大地讃頌
大地讃頌
大地讃頌
今年の桜は早い、というのがあちらこちらで聞かれる。
何しろ、例年の2倍の速度で咲くというそうだ。
先日、報道番組の気象情報で、桜がもう5分から7分咲きだろうか、それを背景に、BGMに、懐かしい音楽が流れてきた。
「大地讃頌(合唱付き)」である。
私の高校時代を吹奏楽に費やしたというのであれば、中学時代は合唱に費やしたといえよう。部活だけでなく、クラス対抗の合唱コンクールにも力を入れる学校だったため、合唱部員という存在はある意味特異な目で見られていた。
たまたま人数が少なく、誰が何組に入ったかで4月には翌年3月(中学3年生は11月)の今年の合唱コンクールはその組が優勝するだろうという下馬評が流れる。
もちろん、部活としての合唱部の活動も当然のごとく容赦ないものが求められる。何度涙を流したか思い出せないほどである。
しかし、練習を重ねるにつれ、歌う楽しさというものが身についた、と思う。もちろん、その当時ではなく、今、である。その当時はひたすら練習させられ、ヒステリックな顧問に当たられ、つらいこととしか思えなかったし、黒歴史としてしか認められなかった。
しかし、どうだろう。
「大地讃頌」をふと聞いただけで、「歌いたい」という気がしたのだ。
あのころは、無意識に「歌う楽しさ」を植え付けられていたのかもしれない。その後も、何らかの形でとぎれとぎれではありながらも歌うことを続けている。自分の隠し通していた黒歴史に光を当て、「それでいいじゃないか」ということを自分自身で認められたのかもしれないと感じた瞬間だった。
しかし、よく歌われる合唱曲も時代とともに変遷していくものだとつくづく感じる。それでも、「大地讃頌」は普遍的に歌われる、名作なのだなと感じた。
大地讃頌