝く瞳を僕に向けている。その期待の眼差しを無碍にすることは僕には出来そうにない。
「うん……大丈夫、だと思う」
 未だ、生徒会長が僕に対して特別な感情を抱いているとは考えられない。それでも、彼女からの誘いはとても魅力的で、その笑顔を失くすようなことはしたくない。
「やった! それじゃ明日の朝、駅前集合で! じゃあね」
 頼りない僕の返事を聞いた生徒会長は心の底から嬉しそうに笑うと、大きく手を振りながら颯爽と教室から出て行ってしまった。
 取り残された僕は教室に残っていた男子生徒から非難の視線を浴びると共に、女子生徒からひそひそと噂話をされてしまう。
 咳払いをひとつ。
 僕は急いで鞄を引っ掴むといそいそと教室から脱出した。これ以上この空間にいたら何をされるかわかったもんじゃない。
 それに早く昇降口に行かないと、香凛が待ちくたびれてしまうかもしれない。
 放課後になると部活に入っていない僕はすぐに昇降口に向かい、そこで香凛と一緒に下校するのが習慣になっていたのだ。今日は僕がボーっとしていたことに加えて生徒会長と話していたことによって、いつもの時間よりも大分遅れてしまっている。急がなければ。
 注意する者が誰もいない廊下を走って昇降口に向かうと、そこには一人の女子生徒が立っていた。背が低く、長い黒髪がなびく少女……。
「ごめん、待った香凛?」
「ん……今日はホームルームが遅かったから、今来たところ」
 髪は赤くならない。どうやら本当のようだ。
 今朝のように長い間僕のことを待っていた、というわけではないらしい。
「そっか。それじゃ、行こうか」
 下駄箱に上履きをテキトーに突っ込み、スニーカーを取り出して、素早く履き替える。
 同じく香凛も上履きからローファーに履き替えると小さな歩幅で僕の隣へと小走りで近づいてくる。
 僕たちは昇降口を出ると、無言のまま帰路に着く。これもまた日課である。
 特段話すような話題はない。それも毎日毎日一緒に登下校していれば、話すことも無くなるのは当然のことだと思う。
 それでも何か話題を探そうとか、沈黙を避けようとか、気まずい雰囲気になることはない。この辺りが僕にとって香凛が家族のようなもの、と思う所以なのだろう。
 体育祭やら文化祭やら、中間テストやらスポーツテストやら、特殊な行事でもあれば同じ学校に通っている二人にとって共通の話題に成りえるだろうけど……。
「……あぁ、そういえばそろそろ卒業式だね」
 僕も香凛も部活動に所属していない。それだと先輩や後輩との関係は希薄になるのは必然であり、もうすぐ3年生が卒業していなくなってしまうというのに、親しい先輩がいない僕らにとっては感慨深いとはとても言えないのだ。それどころか、肌寒い体育館に長時間じっとしていなくてはならないと思うと少し憂鬱に思える程である。
「私、花粉症だから卒業式とか嫌い……」
「あぁ、そういえば去年は朝からくしゃみが止まらなかったもんね」
 コクンと黒い髪を揺らしてうなずく香凛は、その時の記憶が蘇ったのかしかめっ面をしている。
「まぁ、卒業式も終わればすぐに終業式で春休みに入るし、悪いことばかりでもないね」
「うん……」
 香凛の返事で会話が途切れたので僕たちはまた無言で歩き始める。
 心地の良い空気感。相手に気を使うことなく、自然体でいられる関係。これってやっぱり香凛のことを一人の女の子、と思う前に家族の一員と考えているからに違いない。
 香凛のことが嫌いなわけではない。むしろ好意的に思っているが、それは家族愛に他ならない。
 うん、きっとそうだ。
 しばらくそうして歩いていると、ふいに香凛が囁くように口を開いた。
「あ……買い物」
「え?」
「私、今日買い物頼まれたんだった」
 見れば朝の待ち合わせ場所、コンビニの隣にあるポストがもうすぐそこに見える距離だ。もしスーパーにでも行くのだとしたら、学校方向に戻らなくてはならない。
「忘れてたの? 香凛」
「うっ……ちょ、ちょっと今日の授業のこと考えてたから」
 恥ずかしそうに俯く香凛の髪はうっすら赤みがかっている。何に対して嘘を吐いているのかわからないけど、買い物に行くのは間違いないだろう。
「僕も付いて行こうか?」
「……ううん、大した買い物じゃないし……大丈夫、別にいい」
 相変わらず香凛の髪は赤いままだったが、香凛が大丈夫だと言うのなら僕は先に帰らせてもらおう。
「そっか、それじゃあ気を付けてね」
「……うん、また明日ね」
 少しはにかんだ様子の香凛は小さく手を振ってそう挨拶をし、今来た方向へと戻っていく。
「あっ!」
「どうしたの?」
 僕の発した素っ頓狂な声に驚いた様子で振り返った香凛は、元々悪い目つきをさらに鋭くさせて僕の顔を見ていた。
「あーっと、いや明日の朝なんだけどさ、実は有馬と一緒に登校することになったんだ」
「有馬くんと……?」
 香凛は首を傾げて怪訝そうな顔をしている。どこか疑われているような気がするのは嘘を吐いたことによる罪悪感なのだろうか。
「う、うん、有馬の家に用があってさ、そのまま一緒に登校することになってるんだ。いやぁー、アイツの家遠いから早く起きなきゃいけなくてさー、あはは」
 疑いの眼差しが益々強くなった気がする。僕は誤魔化すように鼻の頭を掻いて、乾いた笑いを上げた。
「……ふぅん、そっか」
 ふと表情に影を落とした香凛は、なんだか悲しそうな表情を浮かべた後、すぐに笑顔になった。
「それなら今日みたいに寝坊しないように。有馬くんに迷惑かかるんだから」
「わ、わかってるよ」
「なら、いいけど。それじゃ、私行くね」
 母親のような小言を言って香凛は笑いながら手を振ると、僕に背を向けて静かに離れて行った。
「今度この埋め合わせはするから!」
 手を振り返しながら僕がそう答えると香凛はピタリと立ち止まって背中を向けたままの状態で、
「……べ、別にいいよ、気にしてないもん」
 と、かろうじて聞き取れるくらいの小さな声でつぶやいた。
「かり――」
 立ち尽くした様に動かなくなった香凛の背中に声を掛けようとした瞬間、くるっとスカートを揺らして振り返った香凛は、じゃあね、と綺麗な夕日のような眩しい笑顔を浮かべると、すぐに振り返り小走りで駆けて行く。
 僕はそんな彼女の背中を無言で見送った。
 綺麗な夕日のような髪色をした彼女に掛ける言葉が見つからなかった。

 次の日の朝。僕はいつもよりも早く起床し、いつもよりも早く支度を整えると、いつもよりも早く家を出た。
 時刻は七時十分。
 本来ならばまだ家でぐだぐだと支度を続けている最中だろう。そんな時間に外に出るなんてことは珍しくて、新鮮な気分だ。
 これから学校へ向かう道中は恐らく新鮮なことの連続なのだろう。待ち合わせ場所違ければ、隣を歩く人物も違う。
「ん、あれは……」
 香凛との待ち合わせ場所を通り過ぎ、学校の方へとしばらく歩いた駅前交差点で意外にもその待ち人は笑顔で立っていた。
「おはよー、國下くん」
「お、おはよう。駅前で待ち合わせじゃなかったっけ?」
 駅からここまではさほど遠くないものの、徒歩数分と言った距離だ。駅前で待ち合わせだという話だったため、僕はロータリーのベンチにでも座っているもののと思っていた。
「少し早く着いちゃったからさ。國下くんがここを通るって知ってたし」
「あれ、でも僕がどこに住んでいるかって教えたことあったかな?」
 何度も言うが、僕と生徒会長は会話らしい会話を交わしたことがない。こうして話しているのが不思議なくらいに接点が無かった。その彼女が僕の通学路を知っているとは思えなかった。
「あぁ、それは翔くんに聞いたことがあったから」
 翔くん……つまり有馬のことだ。そういえば、有馬と生徒会長は幼馴染のようなものだ、と昨日話していた。二人で僕の噂でもしていたのだろうか。
「ほら、そんなことより早く行こうよ。折角早く出てきたのに遅刻になっちゃうよ?」
「あ、そうだね」
 生徒会長は頬を膨らませてそう言うと、すぐに笑顔を浮かべて軽い足取りで歩き出した。
 僕は慌てて彼女の後ろを追い、隣に並ぶ。見れば彼女の顔は僕と同じ位置にあり、それが香凛とはまったく違う人と一緒に登校しているんだな、と再認識させられた。歩く速度も僕とのそれとほとんど同じで、隣に合わせてゆっくり歩くなんてことをしなくても、自然に一緒に歩くことが出来る。
 やっぱり何もかもが新鮮だった。
「翔くんと話す度に國下くんや伊藤くんの話題が出るんだよね」
 おもむろに口を開いた生徒会長は僕の顔は見ず、前方を見ながら笑った。
「伊藤は意外に真面目な人間なんだ、とか未來は実は意地っ張りなんだ、とか」
「有馬のヤツ、一体何を教えてるんだろう……」
 伊藤が意外に真面目、というのもなんだか腑に落ちないが僕のどこか意地っ張りなんだろう。香凛とのやり取りを見れば一目瞭然で僕がいつも折れてるじゃないか。僕くらい相手の意見に合わせる人間もいないと思う。自分で言うとなんだか情けないのだが。
「毎日のように二人の話をしてるよ? あ、それと上杉さんのことも」
 ようやく僕の方へと向いた生徒会長は悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。
 生徒会長の口から香凛の名前を出されると、無性にいたたまれない気持ちになる。それも昨日の夕方に見た、香凛の笑顔が頭から離れないからだ。
「そ、そういえば、有馬と加賀さんって幼馴染なんでしょ? 有馬は僕と香凛との関係とは違うって、わけわかんないこと言ってたけど」
 誤魔化し方が露骨だったのか、生徒会長は小さくため息を吐くと、一転して今度は苦笑気味に笑った。
「幼馴染とは全然違うね」
「え? そうなの? でも、小学校から同じだって」
「それはそうなんだけど……実は私と翔くんって従妹同士なの」
 眉を八の字に曲げて、笑った生徒会長の言葉を聞いた僕は驚きを隠せなかった。それならそうと言ってくれればいいのに、有馬も人が悪い。つまり、家族同然の関係というより家族そのものと言ったところなのだろう。
「翔くんには黙っててって言われたんだけどね。特に隠すようなことじゃないから」
「面白いから伊藤には黙ってようか」
 有馬と生徒会長の仲を疑っている男だ。このまま知らせずに泳がせた方が面白い展開を見せそうだ。
 その姿を想像したのは僕だけではなかったのか、生徒会長がぷっと吹き出して笑うとそれをきっかけに二人で笑い合った。
 なんだかんだで話題は尽きなかった。
 今まで生徒会長のことを知らなかった僕。僕のことを知らなかった生徒会長。
 自己紹介さながら、お互いのことを説明するだけで十分な話題になったのだ。
 二人の小学校時代の思い出を語り終える頃には、もうすぐ校門に到着する所まで来ていた。
「もう着いちゃったね」
 少し寂しそうにそう言った彼女に、僕は同調して頷いた。僕も少し寂しかった。
「あれ?」
 いつもより早い登校時間のため生徒の数が少ない校門前で、僕は見慣れた人影を見つけてしまった。
 見間違うこともない。見飽きたと言ったら怒られそうだが、それくらいいつも顔を突き合わす人間。
「あれって、上杉さんじゃない?」
 生徒会長もその人影に気が付いたようだ。ピタリと立ち止まってその場で困惑している。
「もしかして、ここで会うのってマズイんじゃ――」
 焦ったように生徒会長が口を開いたと同時に、香凛が不意にこちらを向いた。そして、僕とバッチリ目を合わせると、心底驚いたような顔を見せた。
「未來……?」
 いつもならもっと遅い時間に登校するはずの香凛がなぜここに?
 きっと香凛も僕のことに気づいているはずなのになぜ動かないのだろう?
 僕の頭は混乱しっぱなしだったが、一つだけハッキリしているのは僕の嘘が香凛にバレてしまったということだった。
 どういう言い訳をすれば良いのか。どういう謝り方をすれば良いのか。
 僕には見当がつかない。
 この状況で何を言っても香凛を悲しませるのは目に見えているのだ。
「あの、えっと――」
「――有馬くんの……家に行ったんじゃないの?」
 僕の言葉を遮るように、香凛は悲しそうに言葉を発した。喉から絞り出したような小さな声が不思議と僕の耳に響いた。
「あーっと、なんか忙しかったみたいでそのまま一人で来たんだよ。そしたら、偶然会長にあってさ」
 とても悪いことをしている。それはわかっているのだが、口をついで出る言葉は嘘で塗り固められたものばかりだった。僕は居た堪れない気持ちになるのを誤魔化すために顔を下に向けて、鼻を頭を掻いた。
「……そう……まあ、いい機会かも。今度からは一緒に登下校するのやめようか」
「え?」
 信じられない言葉を聞いた僕は驚いたガバリと顔を上げた。するとそこには、いつもの香凛。
 目つきが悪くて仏頂面だけど、綺麗な顔立ちをした女の子は少し微笑みながら言葉をつづけた。 
「ほら、私と一緒にいるとみんなから噂されるし、未來は未來の好きな人と一緒にいたいだろうし」
「な、何言ってるんだよ。誰もそんなこと言ってないだろ?」
「ううん、私もその方が良いと思ってた。約束してたわけじゃないし、一緒にいて噂されるのが鬱陶しいのは私も一緒だしね」
 見れば香凛の顔は微笑から明らかな笑顔に変わっていた。スッキリとした春風のような爽やかな笑顔だった。
 こんなに爽やかに笑う香凛を見るのはとても稀なことで、その笑顔に見惚れてしまいそうだったが、そんなことより何よりも、風に揺れる香凛の赤色に染めあがった髪の毛に目を奪われてしまい視線を離すことが出来なかった。それはペンキを頭からかぶったかのような文句のつけようもない赤だった。
「う、上杉さん! 私と國下くんとは本当に何も――」
「ううん、気にしないで! それじゃ私は先に行くね。未來からも何度も聴いたと思うけど、私たちただの幼馴染で付き合っているわけじゃないからホントに気にしないで。それじゃあね!」
 口早にそう言って、香凛は満面の笑みのまま昇降口から去って行った。髪の赤もそのままで。
「國下くん……あれって……」
「うん、大嘘見たい。真っ赤なウソってヤツかな」
 香凛の体質は誰の目から見てもすぐにわかってしまうような体質なため、学校中の人間がその特殊な体質の事を知っている。勿論生徒会長もそれを知っている。
「……追わなくていいの?」
 追った方が良い。
 そう頭では分かっているのだが、僕の胸の奥では違う気持ちが渦巻いていた。
「香凛の言うことも半分本当なのかもしれない……」
 それは苛立ちと言うべきか、ざわざわした感情が僕の心を支配していた。
 僕や生徒会長の話も聞かずに一方的に言いたい事だけ言って、走り去ってしまった香凛に対して少なからず怒りの感情が沸き起こったのは事実だった。
 事の発端は僕の嘘かも知れないが、それでも……あんなこと言わなくたっていいじゃないか……。
「僕だって……僕だって、いつも一緒じゃ鬱陶しいから……」
 自然と口から飛び出た言葉は自分でも信じられない内容だったが、それでもそれは僕の本心なんだと言い聞かせるように、僕は鼻の頭をポリポリと掻いた。
 その瞬間、生徒会長は目を真ん丸に見開いて、そして間髪入れずに笑い出した。
「あはははっ!」
「な、なんで笑うんだよッ!」
 他人の不幸が楽しいのか、心底可笑しそうに笑う生徒会長にムカっ腹が立つ。
「あははっ、ごめんっ! バカにしてるつもりはないの。ふふっ」
 お腹を押さえて笑った生徒会長は流れる涙を拭くと、胸に手を当てて深呼吸をした。
「もうっ、なんなんだよ……」
「うん。スッキリした」
「?」
 本当にわけがわからない。人のことを笑い飛ばしたかと思うと、急に真剣な表情になった。百面相のように表情をコロコロと変える生徒会長の心はどこにあるのか、疑問に思っていると生徒会長は突然大きな声を上げた。
「あ! 私用事思い出しちゃった! 生徒会の大事な用なの。だから國下くんは上杉さんを追いかけてあげて」
「なんで急に!?」
 どう考えても嘘である。ポンと叩いた両手とか棒読みの台詞とか、全てが嘘ばかり。こんなの誰が騙されるのだろうか。
「いい? もし追いかけなかったら全力で貴方の悪口を学校中に広めるからね……」
 ちょっと、何その凄味のある目つき……明らかに信じていない僕の両肩をギリギリと万力のように締め上げると殺気立った視線で今度は僕を脅し始める。なんだかめちゃくちゃな人だ。
「さっ、行った行った!」
 バンバンと背中を叩かれた勢いで足が動くと、自然と自分の力で歩みが進む。
 後ろを振り向いたら生徒会長は一体どんな表情をしているのだろう。
 生徒会長がどんな気持ちで僕のことを誘って、僕のことを送り出したのか、それは結局わからないことだったけど、彼女が決して冗談を言わない人だという有馬の言葉は納得できた。
 そんな彼女が追いかけろと言うのなら、僕は追いかけよう。
 いや、頭の中で行動を決めるのはもうよそう。僕の体が自然に香凛を追いかけるというのなら、僕の心は香凛を追いかけたいと思っているのだ。
 走り出した僕の体が一番素直なんだと感じる。それが心の反映なんだと感じる。
「香凛! おい! 待ってくれ!」
 昇降口の手前で背の低い女子生徒に追い付いた。その歩幅ではそうそう距離を離す事はできなかった。
「ど、どうしたの?」
 今日は新鮮な体験ばかりだ。こんなに驚いてばかりの香凛を見るのは最初で最後かもしれない。
「はぁっ! はぁっ! な……なんでもない」
「はい?」
「なんでもない! なんでもないから! ほら!」
 僕の頭の中は嘘を吐いてしまった罪悪感と、香凛にもう一緒にいたくないと言われた悲しみと、みんなに振り回されたことにより怒りとでごちゃ混ぜになっていて、何をしていいかわからない。けど、僕の体が自然と香凛の方へ手を差し出した。
 つまり僕は香凛と手を繋ぎたいんだと思う。
「ちょ、ちょっと未來……生徒会長と何かあったの?」
「何もないよ。何もないから混乱してるんだけどね」
「?」
「いいから、ほら!」
顔を赤らめて困惑する香凛。きっと香凛の性格が僕と手を繋ぐことなんて出来ない。
「あっ……!」
だから僕は香凛の手を強引に掴むと、チラホラと登校し始めている生徒たちに注目されながら引っ張るように歩き出す。
 靴を履きかえた僕たちは階段に向かって無言で廊下を歩き出す。
「ねぇ未來……」
「ん?」
 僕と手を繋ぐことに対して観念した様子の香凛は、顔を赤らめたままでおずおずと口を開いた。
「あのね……聞きたいことがあるんだけど……」
「……何?」
「やっぱり未來って生徒会長のこと……好きだったの?」
「だったってなんだよ、だったって」
 なぜ過去形なのだろうか。質問するなら"好きなの?"が適当ではないか。
「だって、フラれたんでしょ?」
「フラれてないよ!」
 失礼な! フラれるも何もそんな展開にすら陥ってないよ!
「え、そうなの!? ごめん、私はてっきり……」
「それに、僕は生徒会長のことなんてなんとも思ってないよ」
 結局僕は生徒会長に特別な感情なんて抱いていなかった。少しは可愛いとか優しいとか明るいとか、好きになる要素はあったんだろうけど、それが合わさって本当に好きなのかと聞かれれば、そんなことはないんだ。
「そう、なんだ……。そ。それじゃ、未來って好きな人……いるの?」
「……い、いないよ……」
 突然の質問にびっくりした僕は反射的にそう言った。とはいえ照れくさすぎてまともに返答すら出来なかった僕は、恥かしさを紛らわすために繋いでいない手で鼻の頭を掻いた。
 すると――
「嘘」
 ――香凛は何故か自信満々にそうキッパリと言い切った。
「な、なんで嘘ってわかるんだよ!」
 まるで僕が香凛の髪の色を見て、ああ嘘を吐いているな、と確信を持った時の雰囲気に似ていて驚いてしまった。香凛のように髪の色が変わるわけでもないのになぜ言い切れるのだろうか。
 理由を言いにくそうにしている香凛は小さく呟くように驚愕の事実を口にした。
「だって……未來って嘘つく時、鼻の頭を掻くんだもん」
「へ? あっ! え!?」
 瞬間、僕は自分の手が鼻の頭に伸びていることに驚いて、手を慌てて引っ込めた。その様子を見ていた香凛は可笑しそうに笑っている。
「学校でも有名だよ? 宿題忘れて先生の前で鼻の頭ばっかり掻いてるって」
「嘘……じゃないみたい、だね」
 髪が赤くない。嘘じゃないようだ。
 つまり、僕は香凛ほどの特殊体質というわけではないが、嘘を吐く時の癖というものがあって、それが周知の事実だったというわけか。
 ってことは、もしかしてさっき生徒会長が大笑いしたのって……。
「だから、本当は好きな人がいるんでしょ?」
「うっ!」
 必然的にそうなる。無意識に鼻の頭に伸びてくる手をどうにか制止しても、もう遅かった。
「そういう癖を知ってるのに聞くのって卑怯だとは思うんだけどさ……未來の好きな人って、もしかして……わた――」
「わーわー!」
 汚い!
 それって香凛と出会ってから今の今まで僕できなかった質問だ。僕が彼女にこの質問をするのは卑怯な気がして一度も聞けていなかった。
 だってズルいじゃないか、それを聞いていたら僕だってここまで悩んでなんかいない。
「聞こえない聞こえないー!」
「ちょ、ちょっと! そんな子供みたいな――こらぁ! 逃げるなぁ!」
 ここにいたら僕の心が見透かされてしまう。
 僕だけが彼女の心を覗き見していたつもりで、いつも覗き見されていただなんて、信じられないけど、僕たちの心は言葉にしなくてもお互い通じ合っていたんだと思えばそれも悪くないのかもしれない。
 だったら、今度香凛に髪の毛のことを教えてあげよう。
 きっと僕と同じ気持ちになってくれるだろうから。


※※※


 「これで良かったの? 新会長」
 騒がしい男女の声が響き渡る校舎の外では、二人の生徒が並んで立っていた。
 女の子のような小さい背丈に可愛らしい顔つきをした少年、有馬翔は隣に佇む自分の従妹の顔を見ることはなく、その表情を窺い知っていた。
 それは諦観と祝福。複雑な気持ちが渦巻く表情だった。
「翔くんはこの展開を望んでたんでしょ?」
 まったく、とわざとらしくため息をついた女子生徒、加賀桜は有馬の顔を睨みつけた。それは彼を責め立てるというよりも、悪戯をした子供を叱りつける母親のそれに似ていた。
「二人の関係を見ているとなんだかチョッカイを出したくなってね。見てる分には楽しいけど、それで傷つく身内もいるもんだからさ」
「はいはい悪かったわね、勝手に傷ついて! あーあ、折角翔くんから國下くんの趣味とか色々聞いたのになぁ」
 有馬の嫌味に対してべーっと赤い舌を出して一蹴すると、今度は自分自身のために自然なため息を吐く。入念に準備をした一つの計画がたった二日でお釈迦になるとは思いも寄らなかった。せめてもう少しは持ってくれないと採算が合わないと言ったところだ。
「未來のことは責めないであげてよ? 彼はアマノジャクなだけだから」
「わかってる。私が國下くんを責めるのは筋違いだし、そんなことしないよ。それに、アマノジャクだっていうなら國下くんだけじゃなくて、上杉さんも、でしょ?」
 苦笑いをしながらそう返した加賀の台詞に有馬は、
「アマノジャク同士。本当に面倒くさい二人だね、まったく」
 と、言葉とは裏腹に親鳥のような慈愛に満ちた笑顔を浮かべてそう言った。
 未だ校舎から響く男女の声を耳に聞き、有馬は自分の計画が成功したことと友人たちの幸せを確信し、満足そうに笑ったのだった。

真っ赤なウソ

2013年3月 テーマ 【ツンデレ】の作品です。ご意見ご感想お待ちしております。

真っ赤なウソ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-23

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