幽霊のまにまに

チャプター1

 その日、僕はいつも通り授業を受けていた。
 周りの生徒が退屈に感じ、寝てしまうという歴史の授業も、僕にとっては楽しい時間だ。第一、学ぶ為に学校にくるのが当たり前だろうと思う。だから、授業で寝るのはおかしい。こんなことを学校で言っても、またクラスメイトにガリ勉などとからかわれるだけだが。
 その歴史の授業も終わり、周りの生徒も起き始めた。外で待っていた担任が入ってきて、ホームルームを始める。
「今日は伝えることもないので、これで終わりましょう」
 特に何をするでもなく、ホームルームは終わった。挨拶をして、掃除の為に机を寄せると、皆が話したりしているのを背にして教室を出ていく。僕はクラブをしていない。他にやるべきことがあるからだ。今日も、それをするために早く帰る。
 自転車置き場から自転車を出して、走っていく。校庭を通ると、クラブをしている生徒たちが見えた。生徒たちは明るく輝いているように見える。うらやましいが、仕事をするためだから仕方がない。
 校門を出て、左へ行く。直進していくと、だんだんと車道が狭くなっていく。そのまま走ると、小さな交差点に差し掛かった。道路に書かれている白い丸と、目撃証言を探す立札がある。ここが、今日の仕事の始まり。昨日の朝から気配を感じていたところだ。
 僕は左手を上げて、気配を感じ取る。時間が経っていたが、薄く右のほうに漂っているのを感じた。来た道から見て右のほうに自転車を進ませていく。
 だんだんと、気配が大きくなってきた。そして、大きな公園が右手に見えてきた車道の隅っこで、その少年は泣いていた。
「こんにちは。僕には君が見えるよ」
「……お兄さん、誰なの?」
 ここで本当のことを話すべきなのか。今までの経験からすると、本当のことを言っても大体の人は僕が何を言っているかわからず、余計に話がこじれてしまっていた。
「うーん、説明しにくいんだけど…… とりあえず、そこの公園に行かない?」
 道端で一人で話すというのも不自然なので、右側にある比較的大きな公園の中で話すことにする。公園の内周には樹が植わっていて、街中に少し残る自然となっていた。入り口に自転車を止め、木陰にあるベンチは使わずに、その近くの草の地面に座り込んだ。少年も、僕の左に座る。
 歩いてくる間も、相変わらず少年は泣いていた。ワンワンとではなく、シクシクと。心の底から悲しそうな泣き方だ。
「泣かなくていいよ。僕には君のことが見えるし、君を助けに来たんだ」
 そう、目の前で泣いている少年は、普通の人には見ることができない。
「……本当に?」
 少年は、少し泣くのを抑えつつも、僕を疑っているようだ。
「うん、嘘をついてどうするんだよ。じゃあ、僕の正体を話せば信用してくれるかな」
 少年が理解できるように、気が動転しないように、ゆっくりと丁寧に言葉を出していく。
「落ち着いて、よく聞いてね。まず、君も気づいているのかもしれないけど、君はもう死んでしまっている。今の君は、幽霊なんだ」
「……」
 突然の宣告に気が変になる―――わけでもなく、少年は暗い顔で地面を見ていた。心当たりがあったようだ。ここで話を聞いてもらえなくなると面倒なことになるのだが、ひとまずはよかった。
「で、僕はそんな君を成仏する人なんだ。たぶん君は、交通事故で亡くなるときに、何かを強く思った。それが、君が幽霊になってしまった原因なんだ。僕は、君がその何かをするサポートをする」
「……本当に、信じていいの」
「大丈夫だよ。君の為に、働かせてもらうから」
「……ありがとう」
 とりあえず、なんとかなったようだ。ここから話を進めるのは簡単だ。
「僕の名前は、林健人って言うんだ。さっきも言ったように、幽霊を還す仕事をしているよ。君の名前はなんて言うんだい?」
「コマキタカヒロ」
「そうか、タカヒロか。これからいろいろと話を聞くけど、それも君の為だからね」
 その後、薄暗くなるまでいろいろな事を聞いた。幽霊になるのにもたくさんの理由があって、その人の環境によっては簡単に解決できないこともある。だから、とりあえず詳しい話を聞かないといけないのだ。
 タカヒロの年齢は、11歳。昨日の朝、小学校に行く途中で車に轢かれ、死んでしまった。交通事故で死ぬ間際に願ったのは、もう一度家族に会うこと。タカヒロは母と高校生の姉の三人家族で、母は二人の子供の為に必死に働いて、姉はそんな母に代わって愛情を注いでくれていたこと。それだけ愛されていたならなおさら、家族に会いたいと願う気持ちは強いだろう。
「で、タカヒロ、家族に会う覚悟はある?」
「?」
「家族に会ったら、タカヒロは、相当辛くて、苦しくて、帰りたくなって、泣きたくなるかもしれない。自分のわがままで会っても、お母さんやお姉さんが悲しくなるだけだ。それでも、それなら、自分が傷ついてでもお母さんやお姉さんの悲しみを減らす覚悟はある?」
 タカヒロはその可能性に気づいて、はっとした。会えるのは一度きりなのだ。単に寂しいから、怖いからという理由で会っても、両方が余計に悲しくなるだけだ。
「……どうせ僕は、会うしかないもん。お母さんとお姉ちゃんに、会いたい」
 大体の人は、自分の思いを優先する。それほど、幽霊になるには強い感情が必要だからかもしれない。
「そうか、君は偉いよ。きっと家族も、安心してくれるよ」
 さて、これから手順を説明していくのだが、これがまたややこしい。普通の人が一発で理解できないくらい、専門的な言葉や手順が複雑に入り組んでいる。だから、いつも本人が意識しなくてはならないところだけ説明している。
 タカヒロにもそうやって説明しよう。そう思った時に、
「あなた、林君よね?」
 後ろから、少女の声が掛けられた。

チャプター2

 ややこしいことになってしまった。
「やっぱり林君よね?何してるの?」
 後ろから声をかけてきたのは、クラスメイトの少女だった。こちらの顔と横の地面を見て、怪訝な表情をしている。
「つ、疲れたから座ってるだけ。堺さんはクラブの帰り?」
 堺未来。美術部。文化部に入っている割に活発で、クラスでも騒いでいるほうだ。肝心要のこの時に話しかけられるとは、なんとも運が悪い。それにしても、夕暮れ時の公園で座って独り言をつぶやいているクラスメイトに話しかけるとは、この少女はなんと勇気があるのだろうか。とっさについた嘘も含めて、ますます怪しがられるに違いなかった。
 だが、僕の後ろに立っている少女は真剣な目をしていた。まるで長年の雪辱を果たすかのように。
「……ちょっといいかしら」
 そういって彼女は近づき、僕の頭に手を添えた。そして、左後ろを見ていた僕の顔を右に向ける。背中越しに顔を近づけて、彼女は耳元でささやいた。
「あなたの左にいる男の子は、いったい誰なの?」
 ……驚いた。今まで、僕以外の成仏師とは会ったことがなかった。ある人によると、成仏師は一つの街に一人いれば十分らしい。だから、この街には他の成仏師はいないはずなのだ。だが、彼女はここにいる。なぜだ。動揺を隠しきれないまま、質問を返してしまう。
「堺さんは見えるの?僕の左の、少年が」
「ええ。林君も見えるのよね。で、男の子は誰なの?」
 そういえば、彼女は何か変だ。同じ成仏師なら、「左にいる男の子は誰」という聞き方はしないだろう。それが幽霊だということは分かり切っているから。だが、彼女は僕の正体ではなく、左の男の子の正体を聞いた。ということは、彼女は成仏師ではないのか。
「堺さんは知らないの?彼みたいな存在について」
 ほとんど暮れかかっている夕日が、少しだけ公園の葉を照らす。耳に口を寄せている少女は、言葉を選んでいるようだ。
「……少しだけ知ってる。私が小さいころから道路とかにいて、他の人には見えないの。触るのも怖くて、できるだけ無視してた。だけど今日、林君が一緒に何か話してて……。林君は、一体何なの?」
 やはり、成仏師ではなかった。だが、成仏師ではないのに幽霊が見えるという人は、余計僕は聞いたことがない。
「僕は、成仏師というんだ。左にいる男の子は幽霊で、僕は幽霊を成仏させる役目があるんだ。別に、幽霊といっても怖いもんじゃないよ」
 そう言って、僕は左を向く。
「タカヒロ、彼女は堺さんといって、僕のクラスメイトだよ。ちょっと話に混じってもいい?」
 幼いころから悩んでいた堺さんを放りっぱなしにするのも心苦しい。説明するよりも、成仏を体験するほうが得策だと思った。
「別にいいけど。こんにちは」
「こんばんは、タカヒロ君」
「今まで話してくれたこと、全部話してもいい?」
「うん」
 タカヒロに許可をもらって、タカヒロの現状を彼女に話す。最後まで、彼女は黙って聞いていた。
「……そう。辛かったよね。でも、もう大丈夫だからね。じゃあ、お母さんに会いに行きましょう」
「いや、そういうわけにはいかないんだ。タカヒロは普通の人には見えない。だから、ちゃんとした手順を踏んで、会ってもらう」
「それは、ややこしいの?」
「まあ、大体は僕がやる作業だから、タカヒロは肝心なところだけやってもらえばいいよ。
 あのさ、タカヒロがお母さんに会えるのは、お母さんが寝てからなんだ。堺さんはそんな夜中に外出しても怒られない?」
「わからないわ…… 友達の家に泊まるって嘘つけば、なんとかなるかも」
「じゃあ今から家に帰って、いろいろと済ましてきて。タカヒロの家ってここから三十分くらいだっけ?」
「うん。ホームセンターの近く」
「なら、11時にこの公園の入り口集合で。タカヒロは僕と一緒に家に行こう」
「わかったわ。じゃあまた後でね」
 堺さんは、何回もこちらを振り向きながら歩いていく。そして、僕のものの隣の自転車に乗って、走っていった。
「じゃあ、僕らも帰ろうか」
「本当に林さんの家に行っていいの?」
「うん、何の問題もないよ」
 僕は立ち上がり、自転車を取ってくる。タカヒロのところに戻ると、公園の裏から出る。
「ここから二十分くらいかな。まあ、まだ六時だしね」
「お母さんとか大丈夫なの?」
「母さんは家にいないよ」
「そうなんだ…… ごめんね」
「あー、そんな顔されても困るんだけどね。僕一人暮らししてるだけだから」
「そ、そうなんだ……」
 主に夜中に行う成仏をしていると、生活時間の関係で家族に迷惑をかけてしまう。幸いなことに、お金は神様からもらっているので、親にはぼかしながらも話して一人暮らしを許してもらっている。言い方が悪かったのか、タカヒロは勘違いをしてしまったみたいだが。
 会話が途切れて、僕は夜空に目を向けた。少しだけ欠けた月とわずかに光る星が、真っ黒な空を照らしている。天気予報は曇りと言っていたが、今夜は晴れているようだ。
 その後も、タカヒロからは何も話を振ってこなかった。僕はどちらかというと話を聞くほうなので、自然と会話はなくなっていった。夜道を照らす街灯と無言は、家までずっと続いた。
「到着。ここに僕は住んでるんだ」
 それなりに年季の入った、三階建のアパート。その二階に僕は部屋を借りている。
「ここなんだ……」
 僕の住むアパートを仰いで、タカヒロの目は輝いていた。一人暮らしに憧れているようだ。
「自転車置いてくるから、ここでちょっと待ってて」
 裏の自転車置き場に止めて、すぐに戻ってきた。タカヒロは相変わらず、アパートの上のほうを見回していた。そんなタカヒロを連れて、アパートの古びた階段を登った。ポケットから部屋の鍵を出して、古びた鍵穴に差し込む。そして、部屋の中へ入る。
 玄関からドアを一つくぐると居間になる。だが、居間に入っても暗くて何も見えなかったので、照明のスイッチを捜した。いつもの感覚で指先を動かし、やっとのことで電気が付いた。
「ちょっと散らかってるね……」
 僕の部屋は汚くはないものの、荷物や服などが床に転がっている。きれい好きな人が見ると耐えられないくらいに。
「生活感に溢れてるって言って欲しいな。まあ、適当に座ってよ」
 もうそろそろご飯の時間なのだが、とりあえずそれは置いといて、タカヒロともう少し話をしなければならない。
「もう一回話を聞いていくから付き合ってね。まず、この紙に住所と名前を書いて」
 漢字でちゃんと書いてもらう。漢字で書くと、小牧孝弘というようだ。住所も、細かいところまで全部書いてもらった。
「はい、ありがとう。じゃあ、これからタカヒロがやらないといけないことを説明していくからね。
 まず、君とお母さんやお姉さんが会うのは、夢の中だ。お母さんとかが見ている夢に、僕らが入っていくんだ。で、待っているから、タカヒロはお母さんと話してくる。で、次はお姉さんね。これが、一連の流れになるんだ」
「夢の中に入れるの?」
 目を輝かせるタカヒロ。これは完全に尊敬の域に達してしまっている。
「うん、僕は成仏師だからね。そうだね、半径十メートル以内くらいならその人の夢に入れるよ。でさ、人の夢って不思議なもんでさ、いろいろなイメージが絡まりあってできているんだ。例えば、大体の人の夢の空は、何かの色で歪んでる。紫色だったり、緑色だったり」
 一日のうちにあったことや、悩んでいること。その人が意識していない無意識の世界を、夢は映す。
「そんな風に心の中が表れているのが、夢なんだ。で、これは注意なんだけど、お母さんがどんな夢を見ていても、決してショックを受けないでほしいんだ。タカヒロが事故に遭って、まだ二日しか経っていないからね。タカヒロが事故に遭ったイメージだとか、悲しい心がお母さんの夢の中で表れていると思う。だけど、それにショックを受けずに、お母さんの悲しさを減らしてあげることが、一番大切なことだと思うんだ」
 身近な人を事故で亡くした人は、しばらくは実感が湧かないそうだ。その間は、無意識の心の中に悲しい気持ちが溢れている。それが、少し経って何らかのきっかけで意識に流れ込んでくるのだ。溜めこんだ悲しさは煮詰まり、より濃くなってその人の心を染めていく。その悲しみを少しでも減らすことは、幽霊たちも大切なことだと考えるだろう。だが、幽霊になってすぐに他人の事を考えられるほど、人間はよくできていない。僕自身、こんな状況に置かれたらパニックになるだろう。だから、そんな幽霊たちがほかの事を考えられるように提案をするのが、僕の仕事なのだ。死者と生者の橋渡しをする、それはとても素晴らしい仕事だと思う。
 ここで夢の話に戻るが、夢は無意識などのいろいろなイメージの混ざったものだ。つまり、母親の夢では、煮詰まった感情が渦巻いていると考えてもいい。悲しみは深く濃く、あまりにも強い負のエネルギーに衝撃を受ける幽霊も多い。そのために、事前に説明しておかなければならない。
「僕は、さっきも言ったように待っているだけだから。タカヒロに悔いがないように、そして家族の悲しさを減らしてこれから生きてもらうために、頑張るんだ。時間は無制限だから」
「うん。言いたいこと言う。林さん、本当にありがとう」
 一通りの説明は済んだ。あとは時間まで待つだけだ。
「晩御飯食べるから、テレビでも見ててよ」
 当然だが、幽霊はご飯を食べられない。こういうのは配慮するより、堂々としていたほうが傷つかないのだ。
 夜間でお湯を沸かして、インスタントのラーメンを作る。思えば、最近の夕食はインスタント食品ばかりかもしれない。あとはコンビニ弁当だ。体に悪いかなとは思うが、食事を作るのは面倒くさい。
 そのまま、ズルズルと早く食べて片づける。時計を見ると、今の時間は七時半だ。他の幽霊のときも、発見場所が家に近かったら連れてくるのだが、大体の場合は時間が余る。その間は適当に過ごすのだが、ここで沈黙が辛い。特に世代が離れていると、何を話していいのか気を使ってしまう。その点、今回のタカヒロは年下なのでよかった。
「さっきから何見てるの?」
 タカヒロの隣に腰を落とす。
「おっクイズ番組か。知的でいいな」
「どうせ見た知識も明日になったら忘れてるけどね……」
 タカヒロが、苦笑いを浮かべる。まあ、大体の人はそうだ。一度だけ見たものを覚えていられるのは、俗にいう天才だ。
「興味を持つのがいいんじゃないの? そうだ、十時半にこの家を出るから、覚えておいてよ」
 そこからは、適当にテレビを見ながら話して過ごした。時間まで平凡な時間を過ごすのは、これから消えるという恐怖心を紛らわす効果もある。人間、なんだかんだで普通が一番落ち着くのだ。
「もう十分前か。そろそろ準備しておいてね」
 準備といっても特にないだろうが、一応声をかけておく。僕もトイレに行ったりしていると、時間になった。出発だ。
「じゃあ行こうか。家族に会いに」
「お願いね」
 そういうタカヒロの顔は、緊張と覚悟に染まっていた。

チャプター3

 公園に着くと、すでに堺さんがいた。
「もう来てたんだ。こんばんは」
「こんばんは。タカヒロ君も、こんばんは」
「こんばんは、お姉さん」
「もう行こうか。歩きながら話そう」
 そういって、さっきタカヒロに聞いた住所を目指す。堺さんは自転車で来ていたので、押しながら三人で歩いていく。
「親には何て言って来たの?」
「友達の家に泊まるって……友達にも口裏を合わせてってお願いしたし、たぶんばれないと思う」
「じゃあ大丈夫だね。明日も休みだし」
 高校生が外泊するには、ちゃんとした理由が必要だ。異性の同級生の家に泊まる(しかも一人暮らし)ことなどは、高校生にしては不純に見られるだろう。もちろん、僕には女の子に何かする度胸もないし、そうならざるを得ない理由もちゃんとある。だけど、幽霊退治をするからなどとバカ正直に言うこともできない状況で、嘘をつかない限り外泊は許されなかっただろう。ばれるかばれないかはその友達によるとしても。
 できるだけ大通りを避けていく。タカヒロは見えないのでいいのだが、僕たちが補導される可能性がある。どう説明したものかわからないので、警察とはできるだけ会わない方がいい。
「自転車押そうか?」
 僕は堺さんに声をかけた。少しでも負担を減らしてあげようと思ったのだが、
「自分のなんだし、別にいいわよ」
 余計なお世話だったようだ。タカヒロの隣を歩く堺さんの髪は、街灯に照らされ黒く光っている。長い髪は風にたなびいて、あらためて美人だということを感じさせた。
「タカヒロ君のお母さんに会う時の話なんだけど、たしか夢を見てないとダメだったのよね?」
「そんなこともないんだ。寝てさえいれば、大体の人は夢を見てるからね。それを覚えている時に、僕らは夢を見たというわけだよ」
「寝てさえいればいいっていうこと?」
「まあそういうこと。もし寝ていなかったら待たないといけないけど、この気温じゃ風邪もひかないから大丈夫でしょ」
 そういって、僕はタカヒロのほうを振り向いて笑う。
「頑張るんだよ」
「うん。先に、お母さんとお姉ちゃんのどっちに会ったほうがいいかな?」
「それはタカヒロが決めていいよ。あと注意だけど、一人に会ったあと僕らのところに帰ってこなくちゃいけないからね。そうしないともう一人に会えなくなっちゃうよ。時間はどれだけでもいいけど、一人に会った後に消えないようにね、わかった?」
「うん。じゃあ、先にお姉ちゃんに会う」
 まばらな灯りが照らす細い道は、ずっと先へと続いていた。

チャプター4

「ここがタカヒロ君の家なの?」
「うん」
 大通りから少し外れた住宅街。数軒の家が立ち並ぶ中に、タカヒロの家はあった。街灯がないのであたりは暗く、家の中に明かりは見えないが、車庫に車が止まっているのを見ると家に家族はいるようだ。タカヒロは今朝亡くなったので、葬儀などの段取りや親戚への説明などは一通り済んでいるはずだ。今夜は悲しみや喪失感に苛まれながらも、疲労のせいで寝てしまうと思われた。
「まだ二人とも寝ていないみたいだね」
 夢とは、眠っている人が作る空間だ。夢を見る人物を中心としてできた夢は、その人の心の中身を映し出す。現実空間とは少しずれていて普通の人はわからないのだが、成仏師はその発生を感じることができる。さらに、成仏師はその空間に入ることもできるのだ。現在、ここには数個の夢が重なっているが、全て関係のない近所の人のものだ。
「家族に会えるといいね」
 タカヒロに笑いかけながら、堺さんが言った。確かにどうしようもないので、今夜眠ってくれることを祈るだけだ。タカヒロは緊張しているのか、返事が短い。
「うん」
 時計を全然見ていなかったので、正確にはわからないのだが、僕たちはそのあと数十分待った。すると、突然、僕はタカヒロのお姉さんの夢ができるのを感じた。
「お姉さん、寝たみたいだね」
「お姉ちゃんが?」
 やっぱり緊張しているようだ。顔は少し紅潮して、息も早くなっている。そんなに緊張することもないのにと僕は思うが、仕方がないとも思う。僕は苦笑して、
「そんなに緊張しなくてもいいよ。落ち着いて、ほら深呼吸」
 と言った。タカヒロは、数回深呼吸をすると、
「それで、僕はどうすればいいの?」
「僕と手を繋いで、目を閉じてほしい。堺さんも、自転車を道の脇に置いて同じように」
「わかったわ」
 民家の前、道路の端に、堺さんは自転車を止めた。そして、僕は二人と手を繋いだ。右に小さい手と、左に柔らかい手。
「それじゃあ、行こう」
 二人が目を閉じたのを確認して、僕も瞼を落とす。集中して二秒、いつものように夢へと移動する。
「……ついたよ」
 目を開けると、そこには荒野が広がっていた。
 その空間は、空虚と表すしかなかった。灰色の濃淡が空を作り、僕たちのいる高台から見渡す限りに広がる大地にも、建物は数軒も建っていない。他はすべて灰色の地面に覆われた、まさに死んだ世界。
「これが……お姉ちゃんの夢の中なの」
 目を見開き、景色を見るタカヒロ。堺さんも似たような表情で固まっている。身近な人を亡くしたときに見る夢は、このように寂しい夢となる。まだ悲しみを実感できていないのだが、なんとなく喪失感を感じるのだ。初めて見る人が不安でいっぱいになる、ただただ虚しい空間だ。
「怖がらないで、深呼吸深呼吸。ほら、お姉さんはあそこにいるよ」
 後ろを振り向き、指をさして、さっき見つけたお姉さんの場所を教える。ここからは、僕たちにできることはもうない。
「行ってらっしゃい。お姉さんに、言いたいことを言うんだよ」
「ありがとう。じゃあ、行ってくるね」
 そういって、堺さんのほうも少し見て、タカヒロはお姉さんのほうに駆けて行った。
「上手くいくといいわね」
「うん。タカヒロなら、きっと上手くいくよ」
「林君はいつも、こんなことしてるの?」
 堺さんの目は、僕のほうを見ていない。空っぽの景色の中を走るタカヒロを眺めて、遠い目で訊いていた。
「そうだね。週に少なくて一人かな。それくらい、タカヒロみたいに悩んでる人はいるんだ」
 僕もタカヒロを見る。ようやく、お姉さんのところにたどり着いたようだ。遠目からで見えにくいが、お姉さんが驚いているのがわかる。
「すごくいい仕事だと思うわ。本当に素晴らしいと思う」
「ありがとう。僕も、この仕事に誇りを持ってるから。本当に、人の心っていうのは綺麗だよ」
 抱き着いたり離れたり、話す二人の影が揺れる。タカヒロなら、きっと、思いを伝えられるはずだ。彼が自分で、そう決めたから。
「ねえ。私もさ、林君の仕事手伝っちゃだめかな。今までタカヒロ君みたいな人を見てきたけど、怖くって、全員見捨ててしまってた。本当は、こんなに苦しんでいたのに」
 そういって、視界の隅に映る堺さんの顔が、こちらを向いた。僕も、堺さんのほうを向く。
「私にできることがあるなら、手伝わせてほしいの」
 ここで、許してしまってもいいのか。僕にははっきりとはわからない。ここで断ったら、彼女の罪悪感は一層増すのではないか。そして、彼女の決意を踏みにじることになるのではないか。そういう彼女の都合を考えてしまう。だが、そういう思いとは別に、この真っ直ぐな瞳なら、幽霊を助けることができるのかもしれないと感じた。その直観を信じてみてもいいのではないか。
「……しょうがないか。その代わり、生活に支障が出たり、家族に怪しまれないように。わかった?」
「本当にありがとう。迷惑はかけないようにするから」
 安心した様子の堺さんは、再びタカヒロ達のほうを向いた。二人は悲しそうに何かを話していた。お姉さんは、縋り付くようにタカヒロを掴んでいたが、その手をタカヒロが振り払った。お姉さんのほうを数秒向いて、タカヒロはこちらへ走ってくる。
「終わったみたいね」
 お姉さんのほうを見ると、顔を手で覆って泣いているように見える。いつかはこの悲しみを癒して、楽しく人生を過ごしてほしい。それが、タカヒロの願いでもある。
「……あのお姉さんは、今日タカヒロと会ったことで、いくらか救われるはずだよ。そして彼女は、未来を作っていくんだ。可能性は、無限にあるんだ。僕達が助けるのは幽霊だけじゃない」
「本当に、素晴らしいことね」
 その言葉が消えると同時に、タカヒロは僕たちの立つ高台に走りこんできた。
「お疲れ様。タカヒロ、大丈夫?」
 タカヒロの顔は涙に濡れていた。さっきお姉さんと別れるときに、どれだけ悲しかったことか。まだ小学生のタカヒロには、余計辛く感じるだろう。
「うん……お姉ちゃんに、頑張ってねって言えたから……」
「そうか。偉いな、タカヒロは」
 横でタカヒロを見つめている堺さんの目にも、涙が浮かんでいる。
「じゃあ、そろそろお姉さんの夢から出ようか」
 やり残したことはないかな、とは聞けない。家族同士の最後の会話なら、どれだけ時間があっても足りないだろう。次にお母さんとも話さないといけない。これ以上、タカヒロに悲しい思いをさせてはいけない。
「また僕の手を握って。で、目を閉じていてほしい」
 僕の差し出した手を二人は握り、瞼を閉じた。
「―――戻ってきたよ」
 目を開けると、夜道が広がっている。ここは、小牧家の前の道だ。夢から帰ってきたのだ。
「移動する瞬間って、全くわからないのよね。目を開けてたら何が見えるの?」
 堺さんのその疑問については、僕が成仏師になってすぐの時にある人に教えてもらった。
「夢に入るには、目を閉じていないといけないんだ。目を開けていると絶対に入れないんだよ」
 そうして、タカヒロのほうを向く。
「お母さんも、もう寝てるみたいだよ。もう会いにいくかい?それとも、少し休むか」
 タカヒロは少し迷ったのを顔に出したが、やがて真っ直ぐな瞳で僕を見つめた。
「お願い」
「よし、じゃあ行こうか」
 また手を繋いで、目を閉じて、夢に入る。これで終わりだ。

チャプター5

「―――オッケイ。着いた」
 目に入ってきた景色は、お姉さんのものとはだいぶ違っていた。荒野というよりは廃墟、一面瓦礫が積もっている。二階建ての建物が一つだけあり、僕らのいる高台から建物へは一本の細い道が伸びている。空にはいろいろな色が混じっていて、オーロラというには重く粘っこい。油性の絵の具を数色かき混ぜたような、まさに混沌としていた。
「お母さんのはすごい夢ね……」
 現実では、こんな景色を見ることは一生ないだろう。そのくらい、夢はいろいろなイメージが混ざり、複雑になってしまっている。
「タカヒロ。もうここで、僕たちとはお別れなんだ」
「……本当にありがとう、林さん、堺さん。二人がいてくれて、本当によかった。また、会えるといいね」
 本当に悲しそうに笑うタカヒロ。
 堺さんも、泣きそうになりながら笑う。
「またどこかで会ったら、そのときは友達になってね?」
「もちろんだよ。本当に、ありがとう」
 名残惜しそうにしながらも、タカヒロは僕たちに背を向けた。
「お母さんは、あの建物の中にいるよ」
「……じゃあね、バイバイ」
 そういって駆けだしたタカヒロの背中は、今日の夕方泣いていたのと同じとは思えなかった。覚悟を決めた少年は、どんなお話の主人公よりも格好よく見えた。
「また会おうねー!!」
「頑張れ、タカヒロ!!」
 二人で最後に叫んだ内容は、タカヒロに伝わっただろうか。そして、吐ききった息を吸い込む。
「……また、会えるといいね」
「きっと、会えるわ。そう約束したんだもん」
 タカヒロの姿は、次第に小さくなっていく。そして、その姿は建物の中に吸い込まれていった。
「もう、僕たちにできることはないよ。帰ろうか、家に」
 そう言って、僕は堺さんに向けて手を差し出した。だが、堺さんの顔は、タカヒロの入っていった建物に向けられていた。
「……もう少し、ここに居たいの。いいよね?」
 もとより、早く帰らないといけない理由もなかった。明日は休日だからだ。
「堺さんが、居たいのなら」
 静かな高台に、僕たちはずっと立っていた。

チャプター6

「今日一日こうして過ごして、どう感じた?」
「やっぱり、本当に素晴らしいわ、全てが」
 堺さんがここまで押してきた自転車に、僕たちは二人乗りをしている。午前一時の帰り道。堺さんを後ろに乗せ、薄く照らされている車道を走りながら、僕はいろいろと話したくなった。
「そもそもさ、堺さんはなんで幽霊が見えるんだろうね。堺さんみたいな人は初めて見たよ」
「物心ついたときから、見えてたのよね。別に親も霊感が強いとか聞かないし……なんでなのかな?」
「今度知り合いに聞いてみるよ。もしかしたら、知ってるかもしれないし」
「そう?それじゃ、頼んどくわ。ところでさ、林君はどんな風に成仏師?になったの?」
「どんな風って……まあ、普通に」
「普通ってなによ。いつなったとか、そもそもどんな方法でなったとか、いろいろあるじゃない」
「あー……それは長くなるから、また今度ってことで」
「あっ!!私はちょっと喋ったのに、何も話してくれないなんてずるい!!」
「ほ、ほら、家着いたから!!もうこんな時間だし、寝なきゃ!!」
「へえ、ここに住んでるんだ」
 新しい日々が、始まろうとしている。

幽霊のまにまに

幽霊のまにまに

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. チャプター1
  2. チャプター2
  3. チャプター3
  4. チャプター4
  5. チャプター5
  6. チャプター6