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序章「壊れる日常」
今日も今日とて相も変わらずいつも通り。
雲一つないような快晴でもなければ、陽の光が一切入らないほどの曇りでもないし、雨も降っていなければ雪も降っていない。そもそも今は夏だ。
周りの人々も、どこまでもどこまでもいつも通りだ。
そして俺こと佐倉雄介もまた、いつもの通り学校への道を歩いていた。
その隣には、またいつもの通りの奴がいる。
「ねぇ雄介」隣の奴――蒼樹美雪が俺に話しかける。いつもの通りに。
「……」俺の反応もまた、いつもの通り。
「実はね――」そんな俺の反応を気にすることもなく、美雪は自分の話を始める。これも、いつも通り。
いつだって同じ事が起き続けていて、それが変わることはない。あまりにも当たり前で、あまりにも日常の出来事が、日々繰り返されているだけのこと。それはとても退屈で、けれど誰も抜け出そうとはしない。抜け出したいとは思っているのかもしれないけれど、でも誰も実行には移さない。いつも通りのテンプレ的行動を続けるのは、何よりも楽なことだから。
教室に入る。
「……」
誰も挨拶などしない。
続いて美雪が入ると、
「おはよー」
「うん、おはよー」
たちまち挨拶が始まる。この女は基本的に愛想が良い。だから皆に好かれている。そんなあいつの唯一の欠点として周りに思われているのは――
「ねえ、あんた、またあいつと一緒に居るの?やめなよ、あんな奴……」
クラスメイトAが美雪にそう忠告する。これもまた、いつも通り。もう何度も繰り返してきたことだ。
「うん……その、考えておくね」
「美雪……」
それに対する美雪の反応もいつだっていつも通り。クラスメイトAはなぜ返答が分かっているはずの質問を繰り返すのだろう。意味がわからない。何の意味もない。時間の無駄だ。
ああ、もう駄目だ駄目だ。またいつものように、益体のないことを考えてしまった。こんなことを考えるのは脳のキャパの無駄遣いだ。だから直ちにやめるべきだ。
「……」
でも考えてしまい、そして苛ついてしまう。一体何をやっているのだろうという気がしてくる。いつものように。
それでもすぐに思考から切り離せるのだから、まあ別に取り立てて問題もあるまい。しばらく引きずってしまうようなら問題だが、どうせすぐに気にならなくなるのだからどうでもいい。
チャイムが鳴り、担任が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。
その後も、いつも通りに午前の授業を受け、いつも通りに昼食を取り、いつも通りに午後の授業を少し寝てしまいながら受け、そして放課後を迎え帰宅する。
俺は部活には所属していない。あんなものは時間の無駄だ。やる奴はバカでしかない。文化系の部活ならまだいいだろう(楽だから)。だが、運動部に所属する奴はいったい何を考えているのか。すでに一日授業を受けて疲れきっている状態で阿呆のように声を上げて走る。実に愚かしき行いだ。彼らも俺を見習って、少しは現代人らしく生きるべきなのだ。
などと余計なことを考えながら下駄箱から靴を取り出し、静かに帰ろうとすると、
「雄介、もう帰るの?前から思ってたけどなんで部活所属してないの?楽しいよ!」
また美雪である。実にしつこい。いい加減にしてもらえないだろうか。
「……いいんだよ、俺は」
本日始めての発声である。だからいくらか掠れてはいたが、それでも美雪は俺からの返答があったことがたいそう嬉しいようで、さらにテンションを上げる。
「やっと返事してくれたよ~。もう、いっつもそうしてくれれば可愛いのに~」
……ああ、しまった。やはり返事などするべきではなかった。
「……」
だからここからはいつも通り。
余計なことは何もしないのが一番だ。
いつもの通りにすれば、進歩することはないかもしれないけれど、けれど少なくとも後退はしない。
いつも通りにすれば安定した生活を送れるのに、それを自ら積極的に破壊する奴の気がしれない。
他人はどうであれ、俺は俺だ。
俺は安定した日々を望む。
変化なんていらない。
もう二度と、悲劇は引き起こしたくないから――
これが、俺の最後の「いつも通り」の日々だった。
そして、いつも通りの安定した日常は、脆く崩れ去った――
「付き合ってください!」
「……」
通学路の途中で、美雪が、突然告白してきた。
いや、冷静に考えるとそれは別に突然でもなんでもなかったかもしれない。遂に来る時が来た、それが正しいのかもしれない。兆候なら前からあった。全く相手にされないのに俺なんかにずっと付き纏っていたのは、俺のことを好きだから――だったのだろうか。
可能性はある――が、まだ決めつけるのは早い。
それが真実であるという証拠などどこにもない。
今のこの告白だって、本当に本気なのか?
嘘じゃ、ないのか?
そんなの誰が保証してくれる?
何かの罠じゃないって、どうして信用できる?
「……」
だから俺は、いつも通り美雪のことは無視し、一人歩いて行く。
「待って!!」
しかし、いつもならそこで退くはずの美雪は、今日だけは一歩も引かなかった。それどころか、もっと前に前にと全力で駆け抜けてくる。
「……断る」
このまま無視していくのは不可能だと判断し、そう告げた。
「どうして?」すると、美雪はショックを受けた様子もなく尋ねてくる。
実に奇妙だ。普通、好きな相手に告白して断られたら、多かれ少なかれショックを受けるはずだろう。なのにこの女は少しも動じることなく、理由を尋ねてくる。普通ではない。
つまり、これは罠だ。そうに決まっている。
「嫌いだから」冷たく言い放つ。
「どうして?」しかしすぐに次の質問が来る。
「どうして?そんなこと、わざわざ言うまでもないだろう?」
「それは私が判断するよ。で、その私が理由を訊いてるの。だから、教えて」
「……鬱陶しいからだよ」
「どこが?」
「どこが……?どこがだって!?俺の日頃からの態度を見ていれば分かるだろう?俺はお前が嫌いなんだよ、なのになんでいつも付き纏ってくるんだ?そういうのが、鬱陶しいって言ってるんだよ……」苛立ちが、抑えられない。おかしい。こんなのは俺じゃない。俺はいつだってクールに――少なくとも人前ではそうしてきたはずだ。断じてこんな風に感情をむき出しにして喋ったりはしない。そう、あの時から――
「じゃあ、どうして嫌いなの?」
「ッ――、いい加減にしろ!!」
俺は怒鳴っていた。運良く周りには誰もいなかったから、不審に思われることもない。
そして俺は、走って学校へ向かった。
美雪は追いかけて来なかった。
授業中も、美雪の存在が頭をチラついて、どうにも集中できない。どんどんと怒りだけが募っていく。もう寝よう、そう思ったが、残念なことにこの時間は鈴木の英語。鈴木はかなり口うるさく、そしてかなり陰湿な教師だ。授業中に寝るなんてことをしたらクラス全体にとばっちりが来る。クラスのことなんてどうでもいいが、そんなくだらないことで敵を作るのはごめんだった。
「……」しかたない、起きてよう。せめて指名されませんように――
苛立ちと闘いながら、ようやく放課後を迎えた。
授業中はどうしても退屈だから余計なことを考えてしまうが、家に帰ればそんなことはない。自宅は娯楽の宝庫だ。あそこには退屈などという概念は存在しない。故に勉強時間などという余剰時間を用意することなど出来るはずもなく、テストの点が上がらないのは当然のことだ。俺は悪くない。悪いのはこんなにもたくさんの娯楽を生み出した大人たちだ。資本主義だ。
やはりいつものようにどうでもいいことを考えながら帰り支度をする。
今日は、美雪は来るだろうか。
来ないで欲しいというのが本音だ。というよりも、建前なんて存在しないので正真正銘百パーセントそう思っている。
さて――
「……」
いつの間にか校門を通り過ぎていた。
どうやら、流石に今日は付いてこないらしい。
「当たり前か」
何なのだろう。いつもは鬱陶しいだけなのに、いなければいないで寂寥感を覚えるものなんだな。どうでもいいけど。
帰り道。
「……」
そこには、多数の不良がいた。
別に不良がいる事自体は大して珍しいことでもないけど、その連中は俺を取り囲んでいた。
ここからは、出来れば語りたくない。けれどそれは責任放棄だから、とりあえずざっくりとあったことを語ることにする。
俺は何か用なのかと尋ねようとしたが、声を出すよりも早く正面にいた不良が殴りかかって来て、それから周りの連中もいっせいに殴りかかって来た。
周りに人が全くいなかったわけではないけど、皆関わりたくないので何もしない。それは、当たり前。きっと俺が同じ立場でも同じ事をしただろう。まだその人達は警察を呼んでくれたから俺より何倍もマシだ。
そうやって、俺は警察が現れるまでの十分以上、連中にリンチされ続けた。
身体はボロボロ。制服もボロボロ。鞄もボロボロ。その中の教科書もボロボロ。
いくらなんでも不幸にも程がある。ああ、身体が軋む……。
その後は救急車に乗って病院に向かい、結局しばらくの間入院することになった。骨も何本か折れていたらしい。
今日はいったい何だってんだ。厄日なんてものじゃない。
全てはアイツから始まった。アイツが、突然俺の日常をぶち壊しやがったから、だからいつもとは違うことが起きる。それが良い変化だったのなら、きっと俺だって笑って許したことだろう。だが、現実は違う。変化とはすなわち改悪だ。何でもかんでも変えればいいなんてものじゃない。変化が全て改善となるのはお伽噺の中だけだ。ここは現実。そんなことはありえない。安定が一番だ。
見舞いには、家族と教師が申し訳程度にやってきた。友達は来ない。そもそも友達はいない。来たのはそれだけ。 そう、あれだけ俺に付き纏ってきたアイツさえ、来なかった。
告白されて振ってやったのだから、当たり前といえば当たり前。
そう考えればいいだけのこと。
だが――アイツを振ったのと、俺が大量の不良に襲われたこと。そんなことが、まとめて同じ日に起きるだろうか?
そんなことありえるのか?
もちろん可能性としてはありえるだろう。
しかしそれはいったいどれくらいの確率だ?
今までずっと同じ事を繰り返してきた日々が、同じ日にまとめてぶっ壊れるものなのか?
つまり、これは誰かの陰謀。
誰のかって?
そんなの、言うまでもないだろう。
蒼樹美雪だ――――
安定志向(1)
第一章はわりと長い話になります。序章発表時にはすでに半分以上書き終わっていますので、一章発表までにはあまり時間もかからないことと思います。この作品は最低でも「嘘に満ちた〈桃太郎〉」と同じくらいには長くなる見通しですので、楽しみにしていてくだい。