安定志向(2)

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第一章「回顧録」

 さて、ではここらで昔話をしようか。
 俺と、美雪の昔話。


 俺は、美雪のことが好きだった。美雪がどう思っていたのかはわからないから、両思いなのか片思いなのかは分からなかったけど、少なくとも俺は彼女のことが好きだった。大好きだった。愛していた。
 この頃は本当に何もかもが楽しくて仕方がなかった。俺と美雪は幼馴染で、昔からよく一緒に遊んでいたけど、まさか中学生になってもいつも一緒だとは思わなかった。俺が彼女のことを好きになったのはいつだろうか。実のところ、よく覚えていないのだ。ずっと前から好きだったような気もするし、つい最近のことのような気もするし。そんなこともわからないくらい俺達はいつも一緒だった。
「なあ、美雪。ゲーセンでも行く?」
「えー。雄介ん家にあるあの車のゲームやろうよ。あのなんちゃらカートってやつ」
「ああ、あれか。オッケ、じゃあ後で家に来いよ」
「りょうかーい」
 俺は外で野球だとかサッカーだとかをするような活発的な少年じゃなく、家でゲームやったり漫画読んだりしてるほうが好きだった。だから女子である美雪とも、比較的一緒に遊ぶことは可能だった。美雪はゲームなんてやらないし、漫画っていったら少女漫画なので、完全に趣味が合ってるとは言いがたかったけど、それでもスポーツをするよりは合っていたと思う。
「……」
「やったーまた勝ったー!ほんとに雄介は弱っちいよね~」
「うるせぇ!!」
「おお怖い怖い」
 こんな感じで、ゲームはいつも負けていたんだけど。いや、俺が弱いわけじゃなくて美雪が強すぎんだよ。マジで。

「はあ、学校行きたくねえ……」
「雄介それいっつも言ってるよね」
 今日は月曜日で、今は登校中。
「月曜日の辛さは明らかに常軌を逸してるよな。なんで学校なんて行かなきゃいけないんだよ」
「そりゃいい大学に入って、いいところに就職するためでしょ」
「学校なんて行かなくても就職くらいできるだろー。土木とか」
「雄介は力ないから無理」
「うっせ」
 いつもみたいに美雪と二人で話しながら学校へ向かう。
 そんな時、
「蒼樹!」
 突然後ろから美雪を呼ぶ声。
「あ、澤木くん」
 この声の正体は澤木望。俺と美雪のクラスメイトで、何かと美雪に声をかけてくる野郎だ。しかもむかつくことに俺の存在は無視しやがる。
「よう、澤木――」
「なあ蒼樹、今日って数学の小テストあったよな。俺どうにも数学苦手でさ~。教えてくれ!頼む!一生のお願い!」
「……」またですかこいつは……。
「うん、いいよ。それにしてもこれで何度目の一生のお願い?」美雪が笑う。
 その姿は、見ててちょっと辛かった。
「マジで!?じゃあ早く教室行こうぜ!レッツラン!」
「オッケ~。じゃあ雄介、また後で」
「ああ」
 美雪は俺に手を振ってから澤木と共に走っていった。
 最近、どうにもこんなことが続いている。
 俺と美雪が一緒に登校するのがいつものことなら、澤木がその邪魔をするのもいつものことだ。きっとこいつは美雪のことが好きなのだろう。それは誰が見ても明らかで、気付いていないのは当の本人くらいだ。アイツはどうにもこの手のことに関して鈍い。鈍すぎるくらいだ。だから、俺のこの気持のことも、何時まで経っても気付いてくれない。さっさと告白してしまえばいいんだろうけど、なまじ付き合いが長いだけあってどうにも照れ臭い。このままじゃ澤木に盗られてしまうかもしれないが、それでも勇気が出ない。今の関係があまりにも快適だから。だから、もし告白に失敗してしまったらと思うとどうにも……。
 はあ、でも近いうちに何とかしないとな。

 一限目は数学。数学は苦手なので、寝て過ごした。ちなみに得意な科目はない。
 二限目、体育。先述したように俺には得意科目なんてものはないので、当然体育も苦手だ。運動とか馬鹿げてる。科学が発展し、あまり動かなくてもいい世界になったのに運動なんてする奴は、文明に対する反逆者だ。原始時代に帰れと言ってやりたい。
 まあ、それはおいておいて。
 俺には友達がほとんどいない。自信を持って友達だと断言できるのはおそらく美雪だけだ。だから体育は特に嫌い。体育にはあの伝統的な教師公認イジメがあるからだ。
「二人組作れー」
 これ。マジありえない。僕つらい。誰と組めばいいの?余った人?その余った人も俺と組むの嫌がってるんですけど?
「……よろしく」
 そして、今日のペアは澤木望だった。
「チッ、なんでコイツなんかと……」澤木が愚痴る。聞こえてるんですが。
 今日は普段澤木とペアを組んでいる奴が病欠していて、それで俺と組むことになったのだ。それにしても、嫌なのはわかるけどそんなにあからさまにしなくてもいいじゃないですかー。
 さて、今日の体育はテニス。もちろん俺はテニスなんてできない。大の苦手だ。得意な競技はない。
しかし、澤木は違う。こいつはテニス部で、しかも期待のホープだとか。そりゃ俺みたいなド素人と組みたくはないわな。……まあ、それだけじゃないだろうけど。
「――ッ!!」ボールが俺のコートで跳ね、勢い良く後ろへ抜けていった。
「ボール拾ってこいよ」澤木が俺に顎で指示を出す。
「……」
 こいつは全く容赦がなかった。さっきから全く勝負になっていない。澤木がサーブを打てば、あまりにも速すぎて俺は返せないし、俺がサーブを打てばリターンエースを瞬時に決められる。あまりにも大人気ないプレイだ。初心者に対してホープさんが一切手を抜かないだなんて、普通はありえない。
「えいっ!」思いっきりサーブを打った。が、ボールは勢い余ってエンドラインを越えてしまう。
「ふざけてんのかてめぇ!真面目にやりやがれ!」すると澤木が怒鳴る。
 澤木の機嫌は明らかに悪い。いくらなんでも度が過ぎている。
 俺はラケットを構えながら、早くこの時間が終わってくれることを願った。

 その後の授業は体育疲れで全部寝た。今度のテストはマジやばい。
「雄介、今日掃除当番だよ」いつの間にか隣に立っていた美雪が言う。
「うわー、めんどくせぇ。ペアは誰?」
「澤木くん」
「……」
 厄日にも程がある。

 クラスの連中が帰るのを待って、掃除を始めた。澤木はいなかった。

 最近の俺の生活は、ずっとこんなことの繰り返しだ。
 悪いのは俺じゃない。全部アイツ――澤木が悪いんだ。
奴が、憎い。
だから――
「――と、そういう訳なんだ」
「……」
 俺の選択した手段。それは奴の俺に対する悪逆を、奴の想い人である美雪に告げ口することだった。
 卑怯ではない。ただ手段を選ばなかっただけだ。
「……ねえ、それをどうして私に言うの?」美雪が尋ねてきた。顔を俯かせているため、その表情は窺えない。
「それは――」
 奴がお前のことを好きだから――なんて、言えるわけがない!
「お前、アイツと仲良さそうにしてるじゃん?だから心配に思って――」
「嘘」俺の言い訳は瞬時に切り捨てられる。
「どうしてそう思うんだ?」
「だって雄介のことだもん。今まで何年一緒にいたと思ってるの?雄介のことならなんでも分かるよ」さも当たり前のことであるかのように美雪は答える。
「へぇ……。じゃあ、さ。これも知ってたか?」そのことに俺はどうしようもなく腹を立てていて。
「何?言ってみて」だから、本来言うつもりはなかったし、そもそもこんな場面で言うのはあまりにもおかしすぎる『ずっと言いたかったこと』を、ぶちまける。
「俺、お前のことが好きなんだよ――」
 後悔しない――なんて、冗談でも言えない。きっといつまでも後悔し続けることだろう。例えこのままこの告白に成功しても、なんであんな場面で言ったのだろうか、もっとロマンチックに言えばよかったと思い、失敗すれば言わずもがな、後悔しないはずがない。
 だけど、それでも俺は言わずにはいられなかった。俺の好意は、今まで美雪には全く伝わっていなかったのか?なら、なんで俺のことを全て分かっているだなんて、そんなことが言えるんだ?
「……」
「……」
 俺も美雪もずっと黙り続けたままで、少なくとも俺は何も言う気にはならなくて、そのまま分かれ道にさしあたって別れた。
 いつもなら笑顔で「また明日」なんてことを言っていたけど、今日ばかりは二人共笑顔を浮かべることはなく、そして挨拶もなく、ただ黙って別れていった。
 ふと空を見上げると、雨が降ってきていた。
 だから俺は家まで走った。忘れたいことを必死で振り払うかのように、全力で。走って走って走り続けた。

 翌日。
「おはよ、雄介」
「あ、ああ。おはよう」
 朝起きて、学校に向かうために家を出ると、そこにはいつものように美雪がいた。そしていつものような顔で、いつものような態度で俺に接してきた。
「……なあ」
「ん、何?」
「……いや、ごめん、なんでもない」そのあまりにいつも通りの振る舞いに、同仕様もなく気味が悪くて尋ねようと思っても、なぜだか迂闊に尋ねてはいけない気がした。
「何それー。どうかしたの、雄介?」そんな俺に、美雪は尋ねてくる。まるで、昨日何もなかったかのように。
「え?」どういうことだ?こいつはもしかして、昨日のことをなかったことにしようとしている……?
「何、ほんとにどうしたの?大丈夫?」俺を心配するかのように下から覗いてきた。
 ああ――これはもう決まりだ。美雪は昨日のことをなかったことにしようとしている。
「大丈夫だって。俺に限って何かなんてあるわけ無いだろ?」なら俺はそれに乗ろう。あんな状態をいつまでも続けていたくはない。それに、こういう選択をしたってことは、つまり昨日の俺の告白は――
「まあ、そりゃそうだよねー。なーんだ、気のせいか」そう言って美雪は笑う。
 それに俺も笑い返そうとしたけど、どうしてもできなかった。

 今日の体育も澤木とペアだった。どうやら普段の澤木とのペアは夏風邪をこじらしたらしく、なかなか復帰には時間が掛かるとのことだった。
 またあの不機嫌野郎とペアか……と、気分を重くしていたが、今日のアイツは昨日とは違っていた。
「ほーら行けーい!」澤木がそう言いながら打つ。確かに速いが、昨日ほどは速くない。多少は手を抜いてくれているのだろう。
「えいっ!」そして俺はその昨日の糞速い球の速さに慣れている。正確に離れさせ得られた。だから今日は何とかうまく返せている。
「へぇ、やるじゃねえか、よ!」
「ふんっ!」
 打つ。返す。打つ、返す。打つ、返す――――
「すげえ、アイツら。よくあんなにラリー続けられるよな」
「しかもあんな速さで」
「澤木はテニス部だし当然かもだけど、もう一人のやつ――名前なんだっけ?」
「鈴木だっけ?」
「いや、確か佐藤じゃね?」
「そう佐藤。アイツもすげえよな」
「だな」
 必死になって澤木の玉を返しているうちに、周りには大量のギャラリーが集まっていた。俺にとってはもう慣れた速度ではあるが、それでも周りから見たら十分以上に速いのだろう。そりゃそうだ。あと俺の名前は佐倉雄介だ。誰だよ佐藤って。
「おーし、お前ら!今日の授業は終了だ!体育委員!」
「ありがとうございました!」
「「「「「「ありがとうございました!」」」」」」

「おい、佐倉」
 体操服から制服に着替えていると、いきなり澤木が話しかけてきた。珍しい。
「何?」
「お前、昨日蒼樹に告白したんだって?」
「――ッ!?」
「あーその反応、どうやらマジなようだな」
「……」どういう、ことだ?なぜコイツがそのことを知っている?まさか誰かが喋った?なら誰が――決まっている。そんなの一人しか無い。俺は一人しかいないことを分かった上で告白したんだから。つまり、それを言いふらした犯人は――
「……美雪」
「あん?なんか言ったか?」
「――ッ」気づけば俺は走り出していた。
「おい待てよ、どこ行くんだよ!?」
 澤木が何かを叫んでいるが、そんなことはどうでもいい。そんなことよりも、事実を確認しなければ。俺の想像が当たっているのかどうかを。出来れば外れていて欲しい。俺の注意力不足で、本当はあの時周りに誰かがいた――そうであってほしい。そうは思えないけど、そうであってほしい。
 どこに――どこにいる!?美雪はどこにいる!?
 待てよ……。さっきの時間は体育だった。だから当然美雪も体操服に着替えているはずで。なら、次の授業のために制服に着替え直すはずで――
「更衣室か!!」そしてまた走る。何か大事なことを見落としているような気もするが、今はそんなことはどうでもいい。
 そして、女子更衣室のドアを開けると――
「みゆ――」
「「「「「「この変態!出てけー!!」」」」」」
 ズタボロにされた。ああ、大事なことってこれね……。ちくしょう、気にしておけばよかった。てか俺はどんなけ急いでんだよ。

 次の授業が始まるギリギリに教室に戻ると、俺の姿を見た途端クラスの連中はコソコソと何かを話し始めた。どうやら俺は早速有名人になってしまっていたようだ。
「……」特にきにした素振りも見せず席につき、余裕そうに頬杖を突く。するとまたクラスメイトはコソコソと喋りだす。もはやコソコソっていう音量じゃない。
「はあ……」誰にも気付かれないようにそっとため息をつく。
 終わった。完全に終わりました。これからまだまだ先は長いっていうのに、いったいどうすればいいんだよ……。よくアニメやらでこういうシーンがあったりするけど、あれはフィクションだからこそ許されているのであって、現実であんなことをやったらタダじゃすまない。今の俺の状況もかなり悪いっちゃ悪いけど、教師や警察に突き出されなかっただけまだマシといえる。……それでも辛いことには変わりないんだけどさ。

 授業が終わっていつものように美雪と一緒に家に帰って、けれど何をする気にもならなくてただベッドの上で横になってボーっと天井を眺めていた。
「これで、いいんだよな……」
 そんなはずはない。このままじゃダメに決まってる。美雪とのこと、これはきっと俺の方から何とかしなければならない。このまま俺が何もしなければ、恐らく美雪は今まで通りに振舞ってくれるだろう。それはある意味俺にとってはとても都合がいい。
 だけど、それでは何も変わらない。あの時美雪に言ったこと、それは少なくとも嘘なんかじゃなくて、俺の本当の気持ちだ。ずっと昔からそう思っていて、けれどいろいろな事情から口にだすことはできなくて、それでずっと俺が悶々としていたのはどうしようもない事実だ。だから俺は、変わりたいと、そう思う。今の俺達の関係も、そう悪いものじゃない。けれど――それでも俺はもっと上を求めてしまう。
それが難しいことだってのはもうわかってる。美雪が俺の告白にあんな態度をとったのは俺に気がないからで、それでも今まで通りに振る舞うのは俺との関係はあれが一番いいと思っているからで。なら俺がまず最初にやることはもう決まっているじゃないか。どれだけウダウダと悩んでいても、俺自身がもっと上を求めているのならば、やることは何時まで経っても変わらない。
 だから俺は二度目のアタックをする。それがどれだけ分の悪い駆けなのかは百も承知だけど、もし万が一にも澤木の馬鹿野郎に奪われでもしたら死んでも死にきれない。
 やってやるぞ――!!

 やってやろう、そう決めたのはいいんだけど……
「……」
「……」
 なぜだか今日は、美雪がいつも通りじゃなかった。
「なあ」
「なーに?」
このように、話しかければしっかりと答えてくれる。しかし、それもどこかボンヤリしているというか、何か考え事をしているようなそんな感じで、どうにも心ここにあらずという感じだ。
「何か、あったのか?」俺がそれでも尋ねてみると、
「……。ううん、別に雄介が気にすること無いよ」美雪はぎこちないほほ笑みを見せながらそれをやんわりと拒否する。
「……そっか。ならいいんだけど」
 いいわけは、もちろんない。けれど、ここで汗ってことを台無しにする訳にも行かず……。結局のところ、俺にできることは何一つ無いのだった。

 教室に入ると、また澤木の野郎がこっちにやって来て、いつものように俺の存在はしっかりと無視しながら美雪に話しかけた。
「なあ、蒼樹。昨日の件だけど、いつ返事もらえるかな?」
「えっと……昼休みに、屋上で」美雪はやや躊躇いがちに答える。
「そっか。わかった、期待してるから」そう言って澤木は自分の席の方へ歩いて行った。
「あいつがすぐに離れていくなんて珍しい……」ふと呟いていた。
「そう、だね」その俺の呟きが聞こえていたのか、美雪はそう言った。
 なぜだかわからないけれど、それが無性に気になった。放っておいてはいけないと、そう思った。

 昼休みを告げるチャイムが鳴り、授業が終わる。美雪と澤木はひとりずつ静かに教室から出て行った。
「…………」これはやるべきではないことだと思う。常識的に考えてそれは間違いない。けれど、それでも俺は動き出していた。行き先は屋上だ。
 屋上の扉を少しだけ開くと、二人は特に何かを話すでもなく立っていた。
「……」そのまましばらくジッとしていると、唐突に美雪が口を開いた。
「いい、よ」
「本当かっ!?」
「うん……」
 美雪が何かに対して肯定した。それに対し、澤木が激しく喜んでいる。
 美雪は、一体何を受け入れたんだ?それは澤木があんなにはしゃぐほどのもので、ということはつまり――こく、はく……?
「……ッ」声が漏れそうになる。が、何とか必死でこらえる。声を出す訳にはいかない。出したらここにいることがバレてしまう。それに、まだこれが告白だと決まったわけでもないし――
「う、そ……」
 二人は、抱き合ってキスをしていた。俺の声に気づく様子はない。
「う、ん……くちゅ、くちゅ……ん、あ」
 それも、いきなり舌まで使っている。
「あ、あ、あ、あ…………」
 心が急速に冷えていく。現状を理解することを脳が拒む。しかしそれでも網膜はしっかりとこの光景を焼き付けていて――
「うわああああああああああああああ――!!」
 俺は隠れていたことも忘れて叫び声を上げながら走り去った。二人が流石に気付いたようではあるが、そんなことはどうでもよくて、ただひたすらに走り去る。
 こんなことになるのなら、初めから何も知らなければよかった。そうすればきっと今まで通りでいられた。けれど、俺は知ってしまった。だからもう今まで通りにはいられない。全てが、終わってしまった。やり直しはきかない。そんなことをする気力すら残ってはいない。今まで俺は、どんなことでも必死になって努力すればきっと何とかなるって、そう信じていた。でも、もう無理だ、信じられない。この世には抗いがたい絶望が遍在していて、それに直面した者はただ翻弄されるだけだと、思い知ってしまった。
「はは、ははは、ははははははははは!!」
 気づけば俺は笑っていた。顔中を涙でビショビショにして笑いながら走り続ける。そんな俺を見る人の目は、決して好意的なものなんかじゃない。だけどそれすらも今の俺は全く気にならない。
 完膚なきまでに、重い現実に打ちのめされていた――

 それからというもの、俺は家に引きこもっていた。誰にも会いたくないし、何にも触れたくなかった。美雪が内に何度か来たけど、親に言って帰ってもらった。誰にも会いたくないというのは確かだけど、その中でも特に美雪と――そしてアイツには会いたくなかった。
 会わなければこの辛い現実がなかったことになる――そんなはずはないのに、そんなことは可能性すら無いというのに、それでもそうなんじゃないかと、そう思うようになっていて、改めて自分が今どれだけ思いつめているのかを理解する。
 何もしないでいつまでもじっとしていると、どうにもあの事を考えてしまう。適当になにかやらないと、心は完全に壊れてしまう。
「ああ、確か引きこもりはネットゲームをやるもんなんだっけか……?」久しぶりに声を出したせいか、俺の声はかすれていた。
 何はともかく、俺は引きこもってネトゲを始めた。このままじゃいけないとわかってはいるけど、同じ事を考えて行動し始めたせいで俺はあの嫌な光景を目にしてしまったのだ。だから今回はその考えには蓋をする。二度と表に出てくるな、と思いながらPCの電源を入れた。


 蒼樹美雪は困っていた。自分が澤木望と付き合うことになった途端、佐倉雄介が引きこもりになってしまったことについて責任を感じているのである。
「でも、どうして……」
 だが、いったいどうして自分が澤木と付き合うことについて雄介がショックを受けるのか、理解できないでいた。
美雪と雄介は幼馴染であり、自然と昔から一緒にいることが多かった。だから雄介が本当に美雪のことを好きであるのならば、告白する機会はいくらでもあった。それでもしなかったということは、つまり雄介は自分に恋愛感情を抱いていないということだ、と思っているのである。実際はそうではなく、ただ雄介に告白する勇気がなかったというだけの話なのだが、それを美雪が知る由はない。普通ならばここであの時の告白のことを思い出すはずなのだが、美雪はあれを単なる悪い冗談としてしかみなしておらず、どうしても思い浮かばないのだ。つまり、美雪はとことん鈍い女なのである。
「雄介、大丈夫かな」
 鈍いくせにファーストキスではいきなり舌まで使うのだから、人というものはなかなかに難しいものである。
「やっぱり、こうしてても仕方ないよね」
 澤木と付き合い始めてはいたが、美雪は雄介を心配する気持ちのほうに重きをおいており、未だに澤木とのデートはしていなかった。だから時間は今までどおり有り余っており、故に行動を開始するのだが、彼女は気付いていない。そんなことをしていれば、澤木が不満を持つということを。そしてそれが、後に大きな影響を与えるということも、当然ながらわかっていなかった。


 カタカタカタカタ……。俺はずっとネトゲをやり続けていた。引きこもりには時間だけは有り余っているので、レベルが上がる上がる。それで飽きてればよかったんだけど、どんどんハマっていってしまっている。正直、社会復帰はもう不可能かもとか本気で思ってたり。
 ピンポーン
「……?」
 家のチャイムが鳴る。まあ、母さんあたりが出るだろ。
 ピンポーン
「……」
 再びチャイムが鳴り響く。なんだ、母さんは今いないのか?
 ピンポーン
「チッ……」
 仕方ない。あまり気分は乗らないけど、このままずっと鳴らされ続けるよりはマシだ。そう思って玄関へと足を運び、ドアを開けると――
「久しぶり、雄介」
「ッ――!?」
 そこには、今最も会いたくない人がいた。

 部屋には重い沈黙が続いていた。
「……」
「……」
 何か用があって打ちに来たんだろうに、美雪は何も言い出さない。かと言って、今の俺が口を開けるはずもなく、結果的に二人共口を開かず沈黙が続く。
「……」
「……」
 しかし、いつまでもこのままでいるわけにはいくまい。なら、ここはやはり俺から話し始めるしかあるまい。
「「あの――」」
 が、俺が言葉を発するのと同時に美雪もまた、同じく言葉を発していた。
「……」
「……」
 そうして再び沈黙が訪れる。
「なに?雄介から言ってよ」
 そんな沈黙を打ち破ったのは美雪だった。結局俺は未だに美雪におんぶにだっこ状態なのか。変わらなきゃ、いけないのに――
「あ、ああ……えーと、その、今日はどうしたんだ?」
 これじゃない。今俺が言うべきことは、こんなことじゃない。もっと他に言うべきことがあるはずなのに、けれどもチキンな俺は本題に踏み出せない。
「あ、うん、その、雄介今学校休んでるじゃん?だから、大丈夫かなと思って……」
「ただの風邪だよ、もう大丈夫だから」
「そう、なら良かった」
「……」
「……」
 これは俺にとっても美雪にとっても本題ではない。だから自然と会話はそこで終わってしまい、沈黙を完全に打ち破るにはあまりに力不足だ。
 俺は、そろそろ勇気を出すべきなのだろう。いつまでたってもこんな状態をずっと続けていくのは本望じゃない。
だけど――今の俺に、そんなことができるのか?
淡い希望抱いて見事に粉砕して、しかもその翌日にはなかったことにされて、それでもようやく勇気を振り絞って再度アタックしようとしたらあんな光景を見せられて……。
「……」
 そんな俺に、今ここで再び一歩を踏み出すなんてこと、できるのか?
「ねえ、雄介」
 唐突に美雪が、どんどんとネガティブな方向に進んでいく思考をストップさせた。
「なんだ?」
「……その、私、ね。澤木くんと――」
「ああ、ごめん美雪。せっかく来てくれたのにまだお茶も入れてなかったよな。ちょっと待っててくれ」
「え。あ、うん……」
 ドクドクと激しく動く鼓動を無視しようとしながら席を立ってキッチンへ向かう。
 さっき美雪が言おうとしたこと。それはとっくに想像がついてる。だから、聞きたくない。それを聞いたら、最後の希望すらも失われてしまいそうな気がして――
「私、澤木くんと付き合うことにしたの」
「ッ――!?」
 しかし、美雪はそんな俺の卑怯な逃げを許してはくれなかった。
「――だから、何なんだよ」俺の意志に反して自然に言葉が漏れた。
「え……」
「それが、なんだって言ってんだよ。まさかそんなことを言うために家に北わけじゃないよな?」俺はいったい何を言っているのだろう。もはやその程度すらわからなくなってきている。
「それは――」
「俺は体調崩して休んでんだよ。そんな人のとこにそんなどうでもいいことを言いに来たのか?常識的に考えておかしいだろ」
「……うん、そうだね。ごめん、今日はもう帰るよ」そう言って美雪は玄関へと歩いて行った。
「……」何か言わなきゃいけない――そうは思うものの、あんなことを言っておいて、今更……という考えが脳内を支配する。
「さよなら」
 そうこうしているうちに、美雪は家を出て行ってしまっていた。いつもとは違う別れの挨拶を残して――
「……」
 もう俺には、何をどうすればいいのか全くわからなくなっていた。
 ネトゲを再開する気力すらも、湧いて来なかった。
 ただ、今はもう、何もしたくなかった。
 俺は、間違えてしまったから――

 美雪が家にやって来てから一週間。
 ついに親の堪忍袋の緒が切れ、俺は無理やり学校に連れて来られていた。
 正直な話、気分は重い。結局女子更衣室を覗いた件は有耶無耶になったままだし、美雪とのことだって何も解決していない。それでもこれから生きていくためには、ずっと家に引きこもっているわけにもいかない。
 そう自分を納得させながら教室に入ると、
「雄介!久しぶり~。もう体調はいいの?」
 美雪が、昔と何ら変わらない態度で接してきた。
「……」
 俺には何が起きているのかさっぱり分からなくて、美雪から視線をそらす。
 すると、その視線の先には澤木の席があった。
「え……?」
 だが、それはいつもの席とは様子が異なっていた。
「どういう、ことだ……?」
 いつもならそこには澤木がいて、大勢の友達とべちゃくちゃと話していた。
 でも、今は違った。
 そこには――花が置いてあった。


 美雪が俺に告白してきたのは、それから一年後の事だった。

安定志向(2)

最初に書いてあったのは、この第一章の本当に序盤のあたりだけでした。それを大幅に改変したものがこの作品です。元々あったものとはかなり展開が違う――というよりも完全に別物になっています。元のものを公開する機会は恐らくありません。それというのも、元のままだと先の展開が全く思いつかなくっていまして……。それで書き換えたのが始まりとはいえ、今ではいい改変だと思っています。しかし、この第一章はあくまで過去の話。本当に物語が動き出すのは次の第二章からです。おーし、やる気が出てきたぞ-!

安定志向(2)

これは、俺と美雪の昔話。今ではすっかり変わり果ててしまっているけど、それでもこれは確かな真実だった。ここから俺たちは全てが狂い始めた。それまではとても幸せだったのに、アイツが現れたせいで俺たちは終わってしまった。とても苦い記憶だけど、それを封印し続けるわけにもいくまい。だから今語ろう、俺の後悔の記憶を――

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-20

Copyrighted
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