探し物

 頭のつむじの辺りがこれでもかというくらい太陽の熱を受け、額や耳の裏にじっとりと汗が滲む。屈めばパンツが見えそうな短いスカートで、高いヒールの靴を履き、両手両足の爪を真っ赤に塗った今日の私は、どこから見てもオーラ全開の大人なお姉さんに見えるはずだった。
 靴擦れさえしなければ。靴のバックバンドが踵に当たって赤みがかっている。ヒールをコンクリートでコツコツいわせてはいるが、正直もう歩くのも限界だ。それに加えてこの暑さ。厚塗りしたファンデーションのお陰で毛穴からの汗は尋常じゃない。
 あぁ、私の計画は無惨にも儚く散ったのね。ため息と共に感嘆の声が漏れる。半歩後ろで圭介がのんきに呟く。
「夏だねー暑は夏いなー」
 高校生みたいな顔した二十三歳、立派な成人男性のはずのこの馬鹿は馬鹿でもあり私の唯一の恋人でもある。あぁ、私はこんな馬鹿のためにこれほどの痛みを我慢してまで必死にヒールを鳴らしているのか。そう考えると一気に阿呆らしくなってきて、意味もなく圭介を睨んだ。そんな私の意味のない行動にも全く動じる気配すら見せず、眩しそうに空を見上げてしわくちゃにした顔で相手を持たない独り言を言い続けた。今すぐにでも右足を振り上げて、この鋭く尖ったヒールでお前を串刺しにしてやろうか。と心の中で凄んでも、それについていける元気な足を私は持ち合わせていなかった。


 キンと冷えた電車に乗りこみ、靴擦れと暑さとそれらによった苛立ちで疲労困憊の体をしばし休ませる。衣類と肌の隙間にこもった熱気が蒸発していく。隣で鞄をガサゴソ漁っていた圭介が、私の耳に耳栓型のイヤフォンを押し入れながら言う。
「新曲できたから聴いて」
 なんとも楽しそうにipodをいじくりまわす圭介を見ながら、反対側の耳に自分でイヤフォンを入れる。このイヤフォン嫌いなんだよなぁ、と頭の奥で呟いてだらしなく背もたれにもたれ掛かっていた背中を伸ばす。
 かき鳴らされるアコースティックギターの音色が、弊害なく体に入ってくる。圭介の柔らかい歌声が後に続く。期待に目を輝かせてこちらを見つめてくるこの男は、本当に私より五つも上なのか未だに疑問でしょうがない。うっとおしい視線で曲に集中できないので、静かに目を閉じる。
「きみを今日も探すぼく。見つかりっこないか」
 あぁ、またこれか。
 女みたいに透き通った彼の高音が、わたしの胸を電車とは反対方向に揺さぶった。目の前でコクリコクリ頭を上下させ眠気をしょいこんだおばあちゃんを見て、「居眠り」なんかぴったりのタイトルだと思った。プツッ。前ぶれのない切断音の後にすぐ先ほどの曲よりも少し小さい音で次の曲が始まる。右耳にはまっていたイヤフォンを抜いて圭介の方を向く。
「いい曲だね」
 照れて鼻をこする彼を見たら、日々増幅する気持ちを、後ろに流れてゆく景色に置いてくることはまたできないと思い知らされる。左耳では持続的に流れる歌声を聴き右耳で彼の嬉しげな喋り声を拾って、暮れかけた夕陽の中を心地よく揺れながら家路に向かった。



 私の家の前まで手を繋いで歩く。きっちりいつも家の前まで。そういうところはしっかりしてるのだ。大人の風格でも見せたいのだろうか。それとも彼にとってはごく自然な常識で、それをこんな風に捻くれた目線で見る私がただ単に子供なのだろうか。いや、そんなことを考えるのはよそう。ちらっと圭介に目をやると、元々たれた目をさらにたらして幸せそうに微笑んだ。胸が痛かった。
 圭介と私は付き合っているが、恋仲ではない。正直言うと、私が一方的に圭介のことが好きなのだ。特に強引ではなかったと思うけれど、言い寄った私に言い寄られた彼は断れるだけの理由がなかったので、形式上の付き合いを認めた。直接彼からそう言われたわけではないけれど、きっとそう。彼にはれっきとした恋人がいるのだ。もう5年も前に天に昇った恋人が。
 名前は知らない。顔も性格も、どこの出身の人なのかも圭介とどうやって出会い、2人は恋におちたのかも。知っているのは、圭介よりも2つ上で白血病だったってことだけだ。あとは本当に何も知らない。知ろうとも思わない。だって、それは2人のことで何よりも過去の話だから。過ぎ去ってしまった、もう取り戻せない記憶の話だから。そしてそう言い聞かせるのは私で、そんな期間はとっくに過ぎ見えないものにすがりつく圭介。地球上で最高にひとりぼっちの2人が今ここで手を繋いでいる。おかしいでしょう。おかしいなら笑えって、昔お父さんがよく言ったっけ。


 太陽が完全に沈み、街灯がちらほら灯り始めた頃、私達も目的地に到着した。
「家、寄ってく?」
 離した唇に冷たい風が通る。
「明日も朝早いから、今日は帰る」
 圭介はとびきり優しい顔をして、私の頭を撫でた。「今日は」帰らなかったことなんて一度もないくせに。少しふくれる私の頭を、子供みたいにくしゃくしゃに撫で回す。もっとふくれた私を見て、あははって楽しそうに圭介は笑った。
「寒いから早く家に入りなよ」そう言って、唯一温かかい手のひらにまで冷たい空気が入り込んできそうだったのを、ギュッと握りしめて阻止した。驚いたように振り返る圭介の右手を、もっと強く握りしめながら私は言った。懇願した、のほうが近いかもしれないけれど。
「もう一回キスして」
 さっきの優しい笑顔のまま、いつものように割れ物にでも触れるみたいにゆっくりと唇を重ねた。一瞬、戸惑った彼を私は見逃さなかった。それはきっと潤んでしまった私の瞳と、冷たくなった圭介の唇に関係している。彼は探しているのだ。私に触れている間も、私に触れていない時も、いつでもどこでもずっと。突然いなくなってしまった恋人を。自分の愛しい恋人。その証拠に私は彼から温度をもらったことはない。今の触れるだけのキスからも、優しい笑顔も繋いだ手のひらからも。熱は全部私が作り出しているものだから。孤独な関係。暖めあうことすら許されない。彼は見えない恋人を探し続け、私は感じることのない愛を探し続ける。目的地なんかない、ずっとずっと続く一本道。目なんかこらさなくたって、すぐそこに見えている答えがあるのに、勝手に見えないものだと決めつけて。自らひとりぼっちになる私達は、地球上で最高におかしいでしょう。笑えないのは靴擦れのせいなの。痛くて痛くてもう限界なの。本当よ、お父さん。

探し物

この作品は伝えたいことがとても沢山詰まっています。
でもそれを一つずつ説明してしまったら、これはただの文字の集まりになってしまう気がするので、そこら辺はみなさんにお任せします。
色んな意味で怖いね。

探し物

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2010-08-04

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